2011年4月30日を締め切りとした「原子力ポスターコンクール」の中止を要求する署名活動が行われている。 http://i-wind.jp/stop_nuke/index.php

この署名活動の主旨は、例年行われている「原子力ポスターコンクール」を署名活動によって中止に追い込もう、と言うものである。

因みに「原子力ポスターコンクール」とは、文部科学省及び経済産業省資源エネルギー庁の委託を受け、財団法人日本原子力文化振興財団が運営するポスターコンクールで、そのテーマは「原子力発電や放射能に関する事」と規定されている。
対象は「子ども部門」:小学生以下、「一般部門」:中学生以上に分かれているが、応募者は小中学生が多いようである。
おそらくは学校やクラスの美術教育の一環として応募するケースが多いのではないか、と推測する事が出来る。

わたしがはじめて今回の署名活動のことを知ったのは、2011年4月20日頃の事だった。

わたしが最初に感じたのは、この「ポスターコンクール」を中止に追い込んではいけないのではないか、と言う事。

と言うのも、2011年3月11日の東日本大震災以降に、もし例年通り「原子力ポスターコンクール」が実施されたとしたら、次のようなコンセプトのポスターが集まるのでないか、と思ったためである。

1.反原発ポスター
2.海を返せ、自然を返せポスター
3.家を返せポスター
4.原発は悪くないポスター

1〜3については、誰もが想像出来るコンセプトだろうし、おそらくは現状から考えると一般的なポスターになると思う。
しかしながら、東京電力や福島第一原子力発電所で家族が働いている子ども達視点の4のポスターが数多く描かれるのではないか、と思えてならない。

現在の東京電力そして福島第一原子力発電所に対する世論の動きは苛烈である。
その苛烈な世論にさらされている子ども達の感性から、その子ども達の叫びにも似た強烈なポスターが描かれる可能性をわたしは否定する事は出来ない。

ここで、「原子力ポスターコンクール中止要求署名」に関わる「要求書」を紹介する。
http://i-wind.jp/stop_nuke/yokyusho.pdf

趣旨は次の通り。

このような状況の中、電力供給の安全性及び、「地球にやさしいエネルギー」源であることの広報及び原子力エネルギーの推進を目的とする、本コンクールの開催は、到底国民の理解が得られるものではありません。
さらに、原子力エネルギーを安全且つ「地球にやさしいエネルギー」というイメージを抱かせるこのようなコンクールに、小中学生や青少年を参加させる行為は、健全な教育の推進に悖る行為と言わざるをえません。よって本年度以降、このような趣旨のコンクール等を一切中止することを強く要求します。


因みにこの「要求書」には日付が入っていない。

いかがだろうか、私見だが「要求書」の内容のレベルの低さにがっかりする。

なお、例年この「原子力ポスターコンクール」の開催がアナウンスされるのは6月頃。
つまり、2011年については4月30日現在「原子力ポスターコンクール」の開催はアナウンスされていない。

因みに、今年の状況だが、平成23年2月28日に経済産業省資源エネルギー庁から一般競争入札が広告されている。(当初の予定では、3月24日に開札が行われる予定だった。)

つまり、今回の署名活動は、開催するとも言っていない「ポスターコンクール」の中止を求めている訳だ。

結果的にこの「ポスターコンクール」が、いざ中止となった場合、われわれの署名活動で中止に追い込んだぞ、といった流れになるのは、とっても怖いことだと思う。

繰り返しになるが、わたしは前述の1〜4のようなポスター、特に4のポスターを見てみたいと思う。
ここ数年のダッフィー人気は凄い。
猫も杓子もダッフィー、ダッフィー、ダッフィーだ。
街中を歩いているだけど、鞄にダッフィーのぬいぐるみをぶら下げている女子中高生にぶちあたる。

でもわたしは釈然としない気持ちでいっぱいだ。

ダッフィーって実在しているのか?

ここで言う「実在」とは「ダッフィーが登場する映像作品はあるのか?」と言う意味。

と言うのも、わたしは基本的な考えとして「東京ディズニーリゾート」に登場するキャラクターの全ては、ディズニーが権利を持つ映画やショートフィルムに何らかの形で登場したキャラクターに限定されるのではないか。と思っていた。

とすると、どこかでダッフィーが登場する作品が映像化されていなければならないはずだ。

振り返ってみると、ここ数年、ミッキーマウスとミニーマウスが登場する映像作品は製作されていないと思うし、かつてのミッキーマウスの短篇映画時代にもミニーがダッフィーと言うテディベアをミッキーにプレゼントする短篇も存在しないのではないか、と思う。

この時点で、わたしが間違った前提(ダッフィーが登場する作品が映像化されていなければならない)の上に立っている可能性は否定できないが、どうだろう、「東京ディズニーリゾート」に登場する全てのキャラクター、全てのキャラクターグッズについて、ディズニーの映画やショートフィルムに登場しないキャラクターを使用したものは存在しないのではないだろうか。
もし存在するのならば是非教えていただきたい。と思う。

その上で考えると、このダッフィーと言うキャラクターは、「東京ディズニーリゾート」に登場するキャラクターのうち、映像作品に登場しない唯一のキャラクターで、ミニーがミッキーにプレゼントした、とか言う設定だけが存在し、映像作品上は実在しないキャラクターなのではないだろうか。

冒頭でお話した釈然としない気持ちとはこうだ。

「ダッフィーは金儲けをするためだけにでっちあげられたキャラクターではないのか」
近代五輪の父、国際オリンピック委員会(IOC)の2代目会長ピエール・ド・クーベルタンは、「オリンピックは参加する事に意義がある」と語ったと言われている。

実際は、エチェルバート・タルボット司教の説教で語られた「この五輪で重要なことは、勝利することより、むしろ、参加したことにあろう」を引用し、「ペンシルベニアの司教が『五輪大会で重要なことは、勝つことではなく、参加することである』と述べられたのは、まことに至言である。人生において重要なことは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。このような教えを広めることによって、いっそう強固な、いっそう激しい、しかもより慎重にして、より寛大な人間性を作り上げることができる」と語ったことが一人歩きをしているようである。
『「参加することに意義がある」の真意』より一部引用
http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/kouza/02.htm

現在、バンクーバーオリンピックの開会式が開催されているが、それを見ながらつらつらといろんな事を考えてしまう。

選手団を何百人も送り込んでメダル争いをするより、飢餓で苦しむ国や地域、紛争が絶えない国や地域から一人でも二人でも多くの選手をオリンピックに参加させる、彼らを国際映像が撮影し、メディアがコメントを付加し取り上げる事により、その選手たちの国や地域の実情が世界中に知らされる。そちらの方が圧倒的に意義がある事だと思った。

メダル争いをしたり、服装が乱れていたりして、記者会見で「反省してま〜す」なんて言っている選手をオリンピックに選手として送り込んでいる国の国民として恥ずかしい思いがする。
仕事柄、社会保険庁が管理をしている厚生年金被保険者、国民年金第3号被保険者の住所の生データを見る機会があった。

で、驚いたのは次の点。

1.全角文字と半角文字が混在している。
 住所、特にマンションやアパート名について全角カタカナで入力されている場合と半角カタカナで入力されている場合がある。
 また、数字やハイフン(ダッシュ)も全角で入力されている場合と半角で入力されている場合がある。

 つまり、データ入力の仕様が定まっていない、または定まっていても徹底されていない、と思われるのだ。


2.誤字・脱字がある。
 社会保険事務所への用紙での届出を手入力していると思われるのだが、その手入力の後、確認がされていないのか、どう考えても誤字や脱字と思われる部分がある。

 笑ってしまうのは、漢字の誤字・脱字をご丁寧に、カナでも誤字・脱字にしてしまっている。

例)
正 ヤマダコーポ ヤマダコーポ
誤 ヤマコーポ ヤマコーポ


3.厚生年金被保険者と国民年金第3号被保険者の住所の相違がある。
 厚生年金被保険者と第3号被保険者の住所変更の手続きは同時に同一の表記で行われているケースが多いと思うのだが、厚生年金被保険者と第3号被保険者の住所の表記が異なっている場合がある。

 例えば、厚生年金被保険者の住所は、マンション等の名称が明記されているにも関わらず、第3号被保険者の住所はマンション名が省略されている、とか、一方には「号」が表記されているが、他方はされていない、とか、もちろん前述の全角文字と半角文字とか・・・・。

例)
厚生年金被保険者 中央区 中央1-1-1 中央ハイツ101号
第3号被保険者  中央区 中央1-1-1-101


4.データの訂正が行われていない。
 住所等の生データには、いつ付けの情報なのか日付(らしきもの/20090219等)が明記されているのだが、それ以前に社会保険事務所に提出したデータが反映されていない場合がある。

 社会保険事務所は多分忙しいのだと思うが、1週間以上前に提出した書類が反映されていないのは、ちょっと悲しいものがある。


5.フォントが無い文字の取扱い
 例えば、はしごの「高」と言う文字や、山・立・可の「崎」と言う文字はフォントが無いのか知らないが「?」で表示されている。

 もしかしたら、名前に使って良い漢字と使ってはいけない漢字の問題かも知れないのだが、「?」と言う表記はまずいのではないか、と思った。

 また、普通の文字なのに「?」で表記されている氏名もあった。多分届出書が読めなかったのではないかな、とも推測できるのだが、年金手帳と比較するとか、会社に確認するとか、いくらでも確認する手法はあると思うのだが、何故やらないのだろうか。

例)
?橋 太郎
山? 二郎


5.漢字表記が無い氏名がある。
 これも謎なのだが、漢字氏名欄になにも記載されていない人がいる。フリガナ欄にはきちんと記載があるのだが、これはどういうことだろう。

 日本人には同姓同名が多いので、漢字で同一人物かどうか確認することも多いのだがそれも出来ない始末である。
 


「ねんきん特別便」が全被保険者に届かないのも頷ける次第であった。

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東芝がHD DVDから撤退した。

プレスリリース
(http://www.toshiba.co.jp/about/press/2008_02/pr_j1903.htm)
によると、東芝はHD DVDプレーヤー及びレコーダーの生産を完全に中止する模様である。

ところで余談だが、ソニーは1980年代後半、趨勢が確定したビデオ戦争をものともせず、2002年までベータマックスの製造を続けていた。
(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/ServiceArea/Betamax/)

東芝はソニーの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいと思った。

ご参考
「HOKUSAI〜北斎の宇宙」(日本橋HD DVDプラネタリウム)
http://diarynote.jp/d/29346/20061228.html

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2008/01/13 人間蒸気機関車市川崑が肺炎のため亡くなった。享年92歳。

慎んでご冥福をお祈りします。
 
 
わたしは映画と言うものは、誰が監督をやっても、ほとんど同じような作品が出来上がるものだと思っていた。

そんな訳で、当時のわたしの鑑賞作品の選択基準は、そま作品の設定とストーリーで、誰が監督をしているから、と言う観点かせ映画を選択することは一切なかった。
 
 
そんな中、角川映画第一回作品「犬神家の一族」(1976)を観た。

小学生だったわたしは「犬神家の一族」を観て度肝を抜かれた。

オープニング・タイトルのタイポグラフィに度肝を抜かれた。
遺言状のシークエンスのカット割に度肝を抜かれた。
止まっているはずの犬神佐兵衛の遺影の眼光に度肝を抜かれた。
とにかく、いろんなシーンで何度も何度も度肝を抜かれた。

映画には監督の作家性が宿ることを知った瞬間である。

言い換えるならば、わたしの映画人生が始まった瞬間だった、と言うことである。

世の中にはこんなにおもしろいことをやる奴等がいるのだと・・・・。

例えばわたしは1975年の「ジョーズ」や、1974年の「タワーリング・インフェルノ」、1973年の「エクソシスト」なんかを劇場で観てはいるが、わたしが求めていたのは、スペクタクルであり、スリルであり恐怖であり、決して監督の作家性ではなかった。

しかしながら、小学生だったわたしは市川崑の「犬神家の一族」に圧倒的な作家性を感じたのだ。

以来、30年以上わたしは映画の作家性を求めている。

市川崑の新作を観る事はもう叶わないが、市川崑の作品によってはじまったわたしの映画をめぐる冒険は未だ始まったばかりである。
 
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日本国内のメディアが取り上げ始める共に、フリーハグ(フリー・ハグズ/free hugs/free hugs campaign)の波が日本国内を席巻している。

しかしながら、日本国内で行われているフリーハグは、欧米のフリーハグとなんだか違っているような気がしてならない。

と言うのも、欧米で行われているフリーハグは、相手のために行われているのだが、日本国内のフリーハグは、自分のために行われているような印象を受けるのだ。

そもそも、フリーハグと言う行為の根底には、相手をハグすることにより、相手の苦しみや悲しみを取り除き、相手を癒す、と言う精神(スピリッツ)が流れている。

従って、欧米のフリーハグの相手は、例えば、孤独な老人であったり、仕事にあぶれた失業者だったり、HIVキャリアだったり、ホームレスだったりする訳だ。

渋谷のハチ公前で、ふらふら遊んでいるにぃちゃんやねぇちゃん、飲み会帰りのサラリーマンと抱き合って、喜んでいるような奴らにフリーハグを語る資格はない、と言わざるを得ない。

そんなフリーハグのプラカードを掲げて酔っぱらいと大騒ぎしているような映像がYouTubeやなんかで、世界中に配信されているとは・・・・。

ボクの心は激怒の炎で一杯だ。

渋谷に行ってフリーハグをするぐらいなら、誤解を恐れず言うならば、老人ホームとか孤児院とか、ホスピスとか、ダンボールハウスとかに出向いてフリーハグ・キャンペーンをしていただきたいと思う。

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迷惑メールをめぐる冒険
わたしは人気者なので、毎日まいにちたくさんのメールがわたしのところへやってくる。

とは言っても、それらのメールの正体は、ウィルスメールとか、フイッシングメールとか、逆援のお誘いメールがほとんどである。
 
 
ところで、先日飲み会で、迷惑メールの話題が出て、ある女性のところに、「バイアグラを買え」って言う英語のメールが異常に多いと言う話題になり、一体どれくらいの迷惑メールがわたしのところに来ているのかにわたしは関心を持ってしまった。

で、そんなわたしは、迷惑メールをざっと数えてみた。

と、言っても実際に自分で1通1通数えたのではなく、機械に大体のところを数えてもらった。

とりあえず前提条件として、曜日によって迷惑メールの数が増減するので、1週間に一体何通来るのか、と言う点と、一体どの国から(どの言語)で来るのか、と言う点で調べてみた。

と言っても、今回数えたのは、個人で契約しているプロバイダーが迷惑メールだと判断したメールだけに絞った。

因みに、迷惑メールではない普通のメールも週に1,000通以上来てます。もちろん会社のメルアドではなく、個人所有のメルアドにですけど。
今度はメール全体で調べて見ると面白いかもしれない、と思った。
 
 
■1週間分の迷惑メール 合計1,351通

約180通 日本語メール
約560通 アジア言語メール
約660通 欧米言語メール

以前は、欧米からの迷惑メールが大多数を占めていたのですが、最近はアジアからの迷惑メールがどんどんのびています。

一方、日本語の迷惑メールは結構少ないと言うのが実情のようです。
パッと見、理解が出来る言語でメールのタイトルが書かれているので、多いような印象も受けています。

また一時期は、ウィルスメールがたくさん来ていたのですが、その後は、フイッシング系のメールが増加し、最近は逆援のお誘いメールがほとんどと、迷惑メールも様変わりしているようです。
出会い系メールも激減したし。

あんなにたくさん来ていたウィルスメールは一体どこに行ってしまったのでしょうか。

あと余談だけど、日本語のお誘いメールについてだが、面白いのは、アイドルとか有名人とかの名前の一字違いの差出人からメールが来るのだが、出している人は結構努力しているような気がする。
それとも機械が勝手にアイドルの名前に似た名前を考えているのか?
だとしても面白いと思った。

あと一時期前に、自分の出会い系サイトの経験を面白おかしく書いているメールとか、女性で出会い系での出来事を面白おかしく書いているメールがあったのだが、これが結構面白いのだ。

出会い系や逆援のお誘いメールの中に、テキストとして、物語として、起承転結していて面白いメールがあるのは凄いと思った。

小説家志望の人ような、素敵なテキスト職人さんがいるのだろうか。

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さて今日は「ロボコン」のお話。

「ロボコン」(2003)の長澤まさみちゃん(TM)が可愛いとか、「シコふんじゃった。」(1991)と構成が全く同じだとか、そんなお話ではなく、今日は「ロボコン」自体のお話。
 
 
わたしの記憶が正しければ・・・・

「ロボコン/ロボット・コンテスト」の前身と言うか発端は、日本国内では1980年にスタートした「マイクロマウス競技会」だったのではないかと思う。

マイクロマウス競技とは、ロボットによる競技で、迷路の四隅のいずれかに設定されたスタート地点から、迷路中央のゴール地点まで、いかに短い時間で走ることが出来るかを競う競技であり、ここで言うロボットとは、完全自立型知能ロボットなのである。

現在も協賛企業として名を連ねているナムコのマッピーとニャームコが、迷路の中をデッドヒートするデモンストレーションが行われていたような記憶もある。

そして当初の「ロボコン」(第一回大会は1988年)は「マイクロマウス競技会」に自立型知能ロボットの競技だった記憶があるのだが、どうだろうか。

と言うのも最近の「ロボコン」は「ロボットコンテスト」と言うより「ロボット・コントロール・コンテスト」の様相を呈しているような気がするのだ。

完全自立型知能ロボットと言えば、アトムとかドラえもんとかそんなロボットであり、自らが判断して行動するロボットである。

しかし「ロボコン」に出てくるロボットは、古くは鉄人28号とかマジンガーZだとか、ガンダムみたいなロボットで、自らは一切判断も行動もしない、人間がコントロールしないと全く動けないロボットなのだ。

わたしの記憶では、昔の「ロボコン」はスタートしたら一切人間が介入できない競技だった気がするのだ。

つまり人間が出来るのはロボットの製作とプログラムまでで、実際の競技はロボットが自分で考えて自分で行動する競技だったような気がするのだ。

もし、そうだった場合、最近の「ロボコン」は何だか違った方向へ進んでいるような気がする。

ロボットをコントロールする技術が重要な競技より、ロボットが自分で考えて行動するためのプログラムが重要な「ロボコン」の方が圧倒的に面白いんじゃないかな、と真剣に思う。

「ロボコン」(2003)で行われたような箱を積み上げる競技を、人間がコントロールするロボットではなく、自分で考えて自分で行動するロボットが行っていたとしたら、どんなに面白く、刺激的で、すばらしい大会になるのではないか、と思えてならない。

※ 多分そんなのできないよ、と思う人もいると思うのだが、問題はレギュレーションの問題であり、完全自立型知能ロボットが出来るギリギリのレギュレーションで大会を開催すれば良いのである。

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ここ数日間「文春きいちご賞」を検索して当ブログ「徒然雑草」へ来られる方が著しく増加している。

「文春きいちご賞」を検索してひっかかっているエントリーは次の通りである。

「文春きいちご賞」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20050209.html

因みに、Googleで「文春きいちご賞」で検索すると現在第三位をキープしている。
 
 
早速だが、今日の話はブロガーのモラルの話。

ところで、「文春きいちご賞」を検索ワードとして検索している人たちが何を求めているか、と言うと、

2007/01/18発売の「週刊文春」に掲載されている「文春きいちご賞」の結果が知りたい訳だ。

因みに「週刊文春」の見出しは次の通り。

『第三回「文春きいちご賞」発表』
『映画のプロ32人が選んだ2006ワースト映画』
 
 
ここで気になるのは、2007/01/18に発売された「週刊文春」(2007年1月25日号)の記事のひとつ「文春きいちご賞」の結果を、インターネット上を検索するだけで、いとも簡単に知ることが出来ることである。

これは果たして良いことなのだろうか?

「週刊文春」に掲載された「文春きいちご賞」の記事の肝(キモ)は、「2006年のワースト映画」であり、誰がワースト映画を選んだとか、なぜこの映画がワーストに選ばれたか、と言うような講評みたいに記事になんかには関心がない。
ただ単純に、2006年のワースト映画の順位が知りたいというだけである。

その「週刊文春」の著作物である「文春きいちご賞」の2006年のワースト映画の順位を、次の号が出る前にブログでバンバン書いちゃって良いのか、と言うことである。

当然ながら、意識の高いブロガーもいると思うのだが、意識の低いブロガーが多すぎる、とわたしは思う。

ブログと言う物は、ただの日記ではなく、自分の考えを全世界に発信するメディアであり、例えば多くの読者がついているようなブログは、最早マスコミの一種なのである。

あと気になるのは、オフレコだと言われて入手した情報をプレスより先に書いちゃうブロガーも問題だと思う。

マスコミ同様に、オフレコ情報は聞いても書かない。
プレスの協定より先にスクープを書かない。

これは当たり前のルールだと思うぞ。

わたしは、そんな志の高い、孤高なブロガーが大好きだ。

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先ずお断りだがわたしは熱心な格闘技ファンではない。

テレビで格闘技番組をたまたま見かけると、ちょっと見入ってしまう程度で、わざわざあの試合を見たいだとか、この試合は見逃せない、とか言う気持ちはほとんどない。

とは言うものの、例えば大晦日に行われる格闘技番組なんかは、気が付いたらテレビの前で握りこぶしをつくってしまっているようなことが多々ある。
 
 
ところでわたしは格闘ゲーマーだった。

一番はまっていたのは「バーチャファイター」「バーチャファイター2」「バーチャファイター3」と「鉄拳2」「鉄拳3」あたりだと思う。

特に「バーチャファイター2」の時代(1994年)には、東京都内で行われていたロケテストを追っかけ、都内各地に出没していたりした。

「鉄拳」シリーズでは38連勝、「バーチャファイター」シリーズでは28連勝したのが最高だったと思う。
 
 
そんな経験の中で思うのは、多くの格闘ゲーマーには美意識がある、ということである。

例えば、ウルフだったらジャイアントスイングで、ジャッキーだったらサマーソルトキックで、晶だったら鉄山靠とか心意把で勝てということである。

へなちょこな技でしか勝てないのであれば、それは負けである。
「勝はなくても鉄山靠」なのだ。

とは言うものの世の中には、しゃがみ状態で、ローキックや下段パンチとかでちくちく攻めてくるプレイヤーが数多くいる。

そんな奴等は、立ったままお仕置きするのが正しい格闘ゲーマーの作法なのだ。
 
 
さて、話は2006年の大晦日に行われた格闘技イベントなのだが、そんな格闘ゲーマーにとってはらわたが煮えくり返るような試合がいくつかあった。
一番酷かったのは、魔裟斗VS鈴木悟の試合である。

「ボクサー相手にローキックなんか使うんじゃねーよ!」
 
 
余談だが、「バーチャファイター」の世界では、ローキックや下段パンチを多用し相手の体力をちくちく削るプレイヤーは、軽蔑をこめて「チキン野郎」と呼ばれる。
 
 
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=

試合の話だが、魔裟斗のローキックでふらっとした鈴木を見て、わたしは「よし魔裟斗! あとは正々堂々と拳で勝負だ!」と思ったのだが、熱心な格闘技ファンはどう思ったのか知りたいと思うのだ。

重要なのは勝ち負けではなく、すばらしい試合だと思うのは甘いのかな。
 
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わたしは以前から自転車にビデオカメラを搭載し、周りの様子を撮影したいと思っている。

ところで、以前肋骨を折った際(http://diarynote.jp/d/29346/20060112.html)にお話したように、スキーをしながらのわたしのビデオ撮影スキルは、自分で言うのもなんだが、ステディカムもびっくりの安定した映像を切り取ることができる、と自負している。

何しろ、スキー中は手が空いているのだから。

しかし、自転車に乗っている最中はそうは行かない。
カメラを持つべき手がふさがっているのだ。
もちろん、平坦な路面であれば別に手放しで撮影をしながら自転車に乗ることは出来るのだが、わたしが乗っている自転車はMTB(マウンテンバイク)と言うヤツで、基本的に山を走ることになる。

登山道やハイキングコースを走っていると思っていただければわかりやすいと思う。
そんな登山道やなんかを手放しで走ることは、残念ながらわたしには出来ない。

となると、ビデオカメラをどこかに付けて撮影する必要があるのだ。

わたしたちは、様々な撮影手法を試している。

カメラが破壊されてしまうリスクを考えないとすれば、自転車に直にカメラを付けるのが理想的なのだと思う。

と考えた場合、DV、HDD、DVD、メモリーカード等のビデオカメラが販売されているのだが、MTBの強烈な振動を考慮した場合、駆動系メカが使われているビデオカメラは必然的にリスクが高いと思われる。

わたしが持っているビデオカメラでMTBのオンボードカメラとして比較的上手くいっているのは、HDDとSDカードが使えるビデオカメラ、Victor Everio(GZ-MC100)である。

画質が悪いのが難点だが、HDDを外して、SDカードで撮影すれば、比較的理想的な撮影が可能になってくる。

ところで、ここ10年ほどの話だが、盗撮問題のためか、外部ライン接続等の小型ビデオカメラ(CCDカメラ等)は一般の電器店等ではなかなか販売されていないのが実情である。

以前はSONYからも、民生用の外部ライン接続の小型CCDビデオカメラが商品化されていたのだが、現在はなかなかお目にかかる事は出来ない。

が、実はもっと素敵なカメラが出ているのだ。

SUV-Cam マイクロビデオカメラシステム
http://www.elmo.co.jp/suv-cam/product/index.html

これは凄そうである。
なにしろ小型カメラと小型録画装置が一体となった商品なのだ。

基本的に問題は無いと思われるが、唯一の問題としては、撮影コマ数が、最高25コマ/1秒で、他のビデオカメラで撮影した映像と編集した場合、スピードが変わってしまうのだ。

その点を除けば、自転車用のオンボードカメラとしては、理想的なカメラではないか、と思える。

どうです?
誰か買って見ませんか?

88,900円からです。

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2000年にWHO(世界保健機構)は、「自殺を防ぐために−マスコミへの手引き−("PREVENTING SUICIDE A RESOURCE FOR MEDIA PROFESSIONALS")」と言う、「群発自殺(自殺の連鎖反応)」を防ぐための報道のガイドラインを発表している。

WHO(世界保健機構の危惧は、起きてしまった自殺についての新聞・テレビ等の報道が、自殺の増加と結びつくのではないか、と言うこと。

■WHO(世界保健機構)が挙げた自殺報道についてのしてはいけないこと
□写真や遺書を公表しない
□自殺の方法について詳細に報道しない
□原因を単純化して報じない
□自殺を美化したりセンセーショナルに報じない
□宗教的・文化的な固定観念を用いない
□自殺を責めない

以下原文
■WHAT NOT TO DO
□Don’t publish photographs or suicide notes.
□Don’t report specific details of the method used.
□Don’t give simplistic reasons.
□Don’t glorify or sensationalize suicide.
□Don’t use religious or cultural stereotypes.
□Don’t apportion blame.
 
 
日本国内の自殺報道を視聴して感じるのは、日本国内のマスコミの多くは、報道という名の下に自殺を扇情的に扱うニュース・バラエティ番組を制作している、と言うことである。
 
「自殺を防ぐために−マスコミへの手引き−」 
"PREVENTING SUICIDE A RESOURCE FOR MEDIA PROFESSIONALS"
http://www.who.int/mental_health/media/en/426.pdf

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先ずは引用である。

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フジテレビは20日、未成年の少女(17)に飲酒させ、淫らな行為をしたとして北海道警から任意の事情聴取を受けた元お笑いタレント、山本圭一(38)が出演していた29日放送の土曜プレミアム「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(後9:00)の放送延期を決めた。

イラストレーター、リリー・フランキー氏のベストセラー小説のドラマ化で、山本は大泉洋(33)扮する主人公ボクの幼なじみ役で、主にドラマの後半部分に登場。出演シーンは少ないが、「ボク」との友情と絆を感じさせる心温まるシーンという。

同局は放送延期の理由として「事の重要さを受け止め、少なくとも今放送すべきではないと考えた」とし、「素晴らしい作品に仕上がっていただけに大変残念。楽しみにしてくださった視聴者の皆様には大変申し訳なく思う」と謝罪した。

新たな放送日は決まっておらず、今後、山本の出演シーンをカットし再編集するのか、出演部分そのものを代役で撮り直すのかも含め、「慎重に検討する」(広報)。代替番組は米映画「オーシャンズ11」。(2006/07/21 サンケイスポーツ)

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ついでにお時間のある方は、こちらもご覧いただきたい。

「どこからが映画なのか?」
「(旧)角川春樹事務所」製作の所謂「角川映画」のDVDから「角川春樹事務所」のクレジットが抹消されている事について感じたこと。
http://diarynote.jp/d/29346/20041028.html

『「空中庭園」をめぐる冒険』
映画監督豊田利晃が自宅に覚せい剤を隠し持っていた事により、「空中庭園」の上映が危ぶまれた事について感じたこと。
http://diarynote.jp/d/29346/20050826.html

『「空中庭園」をめぐる冒険 その2』
http://diarynote.jp/d/29346/20050830.html
 
 
閑話休題

世の中では、タレントや芸能人(以下「タレント」)と呼ばれる人々が不祥事を起こしたり、または犯罪を起こしたりしたような場合、そのタレントが出演した番組の放送を中止したり、出演場面を削除したりすることが、極々一般的に行われている。

何故そんなことが行われるのか、わたしは大いに疑問を感じている。

尤も、犯罪行為や不祥事(以下「犯罪行為」)を起こした後に製作された作品ならともかく、−−と言うか、犯罪行為以後は作品は製作されないだろうが−−、その犯罪行為以前に製作した(または製作途中だった)作品の放映を中止したり、そのタレントの出演場面を削除したりすることがそれほど重要なのだろうか。

わたしは常々言っているように、例え犯罪者が関わった作品だとしても、出来上がった作品に罪はないと思うし、仮にそのタレントの私生活が酷いものだったとしても、そのタレントが関わった作品に、輝きがあったとすれば、それはそれで良い作品なのだと思う。

勿論このような考え方は、おそらく反社会的でインモラルな考え方だと思うし、例えば今回の一件以降、山本圭一がテレビでふざけている様子が映し出されたとしたら、日本国中の人々が非常に不愉快な気持ちになるであろうことは容易に想像がつくし、非難や抗議の電話やメールでテレビ局は大変なことになってしまうだろうことは明白だと思う。

でも、だからと言って「くさいものにはふた」でもするように、犯罪行為を犯したタレントをメディアから抹消することがはたして良いことなのだろうか。
 
 
ここで疑問が沸いてくる。
犯罪行為を犯したタレントをメディアから抹消することを望んでいるのは一体誰なのだろうか。

視聴者?
テレビ局?
それともスポンサー? 

言論統制などメディアの弾圧に関しては、言論の自由、表現の自由を声高に叫ぶメディアだが、今回の一件を考えた場合、当たり前のことなのだが、メディアと言う存在は、所詮営利を求めるただの一般企業なのだ、と言わざるを得ない。

視聴者が嫌がることを嫌がるスポンサー。
スポンサーが嫌がることを嫌がるメディア。

視聴者やスポンサーに影響されている以上、視聴者やスポンサーの顔色を窺っている以上、メディアは真のメディアである、と言う事はできないし、そう考えた場合、今までメディアが伝えてきた、またはこれから伝えるであろう「真実(のようなもの)」についても、スポンサーの考えや意図、意向が影響を及ぼしていることは容易に想像がつく。

メディアが伝える「真実(のようなもの)」は、スポンサーにとって都合が良い「(スポンサーにとっての)真実」なのだ。
 
 
孤高な精神と高邁な思想を持つメディアの登場に期待したい。
 
 
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ながらくお待たせいたしました。
すっかり忘れていましたが、『「電車男」になりそこなった話 その3』をお届けします。

前回までのお話しはこちら・・・・

『「電車男」になりそこなった話 その1』
http://diarynote.jp/d/29346/20050803.html
『「電車男」になりそこなった話 その2』
http://diarynote.jp/d/29346/20050804.html

(承前)
わたしに右手を掴まれた男は一瞬わたしの目を見た。
男の目には怯えの表情が浮かんでいた。

警笛を鳴らした急行電車は「下板橋」駅を通過する。
対峙するふたりの男の上を、陸橋の影が凄い勢いで通り過ぎる。
「池袋」まであと二分。

腹部を蹴られた女性が何事かを叫んでいる。

右手をわたしに押さえられた男は、右手を振り払おうとあがきつつ、左手で殴りかかってきた。
もちろん、右手を封じられた男の左は腰が入っていないただの横殴りである。

わたしは腕を上げ、右脇で男の左を受け、そのまま右腕を下ろして男の左腕を挟み込むと同時に内側に入った男の左腕を掴んだ。

男の両腕を封じたわたしは、男の蹴りを警戒しつつ、軽く崩しを入れ、浮足を軽く払う。バランスを崩した男は電車の通路をよろよろし、男はわたしの目論見通り元々座っていた座席に座り込む。が、座った事で逆に足が自由になった男は、わたしの膝に蹴りを入れてきた。

両腕をつないだ状態のわたしには、男の蹴りをよける事は出来ない。仕方が無いので、わたしは自分の右膝を男の腿の上に置き、男の蹴りを封じる。

沸く観客たち。
急行電車は「北池袋」を通過、減速が始まる。

終点の「池袋」が近づくと、わたしによって両手両足を封じられた男は、何を血迷ったのか、頭突き攻撃をしてきた。

お前は亀か!
わたしは彼には悪いが失笑してしまった。
両手両足を封じられて、頭を使って攻撃をしかけてくるとは・・・・、極限状態の人間は何を思って行動するのか。

電車は「池袋」に到着、ドアが開く。
男は観念したのか、動かなくなっている。
わたしは、「もうこれ以上殴らない」状態で男を押さえ込むことに成功した。

今回の一件の発端となった腹部を蹴られた女性は妙に殺気立っており、男を警察に突き出す、と息巻いている。

わたしは男を立たせ、腕をがっちりと掴み、問いかける。
「警察か、鉄道会社か」と。

男は警察を選択した。

男を拘引して電車を降りるわたし。
わたしとその男のカバンを持って電車を降りる女性。
電車から降りるついでに、男にぶつかり、叩き、蹴りを入れながら降りる乗客たち。

わたし達は、「池袋パルコ」脇の交番へ向かった。
 
 
つづく・・・・

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いきなりで恐縮だが、わたしはスティーヴン・キングが昔から好きである。

そんな訳で、スティーヴン・キング好きが高じてか、1996年から現在までスティーヴン・キングのファン・サイト「スティーヴン・キング研究序説」(http://homepage3.nifty.com/~tkr/king/kingtop.htm)を運営している。

同サイトの方はおかげさまで、サイト開設10周年を越え、各方面からも比較的評価を受けている。(と思い込んでいる)

しかし、最近はサイト自体の更新も行われずに、ほぼ休止状態を続けていた。

で、その状況を打破すべく、2006年4月にスティーヴン・キング関連の最新情報を提供する事を目的としたブログ「スティーヴン・キング研究序説 ココログ分室」(http://tkr2000.cocolog-nifty.com/blog/)を新設したのだ。

驚くべき事だと思うのだが、スティーヴン・キングに関する情報だけで、ブログが日々更新出来てしまう。

まあ、その辺の事情もあるのか、当「徒然雑草」の更新が最近滞っているのかも知れない。
ホントのところは、仕事が忙しいのだが・・・・

AXNで、「デッド・ゾーン」シーズン2の放映も始まった事だし、キング関連のブログの方も頑張って生きたいと思う。

余談ですが、AXNと言えば、「こちらブルームーン探偵社」(http://www.axn.co.jp/moonlighting/index.html)が2006/04/27から放映が始まります。
吹替えはなんとオリジナル通り!
ついでになんと第一話からの放映!!

デービッド・アディスン(声:荻島 真一)/ブルース・ウィリス
マディ・ヘイズ(声:浅茅 陽子)/シビル・シェパード
アグネス・トピスト(声:松金 よね子)/アリス・ビーズレー
ハーバート(声:塩屋 浩三)/カーティス・アームストロング

どうよ!

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今日の話はたいした話ではない。
ついでに、映画にもほとんど関係がない。
 
 
いきなりだが、わたしは洋楽が基本的に好きで、邦楽は基本的に好きではない。
何故なら洋楽は面白く、邦楽は面白くないから。
因みに、邦楽がつまらなく感じるのは、アレンジに大きな問題があると個人的に思っている。
ついでにリード・ヴォーカルにおんぶにだっこのアーティストが多いのも問題だと思っている。

もちろんわたしにも、好きな邦楽アーティストもたくさん居るのだが、その数は洋楽と比較すると少ないような気がする。

好きな音楽ジャンルはと言うと大概が(様々な)ロックなのだが、80年代から90年代にかけて海外のロックを日本に紹介し続けていた二人の男がいる。

一人は伊藤政則(いとうせいそく/本当はまさのりなのだが、何故かせいそくと呼ばれている)で、もう一人は今日のお題の渋谷陽一である。

伊藤政則は最近でもラジオやテレビと言うメディアでヘビーメタルの番組をもっており、精力的にヘビメタの布教活動を続けているようである。

で、渋谷陽一なのだが、ご存知の方はご存知だと思うが、渋谷陽一は現在では、「rokin’on」、「rokin’on JAPAN」、「Cut」、「SIGHT」、「H」、「bridge」、「BUZZ」等を編集・出版している株式会社ロッキング・オンの代表者である。

もともと「ロッキング・オン」誌は1972年に渋谷陽一が(たぶん)自費出版の形態で出版をはじめたロック専門誌である。

余談だが1989年には映画ファンの皆さんもご承知の映画批評・インタビュー誌「Cut」がロッキング・オン社から創刊されている。

で、わたしたちギター・キッズをはじめとするロック小僧たちは渋谷陽一の「ロッキング・オン」誌でロックを、そして音楽を勉強してきた訳である。
当時は現在のようなインターネットもなく、海外のメディアに触れる機会が少なかった時代である。
音楽雑誌から得られる海外の音楽事情は非常に貴重であったし、映画関係情報としては、ロッキング・オン社が制作していたテレビ・プログラム「ショービズ・トゥデイ」(CNNの「ショウビズ・トゥデイ」の日本語版)で北米ボックス・オフィス情報、北米興収ランキングを毎週楽しみにしていた訳である。

そんな中わたしは、サンボマスターの「サンボマスターは君に語りかける」を購入したのだが、そのCDの帯に渋谷陽一の紹介文が印刷されていた。

曰く、

日本語ロックの歴史が塗り変わる時が来た。

昔から正しいロックには気恥ずかしさがあった。恥ずかしくて、変テコで、セクシー、それが正しいロックである。これは正しいロックバンド、サンボマスターのセカンドにして最高傑作のアルバムである。 渋谷陽一(ロッキング・オン)

泣けるぜ!渋谷陽一さんよ!!

ロック・ファンは、−もちろん異論は多々あると思うのだが−、概してセンチメンタリストでロマンチシストで、ついでに泣き虫だと思う。

渋谷陽一の文章を久しぶりに、しかも、よりによってサンボマスターのセカンドのCDの帯で読まされた日にゃ〜、泣き虫のロック・ファンとしては号泣必須だったりする。

で、他のCDをいろいろ見て気付いてみると、渋谷陽一は結構邦楽ロックのCDの帯に紹介文を書いているようである。

現在進行形のギター・キッズの皆さんは渋谷陽一の名前なんか知らないと思うし、渋谷陽一の紹介文がCDの帯に書かれていようがいまいが、そんなものはギター・キッズに対するCDセールスに影響ないと思うのだが、往年のロック・ファンにとっては渋谷陽一の名前により、大きくCDセールスが異なる可能性が高い。

凄いぞ!ソニー・ミュージックさんよ!!
あんたら目の付け所が凄すぎるぜ!

往年のロック・ファンさん、邦楽ロックのどのCDを聞けば泣けるのか知りたかったら、渋谷陽一の紹介文を探せ、と言うことなのかも知れないのだ。
 
 
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わたしが契約しているCATV局では「日大アワー」と言うプログラムをときどき放映している。
と、言ってもガイド誌にプログラムが掲載されていない、2ch(CATVの広告用チャンネル)で放映されているところを見ると、未契約者(チューナーを持たない人)でも見ることができるプログラムなのだと思う。

この「日大アワー」とは、日本大学藝術学部映画学科の学生達が制作した過去から現在にわたる映像作品を放映するプログラムである。
もしかすると一般の視聴者にとってはこのプログラムは全然つまらないのかも知れないが、自主制作映画をやっていた、またはやっている人たち、またはコアな映画ファンにとっては非常に興味深いプログラムだと言える。

かくいうわたしも、テレビのチャンネルをザッピングしている最中に「日大アワー」が放映されているのを発見すると、思わずリモコンの手を止め、見入ってしまう。
と言うのも、「日大アワー」は、先ほどお話したように、ガイド誌に掲載されていないチャンネルで(おそらく)不定的に放映されているため、何曜日の何時から放映されているのか具体的な放映スケジュールがわからないからである。
まあ、勿論調べる方法はあるのだが・・・・。

さて、本題の「日大アワー」だが、プログラム自体は60分程の時間枠なのだ(と思うのだ)が、その時間内に短編作品をおおむね2〜4本程度放映している。

学生が作った作品だから、勿論稚拙な表現もあるし、作品として成立していない状態の作品もある。
従って、「日大アワー」で放映される作品を否定し批判するのは非常にたやすいのだが、わたしにとっては「日大アワー」で放映される作品に触れることは楽しくて仕方がない。

わたしはここ何年かの間に、「日大アワー」で日大の学生の作品を何十本も観ていることになるのだが、「ふざけるな!」と思えるような作品もあれば、気付けば涙をながしていることすらあるのだ。また作品のフォーマットはDV(ビデオ)もあれば、勿論フィルムで制作されたものもある。
そしてその作品の内容は自主制作に多い哲学的なものもあれば、文芸的なもの、ひとりよがりの自慰(オナニー)映画もあるし、観客を意識した娯楽作品もある。

作品は若くて尖がっていたり、何をやりたいのかわからない作品も多いのだが、わたしの好意的な視点のせいかも知れないが、個人的には面白く興味深い作品が多いような気がする。

日大だけではなく、他の自主制作作品をテレビで観る事は出来ないものだろうか。
多くの良質な自主制作作品を眺めてみたいものだ。
 
 
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2005/12/13 スタジオジブリが「ゲド戦記」を映画化し、2006年7月に公開することを公にした。

この件についての雑感をまとめてみることにした。
 
 
 
 
■観客は宮崎吾朗の作品が観たいのか?

「ゲド戦記」の監督は宮崎駿の息子の宮崎吾朗である。
その宮崎吾朗はアニメーション製作については完全な素人であり、しかも門外漢である。
そんな男がスタジオジブリのスタッフを率いて「ゲド戦記」を製作している、と言うのは驚きである。

尤も、宮崎吾朗は「ゲド戦記」の画コンテを描いたり、200カット以上のレイアウトをきったりしているということだから、画力や映像センスについては、ある程度素養はあるのだろうと思う。

しかしながら、これはアニメーション作品である。
例えば実写作品であるならば、語弊はあるものの、適当にそれっぽく撮影をしておけば、偶然の映像を含めて比較的作品としてかたちになりやすいのだが、全てが演出であるアニメーション作品については、偶然の映像などは皆無、全ては映像作家のイマジネーション次第と言う事だ。

ことアニメーション作品にいたっては、映像作家が自分の頭の中に作品の全てを構築し、その構築され、演出された全体像を2次元のフィルムに定着させる作業が行われる訳である。

簡単に言うと、語弊はあるが、(物理的に考えて)写真を撮るのは簡単だが、(背景を含めて)画を描くのは大変だ、と言うことである。

大人の事情は十分承知して言わせていただければ、世界に誇るスタジオジブリの新作を、ずぶの素人が演出して良いのかよ。と思う気持ちでいっぱいだし、そしてまあそれだったら、宮崎駿後の、今後のジブリのことも考えて、ジブリの若手を監督として抜擢しろよ、と言う気持ちでもいっぱいである。
 
 
■宮崎アニメ=スタジオジブリ作品ではない

宮崎アニメと言う言葉がある。その言葉は最早ひとつのブランドとして機能してしまっている。

この言葉の狭義の意味は、おそらく「スタジオジブリ以前に宮崎駿が関ったアニメーション作品」と言うものだと思う。

で、スタジオジブリとはなにかと言うと、端的に言うと宮崎駿が率いるアニメーション・スタジオである。と言う事。(代表は鈴木敏夫)
もちろん宮崎駿が手がけた多くの長編アニメーション作品はスタジオジブリ作品であり、それらはもちろん広義の意味での宮崎アニメである。と言えるだろう。

しかしながら、宮崎駿が関係していないジブリ作品もあるし、ついでに最近ではジブリは映画の配給まで手がけたりしている。

ところで、わたしは前提として、所謂宮崎アニメが好きである。
と言っても、もともとは宮崎駿の名前など知らなかった少年時代から、あぁあのアニメーションは面白いな、と言うわたしのツボに入っていた作品のいくつかが、実は宮崎駿がからんでいた、という流れだったと思う。

最初にわたしに訪れた宮崎駿ショックは「未来少年コナン」であった。なんて面白いんだと思って見ていたのだが、後年同作品は宮崎駿作品だったことを知る。

わたしが宮崎駿と言う名前を意識し始めたのは、宮崎駿が照樹務名義で画コンテを描いた「ルパン三世」の145話「死の翼アルバトロス」と155話「さらば愛しきルパンよ」(1980年)だったと思う。
その前年に「カリオストロの城」(1979)を観ているが、当時は宮崎駿って誰よ、位の認識だったと思うのだが、「風の谷のナウシカ」漫画版はリアルタイムに読んでおり、多分「アニメージュ」誌上で宮崎駿が照樹務だったと知ったのだと思う。
「風の谷のナウシカ」の連載がそれより早ければ、「風の谷のナウシカ」が宮崎駿を意識し始めた最初かも知れない。

照樹務が先だとすると、偽名だったので逆に名前を意識した、のだと思う。

ところで、昨今の配給会社や広告会社が行う、一般の観客に対しミスディレクションを行うかのような広告には驚かされることがある。
例えば、宮崎駿が制作にからんでいないスタジオジブリ作品を、あたかも宮崎駿がからんでいるような表現で広告したりしてはいないだろうか。

それが元で、スタジオジブリ作品と宮崎アニメを混同している一般の観客が多いような印象を受ける。

宮崎アニメとスタジオジブリ作品を混同してはいけないのだ。
因みに「風の谷のナウシカ」はスタジオジブリ作品ではない。
 
 
■わたしは知っていた

インターネットと言うものは、誰もが世界中に情報を発信することが出来る恐ろしいメディアである。
その情報には正しいものもあれば誤ったものもある。
が、一度発信してしまった情報は、その瞬間に独り歩きをしてしまい、もう誰にも止められないものに変容してしまう。

わたし達のように日々情報を発信しているインターネット・ユーザーは、視聴者の数はともかく、いわば自前の放送局を持っているようなものだと言えるのだ。

ところで、わたしはスタジオジブリが「ゲド戦記」を製作する、と言う確定的な情報をずいぶん前から知っていた。

人の口に戸は立てられぬ、とは昔の人はよく言ったもので「ゲド戦記」をスタジオジブリが製作する、と言う噂が発生、その後わたしは個人的に、ある方面から確定的な情報を入手することになった。

そこで、「ゲド戦記」の情報をWEBで公開するのは簡単なことなのだが、わたしは、以前とあるエンタメ系の情報を、プレス・リリースより先にWEBで匂わせてしまった際、格方面からお叱りをうけたことがあったので、「ゲド戦記」については、結構キャッチーな情報ではあったのだが、WEBでの公開を自粛していた。

と言うのも、そのフライング情報公開以来、情報を公開する際は、複数のオフィシャルなソースで裏を取ってから公開することにしているからである。

何故今更こんな話を書いているかと言うと、単なる自慢話だと解釈していただければ幸いである。

「ゲド戦記」
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昔から不思議に思っていることがある。
 
 
例えば、デートの最中にゲームセンターで彼氏が大きなぬいぐるみ、−−例えばでかい「くまのプーさん」−−、をゲットしたと思って欲しい。

まあ、もちろんその前振りとして、
※ 彼女の声はさとう珠緒の声に脳内変換よろしく
 彼女「あ〜、あのプーさん欲しい、欲し〜い」
 彼氏「よし、オレがとってやる」
 彼女「え〜、ほんと〜」
 彼氏「武士に二言はない(死語)、そのかわり・・・・」
とか言う、わたしだったら彼女を後ろから跳び蹴りしてしまいたくなるようなオバカなやりとりがあるのは言うまでもない。

その結果、数百円だか数千円だかをつぎ込んだオバカな彼氏は、そのせっかく苦労してゲットしたその大切なプーさんを躊躇無く、−−もちろん「ど〜しよっかな〜」とかいう、彼女にぬいぐるみをプレゼントすることを躊躇する演技とその見返りは忘れずに−−、彼女にプレゼントするだろう。

まあここでも、
※ 彼女の声はさとう珠緒の声に脳内変換よろしく
 彼女「あ〜りが〜と〜」
 彼氏「てへっ」
 彼女「じゃお礼に〜・・・・」
とかいうふざけたやりとりがあることも言うまではないだろう。

そこで、そのさとう珠緒の声を持つ女は、そのプーさんを案の定抱きしめる訳だ。
 彼女「か〜わ〜い〜い〜」
わたしは当然ながら彼女の後頭部にドロップキックをかますだろう。

でその後、彼氏と彼女は連れ立ってゲーセンの外、つまり街中へ出て行くことになる。
つまり彼女は、そのぬいぐるみを抱いた状態で街中、−−例えば新宿だとか、渋谷だとか、もちろん電車の中だとか−−、を闊歩する訳だ。

さて、ここからが本題だ。
そのさとう珠緒の声を持つ彼女はプーさんのぬいぐるみをどっち向きに抱くのか、と言うことである。

1.プーさんの顔を自分に向けて抱く
2.プーさんの後頭部を自分に向けて抱く

どうだろう。
日本人の多くは、2「プーさんの後頭部を自分に向けて、−−つまり、プーさんの顔が街中の人々に見えるように−−、抱く」を選択するのではないだろうか。

事実、街中をぬいぐるみを抱いて闊歩する女性の多くは、
「ねぇねぇ、わたしが抱いているこのプーさんかわいいでしょう」
とかいう感じで誇らしげにプーさんを抱きしめ、プーさんを見やる街中の人々の顔をいちいちチェックしながら、まるで優越感に浸っているような表情をしていることが多々ある。

これはわたしの一方的な思い込みだろうか。
もしかして、わたしが遭遇する女性が特別な人々なのだろうか。 
 
しかし、その彼女が仮に欧米人だったとしたら、−−まあもちろん、その欧米人の彼女がプーさんを欲しがるかどうか、と言う大きなハードルがあるのだが−−、彼女は1「プーさんの顔を自分に向けて抱く」ことを選択するのではないか、と思うのだ。

これは東洋と西洋の文化の差なのだろうか?

つづく・・・・
ここから、お話は、アカデミックの方向に進む予定です。

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