2006/03/02 東京築地「ソニー・ピクチャーズ試写室」で「エミリー・ローズ」の試写を観た。

怪死をとげた19才の女子大生エミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)の検視のため、ローズ家を訪れた医師は、異様な光景を目にすることになる。
そこには憔悴しきった家族と警察、そしてただならぬ態度のムーア神父(トム・ウィルキンソン)がいた。
検視の結果エミリーの死因は、自然死ではないことが判明、ムーア神父は警察に拘引されてしまうが、ムーア神父は保釈を拒否、裁判を望んでいた。

そんな中、新進気鋭の女性弁護士エリン・ブルナー(ローラ・リニー)は、ムーア神父の弁護を引き受けることになった。
エリンは、今回の「国民対ムーア」事件のようなセンセーショナルな事件を担当することにより、所属する法律事務所のパートナーの地位を狙っていたが・・・・。

監督:スコット・デリクソン
脚本:ポール・ハリス・ボードマン、スコット・デリクソン
出演:ローラ・リニー(エリン・ブルナー弁護士)、トム・ウィルキンソン(ムーア神父)、キャンベル・スコット(イーサン・トマス)、ジェニファー・カーペンター(エミリー・ローズ)、コルム・フィオール(カール・ガンダーソン)、ジョシュア・クローズ(ジェイソン)、ケン・ウェルシュ(ミュラー博士)、ダンカン・フレイザー(カートライト博士)、JR・ボーン(レイ)、メアリー・ベス・ハート(ブリュースター判事)、ヘンリー・ツェーニー(ブリッグズ博士)、ショーレ・アグダシュルー(アダニ博士)

本作「エミリー・ローズ」はエクソシズム(悪魔祓い)を題材にした作品の中で、「エクソシスト」(1973)以来はじめてと言っても良い位、科学と信仰とのバランス感覚に富んだすばらしい作品に仕上がっていると思う。

作品の構成は「国民対ムーア事件」(ムーア神父が悪魔に憑依されたというエミリー・ローズに悪魔祓いを行った結果、死に至らしめたとして過失致死罪で起訴された事件)の裁判の模様に、証人の証言と言う形態で、過去の事実(と思われるモノ)を挟み込み、徐々に真実(と思われるモノ)に迫っていく過程を丹念に描いているのだ。

この裁判の経過を描写する手法が作品としてすばらしく、科学のメタファーとしての検察側と、信仰のメタファーとしての弁護側の対決が非常に興味深く、我々観客には陪審員として作品に参加しているような印象を与えることに成功している。

また肝心のエクソシズムのシークエンスは、近年稀に見るほど本当にすばらしく、わたし的にはムーア神父の一挙手一投足に対し感動のあまり涙が出た程である。
ムーア神父とエリン(に憑依している悪魔)との舌戦で涙が出ちゃうくらいのすばらしいシークエンスに仕上がっていた、と言うことである。

信仰(物事を信じること)には確実に力があり、その力は確実に人を動かすことが出来るのである。

つづく・・・・


☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
と、言う訳で無線LAN環境を利用してPSPで書き込みをしてみる。

キーボードではなく、方向キーとボタンで文章を書くのは超大変です。
が、普通にWEBに接続できるのはたいしたものである。

文章が消えると泣きそうになるので、ここまで。
 
 

ここから先はPCです。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

「力道山」

2006年2月20日 映画
2006/02/20 東京有楽町「よみうりホール」で「力道山」の試写を観た。

監督:ソン・ヘソン
撮影:キム・ヒョング
美術:稲垣尚夫
出演:ソル・ギョング(力道山)、中谷美紀(綾)、藤竜也(菅野武雄)、萩原聖人(吉町譲)、鈴木砂羽(沖浜子)、山本太郎(葛西紘一)、船木誠勝(井村昌彦)、パク・チョルミン(キム・ミョンギル)、ノ・ジュノ(キム・イル/大木金太郎)、秋山準(遠藤)、橋本真也(東浪)、武藤敬司(ハロルド坂田)、マイク・バートン(ベン・シャープ)、ジム・スティール(マイク・シャープ)、リック・スタイナー(アトミック)、梶原しげる(実況アナウンサー)、マギー(ニューハバナクラブの司会者)
 
 
2006年公開予定である(と言っても既に国内版DVDはリリースされている)「風のファイター」(http://diarynote.jp/d/29346/20041108.html)にしろ本作「力道山」にしろ、ここに来て、日本人のかつてのヒーローであった大山倍達や力道山が実は在日朝鮮人だったことを明確に打ち出した韓国映画が次々と製作・公開されている。

勿論こんな映画が続々と製作されている韓国映画界における日本という国に対する政治的な暗喩もあると思うのだが、その辺りを含めて非常に興味深いと思う。

さて、本作「力道山」についてだが、本編はなんと149分と言う長尺なのだが、尺がほとんど気にならない程の大変面白い作品だった。
1940年代から1960年代の日本を再現する美術や衣装は素晴らしいし、その世界観で遊ぶキャストの皆さんも見ごたえがある。
「風のファイター」にしろ「力道山」にしろ、日本映画以上の日本らしさを醸し出す美術に舌を巻く思いである。

また色彩設計も素晴らしく、力道山の心象風景にダブらせているのか、年代ごとに色彩(彩度)が異なり、非常に効果的な印象を受ける。
特に力道山がアメリカから帰る頃の色彩には驚かされた。

キャストはなんと言っても藤竜也が良かった。
演技プランなのか演出なのかわからないが、藤竜也が演じた硬軟織り交ぜたキャラクターが大変素晴らしい。藤竜也ファンとしては彼の演技プランだと信じたいところである。

また、中谷美紀はこの作品次第では、ワールド・ワイドな活躍に期待できるかも・・・・、と思った。
何しろ、あのエピローグには見事に泣かされてしまった。

萩原聖人もまあまあ良かったと思うのだが、一部吹替えだったのではないか、と個人的には思えた。

ところで、レスラーの皆さんは皆さん大変良かった。

ボクシング映画は比較的多いので、大きなスクリーンでボクシングの試合を観る機会は多く、逆にプロレスリングを劇場で見る機会は少ないと思うのだが、プロレスって凄いな、やはりプロレスは必要なものなのだな、と言う印象を受けた。

つまり、昨今の打撃系格闘技や、関節系格闘技も良いのは良いのだが、やはりエンタテインメントとしてのプロレスにも存在意義は充分あると感じた。

とにかく本作は、時代を駆け抜けた一人の男の生き様と、それを見守る男たちと女たちを見事に描いた力作だと思うし、当時の日本の風物を見事に再現した美術も見応えがある素晴らしい作品である。
機会があれば、是非観ていただきたい作品である。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2006/02/09 東京有楽町「丸の内ピカデリー1」で「フライトプラン」を観た。

本作「フライトプラン」を観て、はっきり言って驚いた。
物語にではない、製作者の意図にわたしは驚愕してしまったのだ。

と言うのも、本作「フライトプラン」は、「フォーガットン」を映画の外にある伏線として利用してしまっているのである。

ところで皆さんは本作「フライトプラン」の予告編を覚えているだろうか、予告編が公開された瞬間から、「フライトプラン」は「フォーガットン」の二番煎じではないか、と言われてきた。
メインのプロットがそっくりではないか、と。

そうなのだ、「フライトプラン」の製作者は「フォーガットン」と類似するプロットを使用する事で、観客に対し凄まじいほどのミス・デレクションを仕掛けていたのである。

更に、主演女優の問題も興味深い。
本作「フライトプラン」の主演女優はもちろんジョディ・フォスターであるが、彼女は本作の製作に絡んではいないようだ。
と言うことはつまり、ジョディ・フォスターは製作者にわざわざキャスティングされた、と言うことなのである。

そして、「フォーガットン」の主演女優はジュリアン・ムーアなのである。

なんと彼女等はひとつの役柄クラリス・スターリングFBI捜査官を演じた間柄なのだ。

「フォーガットン」と「フライトプラン」では、同じ役柄を演じたふたりの女優が、子供がいなくなったと大騒ぎする母親を演じているのだ。
これはどう考えても偶然なんかではなく、どう考えても「フライトプラン」の製作者の確信的な犯行に他ならないのだ。

つまり、「フライトプラン」の製作者は「フォーガットン」と言う作品とジュリアン・ムーアと言う女優をだしに使っているのに他ならないのだ。

こんな凄い意図をもった企画をよくも通したものだ、とわたしは驚いてしまう。
余談だが、関心がある方は、製作のブライアン・グレイザーのかつての作品を調べてみると、製作者のベクトルが見え隠れして興味深いかも知れない。

おそるべし「フライトプラン」。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2006/01/31に「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第1部『さらば友よ』」を、2006/02/07に「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第2部『愛する者のために』」を見た。

2005年に「戦国自衛隊1549」と言うとんでもない作品があった。
そのとんでもない作品と同じ題材をどう料理するつもりなのか、怖いもの見たさなのだろうか、「戦国自衛隊・関ケ原の戦い」を見てしまった。
「戦国自衛隊1549」の失敗を受けて、同じ題材をどうするのか、非常に興味があった訳だ。

同作は、はっきり言ってダメなテレビムービーではあるのだが、「戦国自衛隊1549」と比較するとまだマシな印象を受けた。
と言うのも、同作ではタイムスリップした自衛隊員をある程度人間として描いているからである。

ところで「戦国自衛隊1549」の自衛隊員は銃を使う事を禁じられていた。
そしてまた過去に干渉する事にも禁じられていた。

これは日本の自衛隊がサマーワに銃器を使う事を禁じられた状態で派遣されている事への暗喩なのだが、これを娯楽作品として映画として考えた場合、そんなくだらない暗喩により、作品のプロットを消費してしまって良いのか、と思ってしまう。
せっかくの「戦国自衛隊」のリメイクのチャンスだと言うのに、銃器を封じた状態で日本の自衛隊を海外に派遣する事を決定した日本政府への批判を暗喩したって仕方がないと思うのだ。

そんなことより、戦国時代にタイムスリップした自衛隊員が人類としての本能のまま、殺戮、暴行、略奪を行う姿を描くべきだったと思うのだ。
一応念の為だが、わたしはここで暴力を肯定しているのではなく、人類の本能を描く事により、人間を描く事が必要だったのではないか、と思うのだ。

人類の本能たる暴力がない「戦国自衛隊」など、どこが「戦国自衛隊」なのだ、と言うことである。
そこには一切カタルシスなど存在し得ないのだ。

騎馬隊や弓隊、雑兵と対峙するヘリコプターや戦車を描かずに何が「戦国自衛隊」なのか、と言うことである。

一方、「戦国自衛隊・関ケ原の戦い」は、一応は過去への干渉などお構いなしに、自衛隊員は戦国時代の人々を殺しまくる。
その点で同作は、テレビのゴールデンの枠でありながら、自衛隊員による武士や雑兵たちの殺戮をめちゃくちゃに描いた事は非常に評価できるのではないかと思うのだ。

結局のところ、「戦国自衛隊」は熱いリビドーの発露だと思う。
ヘリコプターにぶら下がって銃を乱射する千葉真一のような描写が必要だと思うのだ。
リビドーの発露とその後のカタルシスがない「戦国自衛隊」など最早「戦国自衛隊」ではない。

因みに「戦国自衛隊・関ケ原の戦い 第2部『愛する者のために』」の監督は「戦国自衛隊」(1979)の監督でもある齋藤光正である。

セリフ「歴史は、俺たちに何をさせようとしているのか」とか、松村とおるの「戦国自衛隊のテーマ」が使用されていたのには驚いた。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2005/12/05 東京新橋「ヤクルトホール」で「オリバー・ツイスト」の試写を観た。

養育院で育った孤児オリバー・ツイスト(バーニー・クラーク)は、9歳になり自分の生まれた救貧院へ戻される。ここで麻屑作りの労働に従事するのだ。
しかし孤児に与えられる食事はほんのわずか。夕食の席で、おずおずとおかわりを求めたオリバーは、憤慨した救貧院の委員たちから追放処分を受けてしまう。

オリバーを引き取ったのは葬儀屋のサワベリー氏(マイケル・ヒース)だった。彼は美しく哀しげな表情をした少年が、葬儀のお供の役目に適任だと考える。しかしこの抜擢はもう一人の徒弟ノア(クリス・オバートン)の敵意を買い、亡くなった母親のことを侮辱されたオリバーは、怒りに震えノアを殴ってしまう。そしてサワベリー氏にやむなく鞭で打たれ、ついに家を飛び出してしまう。

行く当てのないオリバーは、道端に刻まれた「ロンドンまで70マイル」の文字を見て決心する。大都会ロンドンへ出れば運が開けるかもしれないと思ったのだ。

オリバーは7日間歩き通し、もう立ち上がる気力さえも尽きかけたとき、ようやくロンドン郊外までたどり着く。そんな彼に声をかけてきたのが、シルクハットをかぶり妙な身なりをした少年、ドジャー(ハリー・イーデン)だった。彼はオリバーにかすめとったパンを食べさせると、ただで泊まれるという裏通りにある家へと連れていく。そこはフェイギン(サー・ベン・キングズレー)の住まいだった。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ロマン・ポランスキー
原作:チャールズ・ディケンズ
撮影:パヴェル・エデルマン
プロダクションデザイン:アラン・スタルスキ
衣装デザイン:アンナ・シェパード
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:バーニー・クラーク(オリバー・ツイスト)、サー・ベン・キングズレー(フェイギン)、ハリー・イーデン(アートフル・ドジャー)、ジェイミー・フォアマン(ビル・サイクス)、エドワード・ハードウィック(ブラウンロー氏)、リアン・ロウ(ナンシー)、マーク・ストロング(トビー・クラキット)

本作「オリバー・ツイスト」は、チャールズ・ディケンズ原作の文芸作品でありながら、娯楽性に富んだ素晴らしいエンタテインメント作品に仕上がっている。

先ずは19世紀のロンドンを再現した卓越した世界観が素晴らしい。セットも衣装(アンナ・シェパード)も美術(アラン・スタルスキ)も大変素晴らしい。

CGI全盛のこの時代に、こんな流麗な一部の隙もないセットを構築した事は大いに評価できると思う。
是非、CGI全盛の映画界に対するアンチテーゼとして機能して欲しいと思うのだ。

そしてその素晴らしい世界観の中で嬉々として演技する全てのキャストが素晴らしい。
大人たちが演じたキャラクターは適度にカリカチュアライズされた様式美を持っているし、子供たちが演じたキャラクターは、カリカチュアライズされたキャラクターと比較すると明確に現実味を持っている、と言える。

キャストはなんと言ってもサー・ベン・キングズレーである。
素晴らしすぎる。正に最高なのだ。
これでアカデミー賞にノミネートされていないとは、一体どういうことなのか、と思ってしまう。
まあ、オーバー・アクト気味なのは否定できないが、近年まれに見る鬼気迫る怪演だと思う。

脚本は原作を料理するには尺が短い(129分/映画としては十分長い)せいか、若干走りすぎの感は否定できない。180分程度の尺でゆったり魅せて欲しかったような気がする。

音楽(レイチェル・ポートマン)は、明確なメロディを使用し、テーマ性を出しているのは良いのだが、若干鳴らしすぎのような印象を受ける。

本作「オリバー・ツイスト」は、ハリウッドの大作娯楽作品を見飽きた人に絶対的にオススメの素晴らしい作品だと思う。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2005/12/08 東京有楽町「有楽町朝日ホール」で「レジェンド・オブ・ゾロ」を観た。

時は1850年、カリフォルニアはアメリカ合衆国の31番目の州になろうとしていた。横暴な領主たちの支配から解放され、自由で平和な暮らしを手に入れるという人々の夢が、とうとう叶おうとしているのだ。最終的な結論はカリフォルニア全域で行われる投票で決定する。サンマテオでの投票では、暴力で富を手に入れようとする悪名高いジェイコブ・マクギブンス(ニック・チンランド)が手下を引き連れて妨害に現れた。

しかし、この地には悪を滅ぼすことに命をかける男、ゾロ(アントニオ・バンデラス)がいた!黒いマスクの下に素顔を隠し、今日も助けを求める協会の鐘の音が鳴り響けば、愛馬トルネードに跨り、どこからともなく現れる。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:マーティン・キャンベル
出演:アントニオ・バンデラス(ゾロ/アレハンドロ・デ・ラ・ベガ)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(エレナ・デ・ラ・ベガ)、ルーファス・シーウェル(アルマン伯爵)、ニック・チンランド(ジェイコブ・マクギブンス)、アドリアン・アロンソ(ホアキン・デ・ラ・ベガ)

本作「レジェンド・オブ・ゾロ」は前作「マスク・オブ・ゾロ」の正当な続編であり、また非常に楽しい娯楽作品に仕上がっている。

と言うのも、監督(マーティン・キャンベル)や撮影(フィル・メヒュー)、音楽(ジェームズ・ホーナー)、脚本( テッド・エリオット、テリー・ロッシオ)や、主演二人(アントニオ・バンデラス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が両作に関っていることもあり、前作のイメージそのままに安心して観ていられる、続編としては大変すばらしい作品だと思う。

更に、本作の構成は、前作の構成を踏襲し、オープニング・アクションの部分だけで、前作のワクワク・ドキドキ感が舞い戻り、いきなりトップ・ギアで物語が楽しめる、と言う構成が見事である。

特に前作のオープニングで、アンソニー・ホプキンス演じるゾロを助ける少年たち(後のバンデラス)とのシークエンスが、本作でのアドリアン・アロンソのシークエンスに置き換えられている部分が最高にすばらしく、更に本作の伏線としても良質である。

物語の視点は、前述のアドリアン・アロンソ(ホアキン・デ・ラ・ベガ)のそれであり、観客の多くはおそらくホアキン(アドリアン・アロンソ)に感情移入し、作品を眺める構造になっているのだが、その構成もすばらしく、その点からも多くの年代に受け入れられる作品に仕上がっていると言えよう。

アントニオ・バンデラスと少年の視点と言うとロバート・ロドリゲスの「スパイ・キッズ」シリーズが思い出されるが、本作は「スパイ・キッズ」シリーズとは異なり、音なの鑑賞に堪えうるぎりぎりのところで踏みとどまっている。
尤も「スパイ・キッズ」とはターゲットが異なるのは当然なのだが・・・・。

キャストはなんと言ってもアドリアン・アロンソ(ホアキン・デ・ラ・ベガ)である。
ちょっと小太りなルックスが最高にキュートで、彼が動く様はコミカルな方向のサモ・ハン・キンポーを髣髴とさせる。
動きもすばらしいし表情もすばらしい。例えばゾロの正体を知る部分の表情などは最高の瞬間を観客に提供している。

脚本は前作と比較すると、若干飛躍し過ぎで、リアリティの欠如感は否めない。現代人の感性で1850年代を舞台に書き上げたような印象を受けてしまう。

まあ本作は誰にでもオススメできる非常に楽しい娯楽作品だと言えるが、アドリアン・アロンソの発掘と言う意義はあるものの、それ以上の作品だとは思えない。
そんな楽しい娯楽作品の一本である。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
日本国内未公開作品「ショーン・オブ・ザ・デッド」の980円DVDを購入した。

イイ年して大人になりきれないショーン(サイモン・ペッグ)。
仕事をしない幼なじみのエド(ニック・フロスト)と同居、自分は電器店の店員として働いているもののヤル気はゼロで、なじみのパブ、ウィンチェスターに入り浸って生気のない暮らしを送っている。ついに恋人リズ(ケイト・アシュフィールド)にも愛想を尽かされ、落ち込んだ彼がしこたま酒を飲んで目覚めた翌朝・
いつの間にか、街はゾンビで溢れかえっていた!ショーンはクリケット・ラケットを武器にゾンビと応戦、愛する恋人、母親、友人たちを救うため、ヒーローとなって立ち上がるが・・・・。

監督:エドガー・ライト
脚本:サイモン・ペッグ、エドガー・ライト
出演:サイモン・ペッグ(ショーン)、ケイト・アシュフィールド(リズ)、ニック・フロスト(エド)、ディラン・モーラン(デヴィッド)、ルーシー・デイヴィス(ダイアン)、ペネロープ・ウィルトン(バーバラ)、ビル・ナイ(フィリップ)、ピーター・セラフィノウィッツ(ピート)、ジェシカ・スティーヴンソン(イヴォンヌ)

本作「ショーン・オブ・ザ・デッド」は日本未公開とは信じられない程の素晴らしい作品だった。

ところで、わたしはゾンビ映画が好きである。
特にジョージ・A・ロメロの「死霊のえじき」が大好きである。
ゾンビ・ファンはたくさんいると思うのだが、「死霊のえじき」をベストに推す人はあまり多くないのではないかと思う。

かつて『ロメロは「死霊のえじき」でホラーを哲学に高めた』と言われた「死霊のえじき」だが、わたしにとって「死霊のえじき」はセンチメンタリズムに満ちた感動の作品だったのだ。

一方「ション・オブ・ザ・デッド」はもちろんコメディと言う体裁をとっているのだが、実のところは最高にロマンチックで最高にセンチメンタルな素晴らしい作品に仕上がっているし、特に言えるのは、ロメロの「死霊のえじき」のバブのシークエンスにも匹敵する最高のエンディングにわたしの涙腺は破壊されるのだ。

そしてこのサイモン・ペッグとエドガー・ライトの脚本は「ゾンビ」シリーズに対する限りない愛情に満ち、「28日後・・・」はともかく、「ドーン・オブ・ザ・デッド」(2004)や「バイオ・ハザード」シリーズなんかより断然に面白い作品に仕上がっている。

こんな素晴らしい作品が劇場公開されないとは、日本の配給会社は何を考えているのか!

未公開のおかげで「ショーン・オブ・ザ・デッド」が2005年のベストテンに入らないじゃないか!

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

「サイレン」

2006年1月19日 映画
2006/01/18 東京六本木「VIRGIN TOHO シネマズ 六本木ヒルズ」で「サイレン」の完成披露試写を観た。

舞台挨拶は監督の堤幸彦、出演の市川由衣、高橋真唯、森本レオ、西山潤。

1976年、日本・夜美島(やみじま)。
嵐の夜、海は赤く染まり、謎のサイレンの音とともに全島民が突如消失した。
発見されたのは正気を失った一人の男・土田圭(阿部寛)のみ。
男は狂ったように同じ言葉を繰り返し唱えた。
「サイレンが鳴ったら外に出てはならない」

未曾有の怪事件の舞台となった夜美島だったが、年月と共に事件は闇に葬り去られ、再び新しい入居者を迎え平穏を取り戻しつつあった。

事件から29年後。
天本由貴(市川由衣)はフリーライターをつとめる父・真一(森本レオ)と弟・英夫(西山潤)と愛犬オスメントとともに夜美島に引っ越してくる。病気がちの英夫の転地療養のためだ。

島に到着した由貴たちを出迎えたのは、英夫の担当医になる青年医師・南田豊(田中直樹)だった。
由貴たちは南田の案内で島を巡り、新しい住まいにたどり着くが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:堤幸彦
脚本:高山直也
出演:市川由衣(天本由貴)、森本レオ(天本真一)、田中直樹(南田豊)、阿部寛(土田圭)、西田尚美(里美)、松尾スズキ(東)、嶋田久作(山中巡査)、高橋真唯(赤い服の少女)、西山潤(天本英夫)

本作「サイレン」は、演出や美術、世界観は評価できると思うし、ホラー的な描写も水準以上だと思う。
しかし、物語については、表層を見るとなんとなく奥が深そうに思えるのだが、実際のところは決して奥が深いわけではなく、まるで深みのある脚本に見せかけた物語の表層をなぞる、勢いだけのサイコ・サスペンス娯楽作品のような印象を受ける。

本作「サイレン」はもともとはビデオゲームだったと言うから、面白ければ、深みを感じさせるためには、パクリでも引用でも何でもあり、と言う様に様々な面白みや意外なプロットを盛り込んでいるのだが、突き詰めていくとそのプロットに一貫性が無く、脚本的にも大人の鑑賞に堪えうる納得の行くものではない。

大風呂敷を広げたは良いが、実際のところはどうなのよ、と言う感じである。

とは言うものの、ハリウッドの多くの娯楽作品同様、内容はイマイチだが勢いがあって楽しくて面白い、と言うような一般の娯楽作品と同程度には面白い作品に仕上がってはいる、と思う。
少なくても、一般の観客が、あぁ面白かったね、と言える水準は保っていると思う。

しかし、本作は「ロアノーク島」の事件をはじめとするいくつかの住民消失事件を枕詞にしている以上、脚本は住民消失事件についての論理的な回答と言う、ある程度の責任を果たさなければならない、と思うのは観客の当然の思いだと思うのだが、その論理的な回答が提示されない脚本は作品のスタンスとして、どうかと思う。

言い換えるならば、本作は「ロアノーク島」や「マリー・セレスト号」を引き合いに出している以上、「夜美島」事件と「ロアノーク島」や「マリー・セレスト号」事件の原因や謎になんらかの共通点や事件の同一性の根拠を提示するのは、製作者としての義務だと思う。
出来ないのならば「ロアノーク島」云々の枕詞を使わないで欲しいと思う。

あと松尾スズキが演じたキャラクターが、脚本全体の一貫性に影を投げかけている。(もちろん論理的な解釈は可能なのだが、観客に対してフェアではないような印象を受けた)

キャストは皆さん可もなく不可もなく、与えられた役柄を見事にこなしている。

余談だが、冒頭で「ロアノーク島」や「マリー・セレスト号」の消失事件が引用されるのだが、わたしはそれを見て笑いそうになってしまった。これらの事件の原因(謎)を突き止めるのかよ、または一つの解釈法を提示するのかよ、と。

また更に余談だが、天本家が飼っている犬の名前がオスメントと言うのにも笑わせていただいた。
てことは・・・・。と。

興行的にはおそらく堤幸彦と阿部寛との「トリック」路線と、堤幸彦のかつての作品もちろんビデオゲーム路線で広告宣伝を行うと思うのだが、いかんせんノンスター・ムービーであるから興行的には難しいのではないかと思う。

市川由衣や高橋真唯では客を呼べないだろう。

また作品のコンセプトはM・ナイト・シャマランの「ヴィレッジ」に似ているのも、興行的な面ではマイナス・ポイントになってしまうのではないかと個人的には思う。
わたしは「ヴィレッジ」は大好きな映画だが、多くの人々は「ヴィレッジ」を嫌っているようなので・・・・。

また本作は、脚本とプロットだけで観客を動員できる作品だとは、残念ながら思えない。

ホラー系の美術や演出に水準以上のものを感じるだけに、非常に残念な気がする。きちんと寒気が起きる演出がされていた。

こういった作品には先ずは論理的なプロットが必要なのだと思うのだ。

☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2006/01/12 東京中野「中野サンプラザ」で「スタンドアップ」の試写を観た。

なぜこんな男と結婚してしまったのだろう?夫の暴力に耐えかね、二人の子供を連れて家を出たジョージー(シャーリーズ・セロン)は、故郷の北ミネソタの町に戻ってきた。そこは古くからの鉱山の町。10代でシングルマザーとなり、今また父親の違う子供を連れて出戻ってきたジョージーに、周囲の視線は冷たい。『身持ちの悪い女』というレッテルを貼られ、父親(リチャード・ジェンキンス)からも信用されず、母のアリス(シシー・スペイセク)が繰り返すのは、夫とやり直すために辛抱しろという言葉ばかり。

しかし、ジョージーは殴られ続ける生活に戻るつもりはなかった。この土地で二人の子供を養って生きていくために選んだ仕事。それは町の男たちに混じって鉱山で働くこと。ベテラン鉱山労働者である父は猛反対し、父娘の溝はさらに深まったが、病気の夫に代わり長年鉱山で働いてきた旧友グローリー(フランシス・マクドーマンド)の存在は心強かったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:ニキ・カーロ
出演:シャーリーズ・セロン(ジョージー・エイムズ)、フランシス・マクドーマンド(グローリー)、ショーン・ビーン(カイル)、リチャード・ジェンキンス(ハンク・エイムズ)、ジェレミー・レナー(ボビー・シャープ)、ミシェル・モナハン(シェリー)、エル・ピーターソン(カレン・エイムズ)、トーマス・カーティス(サミー・エイムズ)、ウディ・ハレルソン(ビル・ホワイト)、シシー・スペイセク(アリス・エイムズ)

脚本も面白いし、俳優たちの演技合戦も楽しいのだが、穿った見方なのかも知れないが、毎年この時期に公開される賞狙いの作品の一本に思えてならない。

実際、主演女優(シャーリーズ・セロン)、助演女優(フランシス・マクドーマンド/シシー・スペイセク)は素晴らしかったし、助演男優(リチャード・ジェンキンス/ウディ・ハレルソン)も良かった。
主演はともかく、助演に数名ずつノミネートされそうな俳優が出てるのは凄いと思うし、アカデミー会員の女性票を狙うような作品のコンセプトも凄いと思う。

ところで、物語の構成は最近では「ドミノ」のそれに近く、現在進行形の出来事(裁判)に過去のエピソードを挟み込みながら物語が進行する、という形式をとっている。

また、聴衆の信頼(共感)を得るためのスピーチが登場する部分があるのだが、それは最近で言うところの「エリザベスタウン」や「イン・ハー・シューズ」のシークエンスを髣髴とさせる。

さらに作品のキーともなる邦題にも使われているシークエンスは、かのスタンリー・キューブリックの「スパルタカス」やピーター・ウィアーの「いまを生きる」とかぶっている。
もちろん「スパルタカス」のシークエンスの方がタイミングも映像も含めて5倍くらいは感動するのだが。

キャストはシャーリーズ・セロンが良いのはさておき、なんと言ってもフランシス・マクドーマンドだろう。
役者冥利に尽きる格好良い、まるで西部劇のガンマン(例えばクワイエット・マン)のようなキャラクターを見事に演じている。
なんとも格好良い。
「ファーゴ」(1996)に続きアカデミー賞受賞なるか、と言うところである。
思うに、わたしは彼女(フランシス・マクドーマンド)のような女優さんが大好きなようである。

また「キャリー」(1976)のシシー・スペイセクも良かった。
古い町の古いタイプの女性を見事に演じていた。
「キャリー」以降、数々の賞を受賞している彼女だけにアカデミー賞の行方も楽しみである。

俳優としては、リチャード・ジェンキンス、ウディ・ハレルソン、ショーン・ビーン等が良い味を出しているのだが、特にリチャード・ジェンキンス、ウディ・ハレルソンが良かった。

特にリチャード・ジェンキンスのスピーチは大変素晴らしかった。親娘の確執が瓦解する場面に滂沱である。

演出は女性監督であるニキ・カーロの感性と観点が良く出ていたような印象を受けた。

セクハラの描写は、本作を誇張され演出されたフィクションだととらえると、それほど強烈なものではないのだが、実際の出来事だととらえると大変なことだと思う。もちろん時代性とか、国民性だとか様々なフィルターを通さなければならないと思うが、結構なセクハラ描写だったと思う。

それに対するリチャード・ジェンキンスのスピーチの観点がすばらしい。アメリカ人という国民のいわばプライドに働きかけるすばらしいスピーチだった。

結局は、本作「スタンドアップ」は賞狙い作品だ、と言う穿った見方も出来るのだが、社会派の作品として、大人の鑑賞に耐えうる素晴らしい作品だと思う。
特に女性にオススメの作品だと個人的に思う。
とは言うものの、感情ではなく論理で楽しんで欲しい作品。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

余談だけど、フランシス・マクドーマンドの役名がグローリーだったり、ウディ・ハレルソンの役名がビル・ホワイトと言うのはやりすぎではないか、と思ってしまった。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
わたしは発売日当日に4枚組の「ハウルの動く城」を購入した。
DVDの細かい仕様を調べる事もせず、一番枚数が多いDVDを購入してしまった訳だ。

本編はともかく、特典ディスクがたくさんあるのが面倒で、特典ディスクを見ていなかったのだが、今回機会があって特典ディスク3と4を観た。

が、ディスク3と4のコンテンツのボリュームが全くと言って良いほど感じられなかった。
印象では、2枚のDVDのトータルは90分足らずではないだろうか。(画コンテ除く)
そんなボリュームでは満腹感が一切感じられないし、誰向けの、−−つまり、どんな客層をターゲットにした−−、コンテンツか不明で、まるで今用意できる「ハウルの動く城」に関係する映像を適当に突っ込んだ感が否めない。

4枚組のDVD-BOXなんだから、メイキングがたくさん入っているのではないか、と思うのは人情ではないだろうか。
しかし、製作に関するコンテンツはほぼ20分程度しか収録されていないのではないか、と思った。

また、本編ディスク2なのだが、複数の言語で本編が収録されているのだが、なんと2chなのだ。

しかも、通常版には、5.1chの英語音声が収録されているのだ。

通常版になんらかの特典を付けて特別収録版にするのならわかるが、通常版に収録されているコンテンツが特別収録版に収録されていない、と言うのは釈然としない。

特典についても、ある映像を適当に突っ込むようなコンテンツの収録は避けて欲しいと思う。
誰もが喜ぶ特典映像の収録が望まれる。

「ハウルの動く城」
http://diarynote.jp/d/29346/20041117.html

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
今日の話はたいした話ではない。
ついでに、映画にもほとんど関係がない。
 
 
いきなりだが、わたしは洋楽が基本的に好きで、邦楽は基本的に好きではない。
何故なら洋楽は面白く、邦楽は面白くないから。
因みに、邦楽がつまらなく感じるのは、アレンジに大きな問題があると個人的に思っている。
ついでにリード・ヴォーカルにおんぶにだっこのアーティストが多いのも問題だと思っている。

もちろんわたしにも、好きな邦楽アーティストもたくさん居るのだが、その数は洋楽と比較すると少ないような気がする。

好きな音楽ジャンルはと言うと大概が(様々な)ロックなのだが、80年代から90年代にかけて海外のロックを日本に紹介し続けていた二人の男がいる。

一人は伊藤政則(いとうせいそく/本当はまさのりなのだが、何故かせいそくと呼ばれている)で、もう一人は今日のお題の渋谷陽一である。

伊藤政則は最近でもラジオやテレビと言うメディアでヘビーメタルの番組をもっており、精力的にヘビメタの布教活動を続けているようである。

で、渋谷陽一なのだが、ご存知の方はご存知だと思うが、渋谷陽一は現在では、「rokin’on」、「rokin’on JAPAN」、「Cut」、「SIGHT」、「H」、「bridge」、「BUZZ」等を編集・出版している株式会社ロッキング・オンの代表者である。

もともと「ロッキング・オン」誌は1972年に渋谷陽一が(たぶん)自費出版の形態で出版をはじめたロック専門誌である。

余談だが1989年には映画ファンの皆さんもご承知の映画批評・インタビュー誌「Cut」がロッキング・オン社から創刊されている。

で、わたしたちギター・キッズをはじめとするロック小僧たちは渋谷陽一の「ロッキング・オン」誌でロックを、そして音楽を勉強してきた訳である。
当時は現在のようなインターネットもなく、海外のメディアに触れる機会が少なかった時代である。
音楽雑誌から得られる海外の音楽事情は非常に貴重であったし、映画関係情報としては、ロッキング・オン社が制作していたテレビ・プログラム「ショービズ・トゥデイ」(CNNの「ショウビズ・トゥデイ」の日本語版)で北米ボックス・オフィス情報、北米興収ランキングを毎週楽しみにしていた訳である。

そんな中わたしは、サンボマスターの「サンボマスターは君に語りかける」を購入したのだが、そのCDの帯に渋谷陽一の紹介文が印刷されていた。

曰く、

日本語ロックの歴史が塗り変わる時が来た。

昔から正しいロックには気恥ずかしさがあった。恥ずかしくて、変テコで、セクシー、それが正しいロックである。これは正しいロックバンド、サンボマスターのセカンドにして最高傑作のアルバムである。 渋谷陽一(ロッキング・オン)

泣けるぜ!渋谷陽一さんよ!!

ロック・ファンは、−もちろん異論は多々あると思うのだが−、概してセンチメンタリストでロマンチシストで、ついでに泣き虫だと思う。

渋谷陽一の文章を久しぶりに、しかも、よりによってサンボマスターのセカンドのCDの帯で読まされた日にゃ〜、泣き虫のロック・ファンとしては号泣必須だったりする。

で、他のCDをいろいろ見て気付いてみると、渋谷陽一は結構邦楽ロックのCDの帯に紹介文を書いているようである。

現在進行形のギター・キッズの皆さんは渋谷陽一の名前なんか知らないと思うし、渋谷陽一の紹介文がCDの帯に書かれていようがいまいが、そんなものはギター・キッズに対するCDセールスに影響ないと思うのだが、往年のロック・ファンにとっては渋谷陽一の名前により、大きくCDセールスが異なる可能性が高い。

凄いぞ!ソニー・ミュージックさんよ!!
あんたら目の付け所が凄すぎるぜ!

往年のロック・ファンさん、邦楽ロックのどのCDを聞けば泣けるのか知りたかったら、渋谷陽一の紹介文を探せ、と言うことなのかも知れないのだ。
 
 
■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
WALKMAN Aシリーズは、SONYが満を持してApple iPOD陣営にぶつけてきた携帯音楽端末mp3プレーヤーの真打である。

そのWALKMAN AシリーズのCF(CM)には、なんとFranz Ferdinand(フランツ・フェルディナンド)を起用、ソニー・ミュージックのサイト内にもFranz Ferdinandの特設ページが開設されるなど、ソニー関係各社の力が入ったiPOD包囲網的プロモーションが展開されている。

ところで、従来からだが、iPOD関連商品のCF(CM)に起用される楽曲が良いと言われている。iPOD関連のCF(CM)で使用されている楽曲のオススメページすらある始末だ。
また、そのCF(CM)に起用される楽曲やその楽曲を演奏するアーティストは、その時点では一般大衆においては無名な存在が多く、そのCF(CM)の放映を通じて、ワールド・ワイドなマーケットへ飛び出していく姿が散見されている。

そう、iPOD各シリーズのCF(CM)で起用される楽曲は比較的玄人的音楽ファンを唸らせ、かつ素人的音楽ファンにもキャッチーで耳障りの良い楽曲が選択されているのだ。

余談だが、わたし個人としては、iPOD shuffleのCFに起用されたCaesars(シーザーズ)との邂逅は衝撃的な出来事だった。

音楽好きを自負している人間にとって、CF(CM)に起用された楽曲(やアーティスト)を、CFを通じて知る、と言うことは、なんとも屈辱的なことだと思うのだが、Caesars(シーザーズ)との出会いは、わたしにとってはiPODさまさま、と言う感じである。

ところで、SONYのWALKMAN陣営についてなのだが、CF(CM)好きを自負しているわたしなのだが、1970年代以降今までの数多くのWALKMAN関連商品のCF(CM)で使用されている楽曲の記憶が蘇らないのだ。

と言うか、もちろんわたしの記憶が欠落しているだけかも知れないのだが、SONYサイドのCF(CM)iは、あまり印象に残る楽曲が使われていなかったのではないか、と思えてしまう。

ソニー・ミュージックを擁するSONYとしては、なんとも片腹痛い状況ではないだろうか。

そういう状況の中、WALKMAN AシリーズのCF(CM)に、Franz Ferdinandの”Do You Want To”が起用された訳である。

Franz Ferdinandは、ご承知の通り、2004年2月のデビュー・アルバム発売と同時に全世界を熱狂させたスコットランドのグラスゴー出身の4人編成のバンドである。。
イギリスの音楽誌で「このバンドが君の人生を変える」と言うキャッチ・コピーすら使用された凄いバンドなのだ。

当然のごとく、わたしの人生も変わってしまった。
くすぶっていたギター・キッズの心が再燃してしまったのだ。

とにかく、MP3プレーヤーをはじめとする音楽携帯端末のユーザーは、一体誰でどんな人たちなのか、購買層をマーケティングし、ターゲットを確立した上で、戦略的なCF(CM)を製作しているだろうとは思うのだが、iPODはともかく、従来のWALKMANのCF(CM)は響くものがなかった。
今回のAシリーズのCF(CM)が、例えばFranz Ferdinandの曲が使用されているからと言って、音楽ファンに響くか、と言うとそうでもなく、従来からのSONYファンや、電子ガジェットファンにアピールするようにCF(CM)が出来ているような気がしてならない。

音楽は楽しいもの、そしてその音楽を外に持ち出せることはとっても楽しいこと。

と言う音楽携帯端末の根本的な楽しみが表現できていないような気がする。
それにひきかえiPOD関連のCF(CM)の音楽に対する愛情の表現はどうだ。という気持ちである。

=*=*=*=*=

ところで余談だが、音楽好きの人々は、なぜかロンドンに対する強い憧れを持っている。
トーキョーでどんな曲がヒットしていようが、ニューヨークでどんな曲がきていようが全く関心はない。
極端な話、ぼくらが注目すべきはロンドンのミュージック・シーンだけなのだよ。

WALKMANはともかく、Franz Ferdinandを聞け、と言う事なのだ。
 
またまた余談だけど、Franz Ferdinandという名前は、第一次世界大戦の要因となった「サラエボ事件」で暗殺されたオーストリア皇太子の名前である。
ついでにもっと余談だけど「ルパン」のラストで暗殺が阻止されたのは多分オーストリアの皇太子だったよね。

「iPOD TV SPOT 4」(アップルコンピュータ株式会社)
http://diarynote.jp/d/29346/20040524.html

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2005/12/13 スタジオジブリが「ゲド戦記」を映画化し、2006年7月に公開することを公にした。

この件についての雑感をまとめてみることにした。
 
 
 
 
■観客は宮崎吾朗の作品が観たいのか?

「ゲド戦記」の監督は宮崎駿の息子の宮崎吾朗である。
その宮崎吾朗はアニメーション製作については完全な素人であり、しかも門外漢である。
そんな男がスタジオジブリのスタッフを率いて「ゲド戦記」を製作している、と言うのは驚きである。

尤も、宮崎吾朗は「ゲド戦記」の画コンテを描いたり、200カット以上のレイアウトをきったりしているということだから、画力や映像センスについては、ある程度素養はあるのだろうと思う。

しかしながら、これはアニメーション作品である。
例えば実写作品であるならば、語弊はあるものの、適当にそれっぽく撮影をしておけば、偶然の映像を含めて比較的作品としてかたちになりやすいのだが、全てが演出であるアニメーション作品については、偶然の映像などは皆無、全ては映像作家のイマジネーション次第と言う事だ。

ことアニメーション作品にいたっては、映像作家が自分の頭の中に作品の全てを構築し、その構築され、演出された全体像を2次元のフィルムに定着させる作業が行われる訳である。

簡単に言うと、語弊はあるが、(物理的に考えて)写真を撮るのは簡単だが、(背景を含めて)画を描くのは大変だ、と言うことである。

大人の事情は十分承知して言わせていただければ、世界に誇るスタジオジブリの新作を、ずぶの素人が演出して良いのかよ。と思う気持ちでいっぱいだし、そしてまあそれだったら、宮崎駿後の、今後のジブリのことも考えて、ジブリの若手を監督として抜擢しろよ、と言う気持ちでもいっぱいである。
 
 
■宮崎アニメ=スタジオジブリ作品ではない

宮崎アニメと言う言葉がある。その言葉は最早ひとつのブランドとして機能してしまっている。

この言葉の狭義の意味は、おそらく「スタジオジブリ以前に宮崎駿が関ったアニメーション作品」と言うものだと思う。

で、スタジオジブリとはなにかと言うと、端的に言うと宮崎駿が率いるアニメーション・スタジオである。と言う事。(代表は鈴木敏夫)
もちろん宮崎駿が手がけた多くの長編アニメーション作品はスタジオジブリ作品であり、それらはもちろん広義の意味での宮崎アニメである。と言えるだろう。

しかしながら、宮崎駿が関係していないジブリ作品もあるし、ついでに最近ではジブリは映画の配給まで手がけたりしている。

ところで、わたしは前提として、所謂宮崎アニメが好きである。
と言っても、もともとは宮崎駿の名前など知らなかった少年時代から、あぁあのアニメーションは面白いな、と言うわたしのツボに入っていた作品のいくつかが、実は宮崎駿がからんでいた、という流れだったと思う。

最初にわたしに訪れた宮崎駿ショックは「未来少年コナン」であった。なんて面白いんだと思って見ていたのだが、後年同作品は宮崎駿作品だったことを知る。

わたしが宮崎駿と言う名前を意識し始めたのは、宮崎駿が照樹務名義で画コンテを描いた「ルパン三世」の145話「死の翼アルバトロス」と155話「さらば愛しきルパンよ」(1980年)だったと思う。
その前年に「カリオストロの城」(1979)を観ているが、当時は宮崎駿って誰よ、位の認識だったと思うのだが、「風の谷のナウシカ」漫画版はリアルタイムに読んでおり、多分「アニメージュ」誌上で宮崎駿が照樹務だったと知ったのだと思う。
「風の谷のナウシカ」の連載がそれより早ければ、「風の谷のナウシカ」が宮崎駿を意識し始めた最初かも知れない。

照樹務が先だとすると、偽名だったので逆に名前を意識した、のだと思う。

ところで、昨今の配給会社や広告会社が行う、一般の観客に対しミスディレクションを行うかのような広告には驚かされることがある。
例えば、宮崎駿が制作にからんでいないスタジオジブリ作品を、あたかも宮崎駿がからんでいるような表現で広告したりしてはいないだろうか。

それが元で、スタジオジブリ作品と宮崎アニメを混同している一般の観客が多いような印象を受ける。

宮崎アニメとスタジオジブリ作品を混同してはいけないのだ。
因みに「風の谷のナウシカ」はスタジオジブリ作品ではない。
 
 
■わたしは知っていた

インターネットと言うものは、誰もが世界中に情報を発信することが出来る恐ろしいメディアである。
その情報には正しいものもあれば誤ったものもある。
が、一度発信してしまった情報は、その瞬間に独り歩きをしてしまい、もう誰にも止められないものに変容してしまう。

わたし達のように日々情報を発信しているインターネット・ユーザーは、視聴者の数はともかく、いわば自前の放送局を持っているようなものだと言えるのだ。

ところで、わたしはスタジオジブリが「ゲド戦記」を製作する、と言う確定的な情報をずいぶん前から知っていた。

人の口に戸は立てられぬ、とは昔の人はよく言ったもので「ゲド戦記」をスタジオジブリが製作する、と言う噂が発生、その後わたしは個人的に、ある方面から確定的な情報を入手することになった。

そこで、「ゲド戦記」の情報をWEBで公開するのは簡単なことなのだが、わたしは、以前とあるエンタメ系の情報を、プレス・リリースより先にWEBで匂わせてしまった際、格方面からお叱りをうけたことがあったので、「ゲド戦記」については、結構キャッチーな情報ではあったのだが、WEBでの公開を自粛していた。

と言うのも、そのフライング情報公開以来、情報を公開する際は、複数のオフィシャルなソースで裏を取ってから公開することにしているからである。

何故今更こんな話を書いているかと言うと、単なる自慢話だと解釈していただければ幸いである。

「ゲド戦記」
http://diarynote.jp/d/29346/20060802.html

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2005/12/12 東京有楽町「東京国際フォーラム」で行われた『「キング・コング」ジャパン・プレミア』に行ってきた。

ゲストは、監督のピーター・ジャクソン、キャストのナオミ・ワッツ、アンディ・サーキス、トーマス・クレッチマン、そしてエイドリアン・ブロディ。特別ゲストは、なぜか第68代横綱朝青龍。司会は、襟川クロ。
 
 
「キング・コング」と言えばメリアン・C・クーパー監督でフェイ・レイ主演の1933年版が当然のごとく原点であり、そして頂点だと思う。

わたしはフェイ・レイと言えば「ロッキー・ホラー・ショー」を思い出してしまう世代だから、1933年版の「キング・コング」はテレビの画面を通してしか見たことがない。

しかし、「ロッキー・ホラー・ショー」で語られるフェイ・レイといい、ピーター・ジャクソンにしても、この1933年版「キング・コング」は他をよせつけない圧倒的な魅力に満ちた作品だと思う。

一方、1976年版「キング・コング」(ジョン・ギラーミン監督、ディノ・デ・ラウレンティス製作、リック・ベイカー特撮、カルロ・ランバルディ特殊効果)の評価はあまりよろしくないようである。
わたし達の世代では「キング・コング」と言えばやはり1976年版だと思うし、こども心には非常にキャッチーな映画だったのではないかと思う。

余談だが、「キング・コング」(1933)を敬愛してやまないピーター・ジャクソンは、「キング・コング」(1976)を観るために、朝7:00に劇場にいったが、誰もいなかった、と言う話をどこかで読んだ記憶がある。

そして、更に余談だが、かの「キング・コング」(1933)は、現在日本ではパブリック・ドメインのワンコインDVDとしてなんと500円で売られているのだ。
1933年版「キング・コング」が安価に手に入ることは喜ばしいことだと思うのだが、映画ファンとしては、世界中の映画ファンを魅了した愛すべき傑作たちが、安価な価格で叩き売られているのを見ると、悲しい気持ちがする。
 
 
ところで、『「キング・コング」ジャパン・プレミア』のお話なのだが、わたしは残念ながらレッド・カーペットのチケットを入手できなかったので、レッド・カーペットには並ばず、ホールに入りゲストの皆さんがレッド・カーペットを闊歩し、ファンの皆さんにサインをしたり、撮影に応じたりしている様をスクリーンを通して眺めていた。

印象的だったのは「weeklyぴあ」にサインをもらっている人が比較的多かったこと。
そして、ホール内で上映される映像を撮影していたカメラが下手だったということである。

サインについては、さすがハリウッド・スター、ファンに求められれば、快くいろいろなものに、永遠とサインをしていたのが印象的だった。日本国内の俳優等と比較すると、比較にならないほどのファン・サービスに、頭が下がる思いである。

カメラについては、六本木ヒルズのようにレッド・カーペットのための場所(アリーナ)があり、ゲストをとらえるカメラのセッティング位置が当初から決まっているような会場ではなく、あまりレッド・カーペットのイベントを行わない東京国際フォーラムがジャパン・プレミアの会場だった、と言う事もあるのだろうが、カメラの位置が悪く、レッド・カーペットの中から、ゲストの後頭部を映しまくるカメラには驚かされた。
レッド・カーペットの中からゲストを映してどうするつもりなのか、と言う事である。
 
 
今回驚いたのは、会場に入るためには、携帯電話を所定の袋に封入させられた。と言う事である。
比較的に、今回のような大きなイベントに行くことが多いわたしだが、携帯電話を袋に入れさせられ、タイナップ(白いバンドで一回しめるとバンドを切らないと開けられなくなる)で締められてしまうような経験ははじめてである。
 
 
舞台挨拶は、例によって襟川クロの段取りの悪さが露呈していた。

ピーター・ジャクソンの挨拶を飛ばすは、関係者だけのフォト・セッションを飛ばすは、写真撮影の禁止を言い忘れ「今日の客は一切個人的な撮影をしない良い客だ」とか、後追いでごまかす始末である。
先日の「東京国際映画祭」のトミー・リー・ジョーンズの舞台挨拶の際と同様のミス(写真撮影禁止の連絡漏れ)を繰り返す襟川クロに驚きである。

レッド・カーペットにより時間が1時間弱ほどおした上に「キング・コング」(2005)の上映時間が、3時間8分もあると言うこともあったのか、舞台挨拶は本当に一言二言だけだった。
ジャック・ブラックの来日は果たせなかったが、個人的にはピーター・ジャクソンとアンディ・サーキスを間近に見られたのが嬉しかった。

ハリウッド・スターは日本の俳優と違って時間なんかは関係なく、ファンが求めれば、その全ての求めに応じてサインをする、と言う事を主催者サイドも学習してイベントの時間設定をして欲しいと思った。
 
 
レビューは日本公開後。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

「春の雪」

2005年11月25日 映画
2005/10/24 東京六本木「VIRGIN TOHO CIMENAS 六本木ヒルズ」で「第18回東京国際映画祭」特別招待作品「春の雪」を観た。

舞台挨拶は監督の行定勲、出演の妻夫木聡、高岡蒼佑。
会場には主題歌を提供した宇多田ヒカルもきていた。
 
 
幼なじみのふたり、侯爵家の子息・松枝清顕(妻夫木聡)と伯爵家の令嬢・綾倉聡子(竹内結子)。いつからか聡子は清顕を恋い慕うようになっていた。清顕は聡子の想いに気づきながらも、不器用な愛情表現でしか想いを伝えられないでいた。

そんな綾倉家では、宮家の王子・洞院宮治典王と聡子の縁談が進められていた。没落寸前の綾倉家にとって、宮家との縁談は家名復興のまたとない機会であったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
 
監督:行定勲
原作:三島由紀夫 『春の雪 豊饒の海(一)』(新潮文庫刊)
撮影:リー・ピンビン
美術:山口修
衣裳デザイン:伊藤佐智子
照明:中村裕樹  
出演:妻夫木聡(松枝清顕)、竹内結子(綾倉聡子)、高岡蒼佑(本多繁邦)、スウィニット・パンジャマワット(パッタナディド殿下)、アヌチット・サパンポン(クリッサダ殿下)、及川光博(洞院宮治典王殿下)、田口トモロヲ(松枝家執事山田)、高畑淳子(洞院宮妃)、石丸謙二郎(綾倉伯爵)、宮崎美子(綾倉伯爵夫人)、山本圭(洞院宮治久王殿下)、真野響子(松枝侯爵夫人)、榎木孝明(松枝侯爵)、大楠道代(蓼科)、岸田今日子(清顕の祖母)、若尾文子(月修寺門跡)
 
 
本作「春の雪」は、はっきり言って驚くほど面白かった。
行定勲の前作「北の零年」が霞んでしまうほどの作品に仕上がっていた。おそらく行定勲の代表作になってしまうのではないか、と思えるほどの作品だと思う。

まずは美術(山口修)と撮影(リー・ピンビン)が凄い。
こんなきれいな日本映画は久しぶりのような気がした。
美術と衣装デザイン(伊藤佐智子)とが構築する世界観は一分の隙も無く、見事な統一的世界観をかもし出している。
そして、リー・ピンビンのカメラが構図といい色彩といい驚くべきほど美しいのだ。

繰り返しになるが、大正時代を再現する美術やセット、そして衣装も素晴らしいし、そこから見事に構築された世界観も凄い。
そしてその世界の中、俳優達が繰り広げる、時代がかった芝居が本当に楽しい。
尤も冒頭からしばらくの中(うち)は、時代がかった文語調にも似たセリフに違和感とユーモアを感じるが、そのうちに観客は、そんな事も気にしなくなり、その世界に没頭してしまうのだ。

また音楽(スコア/岩代太郎)についても、卓越した世界観と調和する見事なものだった。

物語は勿論、運命的で悲劇的なラブ・ストーリーの体裁を取っているのだが、わたしには見事なクライム・サスペンスに見て取れてしまった。

そんなわたしの目には本作「春の雪」は、ふたりの男女が恋愛と言う完全犯罪をもくろみ、一時は成功しかけるが、ほんの些細な瑕からその完全犯罪が崩壊していく様を描いているように見えたのだのだ。
まるでスタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」(1956)のような印象を受けたのだ。
 
ところで役者は役者でみんな良かった。
個人的には特に岸田今日子と大楠道代が素晴らしかった。
また存在感から言うと及川光博が良かった。
及川光博がこの時代に存在する事に、多くの映画人は感謝しなければならないと本気で思ってしまう。

余談だが市川崑が「本陣殺人事件」を撮る、といううわさが出ているが、本作「春の雪」を見て、是非岸田今日子をキャスティングして欲しいと思った。ついでに、金田一耕助はやはり石坂浩二に演って欲しいと本気で思う。
いやぁ、本当に市川崑の凄い新作が観たいと、切に思うね。
 
 
ところで、今回の上映は日本で観客を入れてのはじめての上映と言うことでもあり、本作「春の雪」上映前に監督の行定勲とキャストの妻夫木聡、高岡蒼佑の舞台挨拶があった。
妻夫木聡はやはり華があるな、と思った。
高岡蒼佑は舞台挨拶ではパっとしなかったが、本編での演技は良かった。
行定勲は珍しく、スーツっぽい格好をしていた。
 
余談だが、今年の1月に「東映試写室」で「北の零年」のティーチ・イン試写を見た際もそうだったのだが、行定勲は映画の上映後、観客がいなくなるまで、密かに観客を見送ることにしているようなのだが、今回も「VIRGIN TOHO CIMENAS 六本木ヒルズ」の2Fのロビーの隅で観客を密かに見送っていた。

頭が下がる思いがする。

ところで、客席には宇多田ヒカルも来ていたのだが、エンディング・クレジットでかかる宇多田の楽曲は、ついさっきまで観ていた映画の感動の全てをぶち壊しにしてしまっていた。
エンド・クレジットは、ストリングスでテーマを3〜5分位流し、余韻に浸らせてから、歌ものへのオーバー・ラップが良かったのではないかと思う。
勿論、大人の事情をわかった上で、だ。

聞くところによると、竹内結子が「春の雪」のプロモーションに一切協力しない、と言うことから宇多田ヒカルが「東京国際映画祭」にかりだされた、と言ううわさである。
もちろんあくまでもうわさである。

周辺の話題はともかく、本作「春の雪」は非常にすばらしい作品であることは、紛れもない事実である。
出来ることなら、多くの方々に劇場に足を運んでいただきたいと思う。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

余談だけど、行定勲の「春の雪」とあわせて原田眞人の「自由戀愛」を見てみると非常に面白いと思うよ。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
2005/11/16 東京池袋「テアトル池袋」で「惑星大怪獣ネガドン」を観た。
 
 
昭和百年(西暦2025年)を迎えた近未来。

世界人口は100億を超え、国際規模の宇宙開発事業【火星テラフォーミング計画】が行われていた。
そんなある日、火星から帰還途中だった宇宙貨物船【いざなみ】が日本に墜落。

積載されていた怪獣ネガドンが目覚めてしまう!
破壊本能しかない冷血凶悪な殺戮型宇宙怪獣、ネガドン。
人類はヤツを倒すことができるのか!?
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

原作・脚本・監督:粟津順
音楽・音響効果:寺沢新吾
声の出演:清水大(楢崎龍一)、笹原琢磨(吉澤政次)、湯本あかね(楢崎恵美)、貴志昌文(TVアナウンサー/ナレーション)

本作「惑星大怪獣ネガドン」は、非常に有意義な作品である。
日本映画界、否、グローバルな視点を用いても、本作は、まさにエポック・メイキングな作品である、と言っても過言ではないだろう。

なにしろ、自主制作映画で「本格フルCG怪獣映画」を作ってしまおう、と言う事なのだ。

その孤高で高邁な精神には、頭が下がる思いでいっぱいである。

そして、この作品は、独りよがりのオナニー映画などではなく、観客を十分に意識した娯楽作品として成立してしまっているのも大変すばらしい。

また、往年の怪獣映画を髣髴とさせる画作りや雰囲気作りには、平成の時代に生きる昭和時代の人々が感じるであろう狂おしいほどのノスタルジーが凝縮され、その世界観を体験しているだけで涙がこぼれてしまうほどの感慨を覚える。

そして、この作品の根底にあるのは、怪獣映画、ひいては映画に対する限りない愛情そのものである。

本作「惑星大怪獣ネガドン」を、一般の商業映画と比較し、批判し、否定する事はあまりにもたやすい。
しかし、本作が成し得た事はあまりにも巨大である。

映画を愛する人々にとって、本作の存在はあまりにも大きな意味を持っている、と言うのは言いすぎだろうか。

本作「惑星大怪獣ネガドン」は、作品を観るだけではなく、この2005年において、この作品が存在することの意義を考えるべきすばらしい作品なのだ。

映画と言うものは、かくもすばらしいものだったのだ。
全ての映画ファンに観て欲しい作品である。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

「ドミノ」

2005年11月16日 映画
2005/10/21 東京新宿「東京厚生年金会館」で「ドミノ」のジャパン・プレミアと銘打った試写を観た。

ラスベガス警察、取調室での事情聴取

逃亡犯や仮釈放中の犯罪者の身柄を拘束するプロフェッショナル−−−−バウンティ・ハンターのドミノ(キーラ・ナイトレイ)が、FBI捜査官タリン(ルーシー・リュー)の取調べを受けている。タリンは、36時間前に発生した1000万ドル強奪事件の首謀者がドミノであると考えていた。

そしてドミノがゆっくりと彼女自身の、そして事件の真実を語り始める・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:トニー・スコット
製作:サミュエル・ハディダ、リドリー・スコット、トニー・スコット
原案:リチャード・ケリー、スティーヴ・バランシック
脚本:リチャード・ケリー
出演:キーラ・ナイトレイ(ドミノ・ハーヴェイ)、ミッキー・ローク(エド・モスビー)、エドガー・ラミレス(チョコ)、クリストファー・ウォーケン(マーク・ハイス)、ミーナ・スヴァーリ(キミー)、ジャクリーン・ビセット(ポーリーン)、ルーシー・リュー(タリン)、デルロイ・リンドー(クレアモント)

物語はともかく、最近のトニー・スコット作品の特徴でもある映像表現はどうか、と思うぞ。

一旦フィルムをスキャンし、カットの中をフレームが縦横無尽に動き回り、ピントを送りまくり、印象的なセリフが画面にスーパーインポーズされる。

一見キャッチーで、スタイリッシュ、そしてクール(死語)な映像である。

しかし、個人的にはこの映像手法は悪い影響を映画界に与えているのではないか、と思えてならない。

老人たちは脳死し、若いポリシーのない莫迦な映像クリエイターは、映像手法を模倣し悦に入る。
「どう、ボクちゃんが作った映像、イケテルでしょ」

こんな事で良いのか!
トニー・スコットよ!!
 
 
ところで、本作「ドミノ」だが、物語はひとつのモノをめぐる三つ巴の戦いと言う、トニー・スコットの「トゥルー・ロマンス」そっくりである。
自作へのセルフ・オマージュなのかどうなのか知らないが、ちょっとまずいのではないか、と思った。

更に余談だが、戸田奈津子氏の字幕がまたやってくれています。

例えば、クリストファー・ウォーケンがドミノ等バウンティ・ハンターの所業を見て、『"That’s like, "Night of the Living Dead".』とつぶやくのですが、それを戸田奈津子は、なんと『まるで「死霊のはらわた」だな』と訳出しています。
因みに予告編では『まるでホラー映画だな』と字幕が出ています。
もちろんわかってやっていると思いますが、例えば『まるで「ゾンビ映画」だな』と言う程度で誤魔化して欲しかったです。

また、"redneck"を「カッペ」と、また下痢がとまらない事を、聞いたことがない日本語「ハラピー」と訳していました。
あと何度か、謎のカタカナ語が字幕になっていたと記憶しています。

また戸田奈津子の字幕問題が噴出するような予感がします。
まあ、コアなファンが付いて字幕問題について騒ぐような作品とは思えませんが。

キャストは、キーラ・ナイトレイ(ドミノ・ハーヴェイ)はともかく、ミッキー・ローク(エド・モスビー)、エドガー・ラミレス(チョコ)のコンビが良かった。「シン・シティ」に続きミッキー・ローク再燃の兆しですね。

あと、もちろんトニー・スコット作品に結構でているクリストファー・ウォーケン(マーク・ハイス)は最高だった。メガネをかけてせっかくの美しい瞳を見せないのはどうかと思うが、強烈なメディア人を楽しげに演じている。

また、ルーシー・リュー(タリン)も他のキャラとほとんど絡まないものの、強烈な印象を観客に与えてくれている。キーラ・ナイトレイ(ドミノ・ハーヴェイ)との対峙が非常に楽しい。

あと、ジャクリーン・ビセット(ポーリーン)がキャスティングできたのは、本作にとって非常に幸せなことだったと思う。

また、ラストにドミノ・ハーヴェイ自身が登場するのだが、非常に魅力的な女性に見えた。突然の死のご冥福をお祈りする。

本作「ドミノ」は物語としても、背景としても話題性は十分だし、スターも大挙して出演しているし、かのヒット・メイカートニー・スコットの最新作でもあるので、多分客は入るのだと思うのだが、「トゥルー・ロマンス」の方が面白いと思うな、個人的には。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

「失踪日記」

2005年11月10日 読書
わたしは、吾妻ひでおが好きである。

なぜなら吾妻ひでおはSFで不条理でげちょげちょでにょろにょろだからだ。

わたしは、すごい昔から吾妻ひでおに注目していたので、多分貴重な書籍もたくさん所蔵していると、個人的には思っている。
 
 
と言う訳で話題の「失踪日記」を読んでみた。

吾妻ひでおの魅力は勿論かわいいおんなのこなのだろうし、SFやげちょげちょでにょろにょろなのだろうが、忘れてはならないのが「不条理日記」等を例に挙げるまでもなく、自らを主人公にした日記ものなのだ。

SFファンとしては、SFネタ満載の日記ものが面白いのだが、今回の「失踪日記」は、非常にリアリスティックな日記だった。

引用がなく(完全にない訳ではないのだが)、物語が全て実生活から出てきているところが非常に面白い。

また、かわいいおんなのこが全く出てこなくても大変面白い、と言う、一般大衆が吾妻ひでおに対する先入観の所謂アンチテーゼともなっている、と言う面白い方向性を持っているような気もする。

余談だが、わたしも、青ジョウントで青色申告に行ってみたいものだ。

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
お手すきの方は、こちらもご覧ください。

 
 

捨てられたホワイトバンド
http://diarynote.jp/d/29346/20050906.html

ホワイトバンドをめぐる冒険
http://diarynote.jp/d/29346/20050909.html

しばらくの間、ホワイトバンドプロジェクトを注視していなかったのだが、いろいろな動きがあったようである。

■2005/11/08
オフィシャル・サイトがリニューアル・オープンしました。

■白いものを身につけること
以前のオフィシャル・サイトの導線は、先ずは「ホワイトバンドを購入しましょう。」というものだったのですが、現在は「白いものを身につけましょう」という方向性に変更になっているようです。

■売上の44%が、世界の貧困をなくすための活動費に、

10%
ホワイトバンドプロジェクト開始時は、ホワイトバンドの売上の10%、約29円(/1本=300円)が「貧困問題の解決に資する政策変更のための活動」に使われる、と言うことでした。

30%
2005/09/05、「使い道の計画についての変更はない」と断った上で、ホワイトバンドの売上の30%が「世界の貧困をなくすための活動費」に使われる、と変更されました。
が、実際のところは、この30%には、ホワイトバンド・デー等のイベント制作費や、事務局費にも使われていますので、実際に使われるのは、当初計画と同じ10%=29円と言う事です。

44%
現在は、ホワイトバンドの売上の44%が「世界の貧困をなくすための活動費」に使われることになっています。

■ODAの増額
オフィシャル・サイトからの引用です。

=*=*=*=*=
また、日本においても以下のような前身(原文のママ)がありました。

小泉首相、国連ワールドサミットにおける演説での発言
「私たちは、極端な貧困と闘っている人々、自助に努める人々に手を差しのべる、優しさのある国連が必要です。」

今後5年間でODAを100億ドル増額
「保健と開発イニシアティブ」のもと今後5年間で50億ドルを援助
「世界エイズ、結核、マラリア対策基金(通称:世界基金)」に5億ドルの拠出
今後3年間でアフリカ向けの援助額をこれまでの倍にすると約束 ...etc

そして、日本の何百万という市民が、世界のムーブメントに積極的に参加し、政策にも一定の働きかけをしたことは、世界各国からも高く評価されています。

世界全体では、ODAの増額だけとっても、2010年までに500億ドルの上乗せが実現する運びとなりました。これによって単純計算でも500万人の子どもの命が救われることを意味します。

小さな手に不似合いにもかかわらず、お小遣いを貯めてホワイトバンドを買ってくださったお子さんにはぜひこう言ってあげてください。
「あなたの行いがリーダーたちを動かして、500万人もの命を救ったんだよ」と。
=*=*=*=*=
500万人の子どもの命が救われることになったのは、なんとホワイトバンドのおかげ、と言うことのようです。

■1,300万円
2005/09/30のホワイトバンド・デーにおいて、東京タワーのイルミネーションを行った際の費用は、1,300万円でした。

■2,900万円
2005/11/08に行われた記者会見によると、ホワイトバンド・プロジェクトが、「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」に拠出する事となった金額は2,900万円。

■2005/09/30時点の収支は・・・・

ホワイトバンド販売数量
3,219,722本(321万本)※現在、400万本を突破しています。
ホワイトバンド売上金
965,916,600円(9億6,591万円)
その他の収入
30,383,213円(3,038万円)
収入合計
996,299,813円(9億9,629万円)

ホワイトバンド制作費等
226,821,579円(2億2,682万円)
ホワイトバンド流通費等
356,477,506円(3億5,647万円)
経費合計
583,299,085円(5億8,329万円)

活動資金
382,617,515円(3億8,261万円)
広報費、人件費、事務局費等諸経費
96,258,007円(9,625万円)

「貧困問題の解決に資する政策変更のための活動」
と思われる金額
286,359,508円(2億8,635万円)

■不思議な話
以前のホワイトバンド・プロジェクトは、現在の貧困に対して、寄付や支援をすることには懐疑的でした。

これは、
1.本当に必要な人々に寄付金が行かない事が多々ある。
2.貧困は、微々たる寄付や援助は食い止められないほど進んでいる。現在貧困で苦しんでいる人々を救うのではなく、貧困をなくすシステムを作ろう。

と言うものだったので、G8サミットにおいてのODAの増額(援助)については、ホワイトバンドのポリシーに反する事だと理解していたのですが、現在のホワイトバンドのオフィシャル・サイトでは、G8サミットにおけるODA増額はホワイトバンドの手柄である、と言うことになっています。

また、今回拠出を発表した「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」の事業は次の通りです。

=*=*=*=
世界基金は、三大感染症に対処するための資金を集め、その資金をもっとも必要とする地域へ振り向けるために設立されました。その目的を効果的に果たすため、政府だけでなくNGOを含む民間セクター、感染症に苦しむコミュニティーが一体となってパートナーシップを組み、次の基本原則に則って三大感染症の予防、治療、ケアのために資金支援をしています。

・事業の実施は専門家に任せ、資金供与機関として活動
・予防と治療、バランスのとれた統合的アプローチを追求
・迅速かつ革新的な支援決定プロセスの確立

運営の透明性と説明責任の確保
感染症に苦しむ国々は、感染症の予防や治療のための案件を形成し、募集の時期に案件申請を提出することにより資金支援に応募することができます。世界基金の資金援助は独立した機関(技術審査パネル)を通じて技術的に有効な事業に向けられ、追加的な資金の支払いは成果主義に基づいて行うなど、限られた資金を最大限に有効活用するため、結果を重視したものとなっています。
=*=*=*=*=

ホワイトバンドがどんなロビー活動をするのかと期待していたのですが、ホワイトバンドがやったのは単なる「まるなげ」だったようですね。
また、この「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」とホワイトバンドのポリシーにも矛盾を感じます。
 
 
 
余談ですが、
「ホワイトバンドに関する比較的有名なジョーク」
をご紹介します。

日本のみなさ〜ん。 A君の家はとっても貧しくて、食べるのも困っています。だからA君の貧しさをほっておかないという意思表明の為にこの白いバンドをしましょう。バンドはC君が造って、他にも色んなコストや利益を含んでいるので一個300円です。 A君には1円も渡りませんが、みなさんバンドを着けて、A君の貧しさをほっとけないという声をあげましょう。 必要なのはお金ではなく、皆さんの声です。

「A君は貧しい!、A君は貧しい!、A君は貧しい!」 いや〜日本の皆さんは良い方ばかりです。

A君「うるせ〜」

■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。

参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604

< 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 >

 
tkr

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索