さて、早速ですが2003年の目標の中間発表その12です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

まず映画です。

#071 「フォーン・ブース」スカラ座1 2003/12/06
#072 「ニックナック」(短編)スカラ座1 2003/12/06
#073 「ファインディング・ニモ」丸の内ピカデリー2 2003/12/09
#074 「過去のない男」新文芸坐 2003/12/13
#075 「トーク・トゥ・ハー」新文芸坐 2003/12/13
#076 「ロスト・イン・ラ・マンチャ」新文芸坐 2003/12/15
#077 「キリクと魔女」新文芸坐 2003/12/15
#078 「ラスト・サムライ」丸の内ピカデリー1 2003/12/22
#079 「パンチドランク・ラブ」新文芸坐 2003/12/26
#080 「めぐりあう時間たち」新文芸坐 2003/12/26

続いて、DVDやCATVです。

#222 「ある日どこかで」2003/12/01 DVD
#223 「サタデー・ナイト・フィーバー」2003/12/02 CATV
#224 「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 スペシャル・エクステンデッド・エディション」2003/12/04 DVD
#225 「ジャッキー・ブラウン」2003/12/07 DVD
#226 「台風クラブ」2003/12/07 CATV
#227 「フィラメント」2003/12/07 CATV 
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて16本(累計304本)でした。

さて、本の方は、

#056 「4TEEN」石田衣良著 新潮社 2003/12/03
#057 「プリズム」貫井徳郎著 創元推理文庫 2003/12/05
#058 「白い巨塔 第一巻」山崎豊子著 新潮文庫 2003/12/10
#059 「白い巨塔 第ニ巻」山崎豊子著 新潮文庫 2003/12/15
#060 「車のいろは空のいろ」あまんきみこ著 ポプラ社文庫 2003/12/17
#061 「白い巨塔 第三巻」山崎豊子著 新潮文庫 2003/12/26

読書は6冊(累計61冊)でした。

状況として、12月は師走ということもあり、仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況でした。

映画は結果月16本(累計304本)。
300本を超えた時点で、ほとんど映画を観なくなってしまい、月間最低本数だったのではないかと思います。

因みに、劇場での映画鑑賞は月10本(累計80本)でした。

読書の方は、月6冊(累計61冊)でした。


それでは、結果報告です。

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)

達成しました。


目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

達成できませんでした。


本年も同様の目標で頑張ろうと思います。
読書をなんとかしないといけませんね。

万座温泉

2003年12月31日
今シーズン2度目のスキーは、「万座温泉スキー場」でした。

午前中は、ちょっと吹雪。午後は晴とくもり。

風が強く体感温度が低かったが、楽しいスキーでした。

帰りの万座温泉もグッドでした。

例によって、スキーと言っても、わたしはショート・スキー(サロモン・スノー・ブレード)なのであるけどね。

2003/12/30

「ラストサムライ」

2003年12月29日
「ラストサムライ」を観た。

まず、第一点目に、意図はともかくハリウッドが日本という辺境の島国の伝統と文化とを礼賛する映画を創ったことに驚きを禁じえない。

従来のハリウッドの娯楽大作映画は、なんといっても自国であるアメリカを称え、賛美するものが大半を占めている。
勿論、そのアメリカ万歳的な娯楽大作映画を大喜びで観ている日本人にも問題があるのかも知れないが。

この映画では、そんなハリウッドが、日本の伝統と文化を描くことにより、アメリカの抱えている問題点を浮き彫りにしているのである。

この映画は、近代化を推し進める日本という国の中、滅び行く運命にある、美しくも孤高の存在「サムライ」を美化し、その「サムライ」に対する日本体制を批判することにより、かつてアメリカが行なったネイティブ・アメリカンの虐殺や、近代兵器による大量虐殺を非難する、という構成を持っているのである。

これはアメリカという国の中で、グローバルな市場を見据えたハリウッドの娯楽大作映画としては凄いことではないだろうか。

構成としては「出逢い」や「ブロンコ・ビリー」、「ワイルドバンチ」、「天国の門」等の滅び去り、死に逝く運命にある「カウボーイ」を描いた作品に近いのかもしれない。
感覚的には「天国の門」が近いかも知れない。

キャストはなんと言っても渡辺謙である。
ちょっとお笑い系の表情が散見されたが、今後のグローバルな活躍が期待できるのではないだろうか。

あとは大村を演じた原田真人が凄い。
キャリアのほとんどが監督や脚本である原田がこんなに扱いが大きい役柄を演じているのが凄い。
日本人キャストでは、渡辺の次に原田が評価されるべきではないだろうか。

真田広之については、かつての師匠千葉真一の「キル・ビル」と比較すると複雑な印象である。

小雪もまあまあだが、二人の子役が良かった。

斬られ役一筋の福本清三を評価するむきもあるが、日本映画界に与えた影響は否定しないものの、本作のみで考えると、わたし的には評価されすぎのような気がする。
それだったら、長谷川を演じたイガワトウゴウの方が良かったのではないだろうか。

ところで、気になったのは、現代の日本人の中に「サムライ」の遺伝子を持った人達がどれくらい居るのか、ということです。
おそらく、映画を観た日本人の多くが自分には「サムライ」の血が流れている、と思ったのではないでしょうか。
事実はどうでしょう。「サムライ」の子孫は微々たるものですよね。

音楽はハンス・ジマー、ジャンジャン鳴らすのは良いのだが、かつてのいろんな音楽が顔を出すし、タン・ドゥンの影響を多々感じる。
確かに悪くはないのだが、なんでこんなに評価されるのか不思議である。

美術は非常に良い仕事をしている。
勿論時代考証に難は否めないが。素晴らしい世界観を創出している。


あと気になる人へのお知らせです。

1.土下座はないだろう。
  あれは「土下座」ではなく「座礼」というものです。

2.武家ではちゃぶ台を使わない。
  今回のちゃぶ台は、家族のメタファーとして登場しています。オルグレンを家族だと認める意図でちゃぶ台が使われています。

3.サイレント・サムライが右手に刀を持っている。
  オルグレンには危害を加えない。という意図です。

4.殺陣に蹴りはないだろう。
  殺陣に蹴りを取り入れるのは最近の流行ですね。
  サムライが相手を足蹴にするのはどうかと思いますが、戦場では可ですし、サムライの隠れ里では、柔術等剣術以外の格闘技をやってましたから、総合格闘技的には蹴りも可でしょう。

丸の内ピカデリー1 2003/12/22

続くかも。
ポール・トーマス・アンダーソンの新作「パンチドランク・ラブ」を例によって池袋「新文芸坐」で観た。同時上映は「めぐりあう時間たち」。

ポール・トーマス・アンダーソンと言えば「ブギーナイツ」、「マグノリア」で一気にメジャーにのし上がった感がある。

「ブギーナイツ」は比較的B級作品で、単館系ロードショー作品であった。
一方次の「マグノリア」は、「ブギーナイツ」の単館的成功を受け、全国拡大ロードショー形式で公開された。
当時は日本国内でほぼ同時期に公開されたサム・メンデスの「アメリカン・ビューティー」と並び称された傑作であったが、実際は全ての観客に受入れられる映画ではなかった。

本作「パンチドランク・ラブ」も非常に灰汁が強い作品で、全ての観客にアピールできる作品ではないだろう。

物語は、感情面に問題を抱える主人公(アダム・サンドラー)が、初めて自分を好きになってくれる女性(エミリー・ワトソン)と出会い、彼女の優しさに見守られて不器用ながらも愛を成就させていく。というもので、ありきたりな感が否めないが、これはポール・トーマス・アンダーソン、一筋縄で行く筈は無く、脚本的に一本道でありながら、複雑な印象を与える。
競演は、フィリップ・シーモア・ホフマン。

キャスト的には、アダム・サンドラーが凄い。
勿論スタンダップ・コメディアンあがりの性もあり、コメディ系の役柄が多く、そのためか日本ではあまり評価されていないようだが、本作では精神面に問題を抱えているエキセントリックな青年を真摯に好演している。
やはり、役柄はコメディ系が多いが、演技は本物なのだ。

そして出番は少ないが強烈な印象を与えるフィリップ・シーモア・ホフマン。彼とアダム・サンドラーの電話でのやりとりは、下手すると映画史に残ったりしてしまうのではなんいだろうか。

「奇跡の海」、「クレイドル・ウィル・ロック」、「レッド・ドラゴン」等のエミリー・ワトソンも良かった。アダム・サンドラーと同様やはり感情精神面に不安定な役柄を見事にこなしている。

非常に短い作品ではあるが、ある種強烈な印象を観客に与えるのだ。
しかし、世間での評価はわたし的には過剰評価ではないかと思う。
大絶賛している人達が多いが、大絶賛に値するかはわたし的には微妙な気がする。

とは言うものの、良い作品である。
95分という短い作品ですので、観てみてはいかがかと思います。
「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を池袋「新文芸坐」の企画「シネマ カーテンコール 2003」で観た。2003/12/15

モンティ・パイソンの出世株、「バンデットQ」、「未来世紀ブラジル」、「バロン」、「フィッシャー・キング」、「12モンキーズ」、「ラスベガスをやっつけろ」等数々の傑作ファンタジー映画を世に送り出してきた鬼才テリー・ギリアムが長年暖めてきた企画 "The Man Who Killed Don Quixote" は、結果的に撮影6日目にして中断となってしまい、脚本は保険会社に差し押さえられてしまう。

本来はこの超話題作(出演は、ジョニー・デップ、ジャン・ロシュフォール、ヴァネッサ・パラディ等)のメイキング映画を製作するつもりが、実際はこのプロジェクトが空中分解する様を記録してしまったのである。

撮影現場上空を飛び交うNATOの戦闘機の騒音、主演のジャン・ロシュフォールの病気降板、豪雨によるセットの崩壊等々。

カメラは、そして観客は映画の完成に執念を燃やすテリー・ギリアムの並々ならぬ情熱を踏みにじるかのようなその悪夢のような出来事の一部始終を目撃するのである。


非常に悲しい映画である。
映画ファンにとって、本当に悲しい映画である。
かつてウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」を観た際に通じるような映画ファンにとっての悲しみを感じるのだ。

それにしても、テリー・ギリアムのイマジネーションは凄い。
今回のドキュメンタリーではその一端を垣間見ることができるのであるが、冒頭とラストに登場する巨人たちも凄いし、ジャン・ロシュフォールのドン・キホーテは本当に素晴らしい。
全ての人が納得できるドン・キホーテ像である。
本当にジャン・ロシュフォールのドン・キホーテが観たいものである。


ところで、最近の話であるが、ギリアムは「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」の成功により、ジュニー・デップに接触し、"The Man Who Killed Don Quixote"をやろうぜ、とデップ本人に語ったらしい。

頑張れ!テリー・ギリアム!!
"The Man Who Killed Don Quixote" を僕等にみせてくれ!!!

ガーラ湯沢

2003年12月25日
2003/12/23

今シーズン最初のスキーは「ガーラ湯沢」だった。

わたし的には、東京から夏タイヤでスタートだったため、関越トンネルの手前のスキー場を考えていたのですが、ICから距離が近いスキー場が良い、というドライバーの意見で湯沢方面へ行くことになった。

で、ドライバーが行った事が無かった「ガーラ湯沢」に行くことにしたのだ。

まあ、今シーズン最初なので、わたし的にはどこでも良かった訳で、先シーズンの勘を取り戻すことが最大の目的だったのだ。

まあ天候も良く、勘もすぐもどったが、腿の筋肉が衰退しており、結構疲れてしまったのである。

スキーと言っても、わたしはショート・スキー(サロモン・スノー・ブレード)なのであるけどね。

「キリクと魔女」

2003年12月20日
池袋「新文芸坐」の2003年の傑作・感動作の企画上映「シネマ カーテンコール2003」で、フランスのアニメーション映画「キリクと魔女」を観た。同時上映は「ロスト・イン・ラ・マンチャ」。

はっきり言って素晴らしい映画だった。

物語の舞台はとあるアフリカの村。
ある日、小さな男の子が母親の胎内から自力で生まれ出て、自分でへその緒を切り、自らキリクと名乗るのだった。
キリクが生まれた村は、魔女カラバの脅威に晒されていた。キリクの父親や村の男たちは、カラバに戦いを挑み、その結果みな彼女に喰われてしまった。カラバの呪いによって村の泉は枯れ、黄金も奪われてしまった。そんな中、キリクは「どうして魔女カラバは意地悪なの?」と村人に問いかける。その質問に“お山の賢者”だけが答えられると知ったキリクは、さっそく会いに向かうのだった・・・・。

まず、色彩(発色)が素晴らしい。「クルテク」やカラー創世記の少しハレーション気味のロシア映画のような色彩を感じる。
クリアーでビビットな色彩設計が凄い!!

そしてセリフだ。
冒頭のシークエンスを紹介すると、

キリクが母親の胎内から母親に話し掛ける。
キ「かあさん僕を生んで」
母「お腹の中から話し掛ける子どもは自分で生まれるの」

キリクは自ら生まれ出て、臍の緒を切り、
キ「かあさん僕を洗って」
母「自分で生まれた子どもは自分で洗うの」

キリクは自分で自分の体を洗い、
キ「かあさん僕のとうさんはどこ」
母「魔女カラバに戦いを挑みカラバに喰われたの」
キ「かあさん村の男たちはどこ」
母「魔女カラバに戦いを挑みみんなカラバに喰われたの」
キ「かあさん村の男たちはみんなカラバに喰われたの」
母「いいやおまえのおじがのこっているの。今カラバに戦いを挑みに出かけたところ」
キ「たすけなきゃ」

こんな散文的で、詩的なセリフが永遠に続くのだ。
わたしは日本語吹替版を観たのだが、原語もおそらく、散文的なセリフなのだろうと思われるが、翻訳も素晴らしいのだ。

物語は、魔女が村を脅かし、小さな子キリクが魔女の謎を解き、村に平和をもたらす。という神話的、普遍的物語。
従って全ての民族にアピールする力を持っている映画なのだ。

そして音楽。
これは以前、「しりとり界に革命を起こした」と言われたユッスー・ンドゥール。
素朴で打楽器を中心としたソウルフルな音楽は力を持っており、特にキリクを称える一連の唄が素晴らしい。

因みにこのユッスー・ンドゥール、日本ではホンダ「ステップ・ワゴン」のCFでビートルズの「オブラディ、オブラダ」をカバーしたことで有名ですね。

この「キリクと魔女」は、全ての民族にオススメできる一本なのだ。
ペドロ・アルモドバル監督作品「トーク・トゥ・ハー」を池袋「新文芸坐」の2003年の作品を振返る企画上映で観た。
同時上映は先日お話した通り「過去のない男」。

物語のアウトラインは、

4年前に交通事故に遭い、それ以来昏睡状態に陥ったまま一度も目覚めることのないアリシアと、彼女を4年間の間、献身的に看護し、毎日語り続けているベニグノ、そして、アリシアと同様に、競技中の事故で昏睡状態に陥ってしまった女闘牛士リディアと、彼女の突然の昏睡状態に悲嘆にくれる恋人マルコ。

ベニグノとマルコは同じクリニックで顔を合わすうち、いつしか言葉を交わすようになり、互いの境遇を語り合う。
そして、二人は似たような境遇の下、次第に友情を深めていく・・・・。

というもの。

わたしは本作の劇場予告編を観て、本作を観たくて観たくて仕方がなかったのだが、封切り公開時に結局見逃してしまい、今回の企画上映で、やっと観る事が出来た訳である。


わたしの第一印象は、大変素晴らしい映画を観た。というものだ。

「二人の女性が昏睡状態に陥り、二人の男性が昏睡状態の女性をそれぞれ愛する」という物語の骨子は、既に多くの観客にとって、劇場予告編等を通じて周知の事実だったのだが、わたしは本作冒頭の舞台のシークエンスから続くクリニックを舞台としたベニグノとアリシアのシークエンスで驚かされた。
そう、アリシアは既に昏睡状態で、ベニグノは彼女の看護をしていたのである。

勿論、結果的に本作は時間軸を解した上で、再構成されている訳ですから、冒頭シーンで既にアリシアが昏睡状態にあることについてては、本来驚くべこきことではないのだが、この時間軸の分割再構成は、うれしい誤算だった訳である。

この時間軸の分割再構成による本作の構成は見事で、脚本的にも十分満足の行く作品に仕上がっていた。
撮影や演出的描写は、舞台のシークエンスと劇中映画のシークエンス以外は比較的ストレートな手法がとられており、偶然が度重なる物語に対し、リアリティを付与することに成功している。

冒頭とラストに挿入される舞台のシークエンスと、中盤に挿入される劇中映画のシークエンスは、ほぼ明確に本作の物語への言及と暗喩がされており、雰囲気は本作のそれと異なるものの、良い効果を与えている。

キャストについては、先ずベニグノを演じたハヴィエル・カマラは、見るからに微妙な部分で常軌を逸しているように見えてしまう部分が、なんとも釈然としないが、それを除けば良い仕事をしている。
「グラディエーター」のホアキン・フェニックスのような微妙な異常性が感じられた。

一方、マルコを演じるダリオ・グランディネッティは、観客の良心的代弁者的役割で、観客の感情移入しやすい役柄となっていた。
こういった俳優を主役に据えることに対し、ヨーロッパの文化の高さを感じる。

物語が始まった時点で既に昏睡状態に陥っていたアリシア役のレオノール・ワトリングは、没個性的で受動的な演技(何もしないという演技)を見せており、あまり魅力を感じないが、本作のラスト近辺での彼女には溢れんばかりの魅力を感じる。
彼女の多くのシーンが昏睡状態としい、役柄上評価は難しいところだが、ラストの演技だけで、素晴らしい演技を見せているような印象を受けてしまう。

これはマルコがアリシアを発見する表情と相まって、素晴らしいシーンに仕上がっている。
これは後の舞台でのシーンにも繋がっている。

リディアを演じるロサリオ・フローレスはアリシアと比較すると対極的な印象を受ける。彼女の行動力や性格がアリシアの昏睡状態による女性陣のパワー不足を見事に補っている。

さて、アリシアに感情移入した観客により、非難されているベニグノの行為だが、これを考える上で、前提となるのは、

1.この行為は、愛情から派生している。
2.この行為は、男性の本能の発露である。
3.ベニグノは犯罪者として法で裁かれ、罪を償っている。

という点を考えなければならない。
感情的に「ベニグノの行為を許せない」、というのは観客にとって至極簡単だが、観客に求められているのは、「ベニグノの行為を理解する」ということである。
わたしたち観客は、観客の代弁者であり良識のメタファーであるマルコの目を通じてベニグノの行為を見ることになる。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「アレックス」なんかもそうでなのだが、本作同様物語のアウトラインのみを見て、感情的に物語を否定しているようだと、映画を理解することなど不可能なのだ。

感情だけではなく、論理で映画を感じ、その上で理解しなければ、監督の意図などつかめないのだ。

「過去のない男」

2003年12月14日
池袋「新文芸坐」の特集上映企画「シネマ カーテンコール2003」で、「過去のない男」と「トーク・トゥ・ハー」を観た。

フィンランドのアキ・カウリスマキの「過去のない男」であるが。

物語は、
所謂オヤジ狩りに遭い、瀕死の重傷を負い過去の全ての記憶を失ってしまった男が、救世軍のひとりの女性と出会い、人生でおそらく始めての充実感を感じるが・・・・
というもの。

視点は客観的で淡々としており、主人公である「過去のない男」の性格的な描写がバカ正直でフェアで、偏見や予断に満ちていない点が非常に興味深い。

が、記憶喪失になった場合のリアリティとしては、疑問を感じ、若干の興ざめを感じた。

本作は、各方面で絶賛されているわけである。
しかしながら、わたし的には大絶賛されている訳がわからないのだ。

本作のアキ・カウリスマキには、マニアックな信奉者とも言える観客がついている。
また「過去のない男」は国際的な賞もいくつか受賞している。

それがどうか、と言われても困るのだが、本作はまあ、淡々系の普通の映画だとは思えるが、各メディアでの大絶賛の理由がわたし的には理解できないのだ。

「孫悟空VS白骨精」

2003年12月13日
亀有リリオホールで京劇を観劇した。

演目は『張春祥・新潮劇院・痛快新編娯楽京劇「孫悟空VS白骨精」』。

しかし、わたしの期待には、若干物足りたいものであった。

今回の京劇は、中国のオリジナルではなく、日本人向けの翻案がされていたのである。
そして、キャストの半数は日本人で、しかも彼等の台詞はなんと日本語であり、動きも京劇特有の動きではなく、アクションはこなすものの、普通の舞台の動きであった。

しかし、張春祥をはじめとしたプロの京劇役者は素晴らしかった。

台詞回しは、例の甲高い京劇調。
動きは、人間の物理的限界を超えたものであり、飛んだり跳ねたりのわかりやすい動きより、ただ単に立っているだけ、歩いているだけで感動すらしてしまうのだ。

今度は、オリジナルに忠実な京劇を観たいものである。

"I Was Born To Love You"

2003年12月12日
2004年1月12日スタートのフジテレビ「月9」のドラマ「ブライド」の主題歌が「クイーン」の「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」に決まった。

出演者は木村拓哉(31)、竹内結子(23)、坂口憲二(28)等。

「ブライド」では、「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「ボヘミアン・ラプソティー」など計8曲が使用される模様。


頼む、勘弁してくれ!
ピクサー・アニメーション・スタジオの新作「ファインディング・ニモ」を観ました。

わたしの記憶では、ピクサー・アニメーション・スタジオとは、元々はジョージ・ルーカスが創出したインダストリアル・ライト・アンド・マジック(ILM)において「スタートレック/故郷への長い道」のタイム・トラベル・シークエンスのVFXを担当した人達が独立して作ったアニメーション・スタジオで、現在ピクサー・アニメーション・スタジオ社のロゴになっている、ランプの親子が登場するショート・フィルム「LUXO Jr.」で一気に技術の最先端に躍り出、様々な賞を受賞、また同社のCGIツール「RENDERMAN」は業界のデファクト・スタンダードなツールとなっています。
(誤情報かもしれません。あくまでもわたしの記憶です。)

因みに、2003年作品でピクサー社の「RENDERMAN」が使用された映画は、"Bad Boys 2"、"Charlie’s Angels: Full Throttle"、"Finding Nemo"、"The Lord of the Rings: Return of the King"、"The Matrix Reloaded"、"Seabiscuit"、"Terminator 3: Rise of the Machines"・・・・。


さて、「ファインディング・ニモ」ですが、わたしの第一印象としては、世代を問わず楽しめる非常に良質な娯楽作品だ、という印象を受けました。

まあ、おそらく「ファインディング・ニモ」については、絶賛の嵐だと思いますし、内容について書いたりしてもあまり面白くは無いので、気になった点をいくつかご紹介したいと思います。


1.ニモという名前

先ず「ニモ」という名前ですが、今回の「ファインディング・ニモ」では日本語表記は「ニモ」となっていますが、従来は「ネモ」という日本語表記があてられていました。

これは「海底2万マイル」のネモ艦長(船長)と同じく、原典はラテン語の"nemo"で語意は「誰も〜ない」の男性与格、英語では"nobody"となり、名詞では「つまらない人, 無名の人」という意味になります。

つまり、「ニモ」は「誰でもない人」と言う事になりますが、これは同時に逆説的ではありますが、「全ての人」を表している訳です。
そして、「ファインディング・ニモ」における「ニモ」は単なる主人公の名前ではなく、この世の中の「全ての子供」を暗喩している事になります。

「ニモ」は、「みなさんの子供」、「世界中の全ての子供たち」という意味なのです。


2.ホオジロザメのブルース

マーリンとドリーの旅の途中、「アルコール依存症患者の会合(AAミーティング)」のパロディである「禁魚の会合」において、マーリン等の友人になるホオジロザメの名前はブルースです。
ブルースという名前のホオジロザメといえば、勿論「ジョーズ」シリーズのホオジロザメですね。
ホオジロザメの名前がブルースというのは、最早お約束的「ジョーズ」へのオマージュと言えるでしょう。
AAミーティングのパロディも秀逸ですね。


3.「シャイニング」への言及

そして、ドリーの血の匂いを嗅いだブルースがマーリン等を追いかけるシークエンスで、ハッチの壁を破り、ハッチの割れ目から顔を出してブルースが言ったセリフは、なんと、

"Here’s Brucy!"

これはスタンリー・キューブリックの「シャイニング」への確信犯的オマージュです。
「シャイニング」において、ジャック・ニコルソン演じるジャックが、奥さんと息子が立て篭もったバスルームのドアを斧で割る、映画史に残る有名なシークエンスがありますが、ドアの割れ目から顔をのぞかせてジャックが言ったセリフがなにしろ、

"Here’s Johnny!"

ですからね。


4.NGシーン

ピクサー社の長編作品と言えば、エンド・クレジットのNGシーンがお約束ですが、本作「ファインディング・ニモ」のエンド・クレジットには、NGシーンが一切入っていません。現れては消えるクレジットと遊ぶ本編のキャラクター達が出てくるだけです。

仮に「ファインディング・ニモ」のエンディングにNGシーンが入っていたとしたら、観客にどのような影響を与えたでしょうか。

おそらく、「ファインディング・ニモ」の物語が持つ魔法の力を打ち消してしまい、幸せな気持ちが霧散してしまうのではないでしょうか。
それは、エンド・クレジッシにNGシーンを入れることにより、『君たちが手に汗握って楽しんだこの物語は実は「作り物」ですよ。』ということを間接的に表現してしまうからです。
興ざめ、ということです。

特にこの「ファインディング・ニモ」は過去の作品である、「トイ・ストーリー」や「モンスター・インク」のような荒唐無稽な物語と比較すると舞台設定にリアリティがあり、ディフォルメされてはいるものの、もしかしたら本当にあった物語かも知れない、という印象を観客に与える作品ですから、NGシーンを入れなかった、ピクサー社に拍手を贈りたい気分です。

※ 余談ですが、エンド・クレジットに「モンスターズ・インク」のマイク・ワゾウスキーが登場してましたが、実は「モンスターズ・インク」にも「ファインディング・ニモ」のキャラクターが登場しています。
過去の作品ではなく、未来の作品のキャラクターが登場するのは面白いですね。
さて、それは誰で、一体どこに登場しているのでしょうか。


5.配給形態

噂では、ピクサー社の次回作から、配給の形態が変わるようです。
現在までは、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが配給を行っており、観客にこの作品はあたかも「ディズニー映画」ですよ。との誤解を与えていた訳ですが、次回作から配給の形態が変更される模様です。
ディズニー的にはピクサー社の作品は、最近では、唯一といって良いほどのドル箱作品ですから、厳しいものがあるかもしれませんね。

この辺の話は、日本のアニメーション・スタジオであるスタジオジブリが配給業務を行い始めた事と比較すると興味深いですよね。
2003/12/01「王の帰還」のワールド・プレミアが大々的に本「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の監督であるピーター・ジャクソンの故郷でもあるニュージーランドの首都ウェリントンで開催されました。

このワールド・プレミア開催前に、「旅の仲間」、「二つの塔」でサルマンを演じたクリストファー・リーは、「王の帰還」における自らの出演シーンの全てをカットされた事により、「王の帰還」のワールド・プレミアを欠席する、という旨の報道がありました。

当初は、「二つの塔」の冒頭に「旅の仲間」のガンダルフVSバルログのシークエンスを導入部として挿入したように、「二つの塔」のサルマンのシーンを、「王の帰還」の冒頭に挿入する予定だった訳ですが、結果的には「新しい物語のはじまりにふさわしくない」という理由で、サルマンのシーン(7分間)がカットされた模様です。

わたしは、クリストファー・リーがワールド・プレミアに出席したかどうかの報道に接していないので、実際の状況はわかりませんが、自他認める「指輪物語」の大ファンであるクリストファー・リーが自ら出演した「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の最終作のワールド・プレミアに出席できないような状況に置かれるなど、彼の失望は非常に大きなものだったと類推できます。


さて、表題の「二つの塔/スペシャル・エクステンデッド・エディション」国内版DVDの発売についてですが、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作については、最早前提条件として、既成事実のように「劇場公開版」と「スペシャル・エクステンデッド・エディション」がある訳です。
また多くの作品に、「劇場公開版」と「ディレクターズ・カット」、「劇場公開版」と「完全版」が存在します。
だとすると、われわれが高い入場料を払って観た「劇場公開版」は、ある意味「不完全版」だと言うのでしょうか。


従来、「ディレクターズ・カット」や「完全版」というバージョンは、製作会社や配給会社の都合で監督の意志に関わらず削除されたカットやシーン、シークエンスをビデオソフトやDVDの発売を期に収録したり、また幸運な映画の場合は、劇場で公開されたりしています。
また、地域ごとの諸事情に応じて地域ごとに異なったバージョンが公開されるケースも多々あります。


しかしながら、これらのケースと「ロード・オブ・ザ・リング」のような「スペシャル・エクステンデッド・エディション」ありきのケースでは次元が異なるのではないでしょうか。

「ロード・オブ・ザ・リング」の場合、カットされたシーンやシークエンスが「スペシャル・エクステンデッド・エディション」に収録されるのは自明の理であり、「スペシャル・エクステンデッド・エディション」が存在する事を前提として、多くのシーンがカットされ、将来「スペシャル・エクステンデッド・エディション」に収録されるはずのシーンがカットされた状態で「劇場公開版」が公開されているのです。

一般的には、「劇場公開版」からカットされたシーンやシークエンスはほとんどの場合、観客の目に触れる事は無く、「ディレクターズ・カット」や「完全版」が制作されるような幸運な映画に限って、観客はカットされたシーンや
シークエンスを観る事が出来る訳です。


ところで、「劇場公開版」から監督の意志に関係なくシーンやシークエンスがカットされる最大の理由は興収です。

長すぎる映画は、1日あたりの上映回数が4回から3回に減り、単純計算で興収は3/4になります。

勿論、監督が意図した作品ではなく、製作者が編集を行う事によって、つまり編集次第で、監督の独りよがり的つまらない映画でも、製作が鋏を入れることにより、客を入れることが出来る可能性もあるのです。

これは逆に、つまらない映画をコケさせないために、大々的なプロモーション・キャンペーンを行ったり、北米でコケそうな映画を、北米の公開時のコケ情報が出る前に日本国内で駆け込みで日米同時公開するような事にも繋がるのではないでしょうか。

将来の映画界のことを考えると、この辺のところにも、問題点や改善点があるのかも知れません。
2003年11月28日に発売された国内版DVDの目玉は「ハルク」などではなく、なんと言っても「博士の異常な愛情/コレクターズ・エディション」、そしてかの「ある日どこかで」であるのだ。

実際「ある日どこかで」のカルト的人気はすさまじく、『たのみこむ』等でも大人気であり、国内版DVDの発売で盛り上がっているところでは盛り上がっていたのだ。
海外では、インターネット創世記頃から続く「ある日どこかで」のファン・サイトでは、毎年「ある日どこかで」のロケ地であるホテルでイベントを行い、そのイベントには映画のスタッフやキャストまで招待されたりしてるのだ。


しかし、そういった作品でありながら、発売日当日東京都内の家電量販店では「ハルク」等話題作は山積み状態で販売されていたが、「博士の異常な愛情/CE」や「ある日どこかで」は勿論、同時発売の「博士の異常な愛情/スーパービット版」を店頭で見る事は困難な状況だった。

多くの店頭では「博士の異常な愛情/CE」や「ある日どこかで」は新譜でありながら、新譜コーナーではなく、なんと発売日当日にも関わらず旧譜扱いで、ジャンル毎五十音順の一般コーナーに陳列されていたのである。

とある量販店の店員に聞くところ、朝から何人もの客が、「ある日どこかで」のDVDを求め来店し、「店頭になければ、注文になります。」の一言で、失意のどん底状態で帰っていったらしい。
先読みの出来ない、情報を収集できない、DVDの発注担当者は臍を噛んだに違いないのだ。

でわたしは、とあるレコード屋(因みにわたしにはCDショップだとか言うボキャプラリーは無い)で「博士の異常な愛情/CE」や「ある日どこかで」を購入する事になるのだが、その店では、わたしが「ある日どこかで」を手にした時点で、残り10枚ほどの在庫を抱えていたのだが、わたしが他のDVDを物色しつつ店をふらふらするうちに、「ある日どこかで」の在庫はみるみる減って行ったのである。


という訳で、「ある日どこかで」のDVDを視聴した訳であるが、ご承知かどうかわからないのだが完全な号泣映画である。
前半部分など、3分に1回は泣けるのである。わたし的には、顎から涙が滴り落ちる事をお約束しよう。
ついでに音楽はジョン・バリーで、鬼に金棒的、心の琴線鷲掴みなのだ。
わたしは、「ある日どこかで」をひとりで視聴することを強くお勧めするのだ。

物語については紹介しませんが、原作はリチャード・マシスン、ジャンルはそういうものがあるとするならば、タイム・トラベル・ラブ・ストーリー。

特典映像では、原作者のリチャード・マシスンも登場し、主演のクリストファー・リーブは闘病中ながらもその元気な姿を見せています。

世の中にしあわせな映画があるとするならば、この映画は紛れもなくその一本なのだ。
半年くらい前だろうか、WEBで予告編を見て、期待していた「フォーン・ブース」を観た。

物語の舞台は、マンハッタン、タイムズスクエア。
パブリシスト、スチュ(コリン・ファレル)は、いつものようにアシスタントと共に、携帯からクライアントや各メディアに口先だけでビジネスをまとめている。
その日スチュは、アシスタントと別れ、1台の電話ボックスで、新人女優パメラ(ケイティ・ホームズ)に電話を掛け口説いたが、上手くいかず電話を切る。
その時、切ったばかりの電話のベルが鳴り、思わず受話器を取ってしまうスチュ。すると電話の主は、「電話を切ったら殺す」と脅迫してきたのだった・・・・。

第一印象としては、一般的に本作はコリン・ファレルの一人芝居だと言われている訳であるが、実際は犯人(声の出演)とコリン・ファレルの演技合戦の様相を呈していた。

その演技合戦に花を添えるのは、フォレスト・ウィティカー演じるレイミー警部と、スチュの妻ケリー(ラダ・ミッチェル)とパメラ(ケイティ・ホームズ)。

個人的にフォレスト・ウィティカーの有能な現場指揮振りに期待していたのであるが、現場指揮者として有能なのか無能なのか判断が付きづらい印象を受けた。勿論狙撃犯の存在に気が付く辺りは有能さを示しているのであろうが、切れ者と言うには、ちょっとイマイチな印象を受けた。
「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズや、「交渉人」のケヴィン・スペイシーやサミュエル・L・ジャクソンくらいの有能さを求めていたのだ。

これは、どんでん返しが無い脚本のせいかも知れない。

物語の性格上、本作の舞台はひとつのフォーン・ブースに限定されてあり、舞台が限られている以上脚本と演出が全て、と言っても良いだろう。
この辺は「パニック・ルーム」にも通じるのではないだろうか。

そして気になる脚本は、コンセプトは大変面白いのだが、中身はなんとも直線的な脚本で、ちと期待はずれであった。
これは、スチュと犯人そしてレイミー警部等のやりとりが、繰り返し繰り返しになってしまい、新たな進展に乏しいからだと思う。
もう少し複線的なアプローチが出来たのではないだろうか。

折角メディアが取材に来ているのだから、メディア批判的なシークエンスを入れて欲しかったのだ。

で、コリン・ファレルの一人芝居は、相手が電話の先に居ることもあり、非常に見応えがあり、それはそれで良いのであるが、微妙な表情でレイミー警部に様々なメッセージをもっと明確に伝えて欲しかった。

また、交渉人の役割が小さく残念であった。鳴り物入りで登場した割には扱いが小さく、もう少しレイミー警部との対立や確執が描けていれば、と思った。特に狙撃犯の存在を悟ったレイミー警部の行動(指示)に対し、即座に追従してしまうのは、興冷めである。

あとは、狙撃犯が全然発泡しないのも期待はずれである。
わたしはもっとバンバン発泡すると思っていたのだ。

物語の結末のつけ方は、あたりまえすぎである。81分と言う短い時間とは言え、観客を引っ張った割に、誰もが考えつく結末では、カタルシスも得られない。もう一ひねり、どんでん返しが欲しかった。

とは言うものの、81分という短い映画を作ることについては、好感をおぼえるし、観客をぐいぐい引っ張る力もある、楽しい娯楽作品に仕上がっているのは事実である。
さて、早速ですが2003年の目標の中間発表その11です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

まず映画です。

#066 「マトリックス」丸の内ルーブル 2003/11/01
#067 「キル・ビル Vol.1」丸の内ピカデリー1 2003/11/01
#068 「コンフェッション」新文芸坐 2003/11/07
#069 「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」新文芸坐 2003/11/07
#070 「キル・ビル Vol.1」丸の内ピカデリー1 2003/11/14

続いて、DVDやCATVです。

#192 「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」 2003/11/02 LD
#193 「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」2003/11/02 LD
#194 「バニシングIN 60」2003/11/02 CATV
#195 「展覧会の絵」(短編)2003/11/03 CATV
#196 「バッフィ ザ・バンパイア・キラー」2003/11/03 CATV
#197 「SF最後の巨人」2003/11/03 CATV
#198 「TAXi」2003/11/03 CATV
#199 「フレンチ・コネクション」2003/11/04 DVD
#200 「ジョーズ」2003/11/05 LD
#201 「ドラゴン危機一発」2003/11/07 CATV
#202 「ドラゴンへの道」2003/11/08 CATV
#203 「蜘蛛巣城」2003/11/09 CATV
#204 「ジェネックス・コップ」2003/11/09 CATV
#205 「リプレイスメント・キラー」2003/11/09 CATV
#206 「ジェヴォーダンの獣」2003/11/10 CATV
#207 「ザ・グリード」2003/11/11 CATV
#208 「血を吸う薔薇」2003/11/12 CATV
#209 「死亡遊戯」2003/11/13 CATV
#210 「39 刑法第三十九条」2003/11/14 HDD
#211 「黒い家」2003/11/14 CATV
#212 「ユニコ」2003/11/14 CATV
#213 「の・ようなもの」2003/11/14 CATV
#214 「家族ゲーム」2003/11/15 CATV
#215 「ときめきに死す」2003/11/15 CATV
#216 「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」2003/11/16 DVD
#217 「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」2003/11/18 DVD
#218 「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」2003/11/19 DVD
#219 「未来世紀ブラジル」2003/11/21 DVD
#220 「キル・ビル Vol.1」2003/11/25 HDD
#221 「博士の異常な愛情」2003/11/28 DVD
 
1月に、地上波のCM入りの映画が3本ありましたので、映画は、DVD、CATV等を含めて35本(累計288本)でした。

さて、本の方は、

#049 「慟哭」貫井徳郎著 創元推理文庫 2003/11/04
#050 「天使の屍」貫井徳郎著 角川文庫 2003/11/05
#051 「うつくしい子ども」石田衣良著 文春文庫 2003/11/10
#052 「転生」貫井徳郎著 幻冬舎文庫 2003/11/13
#053 「迷宮遡行」貫井徳郎著 新潮文庫 2003/11/18
#054 「波のうえの魔術師」石田衣良著 文春文庫 2003/11/27
#055 「魔術はささやく」宮部みゆき著 新潮文庫 2003/11/28

読書は7冊(累計55冊)でした。

状況として、11月は例によって仕事がとても忙しく、非常に厳しい状況になってきています。いつもおんなじです。

映画は結果月35本(累計288本)ですので、このままのペースだと、314本になります。
とうとう280本を超えました。300本は行けそうですね。

因みに、劇場での映画鑑賞は月5本(累計70本)、このままのペースだと、年間76本になります。

読書の方は、月7冊(累計55冊)で、このままのペースで60冊となります。

映画的には、余裕が出てきましたが、予断を許さない状況です。
読書は非常に厳しい状況です。というか無理でしょうね。

12月は師走です。文字通り大忙しです。
今月も頑張りま〜す

「ある日どこかで」

2003年11月28日
2003年11月28日
「ある日どこかで」の国内版DVDがひっそりと発売になった。

世の中にしあわせな映画があるとするならば、少なくともこの映画はその一本である。


スティーヴ・マーティン主演で「ピンク・パンサー」の新作の制作が企画されているようであるが、驚いた事に、クルーゾー警部の使用人ケイトーをなんとジャッキー・チェンが演じるのだ。

ケイトーと言えば、クルーゾー警部が自宅に帰る度に、冷蔵庫の中のような部屋のどこかに隠れており、クルーゾー警部に不意打ちを食らわせ、カンフー・アクションが展開するお約束のキャラクターである。

スティーヴ・マーティンとジャッキー・チェンとの壮絶なカンフーバトルが見られると思うと、感慨も一入である。

因みにケイトーとは日本語で言うと「加藤」である。
かつての「ピンク・パンサー」シリーズでは、「加藤」ではなく「ケイトー」と翻訳されていた事に好感を覚える。


「グリーン・ホーネット」でブルース・リーが演じていたキャラクターの名前も「ケイトー」で、彼が被っていたマスクは「ケイトー・マスク」。

「キル・ビル Vol.1」でクレイジー88の皆さんが被っていたのも「カトー・マスク」、「カトー・マスク」と呼ばれているが、本当は「ケイトー・マスク」。

「ブラック・レイン」で松田優作が演じたのは
「佐藤」だが、マイケル・ダグラス等には「セイトー」と呼ばれている。

因みに「宇宙大作戦」(「スタートレック」)の「ミスター・カトー」は本当は「ヒカル・スールー」と言う。
1999年に続き、また魔の時がやってきました。

そうです。
なんと「カルビー仮面ライダーチップス」がまた発売されてしまったのです。

1999年の「仮面ライダーチップス」の際は、箱買い、大人買い、オークション、トレード等さまざまな事をやりまして、カードは都合1,000枚を超えまして、現在でも1,000枚以上所有しています。

今回はとりあえず、6箱(1箱に24袋入ってまして、カードは1袋に2枚入っています。)購入し、1日1箱分ずつカードを開けようと思っています。

余談ですが、箱買いをして、箱の中の袋の位置によるカードの出現位置を記録しながらカードを開封したりすると、ラッキーカード等のレアカードが入っている場所の傾向がわかってくるんですよね。

例えば「マジック・ザ・ギャザリング」等のカードも、レア系のカードのある位置が箱の中のとある場所にあったりするし、「よっちゃんいか」や「森永チョコボール」のエンゼルを当てる方法もありますよね。

さて、2003年の「仮面ライダーカード」はどこまで増えるかな。謎なのだ。
『「未来世紀ブラジル」スペシャル・エディション2枚組』のDVDを購入した。

特典ディスクに結構期待していたのであるが、大きな期待はずれであった。

わざわざ別ディスクにした割には、メイキング映像は30分程度しかなく、何を間違えたのか、劇場予告編が、通常版とスクイーズ版の2種類が収録されている。

「未来世紀ブラジル」の本編は確か3バージョンあると思うのだが、今回のDVDには1バージョンしか収録されていないのも残念である。

ついでに、「バトル・オブ・ブラジル」の著者が「未来世紀ブラジル」について語る映像も入っているかと期待していたのであるが、これもなかった。


因みに、リージョン・フリーで「Brazil / Criterion Collection」というDVDがリリースされているのだが、わたしはこのDVDの国内版だと思っていたのであるが、これは大きな勘違いのようである。

この「Brazil / Criterion Collection」は、次のような特典満載なのだ。
国内版に失望したわたしは、購入したくなってしまうのだ。

1.
Commentary by director Terry Gilliam

2.
Production notes

3.
Theatrical trailer(s)
(国内版に収録)

4.
Interview with co-writer Tom Stoppard

5.
Production and publicity stills

6.
"The Production Notebook", screenwriters Tom Stoppard and Charles McKeown illuminate the script’s development through 3 drafts and 3 treatments. Production designer Norman Garwood displays his design’s for Brazil’s unique sets. Costume designer James Acheson explores the couture of fashion, fantasy and fascism. Terry Gilliam’s original dream sequences, in storyboards, include hundreds of shots that never made it to the screen. Composer Michael Kames unveils the sources of his score. A study of the special effects includes footage of unused effects


7.
"What Is Brazil?", Rob Hedden’s rare 30 minute witty on-set documentary features Terry Gilliam and other key members of the cast and crew
(国内版に収録)

8.
"The Battle of Brazil: A Video History", Battle of "Brazil" author Jack Mathews reassembles the players in the famous battle of "Brazil"’s US Release in this original 1996 Criterion documentary. Terry Gilliam, producer Arnon Milchan, and several studio executives close the book on one of the noisiest, most unusual, and most instructive controversies in Hollywood history

9.
"Brazil: The Love Conquers All Version", with audio annotation by David Morgan, this 94 minute version of "Brazil", rearranged in the hope of making the film commercial, stands as a fascinating document of the power of editing to change a movie

10.
Widescreen letterbox format

11.
Number of discs: 3


どうですか?
「Brazil / Criterion Collection」の内容を期待していたら、多分ガッカリするでしょ。

< 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 >

 
tkr

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索