「アドベンチャーズ・オブ・インディ・ジョーンズ コンプリートDVD」
2003年11月19日という訳で「アドベンチャーズ・オブ・インディ・ジョーンズ コンプリートDVD」を観てみた。
既に以前から発売されているソフトを数バージョン持っているのだが、コンパクトなメディアである上に、メイキング映像が収録されていることもあり、購入することにしたのだ。
因みに、比較対象のために、先日から「輸入版LD(ワイドスクリーン)」で見直していたのであるが、感想としては、
1.発色が良い。
TVCF等を見て、今回発売のDVDの発色が良いのは知っていたのだが、フォーカスもピッタリな上に、全ての色の発色が良い。
しかし発色が良すぎて、マット・ペインティング等が目立ったり、フィルムでは無くビデオ撮影ではないかと思わせる程である。特に「最後の聖戦」はね。
2.画質が良い。
ビットレートが比較的高く、画質のクオリティが高い。
これも弊害として、マット・ペインティングや、スクリーン・プロセスの粗が逆に目立ってしまっている。
3.音響設計が良い。
従来は4chのサラウンド版が存在していたが、今回は5.1chとなり、従来のサラウンド版と比較して、音響設計をサイド行なっているようで、同じ音を従来と別チャンネルで収録してあるため、新鮮な印象を受けた。
例えば「レイダース」の冒頭の森の中の音を聞くと、今までと全く違う森の中にいるような印象を受けることができるのだ。
4.タイトル変更「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」
「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」のタイトルが「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク《聖櫃》」、"INDIANA JONES and the RAIDERS of the LOST ARK"に変更されている。
昔からのファンにとっては大変悲しい出来事である。
因みに、メイキング映像でスピルバーグは「インディ・ジョーンズ三部作」のことを「レイダース・ムービーズ」と言っている。
物語については、今更なので、もう特に言うことは無いのだ。
余談だが、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」の冒頭の岩の棒は消えていたが、ベロックが蝿を食うカットはそのままだった。
既に以前から発売されているソフトを数バージョン持っているのだが、コンパクトなメディアである上に、メイキング映像が収録されていることもあり、購入することにしたのだ。
因みに、比較対象のために、先日から「輸入版LD(ワイドスクリーン)」で見直していたのであるが、感想としては、
1.発色が良い。
TVCF等を見て、今回発売のDVDの発色が良いのは知っていたのだが、フォーカスもピッタリな上に、全ての色の発色が良い。
しかし発色が良すぎて、マット・ペインティング等が目立ったり、フィルムでは無くビデオ撮影ではないかと思わせる程である。特に「最後の聖戦」はね。
2.画質が良い。
ビットレートが比較的高く、画質のクオリティが高い。
これも弊害として、マット・ペインティングや、スクリーン・プロセスの粗が逆に目立ってしまっている。
3.音響設計が良い。
従来は4chのサラウンド版が存在していたが、今回は5.1chとなり、従来のサラウンド版と比較して、音響設計をサイド行なっているようで、同じ音を従来と別チャンネルで収録してあるため、新鮮な印象を受けた。
例えば「レイダース」の冒頭の森の中の音を聞くと、今までと全く違う森の中にいるような印象を受けることができるのだ。
4.タイトル変更「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」
「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」のタイトルが「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク《聖櫃》」、"INDIANA JONES and the RAIDERS of the LOST ARK"に変更されている。
昔からのファンにとっては大変悲しい出来事である。
因みに、メイキング映像でスピルバーグは「インディ・ジョーンズ三部作」のことを「レイダース・ムービーズ」と言っている。
物語については、今更なので、もう特に言うことは無いのだ。
余談だが、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」の冒頭の岩の棒は消えていたが、ベロックが蝿を食うカットはそのままだった。
ここがダメだよ『キル・ビル Vol.1』
2003年11月14日繰り返しも多々ありますが・・・・
わたしは現在のところ『キル・ビル Vol.1』を3回ほど観ていますが、本作を1本の独立した映画だと考えた場合、つまり『キル・ビル Vol.2』が公開されていない今言えるのは、態度を保留するか、強いて言えば、つまらない映画だと言わざるを得ない、という印象を持っています。
またわたしのバック・グラウンドとして所謂B級映画も好きですし、以前は「東京ファンタ」の常連でした。
そんなわたしが感じる、全国拡大ロードショーされている作品としての『キル・ビル Vol.1』がつまらない理由は、
1.シナリオがつまらない
わたしにとってのタランティーノ作品の魅力は「ヴァイオレンスと引用とシナリオ」です。
特にわたしは「シナリオ」に魅力を感じます。『レザボアドッグス』を渋谷のミニシアターで観た際、とんでもない才能を持った奴が出てきたな、と感じ、その足で輸入版LDを買いにいった位の感動を受けたのですが、その感動の根本は、(これはキューブリックの引用ですが、)時系列をバラバラにした各シークエンスが最後の最後にピタリと決まる「シナリオの妙」だったのです。
これは「パルプ・フィクション」にも継承されるものですし、時系列はともかく「シナリオの妙」は「トゥルー・ロマンス」や「クリムゾン・タイド」、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」等にも言える事だと思います。
しかしながら、本作『キル・ビル Vol.1』の基本プロット部分のシナリオはなんともつまらないのです。シーン毎、シークエンス毎のシナリオは面白いしセリフも良い、シーン毎の完成度は高いので、非常に残念です。
もしかすると『キル・ビル Vol.2』が公開された後、もしかしたらカチッと決まる「シナリオの妙」が味わえるのかも知れませんが、時系列と空間をバラバラにしている本作では、ちょっと難しいのではないか、と思います。
(逆に演出の技術は向上しているようですね。)
2.やりすぎ
本作はタランティーノが従来の手法である「シナリオ」ではなく「アクション」で物語を語る、という主旨で製作している映画ですから、「アクション」が映画本体の、最も重要な構成要素となっています。
「アクション」や「VFX/SFX等の特撮」は観客が「もう少し見たいな」という腹八分目で抑えるのが常套手法であり、わたしもそう考えています。
例えば「マトリックス」3部作の後半のように、アクション・シークエンスがダラダラと続くと、その冗長なアクション・シーンは退屈でつまらないものになってしまいます。
『キル・ビル Vol.1』でもその傾向があり、クライマックス近辺最大の見せ場である「青葉屋」のシークエンスにおける、「クレイジー88の雑魚キャラVSザ・ブライド」のシークエンスは、もうただただ退屈でしまりのないものに仕上がっています。ゴードン・リューやゴーゴー・夕張との絡みは良いものだっただけに残念です。
また、本作は「ユーモア」や「ウィット」ではなく、「コメディ」の分野まで足を踏み入れているのも、やりすぎの感は否めません。
サニー・チバはもうほとんどコミック・リリーフとしての役割を振られているし、前述の「クレイジー88の雑魚キャラVSザ・ブライド」のシークエンスは「お笑い」以外の何ものでもないでしょう。
わたし的には、「クレイジー88の残酷描写」ではなく「クレイジー88のお笑い描写」が、いただけないのです。
3.一貫性の欠如
ひとそれぞれ『キル・ビル Vol.1』やタランティーノに何を求めているのかは異なると思いますが、わたしがタランティーノに求めていたのは、「オキナワの漫才とクレイジー88の雑魚キャラ」以外の部分のテイスト、特にオキナワに来るまでの前半部分のテイストです。
事実、オープニングから、キッチンでのアクション、教会、病院でのシークエンスには感動すら覚えてしまいます。
これがオキナワでは、刀を拝領(?)するシーン以外は最早悪乗り系の漫才としか思えないのです。
これは、前述の「やりすぎ」にも通じますが、物語を描く上でのスタンスの一貫性の欠如を感じます。
タランティーノの敬愛する多くの所謂B級作品は、それぞれ統一された世界観と、物語を語る上でのスタンスの一貫性は統一されていることが非常に多いと思うのですが、本作『キル・ビル Vol.1』は多くの作品からの引用や言及に満ち溢れているためか、物語を語る上のスタンスの一貫性が欠如している、と感じられるのです。
わたしは現在のところ『キル・ビル Vol.1』を3回ほど観ていますが、本作を1本の独立した映画だと考えた場合、つまり『キル・ビル Vol.2』が公開されていない今言えるのは、態度を保留するか、強いて言えば、つまらない映画だと言わざるを得ない、という印象を持っています。
またわたしのバック・グラウンドとして所謂B級映画も好きですし、以前は「東京ファンタ」の常連でした。
そんなわたしが感じる、全国拡大ロードショーされている作品としての『キル・ビル Vol.1』がつまらない理由は、
1.シナリオがつまらない
わたしにとってのタランティーノ作品の魅力は「ヴァイオレンスと引用とシナリオ」です。
特にわたしは「シナリオ」に魅力を感じます。『レザボアドッグス』を渋谷のミニシアターで観た際、とんでもない才能を持った奴が出てきたな、と感じ、その足で輸入版LDを買いにいった位の感動を受けたのですが、その感動の根本は、(これはキューブリックの引用ですが、)時系列をバラバラにした各シークエンスが最後の最後にピタリと決まる「シナリオの妙」だったのです。
これは「パルプ・フィクション」にも継承されるものですし、時系列はともかく「シナリオの妙」は「トゥルー・ロマンス」や「クリムゾン・タイド」、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」等にも言える事だと思います。
しかしながら、本作『キル・ビル Vol.1』の基本プロット部分のシナリオはなんともつまらないのです。シーン毎、シークエンス毎のシナリオは面白いしセリフも良い、シーン毎の完成度は高いので、非常に残念です。
もしかすると『キル・ビル Vol.2』が公開された後、もしかしたらカチッと決まる「シナリオの妙」が味わえるのかも知れませんが、時系列と空間をバラバラにしている本作では、ちょっと難しいのではないか、と思います。
(逆に演出の技術は向上しているようですね。)
2.やりすぎ
本作はタランティーノが従来の手法である「シナリオ」ではなく「アクション」で物語を語る、という主旨で製作している映画ですから、「アクション」が映画本体の、最も重要な構成要素となっています。
「アクション」や「VFX/SFX等の特撮」は観客が「もう少し見たいな」という腹八分目で抑えるのが常套手法であり、わたしもそう考えています。
例えば「マトリックス」3部作の後半のように、アクション・シークエンスがダラダラと続くと、その冗長なアクション・シーンは退屈でつまらないものになってしまいます。
『キル・ビル Vol.1』でもその傾向があり、クライマックス近辺最大の見せ場である「青葉屋」のシークエンスにおける、「クレイジー88の雑魚キャラVSザ・ブライド」のシークエンスは、もうただただ退屈でしまりのないものに仕上がっています。ゴードン・リューやゴーゴー・夕張との絡みは良いものだっただけに残念です。
また、本作は「ユーモア」や「ウィット」ではなく、「コメディ」の分野まで足を踏み入れているのも、やりすぎの感は否めません。
サニー・チバはもうほとんどコミック・リリーフとしての役割を振られているし、前述の「クレイジー88の雑魚キャラVSザ・ブライド」のシークエンスは「お笑い」以外の何ものでもないでしょう。
わたし的には、「クレイジー88の残酷描写」ではなく「クレイジー88のお笑い描写」が、いただけないのです。
3.一貫性の欠如
ひとそれぞれ『キル・ビル Vol.1』やタランティーノに何を求めているのかは異なると思いますが、わたしがタランティーノに求めていたのは、「オキナワの漫才とクレイジー88の雑魚キャラ」以外の部分のテイスト、特にオキナワに来るまでの前半部分のテイストです。
事実、オープニングから、キッチンでのアクション、教会、病院でのシークエンスには感動すら覚えてしまいます。
これがオキナワでは、刀を拝領(?)するシーン以外は最早悪乗り系の漫才としか思えないのです。
これは、前述の「やりすぎ」にも通じますが、物語を描く上でのスタンスの一貫性の欠如を感じます。
タランティーノの敬愛する多くの所謂B級作品は、それぞれ統一された世界観と、物語を語る上でのスタンスの一貫性は統一されていることが非常に多いと思うのですが、本作『キル・ビル Vol.1』は多くの作品からの引用や言及に満ち溢れているためか、物語を語る上のスタンスの一貫性が欠如している、と感じられるのです。
「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」
2003年11月8日封切時はあまり関心が無く見逃していた「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」でしたが、例によって「わたし的見逃した映画の最期の砦」池袋「新文芸坐」で観ることにしました。
先日お話した「コンフェッション」と同時上映でした。
第一印象としは、残念ながら冗長でつまらない映画だと言わざるを得ません。
脚本(プロット)がつまらない訳ですから、少しシェイプ・アップし、タイトなジェット・コースター・ムービーになったのではないか、と思いました。
あとキャストですが、ジョニー・デップはちょっと困ったちゃんでした。
先ずキース・リチャーズを参考にしたと言う「動き」ですが、ちょっとやりすぎのようです。まるでコメディ・リリーフのようです。それはそれで本人は楽しいのかも知れませんが、どうでしょうか。まるで、お笑いを一手に引き受けている感じです。
しかしデップがいなければ、またはああいう演技をしていなければ、もしかして本作には見所はほとんど無い映画になってしまうのかも知れません。
所謂アイドル映画の中にも、見るべきものはあると思うのですが、本作には見るべきものはほとんど無いのではないでしょうか。
強いて言うならば、見所として、勿論ディズニー映画ですから、美術や衣装、プロップ、セット、世界観は良かったですね。
こういった映画がヒットしてしまうことが、映画界にとって大きな問題だと思ってしまうのは、わたしだけでは無いと思います。
ところで、本作のジョニー・デップを見て、誰かに似てるな、とずっと思っていたのですが、思い出したのは、「少林サッカー」の カレン・モクとセシリア・チャンです。
多分、ジョニー・デップは、これをパクっているのではないだろうか!!(大嘘)
ご参考http://village.infoweb.ne.jp/~tkr/ture/sc.jpg
先日お話した「コンフェッション」と同時上映でした。
第一印象としは、残念ながら冗長でつまらない映画だと言わざるを得ません。
脚本(プロット)がつまらない訳ですから、少しシェイプ・アップし、タイトなジェット・コースター・ムービーになったのではないか、と思いました。
あとキャストですが、ジョニー・デップはちょっと困ったちゃんでした。
先ずキース・リチャーズを参考にしたと言う「動き」ですが、ちょっとやりすぎのようです。まるでコメディ・リリーフのようです。それはそれで本人は楽しいのかも知れませんが、どうでしょうか。まるで、お笑いを一手に引き受けている感じです。
しかしデップがいなければ、またはああいう演技をしていなければ、もしかして本作には見所はほとんど無い映画になってしまうのかも知れません。
所謂アイドル映画の中にも、見るべきものはあると思うのですが、本作には見るべきものはほとんど無いのではないでしょうか。
強いて言うならば、見所として、勿論ディズニー映画ですから、美術や衣装、プロップ、セット、世界観は良かったですね。
こういった映画がヒットしてしまうことが、映画界にとって大きな問題だと思ってしまうのは、わたしだけでは無いと思います。
ところで、本作のジョニー・デップを見て、誰かに似てるな、とずっと思っていたのですが、思い出したのは、「少林サッカー」の カレン・モクとセシリア・チャンです。
多分、ジョニー・デップは、これをパクっているのではないだろうか!!(大嘘)
ご参考http://village.infoweb.ne.jp/~tkr/ture/sc.jpg
「コンフェッション」
2003年11月7日例によってわたし的最期の砦である池袋「新文芸坐」で「コンフェッション」を観た。
1970年代アメリカ。
テレビ番組「ゴング・ショ−」、「デート・ゲーム」等で一世を風靡し、お茶の間の人気者となった伝説のプロデューサーで司会者のチャック・バリスが、当時CIAのエージェントをしていたと語った話題の自伝的告白本を基に、俳優ジョージ・クルーニーが初監督に挑んだサスペンス的コメディ。
という訳で、「コンフェッション」はご承知の通り、ジョージ・クルーニー初監督作品で、俳優達は監督のコネのおかげかオールスター・キャスト。
第一印象としては、色彩や照明、そしてパンスキャン的舞台的セットでの演技等、形式的にも頑張っているのであるが、疲れていたせいか、なんとも退屈な印象を受けた。
シーン毎のシチュエーションやセリフや演技なんかは良いと思うのですが、なんとも冗長な印象を受けました。
本作は俳優が監督をつとめているということもあるのだろうが、演技のタメや演出で見せようという主旨なのだとは思うのだが、演出にスピード感が足りないような気がする。
キャスト的には最近よく見るサム・ロックウェルは一段とマイク・マイヤーズっぽい印象であるが、気を抜いた感じで楽しげに演じているような気がする。
しつこいけどマイク・マイヤーズに似てるよね。
ジョージ・クルーニーは出演せず監督に専念した方が良かったのではないかな。
ドリュー・バリモアは、本作のコメディ・テイストの中で比較的シリアスな印象を醸し出し、「チャーリーズ・エンジェル」シリーズとは違った魅力を振り撒いている。
アクションよりドラマをみせたい、という女優としての気概が感じられる。
ジュリア・ロバーツは客寄せ的役割で可哀想な感じである。ジョージ・クルーニーが出演しているのも、客寄せの目的だろう。
ルトガー・ハウアーは久しぶりに見たが、「聖なる酔っぱいの伝説」のイメージであった。
元気な姿がスクリーンで見られるのは往年の「ブレードランナー」ファンとしては嬉しいものである。
そういえばルトガー・ハウアーは、ハリウッド版「座頭市」である「ブラインド・フューリー」にも出てましたね。
ブラッド・ピット、マット・デイモンのカメオも楽しい。が、クルーニーのコネと考えると複雑な気がする。
今後VHS、DVD化されても、とりたてて良い所が無いので、題材も派手ではないので、もしかしたらレンタル率もキャストの割には高くなく、不遇な作品なのかもしれない。
1970年代アメリカ。
テレビ番組「ゴング・ショ−」、「デート・ゲーム」等で一世を風靡し、お茶の間の人気者となった伝説のプロデューサーで司会者のチャック・バリスが、当時CIAのエージェントをしていたと語った話題の自伝的告白本を基に、俳優ジョージ・クルーニーが初監督に挑んだサスペンス的コメディ。
という訳で、「コンフェッション」はご承知の通り、ジョージ・クルーニー初監督作品で、俳優達は監督のコネのおかげかオールスター・キャスト。
第一印象としては、色彩や照明、そしてパンスキャン的舞台的セットでの演技等、形式的にも頑張っているのであるが、疲れていたせいか、なんとも退屈な印象を受けた。
シーン毎のシチュエーションやセリフや演技なんかは良いと思うのですが、なんとも冗長な印象を受けました。
本作は俳優が監督をつとめているということもあるのだろうが、演技のタメや演出で見せようという主旨なのだとは思うのだが、演出にスピード感が足りないような気がする。
キャスト的には最近よく見るサム・ロックウェルは一段とマイク・マイヤーズっぽい印象であるが、気を抜いた感じで楽しげに演じているような気がする。
しつこいけどマイク・マイヤーズに似てるよね。
ジョージ・クルーニーは出演せず監督に専念した方が良かったのではないかな。
ドリュー・バリモアは、本作のコメディ・テイストの中で比較的シリアスな印象を醸し出し、「チャーリーズ・エンジェル」シリーズとは違った魅力を振り撒いている。
アクションよりドラマをみせたい、という女優としての気概が感じられる。
ジュリア・ロバーツは客寄せ的役割で可哀想な感じである。ジョージ・クルーニーが出演しているのも、客寄せの目的だろう。
ルトガー・ハウアーは久しぶりに見たが、「聖なる酔っぱいの伝説」のイメージであった。
元気な姿がスクリーンで見られるのは往年の「ブレードランナー」ファンとしては嬉しいものである。
そういえばルトガー・ハウアーは、ハリウッド版「座頭市」である「ブラインド・フューリー」にも出てましたね。
ブラッド・ピット、マット・デイモンのカメオも楽しい。が、クルーニーのコネと考えると複雑な気がする。
今後VHS、DVD化されても、とりたてて良い所が無いので、題材も派手ではないので、もしかしたらレンタル率もキャストの割には高くなく、不遇な作品なのかもしれない。
「マトリックス」と「キル・ビル Vol.1」
2003年11月2日11月1日は映画の日だったので、先日お話した「マトリックス」三部作連続上映があったので、とりあえず有楽町「丸の内ルーブル」で「マトリックス」を観た。
「マトリックス」には客はほとんど入っていなかった。
「マトリックス」三部作ファンはどこに行ってしまったのだろう。「マトリックス リローデッド」公開の際、あんなに大騒ぎしていた連中は一体どうなってしまったのだ。
しかも今は「マトリックス レボリューションズ」公開の数日前なのだよ。
全国同時刻上映に果たして客は集まるのか不安である。各メディアでも特に大きなプロモーションをやっている訳ではないのが、とっても大きな不安なのである。
「マトリックス」を観終わった後、「インファナル・アフェア」を観ようと思っていたのだが、スケジュールの兼ね合いと、もしかしたら「キル・ビル Vol.1」は本当は面白いのではないか、と一瞬思い、そんなら観てやれという事で、再び「キル・ビル Vol.1」観ることにした。
しかしながら「キル・ビル Vol.1」は長蛇の列だった。
わたしは、わたしが観た回の開場30分前に劇場についたのだが、その回の列は8Fまで延びていた。
因みに、わたしが今回観た劇場は有楽町マリオン9F「丸の内ピカデリー1」であった。
やはり「インファナル・アフェア」にすべきだったか。後悔の念である。
「キル・ビル Vol.1」再見。
しかし「キル・ビル Vol.1」の印象は相変わらずなのだ。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
因みに11月1日から、「第16回東京国際映画祭」が開催されています。
以前は「東京国際ファンタスティック映画祭」を中心にチケット争奪戦に勝利した多くの映画を観ていたのですが、ここ数年はとんとご無沙汰です。
最近は混んでいる映画に行くのが、おっくうな感じです。チケットを取るのも大変だし、面倒だしね。
だから本当は映画の日に映画を観るのも、最近は嫌な感じですしね。
「マトリックス」には客はほとんど入っていなかった。
「マトリックス」三部作ファンはどこに行ってしまったのだろう。「マトリックス リローデッド」公開の際、あんなに大騒ぎしていた連中は一体どうなってしまったのだ。
しかも今は「マトリックス レボリューションズ」公開の数日前なのだよ。
全国同時刻上映に果たして客は集まるのか不安である。各メディアでも特に大きなプロモーションをやっている訳ではないのが、とっても大きな不安なのである。
「マトリックス」を観終わった後、「インファナル・アフェア」を観ようと思っていたのだが、スケジュールの兼ね合いと、もしかしたら「キル・ビル Vol.1」は本当は面白いのではないか、と一瞬思い、そんなら観てやれという事で、再び「キル・ビル Vol.1」観ることにした。
しかしながら「キル・ビル Vol.1」は長蛇の列だった。
わたしは、わたしが観た回の開場30分前に劇場についたのだが、その回の列は8Fまで延びていた。
因みに、わたしが今回観た劇場は有楽町マリオン9F「丸の内ピカデリー1」であった。
やはり「インファナル・アフェア」にすべきだったか。後悔の念である。
「キル・ビル Vol.1」再見。
しかし「キル・ビル Vol.1」の印象は相変わらずなのだ。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
因みに11月1日から、「第16回東京国際映画祭」が開催されています。
以前は「東京国際ファンタスティック映画祭」を中心にチケット争奪戦に勝利した多くの映画を観ていたのですが、ここ数年はとんとご無沙汰です。
最近は混んでいる映画に行くのが、おっくうな感じです。チケットを取るのも大変だし、面倒だしね。
だから本当は映画の日に映画を観るのも、最近は嫌な感じですしね。
2003年の目標!! 中間報告その10
2003年11月1日さて、早速ですが2003年の目標の中間発表その10です。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
まず映画です。
#061 「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」シャンテ・シネ2 2003/10/03
#062 「ジョニー・イングリッシュ」日劇3 2003/10/10
#063 「キル・ビル Vol.1」丸の内ピカデリー1 2003/10/27
#064 「アイデンティティー」ニュー東宝シネマ 2003/10/30
#065 「マッチスティック・メン」丸の内ルーブル 2003/10/31
続いて、DVDやCATVです。
#173 「ファイト・クラブ」2003/10/01 DVD
#174 「スタートレック4 故郷への長い道」2003/10/02 DVD
#175 「ローラーボール」2003/10/07 DVD
#176 「オースティン・パワーズ」2003/10/09 DVD
#177 「ギャラクシー・クエスト」2003/10/12 DVD
#178 「PicNic」(短編)2003/10/13 HDD
#179 「おかしな二人2」2003/10/13 CATV
#180 「メリー・ポピンズ」2003/10/13 CATV
#181 「ロマンス誕生」2003/10/14 CATV
#182 「スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!」2003/10/18 VTR
#183 「野獣死すべし」2003/10/18 CATV
#184 「椿三十郎」2003/10/18 CATV
#185 「ゼイラム2」2003/10/20 CATV
#186 「乱」2003/10/20 CATV
#187 「モスラ2 海底の大決戦」2003/10/22 CATV
#188 「パルプ・フィクション」2003/10/26 LD
#189 「レザボア・ドッグス」2003/10/27 LD
#190 「トゥルー・ロマンス」2003/10/28 LD
#191 「ワイルド・アット・ハート」2003/10/29 LD
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて24本(累計253本)でした。
さて、本の方は、
#043 「トンデモ一行知識の世界」唐沢俊一著 ちくま文庫 2003/10/02
#044 「病院坂の首縊りの家(下)」横溝正史著 角川文庫 2003/10/03
#045 「アシモフの雑学コレクション」I・アシモフ著 星新一訳 新潮文庫 2003/10/10
#046 「宮?勤事件−塗り潰されたシナリオ−」一橋文哉著 新潮文庫 2003/10/16
#047 「脳男」首藤瓜於著 講談社文庫 2003/10/22
#048 「赤ひげ診療譚」山本周五郎著 新潮文庫 2003/10/29
読書は6冊(累計48冊)でした。
状況として、10月は例によって仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況になってきています。いつもおんなじです。
映画は結果月24本(累計253本)ですので、このままのペースだと、304本になります。
とうとう250本を超えました。ある意味厳しい戦いと言えるでしょう。
因みに、劇場での映画鑑賞は月5本(累計65本)、このままのペースだと、年間78本になります。
読書の方は、月6冊(累計48冊)で、このままのペースで58冊となります。
映画的には、まだまだ目標ギリギリのペースです。
読書は非常に厳しい状況です。
11月は仕事が若干すくと思います。(毎月言ってますが、全然すかないです。)
今月も頑張りま〜す
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
まず映画です。
#061 「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」シャンテ・シネ2 2003/10/03
#062 「ジョニー・イングリッシュ」日劇3 2003/10/10
#063 「キル・ビル Vol.1」丸の内ピカデリー1 2003/10/27
#064 「アイデンティティー」ニュー東宝シネマ 2003/10/30
#065 「マッチスティック・メン」丸の内ルーブル 2003/10/31
続いて、DVDやCATVです。
#173 「ファイト・クラブ」2003/10/01 DVD
#174 「スタートレック4 故郷への長い道」2003/10/02 DVD
#175 「ローラーボール」2003/10/07 DVD
#176 「オースティン・パワーズ」2003/10/09 DVD
#177 「ギャラクシー・クエスト」2003/10/12 DVD
#178 「PicNic」(短編)2003/10/13 HDD
#179 「おかしな二人2」2003/10/13 CATV
#180 「メリー・ポピンズ」2003/10/13 CATV
#181 「ロマンス誕生」2003/10/14 CATV
#182 「スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!」2003/10/18 VTR
#183 「野獣死すべし」2003/10/18 CATV
#184 「椿三十郎」2003/10/18 CATV
#185 「ゼイラム2」2003/10/20 CATV
#186 「乱」2003/10/20 CATV
#187 「モスラ2 海底の大決戦」2003/10/22 CATV
#188 「パルプ・フィクション」2003/10/26 LD
#189 「レザボア・ドッグス」2003/10/27 LD
#190 「トゥルー・ロマンス」2003/10/28 LD
#191 「ワイルド・アット・ハート」2003/10/29 LD
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて24本(累計253本)でした。
さて、本の方は、
#043 「トンデモ一行知識の世界」唐沢俊一著 ちくま文庫 2003/10/02
#044 「病院坂の首縊りの家(下)」横溝正史著 角川文庫 2003/10/03
#045 「アシモフの雑学コレクション」I・アシモフ著 星新一訳 新潮文庫 2003/10/10
#046 「宮?勤事件−塗り潰されたシナリオ−」一橋文哉著 新潮文庫 2003/10/16
#047 「脳男」首藤瓜於著 講談社文庫 2003/10/22
#048 「赤ひげ診療譚」山本周五郎著 新潮文庫 2003/10/29
読書は6冊(累計48冊)でした。
状況として、10月は例によって仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況になってきています。いつもおんなじです。
映画は結果月24本(累計253本)ですので、このままのペースだと、304本になります。
とうとう250本を超えました。ある意味厳しい戦いと言えるでしょう。
因みに、劇場での映画鑑賞は月5本(累計65本)、このままのペースだと、年間78本になります。
読書の方は、月6冊(累計48冊)で、このままのペースで58冊となります。
映画的には、まだまだ目標ギリギリのペースです。
読書は非常に厳しい状況です。
11月は仕事が若干すくと思います。(毎月言ってますが、全然すかないです。)
今月も頑張りま〜す
「マッチスティック・メン」
2003年10月31日リドリー・スコットの新作「マッチスティック・メン」を観た。
本日は最終日だったのだ。
リドリー・スコットと「マッチスティック・メン」から想起されるのは、「ブレードランナー」で、ガフが作ったマッチ棒の人形。
で、本作であるが、物語はコン・マン(詐欺師)を生業としている潔癖症で広場恐怖症のロイ(ニコラス・ケイジ)の元に転がり込んできた、生き別れの娘(アリソン・ローマン)とがおりなすハート・ウォーミング・コメディに端を発し、ロイとその相棒フランク(サム・ロックウェル)とが、ロイ最後の仕事として行なう詐欺が引き起こす悲喜劇を軽妙に描いている。
さて、感想だが、中盤まではリドリー・スコットに対して「何やってんだ!何でこんな映画撮っているんだ!」という気持ちでした。
事実、本作の中盤までのハート・ウォーミング・コメディのパートを観る限り、何故リドリー・スコットがこんな題材を選んだのか全くわからず、他のコメディに力を発揮する監督に撮らせた方が面白いんじゃないか、とさえ思えた。
事実リドリー・スコットの得意技の構図の冴えがあまり見られず、ホント「何やってんだ!」状態でした。
しかし、結果的には「なるほど!これがやりたかったのか!」と思わせる題材だったことがわかることになります。
しかし、本作の根本をなすトリックは、想像がつきやすく、残念でした。
昨日観た「アイデンティティー」もそうですが、最後まで騙して欲しかったです。
途中でトリックがわかってしまうので、驚愕のラストが味わえないのです。
しかし、驚いたことがひとつ、本作「マッチスティック・メン」は、実はスタンリー・キューブリックの「ロリータ」だったのです。
賢明な読者諸氏には既にあたりまえだと思いますが、「マッチスティック・メン」の裏のコンセプトは、そのまんま「ロリータ」でした。
14歳の少女アンジェラと出会うことにより、とんでもない人生を送ることになった中年男ロイ。
そしてラストには、かつての面影がなくなってしまったアンジェラと再会するロイ。正に「ロリータ」でした。
更に確信犯的にも、クルマで待つロイに対して、クルマのドアをあけつつアンジェラは「ハンバート」と呼びかけるのです。
14歳の少女が「ロリータ」の登場人物の名前と、物語の内容を知っている、という、困った脚本だと思いましたが、結果的にはOKでしたね。
「ハンバート」とは「ロリータ」の中で少女に翻弄される中年男の名前なのです。(ハンバート・ハンバートと言います。)
因みに、字幕では「ヘンタイ」となっていました。
天下のリドリー・スコットもスタンリー・キューブリックには敬意を表しているようですね。
また、言わずもがなですが、本作は「ペーパー・ムーン」的な物語だとも言えるでしょう。
ライアン・オニールとテイタム・オニールが演じた物語をちょっとシニカルにしたのが本作でしょうか。
キャスト的には、先ずニコラス・ケイジですが、ちとやりすぎの感はありますが、「バーディ」の頃からのファンとしては、製作サイドより俳優として頑張って欲しいものです。
チックの表現は良かったですし、ファースト・カット前の「ワン・ツー・スリー」も笑える。
最近良く出るサム・ロックウェルですが、今回はなんだかマイク・マイヤーズのような風貌でしたね。ある意味本作の中心人物を楽しげに演じています。
ガリガリ笑う声が印象的でした。
気楽に自然体な演技に好感が持てます。
アリソン・ローマンは当時23歳位だった訳ですが、14歳に見えてしまうのは凄いですね。
正に、見事な化けっぷりでした。
どう見ても、小うるさいガキなのに小悪魔な少女を好演してました。
ラストの、かつての面影も無く成長してしまったところが素なんでしょうね。結構セクシー系でしたね。
あと印象的なのはブルース・アルトマンとブルース・マッギルです。
彼等あっての「マッチスティック・メン」です。
なにしろ「マン」じゃなくて「メン」ですからね。
あと犬の取り扱いが印象的でした。
犬の置物や灰皿、そしてアンジェラが飼う犬。そしてそのためのカーペット。
あとは編集。
固定はしてますが、スティーヴン・ソダーバーグ系の編集が印象的でした。
ロイ(ニコラス・ケイジ)のイライラ感が良く表現されていましたね。
あとオープニング・クレジットも印象的で、楽しかったです。
わたしたちがリドリー・スコットに期待するものとは違う結果ですが、良い映画は良い映画でしたね。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
因みに余談ですが、有楽町「丸の内ルーブル」では、
11月1日〜2日 「マトリックス」
11月3日〜5日 「マトリックス・リローデッド」
11月5日〜 「マトリックス・レボリューションズ」
というスケジュールで「マトリックス」三部作が上映されるのだ。
とりあえず「マトリックス」は観たいな。と思ってます。明日は映画の日だしね。
本日は最終日だったのだ。
リドリー・スコットと「マッチスティック・メン」から想起されるのは、「ブレードランナー」で、ガフが作ったマッチ棒の人形。
で、本作であるが、物語はコン・マン(詐欺師)を生業としている潔癖症で広場恐怖症のロイ(ニコラス・ケイジ)の元に転がり込んできた、生き別れの娘(アリソン・ローマン)とがおりなすハート・ウォーミング・コメディに端を発し、ロイとその相棒フランク(サム・ロックウェル)とが、ロイ最後の仕事として行なう詐欺が引き起こす悲喜劇を軽妙に描いている。
さて、感想だが、中盤まではリドリー・スコットに対して「何やってんだ!何でこんな映画撮っているんだ!」という気持ちでした。
事実、本作の中盤までのハート・ウォーミング・コメディのパートを観る限り、何故リドリー・スコットがこんな題材を選んだのか全くわからず、他のコメディに力を発揮する監督に撮らせた方が面白いんじゃないか、とさえ思えた。
事実リドリー・スコットの得意技の構図の冴えがあまり見られず、ホント「何やってんだ!」状態でした。
しかし、結果的には「なるほど!これがやりたかったのか!」と思わせる題材だったことがわかることになります。
しかし、本作の根本をなすトリックは、想像がつきやすく、残念でした。
昨日観た「アイデンティティー」もそうですが、最後まで騙して欲しかったです。
途中でトリックがわかってしまうので、驚愕のラストが味わえないのです。
しかし、驚いたことがひとつ、本作「マッチスティック・メン」は、実はスタンリー・キューブリックの「ロリータ」だったのです。
賢明な読者諸氏には既にあたりまえだと思いますが、「マッチスティック・メン」の裏のコンセプトは、そのまんま「ロリータ」でした。
14歳の少女アンジェラと出会うことにより、とんでもない人生を送ることになった中年男ロイ。
そしてラストには、かつての面影がなくなってしまったアンジェラと再会するロイ。正に「ロリータ」でした。
更に確信犯的にも、クルマで待つロイに対して、クルマのドアをあけつつアンジェラは「ハンバート」と呼びかけるのです。
14歳の少女が「ロリータ」の登場人物の名前と、物語の内容を知っている、という、困った脚本だと思いましたが、結果的にはOKでしたね。
「ハンバート」とは「ロリータ」の中で少女に翻弄される中年男の名前なのです。(ハンバート・ハンバートと言います。)
因みに、字幕では「ヘンタイ」となっていました。
天下のリドリー・スコットもスタンリー・キューブリックには敬意を表しているようですね。
また、言わずもがなですが、本作は「ペーパー・ムーン」的な物語だとも言えるでしょう。
ライアン・オニールとテイタム・オニールが演じた物語をちょっとシニカルにしたのが本作でしょうか。
キャスト的には、先ずニコラス・ケイジですが、ちとやりすぎの感はありますが、「バーディ」の頃からのファンとしては、製作サイドより俳優として頑張って欲しいものです。
チックの表現は良かったですし、ファースト・カット前の「ワン・ツー・スリー」も笑える。
最近良く出るサム・ロックウェルですが、今回はなんだかマイク・マイヤーズのような風貌でしたね。ある意味本作の中心人物を楽しげに演じています。
ガリガリ笑う声が印象的でした。
気楽に自然体な演技に好感が持てます。
アリソン・ローマンは当時23歳位だった訳ですが、14歳に見えてしまうのは凄いですね。
正に、見事な化けっぷりでした。
どう見ても、小うるさいガキなのに小悪魔な少女を好演してました。
ラストの、かつての面影も無く成長してしまったところが素なんでしょうね。結構セクシー系でしたね。
あと印象的なのはブルース・アルトマンとブルース・マッギルです。
彼等あっての「マッチスティック・メン」です。
なにしろ「マン」じゃなくて「メン」ですからね。
あと犬の取り扱いが印象的でした。
犬の置物や灰皿、そしてアンジェラが飼う犬。そしてそのためのカーペット。
あとは編集。
固定はしてますが、スティーヴン・ソダーバーグ系の編集が印象的でした。
ロイ(ニコラス・ケイジ)のイライラ感が良く表現されていましたね。
あとオープニング・クレジットも印象的で、楽しかったです。
わたしたちがリドリー・スコットに期待するものとは違う結果ですが、良い映画は良い映画でしたね。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
因みに余談ですが、有楽町「丸の内ルーブル」では、
11月1日〜2日 「マトリックス」
11月3日〜5日 「マトリックス・リローデッド」
11月5日〜 「マトリックス・レボリューションズ」
というスケジュールで「マトリックス」三部作が上映されるのだ。
とりあえず「マトリックス」は観たいな。と思ってます。明日は映画の日だしね。
「アイデンティティー」
2003年10月30日豪雨の中、閉ざされたモーテルで、次々と消えていく人々。
一体誰が?
そして一体何が起きているのか?
というサスペンス映画である。
本作を観た後、最初に感じたのは、「出来ることなら、最後まで騙して欲しかった。」ということである。
この映画のコンセプトは比較的斬新で興味深い、と言っても良いと思うのだが、その割、伏線があまりにも明確で、おそらく多くの観客はモーテルで一体何が起きているのかが、すぐわかってしまうのではないだろうか。
そして、このタイプの映画はその根本のコンセプト(謎)が判明した瞬間、ただの勢力争いの映画になりさがってしまうのだが、それが非常に残念に思われる。
事実、わたしは中盤の謎解きの場面のしばらく前に、モーテルで何が起きているのかがわかってしまい、その時点で映画に興味がなくなってしまっていた。
劇場を出ようとも思ったのだが、わたしの考えが万一外れたら、それはそれでつまらないので、最後まで観ることにしたのである。
わたしに残された関心は犯人だが、犯人も順当な人だったのではないだろうか。特に以外ではなかった。というより、その人以外考えられないのではないかと思う。
因みにキャストだが、レイ・リオッタはミス・キャストではないかと思う。
出来れば、レイ・リオッタとジョン・キューザックの役柄を逆にした方が良かったんじゃないかな。
と思ったりする。
ネタバレしないように話すのは難しいので、この辺にしておきます。
一体誰が?
そして一体何が起きているのか?
というサスペンス映画である。
本作を観た後、最初に感じたのは、「出来ることなら、最後まで騙して欲しかった。」ということである。
この映画のコンセプトは比較的斬新で興味深い、と言っても良いと思うのだが、その割、伏線があまりにも明確で、おそらく多くの観客はモーテルで一体何が起きているのかが、すぐわかってしまうのではないだろうか。
そして、このタイプの映画はその根本のコンセプト(謎)が判明した瞬間、ただの勢力争いの映画になりさがってしまうのだが、それが非常に残念に思われる。
事実、わたしは中盤の謎解きの場面のしばらく前に、モーテルで何が起きているのかがわかってしまい、その時点で映画に興味がなくなってしまっていた。
劇場を出ようとも思ったのだが、わたしの考えが万一外れたら、それはそれでつまらないので、最後まで観ることにしたのである。
わたしに残された関心は犯人だが、犯人も順当な人だったのではないだろうか。特に以外ではなかった。というより、その人以外考えられないのではないかと思う。
因みにキャストだが、レイ・リオッタはミス・キャストではないかと思う。
出来れば、レイ・リオッタとジョン・キューザックの役柄を逆にした方が良かったんじゃないかな。
と思ったりする。
ネタバレしないように話すのは難しいので、この辺にしておきます。
不運な映画「キル・ビル Vol.1」
2003年10月29日私見ですが・・・・
現在日本国内で「キル・ビル Vol.1」が全国拡大ロードショー公開されていますが、本作「キル・ビル Vol.1」を観て手放しで喜んでいる観客の多くは、「東京ファンタ」系や「映画秘宝」系の観客だと思われます。
事実、クエンティン・タランティーノが愛してやまない作品群は、日本で言うところの「東京ファンタ」系「映画秘宝」系の作品が数多く含まれている訳ですから、前述の「キル・ビル Vol.1」を観て喜んでいる観客の多くは、タランティーノ本来の嗜好を理解する観客だと言う事が出来ます。
しかしながら、今回「キル・ビル Vol.1」は全国拡大ロードショー形式で興行が行われており、その配給会社のターゲットは当然ながら「東京ファンタ」系「映画秘宝」系の観客ではなく、あまり劇場で映画を観ない層も含めた一般的映画ファンであることは想像に難くないでしょう。
これがもし「オースティン・パワーズ」第一作目のように単館系ミニシアターでロングラン上映されるような映画であれば、所謂カルト的な映画として人気を博していても全く問題は無いのだが、いかんせんこの映画は超話題作、超A級大作として全国拡大ロードショーされてしまっている訳である。
本作「キル・ビル Vol.1」の評価が、大きく賛否に分かれているのは、そういったところに問題があるのではないだろうか。
さて、ここでクエンティン・タランティーノの監督としてのキャリアをご紹介しましょう。
2003「キル・ビル Vol.1」
1997「ジャッキー・ブラウン」
1995「フォー・ルームス」(第四話)
1994「パルプ・フィクション」
1991「レザボアドッグス」
そしてタランティーノとの比較として、現在押しも押されぬ巨匠ピーター・ジャクソンの監督としてのキャリアもご紹介しましょう。
2003「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」
2002「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」
2001「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」
1996「さまよう魂たち」
1996「コリン・マッケンジー もうひとりのグリフィス」
1994「乙女の祈り」
1992「ブレインデッド」
1989「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」
1987「バッド・テイスト」
賢明な読者諸君は両名のキャリアを列記した時点で、既にわたしが何を言いたいのかお気づきだと思います。
タランティーノの嗜好は元来「東京ファンタ」系なのですが、彼が世界に受入れられたのは自らの嗜好の比較的薄めな「レザボアドッグス」や「パルプ・フィクション」だった訳である。
そしてある意味巨匠となってしまった今、自らの原点であり、かつ「東京ファンタ」系の作品である「キル・ビル Vol.1」に回帰することになるのである。
一方、ピーター・ジャクソンは「東京ファンタ」系の作品群「バッド・テイスト」、「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」、「ブレインデッド」で「東京ファンタ」系のファンの心を鷲掴みしていたのであるが、現在はある意味彼等を裏切り、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作で知られる世界の巨匠となってしまっているのである。
ところで、多くの個性的な映像作家は、キャリアの最初は自らの嗜好の色濃い作品を制作しつつ、そのうち世界的な評価を受け、全世界が期待し待ち焦がれるようなメジャーな作品群を制作するようになるのであり、ピーター・ジャクソンはその典型的な監督と言えるのではないだろうか。
しかし、タランティーノは、自らの嗜好が100%発揮できないような作品群で、うっかりメジャーになってしまった感があり、ある意味世界の巨匠となった今、世界中が新作を待ち望んでいることを知りながら、自らの原点に回帰してしまったのである。
しかし自らの原点に回帰するには、図体がでかくなり過ぎ、制作会社の対応も変わり、個人的な小さな作品を撮ることができなくなってしまったのではないだろうか。
つまり本作「キル・ビル Vol.1」は、本来短館系ミニシアターで限定上映され、カルト的なファンがつき、リピーターがリピーターを呼び、そのうちメディアに登場し、賛否はあるものの所謂カルト・ムービーとなるべきして生まれた作品が、何の因果かメジャー会社が制作し、ワールド・ワイドに配給し、内容はともなくタランティーノの作品だから、という理由で日本国内配給会社が買い付け、否応無しに全国拡大ロードショー形式で公開し、買い付けた以上はコケさせる訳にもいかず、大々的な超A級話題作としてプロモーションを行なっているのではないだろうか。
だとすると、本作「キル・ビル Vol.1」はあまりにも不運な映画としか言い様がないだろう。
例えば今回のケースは、ピーター・ジャクソンの新作として「バッド・テイスト」が超A級作品として公開されたようなものなのだろう。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
「東京ファンタ」系
わたしの造語。
「東京国際ファンタスティック映画祭」で上映されるような傾向の
の意。
現在日本国内で「キル・ビル Vol.1」が全国拡大ロードショー公開されていますが、本作「キル・ビル Vol.1」を観て手放しで喜んでいる観客の多くは、「東京ファンタ」系や「映画秘宝」系の観客だと思われます。
事実、クエンティン・タランティーノが愛してやまない作品群は、日本で言うところの「東京ファンタ」系「映画秘宝」系の作品が数多く含まれている訳ですから、前述の「キル・ビル Vol.1」を観て喜んでいる観客の多くは、タランティーノ本来の嗜好を理解する観客だと言う事が出来ます。
しかしながら、今回「キル・ビル Vol.1」は全国拡大ロードショー形式で興行が行われており、その配給会社のターゲットは当然ながら「東京ファンタ」系「映画秘宝」系の観客ではなく、あまり劇場で映画を観ない層も含めた一般的映画ファンであることは想像に難くないでしょう。
これがもし「オースティン・パワーズ」第一作目のように単館系ミニシアターでロングラン上映されるような映画であれば、所謂カルト的な映画として人気を博していても全く問題は無いのだが、いかんせんこの映画は超話題作、超A級大作として全国拡大ロードショーされてしまっている訳である。
本作「キル・ビル Vol.1」の評価が、大きく賛否に分かれているのは、そういったところに問題があるのではないだろうか。
さて、ここでクエンティン・タランティーノの監督としてのキャリアをご紹介しましょう。
2003「キル・ビル Vol.1」
1997「ジャッキー・ブラウン」
1995「フォー・ルームス」(第四話)
1994「パルプ・フィクション」
1991「レザボアドッグス」
そしてタランティーノとの比較として、現在押しも押されぬ巨匠ピーター・ジャクソンの監督としてのキャリアもご紹介しましょう。
2003「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」
2002「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」
2001「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」
1996「さまよう魂たち」
1996「コリン・マッケンジー もうひとりのグリフィス」
1994「乙女の祈り」
1992「ブレインデッド」
1989「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」
1987「バッド・テイスト」
賢明な読者諸君は両名のキャリアを列記した時点で、既にわたしが何を言いたいのかお気づきだと思います。
タランティーノの嗜好は元来「東京ファンタ」系なのですが、彼が世界に受入れられたのは自らの嗜好の比較的薄めな「レザボアドッグス」や「パルプ・フィクション」だった訳である。
そしてある意味巨匠となってしまった今、自らの原点であり、かつ「東京ファンタ」系の作品である「キル・ビル Vol.1」に回帰することになるのである。
一方、ピーター・ジャクソンは「東京ファンタ」系の作品群「バッド・テイスト」、「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」、「ブレインデッド」で「東京ファンタ」系のファンの心を鷲掴みしていたのであるが、現在はある意味彼等を裏切り、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作で知られる世界の巨匠となってしまっているのである。
ところで、多くの個性的な映像作家は、キャリアの最初は自らの嗜好の色濃い作品を制作しつつ、そのうち世界的な評価を受け、全世界が期待し待ち焦がれるようなメジャーな作品群を制作するようになるのであり、ピーター・ジャクソンはその典型的な監督と言えるのではないだろうか。
しかし、タランティーノは、自らの嗜好が100%発揮できないような作品群で、うっかりメジャーになってしまった感があり、ある意味世界の巨匠となった今、世界中が新作を待ち望んでいることを知りながら、自らの原点に回帰してしまったのである。
しかし自らの原点に回帰するには、図体がでかくなり過ぎ、制作会社の対応も変わり、個人的な小さな作品を撮ることができなくなってしまったのではないだろうか。
つまり本作「キル・ビル Vol.1」は、本来短館系ミニシアターで限定上映され、カルト的なファンがつき、リピーターがリピーターを呼び、そのうちメディアに登場し、賛否はあるものの所謂カルト・ムービーとなるべきして生まれた作品が、何の因果かメジャー会社が制作し、ワールド・ワイドに配給し、内容はともなくタランティーノの作品だから、という理由で日本国内配給会社が買い付け、否応無しに全国拡大ロードショー形式で公開し、買い付けた以上はコケさせる訳にもいかず、大々的な超A級話題作としてプロモーションを行なっているのではないだろうか。
だとすると、本作「キル・ビル Vol.1」はあまりにも不運な映画としか言い様がないだろう。
例えば今回のケースは、ピーター・ジャクソンの新作として「バッド・テイスト」が超A級作品として公開されたようなものなのだろう。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
「東京ファンタ」系
わたしの造語。
「東京国際ファンタスティック映画祭」で上映されるような傾向の
の意。
「キル・ビル Vol.1」
2003年10月28日はるか昔、渋谷のミニシアターで「レザボア・ドッグス」を観た帰り、渋谷の輸入LD屋でそのまま「レザボア・ドッグス」輸入版を購入したり、「トゥルー・ロマンス」の帰りにこれまた「トゥルー・ロマンス」の輸入LDを購入したのを懐かしく思い出す。
さて「キル・ビル Vol.1」である。
この「キル・ビル Vol.1」、日米ほぼ同時公開というのが不安を煽っていた。と言うのも最近の場合、日米同時公開の映画というのは、大ヒットが約束された超大作がネタバレや海賊版の発生を恐れて公開する場合と、米国でおそらくコケるであろう映画を話題作という触れ込みで、駆け込み公開する場合が一般的だからだ。
そして前・後編に分かれている点も不安を煽る。そんなことをして大丈夫なのか。タランティーノよ。監督としての自らのキャリアに終止符をうち、脚本家として生きる覚悟は出来ているのか。
一本ならともかく、二本連続でメジャー作品がコケたらどうするつもりなのだ。
そして、タランティーノは、自分のマニアックな映画オタクのごった煮的趣味の世界をワールド・ワイドな規模で公開され、全世界の観客が観ることになる事を理解しているのであろうか。
そして日本の配給会社である。
これは「ロード・オブ・ザ・リング」にも言えることなのだが、この「キル・ビル Vol.1」の日本語表記は「キル・ビル」なのである。「Vol.1」という表記を入れないところに、なんらかの意図と脅威を感じてしまうのは、わたしだけではないだろう。
まあ、そういう不安の中で「キル・ビル Vol.1」を観た訳である。
「キル・ビル Vol.2」が公開されていない今、わたしに言えるのは、態度保留ということである。
シークエンスはいちいち格好良いし、画も良いし、セットも美術も良い、カメラもセリフも良い、音楽も勿論良い、シーン毎の出来は良いのだが、いかんせん映画の根本をなすはずのプロットが直接的過ぎて面白みに欠けるのだ。
勿論、「キル・ビル Vol.2」を観た後ならば「キル・ビル Vol.1」の脚本的、プロット的不満は解消されるのだろうと言う、多大なる希望的観測を持っているのだが、いかんせん「キル・ビル Vol.1」は相対的に見て、つまらない映画だと言わざるを得ない。
特に後半部分がまずい。
物語はクラスマックスを迎え、盛り上がっていくべき部分が冗長で退屈なのだ。
腹八分目の分量が最適なアクション・シークエンスが冗長で長過ぎ、ゲップが出てしまうのだ。
VSオーレン・イシイのシークエンスの最大の問題点は、雑魚キャラの存在である。いかにもエキストラ然とした表情の雑魚キャラがカメラの前面に出てくるのだ。アップに耐えられるほどの緊張感を醸し出せるハズもなく、ひどく残念な印象を受ける。
メイン・キャラ俳優達の素晴らしい表情と美術、画面構成、そして演技と比較すると、画が持たないのだ。
あと気になったのは「映画秘宝」的突込みどころ満載な映画だと言うのは最早仕方が無いのだが、「映画秘宝」的パンフレットはいかがなものであろうか。
少なくとも、この映画はワールド・ワイドな観客向けの映画であり、日本国内でも全国拡大ロードショーされているのである。
「映画秘宝」的なテイストを前面に押し出すパブリッシングはいかがなものであろうか。
さて、アクションであるが、最大の問題は殺陣がまずい。
青葉屋のシークエンスでは、ユエン・ウーピンのテーブルや柱、欄干や階段を使ったアクションは良かったし、栗山千明の表情も良かった。ゴードン・リューも格好良いが、いかんせん、殺陣がまずい。素人が刀を振り回している印象なのだ。
ゴードン・リューや栗山千明のシークエンスはおそらくユエン・ウーピンの指導によるものだと思うが、雑魚キャラとの殺陣はユエン・ウーピンでは無いのではないだろうか。
殺しのプロ達の戦いのハズなのだから。
殺陣がまずいということもあり、沖縄で日本刀を手に入れるまでのアクションは良い訳なのだが、例えばオープニング・アクションも、「おぉ、前置き抜きでこんなところからはじまるのか!」という感動すら覚える位だったし、ダリル・ハンナの素晴らしいシーン。(ダリル・ハンナのコートは良いね。)
そして病院からの脱出シークエンスも良いのだ。
しかし沖縄あたりから少しおかしくなってしまう。
敬愛するサニー・チバをコミック・リリーフに使って良いのか。とも思ってしまう。
つづく・・・かも。
さて「キル・ビル Vol.1」である。
この「キル・ビル Vol.1」、日米ほぼ同時公開というのが不安を煽っていた。と言うのも最近の場合、日米同時公開の映画というのは、大ヒットが約束された超大作がネタバレや海賊版の発生を恐れて公開する場合と、米国でおそらくコケるであろう映画を話題作という触れ込みで、駆け込み公開する場合が一般的だからだ。
そして前・後編に分かれている点も不安を煽る。そんなことをして大丈夫なのか。タランティーノよ。監督としての自らのキャリアに終止符をうち、脚本家として生きる覚悟は出来ているのか。
一本ならともかく、二本連続でメジャー作品がコケたらどうするつもりなのだ。
そして、タランティーノは、自分のマニアックな映画オタクのごった煮的趣味の世界をワールド・ワイドな規模で公開され、全世界の観客が観ることになる事を理解しているのであろうか。
そして日本の配給会社である。
これは「ロード・オブ・ザ・リング」にも言えることなのだが、この「キル・ビル Vol.1」の日本語表記は「キル・ビル」なのである。「Vol.1」という表記を入れないところに、なんらかの意図と脅威を感じてしまうのは、わたしだけではないだろう。
まあ、そういう不安の中で「キル・ビル Vol.1」を観た訳である。
「キル・ビル Vol.2」が公開されていない今、わたしに言えるのは、態度保留ということである。
シークエンスはいちいち格好良いし、画も良いし、セットも美術も良い、カメラもセリフも良い、音楽も勿論良い、シーン毎の出来は良いのだが、いかんせん映画の根本をなすはずのプロットが直接的過ぎて面白みに欠けるのだ。
勿論、「キル・ビル Vol.2」を観た後ならば「キル・ビル Vol.1」の脚本的、プロット的不満は解消されるのだろうと言う、多大なる希望的観測を持っているのだが、いかんせん「キル・ビル Vol.1」は相対的に見て、つまらない映画だと言わざるを得ない。
特に後半部分がまずい。
物語はクラスマックスを迎え、盛り上がっていくべき部分が冗長で退屈なのだ。
腹八分目の分量が最適なアクション・シークエンスが冗長で長過ぎ、ゲップが出てしまうのだ。
VSオーレン・イシイのシークエンスの最大の問題点は、雑魚キャラの存在である。いかにもエキストラ然とした表情の雑魚キャラがカメラの前面に出てくるのだ。アップに耐えられるほどの緊張感を醸し出せるハズもなく、ひどく残念な印象を受ける。
メイン・キャラ俳優達の素晴らしい表情と美術、画面構成、そして演技と比較すると、画が持たないのだ。
あと気になったのは「映画秘宝」的突込みどころ満載な映画だと言うのは最早仕方が無いのだが、「映画秘宝」的パンフレットはいかがなものであろうか。
少なくとも、この映画はワールド・ワイドな観客向けの映画であり、日本国内でも全国拡大ロードショーされているのである。
「映画秘宝」的なテイストを前面に押し出すパブリッシングはいかがなものであろうか。
さて、アクションであるが、最大の問題は殺陣がまずい。
青葉屋のシークエンスでは、ユエン・ウーピンのテーブルや柱、欄干や階段を使ったアクションは良かったし、栗山千明の表情も良かった。ゴードン・リューも格好良いが、いかんせん、殺陣がまずい。素人が刀を振り回している印象なのだ。
ゴードン・リューや栗山千明のシークエンスはおそらくユエン・ウーピンの指導によるものだと思うが、雑魚キャラとの殺陣はユエン・ウーピンでは無いのではないだろうか。
殺しのプロ達の戦いのハズなのだから。
殺陣がまずいということもあり、沖縄で日本刀を手に入れるまでのアクションは良い訳なのだが、例えばオープニング・アクションも、「おぉ、前置き抜きでこんなところからはじまるのか!」という感動すら覚える位だったし、ダリル・ハンナの素晴らしいシーン。(ダリル・ハンナのコートは良いね。)
そして病院からの脱出シークエンスも良いのだ。
しかし沖縄あたりから少しおかしくなってしまう。
敬愛するサニー・チバをコミック・リリーフに使って良いのか。とも思ってしまう。
つづく・・・かも。
救急車に乗った話
2003年10月21日わたしは子供の頃病弱で、何度か救急車で救急病院に搬送されたことがあるのだが、この度、付き添いとして、つまり健康な状態で救急車に乗る機会があった。
とある知り合いが、路上で体調が悪くなり、救急車を呼び、わたしが付き添いで病院までついて行った訳である。
で、健康な状況で救急車に乗った所感を少々。
1.受入先病院が決まるまで結構時間がかかる。
今回は内科と脳神経科の疾患の可能性があったため、内科と脳神経科を具備した救急病院のうち、受け入れる余地のある病院を探すため、救急隊員が電話(無線ではなくおそらく電話)でやりとりをするのだが、それには少し時間がかかっていた。
勿論、病院に行ったは良いが、結局は受け入れてもらえず、病院を盥回しにされてしまうよりは全然良い訳だが、急病人を抱えた状態で救急車が止まっているのは、なんとも釈然としないものがあった。
2.救急車にもカーナビが付いていた。
最近はタクシーにもカーナビが付いている位なので、あたりまえと言えばあたりまえなのだが、なんとなく驚いてしまった。
3.救急車は無茶なルートを走る。
救急車は緊急車両な訳で、サイレンを鳴らし救急車のコースを周辺にアナウンスしつつ走る訳だが、結構無茶なコース取りをしていた。
進行方向を変えるために路地をくねくね走り回ることは勿論、進行方向が渋滞していると、反対車線を平気でしばらくの間、走行したのには、ちと驚いた。走り出してからは、信号もお構いなしに、平然と悠然と自らが作り出す道をひた走るのであった。
ドライバーは、救急車のコース取りを周辺にアナウンスしつつ、段差等の路面状況をわたし達に的確に伝えていたのである。
4.救急隊員は良い人だった。
救急隊員は、いろいろな点で良い人だったのだが、それを端的に表すエピソードをひとつ。
急病人が、指にクリップで止める計器について質問した際、丁寧に血圧と酸素飽和度を計る計器であることを、そして酸素飽和度とは何かを丁寧に説明していた。
自分の仕事をしつつ、急病人のつまらない質問に丁寧に対応するあたりは、素敵な救急隊員だったのだ。
まあ、そんなところです。
因みにパトカーにも乗ったことがあります。
その辺の話は、そのうちにご紹介したいと思います。
とある知り合いが、路上で体調が悪くなり、救急車を呼び、わたしが付き添いで病院までついて行った訳である。
で、健康な状況で救急車に乗った所感を少々。
1.受入先病院が決まるまで結構時間がかかる。
今回は内科と脳神経科の疾患の可能性があったため、内科と脳神経科を具備した救急病院のうち、受け入れる余地のある病院を探すため、救急隊員が電話(無線ではなくおそらく電話)でやりとりをするのだが、それには少し時間がかかっていた。
勿論、病院に行ったは良いが、結局は受け入れてもらえず、病院を盥回しにされてしまうよりは全然良い訳だが、急病人を抱えた状態で救急車が止まっているのは、なんとも釈然としないものがあった。
2.救急車にもカーナビが付いていた。
最近はタクシーにもカーナビが付いている位なので、あたりまえと言えばあたりまえなのだが、なんとなく驚いてしまった。
3.救急車は無茶なルートを走る。
救急車は緊急車両な訳で、サイレンを鳴らし救急車のコースを周辺にアナウンスしつつ走る訳だが、結構無茶なコース取りをしていた。
進行方向を変えるために路地をくねくね走り回ることは勿論、進行方向が渋滞していると、反対車線を平気でしばらくの間、走行したのには、ちと驚いた。走り出してからは、信号もお構いなしに、平然と悠然と自らが作り出す道をひた走るのであった。
ドライバーは、救急車のコース取りを周辺にアナウンスしつつ、段差等の路面状況をわたし達に的確に伝えていたのである。
4.救急隊員は良い人だった。
救急隊員は、いろいろな点で良い人だったのだが、それを端的に表すエピソードをひとつ。
急病人が、指にクリップで止める計器について質問した際、丁寧に血圧と酸素飽和度を計る計器であることを、そして酸素飽和度とは何かを丁寧に説明していた。
自分の仕事をしつつ、急病人のつまらない質問に丁寧に対応するあたりは、素敵な救急隊員だったのだ。
まあ、そんなところです。
因みにパトカーにも乗ったことがあります。
その辺の話は、そのうちにご紹介したいと思います。
自動車購入計画
2003年10月19日現在わたしは自動車の購入を計画している。
その関係で、ここ2〜3週間の休日はディーラー廻りをしている。
現在所有しているクルマはクーペで、今度購入するクルマはSUVにしたいと思っています。
と言うのも、MTB(マウンテンバイク)をやっている関係で、車内に2台位はMTBを搭載できるクルマが欲しいのだ。
わたし的に本当のところは、小さなクルマ、特にクーペが欲しいのだが、諸般の事情がなかなかそうさせてくれないのだ。
で、いろいろ考えて、気に入ったのは、
「ホンダ エレメント」(実際はホンダ・オブ・アメリカ車)
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/element/
しかしこれは、このタイプのクルマにしては価格が高く、また全幅が広すぎるのだ。
また、観音開きのドアはコンセプトとしては素晴らしいのだが、日本国内の道路事情を考えた場合、果たして適しているのか大きな疑問である。
で、この「ホンダ エレメント」の価格をベースに検討しているのが、次のクルマである。(順不同)
「ホンダ エレメント」
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/element/
「ホンダ オデッセイ」
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/odyssey/
ミニバンにしては全高が低く(1550〜1570ミリ)、ミニバンとは言え、ステーションワゴン系のクルマなのかも知れない。ミニバンは嫌だが、ワゴンなら許容範囲なのだ。実車を見てから検討なのだ。
「ニッサン エクストレイル」
http://www.nissan.co.jp/X-TRAIL/
デビュー時は、とっても欲しかったクルマだが、現在はそれほどでもなくなってしまった。
コンセプトは良いのだが、内装がちと。
「ニッサン プレサージュ」
http://www2.nissan.co.jp/PRESAGE/top.html
ミニバンを検討の中に入れると、上がってくる一台。良いクルマだとは思うが、わたしはミニバンはあまり好きではない。妥協点はどこかな。
「マツダ トリビュート」
http://www.tribute.mazda.co.jp/
結構穴場でマニアックな選択だろうか。結構良いクルマかも。
「スバル フォレスター」
http://www.subaru.co.jp/forester/index.html
ステーションワゴンの定番フォレスター。レガシーと共に検討中。
「スバル レガシー」
http://www.subaru.co.jp/legacy/index.html
ステーションワゴンの定番レガシー。フォレスターと共に検討中。
「スバル トラヴィック」
http://www.subaru.co.jp/traviq/index.html
ミニバンを検討に入れると、上がってくる一台。
ヨーロピアン(ドイツ車)なクルマ。
「ミツビシ エアトレック」
http://www.mitsubishi-motors.co.jp/AIRTREK/index.html
ミツビシだったらこのクルマ。
「フォード エスケープ」
http://www.ford.co.jp/limited_edition/escape_top/index.htm
全幅が、日本国内での使用には少し広いが、アメリカンテイストのSUV。高級なテイスト。
「フォルクスワーゲン ゴルフワゴン」
http://www.volkswagen.co.jp/cars/new/golfwagon/main.html
やっぱドイツ車。高速安定性と、安全性を考えるとあがってくるのだ。
「フォルクスワーゲン パサートワゴン」
http://www.volkswagen.co.jp/cars/new/passatwagon/main.html
ゴルフワゴン同様、高速安定性と、安全性を考えるとドイツ車。ゴルフより広いが、ちと高い。
さて、どうなってしまうのだろうか。
その関係で、ここ2〜3週間の休日はディーラー廻りをしている。
現在所有しているクルマはクーペで、今度購入するクルマはSUVにしたいと思っています。
と言うのも、MTB(マウンテンバイク)をやっている関係で、車内に2台位はMTBを搭載できるクルマが欲しいのだ。
わたし的に本当のところは、小さなクルマ、特にクーペが欲しいのだが、諸般の事情がなかなかそうさせてくれないのだ。
で、いろいろ考えて、気に入ったのは、
「ホンダ エレメント」(実際はホンダ・オブ・アメリカ車)
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/element/
しかしこれは、このタイプのクルマにしては価格が高く、また全幅が広すぎるのだ。
また、観音開きのドアはコンセプトとしては素晴らしいのだが、日本国内の道路事情を考えた場合、果たして適しているのか大きな疑問である。
で、この「ホンダ エレメント」の価格をベースに検討しているのが、次のクルマである。(順不同)
「ホンダ エレメント」
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/element/
「ホンダ オデッセイ」
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/odyssey/
ミニバンにしては全高が低く(1550〜1570ミリ)、ミニバンとは言え、ステーションワゴン系のクルマなのかも知れない。ミニバンは嫌だが、ワゴンなら許容範囲なのだ。実車を見てから検討なのだ。
「ニッサン エクストレイル」
http://www.nissan.co.jp/X-TRAIL/
デビュー時は、とっても欲しかったクルマだが、現在はそれほどでもなくなってしまった。
コンセプトは良いのだが、内装がちと。
「ニッサン プレサージュ」
http://www2.nissan.co.jp/PRESAGE/top.html
ミニバンを検討の中に入れると、上がってくる一台。良いクルマだとは思うが、わたしはミニバンはあまり好きではない。妥協点はどこかな。
「マツダ トリビュート」
http://www.tribute.mazda.co.jp/
結構穴場でマニアックな選択だろうか。結構良いクルマかも。
「スバル フォレスター」
http://www.subaru.co.jp/forester/index.html
ステーションワゴンの定番フォレスター。レガシーと共に検討中。
「スバル レガシー」
http://www.subaru.co.jp/legacy/index.html
ステーションワゴンの定番レガシー。フォレスターと共に検討中。
「スバル トラヴィック」
http://www.subaru.co.jp/traviq/index.html
ミニバンを検討に入れると、上がってくる一台。
ヨーロピアン(ドイツ車)なクルマ。
「ミツビシ エアトレック」
http://www.mitsubishi-motors.co.jp/AIRTREK/index.html
ミツビシだったらこのクルマ。
「フォード エスケープ」
http://www.ford.co.jp/limited_edition/escape_top/index.htm
全幅が、日本国内での使用には少し広いが、アメリカンテイストのSUV。高級なテイスト。
「フォルクスワーゲン ゴルフワゴン」
http://www.volkswagen.co.jp/cars/new/golfwagon/main.html
やっぱドイツ車。高速安定性と、安全性を考えるとあがってくるのだ。
「フォルクスワーゲン パサートワゴン」
http://www.volkswagen.co.jp/cars/new/passatwagon/main.html
ゴルフワゴン同様、高速安定性と、安全性を考えるとドイツ車。ゴルフより広いが、ちと高い。
さて、どうなってしまうのだろうか。
鎌倉−江ノ島ツーリング
2003年10月14日先日、鎌倉−江ノ島近辺にツーリングに行ってきた。
ツーリングといっても所謂バイク・ツーリングではなく、自転車(マウンテンバイク)のツーリングである。
(日本ではバイクと言うと、モーターバイク、モーターサイクル、オートバイでを指しますが、本来バイクとは自転車の意味で、欧米では自転車の事をバイクと呼びます。)
自転車のツーリングと一口で言っても、自宅から目的地まで全ての行程を自走するツーリングと、自動車等で自転車を目的地近辺まで運び、自動車の駐車地点からツーリングを開始、目的を果たしてまた自動車に戻り、自動車等で帰宅する、というタイプがあります。
今回は後者。
自動車で自転車を鎌倉駅近辺まで運び、鎌倉の寺社めぐりを行う、というものでした。
自転車と言ってもわたしが乗っているのはロードではなくマウンテンバイクなので、前者(全て自走のツーリング)だと、わたし的には1日150キロが良いところなので、自宅から半径75キロ程度しか行けないことになります。
しかし後者(自動車等を使い、自転車を目的地近辺まで運ぶツーリング)の場合、基本的にどこにでも行ける。というメリットがあります。
まあ、感覚的には観光地でレンタル自転車をかりるところ、自分の自転車を持っていってしまう。という感じでしょうか。
勿論マウンテンバイクなので、所謂観光地以外の場所も目的地になりますが。
で、今回のツーリングは鎌倉駅近辺に自動車をとめ、取りあえず朝食を摂りつつ鎌倉周辺の観光ガイドを睨みスケジュールを決定。
目的地は「大仏」、「源頼朝の墓」、「鶴岡八幡宮」、「太平洋」、「江ノ島」、「パタゴニア・ショップ」という事になりました。
「鶴岡八幡宮」
境内の真中で結婚式を行っていました。あたり前と言えばあたり前なのですが、結婚式場での結婚式が一般的な中、これには驚きました。
笙、篳篥、龍笛が揃った雅楽の演奏もあり、本格的なものでした。観光客が沢山居る、と言う、いわば衆人環視の中の結婚式ですが、良い記念になるのではないでしょうか。
露店で炒りたての銀杏を購入しました。
「源頼朝の墓」
鶴岡八幡宮の近く、「よりとも公園(?)」脇の階段を登ったところにありました。
結構小ぢんまりとしたお墓でした。
地元の「頼朝の後援会」のような会が管理(?)をしているようでした。
「よりとも公園(?)」で銀杏を食べつくしました。
「鎌倉大仏」
「奈良大仏」と「東京大仏(板橋区)」は見た事がありましたが、「鎌倉大仏」は今回が初めてでした。大仏の胎内に入る事が出来たり、背中に扉があったり、結構意表をつかれました。
「太平洋」
七里ヶ浜周辺はサーファーが山ほど居まして、波乗りに興じていましたが、なかなか良い波が来ないため、沖で浮いている、という状況でした。
事実、しばらく波打ち際をMTBで走ったのですが、サーフィンになっていた人はほとんどいませんでした。
ウィンド・サーフィンは、風がそこそこあったので、様になっていました。
岩場で足だけですが、久しぶりに海に入りました。結構冷たかったです。
ところどころに魚の屍骸が転がっているのですが、海鳥ではなく、カラスに啄ばまれており、海鳥の繁殖地をカラスが脅かしている感を受けました。ハトもいましたけどね。
「江ノ島」
昼食は、海岸沿いの「漁師の食事処」で「しらす定食」を食べ、ビールを飲みました。
「しらす定食」はしらすづくしなので、ボリュームに不安がありましたが、十分なもので、しらすは旨い、ということを再認識しつつ、非常に多くのしらすを食べる事により、人類は多くの生物の多くの死に支えられているのだと、再認識しました。
途中海岸付近で昼寝をしました。
「江ノ島」は道路(橋)が直接島に延びているので「島」という感覚があまりありません。
いろいろなものを食べつつ、「江ノ島」の天辺付近まで「エスカー」ではなく徒歩で上り、また下りてきました。
駐車地点までは、既に渋滞が始まっていたので、自動車をすり抜けすり抜けで、自転車道路をただ単に走っているような感じでした。
「パタゴニア・ショップ」
鎌倉駅近くの「パタゴニア・ショップ」に行きたかったのですが、夕刻になり渋滞が始まっていたので、あきらめてそのまま帰りました。
夕食は「ビッグ・ボーイ」でサラダ・バーを食べ尽くしました。
近くに自転車乗りがひとりで食事をしていましたが、その人はサラダ・バーを5回以上利用していました。
われわれも人の事は言えませんがね。
わたしは緑黄色野菜のみを4〜5杯食べました。
そんな感じの楽しいツーリングでした。
ツーリングといっても所謂バイク・ツーリングではなく、自転車(マウンテンバイク)のツーリングである。
(日本ではバイクと言うと、モーターバイク、モーターサイクル、オートバイでを指しますが、本来バイクとは自転車の意味で、欧米では自転車の事をバイクと呼びます。)
自転車のツーリングと一口で言っても、自宅から目的地まで全ての行程を自走するツーリングと、自動車等で自転車を目的地近辺まで運び、自動車の駐車地点からツーリングを開始、目的を果たしてまた自動車に戻り、自動車等で帰宅する、というタイプがあります。
今回は後者。
自動車で自転車を鎌倉駅近辺まで運び、鎌倉の寺社めぐりを行う、というものでした。
自転車と言ってもわたしが乗っているのはロードではなくマウンテンバイクなので、前者(全て自走のツーリング)だと、わたし的には1日150キロが良いところなので、自宅から半径75キロ程度しか行けないことになります。
しかし後者(自動車等を使い、自転車を目的地近辺まで運ぶツーリング)の場合、基本的にどこにでも行ける。というメリットがあります。
まあ、感覚的には観光地でレンタル自転車をかりるところ、自分の自転車を持っていってしまう。という感じでしょうか。
勿論マウンテンバイクなので、所謂観光地以外の場所も目的地になりますが。
で、今回のツーリングは鎌倉駅近辺に自動車をとめ、取りあえず朝食を摂りつつ鎌倉周辺の観光ガイドを睨みスケジュールを決定。
目的地は「大仏」、「源頼朝の墓」、「鶴岡八幡宮」、「太平洋」、「江ノ島」、「パタゴニア・ショップ」という事になりました。
「鶴岡八幡宮」
境内の真中で結婚式を行っていました。あたり前と言えばあたり前なのですが、結婚式場での結婚式が一般的な中、これには驚きました。
笙、篳篥、龍笛が揃った雅楽の演奏もあり、本格的なものでした。観光客が沢山居る、と言う、いわば衆人環視の中の結婚式ですが、良い記念になるのではないでしょうか。
露店で炒りたての銀杏を購入しました。
「源頼朝の墓」
鶴岡八幡宮の近く、「よりとも公園(?)」脇の階段を登ったところにありました。
結構小ぢんまりとしたお墓でした。
地元の「頼朝の後援会」のような会が管理(?)をしているようでした。
「よりとも公園(?)」で銀杏を食べつくしました。
「鎌倉大仏」
「奈良大仏」と「東京大仏(板橋区)」は見た事がありましたが、「鎌倉大仏」は今回が初めてでした。大仏の胎内に入る事が出来たり、背中に扉があったり、結構意表をつかれました。
「太平洋」
七里ヶ浜周辺はサーファーが山ほど居まして、波乗りに興じていましたが、なかなか良い波が来ないため、沖で浮いている、という状況でした。
事実、しばらく波打ち際をMTBで走ったのですが、サーフィンになっていた人はほとんどいませんでした。
ウィンド・サーフィンは、風がそこそこあったので、様になっていました。
岩場で足だけですが、久しぶりに海に入りました。結構冷たかったです。
ところどころに魚の屍骸が転がっているのですが、海鳥ではなく、カラスに啄ばまれており、海鳥の繁殖地をカラスが脅かしている感を受けました。ハトもいましたけどね。
「江ノ島」
昼食は、海岸沿いの「漁師の食事処」で「しらす定食」を食べ、ビールを飲みました。
「しらす定食」はしらすづくしなので、ボリュームに不安がありましたが、十分なもので、しらすは旨い、ということを再認識しつつ、非常に多くのしらすを食べる事により、人類は多くの生物の多くの死に支えられているのだと、再認識しました。
途中海岸付近で昼寝をしました。
「江ノ島」は道路(橋)が直接島に延びているので「島」という感覚があまりありません。
いろいろなものを食べつつ、「江ノ島」の天辺付近まで「エスカー」ではなく徒歩で上り、また下りてきました。
駐車地点までは、既に渋滞が始まっていたので、自動車をすり抜けすり抜けで、自転車道路をただ単に走っているような感じでした。
「パタゴニア・ショップ」
鎌倉駅近くの「パタゴニア・ショップ」に行きたかったのですが、夕刻になり渋滞が始まっていたので、あきらめてそのまま帰りました。
夕食は「ビッグ・ボーイ」でサラダ・バーを食べ尽くしました。
近くに自転車乗りがひとりで食事をしていましたが、その人はサラダ・バーを5回以上利用していました。
われわれも人の事は言えませんがね。
わたしは緑黄色野菜のみを4〜5杯食べました。
そんな感じの楽しいツーリングでした。
「ジョニー・イングリッシュ」
2003年10月12日「Mr.ビーン」でおなじみのローワン・アトキンソンのスパイ・アクション「ジョニー・イングリッシュ」を観た。
結論から言うと、大変おもしろい娯楽作品に仕上がっていた。
なんと言っても良かったのは、ローワン・アトキンソン演じるジョニー・イングリッシュが女王陛下のエージェントに徹している点、そして映画自体もそのコンセプトに徹している点である。
「ジョニー・イングリッシュ」のモトネタとなっているのは、勿論OO7シリーズであるが、007シリーズの中の一本のタイトル「女王陛下の007」("On Her Majesty’s Secret Service")が示しているように、女王陛下のエージェントであり、その根底には英国騎士道が確固として存在するのである。
本作「ジョニー・イングリッシュ」ではその点、女王陛下のために、そして祖国である英国のために戦う姿が明確に描かれている訳なのである。
この点から本作は、007シリーズの他の亜流作品と一線を画す「正統派」スパイ・アクションとも言える作品となっているのだ。
そして、本編のラストでジョニー・イングリッシュがその功績を認められナイトの称号を授与されるところでも、そのコンセプトは明確に伝わっている。
余談だが、例えば「スター・ウォーズ」シリーズあたりも結局は、物語の構成上、ルークやハン、チューイ等はレイア姫の、アナキンやジェダイ等はアミダラ姫のために尽くす騎士達という構成を持っている。
この普遍的な構成が感動をよぶのである。
007シリーズのファンに是非観ていただきたい作品である。
因みに、わたしの友人の生粋の007ファンは『少なくとも「ダイ・アナザー・デイ」より面白い。「ダイ・アナザー・デイ」は面白くないという点で致命的だ。』と語っている。
結論から言うと、大変おもしろい娯楽作品に仕上がっていた。
なんと言っても良かったのは、ローワン・アトキンソン演じるジョニー・イングリッシュが女王陛下のエージェントに徹している点、そして映画自体もそのコンセプトに徹している点である。
「ジョニー・イングリッシュ」のモトネタとなっているのは、勿論OO7シリーズであるが、007シリーズの中の一本のタイトル「女王陛下の007」("On Her Majesty’s Secret Service")が示しているように、女王陛下のエージェントであり、その根底には英国騎士道が確固として存在するのである。
本作「ジョニー・イングリッシュ」ではその点、女王陛下のために、そして祖国である英国のために戦う姿が明確に描かれている訳なのである。
この点から本作は、007シリーズの他の亜流作品と一線を画す「正統派」スパイ・アクションとも言える作品となっているのだ。
そして、本編のラストでジョニー・イングリッシュがその功績を認められナイトの称号を授与されるところでも、そのコンセプトは明確に伝わっている。
余談だが、例えば「スター・ウォーズ」シリーズあたりも結局は、物語の構成上、ルークやハン、チューイ等はレイア姫の、アナキンやジェダイ等はアミダラ姫のために尽くす騎士達という構成を持っている。
この普遍的な構成が感動をよぶのである。
007シリーズのファンに是非観ていただきたい作品である。
因みに、わたしの友人の生粋の007ファンは『少なくとも「ダイ・アナザー・デイ」より面白い。「ダイ・アナザー・デイ」は面白くないという点で致命的だ。』と語っている。
ひとりで出来る自主制作映画 その11
2003年10月7日 自主制作映像作品ひとりで出来る自主制作映画
その11 付録1 脚本を書くことは、映画を作ること
一般の脚本に描かれているものは、必要最低限の舞台背景と動作、そして台詞。
しかしながら、行間を読む者にとっては、脚本には映画に必要なものが全て揃っている訳である。
映像、そして音楽すらイマジネーションの中に揃っているのである。
というより、脚本を書き上げた段階で、それを書いた脚本家や監督の頭の中には、既に完全な映画が出来上がっているのである。
そしてその監督の頭の中の映画は、勿論理想的な舞台背景で、理想的な俳優が最高の演技を見せている訳である。
映画制作とは、その理想的で最高の映画のビジョンを現実の世界に再構築する作業なのである。
しかし、その頭の中の理想的な最高の映画を現実の世界に再構築する場合、どうしても通らなければならない工程がある。妥協である。
現実の世界に「最高の」というものは本当は存在することはできないのである。
つまり、その理想的な映画のビジョンを現実の世界に再構築する際、妥協した結果出来上がったのが、我々が楽しむ映画そのものなのである。
ひとりで出来る自主制作映画 その1
http://diarynote.jp/d/29346/20030806.html
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その11 付録1 脚本を書くことは、映画を作ること
一般の脚本に描かれているものは、必要最低限の舞台背景と動作、そして台詞。
しかしながら、行間を読む者にとっては、脚本には映画に必要なものが全て揃っている訳である。
映像、そして音楽すらイマジネーションの中に揃っているのである。
というより、脚本を書き上げた段階で、それを書いた脚本家や監督の頭の中には、既に完全な映画が出来上がっているのである。
そしてその監督の頭の中の映画は、勿論理想的な舞台背景で、理想的な俳優が最高の演技を見せている訳である。
映画制作とは、その理想的で最高の映画のビジョンを現実の世界に再構築する作業なのである。
しかし、その頭の中の理想的な最高の映画を現実の世界に再構築する場合、どうしても通らなければならない工程がある。妥協である。
現実の世界に「最高の」というものは本当は存在することはできないのである。
つまり、その理想的な映画のビジョンを現実の世界に再構築する際、妥協した結果出来上がったのが、我々が楽しむ映画そのものなのである。
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「フォード/スペシャライズド カクタスカップ 2003」
2003年10月5日「フォード/スペシャライズド カクタスカップ 2003」に参加してきました。
カクタスカップってなんだろう?と言う方に簡単に説明しますと、スペシャライズドという大手自転車メーカーが主催し、フォードという自動車のメーカーが共催するMTB(マウンテンバイク)という種類の自転車の大会です。
会場は富士見パノラマリゾート(長野県富士見町)。
富士見パノラマリゾートと言えば、冬はスキー、夏はMTBのダウンヒルやパラグライダー等を楽しめる楽しいリゾート地なんですが、特にMTBのダウンヒルのコースは、日本におけるMTBダウンヒルの聖地と言っても過言ではないのではないでしょうか。
まあそういった所でMTBレースがあり、そのレースに参加してきた。
という話です。
私たちは総勢15名で、今回は「3時間チームスプリント」というレースに4チーム参戦しました。
前回のレースでは4時間ソロに何チームも参加したわけですが、今回のレースはその反動か、ソロ1チーム、3名2チーム、4名1チームというチーム編成で計4チームが参戦しました。
レース前日は、貸別荘でプチ宴会の予定だったのですが、結局大宴会となり一部のメンバーは睡眠不足で二日酔い状態でのレース参加となってしまいました。
今回は初レース、という女性が2名いた関係もあり、お祭りのような感じで、レース参戦のコンセプトとしては、楽しく走る事をモットーとしたこともあり、レース初参加の人達にとっても楽しいレースになったようです。
わたし的には、前回は4時間ソロで今回は3時間4名チーム、ということもあり、走り足りない感じでしたが、今回のコースは、上って下って、上って下ってとメリハリがはっきりしたコースで、わたし的には、筋力より心肺機能に負荷がかかるコースだったので、足はもつけど息があがる。というような感じでした。
今後の精進が必要ですね。
あとは、女性3名チームの1人が一周目の転倒により、右手小指亜脱臼(?)になってしまい、結局2人で走る羽目に陥ってしまいました。その2人が、レース初参加の2人でした。
あとは、本来は3人チームで参戦する予定だったのに、他の2人が仕事の都合等で不参加となり、結局ソロで走らざるを得ない、というチームもありました。
まあ、こんなそんなの大会でした。
土曜日にレースに参加して、宿泊して大宴会で翌日の日曜日に少し遊んで帰る的なレースが良いな、と思い今日この頃ですね。
カクタスカップってなんだろう?と言う方に簡単に説明しますと、スペシャライズドという大手自転車メーカーが主催し、フォードという自動車のメーカーが共催するMTB(マウンテンバイク)という種類の自転車の大会です。
会場は富士見パノラマリゾート(長野県富士見町)。
富士見パノラマリゾートと言えば、冬はスキー、夏はMTBのダウンヒルやパラグライダー等を楽しめる楽しいリゾート地なんですが、特にMTBのダウンヒルのコースは、日本におけるMTBダウンヒルの聖地と言っても過言ではないのではないでしょうか。
まあそういった所でMTBレースがあり、そのレースに参加してきた。
という話です。
私たちは総勢15名で、今回は「3時間チームスプリント」というレースに4チーム参戦しました。
前回のレースでは4時間ソロに何チームも参加したわけですが、今回のレースはその反動か、ソロ1チーム、3名2チーム、4名1チームというチーム編成で計4チームが参戦しました。
レース前日は、貸別荘でプチ宴会の予定だったのですが、結局大宴会となり一部のメンバーは睡眠不足で二日酔い状態でのレース参加となってしまいました。
今回は初レース、という女性が2名いた関係もあり、お祭りのような感じで、レース参戦のコンセプトとしては、楽しく走る事をモットーとしたこともあり、レース初参加の人達にとっても楽しいレースになったようです。
わたし的には、前回は4時間ソロで今回は3時間4名チーム、ということもあり、走り足りない感じでしたが、今回のコースは、上って下って、上って下ってとメリハリがはっきりしたコースで、わたし的には、筋力より心肺機能に負荷がかかるコースだったので、足はもつけど息があがる。というような感じでした。
今後の精進が必要ですね。
あとは、女性3名チームの1人が一周目の転倒により、右手小指亜脱臼(?)になってしまい、結局2人で走る羽目に陥ってしまいました。その2人が、レース初参加の2人でした。
あとは、本来は3人チームで参戦する予定だったのに、他の2人が仕事の都合等で不参加となり、結局ソロで走らざるを得ない、というチームもありました。
まあ、こんなそんなの大会でした。
土曜日にレースに参加して、宿泊して大宴会で翌日の日曜日に少し遊んで帰る的なレースが良いな、と思い今日この頃ですね。
「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」
2003年10月4日アラン・パーカーの「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」を観た。
おそらく全国ロードショーの最終日だったんだと思います。
アラン・パーカーと言えば、結構カルト的な人気を誇る社会派系の監督です。わたし的には結構好きな監督のひとりで、好きな作品は、「バーディ」、、「ザ・コミットメンツ」、「ミッドナイト・エクスプレス」、「ミシシッピー・バーニング」でしょうか。
第一印象としては、最近多い系統の映画だな。という印象でした。
「果たして○○は本当に××したのだろうか?」または、「一体何が起きたんだ?」という疑問を観客に抱かせる作品です。
最近の公開作品では「HERO/英雄」、「閉ざされた森」、「ファム・ファタール」の系統でしょうか。
物語は、死刑反対論者の哲学教授が、同僚のレイプ殺人犯として死刑執行されることになり、その執行の数日前、雑誌記者にインタビューを受け、そのジャーナリストが真実に迫る。というもの。
物語の根本には賛否があるようですがが、わたし的には大変良い物語だと思いますし、大変良く出来た脚本だと思いました。
ラストの衝撃は伏線により明らかですが、それにいたる道が巧緻で、大変良い印象を受けましたね。
ああ、アラン・パーカーの作品だな。という印象を感じます。
もしかしたら「ミシシッピー・バーニング」に似てるかな。
同様の形態を取った作品に最近では「閉ざされた森」がありますが、それと比較して本作「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」の方が数段素晴らしい作品に仕上がっています。
これはやはりジョン・マクティアナンの指向とアラン・パーカーの指向の相違かも知れませんが、こう2作品を並べてみると、マクティアナンは「何やってんだ!」と思ってしまいます。
役者は何と言ってもケビン・スペイシーでしょう。物語の形態上「ユージュアル・サスペクス」の映画的記憶が感じられるのは賛否あるでしょうが、所謂頭の良い役を真っ向から演じています。
個人的には微妙な憂いのある表情が好きです。
ケイト・ウィンスレットは頑張っています。
「タイタニック」以降「アイリス」等良い作品に恵まれていますので、こういった傾向の作品に沢山出て欲しいですね。
ローラ・ニコー、マット・クレイブン、レオン・リッピーは、総じて複雑な印象を観客に与えます。
役の傾向が似ているような印象を受けますが、出番の割には強烈な印象を与えています。
ある種の嫌悪感を出すよう努力しているような気がしますね。
ガブリエル・マンは、観客の代弁者的なニュートラルな感じの良い役でした。普通のところが良いところですね。
編集はアラン・パーカー組のジェリー・ハンブリングですが、非常に短いカットを多用し、最早サプリミナル映像に近く、判読できない感が多々ありますが、非常に効果的な編集でした。
この編集も撮影あってのものですが、撮影はやはりアラン・パーカー組のマイケル・セレシン。
陰影の深い寒寒とした画面を構築しています。
制作は俳優のニコラス・ケイジ。俳優活動も盛んですがプロデュースにも力を入れてますよね。何しろ、フランシン・フォード・コッポラの甥ですからね。俳優としてもわたし的には大好きです。
もうロードショー公開は終わっていますが、機会がありましたら、是非観ていただきたい素晴らしい作品です。
おそらく全国ロードショーの最終日だったんだと思います。
アラン・パーカーと言えば、結構カルト的な人気を誇る社会派系の監督です。わたし的には結構好きな監督のひとりで、好きな作品は、「バーディ」、、「ザ・コミットメンツ」、「ミッドナイト・エクスプレス」、「ミシシッピー・バーニング」でしょうか。
第一印象としては、最近多い系統の映画だな。という印象でした。
「果たして○○は本当に××したのだろうか?」または、「一体何が起きたんだ?」という疑問を観客に抱かせる作品です。
最近の公開作品では「HERO/英雄」、「閉ざされた森」、「ファム・ファタール」の系統でしょうか。
物語は、死刑反対論者の哲学教授が、同僚のレイプ殺人犯として死刑執行されることになり、その執行の数日前、雑誌記者にインタビューを受け、そのジャーナリストが真実に迫る。というもの。
物語の根本には賛否があるようですがが、わたし的には大変良い物語だと思いますし、大変良く出来た脚本だと思いました。
ラストの衝撃は伏線により明らかですが、それにいたる道が巧緻で、大変良い印象を受けましたね。
ああ、アラン・パーカーの作品だな。という印象を感じます。
もしかしたら「ミシシッピー・バーニング」に似てるかな。
同様の形態を取った作品に最近では「閉ざされた森」がありますが、それと比較して本作「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」の方が数段素晴らしい作品に仕上がっています。
これはやはりジョン・マクティアナンの指向とアラン・パーカーの指向の相違かも知れませんが、こう2作品を並べてみると、マクティアナンは「何やってんだ!」と思ってしまいます。
役者は何と言ってもケビン・スペイシーでしょう。物語の形態上「ユージュアル・サスペクス」の映画的記憶が感じられるのは賛否あるでしょうが、所謂頭の良い役を真っ向から演じています。
個人的には微妙な憂いのある表情が好きです。
ケイト・ウィンスレットは頑張っています。
「タイタニック」以降「アイリス」等良い作品に恵まれていますので、こういった傾向の作品に沢山出て欲しいですね。
ローラ・ニコー、マット・クレイブン、レオン・リッピーは、総じて複雑な印象を観客に与えます。
役の傾向が似ているような印象を受けますが、出番の割には強烈な印象を与えています。
ある種の嫌悪感を出すよう努力しているような気がしますね。
ガブリエル・マンは、観客の代弁者的なニュートラルな感じの良い役でした。普通のところが良いところですね。
編集はアラン・パーカー組のジェリー・ハンブリングですが、非常に短いカットを多用し、最早サプリミナル映像に近く、判読できない感が多々ありますが、非常に効果的な編集でした。
この編集も撮影あってのものですが、撮影はやはりアラン・パーカー組のマイケル・セレシン。
陰影の深い寒寒とした画面を構築しています。
制作は俳優のニコラス・ケイジ。俳優活動も盛んですがプロデュースにも力を入れてますよね。何しろ、フランシン・フォード・コッポラの甥ですからね。俳優としてもわたし的には大好きです。
もうロードショー公開は終わっていますが、機会がありましたら、是非観ていただきたい素晴らしい作品です。
ひとりで出来る自主制作映画 その10
2003年10月3日 自主制作映像作品ひとりで出来る自主制作映画
その10 初心者にとって脚本とはそんなに重要なものなのか
映像作家の初心者に対する助言のうち、最もポピュラーなものは「先ず脚本を書け」でしょう。
事実インターネット上の掲示板などに「将来映画監督になりたいのですが、最初に何をやればいいでしょうか?」という書き込みをしたような場合、多くの場合、脚本を書く事を薦められると思います。
しかし、これから映像作家を目指そうとしているずぶの素人が一人前の映像作家となる過程の第一段階として、脚本を執筆させることがそんなに重要なのでしょうか。脚本の執筆はそんなに優先順位が高い工程なのでしょうか。
わたしは常々疑問に思っていました。
例えば仮に、全く経験の無い人がシンガー・ソング・ライター(表現は古いですが、自らが作詞・作曲した楽曲を演奏する人のこと)を目指す場合、その人に対し「シンガー・ソング・ライターの基本は作詞・作曲だ。先ず作詞・作曲の勉強をしなさい。」と助言すべきなのでしょうか。
それよりは表現手法の向上、例えばヴォーカルや、ギター・キーボード等の楽器演奏のテクニックを向上させる方が先決であり、最優先事項なのではないでしょうか。
そして、そのシンガー・ソング・ライターが表現したい事柄を見つけるのは、その練習過程の途中だったり、普段の生活からだったのするのではないでしょうか。
勉強だから、基本だからと言って、無理矢理作詞・作曲をさせられるより、自然発生的に表現したい事柄を発見し、作詞・作曲に取り組むほうが自然だと思います。
ですから同様に、わたしは映像作家初心者の方々に対し、はじめの一歩として、脚本を書いたり、企画を立てたり、その企画を温めたりするような事をあまりお奨めしません。
それだったら、語弊はありますが、なんでも良いから撮影・編集・録音という映像作品を制作する上で重要な工程を何度も何度も経験し、いくつも作品を完成させ、それらの工程に必要な技術やセンスを研くことを強くお奨めします。
そして、映像作品の制作や、普段の生活の中から、映像作品として実現したいビジョンやコンセプトを発見し、その上で企画や脚本を立ち上げていけば良いのではないでしょうか。
とは言うものの、既に企画や脚本を持っている方が、その企画を実現する為に自主制作映画という手段を取る。という事であるならば、それはそれで全く問題はありませんし、それもひとつの正しい方法論だと思います。
ここで、わたしが危惧しているのは、自主制作映画の基本は脚本だ、と言って、朝から晩まで脚本ばかり書き続け、脚本はどんどん完成していく一方、一向に映像作品の自主制作に入る事が出来ない、という本末転倒的な状況に陥ってしまう事なのです。
何故こんな事をくどくどお話しているかと言いますと、以前もお話しましたが世の中には、自主制作映画の団体を立ち上げたのは良いが、脚本ばかり書き続けて、一向に映像作品の自主制作がスタートできず、自分が制作したい理想の映画の話や、商業映画の批判しかしない、という状況のまま空中分解したり、自然消滅してしまう団体が残念ながら多いのです。わたしは、みなさんにそうなってもらいたくないからなのです。
という訳でわたしは、映像作家の初心者の皆さんには、すぐに実現できないような脚本を何本も何本も書き続けるくらいなら、取りあえず何でもかんでも撮影し、なんでもかんでも編集し、なんでもかんでも録音し、映像作品を何本も何本も制作していく事をお薦めします。
何しろ、あなたがなりたいのは、脚本家ではなく、監督なんですからね。
ひとりで出来る自主制作映画 その11
http://diarynote.jp/d/29346/20031007.html
ひとりで出来る自主制作映画 その1
http://diarynote.jp/d/29346/20030806.html
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その10 初心者にとって脚本とはそんなに重要なものなのか
映像作家の初心者に対する助言のうち、最もポピュラーなものは「先ず脚本を書け」でしょう。
事実インターネット上の掲示板などに「将来映画監督になりたいのですが、最初に何をやればいいでしょうか?」という書き込みをしたような場合、多くの場合、脚本を書く事を薦められると思います。
しかし、これから映像作家を目指そうとしているずぶの素人が一人前の映像作家となる過程の第一段階として、脚本を執筆させることがそんなに重要なのでしょうか。脚本の執筆はそんなに優先順位が高い工程なのでしょうか。
わたしは常々疑問に思っていました。
例えば仮に、全く経験の無い人がシンガー・ソング・ライター(表現は古いですが、自らが作詞・作曲した楽曲を演奏する人のこと)を目指す場合、その人に対し「シンガー・ソング・ライターの基本は作詞・作曲だ。先ず作詞・作曲の勉強をしなさい。」と助言すべきなのでしょうか。
それよりは表現手法の向上、例えばヴォーカルや、ギター・キーボード等の楽器演奏のテクニックを向上させる方が先決であり、最優先事項なのではないでしょうか。
そして、そのシンガー・ソング・ライターが表現したい事柄を見つけるのは、その練習過程の途中だったり、普段の生活からだったのするのではないでしょうか。
勉強だから、基本だからと言って、無理矢理作詞・作曲をさせられるより、自然発生的に表現したい事柄を発見し、作詞・作曲に取り組むほうが自然だと思います。
ですから同様に、わたしは映像作家初心者の方々に対し、はじめの一歩として、脚本を書いたり、企画を立てたり、その企画を温めたりするような事をあまりお奨めしません。
それだったら、語弊はありますが、なんでも良いから撮影・編集・録音という映像作品を制作する上で重要な工程を何度も何度も経験し、いくつも作品を完成させ、それらの工程に必要な技術やセンスを研くことを強くお奨めします。
そして、映像作品の制作や、普段の生活の中から、映像作品として実現したいビジョンやコンセプトを発見し、その上で企画や脚本を立ち上げていけば良いのではないでしょうか。
とは言うものの、既に企画や脚本を持っている方が、その企画を実現する為に自主制作映画という手段を取る。という事であるならば、それはそれで全く問題はありませんし、それもひとつの正しい方法論だと思います。
ここで、わたしが危惧しているのは、自主制作映画の基本は脚本だ、と言って、朝から晩まで脚本ばかり書き続け、脚本はどんどん完成していく一方、一向に映像作品の自主制作に入る事が出来ない、という本末転倒的な状況に陥ってしまう事なのです。
何故こんな事をくどくどお話しているかと言いますと、以前もお話しましたが世の中には、自主制作映画の団体を立ち上げたのは良いが、脚本ばかり書き続けて、一向に映像作品の自主制作がスタートできず、自分が制作したい理想の映画の話や、商業映画の批判しかしない、という状況のまま空中分解したり、自然消滅してしまう団体が残念ながら多いのです。わたしは、みなさんにそうなってもらいたくないからなのです。
という訳でわたしは、映像作家の初心者の皆さんには、すぐに実現できないような脚本を何本も何本も書き続けるくらいなら、取りあえず何でもかんでも撮影し、なんでもかんでも編集し、なんでもかんでも録音し、映像作品を何本も何本も制作していく事をお薦めします。
何しろ、あなたがなりたいのは、脚本家ではなく、監督なんですからね。
ひとりで出来る自主制作映画 その11
http://diarynote.jp/d/29346/20031007.html
ひとりで出来る自主制作映画 その1
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2003年の目標!! 中間報告その9
2003年10月1日さて、早速ですが2003年の目標の中間発表その9です。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
まず映画です。
#054 「ゲロッパ」銀座シネ・ラ・セット 2003/09/01
#055 「少女の髪どめ」新文芸坐 2003/09/05
#056 「ボウリング・フォー・コロンバイン」新文芸坐 2003/09/05
#057 「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」メルシャン品川アイマックスシアター 2003/09/19
#058 「閉ざされた森」丸の内シャンゼリゼ 2003/09/22
#059 「ミニミニ大作戦」新文芸坐 2003/09/27
#060 「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」新文芸坐 2003/09/27
続いて、DVDやCATVです。
#157 「アメリカン・ビューティー」2003/09/02 DVD
#158 「遊星からの物体X」2003/09/03 DVD
#159 「ビッグ・ショー! ハワイに唄えば」2003/09/06 CATV
#160 「PLANET OF THE APES/猿の惑星」2003/09/10 DVD
#161 「社長外遊記」2003/09/15 CATV
#162 「続社長外遊記」2003/09/15 CATV
#163 「社長紳士録」2003/09/15 CATV
#164 「続社長紳士録」2003/09/15 CATV
#165 「大学の若大将」2003/09/15 CATV
#166 「モスラ」2003/09/15 CATV
#167 「用心棒」2003/09/15 CATV
#168 「ブルーベルベット」2003/09/20 CATV
#169 「炎の大捜査線」2003/09/20 CATV
#170 「オーディション」2003/09/23 HDD
#171 「ブルース・ブラザース」2003/09/25 DVD
#172 「ブルース・ブラザース2000」2003/09/30 DVD
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて23本(累計229本)でした。
さて、本の方は、
#039 「骨の袋(上)」スティーヴン・キング著 白石朗訳 新潮文庫 2003/09/06
#040 「骨の袋(下)」スティーヴン・キング著 白石朗訳 新潮文庫 2003/09/10
#041 「獄門島」横溝正史著 角川文庫 2003/09/19
#042 「病院坂の首縊りの家(上)」横溝正史著 角川文庫 2003/09/25
読書は4冊(累計42冊)でした。
状況として、9月は例によって仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況になってきています。いつもおんなじです。
映画は結果月23本(累計229本)ですので、このままのペースだと、305本になります。
因みに、劇場での映画鑑賞は月7本(累計60本)、このままのペースだと、年間80本になります。
読書の方は、月4冊(累計42冊)で、このままのペースで56冊となります。
映画的には、まだまだ目標ギリギリのペースです。
読書は非常に厳しい状況です。
10月は仕事が若干すくと思います。(毎月言ってますが、全然すかないです。)
今月も頑張りま〜す。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
まず映画です。
#054 「ゲロッパ」銀座シネ・ラ・セット 2003/09/01
#055 「少女の髪どめ」新文芸坐 2003/09/05
#056 「ボウリング・フォー・コロンバイン」新文芸坐 2003/09/05
#057 「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」メルシャン品川アイマックスシアター 2003/09/19
#058 「閉ざされた森」丸の内シャンゼリゼ 2003/09/22
#059 「ミニミニ大作戦」新文芸坐 2003/09/27
#060 「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」新文芸坐 2003/09/27
続いて、DVDやCATVです。
#157 「アメリカン・ビューティー」2003/09/02 DVD
#158 「遊星からの物体X」2003/09/03 DVD
#159 「ビッグ・ショー! ハワイに唄えば」2003/09/06 CATV
#160 「PLANET OF THE APES/猿の惑星」2003/09/10 DVD
#161 「社長外遊記」2003/09/15 CATV
#162 「続社長外遊記」2003/09/15 CATV
#163 「社長紳士録」2003/09/15 CATV
#164 「続社長紳士録」2003/09/15 CATV
#165 「大学の若大将」2003/09/15 CATV
#166 「モスラ」2003/09/15 CATV
#167 「用心棒」2003/09/15 CATV
#168 「ブルーベルベット」2003/09/20 CATV
#169 「炎の大捜査線」2003/09/20 CATV
#170 「オーディション」2003/09/23 HDD
#171 「ブルース・ブラザース」2003/09/25 DVD
#172 「ブルース・ブラザース2000」2003/09/30 DVD
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて23本(累計229本)でした。
さて、本の方は、
#039 「骨の袋(上)」スティーヴン・キング著 白石朗訳 新潮文庫 2003/09/06
#040 「骨の袋(下)」スティーヴン・キング著 白石朗訳 新潮文庫 2003/09/10
#041 「獄門島」横溝正史著 角川文庫 2003/09/19
#042 「病院坂の首縊りの家(上)」横溝正史著 角川文庫 2003/09/25
読書は4冊(累計42冊)でした。
状況として、9月は例によって仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況になってきています。いつもおんなじです。
映画は結果月23本(累計229本)ですので、このままのペースだと、305本になります。
因みに、劇場での映画鑑賞は月7本(累計60本)、このままのペースだと、年間80本になります。
読書の方は、月4冊(累計42冊)で、このままのペースで56冊となります。
映画的には、まだまだ目標ギリギリのペースです。
読書は非常に厳しい状況です。
10月は仕事が若干すくと思います。(毎月言ってますが、全然すかないです。)
今月も頑張りま〜す。
「ミニミニ大作戦」
2003年9月28日「交渉人」のF・ゲイリー・グレイの新作「ミニミニ大作戦」を池袋新文芸坐で観た。
本作の原題は"THE ITALIAN JOB"で、マイケル・ケイン主演の1969年イギリス=アメリカ合作のリメイクです。
この作品は「オースティン・パワーズ ゴールドメンバー」のマイケル・ケイン出演シーンで言及されているので、ご関心がある方は是非ご覧ください。
さて、タイトルからわたしが期待したのは、「黄金の七人」系のイタリア映画特有の痛快能天気オシャレでスタイリッシュな泥棒アクション映画でした。
事実オープニング・アクションとラストの見せ場には笑いは無いものの、わたしの期待に沿ったものだったのですが、中盤部分のちょっとしたドロドロ系(復讐とデート絡み)は若干中だるみがし、かつ期待に沿わないものでした。わたし的には痛快能天気に合わないですからね。
しかし、だからと言ってこの作品がつまらない、というのではなく、結果的には大変面白い娯楽作品に仕上がっています。
キャストはもうオールスター・キャストと言っても良いでしょうし、大掛かりなカーチェイスやアクション・シークエンスも良い出来です。
物語は、痛快能天気を期待する向きにはちと不満が残りますが、軽くひねったプロットを楽しむ方には満足が行くものでしょう。
とっても軽い「スティング」系のね。
キャストは、名優ドナルド・サザーランドが少ない出番ながら印象的で、そして大きな伏線となるいくつかのセリフを印象的に吐いています。
主演のマーク・ウォールバーグはチームのリーダー役としてはちょっと弱いかなと思いましたが、まあ沈着冷静な良い味を出しているのではないでしょうか。
シャーリーズ・セロンは最近様々なジャンルで活躍する旬の女優ですが、本作ではなんとも普通でした。
「トランスポーター」で一気にスターダムに上り詰めたジェイソン・ステイサムは、「トランスポーター」のイメージそのままで、上手に映画的記憶を利用した上手い役どころでした。
しかし、変なイメージついちゃうんじゃないでしょうかね。ハンサム・ロブ系のね。
そしてセス・グリーンです。「オースティン・パワーズ」シリーズで、世界征服を目指す悪の総裁の息子と言う複雑な屈折した役所を見事に演じている彼は、彼のイメージぴったりのオタク・キャラを楽しげに演じています。
エドワート・ノートンは、契約の関係で嫌々出演したらしいが、その嫌々感が良い感じで役に生かされているような気がします。「スコア」系かな。
また、好感が持てるのは、チームの役割分担がきちんとされており、その役割が最後まで分担されつづけている点です。
更に、ラストの作戦はかつてのイタリアの作戦の踏襲である。というところも非常に良い印象を受けます。
惜しむらくは、「イタリアン・ジョブ」というくらいですから、舞台をヨーロッパにしていただければ良い映画になったのではないかと思います。
「ボーン・アイデンティティー」系のロケーション効果が欲しかったですね。
あと、チームのメンバーの回想シーンが楽しいです。昔からこんなことやってたのか、という感じですね。「オースティン・パワーズ」系、「スニーカーズ」系のね。
まあ是非オススメの娯楽作品ですね。
爆発シークエンスにスパイダーマンが1カット出てきますが、あれ、何なんでしょう。
本作の原題は"THE ITALIAN JOB"で、マイケル・ケイン主演の1969年イギリス=アメリカ合作のリメイクです。
この作品は「オースティン・パワーズ ゴールドメンバー」のマイケル・ケイン出演シーンで言及されているので、ご関心がある方は是非ご覧ください。
さて、タイトルからわたしが期待したのは、「黄金の七人」系のイタリア映画特有の痛快能天気オシャレでスタイリッシュな泥棒アクション映画でした。
事実オープニング・アクションとラストの見せ場には笑いは無いものの、わたしの期待に沿ったものだったのですが、中盤部分のちょっとしたドロドロ系(復讐とデート絡み)は若干中だるみがし、かつ期待に沿わないものでした。わたし的には痛快能天気に合わないですからね。
しかし、だからと言ってこの作品がつまらない、というのではなく、結果的には大変面白い娯楽作品に仕上がっています。
キャストはもうオールスター・キャストと言っても良いでしょうし、大掛かりなカーチェイスやアクション・シークエンスも良い出来です。
物語は、痛快能天気を期待する向きにはちと不満が残りますが、軽くひねったプロットを楽しむ方には満足が行くものでしょう。
とっても軽い「スティング」系のね。
キャストは、名優ドナルド・サザーランドが少ない出番ながら印象的で、そして大きな伏線となるいくつかのセリフを印象的に吐いています。
主演のマーク・ウォールバーグはチームのリーダー役としてはちょっと弱いかなと思いましたが、まあ沈着冷静な良い味を出しているのではないでしょうか。
シャーリーズ・セロンは最近様々なジャンルで活躍する旬の女優ですが、本作ではなんとも普通でした。
「トランスポーター」で一気にスターダムに上り詰めたジェイソン・ステイサムは、「トランスポーター」のイメージそのままで、上手に映画的記憶を利用した上手い役どころでした。
しかし、変なイメージついちゃうんじゃないでしょうかね。ハンサム・ロブ系のね。
そしてセス・グリーンです。「オースティン・パワーズ」シリーズで、世界征服を目指す悪の総裁の息子と言う複雑な屈折した役所を見事に演じている彼は、彼のイメージぴったりのオタク・キャラを楽しげに演じています。
エドワート・ノートンは、契約の関係で嫌々出演したらしいが、その嫌々感が良い感じで役に生かされているような気がします。「スコア」系かな。
また、好感が持てるのは、チームの役割分担がきちんとされており、その役割が最後まで分担されつづけている点です。
更に、ラストの作戦はかつてのイタリアの作戦の踏襲である。というところも非常に良い印象を受けます。
惜しむらくは、「イタリアン・ジョブ」というくらいですから、舞台をヨーロッパにしていただければ良い映画になったのではないかと思います。
「ボーン・アイデンティティー」系のロケーション効果が欲しかったですね。
あと、チームのメンバーの回想シーンが楽しいです。昔からこんなことやってたのか、という感じですね。「オースティン・パワーズ」系、「スニーカーズ」系のね。
まあ是非オススメの娯楽作品ですね。
爆発シークエンスにスパイダーマンが1カット出てきますが、あれ、何なんでしょう。