「X-MEN:ファイナルディシジョン」
2006年8月9日 映画
2006/08/09 東京内幸町「イイノホール」で開催されている「GTFトーキョーシネマショー」で「X-MEN:ファイナルディシジョン」の試写を観た。
監督:ブレット・ラトナー
脚本:ザック・ペン、サイモン・キンバーグ
出演:パトリック・スチュワート、ヒュー・ジャックマン、イアン・マッケラン、ハリー・ベリー、ファムケ・ヤンセン、ケルシー・グラマー、アンナ・パキン、レベッカ・ローミン、ショーン・アシュモア、エレン・ペイジ、ベン・フォスター、アーロン・スタンフォード、オリヴィア・ウィリアムズ、ショーレ・アグダシュルー、ジェームズ・マースデン、キャメロン・ブライト、ヴィニー・ジョーンズ
本作「X-MEN:ファイナルディシジョン」の原題は"X-MEN:THE LAST STAND"なのだが、邦題は何故か「X-MEN:ファイナルディシジョン」と言うタイトルになってしまっている。
配給会社の意図がよくわからない不思議な邦題だと思う。
本作の物語自体は普通に面白いが、ただそれだけ。
1時間後にはすっかり忘れてしまう、そんな感じの印象。
一応「X-MEN」シリーズの最終章と言う位置づけのようなのだが、一応結末はついているような印象を受けるが壮大な物語、と言うわけではなく、ミュータントの治療薬「キュア」が巻き起こすひとつのエピソード、と言う印象を受ける。
冒頭、20年前、パトリック・スチュワートとイアン・マッケランが少女時代のジーンをたずねるシークエンスが良かった。
つづく・・・・
一時保存です。
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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監督:ブレット・ラトナー
脚本:ザック・ペン、サイモン・キンバーグ
出演:パトリック・スチュワート、ヒュー・ジャックマン、イアン・マッケラン、ハリー・ベリー、ファムケ・ヤンセン、ケルシー・グラマー、アンナ・パキン、レベッカ・ローミン、ショーン・アシュモア、エレン・ペイジ、ベン・フォスター、アーロン・スタンフォード、オリヴィア・ウィリアムズ、ショーレ・アグダシュルー、ジェームズ・マースデン、キャメロン・ブライト、ヴィニー・ジョーンズ
本作「X-MEN:ファイナルディシジョン」の原題は"X-MEN:THE LAST STAND"なのだが、邦題は何故か「X-MEN:ファイナルディシジョン」と言うタイトルになってしまっている。
配給会社の意図がよくわからない不思議な邦題だと思う。
本作の物語自体は普通に面白いが、ただそれだけ。
1時間後にはすっかり忘れてしまう、そんな感じの印象。
一応「X-MEN」シリーズの最終章と言う位置づけのようなのだが、一応結末はついているような印象を受けるが壮大な物語、と言うわけではなく、ミュータントの治療薬「キュア」が巻き起こすひとつのエピソード、と言う印象を受ける。
冒頭、20年前、パトリック・スチュワートとイアン・マッケランが少女時代のジーンをたずねるシークエンスが良かった。
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「ユナイテッド93」
2006年8月4日 映画
2006/08/04 東京汐留「スペースFS汐留」で「ユナイテッド93」の試写を観た。
2001年9月11日
午前8時42分、ニュージャージー州ニューアークからサンフランシスコに向けて、ユナイテッド93便が飛び発った。
その直後、ワールド・トレード・センターに、2機の旅客機が激突した。
その時はまだ、ユナイテッド93便の乗客乗員は、何も知らず、穏やかなフライトを続けていた。
そして・・・・。
(ちらしよりほぼ引用)
監督・脚本:ポール・グリーングラス
撮影:バリー・アクロイド
編集:クレア・ダグラス、リチャード・ピアソン、クリストファー・ラウズ
音楽:ジョン・パウエル
出演:ハリド・アブダラ(ジアド・ジャラ)、ポリー・アダムス(デボラ・ウェルシュ)、オパル・アラディン(シーシー・ライルズ)、ルイス・アルサマリ(サイード・アルガムディ)、デヴィッド・アラン・ブッシェ(トッド・ビーマー)、リチャード・ベキンス(ウィリアム・ジョゼフ・キャッシュマン)、スターラ・ベンフォード(ワンダ・アニタ・グリーン)、オマー・バーデゥニ(アフメド・アルハズナウィ)、スーザン・ブロンマート(ジェーン・フォルガー)、レイ・チャールソン(ジョゼフ・デルカ)、クリスチャン・クレメンソン(トーマス・E・バーネットJR.)、ライザ・コロン・ザヤス(ウォレスカ・マルティネス)、ゲイリー・コモック(リロイ・ホーマー)、ローナ・ダラス(リンダ・グロンランド)、デニー・ディロン(コリーン・フレイザー)、トリエスト・デュン(ディオラ・フランシス・ボドリー)、トリッシュ・ゲイツ(サンドラ・ブラッドショー)、ケイト・ジェニングス・グラント(ローレン・カツゥーチ・グランドコラス)、ジェイミー・ハーディング(アフメド・アルナミ)、ピーター・ハーマン(ジェレミー・グリック)、タラ・ヒューゴ(クリスティン・ホワイト・グールド)、マルセリーヌ・ヒューゴ(ジョジーン・ローズ・コリガン)、シェエン・ジャクソン(マーク・ビンガム)、ジョー・ジャムログ(ジョン・タリナーニ)、コーリイ・ジョンソン(ルイス・J・ナックII世)、J・J・ジョンソン(ジェイソン・M・ダール)、マサト・カモ(久下季哉)、ベッキー・ロンドン(ジーン・ピーターソン)、ピーター・マリンカー(アンドリュー・ガルシア)、ジョディー・リン・マクリントック(マリオン・R・プリトン)、ナンシー・マクダニル(ロレイン・G・ベイ)、リビー・モリス(ヒルダ・マーシン)、トム・オルーク(ドナルド・ピーターソン)、サイモン・ポーランド(アラン・アンソニー・ビーヴァン)、デヴィッド・ラッシュ(ドナルド・フリーマン・グリーン)、エリック・レッドマン(クリスチャン・アダムス)、マイケル・J・レイノルズ(パトリック・ジョゼフ・ドリスコル)、ジョン・ロスマン(エドワード・P・フェルト)、ダニエル・サウリ(リチャード・ガダーニョ)、レベッカ・スカル(パトリシア・カッシング)、クロー・シレーン(オーナー・エリザベス・ワイニオ)、オリヴィア・サールビー(ニコール・キャロル・ミラー)、チップ・ジエン(マーク・ローゼンバーグ)、レイ・ジンマーマン(クリスティン・シュナイダー)
衝撃的である。
本作「ユナイテッド93」と言う作品は、恐ろしいほどに衝撃的な作品だった。
物語の終盤、スクリーンが暗転した瞬間、今までの人生で経験した事がないほどに強烈に心が震えた。
それは、興奮のためなのか、怒りのためなのか、訳のわからない感情の渦が押し寄せてくる。
もし、この作品が完全なフィクションだったら、どんなに良かったことだろうか。
不謹慎な発言だとは思うが、そう思わせるほどに、本作は非常に面白い(interesting)作品に仕上がっている、と言える。
もちろん、「面白い(interesting)」と言う表現は、本作「ユナイテッド93」が題材とした米同時多発テロとそのテロ事件による数多くの犠牲者のことをを考えた場合、非常に不謹慎な発言だと思うのだが、本作を一本の娯楽映画作品だととらえた場合、やはり「面白い(interesting)」と言う感想が出てきてしまうのだ。
おそらく、多くの観客は「凄かったね」と言う言葉でお茶を濁すのではないか、と思えるのだが、わたしは正直に「面白い」と言う言葉を使用する事にしたことをお断りしたい。
先ずは真実の出来事が持つドラマとしての面白さと、極限の状況で与えられた使命を全うしようとする人々の姿が凄まじい。
特に、911米同時多発テロの際、実際にテロ事件に対応した空港の管制官や軍関係者の多くが、本作で本人を演じていることに驚かされる。
"as himself"と言うクレジットをこんなにたくさん見た事がない程、本作のクレジットには"as himself"に溢れていた。
本作の手法は、所謂ドキュメンタリー・タッチで、カメラはブレまくり、編集も荒削りである。
そのテイストが、観客に対し凄まじいほどのリアリティを付与している。
そして、驚いた事に、本作は事実(のように思えるもの)を観客に冷徹な事実(のように思えるもの)を提示するだけで、一切のイデオロギーが感じられない。
テロの実行犯に対する怒りを本作は喚起させることをしていないのだ。
これはハリウッド映画としては、非常に珍しい事だと言わざるを得ない。
強いて言えば、アメリカ政府に対する怒りの方が強いような印象すら受けるのだが・・・・。
とにかく、本作「ユナイテッド93」は、全ての映画ファン必見の、と言うか最早義務とも言うべき作品だとわたしは思う。
観ろ! 泣け!
そして震えろ!
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談だが、本作はフィクションである。
と言うのも、実際に「ユナイテッド93」の機内で何が起こっていたのか誰も知らないからである。
その状況の中、ドキュメンタリー・タッチで、擬似ドキュメンタリー風の作品を制作するのは、事実の捏造だ、と言う意見もあるかと思う。
従って、やはり本作はフィクションとして観るべき作品なのだと思う。
更に余談だが、ディスカバリー・チャンネルで放映されたドキュメンタリー・ドラマ「9.11 抵抗のフライト」も非常に興味深い。
「ユナイテッド93」の公開にあわせ、再放映があるようなので、そちらも見て欲しいと思う。
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2001年9月11日
午前8時42分、ニュージャージー州ニューアークからサンフランシスコに向けて、ユナイテッド93便が飛び発った。
その直後、ワールド・トレード・センターに、2機の旅客機が激突した。
その時はまだ、ユナイテッド93便の乗客乗員は、何も知らず、穏やかなフライトを続けていた。
そして・・・・。
(ちらしよりほぼ引用)
監督・脚本:ポール・グリーングラス
撮影:バリー・アクロイド
編集:クレア・ダグラス、リチャード・ピアソン、クリストファー・ラウズ
音楽:ジョン・パウエル
出演:ハリド・アブダラ(ジアド・ジャラ)、ポリー・アダムス(デボラ・ウェルシュ)、オパル・アラディン(シーシー・ライルズ)、ルイス・アルサマリ(サイード・アルガムディ)、デヴィッド・アラン・ブッシェ(トッド・ビーマー)、リチャード・ベキンス(ウィリアム・ジョゼフ・キャッシュマン)、スターラ・ベンフォード(ワンダ・アニタ・グリーン)、オマー・バーデゥニ(アフメド・アルハズナウィ)、スーザン・ブロンマート(ジェーン・フォルガー)、レイ・チャールソン(ジョゼフ・デルカ)、クリスチャン・クレメンソン(トーマス・E・バーネットJR.)、ライザ・コロン・ザヤス(ウォレスカ・マルティネス)、ゲイリー・コモック(リロイ・ホーマー)、ローナ・ダラス(リンダ・グロンランド)、デニー・ディロン(コリーン・フレイザー)、トリエスト・デュン(ディオラ・フランシス・ボドリー)、トリッシュ・ゲイツ(サンドラ・ブラッドショー)、ケイト・ジェニングス・グラント(ローレン・カツゥーチ・グランドコラス)、ジェイミー・ハーディング(アフメド・アルナミ)、ピーター・ハーマン(ジェレミー・グリック)、タラ・ヒューゴ(クリスティン・ホワイト・グールド)、マルセリーヌ・ヒューゴ(ジョジーン・ローズ・コリガン)、シェエン・ジャクソン(マーク・ビンガム)、ジョー・ジャムログ(ジョン・タリナーニ)、コーリイ・ジョンソン(ルイス・J・ナックII世)、J・J・ジョンソン(ジェイソン・M・ダール)、マサト・カモ(久下季哉)、ベッキー・ロンドン(ジーン・ピーターソン)、ピーター・マリンカー(アンドリュー・ガルシア)、ジョディー・リン・マクリントック(マリオン・R・プリトン)、ナンシー・マクダニル(ロレイン・G・ベイ)、リビー・モリス(ヒルダ・マーシン)、トム・オルーク(ドナルド・ピーターソン)、サイモン・ポーランド(アラン・アンソニー・ビーヴァン)、デヴィッド・ラッシュ(ドナルド・フリーマン・グリーン)、エリック・レッドマン(クリスチャン・アダムス)、マイケル・J・レイノルズ(パトリック・ジョゼフ・ドリスコル)、ジョン・ロスマン(エドワード・P・フェルト)、ダニエル・サウリ(リチャード・ガダーニョ)、レベッカ・スカル(パトリシア・カッシング)、クロー・シレーン(オーナー・エリザベス・ワイニオ)、オリヴィア・サールビー(ニコール・キャロル・ミラー)、チップ・ジエン(マーク・ローゼンバーグ)、レイ・ジンマーマン(クリスティン・シュナイダー)
衝撃的である。
本作「ユナイテッド93」と言う作品は、恐ろしいほどに衝撃的な作品だった。
物語の終盤、スクリーンが暗転した瞬間、今までの人生で経験した事がないほどに強烈に心が震えた。
それは、興奮のためなのか、怒りのためなのか、訳のわからない感情の渦が押し寄せてくる。
もし、この作品が完全なフィクションだったら、どんなに良かったことだろうか。
不謹慎な発言だとは思うが、そう思わせるほどに、本作は非常に面白い(interesting)作品に仕上がっている、と言える。
もちろん、「面白い(interesting)」と言う表現は、本作「ユナイテッド93」が題材とした米同時多発テロとそのテロ事件による数多くの犠牲者のことをを考えた場合、非常に不謹慎な発言だと思うのだが、本作を一本の娯楽映画作品だととらえた場合、やはり「面白い(interesting)」と言う感想が出てきてしまうのだ。
おそらく、多くの観客は「凄かったね」と言う言葉でお茶を濁すのではないか、と思えるのだが、わたしは正直に「面白い」と言う言葉を使用する事にしたことをお断りしたい。
先ずは真実の出来事が持つドラマとしての面白さと、極限の状況で与えられた使命を全うしようとする人々の姿が凄まじい。
特に、911米同時多発テロの際、実際にテロ事件に対応した空港の管制官や軍関係者の多くが、本作で本人を演じていることに驚かされる。
"as himself"と言うクレジットをこんなにたくさん見た事がない程、本作のクレジットには"as himself"に溢れていた。
本作の手法は、所謂ドキュメンタリー・タッチで、カメラはブレまくり、編集も荒削りである。
そのテイストが、観客に対し凄まじいほどのリアリティを付与している。
そして、驚いた事に、本作は事実(のように思えるもの)を観客に冷徹な事実(のように思えるもの)を提示するだけで、一切のイデオロギーが感じられない。
テロの実行犯に対する怒りを本作は喚起させることをしていないのだ。
これはハリウッド映画としては、非常に珍しい事だと言わざるを得ない。
強いて言えば、アメリカ政府に対する怒りの方が強いような印象すら受けるのだが・・・・。
とにかく、本作「ユナイテッド93」は、全ての映画ファン必見の、と言うか最早義務とも言うべき作品だとわたしは思う。
観ろ! 泣け!
そして震えろ!
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談だが、本作はフィクションである。
と言うのも、実際に「ユナイテッド93」の機内で何が起こっていたのか誰も知らないからである。
その状況の中、ドキュメンタリー・タッチで、擬似ドキュメンタリー風の作品を制作するのは、事実の捏造だ、と言う意見もあるかと思う。
従って、やはり本作はフィクションとして観るべき作品なのだと思う。
更に余談だが、ディスカバリー・チャンネルで放映されたドキュメンタリー・ドラマ「9.11 抵抗のフライト」も非常に興味深い。
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2006/08/03 東京九段下「九段会館」で「フラガール」の試写を観た。
昭和40年、福島県いわき市の炭鉱町。
『求む、ハワイアンダンサー』
掲示板に貼られたポスターを見た早苗(徳永えり)は紀美子(蒼井優)にこう告白する。
これは「ここから抜け出す最初で最後のチャンス」だと。
いわき市の男たちは、数世代前から炭坑夫として、女たちも選炭婦として、働いてきた。
だが今や石炭から石油へとエネルギーの担い手は変革し、炭鉱の閉山が相次いでいる。
この危機を救うために炭鉱会社が構想したのが、レジャー施設『常磐ハワイアンセンター』だった。
紀美子の母・千代(富司純子)も兄・洋二朗(豊川悦司)も炭鉱で働いている。
紀美子の父は落盤事故で亡くなった。母は「百年も続いたウヂの炭鉱は天皇陛下までご視察にいらしたヤマだぞ」と自慢し、炭鉱を閉じて『ハワイ』を作る話に大反対。
それでも紀美子と早苗はフラダンサーの説明会に出かけるが、ほかの娘たちは、初めて見るフラダンスの映像に、「ケツ振れねえ」「ヘソ丸見えでねえか」と、逃げ出してしまう。
残ったのは、紀美子と早苗、それに会社の庶務係で子持ちの初子(池津祥子)、そして父親に連れてこられた一際大柄な女の子、小百合(山崎静代/南海キャンディーズ・しずちゃん)だけだった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:李相日
脚本:李相日、羽原大介
出演:松雪泰子(平山まどか)、豊川悦司(谷川洋二朗)、蒼井優(谷川紀美子)、山崎静代(熊野小百合/南海キャンディーズ・しずちゃん)、池津祥子、徳永えり、三宅弘城、寺島進、志賀勝、高橋克実、岸部一徳(吉本紀夫)、富司純子(谷川千代)
いきなりで恐縮だが、皆さんは、南海キャンディーズのしずちゃんが踊りまくる「フラガール」の予告編を見たことがあるだろうか。
その予告編を見た多くの人々は、しずちゃんの踊りに目が釘付けになってしまったのではないか、と思う。
かく言うわたしも件のしずちゃんが踊る予告編で「フラガール」と言う作品に大きな関心を持った一人の映画ファンなのだ。
さて、本作「フラガール」についてだが、物語は、不景気な町の再建を図るべく、フラダンス未経験の少女たちが、鬼コーチの下、フラダンスを学びながら、様々な障害を乗り越えて、初ステージを踏む、と言うありがちな物語である。
脚本はベタだし、展開も想像通り、本作の物語には決して予想外の出来事は起きない。
とは言うものの、本作は奇をてらったプロットや演出がない直球ど真ん中勝負の脚本と順当な演出が非常に心地よい、ツボを押さえた大変すばらしい作品に仕上がっていた。
と言うのも、本作「フラガール」は、気になる点が若干あるものの、悪い点が全く存在しない作品なのだ。
減点法で本作を評価したような場合、非常に高得点が狙える作品に仕上がっているのだ。
おそらく、現在のところ「フラガール」をマークしていない映画ファンの皆さんも多々いらっしゃると思うのだが、出来れば是非劇場で「フラガール」を体験して欲しいと、本心から思う。
ところで、今回の試写では、本編終了後暗転直後に松雪泰子のクレジットが最初に出るのだが、そのクレジットが出た瞬間、観客席から爆発的な拍手が起こったのが非常に印象的であった。
お約束のおざなりな拍手ではなく、観客の本心からの突発的な拍手が自然発生的に起きたのである。
さて、キャストだが、先ずはフラダンスのコーチ役・平山まどかを演じた松雪泰子が大変すばらしかった。
本作の平山まどか役は、松雪泰子のフィルモグラフィーの中でも最高に輝いている役柄だと思うし、彼女のフィルモグラフィーの中でも代表作に数えられる作品に仕上がっていると思う。
年齢を重ね、わざと美しくなく撮影された松雪泰子の表情が最高に格好良く、魅力的で、そして何と言っても美しいのだ。
また、フラガールのリーダー役・谷川紀美子を演じた蒼井優もすばらしい。
冒頭部分、昭和40年の田舎娘だった彼女がフラダンスを練習するうちに、成長していく様が最高にすばらしい。
松雪泰子と蒼井優は物語の中で同じダンスを踊るのだが、その対比が非常に効果的である。
蒼井優的には「花とアリス」もびっくりなのだ。
そして重鎮・富司純子(谷川千代役)も強烈である。
頑迷な昭和の女性と言うベタなキャラクターではあるのだが、彼女の存在が本作に見事な格調を付与している。
やはり、松雪泰子、蒼井優、富司純子の三人の絡みは最高にすばらしい。
俳優については、豊川悦司(谷川洋二朗役)にしても、岸部一徳(吉本紀夫役)にしても、良い仕事をしているのだが、女優陣の活躍の前では、残念ながら演技が霞んでしまう。
フラダンスのシーンも非常にすばらしく、ラストのダンスのシークエンスは、演技後のフラガールたちの表情が最高に輝いている。
これはほとんど素の表情だと思う。
涙を流しながら笑顔を見せる彼女らの表情は最高である。
昭和40年の寂れた炭鉱町を再現した美術(種田陽平)は非常に良い仕事をしていたと思う。
CGIなのかも知れないが、炭鉱町の官舎の造形は凄いと思った。
余談だが、本作「フラガール」は、寂れた炭鉱町の物語、と言う観点からは「ブラス!」(1996)や「リトル・ダンサー」(2000)との対比も面白いと思う。
会社とリストラ、ストと子供たちの世代のダンスや音楽と言う普遍的な物語が興味深い。
とにかく、観て!
本作「フラガール」は、そんなすばらしい作品なのだ。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「フラガール」をめぐる冒険
http://diarynote.jp/d/29346/20060921.html
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昭和40年、福島県いわき市の炭鉱町。
『求む、ハワイアンダンサー』
掲示板に貼られたポスターを見た早苗(徳永えり)は紀美子(蒼井優)にこう告白する。
これは「ここから抜け出す最初で最後のチャンス」だと。
いわき市の男たちは、数世代前から炭坑夫として、女たちも選炭婦として、働いてきた。
だが今や石炭から石油へとエネルギーの担い手は変革し、炭鉱の閉山が相次いでいる。
この危機を救うために炭鉱会社が構想したのが、レジャー施設『常磐ハワイアンセンター』だった。
紀美子の母・千代(富司純子)も兄・洋二朗(豊川悦司)も炭鉱で働いている。
紀美子の父は落盤事故で亡くなった。母は「百年も続いたウヂの炭鉱は天皇陛下までご視察にいらしたヤマだぞ」と自慢し、炭鉱を閉じて『ハワイ』を作る話に大反対。
それでも紀美子と早苗はフラダンサーの説明会に出かけるが、ほかの娘たちは、初めて見るフラダンスの映像に、「ケツ振れねえ」「ヘソ丸見えでねえか」と、逃げ出してしまう。
残ったのは、紀美子と早苗、それに会社の庶務係で子持ちの初子(池津祥子)、そして父親に連れてこられた一際大柄な女の子、小百合(山崎静代/南海キャンディーズ・しずちゃん)だけだった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:李相日
脚本:李相日、羽原大介
出演:松雪泰子(平山まどか)、豊川悦司(谷川洋二朗)、蒼井優(谷川紀美子)、山崎静代(熊野小百合/南海キャンディーズ・しずちゃん)、池津祥子、徳永えり、三宅弘城、寺島進、志賀勝、高橋克実、岸部一徳(吉本紀夫)、富司純子(谷川千代)
いきなりで恐縮だが、皆さんは、南海キャンディーズのしずちゃんが踊りまくる「フラガール」の予告編を見たことがあるだろうか。
その予告編を見た多くの人々は、しずちゃんの踊りに目が釘付けになってしまったのではないか、と思う。
かく言うわたしも件のしずちゃんが踊る予告編で「フラガール」と言う作品に大きな関心を持った一人の映画ファンなのだ。
さて、本作「フラガール」についてだが、物語は、不景気な町の再建を図るべく、フラダンス未経験の少女たちが、鬼コーチの下、フラダンスを学びながら、様々な障害を乗り越えて、初ステージを踏む、と言うありがちな物語である。
脚本はベタだし、展開も想像通り、本作の物語には決して予想外の出来事は起きない。
とは言うものの、本作は奇をてらったプロットや演出がない直球ど真ん中勝負の脚本と順当な演出が非常に心地よい、ツボを押さえた大変すばらしい作品に仕上がっていた。
と言うのも、本作「フラガール」は、気になる点が若干あるものの、悪い点が全く存在しない作品なのだ。
減点法で本作を評価したような場合、非常に高得点が狙える作品に仕上がっているのだ。
おそらく、現在のところ「フラガール」をマークしていない映画ファンの皆さんも多々いらっしゃると思うのだが、出来れば是非劇場で「フラガール」を体験して欲しいと、本心から思う。
ところで、今回の試写では、本編終了後暗転直後に松雪泰子のクレジットが最初に出るのだが、そのクレジットが出た瞬間、観客席から爆発的な拍手が起こったのが非常に印象的であった。
お約束のおざなりな拍手ではなく、観客の本心からの突発的な拍手が自然発生的に起きたのである。
さて、キャストだが、先ずはフラダンスのコーチ役・平山まどかを演じた松雪泰子が大変すばらしかった。
本作の平山まどか役は、松雪泰子のフィルモグラフィーの中でも最高に輝いている役柄だと思うし、彼女のフィルモグラフィーの中でも代表作に数えられる作品に仕上がっていると思う。
年齢を重ね、わざと美しくなく撮影された松雪泰子の表情が最高に格好良く、魅力的で、そして何と言っても美しいのだ。
また、フラガールのリーダー役・谷川紀美子を演じた蒼井優もすばらしい。
冒頭部分、昭和40年の田舎娘だった彼女がフラダンスを練習するうちに、成長していく様が最高にすばらしい。
松雪泰子と蒼井優は物語の中で同じダンスを踊るのだが、その対比が非常に効果的である。
蒼井優的には「花とアリス」もびっくりなのだ。
そして重鎮・富司純子(谷川千代役)も強烈である。
頑迷な昭和の女性と言うベタなキャラクターではあるのだが、彼女の存在が本作に見事な格調を付与している。
やはり、松雪泰子、蒼井優、富司純子の三人の絡みは最高にすばらしい。
俳優については、豊川悦司(谷川洋二朗役)にしても、岸部一徳(吉本紀夫役)にしても、良い仕事をしているのだが、女優陣の活躍の前では、残念ながら演技が霞んでしまう。
フラダンスのシーンも非常にすばらしく、ラストのダンスのシークエンスは、演技後のフラガールたちの表情が最高に輝いている。
これはほとんど素の表情だと思う。
涙を流しながら笑顔を見せる彼女らの表情は最高である。
昭和40年の寂れた炭鉱町を再現した美術(種田陽平)は非常に良い仕事をしていたと思う。
CGIなのかも知れないが、炭鉱町の官舎の造形は凄いと思った。
余談だが、本作「フラガール」は、寂れた炭鉱町の物語、と言う観点からは「ブラス!」(1996)や「リトル・ダンサー」(2000)との対比も面白いと思う。
会社とリストラ、ストと子供たちの世代のダンスや音楽と言う普遍的な物語が興味深い。
とにかく、観て!
本作「フラガール」は、そんなすばらしい作品なのだ。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「フラガール」をめぐる冒険
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2006/08/01 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「ゲド戦記」を観た。
監督:宮崎吾朗
プロデューサー:鈴木敏夫
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン 「ゲド戦記」シリーズ(岩波書店刊)
原案:宮崎駿 「シュナの旅」(徳間書店刊)
脚本:宮崎吾朗、丹羽圭子
美術監督:武重洋二
作画演出:山下明彦
作画監督:稲村武志
色彩設計:保田道世
声の出演:岡田准一(アレン)、手嶌葵(テルー)、田中裕子(クモ)、小林薫(国王)、夏川結衣(王妃)、香川照之(ウサギ)、内藤剛志(ハジア売り)、倍賞美津子(女主人)、風吹ジュン(テナー)、菅原文太(ゲド)
先ずは本作「ゲド戦記」が置かれている背景を考えなければならない。(とは言いながら、この背景は当然ながら全て当サイトの推測である。)
最初に宮崎吾朗がスタジオジブリの新作長編アニメーション作品の監督をすると知った際にわたしが感じたのは「鈴木敏夫は宮崎駿をお払い箱にするつもりじゃないのか」という事だった。
さて、「もののけ姫」(1997)以降、宮崎駿監督作品が大ヒットを続けているのはご承知だと思うが、これは決して作品が持つ力によるヒットではなく、かつて名作を数々制作してきたスタジオジブリと宮崎アニメと言うブランドの力と、日本テレビと言うメディアの力だと言わざるを得ない。
私見だが、作品の完成度を考えた場合「紅の豚」(1992)や「もののけ姫」(1997)以降、諸手を挙げて絶賛できる作品を宮崎駿は作っていない、とわたしは思う。
数々の宮崎駿作品をプロデュースしてきた鈴木敏夫もおそらくプロデューサーとして宮崎駿作品を自作ととらえ、忸怩たる思いをしていたのではないか、と思う。
実際のところ、宮崎駿の才能が枯渇したのか、宮崎駿の頑迷な部分が突出してきたのか知らないが、宮崎駿をもってしてもかつてのすばらしい良質な作品群に比類するような作品が制作できなくなってしまっているのではないだろうか。
そんな状況の中、鈴木敏夫がブロデューサーとしてやらなければならないことは、スタジオジブリの新たな体制の構築である。
宮崎駿に失望した鈴木敏夫の頭の中には、宮崎駿なしでスタジオジブリはやっていけるのかどうか、新たなクリエイターによるスタジオジブリ作品の継続は可能なのかどうか・・・・、そんな考えが渦巻いていたに違いない。
そして、鈴木敏夫が射た白羽の矢は宮崎吾朗に立った。
スタジオジブリが宮崎吾朗を監督として獲得できれば、少なくてももちろん宮崎違いだが、宮崎アニメと言うブランドは継承できるし、スタジオジブリのスタッフの力を結集すれば、従来の宮崎アニメっぽい、そこそこの作品ができるのではないか。
鈴木敏夫の頭の中には、そんな皮算用があったのではないだろうか。
本作「ゲド戦記」が興行的に成功した暁には、鈴木敏夫の子飼の監督として宮崎吾朗がスタジオジブリで新作の長編アニメーションを作り続けるのではないか、と思える。
おそらく、あと30年は宮崎ブランドのスタジオジブリ作品が続々と制作される可能性がある訳だ。
さて、本作「ゲド戦記」についてだが、先ずは血湧き肉躍らないのだ。
尤も血湧き肉躍らないアニメーション作品は世にたくさんある。
しかし、本作「ゲド戦記」をスタジオジブリの、そして宮崎アニメの後継者の作品として考えた場合、「ゲド戦記」が血湧き肉躍らない作品であることは、アニメーション作品として致命的である。
たとえ物語が破綻していようと、動画の持つダイナミズムが観客に伝われば、それはそれで良い作品と言えるのだ。
宮崎アニメの圧倒的な躍動感が一切、と言って良いほど感じられない。
そもそも、アニメーションの語源のアニメート(animate)と言う言葉は「命を与える」と言う意味なのだ。
命のない画にあたかも命があるように見せるのがアニメーションと言うことである。
たとえは悪いが、死体蘇生薬で死体を生き返らせる物語「ZOMBIO/死霊のしたたり」 (1985)の原題が"RE-ANIMATOR"であるのも興味深い。
また、物語の構成が一本調子でメリハリがない。
あまりにも真面目すぎて面白みがない。ユーモアが、つまり制作者としての余裕が感じられないのだ。
唯一ユーモラスなシークエンスとして配されている、と思われる二人の女性がテナーの家に向かうシークエンスでは、面白いはずなのに、作画のレベルが凄すぎて他の部分との乖離が甚だしい。
脚本は脚本で、本来ならば画で感じさせるべきことをセリフで饒舌に語ってしまっていたり、またセリフの一体感がないため、セリフによる世界観の統一が感じられない。
古の言葉と現代の言葉が物語の中で同居しているのだ。
また冒頭で描かれる壮大なストーリーの予兆は、なぜか知らないが、気が付いたら少人数の人々の争いの物語にスケール・ダウンしてしまっている。
大賢人は一体何をしたかったのか。疑問が膨らむ。
また背景も、「未来少年コナン」(1978)からの盟友とも言える山本二三が「時をかける少女」(2006)に行ったせいか、ここ最近宮崎作品の美術監督をつとめている武重洋二の腕が落ちたのか、宮崎吾朗の現場を統率する力が足りないのか、不完全な背景が見受けられる。
更に動画も、風の吹いている方向と雲が流れる方向、船の帆がなびく方向に統一感がなく、なんとはない違和感が感じられる。
また、カットが変わるとキャラクター同士の位置が変わっていたりする不思議なレイアウトがあると思えば、キャラクターの身長の差も不思議な感じを与えるカットも散見されていた。
宮崎駿なら決してOKを出さないと思われるレベルの作画や動画が散見されるのだ。
物語で興味深いのは、やはり「親殺し」のモチーフなのだが、これは実際のところ、宮崎吾朗が宮崎駿を殺し、紆余曲折があって結果的に、親殺しの罪を宮崎吾朗が贖う映画なのか、と勘ぐってしまう。
キャストも残念ながら良くない。
本当に勘弁して欲しいと思う。
つづく・・・・
一次保存です。すいません。
☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
『スタジオジブリ作品「ゲド戦記」をめぐる冒険』
http://diarynote.jp/d/29346/20051215.html
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監督:宮崎吾朗
プロデューサー:鈴木敏夫
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン 「ゲド戦記」シリーズ(岩波書店刊)
原案:宮崎駿 「シュナの旅」(徳間書店刊)
脚本:宮崎吾朗、丹羽圭子
美術監督:武重洋二
作画演出:山下明彦
作画監督:稲村武志
色彩設計:保田道世
声の出演:岡田准一(アレン)、手嶌葵(テルー)、田中裕子(クモ)、小林薫(国王)、夏川結衣(王妃)、香川照之(ウサギ)、内藤剛志(ハジア売り)、倍賞美津子(女主人)、風吹ジュン(テナー)、菅原文太(ゲド)
先ずは本作「ゲド戦記」が置かれている背景を考えなければならない。(とは言いながら、この背景は当然ながら全て当サイトの推測である。)
最初に宮崎吾朗がスタジオジブリの新作長編アニメーション作品の監督をすると知った際にわたしが感じたのは「鈴木敏夫は宮崎駿をお払い箱にするつもりじゃないのか」という事だった。
さて、「もののけ姫」(1997)以降、宮崎駿監督作品が大ヒットを続けているのはご承知だと思うが、これは決して作品が持つ力によるヒットではなく、かつて名作を数々制作してきたスタジオジブリと宮崎アニメと言うブランドの力と、日本テレビと言うメディアの力だと言わざるを得ない。
私見だが、作品の完成度を考えた場合「紅の豚」(1992)や「もののけ姫」(1997)以降、諸手を挙げて絶賛できる作品を宮崎駿は作っていない、とわたしは思う。
数々の宮崎駿作品をプロデュースしてきた鈴木敏夫もおそらくプロデューサーとして宮崎駿作品を自作ととらえ、忸怩たる思いをしていたのではないか、と思う。
実際のところ、宮崎駿の才能が枯渇したのか、宮崎駿の頑迷な部分が突出してきたのか知らないが、宮崎駿をもってしてもかつてのすばらしい良質な作品群に比類するような作品が制作できなくなってしまっているのではないだろうか。
そんな状況の中、鈴木敏夫がブロデューサーとしてやらなければならないことは、スタジオジブリの新たな体制の構築である。
宮崎駿に失望した鈴木敏夫の頭の中には、宮崎駿なしでスタジオジブリはやっていけるのかどうか、新たなクリエイターによるスタジオジブリ作品の継続は可能なのかどうか・・・・、そんな考えが渦巻いていたに違いない。
そして、鈴木敏夫が射た白羽の矢は宮崎吾朗に立った。
スタジオジブリが宮崎吾朗を監督として獲得できれば、少なくてももちろん宮崎違いだが、宮崎アニメと言うブランドは継承できるし、スタジオジブリのスタッフの力を結集すれば、従来の宮崎アニメっぽい、そこそこの作品ができるのではないか。
鈴木敏夫の頭の中には、そんな皮算用があったのではないだろうか。
本作「ゲド戦記」が興行的に成功した暁には、鈴木敏夫の子飼の監督として宮崎吾朗がスタジオジブリで新作の長編アニメーションを作り続けるのではないか、と思える。
おそらく、あと30年は宮崎ブランドのスタジオジブリ作品が続々と制作される可能性がある訳だ。
さて、本作「ゲド戦記」についてだが、先ずは血湧き肉躍らないのだ。
尤も血湧き肉躍らないアニメーション作品は世にたくさんある。
しかし、本作「ゲド戦記」をスタジオジブリの、そして宮崎アニメの後継者の作品として考えた場合、「ゲド戦記」が血湧き肉躍らない作品であることは、アニメーション作品として致命的である。
たとえ物語が破綻していようと、動画の持つダイナミズムが観客に伝われば、それはそれで良い作品と言えるのだ。
宮崎アニメの圧倒的な躍動感が一切、と言って良いほど感じられない。
そもそも、アニメーションの語源のアニメート(animate)と言う言葉は「命を与える」と言う意味なのだ。
命のない画にあたかも命があるように見せるのがアニメーションと言うことである。
たとえは悪いが、死体蘇生薬で死体を生き返らせる物語「ZOMBIO/死霊のしたたり」 (1985)の原題が"RE-ANIMATOR"であるのも興味深い。
また、物語の構成が一本調子でメリハリがない。
あまりにも真面目すぎて面白みがない。ユーモアが、つまり制作者としての余裕が感じられないのだ。
唯一ユーモラスなシークエンスとして配されている、と思われる二人の女性がテナーの家に向かうシークエンスでは、面白いはずなのに、作画のレベルが凄すぎて他の部分との乖離が甚だしい。
脚本は脚本で、本来ならば画で感じさせるべきことをセリフで饒舌に語ってしまっていたり、またセリフの一体感がないため、セリフによる世界観の統一が感じられない。
古の言葉と現代の言葉が物語の中で同居しているのだ。
また冒頭で描かれる壮大なストーリーの予兆は、なぜか知らないが、気が付いたら少人数の人々の争いの物語にスケール・ダウンしてしまっている。
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更に動画も、風の吹いている方向と雲が流れる方向、船の帆がなびく方向に統一感がなく、なんとはない違和感が感じられる。
また、カットが変わるとキャラクター同士の位置が変わっていたりする不思議なレイアウトがあると思えば、キャラクターの身長の差も不思議な感じを与えるカットも散見されていた。
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物語で興味深いのは、やはり「親殺し」のモチーフなのだが、これは実際のところ、宮崎吾朗が宮崎駿を殺し、紆余曲折があって結果的に、親殺しの罪を宮崎吾朗が贖う映画なのか、と勘ぐってしまう。
キャストも残念ながら良くない。
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つづく・・・・
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2006年の目標!! 中間発表その7
2006年8月1日 映画さて、早速ですが2006年の目標の中間発表その7です。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
1.映画
#033「花よりもなほ」シネマ・ロサ 2006/07/01
#034「ナイロビの蜂」シネマ・ロサ 2006/07/01
#035「ヒストリー・オブ・バイオレンス」新文芸坐 2006/07/13
#036「クラッシュ」新文芸坐 2006/07/13
#037「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/07/16
#038「ローズ・イン・タイドランド」新宿武蔵野館 2006/07/24
#039「日本沈没」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/07/28
2.DVD、CATV等
#108「茄子 アンダルシアの夏」HDD 2006/07/02
#109「銀河英雄伝説外伝/わが征くは星の大海」CATV 2006/07/02
#110「サマータイムマシンブルース」HDD 2006/07/02
#111「電車男」HDD 2006/07/04
#112「MUSA−武士−」HDD 2006/07/05
#113「探偵事務所5″ 〜5ナンバーで呼ばれる探偵達の物語〜」CATV 2006/07/07
#114「セルラー」HDD 2006/07/12
#115「グレート・スタントマン」DVD 2006/07/17
#116「我が人生最悪の時」HDD 2006/07/18
#117「ウェイキング・ライフ」DVD 2006/07/21
#118「マインド・ゲーム」DVD 2006/07/21
#119「Jam Films」HDD 2006/07/26
#120「日本沈没」HDD 2006/07/27
#121「Jam Films2」HDD 2006/07/27
#122「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」HDD 2006/07/30
#123「アイランド」CATV 2006/07/30
#124「サスペクト・ゼロ」CATV 2006/07/30
#125「イン・ザ・プール」HDD 2006/07/31
3.読書
##011「ダーク・タワーV −カーラの狼(下)−」スティーヴン・キング著 風間賢二訳 新潮文庫 2006/07/06
#012「ドランのキャデラック」スティーヴン・キング著 小尾芙佐・他訳 文春文庫 2006/07/17
映画は、劇場7本(累計39本)、DVD等18本(累計125本)で、計25本(累計164本)。
このままのペースで、年間281本(劇場67本)です。
読書は2冊(累計12冊)で、このままのペースでは、年間21冊です。
全く厳しい状況です。
とは言うものの、過去3年の実績と比較すると、次のような状況なのです。
■映画(7月末日現在)
2006年 164本(劇場39本)
2005年 149本(劇場54本)
2004年 173本(劇場62本)
2003年 178本(劇場34本)
■読書(7月末日現在)
2006年 12冊
2005年 19冊
2004年 22冊
2003年 34冊
映画については、2003年以降、きちんと300本以上観ているので、おそらく映画300本は大丈夫だと思います。
但し、劇場で観る本数が減少しています。
読書は、例年減少しており、惨憺たる状況です。
非常によろしくない状況です。心を入れ替える方向で頑張ります。
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とりあえず目標の再確認を・・・・
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1.映画
#033「花よりもなほ」シネマ・ロサ 2006/07/01
#034「ナイロビの蜂」シネマ・ロサ 2006/07/01
#035「ヒストリー・オブ・バイオレンス」新文芸坐 2006/07/13
#036「クラッシュ」新文芸坐 2006/07/13
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#118「マインド・ゲーム」DVD 2006/07/21
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#121「Jam Films2」HDD 2006/07/27
#122「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」HDD 2006/07/30
#123「アイランド」CATV 2006/07/30
#124「サスペクト・ゼロ」CATV 2006/07/30
#125「イン・ザ・プール」HDD 2006/07/31
3.読書
##011「ダーク・タワーV −カーラの狼(下)−」スティーヴン・キング著 風間賢二訳 新潮文庫 2006/07/06
#012「ドランのキャデラック」スティーヴン・キング著 小尾芙佐・他訳 文春文庫 2006/07/17
映画は、劇場7本(累計39本)、DVD等18本(累計125本)で、計25本(累計164本)。
このままのペースで、年間281本(劇場67本)です。
読書は2冊(累計12冊)で、このままのペースでは、年間21冊です。
全く厳しい状況です。
とは言うものの、過去3年の実績と比較すると、次のような状況なのです。
■映画(7月末日現在)
2006年 164本(劇場39本)
2005年 149本(劇場54本)
2004年 173本(劇場62本)
2003年 178本(劇場34本)
■読書(7月末日現在)
2006年 12冊
2005年 19冊
2004年 22冊
2003年 34冊
映画については、2003年以降、きちんと300本以上観ているので、おそらく映画300本は大丈夫だと思います。
但し、劇場で観る本数が減少しています。
読書は、例年減少しており、惨憺たる状況です。
非常によろしくない状況です。心を入れ替える方向で頑張ります。
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「日本沈没」(2006)
2006年7月28日 映画
2006/07/28 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「日本沈没」(2006)を観た。
潜水艇《わだつみ6500》のパイロット・小野寺俊夫(草なぎ剛)は、地球科学博士・田所雄介(豊川悦司)の指揮の下、同僚パイロットの結城(及川光博)と共に深海調査に参加していた。その結果、小野寺は驚愕の事実を知る−−海底プレートの急速な沈降で、日本列島はわずか1年後に沈没する。
日本の危機を訴える田所に、ほかの科学者たちは『聞くに値しない妄言』と一蹴する。しかし、内閣総理大臣・山本尚之(石坂浩二)は、事態を重く受け止め、危機管理担当大臣として鷹森沙織(大地真央)を任命する。鷹森はかつての田所の妻でもあった。山本総理は避難民の海外受け入れ要請のために旅立った。
一方、小野寺は災害の中で、ハイパーレスキュー隊員の阿部玲子(柴咲コウ)と共に、家族を失った少女・倉木美咲(福田麻由子)を救出する。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:樋口真嗣
原作:小松左京
脚本:加藤正人
音楽:岩代太郎
特技監督:神谷誠
出演:草なぎ剛(小野寺俊夫)、柴咲コウ(阿部玲子)、豊川悦司(田所雄介)、大地真央(鷹森沙織)、及川光博(結城慎司)、福田麻由子(倉木美咲)、吉田日出子(田野倉珠江)、柄本明(福原教授)、國村隼(野崎亨介)、石坂浩二(山本尚之)
先ずは脚本が酷かった。
と言うか少なくても「日本沈没」ではない。
本作「日本沈没」(2006)は、かつての名作「日本沈没」(1973)を下敷にしていたかどうかは知らないが、旧作と比較して恐ろしく酷い作品に仕上がっている。
あらゆる点で類似点や相違点があるので、少なくても2006年版スタッフは、1973年版を意識している事は意識しているのだろうが、同じことをやっているところも、異なったことをやろうとしている点も残念ながら一々酷い。
余談だけど、1973年版の人間ドラマに2006年版の特撮カットを入れたら良い映画が出来るんじゃないのかな、と本気で思ってしまう。
残念な事に、2006年版には小林桂樹の田所博士がいなかったり、丹波哲郎の山本総理がいないだけではなく、根本的に脚本がおかしいのである。
言うならば、こんなシークエンスが欲しいから、こんな映像が欲しいから、と言う感じで脚本が出来ているような気がした。
監督の樋口真嗣は一体何を描きたかったのか、物語の進行と矛盾しまくりの天変地異の映像なのか、それとも上っ面だけの薄っぺらい人間ドラマなのか。
それとも「ローレライ」(2005)もびっくりのキャラクターの無駄死になのか、訳がわからない自己犠牲精神なのか。
ただ、観客を泣かせる事を目的としているのか。しかも根本的な次元ではなく、表層的な次元で。
そして、もしかしたら、2006年版「犬神家の一族」のせいなのか、石坂浩二(山本総理)の途中退場により、脚本に直しが入ったのか、そのために撮影済・CGI発注済のシークエンスが否応なしに前後してしまったのか、例えば日本中で大惨事が起きているのにも関わらず観光旅行をしている人が居たり、−−これはおそらく当初は、日本が沈没することが明確になっていない時点での異常気象のシークエンスの映像だと思う−−、5月のシークエンスのはずなのに冬用のコートを着ている大勢の人々が国外脱出のために並んでいたり、−−これもシーンの入れ替えの問題だろう−−、日本が沈み始めていると言うのに普通の生活をしていたりする。
ついでに「さよならジュピター」(1984)もびっくりの瞬間移動振りを、冒頭では田所教授(豊川悦司)が、または後半では小野寺俊夫(草なぎ剛)が見せている。
前半では、世界をまたにかけて船舶(?)で移動する田所教授の神出鬼没な行動力には驚かされるし、後半では日本が分断され交通が遮断されているのにも関わらず日本中に出没する小野寺には驚かされる。
また、驚かされると言えば、ハイパーレスキュー隊員阿部玲子(柴咲コウ)と彼女が乗るヘリコプターも神出鬼没も驚きだった。
圧倒的な位のピンポイントへのヘリコプターの出現振りには、驚きを越えあきれてしまう。
ピエール瀧の死様にも驚くし、富野由悠季が演じたキャラクターは結構良かったが、富野由悠季や庵野秀明、安野モヨコ、福井晴敏の登場もいただけない。
また及川光博の奥さん役が佐藤江梨子だったりするところが、樋口真嗣は楽しんでいるのだろうと思うが、なんともいやらしい。
また石坂浩二と加藤武の共演にも作為が感じられる。
こんなこと(意味のないカメオ)をやっていて、観客が喜ぶと思っているのか、と思ってしまう。
まあ元々物語が希薄なので、観客の意識を物語から逆に遠ざけ、物語の表層だけを楽しませる、と言うミスデレクションの効果がある、と言えばあると思うのだが・・・・。
一方、長山藍子の起用は良かったと思う。
本作「日本沈没」(2006)で唯一俳優(女優)の演技を見たような気がした。
あとは柴咲コウのシークエンスにはがっかりさせられる。
彼女のキャラクターは「日本沈没」(2006)には不必要なシークエンスなのだ。
もちろん「日本沈没」(1973)のいしだあゆみのキャラクターの存在も微妙だが、「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004)にしろ本作にしろ不必要なキャラクターを演じるのはどう言うことだろうか、と思ってしまう。
まあ、本作「日本沈没」(2006)は、わたしが観る限りは現在のところ「文春きいちご賞」の最有力候補だと言わざるを得ない。
話題性、キャスト共に「文春きいちご賞」の風格は充分だと思う。
とりあえず1973年版「日本沈没」を観た後で、2006年版「日本沈没」を観て欲しいと思う。
まあ逆でも良いんだけど、丹波哲郎と小林桂樹に酔って欲しいと思う。
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潜水艇《わだつみ6500》のパイロット・小野寺俊夫(草なぎ剛)は、地球科学博士・田所雄介(豊川悦司)の指揮の下、同僚パイロットの結城(及川光博)と共に深海調査に参加していた。その結果、小野寺は驚愕の事実を知る−−海底プレートの急速な沈降で、日本列島はわずか1年後に沈没する。
日本の危機を訴える田所に、ほかの科学者たちは『聞くに値しない妄言』と一蹴する。しかし、内閣総理大臣・山本尚之(石坂浩二)は、事態を重く受け止め、危機管理担当大臣として鷹森沙織(大地真央)を任命する。鷹森はかつての田所の妻でもあった。山本総理は避難民の海外受け入れ要請のために旅立った。
一方、小野寺は災害の中で、ハイパーレスキュー隊員の阿部玲子(柴咲コウ)と共に、家族を失った少女・倉木美咲(福田麻由子)を救出する。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:樋口真嗣
原作:小松左京
脚本:加藤正人
音楽:岩代太郎
特技監督:神谷誠
出演:草なぎ剛(小野寺俊夫)、柴咲コウ(阿部玲子)、豊川悦司(田所雄介)、大地真央(鷹森沙織)、及川光博(結城慎司)、福田麻由子(倉木美咲)、吉田日出子(田野倉珠江)、柄本明(福原教授)、國村隼(野崎亨介)、石坂浩二(山本尚之)
先ずは脚本が酷かった。
と言うか少なくても「日本沈没」ではない。
本作「日本沈没」(2006)は、かつての名作「日本沈没」(1973)を下敷にしていたかどうかは知らないが、旧作と比較して恐ろしく酷い作品に仕上がっている。
あらゆる点で類似点や相違点があるので、少なくても2006年版スタッフは、1973年版を意識している事は意識しているのだろうが、同じことをやっているところも、異なったことをやろうとしている点も残念ながら一々酷い。
余談だけど、1973年版の人間ドラマに2006年版の特撮カットを入れたら良い映画が出来るんじゃないのかな、と本気で思ってしまう。
残念な事に、2006年版には小林桂樹の田所博士がいなかったり、丹波哲郎の山本総理がいないだけではなく、根本的に脚本がおかしいのである。
言うならば、こんなシークエンスが欲しいから、こんな映像が欲しいから、と言う感じで脚本が出来ているような気がした。
監督の樋口真嗣は一体何を描きたかったのか、物語の進行と矛盾しまくりの天変地異の映像なのか、それとも上っ面だけの薄っぺらい人間ドラマなのか。
それとも「ローレライ」(2005)もびっくりのキャラクターの無駄死になのか、訳がわからない自己犠牲精神なのか。
ただ、観客を泣かせる事を目的としているのか。しかも根本的な次元ではなく、表層的な次元で。
そして、もしかしたら、2006年版「犬神家の一族」のせいなのか、石坂浩二(山本総理)の途中退場により、脚本に直しが入ったのか、そのために撮影済・CGI発注済のシークエンスが否応なしに前後してしまったのか、例えば日本中で大惨事が起きているのにも関わらず観光旅行をしている人が居たり、−−これはおそらく当初は、日本が沈没することが明確になっていない時点での異常気象のシークエンスの映像だと思う−−、5月のシークエンスのはずなのに冬用のコートを着ている大勢の人々が国外脱出のために並んでいたり、−−これもシーンの入れ替えの問題だろう−−、日本が沈み始めていると言うのに普通の生活をしていたりする。
ついでに「さよならジュピター」(1984)もびっくりの瞬間移動振りを、冒頭では田所教授(豊川悦司)が、または後半では小野寺俊夫(草なぎ剛)が見せている。
前半では、世界をまたにかけて船舶(?)で移動する田所教授の神出鬼没な行動力には驚かされるし、後半では日本が分断され交通が遮断されているのにも関わらず日本中に出没する小野寺には驚かされる。
また、驚かされると言えば、ハイパーレスキュー隊員阿部玲子(柴咲コウ)と彼女が乗るヘリコプターも神出鬼没も驚きだった。
圧倒的な位のピンポイントへのヘリコプターの出現振りには、驚きを越えあきれてしまう。
ピエール瀧の死様にも驚くし、富野由悠季が演じたキャラクターは結構良かったが、富野由悠季や庵野秀明、安野モヨコ、福井晴敏の登場もいただけない。
また及川光博の奥さん役が佐藤江梨子だったりするところが、樋口真嗣は楽しんでいるのだろうと思うが、なんともいやらしい。
また石坂浩二と加藤武の共演にも作為が感じられる。
こんなこと(意味のないカメオ)をやっていて、観客が喜ぶと思っているのか、と思ってしまう。
まあ元々物語が希薄なので、観客の意識を物語から逆に遠ざけ、物語の表層だけを楽しませる、と言うミスデレクションの効果がある、と言えばあると思うのだが・・・・。
一方、長山藍子の起用は良かったと思う。
本作「日本沈没」(2006)で唯一俳優(女優)の演技を見たような気がした。
あとは柴咲コウのシークエンスにはがっかりさせられる。
彼女のキャラクターは「日本沈没」(2006)には不必要なシークエンスなのだ。
もちろん「日本沈没」(1973)のいしだあゆみのキャラクターの存在も微妙だが、「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004)にしろ本作にしろ不必要なキャラクターを演じるのはどう言うことだろうか、と思ってしまう。
まあ、本作「日本沈没」(2006)は、わたしが観る限りは現在のところ「文春きいちご賞」の最有力候補だと言わざるを得ない。
話題性、キャスト共に「文春きいちご賞」の風格は充分だと思う。
とりあえず1973年版「日本沈没」を観た後で、2006年版「日本沈没」を観て欲しいと思う。
まあ逆でも良いんだけど、丹波哲郎と小林桂樹に酔って欲しいと思う。
☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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「日本沈没」(1973)
2006年7月27日 映画
世は、樋口真嗣版「日本沈没」(2006)の話題で持ちきりだが、とりあえずはオリジナル版:森谷司郎版「日本沈没」(1973)のお話。
地球物理学者である田所雄介博士(小林桂樹)は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを直感し、調査に乗り出す。潜水艇の操縦士小野寺俊夫(藤岡弘)、助手の幸長信彦助教授(滝田裕介)と共に伊豆沖海底に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。異変を確信した田所はデータを集め続け、一つの結論に達する。それは「日本列島は最悪の場合、2年以内に地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈降する」というものだった。
監督:森谷司郎
製作:田中友幸、田中収
原作:小松左京
脚本:橋本忍
音楽:佐藤勝
特技監督:中野昭慶
出演:藤岡弘(小野寺俊夫)、いしだあゆみ(阿部玲子)、小林桂樹(田所博士)、丹波哲郎(山本総理)、滝田裕介(幸長助教授)、二谷英明(中田/科学技術庁)、中丸忠雄(邦枝/内閣調査室)、村井国夫(片岡/防衛庁技官)、夏八木勲(結城)、竹内均(竹内教授)、島田正吾(渡/政界のフィクサー)
本作「日本沈没」(1973)は映画史に残る大変すばらしい作品だった。
本作の作品としてのスタンスはリアリティに徹しており、映画作品と言うフィクションの体裁を取った娯楽作品でありながらも、日本列島が沈没する、と言う事象を想定した言わば「災害シミュレーション映像」を見ているような印象を受ける。
そして非常に興味深い事に、本作のメイン・プロットは内閣総理大臣山本(丹波哲郎)に軸足を乗せているのだ。
丹波哲郎は国家存亡の危機に直面する日本国内閣総理大臣を好演している。
特に渡老人(島田正吾)からシナリオを手渡されるシークエンスの丹波哲郎は最高である。
丹波哲郎は、日本国が世界に誇る最高に格好良く、そしてリーダーシップに溢れる最高の内閣総理大臣を見せてくれているのだ。
さらに、マッド・サイエンティスト田所雄介博士の役をふられた小林桂樹がすばらしい。
テレビ討論番組で共演者を殴り飛ばす田所教授。こんなに格好良い科学者をわたしはいまだかつて見たことがない。
藤岡弘(小野寺俊夫)が格好良いのは、もちろん言うまではないし、二谷英明(中田/科学技術庁)にしろ夏八木勲(結城)にしろ格好良すぎである。
そうなのだ、本作は与えられた使命を最大限の力で全うしようとする熱い男(漢)たちを描いた物語なのだ。
語弊はあるが、おんな子どもに媚びない硬派な制作者サイドの姿勢が美しい。
日本が沈没する、と言う荒唐無稽なプロットに対し、あくまでも真摯に取り組んだ制作者サイドの姿勢に頭が下がる思いである。
不必要なカメオもないし、くだらないプロットもない。
「日本沈没」を描くために必要なものだけをまとめたものが本作「日本沈没」なのだ。(もちろん阿部玲子(いしだあゆみ)の存在には若干問題はあるのは否定できないが・・・・。)
特撮(特技監督:中野昭慶、特技・合成:三瓶一信、特技・撮影:富岡素敬、特技・製作担当:篠田啓助、特技・美術:井上泰幸)は、ミニチュア・ワークが一々すばらしい。
例えば瓦が飛ぶ描写だとか、その瓦の下の埃が舞う描写とか、かゆいところに手が届く特撮がすばらしい。
ミニチュアにしろスクリーン合成にしろ、使い所と使う手法に誤りがなければ、CGIなんかより効果的だと思う。
とにかく、本作「日本沈没」(1973)は、大変すばらしい作品である。現在公開中の「日本沈没」(2006)を観る前に、出来れば観て欲しいと思う。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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地球物理学者である田所雄介博士(小林桂樹)は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを直感し、調査に乗り出す。潜水艇の操縦士小野寺俊夫(藤岡弘)、助手の幸長信彦助教授(滝田裕介)と共に伊豆沖海底に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。異変を確信した田所はデータを集め続け、一つの結論に達する。それは「日本列島は最悪の場合、2年以内に地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈降する」というものだった。
監督:森谷司郎
製作:田中友幸、田中収
原作:小松左京
脚本:橋本忍
音楽:佐藤勝
特技監督:中野昭慶
出演:藤岡弘(小野寺俊夫)、いしだあゆみ(阿部玲子)、小林桂樹(田所博士)、丹波哲郎(山本総理)、滝田裕介(幸長助教授)、二谷英明(中田/科学技術庁)、中丸忠雄(邦枝/内閣調査室)、村井国夫(片岡/防衛庁技官)、夏八木勲(結城)、竹内均(竹内教授)、島田正吾(渡/政界のフィクサー)
本作「日本沈没」(1973)は映画史に残る大変すばらしい作品だった。
本作の作品としてのスタンスはリアリティに徹しており、映画作品と言うフィクションの体裁を取った娯楽作品でありながらも、日本列島が沈没する、と言う事象を想定した言わば「災害シミュレーション映像」を見ているような印象を受ける。
そして非常に興味深い事に、本作のメイン・プロットは内閣総理大臣山本(丹波哲郎)に軸足を乗せているのだ。
丹波哲郎は国家存亡の危機に直面する日本国内閣総理大臣を好演している。
特に渡老人(島田正吾)からシナリオを手渡されるシークエンスの丹波哲郎は最高である。
丹波哲郎は、日本国が世界に誇る最高に格好良く、そしてリーダーシップに溢れる最高の内閣総理大臣を見せてくれているのだ。
さらに、マッド・サイエンティスト田所雄介博士の役をふられた小林桂樹がすばらしい。
テレビ討論番組で共演者を殴り飛ばす田所教授。こんなに格好良い科学者をわたしはいまだかつて見たことがない。
藤岡弘(小野寺俊夫)が格好良いのは、もちろん言うまではないし、二谷英明(中田/科学技術庁)にしろ夏八木勲(結城)にしろ格好良すぎである。
そうなのだ、本作は与えられた使命を最大限の力で全うしようとする熱い男(漢)たちを描いた物語なのだ。
語弊はあるが、おんな子どもに媚びない硬派な制作者サイドの姿勢が美しい。
日本が沈没する、と言う荒唐無稽なプロットに対し、あくまでも真摯に取り組んだ制作者サイドの姿勢に頭が下がる思いである。
不必要なカメオもないし、くだらないプロットもない。
「日本沈没」を描くために必要なものだけをまとめたものが本作「日本沈没」なのだ。(もちろん阿部玲子(いしだあゆみ)の存在には若干問題はあるのは否定できないが・・・・。)
特撮(特技監督:中野昭慶、特技・合成:三瓶一信、特技・撮影:富岡素敬、特技・製作担当:篠田啓助、特技・美術:井上泰幸)は、ミニチュア・ワークが一々すばらしい。
例えば瓦が飛ぶ描写だとか、その瓦の下の埃が舞う描写とか、かゆいところに手が届く特撮がすばらしい。
ミニチュアにしろスクリーン合成にしろ、使い所と使う手法に誤りがなければ、CGIなんかより効果的だと思う。
とにかく、本作「日本沈没」(1973)は、大変すばらしい作品である。現在公開中の「日本沈没」(2006)を観る前に、出来れば観て欲しいと思う。
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「ローズ・イン・タイドランド」
2006年7月25日 映画
2006/07/24 東京新宿「新宿武蔵野館」で「ローズ・イン・タイドランド」を観た。
主人公はとんでもなく悲惨な状況にいるジェライザ=ローズという名の女の子。彼女の日常は元ロックスターのパパと、自分勝手なママの世話をすることから始まる。ある日、ママが急死して、ジェライザ=ローズは大好きなパパとふたり、今は亡きおばあちゃんの家に住むことになる。しかし、彼女を待っていたのは、見渡すかぎり金色の草原にポツンと建っている一軒の荒れ果てた古い家だった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:テリー・ギリアム
原作:ミッチ・カリン「タイドランド」(角川書店)
脚本:テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ
撮影:ニコラ・ペコリーニ
プロダクションデザイン:ヤスナ・ステファノヴィック
出演:ジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ)、ジェフ・ブリッジス(パパ/ノア)、ジェニファー・ティリー(ママ/グンヒルド王妃)、ジャネット・マクティア(デル)、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ)
例えば、デヴィッド・リンチの新作が公開されるとしよう。
当然ながら、デヴィッド・リンチ好きのわたしは、その新作を非常に楽しみにするだろう。
と同時に、わたしは若干の不安を感じてしまう。
リンチの世界を理解(解釈)できなかったらどうしよう。
リンチの作品を理解(解釈)できないほど、わたしの脳が老化(軟化/硬化)していたらどうしよう。
テリー・ギリアムの新作「ローズ・イン・タイドランド」はそんな気持ちにさせられる、一風難解で物語自体に起伏が乏しい、観客を選ぶ作品だった。
物語の根本的な部分は、例えるならば、ヒーローとアンチヒーローの誕生を同時に描いたM・ナイト・シャマランの「アンブレイカブル」(2000)や、悪魔の子として誕生した少年が全ての庇護者を排除し、ついに新たなそして強大な庇護者と出会うまでを描いた「オーメン」(1976)のような印象を受けた。
この「ローズ・イン・タイドランド」の物語は、言うならば、ローズと言う名の少女が、かつての庇護者たちを排除し、魔女として再生し、ついには新たな庇護者を得るまでを描いた物語なのだ。
ところで、本作「ローズ・イン・タイドランド」の世界観を見て強く感じたのは、幹線道路から外れ道に迷い、とんでもない目に遭ってしまう、と言う「悪魔のいけにえ」(1974)をはじめとする様々な作品で散々描かれ続けているような恐ろしい出来事は、アメリカの片田舎では、いたって普通の出来事であり、さらにはそれらの出来事の片棒を担ぐサイコキラーや変質者、魔女のような存在なんかは、アメリカの片田舎では、現在でも普通に存在しているのではないか、という事である。
そしてその世界の住民は、われわれの常識が非常識である世界で、自分達の常識、−−われわれにとっては非常識−−、に従って独自に生活を営んでいるのである。
と考えた場合、例えば現在日本国内でも起きている、マスコミが言うところの理解出来ない悲惨な事件は、最早現実世界とファンタジー世界との境界がなくなり、いわば現実世界という名のファンタジー世界に生きているわたし達にとっては、全く不思議な出来事ではなく、いたって普通の出来事なのだろう、と思える。
例えば、デル(ジャネット・マクティア)は、外部から覗くと魔女そのものだし、ディケンズ(ブレンダン・フレッチャー)は、そんな魔女やモンスターに使役される存在(「吸血鬼ドラキュラ」のレンフィールドのような存在)であるが、本作で彼らはファンタジー世界の住民ではなく、確固とした現実世界の住民として描かれている。
と同時に本作でテリー・ギリアムが切り取る世界は、一見ファンタジー世界を描いているような印象を観客に与えるのだが、実際のところは、全ての出来事を冷徹な現実世界の出来事として描いている。
ただ違うのは、その現実の出来事の解釈が登場人物によって異なっている、と言う点である。
ここでは、現実世界は見ようによってはファンタジー世界に見えるのだが、実際はファンタジー世界に見えようが、確固とした現実世界である、と言うことを声高に宣言しているのだろう。
つまり、異常な出来事が起き、まるでそこがファンタジー世界のような印象を観客に与えているかも知れないが、異常な出来事が起きようが、そこは実際の現実世界であり、違うのは、それを体験する登場人物の解釈だけである、という事なのだ。
そして、そうすることにより、本作「ローズ・イン・タイドランド」は、観客が登場人物のファンタジー世界に逃避し、そこで満足してしまうことを拒絶しているのだ。
例えるならば「未来世界ブラジル」(1985)のラストで描かれた登場人物の精神世界でのハッピーエンドを見て観客が安心するようなことをさせないのだ。
いくら精神世界の中で、楽しい人生を送っていようが、現実は現実、悲惨なものなのだよ、とテリー・ギリアムは語っているのではないだろうか。
この辺りは「バロン」(1989)の冒頭、ファンタジーでありながら悲惨な現実を直視するシークエンスにも似ているような印象を受ける。
キャストはなんと言ってもジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ役)だろう。
人形の頭を含めて5役を演じてしまう怪演振りに、精神世界の危うさと、女性を感じさせる妖艶さ、そして少女のあどけなさと様々なシークエンスで千差万別の演技を魅せてくれている。
あとは、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ役)が印象的である。
彼の精神が解釈する現実世界の出来事が最高である。
特に巨大サメの解釈が身震いするほどすばらしい。
この辺は黒澤明の「どですかでん」(1970)の六ちゃんを髣髴とさせる。
また、ジャネット・マクティア(デル役)もすばらしい。
ただ、デルのイメージがティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」(2003)の魔女のイメージとかぶっているのが残念だと思う。
撮影(ニコラ・ペコリーニ)は広角レンズの多用により、被写体の大きさの差異を際立たせ、また、構図をずらすことにより、観客の平衡感覚を意図的に喪失させるようなカットが面白かった。
機会があれば、是非劇場で観ていただきたい作品である。
しかし、心して観て欲しい作品でもある。
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主人公はとんでもなく悲惨な状況にいるジェライザ=ローズという名の女の子。彼女の日常は元ロックスターのパパと、自分勝手なママの世話をすることから始まる。ある日、ママが急死して、ジェライザ=ローズは大好きなパパとふたり、今は亡きおばあちゃんの家に住むことになる。しかし、彼女を待っていたのは、見渡すかぎり金色の草原にポツンと建っている一軒の荒れ果てた古い家だった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:テリー・ギリアム
原作:ミッチ・カリン「タイドランド」(角川書店)
脚本:テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ
撮影:ニコラ・ペコリーニ
プロダクションデザイン:ヤスナ・ステファノヴィック
出演:ジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ)、ジェフ・ブリッジス(パパ/ノア)、ジェニファー・ティリー(ママ/グンヒルド王妃)、ジャネット・マクティア(デル)、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ)
例えば、デヴィッド・リンチの新作が公開されるとしよう。
当然ながら、デヴィッド・リンチ好きのわたしは、その新作を非常に楽しみにするだろう。
と同時に、わたしは若干の不安を感じてしまう。
リンチの世界を理解(解釈)できなかったらどうしよう。
リンチの作品を理解(解釈)できないほど、わたしの脳が老化(軟化/硬化)していたらどうしよう。
テリー・ギリアムの新作「ローズ・イン・タイドランド」はそんな気持ちにさせられる、一風難解で物語自体に起伏が乏しい、観客を選ぶ作品だった。
物語の根本的な部分は、例えるならば、ヒーローとアンチヒーローの誕生を同時に描いたM・ナイト・シャマランの「アンブレイカブル」(2000)や、悪魔の子として誕生した少年が全ての庇護者を排除し、ついに新たなそして強大な庇護者と出会うまでを描いた「オーメン」(1976)のような印象を受けた。
この「ローズ・イン・タイドランド」の物語は、言うならば、ローズと言う名の少女が、かつての庇護者たちを排除し、魔女として再生し、ついには新たな庇護者を得るまでを描いた物語なのだ。
ところで、本作「ローズ・イン・タイドランド」の世界観を見て強く感じたのは、幹線道路から外れ道に迷い、とんでもない目に遭ってしまう、と言う「悪魔のいけにえ」(1974)をはじめとする様々な作品で散々描かれ続けているような恐ろしい出来事は、アメリカの片田舎では、いたって普通の出来事であり、さらにはそれらの出来事の片棒を担ぐサイコキラーや変質者、魔女のような存在なんかは、アメリカの片田舎では、現在でも普通に存在しているのではないか、という事である。
そしてその世界の住民は、われわれの常識が非常識である世界で、自分達の常識、−−われわれにとっては非常識−−、に従って独自に生活を営んでいるのである。
と考えた場合、例えば現在日本国内でも起きている、マスコミが言うところの理解出来ない悲惨な事件は、最早現実世界とファンタジー世界との境界がなくなり、いわば現実世界という名のファンタジー世界に生きているわたし達にとっては、全く不思議な出来事ではなく、いたって普通の出来事なのだろう、と思える。
例えば、デル(ジャネット・マクティア)は、外部から覗くと魔女そのものだし、ディケンズ(ブレンダン・フレッチャー)は、そんな魔女やモンスターに使役される存在(「吸血鬼ドラキュラ」のレンフィールドのような存在)であるが、本作で彼らはファンタジー世界の住民ではなく、確固とした現実世界の住民として描かれている。
と同時に本作でテリー・ギリアムが切り取る世界は、一見ファンタジー世界を描いているような印象を観客に与えるのだが、実際のところは、全ての出来事を冷徹な現実世界の出来事として描いている。
ただ違うのは、その現実の出来事の解釈が登場人物によって異なっている、と言う点である。
ここでは、現実世界は見ようによってはファンタジー世界に見えるのだが、実際はファンタジー世界に見えようが、確固とした現実世界である、と言うことを声高に宣言しているのだろう。
つまり、異常な出来事が起き、まるでそこがファンタジー世界のような印象を観客に与えているかも知れないが、異常な出来事が起きようが、そこは実際の現実世界であり、違うのは、それを体験する登場人物の解釈だけである、という事なのだ。
そして、そうすることにより、本作「ローズ・イン・タイドランド」は、観客が登場人物のファンタジー世界に逃避し、そこで満足してしまうことを拒絶しているのだ。
例えるならば「未来世界ブラジル」(1985)のラストで描かれた登場人物の精神世界でのハッピーエンドを見て観客が安心するようなことをさせないのだ。
いくら精神世界の中で、楽しい人生を送っていようが、現実は現実、悲惨なものなのだよ、とテリー・ギリアムは語っているのではないだろうか。
この辺りは「バロン」(1989)の冒頭、ファンタジーでありながら悲惨な現実を直視するシークエンスにも似ているような印象を受ける。
キャストはなんと言ってもジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ役)だろう。
人形の頭を含めて5役を演じてしまう怪演振りに、精神世界の危うさと、女性を感じさせる妖艶さ、そして少女のあどけなさと様々なシークエンスで千差万別の演技を魅せてくれている。
あとは、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ役)が印象的である。
彼の精神が解釈する現実世界の出来事が最高である。
特に巨大サメの解釈が身震いするほどすばらしい。
この辺は黒澤明の「どですかでん」(1970)の六ちゃんを髣髴とさせる。
また、ジャネット・マクティア(デル役)もすばらしい。
ただ、デルのイメージがティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」(2003)の魔女のイメージとかぶっているのが残念だと思う。
撮影(ニコラ・ペコリーニ)は広角レンズの多用により、被写体の大きさの差異を際立たせ、また、構図をずらすことにより、観客の平衡感覚を意図的に喪失させるようなカットが面白かった。
機会があれば、是非劇場で観ていただきたい作品である。
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「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」
2006年7月17日 映画
2006/07/16 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」を観た。
監督:ゴア・ヴァービンスキー
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ
出演:ジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)、オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)、キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)、ビル・ナイ(デイヴィ・ジョーンズ)、ステラン・スカルスガルド(ブーツストラップ/ビル・ターナー)、ジャック・ダヴェンポート(ノリントン)、ケヴィン・マクナリー(ギブス)、ナオミ・ハリス(ティア・ダルマ)、ジョナサン・プライス(スワン総督)、マッケンジー・クルック(ラジェッティ)、トム・ホランダー(ベケット卿)、リー・アレンバーグ(ピンテル)、ジェフリー・ラッシュ(バルボッサ)
A long time ago in a ocean far,
far away....
七つの海(銀河系)最速の帆船(宇宙船)ブラックパール号(ミレニアム・ファルコン号)を駆るするジャック・スパロウ船長(ハン・ソロ船長)は苦境に立たされていた。
かつてジャック・スパロウ(ハン・ソロ)とデイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)との間で交わされた契約の終期が近づいて来ているのだ。
デイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)のもとへウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)の父親(!)を送り、かつての契約の刻限が目前に迫っていることを告げる。
一方、バルボッサ事件(デス・スター事件)において、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)と協力し、バルボッサ(デス・スター)を退けたウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)の幸せな生活は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の動向で一変する。
一時は逮捕されてしまうウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)だったが、何とか切り抜け、それぞれ相手の身を助けるため、別々にジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の下へと向かう。
彼らは、酒場で乱闘したり、とある島(エンドア星)の原住民(イウォーク族)の神とあがめられたりしながら、またノリントン(ランド・カルリシアン)と時には協力し、時には裏切られ、共同でまた単独で作戦を進めていく。
そして、遂にデイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の許へ最強の刺客クラーケン(ボバ・フェット)を送り込む。
そのクラーケン(ボバ・フェット)との戦いの中、○×□△に○×□△される(カーボン・フリーズされる)直前のジャック・スパロウ(ハン・ソロ)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)の姿を見たウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)の心の中に、ある種の疑念が芽生える。
ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)を失ったウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)、エリザベス・スワン(レイア・オーガナ)、ギブス(チュー・バッカ)、ラジェッティ(C3PO)とピンテル(R2D2)らは体勢を立て直し、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の救出に向かうことを決定する。そのとき彼らの前に現われたのは・・・・
何を言ってるのか全くわからない人もいらっしゃるかと思いますが、わたしが言っていることをご理解いただけている方も多々いらっしゃると思います。
と言うのも、驚くべきことに本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のプロットは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980)のリメイクではないか、と思えるほどに酷似しているのです。また、物語は勿論、登場人物の設定や背景まで酷似しているのには驚きを禁じえません。
本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」はディズニー・ランドのアトラクション「カリブの海賊」を映画化した「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」の第二部、第三部にあたる続編の第二部にあたる作品である。
製作は第一部のヒットを受けて、第二部、第三部を同時に撮影すると言う「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作(1985、1989、1990)や「マトリックス」三部作(1999、2000、2003)と同様の手法が取られている。
因みに「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001、2002、2003)は最初から三部作の構想で撮影が同時に行われているので、手法は異なる。
さて本編だが、160分超と言う尺はやはり長いと思う。
とは言うものの、長いと感じるのは冒頭の60分程度。物語が動き始める60分以降は、尺を気にせず楽しむことが出来る。
冒頭の60分をもう少しテンポよくつまんだ方が良かったと思う。
後半部分はもうゴリ押しで、物語は都合が良いしベタな展開の目白押しなのだが、脚本と演出の勢いで、楽しめる。
またラスト近辺の緊迫した展開は、ようやく脚本の面白さが顔を出し、本作を莫迦にしているわたしですら、緊張し、第三部への期待を高められてしまう。
まあこのあたりは、前述のように「帝国の逆襲」の展開やプロットを踏襲しているのだから、面白くて当たり前だと思う。
冒頭から中盤にかけてのアクション連続の展開は、大金持ちの自主制作映画のノリで、やりたいことはたくさんあるが語りたい事はそんなにない、と言った感じで、内容がない分、アクションが楽しめるのだが、凄いアクションだとしても退屈な印象を否定できない。
例えるならば「マトリックス リローデッド」(2003)のようにアクションが長すぎて、食傷気味でゲップが出るような感じなのだ。
とは言いながらもラストの怒涛の展開は、騙されてはいけないと思いながらも手に汗握るほど面白い。
前述のように、ようやく脚本部分の面白さ、第三部へ続くプロットが面白いのだが・・・・
キャストはビル・ナイの怪演が楽しかった。
声はビル・ナイそのものだったのだが、顔はほとんど違うのだが、表情の動きはさすがにビル・ナイの表情を再現していたと思う。
ジョニー・デップは前作同様やりすぎ、オーバーアクトであると言わざるを得ない。
彼の動きは、最早コントの域に達している。
勿論観客はジャック・スパロウのコント的でベタな動きを楽しみたいと思っているし、制作者サイドもそのあたりに力を入れているのはわかるのだが、ジョニー・デップファンとしては、極端なキャラクターを演じる事で評価される事は釈然としないものがある。
また、牢獄(ブローケッドランナー)から救命ボート(救命艇)で脱出するラジェッティ(C3PO/マッケンジー・クルック)とピンテル(R2D2/リー・アレンバーグ)の大活躍が良かった。
主役、脇役を含め三部作の全てに同じキャストをキャスティングしている点には、好感が持てる。
まあ本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」は、長いことを除けば、誰にでもオススメ出来る楽しい映画に仕上がっていると思う。
とりあえずは劇場で見て欲しいと思うけど、年間50〜100本くらい劇場で映画を見ている人は別に観なくても良いんじゃないかと思う。どうせ観るんだろうと思うけどね。
余談だが、本作には、エンドロールの後にも映像があるので、最後までクレジットを眺めていて欲しい。
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監督:ゴア・ヴァービンスキー
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ
出演:ジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)、オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)、キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)、ビル・ナイ(デイヴィ・ジョーンズ)、ステラン・スカルスガルド(ブーツストラップ/ビル・ターナー)、ジャック・ダヴェンポート(ノリントン)、ケヴィン・マクナリー(ギブス)、ナオミ・ハリス(ティア・ダルマ)、ジョナサン・プライス(スワン総督)、マッケンジー・クルック(ラジェッティ)、トム・ホランダー(ベケット卿)、リー・アレンバーグ(ピンテル)、ジェフリー・ラッシュ(バルボッサ)
A long time ago in a ocean far,
far away....
七つの海(銀河系)最速の帆船(宇宙船)ブラックパール号(ミレニアム・ファルコン号)を駆るするジャック・スパロウ船長(ハン・ソロ船長)は苦境に立たされていた。
かつてジャック・スパロウ(ハン・ソロ)とデイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)との間で交わされた契約の終期が近づいて来ているのだ。
デイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)のもとへウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)の父親(!)を送り、かつての契約の刻限が目前に迫っていることを告げる。
一方、バルボッサ事件(デス・スター事件)において、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)と協力し、バルボッサ(デス・スター)を退けたウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)の幸せな生活は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の動向で一変する。
一時は逮捕されてしまうウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)だったが、何とか切り抜け、それぞれ相手の身を助けるため、別々にジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の下へと向かう。
彼らは、酒場で乱闘したり、とある島(エンドア星)の原住民(イウォーク族)の神とあがめられたりしながら、またノリントン(ランド・カルリシアン)と時には協力し、時には裏切られ、共同でまた単独で作戦を進めていく。
そして、遂にデイヴィ・ジョーンズ(ジャバ・ザ・ハット)は、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の許へ最強の刺客クラーケン(ボバ・フェット)を送り込む。
そのクラーケン(ボバ・フェット)との戦いの中、○×□△に○×□△される(カーボン・フリーズされる)直前のジャック・スパロウ(ハン・ソロ)とエリザベス・スワン(レイア・オーガナ)の姿を見たウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)の心の中に、ある種の疑念が芽生える。
ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)を失ったウィル・ターナー(ルーク・スカイウォーカー)、エリザベス・スワン(レイア・オーガナ)、ギブス(チュー・バッカ)、ラジェッティ(C3PO)とピンテル(R2D2)らは体勢を立て直し、ジャック・スパロウ(ハン・ソロ)の救出に向かうことを決定する。そのとき彼らの前に現われたのは・・・・
何を言ってるのか全くわからない人もいらっしゃるかと思いますが、わたしが言っていることをご理解いただけている方も多々いらっしゃると思います。
と言うのも、驚くべきことに本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のプロットは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980)のリメイクではないか、と思えるほどに酷似しているのです。また、物語は勿論、登場人物の設定や背景まで酷似しているのには驚きを禁じえません。
本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」はディズニー・ランドのアトラクション「カリブの海賊」を映画化した「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」の第二部、第三部にあたる続編の第二部にあたる作品である。
製作は第一部のヒットを受けて、第二部、第三部を同時に撮影すると言う「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作(1985、1989、1990)や「マトリックス」三部作(1999、2000、2003)と同様の手法が取られている。
因みに「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001、2002、2003)は最初から三部作の構想で撮影が同時に行われているので、手法は異なる。
さて本編だが、160分超と言う尺はやはり長いと思う。
とは言うものの、長いと感じるのは冒頭の60分程度。物語が動き始める60分以降は、尺を気にせず楽しむことが出来る。
冒頭の60分をもう少しテンポよくつまんだ方が良かったと思う。
後半部分はもうゴリ押しで、物語は都合が良いしベタな展開の目白押しなのだが、脚本と演出の勢いで、楽しめる。
またラスト近辺の緊迫した展開は、ようやく脚本の面白さが顔を出し、本作を莫迦にしているわたしですら、緊張し、第三部への期待を高められてしまう。
まあこのあたりは、前述のように「帝国の逆襲」の展開やプロットを踏襲しているのだから、面白くて当たり前だと思う。
冒頭から中盤にかけてのアクション連続の展開は、大金持ちの自主制作映画のノリで、やりたいことはたくさんあるが語りたい事はそんなにない、と言った感じで、内容がない分、アクションが楽しめるのだが、凄いアクションだとしても退屈な印象を否定できない。
例えるならば「マトリックス リローデッド」(2003)のようにアクションが長すぎて、食傷気味でゲップが出るような感じなのだ。
とは言いながらもラストの怒涛の展開は、騙されてはいけないと思いながらも手に汗握るほど面白い。
前述のように、ようやく脚本部分の面白さ、第三部へ続くプロットが面白いのだが・・・・
キャストはビル・ナイの怪演が楽しかった。
声はビル・ナイそのものだったのだが、顔はほとんど違うのだが、表情の動きはさすがにビル・ナイの表情を再現していたと思う。
ジョニー・デップは前作同様やりすぎ、オーバーアクトであると言わざるを得ない。
彼の動きは、最早コントの域に達している。
勿論観客はジャック・スパロウのコント的でベタな動きを楽しみたいと思っているし、制作者サイドもそのあたりに力を入れているのはわかるのだが、ジョニー・デップファンとしては、極端なキャラクターを演じる事で評価される事は釈然としないものがある。
また、牢獄(ブローケッドランナー)から救命ボート(救命艇)で脱出するラジェッティ(C3PO/マッケンジー・クルック)とピンテル(R2D2/リー・アレンバーグ)の大活躍が良かった。
主役、脇役を含め三部作の全てに同じキャストをキャスティングしている点には、好感が持てる。
まあ本作「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」は、長いことを除けば、誰にでもオススメ出来る楽しい映画に仕上がっていると思う。
とりあえずは劇場で見て欲しいと思うけど、年間50〜100本くらい劇場で映画を見ている人は別に観なくても良いんじゃないかと思う。どうせ観るんだろうと思うけどね。
余談だが、本作には、エンドロールの後にも映像があるので、最後までクレジットを眺めていて欲しい。
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「ヒストリー・オブ・バイオレンス」
2006年7月14日 映画
2006/07/13 東京池袋「新文芸坐」で「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観た。
アメリカ、シンディアナ州ミルブルックの小さな町の田舎町で、トム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)と弁護士の妻エディ(マリア・ベロ)は、2人の子供たちと一緒に幸せで静かな生活を送っていた。夫は"STALL’S DINER"という自身のお店を経営し、妻ともいまだに仲むつまじく、愛に満ちた幸せな暮らしであった。
だが、ある夜、夫のダイナーが2人組の強盗に襲われてしまったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
脚本:ジョシュ・オルソン
音楽:ハワード・ショア
原作:ジョン・ワグナー、ヴィンス・ロック
出演:ヴィゴ・モーテンセン(トム・ストール)、マリア・ベロ(エディ・ストール)、エド・ハリス(カール・フォガティ)、ウィリアム・ハート(リッチー・キューザック)、アシュトン・ホームズ(ジャック・ストール)、ハイディ・ヘイズ(サラ・ストール)、スティーヴン・マクハティ(レランド)、グレッグ・ブリック(ビリー)、ピーター・マクニール(サム・カーニー保安官)
いやあ、良かった。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は本当に大変素晴らしい作品だった。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、デイヴィッド・クローネンバーグファンなら勿論、ファンではない方々でも充分に楽しめる、素晴らしい作品に仕上がっていた、と思う。
勿論タイトル通り、バイオレンス指数は比較的高め、と言うかバイオレンス描写それぞれについて一々芸が細かく、ハリウッド・テイストの大雑把なバイオレンス描写に慣れ親しんでいる観客、またはマニアックなバイオレンス描写に慣れ親しんでいない観客には若干きつめのバイオレンス描写が続く。
しかしながら、そのバイオレンス描写は、とっさに悲鳴を上げるというよりは、ヒステリックな笑いを伴うような描写であったような印象を受けた。
例えば、ジョージ・A・ロメロの「死霊のえじき」(1985)のスコップのシークエンスやデイヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート」(1990)のショットガンのシークエンスを思い出す。
そして物語は、日本人ならば時代劇やヤクザ映画でよく見るような話。
かつて極悪人が何らかの理由で足を洗い家庭を築き、平穏な生活を送っているところに、かつての悪い仲間がやって来る、と言うもの。
そしてこの作品が語っているのは、悲しい話なのだが、一度犯罪(ここでは勿論バイオレンスと言う事)に手を染めた人々は、二度と真っ当な生活には戻れないし、それらの人々のバイオレンスな遺伝子は、知らず知らずに回りに影響を与え、遺伝すると言うこと。
そのあたりは、トム(ヴィゴ・モーテンセン)のバイオレンスの遺伝子が、結果的に息子のジャック(アシュトン・ホームズ)に遺伝していく様に顕著である。
その描写はジャックを主人公に据えた青春映画的な物語で描かれる成長を思わせるものなのだが、ベクトルは非常にダークである。
キャストは何と言ってもエド・ハリス(カール・フォガティ役)である。メイクは若干やりすぎの感は否めないが、過去を感じさせる素晴らしいキャラクターを演じていた。
いやあ格好良いぞ、エド・ハリス。
ホント「ザ・ロック」(1996)なんてお莫迦な映画に出ている場合じゃないぞ。
またウィリアム・ハート(リッチー・キューザック役)も良かった。が、どう考えてもエド・ハリスの方が上だろう。
この映画、賞レースでは、デイヴィッド・クローネンバーグ作品には比較的珍しく、非常に大きな役回りを演じていた。
ちょっと余談だが、本作のメインのプロットを考えた場合、本作に良く似た作品を思い出す。
それはスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」である。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は「時計じかけのオレンジ」(1971)の後半部分を再構築したような作品に仕上がっているのだ。
「時計じかけのオレンジ」ではアレックスの過去を映画の前半部分で丹念に描いているのだが、本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」ではトムの過去は一切描かれず、本作は「時計じかけのオレンジ」的に言うと矯正された後の部分から始まっているのである。
そのあたりを考えながら本作のラストを考えた場合、多くの観客は幸せなエンディングを想像したのかも知れないが、もう一つの破滅的なエンディングの存在も感じられる素晴らしい描写で幕を閉じているような印象も受ける。
世は全てこともなし、と言う事である。
余談だけど、トムは人類のメタファーとしても考えられるし、国家のメタファーとしても機能しているのである。
人類の本能はバイオレンスだしね。
機会があれば是非観ていただきたい作品である。
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アメリカ、シンディアナ州ミルブルックの小さな町の田舎町で、トム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)と弁護士の妻エディ(マリア・ベロ)は、2人の子供たちと一緒に幸せで静かな生活を送っていた。夫は"STALL’S DINER"という自身のお店を経営し、妻ともいまだに仲むつまじく、愛に満ちた幸せな暮らしであった。
だが、ある夜、夫のダイナーが2人組の強盗に襲われてしまったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
脚本:ジョシュ・オルソン
音楽:ハワード・ショア
原作:ジョン・ワグナー、ヴィンス・ロック
出演:ヴィゴ・モーテンセン(トム・ストール)、マリア・ベロ(エディ・ストール)、エド・ハリス(カール・フォガティ)、ウィリアム・ハート(リッチー・キューザック)、アシュトン・ホームズ(ジャック・ストール)、ハイディ・ヘイズ(サラ・ストール)、スティーヴン・マクハティ(レランド)、グレッグ・ブリック(ビリー)、ピーター・マクニール(サム・カーニー保安官)
いやあ、良かった。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は本当に大変素晴らしい作品だった。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、デイヴィッド・クローネンバーグファンなら勿論、ファンではない方々でも充分に楽しめる、素晴らしい作品に仕上がっていた、と思う。
勿論タイトル通り、バイオレンス指数は比較的高め、と言うかバイオレンス描写それぞれについて一々芸が細かく、ハリウッド・テイストの大雑把なバイオレンス描写に慣れ親しんでいる観客、またはマニアックなバイオレンス描写に慣れ親しんでいない観客には若干きつめのバイオレンス描写が続く。
しかしながら、そのバイオレンス描写は、とっさに悲鳴を上げるというよりは、ヒステリックな笑いを伴うような描写であったような印象を受けた。
例えば、ジョージ・A・ロメロの「死霊のえじき」(1985)のスコップのシークエンスやデイヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート」(1990)のショットガンのシークエンスを思い出す。
そして物語は、日本人ならば時代劇やヤクザ映画でよく見るような話。
かつて極悪人が何らかの理由で足を洗い家庭を築き、平穏な生活を送っているところに、かつての悪い仲間がやって来る、と言うもの。
そしてこの作品が語っているのは、悲しい話なのだが、一度犯罪(ここでは勿論バイオレンスと言う事)に手を染めた人々は、二度と真っ当な生活には戻れないし、それらの人々のバイオレンスな遺伝子は、知らず知らずに回りに影響を与え、遺伝すると言うこと。
そのあたりは、トム(ヴィゴ・モーテンセン)のバイオレンスの遺伝子が、結果的に息子のジャック(アシュトン・ホームズ)に遺伝していく様に顕著である。
その描写はジャックを主人公に据えた青春映画的な物語で描かれる成長を思わせるものなのだが、ベクトルは非常にダークである。
キャストは何と言ってもエド・ハリス(カール・フォガティ役)である。メイクは若干やりすぎの感は否めないが、過去を感じさせる素晴らしいキャラクターを演じていた。
いやあ格好良いぞ、エド・ハリス。
ホント「ザ・ロック」(1996)なんてお莫迦な映画に出ている場合じゃないぞ。
またウィリアム・ハート(リッチー・キューザック役)も良かった。が、どう考えてもエド・ハリスの方が上だろう。
この映画、賞レースでは、デイヴィッド・クローネンバーグ作品には比較的珍しく、非常に大きな役回りを演じていた。
ちょっと余談だが、本作のメインのプロットを考えた場合、本作に良く似た作品を思い出す。
それはスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」である。
本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は「時計じかけのオレンジ」(1971)の後半部分を再構築したような作品に仕上がっているのだ。
「時計じかけのオレンジ」ではアレックスの過去を映画の前半部分で丹念に描いているのだが、本作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」ではトムの過去は一切描かれず、本作は「時計じかけのオレンジ」的に言うと矯正された後の部分から始まっているのである。
そのあたりを考えながら本作のラストを考えた場合、多くの観客は幸せなエンディングを想像したのかも知れないが、もう一つの破滅的なエンディングの存在も感じられる素晴らしい描写で幕を閉じているような印象も受ける。
世は全てこともなし、と言う事である。
余談だけど、トムは人類のメタファーとしても考えられるし、国家のメタファーとしても機能しているのである。
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「エミリー・ローズ」国内版DVD発売!
2006年7月13日 映画
2006/07/19「エミリー・ローズ」の国内版DVDが発売される。
怪死をとげた19才の女子大生エミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)の検視のため、ローズ家を訪れた医師は、異様な光景を目にすることになる。
そこには憔悴しきった家族と警察、そしてただならぬ態度のムーア神父(トム・ウィルキンソン)がいた。
検視の結果エミリーの死因は、自然死ではないことが判明、ムーア神父は警察に拘引されてしまうが、ムーア神父は保釈を拒否、裁判を望んでいた。
そんな中、新進気鋭の女性弁護士エリン・ブルナー(ローラ・リニー)は、ムーア神父の弁護を引き受けることになった。
エリンは、今回の「国民対ムーア」事件のようなセンセーショナルな事件を担当することにより、所属する法律事務所のパートナーの地位を狙っていたが・・・・。
監督:スコット・デリクソン
脚本:ポール・ハリス・ボードマン、スコット・デリクソン
出演:ローラ・リニー(エリン・ブルナー弁護士)、トム・ウィルキンソン(ムーア神父)、キャンベル・スコット(イーサン・トマス)、ジェニファー・カーペンター(エミリー・ローズ)、コルム・フィオール(カール・ガンダーソン)、ジョシュア・クローズ(ジェイソン)、ケン・ウェルシュ(ミュラー博士)、ダンカン・フレイザー(カートライト博士)、JR・ボーン(レイ)、メアリー・ベス・ハート(ブリュースター判事)、ヘンリー・ツェーニー(ブリッグズ博士)、ショーレ・アグダシュルー(アダニ博士)
本作「エミリー・ローズ」はエクソシズム(悪魔祓い)を題材にした作品の中で、「エクソシスト」(1973)以来はじめてと言っても良い位、科学と信仰とのバランス感覚に富んだすばらしい作品に仕上がっていると思う。
作品の構成は「国民対ムーア事件」(ムーア神父が悪魔に憑依されたというエミリー・ローズに悪魔祓いを行った結果、死に至らしめたとして過失致死罪で起訴された事件)の裁判の模様に、証人の証言と言う形態で、過去の事実(と思われるモノ)を挟み込み、徐々に真実(と思われるモノ)に迫っていく過程を丹念に描いているのだ。
この裁判の経過を描写する手法が作品としてすばらしく、科学のメタファーとしての検察側と、信仰のメタファーとしての弁護側の対決が非常に興味深く、我々観客には陪審員として作品に参加しているような印象を与えることに成功している。
また肝心のエクソシズムのシークエンスは、近年稀に見るほど本当にすばらしく、わたし的にはムーア神父の一挙手一投足に対し感動のあまり涙が出た程である。
ムーア神父とエリン(に憑依している悪魔)との舌戦で涙が出ちゃうくらいのすばらしいシークエンスに仕上がっていた、と言うことである。
信仰(物事を信じること)には確実に力があり、その力は確実に人を動かすことが出来るのである。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
ソニー・ピクチャーズの「エミリー・ローズ」のページ
http://www.sonypictures.jp/homevideo/theexorcismofemilyrose/index.html
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怪死をとげた19才の女子大生エミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)の検視のため、ローズ家を訪れた医師は、異様な光景を目にすることになる。
そこには憔悴しきった家族と警察、そしてただならぬ態度のムーア神父(トム・ウィルキンソン)がいた。
検視の結果エミリーの死因は、自然死ではないことが判明、ムーア神父は警察に拘引されてしまうが、ムーア神父は保釈を拒否、裁判を望んでいた。
そんな中、新進気鋭の女性弁護士エリン・ブルナー(ローラ・リニー)は、ムーア神父の弁護を引き受けることになった。
エリンは、今回の「国民対ムーア」事件のようなセンセーショナルな事件を担当することにより、所属する法律事務所のパートナーの地位を狙っていたが・・・・。
監督:スコット・デリクソン
脚本:ポール・ハリス・ボードマン、スコット・デリクソン
出演:ローラ・リニー(エリン・ブルナー弁護士)、トム・ウィルキンソン(ムーア神父)、キャンベル・スコット(イーサン・トマス)、ジェニファー・カーペンター(エミリー・ローズ)、コルム・フィオール(カール・ガンダーソン)、ジョシュア・クローズ(ジェイソン)、ケン・ウェルシュ(ミュラー博士)、ダンカン・フレイザー(カートライト博士)、JR・ボーン(レイ)、メアリー・ベス・ハート(ブリュースター判事)、ヘンリー・ツェーニー(ブリッグズ博士)、ショーレ・アグダシュルー(アダニ博士)
本作「エミリー・ローズ」はエクソシズム(悪魔祓い)を題材にした作品の中で、「エクソシスト」(1973)以来はじめてと言っても良い位、科学と信仰とのバランス感覚に富んだすばらしい作品に仕上がっていると思う。
作品の構成は「国民対ムーア事件」(ムーア神父が悪魔に憑依されたというエミリー・ローズに悪魔祓いを行った結果、死に至らしめたとして過失致死罪で起訴された事件)の裁判の模様に、証人の証言と言う形態で、過去の事実(と思われるモノ)を挟み込み、徐々に真実(と思われるモノ)に迫っていく過程を丹念に描いているのだ。
この裁判の経過を描写する手法が作品としてすばらしく、科学のメタファーとしての検察側と、信仰のメタファーとしての弁護側の対決が非常に興味深く、我々観客には陪審員として作品に参加しているような印象を与えることに成功している。
また肝心のエクソシズムのシークエンスは、近年稀に見るほど本当にすばらしく、わたし的にはムーア神父の一挙手一投足に対し感動のあまり涙が出た程である。
ムーア神父とエリン(に憑依している悪魔)との舌戦で涙が出ちゃうくらいのすばらしいシークエンスに仕上がっていた、と言うことである。
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”Who Killed The Electric Car?”
2006年7月12日 映画今日は映画の予告編の話。
先ずは、これ。
"Who Killed The Electric Car?"
http://www.apple.com/trailers/sony/whokilledtheelectriccar/
全く心が騒いでしまう。
「華氏911」の再来でしょうか。本当に心が騒ぎます。
あと、ニコラス・ケイジ好きとしては、これが気になる。
"Ghost Rider"
http://www.apple.com/trailers/sony_pictures/ghostrider/
コメディか?
笑えるのは何故?
「スーパーマン」を演じる企画があったケイジだけに、「スーパーマン・リターンズ」ヒットの影で吹っ切れて、"Ghost Rider"をやっちゃったのかな。
あとは、これ。
"The U.S. vs John Lennon"
http://www.apple.com/trailers/lions_gate/theusvsjohnlennon/
涙が出ちゃうね。
本当にね。
これも「華氏911」の香がするね。
あと、これ。
"The Descent"
http://www.apple.com/trailers/lions_gate/thedescent/
企画を聞いた時、洞窟脱出アドベンチャー映画かと思ったら、「エイリアン」以来の最高のサスペンス・ホラーらしいですね。
"The Puffy Chair"
http://www.apple.com/trailers/independent/thepuffychair/
世の中、アイディアに満ちてるね。
やっぱ、こういった発想が出てくるというのは、本当に凄いと思う。
そして、なんと言ってもこれ。
"Lady In The Water"
http://www.apple.com/trailers/wb/ladyinthewater/
わたしはポール・ジアマッティ好き何だけど、思うに、彼は現代のリチャード・ドレイファスかと思う。
この"Lady In The Water"で、ジアマッティが演じたキャラクターをドレイファスにダブらせて見ると、これまた面白そうな気がする。
あと極めつけはこれ。
"A Scanner Darkly"
http://www.apple.com/trailers/warner_independent_pictures/ascannerdarkly/
予告編を見てびっくりした。
こんな手法でやっているとは思ってませんでした。
普通のライヴ・アクション映画化と思ってました。
でも、PKディック的には、万歳ですね。
"Waking Life"の監督だけに、期待は広がりますね。
まあ、そんな感じです。
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先ずは、これ。
"Who Killed The Electric Car?"
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全く心が騒いでしまう。
「華氏911」の再来でしょうか。本当に心が騒ぎます。
あと、ニコラス・ケイジ好きとしては、これが気になる。
"Ghost Rider"
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コメディか?
笑えるのは何故?
「スーパーマン」を演じる企画があったケイジだけに、「スーパーマン・リターンズ」ヒットの影で吹っ切れて、"Ghost Rider"をやっちゃったのかな。
あとは、これ。
"The U.S. vs John Lennon"
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涙が出ちゃうね。
本当にね。
これも「華氏911」の香がするね。
あと、これ。
"The Descent"
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企画を聞いた時、洞窟脱出アドベンチャー映画かと思ったら、「エイリアン」以来の最高のサスペンス・ホラーらしいですね。
"The Puffy Chair"
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世の中、アイディアに満ちてるね。
やっぱ、こういった発想が出てくるというのは、本当に凄いと思う。
そして、なんと言ってもこれ。
"Lady In The Water"
http://www.apple.com/trailers/wb/ladyinthewater/
わたしはポール・ジアマッティ好き何だけど、思うに、彼は現代のリチャード・ドレイファスかと思う。
この"Lady In The Water"で、ジアマッティが演じたキャラクターをドレイファスにダブらせて見ると、これまた面白そうな気がする。
あと極めつけはこれ。
"A Scanner Darkly"
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予告編を見てびっくりした。
こんな手法でやっているとは思ってませんでした。
普通のライヴ・アクション映画化と思ってました。
でも、PKディック的には、万歳ですね。
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「20世紀フォックスは莫迦なのか!」をめぐる冒険
2006年7月7日 映画
20世紀フォックスは莫迦なのか!
先ずはこちらを読んでいただきたい。
何とも莫迦げた映画配給会社のふざけた企画の記事が掲載されている。
激怒である。
20世紀フォックスは莫迦か!
日本国中の多くの劇場が、心無き観客たちの携帯電話の電源を切らせるために、涙ぐましい努力をしていると言うのに、一体20世紀フォックスは何を考えているのか!
配給会社は配給会社で、携帯の電源OFFの広告を製作し予告編と共に劇場で上映していると言うのに、一体20世紀フォックスは何を考えているのか!
一配給会社の莫迦な企画が、数多くの劇場や他の配給会社をはじめとした映画産業全体が行っている「携帯電話OFF」運動に水をさすような事をして良いのか!
今回の20世紀フォックスの『「上映中、携帯電話の電源を切らないでください!」前代未聞のX-MEN試写会』は、劇場サイドをはじめとした「携帯電源OFF運動」の地道な努力を踏みにじる唾棄すべき行為だと言わざるを得ない。
ふざけるな! 20世紀フォックス!!
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「上映中、携帯電話の電源を切らないでください!」
前代未聞のX-MEN試写会
http://www.flix.co.jp/page/N0008658
すでに全米で公開され、記録的な大ヒットとなっている『X-MEN』シリーズの完結編、『X-MEN:ファイナル ディシジョン』の試写会で配給の20世紀フォックスが前代未聞の試みをする。
映画の上映前に携帯電話の電源を切るのは、世間では常識的なマナーになっているが、7月26日に東京と大阪で開催される『X-MEN:ファイナル ディシジョン』の試写会では上映中、携帯電話の機能をフル活用するため、電源を切ってはいけないのだ。
まず、フル活用される機能の一つはバイブレーション。劇中、爆発や衝撃があったときに同じタイミングでバイブレーションし、衝撃を体感する。さらに鑑賞しながら携帯の特設サイトに設けられた掲示板にどんどん、感想やツッコミなどを書き込んでいくというおきて破りの試写会だ。上映中に観客全員が携帯電話に向かってもくもくと何かを書き込んでいる風景はちょっと異様だが、携帯世代にとっては、うれしい試みになるのかもしれない。
激怒である。
20世紀フォックスは莫迦か!
日本国中の多くの劇場が、心無き観客たちの携帯電話の電源を切らせるために、涙ぐましい努力をしていると言うのに、一体20世紀フォックスは何を考えているのか!
配給会社は配給会社で、携帯の電源OFFの広告を製作し予告編と共に劇場で上映していると言うのに、一体20世紀フォックスは何を考えているのか!
一配給会社の莫迦な企画が、数多くの劇場や他の配給会社をはじめとした映画産業全体が行っている「携帯電話OFF」運動に水をさすような事をして良いのか!
今回の20世紀フォックスの『「上映中、携帯電話の電源を切らないでください!」前代未聞のX-MEN試写会』は、劇場サイドをはじめとした「携帯電源OFF運動」の地道な努力を踏みにじる唾棄すべき行為だと言わざるを得ない。
ふざけるな! 20世紀フォックス!!
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「花よりもなほ」をめぐる冒険
2006年7月6日 映画
2006/07/01 東京池袋「シネマ・ロサ」で「花よりもなほ」を観た。
本来ならば「花よりもなほ」のレビューを書くべきところなのだが、今日のエントリーのタイトルは、『「花よりもなほ」をめぐる冒険』サブ・タイトルは、『「ラストサムライ」怒りの系譜』。
ハリウッド映画「ラストサムライ」(2003)及び「ラストサムライ」に騙される愚かな日本人に対する、日本映画界の怒りの系譜を紐解いてみたいと思う。
■「隠し剣 鬼の爪」(2004/監督:山田洋次)
以下、下記URLより引用
http://diarynote.jp/d/29346/20041024.html
「隠し剣 鬼の爪」は、米アカデミー賞ノミネート作品「たそがれ清兵衛」(2002)に続く、山田洋次監督×藤沢周平原作の第二弾であり、多くの人々にオススメできる素敵な人情時代劇に仕上がっている。
しかし本作「隠し剣 鬼の爪」は、ハリウッド製時代劇「ラスト サムライ」(2003)に対するアンチテーゼとして機能する、反骨精神溢れる意欲的な作品とも言えるだろう。
そして本作が「ラスト サムライ」に対するアンチテーゼとして機能していると言うことは、「ラスト サムライ」を手放しで評価する『サムライの遺伝子を持った日本人』(実際のところ、大多数の日本人は農民の遺伝子を持つのだが)に対する批判的精神が根底に見え隠れしているような気がする。
趣向を削ぐので詳細解説は割愛するが、本作「隠し剣 鬼の爪」は「ラスト サムライ」とは、時には同様の、時には正反対のベクトルを持つ作品なのである。
この辺りは、狭間弥市郎(小澤征悦)に対する片桐宗蔵(永瀬正敏)の最後のセリフ、松田洋治の役柄、そして戸田寛斎(田中泯)の生き様、家老堀将監(緒形拳)の描き方、そしてなんと言っても片桐宗蔵(永瀬正敏)ときえ(松たか子)の行く末がそれを如実に物語っている。
勿論、舞台挨拶の中でも、監督である山田洋次が間接的にではあるが、この作品の背景とテーマを語っていた。
■「北の零年」(2004/監督:行定勲)
以下、下記URLより引用
http://diarynote.jp/d/29346/20050105.html
「サムライになりたかったアメリカ人」と「滅び行くサムライの美学」を描いた「ラストサムライ(2003)」に日本国民の多くは狂喜し、同時に日本映画界は震撼した。
そして2004年、山田洋次は「ラストサムライ」へのアンチテーゼとして、また「ラストサムライ」に騙されてしまう愚かな日本人に対する批判的精神の下、「隠し剣 鬼の爪」(2004)を製作した。(と、わたしは思っている)
「隠し剣 鬼の爪」は「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる日本人」を描いた作品なのだ。
更に2005年、満を持して登場するのは、またもや「侍と言う生き方を捨てる日本人」を描いた「北の零年」(2005)なのだ。
そして本作「北の零年」では「ラストサムライ」で勝元盛次を演じた渡辺謙が、その勝元と正反対の生き様の小松原英明としてキャスティングされているのが素晴らしくも恐ろしい。
このあまりにもシニカルなキャスティングは、行定勲や渡辺謙、そして山田洋次をはじめとする日本映画界が「ラストサムライ」に対して、どういう思いを持っているのかを如実に表しているような気がする。
あの山田洋次に「隠し剣 鬼の爪」を撮らせ、行定勲に「北の零年」を撮らせる「ラストサムライ」。
その多大なる影響力、そして「侍の遺伝子を持つと言われ、散り行く侍の姿に騙されてしまう、実際は農民の遺伝子を持つ日本人」の愚かさを感じる一瞬である。
■「花よりもなほ」(2006/監督・原案・脚本:是枝裕和)
ハリウッド映画「ラストサムライ」(2003)に対する日本映画界の怒りの系譜は、山田洋次から行定勲へ、そして行定勲からなんと是枝裕和にまで繋がった。
本作「花よりもなほ」の物語は、是枝裕和のオリジナル脚本なのだが、表向きはのほほんとした泰平仇討ちコン・ゲーム的な物語なのだが、その脚本には「ラストサムライ」へのアンチテーゼとも言えるいくつかのプロットが採用されている。
例えば、それは「何も生みださない侍と言う生き方への批判」や「仇討ち制度の不毛さ」そして「生類憐れみの令の理不尽さ」、「武士の生き様と桜の散り様の対比」そして「憎しみではない父親からの形見」である。
これらのプロットの根底には全て「侍文化への批判」が息づいている。
多分映画の表層だけを観ていると気が付かない事だと思うのだが、おそらく是枝裕和がやろうとしていたのは、こう言うことだったのだろう、と思う。
そして長屋の人々は泰平の世を、何にも縛られずに超然とそして図太く生きている。彼らは善悪に縛られない。言わば善悪の彼岸で生きているのだ。
そして、最後に主人公は、侍と言う生き方ではなく、人間としての生き方を選択するのである。
これはやはり「侍としての莫迦げた生き方の否定」を描いていると言わざるを得ない。
つづく・・・・
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本来ならば「花よりもなほ」のレビューを書くべきところなのだが、今日のエントリーのタイトルは、『「花よりもなほ」をめぐる冒険』サブ・タイトルは、『「ラストサムライ」怒りの系譜』。
ハリウッド映画「ラストサムライ」(2003)及び「ラストサムライ」に騙される愚かな日本人に対する、日本映画界の怒りの系譜を紐解いてみたいと思う。
■「隠し剣 鬼の爪」(2004/監督:山田洋次)
以下、下記URLより引用
http://diarynote.jp/d/29346/20041024.html
「隠し剣 鬼の爪」は、米アカデミー賞ノミネート作品「たそがれ清兵衛」(2002)に続く、山田洋次監督×藤沢周平原作の第二弾であり、多くの人々にオススメできる素敵な人情時代劇に仕上がっている。
しかし本作「隠し剣 鬼の爪」は、ハリウッド製時代劇「ラスト サムライ」(2003)に対するアンチテーゼとして機能する、反骨精神溢れる意欲的な作品とも言えるだろう。
そして本作が「ラスト サムライ」に対するアンチテーゼとして機能していると言うことは、「ラスト サムライ」を手放しで評価する『サムライの遺伝子を持った日本人』(実際のところ、大多数の日本人は農民の遺伝子を持つのだが)に対する批判的精神が根底に見え隠れしているような気がする。
趣向を削ぐので詳細解説は割愛するが、本作「隠し剣 鬼の爪」は「ラスト サムライ」とは、時には同様の、時には正反対のベクトルを持つ作品なのである。
この辺りは、狭間弥市郎(小澤征悦)に対する片桐宗蔵(永瀬正敏)の最後のセリフ、松田洋治の役柄、そして戸田寛斎(田中泯)の生き様、家老堀将監(緒形拳)の描き方、そしてなんと言っても片桐宗蔵(永瀬正敏)ときえ(松たか子)の行く末がそれを如実に物語っている。
勿論、舞台挨拶の中でも、監督である山田洋次が間接的にではあるが、この作品の背景とテーマを語っていた。
■「北の零年」(2004/監督:行定勲)
以下、下記URLより引用
http://diarynote.jp/d/29346/20050105.html
「サムライになりたかったアメリカ人」と「滅び行くサムライの美学」を描いた「ラストサムライ(2003)」に日本国民の多くは狂喜し、同時に日本映画界は震撼した。
そして2004年、山田洋次は「ラストサムライ」へのアンチテーゼとして、また「ラストサムライ」に騙されてしまう愚かな日本人に対する批判的精神の下、「隠し剣 鬼の爪」(2004)を製作した。(と、わたしは思っている)
「隠し剣 鬼の爪」は「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる日本人」を描いた作品なのだ。
更に2005年、満を持して登場するのは、またもや「侍と言う生き方を捨てる日本人」を描いた「北の零年」(2005)なのだ。
そして本作「北の零年」では「ラストサムライ」で勝元盛次を演じた渡辺謙が、その勝元と正反対の生き様の小松原英明としてキャスティングされているのが素晴らしくも恐ろしい。
このあまりにもシニカルなキャスティングは、行定勲や渡辺謙、そして山田洋次をはじめとする日本映画界が「ラストサムライ」に対して、どういう思いを持っているのかを如実に表しているような気がする。
あの山田洋次に「隠し剣 鬼の爪」を撮らせ、行定勲に「北の零年」を撮らせる「ラストサムライ」。
その多大なる影響力、そして「侍の遺伝子を持つと言われ、散り行く侍の姿に騙されてしまう、実際は農民の遺伝子を持つ日本人」の愚かさを感じる一瞬である。
■「花よりもなほ」(2006/監督・原案・脚本:是枝裕和)
ハリウッド映画「ラストサムライ」(2003)に対する日本映画界の怒りの系譜は、山田洋次から行定勲へ、そして行定勲からなんと是枝裕和にまで繋がった。
本作「花よりもなほ」の物語は、是枝裕和のオリジナル脚本なのだが、表向きはのほほんとした泰平仇討ちコン・ゲーム的な物語なのだが、その脚本には「ラストサムライ」へのアンチテーゼとも言えるいくつかのプロットが採用されている。
例えば、それは「何も生みださない侍と言う生き方への批判」や「仇討ち制度の不毛さ」そして「生類憐れみの令の理不尽さ」、「武士の生き様と桜の散り様の対比」そして「憎しみではない父親からの形見」である。
これらのプロットの根底には全て「侍文化への批判」が息づいている。
多分映画の表層だけを観ていると気が付かない事だと思うのだが、おそらく是枝裕和がやろうとしていたのは、こう言うことだったのだろう、と思う。
そして長屋の人々は泰平の世を、何にも縛られずに超然とそして図太く生きている。彼らは善悪に縛られない。言わば善悪の彼岸で生きているのだ。
そして、最後に主人公は、侍と言う生き方ではなく、人間としての生き方を選択するのである。
これはやはり「侍としての莫迦げた生き方の否定」を描いていると言わざるを得ない。
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2006/07/01 東京池袋「シネマ・ロサ」で「ナイロビの蜂」を観た。
東西の冷戦構造が終焉を迎え、ベルリンの壁が崩壊した当時、一番困ったのは誰だろうか?
軍需産業、石油利権・・・・
答えは小説家、特にスパイ小説を生業としている小説家である。と言われていた。
もちろんこれはジョークなのだが、東西の冷戦構造が終焉した現在でも、スパイ小説家たちはすばらしい作品を発表し続けれている。
本作「ナイロビの蜂」は、そんな小説家の一人ジョン・ル・カレの原作をフェルナンド・メイレレスが映画化した作品で、表向きは社会派ラヴ・ストーリーの体裁を取っているが、実際のところはすばらしいスパイ映画に仕上がっている。
諸君! 「M:i:III」なんかに騙されてはいけないぞ!!
本作「ナイロビの蜂」は「M:i:III」みたいなふざけたスパイ・アクション映画ではなく、意味でのリアルなスパイ映画なのだ!!
つづく・・・・
☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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軍需産業、石油利権・・・・
答えは小説家、特にスパイ小説を生業としている小説家である。と言われていた。
もちろんこれはジョークなのだが、東西の冷戦構造が終焉した現在でも、スパイ小説家たちはすばらしい作品を発表し続けれている。
本作「ナイロビの蜂」は、そんな小説家の一人ジョン・ル・カレの原作をフェルナンド・メイレレスが映画化した作品で、表向きは社会派ラヴ・ストーリーの体裁を取っているが、実際のところはすばらしいスパイ映画に仕上がっている。
諸君! 「M:i:III」なんかに騙されてはいけないぞ!!
本作「ナイロビの蜂」は「M:i:III」みたいなふざけたスパイ・アクション映画ではなく、意味でのリアルなスパイ映画なのだ!!
つづく・・・・
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2006年の目標!! 中間発表その6
2006年7月2日 映画さて、早速ですが2006年の目標の中間発表その6です。
とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
1.映画
#026「ピンク・パンサー」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/01
#027「ダ・ヴィンチ・コード」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/01
#028「インサイド・マン」一ツ橋ホール 2006/06/05
#029「嫌われ松子の一生」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/16
#030「カーズ」よみうりホール 2006/06/19
#031「M:i:III」なかのZEROホール 2006/06/22
#032「ブレイブ ストーリー」中野サンプラザ 2006/06/28
2.DVD、CATV等
#090「時をかける少女」CATV 2006/06/02
#091「さびしんぼう」CATV 2006/06/02
#092「ヘル・ボーイ」HDD 2006/06/03
#093「トイ・ストーリー」CATV 2006/06/04
#094「カンフーハッスル」CATV 2006/06/04
#095「TAXI NY」CATV 2006/06/04
#096「トランザム7000」DVD 2006/06/09
#097「レジェンド 三蔵法師の秘宝」HDD 2006/06/09
#098「ふたり」CATV 2006/06/09
#099「茄子 アンダルシアの夏」HDD 2006/06/11
#100「エターナル・サンシャイン」CATV 2006/06/13
#101「或る殺人」CATV 2006/06/24
#102「フロム・ダスク・ティル・ドーン2」HDD 2006/06/24
#103「ステップフォード・ワイフ」HDD 2006/06/24
#104「逆境ナイン」HDD 2006/06/24
#105「サマリア」HDD 2006/06/26
#106「オーメン」HDD 2006/06/27
#107「遠すぎた橋」CATV 2006/06/30
3.読書
#010「ダーク・タワーV −カーラの狼(中)−」スティーヴン・キング著 風間賢二訳 新潮文庫 2006/06/19
映画は、劇場7本(累計32本)、DVD等18本(累計107本)で、計25本(累計139本)。
このままのペースで、年間278本(劇場64本)です。
読書は1冊(累計10冊)で、このままのペースでは、年間20冊です。
全く厳しい状況です。
とは言うものの、過去3年の実績と比較すると、次のような状況なのです。
■映画
2006年 139本(劇場32本)
2005年 127本(劇場45本)
2004年 142本(劇場43本)
2003年 151本(劇場46本)
■読書
2006年 10冊
2005年 16冊
2004年 20冊
2003年 28冊
映画については、2003年以降、きちんと300本以上観ているので、おそらく映画300本は大丈夫だと思います。
但し、劇場で観る本数が減少しています。
読書は、例年減少しており、惨憺たる状況です。
非常によろしくない状況です。心を入れ替える方向で頑張ります。
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とりあえず目標の再確認を・・・・
目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
1.映画
#026「ピンク・パンサー」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/01
#027「ダ・ヴィンチ・コード」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/01
#028「インサイド・マン」一ツ橋ホール 2006/06/05
#029「嫌われ松子の一生」ワーナーマイカル・シネマズ板橋 2006/06/16
#030「カーズ」よみうりホール 2006/06/19
#031「M:i:III」なかのZEROホール 2006/06/22
#032「ブレイブ ストーリー」中野サンプラザ 2006/06/28
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#091「さびしんぼう」CATV 2006/06/02
#092「ヘル・ボーイ」HDD 2006/06/03
#093「トイ・ストーリー」CATV 2006/06/04
#094「カンフーハッスル」CATV 2006/06/04
#095「TAXI NY」CATV 2006/06/04
#096「トランザム7000」DVD 2006/06/09
#097「レジェンド 三蔵法師の秘宝」HDD 2006/06/09
#098「ふたり」CATV 2006/06/09
#099「茄子 アンダルシアの夏」HDD 2006/06/11
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#102「フロム・ダスク・ティル・ドーン2」HDD 2006/06/24
#103「ステップフォード・ワイフ」HDD 2006/06/24
#104「逆境ナイン」HDD 2006/06/24
#105「サマリア」HDD 2006/06/26
#106「オーメン」HDD 2006/06/27
#107「遠すぎた橋」CATV 2006/06/30
3.読書
#010「ダーク・タワーV −カーラの狼(中)−」スティーヴン・キング著 風間賢二訳 新潮文庫 2006/06/19
映画は、劇場7本(累計32本)、DVD等18本(累計107本)で、計25本(累計139本)。
このままのペースで、年間278本(劇場64本)です。
読書は1冊(累計10冊)で、このままのペースでは、年間20冊です。
全く厳しい状況です。
とは言うものの、過去3年の実績と比較すると、次のような状況なのです。
■映画
2006年 139本(劇場32本)
2005年 127本(劇場45本)
2004年 142本(劇場43本)
2003年 151本(劇場46本)
■読書
2006年 10冊
2005年 16冊
2004年 20冊
2003年 28冊
映画については、2003年以降、きちんと300本以上観ているので、おそらく映画300本は大丈夫だと思います。
但し、劇場で観る本数が減少しています。
読書は、例年減少しており、惨憺たる状況です。
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「ブレイブ ストーリー」
2006年6月29日 映画 コメント (5)
2006/06/28 東京中野「中野サンプラザ」で「ブレイブストーリー」の試写を観た。
ワタルはどこにでもいる平凡な11歳の少年。
ある夜、親友のカッちゃんとふたりで幽霊ビルの中を探検をしていたワタルは、階段の上に浮かぶ奇妙な扉を見つけ、その中へ入っていくミツルの姿を目にする。
ミツルは、成績優秀、スポーツ万能、おまけにルックスもいいと評判の隣のクラスの転校生。女の子に騒がれても、笑顔ひとつ見せないクールで大人びた少年だ。
「あの扉の向こうには何かあるの?」と問いかけるワタルに、ミツルは真顔でこう答えた。
「扉の向こうに行けば、運命を変えられる、ひとつだけ願いが叶うんだ」
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:千明孝一
アニメーション制作:GONZO
製作総指揮:亀山千広
原作:宮部みゆき 「ブレイブ・ストーリー」(角川書店刊)
脚本:大河内一楼
声の出演:松たか子(三谷亘/ワタル)、大泉洋(キ・キーマ)、常盤貴子(カッツ)、ウエンツ瑛士(芦川美鶴/ミツル)、斎藤千和(ミーナ)、今井美樹(運命の女神)、田中好子(三谷邦子)、高橋克実(三谷明)、柴田理恵(ユナ婆)、石田太郎(ダイモン司教)、伊東四朗(ラウ導師)、樹木希林(オンバ)
宮部みゆき原作、GONZO製作、話題の「ブレイブストーリー」である。
わたしは、宮部みゆきの小説は、現代小説と時代小説を中心に20冊弱くらい読んでいる。わたし的には、宮部の現代小説、時代小説共に、比較的面白く、−−もちろん時には大変面白く−−、読んでいるのだが、話題の「ブレイブストーリー」には一切手をつけていなかった。
と言うのも、小説家として過度に評価されている宮部みゆきが、ちょっと勘違いしちゃって、ファンタジー小説を書いてしまったのではないか、と言う危惧を持っていたからである。
つまり、「ブレイブストーリー」は畑違いのダメ小説ではないのか、と先入観を持ってしまっていたのだ。
わたし的にはそう言う状況なので、原作がどうこう言える立場ではないし、前提として原作と映像作品は別物である、と言うスタンスを貫いているわたしなのだから、原作との比較は一切ありえないのだが、映画「ブレイブストーリー」には大きく失望させられてしまった、と言わざるを得ない。
本作「ブレイブストーリー」の物語は、わたしが思うに、数々の傑作小説を世に送り続けている宮部みゆきの書いた物語だとは到底思えないものであった。
言うならば、ここに行ったらこうなって、そこでこいつが出てきてこうなって、そのあとどこどこに行ったら、奴が出てきてこうなる、と言った一本調子で場当たり的なプロットの羅列で物語が構成されているのである。
「ブレイブストーリー」の原作を読んでいないのでなんとも無責任な話なのだが、映画の設定から感じられるのは、宮部みゆきは、スティーヴン・キングとピーター・ストラウブ共著の「タリスマン」をやりたかったのだろう、と言うこと。
(前提として、宮部みゆきの作品はスティーヴン・キングの作品の影響を受けている。これは有名な話)
「タリスマン」とは、病気の母親を救うために、ある少年が実世界と異世界とを行き来しながら、異世界の女王に会うための旅を描いた物語で、スティーヴン・スビルバーグが20年以上も前から映画化を熱望している作品。
実際ドリームワークスが「タリスマン」の映像化の権利を持っており、映像化の企画が立ち上がりは消え、消えては立ち上がりを繰り返している。
さて、本作「ブレイブ ストーリー」の物語についてだが、気になったのはその物語の基本設定に問題がある、と言うこと。
1.宝玉を求めて旅をする旅人は、ワタルやミツル以外にもたくさんいた。
2.4つの宝玉は複数あるが、闇の宝玉はひとつだけしか存在しない。(と思われる)
3.闇の宝玉を取ると幻界は崩壊する。
という事は、過去から現在まで、現世から旅人として幻界に人間がやって来る度に、幻界は崩壊の危機にさらされる訳である。
そして、この幻界の存在理由は何かと言うと、現世の人々が望みをかなえるための試練の場として存在している、と言うことである。
仮に、幻界が実在の世界だとした場合、幻界で暮らす人々の生活や命など、物語の設定上、非常に軽いものとして描かれているのだ。
ミツルとワタルが唯一無二の存在、幻界における最初の旅人だったらいざ知らず、比較的多くの旅人が幻界をさまよっていた、と言う設定では、物語のひとつのテーマ「自分の望みのために他を犠牲にすることは正しいことなのか」が全く機能しない。
なにしろ、その世界そのものが、他を犠牲にしなければ望みがかなわない設定で構築されているのだ。
そして、その設定であるが故に、過去から現在にかけて、何度も何度も幻界は崩壊を繰り返し、その世界の住人は死、あるいはそれに準ずる苦境に立たされていた訳だ。
更に、冒頭の「おためしの洞窟」のシークエンスで激怒した。
所謂RPG的発想と言えばそれまでなのだが、「おためしの洞窟」の設定を具現化することにより、幻界での出来事のリアリティは著しく減衰する。
あぁ、幻界での出来事はゲームとおんなじで、失敗したらリセットすれば良いんだな、と。
また、死んだ人は生き返るし、宝玉のために幻界の人々を殺戮しても、迷惑をかけても構わない、と。
また、「おためしの洞窟」のラウ導師の存在も矛盾に満ちている。
旅人を評価し、旅人に対して「勇者」や「魔導士」などの資格を授け、旅人に冒険の装備を与えるのだ。
ラウ導師の仕事は、間接的ではあるが幻界の崩壊を手助けしているのだ。
なんのためにラウ導師と「おためしの洞窟」が存在するのか。
疑問は続く・・・・。
また、物語の展開にもちょっと問題があると思う。
本作「ブレイブ ストーリー」の物語の展開は、異世界に行った主人公が異世界でであった異世界の住人たちと仲良くなるのだが、その異世界には大きな問題が起きている事がわかり、異世界の仲間たちと異世界の問題を解決する、と言う言わば劇場版「ドラえもん」の物語の展開を踏襲している。
と考えた場合、本作の主人公ワタルは、異世界で出会ったキ・キーマたちと仲良くなり、そのキ・キーマたちと彼らが属する異世界自体を助けるために行動する事を決断する必要がある、と思うのだ。
そのワタルとキ・キーマたちとの心の交流が、ワタルが幻界を救う上での行動原理となる必要がある、と思うのだが、その重要なシークエンスはなんと「チーム★アメリカ/ワールドポリス」(2004)もびっくりのモンタージュで誤魔化されてしまっている。
そのモンタージュの潔さは潔さで良かったと思うのだが、本来ならば、ミツルが幻界の人々と全く交流を持たずに宝玉に突き進むのと対極的な描写、−−ありがちだが、焚き火の前でキ・キーマたちが過去の出来事を語る、とか−−が必要だったと思うのだ。
本作の展開では、ワタルとミツルの行動原理の差異がそれほど明確ではない。
もし、これがのび太だったら、その異世界の友達と疲れ果てるまで遊び、その友達の家に招待され、その家で異世界の実態を知る、と言う展開になるのだと思う。
つづく・・・・
一時保存です。
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談ですけど、「ブレイブ ストーリー」のキャラクターを使用したCF(CM)が非常に気になります。
例えば、「花王メリット」(http://www.kao.co.jp/merit/bravestory/index.html#cm)や「ちょっぴり、ハッピー!きっかけは、フジテレビ。」のCF(CM)に「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが登場しているけど、彼等がCF(CM)に登場することにより、「ブレイブ ストーリー」本編のリフリティが著しく減衰していることに気付かないのだろうか。
ああいったことを行うことにより「ブレイブ ストーリー」の物語は、全くのくだらない絵空事だったと思えてしまう。
映画の出来はともかく、一映画ファンとして「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが不憫でならない。
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ワタルはどこにでもいる平凡な11歳の少年。
ある夜、親友のカッちゃんとふたりで幽霊ビルの中を探検をしていたワタルは、階段の上に浮かぶ奇妙な扉を見つけ、その中へ入っていくミツルの姿を目にする。
ミツルは、成績優秀、スポーツ万能、おまけにルックスもいいと評判の隣のクラスの転校生。女の子に騒がれても、笑顔ひとつ見せないクールで大人びた少年だ。
「あの扉の向こうには何かあるの?」と問いかけるワタルに、ミツルは真顔でこう答えた。
「扉の向こうに行けば、運命を変えられる、ひとつだけ願いが叶うんだ」
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:千明孝一
アニメーション制作:GONZO
製作総指揮:亀山千広
原作:宮部みゆき 「ブレイブ・ストーリー」(角川書店刊)
脚本:大河内一楼
声の出演:松たか子(三谷亘/ワタル)、大泉洋(キ・キーマ)、常盤貴子(カッツ)、ウエンツ瑛士(芦川美鶴/ミツル)、斎藤千和(ミーナ)、今井美樹(運命の女神)、田中好子(三谷邦子)、高橋克実(三谷明)、柴田理恵(ユナ婆)、石田太郎(ダイモン司教)、伊東四朗(ラウ導師)、樹木希林(オンバ)
宮部みゆき原作、GONZO製作、話題の「ブレイブストーリー」である。
わたしは、宮部みゆきの小説は、現代小説と時代小説を中心に20冊弱くらい読んでいる。わたし的には、宮部の現代小説、時代小説共に、比較的面白く、−−もちろん時には大変面白く−−、読んでいるのだが、話題の「ブレイブストーリー」には一切手をつけていなかった。
と言うのも、小説家として過度に評価されている宮部みゆきが、ちょっと勘違いしちゃって、ファンタジー小説を書いてしまったのではないか、と言う危惧を持っていたからである。
つまり、「ブレイブストーリー」は畑違いのダメ小説ではないのか、と先入観を持ってしまっていたのだ。
わたし的にはそう言う状況なので、原作がどうこう言える立場ではないし、前提として原作と映像作品は別物である、と言うスタンスを貫いているわたしなのだから、原作との比較は一切ありえないのだが、映画「ブレイブストーリー」には大きく失望させられてしまった、と言わざるを得ない。
本作「ブレイブストーリー」の物語は、わたしが思うに、数々の傑作小説を世に送り続けている宮部みゆきの書いた物語だとは到底思えないものであった。
言うならば、ここに行ったらこうなって、そこでこいつが出てきてこうなって、そのあとどこどこに行ったら、奴が出てきてこうなる、と言った一本調子で場当たり的なプロットの羅列で物語が構成されているのである。
「ブレイブストーリー」の原作を読んでいないのでなんとも無責任な話なのだが、映画の設定から感じられるのは、宮部みゆきは、スティーヴン・キングとピーター・ストラウブ共著の「タリスマン」をやりたかったのだろう、と言うこと。
(前提として、宮部みゆきの作品はスティーヴン・キングの作品の影響を受けている。これは有名な話)
「タリスマン」とは、病気の母親を救うために、ある少年が実世界と異世界とを行き来しながら、異世界の女王に会うための旅を描いた物語で、スティーヴン・スビルバーグが20年以上も前から映画化を熱望している作品。
実際ドリームワークスが「タリスマン」の映像化の権利を持っており、映像化の企画が立ち上がりは消え、消えては立ち上がりを繰り返している。
さて、本作「ブレイブ ストーリー」の物語についてだが、気になったのはその物語の基本設定に問題がある、と言うこと。
1.宝玉を求めて旅をする旅人は、ワタルやミツル以外にもたくさんいた。
2.4つの宝玉は複数あるが、闇の宝玉はひとつだけしか存在しない。(と思われる)
3.闇の宝玉を取ると幻界は崩壊する。
という事は、過去から現在まで、現世から旅人として幻界に人間がやって来る度に、幻界は崩壊の危機にさらされる訳である。
そして、この幻界の存在理由は何かと言うと、現世の人々が望みをかなえるための試練の場として存在している、と言うことである。
仮に、幻界が実在の世界だとした場合、幻界で暮らす人々の生活や命など、物語の設定上、非常に軽いものとして描かれているのだ。
ミツルとワタルが唯一無二の存在、幻界における最初の旅人だったらいざ知らず、比較的多くの旅人が幻界をさまよっていた、と言う設定では、物語のひとつのテーマ「自分の望みのために他を犠牲にすることは正しいことなのか」が全く機能しない。
なにしろ、その世界そのものが、他を犠牲にしなければ望みがかなわない設定で構築されているのだ。
そして、その設定であるが故に、過去から現在にかけて、何度も何度も幻界は崩壊を繰り返し、その世界の住人は死、あるいはそれに準ずる苦境に立たされていた訳だ。
更に、冒頭の「おためしの洞窟」のシークエンスで激怒した。
所謂RPG的発想と言えばそれまでなのだが、「おためしの洞窟」の設定を具現化することにより、幻界での出来事のリアリティは著しく減衰する。
あぁ、幻界での出来事はゲームとおんなじで、失敗したらリセットすれば良いんだな、と。
また、死んだ人は生き返るし、宝玉のために幻界の人々を殺戮しても、迷惑をかけても構わない、と。
また、「おためしの洞窟」のラウ導師の存在も矛盾に満ちている。
旅人を評価し、旅人に対して「勇者」や「魔導士」などの資格を授け、旅人に冒険の装備を与えるのだ。
ラウ導師の仕事は、間接的ではあるが幻界の崩壊を手助けしているのだ。
なんのためにラウ導師と「おためしの洞窟」が存在するのか。
疑問は続く・・・・。
また、物語の展開にもちょっと問題があると思う。
本作「ブレイブ ストーリー」の物語の展開は、異世界に行った主人公が異世界でであった異世界の住人たちと仲良くなるのだが、その異世界には大きな問題が起きている事がわかり、異世界の仲間たちと異世界の問題を解決する、と言う言わば劇場版「ドラえもん」の物語の展開を踏襲している。
と考えた場合、本作の主人公ワタルは、異世界で出会ったキ・キーマたちと仲良くなり、そのキ・キーマたちと彼らが属する異世界自体を助けるために行動する事を決断する必要がある、と思うのだ。
そのワタルとキ・キーマたちとの心の交流が、ワタルが幻界を救う上での行動原理となる必要がある、と思うのだが、その重要なシークエンスはなんと「チーム★アメリカ/ワールドポリス」(2004)もびっくりのモンタージュで誤魔化されてしまっている。
そのモンタージュの潔さは潔さで良かったと思うのだが、本来ならば、ミツルが幻界の人々と全く交流を持たずに宝玉に突き進むのと対極的な描写、−−ありがちだが、焚き火の前でキ・キーマたちが過去の出来事を語る、とか−−が必要だったと思うのだ。
本作の展開では、ワタルとミツルの行動原理の差異がそれほど明確ではない。
もし、これがのび太だったら、その異世界の友達と疲れ果てるまで遊び、その友達の家に招待され、その家で異世界の実態を知る、と言う展開になるのだと思う。
つづく・・・・
一時保存です。
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談ですけど、「ブレイブ ストーリー」のキャラクターを使用したCF(CM)が非常に気になります。
例えば、「花王メリット」(http://www.kao.co.jp/merit/bravestory/index.html#cm)や「ちょっぴり、ハッピー!きっかけは、フジテレビ。」のCF(CM)に「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが登場しているけど、彼等がCF(CM)に登場することにより、「ブレイブ ストーリー」本編のリフリティが著しく減衰していることに気付かないのだろうか。
ああいったことを行うことにより「ブレイブ ストーリー」の物語は、全くのくだらない絵空事だったと思えてしまう。
映画の出来はともかく、一映画ファンとして「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが不憫でならない。
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「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)をめぐる冒険
2006年6月27日 映画
2006/07/08 日本公開予定の「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)は、おそらく日本国内においては、初登場1位を取ると思うし、しばらくの間は興収ベストテンに留まる大ヒット作品になるのだと思う。
しかし、わたし的には「M:i:III」はダメな映画だと言わざるを得ないし、トム・クルーズと言うビッグ・ネームが製作・主演している作品なだけに、現在のところのラジー賞の最有力候補でもある、とも言わざるを得ないだろう。
それでは、早速だがどの辺がダメだったのかを考えてみたいと思う。
なお、今回のエントリーは、「impressions and critiques: annex」の「MI:3」(http://imcr.exblog.jp/2606505/)を参考にしている。
■コンセプトの改変
「M:i:III」は、ご承知のように、テレビ・シリーズ「スパイ大作戦」(1966-1973)の映画化作品であるブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」(1996)の続編(実際は三作目)である。
そもそも「スパイ大作戦」とは何だったかと言うと、一見不可能とも思えるような作戦を、武器のプロ、爆破のプロ、変装のプロと言った、様々な技術を持ったプロフェッショナル達が、それぞれの技術を活かし、チーム・プレイで攻略、ターゲットをはめ、結果的に自滅させる、というコンセプトを持った物語だったと思う。
同様のコンセプトの作品としては「特攻野郎Aチーム」(1983〜1987)があるよね。
さて、「スパイ大作戦」の映画化についてだが、第一作目、ブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」は個人的には好きな作品なのだが、残念なことにこの作品の時点で、「スパイ大作戦」のコンセプトと異なるベクトルを持った作品になってきているような気がする。
先ず、チーム・プレイがスタンド・プレイに変更されている。
と言うのも、この作品のメイン・プロットは、はめられたエージェントが、当局の追跡から逃れ、いかにして身の潔白を示すか、と言うエージェントの逃亡と保身がメインのプロットとなった物語だったからだ。
そして、重要なプロットとして導入されたのは「裏切り」である。
エージェントが裏切り者にはめられて、逃亡し保身を図る作品は、スパイ映画の定番とも言えるし、面白い作品も多々ある。
系統は若干異なるのだが、ケヴィン・コスナー主演の「追いつめられて」(1987)なんかは最高に面白い。
また、当局の追跡から逃亡し、身の潔白を示す作品と言えば「逃亡者」(1963〜1967)なんかが有名だし、ロバート・ラドラムの「暗殺者」を原作にする「ボーン・アイデンティティー」(2002)なんかも想起される。
ところで、ブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」が、裏切られたエージェントが逃亡し、身の潔白を示す、と言うプロットを採用したのは、荒唐無稽なスパイ映画ではなく、リアルな等身大のスパイ映画を目指した事に因ることだと思うし、自らの潔白を証明する手段(メガネをかける)は、十分に「スパイ大作戦」していたと思うし、はめた、はめられた、と言う十分なカタルシスが感じられることだろう。
しかし本作「M:i:III」は、「スパイ大作戦」の映画化、と言う事よりは、今思えば、幾分トリッキーなプロットを採用して映画化された「ミッション:インポッシブル」の、そのトリッキーな部分のみを拡大踏襲して脚本が練られているような印象を受ける。
脚本家はこの作品が「スパイ大作戦」の映画化作品だ、と言うことを忘れてしまっている、と言うような印象を受けた。
■身内を救出するエージェント
いきなりで恐縮だが、テレビ・シリーズ「サンダーバード」(1964〜1966)の映画化作品で、ジョナサン・フレイクス監督作品「サンダーバード」(2004)と言う作品がある。
テレビ・シリーズ「サンダーバード」のコンセプトは謎の大富豪の私設救助隊である国際救助隊が、世界中の災害から一般市民を救出する、と言う物語である。
しかしながら、映画「サンダーバード」のプロットは、悪漢フッド(ベン・キングズレーが好演、今思えばケヴィン・スペイシーでも良かったかな)によって窮地に陥れられたトレイシー一家をトレイシー一家の末っ子が救出する、と言うものであった。
「一般市民ではなく、家族を救出する国際救助隊」
こんなプロットを持つ作品は、最早「サンダーバード」ではない、と言わざるを得ない。
同様に「M:i:III」のプロットは、独断でよけいなことをしてしまったハントに激怒したデイヴィアンが、ハントの婚約者を誘拐、その婚約者を助けるためにハントは公私混同し、チームで救出を図る、と言うとんでもないプロットなのである。
もちろん「ラビット・フット」の売買とか、デイヴィアンの行状とか、ワールド・ワイドな陰謀的伏線は絡むのだが、実際のところの「M:i:III」と言う作品は、ハントの全く個人的な物語だと言わざるを得ない。
例えば、デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングの「マイ・ボディガード」(2004)みたいなプロットなのだ。と言うか非常に似ている、と言わざるを得ない。
例えばこのプロットでトム・クルーズ主演のオリジナル脚本で、映画を撮っちゃえば良いのに、何故「スパイ大作戦」を利用するのか、という事である。
ラロ・シフリンも泣いているぞ。
■IMF内部にカメラが侵入!?
IMFという組織は、謎の組織だったのではないか、と思うのだが、本作ではなんと、カメラがIMFの組織内に侵入してしまっているのだ。
この描写のおかげで、IMFはどこに国にもあるようなただの情報機関の体裁を取っていることが如実に示されてしまっている。
夢もロマンも霧散状態なのだ。
ついでに、ビジターのカードを付けているとは言え、一般市民が謎の組織IMF内で普通に振舞っているとは、正に言語道断なのだ。
■おまけ
「スパイ大作戦」のオープニング・ナレーション
スパイ大作戦
実行不可能な指令を受け
頭脳と体力の限りを尽くしてこれを遂行する
プロフェッショナル達の秘密機関の活躍である
「スパイ大作戦」の指令のセリフ
おはようフェルプス君・・・・
例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。このテープは自動的に消滅する。成功を祈る。
まあ、結論は、「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)は「スパイ大作戦」の名を借りた、ダメ映画、と言うことだろう。
何故こんな事に対し熱く語っているかと思う方も多々いらっしゃると思うが、一映画ファンとして、かつてのすばらしい作品の根底に流れるスピリッツを無視し、名称や設定だけ、つまり表層部分だけ利用する作品、言わば映画界の共有財産を食い潰す作品には断固とした態度で挑まなければならない、という事である。
何しろ「M:i:III」は「スパイ大作戦」を冒涜しているのだから。
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しかし、わたし的には「M:i:III」はダメな映画だと言わざるを得ないし、トム・クルーズと言うビッグ・ネームが製作・主演している作品なだけに、現在のところのラジー賞の最有力候補でもある、とも言わざるを得ないだろう。
それでは、早速だがどの辺がダメだったのかを考えてみたいと思う。
なお、今回のエントリーは、「impressions and critiques: annex」の「MI:3」(http://imcr.exblog.jp/2606505/)を参考にしている。
■コンセプトの改変
「M:i:III」は、ご承知のように、テレビ・シリーズ「スパイ大作戦」(1966-1973)の映画化作品であるブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」(1996)の続編(実際は三作目)である。
そもそも「スパイ大作戦」とは何だったかと言うと、一見不可能とも思えるような作戦を、武器のプロ、爆破のプロ、変装のプロと言った、様々な技術を持ったプロフェッショナル達が、それぞれの技術を活かし、チーム・プレイで攻略、ターゲットをはめ、結果的に自滅させる、というコンセプトを持った物語だったと思う。
同様のコンセプトの作品としては「特攻野郎Aチーム」(1983〜1987)があるよね。
さて、「スパイ大作戦」の映画化についてだが、第一作目、ブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」は個人的には好きな作品なのだが、残念なことにこの作品の時点で、「スパイ大作戦」のコンセプトと異なるベクトルを持った作品になってきているような気がする。
先ず、チーム・プレイがスタンド・プレイに変更されている。
と言うのも、この作品のメイン・プロットは、はめられたエージェントが、当局の追跡から逃れ、いかにして身の潔白を示すか、と言うエージェントの逃亡と保身がメインのプロットとなった物語だったからだ。
そして、重要なプロットとして導入されたのは「裏切り」である。
エージェントが裏切り者にはめられて、逃亡し保身を図る作品は、スパイ映画の定番とも言えるし、面白い作品も多々ある。
系統は若干異なるのだが、ケヴィン・コスナー主演の「追いつめられて」(1987)なんかは最高に面白い。
また、当局の追跡から逃亡し、身の潔白を示す作品と言えば「逃亡者」(1963〜1967)なんかが有名だし、ロバート・ラドラムの「暗殺者」を原作にする「ボーン・アイデンティティー」(2002)なんかも想起される。
ところで、ブライアン・デ・パルマの「ミッション:インポッシブル」が、裏切られたエージェントが逃亡し、身の潔白を示す、と言うプロットを採用したのは、荒唐無稽なスパイ映画ではなく、リアルな等身大のスパイ映画を目指した事に因ることだと思うし、自らの潔白を証明する手段(メガネをかける)は、十分に「スパイ大作戦」していたと思うし、はめた、はめられた、と言う十分なカタルシスが感じられることだろう。
しかし本作「M:i:III」は、「スパイ大作戦」の映画化、と言う事よりは、今思えば、幾分トリッキーなプロットを採用して映画化された「ミッション:インポッシブル」の、そのトリッキーな部分のみを拡大踏襲して脚本が練られているような印象を受ける。
脚本家はこの作品が「スパイ大作戦」の映画化作品だ、と言うことを忘れてしまっている、と言うような印象を受けた。
■身内を救出するエージェント
いきなりで恐縮だが、テレビ・シリーズ「サンダーバード」(1964〜1966)の映画化作品で、ジョナサン・フレイクス監督作品「サンダーバード」(2004)と言う作品がある。
テレビ・シリーズ「サンダーバード」のコンセプトは謎の大富豪の私設救助隊である国際救助隊が、世界中の災害から一般市民を救出する、と言う物語である。
しかしながら、映画「サンダーバード」のプロットは、悪漢フッド(ベン・キングズレーが好演、今思えばケヴィン・スペイシーでも良かったかな)によって窮地に陥れられたトレイシー一家をトレイシー一家の末っ子が救出する、と言うものであった。
「一般市民ではなく、家族を救出する国際救助隊」
こんなプロットを持つ作品は、最早「サンダーバード」ではない、と言わざるを得ない。
同様に「M:i:III」のプロットは、独断でよけいなことをしてしまったハントに激怒したデイヴィアンが、ハントの婚約者を誘拐、その婚約者を助けるためにハントは公私混同し、チームで救出を図る、と言うとんでもないプロットなのである。
もちろん「ラビット・フット」の売買とか、デイヴィアンの行状とか、ワールド・ワイドな陰謀的伏線は絡むのだが、実際のところの「M:i:III」と言う作品は、ハントの全く個人的な物語だと言わざるを得ない。
例えば、デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングの「マイ・ボディガード」(2004)みたいなプロットなのだ。と言うか非常に似ている、と言わざるを得ない。
例えばこのプロットでトム・クルーズ主演のオリジナル脚本で、映画を撮っちゃえば良いのに、何故「スパイ大作戦」を利用するのか、という事である。
ラロ・シフリンも泣いているぞ。
■IMF内部にカメラが侵入!?
IMFという組織は、謎の組織だったのではないか、と思うのだが、本作ではなんと、カメラがIMFの組織内に侵入してしまっているのだ。
この描写のおかげで、IMFはどこに国にもあるようなただの情報機関の体裁を取っていることが如実に示されてしまっている。
夢もロマンも霧散状態なのだ。
ついでに、ビジターのカードを付けているとは言え、一般市民が謎の組織IMF内で普通に振舞っているとは、正に言語道断なのだ。
■おまけ
「スパイ大作戦」のオープニング・ナレーション
スパイ大作戦
実行不可能な指令を受け
頭脳と体力の限りを尽くしてこれを遂行する
プロフェッショナル達の秘密機関の活躍である
「スパイ大作戦」の指令のセリフ
おはようフェルプス君・・・・
例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。このテープは自動的に消滅する。成功を祈る。
まあ、結論は、「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)は「スパイ大作戦」の名を借りた、ダメ映画、と言うことだろう。
何故こんな事に対し熱く語っているかと思う方も多々いらっしゃると思うが、一映画ファンとして、かつてのすばらしい作品の根底に流れるスピリッツを無視し、名称や設定だけ、つまり表層部分だけ利用する作品、言わば映画界の共有財産を食い潰す作品には断固とした態度で挑まなければならない、という事である。
何しろ「M:i:III」は「スパイ大作戦」を冒涜しているのだから。
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「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)
2006年6月23日 映画
2006/06/22 東京中野「なかのZEROホール」で「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)の試写を観た。
意識を取り戻したイーサン・ハント(トム・クルーズ)の目の前には、拘束された婚約者ジュリア(ミシェル・モナハン)の姿があった。
朦朧としながらもジュリアを力づけるハントに対し、『ラビット・フット』の在処を執拗に尋ねるデイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
『ラビット・フット』の在処を言わなければ、ジュリアを殺すとハントに告げたディヴィアンは、ジュリアのこめかみに拳銃を突きつけ、数を数え始めた。
10カウントまでの間にハントが『ラビット・フット』の在処を言わなければ、ジュリアは殺されてしまうのだ。
1・・・2・・・3・・・・
監督:J・J・エイブラムス
製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー
脚本:J・J・エイブラムス、アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー
テーマ音楽:ラロ・シフリン
出演:トム・クルーズ(イーサン・ハント)、フィリップ・シーモア・ホフマン(オーウェン・デイヴィアン)、ヴィング・レイムス(ルーサー)、ビリー・クラダップ(マスグレイブ)、ミシェル・モナハン(ジュリア)、ジョナサン・リス=マイヤーズ(デクラン)、ケリー・ラッセル(リンジー)、マギー・Q(ゼーン)、サイモン・ペッグ(ベンジー)、エディ・マーサン(ブラウンウェイ)、ローレンス・フィッシュバーン(ブラッセル)、バハー・スーメク(デイヴィアンの通訳)、ジェフ・チェイス(デイヴィアンのボディガード)、マイケル・ベリーJr.(ジュリアの誘拐犯)、カーラ・ギャロ(ベス)
個人的な印象だが、本作「M:i:III」は、ハリウッドが誇るスパイ・アクション大作なのだが、非常に残念な事に、早くもラジー賞候補の最有力候補になってしまったようである。
おそらく、ワースト主演男優賞、ワースト・スクリーン・カップル賞のノミネートは堅いと思う。
勿論私見だよ。
『「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)をめぐる冒険』につづく・・・・
http://diarynote.jp/d/29346/20060627.html
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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意識を取り戻したイーサン・ハント(トム・クルーズ)の目の前には、拘束された婚約者ジュリア(ミシェル・モナハン)の姿があった。
朦朧としながらもジュリアを力づけるハントに対し、『ラビット・フット』の在処を執拗に尋ねるデイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
『ラビット・フット』の在処を言わなければ、ジュリアを殺すとハントに告げたディヴィアンは、ジュリアのこめかみに拳銃を突きつけ、数を数え始めた。
10カウントまでの間にハントが『ラビット・フット』の在処を言わなければ、ジュリアは殺されてしまうのだ。
1・・・2・・・3・・・・
監督:J・J・エイブラムス
製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー
脚本:J・J・エイブラムス、アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー
テーマ音楽:ラロ・シフリン
出演:トム・クルーズ(イーサン・ハント)、フィリップ・シーモア・ホフマン(オーウェン・デイヴィアン)、ヴィング・レイムス(ルーサー)、ビリー・クラダップ(マスグレイブ)、ミシェル・モナハン(ジュリア)、ジョナサン・リス=マイヤーズ(デクラン)、ケリー・ラッセル(リンジー)、マギー・Q(ゼーン)、サイモン・ペッグ(ベンジー)、エディ・マーサン(ブラウンウェイ)、ローレンス・フィッシュバーン(ブラッセル)、バハー・スーメク(デイヴィアンの通訳)、ジェフ・チェイス(デイヴィアンのボディガード)、マイケル・ベリーJr.(ジュリアの誘拐犯)、カーラ・ギャロ(ベス)
個人的な印象だが、本作「M:i:III」は、ハリウッドが誇るスパイ・アクション大作なのだが、非常に残念な事に、早くもラジー賞候補の最有力候補になってしまったようである。
おそらく、ワースト主演男優賞、ワースト・スクリーン・カップル賞のノミネートは堅いと思う。
勿論私見だよ。
『「M:i:III」(「MISSION:IMPOSSIBLE III」)をめぐる冒険』につづく・・・・
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2006/06/19 東京有楽町「よみうりホール」で「カーズ」の試写を観た。
併映は「One Man Band(短編)」。
ピストン・カップの若き天才レーサー、ライトニング・マックィーン。
レーサーとして絶大な人気を誇っているものの、信頼できる友達はひとりもいなかった・・・・。
ある日、彼はルート66号線沿いの小さな田舎町、”ラジエーター・スプリングス”に迷い込んでしまう。そこで待ち受けていたのは、オンボロ・レッカー車のメーターをはじめ、今まで見たことがない不思議なクルマたち。
しかし、住民たちが家族のように仲良く暮らす、この平和な町には、誰も知らない秘密があった。
・・・・なんとそこは、”地図から消えた町”だったのだ。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ジョン・ラセター
脚本:ジョン・ラセター、ドン・レイク
音楽:ランディ・ニューマン
声の出演:オーウェン・ウィルソン(ライトニング・マックィーン)、ポール・ニューマン(ドック・ハドソン)、ボニー・ハント(サリー)、ラリー・ザ・ケイブル・ガイ(メーター)、チーチ・マリン(ラモーン)、トニー・シャルーブ(ルイジ)、グイド・クアローニ(グイド)、ジェニファー・ルイス(フロー)、ポール・ドゥーリイ(サージ)、マイケル・ウォリス(シェリフ)、ジョージ・カーリン(フィルモア)、キャサリン・ヘルモンド(リジー)、ジョン・ラッツェンバーガー(マック)、マイケル・キートン(チック・ヒックス)、リチャード・ピティ(キング)、ジェレミー・ピヴェン(ハーヴ)
はっきり言って最高である。
「カーズ」は、外部からブラッド・バードを監督として迎えたピクサー社の前作「Mr.インクレディブル」なんかで喜んでいる場合じゃないと思えるし、かつてのジョン・ラセターの作品群もかすんでしまうほど、素晴らしい作品に仕上がっていた。
まあ、今観てきてすぐの感想なので、あまりあてにはならないと思うが、個人的にはピクサー社の最高傑作になってしまったのではないか、と思えてしまう。(とは言うものの、実際のところは、「モンスターズ・インク」の時も「ファインディング・ニモ」の時も「これこそピクサー社の最高傑作だ!」と思った。もちろん「Mr.インクレディブル」の時は「ふざけるな!」と思ったが。)
先ずはオープニング・アクションで泣ける。
ただクルマが走っているだけで、その動きだけで、その映像体験だけで泣けてしまう。涙腺の弱いダメな大人になってしまったようだが、泣けるんだから仕方がない。
これは「グリーン・デスティニー」(2000)のオープニング・アクションで泣けて以来の出来事かも知れない。
ところでだが、本作「カーズ」は、ピクサー・アニメーション・スタジオの20周年記念作品である。
かの「ルクソーJr.」からもう20年かと思うと、感慨も一入である。
お恥ずかしい話だが、わたしは「トイ・ストーリー」を観るまで、「トイ・ストーリー」のピクサー社と「ルクソーJr.」のPIXAR ANIMATION STUDIOが同一の会社だとは知らなかった。
「トイ・ストーリー」の冒頭、ピクサー社のロゴが出てはじめて「トイ・ストーリー」を作った会社と「ルクソーJr.」を作った会社が一緒だったのだ、と気付いたのである。
20周年記念作品と言う事もあり、本作「カーズ」は、ジョン・ラセターの再登板と言う事も含めて、ピクサー社20周年の集大成的な作品に仕上がっている。
かつてのピクサー社の作品のパロディと言うか、オマージュと言うかリスペクトと言うか、まあセルフなので、セルフ・パロディなんだろうが、そんなシーンが顔を出すし、CGIにしても、様々な物質の質感が大変すばらしい。今回は特に風景(美術/背景)が良かったと思う。
と言うのも、今までのピクサー作品が描いてきた世界観の中で、実在の世界にもっとも似ているのが今回の「カーズ」であり、その世界観を構築する背景や美術には全く違和感がなかった、と言うことである。
前作「Mr.インクレディブル」の世界観は、実在の世界と似ているのは似ているのだが、やはり、作り物である、と言う印象が否定できなかった。
が、しかし、本作の背景/美術の出来はすばらしく。実写と遜色がない上に、CGIを使用した実写作品にありがちな、物体の物理的
な動作の違和感が感じられなかった。(物体の重さや、空間の広がりが物理学的に再現されている、と言うこと)
また音楽についてもランディ・ニューマンの再登場と言うこともあり、ピクサー社のある意味の原点に戻りつつ、それでいて最高の品質のものをわれわれ観客に提供しているような印象を受けた。
この辺については、本作のエピローグ部分に映画ファン驚愕の強烈なカメオの山(とセルフ・パロディ)があるのだが、本当に信じられない程凄い。
これは実のところ、簡単に出来そうなことなのだが、なかなかあんなことは出来ないことなのだ。
例えば、パート1で死んだキャラクターを演じた俳優をパート2の回想シークエンスで起用するようなことは、実はハリウッド映画ではいろいろな障害があり、困難なのだ。
例えば、「スパイダーマン」(2000)と「スパイダーマン2」(2002)で、クリフ・ロバートソンとウィレム・デフォーが同じ役でキャスティングされているが、ハリウッド映画では、こんなことは稀なのだ。
話は戻るが、そのエピローグ部分を楽しむには、出来れば字幕版で観る事をオススメする。日本語吹替版では、オリジナル・キャストの再現は難しいのではないか、と思えるからである。
そのエピローグは、わずか数秒のカットの羅列なのだが、その超えの出演のギャランティを考えるとゾッとする。
(おそらく全ての俳優についてはノン・クレジットのノー・ギャラなのだと思うが、「カーズ」はそんなことが出来てしまう、ただでも良いから「カーズ」に参加したいと思わせる作品なのだ、という事である。)
物語は、自信過剰で他人のことはお構いなしの主人公ライトニング・マックィーンが、ラジエーター・スプリングスのクルマたちと触れ合うことにより、なんらかの成長を果たす、と言うベタと言えばベタなものなのだが、逆に言うとそれが普遍的で神話的、全ての民族に受け入れられる物語となっているのである。
またもう一つのコンセプトとして、人生をバイパスする、と言うものもある。
で、凄いのは、マックィーンが最後にする選択が凄い。
平凡な監督だったら、マックィーンはああ言う選択をしなかったのではないか、と思える。
余談だが、「ラスト・サムライ」(2003)を受けて日本国内では、「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる物語」が何本か製作された。例えば、山田洋次の「隠し剣 鬼の爪」(2004)とか、行定勲の「北の零年」(2004)が有名どころだと思う。
日本の2大巨匠が「ラスト・サムライ」に怒ったのか、「ラスト・サムライ」に騙された日本人に怒ったのか、日本映画界の興味深い反応であった。
その辺りを考えると「カーズ」におけるマックィーンの最後の選択も凄いと思う。
キャストはなんと言ってもポール・ニューマンの起用が非常に嬉しい。ニューマンの映画的記憶を上手に利用した素晴らしいキャスティングである。例えるならば、作品の質はともかく「ドリヴン」(2001)で車椅子に乗っていたバート・レイノルズみたいなキャスティングだった、またはリメイク版「ロンゲスト・ヤード」(2005)にオリジナル版「ロンゲスト・ヤード」(1974)の主演のバート・レイノルズが出ているような感じ、と言うことである。
出来れば「カーズ」にもレーサー繋がりで、バート・レイノルズに出て欲しかったと思うね。「ストローカーエース」(1983)なんて、ある意味「カーズ」のモトネタみたいな作品だと思うし、両作の題材自体も同じストックカー・レーシングだし。
書きたいことはたくさんあるんだけど、既に4000文字近くなっているので、この辺で・・・・
とにかく、「カーズ」は大変すばらしい作品だ、という事は間違いないので、すぐ劇場に行っていただきたいと思う。
☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
・マックィーンのナンバー95は「トイ・ストーリー」公開の年。(元々はラセターの生年57の予定だった。)
・Goodyearならぬ、Light-yearはもちろん、バズの名前。
・ライトニング・マックィーンとポール・ニューマンということで「タワーリング・インフェルノ」以来のマックィーン+ニューマンの共演かと思われていたが、マックィーンは、2002年に亡くなったピクサー社のアニメーター、グレン・マックィーンの名から取られている。
・日本車唯一の登場と言われているクルマは、Mazda MX-5 Miataのファースト・モデル。双子のキャラクターの名前は、"Mia"と"Tia"。結構出番は多いです。
余談だけど、「カーズ」は、(日本のアニメーション作品を除けば)アニメーション映画のランニング・タイムとしては非常に長めの2時間1分。(北米版は116分)
「カーズ」は実際のところ子ども向け、と言うよりは大人向けなのだと思う。
事実、試写会に来ていた子ども等は、しびれを切らしていた。
まあ、字幕版はムリでしょう。字幕版の試写に子どもを連れてきた親の問題でしょうな。
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併映は「One Man Band(短編)」。
ピストン・カップの若き天才レーサー、ライトニング・マックィーン。
レーサーとして絶大な人気を誇っているものの、信頼できる友達はひとりもいなかった・・・・。
ある日、彼はルート66号線沿いの小さな田舎町、”ラジエーター・スプリングス”に迷い込んでしまう。そこで待ち受けていたのは、オンボロ・レッカー車のメーターをはじめ、今まで見たことがない不思議なクルマたち。
しかし、住民たちが家族のように仲良く暮らす、この平和な町には、誰も知らない秘密があった。
・・・・なんとそこは、”地図から消えた町”だったのだ。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ジョン・ラセター
脚本:ジョン・ラセター、ドン・レイク
音楽:ランディ・ニューマン
声の出演:オーウェン・ウィルソン(ライトニング・マックィーン)、ポール・ニューマン(ドック・ハドソン)、ボニー・ハント(サリー)、ラリー・ザ・ケイブル・ガイ(メーター)、チーチ・マリン(ラモーン)、トニー・シャルーブ(ルイジ)、グイド・クアローニ(グイド)、ジェニファー・ルイス(フロー)、ポール・ドゥーリイ(サージ)、マイケル・ウォリス(シェリフ)、ジョージ・カーリン(フィルモア)、キャサリン・ヘルモンド(リジー)、ジョン・ラッツェンバーガー(マック)、マイケル・キートン(チック・ヒックス)、リチャード・ピティ(キング)、ジェレミー・ピヴェン(ハーヴ)
はっきり言って最高である。
「カーズ」は、外部からブラッド・バードを監督として迎えたピクサー社の前作「Mr.インクレディブル」なんかで喜んでいる場合じゃないと思えるし、かつてのジョン・ラセターの作品群もかすんでしまうほど、素晴らしい作品に仕上がっていた。
まあ、今観てきてすぐの感想なので、あまりあてにはならないと思うが、個人的にはピクサー社の最高傑作になってしまったのではないか、と思えてしまう。(とは言うものの、実際のところは、「モンスターズ・インク」の時も「ファインディング・ニモ」の時も「これこそピクサー社の最高傑作だ!」と思った。もちろん「Mr.インクレディブル」の時は「ふざけるな!」と思ったが。)
先ずはオープニング・アクションで泣ける。
ただクルマが走っているだけで、その動きだけで、その映像体験だけで泣けてしまう。涙腺の弱いダメな大人になってしまったようだが、泣けるんだから仕方がない。
これは「グリーン・デスティニー」(2000)のオープニング・アクションで泣けて以来の出来事かも知れない。
ところでだが、本作「カーズ」は、ピクサー・アニメーション・スタジオの20周年記念作品である。
かの「ルクソーJr.」からもう20年かと思うと、感慨も一入である。
お恥ずかしい話だが、わたしは「トイ・ストーリー」を観るまで、「トイ・ストーリー」のピクサー社と「ルクソーJr.」のPIXAR ANIMATION STUDIOが同一の会社だとは知らなかった。
「トイ・ストーリー」の冒頭、ピクサー社のロゴが出てはじめて「トイ・ストーリー」を作った会社と「ルクソーJr.」を作った会社が一緒だったのだ、と気付いたのである。
20周年記念作品と言う事もあり、本作「カーズ」は、ジョン・ラセターの再登板と言う事も含めて、ピクサー社20周年の集大成的な作品に仕上がっている。
かつてのピクサー社の作品のパロディと言うか、オマージュと言うかリスペクトと言うか、まあセルフなので、セルフ・パロディなんだろうが、そんなシーンが顔を出すし、CGIにしても、様々な物質の質感が大変すばらしい。今回は特に風景(美術/背景)が良かったと思う。
と言うのも、今までのピクサー作品が描いてきた世界観の中で、実在の世界にもっとも似ているのが今回の「カーズ」であり、その世界観を構築する背景や美術には全く違和感がなかった、と言うことである。
前作「Mr.インクレディブル」の世界観は、実在の世界と似ているのは似ているのだが、やはり、作り物である、と言う印象が否定できなかった。
が、しかし、本作の背景/美術の出来はすばらしく。実写と遜色がない上に、CGIを使用した実写作品にありがちな、物体の物理的
な動作の違和感が感じられなかった。(物体の重さや、空間の広がりが物理学的に再現されている、と言うこと)
また音楽についてもランディ・ニューマンの再登場と言うこともあり、ピクサー社のある意味の原点に戻りつつ、それでいて最高の品質のものをわれわれ観客に提供しているような印象を受けた。
この辺については、本作のエピローグ部分に映画ファン驚愕の強烈なカメオの山(とセルフ・パロディ)があるのだが、本当に信じられない程凄い。
これは実のところ、簡単に出来そうなことなのだが、なかなかあんなことは出来ないことなのだ。
例えば、パート1で死んだキャラクターを演じた俳優をパート2の回想シークエンスで起用するようなことは、実はハリウッド映画ではいろいろな障害があり、困難なのだ。
例えば、「スパイダーマン」(2000)と「スパイダーマン2」(2002)で、クリフ・ロバートソンとウィレム・デフォーが同じ役でキャスティングされているが、ハリウッド映画では、こんなことは稀なのだ。
話は戻るが、そのエピローグ部分を楽しむには、出来れば字幕版で観る事をオススメする。日本語吹替版では、オリジナル・キャストの再現は難しいのではないか、と思えるからである。
そのエピローグは、わずか数秒のカットの羅列なのだが、その超えの出演のギャランティを考えるとゾッとする。
(おそらく全ての俳優についてはノン・クレジットのノー・ギャラなのだと思うが、「カーズ」はそんなことが出来てしまう、ただでも良いから「カーズ」に参加したいと思わせる作品なのだ、という事である。)
物語は、自信過剰で他人のことはお構いなしの主人公ライトニング・マックィーンが、ラジエーター・スプリングスのクルマたちと触れ合うことにより、なんらかの成長を果たす、と言うベタと言えばベタなものなのだが、逆に言うとそれが普遍的で神話的、全ての民族に受け入れられる物語となっているのである。
またもう一つのコンセプトとして、人生をバイパスする、と言うものもある。
で、凄いのは、マックィーンが最後にする選択が凄い。
平凡な監督だったら、マックィーンはああ言う選択をしなかったのではないか、と思える。
余談だが、「ラスト・サムライ」(2003)を受けて日本国内では、「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる物語」が何本か製作された。例えば、山田洋次の「隠し剣 鬼の爪」(2004)とか、行定勲の「北の零年」(2004)が有名どころだと思う。
日本の2大巨匠が「ラスト・サムライ」に怒ったのか、「ラスト・サムライ」に騙された日本人に怒ったのか、日本映画界の興味深い反応であった。
その辺りを考えると「カーズ」におけるマックィーンの最後の選択も凄いと思う。
キャストはなんと言ってもポール・ニューマンの起用が非常に嬉しい。ニューマンの映画的記憶を上手に利用した素晴らしいキャスティングである。例えるならば、作品の質はともかく「ドリヴン」(2001)で車椅子に乗っていたバート・レイノルズみたいなキャスティングだった、またはリメイク版「ロンゲスト・ヤード」(2005)にオリジナル版「ロンゲスト・ヤード」(1974)の主演のバート・レイノルズが出ているような感じ、と言うことである。
出来れば「カーズ」にもレーサー繋がりで、バート・レイノルズに出て欲しかったと思うね。「ストローカーエース」(1983)なんて、ある意味「カーズ」のモトネタみたいな作品だと思うし、両作の題材自体も同じストックカー・レーシングだし。
書きたいことはたくさんあるんだけど、既に4000文字近くなっているので、この辺で・・・・
とにかく、「カーズ」は大変すばらしい作品だ、という事は間違いないので、すぐ劇場に行っていただきたいと思う。
☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
・マックィーンのナンバー95は「トイ・ストーリー」公開の年。(元々はラセターの生年57の予定だった。)
・Goodyearならぬ、Light-yearはもちろん、バズの名前。
・ライトニング・マックィーンとポール・ニューマンということで「タワーリング・インフェルノ」以来のマックィーン+ニューマンの共演かと思われていたが、マックィーンは、2002年に亡くなったピクサー社のアニメーター、グレン・マックィーンの名から取られている。
・日本車唯一の登場と言われているクルマは、Mazda MX-5 Miataのファースト・モデル。双子のキャラクターの名前は、"Mia"と"Tia"。結構出番は多いです。
余談だけど、「カーズ」は、(日本のアニメーション作品を除けば)アニメーション映画のランニング・タイムとしては非常に長めの2時間1分。(北米版は116分)
「カーズ」は実際のところ子ども向け、と言うよりは大人向けなのだと思う。
事実、試写会に来ていた子ども等は、しびれを切らしていた。
まあ、字幕版はムリでしょう。字幕版の試写に子どもを連れてきた親の問題でしょうな。
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