わたしはニュースの類を俎上に乗せ、ネタを書くのを好まないのだが、それは時と場合によるのだ。

とりあえずこのニュース(噂)を読んでいただきたい。


「フレディVSジェイソンVSアッシュ」、実現に一歩前進?

 「フレディVSジェイソン」の成功の後、一時話題にのぼりながら具体的な進展のないままだった夢の企画「Freddy vs. Jason vs. Ash」に新たな動きが出てきた。「フレディVSジェイソン」を手掛けたニューライン・シネマでは、「エイリアンVSプレデター」の成功を受けて、「Freddy vs. Jason vs. Ash」を実現すべく、サム・ライミ監督との交渉に入った模様。アッシュは「死霊のはらわた」シリーズでブルース・キャンベルが演じた主人公で、同キャラクターの映画化権はライミ監督が有している。ニューライン・シネマでは、もしこの交渉が不調に終わった場合でも、他の新キャラクターを登場させるか、あるいは再びフレディとジェイソンを直接対決させるかして、いずれにしても「フレディVSジェイソン」の続編の道は探っていくという。
(allcinema HEADLINE 2004/08/17 Rumor より引用)


現在第一線で活躍している監督の中には、以前は現在と異なる分野で活躍し評価されていた人々がいる。

例えばピーター・ジャクソンである。
彼は現在「ロード・オブ・ザ・リング」三部作で押しも押されぬ世界の巨匠の仲間入りをしている訳だが、そのキャリアの第一歩は半自主制作映画「バッド・テイスト」であり、その後の「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」や「ブレインデッド」なのだ。

これらは一貫して同じカテゴリーに属する作品群であり、ジャクソンのデビュー当時からのコアでマニアックなファンの中には、現在のジャクソンの商業主義という悪にまみれ堕落した成功を複雑な思いで見ている人も少なくないかも知れない。

そしてサム・ライミである。
現在「スパイダーマン」シリーズで押しも押されぬ感のあるサム・ライミのキャリアの第一歩は「死霊のはらわた」であり、それに続く「XYZマーダーズ」であり「死霊のはらわたII」、「ダークマン」だった訳である。

ピーター・ジャクソンのキャリアと比較するとサム・ライミのキャリアは、早いタイミングでハリウッドに取り込まれていくのだが、ジャクソンにしろライミにしろキャリアの第一歩は「エロ・グロ・ホラー・コメディ」作品の自主制作に近い低予算作品だった訳である。
 
 
さて、冒頭のニュース(噂)を思い出していただきたい。
おそらく多くの人の頭の中には「フレディとジェイソンは知ってるけど、アッシュって誰?」という疑問が浮かんだのではないだろうか。

しかし「アッシュ」は知る人ぞ知る映画史に残るキャラクターであると同時に、映画史に残るヒーローなのである。

そしてそのヒーローを演じるのがサム・ライミの盟友ブルース・キャンベルその人なのである。
 
 

それではそのヒーロー振りを端的に表している、とある作品のオープニング・クレジット(タイトル・カード)を紹介しよう。

1. BRUCE CAMPBELL
2.    VS
3. ARMY OF DARKNESS

※ 数字はタイトル・カードの順番で、”BRUCE CAMPBELL”という文字が画面に登場し、消え、次に”VS”という文字が登場、消えると、”ARMY OF DARKNESS”というタイトルが出る、というクレジット構成になっている。
 
 
実はこの作品は「キャプテン・スーパーマーケット」と言うとんでもないタイトルで1993年に公開された作品なのだが、現在は「キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわたIII」というタイトルでDVDがリリースされている。
 
 
「キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわたIII」は、アッシュや、サム・ライミの過去の作品に関心がある方は是非チェックして欲しい素晴らしい作品なのだが、欲を言えば「死霊のはらわたII」から観ることを強くオススメする。

一応断っておくが、グロ描写は結構エグイので、グロ系に耐性が無い方は、やめておいた方が良いかも知れない。

(「死霊のはらわたII」は「死霊のはらわた(The Evil Dead) 」のリメイク(と言っても良い)作品なので、「死霊のはらわたII(Evil Dead II) 」と「キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわたIII」を観ればそれで、アッシュの魅力は理解できると思うのだ。)
 
 
そして、この作品は尊敬と愛情を込めて ”Evil Dead III” と呼ばれているのだ。
 
 
余談だが、この夏公開の「リディック」は「死霊のはらわた」シリーズを観た上で観ると面白いかも知れない。
2004/08/15 東京恵比寿 東京都写真美術館ホールでベルリン映画祭出品記念「ワー!マイキー リターンズ!」を観た。

製作総指揮・編集・脚本:石橋義正
監督・撮影・編集:立川晋輔
脚本:佐藤佐吉、杉岡みどり、江村耕市
 
 
わたしはその時まで自ら能動的に「ワー!マイキー リターンズ!」を観る事は無いだろうと思っていた。
しかし、先日お話したように現在恵比寿のみで上映している「華氏911」を観る為、恵比寿ガーデンシネマに行ったのは良いのだが、なんと4時間以上も後の回の整理券しかゲットできなかったのである。

その辺(恵比寿ガーデン・プレイス)で買い物をしたりして時間を潰しても良かったのだが、折角恵比寿に来たのだからと、近くにある東京都写真美術館の無料展示でも見ようかな、とふらふらと美術館に行ってみた。

なんとそこには、わたしも大好きな「マイキーご一行様」がオールスターキャストで鎮座ましましていらっしゃったのである。
運命を感じたわたしは、無料展示何するものぞと、いそいそとチケット売り場に並んでしまったのである。
 
 
印象は、『良くも悪くも「オー!マイキー」である』というものだった。
 
 
「オー!マイキー」は、皆さんご承知のように、深夜のテレビ番組「バミリオン・プレジャー・ナイト」から独立したテレビ・シリーズで、全ての登場人物をマネキン人形で表現したブラック・コメディである。

手法的には「サウスパーク」や先日紹介した”Team America: World Police”のような「かわいらしい素材でブラックな笑いを表現する」と言う、ありがちなものなのだが、表情は笑ったままで全く動かないマネキン人形を俳優として使う事により、観客のイマジネーションを刺激する素晴らしい作品に仕上がっている。

これは表情に乏しい(と思われがちの)日本人を揶揄しているのかもしれないし、はたまた日本古来の伝統芸能のひとつである「能」を現代の味付けで表現しているのかも知れない。
 
 
ところで、わたしが「オー!マイキー」(「フーコン・ファミリー」)を最初に見たのは、「バミリオン・プレジャー・ナイト」の中だったと思うが、その際の衝撃は今でも忘れられない。

シニカルでブラックな内容はともかく、先ずはクリエイターの発想と演出(撮影と編集)に驚きを隠せなかった。
そしてこの作品は、一流のエンターテインメント作品であると同時に、映像クリエイターを目指す人々に対し、ひとつの明確な可能性や指針を提示している、とも思えたのである。

逆に言うと、映像クリエイターを目指す者にとっては、嫉妬を感じさせる作品だったのである。
「あぁ、こんな手があったのか」と。

事実、わたしは取りあえず「オー!マイキー」系の映像作品の制作を志し、バービーやリカちゃん、ケンやワタルくんを購入すべきか、ブライス系にしようか、それともレゴにすべきか、ガンダムにしようかと真剣に悩んだ事を覚えている。
 
そう考えると、2000年に発売されたレゴの「LEGO Studios」も映像クリエイター心をくすぐる凄い商品だったのだろうと思うのだ。
 
 
そんなこんなで、少なくても本作「ワー!マイキー リターンズ!」はマネキン人形をフィーチャーした、ただのブラックなコメディではなく、クリエイター心を刺激する素晴らしい作品だと言えるのだ。


「オー!マイキー」
http://www.tv-tokyo.co.jp/oh-mikey/ 
 
LEGO、スピルバーグと提携した夢の映画製作キットを発表
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2000/05/15/08.html
 
 
★私信★ 浜乙女 さま

お褒めいただき光栄です。
ところで、「スチーム・ボーイ」については、私見ですが、各方面で「ラピュタのパクリだろ」と言う一言で片付けられてしまうことが多いと感じています。
しかし、この作品はその一言で切り捨てるには惜しい作品だとわたしは思っている訳です。

とは言うものの、最近は書きたい事が山盛りで、「スチーム・ボーイ」についての文章は少し先になるかも知れませんが、お待ちいただければ幸いです。

かく言うわたしもご承知のように、浜乙女さんの文章を楽しみにしているひとりでございます。これからも楽しい文章を期待しています。

「華氏911」

2004年8月16日 映画
2004/08/15終戦記念日 東京恵比寿 恵比寿ガーデンシネマでマイケル・ムーアの新作で、第57回カンヌ国際映画祭パルムドールと国際批評家連盟賞をダブル受賞した「華氏911」を観た。

本作「華氏911」の全国拡大ロードショーは、8月21日からなのだが、8月14日より恵比寿ガーデンシネマで独占先行ロードショーが行われている。

全席完全入換制(しかも当日にならないと当日分のチケットが購入/引換出来ない)を採用している恵比寿ガーデンシネマでは「華氏911」は、異例の2館上映体制(1日9回上映)で上映を行っていたが、初日の8月14日は14:30、8月15日は14:45時点で全ての当日分チケット(20:30の回まで)が完売、受付業務が終了していた。

わたしは10:30頃劇場に到着、15:10の回の整理番号をゲットした。4時間以上時間が余っていたので、東京恵比寿 東京都写真美術館ホールで上映されていた「ワー!マイキー リターンズ!」を観て時間を潰すことにした。
 
 
わたしの第一印象は、本作「華氏911」は大変素晴らしい作品だ。
と言うものである。

勿論従来からのマイケル・ムーアの作風が果たしてドキュメンタリーと言えるかどうかは議論があるだろうし、そのマイケル・ムーアが指し示すベクトルは過度のバイアスがかかっている事は否めないだろう。

しかし、それらを割り引いた上でも、本作は素晴らしい作品であるし、それだけではなく非常に面白い作品にも仕上がっている訳なのだ。

更にわたしの印象では、本作「華氏911」は、前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」が霞んでしまうほどの傑作に仕上がっている。

本作の題材は、前作の「銃社会」への批判から「ブッシュ政権」への批判に拡大し、それと反比例するかのように、作品を理解するのが難しくなっている。

しかし、難しいと言っても、マイケル・ムーアは自らの論理構築の過程を作品を通じて丁寧に描いているのだから、理解はたやすいと考えるむきはあると思うが、実際のところは過度なバイアスのかかったマイケル・ムーアの考えをそのまま受取るのは易しいが、その中から平衡感覚を持ち、自らの考えを自らのスタンスを導き出すのは、決して容易ではない、と言うことなのだ。

わたしは、社会派の素晴らしい作品が公開される度に、「観なければならない種類の映画」の存在を再確認し、その存在をアピールしている訳だが、本作「華氏911」は、「アメリカの友人」であると自認している日本人諸氏に是非観ていただきたい作品である。

わたしは、この映画が正しい、と言っているのではなく、この映画を観て考えて欲しい。自分の立場を明確にして欲しい、と考えるのである。

その点については、「政治的な立場が偏った映画は、あんまり見たいとは思わないね」と不快感を示したわれわれの指導者日本国首相を始めとした政治家諸氏に観ていただきたいと思うし、その立場を明確にして欲しいと思うのだ。

その上で、「くだらない」とか「嘘っぱちだ」とかの声明を発して欲しいと考えるのだ。正に"Show the flag."という事なのだ。
 
 
参考ブログ 
ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの
http://diarynote.jp/d/29346/20040803.html
"Team America: World Police" を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040813.html
「独裁者」と「華氏911」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040819.html
「ミスティック・リバー」と「華氏911」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040822.html
2004/08/14 東京有楽町よみうりホールで「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」の試写を観た。
 
山深い伊賀の里で忍者としての修行を積む服部カンゾウ(忍者ハットリくん/香取慎吾)は父服部ジンゾウ(伊東四朗)から最後の修行を命じられる。
それは、伊賀忍者の掟(主以外の者には決して姿を見せてはならぬ。守れなければ破門!)に従いながら現代の江戸で暮らすというもの。

やがて東京に辿り着いたハットリくんは、平凡で退屈な毎日を送り、家庭でも学校でも存在感の薄い小学三年生の三葉ケンイチ(知念侑李)を主として選ぶのだった・・・・。

監督は鈴木雅之、脚本はマギー(元ジョビジョバ)。
甲賀忍者でハットリくんのライバルであるケムマキに(ゴリ/ガレッジセール)、ケンイチが憧れるミドリに田中麗奈、甲賀忍者黒影に升毅、謎の事件を捜査する田原刑事に宇梶剛士、忍者好きの柏田刑事に東幹久、ケンイチの両親に浅野和之と戸田恵子。
 

第一印象としては、ソツなく仕上がった楽しいファミリー・ムービーと言ったところである。
事実今回の試写は土曜日の夕方と言うこともあり子供多く、細かいギャグや仕草、極端なキャラクターやカメオ出演者(大杉漣、瀬戸朝香、乙葉、西村雅彦、川田広樹、草なぎ剛等)の登場にいちいち笑いが起こっていた。

前述のように会場には子供が多かったため、香取慎吾の主題歌「HATTORI3(参上)」の大合唱になるのでは、と危惧していたのであるが、それは杞憂だった。
尤も会場の子供たちは世代的にアニメ「忍者ハットリくん」を知らない世代だと思うのだ。

脚本は子供向けの感は否めないし、展開がベタでキャラクター設定も単純な印象を受けるが、マギーらしい細かい点に配慮され、よく出来た評価できる面白い脚本に仕上がっている。
お笑い的には、子供たちにも充分理解できる所謂「天丼」系のネタが多用されているのが印象的である。

特に宇梶剛士と東幹久の刑事コンビの取調室から忍者ネタまでのシークエンスが素晴らしい。
しかし、折角なのだから宇梶剛士が食べていたのは「ラーメン」ではなく「天丼」にして欲しかったのだ。

また脚本の本筋は知念侑李演じるケンイチの成長物語が主となっているが、これも子供にわかりやすいものとなっており、好感が持てる。

とは言うものの、伊東四朗、香取慎吾、ゴリ等の演技はバラエティ番組等のコントの延長線上にある印象は否めない。
しかし、脇を固める宇梶剛士や東幹久の刑事コンビや、ケンイチの両親浅野和之と戸田恵子は存在感があり、ドラマに深みを与えている。

あとは気になるのは、フジテレビ系作品の悪い癖(例えばハッピー・コーラへの異常なコダワリやSATの登場等)が若干見え隠れしていた。

キャストで良かったのはなんと言っても、ゴリだろう。
脚本的にも非常に美味しく、俳優開眼の予感すら感じられる。
喋らなくても存在感があり格好良いケムマキ・ケンゾウ像が嬉しい。

トータル的には、音楽は若干オーバースコアで、キャストはオーバーアクト、VFXはイマイチ、コメディだけでは無い「何か」が感じられる作品なだけに若干残念な気がした。

あと感心したのは、「隠れ蓑の術」の布がリバーシブル(表は石畳、裏は竹薮)になっていたり、その布をたたんだ上で懐に仕舞っていたりする点が良かった。

誰にでも手放しでオススメできる訳ではないが、家族揃って楽しめるファミリー・ムービーに仕上がっているのは事実である。
是非劇場で観て欲しいし、主題歌の大合唱もOKなのだ。ニン!
 

余談だが、田中麗奈を連れて行ったハイキングのロケ先は、わたし達がMTBでよく行く峠だった。  
2004/08/13 東京有楽町「日劇1」で「スパイダーマン2」を観た。

グリーン・ゴブリン事件(「スパイダーマン」)から2年、ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)はJ・ジョナ・ジェイムソン(J・K・シモンズ)が編集長を務める新聞社へ写真を売り込みながら大学生活を送る一方、スパイダーマンとしても活躍していた。

しかし、ピーターが愛するメリー・ジェーン・ワトソン(キルステン・ダンスト)は念願の舞台女優になったこともあり、公私共に多忙なピーターとの間に少しずつ距離ができていった。

また親友のハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)は亡き父ノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)が残した巨大軍需企業オズコープ社を継ぎ、父の仇スパイダーマンに復讐するため情報を集めていた。

そんな時、ハリーの会社で研究を続けていたDr.オットー・オクタビアス(アルフレッド・モリナ)が常温核融合の実験中の事故で4本の金属製人工アームを持つ怪人ドック・オクになってしまった・・・・。

 
第一印象としては、非常に良く出来た三部作の中編、と言った印象を受けた。

前作「スパイダーマン」ではヒーローの誕生が描かれていた、とすると本作はヒーローの挫折と転機、そして新たな決意が見事に描かれているのだ。

シリーズ構成を考えると本作は「転」の部分にあたり、例をあげれば「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」的な味わいがある。
事実ノーマンとハリーの鏡のシークエンスは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」のベイダー卿がルークとの関係を明らかにする部分のオマージュであろう。

 
本編だが先ずオープニング・クレジットが素晴らしい。
マーベル社のロゴからのフラッシュ・アニメーション系のクレジットに見え隠れする前作「スパイダーマン」の印象的なシーンをストーリーボード風イラストで見せるあたりは、昨今のオープニングの中でも評価できる素晴らしいものであった。
しかも、そのイラスト1枚1枚が完全に「絵」になっており、書斎の壁にでも飾りたい程のクオリティを持っているのだ。

そして、本作を語る上ではずせないのは、何と言っても敵役ドック・オクを演じたアルフレッド・モリナであろう。

従来、多くのアメコミ・ヒーローの映画化作品の敵役を演じた俳優は、ヒーローを演じる俳優よりネーム・バリューがあり、俳優としても格上であることが常識である感があったが、本作はそれを行わず存在感や演技でアルフレッド・モリナをキャスティングした(であろう)点に好感が持てる。
ともすれば役不足、という一言で片付けられてしまう可能性があった訳なのだが、アルフレッド・モリナは複数の面を持つ、複雑なキャラクターを好演している。

余談だがかつてのヒーローの敵役を演じた俳優を思いつくまま紹介しましょう。

ジーン・ハックマン(レックス・ルーサー/「スーパーマン」)
テレンス・スタンプ(ゾッド将軍/「スーパーマン」)
ジャック・ニコルソン(ジョーカー/「バットマン」)
ダニー・デヴィート(ペンギン/「バットマン・リターンズ」)
ミシェル・ファイファー(キャット・ウーマン/「バットマン・リターンズ」)
クリストファー・ウォーケン(マックス・シュレック/「バットマン・リターンズ」)・・・・

先ほど本作「スパイダーマン2」はシリーズ構成を考えた場合「転」にあたり、挫折と転機、そして決意が描かれていると言ったばかりだが、同時にヒーローの「受難」をも描いているとも言える。

大学の難、バイトの難、借家の難、借金の難、能力不振の難、友情難、恋愛難等、様々な難をピーターは受けるのである。

また列車を止めるシークエンスからこの「受難」は救世主の「受難」のメタファーとして存在していることが明示されている。
列車のシークエンスは、万人の罪を背負って磔刑にされたキリストの死と復活のメタファーなのである。

そして復活したピーターは救世主として生きることを選択する訳なのだ。

 
あとは、コメディ・パートが増えたところが興味深い。
前作「スパイダーマン」への観客の支持と興収がそうさせたのか、サム・ライミの演出は前作のような、恐る恐ると言ったような迷いが無く、縦横無尽に好き勝手に演出しているようである。

例えば、ピザの宅配シークエンスからのモップとの格闘や、能力不振からのエレベータのシークエンス等は、ひとごとながら監督サム・ライミの演出手腕の無さを、若しくは編集意図の不明確さを、わざわざ観客に見せ付けているのではないか、と心配してしまう位微妙にカットが長いのだ。そのカットの空白の間に驚きなのだ。

またドック・オクの手術のシークエンスではかつてのサム・ライミの傑作シリーズである「死霊のはらわた」シリーズを髣髴とさせる笑いのツボが散りばめられているし、スパイダー・ウェブが出ないシーンが意図する事は勿論フロイト的にも男性能力の低下なのだ。

ところでピーターが写真を売るタブロイド誌の編集長をステレオタイプ的に演じコメディ・リリーフの役柄を引き受けたJ・K・シモンズだが、勿論普通に面白いのだが、ピーターのコメディ・リリーフとしての使い方が多い反面、結果的に美味しいところを持っていかれた残念な結果に終わっているようだ。

そしてなんと言っても爆笑のツボは、ヒーローを捨てたピーターの学生生活をバート・バカラックの "Raindrops Keep Falling On My Head" に合わせて楽しげに演技するトビー・マグワイアには頭を抱えてしまうし、ラストのカットの「止め絵」に至っては、もう抱腹絶倒モノなのだ。

またこの度、サム・ライミはお笑いだけではなくエモーショナルなシークエンスの演出もソツ無くこなしている。
例の列車のシークエンスのラストの少年達の名セリフの直前のカットはもたつきがあるものの、倒れこむピーターを支える乗客の手と、その手から手へピーターが(十字架の形で)運ばれる様は感動的ですらある。
前述のように若干もたつきはあるが少年達のセリフには感涙である。

また、ドック・オクの改心(これもキリストに触れ改心する使途パウロ等の暗喩であろう)のシークエンスも素晴らしい。

更にベン・パーカー(ベンおじさん/クリフ・ロバートソン)との前作のシークエンスの延長や、メイ・パーカー(メイおばさん/ローズマリー・ハリス)との絡みも泣かせるのだ。 

あと驚いたのは、前作で亡くなったウィレム・デフォーやクリフ・ロバートソンの登場カットを別撮りしている点にも好感が持てた。
このような事はハリウッド・システムではなかなか出来ないことなのである。

ジェームズ・フランコも役者として、なかなか見られるようになり、キルステン・ダンストと共に、他の作品で活躍し始めたのも嬉しいものである。

しかし、なんと言ってもこれだけ内容が濃い作品を127分に破綻無くまとめるサム・ライミの手腕は見事だと思うのだ。

まあ少なくても、ヒットする理由がある作品だと思うし、スコープ・サイズでのスケール感のあるビル・ポープの撮影や、ダニー・エルフマンの音楽とも相まって、素晴らしい映像体験が楽しめる作品に仕上がっている。

余談だが、ピーターがタブロイド誌に持ち込む写真は、かつて無名時代のスタンリー・キューブリックが雑誌社に持ち込んでいた写真とかぶり、ある種のオマージュとなっているのかも知れない。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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明日8月14日(土)は「華氏911」の日本公開日で、明後日8月15日(日)は日本の終戦記念日です。

おそらく「華氏911」の日本国内配給サイドとしては、終戦記念日直前の土曜日に「華氏911」を公開する事を目論んだのだろうとわたしは考えます。

勿論終戦記念日に「華氏911」をぶつける話題性と言う観点もあっただろうし、終戦記念日は日本全国が戦争について考える日であることもあるだろうし、終戦記念日について各マスコミからわれわれの指導者日本国首相への定例的なインタビューに「華氏911」の特別な話題を紛れさせる事も容易だと思われるし・・・・。
 
 

ところで、2004年10月に北米で公開が予定されている作品に"Team America: World Police"というタイトルの作品があり、その作品の予告編が最近WEB上で公開され、各方面で話題沸騰の状況でございます。

その"Team America: World Police"の概要は、世界の警察チーム・アメリカが、テロリストやテロ支援国家、またはそれらの指導者だと世界の警察チーム・アメリカが決め付けた人々をやっつける、というもので、その作品の描写技法は、「サンダーバード」(オリジナル版)のマリオネーション技法(人形劇)をCGIと融合させたような作品のようです。

監督は「サウス・パーク」のトレイ・パーカーとマット・ストーン。「サウス・ハーク」で世界中の度肝を抜いた彼等の毒舌テイストは予告編を見る限り顕在のようです。
彼等はアニメーションという子供向けの手法を使い「サウス・パーク」を製作し、この度は人形劇と言う手法を選び"Team America: World Police"を製作した、と言う事です。

また、この作品には政治的活動に前向きな俳優たちがそれぞれ自身の人形の声をあてる、という趣向らしく、そんな中でジョージ・ブッシュや金正日がそんな俳優等と同様に実名でクレジットされているのも興味深い事だと思います。
わたしはもしかすると、彼等の人形に、ニュース映像等での彼等の生音声があてられるのかも知れないな、と思ったりもしています。

さて、ここで考えなければならない点は、この作品"Team America: World Police"が「マリオネーション(人形劇)」の技法を使っていると言う点です。
この点から、この作品は先ごろジョナサン・フレイクスの手によってリメイクされた「サンダーバード」(オリジナル版)に対する非常にシニカルでダークで胸糞悪いパロディとして機能してしまう事が容易に想像できる訳です。

ご存知の様に「サンダーバード」(オリジナル版)は、元NASAの宇宙飛行士で大富豪のジェフ・トレーシーが、自らの家族を中心に「国際救助隊」という名称の私設救助隊を組織し、世界中で起きる自然災害や人為的事故の現場に最新メカを駆使し急行、多くの危機を乗り越えて、多くの人命を救助する、というイギリスのテレビ・シリーズで、それを描く手法が「スーパーマリオネーション」と呼ばれる「マリオネーション」技法だった訳です。

「サンダーバード」(オリジナル版)のファンの皆さんに取っては、私設救助隊の奉仕活動の一環として世界中で多くの人命を救い続けていた「国際救助隊」と、現在のチーム・アメリカがなぞらえて描かれている点に、釈然としない部分は多々あると思いますし、勿論お怒りの方も多々いらっしゃると思います。

しかし、わたしはそういった批判をする前に、是非この時期、この作品を自分の目で観たい、と考えています。
 
 
参考ブログ
注目の映画というもの/浜乙女 氏
http://diarynote.jp/d/38325/20040812.html

ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの
http://diarynote.jp/d/29346/20040803.html

参考サイト
"Team America: World Police"
http://www.teamamericamovie.com/
各方面で賛否両論、と言うか若干酷評気味の「スチームボーイ」なのだが、わたし個人としては以前書いたようにいくつかの問題点はあるものの、「天空の城ラピュタ」と並ぶ、現時点では最高の「血沸き肉踊る冒険漫画映画」の一本であると思うのだ。

そんなところで、いくつかの観点から「スチームボーイ」の弁護を試みると共に、「スチームボーイ」の理解を深めて行きたいと思うのだ。
 
 
1.「天空の城ラピュタ」との類似性

 誰もが指摘する様に、本作「スチームボーイ」の物語と「天空の城ラピュタ」(「天空の城ラピュタ」の原案を基にしている「ふしぎの海のナディア」を含む)の物語との表層的な類似は否めない事実である。

 これら「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」の物語の根本的なプロットは「人類にとって大きな災厄と恩恵をもたらす可能性を秘めた力の源を手にしてしまった少年少女たちが、その力の源と発動する力を欲する権力者たちと、力の源の争奪戦を繰り広げる」と言うものである。
 これは最近では「ロード・オブ・ザ・リング」三部作でも語られているような普遍的で神話的などんな民族にも受け入れられる構成を持った物語であると言える。
 仮に「ロード・オブ・ザ・リング」三部作に主体を置いて言うならば、これらの物語は「大きな力を捨てに行く」物語なのである。

(※ 「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」(「ふしぎの海のナディア」)のキャラクター設定や、置かれている環境、時代背景、そのキャラクターが属する集団と対立する集団に関する類似性は、物語の基本的プロットやコンセプトを考えた場合、特に重要では無いので割愛します)

 しかし、ここで考えなければならないのは、「天空の城ラピュタ」等で描かれている「力の源」と「発動する力」は、当時の人類には開発もコントロールも出来ない、「前文明(前時代)の遺産」として存在し、「神や天の火(天災)」のメタファーとして描かれている、と言う点である。
 これは宮崎駿の作品中、「天空の城ラピュタ」の「飛行石/ラピュタのいかずち/装甲ロボット兵」、「ふしぎの海のナディア」の「ブルー・ウォーター/アトランティス」、「未来少年コナン」の「太陽塔/太陽エネルギー/ギガント」、「風の谷のナウシカ」の「巨神兵/王蟲/腐海」、「もののけ姫」の「シシ神」、「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」として、何度も何度も描かれており、宮崎駿の環境問題に対する考え方、エコロジーや環境破壊に対する過激な意識が、地球の怒=天災と形を変え、幾度と無く描かれている、という訳なのである。

 一方「スチームボーイ」の「力の源」は勿論「スチームボール」であり、これは当時の人類がその叡智を結集し開発したもので、人類に破壊と恩恵をもたらす科学技術のメタファーとして存在している訳だ。
 これは「アキラ」の「鉄雄」にも通じるのだ。とは言っても「アキラ」の「鉄雄」は科学技術のメタファーか、と言われると表層的には疑問の余地はあるだろう。しかし「アキラ」はもともと「鉄人28号」から着想した作品である、と言う点や、「アキラ」の物語中で「鉄雄」の力はきっかけはともかく医療技術で発動するところ(語弊あり)から、「鉄雄」が人類に破壊と恩恵をもたらす科学技術のメタファーだと考えても構わないだろう。

 つまり、表層的には「人類にとって大きな災厄と恩恵をもたらす可能性を秘めた力の源を手にしてしまった少年少女たちが、その力の源と発動する力を欲する権力者たちと、力の源の争奪戦を繰り広げる」という物語に見える「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」だが、その物語の核となる「力の源」は全く異なる次元とベクトルを持っているのである。
 これを端的に表すと、宮崎駿は人類が行っている環境破壊を批判し、一方大友克洋は(兵器転用可能な)科学技術の開発競争を批判している訳である。

 こう考えると「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」は、物語の表層の類似は否めないものの、作品自体が持つ思想的・政治的バックボーンや、製作者が物語を通じて観客に指し示すベクトルは全く異なる作品だ、と言う事が言えるだろう。
 語弊はあるが、あえて誤解を恐れずに端的に言うならば、「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」は、マイケル・ムーアとグリーン・ピース位かけ離れた作品だ、と言う事が出来るのではないだろうか。

 そしておそらく、宮崎駿の理想は人類の自然との共存であり、大友克洋の理想は人類の科学技術との共存だ、と言えるのではないだろうか。 これは正しく、似て非なるものだと言えよう。 

 いかがであろう、つまり「スチームボーイ」と「天空の城ラピュタ」は全くと言って良いほど異なった作品であり、表層だけを見て似ている、と考えるのは当てはまらないのではないか、とわたしは考えるのだ。
 
 
つづく・・・・予定。

2.ユーモアの欠如

3.成長しない登場人物

4.ヒーローの誕生

「スチームボーイ」
http://diarynote.jp/d/29346/20040705.html
1805年
大海原−それは人類に残された最後の開拓地である。
そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。
これは、フランス海軍アケロン号迎撃のため旅立ったH.M.S.サプライズ号の驚異に満ちた物語である。

各方面で絶賛の嵐の「マスター・アンド・コマンダー」を、この度DVD/DTSで視聴しまして、気になる点を何点かお話したいと思います。

1.音響効果
 第76回アカデミー賞「音響効果賞」受賞も納得できる程、音場の再現度は高い。
 特に波や風により船体が軋む音の5.1chでの再現は素晴らしく、その臨場感は、自らが大海原の真只中に居るかのような印象を受ける。
 また特筆すべき点として、音楽があまり入っていない点も、音響効果の効果を高めている。いっその事、音楽を全く入れなくても良かったのではないか、と思う程であった。

2.撮影
 アクション・シークエンスの撮影は良かったし、ガラパゴス諸島のロケーション効果も高かったのであるが、H.M.S.サプライズ号が大海原を単独で航海している描写が希薄であった。
 これは、H.M.S.サプライズ号が画面上、大写しになっていることが多く、圧倒的な大自然における圧倒的な孤独感、寂寥感、そして大自然に対する畏怖があまり感じられなかった。
 H.M.S.サプライズ号が大海原を孤高に航海する潔さが表現されていないのは大変惜しい、と思うのだ。

 例えば「アラビアのロレンス」冒頭付近の、地平線上に現れるラクダがだんだん近づいてくるようなカットであるとか、「2001年宇宙の旅」のフランク・プール救出のシークエンス等、大自然の中の孤立無援感を感じさせて欲しかったのだ。

3.脚本
 原作は20冊を超える超大作であり、本作はその1エピソードを中心に139分にまとめ、H.M.S.サプライズ号とアケロン号に物語の焦点を絞った潔さは評価できるのだが、そのためH.M.S.サプライズ号とアケロン号が置かれている背景が希薄である。
 ともすれば、フランス代表としてアケロン号が、イギリス代表としてサプライズ号が戦っているような印象を観客に与えかねない。
 勿論冒頭の命令書云々の件はサプライズ号の背後のイギリスの存在を描いているのだが、例えばイギリス本国の海軍作戦室を映すとか、ジャック・オーブリーがイギリス本国から命令書を手渡しされるとか、多くのイギリス軍艦が多くの海域でフランス海軍と戦っているのだ、と言う背景を描いて欲しかったのだ。

 また、H.M.S.サプライズ号やアケロン号の背景が見えない点とかぶるのだが、本作の物語自体が小さく、シリーズの中の1エピソードとしか感じられない。
 尤も前述のように原作は20冊を超えている訳だから、今後のシリーズ化も念頭においているのだろうが、オーブリーとマチュリンの初登場エピソードとしては物語が弱いような印象を受ける。
 今後のシリーズ化の展開を考えた場合、例えば「スター・ウォーズ(エピソードIV)」や「レイダース/失われた聖櫃」のようなシリーズ第一作と本作を比較してどうか、と言う事である。

4.シリーズ化への期待
 前項と被るのだが、個人的に本作は是非シリーズ化して欲しい作品である。
 先ず、今回のブログの冒頭に書いた言葉をもう一度読んでいただきたい。

 賢明な読者諸氏はお気づきのように、冒頭の言葉は、「宇宙大作戦/スタートレック」のオープニング・ナレーションを本作「マスター・アンド・コマンダー」に当てはめたものである。

 そう「マスター・アンド・コマンダー」は「スタートレック」だったのだ。
 そしてわたし達観客は、オーブリーとマチュリンの、そしてH.M.S.サプライズ号の人類未踏の海域での驚異に満ちた物語を、もっともっと知りたいのである。
 今後のシリーズ化を切に願うのだ。

5.「スタートレック」を見ろ!
 「マスター・アンド・コマンダー」に関心を持った方は、是非「スタートレック」シリーズも見て欲しい。
 舞台や環境は勿論異なるのだが、「スタートレック」と「マスター・アンド・コマンダー」は、全くと言って良いほど同じコンセプトとベクトルを持った物語だと言えるのだ。 

最後に、冒頭でアレンジ版を記載した「スタートレック」のオープニング・ナレーションを原文のままご紹介したいと思います。

宇宙−それは人類に残された最後の開拓地である。
そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。
これは、人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った宇宙船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である。
(「宇宙大作戦/スタートレック」オープニング・ナレーションより引用)』

Space... the final frontier.
These are the voyagers of the Starship Enterprise.
It’s five year mission:
To explore strange new worlds,
To seek out new life and new civilizations,
To boldly go where no one has gone before... 
2004/08/06 東京新宿「LOFT/PLUS ONE」で行われた「スタトレ予備校」に行って来た。

「スタトレ予備校」
スタトレ好きによるスタトレファンのよりスタトレを好きになる予備校開講!
<主な講義>
「最新米国SFTV事情とST」岸川靖
「STアフレコ裏話」     大川透&沢海陽子
その他 ST新製品情報等 STづくしの予定です
open18:00/start19:00 \1000(飲食別)

岸川靖氏は、日本における「スタートレック」や海外ドラマ等の宣教師のような人で、数多くの出版物や、DVDの監修、雑誌の連載記事等の活動を行なっている。
各種映画雑誌、模型雑誌等の連載も多い。

大川透氏は、「スタートレック」的にはガラックの声優をつとめ、最近はアニメ「鋼の錬金術師」のロイ・マスタング役等で人気の声優。
声優界最強の「スタートレック」ファンとしても有名。
先日も来日したジョージ・タケイ氏と対談が企画され、本来は声優としての立場の対談だったのだが、ファンの立場でインタビューする状況になった模様。
その模様は「HI−VI」に掲載予定。

沢海陽子氏は、「スタートレック」的にはターシャやセブン・オブ・ナインの日本語吹替を行う声優で、アニメ、洋画等様々な舞台で活躍。

今回のトークライブの内容は、「海外テレビドラマ事情」、「最新映画情報」、「最新トイ/食玩情報」、「最新DVD情報」、「日本語吹替の裏事情」等。

また当初は、企画として大川透、沢海陽子の指導のもと、アフレコ体験講座が行われる予定だったのであるが、準備が大変なので中止になった模様。

また先ごろ初号試写が行われた「ハウルの動く城」を既に2回観た岸川氏の感想から派生する、声優としてタレントを起用することに関するディスカッションが興味深かった。

また実写版「イノセンス」とも言われている「アイ,ロボット」や、先ごろ北米で公開された「キャット・ウーマン」の話、ジョナサン・フレイクスの「サンダーバード」が北米初登場10位だった話、「ヴァン・ヘルシング」のミス的トリビアの話等、興味深い話が披露された。

一応、WEBで公開しない事が前提となっている話が続き、あまり詳しいお話は出来ないのだが、非常に楽しく、有意義な時間が過ごせたのである。

イベントが終ったのが23:00頃だったのだが、その後は大川透氏、沢海陽子氏のサイン会が自然発生的に始まった。
因みに、サイン界の口火を切ったのは、わたしの連れだった。

「スタートレックを語ろう 2004春:SF−TV大作戦」+「華麗なるトークII 〜クイーンを語る〜」
http://diarynote.jp/d/29346/20040411.html

「宇宙大作戦パネル展」
http://diarynote.jp/d/29346/20040710.html
2004/08/05 東京有楽町 東京国際フォーラムAホールで行われた『「ヴァン・ヘルシング」ジャパン・プレミア』に行ってきた。

最近のジャパン・プレミアは映画のスタッフやキャストが登場し、舞台挨拶が行われるのが一般的なのだが、今回は舞台挨拶は無し。

但し、「ヴァン・ヘルシング」の本編中のシーンを模した「仮面舞踏会」がスタージ上で行われた。
演出意図は若干不明だが、スタッフやキャストが来ない状況での苦肉の策だったのであろう。

「ヴァン・ヘルシング」については、先日ギャガ・コミュニケーションズの試写室で観ていたので、ジャパン・プレミアには行かないつもりだったのだが、もしかして間違って、ヒュー・ジャックマンやケイト・ベッキンセール等が来日していたら困るので、結果的に足を運んでしまった訳なのだ。

舞台上では、「仮面舞踏会」以外には、ヒュー・ジャックマン、ケイト・ベッキンセール、監督のスティヴン・ソマーズのビデオ・メッセージと、日本語吹替版のエンディング・テーマを担当する氷室京介のPVとビデオ・メッセージが流れた。

映画についての印象は変わらず、詳細は次のリンクで確認してください。
http://diarynote.jp/d/29346/20040723.html
2004/08/04 東京霞ヶ関イイノホールで行われた「スウィングガールズ」の試写会に行ってきた。監督は「ウォーターボーイズ」の矢口史靖(ヤグチシノブ)。

舞台は東北の片田舎の高校。
夏休み返上で補習を受けている女子生徒たちが、サボりの口実としてビックバンドを始める。
当然のごとくやる気はゼロでサボる気満々。
しかし、楽器からすこしずつ音がでてくるにつれジャズの魅力にひきこまれ、ついには自分達だけでバンド結成を決意!
とはいえ楽器はないし、お金もない。バイトをすれば大失敗。
なんとか楽器を手に入れて、いざ練習!と思いきや、今度は練習場所もなく、ついにはバンド解散の危機!?
しかし、音楽への熱い思いがはちゃめちゃパワーとあいまって、紆余曲折を吹き飛ばし、感動のラストまで一直線!!
(オフィシャル・サイトより引用)

わたしは中学生時代に吹奏楽部に所属していた。
その吹奏楽部の経験から譜面や音楽理論を覚え、ギターやキーボードの演奏に派生し、ステージは勿論、デモテープを作ったり、DTMを行ったり、といった音楽経験をわたしは持っている。わたしはそんな中で「スウィングガールズ」を観た訳である。

本作「スウィングガールズ」の第一印象は、音楽を題材にした平凡な青春映画である。と言うもの。

つまらない訳ではないし、そこそこ面白いし笑える。また後半部分のライヴ・シーンには感動や興奮すらする。
しかし、なんだか退屈で盛り上がりに欠けるのである。

これは本来描くべき音楽シーンが少ないことに拠るのかも知れないし、単純明快で捻りの無い脚本に拠るものなのかも知れない。

何故か本作「スウィングガールズ」は、バンド結成のための資金集めから楽器調達といった枝葉部分を丹念に描く事に重点を置き、肝心要の楽器演奏シーンが少ない、と言う本末転倒的な作品構成を持っているのだ。

勿論、音楽初心者が苦労して資金を集め楽器を調達しバンドを結成するまでの紆余曲折は、一見キャッチーだし身近で面白い題材なんだろうとは思うのだが、そういった部分より、楽器に手を触れ、音が出て、演奏が楽しくなり、メンバーと曲を合わせていく喜びが感じられ、演奏スキルが向上、メンバーとの一体感が生まれ演奏が板につく、という登場人物の成長を描く部分に本来は多くの尺を割くべきだったのではなかろうか、と思うのである。

事実、楽器スキルの向上の演出が希薄である為、5人編成のバンドから17人編成のビッグ・バンドになるシークエンスは、本来ならば観客を感動させるシークエンスであるべきなのだが、練習もしていない、譜面も知らないはずのメンバーがライヴに突然乱入する、という脚本にはリアリティが無く、ともすれば楽器の演奏なんて簡単なんだ、という印象さえ観客に与えかねないものになっている。
下手をすると、後半部分の演奏シーンの感動を減衰する方向性さえ感じられるのだ。

また楽器の取扱いに対する無神経さも気になった。

楽器は演奏家にとってどういう存在なのかを、少しは考えた上で演出して欲しいと思ったのだ。

これは、冒頭部分の楽器をオモチャにするシーンに顕著なのだが、スライドを落すのはお約束だが、トランペットでシャボン玉を作り始めるのにいたっては、エスカレートしすぎたお粗末なギャグにはリアリティのかけらすら無いし、勿論面白くも無いし、楽器を演奏している人達にとって、非常に不愉快なシーンに仕上がっている、と言わざるを得ないのだ。

ところで、キャストだが、主演は「ジョゼと虎と魚たち」でジョゼに意地悪をした女子大生を演じた上野樹里(鈴木友子/テナーサックス)が田舎の純朴な女子高生を好演している。
余談だが上野樹里のスカートやセーラー服の丈が微妙であった。
上野樹里ではピンで客を呼べるほどの格はまだまだ感じられないが、今後が楽しみな女優の一人である。残念ながらイメージ的には竹内結子とかぶるので、なんらかの転機が必要だと思う。

唯一の男性メンバー平岡祐太(中村拓雄/ピアノ)は、もう少し一本通った所を見せて欲しかった。
お金持ちのぼんぼんの役、ということもあるのだが、もう少し格好良いところを見せて欲しかった。

貫地谷しほり(斉藤良江/トランペット)、本仮屋ユイカ(関口香織/トロンボーン)、豊島由佳梨(田中直美/ドラム)等はオーディションで出てきたらしいのだが、非常に存在感があり、若手の名脇役として今後に期待が持てるし、下手をすると映画やテレビに引っ張りだこになるのではないか、とさえも思った。

貫地谷しほりと本仮屋ユイカはそれぞれ2〜3作目のようだが、豊島由佳梨は演技初体験なのだが、自然で落ち着いた、周りを食ってしまう演技に好感と期待が持てた。

余談だが、それと比較すると、キャリアがあるはずの上野樹里のファーストカットはあくびをするカットだったのだが、演技丸出しの不自然なあくびには辟易した。中盤付近のくしゃみの演技もイマイチだったことを考えると上野樹里は生理現象の演技は苦手なのかもしれない。

さて、竹中直人であるが、コメディ作品に登場する竹中の演技スタイルには既に飽きがきている事を自覚し、現行の演技スタイルからの脱却を図って欲しいし、または他の俳優との入れ替えも考えていい時期だと思う。

白石美帆は当初思っていたより大きな役で、登場シーンも多かった。つかみ所の無いキャラクターを好演している。

脚本は前述のように単純明快で捻りも無いのだが、演出は面白い。
例えば、バンド結成のための資金調達のエピソード中の「松茸狩から猪退治」へのシークエンスは秀逸である。
特にショットガン撮影を模した猪退治のシーンは、使用されている楽曲"What A Wounderful World"と相まって素晴らしい効果を出している。

また、冒頭の「弁当運び」のシークエンスや、「学校の屋上のビデオ撮影からの雪合戦」等ロケーション効果を生かした画面と演出が印象的である。

また、なんと言ってもラストの演奏シーンだが、「チューニングから演奏開始」あたりも印象的である。

そして驚くべき事は何と言っても、本編で使われている音は全て自分たちの演奏である、という点だろう。

音を出すだけで大変な管楽器を、少なくても観客を感動させるレベルまで習熟している点、演奏だけではなく、スタンドプレイまでこなせるレベルまで達している点に驚きなのだ。

また、映画のプロモーションの一環としてだが「スウィングガールズ」としてライヴ演奏するイベントまで行ってしまうところに驚きを禁じえない。

これはつまりワンカットずつの演奏ではなく、楽曲を通して演奏できるスキルを持っている、という事なのである。
勿論譜面が読めるのか、暗譜しているかわからないが、どちらにしても凄い。こいつら凄すぎなのだ。

しかし逆説的に言うと、楽器に初めて触れるシークエンスあたりが様になりすぎている、という弱点もあるのだが・・・・。

これはアラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」あたりも俳優たちが自分たちで演奏しているのだが、ライヴ感やリアリティのため、非常に素晴らしい事である。

楽器経験者としては、多分非常に楽しい撮影だったのではないかな、と思うのだ。

結果的には、音楽好きの人や楽器を演奏しているような人ではなく、音楽に関心が無い、または楽器を演奏した事の無い人にぜひともオススメの作品なのかもしれないのだ。
音楽をやっている人は激怒かも。

☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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まずは、こちらの記事を読んで欲しい。
マイケル・ムーアの「華氏911」を観るのか?と記者団に問われた日本国首相の対応である。

「華氏911」…偏った映画、と首相が不快感
 イラク戦争とブッシュ米大統領を痛烈に批判して話題となっている米映画「華氏911」について、小泉首相は2日夕、「政治的な立場が偏った映画は、あんまり見たいとは思わないね」と不快感を示した。

 首相は映画好きで知られ、この週末も東京・築地の映画館に出かけてエルビス・プレスリーの映画を観賞したばかり。だが、今月中旬から日本でも一般上映される「華氏911」について、記者団が「見に行く予定は」とただすと、首相は言下に「計画はないですね」。

 「監督のマイケル・ムーア氏は大統領に追随したとして、首相も批判しているが」との記者団の指摘にも、「ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの」と憤まんやるかたない様子だった。

 「華氏911」は、今年5月のカンヌ映画祭で最高賞「パルムドール」に選ばれた。全米公開後は記録的ヒットを続ける一方、政治的色彩が濃い作品として、保守系の市民団体などが反発している。(読売新聞)  [8月2日22時58分更新]


前提として、わたしは日本国首相が「華氏911」に対して語った全てのコメントを読んでいる訳ではありません。つまり、わたしは前後の脈絡なしに、マスコミが公表した日本国首相のコメントに接していると言う事になります。

また、わたしは、マスコミは自らの政治的立場により、視聴者や読者をコントロールし、都合の良い解釈に達するよう、自分たちにとって都合の良い部分だけを編集し公表している可能性が否定できない事を知っています。

まあ、そんな中、感じた事をつらつらと書いてみようと思うのだ。

「政治的な立場が偏った映画は、あんまり見たいとは思わないね」

このコメントから、われわれ日本人の指導者である日本国首相は、

1.「華氏911」を今現在観ていない。
2.「華氏911」は政治的立場が偏っている、と考えている。

という点がわかります。
つまりわれわれの指導者である日本国首相は、「自分の眼より、マスコミの報道を信用している」ということがわかります。

また日本国首相はおそらく「エルビス・オン・ステージ SPECIAL EDITION」を観た帰りに記者団に対し「華氏911」に対するコメントを発したのだと思うのだか、「エルビス・オン・ステージ SPECIAL EDITION」を観た、と言う事は日本国首相はエルビス・プレスリーが政治的に偏っていない、と考えているようです。

まあ、わたしが日本国首相だったら「華氏911」を観た上で「くだらない」とか「ばかばかしい」、「嘘っぱちだ」とかコメントすると思います。

「ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの」

こんな言葉を思い出した。
「厳しい批評のみが映画を良くする」
(フランソワーズ・トリフォーだったかジャン・リュック・ゴダールだったか忘れたが、どちらかが語った言葉として伝えられているもの)

勿論、日本国首相の言葉とは、批判と批評の差はあるものの、一般的に、批判・批評の目的は、その対象物またはその対象物のカテゴリー、または将来の対象物やカテゴリーをより良くする為なのである。

厳しい映画批評も、厳しい政治批評も結局は、映画や政治または映画界や国、将来の映画や映画界、政治や国を良くする為のものだ、と言う事なのである。

われわれの指導者である日本国首相は残念ながら、その辺りを全く理解していないようである。

もしわたしが日本国首相だったら、お追従より批評や批判を大切に傾聴すると思います。

ついでにこんな寓話を思い出しました。

あるところに賢い王様と愚かな王様がいました。

愚かな王様は、良い知らせを持ってきた家来に金貨を与え、悪い知らせを持ってきた家来の首を刎ねました。

賢い王様は、良い知らせを持ってきた家来に銀貨を与え、悪い知らせを持ってきた家来に金貨を与えました。

なぜなら、良い知らせより悪い知らせの方が重要だと賢い王様は知っていたからです。
 
 
 
「華氏911」
http://diarynote.jp/d/29346/20040816.html

「機関車先生」

2004年8月2日 映画
2004/07/14 東京新橋ヤクルトホールで「機関車先生」の試写を観た。

瀬戸内海に浮かぶ小島、葉名島。
そこで学ぶ全校生徒7人の水見色小学校の子供たちの前に、ある1人の青年が臨時教師としてやって来た。
春風の到来と共に子供たちの前に現われた先生は、大きな体に優しい眼差しを浮かべているがなぜか一度も口をきかない。
そんな先生の様子に期待と不安で胸を膨らませていた子供たちは、先生が黒板に書いた言葉に目を丸くする。
「ぼくは話をすることができません。でもみなさんといっしょにしっかり勉強します」。
ぽかんと口をあける生徒たち。しかしすぐに「口をきかんの?じゃあ、口をきかん先生、機関車先生や!」と大はしゃぎ。
こうして口をきけない「機関車先生」と7人の子供たちの交流が陽気に幕を開ける。
(「機関車先生」オフィシャル・サイトより引用)

吉岡誠吾(機関車先生)に坂口憲二、校長先生 佐古周一郎に堺正章、吉岡先生の下宿を引受ける女医 阿部よねに倍賞美津子、居酒屋の女主人 室井よし江に大塚寧々、島の実力者で網元 美作重太郎に伊武雅刀、寺島しのぶもちょこっと登場。
監督は廣木隆一。

主人公の吉岡先生のキャスティングについてだが、これには演技はともかく存在感がある人物が必要だ、と考えた場合、本作の坂口憲二は大正解だと言えよう。
坂口は口を利かなければ、実直で素直、質実剛健という「機関車先生」のイメージを観客に伝える事が出来る素晴らしいキャスティングだと言えよう。

そして、主人公が喋らない分、脇に曲者が配されている。

吉岡先生の代弁者とも言える堺正章は枯れた演技を見せつつ、吉岡先生の心情を代弁する。
また「口が利けない先生を批判する」一派の代表である網元を伊武雅刀は楽しげに演じている。伊武は悪役でありながらコメディ・リリークを担当している訳なのだ。

余談だが、最近竹中直人のオーバーアクトに飽き飽きしてきたわたしが思うには、竹中が現在占めているコメディ・リリーフとしてのポストを伊武にシフトしていくのも面白いと思っている。
伊武は、渋い役からお笑いまでこなせる貴重な俳優だと思うのだ。

また女性陣も黙ってはいない。
やはり何と言っても倍賞美津子の存在感だが、島の実力者網元もタジタジと言った、島で最強の人物を演じている。
更に大塚寧々にしろ佐藤匡美にしろ、自分の役柄を自然な雰囲気で見事な演技を見せている、のではないだろうか。

これら俳優たちの細かな演技の積み重ねがリアリティを生むのである。

そして子供たちである。
勿論、若干卑怯な感は否めないが、わたし達観客は子供たちに見事にやられてしまうのである。
若干一名、子供としては年長の二世俳優が出ているが、その他の子供たちの演技は素晴らしいものがある。

美術は、ほぼオールロケの効果が抜群である。
学校はともかく、居酒屋や駄菓子屋、路傍の風情が素晴らしい。

脚本は、剣道の試合中の事故で声が出なくなり、教師をあきらめた吉岡先生が、新たな生きがいを見つけ、自分を取り戻す、という物語がメインになっているため、厳しい見方をすると、吉岡先生は自分の復活のために子供たちを利用している、というような印象をも受けるのだが、それだけでは無い何かが感じられる良い脚本に仕上がっている。

本作「機関車先生」は、残念ながら傑作とは言いきれないが、さわやかな感動を求める方には、この夏オススメの一本である。
さて、早速ですが2004年の目標の中間発表その7です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

1.映画

#044 「スターシップ・トゥルーパーズ2」銀座シネパトス1 2004/07/01
#045 「セイブ・ザ・ワールド」スバル座 2004/07/01
#046 「スチーム・ボーイ」ヤクルトホール 2004/07/05
#047 「リディック」ヤクルトホール 2004/07/07
#048 「いかレスラー」テヤトルダイヤ 2004/07/10
#049 「バレエ・カンパニー」九段会館ホール 2004/07/12
#050 「MAIL」シネクイント 2004/07/12
#051 「丹下左膳/百万両の壷」ヤクルトホール 2004/07/13
#052 「機関車先生」ヤクルトホール 2004/07/14
#053 「堕天使のパスポート」明治安田生命ホール 2004/07/16
#054 「マッハ!」渋谷公会堂 2004/07/18
#055 「ラブストーリー」新文芸坐 2004/07/19
#056 「殺人の追憶」新文芸坐 2004/07/19
#057 「キング・アーサー」日本武道館 2004/07/20
#058 「サンダーバード」日本武道館 2004/07/22
#059 「ヴァン・ヘルシング」ギャガ・コミュニケーションズ試写室 2004/07/23
#060 「モナリザ・スマイル」朝日生命ホール 2004/07/26
#061 「LOVERS」NHKホール 2004/07/28
#062 「ドリーマーズ・ハイ!」イイノホール 2004/07/29

2.DVD、CATV等

#100 「スパイダーマン」CATV 2004/07/09
#101 「ドレミファ娘の血は騒ぐ」CATV 2004/07/11
#102 「007/ダイ・アナザー・デイ」CATV 2004/07/11
#103 「クリスティーナの好きなコト」CATV 2004/07/11
#104 「メリーに首ったけ」DVD 2004/07/11
#105 「チャーリーズ・エンジェル」DVD 2004/07/15
#106 「ファインディング・ニモ」DVD 2004/07/18
#107 「合衆国最後の日」DVD 2004/07/27
#108 「カプリコン1」DVD 2004/07/27
#109 「タクシー3」CATV 2004/07/30
#110 「ファム・ファタール」CATV 2004/07/31
#111 「アビス」DVD 2004/07/31

3.読書

#021 「ザ・スタンド(III)」スティーヴン・キング著 深町眞理子訳 文春文庫 2004/07/10
#022 「第四解剖室」スティーヴン・キング著 白石朗他訳 新潮文庫 2004/07/23

映画は、劇場19本(累計62本)、DVD等12本(累計111本)で、計31本(累計173本)。
このままのペースで、年間297本(劇場106本)です。

読書は2冊(累計22冊)で、このままのペースでは、年間38冊です。

映画はともかく、読書の状況は厳しいです。
先は長いですが頑張ります。

※ 参考 昨年同時期の状況
映画 178本(劇場49本)
読書 34冊
2004/07/29 東京霞ヶ関イイノホールで行われた「ドリーマーズ・ハイ!」の試写に行ってきた。

舞台挨拶は、監督の永岡久明、出演の矢沢心、渡瀬美遊、日高真弓、ドン小西。

依子(矢沢心)、エミ(中村麻美)、佳世(渡瀬美遊)は地元福島からファッションデザイナーを目指し上京、同じデザイン専門学校に通っていたが、彼女達の人生は次第に夢から遠ざかりつつあった。

依子は専門学校には通っていたが未だに芽が出ず、警備員のバイトをしながら生計を立てていたが、エミと佳世は既に専門学校をやめ、ファッションデザイナーへの夢は潰えていた。

そんな中、依子のデザインを見て依子を会社に招きたいと言う会社が現れたのだ。
そこは稲葉(風間トオル)が経営する小さなデザイン会社だった。

依子は稲葉に会い色々と話をし、稲葉の会社に惹かれるが、何より自分のデザインを初めて認めてくれたことに喜びを隠せなかった。依子はデザイナーとしての自分のキャリアがスタートラインについたことに喜んでいたが・・・・。

本作「ドリーマーズ・ハイ!」は、WEB上で公開される事を前提として、ビデオ撮影された作品である。
この度完成披露と言う様な意味合いを込め、監督・キャストの舞台挨拶を伴う試写が行われた模様である。

正直なところ、WEB上での公開を前提とした作品と聞き、観に行くのを止そうと思ったのだが、結局わたしは、物語の題材がWEBシネマにありがちな、奇をてらったこけおどし的な題材、演技も出来ないアイドルをフィーチャーした題材、ただ単にキャッチーな題材を利用したものではなく、夢を追い続ける3人の主人公たちの青春ドラマである、というある意味ベタで魅力の無い題材、逆に言うと真っ向勝負の題材に惹かれてしまったのである。

正直、軽く莫迦にして本編を観たわたしだが、WEB上での公開を前提とした作品と言っても、莫迦にしたものではない。と痛感させられてしまった。

勿論、おそらく民生用のビデオカメラを使用したと思われる映像はチープだし、マイクはビデオカメラの駆動音を時々拾っているし、物語の展開は安易だし、演出も類型的なものであり、音楽のつけ方も安易で類型的、特に新鮮なものはない。
(室内のシーンが多いのだが、照明は自然で非常に良かった)

しかし、展開は安易だと言っても、細かい部分の脚本は、ボケと突っ込みが生きた漫才的な面白いセリフ、小ネタを生かしたやり取りが心地よく、出演している矢沢心等女優陣の演技は期待以上の出来である。

また、脚本的には、女性達が主人公なのに、恋愛話を全くと言って良いほど描いていない、という所に好感を覚えた。
正にテーマのみの真っ向勝負の作品なのである。

そんな作品の演出や編集は基本に忠実な感じで新鮮味は無いが、ソツなくこなしているし、そして何と言っても、主演の矢沢心は観客の心をガッチリと掴み、観客のエモーションを充分に揺り動かすほどの素晴らしい演技を時々見せてくれるのである。

そして、この映画は観た後、自分も何かしたい、自分の夢を実現させるために何か努力をしたい、と思わせるような不思議な魅力を持った作品に仕上がっているのである。

莫迦にして観ているうちに、気が付けば登場人物を応援していて、観終わったら何か自分の中に変化が起きていた。
その映画の事を思い出せば幸せな気持ちになれる。そんな楽しい感じの映画なのだ。

ハリウッド産の超大作映画を観るのも良いが、たまには真摯な態度で製作した良質な小品的作品を観るのも良いのでは無いだろうか。

「ドリーマーズ・ハイ!」
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「LOVERS」

2004年7月28日 映画
2004/07/28 東京原宿 NHKホールで行われた『「LOVERS」ジャパン・プレミア』に行ってきた。

舞台挨拶は登場順で、監督:チャン・イーモウ、アクション監督:チン・シウトン、アンディ・ラウ、チャン・ツィイー、金城武、衣裳デザイン:ワダ・エミ、音楽:梅林茂、製作:ビル・コン。司会は襟川クロ。

西暦859年、唐代の中国。
朝廷は反乱勢力最大の一派で、民衆の支持をも集めている「飛刀門」撲滅を画策、一時は首領の暗殺に成功する。
しかし「飛刀門」は新しい首領をたて勢力の拡大を図っていた。

そんな中、朝廷は捕吏の瀏(リウ/アンディ・ラウ)と金(ジン/金城武)に「飛刀門」の新しい首領を10日以内に捕らえるよう厳命。
瀏は「飛刀門」の元首領の娘が盲目であることから、最近遊郭「牡丹坊」で評判を呼ぶ盲目の踊り子小妹(シャオメイ/チャン・ツィイー)が「飛刀門」の元首領の娘ではないかと疑い、「牡丹坊」に酔客になりすました金を潜入させる。

一時は目論見通り小妹を捕えるが、小妹の口が堅いと知った瀏は、金に小妹の脱獄を手助けさせる。
小妹に金を反乱戦士と信じ込ませ、「飛刀門」の新首領の元へ案内させるよう謀るのだったが・・・・。

本作「LOVERS」は、「HERO/英雄」に続くチャン・イーモウの中国歴史絵巻である。
「HERO/英雄」同様、悲劇をワイヤーアクションと美しい美術・衣裳で描く作風となっている。
「HERO/英雄」は秦の時代を舞台とした始皇帝の苦悩を描いていたが、本作「LOVERS」は唐の時代を舞台に、朝廷と朝廷に対峙する反乱一派「飛刀門」と言う大きなうねりに翻弄される三者三様の愛を描いている。

物語の最大のモチーフは「傾城・傾国の美女※」。
本作は、チャン・ツィイー演じる小妹を取り巻く、瀏(リウ/アンディ・ラウ)と金(ジン/金城武)の愚かさを見事に描いている。

しかしながら、「傾城・傾国の美女」を理解しないと、本作の脚本は一見つまらなく、前半から中盤はともかく後半からラストは退屈な映画に思えてしまうきらいがあるのだ。
事実、今回の『「LOVERS」ジャパン・プレミア』において、多くの観客が本作について否定的な感想を持っていたようである。

これの多くは、冒頭から中盤にかけては、脚本もアクションも大変素晴らしいのであるが、後半からラストにかけての瀏(リウ/アンディ・ラウ)と金(ジン/金城武)の莫迦さ加減はあきれてしまう、というところだろう。

勿論、それはチャン・イーモウの狙いなのだから仕方が無いのだが、一般の観客はそこまで読み取れずに、映画の表層を見て「LOVERS」は駄作だ、というレッテルを貼ってしまう可能性がある、と言えるのだ。

ところで美術や衣裳は大変良い仕事をしている。
「HERO/英雄」では物語の性格上、美術や衣裳はファンタジックで美しい反面、残念ながらリアリティが欠如していた。
しかし本作の美術は落ち着いた色彩で、しかも使い込まれた風情でしっかりとまとめられており、また衣裳については、色彩を含めてリアリティのある、重厚でかつ繊細なデザインにまとめられている。

音楽は、若干日本的なテイストが顔を出すが、概ね良かったのではないだろうか。

また撮影はスコープサイズを意識したレイアウトに、良い印象を受けた。
最近はビデオやDVD化を目論んだテレビサイズで見映えの良い画面レイアウトを撮る作家がいる中、劇場公開を大前提としたレイアウトには感激なのだ。

このスコープサイズを意識した点は、例えば「理由なき反抗」の冒頭シーンにも匹敵するような、金と瀏の冒頭のカットからして凄かった。勿論、小妹の舞のシークエンスも然りである。

チン・シウトン指導のアクション・シークエンスは、小妹の舞の部分、前半から中盤にかけて、金と小妹の逃亡のシークエンスでの追手との戦いが良かった反面、ラストの戦いはイマイチだった。

前作「HERO/英雄」はジェット・リーという素材が良かったせいか、本作のアクション・シークエンスは「HERO/英雄」レベルまでは達していない、というのが実情だろう。

また、アクション・シークエンスにおいて時々リアリティの欠如が垣間見えたのは残念である。一歩間違えば失笑寸前のシークエンスに肝を冷やした。

脚本は、前述のように「傾城・傾国の美女」というモチーフを実現する為に、一般の観客には受け入れられないようなものになってしまっているようだ。

勿論、チャン・イーモウとしては、確信犯的な脚本だと思うのだが、下手をすると一般の観客に「LOVERS」は駄作だ、というレッテルを貼られてしまう可能性があるだけに、また前半から中盤にかけての脚本もアクションも描写も素晴らしいので、非常に残念な思いがする。
もう少し、一般の観客に迎合した娯楽作品的な脚本でもよかったのでは無いだろうか。

言うならば本作「LOVERS」は、朝廷と「飛刀門」との対峙、という大きな、スケール感に富んだ舞台背景の中、三者が三様に織りなす小さなドラマにしか過ぎない、と思われがちな作品なのである。

また、「HERO/英雄」同様、「藪の中」的な脚本は本作にも生きているのだが、「藪の中」にまた「藪の中」がある脚本の構成はいかがなものだろうか。と思った。

キャストは、三者三様に素晴らしかった。
一度目は、金城武とチャン・ツィイーに目が行きがちだが、二度目はアンディ・ラウとチャン・ツィイーに焦点を絞って観ると、違った印象を受けるのではないか、と思った。

「LOVERS」の映画としての評価は分かれるところだが、アジアの才能が結集した本作は、是非劇場で観て欲しいのだ。

※ 「傾城・傾国の美女」
中国の故事「一顧傾人城、再顧傾人城」による、一度会えば城が傾き、再び会えば国が傾く程の美女のこと。
冒頭「牡丹坊」で小妹が舞を見せつつ唄った曲は「一顧傾人城、再顧傾人城」そのものである。

因みに、今回の『「LOVERS」ジャパン・プレミア』のチケットは、抽選で招待客に配付されたものなのだが、オークションでは(わたしが知る限り)最高24万円(2名分)で落札されていた。(次は15万6千円)

唐大中十三年,皇帝昏庸,朝廷腐敗,民間湧現不少反官府的組織,其中以飛刀門的勢力最大。飛刀門旗下高手如雲,
以「殺富濟貧、推翻朝廷」為旗號,甚得百姓擁戴。飛刀門總部設在靠近都城長安的奉天縣境?,因而直接威脅長安的安全。
朝廷深以為患,逐嚴令奉天縣加以剿滅。飛刀門?主柳雲飛雖在與奉天縣官兵的戰鬥中犧牲,但在新任?主領導之下,
飛刀門的勢頭不減反?。奉天縣兩大捕頭:劉捕頭(劉?華飾)、金捕頭(金城武飾)奉命於十日之?,
將飛刀門新任?主緝拿歸案。劉捕頭懷疑新店牡丹坊的舞伎小妹(章子怡飾)是飛刀門前?主柳雲飛的女兒,
逐用計將?拿下,押入天牢。二人並再度設下圈套:由金捕頭化名隨風大?,乘夜劫獄,救出小妹;藉此騙取小妹的信任,
?出飛刀門的?穴,以便一舉剿滅。

隨風依計救走小妹。逃亡路上,隨風對小妹呵護備致,小?不禁對他漸生情?;而隨風與小妹朝夕相對,
亦被?的出塵氣質深深吸引。星月之夜,二人終究按捺不住,狂烈戀火,眼看一發不可收拾…

林外,?風凜冽,隱隱殺機正悄悄地向他們進逼…

隨風、小妹,這對不應相愛、卻愛得熾熱的戀人,將面臨怎樣的命運?明明有愛,為何?心深處,總埋伏著深不可測的陰謀?
與及看不見的顫抖…
2004/07/26 東京新宿 朝日生命ホールで「モナリザ・スマイル」を観た。

1953年秋。
カリフォルニアからニューイングランド地方にある、名門女子大ウェルズリー大学に向かう列車の中で、美術史の新任女性教師キャサリン・ワトソン(ジュリア・ロバーツ)は、夢の実現に胸を高鳴らせていた。
彼女は美術史の助教授としてウェルズリー大学に赴任し、米国一保守的という評判を持つこの大学に自分なりの変化をもたらそうと考えていたのである。

しかし到着してまもなく、彼女はこの名門校の予想以上に厳しい伝統にとらわれた環境を知る事になる。
先輩教師ナンシー・アビー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)によると、学生たちにとって最も価値があるのは、充実した教育や高学歴、より高い志ではなく、エリートのボーイフレンドと結婚する事である、と言うのだ。

それでも彼女は期待を込めて初日の授業に臨むが、女生徒たちのリーダー的存在の優等生ベティ(キルスティン・ダンスト)ら女生徒たちの反発に翻弄されてしまう・・・・。

監督は「フォー・ウェディング」のマイク・ニューウェル。
主演はジュリア・ロバーツ。
共演の女生徒役は、キルステン・ダンスト(ベティ役)、ジュリア・スタイルズ(ジョーン役)、マギー・ギレンホール(ジゼル役)。

本作「モナリザ・スマイル」は、保守的な名門女子大学に赴任してきた進歩的な女性教師が、伝統を重んじる生徒や学校関係者との摩擦を繰り返しながらも女性の自立と自由な精神を説き続け、少しずつ学園に変化をもたらしていく、というありがちな題材である。

しかしながら、ありがちな題材であるからと言って、ありがちな展開になるかと言うと、さすがはマイク・ニューウェル(監督)である。一筋縄ではいかない、含みのある、考えさせられる作品に仕上がっている。

時として、このような題材の映画は、旧体制=悪、新しい風=善として捕らえられがちであり、物語の構成も「結局は新しい風は旧体制の前に、夢破れて去っていくが、そこには着実に新しい種が育っている」的なステレオタイプ的な物語になりがちなのである。

しかし本作「モナリザ・スマイル」は、ステレオタイプ的、または、旧体制=悪、新しい風=善というような勧善懲悪的な発想ではなく、両社を描くスタンスにおいて、平衡感覚を失わない平等な視線が、製作者の考えを観客に押し付けることなく、観客が自由な感想を持つ事が可能な、懐の深い作品に仕上がっている。

これは特に、新しい風である美術史の新任女性教師キャサリン・ワトソンの良いところだけではなく欠点を描く事により、またキャサリンの信奉者であったジョーンが選択する道を明確に描き、キャサリンとの対決を描く事により、従来の作品群と一線を画す素晴らしい作品に仕上がっているのではないだろうか。

またキャサリンのコンテンポラリー・アートの授業や、エンディング・クレジットで続々と描かれる「女性の役割」を端的に表した雑誌広告やCFが非常にシニカルでかつ悲しい。

キャストは、ジュリア・ロバーツはともかく、女生徒役が良かった。

先ず最近話題のキルスティン・ダンストであるが、彼女は女生徒たちのリーダーで、政治的にも力を持つベティを好演している。
基本的にベティは本作では悪役(勿論単純な悪役では無い)なのだが、その悪役が素晴らしいだけにラストのカタルシスも際立っている。
「スパイダーマン」でやいのやいの言われるより、こういった作品に出るべきなのかも知れない、と思うのだ。

そしてジョーン役のジュリア・スタイルズは、キャサリンの信奉者で優秀な女生徒で、イェール大に合格するも、自ら家庭に入る事を前向きに選択する役柄である。
ステレオタイプ的な作風では出てこないような役柄であり、理想と現実と理想的現実という選択肢の中で、ポリシーを持って理想的現実を選択する素晴らしい女性である。
今後が楽しみな女優のひとりである。

そしてジゼル役のマギー・ギレンホールだが、役柄的にはキャサリン以前に、既に新しい風にさらされているような役柄なのだが、懐が大きい素晴らしい役である。
物語の中では、ベティに対峙できる唯一のキャラクターとして設定されており、おそらく観客の感情移入の度合が一番高く、作品の良心的な役柄を担い、一番魅力的な役柄なのでは無いか、と思うのだ。
目と表情の演技は素晴らしいものがあり、ラスト近辺のベティ(キルスティン・ダンスト)との対決は大変素晴らしい。
こんな素晴らしい対決シーンは見たことが無い。

さて、コニー役のジニファー・グッドウィンだが、彼女も非常に素晴らしい役柄を演じている。女優としてのキャリアは、ほとんど無いようだが、キャリアのスタートとして非常に美味しい役を演じている。

因みに、結局コニーの相手役が一番良い男だったと思うのだ。

余談だが全寮制の学園もの、というジャンルを考えると、ほとんどの場合男子学生を描いたものが多いのだが、本作はその辺りでも異色作と言えるのではないだろうか。

作品の感覚としては、舞台や年代を含めて「いまを生きる」に重なる部分があるが、女生徒を題材の中心に据えた分、こちらの方が社会派的な印象が出てくるが、比較してみるのも面白いかも知れない。

結婚を間じかに控えるカップルに是非オススメの一本かもしれない。作品の感じ方により、ひと波乱あるかもしれないですが。
2004/07/16 東京新宿 明治安田生命ホールで「堕天使のパスポート」を観た。

イギリスの首都ロンドン。
伝統とポップ・カルチャーが共存するこの街には、パスポートを持たない不法滞在者や難民たちがひしめきあっている。

トルコ出身のシェナイ(オドレイ・トトゥ)も、そのひとりだ。
彼女は、従姉妹のいるニューヨークへ脱出する日が来ることを夢見ながら、バルティック・ホテルのメイドとしてつつましく暮らしていた。

そんなシェナイには、オクウェ(キウェテル・イジョフォー)というアフリカ人の同居人がいた。
同居と言っても、オクウェはシェナイと同じホテルのフロントで夜勤をしているので、ふたりがアパートで顔を合わせることはない。しかも彼は、アパートでもほとんど眠ることはなく、昼間はタクシーの運転手をしていた。

ある夜、娼婦ジュリエット(ソフィ・オコネドー)の言葉に従ってホテルの部屋をチェックしに行ったオクウェは、510号室のバスルームで驚くべきものを発見する。
そこに常軌を逸した事件の匂いを嗅ぎつけた彼は、支配人のファン(セルジ・ロペス)に警察への通報を進言するが、ファンはまったくとりあわず、オクウェに口封じの金を握らせようとした。金を受け取るのを拒んだオクウェだったが、不法滞在者の彼には、自身で警察に通報することはできない相談だった。

ホテルのドアマン、アイヴァンにズラッコ・ブリッチ、オクウェの友人で剖検医師グオイにベネディクト・ウォン。
監督はスティーヴン・フリアーズ。

本作「堕天使のパスポート」は、現代のロンドンが内包している様々な問題、難民や不法滞在者、貧富の差や偽造パスポート、臓器売買等の社会的問題に鋭くメスを入れる社会派作品である。
と言えよう。

とは言うものの、本作の監督はスティーヴン・フリアーズ。
前半部分は前述のようにハードな内容の社会派作品なのだが、後半部分はある種のファンタジー作品に見事に転化し、ハードで重い内容の映画にも関わらず、さわやかな気持ちで観客を劇場から帰す事に成功しているのではないだろうか。

脚本的には、偽造パスポートを入手することにより、アイデンティティーを得る、という関連付けが含みがあって良い。
また、物語の持って行き方、社会派的問題を物語の俎上に乗せる手法が上手いのではないかと思った。

この辺りは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的かも知れない。

キャストは、まずはシェナイ役の世界の恋人「アメリ」のオドレイ・トトゥだが、「アメリ」からは考えられないようなダメな人間、そして恐ろしいほどの汚れ役を演じきっている。
彼女の目的(偽造パスポートの入手)の為の手段やそこにいたる境遇が悲しくも恐ろしい。
この辺りは、オドレイ・トトゥの容貌も相まってか、リアリティの付与に成功しているのではないだろうか。

オクウェ役のキウェテル・イジョフォーは、この映画の良心とも言える存在で、犯罪渦巻くロンドンにおいて孤高を貫く様は、潔くも美しい。
おそらく多くの観客が共感するキャラクターとして描かれているのではないだろうか。

ホテルのドアマン、アイヴァンを演じたズラッコ・ブリッチは、本作のコメディ・リリーフ的な存在で、時にして重くなりがちな映画の雰囲気を打破している。ロシア訛りも面白いのだ。
ただ、自分の好きなように正直に生きる様も他のキャラクターと対比する事により、面白い印象を与えている。

オクウェの友人で、剖検医師グオイのベネディクト・ウォンは、非常に知的な印象を受ける。本作の知を象徴する論理的なキャラクターとして描かれているのではないだろうか。
シェナイ(オドレイ・トトゥ)やオクウェ(キウェテル・イジョフォー)の役柄と対比すると面白いのではないだろうか。

ホテルの支配人ファンを演じたセルジ・ロペスの存在感も素晴らしいし、非常に重要な役柄となっている。

ラストの描き方には若干好き嫌いはあると思うし、実際わたしは個人的に、あの解決策により映画自体が、社会派作品からファンタジー作品へ転化してしまうのは、よろしく無いと考えるし、脚本としては甘いと思う。

しかし、ああでもしないと、映画の結末を見た観客は、恐ろしく重い気持ちで肩を落して劇場を後にしなければならなくなってしまう訳だから、あの解決策は監督の英断だった、と評価せざるを得ないのだろう。

あのようなラストへの持って行き方(作品自体のベクトルの転化方法)は、「プライベート・ライアン」や「ディナー・ラッシュ」的なベクトル転化を髣髴とさせる。

とは言うものの「プライベート・ライアン」のベクトル転化は甘く、スティーヴン・スピルバーグの悪い癖である娯楽嗜好が顔を出しているが、「ディナー・ラッシュ」のベクトル転化は颯爽としていて美しい。
「堕天使のパスポート」のベクトル転化は颯爽としていて甘い。というところであろうか。

本作「堕天使のパスポート」は、山椒は小粒でピリリと辛い的な作品なのである。
機会があったら、目をそらさずに観て欲しい作品のひとつなのだ。
2004/07/23 東京六本木 ギャガ・コミュニケーションズ試写室で、「ヴァン・ヘルシング」を観た。

時は19世紀、ヨーロッパ中に殺人者としてその名をとどろかせるヴァン・ヘルシング(ヒュー・ジャックマン)は、実はモンスター・ハンターとしての顔を持っていた。

「ジキル博士とハイド氏」の事件を解決したヘルシングは、ローマ・バチカンの秘密組織の命を受け、修道僧カール(デヴィッド・ウェンハム)とともにドラキュラ伯爵(リチャード・ロクスバーグ)が住むトランシルバニアへと旅立った。

そこでヘルシングは、代々ドラキュラ一族と戦い続けている一族の末裔アナ(ケイト・ベッキンセール)と出会う。
そこへ、コウモリ状の翼膜を持ったドラキュラ伯爵の花嫁達が空から襲い掛かってきた。

本作はユニバーサル映画が自社で版権を持つモンスター達を一同に集めて製作したアクション娯楽大作映画である。

登場するモンスターやキャラクターは、(ジキル博士と)ハイド氏、ドラキュラ伯爵とその花嫁たち、ウルフマン(狼男)、フランケンシュタイン博士とフランケンシュタインの怪物等々。

監督・脚本・製作は「ハムナプトラ」シリーズのスティーヴン・ソマーズ、出演はヒュー・ジャックマン、ケイト・ベッキンセール、ウィル・ケンプ、リチャード・ロクスバーグ、デヴィッド・ウェンハイム。
音楽はアラン・シルベストリ。

本作は一言で言うと、最近ありがちなCGI満載のアクション娯楽大作映画であり、モンスターを人間が退治する、またはモンスター同士が戦うアクション映画と言う観点からは、「ブレイド」シリーズや「アンダーワールド」、「リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い」等の傾向を持つ作品だと言えよう。

また物語の構成からは「007」シリーズのような印象をも受ける。
事実修道僧カール(デヴィッド・ウェンハム)は「007」シリーズの秘密兵器研究開発を行っている「Q」のような役柄をも担っている。

ついでに、本作は「ヴァン・ヘルシング」は、ヘルシングが各地でモンスターを退治する連作シリーズの1エピソードのようなパターン構成を持っている。

簡単に言うと、次のような構成になっているのだ。

オープニング・アクションでモンスターを退治したヘルシングは、バチカンに戻り、新たな指令を受け、新秘密兵器の説明を聞き、現地に旅立ちメインのモンスターと対峙する、と言う構成なのだ。
つまり「007」か「インディ・ジョーンズ」か、というような構成なのだ。

脚本はおそらくシリーズ化の構想があったのか、ヘルシングの過去の秘密や謎に対する明確な回答をせず、次回に持ち越し的な印象を受けた。

キャストは、ヒュー・ジャックマンは「X−メン」シリーズと若干かぶる部分があるが、新たなヒーロー像の創出に成功している。
「ヴァン・ヘルシング」というキャラクターは、フランシス・フォード・コッポラの「ドラキュラ」ではアンソニー・ホプキンスが演じているのが興味深いかも。

ケイト・ベッキンセールも同様に「アンダーワールド」系かも知れないが、強くて美しいヒロインを好演している。

またデヴィッド・ウェンハムは、猫背にして身長を小さく見せ、コミカルで小心者な役を好演し、新境地をひらいていると言えるだろう。
「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのファラミア役より生き生きとした魅力的なキャラクターとなっている。

さて敵役のリチャード・ロクスバーグだが、残念ながら役不足と言わざるを得ない。ドラキュラ伯爵は年齢不詳なのであるから、往年の大俳優の起用等が必要だったのではないだろうか。
因みに前述のコッポラの「ドラキュラ」ではゲイリー・オールドマンがドラキュラ伯爵を演じている。

さて、「マトリックス」以降(本来は「ジュラシック・パーク」以降と言うべきなのか)、使いどころを誤ると、確実に映画をダメにするCGIという手法であるが、本作も例によってCGI大爆発である。

「ハルク」同様、映画の見せ場で登場するキャラクターが、全てCGキャラクターである、という状況は、果たして映画というメディアに取って良いことなのだろうか、と考えさせられる瞬間である。

そろそろCGIについて本気で考えなければならない時期に差し掛かっているのではないかと思うのだ。何しろ特撮は手法ではなく、効果なのであるから。

余談だが、冒頭のハイド氏のシークエンスは、「ノートルダムの鐘」のカジモドを髣髴とさせる。
というかリスペクトなのだろうか。パロディなのだろうか。

またフランケンシュタイン博士とフランケンシュタインの怪物(シュラー・ヘンズリー)のシークエンスがベタだが涙を誘うし、ケイト・ベッキンセールがフランケンシュタインの怪物に「Thank you」というシークエンスも泣かせる。

お笑いはデヴィッド・ウェンハム、お涙はシュラー・ヘンズリーが担当ということなのだろうか。

音楽はアラン・シルベストリだが、ダニー・エルフマンが若干入っているようである。
また世界観はダニー・エルフマン繋がりでティム・バートンの世界観や美術の影響が見て取れるような気がする。

特にエンディング・クレジットはティム・バートン系で個人的には好みである。

本作は今年の秋の超大作娯楽作品という扱いであろうし、おそらく多くの観客を満足させる作品なのだと思うが、わたし的には退屈な普通の娯楽作品というような印象を受けた。

何も考えないで映像と音楽に身を任せる種類の映画は退屈で仕方が無いのだ。
2004/07/22 東京九段下、日本武道館で行われた『「サンダーバード」ジャパン・スーパー・プレミア 〜V6&トレイシーボーイズ ARE GO!!〜』に行ってきた。

舞台挨拶は監督のジョナサン・フレイクス、アラン役のブラディ・コーベット、スコット役のフィリップ・ウィンチェスター、ジョン役のレックス・シャープネル、ヴァージル役のドミニク・コレンソ、ゴードン役のベン・トージャーセン、そして日本語吹替版の声優と主題歌を担当するV6、司会は襟川クロ。

元NASAの宇宙飛行士で億万長者のジェフ・トレイシー(ビル・パクストン)は、とある無人島(トレイシー・アイランド)を拠点に世界的科学者ブレインズ(アンソニー・エドワーズ)と4人の息子(スコット、ジョン、ヴァージル、ゴードン)と共に国際救助隊IR(インターナショナル・レスキュー)を組織、ブレインズが開発した最新鋭メカ「サンダーバード」を駆使し世界中の災害救助活動を行っていた。

そんなトレイシー家の末っ子でまだ学生のアラン(ブラディ・コーベット)は、世界中で活躍する家族を誇りに思い、自分も早く国際救助隊の正式な隊員になりたいと願っていた。

ところがある時、悪漢フッド(ベン・キングスレー)の策略で起こされた(と思われる)、ロシアの油田火災事故に出動したサンダーバード1号に、フッドの部下がケミカル発信器をしかけ、その結果トレイシー・アイランドの所在地がフッドに知られてしまう。

フッドは、衛星軌道上にあり、世界中の災害情報を調査分析する宇宙ステーション(サンダーバード5号)をミサイル攻撃する。ジェフ、スコット、ヴァージル、ゴードン等は、サンダーバード3号でサンダーバード5号のジョンの救助に向かう。

フッドはジェフ等不在の隙をつき国際救助隊の中枢部トレイシー・アイランドの乗っ取りを謀る。

トレイシー・アイランドに残されたアランは親友のファーマット(ソレン・フルトン)、ティンティン(ヴァネッサ・アン・ハジェンス)と共に、フッドの野望を阻止し、衛星軌道上のジェフ等を救出するため立ち上がった。

一方ロンドン・エージェント レディ・ペネロープ(ソフィア・マイルズ)は国際救助隊の危機を独自に察知、執事で運転手のパーカー(ロン・クック)と共にトレイシー・アイランドへ向かう。

一言で言うと本作「サンダーバード」は、往年のスーパー・マリオネーション作品「サンダーバード」の世代が、自分の子供等を連れて劇場に足を運び親子揃って「サンダーバード」を体験『パパが子供の頃の「サンダーバード」は人形劇だったんだよ』『へぇ〜、でも今の「サンダーバード」の方が格好良いよね』というような家族団欒の一助として機能する良質なファミリー・ムービーに仕上がっている。

と言うものの、大人のファンが満足できる作品ではなく子供達は大活躍、大人はたじたじと言った「スパイ・キッズ」シリーズのような傾向を持った作品である。

おそらく本作の最大のコンセプトは、親子の「サンダーバード」体験の共有だろうし、その為キャラクター同士の関係や設定は旧作のそれを踏襲している。
トレイシー一家の設定や構成は勿論、フッドとキラノの関係やペネロープやパーカー、ブレインズといった脇役の設定も全てそのままであるしメカ設定やコンセプトも旧作同様であった。

例外として、旧作に登場しないブレインズの息子ファーマットの存在。あとは旧作の日本語版ではミンミンと表記されていたキラノの娘がオリジナル版同様ティンティンとなっていた点くらいであろうか。

わたしは、旧作と同設定、同コンセプトで本作を制作する話を聞いた際、それだったら何故わざわざリメイクする必要があるのか、と否定的な意見を持っていたのだが、親子の「サンダーバード」体験の共有、を考えると、同設定、同コンセプトでリメイクする必要性があった事に気付かされてしまった。ジョナサン・フレイクスは正しかった、という事である。

あとトリビアとしては、旧作「サンダーバード」では国際救助隊のメカや隊員を撮影する事は禁じられており、その救助場面が本作のようにテレビ中継されるとはもってのほかなのだ。

さて、本編だが、先ずオープニング・クレジットが素晴らしい。最近流行のフラッシュアニメーション系のクレジットなのだが、物語の舞台背景(国際救助隊は毎日毎日世界中で人命救助してるが、アランは毎日毎日学校に通っている)をアニメーションでしっかり描いている。

更に、サンダーバード・メカが橋や建物の倒壊を防いだり、火山の噴火や津波を防いでいるとその橋や建物、火山や津波がスタッフやキャストのクレジットになっている、という効果的で素晴らしいクレジットなのだ。これを観るだけでも、この映画を観た甲斐がある、というような近年稀に見る素晴らしいクレジットだと思うのだ。

脚本については、最大の問題点として、「サンダーバード」の最大のコンセプトは、「国際救助隊が災害や事故現場で人命を救助する」というもので、決して「敵と戦う」というものではないのだから、本作のような脚本(フッドに島を押さえられ、フッドと国際救助隊が戦う)はいかん、と言う点である。更に国際救助隊を国際救助隊の準メンバーが助ける、というのもどうかと思うのだ。

その災害救助のシークエンスは冒頭と、ラストにおざなり程度にあるだけなのだ。
本来は災害救助のシークエンスに多くの時間を割くべきだと思うし、本編は95分なのだから、もう少しメカの見せ場である災害救助シーンを入れて欲しかった。

キャストはベン・キングスレーを始めとしたフッド一味、ブレインズ、レディ・ペネロープとパーカーが良かった。
トレイシー一家や主役3人組は期待通りの印象である。

ところで舞台挨拶だが、内容はともかくイベントとしては結構バジェットを使ったよく出来たイベントだった。

日本語版声優と主題歌をつとめるV6の主題歌熱唱で幕を開けた舞台挨拶は、会場を埋め尽くしたV6ファンの異様な熱気に包まれた訳である。わたしはアリーナ席の前から8〜9列目位に居たのだが、舞台挨拶の冒頭はV6のコンサート状態で、周りの席からV6の顔がプリントされた団扇が沢山出てきたのには正直驚いた。

トレイシーボーイズとジョナサン・フレイクスは、それぞれ吹替を行ったV6のメンバーとハグしつつ登場(監督はパパね)、それぞれ並んでステージに立ち、キャストも半ばV6に向けられた歓声に楽しい思いをしたのではないだろうか。彼等若い実績の無いキャストは、これほどの歓声(半分以上はV6向けだが)に囲まれたのは初体験だと思うし、興奮し高揚している様が好意的に感じられた。

できれば、V6ファンの皆さんも、トレイシーボーイズのファンになっていただければ幸いだと思った。

ジョナサン・フレイクスもV6のステージ・アクトを見て、次回作はV6を起用したダンス・シーンを入れる、という発言もあった。

驚いたのは、正面スクリーンに投影されたレーザー光線のアートワークである、レーザー光線で描かれたサンダーバードのメカがモーフィング的効果で、キャスト名や役名に変化していくのである。(サンダーバード1号>スコット・トレイシー>フィリップ・ウィンチェスターという具合)

ジョナサン・フレイクスやキャストも楽しい日本の思い出が出来たのではないだろうか。 

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