「見えないほどの遠くの空を」 その2
さて、今日は「見えないほどの遠くの空を」の第2回目。

なお、第1回目はこちら。
「見えないほどの遠くの空を」 その1
http://29346.diarynote.jp/201106190016452359/

「見えないほどの遠くの空を」
監督・脚本:榎本憲男
撮影監督:古屋幸一
編集:石川真吾
出演:森岡龍(高橋賢)、岡本奈月(杉崎莉沙/洋子)、渡辺大知(光浦丈司)、橋本一郎(佐久間)、佐藤貴広(井上)、前野朋哉(森本)、中村無何有(山下)、桝木亜子(平川)

大きな公園の中、一本の樹の下に若い男女が座っている。その前には映画の撮影隊がいる。高橋賢(森岡龍)は、映研の仲間たちと一緒に、学生生活最後の作品「ここにいるだけ」の最後のショットを撮影しているのだ。

しかし、カットの声がかかる直前、ヒロイン役の杉崎莉沙(岡本奈月)はシナリオには書かれていない勝手な台詞をひと言口走る。その時、雨が激しく降ってきて、撮影は中断する。

撮影を再開する前日、不慮の事故によって、とつぜん莉沙は死ぬ。もともと、この映画の結末をめぐって、莉沙と賢の間には意見の対立があった。光浦(渡辺大知)に説得されて書いた賢の手紙も読まないままに莉沙は死んでしまった。最後のワンショットを撮り残したまま映画「ここにいるだけ」は完成しなかった。

そして、一年が過ぎた。ある日街で、賢は、死んでしまった莉沙にそっくりな女を見かける。おもわず後を追う賢。女との会話を重ねるうちに、やがて賢は、この女を代役に最後のショットを撮って映画を完成させようというアイディアを思いつくが・・・・。

(オフィシャル・サイトよりほほ引用)

さて、今日は本作「見えないほどの遠くの空を」の物語について考えていきたい。

本作では、一つの怪異が描かれている。

その怪異は、様々な作品で描かれ、最早手垢がついたような、比較的ありがちなものであることは否定出来ない。
しかしながら、その怪異の描き方と、特に脚本上の着地点が非常に素晴らしい。

当ブログでは、その怪異のなんたるかを具体的に紹介する事はしないが、興味深いのは、その怪異を二つの異なる立場から明確に描いている点である。

と言うのは、主人公である賢の立場からその怪異を描く一方、映研のメンバー側からも同時にその怪異を描いているのだ。

脚本上、つまり観客に対して制作者の意向としては、賢と言うキャラクターへの感情移入を望んでいる都合上、賢の立場から見た怪異が真実であるような印象を観客に与えている。
果たしてそれが本当の真実なのであろうか。

スティーヴン・キングの作品に「デッド・ゾーン」と言う小説がある。
デヴィッド・クローネンバーグが映画化しているのでご存知の方も多いと思う。

「デッド・ゾーン」の物語の中で、その主人公であるジョン・スミスは、上院議員であるグレッグ・スティルソンが将来、合衆国大統領になり、全世界を巻き込む全面核戦争を引き起こすきっかけとなる核ミサイルの発射ボタンを押す、と言うビジョンにとらわれる。

「デッド・ゾーン」の物語上、ジョン・スミスは、人に触れればその人の未来が見える超能力者として描かれているため、読者や観客は、ジョン・スミスのビジョン、つまりグレッグ・スティルソンは将来大統領になって核ミサイルの発射ボタンを押すこと、が真実であると思うだろう。

しかし、スティーヴン・キングは「デッド・ゾーン」の物語で、ジョン・スミスのビジョンがただの妄想なのではないか、と示唆しているのだ。

天啓や電波によって、ある人物を殺すように命令された殺人者のように。
例えば、天啓や電波によって、ある人物を殺せと命令されることと、グレッグ・スティルソンが核ミサイルのボタンを押すのを止めようとすることに、何の違いがあるのだろうか、と。

そして本作「見えないほどの遠くの空を」 は、怪異が描かれているのだが、その怪異が本当に賢が感じているような怪異なのか、はたまた映研のメンバーが感じている怪異なのか、どちらでにも解釈出来るように構成されている。

物語の表層だけを見ている人たちには、おそらく複数の解釈の余地などはなく、おそらくは、賢が感じている怪異が真実だと思っているのだろう。

そう感じている人たちにとっては、本作「見えないほどの遠くの空を」は怪異を描いた感動的な物語に見えているのだろう。

ところで、本作「見えないほどの遠くの空を」では複数の時制が描かれている。

現在(賢と莉沙が大学四年生の夏/「ここにいるだけ」撮影開始、中断)

過去(賢と莉沙が大学一年生の夏/賢と莉沙の出会い)

現在(莉沙が亡くなった直後)

1年後(莉沙が亡くなってから1年後/賢は社会人/洋子との出会い/撮影再開)

3年後(莉沙が亡くなってから4年後/賢は無職/洋子と出会ってから3年後)

ここで重要なのは、もちろん1年後の出来事と3年後の出来事である。

現在はプロローグでしかないし、過去はキャラクターの関係を描くために存在している。

従って、当然と言えば当然なのだが、1年後のパート、すなわち「ここにいるだけ」の撮影再開に向かう部分に、最も尺がさかれている。

勿論、怪異もここのパートで描かれている。
そして、多くの観客はここのパートで、感動的な物語を見ることになる。

ところで、ちょっと余談になるが、その怪異については、映画をよく観ている人たちにとっては、「ここにいるだけ」の撮影現場である樹木の下で、賢と洋子が最初に話し合う部分で、どうやらおかしいぞ、と言う事にに気付くと思う。
と言うか、どうやらおかしいぞ、と気付かせるための演出がされている。

従って、紙コップの執拗な描写は不要だったのではないかな、と思えてならないのだ。
あそこまで、執拗に描く必要はないんじゃないかな。
もしかしたら、制作サイドは、観客の想像力を少し甘く見ているのではないか、と思った。
あんなことをしなくても、観客はみんな気付いているよ、と。

そして、3年後。
賢は会社を退職している。

ところで、皆さんはフアン・ホセ・カンパネラの「瞳の奥の秘密」と言う作品を知っているだろうか。

素晴らしい作品なのだが、その作品では、25年前に妻が暴行殺害され、自らもその犯人によって重傷を負わされた銀行員リカルドが登場する。

リカルドは、犯人を探すため、記憶が定かではないのだが、3年間もの間、毎日まいにち駅に通いつめ、朝から晩まで駅の乗降客を監視していたのだ。そうリカルドは犯人を探す執念に取り憑かれているのである。

そして、本作「「見えないほどの遠くの空を」の賢は、3年後、街中で1人の女性に遭遇する。

遭遇する、と言うよりは、賢の執念でその女性に出会うことに成功した、と言う言い方も出来るだろう。

と言うのも、賢と言うキャラクターは、1年間の間、莉沙へ渡せなかった手紙を持ち歩くキャラクターとして、そして、3年間もの間、自作の「ここにいるだけ」の台本を持ち歩くキャラクターとして描かれているのだ。

そう、ある意味非常に執念深いキャラクターとして描かれている。
その賢の執念深さを表すセリフもいくつかあったように。

そして、3年後にその女性と出会う際の描写は、3年前に洋子と偶然出会った際のおずおずとした姿ではなく、確固とした、そして断固とした賢の意志の力を感じる。

正に会うべき時に会うべき人に、当然のごとく出会った、必然的に出会った、と言う印象を観客に与えているのだ。

これはもしや、賢は3年もの間ずっと、あの通りを何度も何度も歩いたのではないだろうか。
もしかしたら、賢は3年もの間、朝から晩まであの通りにいたのではないだろうか、とさえ思えてしまう。

そして、賢のその女性に対する会話や説明は、何度もなんどもシミュレーションしたかのような印象をも受けたりしてしまう。

そして、あのラストカット。

あのラストカットに映っているものには、賢の圧倒的な妄執を感じる。

正直、あのラストカットには驚いた。
わたしは、まるでシリアルサイコキラーが住んでいる部屋の壁を見ているような印象を受けたのだ。

そして、ラストカットにおいてわたしの本作「「見えないほどの遠くの空を」に対する印象は一変する。

本作「見えないほどの遠くの空を」は、ノスタルジックな青春感動物語ではなく、妄執に取り憑かれた1人の男が自滅していく姿を描いたホラー映画だったのだ、と。

機会があれば、是非劇場へ。
本作「見えないほどの遠くの空を」は圧倒的に面白い作品に仕上がっている。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「見えないほどの遠くの空を」 その1
2011年6月16日 東京渋谷「ヒューマントラストシネマ渋谷」で「見えないほどの遠くの空を」を観た。

「見えないほどの遠くの空を」
監督・脚本:榎本憲男
撮影監督:古屋幸一
編集:石川真吾
出演:森岡龍(高橋賢)、岡本奈月(杉崎莉沙/洋子)、渡辺大知(光浦丈司)、橋本一郎(佐久間)、佐藤貴広(井上)、前野朋哉(森本)、中村無何有(山下)、桝木亜子(平川)

大きな公園の中、一本の樹の下に若い男女が座っている。その前には映画の撮影隊がいる。高橋賢(森岡龍)は、映研の仲間たちと一緒に、学生生活最後の作品「ここにいるだけ」の最後のショットを撮影しているのだ。

しかし、カットの声がかかる直前、ヒロイン役の杉崎莉沙(岡本奈月)はシナリオには書かれていない勝手な台詞をひと言口走る。その時、雨が激しく降ってきて、撮影は中断する。

撮影を再開する前日、不慮の事故によって、とつぜん莉沙は死ぬ。もともと、この映画の結末をめぐって、莉沙と賢の間には意見の対立があった。光浦(渡辺大知)に説得されて書いた賢の手紙も読まないままに莉沙は死んでしまった。最後のワンショットを撮り残したまま映画「ここにいるだけ」は完成しなかった。

そして、一年が過ぎた。ある日街で、賢は、死んでしまった莉沙にそっくりな女を見かける。おもわず後を追う賢。女との会話を重ねるうちに、やがて賢は、この女を代役に最後のショットを撮って映画を完成させようというアイディアを思いつくが・・・・。

(オフィシャル・サイトよりほほ引用)

わたしは大学時代8mmフィルムで映画を撮っていた。
この作品の登場人物と同様に大学の映画研究会に属していたのだ。

そんな訳でわたしは、大学の映研を舞台にしたこの作品に、ノスタルジックな何かを期待していたのだと思う。
言い換えるならば、わたしは本作「見えないほどの遠くの空を」の物語より、雰囲気や登場人物が置かれているその環境に期待していたのかも知れない。

しかし、本作のファーストカットを視たわたしは驚愕した。
このファーストカットにより、わたしの映画的関心がむくむくと鎌首を擡げてきたのだ。

まるで映画館のスクリーンのような真っ白い何かを映すカメラ、その映像に登場人物たちの声が被る。どうやら彼らは自主制作映画の撮影をしているらしい。

監督の「よーい、スタート」の声の直後、カメラが縦パンしていくと大きな樹木が見えてくる。白かったのは空だったのだ。真っ白い映画館のスクリーンのような空。
その樹木の下に2人の人物が座って何かを話している。

そんな2人を写したカメラがどんどん引いて行くと、音声スタッフや撮影スタッフがフレームに映り込んでくる。このカメラは自主映画のカメラではなかったようだ。

そして、引ききったカメラは、カメラが切り取る映像が映るモニターと台本とを交互にチェックする人物に寄って行く。どうやらこの人物がこの自主映画の監督らしい。

ここで、縦横無尽に動いていたカメラがフィックスのカメラに切り替わる。

この信じられないように動きまわるファーストカットのおかけでわたしは、映画のスクリーンに釘付けになってしまった。

そして、もう一つ驚くべきカットがあった。

あらすじで紹介したように、突然の雨で中断した撮影が再開する予定の前夜、主演女優の莉沙が亡くなったのだ。

そして、莉沙の葬式の後、一旦部室に集まった映研の連中は、莉沙の思い出を語り始める。
しかし、賢の軽率な発言により口論が始まり、映研のメンバーは部室を後にするが、賢は忘れ物を取りに行くため部室に戻ろうとする。

賢が部室のある校舎の玄関に入ろうとするその瞬間、時間が巻き戻る。
このカットはスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のあのジャンプカットにも比肩するような素晴らしいカットだった。

まるで、スティーヴン・キングの「IT」の、

学校が、



終わった。

のように。

何故、こんな撮影手法的な事を書いているか、と言うと本作「見えないほどの遠くの空を」は、このような映画的興奮にも満ちていたからである。

つづく・・・・

余談だけど、ファーストカットはどうやって撮ったのだろうか。
公園の芝生の上で撮影されているのに、芝生に何の跡もない。
クレーンの限界を超越しているんじゃないかな。
スカイカム的な方法かな?
で、予想の結果です。

ルールは、例年通り、本命と対抗をあげて、本命があたれば3点、対抗が当たれば1点だったたかな。

【作品賞】
 「127時間」
 「インセプション」
 「Winter’s Bone」
 「英国王のスピーチ」
 「キッズ・オールライト」
 「ソーシャル・ネットワーク」
 「ザ・ファイター」
 「ブラック・スワン」
 「トイ・ストーリー3」
 「トゥルー・グリット」

本命:「英国王のスピーチ」
対抗:「ソーシャル・ネットワーク」

結果:「英国王のスピーチ」
あたり(本命):3点

【監督賞】
ダーレン・アロノフスキー(「ブラック・スワン」)
ジョエル&イーサン・コーエン(「トゥルー・グリット」)
デビッド・フィンチャー(「ソーシャル・ネットワーク」)
トム・フーパー(「英国王のスピーチ」)
デビッド・O・ラッセル(「ザ・ファイター」)

本命:トム・フーパー
対抗:デビッド・フィンチャー

結果:トム・フーパー
あたり(本命):3点 計6点

【主演男優賞】
 コリン・ファース(「英国王のスピーチ」)
 ジェームズ・フランコ(「127時間」)
 ジェフ・ブリッジス(「トゥルー・グリット」)
 ジェシー・アイゼンバーグ(「ソーシャル・ネットワーク」)
 ビエル・バルデム(「ビューティフル BIUTIFUL」)

本命:コリン・ファース
対抗:ジェイムズ・フランコ

結果:コリン・ファース
あたり(本命):3点 計9点

【主演女優賞】
 アネット・ベニング(「キッズ・オールライト」)
 ニコール・キッドマン(「Rabbit Hole」)
 ジェニファー・ローレンス(「Winter’s Bone」)
 ナタリー・ポートマン(「ブラック・スワン」)
 ミシェル・ウィリアムズ(「ブルーバレンタイン」)

本命:ナタリー・ポートマン
対抗:ニコール・キッドマン

結果:ナタリー・ポートマン
あたり(本命):3点 計12点

【助演男優賞】
 ジェフリー・ラッシュ(「英国王のスピーチ」)
 クリスチャン・ベイル(「ザ・ファイター」)
 ジェレミー・レナー(「ザ・タウン」)
 マーク・ラファロ(「キッズ・オールライト」)
 ジョン・ホークス(「Winter’s Bone」)

本命:ジェフリー・ラッシュ
対抗:クリスチャン・ベイル

結果:クリスチャン・ベイル
あたり(対抗):1点 計13点

【助演女優賞】
 エイミー・アダムス(「ザ・ファイター」)
 ヘレナ・ボナム・カーター(「英国王のスピーチ」)
 メリッサ・レオ(「ザ・ファイター」)
 ヘイリー・スタインフェルド(「トゥルー・グリット」)
 ジャッキー・ウィーバー (「Animal Kingdom」)

本命:メリッサ・レオ
対抗:ヘイリー・スタインフェルド

結果:メリッサ・レオ
あたり(本命):3点 計16点

以上です。
今年は固かったので、ほとんどあたりました。
お約束ですが、「第83回アカデミー賞」主要6賞の予想です。

ルールは、例年通り、本命と対抗をあげて、本命があたれば3点、対抗が当たれば1点だったたかな。

明日は仕事をお休みして朝から生で授賞式を見ようかとおもっていたのですが、休めなくなりました。残念。

テキストは秋林瑞佳さんところ( http://akirine.diarynote.jp/201102271926047628/ )からコピーしました。ごめんなさい。


【作品賞】
 「127時間」
 「インセプション」
 「Winter’s Bone」
 「英国王のスピーチ」
 「キッズ・オールライト」
 「ソーシャル・ネットワーク」
 「ザ・ファイター」
 「ブラック・スワン」
 「トイ・ストーリー3」
 「トゥルー・グリット」

本命:「英国王のスピーチ」
対抗:「ソーシャル・ネットワーク」

両方観たけど、個人的には「ソーシャル・ネットワーク」だが、年取った会員は「英国王のスピーチ」に入れると思うので「英国王のスピーチ」。
「英国王のスピーチ」は普通の映画だと思うよ。

【監督賞】
ダーレン・アロノフスキー(「ブラック・スワン」)
ジョエル&イーサン・コーエン(「トゥルー・グリット」)
デビッド・フィンチャー(「ソーシャル・ネットワーク」)
トム・フーパー(「英国王のスピーチ」)
デビッド・O・ラッセル(「ザ・ファイター」)

本命:トム・フーパー
対抗:デビッド・フィンチャー

これもさっきと同じ理由。
年取った会員票が「英国王のスピーチ」に流れると予想。


【主演男優賞】
 コリン・ファース(「英国王のスピーチ」)
 ジェームズ・フランコ(「127時間」)
 ジェフ・ブリッジス(「トゥルー・グリット」)
 ジェシー・アイゼンバーグ(「ソーシャル・ネットワーク」)
 ビエル・バルデム(「ビューティフル BIUTIFUL」)

本命:コリン・ファース
対抗:ジェイムズ・フランコ

これは本当はジェイムズ・フランコだと思うけど、流れは「英国王のスピーチ」かと。
でもジェイムズ・フランコ来るかな。来たら面白いんだけどね。
コリン・ファームの受賞スピーチが笑えるはず。

【主演女優賞】
 アネット・ベニング(「キッズ・オールライト」)
 ニコール・キッドマン(「Rabbit Hole」)
 ジェニファー・ローレンス(「Winter’s Bone」)
 ナタリー・ポートマン(「ブラック・スワン」)
 ミシェル・ウィリアムズ(「ブルーバレンタイン」)

本命:ナタリー・ポートマン
対抗:ニコール・キッドマン

これはナタリー・ポートマンでしょ。
対抗はわかりませんので、取りあえずにコール・キッドマンで。

【助演男優賞】
 ジェフリー・ラッシュ(「英国王のスピーチ」)
 クリスチャン・ベイル(「ザ・ファイター」)
 ジェレミー・レナー(「ザ・タウン」)
 マーク・ラファロ(「キッズ・オールライト」)
 ジョン・ホークス(「Winter’s Bone」)

本命:ジェフリー・ラッシュ
対抗:クリスチャン・ベイル

クリスチャン・ベイルの前評判が高いけど、ジェフリー・ラッシュでしょ、多分。


【助演女優賞】
 エイミー・アダムス(「ザ・ファイター」)
 ヘレナ・ボナム・カーター(「英国王のスピーチ」)
 メリッサ・レオ(「ザ・ファイター」)
 ヘイリー・スタインフェルド(「トゥルー・グリット」)
 ジャッキー・ウィーバー (「Animal Kingdom」)

本命:メリッサ・レオ
対抗:ヘイリー・スタインフェルド

ヘレナ・ボナム・カーターは無いと思うので、「ザ・ファイター」からメリッサ・レオを入れておく。
まだ14歳のヘイリー・スタインフェルドがスピーチするのを見てみたいので、対抗に入れておく。

今年はサプライズなさそうで、めちゃくちゃ固そうな感じですね。
「週刊トロ・ステーション No.066」と「木曜洋画劇場」をめぐる冒険
「週刊トロ・ステーション No.066」と「木曜洋画劇場」をめぐる冒険
「週刊トロ・ステーション No.066」と「木曜洋画劇場」をめぐる冒険
「週刊トロ・ステーション」にテレビ東京のダークボさん( @darkbo )さんが登場したので、それをテキストに起こした。


かつて、伝説の映画番組があった・・・

木曜洋画劇場

その数々のCMは、常に人々(主にB級映画好き)を魅了し続けたー。

クロ ハイもういちど!
クロ ジャンジャンジャジャンジャンクロード!
トロ ニャンニャンニャニャンニャンクロード!
クロ バンバンババンバンバヴァンダム!
トロ ニャンニャンニャニャンニャンニャニャン・・・
トロ ガリッ(舌噛んで)あいたっ
クロ おいおい、さっきから噛んでばっかじゃんよ〜
クロ そんなことじゃヴァンダミングの何たるかは身につきませんよ?
クロ ニャーニャー言ってないでマジメにやれっつーの!
トロ だ・・・だってトロはネコだし・・・
トロ っていうかヴァンダミングってなんなのニャ〜
クロ これだからトロはおこさまなのみャ
クロ これらのアオリはかつてテレビ東京で放送されていた木曜洋画劇場の番宣で使われたモノみャ!
クロ キャッチー!ハイテンポ!そして華麗なオヤジギャグ!
クロ オレっちらの心を映画本編よりワシづかみにしたCMなのみャ
トロ へーっ!そんなにおもしろかったのニャ!
クロ あれだけまとめてソフト化して欲しいくらいみャ
クロ そのあかつきにはオレっち全力で買うんで、テレビ東京さん是非ご検討下さい
トロ そんでそんで?
トロ 木曜洋画劇場って、ヴァンダムさんがやってたのニャ?
クロ やってねーよ!
クロ そこから説明しないといけませんか?
トロ はい、お願いしますニャ
クロ しかたないみャ〜
クロ ヴァンダムってのはジャン=クロード・ヴァン・ダム・・・

クロ 数々の映画で活躍するアクション映画スターなのみャ!
クロ 「ストリートファイター・ザ・ムービー」のガイル大佐といえばわかる人もいるかみャ
トロ あっ、キャプテンサワダのお友だちなのニャ!
クロ 共に戦った仲間だみャ
クロ ヴァンダムはテレ東三羽ガラスとも呼ばれてて、映画スキーの間でもファンが多いのみャ

トロ うわ〜っスゴい人にゃんだ!
クロ これなのスター、もとろんアメリカでも大スターなんだけど・・・
クロ とりわけ日本ではお茶の間で見る「テレビ映画」のスターとして有名なのみャ
トロ 「テレビの映画」・・・?
トロ 映画って映画館で見るモノじゃにゃいの?
クロ ふっふーん
クロ 映画は映画館で見る事がすべてであり至高・・・
クロ そう思っていた頃がオレっちにもありました
クロ テレビで放送される映画にはテレビならではの魅力があるのみャ
トロ そ・・・そうにゃんだ・・・?
トロ でも、テレビでやってる映画ってイイトコロでCMになっちゃうし・・・
トロ やっぱり最初から最後まで続けて見たいし・・・
クロ あれだってちゃーんと理由があるのみャ
トロ へっそうにゃの?
クロ おうよ!
クロ 今日はそんな、なじみ深くて意外と知らない、「テレビ映画」についてその道のプロに教えてもらうのみャ
トロ わ〜っ いく〜いく〜! 
クロ ってことでくれぐれも失礼のないようにヴァンダミングの何たるかを勉強・・・
トロ う〜んヴァンダム
クロ やるじゃネーか・・・

クロ ってことでやってきましたテレピ東京!
クロ 言わずと知れた、かつて木曜洋画劇場を放映していたテレビ局・・・
クロ 言わばB級アクション映画の総本山みャ!
トロ うわ〜 ここがテレビ局なのニャ〜!
トロ ここにヴァンダムさんやセガールさんが待ってる・・・
クロ 肉密度100%(ツッコミ)だからヴァンダムはテレ東の社員じゃないから!
トロ そ・・・そうだったニャ・・・
クロ ま、小意気なトークはいいから早速入ってみようぜ(ママ)
クロ うひょ〜 生でタレントとか見れちゃうかみャ〜
トロ クロのほうがはしゃいでるのニャ〜
クロ おーい、はやくしないとおいてくみャ〜
トロ ま・・・まってニャ〜

トロ ごめんくださいニャ〜
クロ 映画の事教えてくださいみャ〜
ダークボ やあ、いらっしゃい
トロ はしめまして、トロですニャ
クロ こちらはダークボさん・・・ 長年木曜洋画劇場のプロデューサーとして「テレビの映画」に携わってきた、この道の酸いも甘いもかみ分けた映画通なのみャ!
トロ うわ〜っ とってもスゴい人なのニャ〜
ダークボ すでに映画担当の現役は退きましたが・・・ 現在はシネ通!の黒幕をさせてもらっています
トロ シネ通?
ダークボ 映画好きのための映画情報番組です
ダークボ この番組を見れば映画通になれることまちがいナシですよ
クロ なるほど!
トロ それでシネ通!なのニャ

クロ ってことで〜
クロ 今日はダークボさんに「テレビの映画」についてお話をうかがっちゃうみャ〜
トロ わ〜 おねがいしますニャ〜
ダークボ はい、よろしくおねがいします

「木曜洋画劇場」の思い出

クロ ダークボさんにお話を聞く上で・・・
クロ やっぱり木曜洋画劇場のハナシはハズせないよみャ
クロ 木曜洋画劇場といえば、やっぱあの数々の番宣CMとアクション映画!
クロ ジャンジャンジャジャンジャンクロード!
トロ ヴァンダミングアクション!
ダークボ ご存知ですか?
クロ 映画のCMとは思えない、ハジけたCMだったよみャ
ダークボ 「レジョネア戦場の狼たち」の番宣・・・
ダークボ あれが木曜洋画劇場のCMが話題になるきっかけとなったのですが、実を言うと、あれは苦肉の策だったんです
クロ そうなの?
ダークボ その頃、丁度自衛隊が海外に出かけようかという時期だったんです
クロ あ〜、あー・・・
クロ アレって堂々たる戦争映画だったもんみャ〜
トロ そ・・・そうにゃんだ?
ダークボ そんな時期にアフリカでひどい目に遭う外人部隊の映画は・・・
クロ さすがに怒られちゃうカモしれないみャ〜
ダークボ ですので、予告編を作る際には
ダークボ これは戦争映画じゃないヴァン・ダムの痛快アクション映画だ! ・・・ってコトにしました
トロ なんという発想の転換ニャ・・・
クロ モノは言い様ってやつだみャ
クロ しかし、あのCMにダマされたんだよみャ〜
クロ ぶっちゃけCMの方が本編より面白かっ・・・
トロ (ツッコミ)そんなにぶっちゃけちゃ失礼ニャ〜
クロ だが、見たことを後悔はしていない・・・
クロ ヴァンダムのやたらセクシーな背中から学んだモノは、きっとオレっちの血肉になったはず・・・っ!
ダークボ おかげでとてもハジけた予告編ができたわけなんです
トロ にゃるほど〜
クロ ケガの功名ってヤツだみャ
クロ きっとさぞや視聴率の方も・・・
ダークボ いやぁネットでは後々話題になったのですが・・・木曜洋画劇場を見てくれていた中高年層の男性には、ヴァンダミングアクションと言ってもわかって貰えないんですよね
トロ ありゃ〜
クロ オレっち一発で釣られたのに・・・
クロ ま、オレっちの若さゆえ・・・ということか・・・
トロ それはともかく、きっと記憶に残るCMだったのニャ
トロ だって今でもファンがおおいんだもん
ダークボ でも、映画館やレンタルビデオ、映画配信など・・・色々な映画の見方がある中で、テレビで見る必然性を持たせるために番組宣伝はとにかく派手にやろうと思っていましたね
トロ おお〜っ
クロ それでその後もはっちゃけたCMを続けたんだみャ
ダークボ やりすぎてえらい人からお叱りを受けたりもしましたけどね
クロ で・・・ですよね〜

テレビの映画=テレビ番組?

トロ ねぇねぇダークボさん、「テレビの映画」って映画館で見る映画と何がちがうのニャ?
ダークボ テレビで放映する映画と映画館で上映する映画・・・元は同じ素材としての映画ですが、テレビで放送する場合はテレビ番組になるんですね
トロ にゃ・・・にゃるほど・・・?
クロ それってどういうコト・・・?
ダークボ 映画館とテレビとの違いを考えると答えが見えてきます
クロ テレビにはCMがあったり、時間制限があったり・・・とか?

テロッブ 時間制限 CM 多様な視聴者・視聴環境に対応

ダークボ そうそう テレビで映画を放送する場合、こういった事情がありまして・・・これらをクリアしてはじめて「テレビの映画」たりうるわけです
トロ にゃるほど!
クロ 言われてみればどれも当然だけど・・・結構しばりがあるんだみャ〜

放送時間に、映画を合わせる!

ダークボ まず、放送時間についての制限ですが・・・一般的な2時間の洋画枠だと、実際に流せる分量は90分強になります
ダークボ つまり、この90分強に合わせて、映画をカットする必要があるワケです
クロ CMや予告編でずいぶんへっちゃうんだみャ
トロ そんなことしてお話がわからなくなったりとないのニャ?
クロ 切るってコトはシーンが減っちゃうってコトだもんみャ
ダークボ もちろん、そうならないように考えて編集をします
ダークボ たとえば1日分のシーンを丸々カットしたら、セリフで「おととい」と言っている部分を「昨日」にしたり・・・時には本編に無かったセリフを吹き替えで足す事もあります
トロ え〜っ!
クロ 英語をそのまま日本語にするワケじゃないのみャ?
ダークボ それではどうしてもつじつまが合わなくなってしまいますから・・・
ダークボ また、CMの後では途中から見る視聴者のために、状況を説明する様なセリフを足す場合もありますね
クロ ほほうなかなかの親切設計! だから酔っててもCM直後になると話がわかった気がするんだみャ
トロ クロってば いつもそんなカンジだよね・・・
クロ フロ上がりで一杯やりながらのセガールは最高だからみャ
ダークボ 映画の後半になってくると説明する事が多くなってしまい、だんだんとくどくなってしまうこともありますが・・・
トロ それでけしっかりフォローしてるんですにャ
クロ これだけでもずいぶん映画館の映画とは違うんだみャ
トロ 映画館だとトイレに行ったらお話わかんなくなるコトあるもんね・・・
クロ それは最初に行っておかないからダロ
トロ だって〜
ダークボ CMについては他にも気を使っている事がありまして、
トロ どんなコトニャ?
ダークボ もちろんちゃんと盛り上がる所でCMを入れる事が大切です
ダークボ 時間だけを見て切ってしまうと盛り上がらない事も多いので・・・
ダークボ さらにCMに入る前にはちゃんと続きを見てもらえるよう、声優さんにオリジナルより盛り上げてもらうような演技をお願いします
トロ それじゃ盛り上がった場面で「ココでCM〜?」って思うトキは・・・
クロ むしろ術中にハマっているってワケだみャ
トロ あわわ・・・「テレビの映画」おそるべしニャ〜

時にはこんな大改造まで・・・!?

ダークボ また、2時間の枠の中で複数の作品を1本の映画として放映する場合もあります
クロ ちょっ!!
トロ そ・・・そんにゃコトしちゃっていいまニャ〜?
ダークボ 放送枠や権利などいろんな要素が絡んでそういうことが起きたりするんです
クロ むしろやらないといけないんだみャ
ダークボ 例えば、「C.A.T.スクワッド」という作品では・・・いろんな事情で1と2を1本にまとめて放送する必要が出てしまいました
クロ な・・・なんというスペシャルエディション・・・
ダークボ 困ったことに、1と2で主人公の恋人役の女優さんが異なっていたんですよ
クロ ど・・・どうすんのよそれ〜
トロ 映画の途中で役者さんが変わっちゃうのニャ〜
クロ わかった!
クロ 1の恋人と2の恋人で、新たな三角関係の誕生みャ!こいつは萌えるぜ〜
ダークボ さすがにそれはちょっと・・・
ダークボ 結局吹き替えで名前を変え、それぞれ別のキャラということにして・・・後半に登場する2の彼女は妹という設定に変更しました
トロ なんとも大胆な変更ニャ・・・
クロ わりと別の話になってるみャ
ダークボ そこまでやるともはや二カ国語放送は出来ません
トロ バレちゃうもんね
クロ 英語わかる人が聞いたら大混乱みャ

手が入る事で、元より面白くなることも!?

ダークボ こんな風に大きく手を入れる場合もありますから、映画館で見たらちょっと微妙だった映画も、テレビ的に加工したら面白くなる可能性がある作品もあるんです
ダークボ それを見越して作品を発掘するのも、テレビ放映権購入担当者のセンスですね
クロ なるほど、編集する過程で面白くなったりするコトもあるんだみャ
クロ そういや、昔テレビで大笑いした映画のDVDを買ってみたら・・・な〜んか微妙だったコトあったみャ〜
クロ あれって気のせいじゃなかったのかもみャ
トロ 「テレビの映画」になって名作に生まれ変わってたのカモ!
トロ あ・・・でも、日本の映画でそんなことしたら怒られちゃうのかニャ?
クロ つーか、吹き替えが使えないから無理じゃね?
ダークボ 邦画も、CMのタイミングや放送時間の関係で編集する事はあります その場合、映画会社から監督やスッフが立ち会い、共同で編集作業をするのが通例なんです
トロ わ〜っ 作った人がやってくれるのニャ!
クロ それなら安心だみャ
クロ ていうか もはや、テレビ版ディレクターズカットなんじゃ!
ダークボ そうとも言えますね
ダークボ 以前「男はつらいよ」シリーズ全48作を一挙放送! ・・・という大きな企画をやったコトがあるんです
クロ うおー! 全部!
クロ 量もそうだけど気を使いそうだみャ
ダークボ 山田洋次監督の作品にハサミを入れるのはなかなか大変なのですが、特別に許可をいただいて、テレビ用に再編集しました
トロ まったくも〜ってくらいにキンチョウしちゃうカモ・・・
ダークボ そのときはオリジナルの映画自体を編集された石井巌さんと、たっぷり時間をかけて、とことんこだわって編集をしましたよ
クロ 本職の方がやってくれたのャ
トロ それって心強いのニャ
ダークボ 結局2年半にわたる作業の末、すべて編集をしたわけですが、その打ち上げの席で「楽しかったよ」と握手を求められた時は・・・
クロ く〜っ それは感無量でんみャ〜
トロ じっくり磨いてさらにイイ作品になったのニャ
ダークボ 編集する事によって原典を知る方からは「どこそこが違う」といった厳しい感想やご意見を頂くコトもあるのですが・・・テレビで放映する事による「テレビならでは」の変化も、楽しんでいただけると嬉しいですね
トロ にゃるほど〜!
ダークボ なにより大切なことですが、こういう作業はオリジナルへの深い愛情と理解が無いとできない、この点をみなさんにわかって頂きたいです
クロ 愛をもって編集にあたるからこそ、映画がよりよくなるんだみャ
トロ トロたちもみならわにゃいと!

「テレ東三羽ガラス」ってぶっちゃけ人気あるの?

クロ あっ最後にひとつだけ質問みャ〜!
ダークボ なんでしょうか?
クロ オレっちすっごく気になってたコトがあるんだけど・・・テレ東三羽ガラスっているよみャ?
ダークボ ヴァン・ダム、セガール、チャック・ノリスをそう呼ばれる方がいます
クロ ぶっちゃけあの3人でダレが人気あんのかみャ?
ダークボ 視聴率から見ると スティーブン・セガールが圧勝でした!
トロ わ〜 そうにゃんだ!
さすがは理想の父親像No.1スティーブン “パパ・ザ” セガールよのう・・・
ダークボ チャック・ノリスはゴールデンタイムに放送できるレベルの作品がほとんど無かったのですが・・・「プレジデントマン地獄のステルスコマンド」というTVムービーを、オヤジアクションの決定版と番宣したところ・・・
クロ プレジデントマンは心も優しい、とチャックが犬と戯れるCMだみャ
トロ そのワンちゃんが心配ニャ・・・
クロ ばっか、チャックは心が広いんですよ?
クロ アメリカにはこんなコトワザがあるみャ

チャック・ノリスはしばしば赤十字に献血する。
彼の血ではないが。

クロ どうよ? チャック・ノリスの優しさがわかるみャ?
トロ コト・・・ワザ・・・?
ダークボ その甲斐あってか10.1%という高視聴率を記録しました
クロ さすがチャック・ノリスは格が違ったみャ
トロ ヴァンダムさんはどうだったのかニャ?
ダークボ ヴァン・ダムはどんな番宣をしてもダメでしたねぇ
クロ ちょっ! 番宣で引っかかったのはオレっちみたいなのだけかよ〜
トロ どんな宣伝が多かったのニャ?
クロ こんなカンジ?

「これが究極、ダブルゼータヴァンダム」
「同じ筋肉、大激突!! どっちが勝っても・・・、ヴァンダボー!!」
(「レプリカント」のCMより)

「ジャンジャンジャジャン、ジャンクロード ヴァンヴァンヴァヴァン、ヴァンヴァンダム」
「ヴァンダムが香港で、筋肉・・・フィーバー!!」
(「ノック・オフ」のCMより)

「スーパー《ヴァンダミング》アクション、行くぜ!!」
(「レジョネア戦場の狼たち」のCMより)

クロ ちなみにヴァンダボー! はヴァンダムがダブルって意味みャ
トロ にゃ・・・にゃるほど・・・

そんなこんなで・・・

ダークボ 僕が関わってきた木曜洋画劇場は、その後、水曜シアター9に移り、それも2010年9月で終了しました
ダークボ 1968年に始まり、42年半もの間続いたレギュラー映画番組枠が、テレビ東京のゴールデンタイムからなくなったのは残念です
クロ オレっちも残念みャ・・・ 1週間の疲れがピークを迎える木曜日の晩に、アクション映画でリフレッシュするのが好きだったのにみャ〜・・・
ダークボ でも、テレビ東京は長い映画番組の歴史をもった放送局として、これからもいろんな映画を放送していくので楽しみにして下さいね
トロ 面白い映画をたくさん紹介してくださいニャ
クロ オレっち正座して待ってるみャ〜

テレビ東京2011年2月の映画ラインナップ
午後のロードショー(午後1:30〜)にて放送予定!

ダークボ 2月のテレ東での映画放送予定はこちらです!

テロップ割愛

ダークボ この週は真冬のサスペンス劇場と銘打った特集です!
ダークボ 特に2月7日放送の「逆転」はDVD未発売のレアものです
ダークボ 僕もまだ見たことがないんですよ
クロ うおっ そう聞くとがぜん興味が湧いてきたみャ〜
ダークボ そして番組プロデューサーイチ押しなのが、バレンタインデー・スペシャル「50回目のファースト・キス」です!
ダークボ ピュアな主人公たちに何度も感動させられ優しい気持ちになれる映画ですよ
トロ ふにゃ〜トロもみとみよっと!
ダークボ つづいては午後ロード恒例のクリント・イーストウッド特集!
ダークボ 実はイーストウッド御大が新作を公開する度にこの特集を編成しています
ダークボ 「荒鷲の要塞」では160分の映画を90分強にまで凝縮したという・・・「テレビの映画」のワザがこめられています!
クロ まさに今日の内容にぴったりの映画だみャ
トロ 楽しみなのニャ〜
ダークボ さらには番組プロデューサー渾身の企画アカデミー女優特集です
ダークボ 「ミザリー」では吹き替えの藤田弓子さんがハマリすぎて怖ぇ〜!
ダークボ ちなみに、2月24日放送の「モンスター」は地上波初放送の作品なんです! 昼間っからでもやる!
クロ うおー! それがテレ東の心意気みャ〜!
トロ まったくも〜ってくらいにふとっぱらなのニャ〜
ダークボ 3月もラジー賞特集とか・・・とんでもないラインナップを予定してますよ〜
クロ うおおおラジー賞! そんなんやっちゃっていいの?
トロ ラジー賞?
クロ 毎年アカデミー賞の前日に発表される・・・その年の最低の映画に与えられる賞みャ
トロ あわわ、なんという特集・・・でもちょっと気になるかも♥
クロ だよみャ
クロ こうしてみると毎日盛りだくさんだみャ〜
トロ お昼からこんなに映画をみれるってとってもゼイタクなのニャ
ダークボ 最近は吹き替えをせずにDVD版の音源を使用する場合が増えていますが・・・往年の名吹き替えを最新のHD画像にシンクロさせる作業もやっています!
ダークボ 午後ロードはいわばテレビ用吹き替え版のライブラリー工場と、言えるでしょうか
トロ うわ〜っ そうにゃんだ!
クロ 名吹き替えはぜひ後世まで残してほしいみャ〜
トロ それじゃダークボさん、今日はどうもありがとうニャ
クロ お会いできて楽しかったみャ〜
ダークボ いえいえ、こちらこそ! みなさん「テレビの映画」を楽しんで下さいね〜

トロ 「テレビの映画」って単に映画を流してるダケじゃないんだね〜
クロ テレビ番組としての条件満たしつつ いかに盛り上げるか・・・
クロ 常に考えながら番組を作っているんだみャ
トロ その時しか見られない特別バージョンになることもあるのニャ
クロ 映画館じゃとても上映されないような映画を・・・掘り起して来る眼力と知識も大したモンだよみャ
トロ ダークボさん、まったくも〜ってくらいに映画大好きだったもんね
クロ 仕事そっちのけで延々映画トークをし続けてたからみャ ホントはもっと沢山いろんなお話を聞いたんだけど・・・
トロ 全部紹介できないのが残念ですニャ
クロ ま、その辺はシネ通!を見てもらうってコトで!
トロ うんうん
トロ ってコトで〜
クロ ダークボさん、テレビ東京さん・・・ご協力ありがとうございました〜!
トロ tkr2000も「テレビの映画」の世界を楽しんでニャ
クロ 劇場の映画とはまた違った味わいがあるのみャ〜
トロ そんじゃ またですニャ〜
クロ またみャ〜

おわり
2011年1月23日 東京有楽町「丸の内ピカデリー1」で「ソーシャル・ネットワーク」を観た。

「ソーシャル・ネットワーク」
監督:デヴィッド・フィンチャー
製作総指揮:ケヴィン・スペイシー
原作:ベン・メズリック
脚本:アーロン・ソーキン
出演:ジェシー・アイゼンバーグ(マーク・ザッカーバーグ)、アンドリュー・ガーフィールド(エドゥアルド・サベリン)、ジャスティン・ティンバーレイク(ショーン・パーカー)、アーミー・ハマー(キェメロン&タイラー・ウィンクルボス)、マックス・ミンゲラ(ディビヤ・ナレンドラ)、ブレンダ・ソング(クリスティ・リン)、ルーニー・マーラ(エリカ)

先ずは、本作「ソーシャル・ネットワーク」は大変素晴らしい作品に仕上がっていた。

この2011年1月の時点でこんな素晴らしい作品に遭遇するとは・・・・。
今年の映画は全て、「ソーシャル・ネットワーク」と比較される運命を持ってしまった訳だ。

冒頭、ソニー・ピクチャーズのロゴが表示され、コロムビア映画のコロムビアレディのロゴが表示される。
コロムビアレディのバックにビートがきいた曲が流れ始める。
それは、ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)とエリカ(ルーニー・マーラ)のパブでのデート・シーンに繋がるブリッジとなるスコアである。

その曲がかかりはじめた時点で、わたしはこの映画の虜になっていた。
この映画は何か違うぞ、と。

そのファースト・シーン。
それは、ザッカーバーグとエリカのデート・シーン。
楽しいデートの会話から、別れを描くわずか数分のシーンである。

しかし、その数分で描かれているのは、映画にして2時間分もの情報量をぶち込んだ圧倒的な濃密さを感じさせている。

行間が読み放題なのだ。
マシンガントークの台詞の応酬に見え隠れする、エリカとザッカーバーグの過去。

そしてこの映画の本質が。
とっても重要なシーンが冒頭の数分間に隠れている。

特に、ザッカーバーグがもしかしてアスペルガー症候群じゃないの、と、ファーストシーンにて観客に思わせる手腕に驚きである。

そして、その濃密感は本作のラストまで維持されているのだ。

なんと濃密で芳醇な作品なんだろうか。
言わば数十時間分の物語を2時間にまで濃縮された作品だと感じられる。

そして、その濃密感あふれるシーンの連続は、それらのシーンそれぞれが独立した短編映画にも匹敵する完成度を持っている。

つまり、短編映画として金を取れる程のクオリティを持つシーンを贅沢に散りばめて製作したのが、本作「ソーシャル・ネットワーク」、と言う事なのだ。

何を言ってるかわからない人もいると思うのだが、ワンカットワンカットに力を入れるのは短編でも長編でも同じだと思うのだが、例えば短編やPV、CMと尺が短くなればなるほど、ワンカットへの執念と言うか作り込みの度合いは一般的に高まって行く、と言えるのではないだろうか。作品の予算的に考えても、例えば2時間の作品に20億かけるのと、30秒のCMに1億かけるのとは違うだろう。

別に長編は手を抜いている、と言う事ではないよ、念の為。

で、この「ソーシャル・ネットワーク」は、CMやPVのような秒単価、フレーム単価の仕事が、執念のこもった絵作りや演技、そして演出が行われているような印象を受けるのだ。

まるで、スタンリー・キューブリックがテイクを数十回も繰り返したかのように。

テイクを繰り返す事により、キャストは演技ではなく、素でキャラクターになりきってしまうのだ。

キャストはなんといっても、マーク・ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグだろう。

もう本作「ソーシャル・ネットワーク」 のザッカーバーグが登場するシーンは、ドキュメンタリーじゃないの、と思うほどに、キャラクターが自然と確立しており、正にザッカーバーグがそこに居たのである。

そして、リフレッシュ、リフレッシュ、リフレッシュ。

いやぁ、本当に良い映画でした。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

余談のチケット購入について。

皆さんご承知のように「丸の内ピカデリー1」は、「有楽町マリオン」の9Fにある、座席指定・定員入替制の劇場で、「ピカデリー1」で映画を観るためには、マリオンの1Fの劇場窓口で、当日入場券を購入したり、前売券を当日入場券に引き換える必要があります。

その目安として、1F劇場窓口には、残席の表示がされています。

その日の表示は二重丸(◎)だったので、残席が沢山あり、ゆったりと観られると思い、次の回の「ソーシャル・ネットワーク」を観る事に決定、前売券を近くのプレイガイドで購入し、再び窓口に舞い戻った。

列に並んでいる人は20人程度。
表示はまだ◎のまま。

しかしながら、窓口に到着したわたしは驚愕する。
実は残席は少なくなっていたのだ。表示は◎なのに。

窓口担当者によると、残席があとわずかにならないと◎の表示は変わらないとのこと。
どうやら同様の苦情が多い様子だった。

◎の表示を信じて列んだのに。

「やぎの冒険」

2010年12月23日 映画
2010年12月23日 東京池袋「池袋テアトルダイヤ」で「やぎの冒険」を観た。
今回の試写はマスコミ試写で、上映前に監督の仲村颯悟、プロデューサーの井手裕一の舞台挨拶、上映後にティーチインが行われた。

「やぎの冒険」
2011年1月8日公開:池袋テアトルダイヤ、キネカ大森、ブリリア ショートショート シアター
2月19日公開:テアトル梅田
監督:仲村颯悟
プロデューサー:井手裕一
協力プロデューサー・監督補:月夜見倭建
脚本:山田優樹、岸本司、月夜見倭建
撮影:新田昭仁
編集:森田祥悟
出演:上原宗司(金城裕人)、儀間盛真(大城琉也)、平良進(東江茂)、吉田妙子(東江ヨシ子)、城間やよい(金城裕子)、津波信一(儀間信二)、山城智二(バスの運転手)、仲座健太(東江裕志)、金城博之(良太)

「日本映画史上初、カントクは中学生!!」

冬休み、裕人(上原宗司)はひとりで那覇からバスに乗り、母親(城間やよい)の実家があるヤンバル(沖縄本島北部)・今帰仁村で過ごすことになった。
山と海に囲まれた緑深い集落、赤瓦の家屋、おばぁ(吉田妙子)とおじぃ(平良進)、口の悪い伯父(仲座健太)・・・。

街育ちの裕人だが、同じ歳の従兄弟・琉也(儀間盛真)やその友だちと遊びながら、12歳の感覚をもってぐんぐんとヤンバルの風景の中になじんでいく。

そんなある日、ヤギ小屋にいた2頭の子ヤギのうち1頭がいなくなっていることに気づく・・・。


先ずは本作「やぎの冒険」は大変素晴らしい作品に仕上がっていた。

監督は前述のように現役中学生の仲村颯悟。

わたしは自主制作映画をやっていたので、おそらく多くの人が思うように、本作「やぎの冒険」は、映画制作の実情は、まわりのスタッフが制作を行い、監督が中学生である事を作品の売りとしてプロモーションを行う、言わば監督はお飾り、と言うような作品だと思っていた。

しかしながら、上映後のティーチインでの質疑応答に伴う監督としての語り、そしてティーチイン後、気になった事を監督に直接ぶつけた監督の対応を聞いて驚いたのだが、仲村颯悟は恐るべき中学生だった。

その辺の映画監督でさえ、物語やテーマを恥ずかしげもなくセリフで語らせる時代なのに、それをせずに、婉曲な表現や暗喩で作品のテーマや物語を語る、と言う事を本作でやってのけているのだ。

仲村颯悟恐るべし。

しかし、それを成し遂げたのは、仲村颯悟だけの力ではなく、--もちろんクリエイターとしての力の話ではなく、大人の事情の話である--、井手裕一をはじめとした製作陣の対応が素晴らしかったのだと思う。

例えば、北野武が「その男、凶暴につき」を制作した際、お笑い業界から映画業界に殴り込みをかけた北野武を現場スタッフはバカにし、当初は北野武の思うように撮影がすすまなかったと聞く、しかし、本作「やぎの冒険」のスタッフは違っていた。

中学生の仲村颯悟を子供だと考えずに一人のクリエイターとして扱っていたのだ。

そして、そんな大人たちの中、脚本にしろ、撮影にしろ、編集にしろ、仲村颯悟が自分の好きなように撮ったのがこの「やぎの冒険」なのだ。

ファーストカットはクレーンを使った非常にクオリティの高い映像だったのだが、--カットのラストのカメラをよけるのはご愛嬌だが--、その後、主人公の裕人(金城裕人)が自分の部屋で目覚め、アパートを出るまでのシークエンスは非常に素人っぽく、正に自主制作テイスト、意味ありげに登場する水槽のカットとかもちょっと長く、あぁやっぱりこの程度のレベルの作品なんだな、とわたしは正直思ったが、主人公がアパートを出たカットの高速道路のトラックで驚愕したのを皮切りに、バスに乗って那覇からヤンバルに向かうシークエンスは正直驚きの連続だった。

こいつできるな、と。

特に普天間基地や、基地誘致を公約にする政治家が登場するあたりについては、製作サイドは中学生の撮った作品だと考えると、外すべきではないか、と考えたらしいのだが、そのシーンも普段の沖縄を描きたい、と言う仲村颯悟の意向で残されたそうだ。

更に驚く事に、普天間基地前をバスが通る際、バスの中で主人公の裕人が眠っている、と言う演出まで意図的にしているのだ。

おそらく、本作はほとんどシーン順に撮影していると思うのだが、冒頭の裕人が目覚めるシークエンスから、どんどん巧くなっていくのが、わかるのが気持ちいい。
あぁ、本当に仲村颯悟が演出をしているのだ、と。
映像作家として、良い経験をしているのだな、と。

物語は、前述のように、那覇と言う都会からヤンバルの村に遊びに来た少年が、自分が世話をしたヤギを食べる文化に触れて・・・・、と言う物語である。

あらすじを一読すると、前田哲の「ブタがいた教室」のような傾向の作品かな、と思ったのだが、個人的な感覚としてはロブ・ライナーの「スタンド・バイ・ミー」のような印象を受けた。

命の尊さを問うのではなく、少年の成長を描いているのだろう、と。

それは特に、裕人と琉也と2人の少年、都合4人の少年たちが遊んでいる姿だとか、ヤギを追い、裕人と琉也が焚き火の側で一晩過ごすシークエンスから、そんな印象を受けたのだと思う。

物語はそれほど複雑な物語ではなく、ありきたりで当たり前の物語なのだが、驚くべきほどの暗喩に満ちた作品である。

つまり、行間がめちゃくちゃ多く、行間を楽しめる観客にとっては、--監督の意図を探ろうとする観客に取っては--、めちゃくちゃ楽しめる作品なのだ。

例えば、上映後のティーチインで、ファーストカットとラストカットの意味がわからなかった観客から質問が出た際の演出意図を明示した驚くべき回答や、ティーチイン後の立ち話の際の水槽の暗喩の軽い説明、--しかし彼は決して全てを語ってはいない--、そして普天間基地を通る際、意図的に眠っている裕人。

ちょっと余談だが、脚本で最初に驚いたのは、裕人の母親は朝食はおにぎりを食べなさい、としつこく言うのだが、なんと裕人はパンを食べるのである。

やるな、仲村颯悟。
と思って、笑いがこぼれた。

また余談だが、井手裕一(プロデューサー)は東京の観客のために沖縄の方言に字幕をつけるべきではないか、と進言したそうなのだが、仲村颯悟はそれを退けた。
曰く、「字幕をつけて字幕に集中したら、内容がわからなくなるでしょ」。
なんとも恐ろしい中学生だ。

実際のところ、わたしは沖縄の方言がほとんどわからないので、全編にかけて沖縄の方言、特に興奮したキャラクターが喋る言葉はほとんど何を言っているのか理解できなかった。

でも、伝わるのである。

セリフに頼らない作品は素晴らしいと思う。

もしかしたら、優秀な作品は登場人物が話している言葉を全く知らなくても観客に伝わるんじゃないかな、とも思った。

セリフでテーマを語る凡百の無能な監督に見せてやりたい。

来年1月の公開なので、これ以上は内容に触れないが、本作「やぎの冒険」は、その辺のテレビ局が製作に名を連ねている作品より全然面白い作品に仕上がっている。

恥ずかし気もなく自局でガンガンプロモーションを行い、つまらない映画なのにも関わらず、大傑作だとか大人気上映中とか言って、観客を騙して劇場に呼んでいる作品と比べると雲泥の差を感じる。

このような良質な作品は、きちんとプロモーションを行い、確実にヒットさせなければならない。

それはわたしたち映画を愛する人々の義務である。

映画の未来のために。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
2010年12月1日 東京板橋「ワーナーマイカルシネマズ板橋」で「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」を観た。

と言う話は書きましたね。
でも今日も書いてみようと思います。だって、語り甲斐がある作品なんだもん。

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険
http://29346.diarynote.jp/201012012009113939/

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その2
http://29346.diarynote.jp/201012040039316354/

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その3
http://29346.diarynote.jp/201012040202165809/

3.脚本

今日は脚本について考えていきたいと思います。
しかしながら本作公開されてからまだ10日位なので、メインプロットや大きなネタバレについてはまだ書かないことにしたいと思います。
従って、重箱の隅をつつくような、細部のプロットについて考えていきたいと思います。
まあ、神は細部に宿る、って言う言葉もありますけどね。

さて、本作「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の脚本は佐藤嗣麻子です。
ご存知の方はご存知だと思いますが、彼女は本作の監督である山崎貴の奥さんです。

だからどうこうと言う話ではありませんが、監督と脚本が夫婦という事になりますと、一般の映画と比較すると、監督の意向が脚本に生かされている可能性が高い、と考えるのが一般的だと思いますよね。

因みに、佐藤嗣麻子が脚本を務めた最近の映画をあげてみましょう。

2010「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(脚本)
2010「ゴースト もういちど抱きしめたい」(脚本)
2009「BALLAD 名もなき恋のうた」(脚本協力/脚本は山崎貴)
2008「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」(監督、脚本)
2007「アンフェア the movie」(脚本)

いかがでしょう。結構話題作が並んでいますね。多分佐藤嗣麻子は一般的に、売れっ子脚本家と言う評価なのだと思います。
因みに、上記以外のキャリアはテレビムービーが多く、またテレビムービーの監督(演出)も結構やっていますね。

さて、今日の本題ですが、本作「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の脚本について、気になる部分をあげていきたいと思います。
先ほどお話ししたように細部についてのお話ですので、「ヤマト」と言う重箱の隅をちょこちょことつついていきたいと思います。

1)日本の皆さん

ヤマトのイスカンダル星への派遣が決定した後、橋爪功演じる地球防衛軍司令長官はテレビでその事を発表するのですが、その演説の際、驚いた事に「日本の皆さん!」と語りかけるのです。

ということは、地球防衛軍は日本の組織だと言う事なのでしょうか。
それとも、日本以外の国はガミラスの遊星爆弾により壊滅してしまったのでしょうか。
一気に夢から醒める瞬間でした。

2)14万8千光年

ヤマトは14万8千光年の彼方のイスカンダル星へ向かっているはずなのですが、脚本上、地球とイスカンダル星との距離が明確に語られるのは物語の終盤なのです。

あまりにも遠い、絶望的な旅だという事が明示されないまま物語がすすみます。

また、その絶望的に遠い距離のはずなのに、あっと言う間にイスカンダル星に到着してしまうのも問題だと思います。

先日お話ししたようにワープが簡単にできてしまうためなのか、またどの辺を航宙しているのかが明確に描写されていないせいか、脚本からは時間経過が全く感じられません。

また、宇宙空間を航宙しているのにも関わらず、宇宙空間の描写に乏しく、艦内だけの描写に終始しているのは何故なんでしょう。
絶望的な旅である感じが伝わってきません。

3)古代、波動砲のマニュアルは読んであるな

新造戦艦宇宙戦艦ヤマトの艦橋にやってきた古代進(木村拓哉)に対し、沖田艦長が波動砲を撃つように指示をするシークエンスで、真田さん(柳葉敏郎)が「古代、波動砲のマニュアルは読んであるな」と念をおすのですが、新造戦艦の必殺兵器の発射シークエンスだと言うのに、あまりにもリアリティが欠如していると言わざるを得ません。

そのシークエンスでは、ヤマト発進時にガミラスの惑星間ミサイルがヤマト目がけて飛んでくるのですが、古代はそれを波動砲で撃ち落とそうとする訳です。

しかも大気圏内、と言うか地表近くで。

オリジナルの「ヤマト」では主砲で大型ミサイルを撃ち落とすシークエンスが描かれ、ミサイルのヤマト直撃寸前でミサイルを落とす素晴らしいシークエンスなのですが、先日お話ししたように約70キロ先の惑星間ミサイルを波動砲で撃つ、しかもマニュアルしか読んだ事が無い戦闘班班長の古代がはじめて訪れたブリッジで、見よう見まねで撃っちゃうんですよ。びっくりですよね。

あと脚本と言うか、盛り上がりを考えると、いきなり必殺技(波動砲)じゃなくて、軽いジャブ(主砲)を見せて欲しいですよね。

4)あれは嘘だ

あるプロットと言うか設定について、登場人物があれは嘘だったんだ、と言うのですが、そりゃ無いぜ、と思ってしまう。
まあ嘘なら嘘でも良いのですが、脚本上、もうすこし上手に処理できたのではないか、と思います。

何のために、何を目的としてそんなプロットを採用したのか理解に苦しむ次第です。

5)エピソードの取捨選択が意味不明

冒頭の戦闘が、冥王星から火星になり、古代がカプセルを見つけるのが火星から地球になったのは良いとしても、初波動砲と初ワープのシークエンスが急ぎ過ぎです。

あと、反射衛星砲はやろうよ、と思った。
地球との最後の通信のシークエンスをやる位だったら反射衛星砲を実写化しろよ、と。

地球との最後の通信により、古代の過去やクルーのお涙頂戴的なシーンは排除して良かったんじゃないかと思う。
それより描くべきシーンがあったのではないか、と。

今回のガミラスの設定上、敵の存在感が希薄なのは仕方がないのかも知れないが、ヤマトが地球以上のオーバーテクノロジーを誇る敵対宇宙人の攻撃にさらされているようには全く思えないのだ。

通り一遍の攻撃を繰り返すガミラスに失望してしまう。

また、ドリルミサイルの脚本上の処理もおかしい。
先ほどの通り、ガミラスの設定があれなので、ドメル艦隊をだせ、とは言わないが、ドリルミサイルに関するシークエンスについて、脚本を適当にでっちあげた感が否めない。

これについては、全般的に古代の活躍が多くなる反面、他のクルーの見せ場が減っているのだが、例えば中盤までに真田さんの活躍がないため、ラスト付近の真田さんの活躍の説得力がない。
伏線がないまま、活躍する流れになっているのだ。

そして何より、真田さんのワープの説明がないのは致命的だと思う。
あの緑の照明の暗い作戦室で、床の大型スクリーンでワープの説明をしたり、ヤマトの航路の説明をして欲しかった。

「ヤマト」好きの柳葉敏郎もやりたかったと思うよ。

また驚いちゃうのは、「宇宙戦艦ヤマト」の映画化なんだから、「ヤマト」だけ描いていれば良いのに、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のエピソードやプロットを突っ込むのはいかがなものかと思った。

ただでさえ2時間しかないのに、映画2本のプロットをぶち込んだ挙げ句、ファンが重要だと思うようなシークエンスをポコポコと落とすのはどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。

本作に、「さらば宇宙戦艦ヤマト」で登場するはずの斉藤始(池内博之)が出て来たんで、こりゃ「さらば・・」の仁王立をやらせたいんだな、と思ったけど、そんなのやらなくて良かった、と言うかそのエピソードは「ヤマト」にはいらないたろう、と思った。

6)ラストのキャラクターは何よ

ラストに出てくるキャラクターとその舞台(風景の意)は、多分「GALACTICA/ギャラクティカ」のラスト付近を意識している、と言うか影響を受けているんだと思うけど、そんな暇あったのかよ、と思った。

まあ、途中でフェードアウトするカットがあるので、普通の映画ファンなら想像できるラストだと思うけど、いかがなものかと思ったね。

7)志願兵って何よ

地球は壊滅状態で、最後の希望としてヤマトのクルーを地球全土から募集しているはずなのに、残される人類の暴動も起きないし、クルー選抜の描写もないのは何故。

想像力がなさ過ぎると思う。
地球防衛軍指令長官の演説が「日本の皆さん」だから、ヤマトのクルーは日本人ばかりなのは仕方ないけど。(本当は仕方なくはないんだけど)

もう少し、背景を描写して欲しいと思ったね。

8)大和は希望の戦艦だったのか

古代は「大和は最後の希望のために戦った戦艦だ」的な発言をするのだけど、第二次世界大戦の戦艦大和は、一億総特攻のさきがけだったのではないかな。

この辺りに日本人が「ヤマト」を描く難しさがあるのだと思うのだが、脚本上クリアできない問題ではないと思った。

9)ガミラスの処理

おそらく、大人の事情で人類が人型ヒューマノイドと戦争する映画を作る事が出来なかったため、ガミラス人やイスカンダル人があんな処理になってしまったのだと思うが、それならそれで、ガミラスとかイスカンダルとか言う名詞や人類の事を、イスカンダルやガミラスが理解している理由が不明確で納得性に欠ける。

プロットを変えるのなら変えるで、多くの人が納得する合理的なルール作りを心がけて欲しい。

ガミラスにもガミラスの理由があり、ガミラスも地球と同様の人類である、と言う観点から勧善懲悪ではない物語が期待されているのではないか、と思う。

10)ガミラス艦の強度が以前のデータと異なっています

これは、冒頭の火星域での戦闘の際の相原のセリフ。

これも多分「GALACTICA/ギャラクティカ」の影響だと思うんだけど、そんなの想像できるでしょ。何しろガミラスは超オーバーテクノロジーの存在なんだよ。

このセリフは、ガミラスの描き方のひとつの伏線になっているんだけどね。

一時保存です。
2010年12月1日 東京板橋「ワーナーマイカルシネマズ板橋」で「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」を観た。

と言う話は先日書きましたね。

でも今日も書いてみようと思います。
だって、語り甲斐がある作品なんだもん。

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険
http://29346.diarynote.jp/201012012009113939/

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その2
http://29346.diarynote.jp/201012040039316354/


2.SFとしての「宇宙戦艦ヤマト」

時に西暦2199年。

そう、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の舞台は2199年。

しかも地球は、ガミラスから無数の遊星爆弾の無差別攻撃を受け、地表に住めなくなってしまった人類は、その赤茶けた地表から地下都市へと移り住んでいるのだ。

そんな中、製作された「SPACE BATTLESHIP ヤマト」に期待されているのは、21世紀のSF作品であろう。
ぼくだけじゃないでしょ。骨太なSFドラマを期待しているのは。

ところで、最近のSF映画のトレンドは、ハードなSF世界の構築に腐心しているのではないだろうか。
そんな状況の中、当然ながら我が国が誇るSF映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」もハードSFとしての作風が期待されていたのではないかと思う。
表層だけではなく、根底に流れる精神もね。

と言う訳で、本作をSF映画として考えた場合、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の世界観の構築にとっては、所謂SF考証が非常に重要になってくると考えられるのだ。

まあ、今日はSF考証だなんてなんだか小難しい固い事を言うのではなく、SF映画として本作を眺めた場合の違和感を考えていきたいと思う。

1)ユニフォームは皮革製!?

ヤマト乗組員のユニフォームのデザインはテレビアニメのデザインを踏襲しているのだが、上着はどうやら皮革製であるように描写されている。
ユニフォームの下(パンツ)はちとださいですけどね。

おいおい、地球の地表は放射能汚染で誰も住めない環境で人類は細々と地下都市で暮らしてるんだぞ、なのにユニフォームは皮革製品かよ。
牛とか羊とか馬とかの皮革だよ。
人間が地下で細々と暮らしているのに・・・・

もしそうなら、状況的に考えて超高級品じゃねーか、と思います。

まあ合成皮革かも知れませんが、見るからに普通の皮革みたいですよね。

こんな環境で、皮革を使うのはおかしいんじゃない、と思う人はいなかったのでしょうか。


2)酒ばっかり呑んでんじゃねーよ

まあ、ヤマトなんですから、別に艦内で酒を飲んでも構わないのですが、暇さえあれば誰もがみんな酒を飲んでます。

ヤマトが地球を旅立った後、ヤマト艦内では、戦闘しているか酒呑んでいるかのどちらかのシーンしかありません。

で面白いのは、クルーの皆さんはソフトドリンクを飲む場合はガラス製のグラスやデキャンタを使っているのですが、酒を呑む場合は金属製のカップ、(おそらく錫のカップだと思います)を使っているようなのです。

日本酒に錫のカップ、と言うこだわりなのだと思いますが、こだわる意味がわかりません。
美術のコンセプトと言うか、世界観の構築に錫のカップが貢献しているのでしょうか。

意味がわからないと言えば、娯楽室とか食堂のプロダクションデザインがおかしいです。
その辺の家具屋で売っているような椅子やテーブルがそのまま置いてあるのです。

従って、2199年の宇宙戦艦の内装とは思えないのです。

前述のように、SF映画としては世界観の構築が重要だと思うのですが、その重要な世界観の構築がなされていない訳ですね。

しかも、無重力状態になったら、使い物にならないような家具や食器ですよ。
って言うか、艦船としても考えられない位の普通の家具です。

狭い艦船内を有効に活用していない戦艦なんですね。ヤマトは。

無重力に耐えられる家具や食器にしようとは、誰も考えつかなかったのでしょうか。
ヤマトの艦内は狭いので、コンパクトで合理的な家具にしようと思わなかったのでしょうか。

SF映画なのに、家具とか食器とか言ってる時点でおかしいですよね。


3)第三艦橋が!

まあ、第三艦橋が壊れたりするのはヤマトのお約束なので良いのですが、伏線がしょぼいし(「ローレライ」の野球のボールかと思いましたよ)、その壊し方がまたもや「GALACTICA/ギャラクティカ」です。

脚本上、ただ単に、第三艦橋を破壊するために存在する伏線が哀れです。

ところで、「GALACTICA/ギャラクティカ」の女性戦闘機パイロットであるスターバックがオリンピックキャリアと言う民間船を撃つエピソードがあるのですが、これはそのエピソードのパクリです。

まあ、黒木メイサが演じる森雪のキャラクター自体が「GALACTICA/ギャラクティカ」のスターバックのパクリなんですから仕方がないんですけどね。

で、第三艦橋の壊れ方なんですが、不思議な事に宇宙空間なのに下に落ちていくんですね。これが。

無重力なのにおかしいな、と思う人はいなかったんでしょうか。


4)キーボード!?

ヤマトのブリッジにキーボードがたくさんあります。

2199年に現代のキーボードみたいなものが残っているのかな。
そのキーボードで宇宙戦艦をコントロールしているのかな。

キーボードで宇宙戦艦を動かすなんて安易ですよね。

誰もおかしいとおもわなかったのかな。


5)通信室

クルーのIDは4桁でした。
通信室での通信には、認識票(ドッグタグ)に表示されている認識番号が必要な設定だったのですが、その桁数はなんと4桁でした。

いくらなんでも4桁はないでしょう。
アメリカの社会保障番号は9桁なので、それにおまけがついて10〜12桁くらいじゃないですかね。

ところで、この通信は、即時性が維持されているんですが、ヤマトは亜空間通信でしたっけ。説明なかったですよね。

誰もおかしいと思わなかったのでしょうか。


6) I have control.

波動砲を撃つ際、古代は島から操舵を受け取るのですが、所謂You have control. I have control. ですね。(ヤマトではそんなこと言ってないけど)操舵を受け取る際の古代の操縦桿らしきもの、がとっても小さいし、操舵を受け取った瞬間ヤマトが揺れるんですよ。
これは設定上どうなんでしょうか。
例えば、南部に操舵を渡した方が良いんじゃないのかな、と思ったね。

目標、ヤマトの軸線に乗りました、とか言ってるのは南部だし。

船体を固定するのもどうかな。

あと、数十キロ先の目標を波動砲で撃つのは良いとして、目標が描写されないので、当たったのか外れたのかもわからないですね。

観客に危機感が全く伝わらないのです。


7)次元レーダーと作戦室

オリジナルのヤマトのブリッジ(第一艦橋)の中央には次元レーダーと言う半球状のレーダーが置いてあったのですが、今回のヤマトにはありませんでした。

と言うか、「GALACTICA/ギャラクティカ」でおなじみの作戦用のテーブルみたいのが、ブリッジの中央、艦長席と古代の席の間に、ありますね。

「GALACTICA/ギャラクティカ」へのオマージュ以外の理由で、次元レーダーをブリッジに置かないで、作戦用のテーブルを置く意味がわからない。

あと真田さんがワープの説明をする作戦室がなかった。
この作戦室は「新世紀エヴァンゲリオン」とかでも引用されているビジュアル的に大変素晴らしいプロップなのに何故出てこなかったのかな。非常にもったいないですね。

そういった細部の描写が重要だと思うのですがね。


8)ワープと波動砲って簡単ね。

エネルギーの充填のタイムラグはまあ良いんだけど、ワープも波動砲も危機感が全くない。

ワープについての真田さんの説明がなかったせいか設定の問題か、ワープのタイミングを間違えると宇宙が吹っ飛ぶ、と言う設定でもなかったし、古代が無理矢理ワープするシークエンスも全く危機感がない。

因みに、古代が無理矢理ワープするのも、「GALACTICA/ギャラクティカ」の最終回のジャンプのシークエンスのパクリでしょうかね。

9)アナライザー!

あの使い方はどうよ。
あの愛すべきキャラクターがあんな扱いに・・・・


10)ワープ

ワープのビジュアルどうですか。
煙と言うか水蒸気みたいの出てるけど大丈夫ですかね。

11)コスモ・ゼロ

発進する際、古代の首ガクってなんだよ。
いつの時代の演出だよ。

今時、F1だって首ガクってならないようにヘッドレストついてるよ。


まだまだつづくね・・・・

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その4
http://29346.diarynote.jp/201012112316056938/
2010年12月1日 東京板橋「ワーナーマイカルシネマズ板橋」で「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」を観た。

と言う話は先日書きましたね。( http://29346.diarynote.jp/201012012009113939/ )

でも今日も書いてみようと思います。
だって、語り甲斐がある作品なんだもん。

1.「引用と剽窃の境界」

オマージュやリスペクト、引用や剽窃、パクリや盗作。

世の中にはいろんな言葉がある。

映画の世界で、その作品が好きで好きで仕方がないから、そんな素敵な作品が撮りたいから、そんな格好良いシークエンスが撮りたいから、あのカットを撮りたいから、ちょっとだけ真似してみよう、と言う作品はたくさんある。

その気持ちはわかるけど、真似しちゃいけない部分、て言うのがあると思う。

先人たちが知恵を絞って考え抜いた設定やプロット、そしてトリックとかネタ。
表層ではなく、物語に真摯に向き合った結果、産まれた部分である。

それらを、言わばその作品の肝とも言うべき大きなトリックやネタを、格好良い表層だけ軽くパクるのは我慢が出来ない。

例えば、例に出して悪いが、「踊る大捜査線」シリーズが黒澤明やアルフレッド・ヒッチコックをリスペクトやオマージュの名のもとに、パクるのは許せないのだ。

例えば、上記の「踊る大捜査線」シリーズが、「羊たちの沈黙」とか「機動警察パトレイバー」、「機動戦士ガンダム」、「ジャガーノート」や「サブウェイ・パニック」、「オデッサ・ファイル」、「砂の器」などのちょっとしたシーンやカットを真似しちゃうのはまあ許せるとしても(あんまり許したくないけど)、「天国と地獄」の一番の大ネタや「知りすぎていた男」の大ネタを、作品最大の見せ場としてパクるのは絶対的に許せないのだ。

何故こんな事を書いているか、と言うと本作「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は米テレビシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」の影響をめちゃくちゃ受けていると言わざるを得ないからである。まあ、その他いろいろな作品の引用もあるんだけど、「GALACTICA/ギャラクティカ」の影響が一番多いと思えるのね。

まあ端的に言うと「GALACTICA/ギャラクティカ」の劣化コピーが「SPACE BATTLESHIP ヤマト」だと言えるのだね。

因みに「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の監督である山崎貴は「GALACTICA/ギャラクティカ」の大ファンであると言って差し支えないだろう。

「GALACTICA/ギャラクティカ」のオフィシャル・サイトで山崎貴は、「GALACTICA/ギャラクティカ」の魅力を語り尽くしているのだから。( http://www.galactica-saga.com/int01.html )

これは非常に興味深いコラムなので、是非多くの人、特に「SPACE BATTLESHIP ヤマト」と「GALACTICA/ギャラクティカ」を観た人に読んでいただきたいと思う。

印象的な部分を引用する。

── 旧作の「リ・イマジネーション」という点については、どう思われますか?

山崎 『GALACTICA/ギャラクティカ』の「リ・イマジネーション」って、僕はマンガの『PLUTO(プルートウ)』(※3)に近い感覚だと思うんですよ。オリジナルを大切にしながらも、21世紀の作品として仕上げてるところが。この人たち、ちゃんとオリジナルのいい面に敬意を払ってるというのが素敵です。

── 日本のVFXの第一人者から見て、『GALACTICA/ギャラクティカ』のVFXは?

山崎 いい仕事してますよね。目指していた「ミニチュアで撮った感じ」を本当に大事にしてる。ことさらにVFXを強調しすぎてるカットがない、という点もスゴいです。ニュースやドキュメンタリーの映像みたいですもんね。戦場カメラマンのようなカメラワーク── 。手ブレもあるし、急にズームしたりもする。戦闘シーンのBGMが太鼓の音だけという潔さもカッコいいです。

VFXの使い方がすごく大人ですよ。当然こういう作品だから、VFXというのは必要。かつては戦闘機が出てくるSFだったら、必ず“VFX大会”になってしまっていたんですけど、『GALACTICA/ギャラクティカ』にはストイックな戒めがある。ルールを作っている。「今、撮りに行ってきました!」みたいな絵にしているところは、共感できますね。そうしないと、今はもう駄目なんです。これ見よがしな絵なんてどうでもいいんですよ。そんなものは誰も求めてない。宇宙船の戦闘シーンなんて、過去に何百回と繰り返されてる絵だから、何か新しい要素を加えるためには、ドキュメンタリー風な撮り方はいいですよね。

── 『GALACTICA/ギャラクティカ』の中で、監督も使ってみたい技法はありましたか?

山崎 いろいろありますよ。でも、それは内緒、ということで(笑)。


どうです。
いろいろと凄い事言ってるでしょ。

穿った見方かも知れないけど、山崎貴が自ら封印していた「SF魂」を目覚めさせた作品である「GALACTICA/ギャラクティカ」みたいな作品をつくろうとして「SPACE BATTLESHIP ヤマト」を作っちゃった、と読み取れてしまうのが恐ろしいですね。

「GALACTICA/ギャラクティカ」の根底に流れる精神ではなく表層を。

つづく・・・・

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その3
http://29346.diarynote.jp/201012040202165809/
2010年12月1日 東京板橋「ワーナーマイカルシネマズ板橋」で「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」を観た。

本日公開初日なので、内容にはあまり触れませんが、わたしが「ヤマト」についてツイッターでつぶやいたことをまとめておきます。
ココを見ても同じですが・・・・ → http://bit.ly/hmzTjk

観る前。

2010年7月4日
実写版「宇宙戦艦ヤマト」の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」のタイトルロゴにSTARRING TAKUYA KIMURA って書いてある時点でヤバイ印象を受ける。

@cinema_kj まだ、未発表だけど、伊武雅刀がクレジットされているらしいので、デスラーはCGIキャラか、伊武雅刀でしょう。 RT @brzm505 いまだ発表されず? RT @cinema_kj: デスラーは誰?RT @yossypat 実写版「ヤマト」 #eiga

クリンゴンも顔色と言うか顔の形も変わりましたし。 RT @K_soB せめて顔は青塗りで 『TVも最初は肌色だった』とか認めないw QT デスラーはCGIキャラか、伊武雅刀でしょう。@brzm505 @cinema_kj @yossypat 実写版「ヤマト」 #eiga

2010年9月17日
ヤマトよ、どこへ行くのだ。 RT @cinematoday 実写版『宇宙戦艦ヤマト』主題歌はエアロスミスのスティーヴン・タイラーの書き下ろし曲に! - シネマトゥデイ http://ctd.me/cI4fTK #eiga

2010年9月20日
て言うか、宇宙戦艦ヤマトの作戦室あるいは、NERV本部の作戦室から見た光景じゃん。 RT @sgokuu うずしお(微妙) http://plixi.com/p/46142238 #eiga

2010年11月7日
この時期に・・・・。しかも停泊中の調査船「YAMATO」から転落って・・・・。ご冥福をお祈りします。 #eiga 『宇宙戦艦ヤマトプロデューサー西崎さん死亡 船から転落』 http://t.asahi.com/nr3

2010年11月21日
「宇宙戦艦ヤマト」予告編で木村拓哉がコスモゼロとかの戦闘機に乗って発進する時、頭がガクッてなるとこ見ると、正直ガッカリする。そんな演出の作品なんて今時ないよ。F1にだって頭ガクッてならないようにヘッドレスト付いてるのに、戦闘機でこれかよ的な。想像力がないと思う。 #eiga

2011年11月28日
「宇宙戦艦ヤマト」の件。ガミラスはともかく、アナライザーってどうなってるの。出て来ないの。それとも人間と見分けがつかなくなってるのかな。 #eiga

アナライザー!→ http://bit.ly/fYsAXD #eiga RT @tkr2000 「宇宙戦艦ヤマト」の件。ガミラスはともかく、アナライザーってどうなってるの。出て来ないの。それとも人間と見分けがつかなくなってるのかな。 #eiga

2010年11月29日
「宇宙戦艦ヤマト」×エプソンカラリオ! さすが黒木メイサ。 #eiga http://webprint.epson.jp/mypage/pickup/yamato/yamato.jsp

諸君!フジテレビ「SMAP X SMAP」で、「宇宙戦艦ヤマト」の冒頭をノーカットでやるらしいよ。 #eiga

「宇宙戦艦ヤマト」の冒頭のシークエンスで「ふゆづき」が撃沈されちゃうのは「ヤマト」は「新世紀エヴァンゲリオン」をやっつけたよ、って言うことでしょうか。 #eiga


観た後。

2010年12月1日
「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」 あ た ま に く る 。 もはや訴えられても文句言えないレベル。日本人として恥ずかしい。お願いだから世界で配給はしないで欲しい。 #eiga

「ヤマト」スターバックがオリンピックキャリア撃ってた。大気圏でジャンプして唖然とした。 #eiga

「ヤマト」人間が爆発で吹っ飛ぶカットは良かった。あの吹き飛ぶポーズはなかなか演出出来ないと思う。これは真面目に評価します。 #eiga

「ヤマト」映画の日って大好き!しかも初日だし。後悔なんかはしてませんよ。初日に観て良かったです。脚本、演出、美術、衣装、考証、世界感がダメ。多分想像力、考える力がないんだと思う。 #eiga

驚きました。唖然としました。いくら何でもこれほどとは・・・・。アナライザー大活躍でしたね。サイズが大きめでした。真面目に「ギャラクティカ」の関係者には観て欲しくないですね。 RT @Tshmz やはりそう思いましたか。 RT 「ヤマト」 あ た ま に く る 。 #eiga

え゛ーーーーーー。やめてーー! 海外の人に見せないで。日本人として恥ずかしいよ。訴えられないすかね。 RT @cinematoday [映画]木村拓哉『SPACE BATTLESHIP ヤマト』、海外配給決定で最高の船出! http://bit.ly/gkZhYt #eiga

ショックです!世界配給決まりました。「ヤマト」 http://bit.ly/gkZhYt 訴訟の危機かも。 RT @nzm ていうか、実写ヤマトは全体的に新ギャラクティカがお手本。そしてそれはたいへん正しい選択だと思う。世界進出とかさえ言わなければ。

「ヤマト」曰く、あれはワープだから「ギャラクティカ」じゃないもん! RT @Tshmz つまり中国の似非ディスニーランド的発想であると。 RT @tkr2000 日本国内一般大衆にとって、いかに「ギャラクティカ」が無名か~ RT 本国関係者が真面目に訴訟を考える #eiga

すげえ!RT @Tshmz @nostoro @satoshimako 山崎貴さん佐藤嗣麻子さん『ヤマト』発進おめでとうございます//VFX・プロット・キャラ造形上「引用と剽窃の境界」について考えさせられました。本作にとって『ギャラクティカ』とは何ですか? #sbyamato

すげえ! 山崎貴さん( @nostoro さん)のつぶやきは、「ヤマト」肯定派のリツイートの嵐だ。ぼくのツイートもリツイートして欲しいな。 http://bit.ly/hmzTjk #eiga #sbyamato

「ヤマト」の件ですが本心から言うと、監督の山崎貴さん( @nostoro )にはどうにもならない大人の事情が山積みだったのだと思ってます。大丈夫ですよぼくは山崎貴さんの次回作に期待してます。 #eiga #sbyzmzto RT @Tshmz まあ、欠席裁判ばかりもよくないのでw


みんな「SPACE BATTLESHIP ヤマト」を観て語ろうぜ!

☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」をめぐる冒険 その2
http://29346.diarynote.jp/201012040039316354/

「冷たい熱帯魚」

2010年11月27日 映画
2010年11月27日 東京有楽町「有楽町朝日ホール」で「第11回東京フィルメックス」特別招待作品「冷たい熱帯魚」を観た。

当日は、監督:園子温、キャスト:吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、梶原ひかり、渡辺哲を迎えたジャパン・プレミアだった。

「冷たい熱帯魚」
監督:園子温
出演:吹越満(社本信行)、でんでん(村田幸雄)、黒沢あすか(村田愛子)、神楽坂恵(社本妙子)、梶原ひかり(社本美津子)、渡辺哲(筒井高康)

2009年1月14日水曜日 午後9時11分——どしゃぶりの雨の中を一台の車が走っていた。車内には、小さな熱帯魚屋を経営する社本信行(吹越満)とその妻、妙子(神楽坂恵)の2 人。娘の美津子(梶原ひかり)がスーパーマーケットで万引きしたため、店に呼び出されたのだ。

その場を救ってくれたのは、スーパーの店長と知り合いの男、村田幸雄(でんでん)。村田は同業の巨大熱帯魚屋、アマゾンゴールドのオーナーだった。帰り道、強引に誘われ、村田の店へと寄る3人。そこには村田の妻・愛子(黒沢あすか)がいた。

村田は言った。
「ひとつ、どうです。美津子ちゃんがここで働くってアイデアは?」

(オフィシャル・サイトより引用)

2010年7月に公開された「冷たい熱帯魚」の予告編( http://bit.ly/gZjmvm )を初めて観たときの、わたしの感想は「もう、邦画じゃないね」( http://bit.ly/hCpAAF )だった。

はっきり言って予告編だけで興奮した。
はやく本編を見せろ!と。

そんな中、世界中の映画祭で次々と上映される「冷たい熱帯魚」のニュースを聞き、切歯扼腕するわたしは、日本での上映は一体どうなってんだよ!と思っていた。

そして、2010年10月、11月20日から東京有楽町で開催される「第11回東京フィルメックス」の上映ラインナップが発表された。
なんと、「冷たい熱帯魚」が特別招待作品として上映されるのだ( http://bit.ly/9mN7uM )。

余談だが、「東京国際ファンタスティック映画祭」無き後、わたしが一番楽しみにしている映画祭は「東京フィルメックス」である。
「東京フィルメックス」は日本最高の映画祭だと言うことになっている「東京国際映画祭」をはるかに凌駕する、東京で行われている映画祭の中で最高の映画祭だとわたしは思っている。

さて、本作「冷たい熱帯魚」についてだが、「冷たい熱帯魚」の一般公開は2011年1月29日公開なので、内容にはあまり触れないようにしたいと思う。
でもさ、オフィシャル・サイトで書いている程度は書くよ。

先ずは、「冷たい熱帯魚」が素晴らしい作品に仕上がっていたことを喜びたい。
そりゃあ、7月から見たくて見たくて堪らなかった作品だから、傑作だったんで一安心と言う気持ちが大きい。

脚本や演出はもちろん、俳優たちも一世一代の演技をフィルムに定着させようとしているし、それは見事に結実しているのだ。
彼らの、良い映画を作ろう、良い仕事をしよう、という気持ちや気概、そしてその本気感がスクリーンに溢れていた。

ところで、予告編を見てわたしが前述のように「もう、邦画じゃないね」と思ったのは園子温の映像スタイルからであった。
上映後のQ&Aで監督の園子温は「自分の映画はアクション映画だと思っている」と発言していたが、仰るとおりスピード感溢れるカッティングが堪能できるし、カット割がいちいち格好良い。長回しも訳者の力量がビンビン感じられる緊迫感溢れる仕上がりである。
もう画だけ見てても楽しい気分になってしまうカットの連続なのだ。

また、そんな監督のビジョンを現実化する美術や衣装もすばらしかった。
もちろん2軒の熱帯魚屋は当然ながら、社本家のリビング、そして村田の実家(?)の実在感は大変すばらしかった。

特に印象に残ったのは、冒頭、スーパーの冷凍食品の買物から食事に繋がるシークエンスにおける、電子レンジや食器洗い乾燥機の生活感には驚かされた。
具体的に紹介すると電子レンジのトレイ部分の汚れに驚愕した。
しかしながら、このいかれた食事、と言うか調理風景が世界に流れていると思うとちょっと複雑な気がする。

また、美術と言うか衣装だけど、アマゾンゴールドの制服はフーターズ( http://bit.ly/i14Nu1 )じゃないですかね。

ちょっと余談だけど、園子温はおっぱい星人なのかな。
女優人の衣装がやたらと胸を強調する仕様になっていたよ。

キャストは皆凄かったんだけど、なんと言ってもでんでん(村田幸雄)だった。
最初は、吹越満の演技を見るつもりで劇場に足を運んだのだが、実際のところ、吹越満に惹かれて劇場に行き、でんでんの演技を見せられて帰って来た感である。

でんでんは見事に全部食ってたね。
そんなでんでんの演じた村田幸雄と言うキャラクターは日本映画史に残るすばらしいモンスターだと思う。まあオフィシャル・サイトにも書いてあるけど、「羊たちの沈黙」におけるレクター博士とか「ノーカントリー」のアントン・シガーに匹敵するんじゃないのかな。

あとは村田の妻愛子を演じた黒沢あすかも凄かった。
先日「東京フィルメックス」で観た「ビー・デビル」のソ・ヨンヒも凄かったけど、黒沢あすかも凄い。
もう目玉が飛び出すくらい凄いです。

もちろん吹越満は期待通り。
ある意味、吹越満が演じた社本と言うキャラクターは物語の構成上、成長する(察してね)キャラクターとして設定されているのだが、成長前と成長後のギャップがすばらしい。

前半部分のダメな父親像が変貌する姿が心地よいのだ。

手放しで褒めているけど、気になる部分も若干あった。

脚本上、村田が何を求めているのかが明確ではなかったし、ラストの決着のつけ方も、若干釈然としない。

あとは、日本版の予告編が饒舌すぎる。
先ほど紹介した国際版の予告編(ティーザー)のように、もう少し煙に巻いた方がサプライズがあってよいと思った。

本作のような良質な作品は是非ともヒットさせなければならないと思うし、ヒットさせるのはわれわれ客の義務なのかも知れない。

しかしながら、現在の日本国内の配給システムでは本作「冷たい熱帯魚」はあまりヒットしない可能性が高いと思う。

わたしは、本心から本作「冷たい熱帯魚」のヒットを願う。
映画ファン必見、と言うか本作「冷たい熱帯魚」は、日本の映画ファンとして鑑賞が義務だと言っても良い程の素晴らしい作品だと思うので、来年の一般公開時には、是非劇場に駆けつけて欲しい。

本作はある意味日本映画のひとつの頂点を占める作品だと思う。
頂点が何個あるかは謎ですが・・・・

ところで、こんな良質な作品に出会う際、映画ファンとして嬉しい瞬間がある。

例えば、上映終了後、舞台に監督やキャストが登場し、彼らの誇らしげな姿に心からの拍手を送るような瞬間である。

舞台に登場するキャストやスタッフは既に観客がその作品に満足しているのを感じている。
そう、舞台劇で言うところのカーテンコールのような瞬間である。

例えば「第6回東京国際映画祭」で「さらば、わが愛/覇王別姫」の上映後、舞台に登場したレスリー・チャンに対する会場が一体となった圧倒的な拍手。

映画をレスリー・チャンを愛する気持ちで会場が一体となった瞬間である。

今日の「有楽町朝日ホール」の観客は「冷たい熱帯魚」を、そしてこの作品に関わった全てのスタッフをそして全てのキャストを愛していた。

素晴らしい作品の誕生にわたしたちは居合わせたのだ。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
2010年11月10日。イタリア出身の映画プロデューサー ディノ・デ・ラウレンティスが亡くなった。


こどもの頃、わたしの映画人性が始まった頃の話。

ディノ・デ・ラウレンティスの名前は魔法のような響きを持っていた。

デ ィ ノ ・ デ ・ ラ ウ レ ン テ ィ ス。 口の中で転がす異国の名前。

当時のわたしはプロデューサーと言う仕事が何をする仕事なのかは全く知らなかったが、その映画にラウレンティスの名前がクレジットされているだけでその映画は傑作に思えた。

わたしがそれほど映画にうるさくなかった時代の事である。

大人になったわたしにとってラウレンティスの名前は嘲りの対象となった。

でもぼくはラウレンティスの映画を愛している。

すばらしい映画を、そうでもない映画を、そしてくだらない映画をありがとう。
ドリパスってご存知ですか?
http://www.dreampass.jp/

ドリパスは、“新しいリスク分散装置 ”をコンセプトとした映画館特化型のフラッシュマーケティングサイト。基本部分はグルーポン系と同様で、映画館側が掲載した上映企画の購入が一定数を超えたら共同購入が成立。購入ユーザーは上映日時にあわせて映画館に足を運ぶ仕組み。決済は原則クレジットカードでおこない、発券に関してはPDFファイルの送信などケース毎に適した形で提供する。

そんな中、ドリパスが、9月11日、つまり「アメリカ同時多発テロ事件」が起きた日にふさわしい映画として企画したのが「地獄の黙示録 特別完全版」だったのです。

以下、ドリパスがつぶやいたツイートを引用する。

@dre_pass <次回予告>9月11日という日にふさわしい,名作を提案させて頂きます。

@dre_pass 第四弾企画発表!<68人集まれば上映!>映画史上に最も衝撃を与えた戦争映画!『地獄の黙示録 特別完全版』がバルト9で、一夜限りの復活上映!!

繰り返しになるが、ドリパスの思考回路では、9月11日という「アメリカ同時多発テロ事件」が起きた日に上映するにふさわしい作品として「地獄の黙示録 特別完全版」が浮かんだ、ということである。

なんとも不謹慎な印象を受ける。

しかしながら、ドリパスが「アメリカ同時多発テロ事件」が起きた9月11日に相応しい映画として「地獄の黙示録」を上映する件について、不謹慎さとか倫理的な問題はさておき、その思考を論理的に解釈することが出来るのである。

わたしが、ドリパスいかれているんじゃねーの、と食いついた( http://bit.ly/dis4ZW http://bit.ly/cIM9cM )のは、それに思い当たったから。

それは「地獄の黙示録」脚本家ジョン・ミリアスの発言に同調してるのだ、と。つまりドリパスは超タカ派だったのだと。

因みに、件のジョン・ミリアスの発言としては、大意として「アメリカと言う国は10年に1度戦争をしないとダメになる」(20年以上前のミリアスの発言をわたしの記憶で再現したもの)と言うものです。

ここから導かれるのは、ドリパスの政治思想的背景が超タカ派であると言う事でした。

「アメリカ同時多発テロ事件」とはなんだったのかと考えた場合、同時多発テロによりアメリカ本土が攻撃を受け、数多くの人々が亡くなった痛ましい事件で、非常に衝撃的な事件でした。

これによりアメリカ国民は、テロによる衝撃や喪失感の中、多くのアメリカ国民は愛国心に燃えると同時に、炎上する世界貿易センターで命がけで残された人々を救出した消防隊員や警官に賞賛が寄せられた。
一方、テロの首謀者を「アルカイーダ」だと断定したアメリカ国内では、イスラム教に対する敵意が芽生え、いろいろな嫌がらせが行われた。

50%を切っていたブッシュ大統領の支持率は、大統領就任後初めての大きな事件としてその指導力が国民の注目を浴びることとなり、それがテロとの戦争として位置づけられたことから、事件直後には国民の支持率は90%に到達した。

そして、アメリカはイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切ったのである。

つまり、アメリカ国民にとって「アメリカ同時多発テロ事件」は、衝撃、愛国心、ブッシュ政権支持、イラク戦争と言う流れを持つ大きな出来事なのである。

一方、超タカ派のアメリカ国民、または軍需産業等にとっては、もちろん、前述のような衝撃、愛国心等の観点は当然あるものの、イラク戦争を始めるきっかけとなった、語弊はあるが、良い事件なのである。(誤解しないでね)

そして、ジョン・ミリアスのように「アメリカと言う国は10年に1度戦争をしないとダメになる」と考える超タカ派な人たちにとっては、「アメリカ同時多発テロ事件」は、イラク戦争を始めることが出来るきっかけとなった出来事なのだ。

この観点とドリパスの観点が一致しているのではないか、ということなのだ。

表現が難しいし、誤解を招く表現になってしまうので、この辺にしておくが、ドリパスは一般の人々と比較して、ちょっと変わった観点で物事を考えているということである。

訃報:今敏

2010年8月25日 映画
2010年8月24日、今敏が亡くなった。膵臓がんだったそうだ。

日本の主要メディアが今敏の訃報を発信し始めたのは、日本時間:8月25日15:00過ぎ頃であった。
訃報に早い遅いは関係ないと思うが、わたしが確認した限り、アメリカ、フランス、イタリア、
スペイン、アルゼンチン、中国等海外のメディアは、日本時間:8月25日9:00の時点で訃報を発信していた。
因みに、IMDBが訃報を発信したのは、日本時間:8月25日4:30頃だった。
http://www.imdb.com/news/ni3963353/
http://twitter.com/IMDb/status/22028349202

日本が世界に誇る映画監督が亡くなったんだぞ!

なんらかの大人の事情があったのかも知れないが、日本人映画監督の訃報を海外メディアから知らされるってどうゆうことだよ!!


今敏の名前を認知したのは1997年に渋谷パルコで開催された「PARCO PRESENTS デイジーVISIONS 大友克洋とデジタル新世代展」でだった。
http://www.animetopics.com/news.php?news_seq=2367

大友克洋ファンのわたしは、大友の名につられ同「大友克洋とデジタル新世代展」に行き、
今敏の「PERFECT BLUE パーフェクト ブルー」のフッテージに圧倒された。

当時、大友克洋総監督の「MEMORIES」は観ていたのだが、同作に収録されている「彼女の思いで」は圧倒的名作品だったのだが、「彼女の思いで」と今敏の名前はわたしの中ではまだリンクしていなかった。

「大友克洋とデジタル新世代展」で公開されていた「パーフェクト ブルー」には、現在ま
で続く今敏の作風が満ちていた。

肉感的で重みが感じられるキャラクターの描写と、背景とキャラクターのシームレスと言っ
ても良いような一体感。

同展で、何度も何度も繰り返される「パーフェクト ブルー」のフッテージにわたしは見入っていた。

しかしながら、同「大友克洋とデジタル新世代展」の企画で大友克洋と森本晃司と今敏の座談会もあったのだが、「パーフェクト ブルー」のフッテージや「大砲の街」の原画、公開が2003年にまで遅れた「スチームボーイ STEAMBOY」のフッテージやなんかについては覚えているのだが、座談会の内容は全く覚えていないのが非常に残念である。

そして、「パーフェクト ブルー」の次に今敏の名前を目にしたのは「東京ゴッドファーザーズ」だった。
http://29346.diarynote.jp/?day=20040107

当時のわたしはこんなことを言ってる。

もし、この時期、アニメーション繋がりで、「ファインディング・ニモ」を観ようと思っているのならば、出来れば「東京ゴッドファーザーズ」を観ろ!なのだ。

で、「パプリカ」である。
http://29346.diarynote.jp/?day=20061221
http://29346.diarynote.jp/?day=20061022

「パプリカ」は「第19回東京国際映画祭」で、事実上のジャパン・プレミアとして今敏、筒井康隆、古谷徹の舞台挨拶付きで観たのだが、当時のわたしはこんなことを言っている。

微に入り細に入りきめ細かくきちんと演出されているアニメーション作品を観るのは大変気持ちがよく、かつ非常に有意義で、非常に感動的な経験である。

本編が描いている物語の内容ではなく、アニメーション作品が持つ、その特有の「動き」だけで、その「躍動感」だけで、その圧倒的な映像体験だけで泣けてしまう。

ところで余談だが、今敏は結構不遇なアニメーション作家だと思う。
と言うのも、今敏は「PERFECT BLUE」(1998)、「千年女優」(2001)、「東京ゴッドファーザーズ」(2003)と、圧倒的なクオリティで全くハズレがない、言わばエポック・メイキング的な作品群をコンスタントに製作し続けているアニメーション作家なのだが、残念ながら一般の認知度は低いような印象を受ける。

今敏と言う映像作家は、もっともっと評価されるべき映像作家だと思うぞ。

彼の作品はアニメーション作品ならではの圧倒的な躍動感、緻密なレイアウト、すばらしい脚本、的確でいながら大胆かつ細心の意識が注ぎ込まれた強烈な演出が楽しめる。

そして、誤解を恐れず言うならば、彼の作品は、「アニメーション映画」と言うカテゴリーではなく、「映画」と言うカテゴリーで語るべきクオリティを持った作品だといえる、と思う。

巨大メディアとコラボレーションしたようなつまらないアニメーション作品なんかを見ている場合ではない、と言わざるを得ないのだ。


そんな素晴らしい映画監督今敏が亡くなったのである。
日本が世界に誇る、世界中が愛した今敏が亡くなったのである。

今敏が現在制作している作品は「夢みる機械」である。
http://yume-robo.com/

なんらかの形で「夢みる機械」は完成されるとは思うが、今敏の新作として公開されることはおそらくないだろう。

もう、今敏の新作は観られないのだ。

慎んでご冥福をお祈りする。

http://kikori2660.tumblr.com/post/1007816998/5-18
テレビ東京のロードショー番組「水曜シアター9」の打切りが決定した。

「水曜シアター9」オフィシャル・サイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/theater9/movie/index.html

そして「水曜シアター9」の打切りが発表された( http://twitter.com/darkbo/status/21495403782 )直後、『「水曜シアター9」存続を求める署名』運動が始まった。

『「水曜シアター9」存続を求める署名』
http://www.shomei.tv/project-1586.html

わたしは、映画を観るなら原則的に字幕派なんだけど、日本語吹替のロードショー番組は、わたしを育ててくれた大切な存在だと思っている。

テレビ東京「水曜シアター9」の打切りはとっても残念で悲しいけど、『「水曜シアター9」存続を求める署名』 ってのはなんだか違う気がする。

例えば、賛同者を募って絶版・品切れ本の復刊を交渉する「復刊ドットコム」( http://www.fukkan.com/fk/index.html )は、ビジネスとして成立つから評価できるけど、『「水曜シアター9」存続を求める署名』は、ファンのエゴに過ぎないと思う。

みんなで1,000万円集めましたから、1週間だけ延長して下さい、とか、スポンサー見つけてきましたから、1ケ月だけ延長して下さい。と言う企画なら協力したいと思うけど、「水曜シアター9」を続けて欲しいから、テレビ東京さんなんとかして、と言うのは全く酷い話である。

結局のところ、現代日本においては「ロードショー番組」はビジネスとして成立しなくなってしまっている訳で、単純に言うとスポンサーが金を出さないプログラムになってしまったと言う事である。

日本語吹替えファンとしては、「水曜シアター9」の打切りは残念で仕方がないけど、事実は受け止めなきゃいけない。テレビ東京にファンのエゴで無理をさせてはいけないと思う。

「水曜シアター9」のスタッフもテレビ東京の人も、ギリギリまで頑張って頑張って、それでも打ち切らざるを得ない、と言う状況を考えなければならない。
署名している人たちも本気で考えて欲しいと思うし、理解して欲しいと思う。

見たい見たいだけじゃ圧倒的にダメだ。
2010年7月19日 東京飯田橋「飯田橋ギンレイホール」で「月に囚われた男」を観た。

監督・原案:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ネイサン・パーカー
出演:サム・ロックウェル(サム・ベル)、ドミニク・マケリゴット(テス・ベル)
声の出演:ケヴィン・スペイシー(ガーティ)

近未来。
エネルギーの枯渇した地球は、新たな燃料源が存在する月へその希望を求めた。
そして、宇宙飛行士のサム・ベルが世界最大の燃料生産会社ルナ産業との3年契約により、エネルギー源ヘリウム3を採掘して地球へ送るという仕事のため月へたった独り派遣される。
以来、彼は月面基地サラングを拠点として、人工知能を搭載したロボット、ガーティを相棒に月面での作業に取り組むが・・・・


本作「月に囚われた男」は先ずは大変おもしろい作品に仕上がっていた。

一番印象に残ったのは、2010年になっても未だスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の呪縛から脱出できていない点であった。

冒頭のランニングマシンのカットや繰り返される食事のシークエンス、テレビ電話と娘の誕生日、アンテナの故障、車輌の数、基地のインテリア、そしてガーティ・・・・、枚挙に暇がないほど「2001年宇宙の旅」の亡霊が見え隠れしている。

しかしながら、HAL9000の役をふられたガーティ(ケヴィン・スペイシー)のアンチテーゼ振りは良かった。
ケヴィン・スペイシーのおかげもあって、ガーティは、HAL9000(ダグラス・レイン)もびっくりの観客の印象に残るキャラクターになっている。

アンチテーゼと言う点で、ガーティを考えると、例えるならば「エイリアン」のアッシュが「エイリアン2」でビショップになったように、また「ターミネーター」のT-800が「ターミネーター2」のT-800になったように、観客の期待と言うか不安を見事に裏切るあたりが非常に小気味良い。

余談だが、例えた作品全てがジェームズ・キャメロンの作品だと言うのも興味深いでしょうね。
キャメロンの、観客の過去の作品の記憶(映画的記憶)を逆手に取る手法(発想)はすばらしいと思う。
具体的には、悪い奴だと思わせといて実は良い奴とか、またはその逆とか。

従って、前述の「2001年宇宙の旅」の呪縛から逃れられていない、と言う点はガーティに関しては、脚本上、非常に優れたミスデレクションとして機能している、とも言える。つまり、「2001年宇宙の旅」の呪縛から逃れられていない点を逆手に取っている、と言う意味でね。

物語の本筋は前述の通りなのだが、ご多分にもれず、SF映画にありがちな利益を最優先する非人道的企業(ルナ産業)が登場する。
名称は失念したが、「エイリアン」のアッシュ(イアン・ホルム)の会社(乗組員の生死や鉱物の運搬なんかより、知的生命体の検体を持ち帰れ)もびっくりですな。

その辺を考えると、テレビ電話の映像を録画する奥さんの気持ちはどうだったのだろうと考えてしまう。
そう考えるともしかしたら、最初のミッションでは・・・・、とかも考えてしまうね。

ところで、ラストの暴露については、実は複数の解釈が可能になっている。
片方の解釈は非常に辛い解釈なのだが、冷徹なSFとしてはそちらを推したいと思う。

余談だけど、月とサムの事を考えると本作「月に囚われた男」は、「新世紀エヴァンゲリオン」の月と綾波レイの影響下にある、とも妄想できる。

更に余談だけど、本作は美術とミニチュアワークが非常に良かった。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
2010年7月17日 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「借りぐらしのアリエッティ」を観た。

「借りぐらしのアリエッティ」
監督:米林宏昌
プロデューサー:鈴木敏夫
企画:宮崎駿
原作:メアリー・ノートン「床下の小人たち」(岩波少年文庫刊)
脚本:宮崎駿、丹羽圭子
美術監督:武重洋二、吉田昇
色指定:森奈緒美
音楽:セシル・コルベル
声の出演:志田未来(アリエッティ)、神木隆之介(翔)、大竹しのぶ(ホミリー)、竹下景子(貞子)、藤原竜也(スピラー)、三浦友和(ポッド)、樹木希林(ハル)

先ずは、本作「借りぐらしのアリエッティ」は大変素敵な作品に仕上がっていました。
ディテイルに凝った、愛すべき、大切にしたい作品です。

興味深いと思ったのは、観点としてですが、もし小人が本当にいたら、こんな感じだろう、と言うシミュレーションになっているところ。
特に物理シミュレーション。例えば液体の表面張力だとか、音の伝わり方だとか、体重が軽い生物にかかる重力だとか。
「サンダーバード」では出来なかった、自然の炎とか水のスケール感が正しく描写されていました。

物語は非常に単純でストレート。何か特別大きな事が起きる訳ではなく、借りぐらしの人々が長い人生の中で、度々遭遇する人間との係わり合いをただ単に、真っ当に描写しています。ドラマチックではないドラマにとっても好感が持てました。

多分誰もが思うことだと思うのですが、美術がすばらしかったですね。

演出は、基本的に米林宏昌がやっているようなのですが、非常に順当でソツがなく、細かいところに目が届いたもので、長編初監督としては素晴らしい作品になったと思います。

キャストは全く問題がなく、すばらしい人たちがすばらしいキャラクターを演じています。

ただ、樹木希林が、と言うか描かれたハルが若干オーバーアクトだったと思います。
他のキャラクターが抑えた演技(絵のこと)をしているのに、コメディ・リリーフをふられたハルと言うキャラクターのオーバーアクトが若干ですが、統一感を欠いているような印象を受けました。

印象深かったのは、ラスト近辺のアリエッティと翔の触れ合いのシークエンスなのですが、これはどう考えてもセックスのメタファーに他ならないです。
このような作品であそこまで描いたのは、凄いことだと思いました。

とにかく、本作「借りぐらしのアリエッティ」は大変すばらしい作品でした。
是非劇場へ。

余談だけど、借りぐらしの人々は、二進法で数を数えてましたね。
スピラーが二進法でアリエッティ一家に伝え、完全に伝わってましたから、借りぐらしの人々は二進法を使っている、と言えると思いました。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

「告白」

2010年7月16日 映画
2010年7月10日 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「告白」を観た。

「告白」
監督:中島哲也
原作:湊かなえ『告白』(双葉社刊)
脚本:中島哲也
出演:松たか子(森口悠子)、木村佳乃(下村優子/直樹の母)、岡田将生(寺田良輝/ウェルテル)、西井幸人(渡辺修哉)、藤原薫(下村直樹)、橋本愛(北原美月)

ある中学校の終業日。
1年B組の担任・森口悠子は、ある告白を始める。数ヵ月前、シングルマザーの森口が学校に連れてきていた一人娘の愛美がプールで死亡した事件は、警察が断定した事故などではなく、このクラスの生徒、犯人Aと犯人Bによる殺人だったと。

先ずは本作「告白」は大傑作だった。

湊かなえの原作「告白」の中に存在した、矛盾点や明示されない嘘、そして論理的な瑕疵、そして不自然なミスデレクションが、中島哲也により見事に読み込まれ、交通整理され、脚本上だが、全くと言って良い程問題がないすばらしい姿に昇華されていた。

おそらくだが、本作「告白」は、今年の映画賞レースのトップに躍り出てしまったのではないか、と思う。

物語は古くは黒澤明の「羅生門」をはじめとする、所謂「藪の中」スタイル。
語り手が次々と変わっていくことにより、物語がどんどん様変わりしていく様子が非常に楽しい。

物語自体は、前述のように、森口(松たか子)が学校に連れてきていた一人娘の愛美がプールで死亡した事件に端を発する物語で、わたし的な観点から見ると所謂ピカレスク・ロマンのような印象を受ける。

森口悠子と言う悪漢が誕生するにいたった本作「告白」に心から拍手を送りたい。

さて、印象的だったのは、冒頭の森口の告白シークエンスの学級の崩壊振りである。

多分、これが現在の中学校をリアルに描いているのだと思うが、こりゃ先生方大変だ、と思わざるを得ないね。

キャストは先ずは松たか子だが、非常に良かった。
感情を押し殺した能面のような演技スタイルに非常に好感を持った。
松たか子の代表作になりましたね。

一方、木村佳乃も凄かった。
ダメな親を見事に演じている。
大衆の代弁者的な役柄を振られており、日本中のお母さん達のメタファーとして機能している。

ついでに、岡田将生だが、学園ドラマの熱い先生を悪趣味にカリカチュアライズられたキャラクターは非常に興味深い。

子役の皆さんは皆さんだ大変すばらしかったが、基本的にイケメンさんと、かわいいお嬢さんばっかりだったのは、ちといただけない。
もうちょっとキャスティングをきちんとした方が良かったかも。

とりあえず、本作「告白」は大傑作なので、是非劇場で見てください。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
フィリップスが提供し、リドリー・スコットが協賛している「フィリップスシネマ」が超面白い。

2010年版は、共通のセリフで異なる物語の5つのショートフィルム。
映画ファン必見のショートフィルムなので、是非見て。

http://www.cinema.philips.com/

2009年版(だったかな)の傑作はこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=C5yhxqkJiAQ&feature=player_embedded

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tkr

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