夏休みや冬休みの時期になると、本屋の店先には自由研究用の「ペーパークラフト」が並ぶのを見たことがあるだろう。恐竜や機関車、スポーツカーに戦闘機、いろいろな「ペーパークラフト」が販売されるのだ。

「へ〜、こんなちっちゃな冊子でこんな凄いのが出来るんだ。」
そんな安易な気持ちで、この「ペーパークラフト」を購入してはいけない。

もし、あなたが自分のお子様のためにこの「ペーパークラフト」を買ってしまったとしたら、それは切りくずとのり、そして単調な作業の繰り返しの「ペーパークラフト」地獄への片道チケットを買ったも同然なのだ。
直線的なモデルならまだマシだが、曲線的なモデル、例えば恐竜やなんかを購入したとしたら・・・・。
恐ろしくて口にも出来ない惨劇がお宅のリビングに突然乱入なんだよ、諸君!!

しか〜し、最近は夏休みや冬休みなんかを待たなくても、素敵な「ペーパークラフト」を入手できるのだ。しかも無料で!!

例えば、
http://www.nissan.co.jp/EVENT/PAPERCRAFT/
ココでは、NISSANの33車種の自動車の「ペーパークラフト」が無料でダウンロードできるのだ。

で、最近知ったのが、ココ
http://www-6.ibm.com/jp/event/museum/
「しくみのへや」で、なんとIBM ThinkPadの「ペーパークラフト」が無料ダウンロードできるのだ!!
これは凄いぞ!
何しろ、パソコンのひみつまで入手できるのだ!
このモデルはノートパソコンのモデルなので、比較的直線的なモデルで、多分「ペーパークラフト」初心者の皆さんでも、きっと完成までたどり着けるに違いない!と思う。

さあ、今度の三連休は「ペーパークラフト」三昧だ!!

因みに、IBM コンピューター・ミュージアムの「しくみのへや」はjava版の方がカッコいいよ。
e-learningにもなってるしね。

Acrobat Reader
http://www.adobe.co.jp/products/acrobat/readstep.html
わたしの家には、サボテンの鉢がある。
昨年の秋、現在の住居に転居した際、友人から贈られたものである。

そのサボテンには「お手入れ方法」が明記された札が付いてきていた。砂漠に育つサボテンに対し「お手入れ方法」もないだろうと思ったのであるが、サボテンを栽培するのは、初めてということもあり、「お手入れ方法」に従うことにした。

「お手入れ方法」曰く、

お手入れ方法:日当たりの良い暖かい窓辺や室内に置いてください。夏の強光下は半日陰に置いてください。

水やり:春〜秋は用土の乾き具合に応じて1週間に1回与え、冬季の休眠中は月に1度用土をしめらせる程度与えてください。

ということなのである。

わたしはサボテンに対し、週に1度は欠かさず水をやり、天気の良い日は庭に鉢を出し、日光浴をさせていた。
そして夏の期間は家の中に置き、直射日光を避け、
冬の期間は勿論水やりを控え、暖かい室内に鉢を置いていた。

それから1年、友人から贈られた当時は、鉢を含めて身長65センチ程度だったのだが、うちのサボテンくんは、育ちに育ってなんと身長が90センチにも達してしまった。
最初は、なんとなくがっしりしていたサボテンくんの体躯は、今ではなんだかヒョロっとした感じに変貌してしまっているのだ。

わたしの友人の中には、サボテンを枯らしたことがある、という女性がいたのだが、うちのサボテンは、枯れるどころか、滅茶苦茶成長してしまっているのだ。

今は冬季期間と言うこともあり、あまり水をやらずに暖かくして育てている。
サボテンくんの現在の定位置は、ローボードの上、液晶テレビの左である。
どこまで育っていくのか、楽しみでもあり、怖くもありである。

なにしろサボテンには霊感がある、という話であるから・・・・。

マンガ「ブラック・ジャック」の「木の芽」というエピソードを思い出した。
現在、RPGと言えば、多くの皆さんは、ドラクエやFFのようなコンピュータ・ゲーム(ビデオ・ゲーム)のロープレを思い浮かべるだろう。
しかしながら、最高のRPGはなんと言ってもテーブルトークのロールプレイング・ゲームなのである。

テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームとはTRPGと呼ばれるゲームで、一言で簡単に言うとロール(役柄)をプレイする「ごっこ遊び」なのである。しかしながら、その「ごっこ遊び」も世界観を牽引し、プレイヤーの全ての要求に対処できる強力なゲーム・マスターが存在するならば、それは最強で、最も面白いゲームとなりうるのである。
なにしろ、そのゲームは無限の選択肢と無限の可能性を秘めているのだから・・・・。

そんなわたしは学生時代、テーブルトークのロープレをよくやっていた。当時は1回のゲーム・プレイに非常に多くの時間(数時間〜数十時間)を費やす事が一般的であったため、友人宅はわたしの自宅に泊り込み、1週間程度ぶっ続けでゲームを行なうこともしばしばであった。

ところで、当時のわたしは、年間100本程度映画を観、100冊程度本を読む生活をしていた関係上、オリジナルのシナリオを創りゲーム・マスターを行なうことが何度かあった。
ゲームの世界観を創出するのは、大変ではあるが、非常に楽しい作業でもあった。
百科事典や、神話の書籍、中世の紋章や武器の書籍、神話的普遍的な物語から、マザー・グース的な詩までを調べ、世界観を練り、世界観やシナリオを創ったのである。

そして、学生時代のロープレの常連は社会人となり、その一人はSEとなり、また一人は学習塾の経営者となり、また一人はゲーム業界に進んだ。

そのゲーム業界に進んだ友人の最初の大仕事は、とあるネットワーク上のゲームのメインのマスターの役柄であった。彼はゲームのコンセプト創りから、ゲームの概要、そして細かいシナリオ創りまでを、つまれり全てを担当していたのである。
わたしは、彼の要請でゲームのコンセプトの創出と、シナリオ概要に関する意見を提出し、ゲームと世界観、かつての神話的概要創りに協力した。
彼にとっては、学生時代のわたしのオリジナル・シナリオが非常に興味深かったようなのである。

彼は、そのゲームを感性後、ゲームからスピンアウトした小説を執筆し、また世界観をまとめた書籍のプロデュースを行なった。
しかしながら、彼はその後、ネットワーク・ゲーム会社を退職し、現在はフリーで所謂パソコン上のエロ・ゲームのライターをしている。
謎の上映会、東京有楽町朝日ホールで、「マイノリティ・リポート」を観た。
「マイノリティ・リポート」について、お話をするのは、現状ではネタバレが必須と思われるので、後日にきちんとお話したいと思います。
語りたくなる映画ではありますが・・・・。

忘年会ラッシュ

2002年12月14日 日常
先日「ディナー・ラッシュ」という映画を見た話はお伝えしたが、現在わたしは忘年会ラッシュ状況に陥ってしまっているのだ。

先週の13日の金曜日は、新宿のとあるバーで忘年会があり、土曜日は府中の友人宅で鍋パーティー的忘年会、日曜日は有楽町で映画の上忘年会があり、月曜日は代官山で忘年会の予定なのだ。

そして次の忘年会は、三浦海岸での研修旅行忘年会だったりする。

そんな毎日です。
わたしは学生時代学内の映画制作サークルに属しておりまして、監督(脚本、演出、編集等)として何本かの作品を制作しています。
そのメディアは、ビデオではなくフィルムで、その制作は勿論ノンリニア編集の環境です。

納得がいくまで何度でも編集を繰り返すという、フィルムの制作スタンスから、わたしはノンリニア以外の編集で作品を制作する気にはなれなかったため、なかなかフィルムの制作に足を踏み入れることはできなかったのですが、近頃はノンリニア編集の機材が従来と比較して非常に安価に入手できることもあり、最近趣味(と実益をかねて)でショート・フィルムの制作を始めました。

とは言っても、わたしは社会人ですからスタッフとキャストを何十人も集めて、フィルムの制作を行なうことは非常に困難ですから、例えば社会人サークルの入会用プロモーション・ビデオなんかを制作しており、今後はインディーズ・バンドのプロモーション・ビデオ等の制作を企画しています。

さて、そんな環境での本題"Stephen King’s Rainy Season" ですが、これはホラー作家スティーヴン・キングの短編小説を、WEB上で無料公開することを目的として制作されたショート・フィルム
で、12月13日(金)からifilmというサイトで公開が始まりました。

物語は、70〜80年代の動物パニック映画と、ジョード・A・ロメロのゾンビものの影響下にあるような作品で、とあるカップルが7年に一度「雨期」がやってくるある街を訪問し、そこで体験する恐怖の一夜を描いたもので、翻訳は文藝春秋刊「ヘッド・ダウン」に収録されています。

さて、"Stephen King’s Rainy Season" ですが、登場人物はわずか4名、舞台も2〜3ケ所ということである種学生映画にも似た、比較的チープな印象を受けます。例えば冒頭のスクリーン合成のずれとか違和感、またラストの「雨期」のシークエンスとか・・・・。
しかし、そのチープさ加減が、この物語の、良い意味でのB級ホラームービー的テイストとして良い印象を与えることになっています。

物語は、その「雨期」の到来が全てですのでストーリーに触れることは出来ないので、詳しくは紹介できませんが、所謂B級ホラーや、「ゾンビ」等の映画また、動物パニック映画が好きな方は、是非ご覧になってください。音声は英語で字幕はありませんが、そんなに難しいことは言ってませんので、大丈夫だと思います。
無料ですしね。

"Stephen King’s Rainy Season"のサイト
http://www.rainyseasonmovie.com/

ifilm
http://www.ifilm.com/

スティーヴン・キングのオフィシャル・サイト
http://www.stephenking.com/

スティーヴン・キング研究序説
http://village.infoweb.ne.jp/~tkr/king/kingtop.htm
ノーマン・マクリーン著、渡辺利雄訳「マクリーンの川」を読了した。

この「マクリーンの川」であるが、映画ファンの皆さんは既にご承知のように、ロバート・レッドフォード監督作品、「リバー・ランズ・スルー・イット」(出演:ブラッド・ピット、クレイグ・シェイファー、トム・スケリット)の原作小説なのである。
そしてこの小説は、映画でクレイグ・シェイファーが演じたノーマン・マクリーンの自伝的小説なのである。

物語は、長老教会派の牧師でフライ・フィッシングの名手であるトム・スケリット演じる父親の元で宗教と同レベルでフライ・フィッシングの手ほどきを受けたノーマン(クレイグ・シェイファー)とポール(ブラッド・ピット)と、彼らマクリーンの川と最早神格化されたフライ・フィッシングを取巻く家族愛、兄弟愛、そして絆の物語なのである。

映画は、アカデミー撮影賞を受賞した程の大変美しい映画である。
フライ・フィッシングに限って言えば神の寵愛を受けてはいるのだ、人間的にはダメな人物であるポールの悲劇的人生を、兄ノーマンの視点で語っている、物語は若干盛り上がりに欠けるが、非常に詩的で叙情的な味わいのある、素晴らしい映画である。
わたし的には、映画の舞台であるモンタナの渓流でフライ・フイッシングのリーダー(透明な糸)が飛びかうだけで、感涙ものの素晴らしい映画なのである。
川の水を弾き飛ばしながら円を描くリーダー。
素晴らしいのだ。

映画ではフライ・フィッシング以外は、典型的なダメ人間であるポールを演じたブラッド・ピットが評価されがちな映画ではあるが、わたし的には前述のマクリーンの川が属しているモンタナの風景は勿論のこと、彼らの父親であるトム・スケリットが大変素晴らしい。本当に素晴らしい。ダメな息子を愛し、フライ・フィッシングを愛する厳格な父親を演じきっている。

小説は、ほとんど映画と同じストーリーで、−−というより、映画が小説を忠実に映画化した、というべきなのだが−−まあ正しい表現ではないが、映画の追体験が出来る事をお約束できる作品になっている。

フィッシングに興味の無い読者には、フライ・フィッシングの丁寧な描写に辟易とするきらいもあるが、その辺を乗り越えられれば、誰にでもお勧めできる素晴らしい作品なのだ。

なんだか映画の話ばっかりですね。
わたしは飛行機が好きである。
特にジェット戦闘機が好きなのである。
これはわたしが生まれた街に由来するのかも知れない。

わたしが生まれた街には民間の空港があり、そして航空自衛隊の基地があった。
わたし達は物心ついた頃から、既にジェット機が身近にある生活をしていたのである。

窓は防音のための二重窓が普通で、電波の干渉と騒音のためNHKの受信料が安い。
領空侵犯があれば、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル発進し、夜間の発進ではアフター・バーナーの炎が視認出来るのである。

年に一度の航空ショーでは、航空自衛隊のブルー・インパルスの展示飛行があり、ヘリコプターによる救難訓練演習やなんかが行なわれる。

わたしの記憶にある最も古いジェット戦闘機は、F−86Fセイバーだが、実際飛んでいるのは見た事が無いのではないかと思う。次に古いのはF−104スターファイターで、これはわたしが幼稚園時代に飛んでおり、友達の誕生日祝いのプレゼントに、銀メッキのスターファイターのプラモデルを贈った記憶がある。
その後はF−4EJファントム、そして現行のF−15Jイーグルである。

航空ショーになると、日本の航空自衛隊の飛行機以外にも、様々な飛行機の展示が行なわれる事がある。例えばF−16とか、A−10なんかも来たことがあったりする。

また、子供たちの間では、ジェット機の墜落現場と言われている、ジェット機の残骸が放置されているような空き地もあったりする。
余談だが、そこでF−104のエンジンの製造プレートを機体から剥がして持ってかえる途中自転車から落ちて、骨折したこともあったりする。

まあ、その辺の話をし始めると長くなるので、この辺でやめておくことにする。

さて、本題であるが、わたしは食玩コレクター的な趣味も持っている。
最近はまっているのは「チョコエッグ世界の戦闘機シリーズ」である。
会社の友人がはまっている。という話を聞いていたのであるが、以前のように海洋堂がやっているわけではないのだ、自分では多分買わないな、と思っていたのだが、ためしに買ってみると、出てきたのはF−4ファントムである。なんだか因縁めいているが、わたしの生まれた街で沢山飛んでいたジェット戦闘機である。フィギュア(?)の出来はまあ良い出来なので、最近毎日のように少しずつ購入してしまったている。困ったもんなのである。

ホントに困ったもんである。
先ごろ国内版が発売された「ロード・オブ・ザ・リング」スペシャル・エクステンデッド・エディションDVDの本編を通して観た。

スペシャル・エクステンデッド・エディションとは、劇場公開版やコレクターズ・エディションDVD版といった従来版でカットされていたシーンを復活させ、また従来のシーンに新たなカットを加え再編集を行い、場合によっては再録音や、音楽については場合によっては新録した音源を加えたもので、「ロード・オブ・ザ・リング」の決定版とか、ディレクターズ・カットと言われるべき版であり、監督のピーター・ジャクソンは、「指輪物語」三部作の第二部となる「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」は、このスペシャル・エクステンデッド・エディションの続きである。と公言しているらしい。

因みに「ロード・オブ・ザ・リング」の本編は、
劇場公開版:178分
コレクターズ・エディションDVD版:178分
スペシャル・エクステンデッド・エディションDVD版:208分
という訳で、今回の版は従来版より時間にして30分長い版ということになります。

わたしはJ・R・R・トールキンの原作「指輪物語」のファンで、今回のピーター・ジャクソンによる映画化については、−−勿論「ロード・オブ・ザ・リング」(「旅の仲間」)についてであるが、−−現在望める最高の映画化作品で、原作ファンにとっても満足できる映画化と言えると考えています。原作ファンのイメージを崩さず、最大限汲んだ映画化だと思います。

勿論物足りない部分はありますし、映画化にあたりカットされたファンにとっての重要なシークエンスはありますが、あの長大な作品の全てのシークエンスを余さず映画に盛り込むことは物理的に不可能なのですから、その辺は斟酌する必要があると思います。そういった状況での最高の映画化だと言うことです。

内容については、より完璧な映画化に近づいたという印象を受けた。
特に印象的な変更点は冒頭のプロローグにおける一つの指輪のゆくえと、ビルボの執筆風景からはじまる本編、ホビット達の酒場、モリアの直前のミスリルに関する会話、ガラドリエルからの贈り物のシークエンス、去りゆくエルフたち、あとはアクション・シークエンスである。

特にビルボの執筆風景からはじまるシークエンスは素晴らしい。執筆風景からホビットたちの生活、ガンダルフの到着にいたるカットバックは物語の導入部分として素晴らしい効果をあげている。

また、劇場公開版ではカットされていたレンバスやエルフのマントをガラドリエルから贈られるシークエンスが復活し、ギムリとエルフの奥方そして、ギムリとレゴラスとの今後の関係の伏線となっている、素晴らしいシークエンスとなっている。

あと印象的なのは、アクション・シークエンスが長くなっており、物語に厚みを加えている。モリアでの戦いや、ボロミアのシークエンスである。

あと驚いたのは、ラストについているオフィシャル・ファンクラブ・クレジットである。おそらくオフィシャル・ファンクラブに加入している人たち全員の名前をクレジットとして表示しているのだろうと思われるが、なんと15分以上あるのである。これが、本編の208分に含まれているとしたら、非常に残念である。何しろ、訳わからん名前の羅列にとってつけたような音楽がついているのであるから。

今回見直して思ったのは、人間の代表であるボロミアの描き方である。
人間のメイン・キャストはボロミアとアラゴルンが居るわけですが、従来版をステレオタイプ的に観るとアラゴルンは善、ボロミアは悪的な印象を受ける方が多いと思いますが、今回の版によって、ボロミアは誘惑に弱い人間ではあるが、立派な人間としてわかりやすく描かれている。
特にホビット達との関わりにより、優しく頼りがいがある人間として、またアラゴルンとのかかわりにとって、優秀な戦士として、またギムリやレゴラスとのかかわりによって、旅の仲間としての協調性やパートナーシップが描かれている。

やっぱ、わたしたちは人間だなあ、と思ってしまうのだ。

「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」を観る前に、是非観ていただきたい一本である。

「ロード・オブ・ザ・リング」スペシャル・エクステンデッド・エディション
"THE LOAD OF THE RING THE FELLOWSHIP OF THE RING SPECIAL EXTENDED DVD EDITION"
2001年アメリカ作品
ニューライン・シネマ作品
監督:ピーター・ジャクソン
出演:イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、リヴ・タイラー、ヴィゴ・モーテンセン、ショーン・アスティン、ケイト・ブランシェット、ジョン・リス=デイヴィス、ビリー・ボイド、ドミニク・モナハン、オーランド・ブルーム、クリストファー・リー、ヒューゴ・ウィービング、ショーン・ビーン、イアン・ホルム
字幕:戸田奈津子
字幕協力:田中明子
スコープサイズ
ドルビー・デジタル・サラウンド5.1chEX/dts6.1chサラウンド
マンガ「ヒカルの碁」の影響で、世の少年少女達に囲碁ブームが来て久しい。
ご多分に漏れず、わたしも「ヒカルの碁」の影響で今年の春頃、囲碁を始めました。
しかしながら、周りに囲碁をやっている友人もそれほど居ず、仕方が無いのでパソコンや、ゲーム機と打ったり、WEB上で対戦できるサイトで見ず知らずの人と「ネット碁」を打ったりしています。

そんな状況の中、わたしにとって新たな囲碁の形態である「メール碁」をはじめました。
まあ賢明な読者諸君は既にご推測されているかと思うが、ただ単に一手ずつ手をすすめてメールのやりとりで碁をする。というものです。

以前は遠く離れた人と葉書を使って囲碁や将棋の対戦をする事があったようだが、現在はネットのおかげで、そういった形態の囲碁も非常に容易でかつ安価に出来る事になった訳です。

この「メール碁」の特徴ですが、メールのやりとりで碁をやる訳ですから、戦局を見てゆっくりと考え、場合によっては手を試行錯誤しながら碁を打つ事が出来るのです。
ですから、ゆっくり打つことによって、おそらく最良の手と最良の手の戦いが実現する訳です。
ネットの接続環境によって左右されるが、1日数手しかすすまないこともありますが・・・・。

ご関心をお持ちの方は、是非やってみてはいかがでしょうか。
普段ならおそらく見逃してしまうような部類の映画でしたが、まぐれさん(http://diary.note.ne.jp/28556/)のコメントを読んで、折角だからと思い、観ることに決定した。劇場はシネ・スイッチ銀座。

まずびっくりしたのは、前売券が2種類あるところ。銀座の地下のチケットぴあでチケットを2枚頼むと、出てきたのは、ナイフとフォークとスプーンだけの同じビジュアルの青い前売券と、オレンジ色の前売券。
ああ、この映画の配給に力を入れているのだな。という印象を受けました。

で、開演5分前に劇場に到着。普段は結構観客が並んでいる劇場なのですが、わたしは今回は比較的すいており、ほぼベストの位置に陣取ることが出来ました。

物語は、ブックメイカーを営みつつイタリアン・レストランを経営するダニー・アイエロとその息子でありその店のシェフで父親の引退と店の経営権を狙うエドアルド・バレニーニと、賭けの泥沼にはまっている副シェフであるカーク・アセヴェド。その3人を中心にすえ、その夜レストランを訪れる様々な客が織りなす様々な群像ドラマ。まあ所謂グランドホテル・システムを踏襲した映画である。

その群像ドラマは、クイズ狂のバーテンダー、スノッブなギャラリーのオーナーとその取巻きアーティスト達、変装して来店する料理評論家とその友人、食事のためたまたま店に来た金融マン、二人の義兄弟イタリアンマフィアと、オーナーのパートナー殺しを捜査する刑事夫妻、殺されたパートナーの娘と孫・・・・

前半のメインのエピソードは、有能で昔ながらのイタリアン・レストランを目指すオーナーの意向を汲む副シェフの最早病的な賭けとその胴元である2人のイタリアンマフィアが中心であるが、後半は、オーナーと新しいスタイルのレストランを目指すその息子の確執の解消にフォーカスをあて、その浄化のシークエンスでは感動ヒューマンドラマの様相を呈しており、事実涙の2〜3滴は余裕でお約束できる演技となっているのである。
しかしながら、ラストは観客の多くの意表をついた人物が全ての問題を解決してしまい、キャストのほとんどがイタリア人という環境での折角のヨーロピアンテイストの映画が、普通のハリウッド映画的結末に落ち着いてしまうのが、ちと残念だと感じた。

ところで、物語上では、オーナーの息子のシェフは一見あまり良い人物ではないような印象を受けるかも知れないが、実は凄く良い人物であることをお知らせしておきましょう。
副シェフは物語の中では、オーナーのもうひとりの子供、まあいってしまえば養子のような関係で、実の息子に厳しくあたり、養子に普通にあたってしまう、良い父親の役割を振られているのである。

イチオシのシークエンスは、シェフと副シェフの息のあった、相手を信頼しきっている料理場面と、店を譲ることを息子に話すシークエンス、トイレへの階段を遮断するパートナー、といったところかな。

という訳で、オーナーと角の席に陣取る、オーナーのもうひとりのパートナーがラストで一番美味しいところを持っていったな。と思いました。

例によって、映画的記憶の話であるが、今回は主演のダニー・アイエロであるが、リュック・ベッソンの「レオン」の記憶が甦るのである。

「ディナーラッシュ」
"dinner rush"
2001年アメリカ映画/35mm/カラー
アメリカン・ヴィスタ/ドルビーSRD/5巻/2,722m/99分
監督:ボブ・ジラルディ
出演:ダニー・アイエロ、エドアルド・バレニーニ、カーク・アセヴェド、ヴィヴィアン・ウー、サマー・フェニックス、ジョン・コルベット、マイク・マッグローン、マーク・マーゴリス、サンドラ・バーンハード、ポリー・ドレイパー、ジェイミー・ハリス

ちと酔っ払っているので、支離滅裂な文章だったらすいません。
12月6日は、「エピソード2/クローンの攻撃」のDVDの発売日だったので、とりあえず有楽町のビックカメラに行ってみた。
長蛇の列だったりで、あきらめて池袋のビックカメラへ行った。まあそこそこの列だったので、欲しかったDVDと共に何枚かのDVDを購入した。

で、本編を通してみたのであるが、やっぱりダメな「スター・ウォーズ」映画だった。
根っからの「スター・ウォーズ」ファン的には、観客としての習熟の度合いがそうさせるのか、はたまた大人になってしまったからなのかわからないが、ダメである。勿論物語はある程度面白いし、映像も方向性はあまり評価はしないがまあ良いだろう。音楽はジョン・ウィリアム節爆発で、往年の三部作を彷彿とさせる。
一番の不満は、やはり主役のハイデン・クリステンセンの口半開きの笑顔かな。

でも、勿論「スター・ウォーズ」ファンのわたし的には、

20世紀FOXのファンファーレ
遠い昔はるかかなたの銀河系にて
スター・ウォースのロゴ
オープニング・タイトル、状況説明
〜本編〜
アイリス・アウト
エンド・クレジット

という様式美だけでも許してしまうわたしが居るのだ。
事実エンディングからのアイリスアウトからジョン・ウィリアムスのエンド・タイトルで、ああ良い映画だったなと思ってしまうのだよ。これが。

ファンタジーならファンタジーで構わないのだが、中途半端に物語を難解(?)にしてしまう脚本もちょっとまずいかな。
映像や音楽を含めたカットの完成度は高いと思うのだが、編集や、映像のクオリティのギャップ等、改善すべき点は山盛りだと思うけど、まあこの「スター・ウォーズ」体験が将来の大人たちに与える影響は多大だと思うので、概ね良しとしましょう。

余談だが、先日友人からの電話で首都圏だか大都市限定で、来年3月公開の「OO7ダイ アナザー デイ」の前売りを購入すると、DVDが付いてくるので買ってくれと指令がきたので、とりあえず有楽町方面へ行ってみた。
来年の3月公開という話なので、どこの劇場でやるのかもわからず、とりあえずマリオンの窓口で聞いてみた。
その結果、隣の丸の内リーブルで前売りを扱っているという情報を得、隣の窓口に行った。
で、件の話を聞いてみると、窓口の女性も驚き、なぜなら、今DVDが届いたばかりで彼女は今、ダンボールを開封していたところだったのである。
という訳で、わたしは丸の内リーブル的には、一番乗りでDVDをゲットしたのである。
DVDは例によってまだ未開封である。
わたしは、比較的たくさん本を読むタイプで、外出時も常に読書用の本を持ち歩いているので、外出先で本を読み終わることもしばしばです。
そんな時、わたしは外出先で、帰宅時の電車内で読むためのいわば緊急読書本を購入することが多いのです。
まあ、2冊以上本を持って歩けば良い訳ですが、いつも2冊だと大変なので、今日あたり読み終わりそうだという想定のもと、2冊持っていくという事も可能ですが、そんな面倒なことは一切しないのがわたしなのですよ。
その場合、わたしが購入するのは大抵、比較的古い本を購入するようにしています。
新しい本は、普通に購入しているので、緊急読書本は、人類が創出した過去の遺産を読むことにしている。ということです。その場合、読みたければ、既に持っている本を購入することもあります。

前置きが長いですが、先日外出先で購入した緊急読書本「何かが道をやってくる」を読了しました。
最早紹介の必要が無い、叙情詩人的SFファンタジー作家であるレイ・ブラッドベリの傑作ファンタジーである。

SF小説というと、残念ながら読者を選ぶカテゴリーだと思いますが、SFファンタジー小説は、普遍性があり、ほとんどすべての読者に受け入れられるジャンルだと思います。
このブラッドベリの小説はSF小説ファンだけではなく、あまり読書をしていないような人にもオススメできる作家の一人だと思います。

物語は、少年から大人への過渡期にある二人の少年と、もう老年にさしかかった、一人の少年の父親と、数十年おきに街にやってくる謎のカーニバルを率いる刺青の男との対決を描きつつ、大人への階段を上ってしまう少年達と、かつての少年の心をとり戻す老人とを鮮烈なまでに叙情的に描写している。

以前とある読書系の集まりで、この物語は、少年時代に読むべきだ、という話もでてましたが、今回大人になった後で再読してみると、感情移入は少年達ではなく、その老人(実際は54歳の設定で、現在では壮年というところであろうか。)に見事に感情移入し、上手くいけば大人の読者は登場人物同様、少年の心を取り戻すことが出来るのです。

詩的な表現の小説は若干とっつきにくい事もあると思いますが、是非ご一読をオススメします。

「何かが道をやってくる」
レイ・ブラッドベリ著
大久保康雄訳
創元SF文庫
先日お伝えした通り、我が家ではホームシアター計画が着々と進行しているのだ。
一昨日の時点では、AVアンプと5.1chのスピーカー・セットを注文したところまでお伝えしたのであるが、世の中便利なもので、注文日を含めて3日で我が家にホームシアターがやって来た。

今回購入したのは、DENONのDHT-300-Sというタイプで、製品コンセプトは、「手軽にはじめる。気軽に楽しむ。5.1chホームシアターシステムのコンパクト&シンプル・パッケージ”DHTシリーズ”」と言うもので、手軽な入門機でありながらパワフルで高品質。という感じのものである。

今回AVアンプを購入するにあたって、各社のAVアンプをいろいろ比較検討したのであるが、何故このタイプにしたかというと、とりあえず入門機の中では一般家庭での使用を考えると十分なパワーを持ち、かつスピーカー部に本格的な木製キャビネットを採用しているところに惹かれてしまったのである。勿論音響メーカーの製品である。というところも重要視したのであるがね。

で、到着即セッティングであるが、感想を一言で言うと「すげえ!」である。
まあ音が違うだけでココまで違うかというぐらいの素晴らしい音場の再現なのである。
特にdts対応ソフトの音響は素晴らしいものがある。

わたしは基本的に、映画は劇場で。というタイプでして、レンタル・ビデオを借りる習慣も無く、DVD等のソフトも買ったままあまり観ない、という所有だけして満足してしまうタイプ(だって劇場の方が良いんだもん。)だったのですが、これからは自宅でもDVD等で映画を視聴する機会がどんどん増えそうな予感ですわ。

次は大画面液晶かプラズマですね。

今日拾い観したDVDソフトは、
「ロード・オブ・ザ・リング」
「エピソード1」
「モンスターズ・インク」dts
「猿の惑星(バートン)」dts
俗に、人類最良の友である犬は一宿一飯の恩義は忘れないと言いますよね。
一方、猫はそんなこちゃあ覚えちゃいない、というのが一般的な考え方ですよね。

さて、本題です。
わたしのうちにはとってもちいさな庭がありまして、何故だか知りませんが、庭の端っこの成長しきってしまった芝生付近が、とある野良猫の散歩道になってまして、まあ大体夕方くらいにその猫がやってくるわけです。
最近は寒いせいか、庭にたまたま置いてあるダンボールを風除けにしてぬくぬく暖まったりしながら寝たりしてます。因みに視線は窓の中です。
で、わたしが窓を開けるような気配でもたてようもんなら、うちの中に乱入する気まんまんで、目を輝かせ、わたしの動きを伺ったり、狙ったりしています。うちの窓は全開にするとオープン・カフェみたいな感じになるため、洗濯物を取り込んだりする際が、猫侵入の最大のピンチだったりします。

まあ、わたし的には別に餌付けをしている訳ではないのですが、ときどきケンタッキー・フライドチキンの食べ残しとか、秋刀魚の缶詰とか、餌をやったりしているのです。

そんな中、先日友人夫妻とその娘(12ケ月)が遊びにきまして、夕方になり例の野良猫がルートに登場、窓越しにわたしに餌をくれとなきながら訴えるのです。
これが面白いことに、完全にわたしの方を見て可愛げにアピールするのですよ、これが。野良猫をよくよく観察しても、他の人たちには一切アピールをしないのです。まあ贔屓目だろうと思う方もいらっしゃると思いますが、友人夫妻とお子様の一致した意見でわたしのみにアピールしている。という結論に達しました。

で、結論ですが、わたしが思うに、猫もやはり一宿一飯の恩義は忘れない。ということでした。
大昔、新橋だったか有明だったかパナソニックのショールームがありまして、ルーカス・フィルムとパナソニックが共同開発したTHXサウンドシステムのショールームに行って以来、自宅にホームシアターを作るのが夢でした。

その頃は、今と違いLDを主体としたパッケージで4chのサラウンドのホームシアターを実現するためには、100万円程度のお金が必要でしたが、DVDの普及と5.1chの標準化のおかげで、現在は非常に安価にホームシアターを作ることが可能になってきました。
DVDプレイヤーさえあれば、最も安いパッケージで1万円程度で5.1chの実現が可能となってきています。
勿論ここまでの話は、サウンド・システムのみのお話ですけどね。

で、この度機会があって、AVサラウンドアンプと5.1chスピーカーシステムを購入することにしました。
当初DVDプレーヤーを購入する際、当時としては結構高級機のdtsと5.1chのドルビー・デジタルのデコーダー内蔵のデッキを購入したので、ただ単にスピーカーを沢山つなげば5.1chのサラウンドが実現する訳なのですが、やはりある程度しっかりしたAVアンプが欲しくて、しばらく様子見をしていたのですが、引越とAV用のローボードの購入と共に、5.1chのホームシアター計画を発動しました。
実際は注文しただけで、まだ届いていないのですけどね。

モニターは、しばらく前からブラウン管を処分し、現在は液晶ディスプレイを何台か使っているのですが、手が届く液晶は20インチ程度で、なかなか大画面の液晶やプラズマを購入することは出来ず、−−何しろまだまだ高いのだ。−−どうしようかと思っているのだが、先日購入したAV用のローボードも50インチクラスのプラズマ対応サイズのものを購入し、大画面の準備は万端なのである。外堀だけだけどね。

次回購入は、37インチの液晶か、42インチクラスのブラズマハイビジョンが欲しいな。と思う今日この頃なのである。

なかなか決心がつかないけどね。
子供の頃テレビ・シリーズ「刑事コロンボ」をよく観ていた。
「刑事コロンボ」はウィリアム・リンクとスティーヴ・レビンソンという二人の脚本家が創出したキャラクターで、ロサンゼルス市警察の刑事という役柄を与えられている。とは言うものの、実際コロンボはルテナント・コロンボであるから、階級的には警部補ということになる。

何故今更「刑事コロンボ」の話をしているかというと、わたしは毎週月曜夜スーパーチャンネルで「エンタープライズ」を観ている訳だが、その「エンタープライズ」の直前の枠でなんと「新・刑事コロンボ」が放映されているのである。そんなこんなの関係で、わたしはここしばらくの間欠かさず「新・刑事コロンボ」を観ていることになってしまうのだ。

「刑事コロンボ」の事を紐解いてみると、話数は第7シーズン全45話あるわけで、米NBCで1968〜1978までの間に放映されていたのだが、この「新・刑事コロンボ」は、「刑事コロンボ」の人気を受けて放映終了の10年後、1989年から米ABCで放映されたテレビ・シリーズなのである。
実際のところ何話あるのか知らないが、やはり今更コロンボでもなく、結構不運なシリーズだったようである。

そのせいもあってか、この「新・刑事コロンボ」を観て感じるのは、残念ながらあまり面白くない。ということである。
特に感じるのは音楽がダメだ。ということである。
ピアノピロピロの押さえ気味のシックな感じが懐かしいのだ。

で、物語は例によって倒叙式(最初に犯人がわかっているパターンね)のミステリーで、ご存知のようにコロンボが犯人を自白に持ち込むまでを描いている。
コロンボの風采はあがらず、よれよれのレインコートと葉巻とチリを愛し、ドッグという名の犬を飼い、車は廃車寸前のプジョーのコンパーチブルに乗っている。

どうせなら、何度も再放送で観てるわけだが、旧「刑事コロンボ」を放映して欲しいものだね。
今日12月1日は、神奈川県相模湖ピクニックランドでMTBレースが行なわれてました。

わたしは当初からレース自体へは不参加の予定でした。わたしが参加しているMTBチームの皆さんは、全部で4チーム参加する予定ですが、結局は雨天のため、全チームとも棄権ということになりました。残念ですね。

さて、今回以前から観たい観たいと思っていた「オープン・ユア・アイズ」を観る機会がありました。
この「オープン・ユア・アイズ」はトム・クルーズの「バニラ・スカイ」のモトネタ映画で、「バニラ・スカイ」が好きなわたしは公開当時から、この「オープン・ユア・アイズ」を観たくて観たくて仕方がなかったのですが、ビデオをレンタルする、という習慣のないわたしは、なかなかその機会がありませんでした。
で、たまたまCATVで放映があることを知り、観ることが出来ました。

物語の内容には触れませんが、何故トム・クルーズは「オープン・ユア・アイズ」をリメイクし「バニラ・スカイ」を作る必要があったのか大いに疑問です。何しろ、何から何までほとんど同じなのですから。わたしにはこの「オープン・ユア・アイズ」のリメイクの必要性や意義を見出すことは残念ながら出来ませんでした。

と考えるとやはり「オープン・ユア・アイズ」は偉大な映画だったのだとと思わざるを得ませんし、リメイク作の「バニラ・スカイ」を好きなわたしは、トム・クルーズになんとなく裏切られたような気もします。

まあ、機会がありましたら、2本を見比べてみると面白いのではないでしょうか。

「オープン・ユア・アイズ」
"ABRE LOS OJOS"
"OPEN YOUR EYES"(アメリカ公開時のタイトル)
1997年スペイン映画
監督:アレハンドロ・アメナバール
出演:エドゥアルド・ノリエガ、ペネロペ・クルス、ナイワ・ニムリ
上映時間:1時間57分
Dolby Digital
アーシュラ・K・ル・グィンの「世界の合言葉は森」を読了した。

とある掲示板で、宮崎駿がある雑誌で「指輪物語」を批判した件について、「指輪物語」ファンと宮崎駿の信奉者が討論してまして、その中で、ル・グィンの「ゲド戦記」についての話もありまして、ちょっとル・グィンの作品を読んでみようと思い「世界の合言葉は森」を手にとった。

この書籍にはル・グィンの中編2作品が収録されており、それらは表題作である「世界の合言葉は森(小尾芙佐訳)」と「アオサギの眼(小池美佐子訳)」である。

「世界の合言葉は森」
物語の舞台はとある植民星。人類はこの惑星を勝手に植民星とし、土着の種族を奴隷として使役していた。
ある事件をきっかけに、その土着の種族は人類に叛乱を企て、結果的にその惑星を制圧し、人類がその惑星を去るまでを描いている。
その種族は所謂無抵抗主義の種族で、人類にいいようにこき使われている。彼等にとって、それだからといって、特に問題はないのである。
また、彼等は現実の世界と夢の世界を同程度の確かさで生きているのである。
人類の多くはタカ派的な存在として描かれており、また女性の扱いは植民星の人類の繁殖用の女性という描写によるもので、物語の中の人類は完全な男性社会となっている。この辺が、女性作家でフェミニストであるル・グィンの作品として非常に興味深い。
女性の存在は人類の女性というより、土着の種族の女性の方の描写に力を入れているようである。
物語の主人公はその種族の女性をレイプし、その夫と乱闘を演じ、それが引き金となり、人類にとって最悪のカタストロフィーを招いてしまうのだ。
物語のモチーフとしては、南北戦争時代の黒人と白人の関係をモチーフとしているのかも知れない。

「アオサギの眼」
物語の舞台はとある流刑星。
当初、流刑星として開発された惑星に、人類は移住を始める事となった。
その惑星で数世代の時代が流れ、かつてこの惑星が流刑星であり、自分達は犯罪者の子孫かあるいは、その後の入植者達である記憶が薄れてきている中、二つの街の間で諍いが起きる。一方は新天地を目指して街を出ることを望み、他方はそれを諌めることとなり、その対立は日増しに強力になり、軍隊(?)の出動を辞さないようなところまで発展してしまう。しかしながら新天地を求める街の代表者のポリシーは無抵抗主義なのである。
無抵抗を貫き、主義思想のためなら命を落とす事をいとわず、種として、同じ思想を持つ集団として理想を持ちその成功を目指す生き方が潔く、美しく、そして共感を呼ぶ。
そして新天地を目指す集団の指導者が撲殺されることによって事態は急展開を見せるのである。
この物語では、ある女性の登場人物は、箱入り状態から、脱却し自ら考え自ら行動することを学ぶ。ある種その女性の成長物語ともとらえられる作品に仕上がっている。

この二編の中編はオーソン・スコット・カードの「エンダー」シリーズに多分の影響を与えているようである。アンシプルしかり、植物の生態しかりである。

これらの物語の舞台はSFテイストであるが、実際のところは、人類の種としての生き方を考えさせられる、ある種哲学的な物語なのかもしれないし、また、思想や宗教のために死を厭わない程の理想を掲げている人たちについて考えさせられてしまう。という一面をも持っている作品である。
例によってそれほど観るつもりはなかったのであるが、ロバート・レッドフォードの役者としての新作「ラスト・キャッスル」を観た。
というのも、2003年3月に、ジェリー・ゴールドスミスが日本公演を行なう訳であるが。その際、この「ラスト・キャッスル」の曲を演奏することになっており、こりゃとりあえず観とかなきゃ、と思い観に行った。という次第である。

物語は、陸軍の伝説的な将軍であるレッドフォードが、ジェームズ・ガンドルフィーニが悪制をしき統治する軍刑務所に収監されるところから始まり、レッドフォード率いる囚人たちがその軍刑務所を乗っ取るところまでを描いている。

レッドフォードと刑務所と言えばかつての名作「ブルベイカー」を思い出すが、シチュエーションは旧作とほとんど同じであり、レッドフォードの映画的記憶を利用しているのであろう。ちょっと前の「スパイ・ゲーム」も旧作の「コンドル」の映画的記憶を利用した良い映画になっていたのが思い出される。

レッドフォードは期待通りの出来である。想像どおりレッドフォードの魅力全開で、美味しいとこ総取りの映画に仕上がっている。
また悪役に徹するガンドルフィーニも非常に良い味を出している。ひたすらの悪役ぶりに、ラストのカタルシスも大充実なのである。

という訳で、久しぶりに単純明快、ノンストレス、カタルシス大爆発映画を堪能した感じである。残念ながら脚本には若干無理があり、またご都合主義的ではあるものの、そんなものはどうでもいいのである。ちょっとぐらい都合が良くても、観客の皆さんは、気がついたら握りこぶしでレッドフォードのソルジャー達を応援してしまっているのである。

更にレッドフォードの参謀を務める囚人の皆さんは、あまり有名どころの俳優ではないが、実は結構癖のあるキャラクターが勢ぞろいでこれまた楽しめるのである。各人のキャラクター描写もしっかりしていて監督の力量が伺える。

余談だが、パンフレットのつくりが70〜80年代の安っぽい感じでまた良しである。

男の生き様を感じたかったら、この1本。

「ラスト・キャッスル」
"THE LAST CASTLE"
2001年アメリカ映画
ドリームワークス作品
UIP配給
監督:ロッド・ルーリー
出演:ロバート・レッドフォード、ジェームズ・ガンドルフィーニ、マーク・ラファロ、スティーヴ・バートン、デルロイ・リンド、ポール・カルデロン、クリフトン・コリンズJR.、ブライアン・グッドマン、フランク・ミニタリー
上映時間:2時間11分
DTS/Dolby Digital/SDDS
翻訳:戸田奈津子

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