わたしは2004年4月頃から、本格的に試写会を利用するようになった。しかし、それまでのわたしは、毎日毎日試写会に赴き、試写会場から会場へと渡歩く試写会常連の人々を批判的な目で見ていた。

「金も払わないで映画ばかり観やがって、何様のつもりだ!」
「お前ら、もっと映画業界に貢献しろ!」

そのわたしの批判的思想の根底には、映画はお金を払って観るものだ、そして、お金を払ってはじめて映画の批評ができるのだ、という考えと、試写会とは一般大衆の口コミを利用した配給会社の戦略的プロモーションであるから、試写会で映画を観た以上、プロモーションに協力しなければならない、つまり映画の内容や質はともかく、試写会でただで映画を観た以上、映画を褒めなければならない、という考えがあったからかも知れない。

そう、わたしはどこかの映画評論家のように、配給会社に迎合し、つまらない映画を褒めまくる行為が嫌だったのかも知れない。

前置きが長くなったが、本編のはじまりなのだ。

=+=+=+=+=+=+=

「映画への異常な愛情 または私は如何にしてお金を払うのをやめて試写会を愛するようになったか」
 
これは、映画マスターを目指す一人の若者が、試写会常連という暗黒面に堕ちて行く物語である。(嘘)
 
遠い昔、遥か彼方の銀河系で・・・・(勿論嘘)
 
=+=+=+=+=+=+=

■映画は劇場で観るものなのだ

「DVD全盛の時代に、何言ってんだよ!ボケ!」
「うちの近所じゃ、話題作しか演らねえんだよ!タコ!」

映画は劇場で観るものなのだ、という考えは、DVD全盛の時代である現代においては時代錯誤的な考えかもしれないし、大小さまざまな劇場がひしめきあう都会に住んでいる人のエゴかも知れない。
しかし、「映画は劇場で観るものであって、テレビのブラウン管や液晶・プラズマパネル越しに見る映画みたいな奴は、映画に似てるけど、決して映画ではない」とわたしは思うのだ。

勿論「映画」はメディアの名称であるから、テレビで見る奴は定義からして映画ではないのだ。

えいが[映画]
一秒間一六または二四コマの速度で連続的に撮影されたフィルムを、映写機によって投影し、一連の物語や映像などを写し出すもの。一九世紀末に発明されて以来、トーキー・カラー・ワイド・立体などその表現技術はめざましく発展した。活動写真。キネマ。シネマ。ムービー。(三省堂「大辞林」より)

ここで当然ながらこんな疑問が湧いてくる、
「DLP上映等、デジタル上映作品は映画ではないのか?」
「ビデオ撮影・フィルム上映作品は映画ではないのか?」
と。しかし、この疑問については、また別の機会にお話しする事にする。

とにかく、「映画」というのはメディアの名前なんだから、テレビで放映されている奴は「映画」ではなく「テレビ番組」、ビデオやDVDビデオに収録されている奴は「映画」ではなく「ビデオ・プログラム」、「DVDビデオ・プログラム」なのだ。

従って、「映画」という奴は「劇場」で上映される奴のことなのだ。
よって、「映画は劇場で観るものなのだ」と言う考えには、合点していただけたでしょうか。
 
 
■金を払ってはじめて映画の批評ができるのだ

至極当然のことである。
消費者はその正当な対価を払う事により、「映画」というサービスを享受し、そのサービスに対する評価を下す事ができる訳である。

従って、彼氏におごってもらった映画の悪口を言ってはいけないのだ。

「おごってもらったくせに『つまんない映画』とか『ごはんまずー』とか言うな!」
と言うことなのだ。

つまり映画を批評するつもりなら、最初から金を払え、ということなのだ。
金を払ってはじめて、映画を批評する正当な権利が生まれるのである。
 
=+=+=+=+=+=+=

さあ、堕ちるぞ堕ちるぞ、暗黒面に堕ちるぞ。
次回、乞ご期待かも。

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今後のエヒソード予定

■試写会からの魔の手
■試写会人生のはじまりなのだ
■わたしはネタバレを憎むのだ
■少しでも早く観たいのだ

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「芸術の秋」のせいなのかどうかは知りませんが、日本では秋になると多くの「映画祭」が開催されます。わたしもご多分に漏れずいくつかの「映画祭」に参加している訳ですが、今日はそんな「映画祭」のわたしなりの楽しみ方をご紹介したいと思います。(※1)

1.「特別招待作品」の楽しみ方

「特別招待作品」とは多くの場合、既に配給会社や公開時期が決定した作品を、多くのゲストを招いていち早く上映するもので、一般の観客の注目度も高く、壮絶なチケット争奪戦が繰り広げられる企画上映です。

今年の「特別招待作品」の目玉は、何と言っても「誰にでも秘密がある」(「東京国際映画祭」/ゲスト:イ・ビョンホン、チェ・ジウ、チャン・ヒョンス)でしょう。
生イ・ビョンホンに会う(見る)がために、チケット発売日当日、発売開始30秒(噂)でチケットが完売。その後オークションに出品された1枚1,500円のチケットは、なんと30万円にもなったそうです。

実際「特別招待作品」の多くは、既に配給会社や公開時期が決定しているので、少し(数日〜数ヶ月)待てば、そんなに無理しなくても劇場で普通に観ることが出来るのですが、封切まで待てないような早く観たいファンには勿論オススメですし、スタッフやキャスト等、豪華な舞台挨拶も楽しみな企画だと言えます。
普段お目にかかれない、海外のスタアを間直に見る機会だと思いますし、上手く行けば、握手したり、サインなんかも貰えちゃうかも知れません。

わたしもご多分に漏れず、少しでも早く観たい作品や、普段なかなか来日しない監督やキャスト目当てでチケットを押さえる事があります。残念ながらチケット争奪戦に破れたような場合、どうしても行きたいような作品の場合は、勿論オークションも利用します。個人的には、どうでも良い内容の映画のゲスト目当てで、オークションで7,000円程出した事があります。莫迦ですね。
 
 
2.「コンペティション」の楽しみ方

日本の監督や映画が海外で「なんとか賞」を貰ったとかどうとかマスコミが騒いでいるのは、多くの場合「映画祭」の「コンペティション」(所謂「コンペ部門」)です。

「コンペティション」の楽しみは何と言っても、「作品との出会い」だと思います。名前も聞いた事がないような監督の作品を観て、それが「当たり」だった時、「コンペティション」を通じて「新たな才能の発掘」に立ち会える喜びは、本当に例えようがありません。
新しい才能、埋もれている名作との出会いに満ちた「コンペティション」は「映画祭」の華なのです。
とは言っても、最近は、本来ならば「特別招待作品」で上映した方が良いんじゃねえの、と思えるような作品が「コンペティション」に出品されてしまうのも事実です。今後の作品選択に課題を感じてしまう昨今です。

そして、「コンペティション」作品は、配給会社や国内での公開が決まっていない場合も多く、その作品は「コンペティション」会場でしか観られない場合もありますし、また、所謂「当たり」の作品が「映画祭」後しばらく経ってから公開されたり、「映画祭」当時は新人だった監督が何年か経ってメジャーになり「特別招待作品」を引っ提げてその「映画祭」に凱旋する様を見ると感慨も一入です。「コンペティション」の観客が彼等のような映像作家を育てているのですね。

また「コンペティション」作品の上映後には、スタッフやキャストを迎えたティーチ・インが行われる事も多く、一般の舞台挨拶のような作品の表層だけではなく、作品の内面や設定、裏情報に触れる質疑応答や監督の語りも楽しめます。

更に「国際映画祭」の「コンペティション」で名を挙げようとする貪欲な監督も比較的多く、ファン・サービスに徹した彼等は、会場の隅や廊下、エントランス等で即席サイン会や即席ティーチ・インを開いたりします。
監督と映画について直接話せる、と言う信じられない程の経験も場合によっては体験できる訳です。

3.「企画上映」の楽しみ方

「企画上映」とは、例えばある映像作家の作品やある俳優の出演作品をフィーチャーした特集上映のような企画や、「東京国際映画祭」の「アジアの風」のような、特有のテーマやコンセプトに沿った作品をまとめて上映するような企画です。

映像作家や俳優の旧作をまとめて観る機会が得られる素晴らしい企画であり、例えば「アジアの風」では、新進気鋭のアジアの映像作家の最新作を楽しむ事も出来ます。

「企画上映」についてもゲストによる舞台挨拶やティーチ・インが行われる事が多く、作品の内面を深く理解する一助となります。

個人的にわたしは、最近のアジア映画に関心があるので「アジアの風」的な「企画上映」が大好きで、アジアの映画を観ることを心がけています。

また「コンペティション」同様、即席サイン会や即席ティーチ・インが行われる事も多く、アジアの監督とお互いに片言の英語で、作品について語り合う、と言うある種貴重な体験が楽しめる事もあります。
 
 
4.スケジュール調整

しがない会社員の身としては、「映画祭」の会期中会社を休んで会場に入り浸る、と言う訳にも行きませんので、自分のスケジュールと上映スケジュールを基に、どの作品を観ようか考えるのですが、これがめちゃくちゃ楽しいのです。

この作品は是非観たいが平日の昼間にしか上映しない。じゃ会社を休むか。どうせ休むならこっちの作品も観たいし・・・・。
どっちみちその作品のチケットが取れるかどうかわからず、正に捕らぬ狸のなんとやら、なのですが、これもひとつの「映画祭」の楽しみだと思います。

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来年こそは「東京国際映画祭」の期間に長期休暇を取得したいと思ってしまう、わたしはダメな人間です。

また今週末からは「東京フィルメックス」が始まってしまうし・・・・。

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※1
わたしが2004年に参加した(する)「映画祭」は、
「東京国際ファンタスティック映画祭」(2004/10/14-17)
「東京国際映画祭」(2004/10/23-31)
「東京フィルメックス」(2004/11/20-28)
です。本文は上記「映画祭」の特徴を元にしており、他の「映画祭」の特徴と合致しない場合があります。
2004年、「シュレック2」が世界中で記録的なヒットを続けている。同作は「ファインディング・ニモ」を抜き、北米アニメ史上第一位の興収を記録、全映画のカテゴリーでも北米興収歴代第三位を記録している。 
しかし、わたしは「シュレック2」の大ヒットの影響を真剣に憂慮している。なぜならわたしは「シュレック2」は大ヒットしてはいけない種類の映画だと考えているからである。
 
 
それでは「シュレック2」の最新の興収を見てみよう。

2004/11/10付 北米歴代興収ベストテン
第一位「タイタニック」$600,779,824
第二位「スター・ウォーズ」$460,935,665
第三位「シュレック2」$436,471,036
第四位「E.T.」$434,949,459
第五位「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」$431,065,444
第六位「スパイダーマン」$403,706,375
第七位「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」$377,019,252
第八位「スパイダーマン2」$373,247,668
第九位「パッション」$370,270,943
第十位「ジュラシック・パーク」$356,784,000
 
2004/11/10付 全世界歴代興収ベストテン
第一位「タイタニック」$1,835,300,000
第二位「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」$1,129,219,252
第三位「ハリー・ポッターと賢者の石」$968,600,000
第四位「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」$922,379,000
第五位「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」$921,600,000
第六位「ジュラシック・パーク」$919,700,000
第七位「ハリー・ポッターと秘密の部屋」$866,300,000
第八位「ファインディング・ニモ」$865,000,000
第九位「ロード・オブ・ザ・リング」$860,700,000
第十位「シュレック2」$849,571,036
 
 
1.「シュレック2」はオリジナル作品ではない。

先ず考えなければならないのは「シュレック2」という作品は、オリジナル作品ではなく、様々な童話や名画の有名なシークエンスを模倣する事を目的としたパロディ映画である。と言うことである。

勿論、所謂パロディ映画がヒットすること自体は全く問題ではない。寧ろ「シュレック2」のヒットは、従来日陰の存在であったパロディ映画というジャンルに新たな光を当てるという重要な意味を持っている、とも言える。

しかし、だ、モノには限度と言うものがある。
パロディ作品がネタにしているオリジナル作品以上にヒットするのは、いかがなものか、とわたしは思うのだ。

勿論「シュレック」シリーズには、「みにくいシュレック」と言うれっきとした原作絵本があるし、「シュレック」シリーズの基本プロット自体はオリジナルなのだが、「シュレック2」は、そのオリジナルなプロットを描く事より、多くの映画や童話のシーンを模倣する事に力を入れ、それを作品の特徴的コンセプトとしているのだ。

例えば「新サイコ」が「サイコ」や「鳥」以上のヒットを飛ばし、「スペースボール」が「スター・ウォーズ」を打ち負かし、「ホット・ショット」が「トップガン」を抜き、「ローデッド・ウェポン1」が「リーサル・ウェポン」や「ダーティ・ハリー」をぶち抜き、「カジノ・ロワイヤル」が本家「007」シリーズを凌駕しても良いのだろうか。
わたしは嫌だ。

わたしは、今まで日陰の存在で、2本立興行の2本目であったり、場末の劇場で細々と恥しげに公開されていたり、マニアックな映画ファンが人知れずニヤニヤと楽しんでいたパロディ映画が、白日の下堂々と公開され、一般の観客にも圧倒的に支持され、しかも興収第一位を更新し続けるのは、問題ではないか、と考えるのだ。

わたしはオリジナル作品がヒットするのを見たいのだ!

ハリウッドにおいてもリスクがあるオリジナル企画ではなく、二匹目の泥鰌を狙う続編やリメイク企画が頻発している。
ハリウッド・メジャー作品がオリジナル企画ではなく、ヒットし易い安易な企画ばかりになってしまう事をわたしは真剣に憂慮している。

これは日本映画界にも言えるのだ。テレビ番組の延長的な作品が次々とヒットしてしまう事にも憂慮してしまう。
リスキーだろうが、稚拙だろうがなんだろうが、スピリッツ溢れる素晴らしいオリジナル作品をわたしは観たいのだ!
 
 
2.「シュレック2」は私怨を具現化した作品である。

映画とその映画を取り巻く環境は別物である。
出演者がアルコール依存症だろうと犯罪者だろうと、製作者が思想的に偏っていようと、観客が俎上に乗せるのは映画そのものである。背景や環境がどうだろうと、映画の評価は変わってはならない。

しかし「シュレック2」を考える場合、マイケル・アイズナーとジェフリー・カッツェンバーグの関係がムクムクと頭を擡げてくる。

1980年台後半までジリ貧だったディズニー・アニメの凋落を救ったのは誰あろうカッツェンバーグだったのだ。
カッツェンバーグは「リトル・マーメイド(89)」「美女と野獣(91)」「アラジン(92)」「ライオン・キング(94)」と立て続けにヒットを飛ばし、ディズニー・アニメを救い、ディズニーの一時代を築いたのだ。
しかし現ディズニー会長アイズナーにクビにされてしまう。

転んでも只では起きないカッツェンバーグは、各メディアからのオファーを一蹴し、スティーヴン・スピルバーグとデビッド・ゲフィンに声をかけドリームワークスSKG(因みにSKGとは、スピルバーグ、カッツェンバーグ、ゲフィンのイニシャルである)を設立した。ドリームワークスSKGでは、実写部門はスピルバーグ、音楽部門はゲフィン、アニメ部門はカッツェンバーグが指揮を執っているのだ。

以来、ドリームワークスSKGのアニメ部門の責任者カッツェンバーグはディズニー打倒を目指しており、尽く反ディズニー的政策を取っているのだ。
そんなカッツェンバーグの指揮の下、「シュレック2」では、ディズニーをイメージさせるキャラクターをトコトンこけにし迫害しているのだ。

別に作品の裏の目的や製作者の意向が作品の表面に見え隠れするのは構わない。

しかし、だ、子供が楽しみにするような作品の根底に、怨みつらみが見え隠れして良いのだろうか。
そして、そんな作品がヒットして良いのだろうか。
そんな作品を見て子供たちが育って良いのだろうか。
わたしは嫌だ!

わたしは、夢と希望が溢れるディズニーのクラシック作品で子供たちが育って欲しいのだ!
 
 
そんな中、「シュレック2」の北米版DVDが「Mr.インクレディブル」北米公開日にあわせて2004/11/05に、国内版DVDは、Mr.インクレディブル」日本公開直前の2004/11/19にリリースされる。
因みに「シュレック」の北米版DVDは、「モンスターズ・インク」の北米公開日にリリースされた。

ご承知の通り、「Mr.インクレディブル」「モンスターズ・インク」はディズニー配給/ピクサー製作作品である。

=+=+=+=+=+=+=
少なくても「シュレック2」が「ファインディング・ニモ」の興収を抜くのはマズイと思うぞ。

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2000年1月頃の話だったと記憶しているが、2000年3月末で「2001年宇宙の旅」のMGM(Metro-Goldwyn-Mayer)における権利が切れ、4月1日からはワーナー・ブラザース映画(Warner Bros.)が同作品の権利を継承する、という情報に接し、多くのスタンリー・キューブリック ファンや「2001年宇宙の旅」ファンが、眠れない夜をおくっていた。

と言うのも、わたし達は「2001年宇宙の旅」冒頭のMGMのクレジット(ロゴ)がどうなるのかを心配していたのである。

※クレジット
わたしは寡聞にして正式な名称は知らないのだが、映画の冒頭に挿入される「配給会社」や「製作会社」のタイトル・カードの事を、ここでは単にクレジットと仮称することにする。 

MGMのクレジットは皆さんご存知のように「オメガ(Ω)の文字のような形のリボン越しにライオンが吼える」ものだが、「2001年宇宙の旅」に挿入されているMGMのクレジットは、「吼えるライオンを極端に図案化したロゴマーク状のもの」なのだ。

※余談だが、MGM作品「トム&ジェリー(短編)」のオープニングで、トム(TOM)が「O」から顔を出してニャーニャー啼いているのは、MGMのクレジットへのセルフ・オマージュである。

その「2001年宇宙の旅」の冒頭に挿入されている、芸術的とも言える、その美しいMGMのロゴマーマが、権利がMGMからワーナーに移ることにより、もしかしたら外されてしまうのではないか、と、わたし達は心配していたのだ。

しかし、わたし達の心配は杞憂に過ぎなかった。

わたしの記憶によると、東京では2000年の秋と大晦日に2度「渋谷パンテオン」でワーナー配給版「2001年宇宙の旅」が企画上映されたが、MGMのロゴマークは健在で、そのバージョンでは、G指定の表記や、前奏、休憩、後奏付きの完全な上映(勿論シネラマではないが)であった。

そして、現在観る事が出来る「2001年宇宙の旅<新世紀特別版>」のプリントには、配給会社ワーナーのクレジットがついたものの、MGMのロゴマークは従来どおり、本編の冒頭に鎮座ましましているのだ。

偉いぞ!ワーナー!!
ぼくらはそんなワーナーが大好きだ!!
 
 
ところで、最近わたしは(旧)角川春樹事務所が制作した、ある角川映画をCATVで観る機会があった。

驚いた事に、その作品の冒頭には配給会社や製作会社のクレジットが一切表示されていなかったのである。
つまり、その作品はいきなり本編から始まっていたのである。

おいおい、手塚治虫の「火の鳥」に似た、角川春樹事務所の「鳳凰」はどこまで飛んで行っちまったんだよ!

案の定わたしは激怒した。

わたしは最近続々とリリースされている角川映画のDVDのクレジットがどうなっているのかは知らない。
しかし、全ての角川映画作品から角川春樹事務所のクレジットが抹消されているのだとしたら、これは大問題である。
 
 
角川春樹が何をしたとか、角川書店の社長を解任されたとか、角川春樹と上手くいっていないとか、そんな事は関係ない。

おまえたちがやっている事は、映画への冒涜であり改竄であり、芸術作品の破壊そのものなのだ。

ちょっと質問コーナーだか、お前たちは、

レオナルド・ダ・ヴィンチが犯罪者だったからといって「モナリザ」を切り刻むことができるのか?

ベートーヴェンが役員を解任させられたからといって『交響曲第五番「運命」』の最初のあのモチーフを割愛することができるのか?

ミケランジェロと上手くいかないからといって「ダビデ像」を破壊することができるのか?
 
おまえたちのやっていることは、そういうことなのだ。
 
  
映画というものは、だ、配給会社や製作会社のクレジットを含めてはじめて映画であり、決して本編だけが映画ではないのだ。

例えば、だ、

20世紀FOXのファンファーレが無い「スター・ウォーズ」など最早「スター・ウォーズ」ではないのだ。
コロムビア映画のクレジットがなければ「チャーリーズ・エンジェル」のジェット機は一体どこを飛べば良いのだ。
「シザーハンズ」の20世紀FOXのクレジットがなかったら、一体オレはどこで泣けば良いんだよ。
 
 
確かに、弱小販売会社から出ている国内版DVDには、配給会社や製作会社のクレジットが削除され本編からスタートしている作品はある。

しかしだ。
日本映画界の一時代を築き、現在の日本映画の基盤を作った角川春樹事務所の功績をなかったことにするとは何事だ!
大人の事情があることはわかるが、それにしてもやっていることが酷すぎる。

先人が成し遂げた偉業をなかった事にするとは、同じ映画人として恥ずかしくないのか?

しかもだ。
東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーを務めている人物が、それをやっている企業のトップに就任しているとは、一体どういうことなのだ!

一映画ファンとして、悲しくて悲しくて涙が出ちゃうぜ!

=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
きたないことばをつかってごめんなさい。

もしかしたら「鳳凰」は角川書店のクレジットだったかも知れません。

現在発売中の角川映画のDVDの冒頭の制作会社・配給会社のクレジットの有無の情報等をお教えいただければ幸いです。
 
 
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小松沢陽一と言う名の男がいる。
「泣きの小松沢」と呼ばれた「東京国際ファンタスティック映画祭」を創設したプロデューサーである。
 
 
1950年 小松沢陽一は岩手県一関市の映画館の息子として生まれる。そんな彼の部屋にある小窓を開けると、そこは夢と希望が生まれる場所、映画館だった訳だ。映画館でかかる映画全てを見尽くした彼は1971年、単身フランスへ渡り、留学先のパリ第7大学で「パリ日本映画クラブ」を主宰する。彼は大学在学中の4年間で、約300本の日本映画をフランスに紹介した。その活動の中、彼はフランス映画人と知り合い、後年の映画祭プロデューサーとしての活動の先鞭を付ける事になる。

その後しばらくの間は、キネマ旬報社の特派員としてフランスで活動。ルネ・クレマン、ジャック・ドゥミ等、多数のフランス映画人と親交を結び、 取材に出かけた「アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭」の魅力に取りつかれ、1985年「東京国際ファンタスティック映画祭」を創設することになる。
その映画祭は、本年記念すべき20周年を迎えた。

1987年には「サンダンス映画祭 in TOKYO」を手がけ、1990年からは「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のプロデューサーに就任する。

また、1995年には韓国の「富川国際ファンタスティック映画祭」の創設にアドバイザーとして協力した。
 
 
「東京国際ファンタスティック映画祭」と言えば、もちろん世界中から新しい映画の流れを日本をはじめとして世界に発信する映画祭であり、若く才能豊かな映像作家を発掘する映画祭であった。

そして、ホラーやスプラッタが市民権を得たのも、香港ノワールや初期のワイヤー・アクション、マサラ・ムービーや韓国映画、そしてタイ映画を日本を通じて世界に紹介したのも「東京ファンタ」なのである。

そして、ピーター・ジャクソンにしろ、ジョージ・A・ロメロにしろダリオ・アルジェントにしろ、ジョン・カーペンターにしろ、ツイ・ハークにしろ、デビッド・クローネンバーグにしろ、ブライアン・デ・パルマにしろ、サム・ライミにしろ、アレハンドロ・ホドロフスキーにしろ、ロイド・カウフマンにしろ、トビー・フーパーにしろ、雨宮慶太にしろ、スチュアート・ゴードンにしろ彼等の新作は今はなき「渋谷パンテオン」の大スクリーンを経て来たのだ。

そして「東京ファンタ」と言えば、二人の愛すべき映画莫迦、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」を立ち上げた故中田鉄治前夕張市長であり、「泣きの小松沢」こと小松沢陽一なのである。
 
 
そんな愛すべき映画莫迦小松沢陽一は「東京ファンタ」のオープニングにしろクロージングにしろ、スピーチの度に感極まって泣く事がいつしか定番になっていた。

そして小松沢が泣くその姿は「東京ファンタ」ファンの中では有名で、オープニングのステージ上に綺羅星のように並ぶ世界中の映画人を前にして行われる「東京ファンタ」プロデューサー小松沢陽一の開会宣言のスピーチが始まるや否や「泣け〜!」と言う野次が客席各方面から飛ぶ訳だ。
 
 
そんな「泣きの小松沢」こと小松沢陽一が涙を見せる理由は明白である。
映画への限りない愛がそうさせるのである。

「東京国際ファンタスティック映画祭」が開催できることに、儲かりもしない映画祭に多くのスポンサーがついてくれたことに、「渋谷パンテオン」が映画祭の会場として借りられたことに、チケットを奪い合うように買ってくれる「東京ファンタ」ファンがいることに、世界中から「東京ファンタ」ファンが会場に駆けつけてくれたことに、ギャラも出ないような映画祭に手弁当で世界中の映画人が駆けつけてくれることに、世界中から素晴らしい作品たちが「東京ファンタ」に出品してもらえることに、そしてそんな素晴らしい作品たちが「渋谷パンテオン」の大スクリーンを跳ね回ることに・・・・。

ぼくらはそんな「泣きの小松沢」の姿を見るのが好きだった。
ひとりの愛すべき映画莫迦の、全ての映画に対する限りない愛が具現化された涙を見るのが好きだった。
ぼくらは彼の涙を通じて、世界中の全ての映画を愛していたのである。
 
 
そして、今年の「東京ファンタ」のステージ上でもかつての「東京ファンタ」を髣髴とさせる瞬間が何度かあった。

例えばそれは、「鉄人28号」の視覚効果を担当した松本肇が語るジョン・カーペンターの「ゴースト・ハンターズ」の思い出であったり、「東京ファンタ」のスクリーンに自作が上映されることを夢見ていたタイの映画監督モントン・アラヤンクンのスピーチであったり、それらのスピーチに触れ、かつての「東京ファンタ」の熱い心が蘇り、思わず絶句してしまう現プログラミング・ディレクター大場渉太であった訳だ。

かつての「東京ファンタ」は熱く、単純で、泣き虫な映画祭だった。
ゲストも観客もスタッフも、スクリーン上で繰り広げられる出来事に、登場人物の一挙手一頭足に反応し、笑い、泣き、そして怒ったのだ。

素晴らしいカットやセリフ、素晴らしい動きや特撮、そして音楽、そんなものがスクリーンに投影されるやいなや、素直に、当たり前のように、笑いが、怒りが、涙が、そして拍手が巻き起こったのである。その瞬間、会場はひとつの生き物であるかのようだった。

現在の「東京ファンタ」では、なんだか拍手をすることが目的のような拍手が巻き起こっている。しかも拍手を受けるクレジットは会場に駆けつけ、舞台挨拶を行った人々だけになのである。

ぼくらは、素直に映画を愛するが故の拍手が発生するのが心地よく、幸せだった訳である。
 
 
2004年、20周年を迎えた「東京国際ファンタスティック映画祭」のステージには「泣きの小松沢」小松沢陽一の姿はなかった。
今年の「東京ファンタ」のクレジットにはこうある。

SPECIAL THANKS 小松沢陽一

と。

「東京ファンタ」を立ち上げ、育てあげてきた小松沢陽一に対して、SPECIAL THANKS とは、なんとも悲しいクレジットである。
 
 
ぼくらが愛した「東京ファンタ」はもうここにはない。
 
 
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
小松沢陽一の主な受賞歴
1989年、ローマ国際映画祭「特別栄誉賞」
1992年、アヴォリアッツ国際映画祭「20周年記念特別功労賞」
1995年、日本映画・テレビプロデューサー協会「エランドール特別賞」

※小松沢陽一がなぜ「東京ファンタ」のプロデューサーを退いたのかは、わたしは寡聞にして知らない。おそらく大人の事情があったのだろうと思うし、もしかしたら政治的な理由があったのかも知れない。その辺の事情についてご存知の方がいらしたら、ご連絡をいただければ幸いです。

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クリストファー・リーヴという名の俳優がいた。
 1952年に生まれた彼は、舞台俳優、TV俳優を経て、1978年「原子力潜水艦浮上せず」の端役で映画デビューすることになる。
 そして同年彼は「スーパーマン」のタイトル・ロールに大抜擢され、一夜にしてそのさわやかな笑顔と共にスターダムに登りつめ、世界中の恋人になった訳である。

 そして「スーパーマン」以降現代まで、ありとあらゆるアメコミ・ヒーローが映画化され、その映画化作品の数は、枚挙に暇がない。
 傑作もあり駄作もある、それらスーパー・ヒーローの映画化作品は、その時代のヒーロー像のイメージ通りの俳優がそれぞれスーパー・ヒーローを演じている。
 例えば「バットマン」であればマイケル・キートンが、「スパイダーマン」であればトビー・マグワイアが、と言う具合に、その時代のスーパー・ヒーローのイメージを様々な俳優たちが、その時代その時代の社会情勢にマッチしたヒーロー像を見事に具現化している。

 しかし、残念ながらクリストファー・リーヴの「スーパーマン」を超えるスーパー・ヒーロー像にわたし達は出会っていないのである。
 彼は「スーパーマン」を通じて、世界中の観客を愛し、世界中の観客に愛され、そして夢と正義と希望を象徴するキャラクター像を具現化し、何よりもわたし達を最大限満足させてくれる素晴らしいスーパー・ヒーローになったのである。

 そして彼は、「スーパーマン」という映画を通じて、勿論スーパーマンとなり、クラーク・ケントとなり、それと同時にクリストファー・リーヴと言う名のヒーロー像のイコンになったのである。
 
 
 そして、1995年の落馬事故である。
 彼はその落馬事故で脊髄を損傷し、首より下が不随となり、車椅子生活を余儀なくされてしまう。
 彼はそれ以来リハビリに努め、努力の人となり、脊髄損傷者たちのための財団を立ち上げ、ある意味脊髄損傷者たちのスポークスマンになったのである。
 そして彼は、彼特有の不屈の精神によりリハビリを続け、その努力の甲斐があり、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していたのである。
 当初は不可能とされていた回復を超人的な力で次々と成し遂げてきていたのである。

 そう、クリストファー・リーヴは、世界中の恋人であり、スーパー・ヒーローそのものであり、そして脊髄損傷者たちの治癒の希望の象徴になったのである。
 脊髄損傷者たちは、あなたがリハビリに努力し、超人的なスピードで回復していく様を、そして脊髄損傷者たちの代表としてスピーチする姿を見て、どんなに勇気づけられたであろうか。

 わたし達はスーパー・ヒーローを、そして希望の象徴を失ったのである。
 
 
 わたしの記憶の中で、あなたが最高に輝いている瞬間がある。
 「スーパーマン」シリーズのラストに、あなたがファン・サービスとして必ず挿入した映像である。

 地球の周りを飛ぶあなたはカメラ越しに世界中のわたし達観客に微笑みかけ、わたし達に手を振る。
 その笑顔は、映画の中のヒロインであるロイス・レーンに向けられたものではなく、映画の外、現実の世界に存在するわたし達観客に向けられていたのだ。

 その瞬間、わたし達はあなたを確実に愛していた。
 その笑顔を、夢と正義と希望を象徴する、あなたの爽やかな笑顔をわたし達は決して忘れない。

 映画俳優は観客の愛により永遠の命を得ると言う。
 もしそれが本当の事ならば、世界中に愛されたあなたは、永遠の命を得ていたはずなのだ。

 ぼく達は、あなたがもう一度立ち上がりスクリーンによみがえる事を信じていた。
 あなたに課せられた脊髄損傷は、スーパー・ヒーローの試練に過ぎない事を信じていた。
 ぼく達は、新たな世代のスーパーマンと対峙する、あの小憎らしいレックス・ルーサーを楽しげに演じるあなたの姿を夢見ていた。
 なんなら、ラストに立ち上がってくれれば、普段は車椅子に乗っているレックス・ルーサーでも構わない。
 ぼく達は、あなたのレックス・ルーサーが、いずれ見れると思っていた。

 あなたの死はわたし達にとってあまりにも突然で、とてつもなく大きい。
 映画ファンのエゴを承知で酷な事を言わせていただければ、あなたは死んではいけない人だったのだ。
 
 
 
C・リーブ氏死去 「スーパーマン」主演俳優

【ニューヨーク11日共同】
 人気映画「スーパーマン」に主演、落馬事故で首から下が不自由になった後は障害者の権利向上などに尽力していた米国の俳優クリストファー・リーブ氏が10日、心不全のためニューヨークの病院で死去した。52歳。AP通信が伝えた。
 身体のまひにともなう合併症が悪化し、9日にニューヨークの自宅で心臓発作を起こし、手当てを受けていた。
 1952年ニューヨーク生まれ。ジュリアード音楽院で学び、ロンドンに留学。78年「原子力潜水艦浮上せず」で映画に初出演した。同年の映画「スーパーマン」の主役クラーク・ケントに抜てきされ、大スターの仲間入りを果たした。「スーパーマン」は87年の第4作までシリーズ化された。
 95年5月、バージニア州で落馬して脊髄(せきずい)を傷めて首から下が不随となったが、病院や自宅で懸命にリハビリを続け、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していた。(共同通信)
 
 
 
 
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 私見だが、世界各国で目撃されている宇宙人の多くは、衣服(のようなもの)を着ていない事が多いような気がする。

 彼等宇宙人は既に恒星間旅行を実用化している訳であるから、恥とか外聞とか言う低次元な考えをとっくに超越した存在なのだろうか。
 それとも、もともと恥とか外聞とかいう低次元な観念を持たない文化を彼等は構築したのだろうか。
 
 
 ところで、現在よく目撃されている「グレイ」と呼ばれる宇宙人の目撃報告が増加したのは、1970年代末以降だそうである。
 この辺の話には諸説あるようだが、わたしは、初めて宇宙人をひとつの種として真面目に描いたスティーヴン・スピルバーグ監督作品「未知との遭遇」(1977)のラストに現在「グレイ」と呼ばれているような外見の宇宙人が登場したことに、何か因果関係があるのではないか、と思っている。

 「未知との遭遇」のラスト、シャンデリアのような美しいマザーシップから降りてくる宇宙人たちは、逆光でディテールが判然としないが、どうやら衣服(のようなもの)を着用していないように見えるのである。

 そして、現在世界各国で目撃されている宇宙人の多くは「未知との遭遇」で描かれた宇宙人と酷似した外見を持っており、なぜか衣服(のようなもの)を着用していないようなのだ。
 
 
 ところで、われわれ人類の視覚について考えてみよう。
 われわれ人類は、太陽光線下において、様々な物体に反射した光を見て、その物体の色や形を知ることが出来る訳である。
 例えば赤いリンゴは7色の太陽光線のうち赤い光線だけを反射しているから、赤い色のリンゴに見える訳なのだ。黄色いバナナが黄色く見えるのは、バナナの表面は黄色い光線を反射する性質を持っているからなのである。

 因みに赤外線盗撮も基本的にはこれと同じ原理なのだ。
 簡単に言うと、赤外線はある種の色や素材の衣類を透過しやすく、かつ体には反射しやすい性質を持っており、その性質を利用し、衣服を透過し体に反射した赤外線を、赤外線のみを捉える事が出来るカメラを利用して盗撮している訳なのだ。
 勿論レントゲンも基本的には同じ原理である。
 人類の目は残念ながら赤外線や放射線を捉える事はできないが、仮に捉える事が出来る人類がいたとしたら、毎日が楽しくて仕方が無いかもしれない。尤も、炎天下の中には眩しくて出歩けないかもしれないが・・・・。

 さて、本題に戻ろう。
 賢明な読者諸氏におかれては、わたしが言いたい事は既におわかりのことと思う。

 そう、わたしの仮説はこうである。
 「宇宙人は決して裸なのではなく、われわれ人類には見えない素材の衣服を着ているのではないか」

 つまり地球上に存在する様々な光線を完全に透過してしまう種類の物質で作られた衣服(のようなもの)を宇宙人は着用しているのではないだろうか。
 われわれ人類にとって、全ての可視光線を透過してしまう衣服(のようなもの)は、完全に透明な衣服(のようなもの)としてわれわれに認知されてしまう訳である。

 そして、奴等は、われわれ人類がやつらの衣類を透過して裸を見る能力を持っている事を知らないのだ。
 奴等はなんて恥ずかしい種なのだろうか。
 夢は最高の映像体験なのだ。
 もし、自分の好きな夢を自由自在に見ることが出来るとしたら、人生の三分の一は文字通り薔薇色なのだ。

 それでは、そんな「好きな夢を見るひみつどうぐ/ドリーム・メイカー(仮称)」を身の回りのもので作ってみましょう。
 
 
 いきなり余談だが、わたしの夢は凄まじい程のリアリティを持っている。
 勿論わたしの夢は「カラー」で「音」や「匂い」もあるし、「感触」まで完璧に再現されているのだ。

 先日もこんな夢を見た。

 わたしは金縛り状態で目が覚めた。
(これは、寝ている状態で、目が覚める夢を見ている、ということ)
 目を開けると、長い髪をした美しい女性がわたしの身体の上に乗っている。
 彼女の重量感は勿論、彼女の髪の先端がわたしの肌に触れる感触は、身震いする程素晴らしいリアリティを持っていた。

 どうやら彼女はわたしを連れてどこかに行きたいようである。
 彼女はわたしの手を引きながら、わたしの寝室の宙に浮かびはじめた。
 わたしは彼女に抵抗しつつ、彼女が行こうとしている方向を見やる。
 彼女の向こう側、丁度わたしの寝室の壁あたりには、トンネル状の通路のようなモノがあり、そこからは明るい光が差し込んでいる。

 彼女に引かれたまま、あのトンネル状のモノを通過してしまうと、幽体離脱してしまうかも知れないし、どこかあちら側に行ってしまうかも知れない。
 戻れなくなったら困るな、と思ったわたしは・・・・(以下略)
 
 
 さて、本題だが、夢のメカニズムを考えて見よう。

 睡眠は、約90分毎に繰り返されるレム睡眠とノンレム睡眠から成り立っています。
 夢を見るのはレム睡眠の時で、その夢の多くは外部からの刺激に対応しています。
 例えば、電話が鳴っている夢は、目覚まし時計の音の刺激によって、崖から落ちる夢は、ベッドから落ちる衝撃の刺激によって、脳内で瞬時に構築されている訳です。
 
レム睡眠とノンレム睡眠
http://allabout.co.jp/health/sleep/closeup/CU20030822/index3.htm

 だとすると、90分周期で繰り返されるレム睡眠とノンレム睡眠の周期のうち、レム睡眠のタイミングに適当な刺激を外部から与える事が出来れば、もしかしたら自分の好きな夢が見られるのではないでしょうか。
 
 
■「好きな夢を見るひみつどうぐ/ドリーム・メイカー(仮称)」のつくり方■
(一人で寝ている人で、睡眠時間が6時間以内の人限定)

1.「好きな夢を見るひみつどうぐ」の材料(1人分)
 ビデオデッキ 1台
 (通電させて温めておく)
 120分ビデオテープ 1本
 (シュリンクを破りパッケージから出しておく)
 刺激的な音声素材 少々
 (睡眠を妨げない音声レベルのものを選択しておく)

2.「好きな夢を見るひみつどうぐ」のつくり方
 120分ビデオテープを3倍で使用し、刺激的な音声を90分間隔で、5分程度ずつ録音する。(※1)
 6時間(360分)のビデオテープに、90分毎に5分ずつの刺激的な音声が4回入ったビデオテープが出来上がります。
 これが「好きな夢を見るひみつどうぐ/ドリーム・メイカー(仮称)」です。
 
3.「好きな夢を見るひみつどうぐ」の使い方
 「好きな夢を見るひみつどうぐ」をビデオデッキにセットし、音声だけが聞こえるようにセッティングし、「好きな夢を見るひみつどうぐ」を再生したまま眠る。(※2)
 あ〜ら不思議、睡眠時間360分のうち、あなたは90分毎に、自分の見たい素敵な夢が見られる訳です。(※3)

※1 レム睡眠とノンレム睡眠の周期には個人差があります。ご自分の周期を把握する事を強くオススメします。

※2 ビデオデッキとテレビが直結されているような環境の場合は、なんらかの映像を録画してしまうと、その録画されている映像が90分毎に再生されてしまい、必然的に周りが明るくなり、目が覚めてしまう可能性があるので注意が必要です。
 出来ましたら、360分の間、映像も音声も入力せずに録画状態にしたビデオテープを1本用意し、そのビデオテープのタイムコードを利用し、90分毎に刺激的な音声のみを録音する事をオススメします。

※3 「好きな夢を見るひみつどうぐ」は、タイマーやパソコン等を利用すれば、6時間以上睡眠を取っている人にも応用が可能です。
 出来れば、最後のレム睡眠の周期に好きな夢を見た方が、記憶にも残るし、楽しいと思いますので、その辺は各自調整して、最後のレム睡眠に好きな夢が見られるようご活用ください。
 
 
 さあ、明日から、いや今晩からは、夜が楽しみで楽しみで仕方がないぞ!!

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銀座山野楽器池袋パルコ店がなんと2003年1月31日を持って閉店してしまうのである。
で、現在12月26日〜1月31日までの間、銀座山野楽器池袋パルコ店閉店セールが実施されるのだ!!

銀座山野楽器池袋パルコ店といえば、わたし的にはかれこれ15年位は通ったCD屋である。
CD屋といっても、CDは勿論のこと、かつてのLD、そして現在のDVDと一体いくら使ったかわからんくらい通いつめたわたし的にはとっても大切な店なのである。
そう言う感じで感慨も一入なのだ。

池袋パルコといえば、結構店の回転が速く、以前、わたしのお気に入りだった本屋の三省堂書店も6〜7年前に閉店、P’PARCOではアウトドアスポーツ用品店のSRCも閉店。
池袋つながりでは、旧文芸座も閉店(新文芸座はやってますよ。)と、なんだか通いつめた、会員カードを持ってる店がどんどん閉店という、憂き目にご対面なのである。

閉店といえば渋谷のパンテオンも閉店してしまうし、マリオンの11Fにあった日本劇場も、なんだか日劇1とかいう劇場になってしまったし、なんだか寂しい感じですわ。
そういえば、銀座の並木坐もなくなったしね。

しかしながら、山野楽器自体は閉店するわけではないので、ちと安心だが、わたしのテリトリーから山野楽器がなくなってしまうのは、やはり残念ですわね。

わたし的には、OLの皆さんがティファニーの水色の紙袋やなんかの紙袋を嬉々として持って歩くのと同じように、音符マークの山野楽器の紙袋を持って歩いているのだ。
三省堂のビニール袋も愛用しているぞ!!
映画のパンフ持ち帰りようにね。

頑張れ!山野楽器!!なのだ。

MSX

2002年12月24日 エッセイ/コラム
ご存知の方はご存知だと思うが、今、MSXが熱いのだ!

MSXとは1983年にパーソナル・コンピュータの世界統一規格として登場した8ビットコンピュータの規格である。
その後、MSX2、MSX2+、MSX turboR と規格自体も拡張され、進化しつづけていたのであるが、1991年のMSX規格パソコン「FS−A1GT」を最後に、MSXの新製品は市場に登場することはなかった。

そして、2002年コアなユーザー間で最早伝説となっていたMSX規格がWINDOWS上で、公式エミュレータであるMSXPLAYerとして復活したのだ!!!

わたしは最早軽く四半世紀生きている都合上、MSXパソコンをリアルタイムに体験しているのである。
当時わたしは、ギター・キッズ的のりでデモテープ作りを行なっていのだが、当時のパソコンは3和音しかだせなかった、しかし当時のMSX規格のパソコンはなんと8和音を奏でることが出来たのである。しかもFM音源で。

わたしは当時世界最高の安価なMIDIシーケンサーとして機能していたYAMAHAのMSXを購入、リズム・ボックス等周辺機器とFM音源を駆使し、様々な機械じかけのデモテープの制作を行なっていたのである。
当時のデモテープ作成は、ピンポンからマルチトラック・レコーダーがやっと一般の皆さんの手に届くところまでやってきていたのである。

従って、わたし達はDTMなどという言葉が生まれる前から、YAMAHAのMSXを購入し、既にDTMを行なっていたのだ!
凄いぞ、オレ達!!

まあ、自慢話はこの辺にして、今回のMSX公式エミュレータであるが、かつてMSXを強力に牽引していた「MSX MAGAZINE」がこの度復活し、その付録のCD−ROMに収録されているのだ!!

ここ、1〜2年、MSX関係の話題が多く、特に移動体通信のゲームにかつてのMSXゲームが移植されたりしていたわけだが、真打登場なのである。

現在その「永久保存版 MSX MAGAZINE」は絶賛発売中なのだ。
ご関心があるかたは、本屋へGOなのだよ。

早速MSXエミュケレータをゲットしたわたしは、なつかしのMSX三昧なのだ!!

AMAZON.co.jpの検索結果(リンクが折れ曲がっている場合は、全てコピーして貼ってください。)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756142109/qid=1040822281/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-5746160-8958718
夏休みや冬休みの時期になると、本屋の店先には自由研究用の「ペーパークラフト」が並ぶのを見たことがあるだろう。恐竜や機関車、スポーツカーに戦闘機、いろいろな「ペーパークラフト」が販売されるのだ。

「へ〜、こんなちっちゃな冊子でこんな凄いのが出来るんだ。」
そんな安易な気持ちで、この「ペーパークラフト」を購入してはいけない。

もし、あなたが自分のお子様のためにこの「ペーパークラフト」を買ってしまったとしたら、それは切りくずとのり、そして単調な作業の繰り返しの「ペーパークラフト」地獄への片道チケットを買ったも同然なのだ。
直線的なモデルならまだマシだが、曲線的なモデル、例えば恐竜やなんかを購入したとしたら・・・・。
恐ろしくて口にも出来ない惨劇がお宅のリビングに突然乱入なんだよ、諸君!!

しか〜し、最近は夏休みや冬休みなんかを待たなくても、素敵な「ペーパークラフト」を入手できるのだ。しかも無料で!!

例えば、
http://www.nissan.co.jp/EVENT/PAPERCRAFT/
ココでは、NISSANの33車種の自動車の「ペーパークラフト」が無料でダウンロードできるのだ。

で、最近知ったのが、ココ
http://www-6.ibm.com/jp/event/museum/
「しくみのへや」で、なんとIBM ThinkPadの「ペーパークラフト」が無料ダウンロードできるのだ!!
これは凄いぞ!
何しろ、パソコンのひみつまで入手できるのだ!
このモデルはノートパソコンのモデルなので、比較的直線的なモデルで、多分「ペーパークラフト」初心者の皆さんでも、きっと完成までたどり着けるに違いない!と思う。

さあ、今度の三連休は「ペーパークラフト」三昧だ!!

因みに、IBM コンピューター・ミュージアムの「しくみのへや」はjava版の方がカッコいいよ。
e-learningにもなってるしね。

Acrobat Reader
http://www.adobe.co.jp/products/acrobat/readstep.html
わたしの家には、サボテンの鉢がある。
昨年の秋、現在の住居に転居した際、友人から贈られたものである。

そのサボテンには「お手入れ方法」が明記された札が付いてきていた。砂漠に育つサボテンに対し「お手入れ方法」もないだろうと思ったのであるが、サボテンを栽培するのは、初めてということもあり、「お手入れ方法」に従うことにした。

「お手入れ方法」曰く、

お手入れ方法:日当たりの良い暖かい窓辺や室内に置いてください。夏の強光下は半日陰に置いてください。

水やり:春〜秋は用土の乾き具合に応じて1週間に1回与え、冬季の休眠中は月に1度用土をしめらせる程度与えてください。

ということなのである。

わたしはサボテンに対し、週に1度は欠かさず水をやり、天気の良い日は庭に鉢を出し、日光浴をさせていた。
そして夏の期間は家の中に置き、直射日光を避け、
冬の期間は勿論水やりを控え、暖かい室内に鉢を置いていた。

それから1年、友人から贈られた当時は、鉢を含めて身長65センチ程度だったのだが、うちのサボテンくんは、育ちに育ってなんと身長が90センチにも達してしまった。
最初は、なんとなくがっしりしていたサボテンくんの体躯は、今ではなんだかヒョロっとした感じに変貌してしまっているのだ。

わたしの友人の中には、サボテンを枯らしたことがある、という女性がいたのだが、うちのサボテンは、枯れるどころか、滅茶苦茶成長してしまっているのだ。

今は冬季期間と言うこともあり、あまり水をやらずに暖かくして育てている。
サボテンくんの現在の定位置は、ローボードの上、液晶テレビの左である。
どこまで育っていくのか、楽しみでもあり、怖くもありである。

なにしろサボテンには霊感がある、という話であるから・・・・。

マンガ「ブラック・ジャック」の「木の芽」というエピソードを思い出した。
現在、RPGと言えば、多くの皆さんは、ドラクエやFFのようなコンピュータ・ゲーム(ビデオ・ゲーム)のロープレを思い浮かべるだろう。
しかしながら、最高のRPGはなんと言ってもテーブルトークのロールプレイング・ゲームなのである。

テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームとはTRPGと呼ばれるゲームで、一言で簡単に言うとロール(役柄)をプレイする「ごっこ遊び」なのである。しかしながら、その「ごっこ遊び」も世界観を牽引し、プレイヤーの全ての要求に対処できる強力なゲーム・マスターが存在するならば、それは最強で、最も面白いゲームとなりうるのである。
なにしろ、そのゲームは無限の選択肢と無限の可能性を秘めているのだから・・・・。

そんなわたしは学生時代、テーブルトークのロープレをよくやっていた。当時は1回のゲーム・プレイに非常に多くの時間(数時間〜数十時間)を費やす事が一般的であったため、友人宅はわたしの自宅に泊り込み、1週間程度ぶっ続けでゲームを行なうこともしばしばであった。

ところで、当時のわたしは、年間100本程度映画を観、100冊程度本を読む生活をしていた関係上、オリジナルのシナリオを創りゲーム・マスターを行なうことが何度かあった。
ゲームの世界観を創出するのは、大変ではあるが、非常に楽しい作業でもあった。
百科事典や、神話の書籍、中世の紋章や武器の書籍、神話的普遍的な物語から、マザー・グース的な詩までを調べ、世界観を練り、世界観やシナリオを創ったのである。

そして、学生時代のロープレの常連は社会人となり、その一人はSEとなり、また一人は学習塾の経営者となり、また一人はゲーム業界に進んだ。

そのゲーム業界に進んだ友人の最初の大仕事は、とあるネットワーク上のゲームのメインのマスターの役柄であった。彼はゲームのコンセプト創りから、ゲームの概要、そして細かいシナリオ創りまでを、つまれり全てを担当していたのである。
わたしは、彼の要請でゲームのコンセプトの創出と、シナリオ概要に関する意見を提出し、ゲームと世界観、かつての神話的概要創りに協力した。
彼にとっては、学生時代のわたしのオリジナル・シナリオが非常に興味深かったようなのである。

彼は、そのゲームを感性後、ゲームからスピンアウトした小説を執筆し、また世界観をまとめた書籍のプロデュースを行なった。
しかしながら、彼はその後、ネットワーク・ゲーム会社を退職し、現在はフリーで所謂パソコン上のエロ・ゲームのライターをしている。
わたしは飛行機が好きである。
特にジェット戦闘機が好きなのである。
これはわたしが生まれた街に由来するのかも知れない。

わたしが生まれた街には民間の空港があり、そして航空自衛隊の基地があった。
わたし達は物心ついた頃から、既にジェット機が身近にある生活をしていたのである。

窓は防音のための二重窓が普通で、電波の干渉と騒音のためNHKの受信料が安い。
領空侵犯があれば、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル発進し、夜間の発進ではアフター・バーナーの炎が視認出来るのである。

年に一度の航空ショーでは、航空自衛隊のブルー・インパルスの展示飛行があり、ヘリコプターによる救難訓練演習やなんかが行なわれる。

わたしの記憶にある最も古いジェット戦闘機は、F−86Fセイバーだが、実際飛んでいるのは見た事が無いのではないかと思う。次に古いのはF−104スターファイターで、これはわたしが幼稚園時代に飛んでおり、友達の誕生日祝いのプレゼントに、銀メッキのスターファイターのプラモデルを贈った記憶がある。
その後はF−4EJファントム、そして現行のF−15Jイーグルである。

航空ショーになると、日本の航空自衛隊の飛行機以外にも、様々な飛行機の展示が行なわれる事がある。例えばF−16とか、A−10なんかも来たことがあったりする。

また、子供たちの間では、ジェット機の墜落現場と言われている、ジェット機の残骸が放置されているような空き地もあったりする。
余談だが、そこでF−104のエンジンの製造プレートを機体から剥がして持ってかえる途中自転車から落ちて、骨折したこともあったりする。

まあ、その辺の話をし始めると長くなるので、この辺でやめておくことにする。

さて、本題であるが、わたしは食玩コレクター的な趣味も持っている。
最近はまっているのは「チョコエッグ世界の戦闘機シリーズ」である。
会社の友人がはまっている。という話を聞いていたのであるが、以前のように海洋堂がやっているわけではないのだ、自分では多分買わないな、と思っていたのだが、ためしに買ってみると、出てきたのはF−4ファントムである。なんだか因縁めいているが、わたしの生まれた街で沢山飛んでいたジェット戦闘機である。フィギュア(?)の出来はまあ良い出来なので、最近毎日のように少しずつ購入してしまったている。困ったもんなのである。

ホントに困ったもんである。
マンガ「ヒカルの碁」の影響で、世の少年少女達に囲碁ブームが来て久しい。
ご多分に漏れず、わたしも「ヒカルの碁」の影響で今年の春頃、囲碁を始めました。
しかしながら、周りに囲碁をやっている友人もそれほど居ず、仕方が無いのでパソコンや、ゲーム機と打ったり、WEB上で対戦できるサイトで見ず知らずの人と「ネット碁」を打ったりしています。

そんな状況の中、わたしにとって新たな囲碁の形態である「メール碁」をはじめました。
まあ賢明な読者諸君は既にご推測されているかと思うが、ただ単に一手ずつ手をすすめてメールのやりとりで碁をする。というものです。

以前は遠く離れた人と葉書を使って囲碁や将棋の対戦をする事があったようだが、現在はネットのおかげで、そういった形態の囲碁も非常に容易でかつ安価に出来る事になった訳です。

この「メール碁」の特徴ですが、メールのやりとりで碁をやる訳ですから、戦局を見てゆっくりと考え、場合によっては手を試行錯誤しながら碁を打つ事が出来るのです。
ですから、ゆっくり打つことによって、おそらく最良の手と最良の手の戦いが実現する訳です。
ネットの接続環境によって左右されるが、1日数手しかすすまないこともありますが・・・・。

ご関心をお持ちの方は、是非やってみてはいかがでしょうか。
俗に、人類最良の友である犬は一宿一飯の恩義は忘れないと言いますよね。
一方、猫はそんなこちゃあ覚えちゃいない、というのが一般的な考え方ですよね。

さて、本題です。
わたしのうちにはとってもちいさな庭がありまして、何故だか知りませんが、庭の端っこの成長しきってしまった芝生付近が、とある野良猫の散歩道になってまして、まあ大体夕方くらいにその猫がやってくるわけです。
最近は寒いせいか、庭にたまたま置いてあるダンボールを風除けにしてぬくぬく暖まったりしながら寝たりしてます。因みに視線は窓の中です。
で、わたしが窓を開けるような気配でもたてようもんなら、うちの中に乱入する気まんまんで、目を輝かせ、わたしの動きを伺ったり、狙ったりしています。うちの窓は全開にするとオープン・カフェみたいな感じになるため、洗濯物を取り込んだりする際が、猫侵入の最大のピンチだったりします。

まあ、わたし的には別に餌付けをしている訳ではないのですが、ときどきケンタッキー・フライドチキンの食べ残しとか、秋刀魚の缶詰とか、餌をやったりしているのです。

そんな中、先日友人夫妻とその娘(12ケ月)が遊びにきまして、夕方になり例の野良猫がルートに登場、窓越しにわたしに餌をくれとなきながら訴えるのです。
これが面白いことに、完全にわたしの方を見て可愛げにアピールするのですよ、これが。野良猫をよくよく観察しても、他の人たちには一切アピールをしないのです。まあ贔屓目だろうと思う方もいらっしゃると思いますが、友人夫妻とお子様の一致した意見でわたしのみにアピールしている。という結論に達しました。

で、結論ですが、わたしが思うに、猫もやはり一宿一飯の恩義は忘れない。ということでした。
わたしはS市で学生時代を過ごした。

わたしが通っていた大学の正門の近くに「山海亭」という名の中華料理屋があった。その店は場所柄もあるのだろうが、昼夜を問わずその大学の学生たちで賑わっていた。

なんでもその店の親父は横浜中華街で子供の頃から修行を積んだらしく、腕は確かで、しかも食材も本場から取り寄せており、店構えの見かけによらず良い店だ。といううわさが、まことしやかに流れていた。
食通でもなく、金のない腹を空かせた学生が集まる店にしては、まあ本格的な店だ。という訳である。

わたしが大学に入学した頃、その店は5〜6席ほどの小さなカウンターしかない小さな店構えだったのだが、その店はわたしの在学中に2度ほど火事にあい、その度にテーブル席が出来たり奥に座敷が出来たりと、だんだん大きな店に成長していった。
学生たちの間では「これがホントの焼け太りだな」と陰口をたたかれていた。

当時のわたしの定番メニューは上海焼きそばだった。
その店の上海焼きそばは、皿の底に油が溜まるほど油っこい焼きそばなのだが、その油っこさを感じさせないものだった。味付けはオイスターソース系でごま油の風味が利いていた。味付けはそれほど濃くはなく、麺の味がたっていて、美味い麺を食べているのだと感じられる良い味だったと記憶している。
何をしてその料理が上海焼きそばなのかは知らないのだが、わたしにとっては「それ」が上海焼きそばであり、現在でもその味を探している自分がいるのである。

大学を卒業し都内の会社に就職したわたしは、それ以来「山海亭」を訪れてはいないが、就職のためそのS市に住み始めた何人かの友人に、「山海亭」という名の中華料理屋を紹介し、たまには食べてやってくれと頼んだりもしていた。

それから何年か経ったある晩、その友人の車で深夜のドライブに行った。
その友人とわたしは学生時代によく深夜徘徊をし、建築中のマンションやら、女子大やらに忍び込んだりしていたのだが、その延長のようなドライブになるはずだった。
そう、ばかをやって大騒ぎをする。そんなドライブのはずだったのだ。

その友人はちょうどわたしの大学の前を通りながら何気なくこう言った。
「お前に紹介されたあの中華料理屋なんて名前だったっけ、あれ半年くらい前に無くなったぜ。」
わたしには言葉が無かった。
そう、わたしの中で何かが確実に終わったのである。(了)

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