「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」
2004年5月12日 映画リュック・ベッソン脚本、ジャン・レノ主演と言う点が強調されている感のある「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」を試写会で観た。
本作「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」は、前作である「クリムゾン・リバー」のヒットを受けて、同作のジャン・レノ演じるニーマンス警視のキャラクター設定を継承し、新たな相棒レダ(ブノワ・マジメル)と新たな猟奇連続殺人事件を追う、という、サイコホラー・ポリスアクションである。
共演:クリストファー・リー。
監督:オリヴィエ・ダーン、脚本:リュック・ベッソン
結論から言うと、良くも悪くもリュック・ベッソン脚本作品である。
ここしばらく、自らメガホンを取った作品が評価されずに、制作や脚本を行った作品が評価されている感のあるリュック・ベッソンであるが、本作はベッソンの持つユーモアとギャグではないもののエスカレート・ギャグ的要素を持った過剰描写が前面に押し出されたような印象を受けた。
物語は、ある修道院の壁の中から、人間の死体が出てきた事に端を発し、イエス・キリストの使徒たちと同じ名前、同じ職業を持つ男たちが、修道僧らしき者たちに、次々と殺されていく連続猟奇殺人事件と、謎の修道僧の元締めらしきカルト集団、そして第二次大戦時の建造物をモチーフとした巧妙な物語に仕上がっている。
しかしながら、本作の伏線が単純で謎解きを楽しめる作品には達しておらず、サイコホラーものにしてはアクション指数が高く、サイコホラーとポリスアクションの融合を果たした作品だ、と言えるかもしれない。
特にアクション・シークエンスについては、ブノワ・マジメルと修道僧の追跡劇や格闘、後半の銃撃戦や、スペクタクル・シーンに顕著である。
脚本に若干不可思議な点があるが、おどろおどろしいサイコホラーな雰囲気で観客を呼び、アクションや、スペクタクル・シーンにより、観客にカタルシスを感じさせる、という良質な娯楽作品に仕上がっている。
キャストは、クリストファー・リーがわたしたちの持つクリストファー・リーのイメージを期待通りそのまま演じている。役柄のイメージとしては「テロリスト・ゲーム」と同様の印象を受けた。
ジャン・レノはいつものジャン・レノだったが、ブノワ・マジメルのアクションは結構良かった。アクション俳優としても頑張れるのではないかと思った。
本作「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」は、前作である「クリムゾン・リバー」のヒットを受けて、同作のジャン・レノ演じるニーマンス警視のキャラクター設定を継承し、新たな相棒レダ(ブノワ・マジメル)と新たな猟奇連続殺人事件を追う、という、サイコホラー・ポリスアクションである。
共演:クリストファー・リー。
監督:オリヴィエ・ダーン、脚本:リュック・ベッソン
結論から言うと、良くも悪くもリュック・ベッソン脚本作品である。
ここしばらく、自らメガホンを取った作品が評価されずに、制作や脚本を行った作品が評価されている感のあるリュック・ベッソンであるが、本作はベッソンの持つユーモアとギャグではないもののエスカレート・ギャグ的要素を持った過剰描写が前面に押し出されたような印象を受けた。
物語は、ある修道院の壁の中から、人間の死体が出てきた事に端を発し、イエス・キリストの使徒たちと同じ名前、同じ職業を持つ男たちが、修道僧らしき者たちに、次々と殺されていく連続猟奇殺人事件と、謎の修道僧の元締めらしきカルト集団、そして第二次大戦時の建造物をモチーフとした巧妙な物語に仕上がっている。
しかしながら、本作の伏線が単純で謎解きを楽しめる作品には達しておらず、サイコホラーものにしてはアクション指数が高く、サイコホラーとポリスアクションの融合を果たした作品だ、と言えるかもしれない。
特にアクション・シークエンスについては、ブノワ・マジメルと修道僧の追跡劇や格闘、後半の銃撃戦や、スペクタクル・シーンに顕著である。
脚本に若干不可思議な点があるが、おどろおどろしいサイコホラーな雰囲気で観客を呼び、アクションや、スペクタクル・シーンにより、観客にカタルシスを感じさせる、という良質な娯楽作品に仕上がっている。
キャストは、クリストファー・リーがわたしたちの持つクリストファー・リーのイメージを期待通りそのまま演じている。役柄のイメージとしては「テロリスト・ゲーム」と同様の印象を受けた。
ジャン・レノはいつものジャン・レノだったが、ブノワ・マジメルのアクションは結構良かった。アクション俳優としても頑張れるのではないかと思った。
「ゴッド・ディーバ」
2004年5月11日 映画エンキ・ビラルの新作「ゴッド・ディーバ」を観た。
前作の「ティコ・ムーン」を見逃したわたしにとっては、「東京国際ファンタスティック映画祭」で「バンカー・パレス・ホテル」を観て以来のエンキ・ビラル作品である。
海外のコミック・シーンについては、「HEAVY METAL」やなんかの海外雑誌を立ち読みしていた時期もあり、メビウスやビラル、フラゼッタ等のビジュアルや世界観には驚かされていたし、ビラルについては「ブレード・ランナー」や「フィフス・エレメント」等の数々の映画のビジュアル・コンセプトに影響を与えている事でも著名なビラルの自作の映画化ということで、わたしは期待していたのだ。
西暦2095年、人間、ミュータント、エイリアンが共存する混沌とした街ニューヨーク。
セントラルパークには雪と氷で覆われた「侵入口」と呼ばれる謎の空間があり、上空には浮遊する巨大なピラミッドが出現した。
古代エジプトの神々が宿るそのピラミッドの中。鷹の頭とヒトの体を持つ古代エジプトの神ホルスは、他の神アヌビスとバステトから反逆罪による死刑宣告を受けた。
だが、7日間の猶予を与えられたホルスは“ある目的”のため下界に降り、政治犯ニコポル(トーマス・クレッチマン)の体に乗り移って青い髪をした謎の美女ジル・ビオスコップ(リンダ・アルディ)を探し始める・・・・。
ジルを助ける医者エルマ・ターナーにシャーロット・ランプリングが扮する。
とにかく驚いたのは、人間の俳優は3人しか出てこず、後はCGIのキャラクターと生身の俳優との競演と言う凄い手法なのだ。
CGIについては、その表現に若干問題があるが、ビジュアル・コンセプトや美術、発想、イメージが凄いので、まあ良しだと思う。
しかし、そうは言うものの残念なことに、CGIシークエンスはビデオ・ゲームのムービー部分を見ているような気になってしまう感があった。
とは言うものの、本作は編集をきちんとやっているので、繋ぎが上手く行っていないビデオ・ゲームのムービーなんかよりは、カットやシーンだけではなく、きちんと映画として機能するCGIのシークエンスに仕上がっている。
例えば、アニメーション「メトロポリス」がカットやシーンのクオリティは高いのだが、シークエンスとして、または映画としては、ディゾルブの連続で、映画としての一体感が無く、前述のようにディゾルブで繋ぐことしか出来ずに、映画としてのリズムが狂ってしまっているのだが、本作はそんなことはなく、きちんと映画となっている。
そして、ビラルが創出する世界観は予想通りビラル節全開で雰囲気としては『明るく雨が降らない「ブレードランナー」』や『「フィフス・エレメント」冒頭のブルース・ウィリスの家やタクシー』を彷彿とさせる。
また、近未来の技術や描写は、サイバー・パンク系(スチーム・パンクではないがスチーム・パンク系かも)やレトロ・フューチャー的な印象を受けた。
物語については決して大衆受けするものではなく、既にカルトの風格を持っている。
おそらく将来は一種のカルト・ムービーとなってしまうのではないだろうか。
おそらく本作は「CASSHERN」や「アヴァロン」と比較されるのではないだろうか。と思うのだ。
前作の「ティコ・ムーン」を見逃したわたしにとっては、「東京国際ファンタスティック映画祭」で「バンカー・パレス・ホテル」を観て以来のエンキ・ビラル作品である。
海外のコミック・シーンについては、「HEAVY METAL」やなんかの海外雑誌を立ち読みしていた時期もあり、メビウスやビラル、フラゼッタ等のビジュアルや世界観には驚かされていたし、ビラルについては「ブレード・ランナー」や「フィフス・エレメント」等の数々の映画のビジュアル・コンセプトに影響を与えている事でも著名なビラルの自作の映画化ということで、わたしは期待していたのだ。
西暦2095年、人間、ミュータント、エイリアンが共存する混沌とした街ニューヨーク。
セントラルパークには雪と氷で覆われた「侵入口」と呼ばれる謎の空間があり、上空には浮遊する巨大なピラミッドが出現した。
古代エジプトの神々が宿るそのピラミッドの中。鷹の頭とヒトの体を持つ古代エジプトの神ホルスは、他の神アヌビスとバステトから反逆罪による死刑宣告を受けた。
だが、7日間の猶予を与えられたホルスは“ある目的”のため下界に降り、政治犯ニコポル(トーマス・クレッチマン)の体に乗り移って青い髪をした謎の美女ジル・ビオスコップ(リンダ・アルディ)を探し始める・・・・。
ジルを助ける医者エルマ・ターナーにシャーロット・ランプリングが扮する。
とにかく驚いたのは、人間の俳優は3人しか出てこず、後はCGIのキャラクターと生身の俳優との競演と言う凄い手法なのだ。
CGIについては、その表現に若干問題があるが、ビジュアル・コンセプトや美術、発想、イメージが凄いので、まあ良しだと思う。
しかし、そうは言うものの残念なことに、CGIシークエンスはビデオ・ゲームのムービー部分を見ているような気になってしまう感があった。
とは言うものの、本作は編集をきちんとやっているので、繋ぎが上手く行っていないビデオ・ゲームのムービーなんかよりは、カットやシーンだけではなく、きちんと映画として機能するCGIのシークエンスに仕上がっている。
例えば、アニメーション「メトロポリス」がカットやシーンのクオリティは高いのだが、シークエンスとして、または映画としては、ディゾルブの連続で、映画としての一体感が無く、前述のようにディゾルブで繋ぐことしか出来ずに、映画としてのリズムが狂ってしまっているのだが、本作はそんなことはなく、きちんと映画となっている。
そして、ビラルが創出する世界観は予想通りビラル節全開で雰囲気としては『明るく雨が降らない「ブレードランナー」』や『「フィフス・エレメント」冒頭のブルース・ウィリスの家やタクシー』を彷彿とさせる。
また、近未来の技術や描写は、サイバー・パンク系(スチーム・パンクではないがスチーム・パンク系かも)やレトロ・フューチャー的な印象を受けた。
物語については決して大衆受けするものではなく、既にカルトの風格を持っている。
おそらく将来は一種のカルト・ムービーとなってしまうのではないだろうか。
おそらく本作は「CASSHERN」や「アヴァロン」と比較されるのではないだろうか。と思うのだ。
「映画レビュー・インデックス(マ・ミ・ム・メ・モ)」
2004年5月10日 映画レビュー・インデックスマ
「マイ・ボディガード」
http://diarynote.jp/d/29346/20040903.html
「マスター・アンド・コマンダー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040808.html
「マッチスティック・メン」
http://diarynote.jp/d/29346/20031031.html
「マッハ!」
http://diarynote.jp/d/29346/20040718.html
「マトリックス・リローデッド :The IMAX Experience」
http://diarynote.jp/d/29346/20030621.html
ミ
「ミスティック・リバー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040613.html
「ミスティック・リバー」と「華氏911」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040822.html
「未知との遭遇<特別編>」
http://diarynote.jp/d/29346/20030513.html
「ミニミニ大作戦」
http://diarynote.jp/d/29346/20030928.html
ム
メ
「めぐりあう時間たち」
http://diarynote.jp/d/29346/20040108.html
「メダリオン」
http://diarynote.jp/d/29346/20040625.html
モ
「モーターサイクル・ダイアリーズ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040930.html
「モーターサイクル・ダイアリーズ」その2
http://diarynote.jp/d/29346/20041004.html
「モナリザ・スマイル」
http://diarynote.jp/d/29346/20040726.html
「マイ・ボディガード」
http://diarynote.jp/d/29346/20040903.html
「マスター・アンド・コマンダー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040808.html
「マッチスティック・メン」
http://diarynote.jp/d/29346/20031031.html
「マッハ!」
http://diarynote.jp/d/29346/20040718.html
「マトリックス・リローデッド :The IMAX Experience」
http://diarynote.jp/d/29346/20030621.html
ミ
「ミスティック・リバー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040613.html
「ミスティック・リバー」と「華氏911」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040822.html
「未知との遭遇<特別編>」
http://diarynote.jp/d/29346/20030513.html
「ミニミニ大作戦」
http://diarynote.jp/d/29346/20030928.html
ム
メ
「めぐりあう時間たち」
http://diarynote.jp/d/29346/20040108.html
「メダリオン」
http://diarynote.jp/d/29346/20040625.html
モ
「モーターサイクル・ダイアリーズ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040930.html
「モーターサイクル・ダイアリーズ」その2
http://diarynote.jp/d/29346/20041004.html
「モナリザ・スマイル」
http://diarynote.jp/d/29346/20040726.html
「東京メトロお客様感謝イベント」
2004年5月9日 日常5月9日、東京メトロ「茅場町」駅定期券売場横で行なわれた「東京メトロお客様感謝イベント」に行ってきた。
このイベントは、「東京メトロ」の新スタートにより、平成16年3月末で幕を閉じた「営団地下鉄」の、今まで63年間親しまれてきた旧Sマークがあしらわれた鉄道部品、オリジナルグッズなどを特別販売するイペントです。
詳細は次の通り。
主催:東京地下鉄株式会社
日程:5月8日(土)9日(日)
時間:10:00〜15:00
場所:日比谷線・東西線茅場町駅定期券売場横
販売:株式会社地下鉄トラベルービス
同時開催:メトロ文化財団「地下鉄博物館」
http://www.tokyometro.jp/event/event_200405.html
5月8日(土)の各メディアでの報道を見ると、鉄道ファンの皆さんで大盛況であることは簡単に想定できたので、とりあえずイベントがスタートする2時間前に到着する、という予定を立てた。
しかし、5分前行動のわたしが、イベント会場に発生していた列の最後尾についたのは、7:30頃(イベントのスタート2時間30分前)だった。
列に着いた直後に回ってきた名簿に氏名を記入した時点で整理番号は290番台だった。
場所は「茅場町」駅と「日本橋」駅の中間よりは「茅場町」駅よりで、ちょうど列の前にお宝グッズの倉庫があり、わたし達の目の前を数多くのお宝グッズが会場へ搬入されていた。
否応無く期待は高まるのであった。
わたしの廻りの人の話を聞いてみると、関東だけではなく、関西や、中部、広島、東北から来ている人達が沢山いた。
あとは、頭数の関係か親子連れで来ている人達が多かった。
しかも、列の最初のほうは、前日8日に購入したと思われるお宝グッズを抱えて並んでいる人が多い。
親子連れで8日から並んでいるとは、どういうことなのであろうか。驚いてしまう。
9:00になると、整理券の配布が行なわれ、わたしは297番だった。
列は「日本橋」駅まで達し、Uターンしてわたしの目前に迫っていた。
噂では、整理券を用意したのが350番くらいまでだったようですが、その時点で列に並んでいるのは800名を超えていたようである。
仕方が無いことであるが、「お一人様一点限り」、「希望の商品が残っていない可能性がある」等が早い時点でアナウンスされていた。
どうせ退屈な時間を過ごすことがわかっていたわたしは、読書用の本と、ゲームボーイ・アドバンスを持っていっていたのである。
待ち時間はそれほど苦にならなかった。
10:00、ほぼ時間どおりイベントはスタートした。
イベント会場に一時に入れる人数は、最初は4名ずつ、しばらく経つと10名ずつ、後半は15名ずつという感じに、一時に商品を選ぶ人数は10名程度で、制限時間は3分程度なので、問題も無くイベントはスムーズに粛々と進んでいった。
一方わたしの方は、イベントスタートから1時間後の11:00頃(だったかな)にイベント会場へ入ることが出来た。
列の後にいて、イベントの状況がわからない時は、全然平常心で落ち着いていたのだが、いざ自分の番が直前になると、平常心が保てなくなり、なんだかドキドキしてしまっていた。
周りの人にも聞いてみたが、みんなそんな感じであった。
会場へ入る際、「営団地下鉄」の定規をもらい、お宝グッズの選択に入った。
わたしは以前「成増」住んでいた事もあり、また現在は「和光市」に住んでいる関係で「和光市」と「営団成増」と表示されているグッズが欲しかったのだ。
因みに今回の「営団地下鉄」から「東京メトロ」への社名変更により「営団成増」は「地下鉄成増」へ、「営団赤塚」は「地下鉄赤塚」へ駅名が変更になっており、「成増」、「赤塚」グッズは結構人気があるようである。
そんな中で選択したのは駅構内に設置されていた「行先表示板」で、しかも「営団赤塚>営団成増>和光市」という、わたし的にはトリプル・ネームのグッズをゲットなのだ。
これは、地下鉄の駅ホームに並ぶと正面の壁に設置されている「行先表示板」で、サイズは、縦23センチ:横155センチでした。
商品を梱包してもらい、列の最後尾へと向う。
別にそのまま帰っても良いのだが、あたればラッキーで、もう一度並ぶことにした。
噂では、列は1000名を超えていたようである。
列の最後尾に着いてのは、11:30頃で、1回目の購入が済み、2回目の購入のために、荷物を持って続々と列の最後尾へと向う人の波が出来ていた。
このまま待っても「路線図」位しか残っていません、という係員のアナウンスがあったが、多くの人は、残っていればラッキー感覚で続々と列に着いていった。
そのうち、列もクローズし、もう列に入ることも出来なくなり、わたしは結局13:00過ぎにイベント会場へ入り、今度は「電車マーク付営団地下鉄入口表示板」を購入した。
最悪「営団地下鉄路線図」または、「有楽町線路線図」かな、と思っていたのだが、欲しかった「電車マーク付営団地下鉄入口表示板」等の大きな「表示板」も沢山残っていた。
これは駅の外に、地下鉄の駅の入り口はここですよ、という感じで設置されているもので、サイズは、縦97センチ:横76センチでした。
あとは「営団地下鉄」のハッピや、「駅名入営団地下鉄入口表示板」等が欲しかったのであるが、まあ、概ねラッキーである。
結局イベント会場には7:30〜13:30位までの6時間居たことになり、食事もせずに、ほぼ立ちっぱなしという状況だった。
疲れはしたが、実りの多い楽しいイベントだった。
このイベントは、「東京メトロ」の新スタートにより、平成16年3月末で幕を閉じた「営団地下鉄」の、今まで63年間親しまれてきた旧Sマークがあしらわれた鉄道部品、オリジナルグッズなどを特別販売するイペントです。
詳細は次の通り。
主催:東京地下鉄株式会社
日程:5月8日(土)9日(日)
時間:10:00〜15:00
場所:日比谷線・東西線茅場町駅定期券売場横
販売:株式会社地下鉄トラベルービス
同時開催:メトロ文化財団「地下鉄博物館」
http://www.tokyometro.jp/event/event_200405.html
5月8日(土)の各メディアでの報道を見ると、鉄道ファンの皆さんで大盛況であることは簡単に想定できたので、とりあえずイベントがスタートする2時間前に到着する、という予定を立てた。
しかし、5分前行動のわたしが、イベント会場に発生していた列の最後尾についたのは、7:30頃(イベントのスタート2時間30分前)だった。
列に着いた直後に回ってきた名簿に氏名を記入した時点で整理番号は290番台だった。
場所は「茅場町」駅と「日本橋」駅の中間よりは「茅場町」駅よりで、ちょうど列の前にお宝グッズの倉庫があり、わたし達の目の前を数多くのお宝グッズが会場へ搬入されていた。
否応無く期待は高まるのであった。
わたしの廻りの人の話を聞いてみると、関東だけではなく、関西や、中部、広島、東北から来ている人達が沢山いた。
あとは、頭数の関係か親子連れで来ている人達が多かった。
しかも、列の最初のほうは、前日8日に購入したと思われるお宝グッズを抱えて並んでいる人が多い。
親子連れで8日から並んでいるとは、どういうことなのであろうか。驚いてしまう。
9:00になると、整理券の配布が行なわれ、わたしは297番だった。
列は「日本橋」駅まで達し、Uターンしてわたしの目前に迫っていた。
噂では、整理券を用意したのが350番くらいまでだったようですが、その時点で列に並んでいるのは800名を超えていたようである。
仕方が無いことであるが、「お一人様一点限り」、「希望の商品が残っていない可能性がある」等が早い時点でアナウンスされていた。
どうせ退屈な時間を過ごすことがわかっていたわたしは、読書用の本と、ゲームボーイ・アドバンスを持っていっていたのである。
待ち時間はそれほど苦にならなかった。
10:00、ほぼ時間どおりイベントはスタートした。
イベント会場に一時に入れる人数は、最初は4名ずつ、しばらく経つと10名ずつ、後半は15名ずつという感じに、一時に商品を選ぶ人数は10名程度で、制限時間は3分程度なので、問題も無くイベントはスムーズに粛々と進んでいった。
一方わたしの方は、イベントスタートから1時間後の11:00頃(だったかな)にイベント会場へ入ることが出来た。
列の後にいて、イベントの状況がわからない時は、全然平常心で落ち着いていたのだが、いざ自分の番が直前になると、平常心が保てなくなり、なんだかドキドキしてしまっていた。
周りの人にも聞いてみたが、みんなそんな感じであった。
会場へ入る際、「営団地下鉄」の定規をもらい、お宝グッズの選択に入った。
わたしは以前「成増」住んでいた事もあり、また現在は「和光市」に住んでいる関係で「和光市」と「営団成増」と表示されているグッズが欲しかったのだ。
因みに今回の「営団地下鉄」から「東京メトロ」への社名変更により「営団成増」は「地下鉄成増」へ、「営団赤塚」は「地下鉄赤塚」へ駅名が変更になっており、「成増」、「赤塚」グッズは結構人気があるようである。
そんな中で選択したのは駅構内に設置されていた「行先表示板」で、しかも「営団赤塚>営団成増>和光市」という、わたし的にはトリプル・ネームのグッズをゲットなのだ。
これは、地下鉄の駅ホームに並ぶと正面の壁に設置されている「行先表示板」で、サイズは、縦23センチ:横155センチでした。
商品を梱包してもらい、列の最後尾へと向う。
別にそのまま帰っても良いのだが、あたればラッキーで、もう一度並ぶことにした。
噂では、列は1000名を超えていたようである。
列の最後尾に着いてのは、11:30頃で、1回目の購入が済み、2回目の購入のために、荷物を持って続々と列の最後尾へと向う人の波が出来ていた。
このまま待っても「路線図」位しか残っていません、という係員のアナウンスがあったが、多くの人は、残っていればラッキー感覚で続々と列に着いていった。
そのうち、列もクローズし、もう列に入ることも出来なくなり、わたしは結局13:00過ぎにイベント会場へ入り、今度は「電車マーク付営団地下鉄入口表示板」を購入した。
最悪「営団地下鉄路線図」または、「有楽町線路線図」かな、と思っていたのだが、欲しかった「電車マーク付営団地下鉄入口表示板」等の大きな「表示板」も沢山残っていた。
これは駅の外に、地下鉄の駅の入り口はここですよ、という感じで設置されているもので、サイズは、縦97センチ:横76センチでした。
あとは「営団地下鉄」のハッピや、「駅名入営団地下鉄入口表示板」等が欲しかったのであるが、まあ、概ねラッキーである。
結局イベント会場には7:30〜13:30位までの6時間居たことになり、食事もせずに、ほぼ立ちっぱなしという状況だった。
疲れはしたが、実りの多い楽しいイベントだった。
「映画レビュー・インデックス(ラ・リ・ル・レ・ロ)」
2004年5月7日 映画レビュー・インデックスラ
「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」
http://diarynote.jp/d/29346/20031004.html
「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」http://diarynote.jp/d/29346/20050128
「ラストサムライ」
http://diarynote.jp/d/29346/20031229.html
「ラブ・アクチュアリー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040607.html
「ラブストーリー」
http://diarynote.jp/d/29346/20040224.htm
リ
「リザレクション」
http://diarynote.jp/d/29346/20041112.html
「リデイック」
http://diarynote.jp/d/29346/20040707.html
「隣人13号」
http://diarynote.jp/d/29346/20050321.html
ル
レ
「レディ・ウェポン」
http://diarynote.jp/d/29346/20041227.html
ロ
「ロックンロールミシン」
http://diarynote.jp/d/29346/20030406.html
「ロスト・イン・ラ・マンチャ」
http://diarynote.jp/d/29346/20031226.html
「ローレライ」
http://diarynote.jp/d/29346/20050302.html
「ローレライ」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20050306.html
「ロング・エンゲージメント」
http://diarynote.jp/d/29346/20050308.html
「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」
http://diarynote.jp/d/29346/20031004.html
「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」http://diarynote.jp/d/29346/20050128
「ラストサムライ」
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「ラブ・アクチュアリー」
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「ラブストーリー」
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リ
「リザレクション」
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「リデイック」
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「隣人13号」
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ル
レ
「レディ・ウェポン」
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ロ
「ロックンロールミシン」
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「ロスト・イン・ラ・マンチャ」
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「ローレライ」
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「ローレライ」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20050306.html
「ロング・エンゲージメント」
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ワ・ヲ・ン
「惑星ソラリス」
http://diarynote.jp/d/29346/20030529.html
「ワー!マイキー リターンズ!」
http://diarynote.jp/d/29346/20040817.html
「笑の大学」
http://diarynote.jp/d/29346/20041119.html
数字
「2001年宇宙の旅<新世紀特別版>」
http://diarynote.jp/d/29346/20040206.html
「2046」
http://diarynote.jp/d/29346/20041127.html
「21グラム」
http://diarynote.jp/d/29346/20040523.html
「69 sixty nine」
http://diarynote.jp/d/29346/20040609.html
英字
「CASSHERN」
http://diarynote.jp/d/29346/20040514.html
「CASSHERN」 その2
http://diarynote.jp/d/29346/20040516.html
「CODE46」
http://diarynote.jp/d/29346/20040824.html
「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」
http://diarynote.jp/d/29346/20030625.html
「HERO/英雄」
http://diarynote.jp/d/29346/20030828.html
「Laundry」
http://diarynote.jp/d/29346/20030405.html
「LOVERS」
http://diarynote.jp/d/29346/20040728.html
「MAIL〜special version〜」
http://diarynote.jp/d/29346/20040713.html
「Mr.インクレディブル」
http://diarynote.jp/d/29346/20041114.html
「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」
http://diarynote.jp/d/29346/20040815.html
「Ray / レイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20050126.html
「RE:プレイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040423.html
「SURVIVE STYLE5+」
http://diarynote.jp/d/29346/20040910.html
前略、関口現さま/公開ファンレター(「SURVIVE STYLE5+」)
http://diarynote.jp/d/29346/20040923.html
「THE JUON / 呪怨」
http://diarynote.jp/d/29346/20050202.html
「TUBE チューブ」
http://diarynote.jp/d/29346/20041104.html
「ULTRAMAN」
http://diarynote.jp/d/29346/20041207.html
「惑星ソラリス」
http://diarynote.jp/d/29346/20030529.html
「ワー!マイキー リターンズ!」
http://diarynote.jp/d/29346/20040817.html
「笑の大学」
http://diarynote.jp/d/29346/20041119.html
数字
「2001年宇宙の旅<新世紀特別版>」
http://diarynote.jp/d/29346/20040206.html
「2046」
http://diarynote.jp/d/29346/20041127.html
「21グラム」
http://diarynote.jp/d/29346/20040523.html
「69 sixty nine」
http://diarynote.jp/d/29346/20040609.html
英字
「CASSHERN」
http://diarynote.jp/d/29346/20040514.html
「CASSHERN」 その2
http://diarynote.jp/d/29346/20040516.html
「CODE46」
http://diarynote.jp/d/29346/20040824.html
「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」
http://diarynote.jp/d/29346/20030625.html
「HERO/英雄」
http://diarynote.jp/d/29346/20030828.html
「Laundry」
http://diarynote.jp/d/29346/20030405.html
「LOVERS」
http://diarynote.jp/d/29346/20040728.html
「MAIL〜special version〜」
http://diarynote.jp/d/29346/20040713.html
「Mr.インクレディブル」
http://diarynote.jp/d/29346/20041114.html
「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」
http://diarynote.jp/d/29346/20040815.html
「Ray / レイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20050126.html
「RE:プレイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040423.html
「SURVIVE STYLE5+」
http://diarynote.jp/d/29346/20040910.html
前略、関口現さま/公開ファンレター(「SURVIVE STYLE5+」)
http://diarynote.jp/d/29346/20040923.html
「THE JUON / 呪怨」
http://diarynote.jp/d/29346/20050202.html
「TUBE チューブ」
http://diarynote.jp/d/29346/20041104.html
「ULTRAMAN」
http://diarynote.jp/d/29346/20041207.html
「キル・ビル Vol.2」
2004年5月3日 映画
先日お話したように、
2004/05/01映画の日に
「キル・ビル Vol.2」と
「スクール・オブ・ロック」を観た。
で、今日はというと「キル・ビル Vol.2」のお話です。
「キル・ビル Vol.1」のわたしの評価は、
1.構図や音楽、演出は評価できるが、脚本が単調でつまらない。
2.一部のアクションが冗長で退屈である。
という感じである。
総合的には、「キル・ビル Vol.1」公開当時同様、
『「キル・ビル Vol.2」が公開されていない今、わたしに言えるのは、態度保留ということである。』
というものである。
従って、「キル・ビル Vol.2」で、なんとか脚本の冴えを見せて欲しい。という気持ちでわたしは「キル・ビル Vol.2」を観た訳である。
個人的な第一印象的感想としては、『大変素晴らしい娯楽作品に仕上がっている。』というものである。
わたし達のような従来からのクエンティン・タランティーノ映画ファンの多くは、彼が書く脚本の、伏線やプロット、ディテール、そしてなんと言っても脚本の妙、脚本の冴えを求めているのであろう。
「キル・ビル Vol.1」は、残念ながら脚本ではなく、アクションで物語を紡ぐ、と言った手法をとっていたため、従来のタランティーノ映画ファンに取っては、決して満足の行く作品でなかったと思うのだ。
そして、映画秘宝的、東京ファンタ系ファンを集め、本来のタランティーノ作品の方向性と異なるベクトルを持った「キル・ビル Vol.1」に群がり、スノッブなにわかタランティーノ映画ファンを増やすにいたったのである。
一方「キル・ビル Vol.2」は、脚本が従来のタランティーノ作品のレベルまで達しており、そのため「キル・ビル Vol.1」と「キル・ビル Vol.2」を並べて観た際、物語のストーリー・ラインは充分評価できるもの、となっている。
そう考えた場合、退屈で脚本にひねりの無いつまらない映画「キル・ビル Vol.1」でさえ、映画的記憶のためか、素晴らしい映画に見えてくる。という機能を持っているのである。
わたしが考える「キル・ビル Vol.1」におけるつまらないシークエンスは、
1.オキナワの漫才
2.クレイジー88の退屈で冗長な殺陣
である。
オキナワの漫才は、ユーモアではなく、笑えないコメディのテイストであり、見るに耐えない。
また、クレイジー88の殺陣はユエン・ウーピンの指導とも思えないお粗末なものであった。
しかし本作「キル・ビル Vol.2」は、そういったテイストは皆無で、「キル・ビル Vol.1」のオキナワ以前のテイストを拡大したような印象を受けた。
つまり、「キル・ビル Vol.1」の評価できる部分を拡大したような作品に仕上がっている。ということである。
で、「キル・ビル Vol.2」だが、
先ず、プロットが素晴らしい。
「キル・ビル Vol.1」で棚上げされた幾つかの謎が基本的には全て解明され、脚本的にキッチリした作品に仕上がっている。
また、脚本は最早セリフ・バトルの様相を呈しており、ザ・ブライドとバド、エル、ビル等との、アクションではなく、セリフで戦う様が評価できる。
プロットと言うか伏線で興味深かった点をいくつかあげると、
ザ・ブライドの娘(B.B.)の登場シークエンスでの銃撃戦での娘のセリフ「バン!バン!」が、「キル・ビル Vol.1」のオープニング・クレジットに繋がるところが感動的である。
B.B.という名前は「Ban!Ban!」かな、とさえ思ったりする。
または、二親の名前から来ているのかも、と思ったりもする。
また、生き埋め状態からの脱出シークエンスの方法(ワン・インチ・パンチ/ワン・インチ・ブロー)も伏線として面白い。
パイ・メイには、ビル、ザ・ブライド、エルが師事していた点も面白いし、エルの眼帯の謎や、「キル・ビル Vol.1」の目玉を刳り貫くシークエンスもこれはパイ・メイの指導があった事が暗示されている。
エンディング・クレジット後のおまけ映像にも収録されているし。
バドが半蔵の日本刀を質屋に売った話も良いし、バドのザ・ブライドに対する騙し討ちのショット・ガンも良い。音楽を再開させるところが、バドと言うより、マイケル・マドセンらしい印象を受ける。
そしてバド発案のザ・ブライドの生き埋めや、そこからの脱出シークエンスも良い。(前述のワン・インチ・パンチ/ワン・インチ・ブロー)
また、演出や手法について、面白い点をあげると、
パイ・メイのシークエンスでのフィルムの粒子の粗さや、急なズーム・イン、ズーム・アウト、それにピンボケを重ねるあたりも香港テイストで面白い。
生き埋めシークエンスは観ている方も呼吸困難になってしまうほど、凄まじい効果を観客に与える事に成功している。
ビル邸に向かうザ・ブライドがロング・スカートをはいているのは謎だが、なんとも印象的である。
そしてビル、ザ・ブライド、B.B.の対面シーンが素晴らしい。
涙すら出てしまうほどの感動の再会なのだ。
さらに、ビルのB.B.への生と死の教育手法もタランティーノ節全開の素晴らしいものだった。(金魚の死)
また、ビルとザ・ブライドとの座ったままの殺陣もちょっと短いが興味深い。殺陣の中では、特に日本刀の鞘を使った点が素晴らしい。
長くなったし、まとまりが全く無いので、この辺でやめておきますが、もしかしたら、つづくかも。
「キル・ビル Vol.1」
http://diarynote.jp/d/29346/20031028.html
不運な映画「キル・ビル Vol.1」
http://diarynote.jp/d/29346/20031029.html
ここがダメだよ『キル・ビル Vol.1』
http://diarynote.jp/d/29346/20031114.html
2004/05/01映画の日に
「キル・ビル Vol.2」と
「スクール・オブ・ロック」を観た。
で、今日はというと「キル・ビル Vol.2」のお話です。
「キル・ビル Vol.1」のわたしの評価は、
1.構図や音楽、演出は評価できるが、脚本が単調でつまらない。
2.一部のアクションが冗長で退屈である。
という感じである。
総合的には、「キル・ビル Vol.1」公開当時同様、
『「キル・ビル Vol.2」が公開されていない今、わたしに言えるのは、態度保留ということである。』
というものである。
従って、「キル・ビル Vol.2」で、なんとか脚本の冴えを見せて欲しい。という気持ちでわたしは「キル・ビル Vol.2」を観た訳である。
個人的な第一印象的感想としては、『大変素晴らしい娯楽作品に仕上がっている。』というものである。
わたし達のような従来からのクエンティン・タランティーノ映画ファンの多くは、彼が書く脚本の、伏線やプロット、ディテール、そしてなんと言っても脚本の妙、脚本の冴えを求めているのであろう。
「キル・ビル Vol.1」は、残念ながら脚本ではなく、アクションで物語を紡ぐ、と言った手法をとっていたため、従来のタランティーノ映画ファンに取っては、決して満足の行く作品でなかったと思うのだ。
そして、映画秘宝的、東京ファンタ系ファンを集め、本来のタランティーノ作品の方向性と異なるベクトルを持った「キル・ビル Vol.1」に群がり、スノッブなにわかタランティーノ映画ファンを増やすにいたったのである。
一方「キル・ビル Vol.2」は、脚本が従来のタランティーノ作品のレベルまで達しており、そのため「キル・ビル Vol.1」と「キル・ビル Vol.2」を並べて観た際、物語のストーリー・ラインは充分評価できるもの、となっている。
そう考えた場合、退屈で脚本にひねりの無いつまらない映画「キル・ビル Vol.1」でさえ、映画的記憶のためか、素晴らしい映画に見えてくる。という機能を持っているのである。
わたしが考える「キル・ビル Vol.1」におけるつまらないシークエンスは、
1.オキナワの漫才
2.クレイジー88の退屈で冗長な殺陣
である。
オキナワの漫才は、ユーモアではなく、笑えないコメディのテイストであり、見るに耐えない。
また、クレイジー88の殺陣はユエン・ウーピンの指導とも思えないお粗末なものであった。
しかし本作「キル・ビル Vol.2」は、そういったテイストは皆無で、「キル・ビル Vol.1」のオキナワ以前のテイストを拡大したような印象を受けた。
つまり、「キル・ビル Vol.1」の評価できる部分を拡大したような作品に仕上がっている。ということである。
で、「キル・ビル Vol.2」だが、
先ず、プロットが素晴らしい。
「キル・ビル Vol.1」で棚上げされた幾つかの謎が基本的には全て解明され、脚本的にキッチリした作品に仕上がっている。
また、脚本は最早セリフ・バトルの様相を呈しており、ザ・ブライドとバド、エル、ビル等との、アクションではなく、セリフで戦う様が評価できる。
プロットと言うか伏線で興味深かった点をいくつかあげると、
ザ・ブライドの娘(B.B.)の登場シークエンスでの銃撃戦での娘のセリフ「バン!バン!」が、「キル・ビル Vol.1」のオープニング・クレジットに繋がるところが感動的である。
B.B.という名前は「Ban!Ban!」かな、とさえ思ったりする。
または、二親の名前から来ているのかも、と思ったりもする。
また、生き埋め状態からの脱出シークエンスの方法(ワン・インチ・パンチ/ワン・インチ・ブロー)も伏線として面白い。
パイ・メイには、ビル、ザ・ブライド、エルが師事していた点も面白いし、エルの眼帯の謎や、「キル・ビル Vol.1」の目玉を刳り貫くシークエンスもこれはパイ・メイの指導があった事が暗示されている。
エンディング・クレジット後のおまけ映像にも収録されているし。
バドが半蔵の日本刀を質屋に売った話も良いし、バドのザ・ブライドに対する騙し討ちのショット・ガンも良い。音楽を再開させるところが、バドと言うより、マイケル・マドセンらしい印象を受ける。
そしてバド発案のザ・ブライドの生き埋めや、そこからの脱出シークエンスも良い。(前述のワン・インチ・パンチ/ワン・インチ・ブロー)
また、演出や手法について、面白い点をあげると、
パイ・メイのシークエンスでのフィルムの粒子の粗さや、急なズーム・イン、ズーム・アウト、それにピンボケを重ねるあたりも香港テイストで面白い。
生き埋めシークエンスは観ている方も呼吸困難になってしまうほど、凄まじい効果を観客に与える事に成功している。
ビル邸に向かうザ・ブライドがロング・スカートをはいているのは謎だが、なんとも印象的である。
そしてビル、ザ・ブライド、B.B.の対面シーンが素晴らしい。
涙すら出てしまうほどの感動の再会なのだ。
さらに、ビルのB.B.への生と死の教育手法もタランティーノ節全開の素晴らしいものだった。(金魚の死)
また、ビルとザ・ブライドとの座ったままの殺陣もちょっと短いが興味深い。殺陣の中では、特に日本刀の鞘を使った点が素晴らしい。
長くなったし、まとまりが全く無いので、この辺でやめておきますが、もしかしたら、つづくかも。
「キル・ビル Vol.1」
http://diarynote.jp/d/29346/20031028.html
不運な映画「キル・ビル Vol.1」
http://diarynote.jp/d/29346/20031029.html
ここがダメだよ『キル・ビル Vol.1』
http://diarynote.jp/d/29346/20031114.html
スクール・オブ・ロック
2004年5月2日 映画
2004/05/01は「映画の日」だった。
という訳で「キル・ビルVol.2」と「スクール・オブ・ロック」を観た。
で今日は話題の「スクール・オブ・ロック」のお話。
ロック魂を全身で体現するギタリスト、デューイ・フィン(ジャック・ブラック)。
しかし、スデージ上でのそのあまりの破天荒ぶりがアダとなり、バンド・バトルを目前にして、自分が作ったバンド(ノー・ヴァカンシー)のメンバーからクビを宣告されてしまう。
ついでに、家賃滞納のため、居候している親友ネッド(マイク・ホワイト)のアパートからも退去勧告をされてしまった。
そんな中、ネッドのアパートに名門私立小学校ホレス・グリーン学院から臨時教師の話が舞い込む。電話に出たデューイはお金欲しさからネッドになりすまし臨時教師の職に就いてしまう。
その小学校はマリンズ校長(ジョーン・キューザック)のもと、厳しい管理教育がなされ、従順な生徒たちにはまるで覇気も個性も感じられなかったが、まともに授業する気もないデューイにとってそれはどうでもいいことだった。
しかし、生徒たちの音楽の授業を垣間見、自分の生徒たちが音楽の才能にあふれていると知ったデューイには、とんでもないアイデアが浮かぶのであった・・・・。
本作「スクール・オブ・ロック」は、一言で言うと、一般の映画ファンはもとより、音楽好き、ロック好きに特に自信を持っておすすめできる大変素晴らしいコメディ映画である。
キャストはなんと言っても、「愛しのローズマリー」、「ハイ・フィデリティ」などで最近話題のジャック・ブラック(デューイ・フィン役)のロック魂をアピールする怪演振りが素晴らしい。
そのキャラクター造型の根底には、勿論ロックを含めた全ての音楽に対する愛情に満ちているのだ。
冒頭のステージ・アクトから、ロック魂全開で、中盤のロック教師としての生徒たちとの絆作り、そしてラストのバンド・バトルまで、全てが楽しいのだ。
一方、本作の脚本家でもあるマイク・ホワイト(ネッド役)の優柔不断振りも、相対的にジャック・ブラックの演技を際立たせている。
かつて、パンク・ロックに明け暮れていたが、現在は更正(?)し、夢を諦めた青年を好演している。
そしてマイク・ホワイトが演じる、バンド・バトルからエンディングに向けての心の動きが、実は夢を諦めてサラリーマン生活をしている多くの一般観客の羨望を体現する仕組みになっているのだ。
また、マリンズ校長を演じるジョーン・キューザックは、舞台女優としてのキャリアと「サタデー・ナイト・ライブ」からはじまるコメディエンヌとしてのキャリアを持つ才媛である。
ロックを愛しているりだが、その気持ちを押さえ、名門小学校の理想的で厳格な校長役を演じる、という複雑なキャラクターを見事に演じている。
コメディエンヌとしての役柄を振られているため、一見するとベタなキャラクター設定のような印象を受けるが、それは仕方ないことであろう。
ロック・バンド「スクール・オブ・ロック」のメンバーは、実際に音楽的素養のある子供たちを対象としたオーディションで発掘された子供たちである。
一見すると、ありがちなハリウッド的子役(インタビューすると妙に大人びた語りを持つ子供たち)と、リアリティを持った一般の小学生ぽい子役がチームを組んだような構成になっている。
とは言うものの、本作では一般的なハリウッド子役ではなく、本当に普通の小学生たちが演じているような、ドキュメンタリー作品的な印象を受ける。
個々の子役俳優達についてのコメントは割愛するが、全ての子役たちは良い仕事をしている。
物語の根本は、語弊があるが「社会に適応できないロック・バカが、学校や生徒たちを騙して、自分のために子供たちを利用しバンド・バトルに出場する。」というものである。
従って、本作には、厳しく言うと、ジャック・ブラック演じるデューイ・フィンの「人を騙して自分のために利用する」というモラル的問題があるのは否めない事実である。
この点について観客のモラル感が許容できるかどうか、という点にこの映画を楽しめるかどうか、がかかっているのではないだろうか。
この辺については、「ライフ・イズ・ビューティフル」の嘘にも通じる部分があるかもしれない。
その「悲しい嘘」を考えつつ本作「スクール・オブ・ロック」を観るのも興味深いと思う。コメディが一見、子供たちに取って悲しい物語に見えてくるのである。
しかし、現在の子供たちは、そんな環境でも逞しく育っていくのである。
余談だが、エンド・クレジットのライヴ・シークエンスは、オリヴァー・ストーンの「ドアーズ」のエンド・クレジットのレコーディング風景にダブり、面白い効果を映画に与えている。
今年のゴールデン・ウイーク映画は音楽映画が多いのだ。わたしが観ただけでも、
1.「フォーチュン・クッキー」
2.「スクール・オブ・ロック」
3.「永遠のモータウン」
と三本もある。(おすすめ度順)
音楽ファンとしては、嬉しい限りである。
という訳で「キル・ビルVol.2」と「スクール・オブ・ロック」を観た。
で今日は話題の「スクール・オブ・ロック」のお話。
ロック魂を全身で体現するギタリスト、デューイ・フィン(ジャック・ブラック)。
しかし、スデージ上でのそのあまりの破天荒ぶりがアダとなり、バンド・バトルを目前にして、自分が作ったバンド(ノー・ヴァカンシー)のメンバーからクビを宣告されてしまう。
ついでに、家賃滞納のため、居候している親友ネッド(マイク・ホワイト)のアパートからも退去勧告をされてしまった。
そんな中、ネッドのアパートに名門私立小学校ホレス・グリーン学院から臨時教師の話が舞い込む。電話に出たデューイはお金欲しさからネッドになりすまし臨時教師の職に就いてしまう。
その小学校はマリンズ校長(ジョーン・キューザック)のもと、厳しい管理教育がなされ、従順な生徒たちにはまるで覇気も個性も感じられなかったが、まともに授業する気もないデューイにとってそれはどうでもいいことだった。
しかし、生徒たちの音楽の授業を垣間見、自分の生徒たちが音楽の才能にあふれていると知ったデューイには、とんでもないアイデアが浮かぶのであった・・・・。
本作「スクール・オブ・ロック」は、一言で言うと、一般の映画ファンはもとより、音楽好き、ロック好きに特に自信を持っておすすめできる大変素晴らしいコメディ映画である。
キャストはなんと言っても、「愛しのローズマリー」、「ハイ・フィデリティ」などで最近話題のジャック・ブラック(デューイ・フィン役)のロック魂をアピールする怪演振りが素晴らしい。
そのキャラクター造型の根底には、勿論ロックを含めた全ての音楽に対する愛情に満ちているのだ。
冒頭のステージ・アクトから、ロック魂全開で、中盤のロック教師としての生徒たちとの絆作り、そしてラストのバンド・バトルまで、全てが楽しいのだ。
一方、本作の脚本家でもあるマイク・ホワイト(ネッド役)の優柔不断振りも、相対的にジャック・ブラックの演技を際立たせている。
かつて、パンク・ロックに明け暮れていたが、現在は更正(?)し、夢を諦めた青年を好演している。
そしてマイク・ホワイトが演じる、バンド・バトルからエンディングに向けての心の動きが、実は夢を諦めてサラリーマン生活をしている多くの一般観客の羨望を体現する仕組みになっているのだ。
また、マリンズ校長を演じるジョーン・キューザックは、舞台女優としてのキャリアと「サタデー・ナイト・ライブ」からはじまるコメディエンヌとしてのキャリアを持つ才媛である。
ロックを愛しているりだが、その気持ちを押さえ、名門小学校の理想的で厳格な校長役を演じる、という複雑なキャラクターを見事に演じている。
コメディエンヌとしての役柄を振られているため、一見するとベタなキャラクター設定のような印象を受けるが、それは仕方ないことであろう。
ロック・バンド「スクール・オブ・ロック」のメンバーは、実際に音楽的素養のある子供たちを対象としたオーディションで発掘された子供たちである。
一見すると、ありがちなハリウッド的子役(インタビューすると妙に大人びた語りを持つ子供たち)と、リアリティを持った一般の小学生ぽい子役がチームを組んだような構成になっている。
とは言うものの、本作では一般的なハリウッド子役ではなく、本当に普通の小学生たちが演じているような、ドキュメンタリー作品的な印象を受ける。
個々の子役俳優達についてのコメントは割愛するが、全ての子役たちは良い仕事をしている。
物語の根本は、語弊があるが「社会に適応できないロック・バカが、学校や生徒たちを騙して、自分のために子供たちを利用しバンド・バトルに出場する。」というものである。
従って、本作には、厳しく言うと、ジャック・ブラック演じるデューイ・フィンの「人を騙して自分のために利用する」というモラル的問題があるのは否めない事実である。
この点について観客のモラル感が許容できるかどうか、という点にこの映画を楽しめるかどうか、がかかっているのではないだろうか。
この辺については、「ライフ・イズ・ビューティフル」の嘘にも通じる部分があるかもしれない。
その「悲しい嘘」を考えつつ本作「スクール・オブ・ロック」を観るのも興味深いと思う。コメディが一見、子供たちに取って悲しい物語に見えてくるのである。
しかし、現在の子供たちは、そんな環境でも逞しく育っていくのである。
余談だが、エンド・クレジットのライヴ・シークエンスは、オリヴァー・ストーンの「ドアーズ」のエンド・クレジットのレコーディング風景にダブり、面白い効果を映画に与えている。
今年のゴールデン・ウイーク映画は音楽映画が多いのだ。わたしが観ただけでも、
1.「フォーチュン・クッキー」
2.「スクール・オブ・ロック」
3.「永遠のモータウン」
と三本もある。(おすすめ度順)
音楽ファンとしては、嬉しい限りである。
2004年の目標!! 中間発表その4
2004年5月1日 映画さて、早速ですが2004年の目標の中間発表その4です。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
1.映画
#016 「下妻物語」日劇2 2004/04/01
#017 「家族ゲーム」日劇2 2004/04/05
#018 「犬と歩けば チロリとタムラ」銀座ガスホール 2004/04/13
#019 「転校生」日劇2 2004/04/16
#020 「フォーチュン・クッキー」ヤクルトホール 2004/04/19
#021 「Re:プレイ」サイエンスホール 2004/04/23
#022 「永遠のモータウン」千代田区公会堂 2004/04/27
#023 「スイミング・プール」九段会館ホール 2004/04/30
2.DVD、CATV等
#048 「形見(短編)」CATV 2004/04/06
#049 「尾道(短編)」CATV 2004/04/06
#050 「ガメラ対深海怪獣ジグラ」CATV 2004/04/06
#051 「PARTY7」CATV 2004/04/07
#052 「天気予報(短編)」CATV 2004/04/08
#053 「あの、夏の日 ーとんでろ じいちゃんー」CATV 2004/04/08
#054 「喰べた人(短編)」CATV 2004/04/08
#055 「Complexe(短編)」CATV 2004/04/08
#056 「人間の証明」CATV 2004/04/09
#057 「TOKYO EYES」CATV 2004/04/09
#058 「あした」CATV 2004/04/14
#059 「鮫肌男と桃尻女」CATV 2004/04/14
#060 「野良犬」CATV 2004/04/17
#061 「用心棒」CATV 2004/04/24
#062 「はるか、ノスタルジィ」CATV 2004/04/24
#063 「ふたり」CATV 2004/04/25
#064 「ブルース・ブラザース」CATV 2004/04/29
3.読書
#013 「野獣死すべし」大藪春彦著 角川文庫 2004/04/04
#014 「贈られた手 家族狩り 第三部」天童荒太著 新潮文庫 2004/04/10
#015 「ザ・スタンド(I)」スティーヴン・キング著 深町眞理子訳 文春文庫 2004/04/22
#016 「巡礼者たち 家族狩り 第四部」天童荒太著 新潮文庫 2004/04/30
映画は、劇場8本(累計23本)、DVD等17本(累計64本)で、計25本(累計87本)。
このままのペースで、年間261本(劇場69本)です。
読書は4冊(累計16冊)で、このままのペースでは、年間48冊です。
状況は厳しいですし、先は長いですが頑張ります。
※ 参考 昨年同時期の状況
映画 89本(劇場30本)
読書 29冊
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
1.映画
#016 「下妻物語」日劇2 2004/04/01
#017 「家族ゲーム」日劇2 2004/04/05
#018 「犬と歩けば チロリとタムラ」銀座ガスホール 2004/04/13
#019 「転校生」日劇2 2004/04/16
#020 「フォーチュン・クッキー」ヤクルトホール 2004/04/19
#021 「Re:プレイ」サイエンスホール 2004/04/23
#022 「永遠のモータウン」千代田区公会堂 2004/04/27
#023 「スイミング・プール」九段会館ホール 2004/04/30
2.DVD、CATV等
#048 「形見(短編)」CATV 2004/04/06
#049 「尾道(短編)」CATV 2004/04/06
#050 「ガメラ対深海怪獣ジグラ」CATV 2004/04/06
#051 「PARTY7」CATV 2004/04/07
#052 「天気予報(短編)」CATV 2004/04/08
#053 「あの、夏の日 ーとんでろ じいちゃんー」CATV 2004/04/08
#054 「喰べた人(短編)」CATV 2004/04/08
#055 「Complexe(短編)」CATV 2004/04/08
#056 「人間の証明」CATV 2004/04/09
#057 「TOKYO EYES」CATV 2004/04/09
#058 「あした」CATV 2004/04/14
#059 「鮫肌男と桃尻女」CATV 2004/04/14
#060 「野良犬」CATV 2004/04/17
#061 「用心棒」CATV 2004/04/24
#062 「はるか、ノスタルジィ」CATV 2004/04/24
#063 「ふたり」CATV 2004/04/25
#064 「ブルース・ブラザース」CATV 2004/04/29
3.読書
#013 「野獣死すべし」大藪春彦著 角川文庫 2004/04/04
#014 「贈られた手 家族狩り 第三部」天童荒太著 新潮文庫 2004/04/10
#015 「ザ・スタンド(I)」スティーヴン・キング著 深町眞理子訳 文春文庫 2004/04/22
#016 「巡礼者たち 家族狩り 第四部」天童荒太著 新潮文庫 2004/04/30
映画は、劇場8本(累計23本)、DVD等17本(累計64本)で、計25本(累計87本)。
このままのペースで、年間261本(劇場69本)です。
読書は4冊(累計16冊)で、このままのペースでは、年間48冊です。
状況は厳しいですし、先は長いですが頑張ります。
※ 参考 昨年同時期の状況
映画 89本(劇場30本)
読書 29冊
「スイミング・プール」
2004年4月30日 映画東京九段会館ホールで行なわれた「スイミング・プール」の試写会に行ってきた。
クライム小説で知られるイギリスの女流ベストセラー作家サラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、作家としての新たな方向性を模索していた。
そんなサラは、ある夏、出版社社長ジョン(チャールズ・ダンス)の勧めで南フランスの彼の別荘に滞在することにする。
その別荘は、明るく静かで誰にも邪魔されずに執筆できる最適な環境だと思われた。
しかし、周辺の環境にも慣れ、いよいよ執筆活動に取り掛かろうとした矢先、社長の娘と名乗るジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が別荘にやって来る。
全裸でプールを泳ぎ、毎晩毎晩違った男を別荘に連れ込むジュリーに苛立ち筆が進まないサラ。
しかし、やがてサラは、ジュリーの若さと妖艶な振る舞いに強い刺激を受け、作家の習性か、いつしか彼女をモデルに物語を紡ぎ始めるのだった・・・・。
本作は、「8人の女たち」のフランシス・オゾンの新作である。
出演は、イギリスの女流ベストセラー作家サラ・モートンに名女優シャーロット・ランプリング。出版社社長の奔放な娘ジュリーにフランスの妖精リュディヴィーヌ・サニエ。
第一印象は、一言で言うと、非常に素晴らしい良質のミステリー(サスペンス)映画に仕上がっている。と感じた。
物語は、複数の解釈が可能な自由度があり、鑑賞後しばらくの間、反芻することにより、より深く楽しめる作品であり、また場合によってはリピートしたくなる種類の作品である。と言える。
演出的には、非常に細かい観客への伏線や不可解な行動や描写、そしてヒントや目配せが散りばめられており、解釈の幅を拡大している。
脚本をなめるだけでも充分面白い作品であるが、その監督からのヒントや目配せを汲み取ることにより、本作は新たな側面を明らかにする、と言ったような構成となっている。
キャストはなんと言ってもリュディヴィーヌ・サニエの魅力爆発である。
先日「フォーチュン・クッキー」でリンゼイ・ローハンに惚れたわたしであるが、今回の「スイミング・プール」では、リュディヴィーヌ・サニエに惚れることになってしまったのだ。
一方名女優シャーロット・ランプリングは、英国ベストセラー作家を好演している。
ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と関わることによる女性としての、そして作家としての心境の変化が興味深い。
そして驚いたことに、奔放な女性を演じたリュディヴィーヌ・サニエの全裸シーンは知っていたのだが、名女優シャーロット・ランプリングの全裸シーンがあるのには驚いてしまった。
昨年は「アバウト・シュミット」におけるキャシー・ベイツの全裸に驚かせられたが、今年はシャーロット・ランプリングの全裸に驚きなのだ。
また本作を格調高いものにしている印象的なスコア(ピアノとストリングス)はフィリップ・ロンビによるもので、感覚的には作品のテイストもあり、「刑事コロンボ」的な音楽のあてかたを感じた。
そして色使いである。
南フランスの素晴らしい空の青とスイミング・プールの青。
そして、その中に意味ありげに配されたいくつかの赤。
この辺も本作の解釈の多様性を深めているのではないだろうか。
とにかく、本作は多くの人におすすめできる素晴らしい良質のミステリー(サスペンス)映画なのだ。
クライム小説で知られるイギリスの女流ベストセラー作家サラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、作家としての新たな方向性を模索していた。
そんなサラは、ある夏、出版社社長ジョン(チャールズ・ダンス)の勧めで南フランスの彼の別荘に滞在することにする。
その別荘は、明るく静かで誰にも邪魔されずに執筆できる最適な環境だと思われた。
しかし、周辺の環境にも慣れ、いよいよ執筆活動に取り掛かろうとした矢先、社長の娘と名乗るジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が別荘にやって来る。
全裸でプールを泳ぎ、毎晩毎晩違った男を別荘に連れ込むジュリーに苛立ち筆が進まないサラ。
しかし、やがてサラは、ジュリーの若さと妖艶な振る舞いに強い刺激を受け、作家の習性か、いつしか彼女をモデルに物語を紡ぎ始めるのだった・・・・。
本作は、「8人の女たち」のフランシス・オゾンの新作である。
出演は、イギリスの女流ベストセラー作家サラ・モートンに名女優シャーロット・ランプリング。出版社社長の奔放な娘ジュリーにフランスの妖精リュディヴィーヌ・サニエ。
第一印象は、一言で言うと、非常に素晴らしい良質のミステリー(サスペンス)映画に仕上がっている。と感じた。
物語は、複数の解釈が可能な自由度があり、鑑賞後しばらくの間、反芻することにより、より深く楽しめる作品であり、また場合によってはリピートしたくなる種類の作品である。と言える。
演出的には、非常に細かい観客への伏線や不可解な行動や描写、そしてヒントや目配せが散りばめられており、解釈の幅を拡大している。
脚本をなめるだけでも充分面白い作品であるが、その監督からのヒントや目配せを汲み取ることにより、本作は新たな側面を明らかにする、と言ったような構成となっている。
キャストはなんと言ってもリュディヴィーヌ・サニエの魅力爆発である。
先日「フォーチュン・クッキー」でリンゼイ・ローハンに惚れたわたしであるが、今回の「スイミング・プール」では、リュディヴィーヌ・サニエに惚れることになってしまったのだ。
一方名女優シャーロット・ランプリングは、英国ベストセラー作家を好演している。
ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と関わることによる女性としての、そして作家としての心境の変化が興味深い。
そして驚いたことに、奔放な女性を演じたリュディヴィーヌ・サニエの全裸シーンは知っていたのだが、名女優シャーロット・ランプリングの全裸シーンがあるのには驚いてしまった。
昨年は「アバウト・シュミット」におけるキャシー・ベイツの全裸に驚かせられたが、今年はシャーロット・ランプリングの全裸に驚きなのだ。
また本作を格調高いものにしている印象的なスコア(ピアノとストリングス)はフィリップ・ロンビによるもので、感覚的には作品のテイストもあり、「刑事コロンボ」的な音楽のあてかたを感じた。
そして色使いである。
南フランスの素晴らしい空の青とスイミング・プールの青。
そして、その中に意味ありげに配されたいくつかの赤。
この辺も本作の解釈の多様性を深めているのではないだろうか。
とにかく、本作は多くの人におすすめできる素晴らしい良質のミステリー(サスペンス)映画なのだ。
清和県民の森MTBツーリング
2004年4月29日 スポーツ4月29日(みどりの日)、千葉県君津市近辺の「清和県民の森」にMTB(マウンテンバイク)ツーリングに出かけました。
MTBのツーリングは、多くの場合MTBを現地まで運ぶ事から始まります。
今回は、「清和県民の森」近辺の駐車場まで各自の自動車を利用しMTBを運び、その駐車場からツーリングをスタートすることにしました。
MTBツーリングの楽しみのひとつは、シングルトラックと呼ばれる山道を走る事です。
そのシングルトラックとは、ハイカーがすれ違えるくらい、または自転車が1台通れるくらいの細い林道やハイキングコース、登山道、獣道をイメージしていただければ良いと思います。
今回のツーリングは、大雑把に言うと、MTBで舗装路を登り、シングルトラックを下る、という感じでした。
勿論山道や峠道ですから、一口に舗装路の登りと言っても、斜度は変わりますし、登りの中に平坦な部分や下りもあります。
また、シングルトラックの下りと言っても、下りの最中に登りや平坦な部分もありますし、場合によってはMTBを担いで通らなければならない道もあります。
地面の状態も乾燥した路面や、ドロドロの路面、水溜り上の路面、枯葉が敷き詰められたような路面、木の根が複雑に走っているような路面、ハイカーのために作られた階段状の路面等様々な状態です。
そういった様々な路面に対処し走破するのがMTBの楽しみのひとつだと思います。
今回のツーリングは、概ね25km位の距離を3〜4時間かけて走りました。
個人的にはディレーラー(自転車の変速機)の調子が悪かったので、変速時にはトルクをかける量を小さくし、優しく変速するよう心がけ、登りもゆっくり登ったりしていました。
駐車場に戻り、食事を取り、近場の立ち寄り温泉に入り、お開きでした。
MTBのツーリングは、多くの場合MTBを現地まで運ぶ事から始まります。
今回は、「清和県民の森」近辺の駐車場まで各自の自動車を利用しMTBを運び、その駐車場からツーリングをスタートすることにしました。
MTBツーリングの楽しみのひとつは、シングルトラックと呼ばれる山道を走る事です。
そのシングルトラックとは、ハイカーがすれ違えるくらい、または自転車が1台通れるくらいの細い林道やハイキングコース、登山道、獣道をイメージしていただければ良いと思います。
今回のツーリングは、大雑把に言うと、MTBで舗装路を登り、シングルトラックを下る、という感じでした。
勿論山道や峠道ですから、一口に舗装路の登りと言っても、斜度は変わりますし、登りの中に平坦な部分や下りもあります。
また、シングルトラックの下りと言っても、下りの最中に登りや平坦な部分もありますし、場合によってはMTBを担いで通らなければならない道もあります。
地面の状態も乾燥した路面や、ドロドロの路面、水溜り上の路面、枯葉が敷き詰められたような路面、木の根が複雑に走っているような路面、ハイカーのために作られた階段状の路面等様々な状態です。
そういった様々な路面に対処し走破するのがMTBの楽しみのひとつだと思います。
今回のツーリングは、概ね25km位の距離を3〜4時間かけて走りました。
個人的にはディレーラー(自転車の変速機)の調子が悪かったので、変速時にはトルクをかける量を小さくし、優しく変速するよう心がけ、登りもゆっくり登ったりしていました。
駐車場に戻り、食事を取り、近場の立ち寄り温泉に入り、お開きでした。
「永遠のモータウン」
2004年4月27日 映画東京千代田区公会堂で行われた「永遠のモータウン」の試写会に行ってきた。
<キャッチ・コピー>
エルヴィス、ビーチ・ボーイズ、ストーンズそしてビートルズ。
全てのNo.1ヒットを足しても、“彼ら”にはかなわない。
しかし“彼ら”の名前を知る者はいない。
1960年代以降、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイブ、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズをはじめ、錚々たる有名アーティストを輩出、全米音楽シーンはもとより、全世界に数々のヒット曲を送り出した「モータウン・レーベル」。
その黄金期を支え、「モータウン・サウンド」を確立したのは、レコーディング・バンド「ファンク・ブラザース」だった。
しかしレコードにバック・バンドをクレジットする習慣のなかった1960年代当時、彼ら「ファンク・ブラザース」の名前が一般に知られることはなく、彼らの偉業が顧みられることはなかったのだ。
本作は、その「モータウン・レーベル」のレコーディング・バンドとして、レーベルの黄金期を陰で支えた「ファンク・ブラザース」の実像を、インタビューや演奏シーンなどを基に、浮き彫りにした音楽ドキュメンタリーである。
先ず、本作「永遠のモータウン」は、ドキュメンタリーと言う性格上、一般の商業映画と同列に評価する事は出来ないが、全ての音楽を愛する人々に自信を持っておすすめ出来る、近年まれに見る感動の音楽映画なのだ。
事実、わたしの経験上ではあるが、本作はここ1年で一番泣けた作品ではないかと思えるほどの感動を受けた。
これは、多くのヒット曲を輩出しつつも全く評価されなかった、という、「ファンク・ブラザース」の不遇の境遇がそうさせるのかも知れないし、彼らがバック・バンドとして参加してレコーディングされた多くのヒット曲の記憶がそうさせるのかもしれない。
また、彼ら「ファンク・ブラザース」の演奏自体に因るところが大きいかも知れないのも事実だし、音楽の持つ強大な力と、事実が持つ大きな力がそうさせているのかも知れない。
とにかく、音楽好きの人、特に「モータウン・サウンド」に関心のある方、R&B系の音楽に関心のある方には、絶対的にオススメできる作品なのである。
<キャッチ・コピー>
エルヴィス、ビーチ・ボーイズ、ストーンズそしてビートルズ。
全てのNo.1ヒットを足しても、“彼ら”にはかなわない。
しかし“彼ら”の名前を知る者はいない。
1960年代以降、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイブ、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズをはじめ、錚々たる有名アーティストを輩出、全米音楽シーンはもとより、全世界に数々のヒット曲を送り出した「モータウン・レーベル」。
その黄金期を支え、「モータウン・サウンド」を確立したのは、レコーディング・バンド「ファンク・ブラザース」だった。
しかしレコードにバック・バンドをクレジットする習慣のなかった1960年代当時、彼ら「ファンク・ブラザース」の名前が一般に知られることはなく、彼らの偉業が顧みられることはなかったのだ。
本作は、その「モータウン・レーベル」のレコーディング・バンドとして、レーベルの黄金期を陰で支えた「ファンク・ブラザース」の実像を、インタビューや演奏シーンなどを基に、浮き彫りにした音楽ドキュメンタリーである。
先ず、本作「永遠のモータウン」は、ドキュメンタリーと言う性格上、一般の商業映画と同列に評価する事は出来ないが、全ての音楽を愛する人々に自信を持っておすすめ出来る、近年まれに見る感動の音楽映画なのだ。
事実、わたしの経験上ではあるが、本作はここ1年で一番泣けた作品ではないかと思えるほどの感動を受けた。
これは、多くのヒット曲を輩出しつつも全く評価されなかった、という、「ファンク・ブラザース」の不遇の境遇がそうさせるのかも知れないし、彼らがバック・バンドとして参加してレコーディングされた多くのヒット曲の記憶がそうさせるのかもしれない。
また、彼ら「ファンク・ブラザース」の演奏自体に因るところが大きいかも知れないのも事実だし、音楽の持つ強大な力と、事実が持つ大きな力がそうさせているのかも知れない。
とにかく、音楽好きの人、特に「モータウン・サウンド」に関心のある方、R&B系の音楽に関心のある方には、絶対的にオススメできる作品なのである。
「コカ・コーラ/サザエさん編」(日本コカ・コーラ株式会社)
2004年4月26日 CF(CM)/PV最近「サザエさん」一家が、オール・スター・キャストで出演している、コカ・コーラのCF(CM)があります。
今回は、この一連のCF(CM)について考えてみましょう。
まず、わたしが視聴する限り、「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFは現在のところ2種類存在し、そのCFのコンセプトは、特定のコカ・コーラ製品のCFではなく、コカ・コーラの製品全体、またはコカ・コーラ社の企業PRとしてのCFとして機能しています。
また、今回のCFについて特筆すべき点は、音楽はともかく、アニメーションの「サザエさん」の世界観そのままの雰囲気でCFが構築されている、という点です。
それでは、現在視聴できる「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFをご紹介しましょう。
一本目は(わたしの記憶によると)、
磯野家の茶の間。
磯野家、フグ田家が一家団欒している。
サザエさんが立ち上がり、コカ・コーラ製品を買いに出かけようとする。
サザエ:コカ・コーラ買いに行くわよ。
タマ:ニャ〜ン
波平:ついでにまろ茶。
ワカメ:ついでにアクエリアス。
マスオ:ついでに爽健美茶。
カツオ:ついでにステーキ。
波平:どこがついでなんだ、カツオ!
タラオ:ですね。
二本目は(わたしの記憶によると)、
とある街角。
タラちゃんを連れたサザエさんと、イクラちゃんを連れたタイコさんとがばったり出会う。
タイコさんが持つ手提げにコカ・コーラ製品のミディペットボトルが入っている。
サザエ:あら、ミディペット。
タイコ:イクラとわたしで丁度良いんです。
イクラ:ハ〜イ。
タラ:パパにはあげないんですね。
ノリスケ:ハックション。
先ず、大前提として、このCFは前述の通り「サザエさん」ワールドそのままの雰囲気で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしている、という点が興味深い。
従来の「サザエさん」のキャラクターを起用した多くのCFでは、各キャラクターはCF内で視聴者に対し、商品を説明する役割を振られていたのだが、今回のシリーズでは、アニメーション「サザエさん」のひとコマを抽出したような演出プランによって、コカ・コーラ社のCFが出来上がっているのである。
しかも、各キャラクターの絵柄は最新のキャラクター設定に則っており、声優も最新の声優たちが起用されている。
音楽はともかく、今回のCFが、アニメーション「サザエさん」の本編の中に挿入されたとしても、視聴者には違和感無く受け入れられてしまうだろう。
実際は、違和感どころか、「サザエさん」の本編と本編の間に今回のCFが放映されたような場合、視聴者は、今見た映像が、本編なのかCFなのか区別が付かない、といった事象の発生が否定できない。
ここに来て、アニメーション本編とCFとの区別がつかなくなってしまった視聴者は、あたかも「サザエさん」本編の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルが行われていた、と錯覚しかねないのである。
これは、「サブリミナル効果」的な、知らず知らずのうちに効果が出てしまうという恐ろしい広告の手法なのかもしれない。
ここで思い知るのは、「サザエさん」のキャラクターが彼らの日常生活の中で、つまりキャラクター達が演じているアニメーション世界(われわれにとっての作られた擬似世界)の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしているという、いわばメタ・フィクション的構造の巧みさである。
この手法の巧みさと効果には、舌を巻く思いである。
これについては「トゥルーマン・ショー」の中で、テレビ番組の登場人物(トゥルーマン)に気付かずにスポンサーの製品のコマーシャルをしてしまう、という番組の中にCFを挟み込む手法が映像化されているので、関心がある方は参考の為見て欲しい。
そしてもうひとつの大きな問題は、「サザエさん」一家は、現代の日本人にとって、日本を代表する、そして日本を象徴する典型的な家族である、という点である。
その点を念頭において、このCFを視聴した場合、このCFの影響力に、空恐ろしいものを感じてしまうのだ。
事実か都市伝説なのかは知らないが、東芝が「サザエさん」の単独スポンサーだった時代、東芝から最新の家電製品が発売される度に、アニメーションの中に東芝の新製品が登場していた時代があったらしい。
そして、視聴者から「何故、磯野家(フグ田家)はそんなに簡単に、新製品ばかりを購入できるんだ。」とクレームが入り、現在の状況となったらしい。
そして、仮にこの事象が事実だった場合、その時点で既に「サザエさん」一家は、一般大衆によって、日本における一般家庭の典型と認められていることになるのだ。
今回の「コカ・コーラ/サザエさん編」は、例えるならば、語弊はあるものの、ロイヤル・ファミリーや、天皇家、大統領一家のような影響力のある一家が、1企業のCFに出演しているようなインパクトを日本国民に与えるほどの出来事なのかも知れない。
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今回は、この一連のCF(CM)について考えてみましょう。
まず、わたしが視聴する限り、「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFは現在のところ2種類存在し、そのCFのコンセプトは、特定のコカ・コーラ製品のCFではなく、コカ・コーラの製品全体、またはコカ・コーラ社の企業PRとしてのCFとして機能しています。
また、今回のCFについて特筆すべき点は、音楽はともかく、アニメーションの「サザエさん」の世界観そのままの雰囲気でCFが構築されている、という点です。
それでは、現在視聴できる「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFをご紹介しましょう。
一本目は(わたしの記憶によると)、
磯野家の茶の間。
磯野家、フグ田家が一家団欒している。
サザエさんが立ち上がり、コカ・コーラ製品を買いに出かけようとする。
サザエ:コカ・コーラ買いに行くわよ。
タマ:ニャ〜ン
波平:ついでにまろ茶。
ワカメ:ついでにアクエリアス。
マスオ:ついでに爽健美茶。
カツオ:ついでにステーキ。
波平:どこがついでなんだ、カツオ!
タラオ:ですね。
二本目は(わたしの記憶によると)、
とある街角。
タラちゃんを連れたサザエさんと、イクラちゃんを連れたタイコさんとがばったり出会う。
タイコさんが持つ手提げにコカ・コーラ製品のミディペットボトルが入っている。
サザエ:あら、ミディペット。
タイコ:イクラとわたしで丁度良いんです。
イクラ:ハ〜イ。
タラ:パパにはあげないんですね。
ノリスケ:ハックション。
先ず、大前提として、このCFは前述の通り「サザエさん」ワールドそのままの雰囲気で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしている、という点が興味深い。
従来の「サザエさん」のキャラクターを起用した多くのCFでは、各キャラクターはCF内で視聴者に対し、商品を説明する役割を振られていたのだが、今回のシリーズでは、アニメーション「サザエさん」のひとコマを抽出したような演出プランによって、コカ・コーラ社のCFが出来上がっているのである。
しかも、各キャラクターの絵柄は最新のキャラクター設定に則っており、声優も最新の声優たちが起用されている。
音楽はともかく、今回のCFが、アニメーション「サザエさん」の本編の中に挿入されたとしても、視聴者には違和感無く受け入れられてしまうだろう。
実際は、違和感どころか、「サザエさん」の本編と本編の間に今回のCFが放映されたような場合、視聴者は、今見た映像が、本編なのかCFなのか区別が付かない、といった事象の発生が否定できない。
ここに来て、アニメーション本編とCFとの区別がつかなくなってしまった視聴者は、あたかも「サザエさん」本編の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルが行われていた、と錯覚しかねないのである。
これは、「サブリミナル効果」的な、知らず知らずのうちに効果が出てしまうという恐ろしい広告の手法なのかもしれない。
ここで思い知るのは、「サザエさん」のキャラクターが彼らの日常生活の中で、つまりキャラクター達が演じているアニメーション世界(われわれにとっての作られた擬似世界)の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしているという、いわばメタ・フィクション的構造の巧みさである。
この手法の巧みさと効果には、舌を巻く思いである。
これについては「トゥルーマン・ショー」の中で、テレビ番組の登場人物(トゥルーマン)に気付かずにスポンサーの製品のコマーシャルをしてしまう、という番組の中にCFを挟み込む手法が映像化されているので、関心がある方は参考の為見て欲しい。
そしてもうひとつの大きな問題は、「サザエさん」一家は、現代の日本人にとって、日本を代表する、そして日本を象徴する典型的な家族である、という点である。
その点を念頭において、このCFを視聴した場合、このCFの影響力に、空恐ろしいものを感じてしまうのだ。
事実か都市伝説なのかは知らないが、東芝が「サザエさん」の単独スポンサーだった時代、東芝から最新の家電製品が発売される度に、アニメーションの中に東芝の新製品が登場していた時代があったらしい。
そして、視聴者から「何故、磯野家(フグ田家)はそんなに簡単に、新製品ばかりを購入できるんだ。」とクレームが入り、現在の状況となったらしい。
そして、仮にこの事象が事実だった場合、その時点で既に「サザエさん」一家は、一般大衆によって、日本における一般家庭の典型と認められていることになるのだ。
今回の「コカ・コーラ/サザエさん編」は、例えるならば、語弊はあるものの、ロイヤル・ファミリーや、天皇家、大統領一家のような影響力のある一家が、1企業のCFに出演しているようなインパクトを日本国民に与えるほどの出来事なのかも知れない。
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「アイデンティテイー」の脚本家マイケル・クーニーが舞台劇として書いた”POINT OF DEATH”をドイツの俊英ローランド・ズゾ・リヒターが監督した「Re:プレイ」の試写会に行ってきた。
「RE:プレイ」と言うと、音で言うと、ケン・グリムウッドの小説「リプレイ」を思い出す。
おそらく配給会社としては、その辺を含めて邦題を付けていると思うのだが、その辺がディレクションやミス・ディレクションになるような邦題のつけ方はいかがなものかな、と思ってしまう。
2002年7月、交通事故により救急車で聖ユダ病院に運ばれた男サイモン・ケーブル(ライアン・フィリップ)。
サイモンはその際、2分間の心拍停止に陥るが、医師たちの懸命の処置により奇跡的に命を取り留めることになる。
しかし、昏睡から覚めたサイモンは、過去2年間の記憶を失っていた事に気付く。
記憶を失ったサイモンのもとに謎の金髪の女(サラ・ポーリー)や妻だと名乗る黒髪の女アンナ(パイパー・ペラーボ)がやって来る。
しかし記憶を失ったサイモンは何も思い出せず混乱するばかりである。
やがてサイモンは、雨の中、兄ピーター(ロバート・ショーン・レナード)のもとへ向かっていて交通事故に遭ったことを思い出す。
しかしアンナは「ピーターを殺したのはあなたよ」と告げるのであった。
そしてサイモンはMRI検査の睡眠の後目覚めると、2000年の聖ユダ病院に居たのである。
これは夢なのか、それとも・・・・。
本作「RE:プレイ」は、「アイデンティティー」の脚本家が書いた戯曲を原作としていることであるから、観客としては「絶対に騙されないぞ!」という意識で本作を観るのは、仕方が無いことだと思うのである。
事実、わたしは全てを疑い、2000年と2002年の舞台の齟齬、つまり監督からのメッセージを探すことに終始していた。
「アイデンティティー」は、嵐の中のモーテルを舞台にして、登場人物等に一体何が起きているのか、そして犯人は一体誰なのか、ということがすぐわかってしまい、映画の後半は退屈な印象を受けたのであるが、本作はひとつの謎の明確な解明があるわけではなく、複数の解釈が可能な、興味深い作品、大変面白い作品に仕上がっている。
わたし個人的には、スタンリー・キューブリックの「アイズ ワイド シャット」や、デイヴィッド・リンチの一連の夢と現実とを同レベルで描いた作品群と同じような関心を持って観ることが出来た。
本作は「メメント」や「カンパニー・マン」、「イグジステンズ」等の作品、勿論リンチの一連の作品が好きな人には、おすすめできる作品である。
そういった作品を観て、「何がなんだかわからない=理解できないからつまらない=駄作」だと考えるような観客には、残念ながらおすすめできない作品だと思うのだ。
余談だが、途中のMRIのシークエンスは、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュとも言える印象を受けた。
MRIのシークエンスは、「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の船内のようであり、広角レンズの効果的な使い方が、キューブリックを彷彿とさせるのだ。
「RE:プレイ」と言うと、音で言うと、ケン・グリムウッドの小説「リプレイ」を思い出す。
おそらく配給会社としては、その辺を含めて邦題を付けていると思うのだが、その辺がディレクションやミス・ディレクションになるような邦題のつけ方はいかがなものかな、と思ってしまう。
2002年7月、交通事故により救急車で聖ユダ病院に運ばれた男サイモン・ケーブル(ライアン・フィリップ)。
サイモンはその際、2分間の心拍停止に陥るが、医師たちの懸命の処置により奇跡的に命を取り留めることになる。
しかし、昏睡から覚めたサイモンは、過去2年間の記憶を失っていた事に気付く。
記憶を失ったサイモンのもとに謎の金髪の女(サラ・ポーリー)や妻だと名乗る黒髪の女アンナ(パイパー・ペラーボ)がやって来る。
しかし記憶を失ったサイモンは何も思い出せず混乱するばかりである。
やがてサイモンは、雨の中、兄ピーター(ロバート・ショーン・レナード)のもとへ向かっていて交通事故に遭ったことを思い出す。
しかしアンナは「ピーターを殺したのはあなたよ」と告げるのであった。
そしてサイモンはMRI検査の睡眠の後目覚めると、2000年の聖ユダ病院に居たのである。
これは夢なのか、それとも・・・・。
本作「RE:プレイ」は、「アイデンティティー」の脚本家が書いた戯曲を原作としていることであるから、観客としては「絶対に騙されないぞ!」という意識で本作を観るのは、仕方が無いことだと思うのである。
事実、わたしは全てを疑い、2000年と2002年の舞台の齟齬、つまり監督からのメッセージを探すことに終始していた。
「アイデンティティー」は、嵐の中のモーテルを舞台にして、登場人物等に一体何が起きているのか、そして犯人は一体誰なのか、ということがすぐわかってしまい、映画の後半は退屈な印象を受けたのであるが、本作はひとつの謎の明確な解明があるわけではなく、複数の解釈が可能な、興味深い作品、大変面白い作品に仕上がっている。
わたし個人的には、スタンリー・キューブリックの「アイズ ワイド シャット」や、デイヴィッド・リンチの一連の夢と現実とを同レベルで描いた作品群と同じような関心を持って観ることが出来た。
本作は「メメント」や「カンパニー・マン」、「イグジステンズ」等の作品、勿論リンチの一連の作品が好きな人には、おすすめできる作品である。
そういった作品を観て、「何がなんだかわからない=理解できないからつまらない=駄作」だと考えるような観客には、残念ながらおすすめできない作品だと思うのだ。
余談だが、途中のMRIのシークエンスは、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュとも言える印象を受けた。
MRIのシークエンスは、「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の船内のようであり、広角レンズの効果的な使い方が、キューブリックを彷彿とさせるのだ。
「フォーチュン・クッキー」
2004年4月19日 映画東京新橋「ヤクルトホール」で行なわれた「フォーチュン・クッキー」の試写会に行ってきた。
一言で言うと、誰にもおすすめできる、大変面白いコメディ映画だった。特に新旧ロック・ファンにおすすめなのだ。
わかりやすく例えるならば、「転校生」ミート「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という感じ。
因みに本作「フォーチュン・クッキー」は、1976年のコメディ映画「フリーキー・フライデー」(バーバラ・ハリス、ジョディ・フォスター主演)のリメイク。
本作の原題もそのまま"FREAKY FRIDAY"。
本作は、フォーチュン・クッキーの呪い(?)で、心と体が入れ替わってしまった精神科医の母とロック少女が、お互いの視線でお互いの生活をおくることによる大騒動を描きつつ、次第に相手の気持ちに気づいていく姿をコミカルに描いている。
主演は、ホラーからアクション、コメディまでこなす、「トゥルーライズ」、「ブルー・スチール」のジェイミー・リー・カーティスと全米ティーンのアイドル「ファミリー・ゲーム/双子の天使」のリンゼイ・ローハン。
几帳面で完璧主義者の精神科医テス(ジェイミー・リー・カーティス)は、2日後に再婚相手との結婚を控えていた。
彼女は、高校の反省室常連でロックに夢中な娘アンナ(リンゼイ・ローハン)が再婚相手と打ち解けないことに頭を抱えていた。
一方アンナも、子供の気持ちを理解しない、旧態然とした母親テスに不満を持っていた。その根底には3年前に亡くなった父親をないがしろにして再婚しようとしている母親への確執があった。
結婚式を明後日に控えた日、テスとアンナは、家族と再婚相手らと出かけたチャイニーズレストランで大喧嘩を始めてしまう。
店のオーナーの母ペイペイが仲直りのためにとふたりに「フォーチュン・クッキー(おみくじの入った中国の焼き菓子)」を2人に差し出す。そしてそれを口にした2人には、翌朝思いもよらぬ事態が待っていたのだ・・・・。
身体は女子高校生で中身は精神科医の(外見は)リンゼイ・ローハンと、身体は精神科医で再婚を控えた母親で中身はロック少女の(外見は)ジェイミー・リー・カーティス。
なんと言っても、この二人の怪演が素晴らしい。
ジェイミー・リー・カーティスは、「トゥルーライズ」系のコメディ路線、特に「トゥルーライズ」のストリップのシークエンスを突き詰めた役柄のような印象を受けます。
彼女の俳優としてのキャリアの始めは、ほとんどホラー映画でしめられていますが、最近はコメディ系の役が多いのではないでしょうか。
わたしが言うのも何ですが、素晴らしいコメディエンヌになってきたと思います。
印象的なシークエンスは、娘のボーイ・フレンドとのロック談義と、なんと言っても、ロックのオーディションのシークエンス、そして乾杯前のスピーチでしょう。
乾杯前のスピーチでは、思わず感動すらしてしまいます。
オーディションの舞台裏での姿も格好良すぎです。
一方リンゼイ・ローハンですが、わたしは彼女の女優としてのキャリアはあまり知りませんが、本作では大変素晴らしい印象を観客に与えています。
当初は母親に反抗する、嫌〜な感じのハイスクール・ガールだったのですが、表現は微妙ですが、中に母親が入ってから、いきなり魅力的になってきます。
そして、例のスピーチの場面で、なんと美味しいところを総取りしてしまうのです。
ちょっと冷静に考えてみると、例の二つのスピーチをやっているのは、実はリンゼイ・ローハンの中身である、というのも興味深いです。
あと、エンディングのリンゼイ・ローハンのライヴ・シーンもセクシーで格好良いです。いやあ、今後のキャリアが楽しみな女優の登場です。
わたし的には、最近のヤング・アダルト女優では、リーリー・ソビエスキーがお気に入りでしたが、また新たなお気に入りの女優が出てきました。ちょっと年代にずれがありますけどね。
親と子の確執、というものは、永遠のテーマだと思います。
この映画は、その永遠のテーマを親と子の心と身体が入替わる事により、結果的には相互理解させる、という一見ベタな作品ですが、コメディながら、物語に対して非常に真摯にとりくんだ作品です。
とにかく、この映画は多分見逃されてしまう可能性が高い作品だと思いますが、機会がありましたら、是非観ていただきたい良質のコメディです。
一言で言うと、誰にもおすすめできる、大変面白いコメディ映画だった。特に新旧ロック・ファンにおすすめなのだ。
わかりやすく例えるならば、「転校生」ミート「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という感じ。
因みに本作「フォーチュン・クッキー」は、1976年のコメディ映画「フリーキー・フライデー」(バーバラ・ハリス、ジョディ・フォスター主演)のリメイク。
本作の原題もそのまま"FREAKY FRIDAY"。
本作は、フォーチュン・クッキーの呪い(?)で、心と体が入れ替わってしまった精神科医の母とロック少女が、お互いの視線でお互いの生活をおくることによる大騒動を描きつつ、次第に相手の気持ちに気づいていく姿をコミカルに描いている。
主演は、ホラーからアクション、コメディまでこなす、「トゥルーライズ」、「ブルー・スチール」のジェイミー・リー・カーティスと全米ティーンのアイドル「ファミリー・ゲーム/双子の天使」のリンゼイ・ローハン。
几帳面で完璧主義者の精神科医テス(ジェイミー・リー・カーティス)は、2日後に再婚相手との結婚を控えていた。
彼女は、高校の反省室常連でロックに夢中な娘アンナ(リンゼイ・ローハン)が再婚相手と打ち解けないことに頭を抱えていた。
一方アンナも、子供の気持ちを理解しない、旧態然とした母親テスに不満を持っていた。その根底には3年前に亡くなった父親をないがしろにして再婚しようとしている母親への確執があった。
結婚式を明後日に控えた日、テスとアンナは、家族と再婚相手らと出かけたチャイニーズレストランで大喧嘩を始めてしまう。
店のオーナーの母ペイペイが仲直りのためにとふたりに「フォーチュン・クッキー(おみくじの入った中国の焼き菓子)」を2人に差し出す。そしてそれを口にした2人には、翌朝思いもよらぬ事態が待っていたのだ・・・・。
身体は女子高校生で中身は精神科医の(外見は)リンゼイ・ローハンと、身体は精神科医で再婚を控えた母親で中身はロック少女の(外見は)ジェイミー・リー・カーティス。
なんと言っても、この二人の怪演が素晴らしい。
ジェイミー・リー・カーティスは、「トゥルーライズ」系のコメディ路線、特に「トゥルーライズ」のストリップのシークエンスを突き詰めた役柄のような印象を受けます。
彼女の俳優としてのキャリアの始めは、ほとんどホラー映画でしめられていますが、最近はコメディ系の役が多いのではないでしょうか。
わたしが言うのも何ですが、素晴らしいコメディエンヌになってきたと思います。
印象的なシークエンスは、娘のボーイ・フレンドとのロック談義と、なんと言っても、ロックのオーディションのシークエンス、そして乾杯前のスピーチでしょう。
乾杯前のスピーチでは、思わず感動すらしてしまいます。
オーディションの舞台裏での姿も格好良すぎです。
一方リンゼイ・ローハンですが、わたしは彼女の女優としてのキャリアはあまり知りませんが、本作では大変素晴らしい印象を観客に与えています。
当初は母親に反抗する、嫌〜な感じのハイスクール・ガールだったのですが、表現は微妙ですが、中に母親が入ってから、いきなり魅力的になってきます。
そして、例のスピーチの場面で、なんと美味しいところを総取りしてしまうのです。
ちょっと冷静に考えてみると、例の二つのスピーチをやっているのは、実はリンゼイ・ローハンの中身である、というのも興味深いです。
あと、エンディングのリンゼイ・ローハンのライヴ・シーンもセクシーで格好良いです。いやあ、今後のキャリアが楽しみな女優の登場です。
わたし的には、最近のヤング・アダルト女優では、リーリー・ソビエスキーがお気に入りでしたが、また新たなお気に入りの女優が出てきました。ちょっと年代にずれがありますけどね。
親と子の確執、というものは、永遠のテーマだと思います。
この映画は、その永遠のテーマを親と子の心と身体が入替わる事により、結果的には相互理解させる、という一見ベタな作品ですが、コメディながら、物語に対して非常に真摯にとりくんだ作品です。
とにかく、この映画は多分見逃されてしまう可能性が高い作品だと思いますが、機会がありましたら、是非観ていただきたい良質のコメディです。
「コールドマウンテン」スペシャルメイキングDVD
2004年4月18日 映画4月24日公開の「コールドマウンテン」に関するお知らせです。
明日4月19日(月)発売の「Weeklyぴあ(4.26号)」に『「コールドマウンテン」スペシャルメイキングDVD』が付いてきます。
その気になるコンテンツは、
1.Journey to Cold Mountain
(スペシャルメイキング映像 28分30秒)
2.「コールドマウンテン」予告編ショートVer 86秒
3.「コールドマウンテン」予告編ロングVer 2分20秒
因みに、この付録は、
「Weeklyぴあ 4.26号」
「ぴあ関西版 5.6号」
「ぴあ中部版 5.6号」
「DVDぴあ 5月号」
に付いて来る模様です。
おまけのDVDで、メイキングが30分近く収録されているのは、驚きですね。
そのメイキングの内容は、監督やキャストのインタビュー満載のきっちりしたメイキングでした。
スタッフ&キャストでインタビューが収録されているのは次の皆さんです。
アンソニー・ミンゲラ 監督/脚本
ロン・イェルザ 製作
シドニー・ポラック 製作
チャールス・フレイジャー 原作
Tボーン・バネット 音楽監修
スティング 楽曲提供
ジュード・ロウ 出演
ニコール・キッドマン 出演
レニー・ゼルウィガー 出演
ブレンダン・グリーソン 出演
ナタリー・ポートマン 出演
フィリップ・シーモア・ホフマン 出演
ジャック・ホワイト 出演
メイキングの製作はミラマックス・テレビジョンなので、おそらく正規のDVDにも収録されると思います。
因みに、東京有楽町「日劇PLEX」でジュード・ロウの初日舞台挨拶があります。
ジュード・ロウは、当日、TBSの「王様のブランチ」に生出演してから、「日劇」の舞台挨拶に向うことになります。
明日4月19日(月)発売の「Weeklyぴあ(4.26号)」に『「コールドマウンテン」スペシャルメイキングDVD』が付いてきます。
その気になるコンテンツは、
1.Journey to Cold Mountain
(スペシャルメイキング映像 28分30秒)
2.「コールドマウンテン」予告編ショートVer 86秒
3.「コールドマウンテン」予告編ロングVer 2分20秒
因みに、この付録は、
「Weeklyぴあ 4.26号」
「ぴあ関西版 5.6号」
「ぴあ中部版 5.6号」
「DVDぴあ 5月号」
に付いて来る模様です。
おまけのDVDで、メイキングが30分近く収録されているのは、驚きですね。
そのメイキングの内容は、監督やキャストのインタビュー満載のきっちりしたメイキングでした。
スタッフ&キャストでインタビューが収録されているのは次の皆さんです。
アンソニー・ミンゲラ 監督/脚本
ロン・イェルザ 製作
シドニー・ポラック 製作
チャールス・フレイジャー 原作
Tボーン・バネット 音楽監修
スティング 楽曲提供
ジュード・ロウ 出演
ニコール・キッドマン 出演
レニー・ゼルウィガー 出演
ブレンダン・グリーソン 出演
ナタリー・ポートマン 出演
フィリップ・シーモア・ホフマン 出演
ジャック・ホワイト 出演
メイキングの製作はミラマックス・テレビジョンなので、おそらく正規のDVDにも収録されると思います。
因みに、東京有楽町「日劇PLEX」でジュード・ロウの初日舞台挨拶があります。
ジュード・ロウは、当日、TBSの「王様のブランチ」に生出演してから、「日劇」の舞台挨拶に向うことになります。
いまどき、何故「転校生」なのかと言うと、賢明な読者諸氏は既にお気付きのように、東京有楽町「日劇2」で開催されている、『「キネマ旬報」創刊85周年記念 ATG映画傑作選 −日劇文化とATG映画の時代−』という企画上映会で「転校生」が上映されたのだ。
ついでに、今回は監督の大林宣彦と、製作総指揮で当時のATGの代表者佐々木史朗のトーク・ショーがあった。
当日夕刻時点で、わたしは観に行くつもりは無かったのだが、今回の上映を逃すと、今後「転校生」を劇場のスクリーンで観る機会が無いのではないかと思ったので、突然行くことにしたのだ。
わたしは基本的に大林映画が好きである。
勿論、大林映画のいくつかの作品には難点があるし、中にはふざけるな、と思う映画もある。
わたしは、何故大林映画が好きなのか、と考えながら大林宣彦と佐々木史朗のトーク・ショーを聞いていたのだが、ひとつ言える事は多くの大林映画には、陳腐な表現だが「映画というメディアに対する愛」に満ちている、ということである。
更に、大林が選択する多くの題材がノスタルジックな上に予定調和的で、わたしの個人的なひとつの嗜好と合致しているのだと思うのだ。
実は、脚本も練りに練られているし、演出の方向性も伏線を生かした良いものになっている。
そんな中でトーク・ショーに続き「転校生」を観た訳だが、一言で言うと当然ながら素晴らしい作品である。
しかし、この度見直してみると、いくつか気になる点があった。
ひとつは、脚本が急ぎすぎで、感情の機微が表現される度合いが少ないのではないか、と思った。
これはわたしの中で「転校生」のエッセンスが濃縮され、美化されていたものとのギャップがそうさせているせいかもしれない。
もうひとつは、映画の雰囲気が自主制作映画のそれに近い、ということである。
役者は勿論のこと、ATG作品と言えども、機材は35mmを使用した商業映画にカテゴライズされるのであるが、演出はストレートで、また尾道の風景を撮った場面は、語弊はあるが適当な映像に音楽を当てはめているだけ、という、ドキュメンタリーや、フィルムで撮影していた時代の「NHK特集」系のテイストを醸し出しているような印象を受けた。
その手法として成熟していない稚拙な手法が、物語の方向性と相まって、素晴らしい効果をあげているのではないだろうか。
少年時代の記憶に訴えかけるための手法なのかも知れない。
トーク・ショーの中で、「劇場のスクリーンは欠落であり、クリエイターはその欠落を埋めている」、「生物の本能が種の保存であれば、わたしは映画を通して間接的に子育てをしたい」というような発言が興味深かった。
ついでに、今回は監督の大林宣彦と、製作総指揮で当時のATGの代表者佐々木史朗のトーク・ショーがあった。
当日夕刻時点で、わたしは観に行くつもりは無かったのだが、今回の上映を逃すと、今後「転校生」を劇場のスクリーンで観る機会が無いのではないかと思ったので、突然行くことにしたのだ。
わたしは基本的に大林映画が好きである。
勿論、大林映画のいくつかの作品には難点があるし、中にはふざけるな、と思う映画もある。
わたしは、何故大林映画が好きなのか、と考えながら大林宣彦と佐々木史朗のトーク・ショーを聞いていたのだが、ひとつ言える事は多くの大林映画には、陳腐な表現だが「映画というメディアに対する愛」に満ちている、ということである。
更に、大林が選択する多くの題材がノスタルジックな上に予定調和的で、わたしの個人的なひとつの嗜好と合致しているのだと思うのだ。
実は、脚本も練りに練られているし、演出の方向性も伏線を生かした良いものになっている。
そんな中でトーク・ショーに続き「転校生」を観た訳だが、一言で言うと当然ながら素晴らしい作品である。
しかし、この度見直してみると、いくつか気になる点があった。
ひとつは、脚本が急ぎすぎで、感情の機微が表現される度合いが少ないのではないか、と思った。
これはわたしの中で「転校生」のエッセンスが濃縮され、美化されていたものとのギャップがそうさせているせいかもしれない。
もうひとつは、映画の雰囲気が自主制作映画のそれに近い、ということである。
役者は勿論のこと、ATG作品と言えども、機材は35mmを使用した商業映画にカテゴライズされるのであるが、演出はストレートで、また尾道の風景を撮った場面は、語弊はあるが適当な映像に音楽を当てはめているだけ、という、ドキュメンタリーや、フィルムで撮影していた時代の「NHK特集」系のテイストを醸し出しているような印象を受けた。
その手法として成熟していない稚拙な手法が、物語の方向性と相まって、素晴らしい効果をあげているのではないだろうか。
少年時代の記憶に訴えかけるための手法なのかも知れない。
トーク・ショーの中で、「劇場のスクリーンは欠落であり、クリエイターはその欠落を埋めている」、「生物の本能が種の保存であれば、わたしは映画を通して間接的に子育てをしたい」というような発言が興味深かった。
「犬と歩けば チロリとタムラ」
2004年4月13日 映画東京「銀座ガスホール」で行なわれた「犬と歩けば チロリとタムラ」の完成披露試写会に行ってきた。
完成披露試写会ということもあり、監督の篠崎誠、主演の田中直樹(ココリコ)、りょう、と日本セラピードック協会代表でブルースシンガーで、本人役を演じる大木トオル、そして犬のタムラ(ピース)とチロリ(チロリ)の舞台挨拶があった。
フリーターの岡村靖幸(田中直樹)はコンビニの前で一匹の捨て犬と出会い餌を与える。
犬と別れ、靖幸は同棲している美和(りょう)のアパートへ帰るが、美和は末期ガンの母親と引きこもりの妹の面倒を見るため、アパートを引き払い帰郷することになっていたのだ。
住む場所を失った靖幸。
妹夫婦(吉村由美/puffy、片桐仁/ラーメンズ)の家に泊めてもらうことも出来ず、路頭に迷っていたところ、あの捨て犬と再会する靖幸。
その犬に「タムラ」と名を付け行動を共にし始めた靖幸だが、住む場所も無く公園に居る所を、浮浪者と野犬として警察と保健所に通報されてしまう。
保健所に保護された野犬は処分されてしまう事を知った靖幸は、タムラだけでもなんとかしようと、テレビで見た、セラピードッグの訓練所を訪ねる・・・・
ここ最近「犬」を題材にした映画が多いが、本作はそんな映画の一本である。
しかしながら本作は「犬もの映画」の二匹目のドジョウを狙った作品ではなく、構想2年以上を費やした作品なのだ。
本作が完成したのは昨年秋。半年以上も配給会社が決まらず公開が危ぶまれていたが、ここに来てなんとか公開できる運びとなった。
しかし、大手の配給会社がついている訳ではないし、大きなプロモーションを行なっている訳ではない。
おそらくこの映画には客は入らないと思うが、良質な作品だと言えよう。出来るなら多くの客に見て欲しいものだ。
この時期、もし「クィール」を見ようとしているならば、是非本作「犬と歩けば チロリとタムラ」を見て欲しい。
「クィール」のような映画は、この先見る機会はいくらでもあるだろうが、本作「犬と歩けば チロリとタムラ」は今回見逃すと、もしかすると一生出会えないかもしれない種類の映画なのだ。
ところで、わたしが思うに、この映画の技術は、勿論狙いかも知れないが、なんとも稚拙な印象を受ける。自主制作映画か教育映画のような印象を受ける。
ファースト・カットは、なんとも見事なピンボケから始まるし、編集も、被写体どころか構図もほとんど変わらないのに、カットを変えるような、妙な繋ぎが散見される。
また、セラピードッグのイベントのシークエンスは、ドキュメンタリー的手法を使用しているし、その辺のバランス感覚は映画作品としては、首を傾げてしまうのだ。
そして、脚本はたまたま捨て犬と出合い、犬を助けるためにセラピードッグのトレーナー宅に転がり込み、住み込みでセラピードッグのトレーナーをして、結局はかつての恋人の末期ガンの母親と引きこもりの妹を癒す、というもので、全く都合が良いし、セラピードッグのイベントやなんかは若干説教臭い雰囲気を醸し出している。という難点を持っている。
そんな中で、興味深かったのは、この作品の中で描かれているふたつの「死」である。
その「死」の描写は、完全に抑制されており、その静かで婉曲な「死」の表現は今まで感じたことの無い、静かで穏やかな感動を引き起こすのだ。
また、末期ガンの母親を演じた天光眞弓の演技が凄い。
最早演技とは思えない程の自然さとリアリティの極地なのである。
ドキュメンタリーかとも思えてしまうのだ。
そして、美和(りょう)と妹(藤田陽子)の扉を隔てた長回しの対決も鬼気迫るものがある。
りょうはともかく、引きこもりの自閉症という難しい役所の藤田陽子が素晴らしい。
ココリコの田中直樹は、やはりどうしても「ミラクル・タイプ」のテンションが時々顔を出すのだが、勿論「ミラクル・タイプ」自体、最早俳優達の演技合戦の様相を呈している訳であるが、田中は役柄を危なげなく、そつなくこなしているし、舞台挨拶を通じても、この作品に対しての真摯な態度を感じられる。
本作は傑作ではないし、手放しで誉めるような種類の映画でもないし、説教くさいし、脚本は都合が良いが、見るところも多い良質の映画だと言えるのだ。
完成披露試写会ということもあり、監督の篠崎誠、主演の田中直樹(ココリコ)、りょう、と日本セラピードック協会代表でブルースシンガーで、本人役を演じる大木トオル、そして犬のタムラ(ピース)とチロリ(チロリ)の舞台挨拶があった。
フリーターの岡村靖幸(田中直樹)はコンビニの前で一匹の捨て犬と出会い餌を与える。
犬と別れ、靖幸は同棲している美和(りょう)のアパートへ帰るが、美和は末期ガンの母親と引きこもりの妹の面倒を見るため、アパートを引き払い帰郷することになっていたのだ。
住む場所を失った靖幸。
妹夫婦(吉村由美/puffy、片桐仁/ラーメンズ)の家に泊めてもらうことも出来ず、路頭に迷っていたところ、あの捨て犬と再会する靖幸。
その犬に「タムラ」と名を付け行動を共にし始めた靖幸だが、住む場所も無く公園に居る所を、浮浪者と野犬として警察と保健所に通報されてしまう。
保健所に保護された野犬は処分されてしまう事を知った靖幸は、タムラだけでもなんとかしようと、テレビで見た、セラピードッグの訓練所を訪ねる・・・・
ここ最近「犬」を題材にした映画が多いが、本作はそんな映画の一本である。
しかしながら本作は「犬もの映画」の二匹目のドジョウを狙った作品ではなく、構想2年以上を費やした作品なのだ。
本作が完成したのは昨年秋。半年以上も配給会社が決まらず公開が危ぶまれていたが、ここに来てなんとか公開できる運びとなった。
しかし、大手の配給会社がついている訳ではないし、大きなプロモーションを行なっている訳ではない。
おそらくこの映画には客は入らないと思うが、良質な作品だと言えよう。出来るなら多くの客に見て欲しいものだ。
この時期、もし「クィール」を見ようとしているならば、是非本作「犬と歩けば チロリとタムラ」を見て欲しい。
「クィール」のような映画は、この先見る機会はいくらでもあるだろうが、本作「犬と歩けば チロリとタムラ」は今回見逃すと、もしかすると一生出会えないかもしれない種類の映画なのだ。
ところで、わたしが思うに、この映画の技術は、勿論狙いかも知れないが、なんとも稚拙な印象を受ける。自主制作映画か教育映画のような印象を受ける。
ファースト・カットは、なんとも見事なピンボケから始まるし、編集も、被写体どころか構図もほとんど変わらないのに、カットを変えるような、妙な繋ぎが散見される。
また、セラピードッグのイベントのシークエンスは、ドキュメンタリー的手法を使用しているし、その辺のバランス感覚は映画作品としては、首を傾げてしまうのだ。
そして、脚本はたまたま捨て犬と出合い、犬を助けるためにセラピードッグのトレーナー宅に転がり込み、住み込みでセラピードッグのトレーナーをして、結局はかつての恋人の末期ガンの母親と引きこもりの妹を癒す、というもので、全く都合が良いし、セラピードッグのイベントやなんかは若干説教臭い雰囲気を醸し出している。という難点を持っている。
そんな中で、興味深かったのは、この作品の中で描かれているふたつの「死」である。
その「死」の描写は、完全に抑制されており、その静かで婉曲な「死」の表現は今まで感じたことの無い、静かで穏やかな感動を引き起こすのだ。
また、末期ガンの母親を演じた天光眞弓の演技が凄い。
最早演技とは思えない程の自然さとリアリティの極地なのである。
ドキュメンタリーかとも思えてしまうのだ。
そして、美和(りょう)と妹(藤田陽子)の扉を隔てた長回しの対決も鬼気迫るものがある。
りょうはともかく、引きこもりの自閉症という難しい役所の藤田陽子が素晴らしい。
ココリコの田中直樹は、やはりどうしても「ミラクル・タイプ」のテンションが時々顔を出すのだが、勿論「ミラクル・タイプ」自体、最早俳優達の演技合戦の様相を呈している訳であるが、田中は役柄を危なげなく、そつなくこなしているし、舞台挨拶を通じても、この作品に対しての真摯な態度を感じられる。
本作は傑作ではないし、手放しで誉めるような種類の映画でもないし、説教くさいし、脚本は都合が良いが、見るところも多い良質の映画だと言えるのだ。
東京新宿「LOFT/PLUS ONE」で行なわれた「スタートレックを語ろう 2004春:SF−TV大作戦」というトークライヴに行ってきた。
ホストは岸川靖。
ゲストは丹羽正之、大川透、他。
岸川靖氏は、日本における「スタートレック」や海外ドラマ等の宣教師のような人で、数多くの出版物や、DVDの監修、雑誌の連載記事等の活動を行なっている。
丹羽正之氏は、「スタートレック」のシリーズの日本国内での放送を継続させるために、草の根運動を展開。現在は「スタートレック」関連書籍の翻訳や、原稿書き、監修などを行なっている。
大川透氏は、最近はアニメ「鋼の錬金術師」のロイ・マスタング役等で人気の声優。「スタートレック」ファン(トレッキー)としても有名。
最近はプリクラが貼られた中学生からのファン・レターが急増との事。
トークライヴの今回のテーマは「スタートレック」のライバル達、ということで、海外で放映されている様々なテレビシリーズのビデオを上映しつつ、岸川氏が解説を加える、というもの。
更に「スタートレック」関連の新製品情報や、大人の事情でいろんなことが起きている「スタートレック」を取巻く環境での出来事の情報開示が行なわれた。
特筆すべき点は、ゲストの大川透氏の朗読。
題材は、海外で出版されている「ディープ・スペース・ナイン」(「スタートレック」シリーズの1シリーズ)の後日談的小説。(大川透氏が演じていたキャラクターの独白的コンセプトを持った小説)の冒頭の部分を丹羽正之氏が翻訳したもの。
このキャラクターに対する大川透氏の思い入れも激しいこともあり、大変素晴らしい朗読となった。
本職の声優のこんなに感情を込めた朗読を手が届くほどの距離で聞けたことは、素晴らしい体験だと思う。
実際、「LOFT/PLUS ONE」自体は非常に小さなホール(ステージがある居酒屋)なので、観客は80名位だろうか、アットホームで和気藹々な印象を受けた。
あと、時間も適当で、トークライヴは、18:30スタートで、私たちが帰ったのが、23:30頃だったが、その時はプレゼント争奪のジャンケン大会をやっていた。
わたしは個人的には数百人規模のジャンケン大会でも結構商品を取るタイプなので、今回の数十名規模のジャンケン大会はなんとなく軽い感じで、2度商品をゲットした。
一体何時までやってたのだろうか。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
余談だが、5月に「華麗なるトークII 〜クイーンを語る〜」というトークライヴがあるのだが、これも楽しみなのだ。
出演は劇団☆新感線の右近健一と日本が誇る「クイーン」のクィーン・トリビュート・バンド「グイーン」のヴォーカルであるフレディ波多江。
コンテンツは、華麗なる雑談、華麗なるクィーン自慢、華麗なるウィ・ウィル・ロック・ユー、華麗なる秘蔵映像、等々。
前回のトークライヴでは、濃いクィーン・ファンが大集合。
「雑誌の抽選で当選し、ブライアン・メイと楽屋で膝を突き合わせて雑談した。」、「フレディ・マーキュリー邸の壁に落書きしたら、その落書きがクィーンの写真集に見開きで掲載された。」、「ブライアンに手作りTシャツをプレゼントしたら、次のライヴでそのTシャツを着用してくれた上に、直筆の礼状が届いた。」、「フレディの男女の恋人両方とツーショットの写真を撮ってもらった上に、フレディを紹介してもらい、本人と握手した。」等々。
なんとも愛すべきクイーン・バカの皆さんなのだ。
最近は猫も杓子もクイーン・ファンだが、本当のクイーン好きは本当は凄いのだ!!
ホストは岸川靖。
ゲストは丹羽正之、大川透、他。
岸川靖氏は、日本における「スタートレック」や海外ドラマ等の宣教師のような人で、数多くの出版物や、DVDの監修、雑誌の連載記事等の活動を行なっている。
丹羽正之氏は、「スタートレック」のシリーズの日本国内での放送を継続させるために、草の根運動を展開。現在は「スタートレック」関連書籍の翻訳や、原稿書き、監修などを行なっている。
大川透氏は、最近はアニメ「鋼の錬金術師」のロイ・マスタング役等で人気の声優。「スタートレック」ファン(トレッキー)としても有名。
最近はプリクラが貼られた中学生からのファン・レターが急増との事。
トークライヴの今回のテーマは「スタートレック」のライバル達、ということで、海外で放映されている様々なテレビシリーズのビデオを上映しつつ、岸川氏が解説を加える、というもの。
更に「スタートレック」関連の新製品情報や、大人の事情でいろんなことが起きている「スタートレック」を取巻く環境での出来事の情報開示が行なわれた。
特筆すべき点は、ゲストの大川透氏の朗読。
題材は、海外で出版されている「ディープ・スペース・ナイン」(「スタートレック」シリーズの1シリーズ)の後日談的小説。(大川透氏が演じていたキャラクターの独白的コンセプトを持った小説)の冒頭の部分を丹羽正之氏が翻訳したもの。
このキャラクターに対する大川透氏の思い入れも激しいこともあり、大変素晴らしい朗読となった。
本職の声優のこんなに感情を込めた朗読を手が届くほどの距離で聞けたことは、素晴らしい体験だと思う。
実際、「LOFT/PLUS ONE」自体は非常に小さなホール(ステージがある居酒屋)なので、観客は80名位だろうか、アットホームで和気藹々な印象を受けた。
あと、時間も適当で、トークライヴは、18:30スタートで、私たちが帰ったのが、23:30頃だったが、その時はプレゼント争奪のジャンケン大会をやっていた。
わたしは個人的には数百人規模のジャンケン大会でも結構商品を取るタイプなので、今回の数十名規模のジャンケン大会はなんとなく軽い感じで、2度商品をゲットした。
一体何時までやってたのだろうか。
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余談だが、5月に「華麗なるトークII 〜クイーンを語る〜」というトークライヴがあるのだが、これも楽しみなのだ。
出演は劇団☆新感線の右近健一と日本が誇る「クイーン」のクィーン・トリビュート・バンド「グイーン」のヴォーカルであるフレディ波多江。
コンテンツは、華麗なる雑談、華麗なるクィーン自慢、華麗なるウィ・ウィル・ロック・ユー、華麗なる秘蔵映像、等々。
前回のトークライヴでは、濃いクィーン・ファンが大集合。
「雑誌の抽選で当選し、ブライアン・メイと楽屋で膝を突き合わせて雑談した。」、「フレディ・マーキュリー邸の壁に落書きしたら、その落書きがクィーンの写真集に見開きで掲載された。」、「ブライアンに手作りTシャツをプレゼントしたら、次のライヴでそのTシャツを着用してくれた上に、直筆の礼状が届いた。」、「フレディの男女の恋人両方とツーショットの写真を撮ってもらった上に、フレディを紹介してもらい、本人と握手した。」等々。
なんとも愛すべきクイーン・バカの皆さんなのだ。
最近は猫も杓子もクイーン・ファンだが、本当のクイーン好きは本当は凄いのだ!!