「ポセイドン」

2006年5月18日 映画
2006/05/17 東京九段下「日本武道館」で「ポセイドン」を観た。
当日は、監督のウォルフガング・ペーターゼン、出演のカート・ラッセル、ジョシュ・ルーカス、エミー・ロッサムを迎えた『「ポセイドン」ジャパン・プレミア』であった。

大晦日の夜。北大西洋を航海中の豪華客船ポセイドン号ではカウントダウン・パーティーが始まっていた。同等クラスでは世界最高の客船のひとつであるポセイドン号は、高さが20階を超え、客室800、パッセンジャー・デッキ13を備える。

今夜、乗客の多くは新年を迎えるために着飾り、壮麗なダンスホールに集っている。ブラッドフォード船長(アンドレ・ブラウアー)の乾杯の音頭で彼らはシャンパン・グラスを上げ、グロリア(ステーシー・ファーガソン/ブラック・アイド・ビーズ)のバンドは「蛍の光」を奏で始め、宴は最高潮の盛り上がりを見せていた。

その頃、ブリッジでは、一等航海士が異変を感じ取っていた。水平線を調べていた彼は、ローグ・ウェーブ(異常波浪)を発見するが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ウォルフガング・ペーターゼン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ
原作:ポール・ギャリコ
出演:ジョシュ・ルーカス(ディラン・ジョーンズ)、カート・ラッセル(ロバート・ラムジー)、リチャード・ドレイファス(リチャード・ネルソン)、ジャシンダ・バレット(マギー・ジェームズ)、エミー・ロッサム(ジェニファー・ラムジー)、マイク・ボーゲル(クリスチャン)、ミア・マエストロ(エレナ)、ジミー・ベネット(コナー・ジェームズ)、アンドレ・ブラウアー(ブラッドフォード船長)、フレディー・ロドリゲス(マルコ・バレンティン)、ケビン・ディロン(ラッキー・ラリー)、ステーシー・ファーガソン(グロリア)

さて、本作「ポセイドン」についてだが、先ずはファーストカットが素晴らしかった。
海中のカメラが海上に出て、上空に上がり、豪華客船ポセイドン号の周りを鳥の視線で飛び回ると言うカットなのだが、広角レンズで撮影され、遠近感が適度にゆがんだポセイドン号の船体がスコープ・サイズのスクリーンに映し出される様は、素晴らしい映像体験のひとつであろう。

メインのプロットは、オリジナルの「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)とほぼ同じなのだが、キャラクターの設定が全く異なり、さらにオリジナル版では、人間ドラマに重きを置き、歩いて船底へ向かう感じだったのだが、本作は水や危機に追いまくられて、走って船底へ向かう、と言う印象。

オリジナル版は117分だったのだが、本作は98分と非常にタイトで、パニック・アクション映画として、不必要なものを極限まで削ぎ落とした点に好感が持てる。
手に汗握るパニック・アクション映画としては、十分に及第点が付けられると思う。

しかるに、オリジナル版の人間ドラマがほとんど割愛されてしまったため、おそらく批判的な意見を持つ人が多いのではないか、と思った。

感覚的には、ホラー映画の「エイリアン」(1979)が、アクション映画の「エイリアン2」(1986)になったような、作品としてのベクトルの変更が行われており、個人的にはその辺りは評価したいと思う。

キャストは、リチャード・ドレイファス(リチャード・ネルソン)が大きな役で出ていたのには驚かされた。カメオ的な顔見世だけだと思っていたのだが、メインのプロットに絡む大役だったのには驚いた。しかし、キャラクターの背景が不明瞭で、消化不良である。

また、ケヴィン・ディロン(ラッキー・ラリー)の役柄とその見せ場にも驚かされた。兄のマット・ディロンが「クラッシュ」(2004)で評価されている状況の中、この役はまずいだろう、と言う感じである。

カート・ラッセル(ロバート・ラムジー)は、おそらく「バック・ドラフト」(1991)の映画的記憶を利用した元消防士で元ニューヨーク市長と言う背景を持つキャラクターを演じており、ともすれば911テロをもキャラクターの背景とさせてしまっているような印象を受けた。
「エグゼクティブ・デシジョン」(1996)バリの見せ場の連続で、往年のスネークファンも大満足と言ったところだろうか。

ジョシュ・ルーカスは、賭博師と言う設定で、個人的には「タワーリング・インフェルノ」(1974)の詐欺師を演じたフレッド・アステア的な印象を受けた。大活躍である。

アンドレ・ブラウアー(ブラッドフォード船長)だが、黒人が豪華客船の船長を演じる、と言うのは珍しいのではないか、と思った。冒頭の登場シークエンスでは、船長ではなく、楽団のリーダー的な役回りに見えてしまう。
が、スコープ感を念頭に置いた、両腕を広げるカットは画的に素晴らしかった。

脚本は、残念ながら人間ドラマが希薄な印象が否定できないのだが、その反面、追いまくられるスピード感や緊迫感は迫力十分であるし、脱出の成否にからむ伏線の張り方が見事である。

美術はセットとしてはよく頑張っているのだが、逆さになった豪華客船の見せ方はイマイチだといわざるを得ない。

あと驚いたのは、物語上、船体の中は死体の山なのだが、死体のデザインと製作のクレジットが大きめに入っていたのには驚いた。死体専門のクリエイターがいる、という事である。

演出(編集含む)は、アクションの緊迫感は凄かった。
論理的に構築された危機とアクションとの構成が見事である。
例えば「アビス」(1989)の冒頭近く、クレーンが落ちてくるシークエンスの構成が素晴らしいのと同じような印象であった。
 
 
とにかく、本作「ポセイドン」は手に汗握るパニック・アクション映画としては大変面白い作品に仕上がっている。

また、冒頭のポセイドン号の勇姿にしろ、アクション・シークエンスにしろ、スコープ感を念頭に置いた画面構成と演出がすばらしい。是非劇場で楽しんでいただきたい作品である。

☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2006/03/04 東京渋谷「シネマライズ」で「ブロークバック・マウンテン」を観た。公開初日の第一回目。

1963年、ワイオミング。
イニス・デル・マー(ヒース・レジャー)とジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)は、ブロークバック・マウンテンの農牧場に季節労働者として雇われ、運命の出会いを果たす。ともに20歳の二人は、牧場主のジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)から、山でキャンプをしながら羊の放牧の管理をする仕事を命じられる。寡黙なイニスと、天衣無縫なジャック。二人ともハンサムで逞しく男らしい。壮大で美しいプロークバック・マウンテンの大自然の中で仕事をしているうちに、次第に意気投合する二人の間には、友情を超えた、しかし本人たちすら意識しない、深い感情が芽生えはじめるが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:アン・リー
脚本:ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オサナ
原作:アニー・ブルー
撮影:ロドリゴ・プリエト
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:ヒース・レジャー(イニス・デル・マー)、ジェイク・ギレンホール(ジャック・ツイスト)、アン・ハサウェイ(ラリーン・ニューサム)、ミシェル・ウィリアムズ(アルマ)、ランディ・クエイド(ジョー・アギーレ)、リンダ・カーデリーニ(キャシー)、アンナ・ファリス(ラショーン・マローン)、ケイト・マーラ(アルマ Jr.)

超話題作「ブロークバック・マウンテン」が2006/03/04当時日本国内で(たしか)唯一公開されていた「シネマライズ」の周りはチケットを求める人々の長蛇の列でごった返していた。
わたし達4人(夜霧のネオンサインさん、秋林瑞佳さん、まりゅうさん、そしてわたし)は、夜霧のネオンサインさんが事前に指定席券を購入しておいてくれたおかげで、並ぶことなく、劇場に滑り込むことに成功した。
これはひとえに夜霧のネオンサインさんのおかげである。

ところで、わたしは本作「ブロークバック・マウンテン」のタイトルは「ブローバック・マウンテン」だとばかり思っていた。
その「ブローバック」と言う言葉が、本作をゲイのカウボーイの物語と単純化した場合、見事にマッチする印象を受けたからである。

ところで、その「ブローバック」とは、オートマチック・ピストル(自動拳銃)の排莢・装填を行うメカニズムの総称で、簡単に言うと、弾丸発射時の火薬の燃焼ガスの圧力を利用して、スライドがリコイル・スプリングを圧縮しつつ、後方にスライド(リコイル)し、薬莢を排出しながら撃鉄をコック(撃鉄がひかれた状態にすること)し、先ほど圧縮されたリコイル・スプリングの復元力により、スライドが前方にスライドしようとする力で、弾倉から一発の弾丸をチェンバー(薬室)に送り込むメカニズムを言う。

そんな訳で、例えば火山の噴火を拳銃に発射に例えた場合、火口以外の部分からブローバックと言う形態で、ガスを放出するイメージが、1960年代のゲイのカウボーイの物語、−−実りようのない恋路に落ち込んで行ってしまう二人のカウボーイの物語−−、に見事に符合している、とわたしには思えた訳である。

物語は、運命的な二人の男の出会いと、少しずつ人生の歯車が狂っていく二人の男と、彼等を取り巻く人々の人生の軋轢の物語である。

マスコミに大々的に取り上げられた本作は、おそらくではあるが、強いアメリカのひとつの象徴であるカウボーイと言う存在がゲイだった(はたして本当にゲイだったのか?)、と言う点がセンセーショナルにマスコミに取り上げられ、身の丈以上の評価を受けてしまった作品だったのではないか、と思う。

その扇情的とも言えるメイン・プロットを擁した原作を題材に本作「ブロークバック・マウンテン」を制作したのは、おそらく台湾出身のアン・リーの確信犯的な戦略の賜物だったのではないか、と思えてならない。

アメリカ人の監督だったら、こうは上手く行かなかったのではないか、と思う。
多分、この題材を描けるのは、アジアの監督だけではないか、と思った。(または英国の監督かな)

キャストは、ヒース・レジャー(イニス・デル・マー)にしろ、ジェイク・ギレンホール(ジャック・ツイスト)にしろ、観客の期待に違わないゲイのカウボーイ像を好演し、またその上、非常に繊細な心の機微を、そして繊細なニュアンスを観客に、特に女性の観客に明確に伝えることに成功していると思う。

脚本と演出は、極力説明を廃したもので、ハリウッドの娯楽大作程度しか観ていない人々には、−−つまり、物語の表層部分しか見ていない人たち−−、若干難しい作品だったのではないか、と思った。

例えば本作は、セリフで語られていないこと、またはそのセリフが嘘であること、を考えなければならない作品だと思うし、ひとつのカットの意味を明敏に理解し咀嚼する必要がある作品だったのではないか、と思う。

そのあたりは、やはりアン・リーの繊細な演出の賜物だったのだと思う。
余談だが、アン・リーが何を求めて「ハルク」(2003)なんぞを撮ったのかは知らないが、本作は、「ハルク」の失敗を全て帳消しにしてしまうほどの作品に仕上がっているのは、事実である。

何しろ「グリーン・デスティニー」(2000)の次が「ハルク」ですからね。
『「ハルク」なんか撮りやがって、何考えてんだよ!アン・リーよ!!』
と言う感じだったのが、「ブロークバック・マウンテン」の時点で、既に「ハルク」の過去は抹消された、と言うことなのだろう。

とにかく、本作「ブロークバック・マウンテン」は、若干評価されすぎの感は否定できないが、優れた作品のひとつだと思う。
機会があれば、是非観ていただきたいと思うところである。

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余談だけど、ラストのセリフは、わたしは、次のように捉えています。

「ボクはいままで、ダメな人間だったけど、これからは真っ当な人間として、家族と一緒に生きることを誓うよ」

この解釈は、本作「ブロークバック・マウンテン」物語の精神と真逆のベクトルを持った解釈だと思いますが、本作「ブロークバック・マウンテン」がハリウッド映画である以上、そういった解釈が出来る構造になっていなければいけないし、多分スタジオ側に対してアン・リーはそう説明しているのではないか、とわたしには思えるのです。

そしてその解釈が、物語の文法に一番合致していると思えるのです。
何しろハリウッド映画のメジャー作品においては、なんらかの経験で主人公が成長する、と言うようなプロットがなければ、製作のための予算が取れないからです。
これもアン・リーの戦略的なものだったのだと思います。
2006/05/12 東京池袋「シネ・リーブル池袋」で「機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-」を観た。
多分東京でのロードショー公開の最終上映の回だと思う。

先ず驚いたのは本作「機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-」の画面のクオリティの低さである。
このクオリティの低さは、「機動戦士Zガンダム」三部作の中で最低だと思う。

尤も、わたしは「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」と「機動戦士Zガンダム II−恋人たち−」はそれぞれ、「東京国際ファンタスティック映画祭」のプログラムとして「新宿ミラノ座」のスクリーンで、しかも比較的後ろの方から観ており、本作「機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-」は「シネ・リーブル池袋」の比較的前の方から観ており、スクリーンの大きさと、スクリーンからの距離が異なっているので、同列で論じることは出来ないと思うのだが、如何せん、お客様にお出しできるクオリティではなかった、と思う。

特に、スタンダード撮影のテレビ・シリーズの映像を劇場版のビスタサイズに広げる際、今回はスタンダードの映像にマスクをかけて上下をカットする方法と、スタンダードサイズの映像の中の必要な部分をビスタサイズに切り取り、光学的に映像を拡大する方法が取られているようなのだが、後者の方法で作られた映像が酷い。
シーンによっては、人間の形はしているか、誰だかわからない粒子の連なりが動き、喋っているのだ。

最早、お客様に出せるクオリティではない、と言わざるを得ない。

物語については、テレビ・シリーズを切り刻み、キャッチーなところだけを繋いだものと言うこともあり、決して褒められたものではないのだが、終わり良ければ全て良しで、ラストのおまけのシークエンス(地球のセイラ、カイ、ミライ、アムロらのシークエンス)だけで、全てを許してしまうガンダム好きの莫迦な自分がなんとも情けない。

余談だが、ラストのおまけの印象は「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」のラストのイウォークのお祭りに、「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 特別篇」になって、コルサントのお祭りが挿入されたような印象を受けた。

本作の尺はなんと99分。
「星を継ぐ者」は95分、「恋人たち」は98分、計292分(4時間52分)
「機動戦士ガンダム」三部作は、137分、134分、141分、計412分(6時間52分)

なんと結果的には、「機動戦士ガンダム」三部作と比較して、2時間も短い訳だ。
この短さは、一体どう言うことだ!
なんとも釈然としないが、おそらく製作者側の問題ではないか、と勘ぐってしまう。

そして、この尺の圧倒的な短さが、作品としての完成度を下げ、かつ物語を破綻に導いているのだ。
また、前述のような、旧カットを無理やり引き伸ばして使っているのも同時に製作者側の問題だと思う。

物理的に出来ない、間に合わない、と言う製作者側のジレンマの結果、妥協して、妥協して、でっち上げたのが、本作「機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-」だったような気がしてならない。

尺の短さも、映像クオリティの低さも、圧倒的に製作期間が短かった所以だと思う。

これは、製作発表の時点で公開日が決まってしまう、日本映画全体の悪しき伝統が問題となっているのだと思うが、ちょっとぐらい時間をかけても良いから、お客様に自信を持ってお出しできるクオリティの作品を期待する。

新作カットのクオリティや、演出には見るべきものは多々あるのだが、総合的には良くないです。
演出力はあるのだから、もっと頑張っていただきたいと思う。

余談だけど、あんなに長尺の三部作を作ってもらったアムロは、非常に幸福だったと思うし、本作を観て思うのは、所謂ファースト・ガンダムの圧倒的な面白さの再認識である。

ファースト・ガンダムのテレビ・シリーズの打切りが決まってから、最終話までの流れは、神懸り的な奇跡と言って良いほどの力が結集した姿だと、今でも思う。
その奇跡を発揮させる気概が本作に欠けていたのだと思う。

「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」
http://diarynote.jp/d/29346/20041018.html
「機動戦士Zガンダム II−恋人たち−」
http://diarynote.jp/d/29346/20051018.html

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2006/05/13 東京池袋「シネ・リーブル池袋」で「間宮兄弟」を観た。初日。

東京、下町のとあるマンション。間宮兄弟はここで一緒に暮らしている。

兄、間宮明信(佐々木蔵之介)は、ビール会社の商品開発研究員。子供のころから色水を作るのが大好きで、いつかその水があまりに気に入り、飲んでしまい下痢が収まらず、病院に運ばれたこともあった。

弟、間宮徹信(塚地武雅)は、小学校の校務員になるため、真っ赤な顔をして汗をかきながら途方もなくたくさんの講習を受けた。そんな彼は、何かとことん落ち込んだり哀しいことがあると必ず新幹線の操作場に行く。彼は新幹線が好きなのだ。

野球観戦、ビデオ鑑賞、休日の昼寝、散歩、餃子じゃんけん、自転車、クロスワード・パズル、紙飛行機・・・・、彼らは自分たちの世界で、楽しく穏やかに何不自由なく暮らしている。

「この部屋でカレーパーティーやろうか」
ある日、徹信が兄に持ちかけるが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:森田芳光
原作:江國香織 『間宮兄弟』(小学館刊)
出演:佐々木蔵之介(間宮明信)、塚地武雅(間宮徹信/ドランクドラゴン)、常盤貴子(葛原依子)、沢尻エリカ(本間直美)、北川景子(本間夕美)、戸田菜穂(大垣さおり)、岩崎ひろみ(安西美代子)、佐藤隆太(浩太)、横田鉄平(玉木)、佐藤恒治(中華料理店のおじちゃん)、桂憲一(犬上先生)、広田レオナ(薬屋のおばちゃん)、加藤治子(お婆ちゃん)、鈴木拓(ビデオショップの店員/ドランクドラゴン)、高嶋政宏(大垣賢太)、中島みゆき(間宮順子)

本作「間宮兄弟」は期待に違わず、大変素晴らしい作品だった。

冒頭「アラビアのロレンス」のファーストカットを模したと思われるファーストカットから始まる新幹線操作場のシークエンスでわたしは既に涙をこぼしていた。

セリフ一つないシークエンスでしかないのに、その情景から、そして兄の些細な仕草から、兄の弟への愛情がひしひしと伝わってくる素晴らしいシークエンスだった。
これはおそらく、メディアに露出している「間宮兄弟」の予告編が既にわたし達観客の頭の中で「間宮兄弟」の仲の良さが、わたし達の「間宮兄弟」の思い出として昇華されている事によるものだと思う。

つまり、映画を観る前から、わたし達観客は愛すべき「間宮兄弟」の虜になっており、本作の予告編が、本編の伏線として機能している、と言う凄い構造の作品になってしまっていた。

本作の脚本・監督は森田芳光なのだが、本作「間宮兄弟」は、森田芳光の初期の作品を髣髴とさせるシーンが頻出していた点が非常に興味深かった。

例えば、兄弟(佐々木蔵之介、塚地武雅)が昼寝をしている時、マンションの外からはヘリコプターが飛ぶ音が聞こえ、そのしばらく後のシークエンスで商店街を兄弟が歩いている時、中華料理屋のおじちゃん(佐藤恒治)が葬式に向かっている途中で兄弟に声をかけている。

これは「家族ゲーム」(1983)のラスト、うたた寝をしている由紀さおり等の映像にヘリコプターの音がかぶる部分へのアンサーとなっているのだ。(そこでは、「家族ゲーム」の中盤に登場する戸川純の祖父がついに亡くなり、祖父の棺桶をヘリコプターでマンションから運び出すことを示していた)

また、新幹線で母(中島みゆき)の実家へ向かう兄弟のシークエンスは、自主制作時代の「水蒸気急行」(1976)を髣髴とさせる。
粒子の粗い映像が8mmフィルムを思わせ、また微妙にずれたアフレコが非常に楽しい雰囲気を醸し出している。
さらにカレーパーティのシークエンスでは「家族ゲーム」を髣髴とさせるカットがいろいろと出てくるし、兄弟が自転車に乗り東京都内を走るシークエンスは「の・ようなもの」そのものであろう。

そう考えた場合、本作「間宮兄弟」は、図らずも巨匠になってしまった森田芳光の原点回帰とも言える作品なのではないか、と思える。

キャストは先ずタイトル・ロールの「間宮兄弟」を演じたふたりが素晴らしい。
佐々木蔵之介(間宮明信)は予想通りだったのだが、塚地武雅(間宮徹信/ドランクドラゴン)が予想以上に素晴らしかった。
と言うのも、お笑い芸人ではなく、きちんと俳優として演技をして、きちんと演出されていたのに好感を感じた。お笑い芸人としてのいやらしい気持ち(美味しいと言うこと)を抑え、アドリブを控え、脚本と演出通りに真っ当に弟役を演じ切っていたような印象を受けた。
前述の冒頭の新幹線操作場のシークエンスで既にわたしは彼ら「間宮兄弟」に骨抜きにされてしまうし、餃子じゃんけんも素晴らしいし、新幹線での旅や自転車に乗るシークエンスの質問合戦や薀蓄大会も素晴らしい。もちろん浴衣の着付けも良いし、昼寝、ベイスターズの応援、ビデオ鑑賞も素晴らしい。
そんな本気で遊ぶふたりの姿が最高に格好良いし、そしてその反省会が凄い、のである。
余談だが、反省会のシークエンスも自主制作作品のような作風を模している。

常盤貴子(葛原依子)は先生を演じている部分と、素の葛原依子を演じている部分とのギャップが良かった。
不登校生徒のメッセージを徹信が読んでいる際、ヘッドホンステレオで曲を聴いている表情が素晴らしかった。
ここは演出の勝利だと思う。不登校生徒のメッセージを読んでいる訳ではない常盤貴子の表情で、そのメッセージの感情を観客に伝える事に見事に成功している。
余談だが、常盤貴子のカレーライスの食べ方は「伊東家の食卓」の、カレー皿を汚さないカレーライスの食べ方であった。

また、沢尻エリカ(本間直美)と北川景子(本間夕美)の本間姉妹も非常にキュートで良かった。
今時のお嬢様方なのだが、その心根の正直さが顕著だった、と思う。
浴衣のシークエンスもシーソーのシークエンスも印象的である。
また、姉妹そろっての「断る!」のセリフや、妹のハグ等印象的なシーンがたくさんある。

ところで、物語は、観客の想像通りの物語が想像通りに展開するのだが、その展開が予定調和的な穏やかで真っ正直な物語が心地良い。

とにかく、本作「間宮兄弟」は、肉親への愛情がふつふつと感じられ、わたし達観客に対しても、普段断絶状態だとしても、自分達の肉親への愛情を思い出させる機能を持った、素晴らしい作品だと言える。

アルファー波、出っぱなしの穏やかで爽やかな作品なのだ。
是非劇場で観て欲しい、と思う。

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2006/05/04 東京板橋「ワーナーマイカル・シネマズ板橋」で「ブロークン・フラワーズ」を観た。

独身をつらぬくドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)は、一緒に暮らしていたシェリー(ジュリー・デルピー)にフラレたばかり。かつて多くの女たちと恋をし、しかも一つも実ることのなかったドンにとって、勝手気ままな独身生活は長年の習い性になっていた。シェリーはそんなドンに愛想をつかし、家を出てしまう。その時、一通のピンク色の封筒がドンのもとに配達される。封筒の中には、ピンク色の便箋。タイプライターの赤い印字はこう告げていた。

人生ってフシギないたずらをするものね。
あなたと別れて20年が経ちました。
息子はもうすぐ19歳になります。
あなたの子です。
別れたあと、妊娠に気づいたの。
現実を受け入れ、ひとりで育てました。
内気で秘密主義の子だけど、想像力は豊かです。
彼は二日前、急に旅に出ました。
きっと父親を探すつもりでしょう・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:フレデリック・エルムズ
出演:ビル・マーレイ(ドン・ジョンストン)、ジェフリー・ライト(ウィンストン)、シャロン・ストーン(ローラ)、フランセス・コンロイ(ドーラ)、ジェシカ・ラング(カルメン)、ティルダ・スウィントン(ペニー)、ジュリー・デルピー(シェリー)、クロエ・セヴィニー(カルメンのアシスタント)、アレクシス・ジーナ(ロリータ)、マーク・ウェバー(ザ・キッド)、ホーマー・マーレイ(ギッド・イン・カー)

賛否両論の「ブロークン・フラワーズ」だが、わたし的には、大変良い映画を観た、と言う気持ちでいっぱいである。

余談だが、わたしの近くにいた女性客たちは、映画が終わった瞬間にドンの息子が誰だったのか、と言う激論を交わしていた。
と言うのも、本作には意味ありげに登場する青年がたくさんいるのだ。
余計なお世話だが、このような作品を楽しむには、映像と音楽に身を任せるのが一番である。

ドンの息子なんて誰でも良いのだ。
ドンの息子が誰だったかと考える事が無意味に思える、そんな素晴らしい作品に仕上がっている。

先ずはオープニング・タイトルが最高に良い。
女性の手がポストにピンクの手紙を落とし込み、そのピンクの手紙が、集配され、分類され、長い長い旅をして、ドンの許に届くまでを丹念に描写している。
ベクトルは異なるのだが、「サンダーバード」の発進シークエンスもびっくりの出来である。

そして、ビル・マーレイ(ドン・ジョンストン)の仕草が最高にキュートである。最近ノリに乗っているビル・マーレイのキュートな姿を満喫なのである。
また、ジェフリー・ライト(ウィンストン)からの指示に対するリアクションと言うか、何もしない間と言うか、そんなレスポンスのタイミングも最高だし、ドンが旅に出てからの音楽(「エリザベスタウン」と同じ趣向でウィンストンがドンに送ったCD)も良いし、旅の途中のちょっとしたカットも素晴らしい。
また、例えば飛行機の中の出来事や、レンタカーをかりる際の出来事のように、エピソードが中途半端な状態で切れる短いシークエンスも余韻が楽しめてよろしい。

また、謎の青年達の登場も良いし、勿論作品を彩る古今東西の女優たちも素晴らしい。
ルックスが若干微妙な状況の方も中にはいらっしゃるが、スクリーンで彼女ら往年の女優たちを見る事が出来るのは、素晴らしい体験でもある。
また、それに対して若手女優たちの魅力的なシークエンスも色とりどりである。

ところで、監督についてだが、本作「ブロークン・フラワーズ」を眺めてみると、ジム・ジャームッシュの作品の中で非常にストレートで非常にわかりやすい作品に仕上がっているような印象を受ける。ジャームッシュの作品の中で本作は、誰でも楽しめるような娯楽性が高い作品だと思う。

とは言うものの、やはり本作は、観客を選ぶ作品である事は、賛否両論の状況を見ると、明らかであるだろう。

ハリウッドの大作娯楽作品に飽きた人には、是非劇場で観ていただきたい作品の一本である。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

余談ですけど、ラスト近辺の車からドンを見る青年は、なんとビル・マーレイの実の息子ホーマー・マーレイである。

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2006/05/10 東京九段下「九段会館」で「タイヨウのうた」の試写を観た。

雨音薫(YUI)、16才。学校に行かず、夜になると駅前の広場で歌い続ける毎日。彼女は、太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という病気を抱えていた。昼と夜の逆転した孤独な毎日。彼女は歌うことでしか生きていることを実感できないのだ。そんな彼女の秘密の楽しみ、それは、彼女が眠りにつく明け方からサーフィンに向かう孝治(塚本高史)を部屋の窓から眺める事だったが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:小泉徳宏
原作・脚本:坂東賢治 『タイヨウのうた』(ソニー・マガジンズ刊)
出演:YUI(雨音薫)、塚本高史(孝治)、麻木久仁子(薫の母、由紀)、岸谷五朗(薫の父、謙)、通山愛里(美咲)、田中聡元(晴男)、小柳友(雄太)、ふせえり、小林隆、マギー、山崎一

いつも言ってる事だが、作品本編に入ってるカットは、作品にとって必要なカットだけである。逆に言うと不必要なカットが作品本編に残っていてはいけないのだ。
そして、本編に残っているカットには全て、明確なあるいは暗喩的な意味があり、そのカットの存在には演出家サイドから見れば明確な演出意図が絶対的に必須なのである。

本作「タイヨウのうた」を観て驚いた。
恐るべきカットが入っていたのだ。

薫が鎌倉駅前の公園でストリート・ライヴを行うシークエンスの冒頭、薫は公園の地面に落ちているタバコの吸殻を足で掃くように自分の周りからよけ、自分が歌うスペースを作るのだ。

これは一体どう言うことだ?

実際問題としては、脚本が悪いのか演出が酷いのかはわからないが、このシークエンスを普通に解釈すると、「薫は、自分がよければ、他人にいくら迷惑をかけても構わない人間である」ということを意図的に明確に描写していることになるではないか。

そんなキャラクターの歌に誰が感動するのか?

一般のストリート・ミュージシャンは、演奏する前に、自分のステージであるストリートを掃除するところからスタートするものなのだ。人によっては掃除道具を持ってストリートに出てくるストリート・ミュージシャンもいる位である。

もし、前述のシークエンスが、薫のことを誰も見ていない、誰もいない夜の公園で、薫が落ちている吸殻を拾い集めゴミ箱に捨て、その後で歌を歌いはじめたとしたら、観客にどういう感動を与えることが出来たであろうか、そしてラストの孝治が吸殻だらけの公園の中でCDを聴いていたとしたら、どんな感動を観客に与えることができただろうか。

そう考えると、タバコの吸殻のシークエンスの演出意図には、大きな疑問を感じてしまう。

仮にこのシークエンスを、例えば好意的に「伏線だったのだ」ととらえ、「以前は他人に迷惑をかけることなんてお構いなしだった少女が、孝治と出会い、触れ合うことによって、他人のことを思いやる少女に変貌した」と言うのであれば脚本的に充分許容範囲だと思うのだが、その伏線の回収が行われていないのだ、と言うか、伏線の回収としては、ラスト近辺のシークエンスで、公園でCDを聴く孝治の足元に散らばるタバコの吸殻なのである。

監督はふざけているのか?
そんな印象をすら受けてしまう。

些細な事だと思うが、神はディテイルに宿るのである。
あのシークエンスで激怒した観客は、エンド・クレジットまで怒りっぱなしだろうと思う。

さて、キャストだが、YUIは残念ながら大根だと言わざるを得ない。
冒頭、彼女の最初のセリフ「あっ!」を聴いた瞬間に否な予感がしたのだが、それは見事に的中してしまった。

あのカットは別にセリフなんかいらないカットである。ただ、「あっ!」と言う表情をすれば充分に観客に伝わるシークエンスなのだが、演出がそれを理解していないのか、脚本通りにYUIに喋らせてしまったような印象を受けた。
YUIのセリフには「あっ!」とか「うん」と言ったセリフが多く、ニュアンスではなく、脚本に書かれているセリフを読ませている、と言う様な印象を受けた。だとするとYUIの演技は演出サイドの問題だという事になる。

もちろん、ミュージシャン(アーティストではなく)が主演女優として演技をしているのだから、と割り引いて見ることも可能だが、YUIではなく普通の俳優が薫を演じていたら、と思えてならない。

他のキャストは、塚本高史にしろ、麻木久仁子にしろ、岸谷五朗にしろ、通山愛里にしろ曲者が揃い、それぞれ良い味を出していたし、それぞれの見せ場を見事に演じきっていた。

脚本は、前述のタバコの吸殻以外のシーンは概ね問題なく、逆に細かいセリフのやり取り、−−例えば岸谷五朗と通山愛里のやりとりや、塚本高史が告白するシークエンス−−については、非常にユーモラスで面白い効果が出ていた。

演出については、件のタバコの吸殻のシークエンス以外は順当で、若い監督にしては逆に演出力があるような印象を受けた。
クレーンの使いすぎのような気もするが・・・・。

と考えた場合、大人の事情で口出しが出来ない状態で、脚本に書かれていたタバコの吸殻のシークエンスが残ってしまった、と監督に好意的に解釈する事も可能であろう。

メインプロットは、所謂「難病モノ」で、テイストは長めのYUIのプロモーション・ビデオのような印象を否定できないが、音楽好きとしては、楽曲に泣かされてしまう。

未成熟で子供っぽいヴォーカルではあるが、そんなヴォーカルに騙されて涙をこぼしちゃう自分が情けない。

演奏シーンは概ね素晴らしく、音楽の力を充分に感じられる作品に仕上がっている。
と言うか、YUIのプロモーション・ビデオとして制作されてしまっている感が否定できない。

とりあえず本作「タイヨウのうた」は、音楽好きでちょっと泣きたい人、XPに関心がある人、YUIが好きな人、塚本高史が好きな人には充分オススメ出来る普通の作品だと思う。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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2006/05/01 映画の日 東京池袋「シネ・リーブル池袋」で「かもめ食堂」を観た。

夏のある日、ヘルシンキの街角に「かもめ食堂」という小さな食堂がオープンしました。その店の主は日本人の女性サチエ(小林聡美)でした。道行く人がふらりと入ってきて、思い思いに自由な楽しい時間を過ごしてくれる、そんな風になればいい、そう思ったサチエは献立もシンプルで美味しいものをと考え、かもめ食堂のメインメニューはおにぎりになりました。ホントはおにぎりにはちょっとだけサチエのこだわりがあったのでしたが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:荻上直子
原作:群ようこ「かもめ食堂」(幻冬舎刊)
出演:小林聡美(サチエ)、片桐はいり(ミドリ)、もたいまさこ(マサコ)、ヤルッコ・ニエミ(トンミ)、タリア・マルクス(リーサ)、マルック・ペルトラ(マッティ)

世の中にはごく稀に、奇跡のようなキャストが揃う作品がある。
本作「かもめ食堂」は、そんな奇跡のような作品のひとつだと言える。
小林聡美はともかく、片桐はいりともたいまさこがキャスティングされたことは、正に奇跡、正に凶悪なキャスティングだと言えよう。

彼女らの存在感は素晴らしいものがあり、三者三様の空気感が渾然一体となり、穏やかで爽やかな、まるで作品全体がアルファー波で満ちているような印象すら受けてしまう。

その三者三様の空気感のベクトルは全く方向性が異なるのだが、異なるベクトルが合成され無になっているような印象を受ける。

とは言うものの、本作の脚本は、自らで物語をつむぐのではなく、彼女らの存在感に頼り切っているような印象を受ける。

個々のエピソードは面白いし、感銘を受ける事も多々ある。しかしながら、作品全体を見ると、どうにも釈然としない印象を受ける。

本作のような作品に、作品としての完成度を求めるのは、もしかしたら酷な話なのかもしれないが、本作は雰囲気だけの作品だと評価されるには惜しい作品だと個人的には思うのだ。

先ずは、誰も客が来なかった食堂に客が来るきっかけとなるシナモン・ロールが良くない。
わたしは趣味でパンを焼くので、シナモン・ロールの作り方、−−特に小指の使い方−−、を描写していたのは非常に興味深かったが、サチエを血の通ったキャラクターにするためには、おにぎりで客を呼ぶべきだった、と本気で思う。

客にとっての、ただの食事だったおにぎりには、サチエにとってはこんな思い出が・・・・、と言う方が脚本的には感動的だったと思う。

とは言うものの、ダメ映画かと言うとそうでもなく、非常に印象深い、爽やかで穏やかな感動を与えてくれる素晴らしい作品だと思う。

と言うのも、荻上直子(監督・脚本)のグダグダのテンポ感が、フィンランドの背景や空気とピッタリとマッチした印象を見事に観客に与えているのだ。

少なくとも日本食への関心を充分に喚起する作品に仕上がっているし、スロウ・ライフ、ロハスな生き方に共感する人々にもオススメの作品かと思う。

また特筆すべき点は、出てくる料理が全て美味しそうに見える点だろう。これは非常に稀有な事だと思う。
その点から考えるに照明が素晴らしい仕事をしていたのだと思う。限りなく自然光に近い照明により、料理が自然な色合いに見せているのであろう。

全くの余談的な個人的な印象だが、デヴィッド・リンチの「イレイザー・ヘッド」が終わった瞬間、頭の中がノイズから開放され、膨張するような感じ、こめかみの外部からの圧迫感を内側から押し広げているような感触、頭が膨らんでいくような感触を感じさせてくれる作品だったような気もする。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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わたしの家には小さいながらも芝生の庭がある。
しかし、芝生の手入れをほとんど行わないわたしの庭の芝生は、ボーボー状態の大変な状況であった。

そんな中、とある筋から「ロータリー・トリマー草刈機」を入手したわたしは、2006/05/04を芝生手入れの日と位置づけ、朝からドタバタやっていた。

先ずは芝生の手入れである。
件の「ロータリー・トリマー草刈機」を使用し、伸びすぎた芝生と雑草を刈った。
「ロータリー・トリマー草刈機」は概ね期待通りのものだったのだが、その後、刈った芝生や雑草の断片を「レーキ」で集めるのだが、その「レーキ」の作業が大変で、何十回、何百回と芝や雑草の断片を集めるうち、わたしの両腕はパンプアップし、パンパンになってしまった。

その後、パンパン状態のまま、今年の家庭菜園の準備をした。
今年のわたしの家庭菜園は、プチトマトと黄色いプチトマト、枝豆、インゲン、ゴーヤの5種類の苗にした。

で、驚いたのだが、昨年の収穫の後、放っておいたプランターのひとつになんと、アリが巣を作っており、大変な状況になっていた。
アリには悪いが、プランターの土を全て脇に捨てた。
捨てた土はまるでアリ塚のような状況になってしまった。

そして、苗をいくつかのプランターに植え、水をやり、庭の後片付けを行った。

と、言うわけで、わたしは、腕がパンパンのまま一日を終えようとしている。恐るべし芝生よ。

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2006/05/03 地元のスーパーで、「ニンテンドーDS Lite」の抽選販売がある、ということで行ってみた。

わたしは比較的強運の人なので、多分当選すると思っていた。
で、10:15の時点で並んでいる人に整理券を配付する、ということだったので、抽選券をもらえるギリギリの時間10:00に会場入りした。

抽選整理券配付会場は親子連れ、友人連れで少しでも確率を上げようとする人々が多数集まっており、その結果抽選が開始された時点では、ひとりで複数枚の抽選整理券を持って抽選に望んでいる人がたくさんいた。

わたしは前日から何人かの友人に声を掛けたのだが、誰も応じてくれず、仕方なくひとりで会場へ向かうこととなった。

本日の「ニンテンドーDS Lite」の発売数は101個。
で、配付された抽選整理券の数は、380枚程度。
と言う訳で、実際の当選確率は26.6%程度。

で、結局のところ、想像通り当たりました。

まあ、そんなところで今日はDS三昧だったのですが、今日のところ面白かったのは、複数台のDSで「ピクトチャット」を利用した「お絵かきしりとり」が面白かった。

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2006/04/16 東京神保町「一ツ橋ホール」で「小さき勇者たち〜GAMERA〜」の試写を観た。

1973年伊勢志摩。
突如現われたギャオスの襲撃に人類はなすすべがなかった。
唯一ギャオスに対抗できるガメラはギャオスに対し捨て身の攻撃に出た。ガメラの攻撃で救われた人々は歓喜に沸いた。
しかし、その人々の中に、釈然としない表情の少年がいた。

2006年。
美しい海辺が広がる伊勢志摩地方。
事故で母を失った相沢透(富岡涼)は、食堂を経営する父・孝介(津田寛治)と二人暮らし。
隣の真珠店の娘・西尾麻衣(夏帆)は、母親を亡くした透の面倒を見たりしていた。

そんなある日、透は浜辺で赤い石の上に乗った小さな卵を見つける。手に取った瞬間、卵にヒビが入り、中から小さな亀が誕生した。透は、その亀を「トト」と名づけてかわいがり、母のいない寂しさを紛らわせていた。

その頃、伊勢湾では、海難事故が続発していたが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:田崎竜太
脚本:龍居由佳里
特撮演出:金子功
出演:富岡涼(相沢透)、津田寛治(相沢孝介)、夏帆(西尾麻衣)、寺島進(西尾治)、奥貫薫(西尾晴美)、田口トモロヲ(一ツ木義光)、石丸謙二郎(雨宮宗一郎)

はっきり言って、わたしは「小さき勇者たち〜GAMERA〜」にあまり期待していなかった。
子供向け作品として誕生した昭和のガメラシリーズから、現在のような大人の鑑賞に堪えうる平成ガメラシリーズへと昇華していったシリーズを、再度子供向けの作品へと変貌させようとしているのではないか、と勘ぐっていたからである。

しかし、
冒頭の1973年のシークエンス。
暗闇の中、飛び交うギャオスの群に、わたしは劇場の座席に正座せんばかりに興奮した。

こりゃ、大化けかもよ。
眠たかったわたしの意識は見事に覚醒してしまった。

結果、本作「小さき勇者たち〜GAMERA〜」は、若干問題はあるものの、大変素晴らしい作品に仕上がっていた。
興行はともかく、特撮映画としては、「HINOKIO/ヒノキオ」以来の傑作の予感を感じてしまう。

先ずは脚本が面白い。
勿論、作品としてのメインのターゲットが子供たちと言う事もあり、複雑なもの(例えば自衛隊の介入やそこから派生する問題、またガメラは善か悪か、人の生き死にに対する問題提起等)はないし、非常にわかりやすいベタな構成を取っている。
大人の鑑賞に堪えうるか、と考えた場合、その辺に若干問題を感じるが、不問にする。

そして、1973年のギャオス襲来事件を物語世界の中の事実として脚本に盛り込んでいる点が非常に良かった。
もちろん脚本にふくらみが出てくるし、運命的なプロットの導入にも成功している、と言えよう。

そんな作品世界の中のキャラクターは、比較的類型的で、俳優たちは見た目通りのキャラクターを観客が想像する通りに演じ、わかりやすい印象を受けた。

例えば、マヌケな政治家を田口トモロヲが好演すれば、寺島進は役者人生の中で初めてではないかと思えるような好人物を楽しげに演じている。

そして一番驚いたのは美術が大変素晴らしかったことである。
透の生家「あいざわ食堂」の外見は、やりすぎの感は否めないが、透の部屋や秘密基地の造形は素晴らしいし、また特筆すべき点は、市街地を廃墟にしたセットは近年稀に見る素晴らしいものだった。
ラスト近辺でコンクリートの塊が風に煽られ揺れたカットがあったが、例えばわざわざ海外で渋谷の廃墟のセットを組んだ「ドラゴン・ヘッド」なんかと比較できないほどの素晴らしい廃墟感(怪獣に襲われた街としての)が出ていた。
怪獣の襲撃が全て昼間であることも良かったと思う。
誰が何をやっているかわからない夜間の襲撃ではなく、昼間の襲撃を物語のメインに持ってきたあたりに好感が持てる。

ただ、最大の問題点はガメラのデザインだと思う。
かわいい顔の怪獣では、怪獣映画としては失格だと思う。
かわいくない、恐ろしい姿のガメラに少年たちが愛情を注ぐところが、物語のキモであり、それがカタルシスを生むと思うのだ。わたしはそんなガメラが見たかった、と思う。
本作はある意味、異形と人間の感情の交流の物語なのだから、感情移入を拒む姿が必要だと思うのだ。

本作「小さき勇者たち〜GAMERA〜」のガメラの造形が平成ガメラの系譜を継ぐものだったら、どんなに素晴らしかっただろうか・・・・

余談だが、美しい海辺が広がり、坂が多い伊勢志摩地方をロケ地に選び、また美術に凝った画面作りをしている、また少年少女を描いていることから、あたかも大林宣彦の作品を見ているような印象をも受けた。

特撮作品あがりの監督である田崎竜太にしては、怪獣のシークエンスはともかく、文芸作品並みの演出には驚かされた。
もしかしたら、今後が楽しみな監督かもしれない。

とにかく、本作「小さき勇者たち〜GAMERA〜」は、全ての映画ファンに、観て欲しいと思った。
ダマされたと思って、是非劇場に足を運んで欲しい。

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2006/04/03 東京竹橋「科学技術館サイエンスホール」で「美しき運命の傷痕」の試写を観た。

現代のパリ。
22年前に父親をある出来事によって失った三姉妹。美しく成長した彼女たちは、いまそれぞれに問題を抱えている。

写真家の夫ピエール(ジャック・ガンブラン)との間に二人の子供がいる長女ソフィ(エマニュエル・ベアール)は36歳。彼女は夫の浮気を確信していた。

三女のアンヌ(マリー・ジラン)は聡明で魅力的な大学生。彼女は大学教授フレデリック(ジャック・ペラン)と不倫関係にあった。

体が不自由で口がきけなくなった母親(キャロル・ブーケ)の世話を一手に引き受けている次女のセリーヌ(カリン・ヴィアール)は32歳。彼女はある日セバスチャン(ギョーム・カネ)という魅力的な男性に声をかけられる。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ダニス・タノヴィッチ
原案:クシシュトフ・キエシロフスキー、クシシュトフ・ピエシェヴィッチ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ
出演:エマニュエル・ベアール(ソフィ)、カリン・ヴィアール(セリーヌ)、マリー・ジラン(アンヌ)、キャロル・ブーケ(母)、ジャック・ペラン(フレデリック)、ジャック・ガンブラン(ピエール)、ジャン・ロシュフォール(ルイ)、ミキ・マノイロヴィッチ(父)、ギョーム・カネ(セバスチャン)、マリアム・ダボ(ジュリー)、ガエル・ボナ(ジョセフィーヌ)、ドミニク・レイモン(ミシェル)

冒頭、タイトルバックが秀逸である。
万華鏡越しのような映像の中、カッコウが他の鳥の巣に卵を産み、いつしかその卵が孵り雛になり、他の卵を巣から落し続ける姿を執拗に映し続ける。

わたしの心は期待で高鳴った。

前半部分。
三姉妹のそれぞれの日常が控えめに丹念に描写される。
明確な出来事が起こらない前半部分は、ともすれば退屈な印象を観客に与えかねない。

物語が動き出す中盤から後半にかけては、非常に面白く、前半部分で語られた出来事が伏線となり、物語は一気に収束し、最後のすばらしいセリフで本作は幕を閉じる訳である。

実際のところ、様々な出来事が起き続けるような作品に慣れ親しんでいる観客の皆さんにとっては前半部分は退屈であり、もしかすると苦痛に感じるかも知れない。
が、終わり良ければすべて良し、苦痛を乗り越えてこそ、すばらしい物語が楽しめるのだ。

ところで、本作「美しき運命の傷痕」は、ポーランドの巨匠クシシュトフ・キエシロフスキがダンテの「神曲」に想を得て構想した三部作「天国」「地獄」「煉獄」のうちの「地獄」に当たる作品で、キエシロフスキの遺稿の映画化、と言うことである。

そう考えた場合、ジャン・ロシュフォールが演じたルイと言うキャラクターと彼の万華鏡が興味深い。

彼は毎日のように、万華鏡を覗き続け、良い絵柄が出来たと言って、母親(キャロル・ブーケ)の世話をするセリーヌ(カリン・ヴィアール)に万華鏡を覗かせる。

ここで製作者が言っているのは、三姉妹にとっての「地獄」とも思える出来事は、神の視点から見ると、万華鏡の中に一瞬だけ構築される絵柄に過ぎない、と言う事である。

ここで冒頭のカッコウのタイトルバックのシークエンスがより深い意味を持つことになってくるのだ。

役者は役者で皆さんすばらしいのだが、特に次女セリーヌを演じたカリン・ヴィアールが良かった。

あとは母親役のキャロル・ブーケである。
彼女のラストのセリフ(?)が大変すばらしい。

とにかく、本作「美しき運命の傷痕」はハリウッド大作映画に毒された観客の感性を正常な状態に戻す、一服の清涼剤、−−シニカルな清涼剤だが−−、のような働きをする作品である。
機会があったら、是非劇場に足を運んでいただきたい。
 
 
余談だけど、今回のポスターもそうなのだが、エマニュエル・ベアールが出演する作品のアートワークには、いつも同じような写真が使われているような気がする。

それは、「裸の肩越しにこちらを見るベアールの顔」である。
なんだか、いつもそんな感じのポスターを制作されているような気がする。

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「連理の枝」

2006年4月11日 映画
2006/04/05 東京九段下「九段会館」で「連理の枝」の試写を観た。

若き青年実業家ミンス(チョ・ハンソン)は、女性たちの憧れの的でありながらも、愛をゲームとしか思えず、しばらく楽しんではすぐ飽きる無意味な出会いを繰り返すだけだった。今日も二股がばれて女性から詰め寄られるが気にもしていない上に、運転の最中でも隣の女性ドライバーにアプローチをして、追突事故を起こしてしまう。親友のギョンミン(チェ・ソングク)に無理矢理、病院に連れて行かれる途中で、にわか雨で立ち往生しているヘウォン(チェ・ジウ)と出会う。水を跳ね上げてしまったお詫びに車で送ることを申し出たミンスは、早速ヘウォンを口説きはじめるが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:キム・ソンジュン
出演:チェ・ジウ(ヘウォン)、チョ・ハンソン(ミンス)、チェ・ソングク(ギョンミン)、ソ・ヨンヒ(スジン)、ソン・ヒョンジュ(医者)、チン・ヒギョン(看護士長)

本作「連理の枝」の構成は、前半部分のコメディパート、後半部分の悲劇パートと言うように完全な二部構成に分かれている。

前半部分のコメディパートは、20年前の少女マンガもびっくりのお約束でベタな展開が続く。
本作の予告編は、ご存知のように「難病モノの悲劇モノ」と言う印象を観客に与えて続けているのだが、実際のところそんな予告編と本編、特に前半のコメディパートとのギャップは、甚だ著しい。

そのギャップは悲劇を期待する多くの観客が、イライラするほどのベタなコメディに驚きである。

そして、後半の悲劇パートだが、比較的大きなミス・デレクションが楽しめるのだが、プロット的にはそれほど新しいものではなく、語り尽くされた感が否めない。

とは言うものの、携帯電話の機能を非常に上手く使った伏線が素晴らしい効果を与えている。
携帯電話で物語が始まり、携帯電話で物語を閉める、と言う構成は素晴らしいと思う。

また、同じシークエンスを異なった視点で見せる手法も素晴らしいと思った。

また、ミンス(チョ・ハンソン)のキャラクターが、ゲーム開発会社のCEOである、と言うのも非常に興味深い。
物語は古典的なモノなのだが、それを彩る舞台が、ゲーム業界や、映画業界、そしてふたりを取持つのが携帯電話である、と言う設定が興味深い。

キャストは、主役級の6人、チェ・ジウ(ヘウォン)、チョ・ハンソン(ミンス)、チェ・ソングク(ギョンミン)、ソ・ヨンヒ(スジン)、ソン・ヒョンジュ(医者)、チン・ヒギョン(看護士長)はそれぞれ素晴らしい。
とは言うものの、実際のところ主役のふたりより、他のキャストの方が良かったような気がする。

余談だが、本作「連理の枝」は日本のとある作品(滝田洋二郎作品)の影響を受けているような印象を受けた。

本作「連理の枝」は、予告編と本編の前半部分にギャップがあるものの、後半部分は結構泣ける作品かと思います。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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本書「ダーク・タワー1/ガンスリンガー」は、2005年12月から出版が始まった新潮文庫版「暗黒の塔」シリーズの第一巻であ。

この「暗黒の塔」シリーズ(全七巻)とは、言わずと知れた大ベストセラー作家スティーヴン・キングのライフ・ワークとも言える長大なダーク・ヒロイック・ファンタジーである。

本「暗黒の塔」シリーズの翻訳は、1992年4月に角川書店から池央耿訳で出版された「ガンスリンガー/暗黒の塔(1)」を皮切りに、「ザ・スリー/暗黒の塔(2)」(池央耿訳)、「荒地/暗黒の塔(3)」(風間賢二訳)、「魔導師の虹/暗黒の塔(4)」(風間賢二訳)と出版されていたのだが、第五巻以降は諸般の事情で出版されず、そのため日本中のスティーヴン・キングファンは、文字通り切歯扼腕状態で続刊を待ち続けていた。

そんな中、全七巻完結(原書)を受け、キング自身がシリーズ全体の統制を図るために手を入れた版を底本として、日本におけるスティーヴン・キング研究の第一人者風間賢二の手によって、新たに翻訳がなされ、出版元を角川書店から新潮社に移し、2005年12月から出版が始まった訳である。

旧版(角川書店版)「ガンスリンガー」の翻訳は、池央耿の手によるもので、その格調高く孤高で硬質な、−−あたかもやわなファンタジーファンを拒むような−−、文章は、キングファンの中でも賛否が分かれるところだったのだが、「暗黒の塔」シリーズの方向性を決定付けた、という事もあり、個人的には非常にすばらしい訳、文字通りの名訳だと思っている。

特に印象に残るのは、ローランドとコートの対決の際の問答の訳が身悶えするほどにすばらしい。

「若い者、汝、真剣なる目的をもってこのところへは来たりしか?」
「師よ、我は真剣なる目的をもって来たれるなり」
「父の家より追放されたる者なるや」
「いかにも」
「得手なる武器を携え来しや」
「いかにも」
「してその武器は」
「我が武器はデイヴィッド」
「汝、我と立ち会う料なるや」
「然り」
「ならば、抜かるな」

(「ガンスリンガー/暗黒の塔(1)」スティーヴン・キング著/池央耿訳/角川書店より引用)

原文は以下の通り。

"Have you come here for a serious purpose, boy?"
"I have come for a serious purpose, teacher."
"Have you come as an outcast from your father’s house?"
"I have so come, teacher."
"Have you come with your chosen weapon?"
"I have so come, teacher."
"What is your weapon?"
"My weapon in David, teacher."
"So then have you at me, boy?"
"I do."
"Be swift, then."

つづく・・・・。

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ドコモダケと言えばもちろんNTTドコモのキャラクターなのだが、そのデザインが非常に興味深い。

わたしは誰がこのドコモダケのデザインをしたのか知らないが、−−キノコ繋がりで村上隆かとは全く思わないが、−−そのデザインに海外の著名なキャラクターのデザインの影を感じてしまう。

それは何かと言うと、口の形である。

ところで、ドコモダケの家族は、

ショウガクドコモダケ
チュウガクドコモダケ
ムスメドコモダケ

チチドコモダケ
ハハドコモダケ

ジージドコモダケ
バーバドコモダケ

と言う三世代の構成となっている。
そしてその世代ごとに口の形のデザインが異なっているのだ。
 
 
具体的には、

ジージ、バーバには、真一文字の口の口角の部分に「*」に似た図案がデザインされている。

チチ、ハハの世代、そして、チュウガク、ショウガクの、真一文字の口の口角には「×」に似た図案がデザインされている。

ムスメは、何故か口の両脇に「リボン」があしらわれている。

この時点で、わかる人にはわかると思うのだが、ドコモダケのデザインに影響を与えていると思われる海外の著名なキャラクターは、ディック・ブルーナの「ミッフィー」である。

と、言うのも、「ミッフィー」の世界の住人の口のデザインは、

こども達は「×」で、

おとな達の口は「*」を横に倒した図案で描かれているのだ。

こりゃ、びっくりだ!
ドコモダケのモトネタは、なんとミッフィーだったのだ!
 
 
ところでわたしは「ミッフィー」好きである。
と言うか、ディック・ブルーナが好きである。

何故か、と言われると困ってしまうが、好きなものは好きなのだ。

そんな中で考えると、多分「ミッフィー」はアートだからだと思う。
平気で近代美術館に収蔵されていそうだし・・・・。
(ディック・ブルーナをフィーチャーした展覧会も、美術館も普通にありますけどね。)

あと、アートと言えば、意表をついているかも知れないが「アンパンマン」も凄いと思う。
ここで言っているのは、アニメーションではなく、絵本なのだが、絵本の原画を見たらみんな泣くぞ!

孤高でダンディなアンパンマンの姿に感涙なのだ!

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さて今日は、以前お話した「自主制作怪獣映画」のお話の続き。

前回のお話はこちら
「自主制作怪獣映画をめぐる冒険」
http://diarynote.jp/d/29346/20051226.html
 
先日のお話では、ビルを実写した背景にマスクをつけて、ビルの間(前景と後景の間)に怪獣がいるように見えるカットをつくるところまでのお話だったが、今日はCGI導入のお話。

さて、怪獣映画と言えば、なくてはならない映像として、戦闘機が怪獣を攻撃するカットがあげられる。

当初の予定では、戦闘機のミニチュアを撮影して、それを実写映像に合成しようかなと思っていた。

あんまり大きなミニチュアだとお金もかかるし、撮影も面倒なので、「チョコエッグ」のおまけの戦闘機みたいなものを編隊飛行させるつもりだった。

が、ある日ソニーから「六角大王」を買いませんか的なメールが届いた。

ところで、わたしの知り合いの中には、Poserの世界で著名な人がいたり、CGIの制作を生業としている人がいたり、某スタジオでCGIを制作している人もいたりしているのだが、往年の怪獣映画ファンとしては、自主制作怪獣映画へのCGIの導入には否定的なスタンスをとっていた。

なにしろ、飛行機のミニチュアには、ピアノ線があって然るべきだと思っているのだ。

とは言うものの、もちろん映画ファンとしてはCGIには関心がある訳で、ソニーからの「六角大王」買いませんかメールによると、VAIOユーザーだったかソニー・スタイル会員だったかの限定(?)で安価に「六角大王」が購入できるらしいことが書いてあったので、とりあえず買ってみることにした。

はっきり言って想像以上の可能性を秘めたソフトだった。

余談だが、ゲーマーの皆さんは、幾度となく所謂「クソゲー」をつかまされたことがあると思うのだが、そんな人々と同様に、簡単にたくさんのゲームを購入するわたしなのだが、ゲーム以外の実用ソフトを購入する際は、なぜかちょっと悩んでしまう。
何十、何百(嘘)という「クソゲー」を平気で買っているにもかかわらず、たった一本の実用ソフトの購入にビビってしまうわたしだったりするのだ。

ところで「六角大王」だが、これを有効に活用すると、自主制作で、つまりデスクトップ上で、ついでに非常に安価に、アニメーションと実写とを融合させることが可能になるのだ。

もちろん、マスク合成が必要だし、合成を前提とした画面構成が必要な訳だが、群を抜いて安価だと思う。

またまた余談だが、「ロジャー・ラビット」の試写の際、手塚治虫が「ボクはこれが見たかったんだ」と骨と皮になりながらも、目を夢見る少年のように輝かせていた写真が、当時の「フライデー」か「フォーカス」に掲載されたのだが、−−この写真は強烈に泣ける−−、頑張れば自主制作でデスクトップ上で、「ロジャー・ラビット」のような作品が製作されてしまう時代が到来している訳だ。

もちろん「惑星大怪獣ネガドン」や「スカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー」等の実例はあるのだが、「六角大王」のような安価なソフト一本で、それが実現してしまう環境が凄いな、と思えてならないのだ。
 
 
余談だが、CGI導入のもうひとつの動機としては、「グラン・ツーリスモ」のリプレイ画面のような映像を実写で撮る企画があり、そのテストとして、実写の道路にミニカーを合成しようとしていたのだが、それだったらCGIで合成してみようか、と言うものもあった。

何しろ、「六角大王」には1000点以上の3D画像のデータがついているのだ。
そり映像を実写に合成するだけでも、結構良い感じの映像ができちゃったりするのだ。

※ でかいこと言ってますが、今のところたいしたことはしていません。念の為。

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2006年夏、フジテレビ系スペシャル・ドラマとして、リリー・フランキーの「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」がドラマ化されるようである。

■主演:田中裕子、大泉洋、広末涼子
■原作:リリー・フランキー(扶桑社刊)
■脚本:土田英生
■企画:和田 行(フジテレビ)、小松純也(フジテレビ)
■プロデューサー:三浦寛二(カノックス)、三輪源一(カノックス)
■演出:西谷 弘
■制作:フジテレビ、カノックス

で、気になるのは、2006/02/29の報道によると、なんと広末涼子が「ボク」の彼女役でドラマに登場する、という事らしいのだ。

実はわたし「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」をまだちょっとしか読んでいない。
と言うのも、冒頭部分を読んでから半年くらい、ほったらかし状態なのだ。

そんなわたしが言う訳なので、もしかしたら間違っているかもしれないのだが、広末涼子演じる「ボク」の彼女は原作に出て来ているのだろうか。

一部報道によると、

ドラマ化にあたってフジテレビは、2人の関係をもう1つの角度から見つめる試みを決め、広末にその役割を託した。主人公の交際相手で、上京して同居する2人を見守り続ける女性を演じる。
闘病から死に至るまで「オカン」のそばを離れない「ボク」を精神的に支える存在として、原作で涙した読者にも新鮮な感動を届けるキーパーソンだ。

と言う事だから、おそらく原作には登場しないキャラクターをフジテレビがでっち上げ、広末に白羽の矢を立てた、と言うところだろうと、類推できる。

原作に登場しないキャラクターの登場と言えば、行定勲が監督した映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」の柴咲コウを思い出してしまう。

柴咲コウが演じたキャラクターは、「世界の中心で、愛をさけぶ」の物語に見事な矛盾と破綻とを与えることに成功していた、のを思い出してしまう。

もちろん大人の事情はあるのだと思うのだが、なんとかならなかったのだろうか、と言うより、穿った見方かも知れないが、行定勲は、柴咲コウのキャラクターを作品に入れることにより、物語が崩壊していく様を、確信犯的に演出したのではないか、と思えてしまう。

もうそろそろ大人の事情で、物語に必要ないものを物語にぶち込み、その挙句物語をぶち壊すような事はやめにして欲しいと切に思う。

将来の映画界、テレビドラマ界のことを考えると、短期的なヒットだけではなく、もちろん視聴率だけではなく、作品の質を向上させる努力が必要だと思うのだ。

広末涼子はどんな役回りを果たすのか、期待と不安が入り混じる、と言うか批判的な気持ちしかしない今日この頃である。

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2006/03/17 東京板橋「ワーナーマイカル・シネマズ板橋」で「THE 有頂天ホテル」を観た。

ホテルの責任者である副支配人新堂平吉(役所広司)の使命は、この大晦日を無事に終えること。しかしそんな彼をあざ笑うかのように、矢継ぎ早にトラブルが発生する。
コールガールのヨーコ(篠原涼子)はホテル内をうろつき回り、表には汚職国会議員・武藤田勝利(佐藤浩市)逮捕の瞬間を狙って報道陣が押しかけている。大物演歌歌手・徳川膳武(西田敏行)は部屋でごねているし、人に襲い掛かる凶暴なアヒル・タブダブ(声/山寺宏一)も出没しているらしいし、総支配人(伊東四郎)は行方不明になっている。

そんな中、別れた妻・由美(原田美枝子)が夫・堀田(角野卓造)と共にホテルに滞在していたのだが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・脚本:三谷幸喜
製作:亀山千広、島谷能成
撮影:山本英夫
美術:種田陽平
出演:役所広司(副支配人[宿泊部長]・新堂平吉)、松たか子(客室係・竹本ハナ)、佐藤浩市(国会議員・武藤田勝利)、香取慎吾(ベルボーイ・只野憲二)、篠原涼子(コールガール・ヨーコ)、戸田恵子(アシスタントマネージャー・矢部登紀子)、生瀬勝久(副支配人[料飲部長]・瀬尾高志)、麻生久美子(憲二の幼馴染・小原なおみ)、YOU(シンガー・桜チェリー)、オダギリジョー(筆耕係・右近)、角野卓造(堀田衛)、寺島進(スパニッシュマジシャン・ホセ河内)、浅野和之(武藤田の秘書・神保保)、近藤芳正(板東の息子・板東直正)、川平慈英(ウェイター・丹下)、堀内敬子(客室係・野間睦子)、梶原善 (徳川の付き人・尾藤)、石井正則(ホテル探偵・蔵人)、榎木兵衛(腹話術師・坂田万之丞)、奈良崎まどか(ホセのアシスタント・ボニータ)、田中直樹(飯島直介)、八木亜希子(飯島民子)、原田美枝子(堀田由美)、唐沢寿明(芸能プロ社長・赤丸寿一)、津川雅彦(会社社長・板東健治)、伊東四朗(総支配人)、西田敏行(大物演歌歌手・徳川膳武)、山寺宏一(ダブダブの声)

「THE 有頂天ホテル」の脚本は期待通り面白いし、役者の演技合戦も楽しい。
しかしながら撮影がよろしくない。

作品として、ワンシーン・ワンカットへのこだわりは評価できるのだが、何度も何度もリハーサルを重ねた役者をところどころ画面から外してしまったり、映画的なカタルシスを観客に与えるべき重要なカットの画面サイズが中途半端であったり、撮影には残念な点が多い。

そしてワンカット・ワンシーンの宿命として長回しを余儀なくされる訳なのだが、三谷幸喜は役者たちから良い演技を引き出すことに腐心するあまり、撮影された画面の構図等には手が行き届かなかったようである。

例えば後半部分の、YOUのステージのシークエンスでは、ワンシーン・ワンカットの手法ではなく、きちんと画面設計がされた本来の映画的手法で撮影されたならば、中途半端な画面サイズで撮影された本作よりも強烈な感動を観客に与えたに違いない、とわたしは思う。

さらに、動き回りながらセリフを言う役者をカメラが追いきれておらず、画面の外から比較的重要なセリフが聞こえてくるのはいかがなものかと思った。

また演出についてだが、例えば話す人が立ち上がる、前に出る、声を張る、と言った舞台的な演出が若干鼻についた。

そう考えた場合、本作「THE 有頂天ホテル」は舞台劇としてはすばらしい作品だとと思うのだが、映画としては、いささか問題点が残る作品だと思う。

とは言うものの、最近の日本映画では見かけることが少ない「グランド・ホテル形式」を文字通りホテルで実現したコンセプトは面白いし、複数の物語を並行した語る手法は十分評価に値するものだと思った。

ただ、せっかくの面白いコンセプトなのだが、幼稚な発想から生まれたと思われる幼児性の拘りが感じられる脚本が、ちょっと残念な印象を受ける。

ワールド・ワイドな戦略を考えた場合、大人の鑑賞に堪えうる作品として評価できるかどうか、微妙な位置に本作はあるのではないか、と思った。

つづく・・・・
一時保存です。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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今日、たまたま知り合いと「ドッグヴィル」について話した。

で、「ドッグヴィル」とは一体なんだったのかをつらつらと考えてみた。

一般的に「ドッグヴィル」はアメリカを批判している物語である、と言う事らしいのだが、わたしが思うにはそれは若干的外れのような気がした。

おそらく、多くの人は、ジェームズ・カーンが演じたキャラクターをアメリカのメタファーとして捉えているのだと思うのだが、そうした場合、ニコール・キッドマンが演じたキャラクターの存在に違和感が残ってしまう。

で考えたのは、「ドッグヴィル」に住む人々はわれわれ人類であり、ニコール・キッドマンが演じたキャラクターはイエス・キリストであり、ジェームズ・カーンが演じたキャラクターは神である。と言う事である。

非常に物語が明確に見えてくるような気がする。

神に人類の下へ遣わされたイエスが人類の罪を背負って処刑されなかったら、一体どうなってしまったのか。それを非常にシニカルな視点で描いたのが「ドッグヴィル」だったのではないか、そんな気がした。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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PSPソフト「ナムコミュージアムVol.2」を購入した。
で、比較的はまっているゲームは、かの「ドルアーガの塔」である。

「ドルアーガの塔」・・・・
思わずわたしは、あの熱かった日々のことを思い出してしまう。
 
 
わたしは中学生時代からデモテープの制作を行っていた。

はじめは、ダブルカセットのミキシングとダビング機能を利用した所謂「ピンポン」と言うテクニックでデモテープを制作していた。
そんな中わたしは新しいおもちゃを手に入れる。
当時のパソコンは同時に3音しか出せなかった時代に、なんと8音ポリフォニック・シンセサイザーが実装できるMSXパソコンがYAMAHAから発売されたのだ。
わたしはなけなしのお小遣いを全て投入し、ついでにローンまで組んで、そのMSXパソコンとFMシンセサイザ・ユニット、ミュージック・コンポーザーII(シーケンサーソフト)等を買い求めてしまった。

わたしのデモテープ人生に「打ち込み」時代が到来した瞬間である。

その後、わたしのデモテープ人生は、MTR、みゅーじくん等を経て、現在のDTM環境へと進化していくのだが、今日のお話は、MSXパソコンとダブルカセットを駆使していた頃の古き良き時代のお話である。
 
 
ところで、当時ファミコン・ブームの真っ只中にいたわたし達は、細野晴臣がナムコとのコラボレーションの形式でリリースした「ナムコ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」や「スーパー・ゼビウス」等のアナログ盤に狂喜乱舞し、ビデオ・ゲーム・ミュージックと言う音楽の新しいジャンルに酔っていた。

そんな中、電波新聞社から発売された「オールアバウトナムコ」と言う薄手の電話帳みたいな書籍には、ナムコが誇るゲーム・ミュージックの譜面がこれでもか!と言うほど掲載されていたのだ。

もちろんわたし達は、打ち込みに打ち込み続け、あらゆるナムコのビデオゲーム・ミュージックのデモテープを制作し続けた。

わたしの部屋に終日入り浸りの友人達が、順番に、また協力し合いながら譜面をどんどん打ち込んでいく・・・・

ところで、その「オールアバウトナムコ」の譜面には驚くべき事に効果音(SE)の譜面まで掲載されていたのである。

例えば、「クレジット音」とか「ギル歩行音」「剣抜き音」「呪文発射音」「呪文跳ね返し音」「鍵獲得音」「宝物獲得音」「スライム移動音」等々・・・・

わたしは驚愕した。

なんと、ただの効果音(SE)だとしか思っていなかった音は譜面で表現できる「音楽」だったのだ!

わたしは強烈に感動した。
凄い!凄すぎる!!
なんと効果音は作曲家の手によって作曲された「音楽」だったのだ!

わかる人にはわかると思うのだが、これ(効果音は音楽だった)は本当に凄い事で、わたしは、その凄い事にそれまで全く気付かなかったのだが、「オールアバウトナムコ」と言う書籍によってわたしはその凄い事に気付かされてしまったのである。

そしてその効果音(SE)の譜面は普段お目にかからないような音符で構成されていた。

旗がいっぱいついている、例えば64分音符とか128分音符がスラーやタイでたくさん繋がったような譜面によってそれらの効果音が構築されているのだ。

しつこいけど、凄すぎるぜ!!
 
 
一通りのナムコのビデオゲーム・ミュージックの打ち込みに飽きたわたしは、次のステップに進む。

ゲームの全ての音を再現してみようとしたのである。
題材は勿論「ドルアーガの塔」である。

先ずは背景となる音楽部分をMSXパソコンで制作した。

「クレジット音」×3
「フロアスタート」
「メインテーマ」
「フロアクリア」
「フロアスタート」
「ドラゴン」
「ゲームオーバー」
「ネームエントリー」

その背景にフロア毎の登場キャラクターに応じた効果音(SE)を入れていくのだ。
これは、シンセサイザーに複数の効果音を登録し、ダブルカセットのミキシング時にリアルタイムに鍵盤で入力していくことした。

例えば、スライムが登場するフロアなら「スライム移動音」でスライムを移動させ、「ギル歩行音」でギルがスライムに近づき「剣抜き音」でギルが剣を抜き、「剣振り音」でスライムを退治し、「剣しまい音」で剣をしまい、宝物を「宝物獲得音」でゲットし、鍵を「鍵獲得音」でゲット、「ゲートオープン音」でゲートを開ける。

正に気の遠くなる作業である。
しかしそれは、非常に楽しい作業でもあった。

このプロジェクトは、ただ単に「ドルアーガの塔」をプレイしながら音楽と効果音を同時に録音していけば、それで済むことなのだが、わたしは「オールアバウトナムコ」の譜面から全てを作り上げた訳なのだ。

熱いリビドーの迸りを感じてしまう。

ついでだが、そんなデモテープ作りに活躍した機器にはPSEマークなどついていない。

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2006/03/08 東京六本木「ブエナビスタ試写室」で「RENT/レント」を観た。

伝説のブロードウェイ・ミュージカル
待望の完全映画化!

本作「RENT/レント」の日本公開は2006年の4月G.W.の予定なのだが、わたしは今回一足先に本作を観る機会に恵まれた。

わたし的には最近劇場で時々かかる予告編を観ただけで既に号泣状態に陥ってしまっていたこともあり、本作「RENT/レント」に大しては、はっきり言って超弩級規模の期待をしていた訳だ。

事実、本日本作の本編を観たわたしは、オープニングの3分間で既に号泣状態であったことを告白せざるを得ないし、わたしは、何度も何度も訪れる嗚咽をこらえるのに必死だったし、エモーショナルなシークエンスの波状攻撃に翻弄されるわたしの涙腺は文字通り破壊寸前の状況だった。

そして、本作「RENT/レント」は映画ファン、音楽ファン必見の作品である、と言うよりは、最早「義務」と言っても良い程の素晴らしい作品に仕上がっていた。

本作「RENT/レント」のおかげで、最近観た傑作ミュージカル映画「オペラ座の怪人」はとうに影を潜め、本作は最早クラシックの風格を持つ、例えば「ロッキー・ホラー・ショー」や「ファントム・オブ・パラダイス」、「トミー」に並び称される作品になってしまったのではないか、と思えてしまう。

物語は、個人的に言うならば、ミュージカル版「セント・エルモス・ファイアー」という感じだと思う。

G.W.が待ち遠しい状態のわたしは、自宅に帰宅しその瞬間、北米版DVDを注文してしまった。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

レビューはG.W.頃かも・・・・

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