ボクの本棚 #006 「二次元の世界/平面の国の不思議な物語」

わたしは小学5年生の頃から英語の塾に通うようになった。

塾というものは小学生にとっては新たな社会の一つであり、普段一緒に遊んだり勉強したりしている同じ学校の児童ではなく、他校の児童と触れ合うことが出来る場、というなかなか得難い経験の場だったりする。

そして、普段一緒にドタバタしているような同じクラスの女子と比べて、他の小学校の女子が魅力的に見えていたわたしは読書好きのKに恋心をいだいていた。

「何かおもしろい本があったら貸してよ」

おもしろい本を借りて読むのが目的ではなく、Kと継続的な関係を築くのが目的のセリフである。

彼女が最初に貸してくれた本は、先日紹介したとおりフレドリック・ブラウンの「天使と宇宙船」だった。

次の週、既に「天使と宇宙船」を読了し、フレドリック・ブラウンのSFを何冊か買い始めていたわたしに彼女が差し出した本はなんと「二次元の世界/平面の国の不思議な物語 」であった。

王様の顔が描かれた変な表紙で、おもしろい本には全然見えなかった。
一読後、評価は一変する。なんて面白いんだ!

と何なったわたしは、彼女の超絶センスに驚愕する。

小学生の女子が小学生の男子に貸す本をブルーバックスから選ぶとは・・・・。

しかも「二次元の世界/平面の国の不思議な物語 」とは・・・・。

わたしの人生が変わった瞬間である。

余談だけど、ブルーバックスとは、オフィシャルサイトによると「自然科学をやさしく紹介するシリーズとして、35年以上も親しまれている」ようである。

しかしながら「二次元の世界/平面の国の不思議な物語」は絶版のようである。
すばらしい作品なのに、非常に残念である。
ボクの本棚 #005 「天使と宇宙船」

わたしは小学5年生の頃から英語の塾に通うようになった。

英語の塾といっても、いろいろあると思うが、わたしが通っていた塾は、その名称に「米会話」という言葉が入っていた。
従って、一般の英語や英会話ではなく、アメリカ英語の会話スキルの習得を目指した塾だったのだろうとわたしは思っている。
しかしながら、当時のわたしにとっては、英語だろうが、英会話だろうが、米会話だろうが、全く区別がつかす、ただ単に英語の塾に通っていた、という認識だった。

ところで、塾というものは小学生にとっては新たな社会の一つであり、普段一緒に遊んだり勉強したりしている同じ学校の児童ではなく、他校の児童と触れ合うことが出来る場、というなかなか得難い経験の場だったりするのだ。

そんな状況もあってか、普段一緒にドタバタしているような同じクラスの女子と比べて、他の小学校の女子が魅力的に見えたりするのは当然のことだと思う。何しろ新鮮なのだ。

わたしもご多分にもれず、他校の女子にほのかな恋心を抱いちゃったりする始末である。
わたしがそんな恋心を抱いていた女子はKと言い、Mと言う子と仲が良かった。

わたしはMと比較的仲が良かったので、そのうちKと話をする機会が増えてきた。

そうこうしているうちに、Kは読書好きだと言う事がわかってくる。
それを利用しない手はない。わたしは自らが読書好きである、と言う点をKにアピールした。

「何かおもしろい本があったら貸してよ」

おもしろい本を借りて読むのが目的ではなく、Kと継続的な関係を築くのが目的のセリフであった。

次の日、彼女が貸してくれた本はフレドリック・ブラウンの「天使と宇宙船」だった。

今思えば、小学生の女子が小学生の男子に貸す本とは思えぬ選択に悶絶である。

わたしはその後フレドリック・ブラウンを集め始めることになる。
ボクの本棚 #004 「宇宙の戦士」

小学生時代からの友人にOと言う女子がいた。
彼女は漫画やアニメが大好きで、当然ながら、彼女の夢は漫画家になること。
クラスのみんなも彼女はきっと漫画家になるに違いないと思っていた。

中学生時代、そんな彼女から「機動戦士ガンダム」というアニメーションが面白いので、見るように、と言われた。

と、言うのも「サイボーグ009」事件(参照: http://29346.diarynote.jp/201002251656322473/)以降、面白いマンガやアニメがあると、彼女はわたしに教えてくれるようになっていたのだ。

それまでのわたしは、「機動戦士ガンダム」を、時々見ていた程度だったのだが、彼女に「ガンダムみるように!」と言われた後は毎週きちんと見るようになった。

そして、「ガンダムを見るように!」と言う指示と同時に貸してくれたのが、ガンダム同人誌の「ガンサイト」だった。
「ガンサイト」は、現在では伝説のガンダム同人誌と言われているようだが、わたしにとっては人生初の同人誌であった。

今でこそ、同人誌の市場は圧倒的な規模に成長発展しているが、1979年当時、地方の中学生が同人誌を購入するのは結構大変だったのではないかと思う。
多分カタログを請求し、郵送で注文、しばらくすると自宅に同人誌が届く、と言う流れであろう。

さて、そんな「ガンサイト」だが、「ガンサイト」は非常にアカデミックで、得るものが多い同人誌だった。
勿論「機動戦士ガンダム」と言う作品が優れたアニメーション作品であることもあるのだが、それ以上に「ガンサイト」から得るものが多かった、と言うことである。

例えば「機動戦士ガンダム」に登場するスペース・コロニーはオニールの「島3号」から来ているとか、サイド7やサイド3があるラグランジュ・ポイントって一体何なのか、とか、モビルスーツの元ネタはハインラインの「宇宙の戦士」だとか・・・・。

そんな訳でわたしはロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」を手に取ることになる。
春の味覚、ホワイトアスパラガスが市場に出てきている。
この時期は九州産のホワイトアスパラガスが店頭に並んでいる。

わたしはそんなホワイトアスパラガスが大好きである。

と言っても缶詰のホワイトアスパラガスではなく、わたしが言うのは収穫したての生のホワイトアスパラガスである。

白アスパラは、あまり市場に出てこない食材なので、缶詰しか食べたことがない人が多いのではないかと思うが、生の白アスパラは強烈に旨い。

白アスパラを知らなかった事を強烈に悔やむ程旨い。
白アスパラを知らなかった今までの人生はなんだったのだろうか、自らの人生を後悔する、それほど白アスパラは旨いのだ。

この白アスパラ、ヨーロッパでは春の味覚として珍重されているのだが、日本では比較的多くの地域で収穫されているのだが、高級食材店に流れてしまうためか、一般のスーパーではあまり見かけない、と言うのが実情である。

因みに白アスパラは劇旨なのだが、実は茹で汁も旨い。

白アスパラの皮を少し厚めに剥き、剥いた白アスパラの皮、塩少々、バターひとかけらと一緒に白アスパラを茹でる。

その茹で汁は、茹で汁だけでスープになってしまうほどのだしが出ているのだ。

だまされたと思って、是非挑戦していただきたい。

マジウマだよ。
ボクの本棚 #003「シャドー81」

中学生時代は吹奏楽部に所属していた。
平日は、朝練、昼練、そして部活。休日は朝から練習のため学校に詰めていた。

ある休日のことである。
菓子パンの朝食をとり、当然の如く練習のため学校に向かう。

練習開始後、急激に体調が悪くなった。圧倒的な下痢と嘔吐。

意識が朦朧となり、立って歩けなくなったわたしは、女子に両脇を支えられ、吹奏楽部の顧問の先生の車で自宅に送ってもらった。

自宅で倒れ込むように休養に入るが、下痢と嘔吐でトイレに行くため、立ち上がるがそのまま意識を失い倒れ、気がつくとトイレに行く途中だと思い出し、また立ち上がるがそのまま意識を失う、そんなことを繰り返すのを見た母親はわたしを病院に連れていき、そのまま入院することになった。

診断は食中毒であった。
菓子パンめ!
しかしながら、家族全員同じ食事をして入院したのはわたしだけだった。

以来、点滴づけのわたしの友達は、病室に持ちこんだラジオだった。

ある夜のことである。
就寝後、いつものようにラジオを聞いていたわたしの耳に野沢那智の声が飛び込んでくる。
それは「シャドー81」のラジオドラマだった。

ロサンゼルスからハワイに向かう747ジャンボ旅客機PGA81便が無線で驚くべき通告を受ける。
たった今、この旅客機が乗っ取られたというのだ。犯人は最新鋭戦闘爆撃機TX75Eのパイロット。
だがその機は旅客機の死角に入り、決して姿を見せなかった。犯人は二百余名の人命と引き換えに巨額の金塊を要求するが・・・・。

圧倒的に、強烈に、そして滅法面白いラジオドラマだった。

それから、2週間。
退院後、わたしが最初に向かったのは書店だった。
ボクの本棚 #002「地底世界ペルシダー」

中学高校時代は映画に明け暮れていた。

金銭的な理由もあり、なかなか劇場に足を運べないわたしは、テレビで映画を見ることを日課にしていた。
毎日まいにち新聞のラテ欄をチェックし、放送される映画は全部見る、そんな心意気の少年だった訳だ。

ある夜のわたしは深夜の映画番組で「地底王国」(1976)を見ていた。
「地底王国」と言う映画には、マハールと呼ばれるでかいトカゲに羽をつけたようなクリーチャーが出てくるのだが、
そいつらはテレパシーで人間を自由に操り、その上人間を食べたりするのだ。

ちょっと待てよ、このマハールってザッタンじゃねぇの。

ザッタンとは、「サイボーグ009」の「地底帝国ヨミ編」に出てくるクリーチャーで、でかいトカゲに羽をつけたような外見を持ち、テレパシーで人間を操ったり、食べたりするのだ。

因みに、「地底帝国ヨミ編」は「サイボーグ009」屈指のエピソードで、わたしも大好きなエピソードのひとつである。
「地底帝国ヨミ編」のラストに漫画史に残る素晴らしいセリフがあるので、ご存知の方も多いと思う。


ははぁ、石森章太郎(当時/現・石ノ森章太郎)め、「地底王国」の影響を受けてるな。

翌日、図書館に向かったわたしは映画「地底王国」について調べ始めることになる。
念の為だが、当時はインターネットなんてものは兆候すらない。

その結果、わかったのは「地底王国」はエドガー・ライス・バローズの「地底世界ペルシダー」の映画化作品だと言うこと。

ペルシダーと言えば、お子様の頃、子ども向けに翻案された「地底の世界ペルシダー」を読んでいた。(と言う記憶がよみがえって来た。)
また、「ウルトラマン」に出てきた科学特捜隊の新兵器:地底戦車ペルシダーのことは、一般知識として知っていたが、その名前がバローズの「地底世界ペルシダー」から取られていたことは知らなかった。

石森章太郎に影響を与えたエドガー・ライス・バローズとは何者だ!
わたしはエドガー・ライス・バローズの「ペルシダー・シリーズ」「火星シリーズ」をかため読みすることになる。

「toto BIG キャッツアイ登場編」
「toto BIG キャッツアイ登場編」
早速だけど toto BIG のCM「toto BIG キャッツアイ登場編」は、スティーヴン・スピルバーグの「フック」(1991)の影響を受けてると思う。

先ずは、これを見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=9Qgd8o2zRE0&feature=related

皆さん知ってると思うけど、写真で紹介したように、ディズニーアニメの「ピーター・パン」(1953)のピーターは、上空から急降下する際、一瞬腰を90度に曲げてから降下するんですが、大人になったピーターを描いたスピルバーグの「フック」(1991)で、ロビン・ウィリアムスは同様に、一瞬腰を90度曲げて降下する様を再現しています。

で、最初の森三中の「toto BIG キャッツアイ登場編」ですが、最初から25秒目位のカットが凄い。
森三中の3人がそれぞれバク宙するんですが、その際のそれぞれの足の動きが凄すぎる。
これはどう考えても「フック」へのオマージュに違いない、と思うのだ。

つまり、アニメ「キャッツ・アイ」のバク宙シークエンスをきっちりと再現する心意気がスピルバーグが「ピーター・パン」を再現して「フック」を制作したのと同様の心意気を感じる、と言うことね。
ボクの本棚 #001「サイボーグ009」

小学生時代の友人にOと言う女子がいた。
彼女は漫画やアニメが大好きで、特に石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)を敬愛していた。
当然ながら、彼女の夢は漫画家になることで、クラスのみんなも彼女はきっと漫画家になるに違いないと思っていた。

小学生高学年にもなると女子の方が発育がよくなってきて、彼女もご多分にもれず、ニョキニョキと身長が伸び、それと比例するかのようにクラスでの発言力も増してしまい、当時、体育の授業を休むような虚弱なもやしっ子だったわたしにとって、彼女はある意味恐怖の存在でもあった。

そんなもやしっ子でも男の子は男の子なわけで、わたしは体力で敵わないのなら知力で勝負だ的発想で、例えば女子が好きなものを貶すようなことをしたりしていた。気になる女子をいじめる。男子の悪い癖ですな。

そんなある日のこと。
止せば良いのにOさんが大好きな石森章太郎の「サイボーグ009」をわたしたちは貶してしまったのです。

そんなわたしは「サイボーグ009」が大好きでサンデーコミックス(秋田書店)版全10巻(当時は「天使編」の冒頭で中断していた)を愛読してました。
そんなわけでわたしは自分の好きな漫画をなんだか知らないうちに貶すことになってしまったのです。

男子全員に「009」について、ある事ない事いろいろ言われた彼女は、なんと言っても女の子、半べそ状態になってしまったのですが、次の授業のチャイムがなり、ゴングに救われた体で、自席に戻っていきました。

わたしが言った言葉で覚えているのは「009なんてどこから見てもおんなじ顔じゃん」と言う言葉。

授業が終わった次の休み時間、鼻息を荒げたOさんがいきなりわたしのところにやって来て、わたしにノートの切れっ端を突き出しました。

そのノートの切れっ端には、島村ジョーの顔がたくさん並んでいました。
いろいろな角度から丁寧に描かれたジョーの顔、顔、顔。

彼女は授業中にその絵を描いたのでしょう。
そしてそのジョーの顔に一言添えられていました。

「どこが同じなんだよ!ボケ!!」

わたしはそのノートの切れっ端のおかげでとっても楽しい気分になり、その日はその絵を眺めながらニコニコ過ごしたのを覚えています。
さて、早速ですが2009年の目標の結果発表です。

2009年は、入院してしまった関係で、後半はぐだきだになってしまったため、報告すらしていませんでした。

とりあえず目標の再確認を・・・・

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)
目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

それでは、結果報告です。

目標第一弾 「映画を300本観るぞ!!」(DVD等含む)

達成できませんでした。
146本(劇場16本)

目標第二弾 「本を100冊読むぞ!!」

達成できませんでした。
41冊
 
参考)
 
■映画(12月末日現在)
2009年 146本(劇場 16本)
2008年 302本(劇場 36本)
2007年 302本(劇場 73本)
2006年 302本(劇場102本)
2005年 303本(劇場127本)
2004年 319本(劇場134本)
2003年 304本(劇場 80本)

■読書(12月末日現在)
2009年 41冊
2008年 34冊
2007年 34冊
2006年 26冊
2005年 41冊
2004年 39冊
2003年 61冊
近代五輪の父、国際オリンピック委員会(IOC)の2代目会長ピエール・ド・クーベルタンは、「オリンピックは参加する事に意義がある」と語ったと言われている。

実際は、エチェルバート・タルボット司教の説教で語られた「この五輪で重要なことは、勝利することより、むしろ、参加したことにあろう」を引用し、「ペンシルベニアの司教が『五輪大会で重要なことは、勝つことではなく、参加することである』と述べられたのは、まことに至言である。人生において重要なことは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。このような教えを広めることによって、いっそう強固な、いっそう激しい、しかもより慎重にして、より寛大な人間性を作り上げることができる」と語ったことが一人歩きをしているようである。
『「参加することに意義がある」の真意』より一部引用
http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/kouza/02.htm

現在、バンクーバーオリンピックの開会式が開催されているが、それを見ながらつらつらといろんな事を考えてしまう。

選手団を何百人も送り込んでメダル争いをするより、飢餓で苦しむ国や地域、紛争が絶えない国や地域から一人でも二人でも多くの選手をオリンピックに参加させる、彼らを国際映像が撮影し、メディアがコメントを付加し取り上げる事により、その選手たちの国や地域の実情が世界中に知らされる。そちらの方が圧倒的に意義がある事だと思った。

メダル争いをしたり、服装が乱れていたりして、記者会見で「反省してま〜す」なんて言っている選手をオリンピックに選手として送り込んでいる国の国民として恥ずかしい思いがする。
2010 スーパーボウルで放送されたCF(CM)集。
1時間位は楽しめる。

http://www.youtube.com/adblitz
激怒である。

先ずはこちらを見ていただきたい。
SOUR ’日々の音色 (Hibi no neiro)’
http://www.youtube.com/watch?v=WfBlUQguvyw

いかがだっただろうか。

ついでこれ。
Pepsi One People Commercial 2010
http://www.youtube.com/watch?v=2fS39FitsoQ

最悪の気分だ。
オリバー・ストーンの「ウォール街」の続編「Wall Street: Money Never Sleeps」の予告編が爆笑もの。

マイケル・ダグラス最高!

 http://www.imdb.com/video/imdb/vi875627545/

「ウォール街」まで続編ができちゃう、と考えると本当に企画がないのだな、と思ってしまう。
まぁ、リーマン・ショックが本作制作の要因になっているのだろうとは思うが・・・・。

キャストも豪華なので、期待してしまいます。

出演:マイケル・ダグラス、シャイア・ラブーフ、ジョシュ・ブローリン、フランク・ランジェラ、キャリー・マリガン

ポスターは「明日に向かって撃て!」似。
JTのCF(CM)がちょっとおかしい。

先ずはこちらを見ていただきたい。
http://www.jti.co.jp/knowledge/tvcm/
のマナーCMをくりっく。

友達に煙が行かないように気をつかう。
マナーですよね。
でも、まわりの人に気を使っていなかったとしたらら。
おしいな〜。
あなたが気付けばマナーは変わる。


このシチュエーションでは、全く「おしい」とは思えない。
「おしい」と言うより、「最悪」と言う感想を持つ視聴者がおおいのではないか、と思う。

まわりの状況を把握する事が出来ない「最悪」の人間を「おしい」と評価するJTの感覚が全く信じられない。
2009/01/23 東京有楽町「TOHOシネマズ有楽座」で「Dr.パルナサスの鏡」を観た。

「Dr.パルナサスの鏡」
監督:テリー・ギリアム
脚本:テリー・ギリアム、チャールズ・マッケオン
出演:ヒース・レジャー(トニー)、クリストファー・プラマー(パルナサス博士)、ジョニー・デップ(鏡の向こうのトニー#1)、ジュード・ロウ(鏡の向こうのトニー#2)、コリン・ファレル(鏡の向こうのトニー#3)、リリー・コール(ヴァレンティナ)、アンドリュー・ガーフィールド(アントン)、ヴァーン・トロイヤー(パーシー)、トム・ウェイツ(Mr.ニック)

2007年、ロンドン。
パルナサス博士(クリストファー・プラマー)が率いる旅芸人の一座が、街にやって来た。博士の出し物は、人が密かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうで形にして見せる「イマジナリウム」。博士の鏡をくぐりぬけると、そこにはどんな願いも叶う摩訶不思議な迷宮が待っている。

かし、1000歳になるという博士には、悲しい秘密があった。それは、たった一人の娘ヴァレンティナ(リリー・コール)が16歳になったときに悪魔ニック(トム・ウェイツ)に差し出すという約束をしたこと。
タイムリミットは3日後に迫った娘の誕生日。一座に加わった記憶喪失の青年トニー(ヒース・レジャー)とともに、博士は、鏡の迷宮で最後の賭けに出る。彼らは、娘を守ることができるのか──?
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

先ずは本作「Dr.パルナサスの鏡」が大変素晴らしい作品に仕上がっている事を素直に喜びたい。
とは言うものの、ヒース・レジャーの本作撮影中の急逝(2008/01/22)により、「The Man Who Killed Don Quixote(ドン・キホーテを殺した男)」のプロジェクト同様、映画自体の完成すら危ぶまれていたのだが、その危機もレジャーの親友たち(ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル)の貢献で、見事に克服した事は皆さんご存知の通りである。

さて、本作「Dr.パルナサスの鏡」についてだが、物語のコンセプトはテリー・ギリアムお得意、1人の少女を助けるために騎士(ナイト)が大活躍する、と言う騎士道物語。フィリップ・マーロウの物語と同様である。

美術や物語の構成から考えると、物語のコンセプトは前述のように「未来世紀ブラジル」(1985)で、物語のテイストは文字通り「バロン」(1989)や「バンデットQ」(1981)というようなイメージで、ある意味本作は、ギリアム映画の集大成で、かつギリアムの代表作、と言うような印象を受ける。

ギリアムとチャールズ・マッケオンの脚本も大変素晴らしく、伏線がカチっとはまってくる感じは見事である。(1月23日公開なので、詳細は割愛するが、感涙ものの脚本である)
また、ギリアムの独特なイマジネーションを実現する美術や衣装の素晴らしさと相まって、本当に素晴らしい映像体験をお約束する。

とは言うものの、本作がCGIを全く使わずに、セットやミニチュア、VFXで制作されたとしたら、本当に強烈に素晴らしい作品に仕上がったのではないか、と思えてならない。

わたしは、「バンデットQ」からのテリー・ギリアムファンだが、かつての傑作群と比肩する本作の仕上がりには大満足である。

キャストは曲者揃いで、クリストファー・プラマー(パルナサス博士)、トム・ウェイツ(Mr.ニック)、ヴァーン・トロイヤー(パーシー)の絡みが素晴らしい。

プラマーには全く言うことがなく、大変素晴らしいし、トム・ウェイツも素晴らしい。コッポラの「ドラキュラ」(1992)のレンフィールド役以来の最高の出来だと思う。

そして、「オースティン・パワーズ」シリーズのミニ・ミーでお馴染みのヴァーン・トロイヤーが大活躍しているのが嬉しい。「チャーリーとチョコレート工場」(2005)のディープ・ロイなみに人気がでるのではないか、と思った。

また、ヒロイン役のリリー・コール(ヴァレンティナ)も素晴らしい存在感をフィルムに定着させている。ルックスはデボン青木似だが。「バロン」のサラ・ポリーもビックリのヒロイン振りが楽しめる。

ヒース・レジャー(トニー)、ジョニー・デップ(鏡の向こうのトニー#1)、ジュード・ロウ(鏡の向こうのトニー#2)、コリン・ファレル(鏡の向こうのトニー#3)もそれぞれ素晴らしいが、驚くべき事に全く違和感がない。
マスクを被っていたら、どこのシーンを誰が演じているのかわからない程、ヒーン・レジャーのテイストを3人が3人とも再現している。自分らしさを出さない演技に恐れ入る。

とにかく、本作「Dr.パルナサスの鏡」は大変素晴らしい作品である。
是非劇場にダッシュである。

余談だけど、エンドクレジット後におまけ付き。

☆☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
非常に残念なお知らせです。

ロバート・B・パーカーが亡くなりました。

慎んでご冥福をお祈りします。

高校時代だっただろうか、ただ一言「読め」と言われ友人に手渡された本が「初秋」("Early Autumn" 1980)だった。その友人は、「文庫本も出てるから、文庫本でも良かったんだけど、折角だからハードカバーにした」と照れながら笑っていた。

誕生日でもなんでもない、彼はただ単にわたしに読んで欲しいから、ハードカバーを買ってまでしてわたしに「初秋」をくれたのだ。

以来、わたしはロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズでハードボイルド小説を、そして男の生き様を学ぶことになった。

そして、圧倒的な印象を受けたのが、「銃撃の森」("Wilderness" 1979)である。

それ以来、パーカー未読者に対し、パーカーの作品をすすめる時、必ずと言って良い程「初秋」と「銃撃の森」をすすめるようになった。

大人になり、気が付くとパーカーの作品を手にする事は少なくなったが、「初秋」を読んだ頃の心はまだわたしの中に残っている。
非常に残念なお知らせです。
声優の郷里大輔さんが亡くなった模様です。状況から自死と見られているようです。

慎んでご冥福をお祈りします。

「夏への扉」

2010年1月16日 読書
大学時代の話だが、映画関連の友人がわたしに向かって、『俺って偉いだろ、今「夏への扉」読んでんだぞ』と言ってたことを思い出す。
当時、既に「夏への扉」を読んでいたわたしは、『何いまさらそんな本読んでいるんだよ』と軽くいなしてしまった。

彼にとっては、例えば「夏への扉」のような、ある意味古典的なSF作品を読む事は偉い事だった訳だ。

既に評価が確定している古典的な作品を実際に読まずに、その内容を知る事は現在では非常に簡単なことであるし、『あぁ、あれね、あの作品は・・・・』と、読んでもいない作品を語る事も容易であり、そんな事をする人も多いと思う。

しかしながら、そんな古典的で内容すら知っているような作品を、真摯な態度で作品にきちんと向かい合って読むことは、彼に言われるまでもなく、本当に偉い事だと思う。
そして、読んでもいない古典的な作品を知ったかぶりして語るのは愚の骨頂と言わざるを得ない。

最初に「夏への扉」を読んだ頃、わたしは「夏への扉」はハインラインの作品でありながら、ブラッドベリのようなファンタジックな作品だと想像していた。
おそらく、中西信行の装画とタイトルからのインスピレーションがそうさせていたのだと思う。

先日、多分20年ぶり位に再読して思ったのは、なんだか「タイタンの妖女」に似ているな、と言うこと。

『「タイタンの妖女」をめぐる冒険』
http://29346.diarynote.jp/200904071745002050/

両作品の主人公の翻弄されっぷりが非常に顕著で、ラストでカチっと最後の1ピースがはまる感じが似ていると思ったのだ。

そして思ったのは、「夏への扉」は手塚治虫の「アトム今昔物語」とか「W3」に影響を与えているのではないか、と思った。
時系列的なところは検証していないので、定かではないが・・・・。

日テレプラザのイベント『映画「アリス・イン・ワンダーランド」の世界展』に行って来た。

1月9日に行った際、待ち時間が220分だったのであきらめ、1月11日の午前中早めに会場入りしたが、待ち時間は330分と表示されていた。
しかしながら、実際のところは、160分待ちで会場に入り、30分後には、元の世界に帰還した。

行列のほとんどは女性でおそらくジョニー・デップ目当てで会場にきていたと思うのだが、多分そういった人たちにとって、待ち時間に比較して決して稔の多いイベントではなかったのではないかと思う。

しかしながら、ティム・バートンが好きな人たちや、映画のプロップ等が好きな人たちにとっては、貴重なイベントだったと思う。

実際に、会場から外に出た人たちからは失望の声が多数もれていた。

イベントのコンセプトや実態をきちんとプロモーションして、本当に見たい人たちだけにアナウンスする手法が望まれるのではないかと思った。

ジョニー・デップには引っ込んでいてもらって、ティム・バートンで客を呼んで欲しかった、というところである。
「入ってる? ビリヤード犬編」/UQ WiMAX
UQ WiMAXのCF(CM)「入ってる? ビリヤード犬編」を見ていただきたい。

http://www.uqwimax.jp/g_gallery/

手玉を最初に9番に当てているのでファウルだ。

まあ、それだけです。

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