「ガルーダ」

2004年10月21日 映画
2004/10/15 東京新宿「新宿ミラノ座」
 「東京国際ファンタスティック映画祭2004」のオールナイト企画『激突!! 亜細亜颱風 韓流VS.タイ道』で上映されたタイ映画「ガルーダ」を観た。
 舞台挨拶は、監督のモントン・アラヤンクン、プロダクションデザインのヴォラウ・ヌンゴン。
 
 
 バンコクの地下鉄工事現場で謎の化石が発見された。
 タイ政府の依頼で調査に訪れた科学者リーナは、亡き父が追い求めていた伝説の神鳥ガルーダの化石ではないか、と考える。
 リーナはこの歴史的発見の公表を望むが、民衆のガルーダ信仰を揺るがすことを恐れたタイ政府は現場を封鎖、その事実を隠蔽しようとする。

 そんな中、太古の昔に幽閉された一体のガルーダが長く深い眠りから目覚め、人食い獣と化し、タイ軍特殊部隊に襲い掛かってきた。
 リーナ等科学者とタイ軍特殊部隊は急遽団結、「最強の鳥の王」ガルーダに命がけの闘いを挑む! (「東京ファンタ」オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
 
 
 タイ映画界の技術力の高さに驚かされた。

 わたしが「ガルーダ」を観た時点で、観た事があるタイ映画は「マッハ!」と「ボーン・トゥ・ファイト(原題)」(後日レビュー予定)位であった。

 そんな経験からか、わたしはタイ映画の技術に対して漠然とした先入観を持っていたのだ。
 それは、ジャッキー・チェンやツイ・ハークが描く香港映画に登場する村々のイメージや、それをフィルムに収めた画質のテイストと、「マッハ!」や「ボーン・トゥ・ファイト(原題)」に登場する村々のイメージやフィルムのテイストには類似点が多いことから、おそらくタイ映画の技術力は当時の香港レベルではないかと思っていた訳である。

 しかし「ガルーダ」の技術レベルは、わたしの先入観を遥かに凌ぐものであった。
 そのレベルは日本映画どころではなく、ハリウッド映画をも凌ぐ勢いなのだ。

 私見だが、CGIと人間が同じ画面で戦うような映像のクオリティは、最近作では「バイオ・ハザードII アポカリプス」や「ヴァン・ヘルシング」等の作品をも凌いでいる。

 しかも、本作「ガルーダ」は、モントン・アラヤンクン監督の初監督作品だ、というのにも驚かされた。
 初監督作品で、このような大掛かりな、技術レベルを要求される作品を撮ってしまう、または出資してしまう事に驚きなのだ。

 物語は地下鉄工事現場と言う閉鎖された空間で、CGIで描かれた一体の「ガルーダ」とタイ軍特殊部隊が戦う、と言うもので、わかりやすく言うと「エイリアン」や「ジュラシック・パーク」のような舞台設定とテイストを持つ作品だと言えるのではないだろうか。

 物語は残念ながらありがちなものなのだが、演出もカット割りも構図もソツが無く、なによりCGIキャラクターと人間や背景との融和が素晴らしい。
 私見だが、例えばハリウッド大作「ヴァン・ヘルシング」でさえ、CGIキャラクターと人間や背景との間に違和感や齟齬が感じられると言うのに、「ガルーダ」では、そんな違和感がほとんど気にならないのである。

 しかもガルーダが格好良い。
 余談だが、タイに「デビルマン」の権利を売るのも、ありかも知れない、と個人的に思った。

 わたしがいつも言うように、日本人として香港映画や韓国映画に嫉妬や羨望を感じる昨今だが、それがタイ映画にまで広がってしまった訳なのだ、危うし!日本映画!!
 邦画は一体どうなってしまうのだろうか。

 例えば「マッハ!」や「ボーン・トゥ・ファイト(原題)」のような、語弊はあるが、粗雑だが勢いがあるような作品ではなく、CGIを駆使し、大胆で緻密な娯楽作品を制作することができるタイ映画に羨望と恐怖を禁じえないのだ。

 何しろ本作「ガルーダ」は、普通に鑑賞できる普通の娯楽作品に仕上がっているのだ。
 下手をすると、ハリウッド映画だよ、と言って公開しても誰も気がつかないのではないだろうか。そんなVFXや作品自体のクオリティの高い娯楽作品なのだ。

 タイ映画の実力を測る意味からも、機会があれば、是非観て欲しい作品である。
 観る人が観れば、タイ映画の底力を垣間見ることが出来る、ある意味恐ろしい作品に姿を変えてしまうかもしれない。
 
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 因みにこの作品はタイ初の「怪獣映画」だそうである。
 日本人が考える所謂「怪獣映画」とは異なり、前述したように「エイリアン」や「ジュラシック・パーク」のような作品だと思う。もしかしたらタイでは「エイリアン」のような作品も「怪獣映画」とカテゴライズされるのかな、と思った。

 ポスター等のアートワークを見ると、「デビルマン」ミート「ガッチャマン」的な印象を受けた。

 驚いたのは、監督のモントン・アラヤンクンやプロダクションデザイナーのヴォラウ・ヌンゴンらの舞台挨拶の中で、「東京ファンタ」のスクリーンで、「東京ファンタ」の観客の前で、自分たちの作品が上映される事に対する喜びがひしひしと伝わって来たことである。
 「東京ファンタ」は彼等にとっての「夢の舞台」だった訳である。

 かつて、ホラーやスプラッタ、香港ノワールや初期のワイヤー・アクション、マサラ・ムービーや韓流、タイ映画と、時代に先駆け様々なジャンルの先駆的作品や鬼子のような作品を次々と日本や世界に紹介してきた「東京国際ファンタスティック映画祭」の存在意義とその影響力を再確認した思いがする。

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スタッフ
監督・脚本:モントン・アラヤンクン
美術:ヴォラウ・ヌンゴン

キャスト
ソンラン・テピタック
サラ・レッグ
ダニエル・B・フレイザー
ヤニー・トラモン
チャラニ・ナ・ソンクラ

「ガルーダ」ポスター
http://tokyofanta.com/tfanta_saku/image/m040826223348.jpg
 全くの余談だが、本日10月20日(水)、WOWOWで放送された「Holliwood Express」で「TEAM AMERICA: WORLD POLICE」が紹介された。

 映像自体はWEBで公開されている予告編に字幕が付いたものだと思うのだが、若干部分部分が長いような気がした。

 23日(土)に同名の番組が放映されるが、もしかしたら本日放映された番組の再放送かも知れないので、お知らせするのだ。

 まあ、それだけである。
 2004/10/16 東京新宿「新宿ミラノ座」
 「東京国際ファンタスティック映画祭2004」で上映された、『東京ファンタ20周年記念上映「鉄人28号 インターナショナル・ヴァージョン」』を観た。
 今回の上映は、監督:冨樫森、出演:池松壮亮(金田正太郎)、蒼井優(立花真美)、視覚効果:松本肇を迎えたワールド・プレミアだった。
 
 
 首都東京で突然サイバーテロが発生した。さらに巨大ロボット「ブラックオックス」が飛来、街を次々と破壊していく。首謀者「ゼロ」の目的は自らが開発したバイオコンピュータで理想郷をつくりあげることだった。

 金田正太郎(池松壮亮)は、母陽子(薬師丸ひろ子)と二人暮しの小学生。そんな正太郎の元に謎の老人綾部達蔵(中村嘉葎雄)から一本の電話が入る。「あなたのお父さんのことでお話があります」それは亡き父正一郎(阿部寛)が遺した「鉄人28号」の話だった。

 綾部は正一郎の遺言と正太郎のロボット操縦適正を説き、鉄人28号を操縦しブラックオックスと戦うよう正太郎を説く。正太郎はとまどいながらもリモコンを手に、ブラックオックスに立ち向かうが・・・・。
(「東京ファンタ」オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
 
スタッフ 
監督:冨樫森
原作:横山光輝
脚本:斉藤ひろし、山田耕大
音楽:千住明
撮影:山本英夫
照明:小野晃
視覚効果:松本肇

キャスト
金田正太郎:池松壮亮
立花真美:蒼井優
金田陽子:薬師丸ひろ子(友情出演)
宅見零児:香川照之
貴島レイラ・ニールソン:川原亜矢子
江島香奈:中澤裕子
村雨研二:高岡蒼佑
田浦慶太郎:伊武雅刀
金田正一郎:阿部寛
大塚雄之助:柄本明
綾部達蔵:中村嘉葎雄
 
 
 最近流行の漫画の実写化作品のとりを飾るのは、企画や撮影は比較的早かったのだが、CGI等ポスト・プロダクションに多くの年月を費やして完成した「鉄人28号」だった。

 全てのロボットはシルエット等間接的な手法で描かれ、一切画面には登場しない、と言う噂が流れていた「鉄人28号」だったのだが、蓋を開けてみると、画面狭しとCGIの鉄人やブラック・オックスが大暴れする作品に仕上がっていた。

 とは言うものの、監督は冨樫森である。
 映画の冒頭部分で、金田正太郎少年(池松壮亮)の境遇を丹念に描いていく。描写のスタンスは、母子家庭の少年の生活を描いた一般的な映画のそれであって、ロボット映画のそれではない。
 そしてその描写は、正太郎少年の境遇を、嗜好を、特技を、間接的に或いは直接的に丹念に描いていく。
 更にその背景となる街並みは平凡でノスタルジックな、どこにでもある街並みを見事に切り取っている。

 その中で、正太郎の母陽子を演じた薬師丸ひろ子が特に素晴らしかった。彼女が登場する食卓のシークエンスにしろ、病院のシークエンスにしろ抜群の存在感と演技が楽しめるのである。
 セリフは勿論、女優が表情や仕草、身体の動きで心象を表現する様は見ていて楽しいものがある。特に病院で正太郎の背中を押した後の長回しの表情と仕草は絶品である。

 いつになったらロボットが出て来るんだよ、と観客がしびれを切らし始めた瞬間、ブラック・オックスが首都東京に襲来する。

 ワックスをかけた自動車のような、ロボットの表面処理に賛否はあろうが、ブラック・オックス襲来のシークエンスは圧巻である。
 特にブラック・オックスが東京タワーをナニするシークエンスは、構図や背景は勿論、東京タワーの質感や動きを含めて大変素晴らしいシークエンスに仕上がっている。本作をロボット大活劇と捉えた場合、このシークエンスが本作最大の見せ場だと言っても差支えないだろう。
 また増上寺の境内に降りたブラック・オックスに対するカラスの演出が憎い。

 こういったロボット大活躍シークエンスの成功は、首都東京の街並みをロケ撮影した映像を大きな改変を行わずに背景に利用した点が大きいと思う。
 またブラック・オックスや鉄人のサイズも「ビルの谷間でガオー」的に丁度良いサイズだと思った。

 とは言うものの、ロボットのアップの質感に違和感があるのは否めない。尤も引いた画面で背景の中にロボットを溶け込ませることには概ね成功しているので、アップではなく、引いた映像の多用が成功の鍵ではないだろうか。

 しかし、その後本作は「ロボット大活劇」より「少年の成長を描いた人間ドラマ」になっていくあたりは、非常に残念である。

 勿論、鉄人28号とブラック・オックスの戦いの様子は、リアリティがある、と言えば抜群にリアリティがあり、言わば従来のロボット・プロレスものに対するアンチテーゼとして機能するような意欲的な演出である、とも言えるのだが、だとしても多くの観客は納得しないだろう。
 なにしろ本作を「ロボット大活劇」と捉えた場合、何よりも必要なカタルシスが感じられないのだ。

 また鉄人28号の質感に違和感を感じる。
 一応物語では、職人たちの手作業で鉄人が作られた設定になっているのだから、光沢仕様ではなくマットな感じにするとか、リベットをたくさん打つとか、ブラック・オックスとの相違を見せるべきだと思う。
 あれだと同じ技術基盤の上で、両ロボットが開発されたような印象を受ける。

 とは言え、本作を「少年の成長を描いた人間ドラマ」と捉えた場合は、見事な作品に見えてくるから映画と言うものは面白い。

 とにかく、ビルの谷間で大暴れする「リアル」な怪獣(ロボット)を見たい方には、結構おすすめの作品である。もれなく人間ドラマも付いてくるし。

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 キャスト的には、前述の陽子を演じた薬師丸ひろ子が素晴らしい。本作を「人間ドラマ」として考えた場合彼女の存在は必要不可欠である。

 また、トム・クルーズと共演した池松壮亮(金田正太郎)も良かった。何しろ薬師丸ひろ子に負けていない。

 正太郎を引き込む綾部を演じた中村嘉葎雄は、この映画最高のセリフを吐くし、存在感があって良いのだが、テンポが若干のろい。それは勿論俳優としての「間」なんだろうが、他の役者のテンポと比較し違和感を覚える。

 田浦慶太郎の伊武雅刀と大塚雄之助の柄本明は、コメディ・リリーフとは言え、若干オーバー・アクトだと思う。コミカルなシーンなど挿入する必要が無い映画ではないだろうか。

 天才科学者立花真美を演じた蒼井優は、脚本上セリフがあまり良くなかったのだと思うし、残念ながら役不足だと言わざるを得ない。天才科学者をステレオタイプに描くのではなく、普通の人間として描くべきだった。

 宅見零児を演じた香川照之はミス・キャストだろう。彼の役どころとしては、生真面目で泥臭い役柄、丁度「鉄人28号」を作った職人さんにピッタリだと思う。

 金田正一郎を演じた阿部寛はソツなくこなしていたが、阿部寛のインチキ臭い感じが若干残っていた。
 
 二人の刑事、江島香奈(中澤裕子)と村雨研二(高岡蒼佑)については、中澤裕子はまあまあ良かったのだが、高岡蒼佑は脚本上、問題があったような気がする。

 余談だがオープニング・タイトルも泣けるぞ。

 舞台挨拶では、松本肇が「東京ファンタ」への熱い思いを語ったのが印象的であった。かつての「東京ファンタ」を知らない、いとうせいこうは何も言えなかった。
 2004/10/17 東京新宿「新宿ミラノ座」
 「東京国際ファンタスティック映画祭2004」で上映された「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」を観た。
 今回の上映は、総監督:富野由悠季、声の出演:池田秀一(クワトロ・バジーナ/シャア・アズナブル)、飛田展男(カミーユ・ビダン)、古谷徹(アムロ・レイ)を迎えたワールド・プレミアだった。

 本作「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」は今から20年前、1985年3月から翌年2月の間にテレビ放映された「機動戦士Zガンダム」の劇場版であり、2005年5月以降、順次公開される「機動戦士Zガンダム」全三部作の第一作目、第一部にあたる。

 まず、特筆すべき点は、本作のタイトル・ロゴの「A New Translation」が示すとおり、本作「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」は、旧「機動戦士Zガンダム」の新解釈版である、と言う事であろう。(新訳)

 この辺りは、上映前の富野由悠季の挨拶『お互いに年をとりましたね。制作当初に比べ自分がイヤになっているほど中身が悪くないと気づきました。みんなが思っている「Zガンダム」とはちょっと違うかもしれないが,新しい解釈を取り入れた「Zガンダム」をぜひ読みとって欲しい。』=『本作は、以前の「Zガンダム」の物語と全く違うが、内容は全く同じである。こんな物語の表現方法もある』的は発言は全くその通りで、本作は従来の「Zガンダム」の物語を踏襲しながらも、異なる印象を観客に与える事に成功しそうな作品に思えた。(第一部のみで考えるとその手法は見事に成功している)

 つまり本作「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」は、根底に流れる物語(事実/fact)は同じでも視点を変えると違った物語(真実/truth)が見えてくると言った、黒澤明の「羅生門」をはじめとする、所謂「藪の中」的な構造を持った作品のひとつだと言えるのではないだろうか。

 そして第一部である本作「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」の物語は、わたしの目には、旧テレビ・シリーズの主人公だったカミーユが脇役となり、その脇に退いたカミーユの視点でシャアとアムロの物語を見ている、というような構成の物語に見えた訳である。

 特にラストのシークエンスはその傾向が非常に強く、カミーユの少年の心と視点が、われわれ観客の少年の心と共に、凄まじいほどの憧憬の、そして羨望の念に駆られる幸せな瞬間であった。

 さて気になる作画のクオリティだが、いかんせん20年前の作画と最新の作画が共存する本作は、やはり若干の違和感の存在を否めない。特にカミーユの表情のギャップが大きな違和感を醸し出しているような印象を受けた。
 個人的には、出来る事ならば、本編全てを新作のカットで構成して欲しかったと思う。逆に言うと、新作カットにはそれほど力が入っているような印象を受けた、という訳だ。

 しかし、この時代、20年前の作品の作画を残したまま、新作劇場作品を制作する、ということは凄いことだな、と思う。
 この時代に、旧作のカットを流用した新作アニメーション作品が存在することに驚きの念を禁じえない。

 まあ、2005年5月公開の作品について現時点であれこれ言っても仕方がないので、細かい話は割愛するが、少なくても大興奮の素晴らしい作品に仕上がっているのは事実なのだが、果たして旧「Zガンダム」を知らない人が見ておもしろいかどうかは残念ながら疑問である。
 旧「Zガンダム」は、30分のプログラムが50本あった訳であるから、正味23分かける50本で、トータル19時間あまりの作品を6時間に仕上げる訳であるから、物語の展開は早く、いわゆるダイジェスト版的な印象は否めないのではないだろうか。

 尤も、前述のとおり「A New Translation」的な手法は充分機能していると思うのだが、それが全ての観客に理解されるかどうかは難しいのかな、と思うわけだ。

 余談だが「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」のレビューが多くのサイトや、ブログで公開されている。
 比較的多くのサイトやブログが、旧「機動戦士Zガンダム」と本作との相違点をあげつらう事に終始している。
 作品の枝葉ではなく、大元の物語を見ることを考えていただきたいと思うのだ。
 重要なのは、捨てられた野菜の葉や、魚の骨ではなく、器に盛られた料理を味わうことだと思うのだ。

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「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」チケットにまつわるお話

 「東京国際ファンタスティック映画祭2004」チケット販売日当日、わたしは池袋東武のチケットぴあに9:00頃から並んでいた。
 10:00の開店と同時にチケットの販売が始まり、わたしの計画では、おそらく一番人気の「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」を早めに抑えるつもりだったのだが、どうしても見たかった『激突!! 亜細亜颱風 韓流VS.タイ道』と『ナイトメアー・ビフォア・ファンタ アトラクション劇場1』を先に押さえてしまった。
 その微妙なタイムラグのため、「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」は完売、仕方がなく次点の「鉄人28号 インターナショナル・ヴァージョン」を押さえた。

 さて当日券だが、「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」の当日券は10:00から150枚だけ販売するという情報を得たわたしは、8:20頃に会場に到着するが、既に整理券の配布は済み、150枚のチケットの購入者は決定されていた。あきらめきりないわたしは、係の人と雑談をしていたところ、一人の女性が列から出て来た。
 体調が悪くなったので帰ります。という彼女の手には一枚の整理券が・・・・。
 たまたまそこにいたわたしは、その女性からその整理券を譲り受け、列の最後尾につく事になった。世の中不思議なことはあるものですね。
 
 さて、その女性だが、係の人が救急車を呼びましょうか、とかいいながら連れて行ってしまったので、きちんとしたお礼が出来なかったわたしは残念な思いでいっぱいなのだ。
 もし、このブログを見ていただけたなら、ご連絡をいただければ幸いです。

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 ところで、当日券の最後尾だったわたしは、予定通り立ち見だった。
 立ち見といっても、舞台挨拶や、本編を見る分にはぜんぜん問題はなかった。
 わたしが選んだ立ち見の場所はスクリーンに向かって右端の通路であったのだが、本編終了後、実はゲストの皆さんが座っていた席のすぐ近くであった。
 拍手に送られたゲスト4名は、すたすたと新宿歌舞伎町を歩いていく。立ち見だったわたしは何の気なしに、彼等を尾行したわけだ。
 歌舞伎町の街を平然と歩く富野由悠季、池田秀一、飛田展男、古谷徹の4人組。なんとも不思議な光景であった。

☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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 さて先日お話しした「東京国際ファンタスティック映画祭2004」が終了しました。
 で、結果的にわたしは次の作品を見ました。近日中に全作品のレビューを行う予定ですが、とりあえずご報告まで。

10/14
『ナイトメアー・ビフォア・ファンタ アトラクション劇場1』
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス デジタルリマスター版」
(日本語吹替版)

10/15
『激突!! 亜細亜颱風 韓流VS.タイ道』
「TUBE チューブ」
「ボーン・トゥ・ファイト(原題)」
「ガルーダ」
「リザレクション」

10/16
「鉄人28号 インターナショナル・ヴァージョン」

10/17
「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」
 
 
 余談ですが10/16の『東京国際映画祭』オープニング・ナイトの「ハウルの動く城」の一般販売は『激突!! 亜細亜颱風 韓流VS.タイ道』のオールナイト明けに、チケットぴあに直行し3時間程並んだのですが、約5分程でチケットが完売、わたしは残念ながら入手できませんでした。
 現在転売目的で購入されたチケットが多数オークションに出ています。
 ちなみに当日同時に発売になったナビスコカップの決勝のチケットは2分で完売でした。

 今回の「ハウルの動く城」チケットをわたしが購入できなかった大きな理由のひとつは会場(VTC六本木ヒルズ スクリーン7)のキャパシティが640名だ、ということだと個人的には思いました。渋谷のオーチャード・ホールは2150席ですからね。
 まあいろいろ大人の事情があるのだと思いますが、従来のように渋谷で開催して欲しかったな。と思うしだいでございます。
 今年も映画祭の季節がやって来ました。以前のように会場に入り浸り、ということもできないし、週末の旅行の予定も入っているので、今のところはこんな予定です。
 
 
『東京国際ファンタスティック映画祭』

10/14
『ナイトメアー・ビフォア・ファンタ アトラクション劇場1』
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス デジタルリマスター版」
(日本語吹替版)

10/15
『激突!! 亜細亜颱風 韓流VS.タイ道』
「TUBE チューブ」
「ボーン・トゥ・ファイト(原題)」
「ガルーダ」
「リザレクション」

10/16
「鉄人28号 インターナショナル・ヴァージョン」

10/16 元気だったら当日券で見ようかな
『恐怖!恒例!プレミアムホラーナイト 20周年記念版』
「ソウ」
「スピーシーズ3」
「ハウス・オブ・ザ・デッド」

10/17 当日券が買えたら立ち見の予定
「機動戦士Zガンダム−星を継ぐ者−」
 
 
『東京国際映画祭』

10/23 オールナイト明けの一般売りにかけてます
「ハウルの動く城」

10/24
「海猫」

10/24 現在チケット未入手なんとか見たい
「ライフ・イズ・コメディ!」

10/26 現在チケット未入手なんとか見たい
「スカイキャプテン −ワールド・オブ・トゥモロー」
 2004/10/12 東京新宿「東京厚生年金会館」で「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス デジタルリマスター版」の試写を観た。

 ゲストは「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」ファンを代表したベッキー。

 ハロウィン・タウンの王ジャック・スケリントンは、毎年繰り返されるハロウィンのお祭りにうんざりしていた。
 ハロウィンの祭りの後、街を出て森をさまようジャックは、クリスマス・タウンに迷い込んでしまう。
 そこは・・・・

監督:ヘンリー・セリック
製作・原案:ティム・バートン
音楽:ダニー・エルフマン
声の出演:クリス・サランドン(ジャック・スケリントン)、キャサリン・オハラ(サリー/ショック)、ウィリアム・ヒッキー(フィンケルスタイン博士)、ダニー・エルフマン(ジャックの歌/バレル他)、ポール・ルーベンス(ロック)、ケン・ページ(ウギー・ブギー)、グレン・シャーディックス(メイヤー)
 
 
 本作「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス デジタルリマスター版」は、1993年に製作され、1994年に日本公開された「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」のデジタルリマスター版であり、日本公開10周年記念として、2004年に日本公開されることになった作品である。

 どの辺がデジタルリマスター版なのかは、チラシやオフィシャル・サイトを見ても判然としないが、フィルム自体は新作同様と言っても差支えないほどのクリアなものだった。
 わたしの記憶では、旧「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」のフィルムでは、ジャックの目の中や口の中ははっきりと見えなかったように記憶しているのだが、今回のリマスター版では、明度が上がったのか、ライトがあたったジャックの目の中や口の中がはっきり見えてしまっているカットが多々あり、若干興ざめの印象を受けた。

 本作「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は、もう10年前の作品であり、既に語りつくされた感があり、わたしはこの作品について特に解説をするつもりはないのだが、本作「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は、ストップ・モーションと言うアニメーション手法を使った作品の最高峰のひとつだと言って差支えは無いだろう

 また、映画やキャラクターの魅力を取り上げても、既にクラシックなカルト・ムービーの域に達しており、ファッションやサブ・カルチャーにも多くの影響を与える文字通りエポック・メイキングな作品としても高く評価されている。

 ストップ・モーション技法については、それまでは、基本的にフィックスした画面の中(勿論それまでの映画にもカメラの動きはあったが、)で、ストップ・モーション・アニメが展開していたのであるが、本作では、カメラが信じられないほど縦横無尽に動き回り、一般の映画並みのカメラ・ワークが味わえるのである。

 また、ヘンリー・セリックのストップ・モーション技術自体の冴えは言うまでも無く、中盤に登場するウギー・ブギーのダンスのシークエンスなどは、あの袋の中には、人が入ってるんじゃねえの、と思えるほど素晴らしい動きをしている。

 更に、カメラの動きと俳優(人形)やプロップの動きのタイミングや間が絶妙であるし、ダニー・エルフマンのあまりにもエモーショナルな楽曲が、観客の心を鷲掴みにした上、揺さぶり続けている。

 余談だが、古くはレイ・ハリーハウゼンの一連の作品から、「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲」(1980)のトーントーンやATTAスノー・ウォーカーのシークエンス、フィル・ティペットが担当したストップ・モーションと比較して見ると興味深いかもしれない。
 更に余談だが、ヘンリー・セリックの次の作品「ジャイアント・ピーチ」も凄いぞ。

 まあ、結論としては今回の上映は、バージョンはともかく「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」を劇場で観ることが出来る貴重なチャンスであるから、そのチャンスを生かして多くの人々に観て欲しい作品なのだ。

 あと本作「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」はなんだかんだ言ってティム・バートンの名前が冠についているが、きちんとヘンリー・セリックの作品として、認知しそして評価しなければならない作品んのではないか、とわたしは思うのだ。 

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 舞台挨拶だが、この前に「東京厚生年金会館」で試写が行われた「アラモ」のテリー伊藤同様、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」ファン代表のベッキー、というのはよくわからない人選だった。司会の映画パーソナリティ某も多分同一人物だったと思う。

 しかも、話の内容は作品からどんどんかけ離れベッキーのハロウィンやクリスマスの過ごし方の話になってしまうし、映画パーソナリティ某は「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は「シザー・ハンズ」と並びティム・バートン監督作品の傑作だ、と言うにいたっては、呆れてモノが言えない。

 キャストやスタッフを呼べないなら、イベントなどやらずに、即映画を上映して欲しいものだ。

 なお、10月14日の「東京国際ファンタスティック映画祭」で上映される際の舞台挨拶は、ジヤックの日本語吹替えを行った市村正親が舞台挨拶に登場するらしい。(これも観にいく予定)

 更に余談だが、今回の試写会には「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」ファッションに身を包んだ人々が結構いた。 
 そんなんじゃダメだ、とは言わないが、何か勘違いしているんじゃないかな、と個人的に思った。
 ファッションではなく、本質を捉えて欲しいのだ。
 2001/10/10 東京銀座「ヤマハホール」で「スクービー・ドゥー 2 モンスターパニック」の試写を観た。

 スーパー・ナチュラルな事件が起きればどこへでも、サイケなペイントを施したスペシャル・バン“ミステリー・マシーン”に乗ってかけつけ、アッという間にナゾを解決、モンスターを退治する、今や向かうところ敵なしの全米中のスーパー・アイドルになってしまった“ミステリー社”の4人と1匹。

 ところが、“ミステリー社”が今まで退治したさまざまなモンスターの衣装を展示し、パトリック・ワイズリー(セス・グリーン)が館長を務めるクールソニアン犯罪博物館のオープニング・セレモニー中に仮面の男が率いるモンスターが現れセレモニーは大混乱、“ミステリー社”の人気も地に落ちてしまう。

 TVレポーター、へザー・ジャスパー=ハウ(アリシア・シルバーストーン)は“ミステリー社”を激しく攻撃し、クールズヴィル市民はモンスターの恐怖に怯えていた。

 そして・・・・。

監督は前作同様ラージャ・ゴスネル
出演は、フィレディー・プリンズ,Jr(フレッド/ミステリー社)、サラ・ミシェル・ゲラー(ダフネ/ミステリー社)、マシュー・リラード(シャギー/ミステリー社)、リンダ・カーデリーニ(ヴェルマ/ミステリー社)、セス・グリーン(パトリック・ワイズリー)、ピーター・ボイル(ジェレマイア・ウィックルス)、アリシア・シルバーストーン(へザー・ジャスパー=ハウ)

 本作「スクービー・ドゥー 2 モンスターパニック」は、1969年から91年まで22年間に渡って放映されたアメリカの人気テレビアニメ「スクービー・ドゥー」の実写版第二弾である。

 一言で言えば、本作「スクービー・ドゥー 2 モンスターパニック」は往年のアニメーション作品「スクービー・ドゥー」のイメージを完全に踏襲した楽しいファミリー・ムービーである。

 特筆すべき点としては、CGIで表現されているスクービーはともかく、ミステリー社の4人のキャラクターの動きは、アニメーション特有の動きを完全に模倣している。
 従って本作「スクービー・ドゥー 2 モンスターパニック」はアニメーション作品「スクービー・ドゥー」のイメージを最大限に生かし、ファンのイメージを壊さず、アニメーション作品の実写化作品としては素晴らしい出来に仕上がっている。
 特にキャラクターのそっくりさ加減は賞賛に値する。

 とは言うものの、アニメーションで描かれていた(と記憶している)完璧な能天気さは、実写化により幾分薄められ、4人のキャラクターは、それぞれ悩めるキャラクターとして描かれている。
 そのあたりのさじ加減は絶妙で、本作はキャラクターの成長物語としても機能する作品に仕上がっている。

 しかしながら本作の物語はお約束でベタでチープな展開の目白押しだが、その辺りが本作を家族で安心して楽しめるファミリー・ムービーにしている所以なのだろう。

 キャストは、やはりなんと言ってもタイトル・ロールであるスクービーと、スクービーに絡むマシュー・リラード(シャギー)だろう。
 マシュー・リラードの演技と言うか、アニメ的な動きは大変素晴らしく、CGIで表現されているスクービーと見事に融和し、見事なコンビ振りを発揮している。

 また、アニメ的キャラクターとして忘れてはならないのはセス・グリーン(パトリック・ワイズリー)であろう。彼の身長の低さと髪型を含めた頭の大きさは、他の俳優と比較して等身が低く、アニメ的な印象を観客に与えている。
 また彼の「オースティン・パワーズ」シリーズで演じたキャラクターの映画的記憶を利用した脚本により、素晴らしいキャラクターに描かれているのではないだろうか。
個人的には、今後のキャリアが非常に楽しみな俳優の一人である。

 女優陣は、サラ・ミシェル・ゲラー(ダフネ)は、キュートでセクシーな魅力爆発だし、リンダ・カーデリーニ(ヴェルマ)は知的キャラだが、とあるシーンではセクシーさをアピールし、多面性のあるおもしろいキャラクターを演じている。
 また、アリシア・シルバーストーン(へザー・ジャスパー=ハウ)は憎々しげなTVリポーターを楽しげに演じている。

 VFXは何と言ってもスクービーだが、本作ではCGIと着ぐるみ等の従来の手法を使用し、CGIと従来の手法の融和に成功しているのではないだろうか。
 スクービーらの上っ面だけではなく、重量が感じられるCGIに好意的な印象を受けた。

 あとは、サイケでヒップでキュートでセクシーな世界観が素晴らしい。特に“ミステリー社”の事務所が素晴らしい。

 本作「スクービー・ドゥー 2 モンスターパニック」、大人でも、素直な少年の心で見ることができれば、大変楽しい作品である、と言えるし、楽しい仕上がりを見せた素敵なファミリー・ムービーと言えるだろう。

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 アニメーション作品の実写化と言えば、最近の邦画では「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」があるが、スクービー同様に、忍者犬獅子丸や忍者猫影千代はCGIで映像化して欲しかったと思うのだ。

「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」
http://diarynote.jp/d/29346/20040815.html
 2004/10/01 ワーナーマイカルシネマズ板橋で「インファナル・アフェア 無間序曲」を観た。

 1991年、香港。
 尖沙咀(チムサアチョイ)に君臨する香港黒社会(マフィア)の大ボス、ンガイ・クワンが暗殺された。
 その混乱に乗じて一派から離反をもくろむ配下のボス4人。組織犯罪課(OCTB)のウォン警部(アンソニー・ウォン)と相棒のルク警部(フー・ジュン)は、抗争勃発に備えて厳戒体制を敷く。
 だが、新参者の5人目のボス、サム(エリック・ツァン)だけは静観を決め込む。因果応報を信じるサムは、時機を待つ気でいたのだ。そのために彼はラウ(エディソン・チャン)を警察に潜入させようと考えていた。ひそかに想いを寄せていたサムの妻マ
リー(カリーナ・ラウ)の口からそのことを告げられたラウは、
危険を覚悟で引き受ける。
 
 クワンの跡を継いだ次男ハウ(フランシス・ン)は、知的で物静かな外見の下に策略家と野心家の顔を隠していた。
 4人のボス各々の弱みを握った彼は、一夜にして新たな大ボスとしての地位を固めてしまう。
 一方ウォン警部は、警察学校の優等生でありながら、クワンの私生児であることが発覚して退学処分になったヤン(ショーン・ユー)の存在を知り、秘策を思いつく。その血筋を利用してヤンをハウの組織に潜入させるのだ。無謀とも言える作戦だが、ヤンにとっては警官になれる唯一のチャンスだった。

 そして・・・・
 (オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督は、アンドリュー・ラウとアラン・マック。
出演は、エディソン・チャン(若き日のラウ)、ショーン・ユー(若き日のヤン)、アンソニー・ウォン(ウォン警部)、エリック・ツァン(サム)、カリーナ・ラウ(マリー)、フランシス・ン(ハウ)、チャップマン・トウ(キョン)、フー・ジュン(ルク)。

 本作「インファナル・アフェア 無間序曲」は、現代の香港が世界に誇る「インファナル・アフェア」の続編であり、時系列的には「インファナル・アフェア」三部作の第一作目に位置する作品である。
 前作「インファナル・アフェア」は聞くところによると、脚本に3年程かけたらしいが、本作「インファナル・アフェア 無間序曲」と2005年GWに日本公開予定の「インファナル・アフェア 終極無間」の脚本はおそらく突貫工事だったのではないだろうか。事実、主要プロット上に気になる点がいくつかあった。

 本作「インファナル・アフェア 無間序曲」は、前作「インファナル・アフェア」の大ヒットを受けて、製作・公開された作品である以上、当然の如く前作と比較されてしまうのは仕方がないだろう。
 前作「インファナル・アフェア」は単純で骨太な力強いプロットに、細かなプロットと伏線が見事に絡み合った素晴らしい脚本だったのだが、本作「インファナル・アフェア 無間序曲」の基本プロットは複雑でわかりづらく、新たなファン層を獲得するのは難しい仕上がりが否めない。
 時系列的に考えた場合、三部作の一作目に当たる作品に取っては、若干の問題点を抱えている、といえるのではないだろうか。

 それに加えて、若き日のラウ(エディソン・チャン)とヤン(ショーン・ユー)のキャラクターが似ているため、余計に物語がわかりづらい印象を観客に与えている。
 どうせなら、どちらかを血気盛んな感じのキャラクターにして、もうひとりは従来通りのクールな感じで演出し、本作か次回作「インファナル・アフェア 終極無間」の物語の途中で何か大きな出来事により、血気盛んなキャラクターがクールなキャラクターに転化する、と言ったプロットが必要だったのではないだろうか。

 また、プロット上の気になった点だが、一番凄いのは何と言っても、ハウ(フランシス・ン)とヤン(ショーン・ユー)とを血縁関係にしてしまった事だろう。
 この仰天プロットでは一般的に考えてヤンをどうやってサムの部下にするのは困難だろう。
 好意的に考えて、ヤンをどうやってサム(エリック・ツァン)の配下にするのかお手並み拝見なのだ。見事な着地を期待したい。
 この辺は「ギャング・オブ・ニューヨーク」のダイエル・デイ・ルイスとレオナルド・ディカプリオの関係と比較するとおもしろいかもしれない。

 また、前作ではヤンを兄貴と呼んでいた(わたしの記憶では)キョン(チャップマン・トウ)が、サムの現在の配下の中では古株で、新参者ヤンの兄貴分にあたるのではないかと思うのだが、その辺はどうなんだろう。何か立場が逆転するエピソードでもあるのだろうか。

 キャストについては、サム(エリック・ツァン)、ハウ(フランシス・ン)、ウォン警部(アンソニー・ウォン)に尽きるだろう。
 最初に印象的な動きをするのは、インテリ黒社会(マフィア/ヤクザ)を見事に演じたハウである。冒頭付近、電話を何本かかけるだけで、抗争勃発寸前の尖沙咀(チムサアチョイ)を掌握してしまう様は、格好良すぎなのだ。あとは潜入捜査官を処刑するシークエンスや、ヤンのケーブルを見つける所など、感涙モノだと言えよう。
 そして、ハウが観客に見せてくれるのは、黒社会の中心にいながらも家族を愛する一般の家庭人の姿なのである。その辺りはおそらくフランシス・フォード・コッポラの「ゴッド・ファーザー」への言及やリスペクトなのだと思うが、わたし的には非常に良い印象を受けた。
 
 そして何と言ってもサム(エリック・ツァン)である。もう格好良すぎの美味しいキャラクターなのだ。
 冒頭のウォン警部を前にしての食事のシークエンスも、前作を髣髴とさせる良いシークエンスだし、警察の正門を出た後のドタバタも楽しい。そして前作で描写された頭の良い大ボスになる片鱗を随所で見せてくれているのは、とっても楽しいのである。

 一方ウォン警部(アンソニー・ウォン)は微妙である。
 と言うのも、本作の物語の根幹に関わるある行動を行うのだが、その辺りが前作のキャラクターと、ちと乖離しているような印象を受ける。
 勿論、演技は素晴らしいし、ルク警部(フー・ジュン)とのコンビも楽しいのだが、三部作を考えた場合、キャラクター設定に若干無理があるような気がした。それとも次回作に大きな転換があるのかな。

 脚本は前述のように若干突貫工事的な印象が拭いきれず、少し残念だが、だからと言って物語がつまらない訳ではなく、物語世界にどっぷりと浸れる非常に楽しい脚本に仕上がっている。
 また、冒頭のラウ(エディソン・チャン)の前作同様の癖や、音楽やコンポへの言及あたりが前作ファンへの心憎いサービスになっている。

 ああ、早く「インファナル・アフェア 終極無間」が観たいのだ。

☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

「インファナル・アフェア」
http://diarynote.jp/d/29346/20040115.html
「インファナル・アフェアIII/終極無間」
http://diarynote.jp/d/29346/20050407.html

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 余談だが、英題の「Infernal affairs」は「Internal affairs」(内務)のもじりで、直訳すると「地獄の事務」(ひどい仕事)と言う事になる。
 因みに、「Internal-affairs investigation」で「内務調査」という意味である。
 2004/10/04 日本ヘラルド映画試写室で「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観た。

 ご参考までに、先日「恵比寿ガーデンシネマ」で観た際のレビューはこちら。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040930.html

 今回でわたしは「モーターサイクル・ダイアリーズ」を2回観た訳であるが、個人的な印象としては2回目である今回の方が感涙の度合が高かった。これはゲバラの生涯について若干勉強した上で2回目の上映に望んだ事に起因するのかも知れないし、大きな劇場ではなく小さな試写室で観た事により本作への没頭の度合が高まり、感涙指数をも高めていたのかも知れない。

 泣ければそれは良い映画だ、と言うつもりはさらさらないが、この映画は程よく泣ける素晴らしい作品に思えるのである。

 
 今回特に印象に残ったのは前回同様サン・パブロのハンセン病隔離医療施設のシークエンスである。

 旅を始めた当初は、エルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)とアルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)は、アルベルトのおんぼろバイク「ポデローサ号」の上から南米を眺めており、視線は一段高く、しかもスピードも速い視線、言うならば当事者ではなく部外者の視線で南米全土を見ていた訳なのだ。
 しかし、旅の後半、徒歩旅行を余儀なくされた彼等の視線は、より弱者である民衆のそれに近づき、彼等は部外者ではなく当事者の視線で南米が置かれている現状に目を向けるのである。

 そしてそんな旅の途中、彼等はリマのペシェ博士(グスターボ・ブエノ)のはからいで、サン・パブロにあるハンセン病の隔離医療施設でボランティア医師として働く事になる。
 勿論本作「モーターサイクル・ダイアリーズ」自体が、エルネストとアルベルトの成長物語と捉える事が出来るのだが、その中でも、ハンセン病の隔離医療施設での出来事は、将来の二人の生き様に大きな影響を与える象徴的な出来事に満ちている。

 さて、その隔離医療施設だが、施設自体は地元の修道院の隔離方針に則って運営されており、医師等スタッフと重篤な患者たちは、その他大勢の患者たちとアマゾン川を隔てたそれぞれの対岸で暮らしており、医療行為において患者に触れる際は医師にはゴム手袋の着用が義務付けられていた。

 修道院長は、エルネストとアルベルトにも施設の医師同様、ゴム手袋の着用を要請するが、彼等はそれを拒否し、素手でハンセン病患者と触れ合うのである。
 そしてそれはいつしか施設の医師たちにも広がって行く。

 また、隔離医療施設で24歳の誕生日を迎えたエルネストは、誕生パーティのスピーチで南米の現状と将来の理想像に触れ、パーティ開場には微妙な空気が流れるが、その微妙な空気の中、アルベルトはエルネストが変わってしまった事を確信するのである。

 更にエルネストは、アマゾン川対岸にいる多くのハンセン病患者たちに、誕生日を祝ってもらう為、ある行動を取る。
 その行動に対し、アルベルトを始とした医師等がかける言葉と、ハンセン病患者たちがかける言葉との対比が、エルネストの革命家としての将来を象徴的に表しているのではないだろうか。
 この時点で、エルネストは強者側ではなく、弱者側に自分の足で立った訳である。

 そんなエルネストが後年20世紀最高のイコン、世界で一番美しい革命家チェ・ゲバラになる訳なのである。
 それを思うと、文字通り涙が止まらないのだ。

 更にアルベルトがエルネストの志を受け、後年行うある行動にも滂沱なのだ。

 何しろ、エルネストが転がした小さな石は、アルベルトの心の中でも転がり続けているだろうし、勿論われわれの心の中でも転がり続けているはずなのだから。

「これは偉業の物語ではない、同じ大志と夢を持った二人の人生がしばし併走した物語なのだ」

 とにかく見ろ!

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 脚本は、先日お話したように散文的で下手をすると伏線を無視した脈絡のないものだと言われかねない。
 しかし、編集も繋がりをあまり重視せずに見せたいものを見せたい順序で見せる散文的な手法を取っており、それが観客の記憶にも似た効果をあげている。

 腫瘍の告知と、小説の感想を告げるシークエンスも興味深い。
 25米ドルの行方と、喘息の薬の行方も興味深い。

 音楽は、特にモノクロで南米の底辺で暮らす弱者の人々を映す部分で、居心地が悪く心を逆撫でするような、音楽が印象的であった。
 エルネストの怒りを感じるのだ。
 ラストの歌モノの局も素晴らしい。

 キャストはダメな俳優は全くいない。
 完璧である。主要キャストからエキストラまで、自分の仕事を120%こなしている。
 ドキュメンタリー的な手法とも相まって、素晴らしい効果を付与している。

 また、南米のロケーション効果は素晴らしく、是非劇場で体験して欲しい作品だと思う。

 製作総指揮に名を連ねるロバート・レッドフォードだが、彼のキャリアを見渡すと、語弊はあるが「弱者が強者に歯向かう」映画が多いような気がする。本作もレッドフォードが好きそうな題材だと思える。
さて、早速ですが2004年の目標の中間発表その9です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」
 
 
1.映画

#080 「オールド・ボーイ」イイノホール 2004/09/01
#081 「デビルマン」東京国際フォーラムCホール 2004/09/05
#082 「SURVIVE STYLE5+」東宝本社試写室 2004/09/10
#083 「ヴィレッジ」日劇3 2004/09/11
#084 「ヘルボーイ」よみうりホール 2004/09/13
#085 「アラモ」東京厚生年金会館 2004/09/17
#086 「オーバードライヴ」テアトル新宿 2004/09/23
#087 「モーターサイクル・ダイアリーズ」恵比寿ガーデンシネマ 2004/09/28
 
 
2.DVD、CATV等

#129 「スター・ウォーズ エピソードI ファントム・メナス」DVD 2004/09/02
#130 「スター・ウォーズ エピソードII クローンの攻撃」DVD 2004/09/02
#131 「ノンストップ・ガール」CATV 2004/09/03
#132 「水風船(短篇)」CATV 2004/09/04
#133 「夜明け前(短篇)」CATV 2004/09/04
#134 「宿題(短篇)」CATV 2004/09/04
#135 「アイ・スパイ」CATV 2004/09/04
#136 「猟奇的な彼女」CATV 2004/09/06
#137 「エイリアン」CATV 2004/09/07
#138 「エイリアン2」CATV 2004/09/08
#139 「エイリアン3」CATV 2004/09/09
#140 「ゾンビ U.S. THEATRICAL VERSION」DVD 2004/09/09
#141 「恋愛寫眞 Collage of Our Life」CATV 2004/09/16
#142 「2LDK」CATV 2004/09/16
#143 「ゾンビ EUROPEAN VERSION」DVD 2004/09/16
#144 「荒神」CATV 2004/09/16
#145 「インファナル・アフェア」DVD 2004/09/19
#146 「ブラック・ダイヤモンド」DVD 2004/09/19
#147 「スター・ウォーズ エピソードIV 新たなる希望」DVD 2004/09/24
#148 「スター・ウォーズ エピソーV 帝国の逆襲」DVD 2004/09/27
#149 「スター・ウォーズ エピソーVI ジェダイの帰還」DVD 2004/09/29
 
  
3.読書

#026 「ランゴリアーズ」スティーヴン・キング著 小尾芙佐訳 文春文庫 2004/09/11
#027 「池袋ウエストゲートパーク」石田衣良著 文春文庫 2004/09/17
#028 「骨音/池袋ウエストゲートパークIII」石田衣良著 文藝春秋 2004/09/24
 
  
映画は、劇場8本(累計87本)、DVD等21本(累計149本)で、計29本(累計236本)。
このままのペースで、年間315本(劇場116本)です。

読書は3冊(累計28冊)で、このままのペースでは、年間37冊です。

映画はともかく、読書の状況は厳しいです。
先は長いですが頑張ります。

※ 参考 昨年同時期の状況
映画 229本(劇場60本)
読書 42冊
2004/09/28 東京恵比寿「恵比寿ガーデンシネマ」で「モーターサイクル・ダイアリーズ」の試写を観た。

 「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、2004年に日本公開となる作品の中で、わたし的に観たくて観たくて仕方が無かった作品のひとつである。
 過度な期待のため、わたしの中では本作の予告編映像が美化され膨張し、既に傑作としての風格と記憶を持った素晴らしい作品になってしまっていた。
 わたしはそんな中で本作「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観た訳である。
 
 
 1952年1月、南米アルゼンチン。
 喘息もちなくせに恐れを知らない23歳の医学生エルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、親友の生化学者アルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)とともにアルベルトのおんぼろバイク(ノートン500/ポデローサ号)を駆って南米大陸を縦断する冒険の旅に出る。
 それは金も、泊まるあてもなく、好奇心のままに10,000キロを走破する無鉄砲な計画だった。

 冒険心、情熱的な魂、旅を愛する心でつながれた二人のゆるぎない友情。
 心をふれあったすべての人に、惜しみない愛を捧げた、エルネストの瞳に映る南米大陸の様々な風景。その記憶が彼の未来を変えた。

 のちに親しみを込めて「チェ」と呼ばれ、世界中から愛される20世紀最大の美しきイコンとなった青年の真実の物語。
 (オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

製作総指揮:ロバート・レッドフォード、ポール・ウェブスター、レベッカ・イェルダム
監督:ウォルター・サレス
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル(エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(アルベルト・グラナード)、ミア・マエストロ(チチナ・フェレイラ)
 
 
 本作「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナが著した「モーターサイクル南米旅行日記」(現代企画室刊)とアルベルト・グラナードが著した「Con el Che por America Latina」を基に、ホセ・リベラが脚本を執筆したもので、おそらく誇張はあるものの基本的には真実の物語である、と言えよう。

 本作の作風は、−−勿論日記を原作としている事もあるのだろうが−−、散文的で脈絡が無く、一歩間違えると長大な物語のダイジェスト版的な印象を観客に与えてしまうきらいが否定できない。
 これは例えば、先のシークエンスでは体調を崩していたエルネストが次のシークエンスでは元気にバイクに跨っていたり、二人が雪山で途方にくれている次のシークエンスでは、二人が陽光溢れる通りを走っていたり、バイクで転倒してズボンの裾をめくり傷を確認したが、その伏線の回収がされない、といったような部分に顕著に表われている。

 この辺りは、物語を描く上で、事象の「発端」と「経過」と「結末」を重視する観客にとっては、違和感があるところだと思うし、伏線となるべき映像を見せておきながら、その伏線を全く回収しないのは、全く持ってけしからん、という印象を観客に与えてしまう可能性もある。
 しかし本作は、舞台やシークエンスが変わる度に、日時と場所と走行キロ数を画面に表示させるだけで、事象の「結末」を描かないし、伏線を回収せず、宙ぶらりんの状態で物語を紡ぎ続ける、と言うスタイルを確信犯的に貫いている。

 このように物語の中で起きる事象の「結末」を突き放し、観客に事象の「結末」を想像させる手法は、物語の行間を観客に読ませ、物語が描いている登場人物が直面している事象について、登場人物と一緒に考えさせる、と言った素晴らしい効果を内包しているのではないか、と思えるのだ。

 また本作は、最早神格化されてしまい、20世紀最大のイコンとなってしまっている美しい革命家チェ・ゲバラが、単なる医学生から革命家に成長する要因やその背景を若々しく描いた作品であり、その散文的で脈絡のない描写手法と相まって、わたしたちがゲバラに対して抱いている先入観や、様々な伝説とが、物語を補完し脳内で最良の「ゲバラの青春時代」を再構築する、という構図をも持っているのだ。

 そして本作は、ゲバラが神格化されてしまったが故の、世界中の人々を敵に回してしまうような取扱い注意の題材を題材としてしまった作品にもなっているのだが、本作がたおやかに指し示すのは、大らかで爽やかで、弱者に対する溢れんばかりの愛と、強者に対する漠然とした疑問に満ちた、孤高で素朴な視線なのだ。
 ゲバラの事を知っている人も知らない人も十分に明確なゲバラ像を脳内に構築できる懐の大きな作品に仕上がっている。
 
 
 とにかく、わたし的には、政治的思想的背景をおざなりにし、チェ・ゲバラをファッションのひとつとしか捉えていないような日本の若者に是非観ていただきたい作品である、と思うし、この作品を観て、911同時多発テロからのイラクへの動き、郵政民営化問題やプロ野球の再編問題、物事の大小にかかわらず、このような弱者と強者が対峙する構図を持つ様々な問題について、自分の事として、自分の頭で考えていただきたいと思う訳なのだ。

10月4日に再度「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観る予定なので、今日のところはこんなところで失礼します。

「モーターサイクル・ダイアリーズ」その2
http://diarynote.jp/d/29346/20041004.html
2004/09/23 東京新宿「テアトル新宿」で「オーバードライヴ」の試写を観た。

 当日は主演の柏原収史と津軽三味線音楽監督の高橋脩市郎の津軽三味線のライヴと、監督の筒井武文、出演の柏原収史、鈴木蘭々、賀集利樹、杏さゆり、阿井莉沙、新田昌弘、高橋脩市郎らの舞台挨拶があった。

 人気絶頂のユニット「ゼロデシベル」の(自称)天才ギタリスト麻田弦(柏原収史)は、記者会見の席上、ヴォーカルの美潮(鈴木蘭々)に突然クビを宣告される。おまけにひょんなことから津軽三味線の後継者探しをしている謎のジジィ五十嵐五郎(ミッキー・カーチス)に拉致され、まるで不思議の国のごとき青森の人里離れた屋敷で地獄の三味線修行を強いられる!
 あまりのハードさに一旦は逃亡を計画するも、ジジィのかわいい孫娘五十嵐晶(杏さゆり)に一目惚れをしてしまった弦は、ふらふらと思いとどまることに。やがて晶に思いを寄せる見目麗しき三味線界のプリンス大石聖一郎(新田昌弘)の登場に、ライバル心を燃やす一方で、津軽三味線という楽器の奏でる音の奥深さに気づき始めた弦は、次第にその才能を開花させるのだった。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督は筒井武文
出演は柏原収史、鈴木蘭々、杏さゆり、賀集利樹、ミッキー・カーチス、小倉一郎、阿井莉沙、諏訪太郎、石橋蓮司、新田弘志、新田昌弘、木下伸市、高橋脩市郎
 
 
 この秋オススメの青春音楽コメディ映画である。
 音楽コメディと言えば最近なにかと話題の「スウィングガールズ」があるが、「スウィングガールズ」は本来描くべき演奏シーンが少ない反面、枝葉部分に尺を割き、音楽映画としては残念な仕上がりだったのだが、本作「オーバードライヴ」では津軽三味線の演奏シーンを充分堪能できる見事な音楽映画に仕上がっている。
 その津軽三味線の演奏シーンだが、カット割で誤魔化して見せるような手法ではなく、引いたカメラでワンカットで演奏を見せるような手法を用い、ライヴ感や緊張感溢れる手法で描写されており好感が持てた。
 今回津軽三味線に挑戦する柏原収史は、元々ギターを弾いていたこともあるのだろうが、演奏自体も堂に入っており、試写前にステージ上で行われた高橋脩市郎との津軽三味線セッションもロック・スピリット溢れる見事な演奏だった。

 ところで脚本の基本プロットは「津軽三味線の後継者を探す人物が主人公に目を付け拉致の上、無理矢理津軽三味線の特訓を始める。最初はやる気がなかった主人公が様々なモチベーションの下、本気で練習を始め、大きな成果をあげ、人間的にも成長する」と言う、ベタでお約束なものなのだが、個々の細かいプロットが非常に楽しく、漫才的、漫画的脚本に仕上がっている。

 また、要所要所(物語の展開時)に挿入される阿井莉沙(歌姫)の和風ヒップホップ&ラップ調による物語進行や主人公の心象風景や、柏原収史の心の声をアニメーションで表現したりするところが大変興味深い。
 特に柏原収史の心の声については、天使と悪魔の声の対比が面白かった。

 そして物語の根底にあるのは「技術ではなく魂」である、と言うもの。このあたりはブルース・リーの「燃えよドラゴン」の”Don’t think, Feeeeeeel!”が重要なモチーフになっており、「燃えよドラゴン」の影響下にある(と一部で言われている)「スター・ウォーズ/新たなる希望」の引用らしきもの(ダーク・サイドやライト・セイバーと津軽三味線の対比)も登場する。

 キャストはなんと言っても柏原収史(麻田弦)であろう。髪型を含め顔が大きく頭身が若干低めである柏原収史の外見は、ある意味麻田弦と言う漫画的キャラクターの成立に貢献しているのではないだろうか。そして彼はコミカルな演技からシリアスな演技までをソツなくこなしているのだ。勿論津軽三味線の演奏も素晴らしく、ラストの津軽三味線バトルの選曲には若干問題を感じるものの「クロスロード」やなんかのギター・バトルのシークエンスに匹敵する津軽三味線バトルが楽しい。

 ミッキー・カーチス(五十嵐五郎)や小倉一郎(五郎の息子で晶の父)、石橋蓮司(大石派代表)は世界観の構築について大きな貢献を果たし、良い味を出している。彼等のような名バイプレイヤーの重要性を感じる瞬間である。
 彼等を生かす脚本も良い出来で、ミッキー・カーチスの津軽三味線に関する天丼的セリフや、キャラクターを生かしたマイペース小倉一郎や、いいかげん石橋蓮司が楽しませてくれる。

 新田親子(新田弘志(倉内宗之助)、新田昌弘(大石聖一郎))は親子津軽三味線奏者として国内外で活躍しているのだが、本作では二人の役柄が失敗すると映画自体が危うい状況になってしまうほどの大きな役柄だったのだが、彼等は演技初挑戦にしては上手くこなしているようである。下手をすると賀集利樹(ジン)より俳優的な演技を行っているような印象を受ける。
 特に新田弘志(倉内宗之助)は存在感が素晴らしい。

 ヒロイン役の杏さゆり(五十嵐晶)は、キャラクターが良く構築されており、非常に魅力的に見えた。これにより主人公麻田弦(柏原収史)が恋愛感情を抱く、という説得力の付与に貢献している。
 また彼女の役柄が物語の根底となる「技術ではなく魂(”Don’t think, Feeeeeeel!”)」を体現するキャラクターという、重要な役柄であるだけに、キャラクターの背景に観客が感情移入しやすい役柄になっている。

 また「ゼロデシベル」のヴォーカル美潮を演じた鈴木蘭々は、なんと言ってもラストのライヴ・シーンが圧巻である。
 勿論他のシークエンスでも充分な印象を観客に与えているのだが、下北半島の作りこまれた世界観に対比して、東京の世界観に若干見劣りするため、東京のシークエンスでは強烈な印象とならない、ということである。
 その点前述のライヴ・シーンは、「ゼロデシベル」のヴォーカリストとしての抜群の存在感と圧倒的なカリスマ性を見せてくれている。

 また物語の進行役的役柄(狂言回し)歌姫を演じた阿井莉沙も非常に音楽性が高く魅力的な印象を受けた。
 ラストカットは蛇足だが・・・・。

 美術や衣装は前述のように下北半島の素晴らしい世界観の構築に貢献し、大変素晴らしい。ハリボテ感満載の五十嵐邸も逆説的に素晴らしく、リアリティが無いところが、逆に漫画的リアリティの付与に成功しているのではないだろうか。

 とにかく本作「オーバードライヴ」は、津軽三味線が最高に格好良く、音楽作品としても十分楽しめる青春コメディ映画で、この秋「スウィングガールズ」以上に楽しめる音楽映画とも言えるのだ。
 前略、関口現さま

 はじめてお便り差し上げます。
 わたしは、先日東宝本社試写室で行われた「SURVIVE STYLE5+」のティーチ・イン試写会に参加したtkrと言う者です。
 「SURVIVE STYLE5+」と試写後に行われたティーチ・インの中で、関口現さまのお人柄に感じ入り、失礼とは思いましたが、お便り申し上げた次第でございます。

 さて、関口現さまと多田琢さまのCF業界における名声は勿論存じておりましたし、TVで放送されるお二人が製作された様々なCF作品を目にする機会も多く、そんなお二人が「SURVIVE STYLE5+」と言う作品で映画業界に殴りこみをかける、と言う事ですから一映画ファンとして大きな期待を持っていました。
 しかしその反面、一映画ファンとしましては、CF業界のクリエイターが映画を製作する、と言う事に対して否定的な思いがあった事も事実です。

「CFが評価されてるからって映画界を荒らすんじゃねえよ」
「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」
 
 そして実際のところわたしは、ティーチ・インの場では「SURVIVE STYLE5+」とお二人に対して、厳しく辛辣な意見をぶつけ、泣かしてやろう、と言うような気持ちで参加したのです。
 
 そんな中、わたしは「SURVIVE STYLE5+」を体験した訳です。

 オープニング・クレジットは、最近ありがちのフラッシュ・アニメーション系のクレジットでした。最近では「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」や「69 sixty-nine」、「サンダーバード」でおなじみです。

 「なんだよ、またフラッシュかよ」と思いながらクレジットを観ていたのですが、わたしの記憶に何かが引っかかりました。それは丁度催眠術師青山を演じた阿部寛のクレジット部分でした。

 「おやっ、市川崑が入っているぞ!?」わたしは市川崑へのオマージュと思われるクレジットに愕然とし「もしかしたら、こいつら一味違うかもしれない」と思ったのです。
 一般的にわかりやすい映像作家へのリスペクトではなく、通好みの映像作家へのリスペクトらしきモノを見つけたわたしは、「もしかしたらこいつら映画莫迦なのかも知れない」わたし達に近いモノを持っている人かも知れない、と思った瞬間でした。

 本編が始まり、森のシーンから石垣(浅野忠信)が帰ってきます。その自動車のミラーにぶら下がるモノはかつての角川映画を彷彿とさせるものでした。
 そして、翌朝の朝食のシークエンスでは、石垣(浅野忠信)が食事する姿を横パンでとらえ、石垣(浅野忠信)はあろうことかコーヒーを一気飲みするのです。
 「あぁ、これは森田芳光の「家族ゲーム」だったのだ」だとすると石垣(浅野忠信)が着ている印象的なコートは松田優作のコートに対するオマージュなのか!?

 そして、青山(阿部寛)とCMプランナーの恋人洋子(小泉今日子)のシークエンスでは、モロにスタンリー・キューブリックの「シャイニング」への言及があります。しかもREDRUMの解説や、ダニーのモノマネまで阿部寛にやらせる徹底振りに驚かされてしまいます。

 さらにキューブリックへのオマージュは続き、勿論シンメトリーな構図は続くし、極めつけは空中から石垣(浅野忠信)の目前まで落ちてきた妻(橋本麗香)が石垣(浅野忠信)に殴りかかるシークエンスでは「時計じかけのオレンジ」のラストカットにかぶるベートーベンがかかった日には、映画的記憶と合わさった感動のあまり、文字通り身動きが取れなくなってしまいました。

 更に、小林(岸部一徳)一家の団欒のシーンでは、ヴィンセント・ギャロの「バッファロー’66」のカット割を再現し、動きが繋がったまま別のカットに変わる度合は「バッファロー’66」をはるかに凌ぎ、あれは一体どうやって撮ったのだろう、という疑問まで湧きました。

 また、本作自体がある意味「マグノリア」をはじめとする、「複数のエピソードを語りつつ、最後に1本のプロットで纏め上げる」と言う方式の作品であった事もあるのですが、ラストの出来事を見つめる洋子(小泉今日子)が乗るタクシーの窓にカエルのステッカーが貼られている所を見ると、「あぁ、やはりこれは「マグノリア」だったんだ」と観客に目配せを送るあたりは、なんとも粋な印象を受けました。

 そして、なんと言っても脚本が面白いのです。
 複数のエピソードをラストに1本のプロットに纏め上げる部分には、若干不満(見ているだけではなく、絡んで欲しかった)がありますが、それぞれのエピソードの脚本が素晴らしく、微に入り細に入り細かく演出されたディテイルが美術や衣裳と融和し素晴らしい世界観を構築しています。

 例えば、ロケットパンチや火を吹く理由が前のシークエンスで明確に描写されていたり、神木隆之介が描いた図画やセリフが非常に良い感動的な伏線になっていたり、しつこいまでの森下(森下能幸)とJ(JAI WEST)のズームアップ、荒川良々の衣裳や事務所の写真のディテイル、細かいプロットや伏線を挙げていくとキリがありません。

 そういった脚本の冴えと演出の冴え、俳優の演技、美術と相まって、本作「SURVIVE STYLE5+」は邦画の枠を飛び越えた、素晴らしい娯楽作品に昇華しているのだと思います。

 映画上映後のティーチ・インでも、関口現さまが大学時代映画研究会に属していたことを知り、様々なお話の中から「あぁ、この人は愛すべき映画莫迦だったのだ」と思い、

「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」

と思っていた元映画研究会員でもあるわたしは、そんな先入観に恥じ入る始末でございました。

 そしてわたしの中には、ティーチ・インの後、出来れば関口現さまをつかまえて、キューブリックや森田芳光、そして彼らの映画について語り明かしたい、という欲求がふつふつと沸いてきましたが、初対面でそんな失礼な事も出来ないと重い、今回この公開ファンレターと言う形でわたしの気持ちをお知らせした次第なのです。

 監督とファン、と言う図式ではなく、ただの映画好きとしてお話したいと思った次第でございます。
 と言う訳なので、お返事お待ちしています。

                                      草々

 
 ところで殺し屋(ヴィニー・ジョーンズ)が何度も何度も発する質問はアイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」に対する言及でしょうか。
 

「SURVIVE STYLE5+」
http://diarynote.jp/d/29346/20040910.html

「ヘルボーイ」

2004年9月22日 映画
2004/09/13 東京有楽町よみうりホールで「ヘルボーイ」の試写を観た。

第2次大戦末期、スコットランドのトランダム大修道院跡。
妖僧ラスプーチン(カレル・ローデン)は、オカルト結社トゥーレ協会会長カール・クロエネン(ラディスラフ・ベラン)、女将校イルザ(ブリジット・ホドソン)らナチスの小隊と共に「ラグナロク計画」を実行に移そうとしていた。

「ラグナロク計画」とは、独自に開発されたヘル=ホール発生機により、異界の門を開き混沌の7体の神オグドル・ヤハドを召喚しようとする計画。

ラスプーチンが異界の門を開き、オグドル・ヤハドを召喚しようとした瞬間、急襲したアメリカ軍部隊はその計画を阻止、ラスプーチンは異界に呑み込まれ、こちらの世界には真っ赤な小猿のような生き物が残された。

この事件の功労者、超常現象学者ブルーム教授(ジョン・ハート)は、フランクリン・ルーズベルト大統領に認可され、BPRD(超常現象調査/防衛局)を極秘に設立。
「ヘルボーイ」と名づけられた小猿のような生き物は、教授を父と慕い、トップ・エージェントとして極秘裏に魔物退治をすることになった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督はギレルモ・デル・トロ
出演は ロン・パールマン(ヘルボーイ)、ジョン・ハート(ブルーム教授)、セルマ・ブレア(リズ・シャーマン)、ルパート・エヴァンス(ジョン・マイヤーズ捜査官)、カレル・ローデン(ラスプーチン)、ジェフリー・タンバー(マニング/ジョンの上司)、ラディスラフ・ベラン(クロエネン)、ブリジット・ホドソン(イルザ)、ダグ・ジョーン(エイブ・サピエン/半魚人)
 
 
 「ヘルボーイ」とは、影と色彩の魔術師と呼ばれるマイク・ミニョーラが生み出したダーク・ヒーローで、同名コミックも1990年代のアメリカン・コミックス界におけるエポック・メイキング的作品となった傑作であり、本作はそのコミックの映画化作品、と言う事になる。

 そして本作の物語は、異界の門からわれわれの世界に転げ落ちてきたヘルボーイや半魚人、パイロキネシス(念動発火)能力者らと、彼等が所属する極秘機関BPRD(超常現象調査/防衛局)が、モンスター絡みの超常現象を解決する連作シリーズの1エピソードという形式を持っており、本作で語られるのは、ヘルボーイの出自となるラスプーチンの「ラグナロク計画」の全貌、−−その発端から結末まで−−である。

 まず、印象に残ったのは、本作のヒーローであるヘルボーイは異界からわれわれの世界にたまたまやってきた所謂モンスターである、と言うところであろう。
 世の中には、人間の味方になった「良い」モンスターが、人間にとって「悪い」モンスターたちを次から次へと退治するような物語はいくつもあるが、本作「ヘルボーイ」はそんな物語のひとつである、と言えるだろう。
 例えば、最近公開された「ヴァン・ヘルシング」も同じ骨格を持った作品だと言えるし、「デビルマン」や「フランケンシュタイン」、広義の意味で考えると「ブレードランナー」なんかも同様の骨格を持った作品だと言えるかも知れない。

 そしてそれらの物語の背景には、ヒーローたるモンスターのアイデンティティの確立の描写が必須となってくる訳である。
 そのモンスターのアイデンティティの確立が上手く描写されている作品に、−−モンスターのモンスターたる所以による悲しみとそこからの脱却と浄化が描かれている作品に−−傑作が多いのではないだろうか。

 自分は果たして人間なのか、それともモンスターなのか。

 本作「ヘルボーイ」では、その辺りについては、ヘルボーイが人間の女性に恋をすることにより、モンスターの外見を持つ存在として、その女性に相応しくないのではないかと思い悩むヘルボーイが描写されている。
 世界を救うスーパーヒーローの個人的な悩みなのである。
 これはロン・パールマンの出世作であるテレビ・シリーズ「美女と野獣」にもつながるのだろう。
 しかし、ヘルボーイが恋する女性は人間か、と言うとそうでもなく、「キャリー」や「炎の少女チャーリー」のような怪物的能力を持った女性である点が非常にシニカルである。

 語弊はあるが、外見はともかく、内面をも考えると、彼らの恋はモンスター同士の恋だと言えると思うのだが、リズは外見ではなく内面をとらえ、ヘルボーイは内面ではなく外見をとらえ、外見を重要視している訳である。

 余談だが、パイロキネシス(念動発火能力)能力者リズ(セルマ・ブレア)のセリフに『「ファイアスターター」とは呼ばれたくない』という意味のセリフがあった。
 この「ファイアスターター」とは映画「炎の少女チャーリー」の原題で、宮部みゆきの「クロスファイア」に多大なる影響を与えたスティーヴン・キングの原作小説のタイトルである。

 こういったモンスターの悲哀とも言える背景を明確に描くことにより、本作「ヘルボーイ」は、一般の娯楽アクション大作と一線を画す作品に仕上がったような気がする。

 また、ヘルボーイの人格形成に大きな影響を与えているブルーム教授(ジョン・ハート)の存在も忘れてはならない。
 ブルーム教授とヘルボーイの関係は、愛情溢れる親子関係であり、フランケンシュタイン博士と彼が創造したモンスターの関係のメタファーとなっている。
 この辺はかつて、エイリアンを体内で育ててしまったジョン・ハートという役者を使う辺りが興味深いのではないだろうか、またヘルボーイのクリーチャーとしての見世物的側面を考えた場合、ジョン・ハートが演じた「エレファントマン」との対比も面白いのかもしれない。

 ブルーム教授とクロエネン(ラディスラフ・ベラン)が対峙するシークエンスで、教授自らがかけていた「We’ll meet again(また会いましょう)」も教授とヘルボーイの関係に感動を付与する効果的な使われ方をしている。
 余談だが、「We’ll meet again(また会いましょう)」はスタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」のラストで素晴らしい使われ方をしている名曲である。

 クリーチャーやモンスターの造形は、ラブクラフトのクトゥルフ系と思われ、更にナチス・ドイツのオカルト主義的な背景や、ヒーローが所謂悪魔的な外見を持っているところが本作を印象深い作品に仕上げている。

 キャストは何と言ってもロン・パールマンだろう。ワンマンで強いヒーローでありながら、外見に悩む情けないヒーローを楽しげに演じている。これはロン・パールマンのルックスに因るところが大きいと思う。ロン・パールマンなくして「ヘルボーイ」の実写化は考えられないのだ。

 そしてジョン・ハートである。フランケンシュタインのモンスターを創造したフランケンシュタイン博士を髣髴とさせる、ヘルボーイへの愛情を色濃く反映させた素晴らしい父親像をクリエイトしている。

 脚本は、物語の根幹となる大掛かりなプロットは若干ありがちだが、世界観を構築するちいさなネタの数々が楽しい脚本になっている。
 
 観客を選ぶ作品かも知れないが、この秋是非劇場で観ていただきたい作品なのだ。
 個人的には「ヴァン・ヘルシング」を観るなら「ヘルボーイ」だな、と思う訳です。

☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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「アラモ」

2004年9月17日 映画
2004/09/17 東京新宿 東京厚生年金会館で行われた「アラモ」の特別試写会に行ってきた。
トーク・ショーのゲストは演出家のテリー伊藤。

1836年春、テキサス、サン・アントニオ。
古い教会や修道院を十数門の大砲により要塞化したアラモ砦。

テキサス州議会との意見の相違からテキサス軍司令長官の位を剥奪されたサム・ヒューストン将軍(デニス・クエイド)は、サン・アントニオに赴く義勇兵のジム・ボウイ(ジェイソン・パトリック)に忠告する。

「アラモ砦には決して立て篭もるな。広く開けた戦場で戦わなければ負ける。アラモ砦を破壊して大砲を持ち帰ってくれ」

しかし今は亡きメキシコ人妻との思い出の地であるアラモ砦を破壊することはジム・ボウイには出来ない相談だった。

一方、アラモ砦の守備隊長の任に就いたウィリアム・トラヴィス中佐(パトリック・ウィルソン)もアラモ砦に到着するが、若すぎる上に規律に厳しい彼は、皆から冷笑で迎えられる。リーダーとして民兵の信頼を得ているのは明らかにジム・ボウイだった。

更に、伝説的な英雄デイヴィ・クロケット(ビリー・ボブ・ソーントン)の一団がテネシーからやって来た。伝説の英雄がテキサスに味方した事を喜ぶ兵士達。だが、クロケットには、かつてヒューストンから打ち明けられたテキサス共和国建設の夢に、政治的野心を持っていたのである。

敗退したばかりのメキシコ軍が冬山を越えて襲来することはない、との予想を裏切り、西のナポレオンを公言するサンタ・アナ将軍(エミリオ・エチェバリア)自ら率いるメキシコの大軍は、既に北進を開始し、アラモ砦に迫っていた。

監督にテキサス出身のジョン・リー・ハンコック。
出演は、デニス・クエイド、ビリー・ボブ・ソーントン、ジェイソン・パトリック、ジョルディ・モリャ、パトリック・ウィルソン、エミリオ・エチェバリア、レオン・リッピー、トム・デヴィッドソン、マーク・ブルカス、W・アール・ブラウン。
 
 
 「アラモ」と言えば、ご承知のように強いアメリカの象徴であるジョン・ウェインが監督・製作・主演した「アラモ」(1960)があまりにも有名だが、911の同時多発テロ後のこの時期、テキサス出身のジョン・リー・ハンコックがメガホンを取り「アラモ」の物語を再映画化した訳である。

 ところで、日本人にとって「アラモ」の物語は特に思い入れもないし、おそらくデイヴィ・クロケットが実在の人物だった事も知らない人が多いと思うのだが、アメリカ人に取って「アラモ」の物語は特別なもので、「リメンバー・パールハーバー」という言葉のモトネタである「リメンバー・ジ・アラモ」が生まれた出来事でもあり、日本で言うと例えば「忠臣蔵」や「白虎隊」のような位置にある物語だと思うのだ。

 そんな中で、史実に基づいた「アラモ」を観た訳だが、私見では、娯楽作品としてはちと厳しいのではないか、客は入らないのではないか、という印象を受けた。
 尤も本作「アラモ」は物語としては面白いし、個性的な俳優の演技合戦も楽しい。脚本も粋で、キャラクターの描写も的確である。美術や衣裳も素晴らしい仕事をしているし、戦闘シーンもそれなりに楽しめる。
 しかし日本人にはこの物語を楽しむ背景が欠如しているのではないか、と思ったのだ。

 また物語の性格上仕方がない事なのだが、女優がほとんど出てこないのである。
 そして俳優は髭面で髪ボーボーでむさ苦しく、みんな砦で野宿しており、風呂など1ケ月くらいは併記で使っていない様子なのである。
 個性的で演技派的な俳優を起用しているのであるが、地味で女性客の獲得にはいたらないのではないだろうか。

 とは言うものの、俳優の皆さんの演技合戦は見ものである。

 先ずは、独裁者サンタ・アナ将軍を演じたエミリオ・エチェバリアであるが、憎々しいキャラクターをこれでもか、と言う位憎々しげに演じており、強烈な印象を観客に与えている。

 主演のサム・ヒューストン将軍を演じたデニス・クエイドは、髭面が「X−メン」のヒュー・ジャックマンにも見えてしまうのだが、最後に美味しいところを持っていってしまう良い役を演じている。

 また、同じく主演のデイヴィ・クロケットを演じたビリー・ボブ・ソーントンも素晴らしかった。正に西部の英雄を実在感を込めて演じており、ここ1〜2年の作品の中では最高ではないだろうか。わたし的にはアライグマの帽子を期待していたのだが、それは果たされなかった。(ジョークのネタにはなっていたが)

 余談だが、エンド・クレジットのカードで、デニス・クエイドとビリー・ボブ・ソーントンが同じカードで並んでクレジットされていたのには驚いた。
(デニス・クエイドが左で、ビリー・ボブ・ソーントンが右で、デニス・クエイドより若干上にクレジットされていた)
 これは「タワーリング・インフェルノ」のスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンのクレジットを髣髴とさせていた。
  
 ナイフ使いのジム・ボウイを演じたジェイソン・パトリックは良いのは良いのだが、寝ているシーンが多く残念である。ナイフの技をもっと見たかったのだ。

 あとは何と言っても、ホワン・ゼギン役のジョルディ・モリャが最高である。おそらく観客の心を鷲掴みにしてしまう正義感溢れるキャラクター設定ではないだろうか。

 そして、ウィリアム・トラヴィス中佐を演じたパトリック・ウィルソンだが、人望の無い司令官が成長し逞しくなっていく役柄を見事に演じている。今後に期待の俳優である。

 また美術と衣裳は素晴らしい仕事をしており、世界観の構築に貢献していた。
 撮影もそれに劣らず素晴らしい画を切り取っており、大西部の広さと厳しさを描写していた。

 とにかく本作「アラモ」は、残念ながら客はあまり入らないと思うのだが、男臭い映画を見たければ、この秋オススメの一本である。
 西部劇ファンにも勿論オススメなのだ。

=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=

 余談だが、今回の特別試写会はウエスタン・ファッションで来場すると、何かプレゼントをもらえることになっていたため、ウエスタン調の人がところどころにいたのだが、前から5列目位に気合が入ったウエスタンファンがいた。
 おそらく60歳前後だと思うその人は、ウエスタン・ファッションに身を固め、ガンベルトにモデルガンまでささっていたのである。
1.「DAWN OF THE DEAD / ULTIMATE EDITION」北米版
 最近日本国内でも「ゾンビ 米国劇場公開版」がリリースされたり、「バイオ・ハザードII アポカリプス」が日米で興収第1位を取ったりして話題の「ゾンビ」だが、わたしが購入したのは、「DISC ONE - U.S. THEATRICAL VERSION」「DISC TWO - EXTENDED VERSION」「DISC THREE - EUROPEAN VERSION」と「DISC FOUR - DOCUMENTARIES」の4枚組のBOXなのだ。

 本編が面白い事は最初からわかっている訳だが、何と言っても4枚目のドキュメンタリーが興味深い。特に「ゾンビ」のロケ地となったショッピング・センターのツアーが楽しい。セットではなく、ロケで製作された作品の舞台を違う視点から見る事が出来る楽しい企画なのだ。

 そして、本編を見るといかに「ゾンビ」という映画が優れた作品だったのか、という事に今更ながらに気付かされる。
 「28日後・・・」も「バイオ・ハザード」シリーズも、リメイク版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」もまあまあ面白いのだけど、「ゾンビ」には到底及ばない。
 「ゾンビ」が作品として神格化されてしまっているせいとは異なり、ただ見ているだけでも最高に面白いのだ。
 
 
2.「オールド・ボーイ」韓国版
 先日試写で「オールド・ボーイ」を観て、あまりにも素晴らしかったので、韓国版DVDに手を出してしまった。

 とは言うものの、残念ながらわたしは韓国語のヒアリングは出来ないのだが、このDVDには英語字幕が付いているので、問題なく楽しめるのだ。

 これで細かい伏線やプロット、気になっていた微妙なカットや伏線が確認できるのだ。
 
 
3.「燃えよドラゴン」国内版
 3回目くらいのDVD化だが、今回はメイキングやドキュメンタリーにインタビュー等秘蔵映像満載(特典映像だけで262分もあるのだ)の素晴らしいDVDなのだ。

 本編も言わずと知れた大傑作である。「スター・ウォーズ」にも影響を与えたと言う伝説すらある作品なのだ。

 ”Don’t think Feeeeeeeel.”なのだし、
 ”May the Jeet Kune Do be with you.”だったりするのだ。
 
 
 
「ドーン・オブ・ザ・デッド」
http://diarynote.jp/d/29346/20040611.html
「バイオハザードII アポカリプス」
http://diarynote.jp/d/29346/20040823.html
「オールド・ボーイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040902.html
2004/09/23発売のDVDボックスセット「スター・ウォーズ トリロジー」に新映像が収録されている事が発表された。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-040915-0004.html

以前から、「スター・ウォーズ」旧三部作のDVD化に向けて、そんな噂はチラホラ出ていたのだが、各方面から漏れ聞く情報によると、本格的に映像の修正が行われているようである。

その辺については、現在いろいろなサイトで比較画像が公開されはじめているのだが、その中で、比較的見やすいサイトを紹介しよう。

http://www.thedigitalbits.com/reviews3/starwarschanges.html

ところで、「スター・ウォーズ」という作品は、ジョージ・ルーカスの手により、公開後度ある毎にいろいろな部分に改変が加えられているのである。

例えば、公開時にはなかった「エピソードIV」の副題(”THE NEW HOPE”)が後日(日本語版公開時だったか、リバイバル時だったか記憶は定かではない)付いたり、「エピソードVI」の副題がギリギリまで”REVENGE OF THE JEDI”だったため、邦題は「ジェダイの復讐」になってしまったり、ご承知のように、旧三部作の様々な部分を修正した旧三部作「特別篇」(1997)が製作され劇場公開されたりしていた訳である。
(なお、今回のDVDから、「エピソードVI」の副題は「ジェダイの帰還」に変更になる。原題は”RETURN OF THE JEDI”。因みに、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の原題は”RETURN OF THE KING”である)

またソフト的にも「オリジナル版」、画質音質を向上させた「THX版」、シリーズとしての不具合を修正し1997年に公開された「特別篇」、そして今回の「DVD版」の4種類が存在する訳だ。

そしてルーカスは「スター・ウォーズ」を改変した場合、それ以前のバージョンを認めない、という営業戦略を取っており、おそらく今回の「DVD版」の発売に伴い、かつてのバージョンはオフィシャルな場では二度と見ることが出来なくなる、と考えられているのである。

そう考えた場合、今回の改変は、従来の「スター・ウォーズ」ファンにとって、良い事なのか、悪い事なのか、何とも釈然としないのだ。

さて、それではその辺の事情を考えつつ、先ほどのサイトを見てみよう。
 
 
ジャバの顔や皇帝の顔が格好よくなったり、残されていた英語表記がなくなったりするのは良いとして、アナキンの眉毛がなくなったり、半透明のアナキンがヘイデン・クリステンセンになってるのは、一体どういうことなのだ!
だったらサー・アレック・ギネスも引っ込めろ!
(誤解なきよう、本来はクリステンセンを引っ込めろ!の意味です)

もしかしたら、今回の「DVD版スター・ウォーズ」は、従来の「スター・ウォーズ」(1977)とは別物の作品になってしまったのではないだろうか?

「ヴィレッジ」

2004年9月11日 映画
2004/09/11 東京有楽町「日劇3」で、M・ナイト・シャマランの新作「ヴィレッジ」を観た。

 年間300本以上の映画を観るわたしだが、こんなに素敵な美しい映画を観たのは本当に久しぶりのことだった。
 
 
 先ず、何と言っても脚本が美しい。
 そして、脚本がただ単に美しいだけではなく、プロットと伏線が的確で完成度が驚異的に高いのだ。

 この殺伐とした世の中で、こんな美しい素敵な脚本が書かれ、それに出資する人たちがいて、映画化する人たちがいる。そして、そんな映画に客が入り、その映画を愛する人たちがいる。
 まだまだ人間も捨てたものでは無いな、と思う瞬間である。
 
 
 そして本作「ヴィレッジ」は、サスペンス・ホラーなどではなく、最もピュアなラヴ・ストーリーなのである。
 そして、そのピュアでイノセンスな物語が観客に与える感動は、観客を動かし、観客に浸透する何らかの力を持っているのだ。

 このカタルシスは最近では「ビッグ・フィッシュ」にも似た印象を感じる。
 
 
 1897年、ペンシルヴェニア州。
 その村は深い森に囲まれ、まるで絶海の孤島のように外の世界から完全に隔絶されていた。
 人口60人ほどのこの小さな村で、人々は互いに助け合いながら自給自足の生活を営んでいる。それはまるで家族のような強い絆で結ばれた、理想のユートピアだった。
 だが、このユートピアを守るために、村人たちは不可解な「掟」を遵守することが義務付けられていた。

監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ブライス・ダラス・ハワード(アイヴィー・エリベザス・ウォーカー)、ホアキン・フェニックス(ルシアス・ハント)、エイドリアン・ブロディ(ノア・パーシー)、ウィリアム・ハート(エドワード・ウォーカー)、シガーニー・ウィーヴァー(アリス・ハント)、ブレンダン・グリーソン(オーガスト・ニコルソン)
 
 
 M・ナイト・シャマランの作品には「サプライズ」がある。
 そして凡百の観客はその「サプライズ」の成否で、作品の評価を行う訳である。
 おそらくこれは、配給会社の戦略的公告の弊害だと言えると思うのだが、多くの観客は、その「サプライズ」=「オチ」しか見ていないのである。これは悲しむべきことだと思うのだ。
 本作「ヴィレッジ」は、その「サプライズ」の根底にある部分を理解して欲しいし、何故彼等が「サプライズ」的な行動を取ることになったのか、その理由をしっかりと考えて欲しいのだ。
 その上で、アイヴィーが取った行動を、その行動の目的を、そしてその行動を取ることになる単純なそれでいて説得力のある理由を、ピュアでイノセンスな行動原理を理解して欲しいのだ。

 そして、あの最後のセリフ、エンド・クレジットが始まる寸前のカットを見て欲しいのだ。

 そして感じて欲しい、あぁ、何と素晴らしいピュアでイノセンスな「ラヴ・ストーリー」だったなぁ、と。
 それでいて、普遍的で童話的な素敵な物語だったなぁ、と。
 
 
 前述の理由から、本作「ヴィレッジ」は、賛否両論、下手をすると多くの観客からは酷評される可能性が高いかも知れないが、サスペンス・ホラーではなく、ラヴ・ストーリーだと思って本作を楽しんで欲しいのだ。

=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=

 キャストについてだが、先ずウィリアム・ハート(エドワード・ウォーカー)は「A.I.」のホビー教授に役柄がダブるが、論理的な村のリーダー役と、感情的な娘の親という複数の側面を持ったキャラクターを好演している。出番は少ないが、強烈な個性を観客に残している。
 特に、過去のセリフをナレーション的に語るシークエンスが感動的である。

 ホアキン・フェニックス(ルシアス・ハント)は、村の進歩的な考えを担う、木訥な好人物役を好演している。
 ピュアで不器用な恋愛表現が、おかしくも悲しい。
 そして、その不器用な恋愛表現は、勿論ウィリアム・ハートの論理的ではありながら不器用な恋愛表現と対比されている。
 これは、逆にブライス・ダラス・ハワード(アイヴィー・エリベザス・ウォーカー)と、シガーニー・ウィーヴァー(アリス・ハント)が分析する彼等の恋愛表現も面白いのだ。

 そして、ブライス・ダラス・ハワード(アイヴィー・エリベザス・ウォーカー)だが、彼女のピュアな一途さが、この映画の全てである、と言っても良いだろう。
 不幸な出来事の中で、まっすぐに行動する彼女の潔さが美しくも格好良い。彼女の一途でピュアな行動が、われわれ観客にピュアな灯りを点すのだ。余談だがハワード一家の一員として今後に期待の女優なのだ。

 そして、エイドリアン・ブロディ(ノア・パーシー)も素晴らしい印象を観客に与えている。前作である「戦場のピアニスト」とは異なる意欲的な役を好演している、と言えるだろう。あらたな側面の開花と言うことであろうか、今後の活躍に期待なのだ。

 あと特筆すべき点は、見事な世界観を構築している美術だろう。 「サプライズ」の伏線となる様々な小さな目配せも楽しいのだ。

 目配せといえば、M・ナイト・シャマランが演じた人物の組織の名称も見逃してはいけない点だろう。 

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「SURVIVE STYLE5+」

2004年9月10日 映画
2004/09/10 東宝本社試写室で行われた「SURVIVE STYLE5+」のティーチ・イン試写会に参加した。

 ティーチ・インのゲストは、監督の関口現、企画・原案・脚本の多田琢、キャストのJAI WEST。
 
 
1.殺しても殺しても、なぜかより凶暴になって蘇ってくる妻(橋本麗香)。その妻を殺し続けようとする男・石垣(浅野忠信)。

2.観客に催眠術をかけたまま殺し屋に殺されてしまう人気催眠術師・青山(阿部寛)。その青山の恋人CMプランナー・洋子(小泉今日子)。

3.ショーのステージで催眠術をかけられてしまい、自分を鳥だと思い込んで暮らす小林(岸部一徳)。その姿に戸惑う妻(麻生祐未)と子供たち(長女/貫地谷しほり、長男/神木隆之介)。

4.空き巣をして生活する津田(津田寛治)と森下(森下能幸)とJ(JAI WEST)の3人組。

5.いつも同時通訳(荒川良々)を連れて行動する、ロンドンからやってきた殺し屋(ヴィニー・ジョーンズ)。

 交わるはずのない彼らの運命が時に複雑に、時に微妙に絡み合い、物語は思いもよらないクライマックスを迎える・・・。
(オフィシャル・サイトからほぼ引用)
 
 
 今年の秋、一番オススメの邦画である。
 本作「SURVIVE STYLE5+」は、所謂邦画の枠を飛び越えた、一流の娯楽作品に仕上がった意欲作なのだ。

 正直なところわたしは、本作「SURVIVE STYLE5+」は、CMプランナーとCMディレクターのコンビが製作した映画だと知り「どうせひとりよがりのマスターベーション映画だろう」とか「スタイルだけでどうせ中身がないんだろう」と言うマイナスイメージの先入観を持っていた。
 そしてティーチ・インの場所でも一映画ファンとして、辛辣な意見で攻撃でもしてやろうかな、と思っていた訳である。
 しかし、その目論見は見事に外れ、そのティーチ・インの会場には「SURVIVE STYLE5+」に感動し絶賛してしまっているわたしがいた訳なのである。

 皆さんご承知のように、世の中には、CF(CM)業界やPV業界で評価され、その評価を足がかりに映画業界に進出するクリエイターが少なくない。
 例えばリドリー・スコットや大林宣彦はCF畑出身だし、最近では宇多田ヒカルの夫・紀里谷和明はPV業界での名声を足がかりにして「CASSHERN」を監督したのは記憶に新しい。

 そして、わたしが「SURVIVE STYLE5+」にマイナス・イメージの先入観を持ってしまったのは、勿論、紀里谷和明の「CASSHERN」の失敗が念頭にあった訳なのだ。

 しかし、関口現と多田琢コンビは違っていた。
 勿論、CFあがりという事もあり、美術や衣装、セットやプロップから構築される世界観は素晴らしく、撮影もシンメトリーな構図を生かした印象的なモノであり、スタイルや世界観は思ったとおりのクオリティを持っていた。
 が、「SURVIVE STYLE5+」はそれだけ、−−映像スタイルやビジュアル・イメージだけ−−、ではなかったのだ。

 何しろ脚本が素晴らしい。
 勿論脚本の根底には所謂グランド・ホテル形式が顔を出し、グランド・ホテル形式の傑作「マグノリア」の影は否めない。
 しかし、5本の並行する物語がいちいち面白く、セリフだけではなく観客の読解力を信頼した心象描写を期待する方向性を持った脚本に仕上がっているのだ。

 そして、それをビジュアル化する演出力は、まあ、あたりまえと言えばあたりまえなのだが、CFあがりのクリエイターが持つ、観客への訴求力、−−何を観客に訴え、何を感じさせ、何を観客にさせたいのか、−−が明確に感じられるのだ。このあたりはCFの仕事柄から派生したテクニック感は否めないが、訴求力が明確ではなく、スタイルのみを求めるPVあがりの監督とは一線を画しているのではないだろうか。

 更に共感を覚えたのは、関口現は映画研究会出身であり、映画を愛する一映画ファンだった、と言うことである。
 そして、本作「SURVIVE STYLE5+」は様々な映像作家へのオマージュと言うか、リスペクトと言うか、引用に満ちている。
 その映像作家へのリスペクトの矛先は、スタンリー・キューブリック、ビンセント・ギャロ、ホール・トーマン・アンダーソン、マイク・マイヤーズにはじまり、市川崑や森田芳光に至るのを見るにあたっては、監督である関口現の映画に対する愛情が、付け焼刃的なものではなく、関口現の根源的なものである、と言うことが見て取れるのだ。
 尤も、様々な映像作家の映像スタイルの引用が、果たして作品の演出上良いことなのかどうかは、諸意見あるところだと思うが、わたしは関口現の映画に対する愛情を評価し「SURVIVE STYLE5+」に対し好意的な考えを持った訳なのだ。

 キャストは、浅野忠信にしろ、橋本麗香にしろ、小泉今日子にしろ、阿部寛にしろ、岸部一徳にしろ、麻生祐未にしろ、津田寛治にしろ、森下能幸にしろ、Jai WESTにしろ、荒川良々にしろ、ヴィニー・ジョーンズにしろ全て素晴らしい。

 その中でも最近出ずっぱりの感が否めないが、岸部一徳が素晴らしい。「SURVIVE STYLE5+」の成功は岸部一徳のおかげと言っても過言ではないだろう。こんな素敵なキャラクターを飄々と演じる岸部一徳に感涙ものなのだ。

 また、小泉今日子についてだが、彼女の役柄は若干コミカルなものなのだが、演技はコメディではなく、普通の映画の演技スタイルに近く普通に感動できる演技を見せてくれている。これは相米慎二の遺作「風花」にも通じる素晴らしいものがある。特にタクシーから降りて走るシーンは素晴らしいみずみずしさに満ちている。

 そして荒川良々だが、構築された世界観も相まって素晴らしい印象を観客に与えている。最近引っ張りだこ状態の荒川良々だが、「SURVIVE STYLE5+」は彼にとって、ひとつの代表作になるのではないだろうか。

 あとは、津田寛治、森下能幸、Jai WESTの空き巣トリオが最高に素晴らしい。特に森下能幸とJai WESTのコンビは秀逸である。役柄としては、彼等は本作「SURVIVE STYLE5+」のコメディ・リリーフを担当し、5本のエピソードの中では息抜き部分、−−箸休め的シークエンス−−、となっている訳だが、「お笑い」や「箸休め」ではなく、「何か/サムシング」の存在を感じさせる素晴らしいシークエンスに仕上がっている。
 
 
 つらつらと、硬い事を言っているが、この作品は誰でも素直に楽しめる素晴らしい娯楽作品である。
 何も考えずに素直に楽しんで欲しい一本なのだ。
 日本映画に失望するのは、まだ早いのだ。

前略、関口現さま/公開ファンレター(「SURVIVE STYLE5+」)
http://diarynote.jp/d/29346/20040923.html

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