4月24日公開の「コールドマウンテン」に関するお知らせです。

明日4月19日(月)発売の「Weeklyぴあ(4.26号)」に『「コールドマウンテン」スペシャルメイキングDVD』が付いてきます。

その気になるコンテンツは、

1.Journey to Cold Mountain
  (スペシャルメイキング映像 28分30秒)
2.「コールドマウンテン」予告編ショートVer 86秒
3.「コールドマウンテン」予告編ロングVer 2分20秒

因みに、この付録は、

「Weeklyぴあ 4.26号」
「ぴあ関西版 5.6号」
「ぴあ中部版 5.6号」
「DVDぴあ 5月号」

に付いて来る模様です。

おまけのDVDで、メイキングが30分近く収録されているのは、驚きですね。
そのメイキングの内容は、監督やキャストのインタビュー満載のきっちりしたメイキングでした。

スタッフ&キャストでインタビューが収録されているのは次の皆さんです。

アンソニー・ミンゲラ 監督/脚本
ロン・イェルザ 製作
シドニー・ポラック 製作
チャールス・フレイジャー 原作
Tボーン・バネット 音楽監修
スティング 楽曲提供

ジュード・ロウ 出演
ニコール・キッドマン 出演
レニー・ゼルウィガー 出演
ブレンダン・グリーソン 出演
ナタリー・ポートマン 出演
フィリップ・シーモア・ホフマン 出演
ジャック・ホワイト 出演

メイキングの製作はミラマックス・テレビジョンなので、おそらく正規のDVDにも収録されると思います。

因みに、東京有楽町「日劇PLEX」でジュード・ロウの初日舞台挨拶があります。
ジュード・ロウは、当日、TBSの「王様のブランチ」に生出演してから、「日劇」の舞台挨拶に向うことになります。

「転校生」

2004年4月16日 映画
いまどき、何故「転校生」なのかと言うと、賢明な読者諸氏は既にお気付きのように、東京有楽町「日劇2」で開催されている、『「キネマ旬報」創刊85周年記念 ATG映画傑作選 −日劇文化とATG映画の時代−』という企画上映会で「転校生」が上映されたのだ。
ついでに、今回は監督の大林宣彦と、製作総指揮で当時のATGの代表者佐々木史朗のトーク・ショーがあった。

当日夕刻時点で、わたしは観に行くつもりは無かったのだが、今回の上映を逃すと、今後「転校生」を劇場のスクリーンで観る機会が無いのではないかと思ったので、突然行くことにしたのだ。

わたしは基本的に大林映画が好きである。
勿論、大林映画のいくつかの作品には難点があるし、中にはふざけるな、と思う映画もある。

わたしは、何故大林映画が好きなのか、と考えながら大林宣彦と佐々木史朗のトーク・ショーを聞いていたのだが、ひとつ言える事は多くの大林映画には、陳腐な表現だが「映画というメディアに対する愛」に満ちている、ということである。
更に、大林が選択する多くの題材がノスタルジックな上に予定調和的で、わたしの個人的なひとつの嗜好と合致しているのだと思うのだ。
実は、脚本も練りに練られているし、演出の方向性も伏線を生かした良いものになっている。

そんな中でトーク・ショーに続き「転校生」を観た訳だが、一言で言うと当然ながら素晴らしい作品である。

しかし、この度見直してみると、いくつか気になる点があった。

ひとつは、脚本が急ぎすぎで、感情の機微が表現される度合いが少ないのではないか、と思った。
これはわたしの中で「転校生」のエッセンスが濃縮され、美化されていたものとのギャップがそうさせているせいかもしれない。

もうひとつは、映画の雰囲気が自主制作映画のそれに近い、ということである。

役者は勿論のこと、ATG作品と言えども、機材は35mmを使用した商業映画にカテゴライズされるのであるが、演出はストレートで、また尾道の風景を撮った場面は、語弊はあるが適当な映像に音楽を当てはめているだけ、という、ドキュメンタリーや、フィルムで撮影していた時代の「NHK特集」系のテイストを醸し出しているような印象を受けた。

その手法として成熟していない稚拙な手法が、物語の方向性と相まって、素晴らしい効果をあげているのではないだろうか。

少年時代の記憶に訴えかけるための手法なのかも知れない。

トーク・ショーの中で、「劇場のスクリーンは欠落であり、クリエイターはその欠落を埋めている」、「生物の本能が種の保存であれば、わたしは映画を通して間接的に子育てをしたい」というような発言が興味深かった。
東京「銀座ガスホール」で行なわれた「犬と歩けば チロリとタムラ」の完成披露試写会に行ってきた。

完成披露試写会ということもあり、監督の篠崎誠、主演の田中直樹(ココリコ)、りょう、と日本セラピードック協会代表でブルースシンガーで、本人役を演じる大木トオル、そして犬のタムラ(ピース)とチロリ(チロリ)の舞台挨拶があった。

フリーターの岡村靖幸(田中直樹)はコンビニの前で一匹の捨て犬と出会い餌を与える。
犬と別れ、靖幸は同棲している美和(りょう)のアパートへ帰るが、美和は末期ガンの母親と引きこもりの妹の面倒を見るため、アパートを引き払い帰郷することになっていたのだ。
住む場所を失った靖幸。
妹夫婦(吉村由美/puffy、片桐仁/ラーメンズ)の家に泊めてもらうことも出来ず、路頭に迷っていたところ、あの捨て犬と再会する靖幸。
その犬に「タムラ」と名を付け行動を共にし始めた靖幸だが、住む場所も無く公園に居る所を、浮浪者と野犬として警察と保健所に通報されてしまう。
保健所に保護された野犬は処分されてしまう事を知った靖幸は、タムラだけでもなんとかしようと、テレビで見た、セラピードッグの訓練所を訪ねる・・・・

ここ最近「犬」を題材にした映画が多いが、本作はそんな映画の一本である。
しかしながら本作は「犬もの映画」の二匹目のドジョウを狙った作品ではなく、構想2年以上を費やした作品なのだ。
本作が完成したのは昨年秋。半年以上も配給会社が決まらず公開が危ぶまれていたが、ここに来てなんとか公開できる運びとなった。
しかし、大手の配給会社がついている訳ではないし、大きなプロモーションを行なっている訳ではない。

おそらくこの映画には客は入らないと思うが、良質な作品だと言えよう。出来るなら多くの客に見て欲しいものだ。

この時期、もし「クィール」を見ようとしているならば、是非本作「犬と歩けば チロリとタムラ」を見て欲しい。
「クィール」のような映画は、この先見る機会はいくらでもあるだろうが、本作「犬と歩けば チロリとタムラ」は今回見逃すと、もしかすると一生出会えないかもしれない種類の映画なのだ。

ところで、わたしが思うに、この映画の技術は、勿論狙いかも知れないが、なんとも稚拙な印象を受ける。自主制作映画か教育映画のような印象を受ける。
ファースト・カットは、なんとも見事なピンボケから始まるし、編集も、被写体どころか構図もほとんど変わらないのに、カットを変えるような、妙な繋ぎが散見される。
また、セラピードッグのイベントのシークエンスは、ドキュメンタリー的手法を使用しているし、その辺のバランス感覚は映画作品としては、首を傾げてしまうのだ。

そして、脚本はたまたま捨て犬と出合い、犬を助けるためにセラピードッグのトレーナー宅に転がり込み、住み込みでセラピードッグのトレーナーをして、結局はかつての恋人の末期ガンの母親と引きこもりの妹を癒す、というもので、全く都合が良いし、セラピードッグのイベントやなんかは若干説教臭い雰囲気を醸し出している。という難点を持っている。

そんな中で、興味深かったのは、この作品の中で描かれているふたつの「死」である。
その「死」の描写は、完全に抑制されており、その静かで婉曲な「死」の表現は今まで感じたことの無い、静かで穏やかな感動を引き起こすのだ。

また、末期ガンの母親を演じた天光眞弓の演技が凄い。
最早演技とは思えない程の自然さとリアリティの極地なのである。
ドキュメンタリーかとも思えてしまうのだ。

そして、美和(りょう)と妹(藤田陽子)の扉を隔てた長回しの対決も鬼気迫るものがある。
りょうはともかく、引きこもりの自閉症という難しい役所の藤田陽子が素晴らしい。

ココリコの田中直樹は、やはりどうしても「ミラクル・タイプ」のテンションが時々顔を出すのだが、勿論「ミラクル・タイプ」自体、最早俳優達の演技合戦の様相を呈している訳であるが、田中は役柄を危なげなく、そつなくこなしているし、舞台挨拶を通じても、この作品に対しての真摯な態度を感じられる。

本作は傑作ではないし、手放しで誉めるような種類の映画でもないし、説教くさいし、脚本は都合が良いが、見るところも多い良質の映画だと言えるのだ。
東京新宿「LOFT/PLUS ONE」で行なわれた「スタートレックを語ろう 2004春:SF−TV大作戦」というトークライヴに行ってきた。

ホストは岸川靖。
ゲストは丹羽正之、大川透、他。

岸川靖氏は、日本における「スタートレック」や海外ドラマ等の宣教師のような人で、数多くの出版物や、DVDの監修、雑誌の連載記事等の活動を行なっている。

丹羽正之氏は、「スタートレック」のシリーズの日本国内での放送を継続させるために、草の根運動を展開。現在は「スタートレック」関連書籍の翻訳や、原稿書き、監修などを行なっている。

大川透氏は、最近はアニメ「鋼の錬金術師」のロイ・マスタング役等で人気の声優。「スタートレック」ファン(トレッキー)としても有名。
最近はプリクラが貼られた中学生からのファン・レターが急増との事。

トークライヴの今回のテーマは「スタートレック」のライバル達、ということで、海外で放映されている様々なテレビシリーズのビデオを上映しつつ、岸川氏が解説を加える、というもの。
更に「スタートレック」関連の新製品情報や、大人の事情でいろんなことが起きている「スタートレック」を取巻く環境での出来事の情報開示が行なわれた。

特筆すべき点は、ゲストの大川透氏の朗読。
題材は、海外で出版されている「ディープ・スペース・ナイン」(「スタートレック」シリーズの1シリーズ)の後日談的小説。(大川透氏が演じていたキャラクターの独白的コンセプトを持った小説)の冒頭の部分を丹羽正之氏が翻訳したもの。

このキャラクターに対する大川透氏の思い入れも激しいこともあり、大変素晴らしい朗読となった。

本職の声優のこんなに感情を込めた朗読を手が届くほどの距離で聞けたことは、素晴らしい体験だと思う。

実際、「LOFT/PLUS ONE」自体は非常に小さなホール(ステージがある居酒屋)なので、観客は80名位だろうか、アットホームで和気藹々な印象を受けた。

あと、時間も適当で、トークライヴは、18:30スタートで、私たちが帰ったのが、23:30頃だったが、その時はプレゼント争奪のジャンケン大会をやっていた。

わたしは個人的には数百人規模のジャンケン大会でも結構商品を取るタイプなので、今回の数十名規模のジャンケン大会はなんとなく軽い感じで、2度商品をゲットした。

一体何時までやってたのだろうか。

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余談だが、5月に「華麗なるトークII 〜クイーンを語る〜」というトークライヴがあるのだが、これも楽しみなのだ。

出演は劇団☆新感線の右近健一と日本が誇る「クイーン」のクィーン・トリビュート・バンド「グイーン」のヴォーカルであるフレディ波多江。
コンテンツは、華麗なる雑談、華麗なるクィーン自慢、華麗なるウィ・ウィル・ロック・ユー、華麗なる秘蔵映像、等々。

前回のトークライヴでは、濃いクィーン・ファンが大集合。
「雑誌の抽選で当選し、ブライアン・メイと楽屋で膝を突き合わせて雑談した。」、「フレディ・マーキュリー邸の壁に落書きしたら、その落書きがクィーンの写真集に見開きで掲載された。」、「ブライアンに手作りTシャツをプレゼントしたら、次のライヴでそのTシャツを着用してくれた上に、直筆の礼状が届いた。」、「フレディの男女の恋人両方とツーショットの写真を撮ってもらった上に、フレディを紹介してもらい、本人と握手した。」等々。

なんとも愛すべきクイーン・バカの皆さんなのだ。
最近は猫も杓子もクイーン・ファンだが、本当のクイーン好きは本当は凄いのだ!!

「家族ゲーム」

2004年4月5日 映画
東京有楽町「日劇2」で開催されている、『「キネマ旬報」創刊85周年記念 ATG映画傑作選 −日劇文化とATG映画の時代−』という企画上映会の初日、森田芳光監督作品「家族ゲーム」を観た。

松田優作主演作品「家族ゲーム」は、わたしの生涯の中で、おそらく数十回は観ている作品であるから、今更語る言葉は無い。

だとすると、何故今更「家族ゲーム」を観たのか、という疑問が出てくるのは当然科と思うが、その回答はなんと言っても「家族ゲーム」を劇場のスクリーンで観ることが出来るから、の一点に尽きる。

そんなわたしは学生時代、ATG(「日本アート・シアター・ギルド」)作品を好んでたびたび観ていた。
そう、わたしは前衛的なATG作品を好み、ATG作品を理解したように語り、ATG映画を持ち上げ、所謂商業映画を否定するスノッブな映画ファンだったのである。

本作「家族ゲーム」は、「の・ようなもの」で商業映画デビューを飾った森田芳光の意欲作で、今後のキャリアの第一歩を飾る素晴らしい傑作である。

主演は当時、押しも押されぬアクション・スターとして鳴らしていた松田優作。
松田優作にとっても、本作はその後の文芸系キャリアの第一歩を記す重要な意味を持った作品となるのだ。
因みに森田芳光・松田優作コンビは後年「それから」で再び手を組むことになる。

「それから」で松田優作と対峙するのは、同じく森田芳光製作総指揮の「バカヤロー! 私、怒ってます」や森田芳光監督作品「そろばんずく」で強烈な演技を見せた小林薫。
現在の小林薫のキャリアを形作ったのも森田芳光関係の作品なのだ。
因みに、その「バカヤロー! 私、怒ってます」では、「下妻物語」の中島哲也や「トリック」等の堤幸彦もメガホンをとっている。

先日「下妻物語」の完成披露試写会の話をしたが、わたしは松田優作監督作品「ア・ホーマンス」の完成披露試写会にも行った事があるのを思い出す。
「ア・ホーマンス」という映画製作の経緯や評価はともかく、松田優作と石橋凌らの舞台挨拶は往年の松田優作ファンとしては大変感激した記憶がある。
「ア・ホーマンス」という作品は、当時ARBのバンド活動から俳優への転身を促す作品となっているのも興味深い。
試写会のスポンサーは、当時松田優作がイメージ・キャラクターをしていた飲料メーカーだった。

試写会の土産に貰ったトマト・ジュースは、その日のうちにブラディ・マリーに化けた。

ところで、今回の企画上映のラインナップは次の通り。

「家族ゲーム」
「肉弾」
「股旅」
「祭の準備」
「竜馬暗殺」
「ガキ帝国」
「田園に死す」
「津軽じょんがら節」
「TATTOO(刺青)あり」
「転校生」
「書を捨てよ町へ出よう」
「Keiko」
「お葬式」
「さらば箱舟」
「サード」

「下妻物語」

2004年4月2日 映画
2004/04/01 東京有楽町「日劇2」で行なわれた「下妻物語」の完成披露試写会に行ってきた。

今回の試写は、完成披露ということもあり、監督の中島哲也、主演の深田恭子、土屋アンナの舞台挨拶があった。司会は茨城県出身のTBSアナウンサー斎藤哲也。

完成披露ということであるから、今回の上映はもしかすると、所謂ワールド・プレミアなのかも知れない。

ロリータ・ファッション命の自己中心的マイペース少女桃子(深田恭子)は、自分が愛するブランド・ショップで買物をするため、茨城県下妻から東京代官山まで片道3時間をかけ、頻繁に通っている。
桃子はその大好きなブランドの洋服を買うため、父親が製作した某海外ブランドのコピー商品の販売に手を染めはじめる。
そんなコピー商品を大喜びで買いに来たのは、特攻服姿で原チャリを駆るヤンキー娘イチゴ(土屋アンナ)。
友達になるなんてありえない二人が出会ってしまい・・・・。

監督は、サッポロ黒ラベルのCF(卓球編)やNTT東日本のCF(SMAP出演の「ガッチャマン」編)等を手がけた中島哲也。

本作はCF界で評価されている監督らしく、構図や演出、レンズに色彩、アニメーションや8mmフィルム、誇張された動き等メディア・ミックス的な手法が渾然一体となっている素晴らしい構成になっている。
方向的にはクエンティン・タランティーノの「キル・ビル」的な印象を受けるかもしれないが、洗練の度合いは本作が上かもしれない。

CF上がりということもあり、一般の映画と比較すると、ワンカット、ワンカットの重みを感じる、細かいところまで丁寧に作りこまれた画面が心地よい。
背景やプロップ、美術や勿論俳優の演技に至るまで、カッチリ決まった画面が素晴らしい。
コメディに対する真摯な態度に好感をおぼえる。

物語は、ほぼ全編桃子(深田恭子)のナレーションで進むことになるのだが、その緩急(ボケとツッコミ)を使い分けた小気味良いナレーションが素晴らしい。特に間が素晴らしい。
そんなナレーション以外でも、俳優達が直接カメラ目線で観客に語りかけるあたりも、手法にありがちな違和感や嫌味が全く無く、観客には登場人物との共感と感情移入の度合いを高める、という良い印象を感じる。

キャスト的には、先ず深田恭子であるが、深田恭子とロリータ・ファッションの取り合わせは違和感が無く、というよりイメージぴったりの印象を受ける。
演技的には、従来のドラマや映画と比較すると、一皮向けた新境地を見せてくれている。
アイドルではなく、今後の女優としての成長が楽しみな感じがする。
彼女のひとつの転機となる作品なのかもしれない。

ほぼ演技初体験の土屋アンナは、はっきり言って素晴らしい。
深田恭子を喰ってしまっている。
勿論茨城下妻の地元のレディースの役ということもあり、極端なキャラクターであり、テンションをあげていればそれっぽく見える訳であるが、それにしても素晴らしい存在感があり、今後の成長が楽しみな印象を受けた。

作品自体は、丁寧に作られた良心的な作品であるので、きちんとプロモーションを行って、是非ヒットさせていただきたい、良い映画である。

余談だが、本作からはスタンリー・キューブリックへのオマージュがチラチラと感じられる。

☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
 
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さて、早速ですが2004年の目標の中間発表その3です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

1.映画

#013 「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」ワーナーマイカルシネマズ板橋 2004/03/01
#014 「イノセンス」ワーナーマイカルシネマズ板橋 2004/03/19
#015 「アップルシード」よみうりホール 2004/03/25

2.DVD、CATV等

#027 「アルプスの若大将」CATV 2004/03/02
#028 「HANA−BI」CATV 2004/03/06
#029 「スローターハウス5」CATV 2004/03/07
#030 「助太刀屋助六」CATV 2004/03/07
#031 「どん底」CATV 2004/03/08
#032 「鉄の爪」CATV 2004/03/10
#033 「スイート・スイート・ゴースト」CATV 2004/03/10
#034 「カルテット」CATV 2004/03/15
#035 「スペーストラベラーズ」CATV 2004/03/16
#036 「東京湾炎上」CATV 2004/03/17
#037 「殺し KOROSHI」CATV 2004/03/17
#038 「On Your Mark(短編)」HDD 2004/03/19
#039 「キッドナップ・ブルース」CATV 2004/03/19
#040 「007 黄金銃を持つ男」CATV 2004/03/19
#041 「007 ムーンレイカー」HDD 2004/03/20
#042 「アヴァロン」CATV 2004/03/20
#043 「紅い眼鏡」CATV 2004/03/20
#044 「ケルベロス 地獄の番犬」CATV 2004/03/21
#045 「Talking Head トーキング・ヘッド」CATV 2004/03/21
#046 「ラヴァーズ・キス」CATV 2004/03/21
#047 「静かなる決闘」CATV 2004/03/29

3.読書

#008 「幻世の祈り 家族狩り 第一部」天童荒太著 新潮文庫 2004/03/02
#009 「遭難者の夢 家族狩り 第二部」天童荒太著 新潮文庫 2004/03/08
#010 「招かれざる客」アガサ・クリスティー著 深町真理子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2004/03/12
#011 「新5分間ミステリー」ケン・ウェバー著 片岡しのぶ他訳 扶桑社ミステリー文庫 2004/03/17
#012 「アクロイド殺し」アガサ・クリスティー著 田村隆一訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2004/03/24

映画は、劇場3本(累計15本)、DVD等21本(累計47本)で、計24本(累計62本)。
このままのペースで、年間248本(劇場60本)です。

読書は5冊(累計12冊)で、このままのペースでは、年間48冊です。

例によって何かと忙しく、「2004年の目標」的には正にスロー・スタートの継続中です。
スロー・スタートとは言うものの、実際は先が思いやられる状況で、不安で一杯です。

まあ、先は長いですが頑張ります。

※ 参考 昨年同時期の状況
映画 72本
読書 15冊
先ほど公開された「イノセンス」同様の士郎正宗原作作品の映画化作品「アップルシード」を観た。

結論から言うと、1980年代からの「アップルシード」の原作ファンとしては、非常に残念な気持ちで一杯である。

美術や背景そして世界観はともかく、最大の弱点は脚本がまずい、ということだろう。
一応ドラマチックな脚本に仕上げているつもりなのだろうが、一本調子でなんとも都合がよく、深みが無く、士郎正宗原作作品の映画化作品としては、大人の鑑賞向けの脚本になっていない。

そしてその脚本上では、キャラクターが直情的で、精神的に未成熟であるため、例えば主人公のデュナンにしても、戦闘のエキスパートである、といったキャラクター設定に対する説得力が感じられない。

またキャラクターの造形については、所謂ステレオタイプ的なアニメ・ファンへの媚が見え隠れしているし、ありがちな甲高い感情的なアニメ声には辟易してしまう。

今回の作品は、クレジットを見る限りでは、アニメーション・キャラクターの演技を表情までモーション・キャプチャーして制作された作品である、ということらしいので、戦略的にはワールド・ワイドに向けた、場合によってはエポック・メイキング的作品となる可能性があるのだ。

また同年公開のアニメーション映画である「イノセンス」や「ハウルの動く城」、「スチーム・ボーイ」と並び、日本が誇るアニメーション作品として、世界に紹介されることになるのは、最早確定と言っても良い位なのだ。

結果的には、本作「アップシード」は、そういった背景を理解しているとは思えないお粗末な作品といわざるを得ないのだ。
少なくても映画にはなっていない。

とは言うものの、美術や背景、レイアウト、コンセプト・デザイン等については、(勿論士郎正宗のもともとのコンセプトが素晴らしいわけであるが、)素晴らしい世界観を構築しているし、手法上のキャラクターと背景の違和感は顕著ではあるが、方法論として、モーション・キャプチャーの技術には目をみはるものがある。

結局は、映像スタイルや描写の方法論が先行し、描きたい派手なシークエンスを基に、薄っぺらな脚本が出来上がってしまったのではないだろうか。
そんな印象を受けた。

「イノセンス」

2004年3月19日 映画
1995年の「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の続編であり、日本が世界に誇る極東のクリエイター押井守の新作「イノセンス」を観た。

先ず、最初から否定的意見で恐縮だが、残念に感じたのは、世界観はともかく、物語の根底にあるのが、平凡なハードボイルドである。ということ。

本作「イノセンス」をハードボイルドだと言い切った場合、世界観をあわせて考えると、やはりなんと言ってもリドリー・スコットの「ブレードランナー」との類似性は否めないであろう。
かつての「ブレードランナー」のデッカードがそうであったように、本作「イノセンス」のバトーは、古きよき時代のハンフリー・ボガートそのモノなのである。

更に、バトーのキャラクター造詣にはレイモンド・チャンドラーの影が色濃く、ひとつのシークエンスのキーとなる犬の餌のプロットではエリオット・グールド演じるフィリップ・マーロウ(「ロング・グッドバイ」)を髣髴とさせる。
というかおそらくオマージュであろう。

しかも、物語のコンセプトは最早手垢の付いた感のある「人間(生物)の定義」である。
有機体と無機質で生物に似たものを人間と人形と言う単純な図式に置き換え、登場人物はその狭間で葛藤する事になるのである。

勿論、誰もが評価するように本作の世界観は素晴らしいが、表現としてのCGIは、本作を世界中のクリエイター達に影響を与えた前作の発展形として考えた場合、無残な結果に終わっている。

特に、予告編で使用されていたコンビニ内の映像や、本棚に並ぶあまりにも無機質な書籍類なんかが顕著であろう。
あまりにも作り物じみているのである。

一方、後半部分に登場する人形の動きや、最新技術の表現や発想、ビジュアル・コンセプトは素晴らしいものがある。
しかし、「ブレードランナー」の呪縛からは逃れられていない。
また、前作で「やまとことば」をフィーチャーした音楽も、残念ながら前作と比較するとレベルダウンしている感がある。
前作以上の楽曲が難しいのならば、前作どおりでも良かったのではないか、と感じた。
主題歌の「フォロー・ミー」は良かったし、訳詩の意訳や、そのフォントも良かった。

そして、前作と同様のオープニングや、後半部分の山車に音楽をかぶせるあたりは、前作を意識したファン・サービスと取るべきなのか、芸の無さと取るべきか判断に悩むところである。

前作と言えば、トグサとバトーの間の、前作のセリフを伏線とする会話が楽しい。(トグサの引き抜きの話や、マテバの話・・・・。)
また、前作で重要な登場人物であった人物の登場シークエンスは本作のメインのコンセプトを象徴していることもあり、感涙ものである。

つらつらと厳しい事を書いているが、本作は劇場で観るべき作品であることは間違いなく、技術的にも前作を凌駕しつつ、前作の雰囲気を守った、素晴らしい続編に仕上がっている。
「第76回アカデミー賞授賞式」
これこそ、ショーの中のショーなのである。

興味深かった点をいくつか。

先ず冒頭のショーン・コネリーのスピーチである。
字幕では明確に伝わらないと思うが、、彼のスピーチは「指輪物語」の冒頭の詩「指輪物語」の中の「一つの指輪」を「映画」に置き換えたものだった。

曰く、

映画は、全てを統べ、
映画は、全てを見つけ、
映画は、全てを捕えて、
くらやみの中につなぎとめる。

のだ!!

そして、なんと言っても「ビリー・クリスタルの帰還」である。

先ず、ビリー・クリスタルの紹介ビデオが凄い!!
現代技術の粋を集めた、大変素晴らしいクオリティの作品に仕上がっている。
「アカデミー賞授賞式」冒頭の映像作品は、「アカデミー賞授賞式」のひとつの楽しみであるのだが、今年の映像作品は、今までの映像作品を凌駕する傑作の一本だろう。

そして、ビリー・クリスタルのオープニング・ショーである。
映画業界の裏話満載でコミカルでシニカルでドラマティックな楽曲に仕上がっている。

ビリー・クリスタルの司会は、3年ぶりの復活、ということだが、私たちの世代では一番の司会はビリー・クリスタルだろう。

あとボブ・ホープの映像も非常に感動的である。

ジム・キャリーのケイトーも、ロビン・ウィリアムスの「元ディズニーのピクサー」という表現も、ブレイク・エドワーズが演出するピーター・セラーズ等も素晴らしい。

特に、ブレイク・エドワーズの名誉賞受賞シークエンスは正に最高である。

ビル・マーレイのソフィア・コッポラ監督作品「ロスト・イン・トランスレーション」紹介のコメントも感動的である。

ブラー、ブラー、ブラー、キリが無いので、このへんで。

最後に、「作品賞」のプレゼンターとしてスティーヴン・スピルバーグがピーター・ジャクソンにオスカーを渡すところが、70年代以降のハリウッドを支えてきたスピルバーグらからの次の世代であるピーター・ジャクソンらへの世代交代を象徴的に表しているのではないだろうか。
2004年3月1日、海外の映画やテレビ・ムービーの放送権を日本のテレビ局へ許諾したり、テレビ放映のための日本語版の作製を手掛けているムービーテレビジョン株式会社は、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、受理されたと発表しました。負債総額は約380億円。

2004年2月2日、ムービーテレビジョン株式会社は、ロサンゼルス上級裁判所において、パラマウント・ピクチャーズ・インターナショナル他に訴訟の提起を受けました。
これは、パラマウント・ピクチャーズ・インターナショナルとムービーテレビジョン株式会社が締結していた映画フィルムのテレビ放送に関する独占契約において、ライセンス料等800万ドルの未払いに端を発する損害賠償請求です。

2004年1月28日、パラマウント・ピクチャーズ・インターナショナルは、ムービーテレビジョン株式会社に対して、映画フィルムのテレビ放送に関する独占契約の解除を申し立てました。

これに伴い、ムービーテレビジョン株式会社が許諾しているテレビ・ムービー等の今後(番組改変期以降)の放映が微妙な状況になっています。

特に現在WEB上で話題になっているのは、一連の「スタートレック」シリーズの今後の放映がどうなるのか、と言う点です。

しかし、今後の放映について影響が出そうな作品は、地上波、CATV等を含めると、星の数ほどあることになります。

日本の映画界、テレビ界に与える影響は計り知れない程です。
さて、早速ですが2004年の目標の中間発表その2です。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

1.映画

#005 「十二人の怒れる男」新文芸坐 2004/02/01
#006 「情婦」新文芸坐 2004/02/01
#007 「ジョゼと虎と魚たち」ワーナー・マイカル・シネマズ板橋 2004/02/01
#008 「2001年宇宙の旅<新世紀特別版>」新文芸坐 2004/02/05
#009 「現金に体を張れ」新文芸坐 2004/02/05
#010 「白い巨塔」新文芸坐 2004/02/09
#011 「ぼんち」新文芸坐 2004/02/09
#012 「ラブストーリー」シャンテシネ2 2004/02/23

2.DVD、CATV等

#015 「炎上」CATV 2004/02/06
#016 「私をスキーに連れてって」CATV 2004/02/08
#017 「めし」CATV 2004/02/08
#018 「ガメラ 大怪獣空中決戦」CATV 2004/02/14
#019 「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」CATV 2004/02/15
#020 「ガメラ対大悪獣ギロン」CATV 2004/02/15
#021 「無責任遊侠伝」CATV 2004/02/17
#022 「BLOOD THE LAST VAMPIRE」CATV 2004/02/18
#023 「影を斬る」CATV 2004/02/22
#024 「少林サッカー」CATV 2004/02/22
#025 「王様の剣」CATV 2004/02/24
#026 「みんな〜やってるか!」CATV 2004/02/26

3.読書

#006 「ブラック・ハウス(上)」スティーヴン・キング著 矢野浩三郎訳 新潮文庫 2004/02/12
#007 「ブラック・ハウス(下)」スティーヴン・キング著 矢野浩三郎訳 新潮文庫 2004/02/23

映画は、劇場8本(累計12本)、DVD等12本(累計26本)で、計20本(累計38本)。
このままのペースで、年間228本(劇場96本)です。

読書は2冊(累計7冊)で、このままのペースでは、年間42冊です。

2月はスキー三昧で時間がなかなか取れないので、「2004年の目標」的には正にスロー・スタートの継続中です。
スロー・スタートとは言うものの、実際は先が思いやられる状況で、不安で一杯です。

まあ、先は長いですが頑張ります。
「猟奇的な彼女」の監督クァク・ジェヨンの新作「ラブストーリー」を観た。

現在巷では、「ラブ・・・・・・」と言えば「ラブ・アクチュアリー」なのだが、「猟奇的な彼女」好きのわたしてしては、クァク・ジェヨンの新作を押さえるべく「ラブストーリー」を観ることにしたのだ。

演劇部のサンミンにあこがれる女子大生ジヘ。
ジヘは、同じくサンミンに想いを寄せる強引で自己中心的な友人スギョンからサンミンへのメールの代筆を頼まれ引き受けてしまう。
複雑な想いで代筆を続けるジヘは家の中で母の日記帳と沢山の手紙が入った木箱を見つける。
それらの手紙と日記帳に目を通すうち、ジヘは母の切ない初恋の物語を知ることになる。
母の日記帳を読み進めていくうち、ジヘはかつての母を取り巻く環境と自分のそれに奇妙な類似点があることに気付く。そして・・・・。

素直な感想としては、良い映画だった。というものである。
物語の構成は、母と娘を取り巻く二組の恋の行方を縦軸に、韓国の近代史を横軸とした物語で、誤解を恐れずに言わせてもらえば、『韓国版「フォレスト・ガンプ」大林宣彦仕立て』というような印象を受けた。
または、かつての母親と父親の伝説的恋愛を息子が振り返るチャン・イーモウの「初恋のきた道」のような構成を持った作品でもある。

個人的には、時をも超越するような壮大で運命的な伏線に魅力を感じるわたしにとっては、大変素晴らしい作品に感じられた。
前作の「猟奇的な彼女」についても、話題は細かいプロット先行だった訳だが、実際は大きな伏線が見事にリンクする作品だったが、この伏線の扱いが、もしかするとクァク・ジェヨンの嗜好なのかもしれない。

さて、脚本であるが大本の脚本は良く練られており好感が持てるのだが、細かいプロットの処理に手が回っていない印象も否定できない。
例えば「ジヘのテコンドー」や「音楽に関する伏線」または「テスの倒れ癖」等については、もしかしたらその伏線を生かすシーンやシークエンスがあったのだが、結果的に本編からカットされたのではないかと、邪推してしまうような状況である。
また、音楽のラストにクレジットされていたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」はわたしの記憶では本編では使われていなかったのではないかな。(自信なし。)
※ これはカットされているシークエンスがあるのではないか、という論拠として。

ところで気になったのは、ジヘの母親ジュヒのパートのジュヒとジュナとテスのシークエンスの恋模様は、あまりにも前時代的で(正にクラシック)ちょっとついていけない部分があった。
年齢設定上はおそらく1960〜70年代の高校生〜大学生あたりだと思うのだが、あのようにピュアな恋愛模様だとすると、当時の中学生あたりの恋愛模様ではないかと思ってしまう。それでいて、大人の恋的シークエンスが共存しているあたりに、違和感を感じてしまうのだ。
勿論その辺は原題"THE CLASSIC"が示すように確信犯的なものなのであろうが、現代には受け入れられないほどの違和感を感じた。
これが13〜14歳時代だったとすれば、違和感は少ないのだが・・・・。

キャストについては、物語の構成上、主要登場人物は全て同年代の若手俳優であり、若手だけで見せる作品としても評価すべき作品かもしれない。

取りあえず若手主要キャストを紹介すると、

ソン・イェジン (ジへ役/ジュヒ役)
チョ・スンウ (ジュナ役)
チョ・インソン (サンミン役)
イ・ギウ (テス役)
イ・サンイン (スギョン役)

キャストとしてはなんと言ってもジヘとジヘの母の二役をこなしたソン・イェジンであろう。第一印象的には、古典的でパッとしない印象なのだが、物語が進むと共に感情移入の度合のせいかか、一際輝いて見えてくるのである。古典的普遍的、母親的印象なのだろうか。

ジヘの自己中な友人スギョンを小憎らしく演じたのはイ・サンイン。現代韓国のステレオタイプ的な若者像なのだろうか、上っ面だけの自己中なキャラクターを見事に演じている。

男性陣はジュナの悪友テス役のイ・ギウが良かった。
なんだかんだ言っても、3人の男性陣の中では、役者として美味しいところをひとりで持って行ってしまっている。

ジュナを演じたチョ・スンウは少年的な清純でピュアなところが良かったと思うのだが、そのルックスに似合わない大人の恋的シークエンスがあるため、若干の違和感が否めない。

サンミンを演じたチョ・インソンは、なんとも釈然としない、はっきりしない、優柔不断なキャラクターだったが、実は本編の鍵を握る重要なキャラクターである。ジヘとのからみが良い雰囲気である。

さて、物語の根幹となる最重要なポイント(事実)については、何度か伏線が入っており、観客に対しては比較的明らかなのであるが、「サンミンがその事実に気付いたのは何時か」を考えると非常に楽しいのではないかと思うのだ。
第27回日本アカデミー賞の授賞式が20日、東京で行なわれた。

今年で27回目の日本アカデミー賞授賞式が地上波で放映された。
批判ばかりしていても仕方が無いのだが、相変わらず最低な演出で悲しい気分になってしまう。

わたしの記憶では(誤っている可能性があります。)、

日本アカデミー賞は、20年以上前アメリカのアカデミー賞に匹敵する賞を創出することを目的とし、米アカデミー賞を模倣、映画評論家の水野晴朗等が提唱し日本映画界に働きかけ日本テレビの提供で発足した賞らしい。
日本アカデミー賞発足時に水野晴朗は、映画評論家淀川長治に協力を求めた。淀川長治は主旨を聞き、「日本独自の賞をつくるのなら協力は惜しまないが、外国の賞を模倣するとは何事だ。」と激怒したらしい。

日本アカデミー賞の目的は、オフィシャルサイトによると、「わが国の映画芸術、技術、科学の向上発展にあります。また、その年度の該当者に栄誉を与えると共に、日本アカデミー賞協会の行う諸事業を通じて、会員相互の親睦ならびに海外映画人との交流を計り、わが国映画界の振興に寄与しています。」だそうです。

私の記憶では、日本アカデミー賞のアカデミーには意味が無く。日本アカデミー賞を選考するために日本アカデミー賞協会がつくられたようである。また、全受賞者に贈られる像「映画神像」(通称:流ブロンズ)もオスカーの物真似のような気がします。

どこが最低かと言えば、数え上げればキリがないが、演出が最低である。人類の構築した映像と音楽の複合芸術であり最高の娯楽形態のひとつである映画に対する賞の演出としてはお粗末で、真摯な態度が欠如している。映画を愛する日本人として深い失望と羞恥を感じる。

日本映画界の日本独自の権威ある映画賞の創出の気持ちは解らないではないが、何とかならないのであろうか。

=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=

気になった点です。
批判ばかりしていても仕方が無いのですが・・・・。
日本の文化の低さを世界中に露呈しているようで悲しくなってしまうのです。

1.MC役
  一言で言って酷い。
  何故起用されているか不思議である。

2.壇上の質問係
  映画を理解しないで、話題性だけで質問が考えられている。
  受賞者の受賞作品の関係者ならともかく、かつてのテレビ・ドラマの共演者にマイクを振るなど、言語道断であろう。

3.音楽
  ほとんど音楽がはいっていない。
  司会進行、MC等のセリフだけで間が持たないのだから、音楽で少しは誤魔化してはどうだろうか。

4.VTR
  かつての作品のVTRを入れすぎである。
  かつての作品が素晴らしいのは周知のことである。かつての作品ではなく、現在の作品を紹介すべきであろう。

5.受賞者の紹介に温度差がある。
  全ての受賞者に公平に紹介VTRをつくって欲しい。
  または公平にインタビューを行なって欲しい。
  最優秀賞を受賞するであろう人とその対抗とされている人の紹介VTRや質問が多く、他の受賞者との温度差がある。

6.うちわ受けはやめてくれ。
  宮沢りえの真田広之に対する「プレゼンターの清兵衛さま、ありがとうございました。」は良いとして、テレビ番組を念頭においた「うちわ受け」や「話題性を根底に置いたインタビュー」は、なんとも悲しくなってしまう。

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ところで、外枠はともかく、稼動している以上「日本アカデミー賞」は一応日本映画界最高の賞ということですが、今回の受賞者はほぼ順当と言っていいのではないだろうか。
賞の演出は最低であるが、受賞した映画やキャスト、スタッフが最低ということではない。
皆さん素晴らしい仕事をしているのは事実なのである。

頑張れ!「日本アカデミー賞」!
来年こそは素晴らしい授賞式を期待しているぞ!!

「白い巨塔」

2004年2月14日 映画
「白い巨塔」のレビューは、
http://diarynote.jp/d/29346/20040209.html
です。

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http://diarynote.jp/d/29346/20040209.html
をご覧ください。

「ぼんち」

2004年2月10日 映画
池袋「新文芸坐」の「山崎豊子全映画」で、「白い巨塔」と「ぼんち」を観た。

で「ぼんち」であるが、いきなり余談だが、1970〜80年代に一世を風靡した「ザ・ぼんち」の「ぼんち」は、映画「ぼんち」と同じ意味だったのかと思ったりしています。

「ぼんち」とは、若だんな。坊ちゃん。ぼんぼん等の意で、主に関西地方で用いる語だそうである。
が、しかし本来の意味では「ぼんち」の意味は表面上の「ぼんぼん」ではなく、人一倍放蕩はするが、結局はその放蕩がビジネス上の帳尻を合わせる「ぼんぼん」なのだ。

物語は、四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)の放蕩人生を老いた喜久治が振り返る、という形態を持っている。
その喜久治の放蕩人生を彩るのは、若尾文子(ぽん太)、中村玉緒(弘子)、草笛光子(幾子)、越路吹雪(比佐子)、山田五十鈴(勢以)という豪華女優陣。

スタッフは撮影に宮川一夫、音楽は芥川也寸志、そして監督は世界の市川崑である。

市川雷蔵と言えばなんと言っても時代劇俳優としての出演作が多く、またその時代劇俳優として評価されているのだが、本作「ぼんち」の喜久治役はそういった役柄ではなく、船場の足袋問屋河内屋の一人息子訳が新境地というか、意表をついているというか、良い役を楽しげに演じている。
こういった時代劇というコスチューム・プレイや眠狂四郎のような極端なキャラクターではなく、普通の役の市川雷蔵に興味津々津々浦々なのだ。

また、婿養子続きの河内屋の最後の婿養子である喜久治の父を演じる船越英二も良い仕事をしている。

女優陣は皆魅力的で素晴らしい。
後年の市川崑の金田一耕介シリーズの女優の使い方は、かつてのこんな作品の影響なのかと思ってしまう。
「ぼんち」の翌年の「黒い十人の女」でもそうですが、市川崑の映画は女優陣が凄いです。正にオールスター・キャストなのです。

市川崑の秀作で、市川雷蔵の意欲作でもある本作。機会があれば是非観ていただきたい作品である。

「白い巨塔」

2004年2月9日 映画
池袋「新文芸坐」による、「山崎豊子全集」の刊行を記念した『【シリーズ 作家と作品 Vol.1】山崎豊子全映画』という山崎豊子の原作小説の映画化作品全9作品を連続上映する企画で、「白い巨塔」と「ぼんち」を観た。

現在フジテレビ系で絶賛放映中の、『フジテレビ開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」』の影響で、原作(新潮文庫版全5冊)を読み、噂に聞く田宮二郎主演の劇場版「白い巨塔」を観る事ができたのである。

しかし、『フジテレビ開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」』の影響と言っても、わたしは実際2〜3回しか、唐沢寿明主演「白い巨塔」の放映を見ていない。

その乏しい経験からでも、唐沢寿明主演「白い巨塔」は、従来のテレビドラマの枠を超えた高水準のテレビドラマだと思ってはいるのだが、今回劇場版「白い巨塔」を観て感じたのは、唐沢寿明主演「白い巨塔」は、器は立派だが内容はチープだ、ということである。
派手な演出や、極端なキャラクターに惑わされてしまうが、本来ドラマに必要な「何か」がかけているような気がするのだ。

しかし、この劇場版「白い巨塔」より一般的に評価が高い、田宮二郎版テレビドラマ「白い巨塔」は、どれほど凄いのであろうか。機会があれば是非見たいものだ、といわざるを得ない。
因みに現在、田宮二郎版テレビドラマ「白い巨塔」のDVD−BOXは結構売れているらしい。

さて、劇場版「白い巨塔」であるが、当時「白い巨塔」として出版されていたのは、現在新潮文庫から出版されている第一巻〜第三巻部分で、「続・白い巨塔」として出版された部分(同新潮文庫第四巻〜第五巻)はまだ出版されておらず、この劇場版は新潮文庫で言うと第一巻〜第三巻部分の映画化、ということになる。

物語の骨子は、浪速大学第一外科教授選と誤診裁判第一審であり、ラストがそうなっていることもあり、正に田宮二郎(財前五郎)を主役としたピカレスク・ロマンの様相を呈している。
これは1970〜80年代に角川映画として製作された大藪春彦原作作品、松田優作主演作品のピカレスク・ロマンに通じるものを感じるのだ。

この劇場版「白い巨塔」の脚本の優れている点は、浪速大学第一外科教授選と誤診裁判第一審を同時進行させている点であろう。

これは劇場版の尺の問題もあるのだろうが、原作やテレビ・ドラマでは、教授選が一段落したところで、患者が死亡し誤診裁判へと続くのであるが、劇場版では教授選と誤診裁判を同時進行させることにより、物語の勢いを損なわずに、一気にエンディングまで持っていくパワーを感じる。

仮に、教授選と誤診裁判を映画の前半と後半に配置した場合、ラストまで緊張感が保てるかどうか、という不安が否めない。
今でこそ2時間超の尺を持つ映画は山ほどあるが、当時としては、観客に緊張感を持続させたまま、2時間30分という尺をこなすのは、大変な事だったのではないだろうか。
それを考えると、教授選と誤診裁判とが同時進行する脚本には、ある種敬服の念を持ってしまうのだ。

キャストとしては、田宮二郎の財前五郎は言うに及ばないが、脇を固める役者の鬼気迫る演技合戦は映画ファン冥利に尽きるのだ。

例えば石坂浩二が演じている東第一外科教授はなんと「水戸黄門」の東野英治郎があくの強い憎々しげな東教授を演じているし、江口洋介演じる里見第一内科助教授は、田村高廣が演じている、という具合に大御所役者が脇を固めているのだ。

東野英治郎は黒澤明の「用心棒」でも大きな役を演じているが、「水戸黄門」というより「用心棒」系の印象を受ける。
テレビドラマでは石坂浩二が演じる神経質で押しが弱いキャラクターであるが、東野英治郎演じる東第一外科教授は、教授選において最早黒幕というかフィクサーというか、恐ろしいほどに暗躍し、石坂浩二とは全く違った東第一外科教授を見せてくれる。

また、田村高廣演じる里見第一内科助教授はテレビドラマと比較すると役柄は小さいが、人々が実践できないが理想的名人物と考えるであろう人物を正面から演じている。現代人からすると時代錯誤的な役柄かもしれないが、本来人間が持っている正直で真面目で高邁で孤高な部分のエッセンスたる人物なのである。

更に特筆すべき印象を与えるのは、なんと言っても財前又一であろう。不勉強なもので、劇場版財前又一の役者の名前はわからないが、テレビドラマでは西田敏行がオーバーアクト気味で演じているのだが、劇場版では西田敏行の演技がかすむほどの強烈な印象を与えている。
※ 後日、財前又一を演じたのは、石山健二郎だと判明。

女優陣としては、財前五郎の愛人役の小川真由美は、テレビドラマの黒木瞳との格の違いを見せつけるし、東佐枝子役の藤村志保も矢田亜希子とは雲泥の差である。

思うに、テレビドラマ版「白い巨塔」は一部の俳優を除いて、俳優ではなくタレントであるのが問題なのではないだろうか。

まあ、わたしの言いたいのは、機会があったら是非劇場版「白い巨塔」を観てくれ、ということである。
池袋「新文芸坐」の企画上映「魅惑のシネマクラシックス Vol.4」でスタンリー・キューブリック監督作品「現金に体を張れ」と同じく「2001年宇宙の旅<新世紀特別版>」を観た。

今回の企画上映「魅惑のシネマクラシックス Vol.4」のトリをつとめる作品である。

「2001年宇宙の旅」については、現在東京では年に2回ほどリバイバル上映があり、また個人的にはキューブリック・ファンなので、劇場で50回ほどは観ていると思うので、いまさら語るべき言葉は無い。

※ フィルム自体は前奏、休憩、後奏付きの所謂完全版だが、初期の<新世紀特別版>についていた冒頭のG指定の表記は無かった。
また、休憩時にはフィルムを物理的に止め、本当に休憩を入れていた。

しかし「現金に体を張れ」については状況が違うのだ。
実際、この映画のリバイバル上映はほとんど行われないため、今回の企画のおかげでわたしは劇場で本作「現金に体を張れ」を初めて観ることが出来たのである。
まあ、そういった意味で、感慨も一入なのである。

内容は、タランティーノの「レザボアドッグス」や「パルプ・フィクション」、または「メメント」、「アレックス」等多くの時系列を再構築した構成の作品等に多大なる影響を与え続けるクライム・サスペンスの傑作である。

物語は、刑務所から出所したばかりの主人公ジョニーは、競馬場の売上金強奪を企み、数名の仲間を集めはじめる。
周到な計画をたて、いよいよ売上金強奪決行の時が来、ジョニーの計画が成功したと思った瞬間、思わぬ展開がジョニーたちを待っていた・・・・。

そして構成は、仲間がアクションを起こした瞬間に、他の仲間の行動を時間を巻き戻し描写する、という構成を持っている。
これはタランティーノの「ジャッキー・ブラウン」と比較すると興味深いのだね。

映画としては、やはり脚本が良く出来ているし、撮影も良い、画面構成も良いし、俳優も良いし、ラストの幕切れも拍手喝采である。
ラストのふたりが、美味しいところを持って行ってしまうのも良い。

しかし何度も見直している内に気になってくるのは、とある仲間の悪妻の扱いである。
あまりにも周到な計画だと言うのに、はたしてジョニーがああいった凡ミスを犯すのかな、という点が物語のリアリティを少しだけ払拭してしまうような印象を受けるのだ。
あまりにも出来すぎている脚本のアラを探してしまうわたしなのである。

しかし、悪妻のシークエンスには、本当にイライラさせられてしまう。
つまり逆に言うと、悪妻のシークエンスは大成功だ、と言うことでもある。
2004年1月31日をもって、「銀座シネ・ラ・セット」が有楽町地区再開発計画に伴い閉館した。

「銀座シネ・ラ・セット」は配給会社シネカノンの(おそらく)直営の劇場で、内外の「良い映画」を多く上映していた。
ところで、シネカノンはご存知のように、新旧の意欲作・傑作・カルトムービーの配給に力を入れる孤高の配給会社である。

「銀座シネ・ラ・セット」劇場自体は定員159名と小さいながらに、邦画・洋画問わず秀作や意欲作を中心に上映し、また様々なカルト系のレイト・ショー等を行なうスピリッツ溢れる劇場だった。

特に「さようなら 銀座シネ・ラ・セット」と銘打った企画上映のラインナップは、燃え尽きる蝋燭の最後の輝き的怒涛の勢いを感じた。

そのラインナップを紹介すると、
「シュリ」
「アメリ」
「白い船」
「ウォレスとグルミット」
「ビリケン」
「太陽の誘い」
「ベルリン・天使の詩」
「風花」
「遠雷」
「マイ・スウィート・シェフィールド」
「逆噴射家族」
「すけべてんこもり/痴漢電車・下着検札」
「ボウリング・フォー・コロンバイン」
「未来世紀ブラジル」
「マイ・ネーム・イズ・ジョー」
「地雷を踏んだらサヨウナラ」
「ロッキー・ホラー・ショー」
「さよなら、クロ」
「ブラス!」
いかがであろうか。

「銀座シネ・ラ・セット」の閉館は、有楽町地区再開発計画に伴うもので、一時的な閉館と言うことらしい。早期の復活を期待したい。
話題の「ジョゼと虎と魚たち」を観た。

雀荘でアルバイトをする大学生の恒夫は、乳母車を押す謎の老婆の噂を耳にする。その乳母車の中身を知る者は誰もいないというのだ。
そんなある朝、恒夫は雀荘の店長に頼まれ、犬の散歩に出掛けると、坂道を転がり落ちてくる例の乳母車と遭遇する。
そして、恒夫が乳母車の中を覗くと、そこには包丁を持った少女ジョゼがいた。
脚が不自由で歩けないジョゼは、老婆に乳母車を押してもらい散歩をしていたのだ。
ジョゼと老婆に朝食を振舞われた恒夫は、彼女の不思議な魅力に次第に惹かれていく・・・・。

物語は、ジョゼという存在に感化され、成長する二人の男女(ここでは恒夫と香苗)を描いている。

勿論異論はあると思うが、ジョゼという存在は、この物語では言わば触媒として作用し、ジョゼにとっては、物語の前後で何ら変わったことは無い、と言えるのだ。
ジョゼの身辺に起きた幾つかの出来事は、ジョゼに変化をもたらす、というよりは、恒夫と香苗の成長とでも言うべき変化の要因となっているのだ。
そしてジョゼは普遍的で超然的な達観した存在として描かれている。

本作の監督は犬童一心。
学生時代から自主制作映画を撮り、ぴあフィルムフェスティバルに入選、その後CM制作、脚本家を経て商業映画の監督となっている、言わば自主制作映画あがりの王道を行っている監督であり、自主制作映画を志す若者の現実的なひとつの目標と言える監督である。

出演は恒夫に妻夫木聡、ジョゼに池脇千鶴。
香苗には上野樹里、ジョゼの祖母に新屋英子。

しかしなんと言っても池脇千鶴である。
勿論弱い部分は見せるものの普遍的、超然的で達観した存在の強烈な印象を観客に与えている。
特に印象的なのは「帰れって言われて、帰るようなヤツは、はよ帰れ!」のシークエンスと、ラストの電動車椅子からエンディングにかけては大変素晴らしい。
このラストが全てなのだろう。
何があっても変わらないジョゼが素晴らしい。

見るべきところが多い作品です。
機会がありましたら、是非観て見てください。

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