2011年8月4日 テレビ朝日で「陽はまた昇る」を観て驚いた。

とっても驚いたので、驚いた点を紹介したいと思う。

「陽はまた昇る」
監督:秋山純、今井和久
脚本:井上由美子
出演:佐藤浩市、三浦春馬、池松壮亮、真矢みき、橋爪功


物語の骨子は、警視庁警察学校を舞台にした青春・人間ドラマで、おそらくは「愛と青春の旅立ち」を念頭に置いているのではないか、と思う。

つまり、佐藤浩市がルイス・ゴセット・ジュニアで、三浦春馬がリチャード・ギアね。
まだ第3話目だけど、多分訓練生の誰かがあとで自殺すると思うよ。

あとは最終回は卒業式でみんな泣くよ。きっと。
敬礼の件もあるかもね。

さて、今日の本題。

第3話は、警察官から拳銃を奪って逃走した男のニュースを背景に、警視庁警察学校では訓練生に対し拳銃貸与式があったり、初めての射撃の訓練があったりと、拳銃にまつわるエピソードが描かれている。

1.あれが射撃場だとは思えない

警察官が射撃訓練をするシーンをわたしたちは映画やドラマで目にする機会が多い。

射撃場は、射座(射手が射撃をする場所)は壁と天井で一人ずつ区切られており、隣の人たちに物理的に銃を向ける事が出来ない構造になっている。
また、射撃訓練用の標的もレール等で自動的に手元に戻ってくるシステムで、射座と標的の間には人が絶対に入れない構造になっている。

しかし、「陽はまた昇る」の警察学校の射撃場は、天井の高い広い部屋に長テーブルを置いたような摩訶不思議な空間だった。

また、射撃後の標的は、回収する仕組みが見当たらなかったので、多分人間が回収するのだろうと思う。

撃ち方やめー、これより標的を回収する。
とかやるのだろうか。

更に、標的に向かって左側には階段があり、右奥には普通の通路が続いている。
背面は窓だったように記憶している。

射撃場に、つまり拳銃や弾薬が転がっている場所に、誰でも入れるような構造に描写されているのだ。

素人目に見ても、あんな危ない射撃場はないだろう。

ライフル銃の射撃場でさえ、つまり長くて取り回しにくい銃の射撃場でも、物理的に隣の人を狙えない構造になっているのに、拳銃の射撃訓練をするというのに、あんな構造、隣だろうが何だろうが狙い放題の射撃場は考えられない。

リアリティがどうのこうの、と言うより製作サイドとして、真摯にドラマに向かっていない、と思えてならない。

2.拳銃について教育を受けていない訓練生

第3話では、射撃訓練後に薬莢がひとつ紛失する。
これが大きなドラマに発展していくのだ。

ところで、わたしは大学時代に、自主制作映画のため、大学のライフル射撃部の射撃場で撮影をした事がある。
その撮影の際、射撃場について最初に行われたのは射撃場及びライフル銃に関する注意事項の説明だった。
と言うか、それはほとんど講習だった。

勿論、撮影には実際のライフル銃を使用したため、銃の危険性と銃の取扱い、射撃場においての立ち居振る舞い、また、立って良い場所と絶対に立ってはいけない場所。

当然実際に弾丸は発射できないよう、ライフル銃のボルトは抜いてあり、盗難や事故防止用にライフル銃はワイヤーロックで射撃場にくくられた状態で撮影が行われた。
また、基本的にライフル射撃部員が、常にライフル銃を保持していた。撮影中もカメラに映らないように。

撮影サイドとしては、銃口を真正面からとらえる画も欲しかったのだが、当然の如く、ライフル射撃部サイドに拒否された。

何を言っているかと言うと、ただ単に、ライフル射撃場で撮影をするだけで、いろいろな説明や注意事項等のレクチャーを受け、ライフル射撃部員の指導のもと、撮影が行われたのだ。

しかし「陽はまた昇る」の警察学校の訓練生は、拳銃貸与式が行われ、射撃訓練が行われているのに、拳銃の危険性や重要性の教育を受けていないようなのだ。

何も知らないばかどもが、射撃の訓練をしているとしか思えない。

ドラマで描かれていなくとも、ドラマの背景に拳銃についての教育や講義が行われている様子が皆無なのだ。

先ずは、射撃姿勢がみんなばらばらだったのには驚いた。

両手で拳銃を腰だめで構えている者、視線を拳銃越しに標的に向けている者、片手で拳銃を構えている者。

基本の射撃姿勢の講義や訓練はなかったのか。

さらに、薬莢が紛失した理由が酷すぎる。

「ひとつくらいなら薬莢を記念に持ち帰っても、大丈夫だと思った」

どっか外国の射撃場に行った旅行者かよ。

もう、一般人よりレベルが低い。
警察官になろうとしている訓練生とは全く思えない。
その辺にいる中学生ですら、この日本の社会において、警察官の拳銃の薬莢がなくなったらやばいと思うんじゃねーの。

警察学校の訓練生のモラルや意識が低すぎるのだ。

ドラマなので、これから意識やモラルを学ぶのかも知れないが、彼らは少なくても、警察官になろうとして警察学校に入学しているはずなのだ。
しかも入学から一体どれくらいの期間が経っているのか。
昨日入学したのかよ。

3.セキュリティ教育が行われていない

薬莢が紛失した事を警察学校の大食堂で大声で議論するばか者ども。

他のクラスに事故の情報が漏えいして大問題になるぞ。

そんな意識は誰も持ち合わせておらず、おそらくは警察学校の授業ではセキュリティ教育すら受けていないのだろう。

本当にばか。

4.賞罰委員会もないのね

結局は薬莢を窃盗した訓練生の顛末書と指導教官の報告書が学校長に提出され、その場で処分が決定した。

これは恐ろしい。

報告書も何も読まずに、窃盗した訓練生には1ケ月間の外出禁止と指導教官には1ケ月の減俸の処分が決定した。どうなっているのか。

5.飲み屋がマンションの一室

まあたいした話ではないのだが、不思議だったのは、石野真子が経営している飲み屋がマンションの対面カウンターみたいなつくりだった。

佐藤浩市と真矢みきが飲んでいたのは、誰かの自宅かと思ったよ。

6.大学時代の射撃大会で優秀な成績を・・・・

警察学校に入ってしばらく経っている設定だと思うのだが、射撃訓練後に池松壮亮が大学時代に射撃部にいて、全国2位だか3位になったことを知るクラスメイトって何よ。

おかしすぎる。
池松壮亮は別に射撃部で全国大会で上位入賞したことを隠しているそぶりはなかったのに、情報の伝達スピードが遅すぎる。

7.拳銃を撃てないやつは辞職勧告だ

これは「愛と青春の旅立ち」のDOR(任意除隊)ですね。

8.ペットボトルのゴミ箱が

ラウンジみたいなところで、訓練生同士が殴りあいの喧嘩になるんだけど、殴られて吹っ飛んだ先にはペットポトルがたくさん入ったゴミ箱があり、それをぶちまけるんだけど、なぜか全てのペットポトルがきれいにフィルムが剥がされていた。

だからどう、と言う話ではないのだが、そこまでして、つまりリアリティを無くしてまでペットボトルのゴミ箱が吹っ飛ぶ様を撮りたかったのか?


まあ、そんな感じですね。

テクニカルアドバイザーとかいなかったんですかね。

脚本家も世の中の事、と言うか一般常識と言うか、一般の人がどう感じているのか、と言う点が超弱いですね。

そんな訳で来週も観てみようかと思いました。

ツイッターをやったり電話をかけながら見ていたので間違いがあるかも知れません。

間違いがあったら教えてくださいね。
テレビ東京の「週刊真木よう子」を結構見ている。

このプログラムのコンセプトは次の通り。

「週刊真木よう子」
毎週異なるストーリー、異なる出演者、異なる脚本家と演出家が繰りなす30分のオムニバスドラマ。
全ての話数で共通するのは毎回ヒロインとして出演する「真木よう子」だけ!

似たようなコンセプトのプログラムに「私立探偵濱マイク」があるが、本作「週刊真木よう子」では、全てのエピソードのキャラクターに全く関連性が無く、ただ単に真木よう子が主演のドラマである。と言うこと。

ホラーあり、サスペンスあり、バイオレンスあり、コメディありと、あらゆるジャンルの物語が、新進気鋭の脚本家と演出家の手によって創出されている。

正に役者冥利に尽きる素晴らしい企画である。

余談だけど、「週刊真木よう子」は、韓国のとある動画サイトで、全話公開されている模様である。

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2007年10月から、Super! drama TVで「HEROES / ヒーローズ」の放送が始まっている。

日本人キャストのマシ・オカ(ヒロ・ナカムラ役)が来日し、プロモーションを行っていたり、また作品として様々なメディアで取り上げられているので、ご存知の方はご存知だと思う。

ニューヨーク、ロサンゼルス、ラスベガス、テキサス、そしてインド、東京。何千何万kmも隔てたそれぞれの土地で、ある奇妙な現象が同時に発生する。それは平凡な人々に突如、スーパーヒーローのような超能力が備わるというもの。ある者は空を飛び、ある者は不死身の肉体となり、ある者は未来を予知し、ある者は時空を曲げるなどの能力を手に入れ、使命を感じる者もいれば、不安におちいる者もいる。いったい誰が、何のために、彼らにそんな能力を授けたのか。人類を救うためか、それとも只のいたずらか。そして、彼ら HEROESや人類を待ち受ける、巨大な運命とは……!?
(オフィシャル・サイトより引用)

「HEROES / ヒーローズ」は、現在のところ、Super! drama TVで、シーズン1の第8話まで放送されているのだが、わたしはHDDに撮りだめているものを最近見始めた。

で、思うのは、やはり「HEROES / ヒーローズ」と言うテレビ・シリーズは、評判に違わず非常に面白い作品だと言うこと。

先ず、作品として優れていると思うのは、「HEROES / ヒーローズ」を群像劇にしていること。
つまり、世界中で同時多発的に発生した超能力者たちが体験するエピソードを散文的に描き、その散文的な物語の詳細が、実は物語の全体像を織りなして行く、と言う構成を取っているのだ。

と言う事は、「HEROES / ヒーローズ」と言う作品は、所謂グランド・ホテル形式に則っている、と言う事が出来、最初の数話を見る限り、おそらく最後に収束するエピソードがヒロが見たニューヨークに起こるカタストロフィーだということだと推測できる。

例えば「マグノリア」でラストに起きた出来事が、複数のキャラクターを主人公とした群像劇のキャラクターとエピソードをひとつにまとめているのだが、そんな感じに、「HEROES / ヒーローズ」ではニューヨークでのカタストロフィーで物語を収束させる、と言う作品になるのではないか、と誰もが推測するだろう。

どうなるのかわからないが、個人的には楽しみで楽しみで仕方がない。

多分わたしの想像があたっているとすると、わたしのテレビ・シリーズ視聴歴史上、最高のテレビ・シリーズになるかも知れない。

ただ問題は、アメリカにおけるテレビ・シリーズのシーズンの考え方である。

現在「HEROES / ヒーローズ」はシーズン2が始まっているようだが、最終的な着地点がシーズン1で描かれているのか、それともシーズン2に引っ張られるのか、疑問なのである。

少なくても日本のテレビ・シリーズはシーズン毎に大きなエピソードが解決して終わることが多いのだが、アメリカではそうではないのだ。
つまり、アメリカではシーズンを続ける事が良しとされ、シーズンの最終話で物語が完結しない、と言う事がしばしばあるのだ。

そのアメリカでのテレビ・シリーズのシーズンに対する考え方が、現在わたしが見ているあたりまでの「HEROES / ヒーローズ」の素晴らしい構成にどのような影響を与えているのか、心配してしまう。

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わたしは「爆笑問題のニッポンの教養」を楽しみにしている。

そもそも何故「爆笑問題のニッポンの教養」を見ているのか、と言うと、何の事はない、「爆笑問題のニッポンの教養」は「サラリーマンNEO」の後番組(引っ越しのため)であり、わたしは「サラリーマンNEO」を録画していた関係で、自動的に録画されていた「爆笑問題のニッポンの教養」を見ている訳だ。

とは言うものの、今日は「爆笑問題のニッポンの教養」の内容のお話ではなく、テレビ・プログラムの制作形態の話。

さて、「爆笑問題のニッポンの教養」の内容が優れているのは言うまでもないのだが、実はテレビ・プログラムの制作形態が興味深い。

と言うのも、「爆笑問題のニッポンの教養」と言うテレビ・プログラムは、訪問する教授の部屋に民生用のハイビジョンデジタルビデオカメラを5〜6台設置し、それを編集する、と言う制作形態を取っているのだ。

つまり、例えばスタジオでドラマを収録する際のように、複数のカメラで被写体を撮影し、副調整室でスイッチするような編集を、ロケでやっているということである。

以前、5カメで結婚式を撮影し編集した話を紹介したが、そんな感じでテレビ・プログラムが制作されているのだ。

そして、「爆笑問題のニッポンの教養」のナレーションも面白い。

と言うのも、「爆笑問題のニッポンの教養」のナレーションは、人間がナレーションをあてているのか、機械(合成音声)がナレーションをあてているのか判別できない程、印象的な、無機質なナレーションが素晴らしい。

わたしは趣味(芸)で合成音声のような喋り方をするのが得意なのだが、もしかしたら、人間が合成音声の真似をしているのかも知れないけど・・・・。

ナレーションの方向性としては、例えば「初音ミク」や「鏡音リン」をナレーターとしてフィーチャーし、彼女等の声を低音で男性的なナレーションとして活用しているような感じなのである。

例えば、ナレーターがいない自主制作映画に、機械(ボーカロイド)のナレーションを使うなんて、とっても楽しい印象を受ける。

音楽ではなく、ナレーションの、つまり話し言葉の微妙な音程や、音符(ナレーションの言葉)の長さを設定して話し言葉をナレーションとして構築するのも面白いかも知れない。

そんな方向性で「爆笑問題のニッポンの教養」を見てみると面白いかと思う訳だ。

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毎週水曜日、わたしは「テレビ埼玉」(地上デジタル)で「水曜どうでしょうClassic」を録画している。

そんな先週の水曜日、リビングで「水曜どうでしょうClassic」の録画がはじまったので、おねむなわたしは、寝ながらテレビでも見ようと寝室に向かった。

で、寝室のテレビをザッピングして「水曜どうでしょうClassic」のチャンネルを探した。

で、驚いた。

と言うのも、リビングで放映されていたのは「東京ウォーカー」の第二回だったのだが、寝室で放映されているのは「onちゃんカレンダー」の第一回だった。

パラレルワールドかよ!?

どうなっているのだ、と思っていたら、どうやら水曜23時からは、「テレビ埼玉」と「東京メトロポリタンテレビ」で同時に「水曜どうでしょうClassic」が放映されているらしいのだ。

凄い状況でございますね。

おそるべし「水曜どうでしょう」。

どうせなら、30分くらいずらせてやってくれれば良いのに、と思った。

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オオタケさんはいつも黄色い服を着ていますね。

そう、なぜなら黄色い色は、自転車乗りにとっては、特別な色だから。

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2006年夏、フジテレビ系スペシャル・ドラマとして、リリー・フランキーの「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」がドラマ化されるようである。

■主演:田中裕子、大泉洋、広末涼子
■原作:リリー・フランキー(扶桑社刊)
■脚本:土田英生
■企画:和田 行(フジテレビ)、小松純也(フジテレビ)
■プロデューサー:三浦寛二(カノックス)、三輪源一(カノックス)
■演出:西谷 弘
■制作:フジテレビ、カノックス

で、気になるのは、2006/02/29の報道によると、なんと広末涼子が「ボク」の彼女役でドラマに登場する、という事らしいのだ。

実はわたし「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」をまだちょっとしか読んでいない。
と言うのも、冒頭部分を読んでから半年くらい、ほったらかし状態なのだ。

そんなわたしが言う訳なので、もしかしたら間違っているかもしれないのだが、広末涼子演じる「ボク」の彼女は原作に出て来ているのだろうか。

一部報道によると、

ドラマ化にあたってフジテレビは、2人の関係をもう1つの角度から見つめる試みを決め、広末にその役割を託した。主人公の交際相手で、上京して同居する2人を見守り続ける女性を演じる。
闘病から死に至るまで「オカン」のそばを離れない「ボク」を精神的に支える存在として、原作で涙した読者にも新鮮な感動を届けるキーパーソンだ。

と言う事だから、おそらく原作には登場しないキャラクターをフジテレビがでっち上げ、広末に白羽の矢を立てた、と言うところだろうと、類推できる。

原作に登場しないキャラクターの登場と言えば、行定勲が監督した映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」の柴咲コウを思い出してしまう。

柴咲コウが演じたキャラクターは、「世界の中心で、愛をさけぶ」の物語に見事な矛盾と破綻とを与えることに成功していた、のを思い出してしまう。

もちろん大人の事情はあるのだと思うのだが、なんとかならなかったのだろうか、と言うより、穿った見方かも知れないが、行定勲は、柴咲コウのキャラクターを作品に入れることにより、物語が崩壊していく様を、確信犯的に演出したのではないか、と思えてしまう。

もうそろそろ大人の事情で、物語に必要ないものを物語にぶち込み、その挙句物語をぶち壊すような事はやめにして欲しいと切に思う。

将来の映画界、テレビドラマ界のことを考えると、短期的なヒットだけではなく、もちろん視聴率だけではなく、作品の質を向上させる努力が必要だと思うのだ。

広末涼子はどんな役回りを果たすのか、期待と不安が入り混じる、と言うか批判的な気持ちしかしない今日この頃である。

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WBC決勝戦の放送をめぐる冒険
2006/02/21 野球にほぼ関心のないわたしだったのだが、折角なのでWBC(ワールドベースボールクラシック)の決勝戦を見た。

決勝戦の瞬間最高視聴率は56.0%だったらしいし、メジャーリーグの各球団からは王ジャパンの選手たちに続々オファーが来ているとか言う噂を聞く。

さて、今日の本題だが、21日の日本テレビのWBC決勝戦を見て思うところがあった。

今回のWBCは、はっきり言って、勿論歴史的な出来事だと思うし、極東の島国の野球チームが、アメリカ、キューバを始めとした野球を愛する世界中の国々の頂点に立ってしまった、と言う非常に恐ろしい出来事だったのだと思う。

そう考えた場合、その瞬間を日本国内に実況すべきメディアには孤高な精神と責任が必要だったのだと思う。

そんな中、WBC決勝戦を見て驚いたのだが、日本テレビは、プレイが始まっているのに、つまりピッチャーがボールをバッターに対して投げているのに、日本チームのダッグアウトやイチローのアップを写したりしているのだ。

日本テレビが、メディアとしての志の低さを日本中に露呈した瞬間である。
情けなくて涙が出た。

思うに、日本テレビはWBC決勝戦を報道的なスタンスではなく、ワイドショー的なスタンスで日本国内に放送したという事である。
 
 
さて、そこで気になったのは、WBCには国際映像があったのかどうか、と言う点である。

オリンピックやワールドカップ等、一般的なスポーツの世界大会の多くでは、基本的に国際映像を放映するのが一般的だと思う。
先日まで開催されていたトリノオリンピックにしろなんにしろ、メディアは国際映像の放映権を購入する、と言う形式で世界中にスポーツの実況を行っているのである。

しかしながら、今回のWBC決勝戦を見る限り、日本のテレビクルーが大挙してWBC決勝戦の臨んでいたようである。

まあ、仮に国際映像があったとしても、それをスイッチする日本テレビのスタッフが国際映像ではなく、日本のテレビクルーが切取った映像を、ゲームの内容お構いなしに、日本のテレビの前の大衆が喜ぶだろう映像をスイッチしていたのだ。

ボールがピッチャーの手を離れているのに、プレイに全く関係ないイチローの顔をアップをとらえ、次の瞬間、誰が打ったのかもわからない状態で、ボールを追う画面に切り替わる、そんな野球など、最早野球ではない。

日本テレビが放映していたのは、野球のゲームではなく、野球をしている人々の表情だったわけだ。

本当に哀しくなってしまう。

世紀の瞬間を伝えるべきメディアが伝えていたのは、果たして一体何だったのだろうか。
孤高なメディアの孤高な精神はどこに行ってしまったのだろうか。

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2006/01/31に「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第1部『さらば友よ』」を、2006/02/07に「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第2部『愛する者のために』」を見た。

2005年に「戦国自衛隊1549」と言うとんでもない作品があった。
そのとんでもない作品と同じ題材をどう料理するつもりなのか、怖いもの見たさなのだろうか、「戦国自衛隊・関ケ原の戦い」を見てしまった。
「戦国自衛隊1549」の失敗を受けて、同じ題材をどうするのか、非常に興味があった訳だ。

同作は、はっきり言ってダメなテレビムービーではあるのだが、「戦国自衛隊1549」と比較するとまだマシな印象を受けた。
と言うのも、同作ではタイムスリップした自衛隊員をある程度人間として描いているからである。

ところで「戦国自衛隊1549」の自衛隊員は銃を使う事を禁じられていた。
そしてまた過去に干渉する事にも禁じられていた。

これは日本の自衛隊がサマーワに銃器を使う事を禁じられた状態で派遣されている事への暗喩なのだが、これを娯楽作品として映画として考えた場合、そんなくだらない暗喩により、作品のプロットを消費してしまって良いのか、と思ってしまう。
せっかくの「戦国自衛隊」のリメイクのチャンスだと言うのに、銃器を封じた状態で日本の自衛隊を海外に派遣する事を決定した日本政府への批判を暗喩したって仕方がないと思うのだ。

そんなことより、戦国時代にタイムスリップした自衛隊員が人類としての本能のまま、殺戮、暴行、略奪を行う姿を描くべきだったと思うのだ。
一応念の為だが、わたしはここで暴力を肯定しているのではなく、人類の本能を描く事により、人間を描く事が必要だったのではないか、と思うのだ。

人類の本能たる暴力がない「戦国自衛隊」など、どこが「戦国自衛隊」なのだ、と言うことである。
そこには一切カタルシスなど存在し得ないのだ。

騎馬隊や弓隊、雑兵と対峙するヘリコプターや戦車を描かずに何が「戦国自衛隊」なのか、と言うことである。

一方、「戦国自衛隊・関ケ原の戦い」は、一応は過去への干渉などお構いなしに、自衛隊員は戦国時代の人々を殺しまくる。
その点で同作は、テレビのゴールデンの枠でありながら、自衛隊員による武士や雑兵たちの殺戮をめちゃくちゃに描いた事は非常に評価できるのではないかと思うのだ。

結局のところ、「戦国自衛隊」は熱いリビドーの発露だと思う。
ヘリコプターにぶら下がって銃を乱射する千葉真一のような描写が必要だと思うのだ。
リビドーの発露とその後のカタルシスがない「戦国自衛隊」など最早「戦国自衛隊」ではない。

因みに「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第2部『愛する者のために』」の監督は「戦国自衛隊」(1979)の監督でもある齋藤光正である。

セリフ「歴史は、俺たちに何をさせようとしているのか」とか、松村とおるの「戦国自衛隊のテーマ」が使用されていたのには驚いた。

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TBS系の深夜番組「10カラット」(TBS/毎週水曜24:25〜)を見た。

「10カラット(てんからっと)」とは、深夜枠にお笑いの若手を10組集めてコントやネタや企画を見せると言う、まあよくあるテレビプログラムなのだが、お笑いはともかく、この番組の美術(というかセット)が凄い。

何が凄いかと言うと、「トロン」ミーツ「シン・シティ」位凄いことになっている。

根本的にはセットは白い板状のもので出来ているのですが、その板状のものの色は全て白、で黒でその白い板状のものにいろいろなモノが書き込まれているのです。

パッと見、グリーンスクリーンやブルースクリーンのセットの中で撮影されているような感じのセットでコントが行われているのです。

言い換えるならば、バーチャル・セットにテクスチャーを貼る前の状況でコントをやっているような感じなのです。
しかも、その白い板状のセットを構成している部品には様々な模様や言葉が黒で描かれているし・・・・。

内容はともかく、セットだけでも見る価値はあると思う今日この頃でした。

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「古畑任三郎ファイナル」をめぐる冒険
わたしは「古畑任三郎」シリーズが比較的好きである。

「古畑任三郎」シリーズの魅力は、先ず何と言っても「刑事コロンボ」シリーズでおなじみの倒叙式ミステリーの形式が好きだから。

と言うか、結局は「刑事コロンボ」シリーズが好きだから。と言うところだろうか。
比較的面白い倒叙式ミステリーが日本語で書かれている、と言う点が興味深いのだと思う。

さて、本題だが、2006/01/03〜05、フジテレビ系で「新春ドラマスペシャル」と銘打って「古畑任三郎」の新作が放映されている。
まあ、それについての雑感をもろもろと・・・・。
 
 
2006/01/03
「古畑任三郎ファイナル 第1夜 今、蘇る死」

石坂浩二出演で鬼切村とか言う寒村が舞台、そしてわらべ歌が殺人のモチーフとなれば、どう考えても「悪魔の手毬唄」(1977)への言及としか考えられない。

あぁ市川崑の「金田一耕助」シリーズの新作が観たい、と本気で思う。
勿論金田一耕助は石坂浩二で。

脚本は、今回の3本に共通の印象を受けるのだが、視聴者を煙に巻く事に腐心しているようである。
強烈なミス・デレクションが演出されている。

また、殺人にいたる部分の描き方が足りない印象を受けた。簡単に人を殺してしまうところが解せないのだ。
 
 
2006/01/04
「古畑任三郎ファイナル 第2夜 フェアな殺人者」

イチローが犯人役、と言うことで話題沸騰だが、脚本はイマイチ、と言うかミステリーとしては破綻していると言わざるを得ない。

殺人をゲームと捉え、古畑VSイチローの図式を明確にするのは良いのだが、そのため警察官としての古畑の行動原理にブレが生じている。
コロンボだったらラストでイチローに激怒するところである。
「これはゲームではない、あなたは実際に人を殺したのだ」と。
 
 
2006/01/05
「古畑任三郎ファイナル 第3夜 ラストダンス」

プロットを聞いて思ったのは、これ「刑事コロンボ 構想の死角」(1971/スティーヴン・スピルバーグ監督)のパクリじゃねえのか、と言う点。

このエピソードも、「古畑任三郎ファイナル 第1夜 今、蘇る死」と同様の強烈なミス・デレクションが使われている。
3夜のうち、2夜に同様のミス・デレクションには困ったものである。

倒叙式ミステリーの約束事を完全に反故にしているのではないだろうか。
言うならば「刑事コロンボ さらば提督」にも似た、ある種のルール違反が行われているのだ。

短期間に複数の脚本を書くのは困難なのだろうな、と思える3夜だった。

頑張れ、三谷幸喜よ。
と言う印象である。
 
 
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「デッド・ゾーン」シーズン1
最近AXNで放送がはじまった「デッド・ゾーン」をまとめて観始めた。

勿論、今回のテレビ・シリーズの原作でもあるスティーヴン・キングの小説「デッド・ゾーン」(1979)も大変面白いし、デヴィッド・クローネンバーグ監督、クリストファー・ウォーケン主演の映画「デッドゾーン」(1983)も大変素晴らしい。

で、アンソニー・マイケル・ホール主演のテレビ・シリーズ「デッド・ゾーン」だが、脚本が良いのか、題材が良いのか、俳優が良いのか、演出が良いのか、大変面白い。

海外のドラマを見るといつも感じるのが、何故日本のドラマがつまらないのか、と言うことである。

まあ、これは主観的な問題だと思うし、違和感を醸し出す照明のせいかも知れないし、冗長で間延びした脚本のせいかも知れないし、演じているのが俳優ではなくタレントであるせいかも知れない。

大衆文化の成熟度合いのせいなのだろうか。
ちょっと悲しいものがあるね。

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