2005/10/10 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ」で、「銀河ヒッチハイク・ガイド」を観た。

ある日、上空に現われた、無数の宇宙船。彼らの目的は、ただひとつ−−地球を爆破すること。太陽系を通る銀河バイパスの建設のため、地球はあっけなく消滅してしまった・・・・。

運命のイタズラで、”最後の地球人”となったのは、極めて平凡な英国男性アーサー・デント(マーティン・フリーマン)。彼は、宇宙で行き抜くサバイバル術とクールな風刺に満ちた、銀河系最大のベストセラー「銀河ヒッチハイク・ガイド」を頼りに、果てしない広大な宇宙へ旅に出るが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ガース・ジェニングス
原作:ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
脚本:ダグラス・アダムス、カレイ・カークパトリック
プロダクションデザイン:ジョエル・コリンズ
出演:マーティン・フリーマン(アーサー・デント)、サム・ロックウェル(ゼイフォード・ビーブルブロックス)、モス・デフ(フォード・プリーフェクト)、ズーイー・デシャネル(トリリアン)、ビル・ナイ(スラーティバートファースト)、ジョン・マルコヴィッチ(ハーマ・カヴーラ)、ワーウィック・デイヴィス(マーヴィン)
声の出演:アラン・リックマン(マーヴィン)、スティーヴン・フライ(ナレーター/ザ・ガイド)、イアン・マクニース(クワルツ)、ヘレン・ミレン(ディープ・ソート)、トーマス・レノン(エディ・ザ・コンピュータ)

本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、もともとBBCのラジオドラマ(1978)として書き上げられた脚本を小説化(1979)した作品で、SFパロディの傑作として世界中でカルト的な人気を呼んだ故ダグラス・アダムスの同名小説の映画化作品である。

原作者で、本作の脚本家であり、製作総指揮にも名を連ねるダグラス・アダムスは、本作製作直前に心臓発作で帰らぬ人となり、本作はその「ダグラスヘ」捧げられている。
 
 
さて、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」だが、各方面からの絶賛の話を聴いていたわたしの期待が過多だったのか、わたし個人がモンティ・パイソン系英国ユーモアを解せなかったのか定かではないが、残念なことに本作はそんなに面白い作品には思えなかった。

と言うのも、わたしは本作の映画化の話を聞き、もしかしたら「不思議惑星キン・ザ・ザ」を現代のVFX技術でリッチに蘇らせたような素晴らしい作品になるのではないか、と言う誤った先入観を持っていたためだ。

でも、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、わたしの求めていた「不思議惑星キン・ザ・ザ」のような憂いを持った作品ではなかった、と言う事である。

しかしながら、本作は決してつまらない訳ではないし、わたしの嗜好にもマッチする作品に仕上がってはいた。

本作は思索的、哲学的で、ウィットやユーモア、エスプリに富み、またビジュアル・イメージも秀逸だし、設定も構成も愉快である。

またキャストについても、何がなんだかわからない程豪華である。

マーティン・フリーマンの普通の英国人ぶりも良かったし、始終楽しませてくれるサム・ロックウェルも良い。
「スター・ウォーズ」のレイア姫を髣髴とさせるズーイー・デシャネルも素敵だったし、モス・デフの筋が通っていながらちゃらんぽらんなところも良かった。

ワーウィック・デイヴィスが演じているロボット(マーヴィン)の声をアラン・リックマンがあてている、のにも驚きである。

あとは、何と言ってもビル・ナイが最高だった。

また、「銀河ヒッチハイク・ガイド」と言う割には、ヒッチハイクの回数が少なかったのも、気になった。
わたしの想像では、異なった異星人と異なった文化に主人公達がさらされ、危機また危機に陥った主人公たちがヒッチハイクで何とか難を切り抜ける、と言う物語を期待していたのだが、冒頭に何度かヒッチハイクをするだけで、あとはただの宇宙を舞台にしたよくあるコメディ作品になってしまっているような気がした。

もう少し、ヒッチハイクを生かした脚本にして欲しかったような気がする。

但し、圧倒的なビジュアル・イメージや異世界の世界観、哲学的思索的思考は十分評価できると思うし、また万物の霊長を自負する人類に対するシニカルな視線は、非常に素晴らしかった。

また、ミュージカルのように、時々挿入される楽曲の詩が最高に面白い。

脚本は、原作にある重要な部分、例えば「何故地球が誕生したのか」と言った部分が理解しづらい印象を受けた。

もしかしたらこれは訳出の問題なのかもしれないが、重要な部分が明確に描かれていない(ような印象をうけた)ため「えぇ〜、そうだったの〜!!」と言う驚きが半減してしまうような印象を受けた。

ところで、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、期待のしどころを間違わなければ、断然に楽しめる素晴らしい作品だと思う。
めくるめく世界観と、小ネタ、小粋なユーモアとシニカルな視点、極端な性格を持つキャラクター・・・・。

「銀河ヒッチハイク・ガイド」の次は、是非「不思議惑星キン・ザ・ザ」を観て欲しい。同作は祭りの後の寂寥感漂う素晴らしい傑作である。

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2005/08/12 東京霞ヶ関「イイノホール」で「チャーリーとチョコレート工場」の試写を観た。

チャーリー・バケット少年(フレディー・ハイモア)の家の貧しさといったら、それはもう大変なものでした。大きな町のはずれにある、左に30度くらい傾いた今にも壊れそうな小さな家に、一家7人で暮らすバケット家。失業中の父(ノア・テイラー)と、母(ヘレナ・ボナム=カーター)と、チャーリー、それに合計年齢381歳の祖父母がふた組。夕食と言えば限りなく水に近いキャベツのスープだけ。しかも、日曜以外はお代わりもできません・・・・!

それでもチャーリーは幸せでした。誕生日のときにだけ買ってもらえる大好きなチョコレート。そのたった1枚の小さな板チョコを、チャーリーは1か月かけて少しずつ少しずつちびちびと食べるのです。ああ、なんとけなげなチャーリー少年!そんなチャーリーの家のすぐそばに大きなチョコレート工場がありました。ここ15年間というもの工場の門は閉ざされ、中に入った人も出てきた人もいないのに、世界的ヒット商品を毎日出荷し続ける謎のチョコレート工場。チャーリーは思います。あの工場の中に入って、どんなふうになっているのか見られたらいいのに。

そんなある日、驚くべきニュースが世界中を駆け巡りました。
「ウォンカの工場ついに公開!幸運な5人の子供たちに見学を許可」

ウォンカ製のチョコレートに入った”ゴールデン・チケット”を引き当てた5人の子供とその保護者を特別に工場に招待する、と工場主のウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が異例の声明を発表したのです。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
 
 
監督:ティム・バートン
原作:ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』
脚本:ジョン・オーガスト
撮影:フィリップ・ルースロ
美術:アレックス・マクダウェル
衣装:ガブリエラ・ペスクッチ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ(ウィリー・ウォンカ)、フレディ・ハイモア(チャーリー・バケット)、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)、ミッシー・パイル(ボーレカード夫人)、ジェームズ・フォックス(ソルト氏)、ディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)、クリストファー・リー(ドクター・ウォンカ)、アダム・ゴドレー(ティービー氏)、アンナソフィア・ロブ(バイオレット)、ジュリア・ウィンター(ベルーカ)、ジョーダン・フライ(マイク)、フィリップ・ウィーグラッツ(オーガスタス)
 
 
わたしはティム・バートンが大好きである。
「ピーウィーの大冒険(未公開)」も「ビートル・ジュース」も勿論「バットマン」も良かったのだが、わたしのティム・バートン好きを決定させたのはなんと言っても「シザーハンズ」である。

当時わたしは、銀座で「シザーハンズ」を観て、あまりにも素晴らしい作品だったので、その足で渋谷の輸入レーザーディスク屋に行き、"EDWARD SCISSORHANDS"の北米版LDを購入した。
当時、わたしはLDプレーヤーを持っていなかった、というのに。

そんなティム・バートンの魅力は何なのか、と考えると、先ずは緻密に構築された世界観であり、そして、その世界観に見合うフリーキーな登場人物であり、そのフリーキーなキャラクターに対する限りない愛情なのだろうと思う。

何しろティム・バートンは、かの「バットマン」のブルース・ウェインをジョーカーに匹敵する程のフリークとして描き、スーパーヒーローを描いた作品であるにも関わらず、その実態「バットマン」をフリークス同士の対決として描いてしまっているのだ。

以来、ティム・バートンの作品の主要キャラクターはフリークスが占め、緻密に構築された世界観と、その卓越した演出と構成により、一般的には迫害される存在とも言えるフリークスに光明をあて、愛すべき存在に昇華させることに成功している。
そしてその戦略的方法論は大変素晴らしく、観客は既に彼等フリークスを愛してしまい、彼等フリークスを迫害しようとする観客は既に皆無だといえる程なのだ。

そんな背景の下、本作「チャーリーとチョコレート工場」を観た0訳だ。

緻密に構築された世界観は素晴らしいし、美術も勿論良い仕事をしている。CGIについては、セットや美術との乖離が感じられるシークエンスもあったが、おおむね良好である。
また、ティム・バートンの盟友ダニー・エルフマンがつむぎだす楽曲は、美術や世界観を壊すことなく、むしろ構築に一役買っている。

キャストはなんと言ってもディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)であろう。正に映画史に残る素晴らしい怪演を見た気がする。
しかも、ウンパ・ルンパは、CGIで増やされたのではなく、全員分を1人で何度も何度も演じたと言うのだから、頭が下がってしまう。

また、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)等のバケット家のフリーキーな皆さんが非常に印象的だった。

更に、ウィリー・ウォンカの父親ドクター・ウォンカを演じたクリストファー・リーも良かった。最近大作付いているクリストファー・リーだが、本作では「シザー・ハンズ」のヴィンセント・プライスの役柄を髣髴とさせる役柄を楽しげに演じていた。

もし、ティム・バートンが敬愛してやまないヴィンセント・プライスが存命だったとしたら、このドクター・ウォンカの役は、おそらくヴィンセント・プライスが演じた役柄なのだろう。

物語は、ロアルド・ダールの原作「チョコレート工場の秘密」とほぼ一緒だし、オリジナル版の「夢のチョコレート工場」(1971)とほぼ一緒である。

が、原作やオリジナル版にあった、そこはかとない恐怖感と言うか、童話が持つ残酷性と言うか、子ども達が見たらトラウマになっちまうぞ感が、残念ながらあまりなかったような気がする。
ティム・バートン好きとしては、子ども達が見たら泣き出してしまうくらいの作品を期待していたようだ。

また興味深かったのは、様々な映画、特にSF・ファンタジー映画への言及が多かった点だ。
例えば、「2001年宇宙の旅」や「ザ・フライ」と「蝿男の恐怖」、「スタートレック」シリーズや「未来世紀ブラジル」、「シザーハンズ」・・・・という具合だ。

本作「チャーリーとチョコレート工場」は、「ビッグ・フィッシュ」の次にこんな映画かよ、という軽い失望感を感じるが、ファンタジー映画としては、傑作の部類に入る作品だし、子どもに見せても決して怖い夢など見ない、人畜無害な作品に仕上がっている。
そのあたりが賛否の分かれる点だと思うのだが、大変面白い作品であることは間違いない。

この秋、是非劇場で観ていただきたい作品なのだ。

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2005/09/28 東京新宿「新宿ミラノ座」で「セブンソード」の試写を観た。
当日は、ナンサン・シー、ツイ・ハーク、レオン・ライ、ドニー・イェンを迎えたジャパン・プレミアだった。

1660年代、中国に侵攻した満州民族は明王朝を倒し、清王朝を築いた。不満分子が各地で反乱を起こすなか、新政府は武術の研究と実践を禁じる禁武令を発布し、反乱軍を鎮圧するのに悪戦苦闘していた。明王朝の軍人だった風火連城(フォンフォリェンチョン)(スン・ホンレイ[孫紅雷])は、この混乱に乗じて私腹を肥やそうとたくらみ、不満分子の排除に手を貸す。強欲で冷酷非情な風火連城は中国の北西部一帯で略奪を繰り返し、明王朝の残党を次々と抹殺。風火連城にとって最大のターゲットは、反清王朝の強硬派が住む寒村──武荘という集落だった。

明王朝時代に処刑人を務めていた傅青主(フー・チンジュ)(ラウ・カーリョン[劉家良])は良心の呵責から、風火連城の蛮行に歯止めをかけ、武荘を守ろうと決意する。フーは同村の武元英(ウー・ユエンイン)(チャーリー・ヤン[楊采妮])と韓志邦(ハン・ジィパン)(ルー・イー[陸毅])を連れて、遠方の神秘の山“天山”へ出向き、そこで隠遁生活を送る晦明大師(フイミンダーシ)(マー・ジンウー)に協力を依頼するが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ツイ・ハーク
アクション監督:ラウ・カーリョン
原作:リャン・ユーシェン『七剣下天山』
音楽:川井憲次
武術指導:トン・ワイ、ホン・ヤンヤン
出演:レオン・ライ[黎明](ヤン・ユンツォン[楊雲驄])、ドニー・イェン[甄子丹](チュウ・チャオナン[楚昭南])、チャーリー・ヤン[楊采妮](ウー・ユエンイン[武元英])、スン・ホンレイ[孫紅雷](フォンフォリェンチョン[風火連城])、ルー・イー[陸毅](ハン・ジィパン[韓志邦])、キム・ソヨン[金素妍](リュイジュ[緑珠])、ラウ・カーリョン[劉家良](フー・チンジュ[傅青主])、チャン・チンチュー[張静初](リィウ・ユィファン[劉郁芳])、タイ・リーウー[戴立吾](シン・ロンヅ[辛龍子])、ダンカン・チョウ[周群達](ムーラン[穆郎])

先ずはこちらを見て欲しい。

「徐克をめぐる冒険」
http://diarynote.jp/d/29346/20050928.html

本作「セブンソード」は、1970年代からツイ・ハーク[徐克]を追いかけて来たわたしにとっては、非常に残念な作品であった。

勿論、例えば終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いや、美術、アートワーク、壮大なロケーション効果等、評価出来る点はいくつもあるのだが、映画として考えると残念な印象が勝っている。

例えばアクション・シーンではカメラが被写体に寄り過ぎで何が行われているかわからないし、かつ動けない俳優のアクションを細かいカットでごまかすような編集がされているし、一般に評価されている音楽(川井憲次)もわたしにとっては映像との乖離がはなはだしく、映像に没頭できないような有様である。

また、七人の剣士のキャラクターの描き分けも明確ではなく、更に彼等が使う肝心の七剣の特徴もよくわからない。

更に、チャン・イーモウの「HERO/英雄」「LOVERS/謀」に続く、とか言うどう考えても一般の観客をミス・デレクションするために考えられたようなキャッチ・コピーには映画ファンとしては怒りすら感じてしまう。

とは言っても、良いところは良い訳で、個人的には前述した終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いが素晴らしかった。
アクション・シークエンスなのに感動のあまり涙が出てしまうくらいの素晴らしい出来だった。

かつて「ワンス・アポン・ア・タイム/天地大乱」だったか他の作品だったかはっきり覚えていないが、ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)が似たような空中戦のアクションを見せてくれているが、今回のアクションもそれに匹敵するくらい素晴らしかった。

勿論、泣けるアクションと言えば「グリーン・デスティニー」の冒頭のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーの空中戦的アクションにも涙がこぼれちゃうのだ、本作の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])のバトルはそれにも匹敵する素晴らしいものだった。

更に、広大な大地を印象的に使ったロケーション効果が非常に高く、島国で山や川ばかりの日本の作品、例えば「SHINOBI」と比較して、非常にうらやましい印象を受ける。

余談だが、「SHINOBI」では、小さな川を特殊効果で大きな川に見せているカットがいくつかあるのだが、水の粒子の大きさから川の大きさが類推でき、その川のほとりに立つキャラクターと川のサイズに違和感を感じてしまう。まるで火や水を使った「サンダーバード」の画面のような違和感を受けるのだ。

とにかく、本作「セブンソード」は、全国拡大ロードショー向きの作品ではなく、もしかすると「東京ファンタ」で上映されたり、「銀座シネパトス」や「新宿トーア」、「有楽座(旧ニュー東宝シネマ1)」で上映される種類の作品だったような気もする。
「HERO/英雄」や「LOVERS/謀」と方向性も違うしね。
でも、是非劇場で観て欲しいと思うよ。ツイ・ハーク[徐克]ファンとしてはね。

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2005/10/01 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「シン・シティ」を観た。
 
 
監督・脚本:ロバート・ロドリゲス、フランク・ミラー
スペシャルゲスト監督:クエンティン・タランティーノ
原作:フランク・ミラー
撮影・編集:ロバート・ロドリゲス
出演:ブルース・ウィリス(ハーティガン)、ミッキー・ローク(マーヴ)、クライヴ・オーウェン(ドワイト)、ジェシカ・アルバ(ナンシー)、ベニチオ・デル・トロ(ジャッキー・ボーイ)、イライジャ・ウッド(ケビン)、ブリタニー・マーフィ(シェリー)、デヴォン青木(ミホ)、ジョシュ・ハートネット(ザ・マン)、ロザリオ・ドーソン(ゲイル)、マイケル・クラーク・ダンカン(マヌート)、ニック・スタール(ロアーク・ジュニア/イエロー・バスタード)、カーラ・グギーノ(ルシール)、マイケル・マドセン(ボブ)、ジェイミー・キング(ゴールディ/ウェンディ)、アレクシス・ブレーデル(ベッキー)、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)、パワーズ・ブース(ロアーク上院議員)
 
 
本作「シン・シティ」は、ロバート・ロドリゲスとフランク・ミラーが満を持して世に問うすばらしい傑作である。

そのロバート・ロドリゲスだが、彼のキャリアは自主製作映画「エル・マリアッチ」がメジャー・スタジオに買い取られるところからスタートしたのだが、彼は自主製作映画あがりと言うこともあり、撮影・編集・脚本・美術・音楽等なんでもこなす才人である一方、予算管理も厳密で、決して予算をオーバーしない事から製作のワインスタイン兄弟(ミラマックス)から、製作にいっさい口出しされない(らしい)監督としても知られている。

一方フランク・ミラーは、脚本家兼コミック(グラフイック・ノベルズ)作家として知られ、本作「シン・シティ」は勿論、フランク・ミラーその人によって描かれたものである。
そのフランク・ミラーはかつて「ロボコップ」の続編あたる1本の脚本を書くのだが、その脚本はなんと2本に分割され見るも無残に改変され「ロボコップ2」と「ロボコップ3」になってしまった。そういう経緯から、フランク・ミラーはハリウッド映画には良い思い出を持っていなかったらしい。

そんな二人が協力タッグを組んで製作したのが本作「シン・シティ」なのだ。

さて、本作「シン・シティ」だが、先ずは脚本と構成が素晴らしい。

物語は3つの大きなエピソードと1つのブリッジ・エピソードとも言える短いが作品を引き締めるエピソードが描かれ、その全てのエピソードは、フィリップ・マーロウ調(レイモンド・チャンドラー調と言うべきか)のスタイルを見事に踏襲したスタイルで統一されている。
そしてそれらのエピソードの核となる登場人物は、レイモンド・チャンドラーが言うところの「卑しい街をゆく高潔の騎士」たる人物を見事に体現している。

彼ら「卑しい街をゆく高潔の騎士」たちは、自らが忠誠を誓った存在のため、全てを投げ打ち、奉仕するのである。
その孤高で高潔で高邁な精神には、全くもって泣かされてしまう。

またそれらのエピソードの描写手法は、1950年代に一世を風靡した「ドラグネット」の手法を踏襲しナレーションを多用、ここでも作品のハードボイルド感を高めることに成功している。
余談だが、「ブレードランナー」の当初のバージョンのナレーションは、スタジオ・サイドからの要請だったのだが、良くも悪くもハードボイルド感を高める事に成功している。
更に余談だが、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)の死に方は、「ブレードランナー」のタイレル社長の死に方と符合しており、自分が殺した方法で自分が殺されると言う、セルフ・オマージュとなっている。
また、作品全体を考えた場合でも、所謂ハード・ボイルド調な雰囲気は「ブレードランナー」をも髣髴とさせる空気を持っている。

そして物語の構成は、「パルプ・フィクション」の構成を髣髴とさせ、短いながら冒頭とラストに挿入されるエピソードが、まるでパンブキンのエピソードのように作品を引き締め、見事な余韻を与えてくれている。

また、フランクー・ミラーがグラフイック・ノベルズ「シン・シティ」において構築した世界観を、スクリーン上に再現する美術や効果も素晴らしく、本作のほとんどがスクリーン・プロセスであるものの、それを忘れさせてくれるような見事な世界観に酔いしれる事が出来る。

キャストは、所謂主役級のキャストがそれぞれ見事な演技を楽しげにこなしている。
この豪華なキャストの実現には、勿論エピソードが複数に分かれ、独立している点と、更にスクリーン合成を多用した構成によるところが多いだろう。
実際には共演していないのに、スクリーン上では共演しているように見せる事が出来、キャストのスケジュール調整に関係なく撮影が進められたことに因るものが多いのだが、それにしても、豪華キャストの見事な演技合戦が楽しい。

また、話題となっているバイオレンス描写は、一般的に考えると過剰な印象を否定できないのだが、その過剰さは本作「シン・シティ」の世界観に合致した境界線を保っており、そう考えた場合本作の世界観に遊ぶ事が出来る人であれば、それほど気にする事はないのではないかと思う。

演出については、グラフイック・ノベルズ作家フランク・ミラーのおかげか、画面構成が絵画的で美しく、印象に残る画作りが楽しめる。
また動きを含めた画面構成も素晴らしく、その絵画的世界観の中で、第一線級の俳優達が、素晴らしい脚本を演じる、と言う大変贅沢な印象すら受けてしまう。

まあ、結論としては本作「シン・シティ」は、大変素晴らしい、大傑作である。と言うことである。
バイオレンス描写は若干酷いかもしれないが、「卑しい街をゆく高潔の騎士」を是非劇場で体験し、そしてその高邁な精神に涙して欲しい、と思うのだ。

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さて、早速ですが2005年の目標の中間発表その9です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
 
 
1.映画

#076「亡国のイージス」ワーナー・マイカル・シネマズ板橋 2005/09/01
#077「SHINOBI / HERAT UNDER BLADE」東京厚生年金会館 2005/09/02
#078「頭文字D THE MOVIE」よみうりホール 2005/09/08
#079「この胸いっぱいの愛を」イイノホール 2005/09/20
#080「セブンソード」新宿ミラノ座 2005/09/28
 
 
2.DVD、CATV等

#104「合衆国最後の日」DVD 2005/09/01
#105「オデッサ・ファイル」DVD 2005/09/05
#106「レジェンド」DVD 2008/09/12
#107「地球の静止する日」DVD 2005/09/13
#108「ミッドナイトクロス」DVD 2005/09/14
#109「カプリコン・1」DVD 2005/09/15
#110「ビッグ・フィッシュ」DVD 2005/09/17
#111「それいけ!アンパンマン てのひらを太陽に」CATV 2005/09/25
#112「それいけ!アンパンマン アンパンマンとおかしな仲間(短編)」CATV 2005/09/25
#113「ベイブ」CATV 2005/09/25
#114「影武者」CATV 2005/09/25
#115「小説吉田学校」CATV 2005/09/25
#116「ヴァン・ヘルシング」CATV 2005/09/25
#117「恋愛適齢期」CATV 2005/09/25
#118「ガキ帝国」CATV 2005/09/26
#119「羅生門」CATV 2005/09/26
#120「チャイニーズ・ゴーストストーリー」DVD 2005/09/28
#121「MIND GAME マインド・ゲーム」DVD 2005/09/29
#122「キル・ビル」DVD 2005/09/30
#123「キル・ビル Vol.2」DVD 2005/09/30 
 
 
3.読書

#027「ぼんくら(上)」宮部みゆき著 講談社文庫 2005/09/04
#028「ぼんくら(下)」宮部みゆき著 講談社文庫 2005/09/08
#029「回想のビュイック8」スティーヴン・キング著 白石朗訳 新潮文庫 2005/09/18
 
 
映画は、劇場5本(累計80本)、DVD等20本(累計123本)で、計25本(累計203本)。
このままのペースで、年間271本(劇場107本)です。

読書は3冊(累計29本)で、このままのペースでは、年間39冊です。

やばいです。
本当にやばい状況です。
8月の反動か、9月は映画をあまり観ませんでした。

読書もやばいです。
最近読書熱が復活してきまして、若干希望が見えてきたのですが、目標達成は無理かと思います。

参考)
本年の状況
映画203本(うち劇場80本)
読書29冊

昨年同時期の状況
映画236本(うち劇場87本)
読書28冊

一昨年同時期の状況
映画229本(劇場60本)
読書42冊

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2005/08/13 東京霞ヶ関「イイノホール」で「青空のゆくえ」の試写を観た。

東京・三軒茶屋、早朝。
新聞でいっぱいになった自転車を走らせる一人の少年。
西原中学3年の高橋正樹(中山卓也)だ。
正樹は、2年間もの間、不登校になっている幼馴染み、矢島信二(橋爪遼)の家の新聞受けに新聞と信二あての手紙を入れると、朝練のため誰よりも早くバスケットコートを目指す。

そんな、1学期も残りわずかなある日。
担任の口から、今学期限りで正樹がアメリカに転校することが告げられた。
「今まで有難うございました。アメリカに行ってもバスケやります。NBAで10年後に活躍する僕の姿を楽しみにしていてください! 日本でやり残していることは・・・・ひとつだけかな?」

「やり残したこと」・・・・突然の転校発表もさることながら、この正樹の意味深な発言にクラス全員が騒然となる中、複雑な表情を見せる面々がいた。
女子バスケ部キャプテンの速見有美(森田彩華)、親友でバスケ部副キャプテンの杉原雄太(佐々木和徳)、学級委員長の高橋亜里沙(黒川芽以)、幼馴染みの河原春奈(多部未華子)、帰国子女で無口な市田尚子(西原亜紀)、そして正樹が何かと面倒を見ている鈴木貴子(悠城早矢)である。
その日を境に、なんとなく繋がっていた彼らの関係が、少しずつ動き始める。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:長澤雅彦
出演:中山卓也(高橋正樹)、森田彩華(速見有美)、黒川芽以(高橋亜里沙)、佐々木和徳(杉原雄大)、多部未華子(河原春奈)、三船力也(山下勝也)、悠城早矢(鈴木貴子)、橋爪遼(矢島信二)、西原亜希(市田尚子)

余命幾許もない主人公がいかに良く生きるか。
永遠の命題であり、またそのテーマで多くの物語が語られている。

本作「青空のゆくえ」は、中学生と言う世代にとってのアメリカへの転校を、限りなく死に近いものへの暗喩として捉え、いかに良く生きるか、いかに良く死んでいくか(転校していくか)を描いた秀作である。

とは言うものの、描かれている物語は中学3年生を主人公に据えているとは言え、前時代的な恋愛、いわば既に大人になってしまった人々の心の琴線に触れるノスタルジックでピュアな恋愛模様が展開する。

その未成熟な感情は、残念ながら現在の中学3年生にアピールするようなものではなく、と言うより鼻で笑われるようなエピソードが続き、ともすると本作は例えば30歳代以上の観客をターゲットにしているような印象すら受ける。

キャストは、1986〜1989年生まれのキャストを集め、ある種同窓会的な印象を受ける。

5人のヒロインたちはそれぞれ可愛く、魅力的に描かれており、将来が楽しみな印象を受ける。
個人的には、悠城早矢を演じた鈴木貴子が良かったと思う。

男と言うものは莫迦なもので、いくつになっても少年時代の恋愛に感じ入ってしまうもので、本作の5人それぞれのヒロインのバラエティに富んだキャラクター設定が、自らの少年時代の恋愛物語に思いを馳せさせる触媒としても機能する構成が心憎い。

と考えるとやはり、男と言うものは、かつての初恋を大人になっても引きずり続けているのかも知れない。

物語は、アメリカへ転校する高橋正樹(中山卓也)を取巻く5人の女性の物語を縦糸に、正樹と正樹らが原因となって不登校になってしまった矢島信二(橋爪遼)との物語を横糸に織り成す、ノスタルジックで感傷的な物語が描かれている。

脚本は、大人たちが自分達が少年少女だった時代の出来事を微妙なリアリティと微妙に美化された記憶とともに描いており、ある意味心が洗われるような印象すら受ける。

脚本はまあ良いのだが、アメリカへ転校する正樹があまりにももて過ぎなのがちょっとひっかかる。
まあ、ファンタジーならファンタジーとして昇華すべき問題だと思うので、その辺は不問にしたいと思う。

とにかく本作「青空のゆくえ」は中学3年生の恋愛模様を描いてはいるのだが、中学生と言うよりは、大人の皆さんに是非観ていただきたい作品に仕上がっているような気がする。
打倒「NANA」かもね。

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「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪」
2005/08/13 東京霞ヶ関「イイノホール」で「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪」の試写を観た。

長引く不景気を何とか生き抜いてきた鈴木建設は今、ビッグ・プロジェクトを成し遂げようとしていた。3年前に着工した長崎県佐世保市の第二西海橋がまもなく完成、遂に連絡式を迎えるのだ。鈴木一之助社長(三國連太郎)は、自分と一緒に式に出席するのが、万年ヒラ社員のハマちゃんこと浜崎伝助(西田敏行)だと知って驚く。実はこの仕事は、ハマちゃんが家族の次に愛している「釣り」の人脈があったからこそ取れたものだった。

出張を目前にして、最高潮に上機嫌なハマちゃん。連結式は金曜日、となれば土日は東シナ海で釣りパラダイス!ハマちゃんは長崎営業所で設計を担当している久保田達也(金子昇)に電話すると、さっそく釣り船の手配を指示する。達也は東京の大会社、久保田興業の御曹司で、一之助も気を配る存在だった。

出張の朝、しっかり遅刻して一之助を待たせたハマちゃんは、長崎に着くなりホテルにチェックインもせずに、迎えに来た達也の車で大村湾に直行する。船着場には、ハッとするほど美しい河口美鈴(伊東美咲)が待っていた。船の手配をしてくれた美鈴を「僕の行きつけの店の人です」とハマちゃんに紹介する達也。ハマちゃんは、米軍基地に勤める「アメリカの釣りバカ」青年ボブ(ボビー・オロゴン)と、九十九島の小島を目指す。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:朝原雄三
原作:やまざき十三(作)、北見けんいち(画)小学館「ビッグコミックオリジナル」連載
脚本:山田洋次、石川勝己、平松恵美子
出演:西田敏行(浜崎伝助)、三國連太郎(鈴木一之助)、浅田美代子(浜崎みち子)、伊東美咲(河口美鈴)、加藤武(秋山専務)、小野武彦(原口人事担当取締役)、鶴田忍(堀田常務)、中村梅雀[2代目](草森秘書課長)、益岡徹(舟木課長)、濱口優(海老名)、笹野高史(前原運転手)、平山あや(鯛子)、持丸加賀(浜崎鯉太郎)、岡本麗(澄子)、ボビー・オロゴン(ボブ)、中本賢(太田八郎)、谷啓(佐々木次長)、奈良岡朋子(鈴木久江)、さだまさし(刑事)、金子昇(久保田達也)、尾崎紀世彦(河口輝男)

「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪」は安心して観ていられる大変面白い人情コメディ作品であった。

若い映画ファンの皆さんにとって「釣りバカ日誌」は、あまり関心がないシリーズだと思うのだが、決してつまらない作品ではなく、実直な脚本と堅実な演出、芸達者な俳優達、そして舞台となるロケ地の観光が楽しめる娯楽作品なのだ。

驚くべき事にこの「釣りバカ日誌」シリーズの脚本(共同脚本)の多くは山田洋次が担当している。
「男はつらいよ」シリーズが終了し「虹をつかむ男」が上手く行かなかった後、「釣りバカ日誌」シリーズは山田洋次のひとつのライフワークとなっているのかも知れない。

その山田洋次の脚本(共同脚本)は、日本人の琴線に触れる、普遍的なもので、今回のプロットは「娘の結婚におろおろする頑固親父」と言ういわばベタなものだが、その普遍的な物語が安心感となり、多くの(特に年配の)観客に支持されているのではないだろうか。

本作で頑固親父を演じたのは尾崎紀世彦。絵に描いたような不器用でいながら娘思いの頑固親父を見事に演じている。
以前の「釣りバカ日誌」シリーズでは西田敏行の悪夢のような裸踊りがひとつの見せ場になっていたのだが、最近のシリーズではミュージカル・シーンが、裸踊りに取って変わり、作品としてのグレードが上がったような印象を受ける。

本作では、尾崎紀世彦(河口輝男)が経営するカントリー・バーでの一大ミュージカル・シークエンスが楽しめる。
尾崎紀世彦の面目躍如といったところであろうか。

また伊東美咲や金子昇の起用も比較的年配の観客に対し、若手の俳優をイントロデュースする機能も担っている。
朝原雄三の堅実で正攻法の演出で、若手俳優も見事(特に問題を感じないほどの)な演技を見せてくれている。

またお茶の間の人気者ボビー・オロゴンの起用も、素晴らしい効果を出している。
その辺(ボビー・オロゴンの起用)も穿った見方をすれば、作品としていかに売るかと言う点を戦略的に良く考えた上での起用のような印象を受ける。

ただ残念な事に、三國連太郎の老いの問題が脚本に影を投げかけている。
最近のシリーズでは三國連太郎の釣りシーンがほとんどなく、「スーさんは釣りをしたくてハマちゃんに何度も何度も連絡を取ろうとするが、ハマちゃんはそれを冷たくあしらう」と言うシークエンスの繰り返しになってしまっている。

勿論コミカルなシーンではあるのだが、最後にはスーさんとハマちゃんが一緒に釣りをするシーンが作品を締める意味でも必要ではないかと思うのだ。

本作「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪」は、「水戸黄門」のような時代劇と同じ種類の安心感を与えてくれる楽しい娯楽作品に仕上がっている。
たまにはこんな作品も観て欲しいな、と思うのだ。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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先日公開された「チャーリーとチョコレート工場」が大ヒット中のティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」を見直してみた。

本来ならば、とっとと「チャーリーとチョコレート工場」のレビューを書くところだと思う。

またわたしは、新作の劇場公開に合わせて、テレビ局が権利を持っている、その監督の作品や、その新作に登場するキャストの前作等を、たまたま権利を持っているからと言って、商業的目的のため、作品の関連性も考えず、訳もわからず地上波で放映してしまう事には批判的な立場をとっている。

そんな中、わたしのポリシー的には、若干反する部分があるのだが、「ビッグ・フィッシュ」に関するお話をしてみたいと思う。

「ビッグ・フィッシュ」公開時のレビュー
http://diarynote.jp/d/29346/20040605.html

■ウンパ・ルンパの冒険
いきなり「チャーリーとチョコレート工場」の話で恐縮だが、どう作で強烈な印象を観客に与えているキャラクター:ウンパ・ルンパだが、その顔を見て見覚えはなかっただろうか。

ウンパ・ルンパを演じている俳優は、ディープ・ロイと言うのだが、なんと「ビッグ・フィッシュ」でも結構強烈な印象をわれわれに与えている。

ディープ・ロイが「ビッグ・フィッシュ」で演じたのは、ダニー・デヴィート演じるサーカスの団長のエージェント兼ピエロで、セリフはほとんどないものの、無口で無表情であるくせに、泣かせる奴だった。
例えば、ダニー・デヴィートが大暴れした際、涙をこぼしながら拳銃をユアン・マクレガーに差し出すアップのカットは素晴らしい。

この役柄は「チャーリーとチョコレート工場」のウンパ・ルンパに非常に近い。
ジョニー・デップに仕える様が、ダニー・デヴィートに仕える姿を彷彿とさせるのだ。

そう考えると、「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカはダニー・デヴィートでも良かったな、と思えてしまう。
実際のところ、オリジナルの「夢のチョコレート工場」では、ウィリー・ウォンカをジーン・ワイルダーが演じているのだが、ハリウッドにおいて、かつてのジーン・ワイルダーは、現在のダニー・デヴィートと似通ったポストを占めているような気がする。

余談だが、ウンパ・ルンパを演じる際、ディープ・ロイはCGIで増やされたのではなく、登場するウンパ・ルンパの全てを演じたらしい。

つまり、50人のウンパ・ルンパが登場するシークエンスでは、ディープ・ロイが50回踊った、と言うことである。
頭が下がる思いである。

因みにディープ・ロイは、「コープス・ブライド」にも声の出演をしている。

■巨人カールの生涯
「ビッグ・フィッシュ」において、哲学的思索的表情で見事な存在感を見せてくれた巨人カールを演じたマシュー・マッグローリーだが、残念な事に2005/08/09に亡くなった。享年32歳であった。

「ビッグ・フット」と言う愛称で親しまれた彼は、「ギネス・ブック」公認の世界一大きな足を持つ男としても知られ、身長は7フィート6インチ(2m29cm)あった。

最近は、アンドレ・ザ・ジャイアントの伝記映画を撮影中だっただけに惜しまれる。
謹んでご冥福をお祈りします。

「ビッグ・フィッシュ」の成功は彼の存在なくては、あり得なかったと思えるのだ。

■ベンソン!ベンソン!ベンソン!!
1977年にBBCで製作された大人のためのテレビ・シリーズ「ソープ」をご存知だろうか。二つの家庭を舞台にした、はっきり言って最高に面白いコメディである。その人間関係はあまりにも複雑で、「NANA」以上に複雑な人間模様が楽しめるのだが、その中で異彩をはなっていたのが、執事のベンソンである。

ベンソンを演じていたのは、ロバート・ギローム。最近は声優としてのキャスティングが多いのだが、「ビッグ・フィッシュ」ではかつてのベンソンを髣髴とさせるちょっぴりシニカルなユーモアを持つ役柄を演じている。そのロバート・ギロームが演じているのは、アルバート・フィニーの主治医と言うか、ブルーム家の主治医:ベネット医師である。
ロバート・ギロームも随分年をとったものである。

「ソープ」のキャスト
http://us.imdb.com/gallery/mptv/1102/Mptv/1102/15533_0001.jpg?path=gallery&;;path_key=0075584
真中上段の黒人がベンソン(ロバート・ギローム)
因みに、最前列左は若き日のビリー・クリスタル

■☆☆☆☆★
わたしは「ビッグ・フイッシュ」に星を四つ半つけている。
星五つをつけることは例外を除いて、おそらくないので、事実上はわたしにとって最高の作品のひとつ、と言う事である。

わたしは年間300本以上の映画を見ているが、2004年で星四つ半がついたのは「ビッグ・フイッシュ」と「オールド・ボーイ」だけである。

因みに2005年では「エターナル・サンシャイン」に星四つ半をつけている。ボクって結構ロマンチシストなのかも。

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2005/09/08 東京有楽町「よみうりホール」で「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」の試写を観た。

「藤原とうふ店」を営む父・文太(アンソニー・ウォン)と二人暮らしをする藤原拓海(ジェイ・チョウ)。
友人の樹(チャップマン・トウ)と一緒にガソリンスタンドでアルバイトをし、自分の車を買うことを夢みる普通の高校生である彼だが、毎日水に浸された豆腐を、父のハチロク(AE86)に乗せ、それを迅速に、そして正確に配達することで、完璧なドライビング・テクニックをモノにしていた。
それもそのはず、父・文太は過去に、秋名最速の走り屋と言われた伝説の男。
つまり、拓海は知らぬ間に父の英才教育を受けていたのだ。

ある日、チーム「妙義山ナイトキッズ」のリーダー、中里毅(ショーン・ユー)が拓海と樹が働く、スタンドにやってきた。
中里は、伝説の秋名最速の走り屋とのバトルを望んでいたのだが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック
原作:しげの秀一
撮影:アンドリュー・ラウ、ン・マンチン、ライ・イウファイ
出演:ジェイ・チョウ(藤原拓海)、鈴木杏(茂木なつき)、エディソン・チャン(高橋涼介)、ショーン・ユー(中里毅)、アンソニー・ウォン(藤原文太)、チャップマン・トウ(立花樹)、ケニー・ビー(立花祐一)、ジョーダン・チャン(須藤京一)、リュウ・ケンホン(岩城清次)

わたしは「頭文字<イニシャル>D」の熱心なファンではない。
マンガもほとんど読んでいないし、アニメーションも最初の5〜6話位しか見た事がない。そんな状況下で、わたしは本作を観た訳である。

先ずは、本作「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」のオープニング・クレジットには驚かされた。
本作の舞台となる秋名山(原作では榛名山)の峠道をただ単に映しているだけなのに、思わず泣かされそうになってしまった。
車が走っていない、ただの道の映像ですら感動的なのだ。

しかも、アニメーションを5〜6話しか見たことがないわたしにさえ、その峠道がどの場面で使われるのかわかるように出来ている。特に秋名山の天辺の駐車場にはデジャ・ビュを感じるほどであった。そんな訳で、本作の舞台となる峠道の再現力はすさまじいものがあった。

そして、と言うか勿論カーアクションである。
カーアクションはもちろん素晴らしいのだが、何と言っても撮影技術が大変素晴らしい。
広角レンズを効果的に使ったカットが臨場感を煽り、どうやって撮ったのかわからないようなカットの目白押しが楽しめる。

特に気になったのは、自動車のCF(CM/※)でも使われる手法である、カメラを自動車に付け、そのカメラが付いている自動車を撮影する手法(自画撮りか?)が素晴らしい。
※ 三菱自動車「eKワゴン/新・軽基準/テスト篇」参照

キャストは何と言ってもアンソニー・ウォン(藤原文太)である。はっきり言って最高である。

つづく・・・・
一時保存です。

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「タッチ」

2005年9月11日 映画
2005/08/30 東京竹橋「科学技術館サイエンスホール」で「タッチ」の試写を観た。

上杉達也(斉藤祥太)と和也(斉藤慶太)は双子の兄弟。
隣に住む浅倉家の一人娘の南(長澤まさみ)とは、小さな頃から何をするのもいつも一緒の幼馴染み。

自分たちの明青学園が甲子園に出場することを夢見る南。
スポーツ万能で成績優秀な弟の和也と明るく可愛い南は誰もが認める似合いのカップル。それに反し、兄の達也は落ちこぼれ。勉強、スポーツ、異性からの人気と、和也に比べるとどうしても見劣りしてしまう。

和也は好きな南の夢を叶えるために野球部のエースとして活躍していくが、一方で達也も心の中では南のことを想っていた。南は和也からの好意を知りながらも、密かに達也の方に惹かれていったが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:犬童一心
原作:あだち充『タッチ』(小学館/少年サンデーコミックス刊)
出演:長澤まさみ(浅倉南)、斉藤祥太(上杉達也)、斉藤慶太(上杉和也)、RIKIYA(原田正平)、平塚真介(松平孝太郎)、上原風馬(黒木武)、安藤希(日向小百合)、福士誠治(新田明男)、風吹ジュン(上杉晴子)、若槻千夏(矢部ソノコ)、徳井優(岡本先生)、山崎一(部長先生)、高杉亘(体育教師)、渡辺哲(ボクシング部監督)、生田智子(浅倉しのぶ)、本田博太郎(津川英二)、小日向文世(上杉信悟)、宅麻伸(浅倉俊夫)

本作「タッチ」を観て最初に感じたのは、実写映画の限界と制約、そしてアニメーションが持つ無限の可能性である。

本作「タッチ」はご存知のように、マンガ、アニメ、映画と複数のメディアで製作されている。

あだち充のマンガは比較的線が少なくスペースが多い、言わば空白の美学を持った作品だとわたしは思う。更に言えばその絵柄はコントラストが高くまるでハレーションを起こしているかのような、真夏の太陽の下での出来事を紙に定着させたかのような印象を受ける。

また、1985年から放映されたアニメーション作品は、あだち充の原作の雰囲気を醸し出しつつも、マンガにはなかった新たな次元である音の演出が顕著な作品だったような記憶がある。
例えば、本作でも再現しようとしている高架の下での南の号泣シーンの音の演出が素晴らしいし、和也の死に相対し、呆けてしまった父親の姿等々、名演出シーンが残っている。
尤も、それらの多くはあだち充が描いたままの絵をなぞっているのだが、それを前提としてもアニメーションの演出は非常に効果的で、感動的なものがあった。

何故こんな事を言っているかと言うと、アニメーションと言うメディア(手法)は頭の中にあるものを全て実現する事が出来る数少ないメディアであり、そして全て演出で、つまり考えられた事だけで構築する事が可能な数少ないメディアであり、そして手法なのである。

一方実写作品(所謂通常の映画)は、俳優や演技はともかく、セットや美術、撮影環境に非常に大きな制約を受け、演出家が頭の中で描いた、または書いた絵コンテ通りの、言わば理想的な作品を、前述の様々な制約の下、妥協に妥協を重ね、その妥協の結果をフィルムに焼き付けたものだと言えるのだ。

そう考えた場合、本作「タッチ」は、アニメーション作品の存在から、残念な作品だと思えてしまう。

マンガ「タッチ」とアニメーション「タッチ」から受けた様々な印象が記憶となってわたしの頭の中に亡霊として存在し、知らない間に拡大されたその亡霊が本作「タッチ」と鬩ぎあっているのだ。

そして本作を観て感じるのは、実写映画なのに演出の手法が、アニメーションのそれに準じているような印象を感じる。

監督の犬童一心はアニメの演出を実写で再現しようとしているのではないか、と思えてならない。
例えば、前述の高架下のシークエンスを再現するような演出を何故わざわざするのか、そんな疑問が湧いてくる。

個人的には演出はオリジナルで勝負して欲しかった、と思うのだ。

さて、キャストだが、本作のキャストはタイトル・ロールである上杉達也(斉藤祥太)ではなく、浅倉南役の長澤まさみが最初にクレジットされていることからもわかる通り、本作は長澤まさみの映画である。
犬童一心は長澤まさみをいかに魅力的に撮るかに腐心しているような印象を否めない。
長澤まさみはその期待に答え、観客は見事にころっと騙されてしまう。

当初、斉藤祥太・慶太が達也と和也にキャスティングされたのを知った映画ファンは、本作「タッチ」が「デビルマン」に続く双子俳優を起用したダメ映画になってしまうのではないか、と思っていた。
そんな斉藤祥太(上杉達也)と斉藤慶太(上杉和也)は、「デビルマン」の双子程酷くはなく、また演出や脚本そして長澤まさみに助けられ、なかなか頑張ったのではないかな、と思う。彼等も手取り足取りきちんと演出されれば、結構演技っぽいものを見せてくれるのではないか、と思った。

また野球シーンやマンガを髣髴とさせる無言の絵のようなカットでは、好意的に言えば、なかなか雰囲気を出していたのではないか、と思う。

脚本は、マンガやアニメとほぼ同じなのだが、マンガやアニメと比較すると本作の号泣指数は決して高くはない。

演出は順当でソツなくこなしているのだが、アニメと同様のカット割や描写をしようとしている印象が否めない。

画面のアスペクト比が、冒頭のスタンダードからビスタに広がる部分が非常に効果的で、例えば「ギャラクシー・クエスト」のようで個人的には楽しかった。
※ 球場の狭い廊下を通り抜けると画面がスタンダードからビスタに変わる。

本作「タッチ」は、マンガやアニメへの誘導作品として、いわば予告編として機能する程度の作品だと言わざるを得ない。
映画のヒットがマンガの売り上げや、アニメDVDの購買につながるのだろうと思うが、本作だけでは魅力的な作品だとは言えない。
尤も長澤まさみのアイドル映画と言う見方も当然ながら出来るのだが、そういう観点からは満足できる作品だと言えるだろう。

犬童一心監督作品としては凡庸で評価に値しないような気がする。

☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2005/09/01 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「亡国のイージス」を観た。

東京湾沖で訓練航海を予定している海上自衛隊イージス艦《いそかぜ》に、FTG・溝口哲也3等海佐(中井貴一)率いる14名の自衛官が訓練航海の視察のため乗艦して来た。

訓練中に事故死した《いそかぜ》2等海士・菊政克美(森岡龍)の遺体をそのままにし、訓練を続行しようとする《いそかぜ》副長・宮津弘隆2等海佐(寺尾聰)に、《いそかぜ》先任伍長・仙石恒史(真田広之)は死人が出ているのに何故訓練を続行しようとするのかと詰め寄る。

副長ではらちがあかず、艦長・衣笠秀明1等海佐(橋爪淳)に直談判しようとする仙石に副長は告げる。「艦長は既に殺されている」と。
 
 
監督:阪本順治
原作:福井晴敏 『亡国のイージス』(講談社刊)
脚本:長谷川康夫、飯田健三郎
編集:ウィリアム・アンダーソン
音楽:トレヴァー・ジョーンズ
出演:真田広之(《いそかぜ》先任伍長・仙石恒史)、寺尾聰(《いそかぜ》副長・宮津弘隆2等海佐)、佐藤浩市(DAIS内事本部長・渥美大輔)、中井貴一(FTG・溝口哲也3等海佐)、勝地涼(《いそかぜ》1等海士・如月 行)、チェ・ミンソ(ジョンヒ)、吉田栄作(《いそかぜ》船務長・竹中 勇3等海佐)、谷原章介(《いそかぜ》水雷士・風間雄大3等海尉)、豊原功補(《いそかぜ》砲雷長・杉浦丈司3等海佐)、光石研(《いそかぜ》掌帆長・若狭祥司、森岡龍(《いそかぜ》2等海士・菊政克美)、中沢青六(《いそかぜ》機関長・酒井宏之3等海佐)、中村育二(《いそかぜ》航海長・横田利一1等海尉)、橋爪淳(《いそかぜ》艦長・衣笠秀明1等海佐)、安藤政信(FTG・山崎謙二2等海尉)、真木蔵人(第204飛行隊・宗像良昭1等空尉)、松岡俊介(DAIS局員・小林政彦)、池内万作(DAIS局員・服部 駿)、矢島健一(《うらかぜ》艦長・阿久津徹男2等海佐)、佐々木勝彦(防衛庁長官・佐伯秀一)、天田俊明(統合幕僚会議議長・木島祐孝)、鹿内孝(海上幕僚長・湊本仁志)、平泉成(警察庁長官・明石智司)、岸部一徳(内閣情報官・瀬戸和馬)、原田美枝子(宮津芳恵)、原田芳雄(内閣総理大臣・梶本幸一郎)
 
 
本作「亡国のイージス」は、「ローレライ」「戦国自衛隊1549」に続く福井晴敏原作の映画化作品である。
「ローレライ」に激怒し「戦国自衛隊1549」にあきれたわたしにとって本作は、最後の砦的起死回生の期待の作品だった訳だ。

しかしながら、わたしは再度激怒することになる。

本作「亡国のイージス」と言う作品は、防衛庁、海上自衛隊、航空自衛隊の全面協力を得、日本映画史に残るであろう豪華キャストを揃え、その上海外からもスタッフを集め、満を持して製作された日本映画界期待の星なのだ。

キャストも豪華、勿論彼等俳優たちの演技合戦も楽しいし、昨今の日本映画での不安要素であるVFXも特に問題はない、物語にリアリティを醸し出す世界観を構築する美術や衣装も良い仕事をしているし、演出も編集も順当、更には音楽にも問題はない。

しかしながら、なんと言っても脚本とキャラクター設定がひどいのだ。

特にひどいのは寺尾聰演じる《いそかぜ》副長・宮津弘隆2等海佐と、彼の部下である上級士官たちのキャラクター設定と後半部分の脚本である。

副長・宮津は国を憂いて大義の下、謀反を企てる人物、−−言わば革命家−−、だと言うのに、脚本上にしてもキャラクター設定上にしても全く説得力がない。
そして更にそのキャラクターの行動原理には一貫性が無く、明確な意志が感じられない。

副長・宮津は、コロコロと手のひらを返す人物として描かれている。これはまるで「ザ・ロック」のエド・ハリス(フランシス・X・ハメル准将)のように一貫性がない。

その一貫性のない副長・宮津に引き入れられてしまった、《いそかぜ》船務長・竹中 勇3等海佐(吉田栄作)、《いそかぜ》水雷士・風間雄大3等海尉(谷原章介)、《いそかぜ》砲雷長・杉浦丈司3等海佐(豊原功補)、《いそかぜ》掌帆長・若狭祥司(光石研)等は全く浮かばれない。

まるで、フランス語が出来ると言う一点で過去に連れて行かれ、すぐ殺され、その後他の連中は平気で英語を話している「タイムライン」のフランソワ位に浮かばれない。

寺尾聰にしても吉田栄作にしも後半部分のひどい脚本はさておき、十分評価できる仕事をしたと思う。でもいかんせん脚本がひどすぎる、と言う事なのだ。

また、原田美枝子(宮津芳恵)のエピローグもひどい。
セリフもひどいが、やっていることもひどい。

国家を転覆させようとした人物の妻が何のほほんと墓参りしているのだ!
ついでに「今頃、二人で船の話でもしているんじゃないの」とは何事だ!
わたしは、こういったセリフが書ける脚本家の神経を疑うね。

キャストだが、キャストはなんと言っても佐藤浩市(DAIS内事本部長・渥美大輔)と原田芳雄(内閣総理大臣・梶本幸一郎)が素晴らしかった。

こういった作品の肝は、現場とその対策本部の舞台の描き方にかかっており、その対策本部が上手く描かれている作品に傑作が多い。「博士の異常な愛情」しかり「合衆国最後の日」しかりである。

また脚本の話になってしまうが、本作のコンセプトは、ほとんど「合衆国最後の日」と同じであり、犯人側の要求(国家機密の公開)も同じである。(但し「合衆国最後の日」と比較すると本作の国家機密は対岸の火事程度の矮小化された機密である、これも脚本の穴だろう)

その対策本部で気を吐いていたのが、やはり佐藤浩市と原田芳雄である。ピーター・セラーズとジョージ・C・スコット位凄かったのではないだろうか。
また佐藤浩市と岸部一徳(内閣情報官・瀬戸和馬)の絡みも良かった。

余談だが、冗談抜きに佐藤浩市は俳優として凄いと思う。例えば最近の日産のCF(CM)でも全力投球の演技に感涙モノである。

あと演出上なの話なのだが、原田芳雄のネクタイの状態がシーン毎に異なっているのも興味深かった。

実行犯の主犯となる中井貴一は、良いのは良いのだが、コンセプトが得体の知れない人物と言う事なので、演りづらい部分もあるのだと思うが、いまいち鬼気迫る部分が足りなかったと思う。勿論冷静沈着で冷酷な役柄なので仕方が無いのだが、もう少しはじけて欲しかった。「ブラック・レイン」の佐藤(松田優作)位が良かったかな、と思う。

寺尾聰は頑張っているのだが、演技スタイルに弊害が出てきているのではないか、と思った。俳優としてのカラーと言えばそれまでなのだが、「CASSHERN」や最近のダイワハウスのCF(CM)と同様の印象を受ける。

さて、主役の真田広之だが、行動原理の根本には釈然としない部分があるが、元JAC(現JAE)の面目躍如と言うところだろうか。しかしながら、前述の行動原理に浪花節的背景が見て取れ、感覚的には「助太刀屋助六」のような印象を受ける。

本作「亡国のイージス」は素晴らしい俳優を多数キャスティングできた数少ない貴重な機会であったと思うし、防衛庁の協力をはじめとして、日本や海外の優秀なスタッフを一同に介し、日本映画の底力を世に知らしめる素晴らしい機会だったのだと思う。
しかしながら、脚本の出来がそれをさせなかった残念なケースだと言わざるを得ない。

なんとも残念な話である。

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さて、早速ですが2005年の目標の中間発表その8です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
 
 
1.映画

#055「姑獲鳥の夏」テアトル池袋 2005/08/03
#056「オペラ座の怪人」新文芸坐 2005/08/05
#057「キングダム・オブ・ヘブン」新文芸坐 2005/08/05
#058「ライディング・ザ・ブレット」オスカー劇場 2005/08/06
#059「ライフ・アクアティック」目黒シネマ 2005/08/07
#060「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」目黒シネマ 2005/08/07
#061「疾走」イイノホール 2005/08/12
#062「チャーリーとチョコレート工場」イイノホール 2005/08/12
#063「青空のゆくえ」イイノホール 2005/08/13
#064「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪」イイノホール 2005/08/13
#065「シンデレラマン」イイノホール 2005/08/13
#066「ロンゲスト・ヤード」イイノホール 2005/08/14
#067「ランド・オブ・ザ・デッド」イイノホール 2005/08/14
#068「カーテンコール」イイノホール 2005/08/15
#069「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」イイノホール 2005/08/16
#070「鳶がクルリと」イイノホール 2005/08/17
#071「奥さまは魔女」ヤクルトホール 2005/08/17
#072「サマータイムマシン・ブルース」ヤマハホール 2005/08/22
#073「自由戀愛」津田ホール 2005/08/25
#074「タッチ」科学技術館サイエンスホール 2005/08/30
#075「ルパン」よみうりホール 2005/08/31
 
 
2.DVD、CATV等

#096「MIND GAME マインド・ゲーム」DVD 2005/08/02
#097「シャイニング」DVD 2005/08/04
#098「博士の異常な愛情」DVD 2005/08/08
#099「フルメタル・ジャケット」DVD 2005/08/09
#100「2001年宇宙の旅」DVD 2005/08/10
#101「カジノロワイヤル」DVD 2005/08/21
#102「オースティン・パワーズ」DVD 2005/08/23
#103「スティーブン・キング 死霊の牙」DVD 2005/08/29
 
 
3.読書

#020「邪魔(上)」奥田英朗著 講談社文庫 2005/08/07
#021「邪魔(下)」奥田英朗著 講談社文庫 2005/08/10
#022「海辺のカフカ(上)」村上春樹著 新潮文庫 2005/08/15
#023「スタンリー・キューブリック/写真で見るその人生」クリスティアーヌ・キューブリック編著 浜野保樹訳 愛育社 2005/08/20
#024「LAST(ラスト)」石田衣良著 講談社文庫 2005/08/21
#025「海辺のカフカ(下)」村上春樹著 新潮文庫 2005/08/23
#026「とり残されて」宮部みゆき著 文春文庫 2005/08/29
 
 
映画は、劇場21本(累計75本)、DVD等8本(累計103本)で、計29本(累計178本)。
このままのペースで、年間267本(劇場113本)です。

読書は7冊(累計26本)で、このままのペースでは、年間39冊です。

やばいです。
本当にやばい状況です。
「トーキョーシネマショー」のおかげで、映画の本数は稼いでいますが、今年はDVDやCATVでの鑑賞が対例年比-30本位の状況です。
なんとか、300本まで行けるのではないかな、と楽天的に見ていますが、今年はどうでしょうかね。

読書もやばいです。
最近読書熱が復活してきまして、若干希望が見えてきたのですが、目標達成は無理かと思います。

参考)
本年の状況
映画178本(うち劇場75本)
読書26冊

昨年同時期の状況
映画207本(うち劇場79本)
読書25冊

一昨年同時期の状況
映画 206本(劇場53本)
読書 38冊

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2005/08/22 東京銀座「ヤマハホール」で「サマータイムマシン・ブルース」の試写を観た。

マジに暑すぎる夏、とある大学の「SF研究会」部室。
SF研究などせずぐったりと夏休みを過ごす5人の男子学生と、2人の女性写真部員。前日にクーラーのリモコンが壊れて猛暑に悩まされるなか、ふと見ると部屋の隅に突然タイムマシンが!!!!
「ためしに昨日に帰って壊れる前のリモコン取ってこよう」
と軽い気持ちで乗ってみたら、さぁ大変。想像もつかないような事態が次々と巻き起こって…!?
(オフィシャルサイトよりほぼ引用)

製作・監督:本広克行
原作・脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)
出演:瑛太(甲本拓馬)、上野樹里(柴田春華)、与座嘉秋(新美優)、川岡大次郎(小泉俊介)、ムロツヨシ(石松大吾)、永野宗典(曽我淳)、本多力(田村明)、真木よう子(伊藤唯)、升毅(?)、三上市朗(映画館主人)、楠見薫(銭湯の番台)、川下大洋(大学の管理人)、佐々木蔵之介(保積光太郎)

わたしは「踊る大走査線」シリーズには全く関心がない。
と言うか、何故あんなにヒットするのかわからない。
テレビドラマ好きな人たちだけではなく、普段から映画をたくさん観ている映画好きの皆さんにも受け入れられている事実は、わたしには全く解せないのだ。

また、本広克行の趣味なのかどうかはわからないが、往年の名作の表層部分だけをさらりとパクる手法には、怒りすら感じる事もある。

そんな状況で、本広克行(製作・監督)の「サマータイムマシン・ブルース」を観た訳である。

本来は、2005/08/17に「東芝エンタテインメント試写室」で行われた本広克行のティーチ・イン付き試写会に行く予定だったのだが、試写当日は「奥さまは魔女」の試写と日程が重なってしまっていた。
「踊る大走査線」シリーズには関心がなく、往年のテレビドラマ好きのわたしは結果的に「奥さまは魔女」を選択してしまったのだ。

本作「サマータイムマシン・ブルース」の試写の段階で既に「奥さまは魔女」を観ていたわたしは、後悔することになる。
問題はあるものの「サマータイムマシン・ブルース」は大変面白い作品であった。
ついでに本作は、監督の本広克行の話も聞いてみたいなと思わせるような作品に仕上がっていたのだ。

先ず脚本が良く出来ていた。
勿論タイムトラベルものの肝は、何と言っても脚本であり、脚本がしっかりしているタイムトラベルものに外れはない。
だから、タイムトラベルものを製作する以上、脚本がしっかりしているのは、当たり前なのだ。

しかし、冒頭の10分間の描写はいただけない。
冒頭のシークエンスは、伏線を見せるだけのために存在するような印象を受ける。
もう少し描き方がなんとかならなかったのだろうか。この手法は全くスマートではない。
ある意味予告編や、CF(CM)前のような印象を受ける。

しかし、脚本は良く出来ているのだが、伏線やプロットが非常にわかりやすく、ちと残念な気がした。
順当に物語は進み、特に意外な展開もなく、予定調和と言えば予定調和なのだが、わかりやすいプロットには残念な印象を受ける。
タイムトラベルものには意外な出来事が必須だと思うからだ。

尤も本作は原作が戯曲なので、脚本はしっかりしているのは、更に当たり前なのだが・・・・。

描写や演出は順当でソツなくこなしているのだが、途中で出てくる時空を超えたスプリット・スクリーンには驚いた。
決して映画的手法ではないのだが、強烈な印象を受けた。

世界観は、莫迦をやっていた時代のノスタルジックな雰囲気が醸し出されており、例えば学園祭のノリのようなものが感じられる。
熱狂と寂寥感が共存する摩訶不思議な空気が感じられるのだ。
世界観を構築する美術も良い仕事をしていた。
雑駁な印象を付与するSF研究会の部室もよく出来ていた。

タイムトラベルものとして「タイムマシン」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ、「スタートレック」シリーズへの言及等もあった。

キャストは全て自分が与えられている役柄を見事にこなしていた。
キャラクターが濃い事もあり、誰もが印象に残るシーンを演じていた。全てのキャラクターにきちんと見せ場がある脚本も相まって、幸せな印象を受ける。

キャストは比較的地味でキャストの力で客を呼ぶのは困難だと思うが、本広克行(「踊る大走査線」)人気で、普通にヒットする作品だと思うが、それ以外の普通の映画ファンにもまあ観ていただきたいと思う。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2005/08/16 東京霞ヶ関「イイノホール」で開催されていた「GTF2005 TOKYO CINEMA SHOW」で「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」の試写を観た。

天才科学者リード・リチャーズ(ヨアン・グリフィス)と彼の昔の恋人で女性科学者のスー・ストーム(ジェシカ・アルバ)、スーの弟でパイロットのジョニー・ストーム(クリス・エヴァンス)、リードの親友ベン・グリム(マイケル・チクリス)は、スーの現在の恋人で野心的な実業家ビクターの援助を受けて、人類の進化を解明するための宇宙実験を実施する。しかし、計算外に早くやってきた宇宙雲の高エネルギー光線を浴びた事により、DNAが変化した彼らは人間を超えた力を授かる。一方、実験の失敗で、名声と資産をなくしたビクター・バン・ドゥーム(ジュリアン・マクマホン)の体にも変化が訪れ、喪失感の中で、仲間を恨み、邪悪な存在になっていく。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ティム・ストーリー
出演:ヨアン・グリフィズ(リード)、マイケル・チクリス(ベン)、ジェシカ・アルバ(スー)、クリス・エヴァンス(ジョニー)、ジュリアン・マクマホン(ビクター)、ケリー・ワシントン(アリシア)

本作「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」は、「これじゃコケるよな」と思わず納得の仕上がりだった。

脚本も微妙でなんだかおかしいし、キャストも地味で華がない。
唯一の華はジェシカ・アルバなのだが、他の主要キャストはほぼ無名と言っても良い始末である。

そんな訳で、本作が置かれている状況は、キャストで客を呼べない以上、脚本の出来が重要だと思えるし、キャッチーなVFXも重要だと言わざるを得ない。

更に、日本国内においては、「ファンタスティック・フォー」の知名度は、他のアメコミ・ヒーローものと比較すると決して高いものではなく、大昔に「宇宙忍者ゴームズ」というタイトルでアニメーションが放映された際の、カルト的なファンがいる位だと思う。(「ムッシュムラムラ」と言うセリフで大人気)

宇宙線を浴びて超能力を身につけてしまう、と言う物語の発端は決して新しいものではないのだが、(尤も原作のアメコミは1960年代のものなので、当時としては斬新なものだったのだろう)、驚くべきことに、ヒーロー同士が内輪もめをしたり、ヒーロー達の正体が一般大衆にバレていたり、ヒーローとしてマスコミに登場したり、ナンパしたりしているのが設定としては興味深かった。

原作のコンセプトは、実際にヒーローがいたらどうなるか、と言うシミュレーションもかねていたようで、彼らはNYのアパートに実際に家賃を払って住んでいたり、彼等にも追っかけがいたり、マスコミに叩かれたりしていたらしい。

それはそれで面白いのだが、本作ではその部分がコメディにしかなっていないのだ。
最近のヒーローものの常套手段となっている、ヒーローでいる事の悲哀を描くつもりが、実際にヒーローがいたら、と言う点からのギャップを利用したコメディになってしまっているのだ。

またリーダーのリード(ヨアン・グリフィズ)のキャラクター設定も所謂ヒーローに似つかわしいものではなく、非常に地味な印象を受ける。

VFXは最初のアクション・シークエンスである橋上のアクションは、リアル志向で見応えがあって楽しかったが、中盤移行のアクションはCGI主体の良く見るタイプのアクションになってしまっていたのが残念だ。

本作「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」は、日本でも苦戦が予想できるのだが、なんとか頑張って欲しいな、と思う。
逆にカルトなファンがついちゃう作品かも知れないがね。

☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2005/05/31 東京有楽町「よみうりホール」で「ライフ・イズ・ミラクル」の試写を観た。

1992年のボスニア。
セルビア人のルカ(スラブコ・スティマチ)は、セルビアとの国境に近い片田舎の村に、鉄道を引くためにやってきた技師。今日ものんきに、昼は仲間たちとブラスバンドの練習に励み、夜は屋根裏部屋で鉄道模型いじりに熱中している。テレビでは、ボスニアのあちこちで銃撃戦がおきていると報じられるが、ルカはいっこうに信じようとしない。

そんな彼にも、内戦と無縁ではいられなくなる日がやって来た。息子ミロシュ(ブク・コスティッチ)が徴兵にとられてしまったのだ。さらに悪いことに、ミロシュは前線で捕虜として捕らえられてしまうのだった。

それから数日後、村の悪童として知られるトモが、ルカの家を訪ねてきた。トモ(ダボア・ヤニック)に追い立てられるようにしてトラックから降り立ったのは、ムスリム人の看護士で、トモたちに人質にされたサバーハ(ナターシャ・ソラック)だった。「彼女は名家の令嬢だから、捕虜としてミロシュと交換できる」と言うトモの言葉を聞いて、サバーハを預かることに決めるルカだったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本・製作・音楽:エミール・クストリッツァ
出演:スラヴコ・スティマチ(ルカ)、ナターシャ・ソラック(サバーハ)、ヴク・コスティッチ(ミロシュ)、ヴェスナ・トリヴァリッチ(ヤドランカ)、ニコラ・コジョ(フィリポヴィッチ)、アレクサンダル・ベルチェク(ヴェーリョ)、ストリボール・クストリッツァ(アレクシチ)

本作「ライフ・イズ・ミラクル」は、内戦と言う極限状態において、実直に生きる市井の人々のささやかな幸福とささやかな不幸を描いた作品であると同時に、極限状態における精神の飛翔をも描写した素晴らしい作品である。

本作は、タイトルの語感と描いた題材から、どうしても「ライフ・イズ・ビューティフル」と比較されてしまうと思うのだが、両作の物語の背景は非常に近しいものがあった。
両作は同様に、戦争と言う極限状態を背景にしており、その厳しい環境から、想像力と言う精神世界の力を借り、現実世界から半ば逃避しながら、それでいても現実世界を生き抜く、と言うようなベクトルを持っており、そのベクトルのおかげで、両作はある意味見事なファンタジー作品にも仕上がっている、と言えるのである。もしかすると、その辺の感覚は「未来世紀ブラジル」にも似ているかも知れない。

そして、ルカの視点から本作の中盤までを見てみると、環境的には、仕事は上手くいかない、妻はいかれているし、息子は戦争に取られてしまう、ついでに妻は他の男と駆け落ちしてしまう、といった状況下にあるのだが、ルカの精神状態は常態の範囲で踏みとどまっている。
しかし、内戦がはじまり、息子が捕虜に捕られる事により、ルカの精神は極限状態に陥ってしまう。

そこに登場するのが、サバーハである。
そこで、日常の中で、戦争という非日常的日常がルカの精神を蝕み、現実逃避がはじまる。その現実逃避はサバーハとの関係が親密になるにつれ、拍車がかかっていく。この辺も「未来世紀ブラジル」のようである。
そしてそのルカの行動、自らが置かれている環境や、将来起きるであろう事には、全く頓着しない様がおかしくも切ないのだ。

また、人生と言う思い通りにならないもののメタファーとして登場するロバがすばらしい。
何しろロバなのである。

また、独特の地形を生かしたロケーション効果も高く、美術や鉄道関係のセットやプロップからなる世界観は素晴らしい。

脚本は、正に「ライフ・イズ・ミラクル」で、ラストのシークエンスの爽やかな風のような結末は、ささやかではあるが、ある種のカタルシスを感じさせてくれる。

本作「ライフ・イズ・ミラクル」は尺が長いヨーロッパ映画と言う事もあり、比較的敬遠されやすい作品だと思うのだが、機会があるのならば、是非劇場に足を運んでいただきたいと思う。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2005/08/17 東京新橋「ヤクルトホール」で「奥さまは魔女」の試写を観た。

普通の生活や恋に憧れて、人間界に舞い降りてて来た本物の魔女イザベル・ビグロー(ニコール・キッドマン)は、もう魔法を使わないと決心する。

一方、失敗作が続く落目の映画俳優ジャック・ワイヤット(ウィル・フェレル)は、往年のテレビ・シリーズ「奥さまは魔女」のリメイク版ダーリン役に、テレビ俳優としての再起をかけていた。ジャックは自分が演じるダーリン役を目立たさせるため、サマンサ役には新人女優を起用する事を考える。
しかし、イメージ通りの女優は見つからず、サマンサ役のキャスティングは難航していた。

そんなある日、ジャックはたまたま本屋でイザベルと出会う。
イザベルの鼻をピクピクさせる仕草を見初めたジャックは、イザベルにサマンサ役を猛烈にオファーするが・・・・。

監督・脚本・製作:ノーラ・エフロン
共同脚本:デリア・エフロン
出演:出演:ニコール・キッドマン(イザベル・ビグロー/サマンサ役)、ウィル・フェレル(ジャック・ワイヤット/ダーリン役)、シャーリー・マクレーン(アイリス・スミスソン/エンドラ役)、マイケル・ケイン(ナイジェル・ビグロー)、ジェイソン・シュワルツマン(リッチー)、ヘザー・バーンズ(ニーナ)、クリスティン・チェノウェス(マリア)、スティーヴ・カレル(アーサーおじさん)、キャロル・シェリー(クララおばさん)

本作「奥さまは魔女」は、往年の大ヒットTVシリーズ「奥さまは魔女」の単純なリメイクではなく、TVシリーズ「奥さまは魔女」リメイク版の製作の際、サマンサ役に本物の魔女をキャスティングしてしまう事に端を発するロマンティック・コメディである。

そのプロットは、真正面から「奥さまは魔女」をリメイクするだけではなく、「奥さまは魔女」本来のシチュエーションである、「魔女が人間界で魔法を使わないで恋愛し生活する」を、背景と製作するドラマにおいて、二重に再現すると言うトリッキーな構成を持っている。

特に印象的なのは、ニコール・キッドマン演じるイザベルが、父ナイジェル(マイケル・ケイン)の反対を押し切って人間界に舞い降り、魔法を使わない普通の恋愛や生活を営みたいと言う部分に顕著である。

そのメイン・プロットは前述のようにトリッキーではあるし、充分に評価できると思うのだが、全世界中が愛した「奥さまは魔女」のサマンサとダーリンと言うキャラクターを考えた場合、ダーリンを演じる事になるジャック・ワイヤット(ウィル・フェレル)が、愛すべき人物ではない、と言う設定が釈然としない。

勿論、本作のプロットにはジャックの成長と言う部分もあるのだが、ウィル・フェレルが演じるジャックは観客が求めているダーリン像にそぐわない印象が否定できない。
また、ウィル・フェレルのルックスにも華がない。

一方かつてのTVシリーズ「奥さまは魔女」を踏襲した部分は評価できる。

愛すべきエンドラ役のアイリス・スミスソン(シャーリー・マクレーン)をはじめ、クララおばさん(キャロル・シェリー)やアーサーおじさん(スティーヴ・カレル)、エピローグのグラディスさん(エイミー・セダリス)と夫アブナー(リチャード・カインド)等が楽しい。

特にシャーリー・マクレーン(アイリス・スミスソン/エンドラ役)はオリジナル(アグネス・ムーアヘッド)に勝るとも劣らないほど素晴らしい。
エンドラ最高なのだ!

また素晴らしいと言えば、マイケル・ケイン演じるナイジェル・ビグローも素晴らしい。
本作にとって、シャーリー・マクレーンとマイケル・ケインがキャスティング出来たことは、大いなる幸せだと思う。
こういった往年の俳優達が醸し出すものが、映画に風格を与えているのだ。

また、オリジナルと同じキャラクター設定のクララおばさん(キャロル・シェリー)とアーサーおじさん(スティーヴ・カレル)の存在は、面白いのは面白いのだが、脚本を真面目に読み解くと、釈然としない印象を受ける。
彼らはサマンサ、ダーリン、エンドラと同様にTVシリーズ「奥さまは魔女」における創作上のキャラクターなのだが、本作で彼らは、イザベルの本当のおじとおばとして登場しているのだ。
その設定は、他のキャラクターと比較して、おかしいと言わざるを得ない。
目くじらを立てるような部分ではないのだが、付記しておく。

また本作のニコール・キッドマン(イザベル・ビグロー/サマンサ役)は、実年齢と比較して非常にキュートで、女優は怖いと思わせるほど若々しい。

脚本的には、もう一歩踏み込んで、魔法を使う生き方と、人間として地道に生きる事を考えさせるところまで到達して欲しかったような気がする。

本作はオリジナル版「奥さまは魔女」に取り立てて思い入れがない観客には充分楽しめる作品だと思うのだが、オリジナル版の熱心なファンにとっては、満足できる作品だとは言えないのではないか、と思う。
とは言うものの、多くの観客が楽しめる非常に楽しいロマンティック・コメディではある。デート・ムービーには最適だろう。

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「ランド・オブ・ザ・デッド」
2005/08/14 東京霞ヶ関「イイノホール」で開催されていた「GTF2005 TOKYO CINEMA SHOW」で「ランド・オブ・ザ・デッド」の試写を観た。

この世で人間は、常に死と隣り合わせ。それでも金持ちの支配階級の人間たちは、かつての幻想を抱き、小都市を作った。ゾンビが入ってこないよう川に挟まれた地形を生かし、陸続きの部分は塀で覆った。まるで要塞のような小都市の中心には、フィドラーズ・グリーンと呼ばれる超高層タワーがそびえ建ち、そのペントハウスからカウフマン(デニス・ホッパー)が、この地を統治していた。彼をはじめとする裕福な者たちは、金の力を使って贅沢な生活を送っていたのだ。

そんな要塞都市の支配者の命令で、ゾンビが溢れる危険地域から贅沢な食料や物資を調達してくるのが、探知機や重火器を備えた強力な装甲車デッド・リコニング(死の報い)号を駆使する傭兵グループだった。そのメンバーには、ライリー(サイモン・ベイカー)、彼の右腕チョロ(ジョン・レグイザモ)、ライリーの良き理解者チャーリー(ロバート・ジョイ)らがいた。

ライリーはこの仕事で金を稼ぎ、塀のない世界と自由を約束する北への逃亡資金を貯める目的があった。一方チョロは、フィドラーズ・グリーンの上流階級の生活を密かに狙っていた。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
出演:サイモン・ベイカー(ライリー)、デニス・ホッパー(カウフマン)、アーシア・アルジェント(スラック)、ロバート・ジョイ(チャーリー)、ジョン・レグイザモ(チョロ)、トム・サヴィーニ(鉈を持ったゾンビ)、ユージン・クラーク(ビッグ・ダディ)

本作「ランド・オブ・ザ・デッド」は、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」「ゾンビ」「死霊のえじき」のソンビ三部作に続くジョージ・A・ロメロの新たなゾンビ・ムービーである。

物語は勿論「ゾンビ」「死霊のえじき」の世界観をほぼ踏襲し、別の地域ではこんな出来事が起こっていた、と言う感じの物語に仕上がっている。その時系列は、「ゾンビ」より後で「死霊のえじき」と同時期か、それ以降の時系列を描いており、ゾンビの突然の襲来から幾許かの期間が過ぎ、富裕階級の人々が貧困層の人々を使役し、地形を生かした安全な文明世界を再構築し始めている。そしてなんと貨幣価値が復権しているのだ。

そして、期待のゾンビの描写は勿論かつての作品とは比較は出来ないのだが、昨今の亜流ゾンビ作品とは確実に一線を画し、ただ人に噛み付くだけではなく、きちんと人を噛み裂き喰らうゾンビが真正面から描かれている。残念ながらゾンビが人を喰らうカットは短く物足りないのだが、われわれがそうであったように、現代の少年達にとっては充分ショッキングな描写だと思える。

脚本は、残念ながら、従来のロメロのゾンビ三部作より、ハリウッド・テイストが感じられ、余計な娯楽物語が語られているような印象を受けるし、そのため、語るべき物語の焦点がぶれているような印象を受けるし、またカウフマン(デニス・ホッパー)の結末のつけ方にも失望させられてしまう。
折角カウフマン(デニス・ホッパー)とチョロ(ジョン・レグイザモ)が対立しているのだから、その対立の延長上に、ローズ大佐(「死霊のえじき」)の結末的な描写が欲しかった、と思う。
勿論大人の事情があるのだろうと思うのだが、多くの観客はデニス・ホッパーの見事な結末を期待していたと思うのだ。

そしてその脚本からは、従来通りの大量消費社会への批判が明確に語られ、更に安全で裕福な生活をおくる富裕階級と、彼等に虐げられ使役される貧困層の対比と、知性を持ち始めたゾンビとの対比が非常に興味深い。
それらの描写は、極限状態に陥っているのにも関わらず、ダメな行動を取り続けるダメな人類への批判と失意の視線が感じられる。

しかし、本作「ランド・オブ・ザ・デッド」を作品として考えると、やはりかつてのゾンビ映画は偉大だったのだなと言う印象を受ける。
かつてのゾンビ映画の孤高な精神と毒気が、ハリウッド資本により、マイルドな娯楽作品になってしまったような印象が否めない。

とは言うものの本作「ランド・オブ・ザ・デッド」は、贔屓目かも知れないが、「バイオ・ハザード」や「28日後・・・」のような亜流ゾンビ作品とは違う風格と緊張感と孤高な精神を持っているような気がする。

本作は、ホラー映画ファン必見の作品ではあるし、過去のロメロのゾンビ作品を見直すきっかけともなり得る作品なのだ。
是非劇場でロメロのゾンビを目撃して欲しいのだ。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2005/07/30 東京池袋「シネ・リーブル池袋」で「チーム★アメリカ/ワールドポリス」を観た。

ますます混迷を極め、かつてないほど緊迫した状況下に置かれている現代の世界−−−−そんななか、平和を乱すテロリストに対抗するため、とある国際警備組織が結成された。
その名は<チーム・アメリカ>!
ハリウッドの秘密基地を拠点とする彼らは、アレック・ボールドウィンをはじめとする多くの知識人から「救済活動と称して破壊行為を繰り返しているだけ」と手厳しく批判されながらも、そんなことはいっさい意に介せず、今日も世界のどこかで、マシンガンを両手に、憎きテロリストたちを無差別に殺しまくってくれているのである。

パリでの任務遂行中、メンバーのひとりを失ってしまった<チーム・アメリカ>は、深い悲しみに暮れながらも、独裁者がテロリストに大量破壊兵器を売りさばこうとしているとの情報をつかむ。
テロリストの陰謀を事前に阻止するため、チームを指揮するリーダーであるスポッツウッドは、前代未聞の計画を思いつく−−−−ブロードウェイで活躍中のスター俳優、ゲイリーをチームにリクルートし、おとり捜査をさせようというのだ!
ゲイリーは一度はその要請を断るのだが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:トレイ・パーカー
脚本:トレイ・パーカー、 マット・ストーン、パム・プラディ
声の出演:トレイ・パーカー、マット・ストーン、クリステン・ミラー、フィル・ヘンドリー、モーリス・ラマルシュ

本作「チーム☆アメリカ/ワールドポリス」は、2004年8月、WEB上で予告編が公開されるや否や、全世界の各方面で賛否両論話題沸騰の作品である。

また、それと同時に2004年に公開されたジョナサン・フレイクス版「サンダーバード」に失望した多くのオリジナル版「サンダーバード」ファンが待ち望んだ作品でもあったのだ。
「ボクラが見たかったのはこれだ!」と。

何しろ本作は、「サンダーバード」をはじめとする一連のITC作品(ジェリー・アンダーソン作品)でおなじみのマリオネーション技法(但し、勿論スーパー・マリオネーションではない)を使った作品で、肝心の人形のクオリティは勿論、その操演技術も、セットやプロップのクオリティも大変素晴らしいものがある。

またその演出手法も、微に入り細に入り、かつての「サンダーバード」をも髣髴とさせる。

内容については、当初言われていたような、ブッシュ政権打倒に向けた「華氏911」の援護射撃的な作品ではなく、作品のベクトルは、右も左も容赦なく俎上に乗せ、こけにし笑い飛ばす、というものであった。

これについては「ダーティハリー」のハリー・キャラハンの設定、「黒人も白人も分けへだてなく嫌っている」を思い出した。

また子供向けの題材(ここでは人形劇を指す)を使用した大人向けの作品と言えば、今をときめくピーター・ジャクソンの「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」が思い出された。同作は「チーム☆アメリカ/ワールドポリス」に関心を持った方には是非観ていただきたい素晴らしい作品である。
そういった観点では、同作の題材はパペットで、そのパペット同士が殺し合いをする、スプラッタ作品に仕上がっている。同作では可愛らしいパペット達が、人間の醜さを表現しているのだ。

さて、本作についてだが、まずは脚本だが、個人的に非常に残念な点がひとつあった。
中盤のバーのシークエンスで、DとPとAのたとえ話が出てくるのだが、このたとえ話は本作の一番のテーマとも言うべきものなのだ。
このたとえ話について、ラストの演説シークエンスでその種明かしをしてしまうのは、いかがなものかと思った。
もう少し観客の想像力を信じて、演説ではなく異なったアプローチで作品のテーマを暗喩して欲しかったと思う。

と言うか、本作は、右も左もお構いなく批判し馬鹿にする、と言うコンセプトを持っている作品だったと思うのだが、ラストの演説において、バーのシークエンスが暗喩することを明示してしまうことにより、全てに唾を吐きかけると言う、作品としてのベクトルがぶれ、そのためある方向性を持ったある種の説教臭さを観客に押し付けてしまっているのだ。そのためか、本作のような孤高な作品が持つ魔法の力が薄れてしまったような印象を受けてしまう。

世界観の構築に関わる、美術やプロップ、セットは大変素晴らしい。
チープなところはあくまでチープに、そして壮大なところはあくまで壮大に、美術にしろ衣装にしろプロップにしろ、見事な世界観の構築に成功している。
また、前述のように人形の操演技術も大変素晴らしい。

とは言うものの、美術関係で気になったのは、人形の顔がフォーム・ラテックス(おそらく)で覆われている点である。これにより、「サンダーバード」等スーパー・マリオネーションに特有の唇のパーツだけがパカパカと動く、と言ったノスタルジックな観点がなくなってしまっている。だからどうした、と言う事もないのだが、ご参考までに付記しておく。

最後に、本作が観客を選ぶ点なのだが、四文字ワードの頻出は勿論の事、下ネタ満載で下品だし、バイオレンスの描写も(人形劇にしては)激しい、またハリウッドの俳優の皆さんを政治家同様コケにしている。
そう言った作品を観て気分が悪くなってしまう方にはオススメできないが、ここまで真面目に不真面目をやっている作品には頭が下がってしまうのだ。

とにかく本作「チーム☆アメリカ/ワールドポリス」は、関心があるのならば、出来れば劇場に足を運んで欲しい、と思える良い作品だと言えるのだ。

余談だが、「チーム☆アメリカ/ワールドポリス」以降、モンタージュ技法のひとつの手法を行っている作品を観ると笑いがこぼれてしまう。
先日試写で「シンデレラマン」を観たのだが、それでも笑えてしまった。困ったものである。

”Team America: World Police”を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040813.html

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とりあえずこちらを読んでいただきたい。

「宇宙戦争」その0
http://diarynote.jp/d/29346/20050629.html

「宇宙戦争」その1
http://diarynote.jp/d/29346/20050715.html

賛否両論の「宇宙戦争」だが、書き足りないものがいくつかあるので、引き続き「宇宙戦争」について考えてみたい。

従来の宇宙人の侵略もの、例えば「宇宙戦争」(1953)、「インデペンデンス・デイ」、「マーズ・アタック!」等においての視点は、宇宙人の侵略をなんらかの形で撃退する人々、あるいは人類を代表して侵略者に対し、なんらかの対応を行っている人々の視点で作品が語られることが多い。
この視点を採用することにより製作者は観客に対し、宇宙人と人類との戦いの局面を俯瞰的に見せることが可能だった訳であり、これは勿論娯楽作品として、観客に戦局を説明する上でなくてはならない視点だったのである。

しかし「サイン」においては、「人類と宇宙人との対峙」ではなく、「ただの父親(家族)と宇宙人の対峙」に軸足を置き、マクロ的な戦局ではなく、ミクロ的な戦局が描かれていた。
とは言うものの「サイン」の物語の中では、マスコミが生きており、テレビやラジオを通じ、世界中の戦局が刻一刻と一般大衆に伝えられていた。
観客は世界中で起きている「人類と宇宙人の対峙」と「家族と宇宙人の対峙」を同時に見る事が出来たのだ。

一方「宇宙戦争」では、視点は「サイン」と同様に、父親(家族)のそれなのだが、マスコミや情報インフラがほぼ壊滅しているため、世界中で何が起こっているのか、人類と宇宙人の戦局は登場人物にも伝わらないし、観客にも当然ながら伝わってこない。
伝わってくるのは、口コミによる噂やデマだけなのである。

ここ(戦局を描写しないこと)には、娯楽作品を超えた凶悪なまでのリアリティが感じられる。
言わば「宇宙戦争」は、娯楽を廃し、われわれ一般大衆が、侵略を実際に受けた場合に体験するであろう事象を描いているのだ。ここで描かれているのは、戦局や自軍の状況等の情報を全く得られない中、侵略者が自分たちに迫ってくる恐怖なのだ。

そして、トム・クルーズが演じる父親はわれわれであり、トム・クルーズの家族はわれわれの家族そのものなのである。
われわれ一般大衆が圧倒的な武力で侵略を受けた場合、自分と家族の命を救うべく、逃げ惑うこと以外に一体何が出来るのだろうか。観客がトム・クルーズに望んだように、われわれ一般大衆は、世界を救うヒーローとして侵略者に対し一矢報いる事が出来るとでも言うのだろうか。

そう考えた場合気になるのは、後半部分の展開である。
具体的には、「手榴弾による攻撃」と「トライポッドに近づく鳥」である。

「手榴弾による攻撃」は、トム・クルーズがわれわれ一般大衆のメタファーとして捉えるならば、本来トム・クルーズではなく、他の人物が行うべきだったと思うし、「トライポッドに近づく鳥」を発見し軍に告げる役割も他の人物が行うべきだったと思う。

この辺については「プライベート・ライアン」のラストの戦い部分の脚本がおかしくなってしまう、スピルバーグの悪い癖(「娯楽嗜好」)が前面に出てしまったのではないかと思う。
「手榴弾による攻撃」は作品全体のトーンを考えると、「プライベート・ライアン」の「靴下爆弾」に匹敵するほど違和感を感じてしまう。

また、一般的に「宇宙戦争」の宇宙人は、911テロにおけるテロリストであり、宇宙人による侵略は、テロリストによるテロ行為のメタファーだと言われているようである。

しかしながら、ユダヤ人であるスティーヴン・スピルバーグの意図は、宇宙人は勿論ナチス・ドイツのメタファーとして機能しているハズだし、更にはイラクを侵略したアメリカのメタファーとしても機能していると言わざるを得ない。

これは前作「ターミナル」で、ハート・ウォーミング・コメディの体裁を取りながら、人類(アメリカ)はもうダメだ、と言う事を暗に仄めかしていたスピルバーグの考えを、比較的明確に表しているのではないか、と思えるのである。

あと、否定する人が多い結末(オチ)の付け方なのだが、本作「宇宙戦争」で描かれた日数が観客の目には少ない日数に見えるため、違和感があるのかも知れないが、本作の物語の意図やコンセプトを崩さずにあれ以外の方法で結末を付ける方法があったら教えて欲しいものである。

本作「宇宙戦争」にはあれ以外の結末の付け方はありえないのである。

「宇宙戦争」は頭の中で、トム・クルーズを自分に、トム・クルーズの家族を自分の家族に置き換え、更に宇宙人をアメリカに置き換えて考えながら観る作品なのである。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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「七人の弔」

2005年8月11日 映画
「七人の弔」
2005/07/20 東京神保町「日本教育会館一ツ橋ホール」で「七人の弔」の試写を観た。

夏休み、川原でキャンプをしているのは、全国から集まってきた七組の親子たち。

楽しいハズの親子キャンプなのに、七人のこどもたちはみな浮かない顔をしている。親たちがいつもと違って、妙にやさしく、「いい親子」を演じようとしているからだ。

やがて謎の指導員・垣内(ダンカン)が無表情のまま、親だけを集めて説明を始める。これは、単なる親子ツアーでもなければ、特別合宿でもない。子供たちの臓器を売買する秘密の”契約場所”だったのだ!
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:ダンカン
出演:ダンカン(垣内仁)、渡辺いっけい(河原功一)、高橋ひとみ(中尾君代)、いしのようこ(橋本染子)、山崎一(柳岡秀男)、温水洋一(横山春樹)、保積ぺぺ(西山政彦)、有薗芳記(前田憲夫)、山田能龍(住田昇)、水木薫(西山美千代)、中村友也(河原潤平)、川原真琴(中尾晴美)、柳生みゆ(西山翔子)、石原圭人(前田正一)、波田野秀斗(横山一樹)、戸島俊季(柳岡三郎)、松川真之介(橋本慎一)

本作「七人の弔」は、比較的良くできた社会派ブラック・コメディである。
しかもダンカンの第一回監督作品であり、ついでに「モスクワ国際映画祭」正式出品作品でもある。

そう考えた場合、本作のタイトル「七人の弔」は、なんとふざけたタイトルを付けたものだ、と思わずにはいられない。
本作がふざけた作品だったのならいざ知らず、本作は作品や題材に対し真摯に取り組んだ作品であり、自らの第一回監督作品と言う記念すべき作品でもあるのだから、出来ればオリジナルのタイトルで勝負して欲しかったと思うのだ。

と言うのも、わたしは本作に驚かされたのである。
「七人の弔」はわたしの先入観を超え、わたしの想像以上に映画していたのである。

まず驚いたのが、背景となる部分を徹底的に省略している点だった。

おそらく一般の映像作家ならば、本作の舞台背景として、垣内(ダンカン)が関与する「子供の臓器売買ネットワーク」を描くのではないかと思う。
しかしながら、いくつかの描写はあるものの、本作ではほとんどと言って良いほど「子供の臓器売買ネットワーク」を描いていない。
物語を描く上で、作品に必要な部分と不必要な部分とを明確に切り分けているのだ。この大胆な背景の省略は、舞台脚本または京劇の背景の省略にも近い印象を受けた。

脚本としては、奇をてらったところが無く、順当にそして淡々と物語は進み、前半から中盤にかけては、現在と過去を行き来する演出は勿論ベタではあるが、登場人物のキャラクターを掘り下げる上で非常に効果的である。

後半部分は、観客の多くは既に物語の結末を予期しており、関心はどうやって予想通りの結末に物語を導くのか、と言う一点に収束してしまっているのだ。
これはスタンリー・キューブリックが「ロリータ」で行った手法に近い印象を受けた。
ラストを先に知らせ、何故そのラストが起きたのかを観客を引っ張りながら描写する手法である。

そしてラストのシークエンスにおいて、本作は恐ろしいほどシニカルな歌で締めくくられる。
これは「ダーティー・ハリー」のバスのシークエンスと比較すると面白いかも知れない。

さて、脚本だが、残念だなと思ったのは、「若い臓器のほうが価値がある」と言う部分が、いつの間にか脚本からすっかり抜け落ちてしまっているところである。この点をスマートに解決する脚本が望ましかったとわたしは思う。
その他の部分は、特に親側の高度や言動にやりすぎの感は否めないが、それは舞台演劇的な見方をすれば、おおむね問題ではないと思う。

また、「七人の弔」と言うタイトルを付けた以上、家族の人数をもう少し考えた方が良かったと思う。上手くすれば、ダブル・ミーニング的な上手いタイトルになったかも知れないのだ。

キャストについては特に言うべきものは無い。皆さんの想像通りの演技が繰り広げられ、順当に演出されている。

テンポは、間と言えば間なのだが、比較的スローモーな印象を受ける。密度の高い間では無く、散漫な間のような印象を受ける。

子役の皆さんは子役の皆さんで大活躍である。
児童虐待されている子供達である、と言う点には若干の違和感とリアリティの欠如を感じるが、本作はファンタジー的な作品に仕上がっているので、不問とする。

本作「七人の弔」は、例えば年に20本とか30本程度しか映画を観ないような人にはあまりオススメはしないが、50本以上観ているような人には、観て損は無い良質の作品に仕上がっていると、オススメ出来る作品である。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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