2005/11/01 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ」で「ソウ2」を観た。
エリック・マシューズ刑事(ドニー・ウォールバーグ)は、猟奇的連続殺人犯ジグソウ(トビン・ベル)を執拗に追い続ける女刑事ケリー(ディナ・メイヤー)に呼び出され、ある事件現場に立ち会いを求められる。
現場の凄惨極まりない手口から、この事件もジグソウの仕業だと確信するケリー。しかも残された死体はエリックの情報屋マイケル(ノーム・ジェンキンス)だった。
エリックに向け、犯人が現場に残したメッセージから、エリックはアジトを推測、ケリー等とともに、とある工場跡へ急行する。
あっけなく捕まったジグソウだったが、そこにはたくさんのモニターがあり、ひとつのモニターにはエリックの息子ダニエル(エリック・ナドセン)の姿が映し出されていた・・・・。
監督:ダーレン・リン・バウズマン
脚本:ダーレン・リン・バウズマン、リー・ワネル
出演:ドニー・ウォールバーグ(エリック・マシューズ刑事)、ショウニー・スミス(アマンダ)、トビン・ベル(ジグソウ)、フランキー・G(ザヴィエル)、グレン・プラマー(ジョナス)、ディナ・メイヤー(ケリー)、エマニュエル・ヴォージア(アディソン)、ビヴァリー・ミッチェル(ローラ)、エリック・ナドセン(ダニエル)、ティム・バード(オビ)、リリック・ベント(リグ)、ノーム・ジェンキンス(マイケル)、トニー・ナッポ(ガス)
本作「ソウ2」を観ると、いかに前作「ソウ」が優れた作品だったのかを再確認することができる。
あぁ「ソウ」と言う映画は、なんて面白い作品だったのだろうか、と。
とは言うものの、本作「ソウ2」はつまらない作品か、と言うとそうでもなく、本作は十分に楽しめる水準以上のサスペンス・ホラー作品に仕上がっている。
だが、本作「ソウ2」は「ソウ」の観客が求めている、複雑に絡み合いながら一点に収束するプロットの妙とか、あっと驚くどんでん返しとか言った、カタルシスに乏しい、と言わざるを得ない。
尤も、「ソウ」の直接の続編となる脚本を構築した度量には感服するし、前作を見事に踏襲した数々の設定やプロットにも驚かされる。本作は前作「ソウ」のスピンオフ作品ではなく、正当な続編作品なのだ。
しかしながら、本作「ソウ2」は、いかんせん普通に良くできたハリウッド産サイコ・ホラー程度に過ぎない、と言う印象を受ける。
2004年のサンダンス映画祭を沸かせ、世界中に衝撃を与えた前作「ソウ」と比較すると、やはり残念だ、と言わざるを得ないのだ。
全くの余談だが、「ソウ2」の最初のポスターは、「SAW II」のII(2)の部分は切断された2本の指のビジュアルを使っていたのだが、そのポスターのビジュアル自体がMPAAのガイドを満たしておらず、ポスター等のアートワークが差し替えられ、2本の指の切断面をポスターの下端より下に配置し、切断されている様子がわからないようなポスターが製作された。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「ソウ」
http://diarynote.jp/d/29346/20041105.html
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エリック・マシューズ刑事(ドニー・ウォールバーグ)は、猟奇的連続殺人犯ジグソウ(トビン・ベル)を執拗に追い続ける女刑事ケリー(ディナ・メイヤー)に呼び出され、ある事件現場に立ち会いを求められる。
現場の凄惨極まりない手口から、この事件もジグソウの仕業だと確信するケリー。しかも残された死体はエリックの情報屋マイケル(ノーム・ジェンキンス)だった。
エリックに向け、犯人が現場に残したメッセージから、エリックはアジトを推測、ケリー等とともに、とある工場跡へ急行する。
あっけなく捕まったジグソウだったが、そこにはたくさんのモニターがあり、ひとつのモニターにはエリックの息子ダニエル(エリック・ナドセン)の姿が映し出されていた・・・・。
監督:ダーレン・リン・バウズマン
脚本:ダーレン・リン・バウズマン、リー・ワネル
出演:ドニー・ウォールバーグ(エリック・マシューズ刑事)、ショウニー・スミス(アマンダ)、トビン・ベル(ジグソウ)、フランキー・G(ザヴィエル)、グレン・プラマー(ジョナス)、ディナ・メイヤー(ケリー)、エマニュエル・ヴォージア(アディソン)、ビヴァリー・ミッチェル(ローラ)、エリック・ナドセン(ダニエル)、ティム・バード(オビ)、リリック・ベント(リグ)、ノーム・ジェンキンス(マイケル)、トニー・ナッポ(ガス)
本作「ソウ2」を観ると、いかに前作「ソウ」が優れた作品だったのかを再確認することができる。
あぁ「ソウ」と言う映画は、なんて面白い作品だったのだろうか、と。
とは言うものの、本作「ソウ2」はつまらない作品か、と言うとそうでもなく、本作は十分に楽しめる水準以上のサスペンス・ホラー作品に仕上がっている。
だが、本作「ソウ2」は「ソウ」の観客が求めている、複雑に絡み合いながら一点に収束するプロットの妙とか、あっと驚くどんでん返しとか言った、カタルシスに乏しい、と言わざるを得ない。
尤も、「ソウ」の直接の続編となる脚本を構築した度量には感服するし、前作を見事に踏襲した数々の設定やプロットにも驚かされる。本作は前作「ソウ」のスピンオフ作品ではなく、正当な続編作品なのだ。
しかしながら、本作「ソウ2」は、いかんせん普通に良くできたハリウッド産サイコ・ホラー程度に過ぎない、と言う印象を受ける。
2004年のサンダンス映画祭を沸かせ、世界中に衝撃を与えた前作「ソウ」と比較すると、やはり残念だ、と言わざるを得ないのだ。
全くの余談だが、「ソウ2」の最初のポスターは、「SAW II」のII(2)の部分は切断された2本の指のビジュアルを使っていたのだが、そのポスターのビジュアル自体がMPAAのガイドを満たしておらず、ポスター等のアートワークが差し替えられ、2本の指の切断面をポスターの下端より下に配置し、切断されている様子がわからないようなポスターが製作された。
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「ティム・バートンのコープスブライド」
2005年11月3日 映画
2005/11/01 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ」で、「ティム・バートンのコープスブライド」を観た。
むかしむかし、19世紀のヨーロッパの片隅に、ある小さな村がありました。この村の人々はみんな活気がなく、村全体が暗く重苦しい雰囲気に沈んでいます。
そんな村で、明日、一組の内気なカップルが結婚式を挙げようとしていました。といってもこの二人、またただの一度も会ったことがないのですが・・・・。
男の名はビクター(ジョニー・デップ)。魚の缶詰業で大儲けして成り上がったネル(トレイシー・ウーマン)とウィリアム(ポール・ホワイトハウス)のバン・ドート夫妻の息子です。夫妻の夢は上流階級への仲間入り。そのためのお金は余るほどありますが、哀しいかな、彼らには”品格”というものが痛ましいくらい欠けていました。
一方、女の名はビクトリア(エミリー・ワトソン)。由緒ある貴族、モーデリン(ジョアナ・ラムリー)とフィニス(アルバート・フィニー)のエバーグロット夫妻の娘です。こちらの夫婦は品格はあるのですが、お金がまったくなく、すっからかんの金庫にクモが巣を作っているような有り様。財産といえば家名と貴族という身分、そして娘のビクトリアだけ・・・・、そう、夫婦にとって娘は、いわば最後の切り札なのです。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ティム・バートン、マイク・ジョンソン
撮影:ピート・コザチク
プロダクションデザイン:アレックス・マクダウェル
音楽:ダニー・エルフマン
声の出演:ジョニー・デップ(ビクター・バン・ドート)、ヘレナ・ボナム=カーター(コープス・ブライド)、エミリー・ワトソン(ビクトリア・エバーグロット)、トレイシー・ウルマン(ネル・バン・ドート)、ポール・ホワイトハウス(ウィリアム・バン・ドート/メイヒュー/ポール)、アルバート・フィニー(フィニス・エバーグロット)、ジョアンナ・ラムレイ(モーデリン・エバーグロット)、リチャード・E・グラント(バーキス・ビターン)、クリストファー・リー(ゴールズウェルズシ牧師)、マイケル・ガフ(グートネクト長老)、ジェーン・ホロックス(クロゴケグモ/ミセス・プラム)、エン・ラテイン(マゴット)、ディープ・ロイ(ちび将軍)、ダニー・エルフマン(ボーンジャングルズ)
本作「ティム・バートンのコープスブライド」は、ティム・バートンファンとしては、また「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」、「ジャイアント・ピーチ」ファンとしても残念な印象を受ける。なにしろ退屈なのだ。
とは言うものの、ストップ・モーション・アニメーションの技術や、素晴らしいカメラ・ワーク等技巧には見るべきところは多々あるのだが、肝心の物語がつまらないのだ。
シーン毎のクオリティは高いのだが、全体として見るとつまらない。と言う感じなのだ。
そして、「ナイトメア・・」、「ジャイアント・・」、そして本作「コープスブライド」を考えた場合、本作に欠けているものは何かと考えた場合、一番に挙がってくるのはヘンリー・セリックの存在ではないだろうか。
わたしは常々「ナイトメア・・」の成功はヘンリー・セリックのおかげではないか、そして「ナイトメア・・」はティム・バートン作品ではなく、セリック作品として評価すべき作品ではないか、と言ってきた。
事実「コープスブライド」を観てみると、やはりヘンリー・セリックの存在がいかに大きかったのか、を再確認する事が出来るのではないだろうか。
今回の共同監督はマイク・ジョンソン。
彼のキャリアは、ストップモーションのアニメーターとしてのキャリアが長いためか、映画全体を見渡す事よりは、シーン毎のクオリティを高める事に腐心しているような印象を受ける。つまり全体を構成する力が弱いのではないか、と思えてならない。
そう考えた場合、本来全体の構成を行うべきティム・バートンが実際のところ、どこまで本作の製作に関わっていたのか、疑問に感じてしまう。「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」同様、製作に退いているのではないか、と勘ぐってしまう。
ところで、物語の前提として、本作は東洋の死生観に基づいた設定が使われている。つまり「悔いを残した死者は成仏できない」「今生の未練を払拭してはじめて成仏できる」と言うものである。
例えば、清水崇の「THE JUON/呪怨」では、東洋的死生観を観客に理解させるため、作品の冒頭に東洋的死生観説明のためのテロップが挿入されていたのを思い出す。
そう考えた場合、本作「コープスブライド」は、キリスト教的世界観を持つ欧米社会の観客に、−−例えばラストの蝶のシークエンスや、天国でも地獄でもない死者の世界の存在−−、が理解、そして共感できるのかどうか疑問である。
さて、ストップモーションについてだが、「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」と比較して格段の進歩を感じる。
特にピアノ連弾のシークエンスや、衣装や髪の動きには大いに驚かされる。
「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」では衣装がほとんど動かない比較的硬質なマペットが使用されていたのだが、本作のマペットは硬質なものではなく、やわらかい素材で出来ているのが印象的である。
また「ナイトメア・・」のマペットの表情は、基本的に差し替えで描写していたのだが、本作はフォーム・ラテックス(のような材質)でクレイ・アニメーション的に動かしているようだ。
そして、本作のようなマペットを利用したマペット・アニメーションと、「ウォレスとグルミット」シリーズのようなクレイを利用したクレイ・アニメーションの境界がここにきてほとんどなくなっている事に気付かされてしまった。
ストップモーションの世界は、最早、マペットだからどうこう、クレイだからどうこうと言ったカテゴライズは無意味な次元に突入しているのかも知れない。
物語は、普遍的で神話的、寓話的と言うことが出来る単純なもの。と言うか物語はあってないもののような印象を受ける。
ストップモーションを見せるために物語が構成されているような印象が否定できない。
強いて言うならば、CGIの研究発表のような「マトリックス」シリーズのような印象を受けてしまうのだ。
キャラクターや世界観のデザインはティム・バートンワールド全開と言う感じで、非常に楽しい。
キャラクターや世界観がディープでマニアックなだけに、物語の希薄さが残念だ。
音楽のダニー・エルフマンについては、良い仕事をしているのだと思うが、記憶に残る(劇場を出た後、口ずさめる)曲ではなかった。「ナイトメア・・」の楽曲は即、歌える曲ばかりだった。
また「タラのテーマ」が使われていたのには驚いた。
キャストは何と言ってもクリストファー・リーだろう。
あとはダニー・エルフマンのミュージカルとか。
これはブギー・ウギーのシークエンスに匹敵するだろう。
また、ポール・ホワイトハウスの芸達者ぶりも楽しかった。
本作「ティム・バートンのコープスブライド」は、普通に面白い作品なのだが、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「ジャイアント・ピーチ」の方が良い作品のような気がする。
これを期にかつての作品(特に「ジャイアント・・」)を再評価して欲しいものだ。
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むかしむかし、19世紀のヨーロッパの片隅に、ある小さな村がありました。この村の人々はみんな活気がなく、村全体が暗く重苦しい雰囲気に沈んでいます。
そんな村で、明日、一組の内気なカップルが結婚式を挙げようとしていました。といってもこの二人、またただの一度も会ったことがないのですが・・・・。
男の名はビクター(ジョニー・デップ)。魚の缶詰業で大儲けして成り上がったネル(トレイシー・ウーマン)とウィリアム(ポール・ホワイトハウス)のバン・ドート夫妻の息子です。夫妻の夢は上流階級への仲間入り。そのためのお金は余るほどありますが、哀しいかな、彼らには”品格”というものが痛ましいくらい欠けていました。
一方、女の名はビクトリア(エミリー・ワトソン)。由緒ある貴族、モーデリン(ジョアナ・ラムリー)とフィニス(アルバート・フィニー)のエバーグロット夫妻の娘です。こちらの夫婦は品格はあるのですが、お金がまったくなく、すっからかんの金庫にクモが巣を作っているような有り様。財産といえば家名と貴族という身分、そして娘のビクトリアだけ・・・・、そう、夫婦にとって娘は、いわば最後の切り札なのです。
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監督:ティム・バートン、マイク・ジョンソン
撮影:ピート・コザチク
プロダクションデザイン:アレックス・マクダウェル
音楽:ダニー・エルフマン
声の出演:ジョニー・デップ(ビクター・バン・ドート)、ヘレナ・ボナム=カーター(コープス・ブライド)、エミリー・ワトソン(ビクトリア・エバーグロット)、トレイシー・ウルマン(ネル・バン・ドート)、ポール・ホワイトハウス(ウィリアム・バン・ドート/メイヒュー/ポール)、アルバート・フィニー(フィニス・エバーグロット)、ジョアンナ・ラムレイ(モーデリン・エバーグロット)、リチャード・E・グラント(バーキス・ビターン)、クリストファー・リー(ゴールズウェルズシ牧師)、マイケル・ガフ(グートネクト長老)、ジェーン・ホロックス(クロゴケグモ/ミセス・プラム)、エン・ラテイン(マゴット)、ディープ・ロイ(ちび将軍)、ダニー・エルフマン(ボーンジャングルズ)
本作「ティム・バートンのコープスブライド」は、ティム・バートンファンとしては、また「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」、「ジャイアント・ピーチ」ファンとしても残念な印象を受ける。なにしろ退屈なのだ。
とは言うものの、ストップ・モーション・アニメーションの技術や、素晴らしいカメラ・ワーク等技巧には見るべきところは多々あるのだが、肝心の物語がつまらないのだ。
シーン毎のクオリティは高いのだが、全体として見るとつまらない。と言う感じなのだ。
そして、「ナイトメア・・」、「ジャイアント・・」、そして本作「コープスブライド」を考えた場合、本作に欠けているものは何かと考えた場合、一番に挙がってくるのはヘンリー・セリックの存在ではないだろうか。
わたしは常々「ナイトメア・・」の成功はヘンリー・セリックのおかげではないか、そして「ナイトメア・・」はティム・バートン作品ではなく、セリック作品として評価すべき作品ではないか、と言ってきた。
事実「コープスブライド」を観てみると、やはりヘンリー・セリックの存在がいかに大きかったのか、を再確認する事が出来るのではないだろうか。
今回の共同監督はマイク・ジョンソン。
彼のキャリアは、ストップモーションのアニメーターとしてのキャリアが長いためか、映画全体を見渡す事よりは、シーン毎のクオリティを高める事に腐心しているような印象を受ける。つまり全体を構成する力が弱いのではないか、と思えてならない。
そう考えた場合、本来全体の構成を行うべきティム・バートンが実際のところ、どこまで本作の製作に関わっていたのか、疑問に感じてしまう。「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」同様、製作に退いているのではないか、と勘ぐってしまう。
ところで、物語の前提として、本作は東洋の死生観に基づいた設定が使われている。つまり「悔いを残した死者は成仏できない」「今生の未練を払拭してはじめて成仏できる」と言うものである。
例えば、清水崇の「THE JUON/呪怨」では、東洋的死生観を観客に理解させるため、作品の冒頭に東洋的死生観説明のためのテロップが挿入されていたのを思い出す。
そう考えた場合、本作「コープスブライド」は、キリスト教的世界観を持つ欧米社会の観客に、−−例えばラストの蝶のシークエンスや、天国でも地獄でもない死者の世界の存在−−、が理解、そして共感できるのかどうか疑問である。
さて、ストップモーションについてだが、「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」と比較して格段の進歩を感じる。
特にピアノ連弾のシークエンスや、衣装や髪の動きには大いに驚かされる。
「ナイトメア・・」や「ジャイアント・・」では衣装がほとんど動かない比較的硬質なマペットが使用されていたのだが、本作のマペットは硬質なものではなく、やわらかい素材で出来ているのが印象的である。
また「ナイトメア・・」のマペットの表情は、基本的に差し替えで描写していたのだが、本作はフォーム・ラテックス(のような材質)でクレイ・アニメーション的に動かしているようだ。
そして、本作のようなマペットを利用したマペット・アニメーションと、「ウォレスとグルミット」シリーズのようなクレイを利用したクレイ・アニメーションの境界がここにきてほとんどなくなっている事に気付かされてしまった。
ストップモーションの世界は、最早、マペットだからどうこう、クレイだからどうこうと言ったカテゴライズは無意味な次元に突入しているのかも知れない。
物語は、普遍的で神話的、寓話的と言うことが出来る単純なもの。と言うか物語はあってないもののような印象を受ける。
ストップモーションを見せるために物語が構成されているような印象が否定できない。
強いて言うならば、CGIの研究発表のような「マトリックス」シリーズのような印象を受けてしまうのだ。
キャラクターや世界観のデザインはティム・バートンワールド全開と言う感じで、非常に楽しい。
キャラクターや世界観がディープでマニアックなだけに、物語の希薄さが残念だ。
音楽のダニー・エルフマンについては、良い仕事をしているのだと思うが、記憶に残る(劇場を出た後、口ずさめる)曲ではなかった。「ナイトメア・・」の楽曲は即、歌える曲ばかりだった。
また「タラのテーマ」が使われていたのには驚いた。
キャストは何と言ってもクリストファー・リーだろう。
あとはダニー・エルフマンのミュージカルとか。
これはブギー・ウギーのシークエンスに匹敵するだろう。
また、ポール・ホワイトハウスの芸達者ぶりも楽しかった。
本作「ティム・バートンのコープスブライド」は、普通に面白い作品なのだが、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「ジャイアント・ピーチ」の方が良い作品のような気がする。
これを期にかつての作品(特に「ジャイアント・・」)を再評価して欲しいものだ。
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「ブラザーズ・グリム」
2005年11月2日 映画
2005/10/23 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ」で、「第18回東京国際映画祭」特別招待作品「ブラザーズ・グリム」を観た。
19世紀、フランス統治下のドイツ。
ウィル(マット・デイモン)とジェイコブ(ヒース・レジャー)のグリム兄弟は、ドイツ各地の民話を収集しながら、村々を旅していた。
そんなグリム兄弟にはもうひとつの顔があった。辺境の村々の奇怪な出来事を調査の上、魔物を退治し、奇怪な出来事に困っている村々から賞金を稼ぎ、それを生業ともしていたのであるが・・・・。
監督:テリー・ギリアム
プロダクションデザイン:ガイ・ディアス
衣装デザイン:ガブリエラ・ペスクッチ、カルロ・ポジオリ
出演:マット・デイモン(ウィル)、ヒース・レジャー(ジェイコブ)、モニカ・ベルッチ(鏡の女王)、ジョナサン・プライス(デラトンベ)、レナ・ヘディ(アンジェリカ)、ピーター・ストーメア(カヴァルディ)、リチャード・ライディングス(バンスト)、マッケンジー・クルック(ヒドリック)、ロジャー・アシュトン=グリフィス(メイヤー)、ローラ・グリーンウッド(サーシャ)
「モンティ・パイソン」シリーズはともかく、「バンデッドQ」(1981)や「未来世紀ブラジル」(1985)で狂喜乱舞し、以来テリー・ギリアム大好き人間になってしまったわたしとしては、テリー・ギリアムの7年振りの新作「ブラザーズ・グリム」に大いに期待をしていた。
ところで、テリー・ギリアム作品の魅力は何かと考えた場合、すぐ挙がるのは、圧倒的なビジュアル・イメージと、マニアックに論理付けされた世界観、そして何と言っても「騎士道精神」に裏打ちされたキャラクターと彼らの行動だと思う。
そして多くのテリー・ギリアム作品で語られているのは、騎士(ナイト)である主人公が自らの姫君に忠誠を誓い、社会とか規範とか言うあらゆる制約や束縛を何するものぞと、姫君のためだけに戦い、いくつかのクエストに立ち向かう姿なのだ。
勿論、この傾向は「パロン」(1989)では言うまでもないだろうし、「未来世紀ブラジル」(1985)もわかりやすい騎士道精神に則っている、また「フィッシャー・キング」(1991)でも騎士道精神的に見事なクエストが描かれている。
また、「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2001)で描かれる、当時次回作と言われていた"The Man Who Killed Don Quixote"では文字通り、騎士道精神に彩られた作品になるハズだったのだろう。
そんな状況で、わたしは「ブラザーズ・グリム」は、従来どおり騎士道精神に裏打ちされた作品だろうと、大いなる期待を抱きながら、わたしは「ブラザーズ・グリム」を観た訳である。
結果、わたしは大きな失望をすることになってしまう。
なぜなら「ブラザーズ・グリム」はただの娯楽大作に過ぎなかったからだ。
本作「ブラザーズ・グリム」は、わたし達テリー・ギリアムファンが、彼に求める作品ではなかった。かつてジャック・マシューズの「バトル・オブ・ブラジル」で描かれたように配給会社と戦った男の作品とは思えないのだ。
本作は、子飼いの監督がメジャー配給会社に迎合した、なんの変哲もない娯楽作品に過ぎない、と思う。
例えるならば、本作「ブラザーズ・グリム」は、まるで「ヴァン・ヘルシング」(2004)のような作品だと言えるのだ。
本作「ブラザーズ・グリム」は普通の娯楽作品に過ぎない、とは言うものの、普通の娯楽作品とすれば、結構面白い水準的な作品だと言える。
美術(ガイ・ディアス)や衣装デザイン(ガブリエラ・ペスクッチ、カルロ・ポジオリ)により構築された世界観は素晴らしく、またその世界観で描かれる物語も運命的で寓意的なプロットが楽しい。勿論物語の設定も伏線も意表をついたものが多く、普通に興味深い。
キャストも豪華で、メイン・キャスト以外でも、ジョナサン・プライスやピーター・ストーメアが非常に良い味を出している。
彼らの頑張りあっての作品だと思う。
話題のモニカ・ベルッチは出番が少なく、ちょっと残念である。
モニカ・ベルッチの登場を中盤にし、彼に忠誠を誓う騎士(ナイト)の生き様をもう少し描けば、良い物語になったのではないか、と思った。
まあ、とにかく本作「ブラザーズ・グリム」は誰でも楽しめる普通の娯楽作品で、誰もが普通に満足できる楽しい作品だと思う。
=*=*=*=*=*=*=*=
上映に先駆け行われたアリーナ・イベントでは、赤ずきんに扮した上戸彩と監督のテリー・ギリアムが登場。
また、上映前には、テリー・ギリアムの舞台挨拶もあった。
当初は、モニカ・ベルッチの来日も予定されていたようなのだが、それは残念ながら実現しなかった。
=*=*=*=*=*=*=*=
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
『今日の「東京国際映画祭」2005/10/23』
http://diarynote.jp/d/29346/20051023.html
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19世紀、フランス統治下のドイツ。
ウィル(マット・デイモン)とジェイコブ(ヒース・レジャー)のグリム兄弟は、ドイツ各地の民話を収集しながら、村々を旅していた。
そんなグリム兄弟にはもうひとつの顔があった。辺境の村々の奇怪な出来事を調査の上、魔物を退治し、奇怪な出来事に困っている村々から賞金を稼ぎ、それを生業ともしていたのであるが・・・・。
監督:テリー・ギリアム
プロダクションデザイン:ガイ・ディアス
衣装デザイン:ガブリエラ・ペスクッチ、カルロ・ポジオリ
出演:マット・デイモン(ウィル)、ヒース・レジャー(ジェイコブ)、モニカ・ベルッチ(鏡の女王)、ジョナサン・プライス(デラトンベ)、レナ・ヘディ(アンジェリカ)、ピーター・ストーメア(カヴァルディ)、リチャード・ライディングス(バンスト)、マッケンジー・クルック(ヒドリック)、ロジャー・アシュトン=グリフィス(メイヤー)、ローラ・グリーンウッド(サーシャ)
「モンティ・パイソン」シリーズはともかく、「バンデッドQ」(1981)や「未来世紀ブラジル」(1985)で狂喜乱舞し、以来テリー・ギリアム大好き人間になってしまったわたしとしては、テリー・ギリアムの7年振りの新作「ブラザーズ・グリム」に大いに期待をしていた。
ところで、テリー・ギリアム作品の魅力は何かと考えた場合、すぐ挙がるのは、圧倒的なビジュアル・イメージと、マニアックに論理付けされた世界観、そして何と言っても「騎士道精神」に裏打ちされたキャラクターと彼らの行動だと思う。
そして多くのテリー・ギリアム作品で語られているのは、騎士(ナイト)である主人公が自らの姫君に忠誠を誓い、社会とか規範とか言うあらゆる制約や束縛を何するものぞと、姫君のためだけに戦い、いくつかのクエストに立ち向かう姿なのだ。
勿論、この傾向は「パロン」(1989)では言うまでもないだろうし、「未来世紀ブラジル」(1985)もわかりやすい騎士道精神に則っている、また「フィッシャー・キング」(1991)でも騎士道精神的に見事なクエストが描かれている。
また、「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2001)で描かれる、当時次回作と言われていた"The Man Who Killed Don Quixote"では文字通り、騎士道精神に彩られた作品になるハズだったのだろう。
そんな状況で、わたしは「ブラザーズ・グリム」は、従来どおり騎士道精神に裏打ちされた作品だろうと、大いなる期待を抱きながら、わたしは「ブラザーズ・グリム」を観た訳である。
結果、わたしは大きな失望をすることになってしまう。
なぜなら「ブラザーズ・グリム」はただの娯楽大作に過ぎなかったからだ。
本作「ブラザーズ・グリム」は、わたし達テリー・ギリアムファンが、彼に求める作品ではなかった。かつてジャック・マシューズの「バトル・オブ・ブラジル」で描かれたように配給会社と戦った男の作品とは思えないのだ。
本作は、子飼いの監督がメジャー配給会社に迎合した、なんの変哲もない娯楽作品に過ぎない、と思う。
例えるならば、本作「ブラザーズ・グリム」は、まるで「ヴァン・ヘルシング」(2004)のような作品だと言えるのだ。
本作「ブラザーズ・グリム」は普通の娯楽作品に過ぎない、とは言うものの、普通の娯楽作品とすれば、結構面白い水準的な作品だと言える。
美術(ガイ・ディアス)や衣装デザイン(ガブリエラ・ペスクッチ、カルロ・ポジオリ)により構築された世界観は素晴らしく、またその世界観で描かれる物語も運命的で寓意的なプロットが楽しい。勿論物語の設定も伏線も意表をついたものが多く、普通に興味深い。
キャストも豪華で、メイン・キャスト以外でも、ジョナサン・プライスやピーター・ストーメアが非常に良い味を出している。
彼らの頑張りあっての作品だと思う。
話題のモニカ・ベルッチは出番が少なく、ちょっと残念である。
モニカ・ベルッチの登場を中盤にし、彼に忠誠を誓う騎士(ナイト)の生き様をもう少し描けば、良い物語になったのではないか、と思った。
まあ、とにかく本作「ブラザーズ・グリム」は誰でも楽しめる普通の娯楽作品で、誰もが普通に満足できる楽しい作品だと思う。
=*=*=*=*=*=*=*=
上映に先駆け行われたアリーナ・イベントでは、赤ずきんに扮した上戸彩と監督のテリー・ギリアムが登場。
また、上映前には、テリー・ギリアムの舞台挨拶もあった。
当初は、モニカ・ベルッチの来日も予定されていたようなのだが、それは残念ながら実現しなかった。
=*=*=*=*=*=*=*=
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『今日の「東京国際映画祭」2005/10/23』
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今日の「東京国際映画祭」2005/10/23
2005年10月23日 映画
2005/10/23 東京六本木「VIRGIN TOHO CIMENAS 六本木ヒルズ」で開催されている「第18回東京国際映画祭」に行ってきた。
■「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(特別招待作品)
「ウォレスとグルミット」シリーズ初の長編作品。
配給がドリームワークスと言うのは、ちょっと解せないが、と言うか批判的立場をとってしまうが、作品としては大変素晴らしい作品だった。
クレイ・アニメーションとして、あまりにも凄い映像、−−特にカメラワークが凄い−−、そして名人芸とも言えるクレイ・アニメの技術に、物語ではなくその動きを見るだけで、その圧倒的な映像体験だけで、涙が出ちゃうほどの作品に仕上がっていた。
冒頭の「サンダーバード」へのオマージュにも感涙ものだし、タイムリーなネタとしては「キング・コング」へのオマージュも楽しかった。
物語のテイストはコメディなのだが、実際は原題が"Wallace & Gromit: The Curse of the Were-Rabbit"ということもあり、ホラー映画としても成立しているし、また例によってアクション映画としても観られると言う一粒で二度でも三度でもおいしい作品に仕上がっていた。
キャストもゲスト・キャラクターのレイフ・ファインズは従来のイメージを払拭する怪演を見せて(聞かせて)くれるし、ヘレナ・ボナム=カーターも負けじと大奮闘していた。
ところで、今回の上映では、上映前に監督・製作・脚本のニック・パークの舞台挨拶があり、着ぐるみの巨大なウォレスとグルミットも登場した。
■「ブラザーズ・グリム」(特別招待作品)
テリー・ギリアム期待の新作。
「バンデッドQ」「未来世紀ブラジル」「バロン」「フィッシャー・キング」等が大好きなわたしにとっての超期待作。
期待が大きすぎたのか、「ブラザーズ・グリム」は普通の娯楽作品に過ぎなかった、と思う。
従来のテリー・ギリアム作品にあふれている騎士道精神が希薄な印象を受けた。勿論騎士道精神を発揮するキャラクターと女王も登場するのだが、出てくるのが終盤近くになって、というのも解せないような印象を受けた。
中盤くらいから登場した場合、物語にもう少しふくらみができたのではないか、と思った。
結論としては、「バトル・オブ・ブラジル」や「ロスト・イン・ラ・マンチャ」のテリー・ギリアムはどこに言ってしまったのだ!
スタジオに迎合したような作品ではなく、スタジオと戦うような作品を期待してやまない。、と言う事である。
とは言っても、本作は面白い作品である事には変わりはないことを付け加えておく。
冒頭には、テリー・ギリアムの舞台挨拶があった。
テリー・ギリアムは元々コメディ出身と言う事もあり、ショーマンシップ溢れる素晴らしい舞台挨拶だった。
当初予定されていたモニカ・ベルッチの舞台挨拶は行われなかった。
上映に先駆けて行われた記者会見では、赤ずきんに扮した上戸彩も登場した。
「ブラザーズ・グリム」
http://diarynote.jp/d/29346/20051102.html
■「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(特別招待作品)
「恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデンとグウィネス・パルトロウが再びコンビを組んだ作品。
本作は、ピュリッツァー賞受賞の戯曲の映画化で、ロンドンの舞台でグウィネス・パルトロウは同じ役柄を演じ、演出をジョン・マッデンが行ったとのこと。
エンディングの余韻が最高に素晴らしい傑作。
はっきり言って、超興奮してしまうほどの素晴らしい作品。
エンディングの最初のクレジット(監督:ジョン・マッデン)が出た瞬間、反射的に拍手する欲求に駆られてしまう程の感動を覚えた。
本作は、元々が舞台劇と言う事もあり、脚本も勿論凄いのだが、その脚本にのっかった役者の演技バトルは凄い、最早言うことのない傑作なのだ。
ところで、今回の上映には、冒頭に映画評論家渡辺祥子の映画の紹介があったのだが、はっきり言ってネタバレありのふざけた映画紹介で、観客の多くがふざけるな!と言う思いを共有したのではないか、と思った。司会の伊藤さとりも、ネタバレにはビビッたようで、変なフォローを入れていた。
わたしは、思わず舞台に飲物をぶん投げそうになった。
二度と出てきて欲しくない人である。
■『天才の予言「ダ・ヴィンチノート」レオナルド・ダ・ヴィンチ展』
映画と映画の間に暇があったので、六本木ヒルズ森タワー52Fの「森ア−ツセンターギャラリー」で『天才の予言「ダ・ヴィンチノート」レオナルド・ダ・ヴィンチ展』を見た。
勿論「レスター手稿」は貴重なものだと思うのだが、これを展覧会と考えた場合、やや消化不良の感が否めない。と思った。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチと言う人物は、つくづく偉大でかつ多方面の才能を持った傑出した人物だったのだなぁ、と言う事にいまさらながら、思い知らされた。
勿論、「展望台・東京シティービュー」も堪能した。
わたしは映画祭の舞台挨拶の関係で5〜15倍のコンパクトな双眼鏡を持ってきていたのだが、わたしの双眼鏡は友人たちの間で大人気だった。
■今後の予定
10/24「春の雪」(特別招待作品)
10/25「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(原題)」(特別招待作品)
10/26「NOEL(ノエル)」(特別招待作品)
10/26「ウォーク・ザ・ライン」(特別招待作品)
今年は特別招待作品のみかも。
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■「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(特別招待作品)
「ウォレスとグルミット」シリーズ初の長編作品。
配給がドリームワークスと言うのは、ちょっと解せないが、と言うか批判的立場をとってしまうが、作品としては大変素晴らしい作品だった。
クレイ・アニメーションとして、あまりにも凄い映像、−−特にカメラワークが凄い−−、そして名人芸とも言えるクレイ・アニメの技術に、物語ではなくその動きを見るだけで、その圧倒的な映像体験だけで、涙が出ちゃうほどの作品に仕上がっていた。
冒頭の「サンダーバード」へのオマージュにも感涙ものだし、タイムリーなネタとしては「キング・コング」へのオマージュも楽しかった。
物語のテイストはコメディなのだが、実際は原題が"Wallace & Gromit: The Curse of the Were-Rabbit"ということもあり、ホラー映画としても成立しているし、また例によってアクション映画としても観られると言う一粒で二度でも三度でもおいしい作品に仕上がっていた。
キャストもゲスト・キャラクターのレイフ・ファインズは従来のイメージを払拭する怪演を見せて(聞かせて)くれるし、ヘレナ・ボナム=カーターも負けじと大奮闘していた。
ところで、今回の上映では、上映前に監督・製作・脚本のニック・パークの舞台挨拶があり、着ぐるみの巨大なウォレスとグルミットも登場した。
■「ブラザーズ・グリム」(特別招待作品)
テリー・ギリアム期待の新作。
「バンデッドQ」「未来世紀ブラジル」「バロン」「フィッシャー・キング」等が大好きなわたしにとっての超期待作。
期待が大きすぎたのか、「ブラザーズ・グリム」は普通の娯楽作品に過ぎなかった、と思う。
従来のテリー・ギリアム作品にあふれている騎士道精神が希薄な印象を受けた。勿論騎士道精神を発揮するキャラクターと女王も登場するのだが、出てくるのが終盤近くになって、というのも解せないような印象を受けた。
中盤くらいから登場した場合、物語にもう少しふくらみができたのではないか、と思った。
結論としては、「バトル・オブ・ブラジル」や「ロスト・イン・ラ・マンチャ」のテリー・ギリアムはどこに言ってしまったのだ!
スタジオに迎合したような作品ではなく、スタジオと戦うような作品を期待してやまない。、と言う事である。
とは言っても、本作は面白い作品である事には変わりはないことを付け加えておく。
冒頭には、テリー・ギリアムの舞台挨拶があった。
テリー・ギリアムは元々コメディ出身と言う事もあり、ショーマンシップ溢れる素晴らしい舞台挨拶だった。
当初予定されていたモニカ・ベルッチの舞台挨拶は行われなかった。
上映に先駆けて行われた記者会見では、赤ずきんに扮した上戸彩も登場した。
「ブラザーズ・グリム」
http://diarynote.jp/d/29346/20051102.html
■「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(特別招待作品)
「恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデンとグウィネス・パルトロウが再びコンビを組んだ作品。
本作は、ピュリッツァー賞受賞の戯曲の映画化で、ロンドンの舞台でグウィネス・パルトロウは同じ役柄を演じ、演出をジョン・マッデンが行ったとのこと。
エンディングの余韻が最高に素晴らしい傑作。
はっきり言って、超興奮してしまうほどの素晴らしい作品。
エンディングの最初のクレジット(監督:ジョン・マッデン)が出た瞬間、反射的に拍手する欲求に駆られてしまう程の感動を覚えた。
本作は、元々が舞台劇と言う事もあり、脚本も勿論凄いのだが、その脚本にのっかった役者の演技バトルは凄い、最早言うことのない傑作なのだ。
ところで、今回の上映には、冒頭に映画評論家渡辺祥子の映画の紹介があったのだが、はっきり言ってネタバレありのふざけた映画紹介で、観客の多くがふざけるな!と言う思いを共有したのではないか、と思った。司会の伊藤さとりも、ネタバレにはビビッたようで、変なフォローを入れていた。
わたしは、思わず舞台に飲物をぶん投げそうになった。
二度と出てきて欲しくない人である。
■『天才の予言「ダ・ヴィンチノート」レオナルド・ダ・ヴィンチ展』
映画と映画の間に暇があったので、六本木ヒルズ森タワー52Fの「森ア−ツセンターギャラリー」で『天才の予言「ダ・ヴィンチノート」レオナルド・ダ・ヴィンチ展』を見た。
勿論「レスター手稿」は貴重なものだと思うのだが、これを展覧会と考えた場合、やや消化不良の感が否めない。と思った。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチと言う人物は、つくづく偉大でかつ多方面の才能を持った傑出した人物だったのだなぁ、と言う事にいまさらながら、思い知らされた。
勿論、「展望台・東京シティービュー」も堪能した。
わたしは映画祭の舞台挨拶の関係で5〜15倍のコンパクトな双眼鏡を持ってきていたのだが、わたしの双眼鏡は友人たちの間で大人気だった。
■今後の予定
10/24「春の雪」(特別招待作品)
10/25「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(原題)」(特別招待作品)
10/26「NOEL(ノエル)」(特別招待作品)
10/26「ウォーク・ザ・ライン」(特別招待作品)
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「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」
2005年10月18日 映画
2005/10/16 東京新宿「新宿ミラノ座」で開催されていた「東京国際ファンタスティック映画祭2005」で「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」を観た。
当日は総監督の富野由悠季を迎えたワールド・プレミアだった。
総監督・原作・脚本・絵コンテ:富野由悠季
原案:矢立肇
音楽:三枝成彰
テーマ曲:Gackt
キャラクターデザイン:安彦良和
メカニックデザイン:大河原邦男
作画監督:恩田尚之、仲盛文、重田敦司、中島利洋、中谷誠一
声の出演:飛田展男(カミーユ・ビダン)、池田秀一(シャア・アズナブル)、古谷徹(アムロ・レイ)、鈴置洋孝(ブライト・ノア)、ゆかな(フォウ・ムラサメ)、池脇千鶴(サラ・ザビアロフ)、川村万梨阿(ベルトーチカ・イルマ)、岡本麻弥(エマ・シーン)、勝生真沙子(レコア・ロンド)、浪川大輔(カツ・コバヤシ)、新井里美(ファ・ユイリィ)、井上和彦(ジェリド・メサ)、島田敏(パプテマス・シロッコ)、榊原良子(ハマーン・カーン)
冒頭の富野由悠季の舞台挨拶の第一声「本当に、迷惑しています」には笑わされた。
事実、富野由悠季は現在「機動戦士ZガンダムIII」の製作に大忙し、とのことであった。
ところで本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、前作「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」(http://diarynote.jp/d/29346/20041018.html)に続く「Zガンダム」映画版の中核を担う第二部、という位置付けの作品である。
物語は、「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」で描かれた、テレビ・シリーズ第14話「アムロ再び」以降、第32話「謎のモビルツース」までを再構成したもの(勿論、完全にカットされた話もあるし、物語が微妙に異なっている部分もある)で、展開が非常に早い、と言う印象を受けた。
勿論、時間数にして、テレビ版の約7時間分を劇場版の約2時間にまとめるのだから仕方がないのだが、テレビ・シリースでは壮大だった伏線が、時間の関係であっと言う間に回収されたり、またはせっかくの伏線を回収せず無視したりしているような印象を受けた。
また、テレビ版では、例えばフォウとカミーユ、サラとカミーユ(勿論その前提としてはアムロとララァ)の関係が大きなゆっくりとした対句的な対比(まとは運命的なリフレイン)として描かれていたのだが、劇場版では、尺の都合上、両エピソードが続けて語られ、余韻と言うか、予定調和と言うか、運命的なものがあまり感じられないような印象を受ける。
また、同様にアムロとカミーユ、カミーユとカツの関係が、これまた対句的な表現で描かれている(同様に運命的なリフレイン)のだが、それも、尺の関係で繰り返すタイミングに若干問題があったような印象を受ける。
また、前作同様、旧作画と新作画の乖離が否定できない。
余談だが、テレビ版のフォウとサラの私服のデザインが嫌いなわたしとしては、彼女等の私服を新作画で全とっかえしていないかな、と淡い期待をしていたのだが、残念ながらそんな事は全く行われていなかった。
物語は、展開が非常に早いのは前述の通りだが、おそらくテレビ版を知らなくても、脚本の頑張りで、物語の進行についていけるのではないか、と思う反面、全くテレビ版を知らない人には何らかの物語の補完が必要ではないか、と言う印象も同時に受けた。
本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、第二部と言うこともあり、物語の途中で唐突な幕切れを見せるのだが、前作同様余韻が感じられる、良いシークエンスで幕を閉じているのが嬉しい。
例えば「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のエンディングにも似た爽やかな感動を感じてしまう。
少なくとも、本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、「ガンダム」に対する熱い情熱は冷めちゃった人にも、とりあえず劇場で観て欲しいな、と思える作品である。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談だが、「東京ファンタ2005」で前売りチケットが完売したのは「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」のみだった模様である。
他の作品は当日券でも普通に指定席券が売られていたようだが、本作は立ち見の当日券が限定150枚販売された。
150枚の立ち見券を購入するために、昨年同様徹夜組も出た模様である。
昨年の「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」チケットにまつわるお話
(http://diarynote.jp/d/29346/20041018.htmlの下部)を思い出す。
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当日は総監督の富野由悠季を迎えたワールド・プレミアだった。
総監督・原作・脚本・絵コンテ:富野由悠季
原案:矢立肇
音楽:三枝成彰
テーマ曲:Gackt
キャラクターデザイン:安彦良和
メカニックデザイン:大河原邦男
作画監督:恩田尚之、仲盛文、重田敦司、中島利洋、中谷誠一
声の出演:飛田展男(カミーユ・ビダン)、池田秀一(シャア・アズナブル)、古谷徹(アムロ・レイ)、鈴置洋孝(ブライト・ノア)、ゆかな(フォウ・ムラサメ)、池脇千鶴(サラ・ザビアロフ)、川村万梨阿(ベルトーチカ・イルマ)、岡本麻弥(エマ・シーン)、勝生真沙子(レコア・ロンド)、浪川大輔(カツ・コバヤシ)、新井里美(ファ・ユイリィ)、井上和彦(ジェリド・メサ)、島田敏(パプテマス・シロッコ)、榊原良子(ハマーン・カーン)
冒頭の富野由悠季の舞台挨拶の第一声「本当に、迷惑しています」には笑わされた。
事実、富野由悠季は現在「機動戦士ZガンダムIII」の製作に大忙し、とのことであった。
ところで本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、前作「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」(http://diarynote.jp/d/29346/20041018.html)に続く「Zガンダム」映画版の中核を担う第二部、という位置付けの作品である。
物語は、「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」で描かれた、テレビ・シリーズ第14話「アムロ再び」以降、第32話「謎のモビルツース」までを再構成したもの(勿論、完全にカットされた話もあるし、物語が微妙に異なっている部分もある)で、展開が非常に早い、と言う印象を受けた。
勿論、時間数にして、テレビ版の約7時間分を劇場版の約2時間にまとめるのだから仕方がないのだが、テレビ・シリースでは壮大だった伏線が、時間の関係であっと言う間に回収されたり、またはせっかくの伏線を回収せず無視したりしているような印象を受けた。
また、テレビ版では、例えばフォウとカミーユ、サラとカミーユ(勿論その前提としてはアムロとララァ)の関係が大きなゆっくりとした対句的な対比(まとは運命的なリフレイン)として描かれていたのだが、劇場版では、尺の都合上、両エピソードが続けて語られ、余韻と言うか、予定調和と言うか、運命的なものがあまり感じられないような印象を受ける。
また、同様にアムロとカミーユ、カミーユとカツの関係が、これまた対句的な表現で描かれている(同様に運命的なリフレイン)のだが、それも、尺の関係で繰り返すタイミングに若干問題があったような印象を受ける。
また、前作同様、旧作画と新作画の乖離が否定できない。
余談だが、テレビ版のフォウとサラの私服のデザインが嫌いなわたしとしては、彼女等の私服を新作画で全とっかえしていないかな、と淡い期待をしていたのだが、残念ながらそんな事は全く行われていなかった。
物語は、展開が非常に早いのは前述の通りだが、おそらくテレビ版を知らなくても、脚本の頑張りで、物語の進行についていけるのではないか、と思う反面、全くテレビ版を知らない人には何らかの物語の補完が必要ではないか、と言う印象も同時に受けた。
本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、第二部と言うこともあり、物語の途中で唐突な幕切れを見せるのだが、前作同様余韻が感じられる、良いシークエンスで幕を閉じているのが嬉しい。
例えば「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のエンディングにも似た爽やかな感動を感じてしまう。
少なくとも、本作「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」は、「ガンダム」に対する熱い情熱は冷めちゃった人にも、とりあえず劇場で観て欲しいな、と思える作品である。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
余談だが、「東京ファンタ2005」で前売りチケットが完売したのは「機動戦士ZガンダムII−恋人たち−」のみだった模様である。
他の作品は当日券でも普通に指定席券が売られていたようだが、本作は立ち見の当日券が限定150枚販売された。
150枚の立ち見券を購入するために、昨年同様徹夜組も出た模様である。
昨年の「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」チケットにまつわるお話
(http://diarynote.jp/d/29346/20041018.htmlの下部)を思い出す。
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「エリザベスタウン」
2005年10月13日 映画
2005/10/13 東京銀座「ヤマハホール」で「エリザベスタウン」の試写を観た。
長い年月をかけて情熱を傾けてきた、新しいシューズ開発のプロジェクトが失敗。
商品の返品が相次ぎ、デザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)は解雇される。しかも6日後には、彼ひとりの責任として、企業の損失がビジネス誌で公表される事に・・・・。
夢に破れ、生きる気力を失ったドリューは、世間の失笑をかう前に人生を終わらせる覚悟をする。そこに、追い討ちをかけるように知らされる父の死・・・・・。
失意の中、父の故郷であるケンタッキー州の小さな街、エリザベスタウンへと出発するが・・・・・。
(ちらしよりほぼ引用)
監督・脚本:キャメロン・クロウ
製作:キャメロン・クロウ、トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー
出演:オーランド・ブルーム(ドリュー)、キルステン・ダンスト(クレア)、スーザン・サランドン(ホリー)、アレック・ボールドウィン(フィル)、ブルース・マッギル(ビル)、ジュディ・グリア(ヘザー)、ジェシカ・ビール(エレン)、ポール・シュナイダー(ジェシー)、ポーラ・ディーン(ドーラ)、ジェド・リース(チャック)
オーランド・ブルームとキルステン・ダンストなんかには騙されないぞと、お前らのラヴ・ストーリーなんかじゃ泣かないぞと、そういう反抗的な気持ちで本作「エリザベスタウン」を観たわたしだった。
しかし、そこには一抹の不安があったのも事実である。
何しろわたしはキャメロン・クロウの作品が大好きなのである。
「初体験 リッジモント・ハイ」(1982/原案・脚本)、「セイ・エニシング」(1989/監督・脚本)、「シングルス」(1992/監督・政策・脚本)、「バニラ・スカイ」(2001/監督・脚本)から、かの名作「あの頃ペニー・レインと」(2000/監督・製作・脚本)にいたる傑作の数々。
特にわたしにとって「あの頃ペニー・レインと」は、好きで好きでたまらない正に愛すべき作品だと言えるのだ。
そんなわたしは案の定、キャメロン・クロウの脚本と演出、そして音楽の力の前に力なく崩れ落ち、文字通り泣かされてしまったのだ。
さて、本作「エリザベスタウン」についてだが、先ずは音楽と言うか選曲が凄い。
勿論、元「ローリングストーン」誌の音楽ライターだったキャメロン・クロウが選曲をしているのだろうと思うが、シーンやシークエンスを構成する上での楽曲の選曲が身悶えするほど素晴らしい。
それらの楽曲は、勿論シーンを効果的に見せると言う一般的な相乗効果的手法もあるのだが、一見ミスマッチに見せながら、もしかしてアンチテーゼ的手法と思わせ、その実、最終的にはシーンの効果を抜群に高めている、というような使い方をもされた珠玉の名曲の数々が、涙腺破壊的な凄まじい効果をあげている。
キャストはなんと言ってもドリューの母ホリーを演じたスーザン・サランドンであろう。
本作のスーザン・サランドンは大変素晴らしく、脚本上も一番美味しい所をさらってしまっている。
彼女のここ10年位のキャリアの中で、最高の感動的な演技を見せてくれている。
彼女のスピーチから始まるシークエンスは、号泣必須の素晴らしいものに仕上がっている、と言えよう。
これは本当に素晴らしい。
私見だが、「テルマ&ルイーズ」(1991)のスーザン・サランドンに匹敵すると思うよ。
また、ドリュー(オーランド・ブルーム)のいとこのジェシーを演じたポール・シュナイダーも良かった。
勿論、主演のふたり、オーランド・ブルーム(ドリュー)とキルステン・ダンスト(クレア)も良かった。
特にキルステン・ダンストは若干押しが強すぎるきらいは否定できないが、非常にキュートであった。
オーランド・ブルームはコスチューム・プレイ(本来の意味は史劇のように、時代がかった衣装を付けて行う劇のこと)ではない作品をはじめて見たような印象を受けるが、普通で良かったと思う。
脚本は挫折からの再生を見事な愛情を持って描いたもので、また父と子の関係を考えるとティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」をも髣髴とさせる。
そして「ビッグ・フイッシュ」同様本作の葬式のシークエンスは非常に感動的である。更にこの感覚はローレンス・カスダンの「再会の時」の冒頭の葬式のシークエンスにもダブる印象を受ける。
本作を挫折からの再生の物語だと考えた場合、父の故郷「エリザベスタウン」は死と再生のメタファーであり、鯨の胎内のメタファーとなっている。
時間に取り残された愛すべき街「エリザベスタウン」。全ての人々の故郷たりうる「エリザベスタウン」の存在が、悲しくも嬉しい。
ところで、予告編からの印象から、わたしは本作がオーランド・ブルームのドライブ・シークエンスに過去の回想が挿入される物語だと思っていたのだが、それは完全にわたしの思い違いだった。
ドライブ・シークエンスが非常に短い事にわたしは驚かされた。
本作「エリザベスタウン」は、ラブ・ストーリー好きの人たちだけに見せるのはもったいない、素晴らしい音楽映画とも言える傑作である。
キャメロン・クロウの新たな傑作の誕生に拍手を贈りたい。
☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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長い年月をかけて情熱を傾けてきた、新しいシューズ開発のプロジェクトが失敗。
商品の返品が相次ぎ、デザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)は解雇される。しかも6日後には、彼ひとりの責任として、企業の損失がビジネス誌で公表される事に・・・・。
夢に破れ、生きる気力を失ったドリューは、世間の失笑をかう前に人生を終わらせる覚悟をする。そこに、追い討ちをかけるように知らされる父の死・・・・・。
失意の中、父の故郷であるケンタッキー州の小さな街、エリザベスタウンへと出発するが・・・・・。
(ちらしよりほぼ引用)
監督・脚本:キャメロン・クロウ
製作:キャメロン・クロウ、トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー
出演:オーランド・ブルーム(ドリュー)、キルステン・ダンスト(クレア)、スーザン・サランドン(ホリー)、アレック・ボールドウィン(フィル)、ブルース・マッギル(ビル)、ジュディ・グリア(ヘザー)、ジェシカ・ビール(エレン)、ポール・シュナイダー(ジェシー)、ポーラ・ディーン(ドーラ)、ジェド・リース(チャック)
オーランド・ブルームとキルステン・ダンストなんかには騙されないぞと、お前らのラヴ・ストーリーなんかじゃ泣かないぞと、そういう反抗的な気持ちで本作「エリザベスタウン」を観たわたしだった。
しかし、そこには一抹の不安があったのも事実である。
何しろわたしはキャメロン・クロウの作品が大好きなのである。
「初体験 リッジモント・ハイ」(1982/原案・脚本)、「セイ・エニシング」(1989/監督・脚本)、「シングルス」(1992/監督・政策・脚本)、「バニラ・スカイ」(2001/監督・脚本)から、かの名作「あの頃ペニー・レインと」(2000/監督・製作・脚本)にいたる傑作の数々。
特にわたしにとって「あの頃ペニー・レインと」は、好きで好きでたまらない正に愛すべき作品だと言えるのだ。
そんなわたしは案の定、キャメロン・クロウの脚本と演出、そして音楽の力の前に力なく崩れ落ち、文字通り泣かされてしまったのだ。
さて、本作「エリザベスタウン」についてだが、先ずは音楽と言うか選曲が凄い。
勿論、元「ローリングストーン」誌の音楽ライターだったキャメロン・クロウが選曲をしているのだろうと思うが、シーンやシークエンスを構成する上での楽曲の選曲が身悶えするほど素晴らしい。
それらの楽曲は、勿論シーンを効果的に見せると言う一般的な相乗効果的手法もあるのだが、一見ミスマッチに見せながら、もしかしてアンチテーゼ的手法と思わせ、その実、最終的にはシーンの効果を抜群に高めている、というような使い方をもされた珠玉の名曲の数々が、涙腺破壊的な凄まじい効果をあげている。
キャストはなんと言ってもドリューの母ホリーを演じたスーザン・サランドンであろう。
本作のスーザン・サランドンは大変素晴らしく、脚本上も一番美味しい所をさらってしまっている。
彼女のここ10年位のキャリアの中で、最高の感動的な演技を見せてくれている。
彼女のスピーチから始まるシークエンスは、号泣必須の素晴らしいものに仕上がっている、と言えよう。
これは本当に素晴らしい。
私見だが、「テルマ&ルイーズ」(1991)のスーザン・サランドンに匹敵すると思うよ。
また、ドリュー(オーランド・ブルーム)のいとこのジェシーを演じたポール・シュナイダーも良かった。
勿論、主演のふたり、オーランド・ブルーム(ドリュー)とキルステン・ダンスト(クレア)も良かった。
特にキルステン・ダンストは若干押しが強すぎるきらいは否定できないが、非常にキュートであった。
オーランド・ブルームはコスチューム・プレイ(本来の意味は史劇のように、時代がかった衣装を付けて行う劇のこと)ではない作品をはじめて見たような印象を受けるが、普通で良かったと思う。
脚本は挫折からの再生を見事な愛情を持って描いたもので、また父と子の関係を考えるとティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」をも髣髴とさせる。
そして「ビッグ・フイッシュ」同様本作の葬式のシークエンスは非常に感動的である。更にこの感覚はローレンス・カスダンの「再会の時」の冒頭の葬式のシークエンスにもダブる印象を受ける。
本作を挫折からの再生の物語だと考えた場合、父の故郷「エリザベスタウン」は死と再生のメタファーであり、鯨の胎内のメタファーとなっている。
時間に取り残された愛すべき街「エリザベスタウン」。全ての人々の故郷たりうる「エリザベスタウン」の存在が、悲しくも嬉しい。
ところで、予告編からの印象から、わたしは本作がオーランド・ブルームのドライブ・シークエンスに過去の回想が挿入される物語だと思っていたのだが、それは完全にわたしの思い違いだった。
ドライブ・シークエンスが非常に短い事にわたしは驚かされた。
本作「エリザベスタウン」は、ラブ・ストーリー好きの人たちだけに見せるのはもったいない、素晴らしい音楽映画とも言える傑作である。
キャメロン・クロウの新たな傑作の誕生に拍手を贈りたい。
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「銀河ヒッチハイク・ガイド」
2005年10月11日 映画
2005/10/10 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ」で、「銀河ヒッチハイク・ガイド」を観た。
ある日、上空に現われた、無数の宇宙船。彼らの目的は、ただひとつ−−地球を爆破すること。太陽系を通る銀河バイパスの建設のため、地球はあっけなく消滅してしまった・・・・。
運命のイタズラで、”最後の地球人”となったのは、極めて平凡な英国男性アーサー・デント(マーティン・フリーマン)。彼は、宇宙で行き抜くサバイバル術とクールな風刺に満ちた、銀河系最大のベストセラー「銀河ヒッチハイク・ガイド」を頼りに、果てしない広大な宇宙へ旅に出るが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ガース・ジェニングス
原作:ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
脚本:ダグラス・アダムス、カレイ・カークパトリック
プロダクションデザイン:ジョエル・コリンズ
出演:マーティン・フリーマン(アーサー・デント)、サム・ロックウェル(ゼイフォード・ビーブルブロックス)、モス・デフ(フォード・プリーフェクト)、ズーイー・デシャネル(トリリアン)、ビル・ナイ(スラーティバートファースト)、ジョン・マルコヴィッチ(ハーマ・カヴーラ)、ワーウィック・デイヴィス(マーヴィン)
声の出演:アラン・リックマン(マーヴィン)、スティーヴン・フライ(ナレーター/ザ・ガイド)、イアン・マクニース(クワルツ)、ヘレン・ミレン(ディープ・ソート)、トーマス・レノン(エディ・ザ・コンピュータ)
本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、もともとBBCのラジオドラマ(1978)として書き上げられた脚本を小説化(1979)した作品で、SFパロディの傑作として世界中でカルト的な人気を呼んだ故ダグラス・アダムスの同名小説の映画化作品である。
原作者で、本作の脚本家であり、製作総指揮にも名を連ねるダグラス・アダムスは、本作製作直前に心臓発作で帰らぬ人となり、本作はその「ダグラスヘ」捧げられている。
さて、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」だが、各方面からの絶賛の話を聴いていたわたしの期待が過多だったのか、わたし個人がモンティ・パイソン系英国ユーモアを解せなかったのか定かではないが、残念なことに本作はそんなに面白い作品には思えなかった。
と言うのも、わたしは本作の映画化の話を聞き、もしかしたら「不思議惑星キン・ザ・ザ」を現代のVFX技術でリッチに蘇らせたような素晴らしい作品になるのではないか、と言う誤った先入観を持っていたためだ。
でも、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、わたしの求めていた「不思議惑星キン・ザ・ザ」のような憂いを持った作品ではなかった、と言う事である。
しかしながら、本作は決してつまらない訳ではないし、わたしの嗜好にもマッチする作品に仕上がってはいた。
本作は思索的、哲学的で、ウィットやユーモア、エスプリに富み、またビジュアル・イメージも秀逸だし、設定も構成も愉快である。
またキャストについても、何がなんだかわからない程豪華である。
マーティン・フリーマンの普通の英国人ぶりも良かったし、始終楽しませてくれるサム・ロックウェルも良い。
「スター・ウォーズ」のレイア姫を髣髴とさせるズーイー・デシャネルも素敵だったし、モス・デフの筋が通っていながらちゃらんぽらんなところも良かった。
ワーウィック・デイヴィスが演じているロボット(マーヴィン)の声をアラン・リックマンがあてている、のにも驚きである。
あとは、何と言ってもビル・ナイが最高だった。
また、「銀河ヒッチハイク・ガイド」と言う割には、ヒッチハイクの回数が少なかったのも、気になった。
わたしの想像では、異なった異星人と異なった文化に主人公達がさらされ、危機また危機に陥った主人公たちがヒッチハイクで何とか難を切り抜ける、と言う物語を期待していたのだが、冒頭に何度かヒッチハイクをするだけで、あとはただの宇宙を舞台にしたよくあるコメディ作品になってしまっているような気がした。
もう少し、ヒッチハイクを生かした脚本にして欲しかったような気がする。
但し、圧倒的なビジュアル・イメージや異世界の世界観、哲学的思索的思考は十分評価できると思うし、また万物の霊長を自負する人類に対するシニカルな視線は、非常に素晴らしかった。
また、ミュージカルのように、時々挿入される楽曲の詩が最高に面白い。
脚本は、原作にある重要な部分、例えば「何故地球が誕生したのか」と言った部分が理解しづらい印象を受けた。
もしかしたらこれは訳出の問題なのかもしれないが、重要な部分が明確に描かれていない(ような印象をうけた)ため「えぇ〜、そうだったの〜!!」と言う驚きが半減してしまうような印象を受けた。
ところで、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、期待のしどころを間違わなければ、断然に楽しめる素晴らしい作品だと思う。
めくるめく世界観と、小ネタ、小粋なユーモアとシニカルな視点、極端な性格を持つキャラクター・・・・。
「銀河ヒッチハイク・ガイド」の次は、是非「不思議惑星キン・ザ・ザ」を観て欲しい。同作は祭りの後の寂寥感漂う素晴らしい傑作である。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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ある日、上空に現われた、無数の宇宙船。彼らの目的は、ただひとつ−−地球を爆破すること。太陽系を通る銀河バイパスの建設のため、地球はあっけなく消滅してしまった・・・・。
運命のイタズラで、”最後の地球人”となったのは、極めて平凡な英国男性アーサー・デント(マーティン・フリーマン)。彼は、宇宙で行き抜くサバイバル術とクールな風刺に満ちた、銀河系最大のベストセラー「銀河ヒッチハイク・ガイド」を頼りに、果てしない広大な宇宙へ旅に出るが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ガース・ジェニングス
原作:ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
脚本:ダグラス・アダムス、カレイ・カークパトリック
プロダクションデザイン:ジョエル・コリンズ
出演:マーティン・フリーマン(アーサー・デント)、サム・ロックウェル(ゼイフォード・ビーブルブロックス)、モス・デフ(フォード・プリーフェクト)、ズーイー・デシャネル(トリリアン)、ビル・ナイ(スラーティバートファースト)、ジョン・マルコヴィッチ(ハーマ・カヴーラ)、ワーウィック・デイヴィス(マーヴィン)
声の出演:アラン・リックマン(マーヴィン)、スティーヴン・フライ(ナレーター/ザ・ガイド)、イアン・マクニース(クワルツ)、ヘレン・ミレン(ディープ・ソート)、トーマス・レノン(エディ・ザ・コンピュータ)
本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、もともとBBCのラジオドラマ(1978)として書き上げられた脚本を小説化(1979)した作品で、SFパロディの傑作として世界中でカルト的な人気を呼んだ故ダグラス・アダムスの同名小説の映画化作品である。
原作者で、本作の脚本家であり、製作総指揮にも名を連ねるダグラス・アダムスは、本作製作直前に心臓発作で帰らぬ人となり、本作はその「ダグラスヘ」捧げられている。
さて、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」だが、各方面からの絶賛の話を聴いていたわたしの期待が過多だったのか、わたし個人がモンティ・パイソン系英国ユーモアを解せなかったのか定かではないが、残念なことに本作はそんなに面白い作品には思えなかった。
と言うのも、わたしは本作の映画化の話を聞き、もしかしたら「不思議惑星キン・ザ・ザ」を現代のVFX技術でリッチに蘇らせたような素晴らしい作品になるのではないか、と言う誤った先入観を持っていたためだ。
でも、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、わたしの求めていた「不思議惑星キン・ザ・ザ」のような憂いを持った作品ではなかった、と言う事である。
しかしながら、本作は決してつまらない訳ではないし、わたしの嗜好にもマッチする作品に仕上がってはいた。
本作は思索的、哲学的で、ウィットやユーモア、エスプリに富み、またビジュアル・イメージも秀逸だし、設定も構成も愉快である。
またキャストについても、何がなんだかわからない程豪華である。
マーティン・フリーマンの普通の英国人ぶりも良かったし、始終楽しませてくれるサム・ロックウェルも良い。
「スター・ウォーズ」のレイア姫を髣髴とさせるズーイー・デシャネルも素敵だったし、モス・デフの筋が通っていながらちゃらんぽらんなところも良かった。
ワーウィック・デイヴィスが演じているロボット(マーヴィン)の声をアラン・リックマンがあてている、のにも驚きである。
あとは、何と言ってもビル・ナイが最高だった。
また、「銀河ヒッチハイク・ガイド」と言う割には、ヒッチハイクの回数が少なかったのも、気になった。
わたしの想像では、異なった異星人と異なった文化に主人公達がさらされ、危機また危機に陥った主人公たちがヒッチハイクで何とか難を切り抜ける、と言う物語を期待していたのだが、冒頭に何度かヒッチハイクをするだけで、あとはただの宇宙を舞台にしたよくあるコメディ作品になってしまっているような気がした。
もう少し、ヒッチハイクを生かした脚本にして欲しかったような気がする。
但し、圧倒的なビジュアル・イメージや異世界の世界観、哲学的思索的思考は十分評価できると思うし、また万物の霊長を自負する人類に対するシニカルな視線は、非常に素晴らしかった。
また、ミュージカルのように、時々挿入される楽曲の詩が最高に面白い。
脚本は、原作にある重要な部分、例えば「何故地球が誕生したのか」と言った部分が理解しづらい印象を受けた。
もしかしたらこれは訳出の問題なのかもしれないが、重要な部分が明確に描かれていない(ような印象をうけた)ため「えぇ〜、そうだったの〜!!」と言う驚きが半減してしまうような印象を受けた。
ところで、本作「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、期待のしどころを間違わなければ、断然に楽しめる素晴らしい作品だと思う。
めくるめく世界観と、小ネタ、小粋なユーモアとシニカルな視点、極端な性格を持つキャラクター・・・・。
「銀河ヒッチハイク・ガイド」の次は、是非「不思議惑星キン・ザ・ザ」を観て欲しい。同作は祭りの後の寂寥感漂う素晴らしい傑作である。
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「チャーリーとチョコレート工場」
2005年10月9日 映画
2005/08/12 東京霞ヶ関「イイノホール」で「チャーリーとチョコレート工場」の試写を観た。
チャーリー・バケット少年(フレディー・ハイモア)の家の貧しさといったら、それはもう大変なものでした。大きな町のはずれにある、左に30度くらい傾いた今にも壊れそうな小さな家に、一家7人で暮らすバケット家。失業中の父(ノア・テイラー)と、母(ヘレナ・ボナム=カーター)と、チャーリー、それに合計年齢381歳の祖父母がふた組。夕食と言えば限りなく水に近いキャベツのスープだけ。しかも、日曜以外はお代わりもできません・・・・!
それでもチャーリーは幸せでした。誕生日のときにだけ買ってもらえる大好きなチョコレート。そのたった1枚の小さな板チョコを、チャーリーは1か月かけて少しずつ少しずつちびちびと食べるのです。ああ、なんとけなげなチャーリー少年!そんなチャーリーの家のすぐそばに大きなチョコレート工場がありました。ここ15年間というもの工場の門は閉ざされ、中に入った人も出てきた人もいないのに、世界的ヒット商品を毎日出荷し続ける謎のチョコレート工場。チャーリーは思います。あの工場の中に入って、どんなふうになっているのか見られたらいいのに。
そんなある日、驚くべきニュースが世界中を駆け巡りました。
「ウォンカの工場ついに公開!幸運な5人の子供たちに見学を許可」
ウォンカ製のチョコレートに入った”ゴールデン・チケット”を引き当てた5人の子供とその保護者を特別に工場に招待する、と工場主のウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が異例の声明を発表したのです。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ティム・バートン
原作:ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』
脚本:ジョン・オーガスト
撮影:フィリップ・ルースロ
美術:アレックス・マクダウェル
衣装:ガブリエラ・ペスクッチ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ(ウィリー・ウォンカ)、フレディ・ハイモア(チャーリー・バケット)、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)、ミッシー・パイル(ボーレカード夫人)、ジェームズ・フォックス(ソルト氏)、ディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)、クリストファー・リー(ドクター・ウォンカ)、アダム・ゴドレー(ティービー氏)、アンナソフィア・ロブ(バイオレット)、ジュリア・ウィンター(ベルーカ)、ジョーダン・フライ(マイク)、フィリップ・ウィーグラッツ(オーガスタス)
わたしはティム・バートンが大好きである。
「ピーウィーの大冒険(未公開)」も「ビートル・ジュース」も勿論「バットマン」も良かったのだが、わたしのティム・バートン好きを決定させたのはなんと言っても「シザーハンズ」である。
当時わたしは、銀座で「シザーハンズ」を観て、あまりにも素晴らしい作品だったので、その足で渋谷の輸入レーザーディスク屋に行き、"EDWARD SCISSORHANDS"の北米版LDを購入した。
当時、わたしはLDプレーヤーを持っていなかった、というのに。
そんなティム・バートンの魅力は何なのか、と考えると、先ずは緻密に構築された世界観であり、そして、その世界観に見合うフリーキーな登場人物であり、そのフリーキーなキャラクターに対する限りない愛情なのだろうと思う。
何しろティム・バートンは、かの「バットマン」のブルース・ウェインをジョーカーに匹敵する程のフリークとして描き、スーパーヒーローを描いた作品であるにも関わらず、その実態「バットマン」をフリークス同士の対決として描いてしまっているのだ。
以来、ティム・バートンの作品の主要キャラクターはフリークスが占め、緻密に構築された世界観と、その卓越した演出と構成により、一般的には迫害される存在とも言えるフリークスに光明をあて、愛すべき存在に昇華させることに成功している。
そしてその戦略的方法論は大変素晴らしく、観客は既に彼等フリークスを愛してしまい、彼等フリークスを迫害しようとする観客は既に皆無だといえる程なのだ。
そんな背景の下、本作「チャーリーとチョコレート工場」を観た0訳だ。
緻密に構築された世界観は素晴らしいし、美術も勿論良い仕事をしている。CGIについては、セットや美術との乖離が感じられるシークエンスもあったが、おおむね良好である。
また、ティム・バートンの盟友ダニー・エルフマンがつむぎだす楽曲は、美術や世界観を壊すことなく、むしろ構築に一役買っている。
キャストはなんと言ってもディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)であろう。正に映画史に残る素晴らしい怪演を見た気がする。
しかも、ウンパ・ルンパは、CGIで増やされたのではなく、全員分を1人で何度も何度も演じたと言うのだから、頭が下がってしまう。
また、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)等のバケット家のフリーキーな皆さんが非常に印象的だった。
更に、ウィリー・ウォンカの父親ドクター・ウォンカを演じたクリストファー・リーも良かった。最近大作付いているクリストファー・リーだが、本作では「シザー・ハンズ」のヴィンセント・プライスの役柄を髣髴とさせる役柄を楽しげに演じていた。
もし、ティム・バートンが敬愛してやまないヴィンセント・プライスが存命だったとしたら、このドクター・ウォンカの役は、おそらくヴィンセント・プライスが演じた役柄なのだろう。
物語は、ロアルド・ダールの原作「チョコレート工場の秘密」とほぼ一緒だし、オリジナル版の「夢のチョコレート工場」(1971)とほぼ一緒である。
が、原作やオリジナル版にあった、そこはかとない恐怖感と言うか、童話が持つ残酷性と言うか、子ども達が見たらトラウマになっちまうぞ感が、残念ながらあまりなかったような気がする。
ティム・バートン好きとしては、子ども達が見たら泣き出してしまうくらいの作品を期待していたようだ。
また興味深かったのは、様々な映画、特にSF・ファンタジー映画への言及が多かった点だ。
例えば、「2001年宇宙の旅」や「ザ・フライ」と「蝿男の恐怖」、「スタートレック」シリーズや「未来世紀ブラジル」、「シザーハンズ」・・・・という具合だ。
本作「チャーリーとチョコレート工場」は、「ビッグ・フィッシュ」の次にこんな映画かよ、という軽い失望感を感じるが、ファンタジー映画としては、傑作の部類に入る作品だし、子どもに見せても決して怖い夢など見ない、人畜無害な作品に仕上がっている。
そのあたりが賛否の分かれる点だと思うのだが、大変面白い作品であることは間違いない。
この秋、是非劇場で観ていただきたい作品なのだ。
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チャーリー・バケット少年(フレディー・ハイモア)の家の貧しさといったら、それはもう大変なものでした。大きな町のはずれにある、左に30度くらい傾いた今にも壊れそうな小さな家に、一家7人で暮らすバケット家。失業中の父(ノア・テイラー)と、母(ヘレナ・ボナム=カーター)と、チャーリー、それに合計年齢381歳の祖父母がふた組。夕食と言えば限りなく水に近いキャベツのスープだけ。しかも、日曜以外はお代わりもできません・・・・!
それでもチャーリーは幸せでした。誕生日のときにだけ買ってもらえる大好きなチョコレート。そのたった1枚の小さな板チョコを、チャーリーは1か月かけて少しずつ少しずつちびちびと食べるのです。ああ、なんとけなげなチャーリー少年!そんなチャーリーの家のすぐそばに大きなチョコレート工場がありました。ここ15年間というもの工場の門は閉ざされ、中に入った人も出てきた人もいないのに、世界的ヒット商品を毎日出荷し続ける謎のチョコレート工場。チャーリーは思います。あの工場の中に入って、どんなふうになっているのか見られたらいいのに。
そんなある日、驚くべきニュースが世界中を駆け巡りました。
「ウォンカの工場ついに公開!幸運な5人の子供たちに見学を許可」
ウォンカ製のチョコレートに入った”ゴールデン・チケット”を引き当てた5人の子供とその保護者を特別に工場に招待する、と工場主のウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が異例の声明を発表したのです。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ティム・バートン
原作:ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』
脚本:ジョン・オーガスト
撮影:フィリップ・ルースロ
美術:アレックス・マクダウェル
衣装:ガブリエラ・ペスクッチ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ(ウィリー・ウォンカ)、フレディ・ハイモア(チャーリー・バケット)、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)、ミッシー・パイル(ボーレカード夫人)、ジェームズ・フォックス(ソルト氏)、ディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)、クリストファー・リー(ドクター・ウォンカ)、アダム・ゴドレー(ティービー氏)、アンナソフィア・ロブ(バイオレット)、ジュリア・ウィンター(ベルーカ)、ジョーダン・フライ(マイク)、フィリップ・ウィーグラッツ(オーガスタス)
わたしはティム・バートンが大好きである。
「ピーウィーの大冒険(未公開)」も「ビートル・ジュース」も勿論「バットマン」も良かったのだが、わたしのティム・バートン好きを決定させたのはなんと言っても「シザーハンズ」である。
当時わたしは、銀座で「シザーハンズ」を観て、あまりにも素晴らしい作品だったので、その足で渋谷の輸入レーザーディスク屋に行き、"EDWARD SCISSORHANDS"の北米版LDを購入した。
当時、わたしはLDプレーヤーを持っていなかった、というのに。
そんなティム・バートンの魅力は何なのか、と考えると、先ずは緻密に構築された世界観であり、そして、その世界観に見合うフリーキーな登場人物であり、そのフリーキーなキャラクターに対する限りない愛情なのだろうと思う。
何しろティム・バートンは、かの「バットマン」のブルース・ウェインをジョーカーに匹敵する程のフリークとして描き、スーパーヒーローを描いた作品であるにも関わらず、その実態「バットマン」をフリークス同士の対決として描いてしまっているのだ。
以来、ティム・バートンの作品の主要キャラクターはフリークスが占め、緻密に構築された世界観と、その卓越した演出と構成により、一般的には迫害される存在とも言えるフリークスに光明をあて、愛すべき存在に昇華させることに成功している。
そしてその戦略的方法論は大変素晴らしく、観客は既に彼等フリークスを愛してしまい、彼等フリークスを迫害しようとする観客は既に皆無だといえる程なのだ。
そんな背景の下、本作「チャーリーとチョコレート工場」を観た0訳だ。
緻密に構築された世界観は素晴らしいし、美術も勿論良い仕事をしている。CGIについては、セットや美術との乖離が感じられるシークエンスもあったが、おおむね良好である。
また、ティム・バートンの盟友ダニー・エルフマンがつむぎだす楽曲は、美術や世界観を壊すことなく、むしろ構築に一役買っている。
キャストはなんと言ってもディープ・ロイ(ウンパ・ルンパ)であろう。正に映画史に残る素晴らしい怪演を見た気がする。
しかも、ウンパ・ルンパは、CGIで増やされたのではなく、全員分を1人で何度も何度も演じたと言うのだから、頭が下がってしまう。
また、デヴィッド・ケリー(ジョーじいちゃん)、ヘレナ・ボナム=カーター(バケット夫人)、ノア・テイラー(バケット氏)等のバケット家のフリーキーな皆さんが非常に印象的だった。
更に、ウィリー・ウォンカの父親ドクター・ウォンカを演じたクリストファー・リーも良かった。最近大作付いているクリストファー・リーだが、本作では「シザー・ハンズ」のヴィンセント・プライスの役柄を髣髴とさせる役柄を楽しげに演じていた。
もし、ティム・バートンが敬愛してやまないヴィンセント・プライスが存命だったとしたら、このドクター・ウォンカの役は、おそらくヴィンセント・プライスが演じた役柄なのだろう。
物語は、ロアルド・ダールの原作「チョコレート工場の秘密」とほぼ一緒だし、オリジナル版の「夢のチョコレート工場」(1971)とほぼ一緒である。
が、原作やオリジナル版にあった、そこはかとない恐怖感と言うか、童話が持つ残酷性と言うか、子ども達が見たらトラウマになっちまうぞ感が、残念ながらあまりなかったような気がする。
ティム・バートン好きとしては、子ども達が見たら泣き出してしまうくらいの作品を期待していたようだ。
また興味深かったのは、様々な映画、特にSF・ファンタジー映画への言及が多かった点だ。
例えば、「2001年宇宙の旅」や「ザ・フライ」と「蝿男の恐怖」、「スタートレック」シリーズや「未来世紀ブラジル」、「シザーハンズ」・・・・という具合だ。
本作「チャーリーとチョコレート工場」は、「ビッグ・フィッシュ」の次にこんな映画かよ、という軽い失望感を感じるが、ファンタジー映画としては、傑作の部類に入る作品だし、子どもに見せても決して怖い夢など見ない、人畜無害な作品に仕上がっている。
そのあたりが賛否の分かれる点だと思うのだが、大変面白い作品であることは間違いない。
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2005/09/28 東京新宿「新宿ミラノ座」で「セブンソード」の試写を観た。
当日は、ナンサン・シー、ツイ・ハーク、レオン・ライ、ドニー・イェンを迎えたジャパン・プレミアだった。
1660年代、中国に侵攻した満州民族は明王朝を倒し、清王朝を築いた。不満分子が各地で反乱を起こすなか、新政府は武術の研究と実践を禁じる禁武令を発布し、反乱軍を鎮圧するのに悪戦苦闘していた。明王朝の軍人だった風火連城(フォンフォリェンチョン)(スン・ホンレイ[孫紅雷])は、この混乱に乗じて私腹を肥やそうとたくらみ、不満分子の排除に手を貸す。強欲で冷酷非情な風火連城は中国の北西部一帯で略奪を繰り返し、明王朝の残党を次々と抹殺。風火連城にとって最大のターゲットは、反清王朝の強硬派が住む寒村──武荘という集落だった。
明王朝時代に処刑人を務めていた傅青主(フー・チンジュ)(ラウ・カーリョン[劉家良])は良心の呵責から、風火連城の蛮行に歯止めをかけ、武荘を守ろうと決意する。フーは同村の武元英(ウー・ユエンイン)(チャーリー・ヤン[楊采妮])と韓志邦(ハン・ジィパン)(ルー・イー[陸毅])を連れて、遠方の神秘の山“天山”へ出向き、そこで隠遁生活を送る晦明大師(フイミンダーシ)(マー・ジンウー)に協力を依頼するが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ツイ・ハーク
アクション監督:ラウ・カーリョン
原作:リャン・ユーシェン『七剣下天山』
音楽:川井憲次
武術指導:トン・ワイ、ホン・ヤンヤン
出演:レオン・ライ[黎明](ヤン・ユンツォン[楊雲驄])、ドニー・イェン[甄子丹](チュウ・チャオナン[楚昭南])、チャーリー・ヤン[楊采妮](ウー・ユエンイン[武元英])、スン・ホンレイ[孫紅雷](フォンフォリェンチョン[風火連城])、ルー・イー[陸毅](ハン・ジィパン[韓志邦])、キム・ソヨン[金素妍](リュイジュ[緑珠])、ラウ・カーリョン[劉家良](フー・チンジュ[傅青主])、チャン・チンチュー[張静初](リィウ・ユィファン[劉郁芳])、タイ・リーウー[戴立吾](シン・ロンヅ[辛龍子])、ダンカン・チョウ[周群達](ムーラン[穆郎])
先ずはこちらを見て欲しい。
「徐克をめぐる冒険」
http://diarynote.jp/d/29346/20050928.html
本作「セブンソード」は、1970年代からツイ・ハーク[徐克]を追いかけて来たわたしにとっては、非常に残念な作品であった。
勿論、例えば終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いや、美術、アートワーク、壮大なロケーション効果等、評価出来る点はいくつもあるのだが、映画として考えると残念な印象が勝っている。
例えばアクション・シーンではカメラが被写体に寄り過ぎで何が行われているかわからないし、かつ動けない俳優のアクションを細かいカットでごまかすような編集がされているし、一般に評価されている音楽(川井憲次)もわたしにとっては映像との乖離がはなはだしく、映像に没頭できないような有様である。
また、七人の剣士のキャラクターの描き分けも明確ではなく、更に彼等が使う肝心の七剣の特徴もよくわからない。
更に、チャン・イーモウの「HERO/英雄」「LOVERS/謀」に続く、とか言うどう考えても一般の観客をミス・デレクションするために考えられたようなキャッチ・コピーには映画ファンとしては怒りすら感じてしまう。
とは言っても、良いところは良い訳で、個人的には前述した終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いが素晴らしかった。
アクション・シークエンスなのに感動のあまり涙が出てしまうくらいの素晴らしい出来だった。
かつて「ワンス・アポン・ア・タイム/天地大乱」だったか他の作品だったかはっきり覚えていないが、ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)が似たような空中戦のアクションを見せてくれているが、今回のアクションもそれに匹敵するくらい素晴らしかった。
勿論、泣けるアクションと言えば「グリーン・デスティニー」の冒頭のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーの空中戦的アクションにも涙がこぼれちゃうのだ、本作の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])のバトルはそれにも匹敵する素晴らしいものだった。
更に、広大な大地を印象的に使ったロケーション効果が非常に高く、島国で山や川ばかりの日本の作品、例えば「SHINOBI」と比較して、非常にうらやましい印象を受ける。
余談だが、「SHINOBI」では、小さな川を特殊効果で大きな川に見せているカットがいくつかあるのだが、水の粒子の大きさから川の大きさが類推でき、その川のほとりに立つキャラクターと川のサイズに違和感を感じてしまう。まるで火や水を使った「サンダーバード」の画面のような違和感を受けるのだ。
とにかく、本作「セブンソード」は、全国拡大ロードショー向きの作品ではなく、もしかすると「東京ファンタ」で上映されたり、「銀座シネパトス」や「新宿トーア」、「有楽座(旧ニュー東宝シネマ1)」で上映される種類の作品だったような気もする。
「HERO/英雄」や「LOVERS/謀」と方向性も違うしね。
でも、是非劇場で観て欲しいと思うよ。ツイ・ハーク[徐克]ファンとしてはね。
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当日は、ナンサン・シー、ツイ・ハーク、レオン・ライ、ドニー・イェンを迎えたジャパン・プレミアだった。
1660年代、中国に侵攻した満州民族は明王朝を倒し、清王朝を築いた。不満分子が各地で反乱を起こすなか、新政府は武術の研究と実践を禁じる禁武令を発布し、反乱軍を鎮圧するのに悪戦苦闘していた。明王朝の軍人だった風火連城(フォンフォリェンチョン)(スン・ホンレイ[孫紅雷])は、この混乱に乗じて私腹を肥やそうとたくらみ、不満分子の排除に手を貸す。強欲で冷酷非情な風火連城は中国の北西部一帯で略奪を繰り返し、明王朝の残党を次々と抹殺。風火連城にとって最大のターゲットは、反清王朝の強硬派が住む寒村──武荘という集落だった。
明王朝時代に処刑人を務めていた傅青主(フー・チンジュ)(ラウ・カーリョン[劉家良])は良心の呵責から、風火連城の蛮行に歯止めをかけ、武荘を守ろうと決意する。フーは同村の武元英(ウー・ユエンイン)(チャーリー・ヤン[楊采妮])と韓志邦(ハン・ジィパン)(ルー・イー[陸毅])を連れて、遠方の神秘の山“天山”へ出向き、そこで隠遁生活を送る晦明大師(フイミンダーシ)(マー・ジンウー)に協力を依頼するが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ツイ・ハーク
アクション監督:ラウ・カーリョン
原作:リャン・ユーシェン『七剣下天山』
音楽:川井憲次
武術指導:トン・ワイ、ホン・ヤンヤン
出演:レオン・ライ[黎明](ヤン・ユンツォン[楊雲驄])、ドニー・イェン[甄子丹](チュウ・チャオナン[楚昭南])、チャーリー・ヤン[楊采妮](ウー・ユエンイン[武元英])、スン・ホンレイ[孫紅雷](フォンフォリェンチョン[風火連城])、ルー・イー[陸毅](ハン・ジィパン[韓志邦])、キム・ソヨン[金素妍](リュイジュ[緑珠])、ラウ・カーリョン[劉家良](フー・チンジュ[傅青主])、チャン・チンチュー[張静初](リィウ・ユィファン[劉郁芳])、タイ・リーウー[戴立吾](シン・ロンヅ[辛龍子])、ダンカン・チョウ[周群達](ムーラン[穆郎])
先ずはこちらを見て欲しい。
「徐克をめぐる冒険」
http://diarynote.jp/d/29346/20050928.html
本作「セブンソード」は、1970年代からツイ・ハーク[徐克]を追いかけて来たわたしにとっては、非常に残念な作品であった。
勿論、例えば終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いや、美術、アートワーク、壮大なロケーション効果等、評価出来る点はいくつもあるのだが、映画として考えると残念な印象が勝っている。
例えばアクション・シーンではカメラが被写体に寄り過ぎで何が行われているかわからないし、かつ動けない俳優のアクションを細かいカットでごまかすような編集がされているし、一般に評価されている音楽(川井憲次)もわたしにとっては映像との乖離がはなはだしく、映像に没頭できないような有様である。
また、七人の剣士のキャラクターの描き分けも明確ではなく、更に彼等が使う肝心の七剣の特徴もよくわからない。
更に、チャン・イーモウの「HERO/英雄」「LOVERS/謀」に続く、とか言うどう考えても一般の観客をミス・デレクションするために考えられたようなキャッチ・コピーには映画ファンとしては怒りすら感じてしまう。
とは言っても、良いところは良い訳で、個人的には前述した終盤の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])の狭い壁の間の戦いが素晴らしかった。
アクション・シークエンスなのに感動のあまり涙が出てしまうくらいの素晴らしい出来だった。
かつて「ワンス・アポン・ア・タイム/天地大乱」だったか他の作品だったかはっきり覚えていないが、ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)が似たような空中戦のアクションを見せてくれているが、今回のアクションもそれに匹敵するくらい素晴らしかった。
勿論、泣けるアクションと言えば「グリーン・デスティニー」の冒頭のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーの空中戦的アクションにも涙がこぼれちゃうのだ、本作の楚昭南(ドニー・イェン[甄子丹])と風火連城(スン・ホンレイ[孫紅雷])のバトルはそれにも匹敵する素晴らしいものだった。
更に、広大な大地を印象的に使ったロケーション効果が非常に高く、島国で山や川ばかりの日本の作品、例えば「SHINOBI」と比較して、非常にうらやましい印象を受ける。
余談だが、「SHINOBI」では、小さな川を特殊効果で大きな川に見せているカットがいくつかあるのだが、水の粒子の大きさから川の大きさが類推でき、その川のほとりに立つキャラクターと川のサイズに違和感を感じてしまう。まるで火や水を使った「サンダーバード」の画面のような違和感を受けるのだ。
とにかく、本作「セブンソード」は、全国拡大ロードショー向きの作品ではなく、もしかすると「東京ファンタ」で上映されたり、「銀座シネパトス」や「新宿トーア」、「有楽座(旧ニュー東宝シネマ1)」で上映される種類の作品だったような気もする。
「HERO/英雄」や「LOVERS/謀」と方向性も違うしね。
でも、是非劇場で観て欲しいと思うよ。ツイ・ハーク[徐克]ファンとしてはね。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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2005/10/01 東京板橋「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」で「シン・シティ」を観た。
監督・脚本:ロバート・ロドリゲス、フランク・ミラー
スペシャルゲスト監督:クエンティン・タランティーノ
原作:フランク・ミラー
撮影・編集:ロバート・ロドリゲス
出演:ブルース・ウィリス(ハーティガン)、ミッキー・ローク(マーヴ)、クライヴ・オーウェン(ドワイト)、ジェシカ・アルバ(ナンシー)、ベニチオ・デル・トロ(ジャッキー・ボーイ)、イライジャ・ウッド(ケビン)、ブリタニー・マーフィ(シェリー)、デヴォン青木(ミホ)、ジョシュ・ハートネット(ザ・マン)、ロザリオ・ドーソン(ゲイル)、マイケル・クラーク・ダンカン(マヌート)、ニック・スタール(ロアーク・ジュニア/イエロー・バスタード)、カーラ・グギーノ(ルシール)、マイケル・マドセン(ボブ)、ジェイミー・キング(ゴールディ/ウェンディ)、アレクシス・ブレーデル(ベッキー)、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)、パワーズ・ブース(ロアーク上院議員)
本作「シン・シティ」は、ロバート・ロドリゲスとフランク・ミラーが満を持して世に問うすばらしい傑作である。
そのロバート・ロドリゲスだが、彼のキャリアは自主製作映画「エル・マリアッチ」がメジャー・スタジオに買い取られるところからスタートしたのだが、彼は自主製作映画あがりと言うこともあり、撮影・編集・脚本・美術・音楽等なんでもこなす才人である一方、予算管理も厳密で、決して予算をオーバーしない事から製作のワインスタイン兄弟(ミラマックス)から、製作にいっさい口出しされない(らしい)監督としても知られている。
一方フランク・ミラーは、脚本家兼コミック(グラフイック・ノベルズ)作家として知られ、本作「シン・シティ」は勿論、フランク・ミラーその人によって描かれたものである。
そのフランク・ミラーはかつて「ロボコップ」の続編あたる1本の脚本を書くのだが、その脚本はなんと2本に分割され見るも無残に改変され「ロボコップ2」と「ロボコップ3」になってしまった。そういう経緯から、フランク・ミラーはハリウッド映画には良い思い出を持っていなかったらしい。
そんな二人が協力タッグを組んで製作したのが本作「シン・シティ」なのだ。
さて、本作「シン・シティ」だが、先ずは脚本と構成が素晴らしい。
物語は3つの大きなエピソードと1つのブリッジ・エピソードとも言える短いが作品を引き締めるエピソードが描かれ、その全てのエピソードは、フィリップ・マーロウ調(レイモンド・チャンドラー調と言うべきか)のスタイルを見事に踏襲したスタイルで統一されている。
そしてそれらのエピソードの核となる登場人物は、レイモンド・チャンドラーが言うところの「卑しい街をゆく高潔の騎士」たる人物を見事に体現している。
彼ら「卑しい街をゆく高潔の騎士」たちは、自らが忠誠を誓った存在のため、全てを投げ打ち、奉仕するのである。
その孤高で高潔で高邁な精神には、全くもって泣かされてしまう。
またそれらのエピソードの描写手法は、1950年代に一世を風靡した「ドラグネット」の手法を踏襲しナレーションを多用、ここでも作品のハードボイルド感を高めることに成功している。
余談だが、「ブレードランナー」の当初のバージョンのナレーションは、スタジオ・サイドからの要請だったのだが、良くも悪くもハードボイルド感を高める事に成功している。
更に余談だが、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)の死に方は、「ブレードランナー」のタイレル社長の死に方と符合しており、自分が殺した方法で自分が殺されると言う、セルフ・オマージュとなっている。
また、作品全体を考えた場合でも、所謂ハード・ボイルド調な雰囲気は「ブレードランナー」をも髣髴とさせる空気を持っている。
そして物語の構成は、「パルプ・フィクション」の構成を髣髴とさせ、短いながら冒頭とラストに挿入されるエピソードが、まるでパンブキンのエピソードのように作品を引き締め、見事な余韻を与えてくれている。
また、フランクー・ミラーがグラフイック・ノベルズ「シン・シティ」において構築した世界観を、スクリーン上に再現する美術や効果も素晴らしく、本作のほとんどがスクリーン・プロセスであるものの、それを忘れさせてくれるような見事な世界観に酔いしれる事が出来る。
キャストは、所謂主役級のキャストがそれぞれ見事な演技を楽しげにこなしている。
この豪華なキャストの実現には、勿論エピソードが複数に分かれ、独立している点と、更にスクリーン合成を多用した構成によるところが多いだろう。
実際には共演していないのに、スクリーン上では共演しているように見せる事が出来、キャストのスケジュール調整に関係なく撮影が進められたことに因るものが多いのだが、それにしても、豪華キャストの見事な演技合戦が楽しい。
また、話題となっているバイオレンス描写は、一般的に考えると過剰な印象を否定できないのだが、その過剰さは本作「シン・シティ」の世界観に合致した境界線を保っており、そう考えた場合本作の世界観に遊ぶ事が出来る人であれば、それほど気にする事はないのではないかと思う。
演出については、グラフイック・ノベルズ作家フランク・ミラーのおかげか、画面構成が絵画的で美しく、印象に残る画作りが楽しめる。
また動きを含めた画面構成も素晴らしく、その絵画的世界観の中で、第一線級の俳優達が、素晴らしい脚本を演じる、と言う大変贅沢な印象すら受けてしまう。
まあ、結論としては本作「シン・シティ」は、大変素晴らしい、大傑作である。と言うことである。
バイオレンス描写は若干酷いかもしれないが、「卑しい街をゆく高潔の騎士」を是非劇場で体験し、そしてその高邁な精神に涙して欲しい、と思うのだ。
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監督・脚本:ロバート・ロドリゲス、フランク・ミラー
スペシャルゲスト監督:クエンティン・タランティーノ
原作:フランク・ミラー
撮影・編集:ロバート・ロドリゲス
出演:ブルース・ウィリス(ハーティガン)、ミッキー・ローク(マーヴ)、クライヴ・オーウェン(ドワイト)、ジェシカ・アルバ(ナンシー)、ベニチオ・デル・トロ(ジャッキー・ボーイ)、イライジャ・ウッド(ケビン)、ブリタニー・マーフィ(シェリー)、デヴォン青木(ミホ)、ジョシュ・ハートネット(ザ・マン)、ロザリオ・ドーソン(ゲイル)、マイケル・クラーク・ダンカン(マヌート)、ニック・スタール(ロアーク・ジュニア/イエロー・バスタード)、カーラ・グギーノ(ルシール)、マイケル・マドセン(ボブ)、ジェイミー・キング(ゴールディ/ウェンディ)、アレクシス・ブレーデル(ベッキー)、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)、パワーズ・ブース(ロアーク上院議員)
本作「シン・シティ」は、ロバート・ロドリゲスとフランク・ミラーが満を持して世に問うすばらしい傑作である。
そのロバート・ロドリゲスだが、彼のキャリアは自主製作映画「エル・マリアッチ」がメジャー・スタジオに買い取られるところからスタートしたのだが、彼は自主製作映画あがりと言うこともあり、撮影・編集・脚本・美術・音楽等なんでもこなす才人である一方、予算管理も厳密で、決して予算をオーバーしない事から製作のワインスタイン兄弟(ミラマックス)から、製作にいっさい口出しされない(らしい)監督としても知られている。
一方フランク・ミラーは、脚本家兼コミック(グラフイック・ノベルズ)作家として知られ、本作「シン・シティ」は勿論、フランク・ミラーその人によって描かれたものである。
そのフランク・ミラーはかつて「ロボコップ」の続編あたる1本の脚本を書くのだが、その脚本はなんと2本に分割され見るも無残に改変され「ロボコップ2」と「ロボコップ3」になってしまった。そういう経緯から、フランク・ミラーはハリウッド映画には良い思い出を持っていなかったらしい。
そんな二人が協力タッグを組んで製作したのが本作「シン・シティ」なのだ。
さて、本作「シン・シティ」だが、先ずは脚本と構成が素晴らしい。
物語は3つの大きなエピソードと1つのブリッジ・エピソードとも言える短いが作品を引き締めるエピソードが描かれ、その全てのエピソードは、フィリップ・マーロウ調(レイモンド・チャンドラー調と言うべきか)のスタイルを見事に踏襲したスタイルで統一されている。
そしてそれらのエピソードの核となる登場人物は、レイモンド・チャンドラーが言うところの「卑しい街をゆく高潔の騎士」たる人物を見事に体現している。
彼ら「卑しい街をゆく高潔の騎士」たちは、自らが忠誠を誓った存在のため、全てを投げ打ち、奉仕するのである。
その孤高で高潔で高邁な精神には、全くもって泣かされてしまう。
またそれらのエピソードの描写手法は、1950年代に一世を風靡した「ドラグネット」の手法を踏襲しナレーションを多用、ここでも作品のハードボイルド感を高めることに成功している。
余談だが、「ブレードランナー」の当初のバージョンのナレーションは、スタジオ・サイドからの要請だったのだが、良くも悪くもハードボイルド感を高める事に成功している。
更に余談だが、ルトガー・ハウアー(ロアーク枢機卿)の死に方は、「ブレードランナー」のタイレル社長の死に方と符合しており、自分が殺した方法で自分が殺されると言う、セルフ・オマージュとなっている。
また、作品全体を考えた場合でも、所謂ハード・ボイルド調な雰囲気は「ブレードランナー」をも髣髴とさせる空気を持っている。
そして物語の構成は、「パルプ・フィクション」の構成を髣髴とさせ、短いながら冒頭とラストに挿入されるエピソードが、まるでパンブキンのエピソードのように作品を引き締め、見事な余韻を与えてくれている。
また、フランクー・ミラーがグラフイック・ノベルズ「シン・シティ」において構築した世界観を、スクリーン上に再現する美術や効果も素晴らしく、本作のほとんどがスクリーン・プロセスであるものの、それを忘れさせてくれるような見事な世界観に酔いしれる事が出来る。
キャストは、所謂主役級のキャストがそれぞれ見事な演技を楽しげにこなしている。
この豪華なキャストの実現には、勿論エピソードが複数に分かれ、独立している点と、更にスクリーン合成を多用した構成によるところが多いだろう。
実際には共演していないのに、スクリーン上では共演しているように見せる事が出来、キャストのスケジュール調整に関係なく撮影が進められたことに因るものが多いのだが、それにしても、豪華キャストの見事な演技合戦が楽しい。
また、話題となっているバイオレンス描写は、一般的に考えると過剰な印象を否定できないのだが、その過剰さは本作「シン・シティ」の世界観に合致した境界線を保っており、そう考えた場合本作の世界観に遊ぶ事が出来る人であれば、それほど気にする事はないのではないかと思う。
演出については、グラフイック・ノベルズ作家フランク・ミラーのおかげか、画面構成が絵画的で美しく、印象に残る画作りが楽しめる。
また動きを含めた画面構成も素晴らしく、その絵画的世界観の中で、第一線級の俳優達が、素晴らしい脚本を演じる、と言う大変贅沢な印象すら受けてしまう。
まあ、結論としては本作「シン・シティ」は、大変素晴らしい、大傑作である。と言うことである。
バイオレンス描写は若干酷いかもしれないが、「卑しい街をゆく高潔の騎士」を是非劇場で体験し、そしてその高邁な精神に涙して欲しい、と思うのだ。
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2005/09/28 東京新宿「新宿ミラノ座」で「セブンソード」の試写を観た。
本日の試写は「ジャパン・ブレミア」と銘打った試写で、ナンサン・シー(製作)、ツイ・ハーク(監督)、レオン・ライ(出演)、ドニー・イェン(出演)の舞台挨拶があった。
1970年代以降の香港映画にはいくつかの大きな流れがある。
まずは、かつてブルース・リーを見出し、世界中で一大カンフー・ムーブメントを巻き起こし、ブルース・リー亡き後はジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ等のカンフーから派生する様々な作品で一時代を築いた、かのレイモンド・チョウとレナード・ホーが率いるゴールデン・ハーベストの流れである。
余談だが、ゴールデン・ハーベスト作品の冒頭、Gをディフォルメしたロゴの出方が音楽と相まって最高に格好良い。
1980年代に入り、ジャッキー・チェン等の活躍のおかげで、ゴールデン・ハーベスト作品以外の香港映画も日本国内で公開されるにつれ、面白い香港映画のクレジットに「徐克」と言う名前と「電影工作室有限公司」と言う会社の名前が目に付くようになってくる。
これがもうひとつの香港映画の流れである。
「この徐克(じょかつ)って一体誰だよ?」
「この電影工作室って一体何なんだ? 何かの冗談かよ!」
「徐克」や「電影工作室」の事を何も知らないわたしは、そんなばかげた事を考えていたりもしていた。
「徐克」とは、後に香港のスピルバーグと呼ばれる男・ツイ・ハークその人のことであり、「電影工作室」とは、ツイ・ハークとその妻・ナンサン・シーが、情熱ある映画人と投資者にとっての理想的な環境をめざし、芸術性・商業性を兼ね備えた上質の映画を製作するために設立した会社だと、わたしが知るのはしばらく後のことだった。
余談だが、この「電影工作室」とは、ロバート・レッドフォードの「サンダンス・インスティテュート」とかフランシス・フォード・コッポラの「ゾエトロープ・スタジオ」とか、岩井俊二の「戯作通信」とか、ぴあの「PFF(ぴあフィルム・フェスティバル)スカラシップ」みたいな、志の高い不遇な映像作家たちに光を投げかける孤高な精神に満ちた素晴らしいプロジェクトだと思う。
ところで、日本国内でツイ・ハークの名前が大々的に喧伝されるようになるのは、1986年の「男たちの挽歌」からだろう。
今でこそメディアは韓流、韓流(最近は華流)とか騒いでいるが、当時は香港ノワールと呼ばれる一連の香港映画の一大ムーブメントが熱かったのだ。
余談だが、この作品の監督はジョン・ウーなのだが、中国語(北京語だろうと広東語だろうと)のクレジットを読めないわたしたちは、呉宇森(ジョン・ウー)をウーモリ、ウーモリと呼んで親しんでいた。
ところで、日本国内でツイ・ハークの作品がはじめて上映されたのは、おそらく「東京国際ファンタスティック映画祭」の前身「TAKARAファンタスティック映画祭」(1985)で特別公開された、「蜀山(劇場公開タイトル・蜀山奇傳 天空の剣)」なのではないかと思う。
余談だが、1985年の「TAKARAファンタスティック映画祭」の上映ラインナップは凄い!
正に、神がかりと言って良いほどの豪華絢爛デラックスで垂涎モノのな見事なラインナップが楽しめる。
一例を紹介すると、「フェノミナ」「13日の金曜日 ニュー・ビギニング」「クリープショー」「最後の戦い」「エルム街の悪夢」「デッドゾーン」「二つの頭脳を持つ男」「レイザーバック」「レディホーク」「ハウリング2」「XYZマーダーズ 」「山中傳奇」「銀河鉄道の夜」・・・・と言う状況なのだ。
ところで、この「蜀山奇傳 天空の剣」という作品は、今で言うワイヤー・アクションの可能性を全世界に紹介した作品で、パリ国際ファンタスティック映画祭では特撮賞を受賞し、香港におけるファンタスティック映画の方向を決定付けた記念碑的作品である。
この作品がなければ、勿論「マトリックス」なんかは生まれていないのだ。
この「蜀山奇傳 天空の剣」のワイヤー・アクションについては、編集でごまかす、やや乱暴なアクションもあるものの、人間が宙を自由自在に舞う姿には、感涙の嵐である。
例えば、建物の梁に飛びつき、ぶら下がり、くるりと回って梁の上に立つ、というようなアクションが必要だとすると、同ポジションからの3つのカットを繋げて、一連の動きに見せると言う荒業が平気で行われているのだ。
また余談だが、例えば西洋人が空を飛ぶ場合は何か道具(例えば翼のようなもの)が必要だが、東洋人が空を飛ぶには、何も道具が必要ない、と言う文化的背景も明確に描写されている点も興味深い。
更に余談だが、例えば西洋の竜(ドラゴン)には翼があるが、東洋の竜には翼が無いし、西洋の空飛ぶ馬(ペガサス等)には翼があるが、東洋の空飛ぶ馬には翼が無い、と言う点も興味深い。
その後、ワイヤー・アクションは、ツイ・ハーク製作、今をときめくチン・シウトン監督、今は亡きレスリー・チャン主演の「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(1987)でひとつの頂点を極める。
同時に、ツイ・ハークは、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986)を製作、ファンタジー系ではなく、ハードボイルド路線である香港ノワールの方向性すら決定付けてしまう。
この系譜が現在「インファナル・アフェア」シリーズとして花開いている訳だ。
またコメディ路線としては「皇帝密使」や「大丈夫日記」等をこなしている。
更に1990年代に入るとツイ・ハークは、かつて中国武術界の至宝と呼ばれたリー・リンチェイ(今のジェット・リー)を起用し「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズを続々とリリースする。
1970年代から1990年代へと、最早香港映画界の歴史そのものとも言えるツイ・ハークが満を持して製作したのがこの「セブンソード」なのだ。
しかし、しかしだ。
わたしは、残念な気持ちでいっぱいだ。
ツイ・ハークよ、どこに行く・・・・
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本日の試写は「ジャパン・ブレミア」と銘打った試写で、ナンサン・シー(製作)、ツイ・ハーク(監督)、レオン・ライ(出演)、ドニー・イェン(出演)の舞台挨拶があった。
1970年代以降の香港映画にはいくつかの大きな流れがある。
まずは、かつてブルース・リーを見出し、世界中で一大カンフー・ムーブメントを巻き起こし、ブルース・リー亡き後はジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ等のカンフーから派生する様々な作品で一時代を築いた、かのレイモンド・チョウとレナード・ホーが率いるゴールデン・ハーベストの流れである。
余談だが、ゴールデン・ハーベスト作品の冒頭、Gをディフォルメしたロゴの出方が音楽と相まって最高に格好良い。
1980年代に入り、ジャッキー・チェン等の活躍のおかげで、ゴールデン・ハーベスト作品以外の香港映画も日本国内で公開されるにつれ、面白い香港映画のクレジットに「徐克」と言う名前と「電影工作室有限公司」と言う会社の名前が目に付くようになってくる。
これがもうひとつの香港映画の流れである。
「この徐克(じょかつ)って一体誰だよ?」
「この電影工作室って一体何なんだ? 何かの冗談かよ!」
「徐克」や「電影工作室」の事を何も知らないわたしは、そんなばかげた事を考えていたりもしていた。
「徐克」とは、後に香港のスピルバーグと呼ばれる男・ツイ・ハークその人のことであり、「電影工作室」とは、ツイ・ハークとその妻・ナンサン・シーが、情熱ある映画人と投資者にとっての理想的な環境をめざし、芸術性・商業性を兼ね備えた上質の映画を製作するために設立した会社だと、わたしが知るのはしばらく後のことだった。
余談だが、この「電影工作室」とは、ロバート・レッドフォードの「サンダンス・インスティテュート」とかフランシス・フォード・コッポラの「ゾエトロープ・スタジオ」とか、岩井俊二の「戯作通信」とか、ぴあの「PFF(ぴあフィルム・フェスティバル)スカラシップ」みたいな、志の高い不遇な映像作家たちに光を投げかける孤高な精神に満ちた素晴らしいプロジェクトだと思う。
ところで、日本国内でツイ・ハークの名前が大々的に喧伝されるようになるのは、1986年の「男たちの挽歌」からだろう。
今でこそメディアは韓流、韓流(最近は華流)とか騒いでいるが、当時は香港ノワールと呼ばれる一連の香港映画の一大ムーブメントが熱かったのだ。
余談だが、この作品の監督はジョン・ウーなのだが、中国語(北京語だろうと広東語だろうと)のクレジットを読めないわたしたちは、呉宇森(ジョン・ウー)をウーモリ、ウーモリと呼んで親しんでいた。
ところで、日本国内でツイ・ハークの作品がはじめて上映されたのは、おそらく「東京国際ファンタスティック映画祭」の前身「TAKARAファンタスティック映画祭」(1985)で特別公開された、「蜀山(劇場公開タイトル・蜀山奇傳 天空の剣)」なのではないかと思う。
余談だが、1985年の「TAKARAファンタスティック映画祭」の上映ラインナップは凄い!
正に、神がかりと言って良いほどの豪華絢爛デラックスで垂涎モノのな見事なラインナップが楽しめる。
一例を紹介すると、「フェノミナ」「13日の金曜日 ニュー・ビギニング」「クリープショー」「最後の戦い」「エルム街の悪夢」「デッドゾーン」「二つの頭脳を持つ男」「レイザーバック」「レディホーク」「ハウリング2」「XYZマーダーズ 」「山中傳奇」「銀河鉄道の夜」・・・・と言う状況なのだ。
ところで、この「蜀山奇傳 天空の剣」という作品は、今で言うワイヤー・アクションの可能性を全世界に紹介した作品で、パリ国際ファンタスティック映画祭では特撮賞を受賞し、香港におけるファンタスティック映画の方向を決定付けた記念碑的作品である。
この作品がなければ、勿論「マトリックス」なんかは生まれていないのだ。
この「蜀山奇傳 天空の剣」のワイヤー・アクションについては、編集でごまかす、やや乱暴なアクションもあるものの、人間が宙を自由自在に舞う姿には、感涙の嵐である。
例えば、建物の梁に飛びつき、ぶら下がり、くるりと回って梁の上に立つ、というようなアクションが必要だとすると、同ポジションからの3つのカットを繋げて、一連の動きに見せると言う荒業が平気で行われているのだ。
また余談だが、例えば西洋人が空を飛ぶ場合は何か道具(例えば翼のようなもの)が必要だが、東洋人が空を飛ぶには、何も道具が必要ない、と言う文化的背景も明確に描写されている点も興味深い。
更に余談だが、例えば西洋の竜(ドラゴン)には翼があるが、東洋の竜には翼が無いし、西洋の空飛ぶ馬(ペガサス等)には翼があるが、東洋の空飛ぶ馬には翼が無い、と言う点も興味深い。
その後、ワイヤー・アクションは、ツイ・ハーク製作、今をときめくチン・シウトン監督、今は亡きレスリー・チャン主演の「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(1987)でひとつの頂点を極める。
同時に、ツイ・ハークは、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986)を製作、ファンタジー系ではなく、ハードボイルド路線である香港ノワールの方向性すら決定付けてしまう。
この系譜が現在「インファナル・アフェア」シリーズとして花開いている訳だ。
またコメディ路線としては「皇帝密使」や「大丈夫日記」等をこなしている。
更に1990年代に入るとツイ・ハークは、かつて中国武術界の至宝と呼ばれたリー・リンチェイ(今のジェット・リー)を起用し「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズを続々とリリースする。
1970年代から1990年代へと、最早香港映画界の歴史そのものとも言えるツイ・ハークが満を持して製作したのがこの「セブンソード」なのだ。
しかし、しかしだ。
わたしは、残念な気持ちでいっぱいだ。
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2005/08/13 東京霞ヶ関「イイノホール」で「青空のゆくえ」の試写を観た。
東京・三軒茶屋、早朝。
新聞でいっぱいになった自転車を走らせる一人の少年。
西原中学3年の高橋正樹(中山卓也)だ。
正樹は、2年間もの間、不登校になっている幼馴染み、矢島信二(橋爪遼)の家の新聞受けに新聞と信二あての手紙を入れると、朝練のため誰よりも早くバスケットコートを目指す。
そんな、1学期も残りわずかなある日。
担任の口から、今学期限りで正樹がアメリカに転校することが告げられた。
「今まで有難うございました。アメリカに行ってもバスケやります。NBAで10年後に活躍する僕の姿を楽しみにしていてください! 日本でやり残していることは・・・・ひとつだけかな?」
「やり残したこと」・・・・突然の転校発表もさることながら、この正樹の意味深な発言にクラス全員が騒然となる中、複雑な表情を見せる面々がいた。
女子バスケ部キャプテンの速見有美(森田彩華)、親友でバスケ部副キャプテンの杉原雄太(佐々木和徳)、学級委員長の高橋亜里沙(黒川芽以)、幼馴染みの河原春奈(多部未華子)、帰国子女で無口な市田尚子(西原亜紀)、そして正樹が何かと面倒を見ている鈴木貴子(悠城早矢)である。
その日を境に、なんとなく繋がっていた彼らの関係が、少しずつ動き始める。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:長澤雅彦
出演:中山卓也(高橋正樹)、森田彩華(速見有美)、黒川芽以(高橋亜里沙)、佐々木和徳(杉原雄大)、多部未華子(河原春奈)、三船力也(山下勝也)、悠城早矢(鈴木貴子)、橋爪遼(矢島信二)、西原亜希(市田尚子)
余命幾許もない主人公がいかに良く生きるか。
永遠の命題であり、またそのテーマで多くの物語が語られている。
本作「青空のゆくえ」は、中学生と言う世代にとってのアメリカへの転校を、限りなく死に近いものへの暗喩として捉え、いかに良く生きるか、いかに良く死んでいくか(転校していくか)を描いた秀作である。
とは言うものの、描かれている物語は中学3年生を主人公に据えているとは言え、前時代的な恋愛、いわば既に大人になってしまった人々の心の琴線に触れるノスタルジックでピュアな恋愛模様が展開する。
その未成熟な感情は、残念ながら現在の中学3年生にアピールするようなものではなく、と言うより鼻で笑われるようなエピソードが続き、ともすると本作は例えば30歳代以上の観客をターゲットにしているような印象すら受ける。
キャストは、1986〜1989年生まれのキャストを集め、ある種同窓会的な印象を受ける。
5人のヒロインたちはそれぞれ可愛く、魅力的に描かれており、将来が楽しみな印象を受ける。
個人的には、悠城早矢を演じた鈴木貴子が良かったと思う。
男と言うものは莫迦なもので、いくつになっても少年時代の恋愛に感じ入ってしまうもので、本作の5人それぞれのヒロインのバラエティに富んだキャラクター設定が、自らの少年時代の恋愛物語に思いを馳せさせる触媒としても機能する構成が心憎い。
と考えるとやはり、男と言うものは、かつての初恋を大人になっても引きずり続けているのかも知れない。
物語は、アメリカへ転校する高橋正樹(中山卓也)を取巻く5人の女性の物語を縦糸に、正樹と正樹らが原因となって不登校になってしまった矢島信二(橋爪遼)との物語を横糸に織り成す、ノスタルジックで感傷的な物語が描かれている。
脚本は、大人たちが自分達が少年少女だった時代の出来事を微妙なリアリティと微妙に美化された記憶とともに描いており、ある意味心が洗われるような印象すら受ける。
脚本はまあ良いのだが、アメリカへ転校する正樹があまりにももて過ぎなのがちょっとひっかかる。
まあ、ファンタジーならファンタジーとして昇華すべき問題だと思うので、その辺は不問にしたいと思う。
とにかく本作「青空のゆくえ」は中学3年生の恋愛模様を描いてはいるのだが、中学生と言うよりは、大人の皆さんに是非観ていただきたい作品に仕上がっているような気がする。
打倒「NANA」かもね。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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東京・三軒茶屋、早朝。
新聞でいっぱいになった自転車を走らせる一人の少年。
西原中学3年の高橋正樹(中山卓也)だ。
正樹は、2年間もの間、不登校になっている幼馴染み、矢島信二(橋爪遼)の家の新聞受けに新聞と信二あての手紙を入れると、朝練のため誰よりも早くバスケットコートを目指す。
そんな、1学期も残りわずかなある日。
担任の口から、今学期限りで正樹がアメリカに転校することが告げられた。
「今まで有難うございました。アメリカに行ってもバスケやります。NBAで10年後に活躍する僕の姿を楽しみにしていてください! 日本でやり残していることは・・・・ひとつだけかな?」
「やり残したこと」・・・・突然の転校発表もさることながら、この正樹の意味深な発言にクラス全員が騒然となる中、複雑な表情を見せる面々がいた。
女子バスケ部キャプテンの速見有美(森田彩華)、親友でバスケ部副キャプテンの杉原雄太(佐々木和徳)、学級委員長の高橋亜里沙(黒川芽以)、幼馴染みの河原春奈(多部未華子)、帰国子女で無口な市田尚子(西原亜紀)、そして正樹が何かと面倒を見ている鈴木貴子(悠城早矢)である。
その日を境に、なんとなく繋がっていた彼らの関係が、少しずつ動き始める。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:長澤雅彦
出演:中山卓也(高橋正樹)、森田彩華(速見有美)、黒川芽以(高橋亜里沙)、佐々木和徳(杉原雄大)、多部未華子(河原春奈)、三船力也(山下勝也)、悠城早矢(鈴木貴子)、橋爪遼(矢島信二)、西原亜希(市田尚子)
余命幾許もない主人公がいかに良く生きるか。
永遠の命題であり、またそのテーマで多くの物語が語られている。
本作「青空のゆくえ」は、中学生と言う世代にとってのアメリカへの転校を、限りなく死に近いものへの暗喩として捉え、いかに良く生きるか、いかに良く死んでいくか(転校していくか)を描いた秀作である。
とは言うものの、描かれている物語は中学3年生を主人公に据えているとは言え、前時代的な恋愛、いわば既に大人になってしまった人々の心の琴線に触れるノスタルジックでピュアな恋愛模様が展開する。
その未成熟な感情は、残念ながら現在の中学3年生にアピールするようなものではなく、と言うより鼻で笑われるようなエピソードが続き、ともすると本作は例えば30歳代以上の観客をターゲットにしているような印象すら受ける。
キャストは、1986〜1989年生まれのキャストを集め、ある種同窓会的な印象を受ける。
5人のヒロインたちはそれぞれ可愛く、魅力的に描かれており、将来が楽しみな印象を受ける。
個人的には、悠城早矢を演じた鈴木貴子が良かったと思う。
男と言うものは莫迦なもので、いくつになっても少年時代の恋愛に感じ入ってしまうもので、本作の5人それぞれのヒロインのバラエティに富んだキャラクター設定が、自らの少年時代の恋愛物語に思いを馳せさせる触媒としても機能する構成が心憎い。
と考えるとやはり、男と言うものは、かつての初恋を大人になっても引きずり続けているのかも知れない。
物語は、アメリカへ転校する高橋正樹(中山卓也)を取巻く5人の女性の物語を縦糸に、正樹と正樹らが原因となって不登校になってしまった矢島信二(橋爪遼)との物語を横糸に織り成す、ノスタルジックで感傷的な物語が描かれている。
脚本は、大人たちが自分達が少年少女だった時代の出来事を微妙なリアリティと微妙に美化された記憶とともに描いており、ある意味心が洗われるような印象すら受ける。
脚本はまあ良いのだが、アメリカへ転校する正樹があまりにももて過ぎなのがちょっとひっかかる。
まあ、ファンタジーならファンタジーとして昇華すべき問題だと思うので、その辺は不問にしたいと思う。
とにかく本作「青空のゆくえ」は中学3年生の恋愛模様を描いてはいるのだが、中学生と言うよりは、大人の皆さんに是非観ていただきたい作品に仕上がっているような気がする。
打倒「NANA」かもね。
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塩田明彦をめぐる冒険
2005年9月20日 エッセイ/コラム
2005/09/20 東京霞ヶ関「イイノホール」で「この胸いっぱいの愛を」の試写を観た。
監督は「黄泉がえり」の塩田明彦。
「この胸いっぱいの愛を」を観ながら、わたしは、はらわたが煮えくり返った。
「何、ふざけた映画を撮ってるんだよ!」と。
一般の方々にとって塩田明彦と言えば、おそらく大ヒット作「黄泉がえり」の監督として有名なのだろうが、われわれ映画ファンにとっては「黄泉がえり」の監督と言うより、「月光の囁き」の、「ギプス」の、「害虫」の、そして「カナリア」の塩田明彦だと思うのだ。
そして、本作「この胸いっぱいの愛を」は「黄泉がえり」に続く二匹目のどじょうを狙うTBSが、梶尾真治の原作を押さえ、塩田明彦に監督をオファーし、次回作を自由にして良いから、と言う条件付きで、塩田明彦が嫌々ながらしぶしぶ引き受けた作品ではないか、と勘ぐってしまう。(当サイト推測)
原作は梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』(朝日ソノラマ刊)。
小説の映画化、マンガの映画化の次はなんとライトノベルの映画化と来たもんだ。日本映画の原作不足も来るところまで来たかな、と言うような印象を受ける。
尤も梶尾真治はSF作家として著名なのだが、いかんせん本作はライトノベルなのだ。
残念ながら原作は寡聞にして未読だが、SFファンとしては、恥ずかしげもなく「クロノス・ジョウンター」と言う言葉を使ってしまっているところにのけぞってしまう。
「クロノス」はともかく「ジョウント」だよ「ジョウント」。
これ、どうなんだろう、「ジョウント」と言う言葉に、ハードなSFファンは怒りすらおぼえてしまうのではないか、と余計な心配をしてしまう。
さて、本作だが、なんと言っても脚本が酷い。
頭の悪い人間か、頭の良いこどもが書いた脚本を映画化したような印象を受ける。
その気になる脚本には、鈴木謙一、渡辺千穂、塩田明彦の三人がクレジットされている。
三人寄れば何とやら、本作では、頭の悪いセリフと頭の悪い非常識な展開が頻出なのだ。
いくら次の映画は自由にして良いよと言われたから(当サイト推測)と言っても、この脚本は無いんじゃないの。
「カナリア」で、塩田明彦は自らが嗜好する世界の作品にやっと戻ってきたのかな、と思ったわたしが莫迦だった。
「月光の囁き」とか「ギプス」のような作品を撮って欲しいと心から思うのだ。
あぁぁ、塩田明彦よどこへ行く・・・・
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監督は「黄泉がえり」の塩田明彦。
「この胸いっぱいの愛を」を観ながら、わたしは、はらわたが煮えくり返った。
「何、ふざけた映画を撮ってるんだよ!」と。
一般の方々にとって塩田明彦と言えば、おそらく大ヒット作「黄泉がえり」の監督として有名なのだろうが、われわれ映画ファンにとっては「黄泉がえり」の監督と言うより、「月光の囁き」の、「ギプス」の、「害虫」の、そして「カナリア」の塩田明彦だと思うのだ。
そして、本作「この胸いっぱいの愛を」は「黄泉がえり」に続く二匹目のどじょうを狙うTBSが、梶尾真治の原作を押さえ、塩田明彦に監督をオファーし、次回作を自由にして良いから、と言う条件付きで、塩田明彦が嫌々ながらしぶしぶ引き受けた作品ではないか、と勘ぐってしまう。(当サイト推測)
原作は梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』(朝日ソノラマ刊)。
小説の映画化、マンガの映画化の次はなんとライトノベルの映画化と来たもんだ。日本映画の原作不足も来るところまで来たかな、と言うような印象を受ける。
尤も梶尾真治はSF作家として著名なのだが、いかんせん本作はライトノベルなのだ。
残念ながら原作は寡聞にして未読だが、SFファンとしては、恥ずかしげもなく「クロノス・ジョウンター」と言う言葉を使ってしまっているところにのけぞってしまう。
「クロノス」はともかく「ジョウント」だよ「ジョウント」。
これ、どうなんだろう、「ジョウント」と言う言葉に、ハードなSFファンは怒りすらおぼえてしまうのではないか、と余計な心配をしてしまう。
さて、本作だが、なんと言っても脚本が酷い。
頭の悪い人間か、頭の良いこどもが書いた脚本を映画化したような印象を受ける。
その気になる脚本には、鈴木謙一、渡辺千穂、塩田明彦の三人がクレジットされている。
三人寄れば何とやら、本作では、頭の悪いセリフと頭の悪い非常識な展開が頻出なのだ。
いくら次の映画は自由にして良いよと言われたから(当サイト推測)と言っても、この脚本は無いんじゃないの。
「カナリア」で、塩田明彦は自らが嗜好する世界の作品にやっと戻ってきたのかな、と思ったわたしが莫迦だった。
「月光の囁き」とか「ギプス」のような作品を撮って欲しいと心から思うのだ。
あぁぁ、塩田明彦よどこへ行く・・・・
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「キャッチ・アンド・イート」をめぐる冒険
2005年9月19日 エッセイ/コラム
「釣りキチ三平」で釣りを覚えた世代のわたし達の標語は勿論「キャッチ・アンド・リリース」であった。
釣った魚は、三平三平や一平じいちゃん、魚紳さんの教えの通り、手の温みをとってから魚をやさしく掴み、流れに返していた。
しかし、外来魚が日本固有の魚(在来魚)を駆逐していく中、多くの湖で「キャッチ・アンド・キル」と言う標語が生まれた。
これらに対しては様々な意見や様々な議論があるのだが、今日のお話は「キャッチ・アンド・イート」であるから、その辺のお話は割愛する。
わたしの友人に釣りが大好きな男がいる。
その男が何故釣りをするかと言うと、それは食べるためである。
そんな彼には所謂スポーツ・フィッシングと言う分野には全く興味がなく、その魚を食いたいから釣るのである。
彼にとっての「釣り」とは、人類にとっての根源的な「釣り」そのものなのである。
ところで、先日、複数台のminiDVカメラが必要だったため、その男の家にカメラを借りに行くことになった。
携帯電話に連絡を入れてみると、なんだか騒音がうるさい。
聞いてみると、今平塚沖にいるということであった。
つまり、その男はその日、釣りに行っていたのだ。
因みに、その日の釣りの目的は「カツオ」と「マグロ」と言うことであった。
わたしが彼の家に着いた時点で、カツオは刺身とタタキに、マグロは刺身に、外道のサバはシメサバになっていた。
キッチンにはカツオとマグロの頭が鎮座し、翌日の兜焼きを待ち兼ねていた。
充分に日焼けし、皮膚が厚くなり、海の男の風格が出てきたその男のもうひとつの趣味は料理であり、彼の奥さんは余談だがなんと栄養士である。
彼は大型のカツオだろうがマグロだろうが、小型のサバやアジのように平気でさばいてしまうのだ。彼の包丁の切味にも驚いてしまう。
そんなわたしは、彼の奥さんが甘い酒があまり好きではなく、辛い酒が好きなので、少しは甘い酒も美味しく飲んで欲しい、という考えでアイス・ワインを持って行った。
前回の大漁祭りには貴腐ワインを持って行っていたので、今回は別系統の甘い酒(系統は同じなのだが)アイス・ワインにした訳である。
さて、本題の刺身だが、マグロは非常にねっとりとしたマグロで、カツオのタタキは激旨、シメサバも最高だった。
カツオの薬味の茗荷やネギも良かったのだが、ニンニクが凄かった。サイズと形状から類推すると、おそらくホワイト六片だったのではないか、と思った。
ついでにシメサバには飾り包丁まで入っていた。
日本で庶民が食べるマグロはやはり冷凍物が多く、近海物の生の本マグロの刺身など、なかなか食べられないと思うのだが、今回の「キャッチ・アンド・イート」大漁祭りで、わたしは件のマグロもサバもそしてカツオも堪能させていただいた訳だ。
正に「キャッチ・アンド・イート」たる所以なのだ。
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釣った魚は、三平三平や一平じいちゃん、魚紳さんの教えの通り、手の温みをとってから魚をやさしく掴み、流れに返していた。
しかし、外来魚が日本固有の魚(在来魚)を駆逐していく中、多くの湖で「キャッチ・アンド・キル」と言う標語が生まれた。
これらに対しては様々な意見や様々な議論があるのだが、今日のお話は「キャッチ・アンド・イート」であるから、その辺のお話は割愛する。
わたしの友人に釣りが大好きな男がいる。
その男が何故釣りをするかと言うと、それは食べるためである。
そんな彼には所謂スポーツ・フィッシングと言う分野には全く興味がなく、その魚を食いたいから釣るのである。
彼にとっての「釣り」とは、人類にとっての根源的な「釣り」そのものなのである。
ところで、先日、複数台のminiDVカメラが必要だったため、その男の家にカメラを借りに行くことになった。
携帯電話に連絡を入れてみると、なんだか騒音がうるさい。
聞いてみると、今平塚沖にいるということであった。
つまり、その男はその日、釣りに行っていたのだ。
因みに、その日の釣りの目的は「カツオ」と「マグロ」と言うことであった。
わたしが彼の家に着いた時点で、カツオは刺身とタタキに、マグロは刺身に、外道のサバはシメサバになっていた。
キッチンにはカツオとマグロの頭が鎮座し、翌日の兜焼きを待ち兼ねていた。
充分に日焼けし、皮膚が厚くなり、海の男の風格が出てきたその男のもうひとつの趣味は料理であり、彼の奥さんは余談だがなんと栄養士である。
彼は大型のカツオだろうがマグロだろうが、小型のサバやアジのように平気でさばいてしまうのだ。彼の包丁の切味にも驚いてしまう。
そんなわたしは、彼の奥さんが甘い酒があまり好きではなく、辛い酒が好きなので、少しは甘い酒も美味しく飲んで欲しい、という考えでアイス・ワインを持って行った。
前回の大漁祭りには貴腐ワインを持って行っていたので、今回は別系統の甘い酒(系統は同じなのだが)アイス・ワインにした訳である。
さて、本題の刺身だが、マグロは非常にねっとりとしたマグロで、カツオのタタキは激旨、シメサバも最高だった。
カツオの薬味の茗荷やネギも良かったのだが、ニンニクが凄かった。サイズと形状から類推すると、おそらくホワイト六片だったのではないか、と思った。
ついでにシメサバには飾り包丁まで入っていた。
日本で庶民が食べるマグロはやはり冷凍物が多く、近海物の生の本マグロの刺身など、なかなか食べられないと思うのだが、今回の「キャッチ・アンド・イート」大漁祭りで、わたしは件のマグロもサバもそしてカツオも堪能させていただいた訳だ。
正に「キャッチ・アンド・イート」たる所以なのだ。
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「ビッグ・フィッシュ」をめぐる冒険
2005年9月18日 映画
先日公開された「チャーリーとチョコレート工場」が大ヒット中のティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」を見直してみた。
本来ならば、とっとと「チャーリーとチョコレート工場」のレビューを書くところだと思う。
またわたしは、新作の劇場公開に合わせて、テレビ局が権利を持っている、その監督の作品や、その新作に登場するキャストの前作等を、たまたま権利を持っているからと言って、商業的目的のため、作品の関連性も考えず、訳もわからず地上波で放映してしまう事には批判的な立場をとっている。
そんな中、わたしのポリシー的には、若干反する部分があるのだが、「ビッグ・フィッシュ」に関するお話をしてみたいと思う。
「ビッグ・フィッシュ」公開時のレビュー
http://diarynote.jp/d/29346/20040605.html
■ウンパ・ルンパの冒険
いきなり「チャーリーとチョコレート工場」の話で恐縮だが、どう作で強烈な印象を観客に与えているキャラクター:ウンパ・ルンパだが、その顔を見て見覚えはなかっただろうか。
ウンパ・ルンパを演じている俳優は、ディープ・ロイと言うのだが、なんと「ビッグ・フィッシュ」でも結構強烈な印象をわれわれに与えている。
ディープ・ロイが「ビッグ・フィッシュ」で演じたのは、ダニー・デヴィート演じるサーカスの団長のエージェント兼ピエロで、セリフはほとんどないものの、無口で無表情であるくせに、泣かせる奴だった。
例えば、ダニー・デヴィートが大暴れした際、涙をこぼしながら拳銃をユアン・マクレガーに差し出すアップのカットは素晴らしい。
この役柄は「チャーリーとチョコレート工場」のウンパ・ルンパに非常に近い。
ジョニー・デップに仕える様が、ダニー・デヴィートに仕える姿を彷彿とさせるのだ。
そう考えると、「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカはダニー・デヴィートでも良かったな、と思えてしまう。
実際のところ、オリジナルの「夢のチョコレート工場」では、ウィリー・ウォンカをジーン・ワイルダーが演じているのだが、ハリウッドにおいて、かつてのジーン・ワイルダーは、現在のダニー・デヴィートと似通ったポストを占めているような気がする。
余談だが、ウンパ・ルンパを演じる際、ディープ・ロイはCGIで増やされたのではなく、登場するウンパ・ルンパの全てを演じたらしい。
つまり、50人のウンパ・ルンパが登場するシークエンスでは、ディープ・ロイが50回踊った、と言うことである。
頭が下がる思いである。
因みにディープ・ロイは、「コープス・ブライド」にも声の出演をしている。
■巨人カールの生涯
「ビッグ・フィッシュ」において、哲学的思索的表情で見事な存在感を見せてくれた巨人カールを演じたマシュー・マッグローリーだが、残念な事に2005/08/09に亡くなった。享年32歳であった。
「ビッグ・フット」と言う愛称で親しまれた彼は、「ギネス・ブック」公認の世界一大きな足を持つ男としても知られ、身長は7フィート6インチ(2m29cm)あった。
最近は、アンドレ・ザ・ジャイアントの伝記映画を撮影中だっただけに惜しまれる。
謹んでご冥福をお祈りします。
「ビッグ・フィッシュ」の成功は彼の存在なくては、あり得なかったと思えるのだ。
■ベンソン!ベンソン!ベンソン!!
1977年にBBCで製作された大人のためのテレビ・シリーズ「ソープ」をご存知だろうか。二つの家庭を舞台にした、はっきり言って最高に面白いコメディである。その人間関係はあまりにも複雑で、「NANA」以上に複雑な人間模様が楽しめるのだが、その中で異彩をはなっていたのが、執事のベンソンである。
ベンソンを演じていたのは、ロバート・ギローム。最近は声優としてのキャスティングが多いのだが、「ビッグ・フィッシュ」ではかつてのベンソンを髣髴とさせるちょっぴりシニカルなユーモアを持つ役柄を演じている。そのロバート・ギロームが演じているのは、アルバート・フィニーの主治医と言うか、ブルーム家の主治医:ベネット医師である。
ロバート・ギロームも随分年をとったものである。
「ソープ」のキャスト
http://us.imdb.com/gallery/mptv/1102/Mptv/1102/15533_0001.jpg?path=gallery&;path_key=0075584
真中上段の黒人がベンソン(ロバート・ギローム)
因みに、最前列左は若き日のビリー・クリスタル
■☆☆☆☆★
わたしは「ビッグ・フイッシュ」に星を四つ半つけている。
星五つをつけることは例外を除いて、おそらくないので、事実上はわたしにとって最高の作品のひとつ、と言う事である。
わたしは年間300本以上の映画を見ているが、2004年で星四つ半がついたのは「ビッグ・フイッシュ」と「オールド・ボーイ」だけである。
因みに2005年では「エターナル・サンシャイン」に星四つ半をつけている。ボクって結構ロマンチシストなのかも。
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本来ならば、とっとと「チャーリーとチョコレート工場」のレビューを書くところだと思う。
またわたしは、新作の劇場公開に合わせて、テレビ局が権利を持っている、その監督の作品や、その新作に登場するキャストの前作等を、たまたま権利を持っているからと言って、商業的目的のため、作品の関連性も考えず、訳もわからず地上波で放映してしまう事には批判的な立場をとっている。
そんな中、わたしのポリシー的には、若干反する部分があるのだが、「ビッグ・フィッシュ」に関するお話をしてみたいと思う。
「ビッグ・フィッシュ」公開時のレビュー
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■ウンパ・ルンパの冒険
いきなり「チャーリーとチョコレート工場」の話で恐縮だが、どう作で強烈な印象を観客に与えているキャラクター:ウンパ・ルンパだが、その顔を見て見覚えはなかっただろうか。
ウンパ・ルンパを演じている俳優は、ディープ・ロイと言うのだが、なんと「ビッグ・フィッシュ」でも結構強烈な印象をわれわれに与えている。
ディープ・ロイが「ビッグ・フィッシュ」で演じたのは、ダニー・デヴィート演じるサーカスの団長のエージェント兼ピエロで、セリフはほとんどないものの、無口で無表情であるくせに、泣かせる奴だった。
例えば、ダニー・デヴィートが大暴れした際、涙をこぼしながら拳銃をユアン・マクレガーに差し出すアップのカットは素晴らしい。
この役柄は「チャーリーとチョコレート工場」のウンパ・ルンパに非常に近い。
ジョニー・デップに仕える様が、ダニー・デヴィートに仕える姿を彷彿とさせるのだ。
そう考えると、「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカはダニー・デヴィートでも良かったな、と思えてしまう。
実際のところ、オリジナルの「夢のチョコレート工場」では、ウィリー・ウォンカをジーン・ワイルダーが演じているのだが、ハリウッドにおいて、かつてのジーン・ワイルダーは、現在のダニー・デヴィートと似通ったポストを占めているような気がする。
余談だが、ウンパ・ルンパを演じる際、ディープ・ロイはCGIで増やされたのではなく、登場するウンパ・ルンパの全てを演じたらしい。
つまり、50人のウンパ・ルンパが登場するシークエンスでは、ディープ・ロイが50回踊った、と言うことである。
頭が下がる思いである。
因みにディープ・ロイは、「コープス・ブライド」にも声の出演をしている。
■巨人カールの生涯
「ビッグ・フィッシュ」において、哲学的思索的表情で見事な存在感を見せてくれた巨人カールを演じたマシュー・マッグローリーだが、残念な事に2005/08/09に亡くなった。享年32歳であった。
「ビッグ・フット」と言う愛称で親しまれた彼は、「ギネス・ブック」公認の世界一大きな足を持つ男としても知られ、身長は7フィート6インチ(2m29cm)あった。
最近は、アンドレ・ザ・ジャイアントの伝記映画を撮影中だっただけに惜しまれる。
謹んでご冥福をお祈りします。
「ビッグ・フィッシュ」の成功は彼の存在なくては、あり得なかったと思えるのだ。
■ベンソン!ベンソン!ベンソン!!
1977年にBBCで製作された大人のためのテレビ・シリーズ「ソープ」をご存知だろうか。二つの家庭を舞台にした、はっきり言って最高に面白いコメディである。その人間関係はあまりにも複雑で、「NANA」以上に複雑な人間模様が楽しめるのだが、その中で異彩をはなっていたのが、執事のベンソンである。
ベンソンを演じていたのは、ロバート・ギローム。最近は声優としてのキャスティングが多いのだが、「ビッグ・フィッシュ」ではかつてのベンソンを髣髴とさせるちょっぴりシニカルなユーモアを持つ役柄を演じている。そのロバート・ギロームが演じているのは、アルバート・フィニーの主治医と言うか、ブルーム家の主治医:ベネット医師である。
ロバート・ギロームも随分年をとったものである。
「ソープ」のキャスト
http://us.imdb.com/gallery/mptv/1102/Mptv/1102/15533_0001.jpg?path=gallery&;path_key=0075584
真中上段の黒人がベンソン(ロバート・ギローム)
因みに、最前列左は若き日のビリー・クリスタル
■☆☆☆☆★
わたしは「ビッグ・フイッシュ」に星を四つ半つけている。
星五つをつけることは例外を除いて、おそらくないので、事実上はわたしにとって最高の作品のひとつ、と言う事である。
わたしは年間300本以上の映画を見ているが、2004年で星四つ半がついたのは「ビッグ・フイッシュ」と「オールド・ボーイ」だけである。
因みに2005年では「エターナル・サンシャイン」に星四つ半をつけている。ボクって結構ロマンチシストなのかも。
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「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」
2005年9月14日 映画
2005/09/08 東京有楽町「よみうりホール」で「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」の試写を観た。
「藤原とうふ店」を営む父・文太(アンソニー・ウォン)と二人暮らしをする藤原拓海(ジェイ・チョウ)。
友人の樹(チャップマン・トウ)と一緒にガソリンスタンドでアルバイトをし、自分の車を買うことを夢みる普通の高校生である彼だが、毎日水に浸された豆腐を、父のハチロク(AE86)に乗せ、それを迅速に、そして正確に配達することで、完璧なドライビング・テクニックをモノにしていた。
それもそのはず、父・文太は過去に、秋名最速の走り屋と言われた伝説の男。
つまり、拓海は知らぬ間に父の英才教育を受けていたのだ。
ある日、チーム「妙義山ナイトキッズ」のリーダー、中里毅(ショーン・ユー)が拓海と樹が働く、スタンドにやってきた。
中里は、伝説の秋名最速の走り屋とのバトルを望んでいたのだが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック
原作:しげの秀一
撮影:アンドリュー・ラウ、ン・マンチン、ライ・イウファイ
出演:ジェイ・チョウ(藤原拓海)、鈴木杏(茂木なつき)、エディソン・チャン(高橋涼介)、ショーン・ユー(中里毅)、アンソニー・ウォン(藤原文太)、チャップマン・トウ(立花樹)、ケニー・ビー(立花祐一)、ジョーダン・チャン(須藤京一)、リュウ・ケンホン(岩城清次)
わたしは「頭文字<イニシャル>D」の熱心なファンではない。
マンガもほとんど読んでいないし、アニメーションも最初の5〜6話位しか見た事がない。そんな状況下で、わたしは本作を観た訳である。
先ずは、本作「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」のオープニング・クレジットには驚かされた。
本作の舞台となる秋名山(原作では榛名山)の峠道をただ単に映しているだけなのに、思わず泣かされそうになってしまった。
車が走っていない、ただの道の映像ですら感動的なのだ。
しかも、アニメーションを5〜6話しか見たことがないわたしにさえ、その峠道がどの場面で使われるのかわかるように出来ている。特に秋名山の天辺の駐車場にはデジャ・ビュを感じるほどであった。そんな訳で、本作の舞台となる峠道の再現力はすさまじいものがあった。
そして、と言うか勿論カーアクションである。
カーアクションはもちろん素晴らしいのだが、何と言っても撮影技術が大変素晴らしい。
広角レンズを効果的に使ったカットが臨場感を煽り、どうやって撮ったのかわからないようなカットの目白押しが楽しめる。
特に気になったのは、自動車のCF(CM/※)でも使われる手法である、カメラを自動車に付け、そのカメラが付いている自動車を撮影する手法(自画撮りか?)が素晴らしい。
※ 三菱自動車「eKワゴン/新・軽基準/テスト篇」参照
キャストは何と言ってもアンソニー・ウォン(藤原文太)である。はっきり言って最高である。
つづく・・・・
一時保存です。
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「藤原とうふ店」を営む父・文太(アンソニー・ウォン)と二人暮らしをする藤原拓海(ジェイ・チョウ)。
友人の樹(チャップマン・トウ)と一緒にガソリンスタンドでアルバイトをし、自分の車を買うことを夢みる普通の高校生である彼だが、毎日水に浸された豆腐を、父のハチロク(AE86)に乗せ、それを迅速に、そして正確に配達することで、完璧なドライビング・テクニックをモノにしていた。
それもそのはず、父・文太は過去に、秋名最速の走り屋と言われた伝説の男。
つまり、拓海は知らぬ間に父の英才教育を受けていたのだ。
ある日、チーム「妙義山ナイトキッズ」のリーダー、中里毅(ショーン・ユー)が拓海と樹が働く、スタンドにやってきた。
中里は、伝説の秋名最速の走り屋とのバトルを望んでいたのだが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック
原作:しげの秀一
撮影:アンドリュー・ラウ、ン・マンチン、ライ・イウファイ
出演:ジェイ・チョウ(藤原拓海)、鈴木杏(茂木なつき)、エディソン・チャン(高橋涼介)、ショーン・ユー(中里毅)、アンソニー・ウォン(藤原文太)、チャップマン・トウ(立花樹)、ケニー・ビー(立花祐一)、ジョーダン・チャン(須藤京一)、リュウ・ケンホン(岩城清次)
わたしは「頭文字<イニシャル>D」の熱心なファンではない。
マンガもほとんど読んでいないし、アニメーションも最初の5〜6話位しか見た事がない。そんな状況下で、わたしは本作を観た訳である。
先ずは、本作「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」のオープニング・クレジットには驚かされた。
本作の舞台となる秋名山(原作では榛名山)の峠道をただ単に映しているだけなのに、思わず泣かされそうになってしまった。
車が走っていない、ただの道の映像ですら感動的なのだ。
しかも、アニメーションを5〜6話しか見たことがないわたしにさえ、その峠道がどの場面で使われるのかわかるように出来ている。特に秋名山の天辺の駐車場にはデジャ・ビュを感じるほどであった。そんな訳で、本作の舞台となる峠道の再現力はすさまじいものがあった。
そして、と言うか勿論カーアクションである。
カーアクションはもちろん素晴らしいのだが、何と言っても撮影技術が大変素晴らしい。
広角レンズを効果的に使ったカットが臨場感を煽り、どうやって撮ったのかわからないようなカットの目白押しが楽しめる。
特に気になったのは、自動車のCF(CM/※)でも使われる手法である、カメラを自動車に付け、そのカメラが付いている自動車を撮影する手法(自画撮りか?)が素晴らしい。
※ 三菱自動車「eKワゴン/新・軽基準/テスト篇」参照
キャストは何と言ってもアンソニー・ウォン(藤原文太)である。はっきり言って最高である。
つづく・・・・
一時保存です。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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シュピーゲルをめぐる冒険
2005年9月13日 エッセイ/コラム
ちょっと暇だったんで「カウボーイ・ビバップ」を2〜3話見てみた。
お話自体は「ルパン三世」みたいな話な訳だが、音楽と演出と脚本と世界観とが良い作品だと思う。
主人公の名前はスパイク・シュピーゲル。
シュピーゲルと言えば、わたしの世代ではないのだが、確か「キャップテン・ウルトラ」に出てきた宇宙船の名前がシュピーゲル号だったな、と言うか、R・シュトラウスの交響詩に「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」と言うのがあったな、と言うか「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」はすげえ話だなとか思った。
スパイクが一度死んでいるという設定は、やっぱスパイクはティル・オイレンシュピーゲルかな、と思った。
ところで「銀河ヒッチハイク・ガイド」ってビッグ・バジェットな「不思議惑星キンザザ」かな、とか思うと、やっぱ「不思議惑星キンザザ」だなと思った。
「不思議惑星キンザザ」と言えばオールナイトで一緒に見た「妖婆・死棺の呪い」は大傑作だな、と言うかわたしのトラウマ映画なのだ。
わたしが一番怖いと思う映画が「妖婆・死棺の呪い」と「顔の無い悪魔」なのだ。
※ 子供のころに見たインパクト的にだがね。
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お話自体は「ルパン三世」みたいな話な訳だが、音楽と演出と脚本と世界観とが良い作品だと思う。
主人公の名前はスパイク・シュピーゲル。
シュピーゲルと言えば、わたしの世代ではないのだが、確か「キャップテン・ウルトラ」に出てきた宇宙船の名前がシュピーゲル号だったな、と言うか、R・シュトラウスの交響詩に「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」と言うのがあったな、と言うか「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」はすげえ話だなとか思った。
スパイクが一度死んでいるという設定は、やっぱスパイクはティル・オイレンシュピーゲルかな、と思った。
ところで「銀河ヒッチハイク・ガイド」ってビッグ・バジェットな「不思議惑星キンザザ」かな、とか思うと、やっぱ「不思議惑星キンザザ」だなと思った。
「不思議惑星キンザザ」と言えばオールナイトで一緒に見た「妖婆・死棺の呪い」は大傑作だな、と言うかわたしのトラウマ映画なのだ。
わたしが一番怖いと思う映画が「妖婆・死棺の呪い」と「顔の無い悪魔」なのだ。
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「シンデレラマン」ジャパン・プレミア/レッド・カーペット
2005年9月12日 エッセイ/コラム
2005/09/12 東京六本木「シンデレラマン」ジャパン・プレミアのレッド・カーペットに行ってきた。
招待状が届いていたのだ、仕事の後、会場である「ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ」に行ってみた。
が、わたしの到着が遅かったため、既に受付は終了していた。
残念な事にレッド・カーペットの中に入れなかったわたしは、レッド・カーペット周辺の通路付近でレネー・ゼルウィガーの到着を待つ事にした。ちょうどフォト・セッションを行う屏風の正面付近にわたしは陣取った。
周りは女性だらけで、比較的背が高いわたしの視界はクリアだった。
とは言うものの、わたしはレッド・カーペットと言う名のイベントには批判的な立場を常々取っている。
ジャパン・プレミアだかなんだか知らないが、何の権威も無いただの試写会ごときでレッド・カーペットをやってしまうとは、日本の文化の低さを世界に発信しているようで、なんだか悲しい気分になってしまう。
しかもカメラ・クルーとかは、タキシードじゃなくてただの私服だぞ。
更に今回は「シンデレラマン」のジャパン・プレミアと言うことなのだが、看板に偽りありで、本日の試写は「シンデレラマン」のジャパン・プレミアでもなんでもないのだ。
と言うのも、既に日本国内では何度も何度も観客を呼んで「シンデレラマン」は上映されているのだ。
「ジャパン・プレミア」と言う名のイベントを日本国内のプレミアでもなんでもないのにやってしまう日本と言う国の文化の低さに悲しくなってしまう。
個人的には、日本国内でレッド・カーペットと言うイベントをやって良いのはせいぜい「東京国際映画祭」位だと思っている。
ところで本題のレネー・ゼルウィガーだが、例によってハリウッド・スターのファン・サービスには頭が下がる思いである。
「ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ」のアリーナに特設された、グニャグニャ道のレッド・カーペットを歩きながら、レネー・ゼルウィガーは優に数百人にサインをしたのではないだろうか。
例によって、レッド・カーペットの構成は、レネー・ゼルウィガーが、ファン・サービスをしながら、ゆっくりとレッド・カーペットを進む間に、日本のタレント達が観客の退屈しのぎの時間稼ぎのため、レッド・カーペットを歩く、と言う見事な構成だった。
つながりはよくわからないのだが、「愛・地球博」のモリゾーやキッコロや謎の鳥の着ぐるみも、この暑い中、レッド・カーペット上を文字通りふらふらしていた。
わたしはと言えば、レッド・カーペットだとかジャパン・プレミアだとかを批判しながらも、レネー・ゼルウィガーのラブリーなお姿を身近で拝めただけで幸せな気持ちになってしまう、文化程度の低いダメな日本人なのだ。
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招待状が届いていたのだ、仕事の後、会場である「ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ」に行ってみた。
が、わたしの到着が遅かったため、既に受付は終了していた。
残念な事にレッド・カーペットの中に入れなかったわたしは、レッド・カーペット周辺の通路付近でレネー・ゼルウィガーの到着を待つ事にした。ちょうどフォト・セッションを行う屏風の正面付近にわたしは陣取った。
周りは女性だらけで、比較的背が高いわたしの視界はクリアだった。
とは言うものの、わたしはレッド・カーペットと言う名のイベントには批判的な立場を常々取っている。
ジャパン・プレミアだかなんだか知らないが、何の権威も無いただの試写会ごときでレッド・カーペットをやってしまうとは、日本の文化の低さを世界に発信しているようで、なんだか悲しい気分になってしまう。
しかもカメラ・クルーとかは、タキシードじゃなくてただの私服だぞ。
更に今回は「シンデレラマン」のジャパン・プレミアと言うことなのだが、看板に偽りありで、本日の試写は「シンデレラマン」のジャパン・プレミアでもなんでもないのだ。
と言うのも、既に日本国内では何度も何度も観客を呼んで「シンデレラマン」は上映されているのだ。
「ジャパン・プレミア」と言う名のイベントを日本国内のプレミアでもなんでもないのにやってしまう日本と言う国の文化の低さに悲しくなってしまう。
個人的には、日本国内でレッド・カーペットと言うイベントをやって良いのはせいぜい「東京国際映画祭」位だと思っている。
ところで本題のレネー・ゼルウィガーだが、例によってハリウッド・スターのファン・サービスには頭が下がる思いである。
「ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ」のアリーナに特設された、グニャグニャ道のレッド・カーペットを歩きながら、レネー・ゼルウィガーは優に数百人にサインをしたのではないだろうか。
例によって、レッド・カーペットの構成は、レネー・ゼルウィガーが、ファン・サービスをしながら、ゆっくりとレッド・カーペットを進む間に、日本のタレント達が観客の退屈しのぎの時間稼ぎのため、レッド・カーペットを歩く、と言う見事な構成だった。
つながりはよくわからないのだが、「愛・地球博」のモリゾーやキッコロや謎の鳥の着ぐるみも、この暑い中、レッド・カーペット上を文字通りふらふらしていた。
わたしはと言えば、レッド・カーペットだとかジャパン・プレミアだとかを批判しながらも、レネー・ゼルウィガーのラブリーなお姿を身近で拝めただけで幸せな気持ちになってしまう、文化程度の低いダメな日本人なのだ。
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2005/08/30 東京竹橋「科学技術館サイエンスホール」で「タッチ」の試写を観た。
上杉達也(斉藤祥太)と和也(斉藤慶太)は双子の兄弟。
隣に住む浅倉家の一人娘の南(長澤まさみ)とは、小さな頃から何をするのもいつも一緒の幼馴染み。
自分たちの明青学園が甲子園に出場することを夢見る南。
スポーツ万能で成績優秀な弟の和也と明るく可愛い南は誰もが認める似合いのカップル。それに反し、兄の達也は落ちこぼれ。勉強、スポーツ、異性からの人気と、和也に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
和也は好きな南の夢を叶えるために野球部のエースとして活躍していくが、一方で達也も心の中では南のことを想っていた。南は和也からの好意を知りながらも、密かに達也の方に惹かれていったが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:犬童一心
原作:あだち充『タッチ』(小学館/少年サンデーコミックス刊)
出演:長澤まさみ(浅倉南)、斉藤祥太(上杉達也)、斉藤慶太(上杉和也)、RIKIYA(原田正平)、平塚真介(松平孝太郎)、上原風馬(黒木武)、安藤希(日向小百合)、福士誠治(新田明男)、風吹ジュン(上杉晴子)、若槻千夏(矢部ソノコ)、徳井優(岡本先生)、山崎一(部長先生)、高杉亘(体育教師)、渡辺哲(ボクシング部監督)、生田智子(浅倉しのぶ)、本田博太郎(津川英二)、小日向文世(上杉信悟)、宅麻伸(浅倉俊夫)
本作「タッチ」を観て最初に感じたのは、実写映画の限界と制約、そしてアニメーションが持つ無限の可能性である。
本作「タッチ」はご存知のように、マンガ、アニメ、映画と複数のメディアで製作されている。
あだち充のマンガは比較的線が少なくスペースが多い、言わば空白の美学を持った作品だとわたしは思う。更に言えばその絵柄はコントラストが高くまるでハレーションを起こしているかのような、真夏の太陽の下での出来事を紙に定着させたかのような印象を受ける。
また、1985年から放映されたアニメーション作品は、あだち充の原作の雰囲気を醸し出しつつも、マンガにはなかった新たな次元である音の演出が顕著な作品だったような記憶がある。
例えば、本作でも再現しようとしている高架の下での南の号泣シーンの音の演出が素晴らしいし、和也の死に相対し、呆けてしまった父親の姿等々、名演出シーンが残っている。
尤も、それらの多くはあだち充が描いたままの絵をなぞっているのだが、それを前提としてもアニメーションの演出は非常に効果的で、感動的なものがあった。
何故こんな事を言っているかと言うと、アニメーションと言うメディア(手法)は頭の中にあるものを全て実現する事が出来る数少ないメディアであり、そして全て演出で、つまり考えられた事だけで構築する事が可能な数少ないメディアであり、そして手法なのである。
一方実写作品(所謂通常の映画)は、俳優や演技はともかく、セットや美術、撮影環境に非常に大きな制約を受け、演出家が頭の中で描いた、または書いた絵コンテ通りの、言わば理想的な作品を、前述の様々な制約の下、妥協に妥協を重ね、その妥協の結果をフィルムに焼き付けたものだと言えるのだ。
そう考えた場合、本作「タッチ」は、アニメーション作品の存在から、残念な作品だと思えてしまう。
マンガ「タッチ」とアニメーション「タッチ」から受けた様々な印象が記憶となってわたしの頭の中に亡霊として存在し、知らない間に拡大されたその亡霊が本作「タッチ」と鬩ぎあっているのだ。
そして本作を観て感じるのは、実写映画なのに演出の手法が、アニメーションのそれに準じているような印象を感じる。
監督の犬童一心はアニメの演出を実写で再現しようとしているのではないか、と思えてならない。
例えば、前述の高架下のシークエンスを再現するような演出を何故わざわざするのか、そんな疑問が湧いてくる。
個人的には演出はオリジナルで勝負して欲しかった、と思うのだ。
さて、キャストだが、本作のキャストはタイトル・ロールである上杉達也(斉藤祥太)ではなく、浅倉南役の長澤まさみが最初にクレジットされていることからもわかる通り、本作は長澤まさみの映画である。
犬童一心は長澤まさみをいかに魅力的に撮るかに腐心しているような印象を否めない。
長澤まさみはその期待に答え、観客は見事にころっと騙されてしまう。
当初、斉藤祥太・慶太が達也と和也にキャスティングされたのを知った映画ファンは、本作「タッチ」が「デビルマン」に続く双子俳優を起用したダメ映画になってしまうのではないか、と思っていた。
そんな斉藤祥太(上杉達也)と斉藤慶太(上杉和也)は、「デビルマン」の双子程酷くはなく、また演出や脚本そして長澤まさみに助けられ、なかなか頑張ったのではないかな、と思う。彼等も手取り足取りきちんと演出されれば、結構演技っぽいものを見せてくれるのではないか、と思った。
また野球シーンやマンガを髣髴とさせる無言の絵のようなカットでは、好意的に言えば、なかなか雰囲気を出していたのではないか、と思う。
脚本は、マンガやアニメとほぼ同じなのだが、マンガやアニメと比較すると本作の号泣指数は決して高くはない。
演出は順当でソツなくこなしているのだが、アニメと同様のカット割や描写をしようとしている印象が否めない。
画面のアスペクト比が、冒頭のスタンダードからビスタに広がる部分が非常に効果的で、例えば「ギャラクシー・クエスト」のようで個人的には楽しかった。
※ 球場の狭い廊下を通り抜けると画面がスタンダードからビスタに変わる。
本作「タッチ」は、マンガやアニメへの誘導作品として、いわば予告編として機能する程度の作品だと言わざるを得ない。
映画のヒットがマンガの売り上げや、アニメDVDの購買につながるのだろうと思うが、本作だけでは魅力的な作品だとは言えない。
尤も長澤まさみのアイドル映画と言う見方も当然ながら出来るのだが、そういう観点からは満足できる作品だと言えるだろう。
犬童一心監督作品としては凡庸で評価に値しないような気がする。
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上杉達也(斉藤祥太)と和也(斉藤慶太)は双子の兄弟。
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自分たちの明青学園が甲子園に出場することを夢見る南。
スポーツ万能で成績優秀な弟の和也と明るく可愛い南は誰もが認める似合いのカップル。それに反し、兄の達也は落ちこぼれ。勉強、スポーツ、異性からの人気と、和也に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
和也は好きな南の夢を叶えるために野球部のエースとして活躍していくが、一方で達也も心の中では南のことを想っていた。南は和也からの好意を知りながらも、密かに達也の方に惹かれていったが・・・・
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監督:犬童一心
原作:あだち充『タッチ』(小学館/少年サンデーコミックス刊)
出演:長澤まさみ(浅倉南)、斉藤祥太(上杉達也)、斉藤慶太(上杉和也)、RIKIYA(原田正平)、平塚真介(松平孝太郎)、上原風馬(黒木武)、安藤希(日向小百合)、福士誠治(新田明男)、風吹ジュン(上杉晴子)、若槻千夏(矢部ソノコ)、徳井優(岡本先生)、山崎一(部長先生)、高杉亘(体育教師)、渡辺哲(ボクシング部監督)、生田智子(浅倉しのぶ)、本田博太郎(津川英二)、小日向文世(上杉信悟)、宅麻伸(浅倉俊夫)
本作「タッチ」を観て最初に感じたのは、実写映画の限界と制約、そしてアニメーションが持つ無限の可能性である。
本作「タッチ」はご存知のように、マンガ、アニメ、映画と複数のメディアで製作されている。
あだち充のマンガは比較的線が少なくスペースが多い、言わば空白の美学を持った作品だとわたしは思う。更に言えばその絵柄はコントラストが高くまるでハレーションを起こしているかのような、真夏の太陽の下での出来事を紙に定着させたかのような印象を受ける。
また、1985年から放映されたアニメーション作品は、あだち充の原作の雰囲気を醸し出しつつも、マンガにはなかった新たな次元である音の演出が顕著な作品だったような記憶がある。
例えば、本作でも再現しようとしている高架の下での南の号泣シーンの音の演出が素晴らしいし、和也の死に相対し、呆けてしまった父親の姿等々、名演出シーンが残っている。
尤も、それらの多くはあだち充が描いたままの絵をなぞっているのだが、それを前提としてもアニメーションの演出は非常に効果的で、感動的なものがあった。
何故こんな事を言っているかと言うと、アニメーションと言うメディア(手法)は頭の中にあるものを全て実現する事が出来る数少ないメディアであり、そして全て演出で、つまり考えられた事だけで構築する事が可能な数少ないメディアであり、そして手法なのである。
一方実写作品(所謂通常の映画)は、俳優や演技はともかく、セットや美術、撮影環境に非常に大きな制約を受け、演出家が頭の中で描いた、または書いた絵コンテ通りの、言わば理想的な作品を、前述の様々な制約の下、妥協に妥協を重ね、その妥協の結果をフィルムに焼き付けたものだと言えるのだ。
そう考えた場合、本作「タッチ」は、アニメーション作品の存在から、残念な作品だと思えてしまう。
マンガ「タッチ」とアニメーション「タッチ」から受けた様々な印象が記憶となってわたしの頭の中に亡霊として存在し、知らない間に拡大されたその亡霊が本作「タッチ」と鬩ぎあっているのだ。
そして本作を観て感じるのは、実写映画なのに演出の手法が、アニメーションのそれに準じているような印象を感じる。
監督の犬童一心はアニメの演出を実写で再現しようとしているのではないか、と思えてならない。
例えば、前述の高架下のシークエンスを再現するような演出を何故わざわざするのか、そんな疑問が湧いてくる。
個人的には演出はオリジナルで勝負して欲しかった、と思うのだ。
さて、キャストだが、本作のキャストはタイトル・ロールである上杉達也(斉藤祥太)ではなく、浅倉南役の長澤まさみが最初にクレジットされていることからもわかる通り、本作は長澤まさみの映画である。
犬童一心は長澤まさみをいかに魅力的に撮るかに腐心しているような印象を否めない。
長澤まさみはその期待に答え、観客は見事にころっと騙されてしまう。
当初、斉藤祥太・慶太が達也と和也にキャスティングされたのを知った映画ファンは、本作「タッチ」が「デビルマン」に続く双子俳優を起用したダメ映画になってしまうのではないか、と思っていた。
そんな斉藤祥太(上杉達也)と斉藤慶太(上杉和也)は、「デビルマン」の双子程酷くはなく、また演出や脚本そして長澤まさみに助けられ、なかなか頑張ったのではないかな、と思う。彼等も手取り足取りきちんと演出されれば、結構演技っぽいものを見せてくれるのではないか、と思った。
また野球シーンやマンガを髣髴とさせる無言の絵のようなカットでは、好意的に言えば、なかなか雰囲気を出していたのではないか、と思う。
脚本は、マンガやアニメとほぼ同じなのだが、マンガやアニメと比較すると本作の号泣指数は決して高くはない。
演出は順当でソツなくこなしているのだが、アニメと同様のカット割や描写をしようとしている印象が否めない。
画面のアスペクト比が、冒頭のスタンダードからビスタに広がる部分が非常に効果的で、例えば「ギャラクシー・クエスト」のようで個人的には楽しかった。
※ 球場の狭い廊下を通り抜けると画面がスタンダードからビスタに変わる。
本作「タッチ」は、マンガやアニメへの誘導作品として、いわば予告編として機能する程度の作品だと言わざるを得ない。
映画のヒットがマンガの売り上げや、アニメDVDの購買につながるのだろうと思うが、本作だけでは魅力的な作品だとは言えない。
尤も長澤まさみのアイドル映画と言う見方も当然ながら出来るのだが、そういう観点からは満足できる作品だと言えるだろう。
犬童一心監督作品としては凡庸で評価に値しないような気がする。
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ホワイトバンドをめぐる冒険
2005年9月9日 エッセイ/コラム
2005/09/09-10 ホワイトバンドデーと銘うって、各地で様々なイベントが行われるらしい。
9.10 WHITEBAND DAY
WHITEBAND on TOKYO TOWER 9/9,9/10@東京タワー
WHITEBAND 映画祭 9/9@六本木ヒルズ
WHITEBAND SWITCH ON 9/10@芝公園
WHITEBAND IN JAPAN 9/10@日本全国
そのホワイトバンドデーを直前にして、ホワイトバンドプロジェクトについて、いろいろ考えることがあったので、付記しておこうと思う。
先ずは先日のエントリーをご参照願いたい。
「捨てられたホワイトバンド」
http://diarynote.jp/d/29346/20050906.html
■詐欺ではない
このホワイトバンドプロジェクトは法的に見て、詐欺行為にはおそらく当たらない。
なぜなら、ホワイトバンドはチャリティではなく、その金銭の目的は、調査・分析、啓蒙やキャンペーン、そしてロビー活動を行うため、とホワイトバンドプロジェクトは明言しているからだ。
従って、チャリティや寄付だと思ってホワイトバンドを購入するのは、購入する方がただ単に、「ホワイトバンドはチャリティである」と誤解をしているのに過ぎないのだ。
■「3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。」
これは、ホワイトバンドのキャンペーンのキャッチコピーの冒頭の一部である。
3秒に1人の子どもが死んでいるとすると、
1分で20人、
1時間で1,200人
1日で28,800人
1週間で201,600人
1ケ月で6,048,000人
半年で36,288,000人
1年で72,576,000人の子どもが死んでいる、と言う事である。
これは普通に考えると切実な問題である。
世の中にたくさんあるチャリティ(募金や寄付)は切実な問題、つまり「今死に行く子どもたちを救おう」と言う観点から活動が行われている。
しかし、ホワイトバンドプロジェクトは、数ケ月後か半年後かわからないが、--具体的な活動が始まるのは、2006年だとホワイトバンドプロジェクトは明言している−−、「今死に行く子どもたちではなく、将来死に行く子どもたちを救おう」と言うコンセプトで活動を行っている。
つまり、その活動が1ケ月遅れるだけで、6,048,000人の子どもたちが死んで行くことになる訳だ。
■ロビー活動とは何か
ホワイトバンドプロジェクトのひとつの目的でもある「ロビー活動」とは一体どんな活動だろう。
政治的決定に影響を及ぼそうとして,議員・官僚・政党などにはたらきかける院外活動。特にアメリカのものをいい,世論の形成・動員までも含める。(三省堂「デイリー 新語辞典」による)
特定の利益をはかるために議員・官僚・政党などにはたらきかけ、政治的決定に影響を及ぼそうとする院外活動。特にアメリカにおけるものをいい、議会のロビーにおける議員との面会だけでなく、世論の形成・動員までも含める。ロビイング。(三省堂「大辞林 第二版」)
わかりやすく言うと、ロビー活動とは、業界団体や、企業、強力な個人等が、自分たちに都合が良いように、自分たちに利益がもたらされるように、政治を動かすこと、なのである。
つまりホワイトバンドプロジェクトは、ホワイトバンドの収益を使って、政治家を動かそうとしているのだ。
つまり単純に考えると、ホワイトバンドの収益は、回りまわって政治資金になる、と言う事である。
■既に100万本売れ、100万人が予約待ち
GQ JAPANによると、8月中旬の時点で、日本版ホワイトバンドは100万本以上売れ、更に100万人が予約待ちをしている、と言う話である。
また、ホワイトバンドプロジェクトによると8月末で200万本出荷した、と言うことである。
つまり、税込みで6億円の収益があった(ある)と言うことである。
6億円と言えば、日本テレビの『24時間テレビ28「愛は地球を救う」』の募金の2倍位だ。(2005/08/28現在の「24時間テレビ」の募金総額は293,693,400円、昨年の募金総額は719,045,124円、おそらく今年は昨年の募金額を上回るのではないか、と言われている)
だからどうだ、と言う話ではないのだが「24時間テレビ」はいろいろ効果を出しているな、と思った。
※ 赤い羽根共同募金の総額は233億円(2004年度)
※ G8サミットにおいて、2010年までにG8全体で500億ドル(日本円で5兆5000万円)の援助増額をすることにより、500万人の子どもの命を救える可能性があるのだが、実際のところ、5000万人の子どもは命を失い続ける見込みらしい。
■何故ホワイトバンドを買わなければならないのか
ホワイトバンドプロジェクトは、「白いバンド」であればよい
と言っている。海外のプロジェクトでは、「白いものならなんでも良い」とさえ言っている。
しかし、日本版ホワイトバンドプロジェクトでは、第一にホワイトバンドを購入する事を奨励している。
オフィシャル・サイトの構成上の導線も、ホワイトバンドの購入に張られている。
なにしろ、本音と建前は日本の伝統的美点なのであるから。
■何故送料がかかるのか
現在、ホワイトバンドのオフィシャルなオンライン販売は「@ぴあ」が行っている。
「@ぴあ」でホワイトバンドは、2個セット以上で販売されている。
2個セットで600円、送料は420円、代引き手数料は315円である。
近くでホワイトバンドが売っていない地方に住んでいる、クレジットカードをもたない子どもたちは、2個セットのホワイトバンドを手に入れるために1,335円もかかってしまうのだ。友達と二人で買っても1個667円にもなってしまう。
ホワイトバンドプロジェクトは、オークション等によるホワイトバンドの営利目的の転売については、
オークションなどによる営利目的の転売は本意とするところではなく、本当に残念なことです。ご購入いただく際には、売上の使途に注意を払ってのご購入をお願いします。
とのことである。
オークションはNGで、送料や代引き手数料はOKだ、と言う訳だ。
つづく・・・・
ホワイトバンドをめぐる冒険 その2
http://diarynote.jp/d/29346/20051108.html
捨てられたホワイトバンド
http://diarynote.jp/d/29346/20050906.html
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9.10 WHITEBAND DAY
WHITEBAND on TOKYO TOWER 9/9,9/10@東京タワー
WHITEBAND 映画祭 9/9@六本木ヒルズ
WHITEBAND SWITCH ON 9/10@芝公園
WHITEBAND IN JAPAN 9/10@日本全国
そのホワイトバンドデーを直前にして、ホワイトバンドプロジェクトについて、いろいろ考えることがあったので、付記しておこうと思う。
先ずは先日のエントリーをご参照願いたい。
「捨てられたホワイトバンド」
http://diarynote.jp/d/29346/20050906.html
■詐欺ではない
このホワイトバンドプロジェクトは法的に見て、詐欺行為にはおそらく当たらない。
なぜなら、ホワイトバンドはチャリティではなく、その金銭の目的は、調査・分析、啓蒙やキャンペーン、そしてロビー活動を行うため、とホワイトバンドプロジェクトは明言しているからだ。
従って、チャリティや寄付だと思ってホワイトバンドを購入するのは、購入する方がただ単に、「ホワイトバンドはチャリティである」と誤解をしているのに過ぎないのだ。
■「3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。」
これは、ホワイトバンドのキャンペーンのキャッチコピーの冒頭の一部である。
3秒に1人の子どもが死んでいるとすると、
1分で20人、
1時間で1,200人
1日で28,800人
1週間で201,600人
1ケ月で6,048,000人
半年で36,288,000人
1年で72,576,000人の子どもが死んでいる、と言う事である。
これは普通に考えると切実な問題である。
世の中にたくさんあるチャリティ(募金や寄付)は切実な問題、つまり「今死に行く子どもたちを救おう」と言う観点から活動が行われている。
しかし、ホワイトバンドプロジェクトは、数ケ月後か半年後かわからないが、--具体的な活動が始まるのは、2006年だとホワイトバンドプロジェクトは明言している−−、「今死に行く子どもたちではなく、将来死に行く子どもたちを救おう」と言うコンセプトで活動を行っている。
つまり、その活動が1ケ月遅れるだけで、6,048,000人の子どもたちが死んで行くことになる訳だ。
■ロビー活動とは何か
ホワイトバンドプロジェクトのひとつの目的でもある「ロビー活動」とは一体どんな活動だろう。
政治的決定に影響を及ぼそうとして,議員・官僚・政党などにはたらきかける院外活動。特にアメリカのものをいい,世論の形成・動員までも含める。(三省堂「デイリー 新語辞典」による)
特定の利益をはかるために議員・官僚・政党などにはたらきかけ、政治的決定に影響を及ぼそうとする院外活動。特にアメリカにおけるものをいい、議会のロビーにおける議員との面会だけでなく、世論の形成・動員までも含める。ロビイング。(三省堂「大辞林 第二版」)
わかりやすく言うと、ロビー活動とは、業界団体や、企業、強力な個人等が、自分たちに都合が良いように、自分たちに利益がもたらされるように、政治を動かすこと、なのである。
つまりホワイトバンドプロジェクトは、ホワイトバンドの収益を使って、政治家を動かそうとしているのだ。
つまり単純に考えると、ホワイトバンドの収益は、回りまわって政治資金になる、と言う事である。
■既に100万本売れ、100万人が予約待ち
GQ JAPANによると、8月中旬の時点で、日本版ホワイトバンドは100万本以上売れ、更に100万人が予約待ちをしている、と言う話である。
また、ホワイトバンドプロジェクトによると8月末で200万本出荷した、と言うことである。
つまり、税込みで6億円の収益があった(ある)と言うことである。
6億円と言えば、日本テレビの『24時間テレビ28「愛は地球を救う」』の募金の2倍位だ。(2005/08/28現在の「24時間テレビ」の募金総額は293,693,400円、昨年の募金総額は719,045,124円、おそらく今年は昨年の募金額を上回るのではないか、と言われている)
だからどうだ、と言う話ではないのだが「24時間テレビ」はいろいろ効果を出しているな、と思った。
※ 赤い羽根共同募金の総額は233億円(2004年度)
※ G8サミットにおいて、2010年までにG8全体で500億ドル(日本円で5兆5000万円)の援助増額をすることにより、500万人の子どもの命を救える可能性があるのだが、実際のところ、5000万人の子どもは命を失い続ける見込みらしい。
■何故ホワイトバンドを買わなければならないのか
ホワイトバンドプロジェクトは、「白いバンド」であればよい
と言っている。海外のプロジェクトでは、「白いものならなんでも良い」とさえ言っている。
しかし、日本版ホワイトバンドプロジェクトでは、第一にホワイトバンドを購入する事を奨励している。
オフィシャル・サイトの構成上の導線も、ホワイトバンドの購入に張られている。
なにしろ、本音と建前は日本の伝統的美点なのであるから。
■何故送料がかかるのか
現在、ホワイトバンドのオフィシャルなオンライン販売は「@ぴあ」が行っている。
「@ぴあ」でホワイトバンドは、2個セット以上で販売されている。
2個セットで600円、送料は420円、代引き手数料は315円である。
近くでホワイトバンドが売っていない地方に住んでいる、クレジットカードをもたない子どもたちは、2個セットのホワイトバンドを手に入れるために1,335円もかかってしまうのだ。友達と二人で買っても1個667円にもなってしまう。
ホワイトバンドプロジェクトは、オークション等によるホワイトバンドの営利目的の転売については、
オークションなどによる営利目的の転売は本意とするところではなく、本当に残念なことです。ご購入いただく際には、売上の使途に注意を払ってのご購入をお願いします。
とのことである。
オークションはNGで、送料や代引き手数料はOKだ、と言う訳だ。
つづく・・・・
ホワイトバンドをめぐる冒険 その2
http://diarynote.jp/d/29346/20051108.html
捨てられたホワイトバンド
http://diarynote.jp/d/29346/20050906.html
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