「The Film / Chanel No.5」Chanel
2004年12月26日 CF(CM)/PV2004/12/25
5が付く日だけに放映される、と言われるニコール・キッドマン主演の「Chanel No.5」のCF(CM)のフル・バージョン(120秒)を初めて観た。
タイトル:「The Film」
監督:バズ・ラーマン
撮影:マンディ・ウォーカー
美術:キャサリン・マーティン
出演:ニコール・キッドマン、ロドリゴ・サントロ
本作「The Film」は、CF(CM)史に残るであろう素晴らしい作品に仕上がっている。
とは言うものの、最早CF(CM)と言うよりは、CF(CM)の形を借りたショート・フィルムの傑作と言っても差支えが無い叙情的で、感動的な素晴らしいラブ・ストーリーだと言える。
物語は、世界的に著名な女優(ニコール・キッドマン ※)が失踪した数日間、ただの若者(ロドリゴ・サントロ)と恋に落ちるが、数日後彼女は若者の前から去る。
キス、微笑み、そして香りを残して・・・・
音楽はベートーベンの「月光」をモチーフにした趣きのあるもの。
撮影は「ニュースの天才」のマンディ・ウォーカー。
衣装・美術は、「ムーラン・ルージュ」のキャサリン・マーティン。
そして監督は同じく「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマンである。
世界観は、「ムーラン・ルージュ」の世界観を現代に再構築したような雰囲気を醸し出している。
特に「ベルリン天使の歌」を髣髴とさせるような、シャネルの看板のセットが大変素晴らしい。
撮影は色調を落としたシックなもので、ゆっくりとしたトラック移動が効果的である。
ツイ・ハークが好んで使うドーリー移動の雰囲気である。
そして、キャストのニコール・キッドマンは言うまでも無く大変素晴らしく、ラストの表情は絶品である。
また、ロドリゴ・サントロも朴訥でいながら洗練されている世間知らずの若者を見事に演じている。
そして考えなければならないのは、本作「The Film」は「ローマの休日」をモチーフとしている事である。
アン王女(オードリー・ヘプバーン)とジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)との恋が完全に現代に蘇っているのだ。
また、彼女が失踪後タクシーに飛び乗って彼と出会うのだが、この辺りは「オズの魔法使い」のイエロー・ブリック・ロードをイエロー・キャブに見立てた暗喩がされている。
竜巻(emotional breakdown)に巻き込まれ、オズの魔法の国(庶民の生活)に飛ばされてしまったドロシー(女優)はイエロー・ブリック・ロード(イエロー・キャプ)に従って、結果的には我が家(ショウ・ビジネス界)に戻る。
とも読み取れるのである。
CF(CM)に使うとは、何とも勿体無い素晴らしいプロットだと思うのだ。
本作「The Film」は、映画の素晴らしさを再確認させてくれる、本当に素晴らしいCF(CM)に仕上がっているのだ。
必見!!
ココではクレジット付きの180秒バージョンの「The Film」を観る事が出来ます。
http://www.joeytomatoes.com/chanelno5thefilm.htm
※ セリフを聞く限りは、彼女は(自称)ダンサーである。
因みに、彼女の失踪を告げるニュースのナレーションでは、most famous の後はわたしには聞き取れないが、おそらく彼女は世界的な女優だと思われる。(GONE! と言う新聞の見出しや、ラストのレッド・カーペット等からの類推)
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http://blog.with2.net/link.php/29604
5が付く日だけに放映される、と言われるニコール・キッドマン主演の「Chanel No.5」のCF(CM)のフル・バージョン(120秒)を初めて観た。
タイトル:「The Film」
監督:バズ・ラーマン
撮影:マンディ・ウォーカー
美術:キャサリン・マーティン
出演:ニコール・キッドマン、ロドリゴ・サントロ
本作「The Film」は、CF(CM)史に残るであろう素晴らしい作品に仕上がっている。
とは言うものの、最早CF(CM)と言うよりは、CF(CM)の形を借りたショート・フィルムの傑作と言っても差支えが無い叙情的で、感動的な素晴らしいラブ・ストーリーだと言える。
物語は、世界的に著名な女優(ニコール・キッドマン ※)が失踪した数日間、ただの若者(ロドリゴ・サントロ)と恋に落ちるが、数日後彼女は若者の前から去る。
キス、微笑み、そして香りを残して・・・・
音楽はベートーベンの「月光」をモチーフにした趣きのあるもの。
撮影は「ニュースの天才」のマンディ・ウォーカー。
衣装・美術は、「ムーラン・ルージュ」のキャサリン・マーティン。
そして監督は同じく「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマンである。
世界観は、「ムーラン・ルージュ」の世界観を現代に再構築したような雰囲気を醸し出している。
特に「ベルリン天使の歌」を髣髴とさせるような、シャネルの看板のセットが大変素晴らしい。
撮影は色調を落としたシックなもので、ゆっくりとしたトラック移動が効果的である。
ツイ・ハークが好んで使うドーリー移動の雰囲気である。
そして、キャストのニコール・キッドマンは言うまでも無く大変素晴らしく、ラストの表情は絶品である。
また、ロドリゴ・サントロも朴訥でいながら洗練されている世間知らずの若者を見事に演じている。
そして考えなければならないのは、本作「The Film」は「ローマの休日」をモチーフとしている事である。
アン王女(オードリー・ヘプバーン)とジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)との恋が完全に現代に蘇っているのだ。
また、彼女が失踪後タクシーに飛び乗って彼と出会うのだが、この辺りは「オズの魔法使い」のイエロー・ブリック・ロードをイエロー・キャブに見立てた暗喩がされている。
竜巻(emotional breakdown)に巻き込まれ、オズの魔法の国(庶民の生活)に飛ばされてしまったドロシー(女優)はイエロー・ブリック・ロード(イエロー・キャプ)に従って、結果的には我が家(ショウ・ビジネス界)に戻る。
とも読み取れるのである。
CF(CM)に使うとは、何とも勿体無い素晴らしいプロットだと思うのだ。
本作「The Film」は、映画の素晴らしさを再確認させてくれる、本当に素晴らしいCF(CM)に仕上がっているのだ。
必見!!
ココではクレジット付きの180秒バージョンの「The Film」を観る事が出来ます。
http://www.joeytomatoes.com/chanelno5thefilm.htm
※ セリフを聞く限りは、彼女は(自称)ダンサーである。
因みに、彼女の失踪を告げるニュースのナレーションでは、most famous の後はわたしには聞き取れないが、おそらく彼女は世界的な女優だと思われる。(GONE! と言う新聞の見出しや、ラストのレッド・カーペット等からの類推)
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「FORD MUSTANG / CORNFIELD」
2004年12月8日 CF(CM)/PVとにかくこれを見ろ!
そして泣け!
世界最高のCF(CM)がここにある。
http://www.fordvehicles.com/cars/mustang/launch/
ここから入って、GALLERY / VIDEO GALLERY を選択しろ!
そうだ、中央のビデオだ。
真中のタコメーターのアップの画像をクリックするんだ!
「CORNFIELD」と言うタイトルのCF(CM)を再生しろ!
If you build it, he will come.
これが本物の「フィールド・オブ・ドリームス」
夢のサーキットなのだ!
あぁ、できる事なら、淀川長治に見せたかった・・・・。
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「Nintendo DS/登場編・実感編」任天堂株式会社
2004年10月3日 CF(CM)/PV
2004年12月2日発売予定の「NINTENDO DS」のCF(CM)が公開された。(※1)
公開された「NINTENDO DS」のCF(CM)は「真白い空間」の中、「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着た「Utada」(※2)と「白いテーブル」と「Nintendo DS」本体というシンプルなもので、キャッチ・コピーは「Touch!」である。
ところで、日本国内で販売された「ファミリーコンピュータ」、「スーパーファミコン」、「ニンテンドウ64」、「ニンテンドーゲームキューブ」等の任天堂の据置型家庭用ゲーム機の中で商標に「ニンテンドウ/ニンテンドー」の文字が付いているのは「ニンテンドウ64」以降であり、しかも「ニンテンドウ64」以降は、北米を中心とした海外のマーケットで同じ商標の英字表記を商標として使用している。(※3)
そして今冬発売となる「NINTENDO DS/ニンテンドー DS」も同様に、商標に「ニンテンドー」の文字が入っている。(※4)
これは「ニンテンドウ64」以降続く海外戦略のひとつだと考えられるし、CF(CM)に登場するのが「宇多田ヒカル」ではなく先ごろ北米デビューを果たした「Utada」とクレジットされている事もそれを肯定しているのではないだろうか。
そして「Utada」の衣裳である。
何故「Utada」は「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着なければならなかったのか。
先ず単純に考えられるのは、今回のキャッチ・コピーである「Touch!」である。
これは「NINTENDO DS」に搭載された「タッチ・バネル」に因るコピーで、この「NINTENDO DS」は、搭載された「タッチ・パネル」に触れることにより、新次元のゲーム体験を可能にするゲーム機である、という事を明確に謳っているのだ。
そして同時に「Touch!」と言うコピーは、「Utada」が「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着ていることから、思春期の少年たちが女の子の胸に初めて触れる「ドキドキ感」や「ワクワク感」、そしてその少年たちが女の子の胸の感触を思う「無限の想像力」をも実現するゲーム機だと、言っているのであろう。
更に「Utada」が着用した、「真白い空間」の中の「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」が暗喩するものは、勿論図案化された「日本の国旗」であり、これにより「NINTENDO DS」を開発したのは日本の企業であることを明示し、その日本の企業任天堂はグローバルな戦略の下、世界中のマーケットを席巻するであろう事を宣言しているのである。
ついでに「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」により、「NINTENDO DS」は「胸にポッカリと開いた穴」を補完する存在である。と言うことも同時に言っているのである。
つまり「心を持ったゲーム機」である、と言っているのである。
そしてこのCF(CM)では、人類が「NINTENDO DS」に「Touch!」することにより、「新たな人類への飛躍」、「新たな人類の誕生」を迎える事をも意味しているのである。
これはこのCF(CM)の世界観がスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号等の世界観に似ている点や、「赤いワンピース」のシルエットはあたかも「黒いモノリス」のように見える点からもあきらかであろう。(※5)
更に「真白い空間」の中「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着て歩く「Utada」は、「白いディスカバリー号の中」を歩く「違う色のヘルメット」を被り「赤い宇宙服」を着た「ボウマン船長」をも髣髴とさせるし、「胸元の円形の穴」は「ヘルメットが無い宇宙服」を示しているのかも知れない。
更に深読みすると「NINTENDO DS」のロゴマークには、2画面を意味するO(四角に見える)が縦に2個並んでおり、それは:(コロン)にも見え、CF(CM)ではその:(コロン)がビジュアル的に効果的に使用されている。
そしてなんと言っても、:(コロン)から想起されるのは、「2001年宇宙の旅」の原題「2001: A Space Odyssey」のタイトルの:(コロン)であろう。(完全に誇大妄想的意見に思えますね)
さあ君も「NINTENDO DS」に「Touch!」して、ボウマン船長のように、新人類になろう!
と言う訳なのだ。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
余談だが、「Utada」の「赤い靴」は同考えても「オズの魔法使い」の「ルビーの靴」をイメージしているのだと思われますが、だとすると「NINTENDO DS」は「オズの大魔王」のメタファーで「インチキ」を意味する事になりかねませんが、その辺はどうなんでしょうね。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
※1 「NINTENDO DS」のCF(CM)は、2004/09/23に「Nintendo DS/登場編」が、2004/09/24には「Nintendo DS/実感編」が公開された。
※2 CF(CM)では「宇多田ヒカル」ではなく「Utada」とクレジットされている。
「Utada」とは、北米デビューの際の「宇多田ヒカル」のアーティスト名(商標か?)
※3 「ファミリーコンピュータ」は北米では「NES(Nintendo Entertainment System)」、「スーパーファミコン」は「SUPER NES(Super Nintendo Entertainment System)」という商標で販売された。なお「ニンテンドウ64」は「Nintendo 64」、「ニンテンドーゲームキューブ」は「NINTENDO GAMECUBE」である。
※4 「NINTENDO DS」は、任天堂の持運び型家庭用ゲーム機の中で商標に「ニンテンドウ/ニンテンドー」の文字が付く最初のゲーム機となる。
※5 おそらく多くの読者は、「赤いワンピース」が「黒いモノリス」であるとか、「Utada」は「ボウマン船長」だとか、「NINTENDO DS」に触れて新人類になろう、だとかの「NINTENDO DS」のCF(CM)は、スタンリー・キューブリックへのリスペクトでありオマージュであると言う意見は、わたしの誇大妄想的こじ付けだと思う人が多いとわたしは思うが、実際のところ、CF(CM)を製作する広告代理店がその企画を持って企業にプレゼンテーションするような場合は、その辺まで言葉を弄して、プレゼンするのである。
わたしだって任天堂のお偉方を納得させる為には、その辺の背景を含めた企画を立ててプレゼンすると思います。
なにしろ、あんな「胸に大きく穴が開いている」ダサダサの「赤いワンピース」を「Utada」に着せる事由が、そして任天堂や「宇多田ヒカル」を納得させることが出来る事由が、広告代理店には必要なんですから。
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公開された「NINTENDO DS」のCF(CM)は「真白い空間」の中、「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着た「Utada」(※2)と「白いテーブル」と「Nintendo DS」本体というシンプルなもので、キャッチ・コピーは「Touch!」である。
ところで、日本国内で販売された「ファミリーコンピュータ」、「スーパーファミコン」、「ニンテンドウ64」、「ニンテンドーゲームキューブ」等の任天堂の据置型家庭用ゲーム機の中で商標に「ニンテンドウ/ニンテンドー」の文字が付いているのは「ニンテンドウ64」以降であり、しかも「ニンテンドウ64」以降は、北米を中心とした海外のマーケットで同じ商標の英字表記を商標として使用している。(※3)
そして今冬発売となる「NINTENDO DS/ニンテンドー DS」も同様に、商標に「ニンテンドー」の文字が入っている。(※4)
これは「ニンテンドウ64」以降続く海外戦略のひとつだと考えられるし、CF(CM)に登場するのが「宇多田ヒカル」ではなく先ごろ北米デビューを果たした「Utada」とクレジットされている事もそれを肯定しているのではないだろうか。
そして「Utada」の衣裳である。
何故「Utada」は「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着なければならなかったのか。
先ず単純に考えられるのは、今回のキャッチ・コピーである「Touch!」である。
これは「NINTENDO DS」に搭載された「タッチ・バネル」に因るコピーで、この「NINTENDO DS」は、搭載された「タッチ・パネル」に触れることにより、新次元のゲーム体験を可能にするゲーム機である、という事を明確に謳っているのだ。
そして同時に「Touch!」と言うコピーは、「Utada」が「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着ていることから、思春期の少年たちが女の子の胸に初めて触れる「ドキドキ感」や「ワクワク感」、そしてその少年たちが女の子の胸の感触を思う「無限の想像力」をも実現するゲーム機だと、言っているのであろう。
更に「Utada」が着用した、「真白い空間」の中の「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」が暗喩するものは、勿論図案化された「日本の国旗」であり、これにより「NINTENDO DS」を開発したのは日本の企業であることを明示し、その日本の企業任天堂はグローバルな戦略の下、世界中のマーケットを席巻するであろう事を宣言しているのである。
ついでに「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」により、「NINTENDO DS」は「胸にポッカリと開いた穴」を補完する存在である。と言うことも同時に言っているのである。
つまり「心を持ったゲーム機」である、と言っているのである。
そしてこのCF(CM)では、人類が「NINTENDO DS」に「Touch!」することにより、「新たな人類への飛躍」、「新たな人類の誕生」を迎える事をも意味しているのである。
これはこのCF(CM)の世界観がスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号等の世界観に似ている点や、「赤いワンピース」のシルエットはあたかも「黒いモノリス」のように見える点からもあきらかであろう。(※5)
更に「真白い空間」の中「胸元に円形の穴が開いた」「赤いワンピース」を着て歩く「Utada」は、「白いディスカバリー号の中」を歩く「違う色のヘルメット」を被り「赤い宇宙服」を着た「ボウマン船長」をも髣髴とさせるし、「胸元の円形の穴」は「ヘルメットが無い宇宙服」を示しているのかも知れない。
更に深読みすると「NINTENDO DS」のロゴマークには、2画面を意味するO(四角に見える)が縦に2個並んでおり、それは:(コロン)にも見え、CF(CM)ではその:(コロン)がビジュアル的に効果的に使用されている。
そしてなんと言っても、:(コロン)から想起されるのは、「2001年宇宙の旅」の原題「2001: A Space Odyssey」のタイトルの:(コロン)であろう。(完全に誇大妄想的意見に思えますね)
さあ君も「NINTENDO DS」に「Touch!」して、ボウマン船長のように、新人類になろう!
と言う訳なのだ。
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余談だが、「Utada」の「赤い靴」は同考えても「オズの魔法使い」の「ルビーの靴」をイメージしているのだと思われますが、だとすると「NINTENDO DS」は「オズの大魔王」のメタファーで「インチキ」を意味する事になりかねませんが、その辺はどうなんでしょうね。
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※1 「NINTENDO DS」のCF(CM)は、2004/09/23に「Nintendo DS/登場編」が、2004/09/24には「Nintendo DS/実感編」が公開された。
※2 CF(CM)では「宇多田ヒカル」ではなく「Utada」とクレジットされている。
「Utada」とは、北米デビューの際の「宇多田ヒカル」のアーティスト名(商標か?)
※3 「ファミリーコンピュータ」は北米では「NES(Nintendo Entertainment System)」、「スーパーファミコン」は「SUPER NES(Super Nintendo Entertainment System)」という商標で販売された。なお「ニンテンドウ64」は「Nintendo 64」、「ニンテンドーゲームキューブ」は「NINTENDO GAMECUBE」である。
※4 「NINTENDO DS」は、任天堂の持運び型家庭用ゲーム機の中で商標に「ニンテンドウ/ニンテンドー」の文字が付く最初のゲーム機となる。
※5 おそらく多くの読者は、「赤いワンピース」が「黒いモノリス」であるとか、「Utada」は「ボウマン船長」だとか、「NINTENDO DS」に触れて新人類になろう、だとかの「NINTENDO DS」のCF(CM)は、スタンリー・キューブリックへのリスペクトでありオマージュであると言う意見は、わたしの誇大妄想的こじ付けだと思う人が多いとわたしは思うが、実際のところ、CF(CM)を製作する広告代理店がその企画を持って企業にプレゼンテーションするような場合は、その辺まで言葉を弄して、プレゼンするのである。
わたしだって任天堂のお偉方を納得させる為には、その辺の背景を含めた企画を立ててプレゼンすると思います。
なにしろ、あんな「胸に大きく穴が開いている」ダサダサの「赤いワンピース」を「Utada」に着せる事由が、そして任天堂や「宇多田ヒカル」を納得させることが出来る事由が、広告代理店には必要なんですから。
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TOYOTA VOXYのCF(CM)のキャラクターが、トータス松本から反町隆史に変わり、変更後第一弾のCFが、この「BUBBLE GUM篇」で、撮影はドイツの会社が行い、ロケ地はハンブルグ(ドイツ)、監督はアムステルダム出身のドイツ人。
しかしおそらく企画は日本の広告代理店が行っているのだと思うのだ。
因みにこのCFの放映頻度は比較的高めなので、既に皆さんも一度くらいはご覧になっていることと思う。
このCFのコピーは「僕には、キミをカッコよくする義務がある」というもので、出演は前述の反町隆史が父親役を演じ息子役の田島健吾と絡んでいる。
で、わたしが思ったのは、このCFの企画があがったのは、トータス松本がVOXYのキャラクターだった時代で、キャラクターが反町隆史に変更になったのに、そのままのコンセプトで反町隆史を起用しCFを作ってしまったのではないか、と言う事である。
先ず考えなければならないのは、このCFのコピー「僕には、キミをカッコよくする義務がある」は、父親の息子に対する心情である、ということだろう。
そしてこのコピーは私見だが、父親が3枚目(2.5枚目)キャラの場合にきまるコピーであり、2枚目キャラにこのコピーをあてると、嫌味な奴か勘違い野郎に見えてしまい、世の男性諸氏に反感を買ってしまう可能性が高いとわたしは思うのである。
更に演出的にも反町隆史が演じる格好良い父親像が、とんでもない勘違い野郎に見えてしまうのである。
足を組み、自動車に寄りかかり、腕を組み、風船ガムを膨らませる。
わたしには、そのスタイルが、格好良いと思い込んでいるバカな父親に見えてしまうのである。
これは演出サイドのミスであり怠惰ではないだろうか。
しかしながら、これをトータス松本が演じたらどうだろう、ダサ格好良い父親がちょっとだけ無理をしている感じを出せれば、万人に好かれる良いCFになったのではないか、と思うのだ。
あとは三谷幸喜あたりが父親役を演じても、嫌味の無い良いCFになったのではないか、と思う訳だ。
つまり、わたしはこのCFは、俳優が持つ従来のイメージを掴みきれなかった製作会社(ドイツのスタッフ)のミスが色濃く出てしまったのではないか、と思う訳なのだ。
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因みにこのCFの放映頻度は比較的高めなので、既に皆さんも一度くらいはご覧になっていることと思う。
このCFのコピーは「僕には、キミをカッコよくする義務がある」というもので、出演は前述の反町隆史が父親役を演じ息子役の田島健吾と絡んでいる。
で、わたしが思ったのは、このCFの企画があがったのは、トータス松本がVOXYのキャラクターだった時代で、キャラクターが反町隆史に変更になったのに、そのままのコンセプトで反町隆史を起用しCFを作ってしまったのではないか、と言う事である。
先ず考えなければならないのは、このCFのコピー「僕には、キミをカッコよくする義務がある」は、父親の息子に対する心情である、ということだろう。
そしてこのコピーは私見だが、父親が3枚目(2.5枚目)キャラの場合にきまるコピーであり、2枚目キャラにこのコピーをあてると、嫌味な奴か勘違い野郎に見えてしまい、世の男性諸氏に反感を買ってしまう可能性が高いとわたしは思うのである。
更に演出的にも反町隆史が演じる格好良い父親像が、とんでもない勘違い野郎に見えてしまうのである。
足を組み、自動車に寄りかかり、腕を組み、風船ガムを膨らませる。
わたしには、そのスタイルが、格好良いと思い込んでいるバカな父親に見えてしまうのである。
これは演出サイドのミスであり怠惰ではないだろうか。
しかしながら、これをトータス松本が演じたらどうだろう、ダサ格好良い父親がちょっとだけ無理をしている感じを出せれば、万人に好かれる良いCFになったのではないか、と思うのだ。
あとは三谷幸喜あたりが父親役を演じても、嫌味の無い良いCFになったのではないか、と思う訳だ。
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2000年〜2002年頃だと思うのだが、タワーレコードのCF(CM)で次のような作品があった。
このCF(CM)は、北米を中心に放映されたもので、日本国内ではおそらく放映されなかったと思うのだが、どこかのCF(CM)コンペティションで何かの賞を受賞した作品である。
「タワーレコード/タワーレコードの日常編」
とあるタワーレコード店内のカウンター
カメラは店員の頭越しにカウンターを捉えている。
そのカメラのレンズは広角で、あたかも防犯用のビデオ映像を見ているような印象を視聴者に与えている。
カウンターの前に現れたひとりの男が突然歌いだす。
その歌に耳を傾けるタワーレコードの店員。
サラリーマン、学生、主婦、パンク、スラッシャー、老人、子供・・・・
短いカットが変わる度に、様々な人達が様々な歌を歌い、店員は熱心に客の歌を聴いている。
「これがタワーレコードの日常です」
画面にキャッチ・コピーが現れる。
いかがだろうか。このCF(CM)のイメージは掴めたであろうか。
既にお分かりだと思うが、このCF(CM)は、「メロディや詩はわかるのだが、タイトルや演奏者がわからない曲」を店員の前で歌う事により、店員に曲名や演奏者名を教えて欲しい、という気持ちを、タワーレコードの店員の日常と絡め、ある種自嘲的に、ある種コミカルに、そしてコピーはある種シニカルに描いた作品だと言えよう。
いきなり、何の話かと言うと、このCF(CM)話はとあるブログに触発され、あぁ、こんなCF(CM)があったなと、わたしの記憶が顕在化された事によるものなのである。
因みに、そのブログはこちら。
「Everything She Wants」秋林瑞佳さん
「ビデオ屋ウォッチング 7」
http://diarynote.jp/d/25683/20040803.html
ビデオ屋さんにしろ、レコード屋さん(死語/ママ)にしろ、いろいろな悩みがあるようです。
レコード屋さん(ママ)は、ビデオ屋さんのようにキャストや俳優、場面説明等の言葉での説明ではなく、メロディを中心とした歌の説明でその曲を見つけ出さなければならない訳ですし、絶対数としては映像作品より音楽作品の方が数が多く、大変な度合は大きいかもしれません。
特に、カラオケがあれば問題なくても、アカペラで歌った場合、突然音痴になってしまう人も多いですし、店内でかかっている曲にこ引っ張られないで、自分の記憶の歌を歌わなければいけませんしね。
あと最近思うのは、昔のレコード屋さん(ママ)やビデオ屋さんの店員は結構コアでマニアックな人間データベース的な人が多かったような印象がありますが、最近はほとんど何も知らない人が店員になっている傾向が多いような気がします。
(例えば音楽や映画が)好きで好きでたまらないから、その仕事に就くのではなく、報酬を得るための手段として、たまたまその仕事に就く、という時代ですから仕方が無いのかも知れませんが、寂しい時代の到来かも知れませんね。
それに反して、膨大な情報の海を泳ぐ、わたし達のような消費者は、コアでマニアックな自堕落な情報の渦に取り込まれもがき苦しむうちに、一介の店員風情には把握は勿論、理解できないところまで到達してしまっている訳です。
ともすれば、以前は店員が所有していた膨大な商品情報を、現在は一般の消費者が持つようになってしまう、という「流通革命」の縮図がこんなところにも見え隠れする訳です。
そして本来は、そういったコアでマニアックな人間データベースの皆さんが、ビデオ屋やレコード屋(ママ)の店員になるべきだし、そういった人間データベース的人材の中から、かのクエンティン・タランティーノ等が輩出された訳で、そういったマニアックな品揃えのビデオ屋やレコード屋(ママ)がそういった優秀な人材を輩出する土壌となっていた訳なのです。
しかし、前述のような「流通革命」の縮図が起きている以上、次世代のタランティーノは、ビデオ屋から出てくるのではなく、一般消費者から出てくる、という事になっていくのではないでしょうか。
このCF(CM)は、北米を中心に放映されたもので、日本国内ではおそらく放映されなかったと思うのだが、どこかのCF(CM)コンペティションで何かの賞を受賞した作品である。
「タワーレコード/タワーレコードの日常編」
とあるタワーレコード店内のカウンター
カメラは店員の頭越しにカウンターを捉えている。
そのカメラのレンズは広角で、あたかも防犯用のビデオ映像を見ているような印象を視聴者に与えている。
カウンターの前に現れたひとりの男が突然歌いだす。
その歌に耳を傾けるタワーレコードの店員。
サラリーマン、学生、主婦、パンク、スラッシャー、老人、子供・・・・
短いカットが変わる度に、様々な人達が様々な歌を歌い、店員は熱心に客の歌を聴いている。
「これがタワーレコードの日常です」
画面にキャッチ・コピーが現れる。
いかがだろうか。このCF(CM)のイメージは掴めたであろうか。
既にお分かりだと思うが、このCF(CM)は、「メロディや詩はわかるのだが、タイトルや演奏者がわからない曲」を店員の前で歌う事により、店員に曲名や演奏者名を教えて欲しい、という気持ちを、タワーレコードの店員の日常と絡め、ある種自嘲的に、ある種コミカルに、そしてコピーはある種シニカルに描いた作品だと言えよう。
いきなり、何の話かと言うと、このCF(CM)話はとあるブログに触発され、あぁ、こんなCF(CM)があったなと、わたしの記憶が顕在化された事によるものなのである。
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ビデオ屋さんにしろ、レコード屋さん(死語/ママ)にしろ、いろいろな悩みがあるようです。
レコード屋さん(ママ)は、ビデオ屋さんのようにキャストや俳優、場面説明等の言葉での説明ではなく、メロディを中心とした歌の説明でその曲を見つけ出さなければならない訳ですし、絶対数としては映像作品より音楽作品の方が数が多く、大変な度合は大きいかもしれません。
特に、カラオケがあれば問題なくても、アカペラで歌った場合、突然音痴になってしまう人も多いですし、店内でかかっている曲にこ引っ張られないで、自分の記憶の歌を歌わなければいけませんしね。
あと最近思うのは、昔のレコード屋さん(ママ)やビデオ屋さんの店員は結構コアでマニアックな人間データベース的な人が多かったような印象がありますが、最近はほとんど何も知らない人が店員になっている傾向が多いような気がします。
(例えば音楽や映画が)好きで好きでたまらないから、その仕事に就くのではなく、報酬を得るための手段として、たまたまその仕事に就く、という時代ですから仕方が無いのかも知れませんが、寂しい時代の到来かも知れませんね。
それに反して、膨大な情報の海を泳ぐ、わたし達のような消費者は、コアでマニアックな自堕落な情報の渦に取り込まれもがき苦しむうちに、一介の店員風情には把握は勿論、理解できないところまで到達してしまっている訳です。
ともすれば、以前は店員が所有していた膨大な商品情報を、現在は一般の消費者が持つようになってしまう、という「流通革命」の縮図がこんなところにも見え隠れする訳です。
そして本来は、そういったコアでマニアックな人間データベースの皆さんが、ビデオ屋やレコード屋(ママ)の店員になるべきだし、そういった人間データベース的人材の中から、かのクエンティン・タランティーノ等が輩出された訳で、そういったマニアックな品揃えのビデオ屋やレコード屋(ママ)がそういった優秀な人材を輩出する土壌となっていた訳なのです。
しかし、前述のような「流通革命」の縮図が起きている以上、次世代のタランティーノは、ビデオ屋から出てくるのではなく、一般消費者から出てくる、という事になっていくのではないでしょうか。
日本国内の一般メディアで目にするような映像の中に、なんとなく既視感を覚える映像がある場合がある。
これが、リスペクトなのかオマージュなのかパスティーシュなのかパロディなのか剽窃なのか盗作なのか判断に困ることがある。
でお題の「ミニッツメイドデリ フルーティ・キャロット」のCF(CM)"Sound of DELI"篇(日本コカ・コーラ株式会社)なのだが、これはおそらく皆さんも見たことがあると思うのだが、言葉で表現すると、次のようなCF(CM)である。
舞台は、セットの中央にテーブル(調理台)がセットされたキッチン。テーブルを中央に左右対称に配された料理人が、ミニッツメイドデリで使用されている野菜や果物を小気味好くリズミカルにスタイリッシュにナイフで切っている。
そしてその料理人たちは、ただ野菜や果物を切るだけではなく、テーブルについたまま、左右対称のまま踊りだすのである。
どうです。思い出しましたか、そう、あの格好良さげなちょっとスタイリッシュなCF(CM)です。
でこのCF(CM)にどんな映像の既視感を感じたかと言うと、2004年11月に北米を始めとして世界中で公開される「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")で、「急行北極号」内で踊りまわる北極号の乗務員たちである。
その乗務員たちは、北極号の通路で、客にお茶を注ぎながら、横並びで完全にシンクロした状態でバック転等をしながら踊りまくるのである。
両方の映像を見ていただければ、わたしの既視感の理由は一目瞭然だと思う。
海外で製作された映像等が、日本国内で紹介される前に、日本国内で同じようなコンセプトの映像を作ってしまえ、という事は一般に行なわれていることである。
古くは「スター・ウォーズ/"THE NEW HOPE"」に対する「宇宙からのメッセージ」であったり、同じ国内で考えても「フルメタル・ジャケット」に対する「プラトーン」であったり、映画「丹下左膳百万両の壷」(2004/7/17公開)に対するテレビ・ドラマ「丹下左膳」(2004/6/30放映)だったりする訳である。
で、今回の「ミニッツメイドデリ フルーティ・キャロット」のCF(CM)"Sound of DELI"篇(日本コカ・コーラ株式会社)が、仮に、まだ未公開で評価が定まっていない作品である「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")の一場面のコンセプトを模倣しているというのならば、−−ついでにこの作品は2004年11月公開であるのだから−−、内容もわからずにリスペクトやオマージュする、という観点は無いだろう。
そこで、今回のケースを悪く考えると、おそらく製作サイドとしては、今年の冬に公開される映画のを予告編を見たスタッフが、良いねえ格好良いじゃん、これ使ってみようかな、的な感じでコンセプトが借用され、顧客には内緒でプレゼンテーションが行なわれたのではないか、という広告代理店のクリエイターの確信犯的な釈然としない印象を覚えてしまうのだ。
まあ、勿論偶然かもしれないけど、日本で公開されていない映像や書籍等の盗作ではないか騒ぎは日本国内でも結構ありますからね。
ところで、このCF(CM)は、韓国発のキッチン・エンターテインメント"NANTA"にも似ていますね。
CF(CM)のタイトルが、”Sound of DELI”ということですから、本当は"NANTA"に対するオマージュに「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")のコンセプトを借用した。というところかも知れませんね。
"THE POLAR EXPRESS"オフィシャル・サイト
http://polarexpressmovie.warnerbros.com/
「ポーラー・エクスプレス」オフィシャル・サイト
http://www.polar-express.jp/
これが、リスペクトなのかオマージュなのかパスティーシュなのかパロディなのか剽窃なのか盗作なのか判断に困ることがある。
でお題の「ミニッツメイドデリ フルーティ・キャロット」のCF(CM)"Sound of DELI"篇(日本コカ・コーラ株式会社)なのだが、これはおそらく皆さんも見たことがあると思うのだが、言葉で表現すると、次のようなCF(CM)である。
舞台は、セットの中央にテーブル(調理台)がセットされたキッチン。テーブルを中央に左右対称に配された料理人が、ミニッツメイドデリで使用されている野菜や果物を小気味好くリズミカルにスタイリッシュにナイフで切っている。
そしてその料理人たちは、ただ野菜や果物を切るだけではなく、テーブルについたまま、左右対称のまま踊りだすのである。
どうです。思い出しましたか、そう、あの格好良さげなちょっとスタイリッシュなCF(CM)です。
でこのCF(CM)にどんな映像の既視感を感じたかと言うと、2004年11月に北米を始めとして世界中で公開される「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")で、「急行北極号」内で踊りまわる北極号の乗務員たちである。
その乗務員たちは、北極号の通路で、客にお茶を注ぎながら、横並びで完全にシンクロした状態でバック転等をしながら踊りまくるのである。
両方の映像を見ていただければ、わたしの既視感の理由は一目瞭然だと思う。
海外で製作された映像等が、日本国内で紹介される前に、日本国内で同じようなコンセプトの映像を作ってしまえ、という事は一般に行なわれていることである。
古くは「スター・ウォーズ/"THE NEW HOPE"」に対する「宇宙からのメッセージ」であったり、同じ国内で考えても「フルメタル・ジャケット」に対する「プラトーン」であったり、映画「丹下左膳百万両の壷」(2004/7/17公開)に対するテレビ・ドラマ「丹下左膳」(2004/6/30放映)だったりする訳である。
で、今回の「ミニッツメイドデリ フルーティ・キャロット」のCF(CM)"Sound of DELI"篇(日本コカ・コーラ株式会社)が、仮に、まだ未公開で評価が定まっていない作品である「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")の一場面のコンセプトを模倣しているというのならば、−−ついでにこの作品は2004年11月公開であるのだから−−、内容もわからずにリスペクトやオマージュする、という観点は無いだろう。
そこで、今回のケースを悪く考えると、おそらく製作サイドとしては、今年の冬に公開される映画のを予告編を見たスタッフが、良いねえ格好良いじゃん、これ使ってみようかな、的な感じでコンセプトが借用され、顧客には内緒でプレゼンテーションが行なわれたのではないか、という広告代理店のクリエイターの確信犯的な釈然としない印象を覚えてしまうのだ。
まあ、勿論偶然かもしれないけど、日本で公開されていない映像や書籍等の盗作ではないか騒ぎは日本国内でも結構ありますからね。
ところで、このCF(CM)は、韓国発のキッチン・エンターテインメント"NANTA"にも似ていますね。
CF(CM)のタイトルが、”Sound of DELI”ということですから、本当は"NANTA"に対するオマージュに「ポーラー・エクスプレス」("THE POLAR EXPRESS")のコンセプトを借用した。というところかも知れませんね。
"THE POLAR EXPRESS"オフィシャル・サイト
http://polarexpressmovie.warnerbros.com/
「ポーラー・エクスプレス」オフィシャル・サイト
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「iPOD TV SPOT 4」(アップルコンピュータ株式会社)
2004年5月24日 CF(CM)/PVアップルコンピュータ社"iPOD"の現行CF(CM)は、Feature Castの"Channel Surfing"という曲にのって、カット毎に入替わるビビッド・カラーの背景の中、黒いシルエットで表現された人々が、"iPOD"から聞こえてくる曲に合わせて踊りまくる、というものである。
そして、踊りまくる人々とは対照的に、"iPOD"本体とコピーは白一色で統一されている。
わたしは以前から、アップルコンピュータ社の"ipod"の広告宣伝用アートワークが気になっていた。
それは、これらの"ipod"のアートワークは、スタンリー・キューブリックへのオマージュになっているのではないか、と考えるからである。
具体的に言うと、"iPOD"のアートワークは、スタンリー・キューブリック監督作品「時計じかけのオレンジ」のオープニングのタイトル・カードとエンド・クレジットにインスパイアされ、スタンリー・キューブリックへのオマージュとして制作されたものではないか、と考えているのである。
ではその「時計じかけのオレンジ」のタイトル・カードとエンド・クレジットは具体的にどのようなものなのか、と言うと、"iPOD"のCF(CM)同様、カット毎(ここではキャストやスタッフの表記毎、或いはタイトル・カード毎)に入替わるビビッド・カラーの背景に、キャストやスタッフのクレジット表記は白一色で統一されている、というスタイルを持っているのだ。
みなさんもご承知のように、ほとんどの映画のタイトル・カードやエンド・クレジットは、表示フォーマットが統一されている関係で、エンド・クレジットやタイトル・カードが表示される背景色は全て同色(ほとんどの場合は黒一色)に統一されているのだ。
「時計じかけのオレンジ」のように、タイトル・カード毎に色を変える、というのは、言うまでも無く、特異な形態なのだ。
機会があったら、「時計じかけのオレンジ」のエンド・クレジットをご確認いただきたいのだが、"iPOD"のアートワークとの共通点は誰の目にも明らかだと思う。
従って、私見ではあるが、"ipod"のアートワークは、スタンリー・キューブリックへのオマージュになっている、のは確実なのだ。
ところで、スタンリー・キューブリック監督作品「2001年宇宙の旅」にHAL9000というコンピュータが登場するのだが、HALという名は、IBM社の一歩先を行く、という意味でIBMのそれぞれのアルファベット文字を1文字ずつ前にずらして創作した。という伝説も残っているだけに、キューブリックとコンピュータ会社の関連は興味深いものがあるのだ。
つまり、HAL9000とIBM社の関係を含めて考えるしと、「IBM社より一歩先を行くコンピュータHAL9000を生み出したスタンリー・キューブリックに対し、アップル・コンピュータ社は敬意を表している」という図式が見えてくるのである。
そして、スタンリー・キューブリックへのオマージュにより、キューブリックと肩を並べたアップル・コンピュータ社は、相対的にIBM社より一歩先んじている、という関係になるのだ。
そして、論をもう一歩進めると、アップル・コンピュータ社は、人類は"iPOD"という道具を得て、人類の進化における新たなステップを踏み出した、と感じさせようとしているのではないだろうか。
これは「2001年宇宙の旅」の「人類の夜明け」または「スター・チャイルドの誕生」とも対比できる、新たな人類の誕生を暗喩しているのではないだろうか。
アップル・コンピュータ社はスタンリー・キューブリックへのオマージュを行いつつ、「"iPOD"により人類は種としての新たな飛躍の時期を迎えているのだ」と言っているのではないだろうか。
国内版のCF(CM)で表示される"Goodbye MD"というコピーにもそれが感じられる。
アップル・コンピュータ社の孤高な精神を感じるのだ。
あくまでも余談だが、「2001年宇宙の旅」に出てくる宇宙船ディスカバリー号の船内には、Apod、Bpod、Cpodという3台の船外活動用のポッドが搭載されている。
また、"iPOD"同様、ディスカバリー号やポッドは白を基調としている。
iPOD TV SPOT 4 / アップルコンピュータ株式会社
http://www.apple.co.jp/ipod/ads/index.html
iPOD TV SPOT 4 / Apple Computer, Inc.
http://www.apple.com/ipod/ads/ad4length30.html
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そして、踊りまくる人々とは対照的に、"iPOD"本体とコピーは白一色で統一されている。
わたしは以前から、アップルコンピュータ社の"ipod"の広告宣伝用アートワークが気になっていた。
それは、これらの"ipod"のアートワークは、スタンリー・キューブリックへのオマージュになっているのではないか、と考えるからである。
具体的に言うと、"iPOD"のアートワークは、スタンリー・キューブリック監督作品「時計じかけのオレンジ」のオープニングのタイトル・カードとエンド・クレジットにインスパイアされ、スタンリー・キューブリックへのオマージュとして制作されたものではないか、と考えているのである。
ではその「時計じかけのオレンジ」のタイトル・カードとエンド・クレジットは具体的にどのようなものなのか、と言うと、"iPOD"のCF(CM)同様、カット毎(ここではキャストやスタッフの表記毎、或いはタイトル・カード毎)に入替わるビビッド・カラーの背景に、キャストやスタッフのクレジット表記は白一色で統一されている、というスタイルを持っているのだ。
みなさんもご承知のように、ほとんどの映画のタイトル・カードやエンド・クレジットは、表示フォーマットが統一されている関係で、エンド・クレジットやタイトル・カードが表示される背景色は全て同色(ほとんどの場合は黒一色)に統一されているのだ。
「時計じかけのオレンジ」のように、タイトル・カード毎に色を変える、というのは、言うまでも無く、特異な形態なのだ。
機会があったら、「時計じかけのオレンジ」のエンド・クレジットをご確認いただきたいのだが、"iPOD"のアートワークとの共通点は誰の目にも明らかだと思う。
従って、私見ではあるが、"ipod"のアートワークは、スタンリー・キューブリックへのオマージュになっている、のは確実なのだ。
ところで、スタンリー・キューブリック監督作品「2001年宇宙の旅」にHAL9000というコンピュータが登場するのだが、HALという名は、IBM社の一歩先を行く、という意味でIBMのそれぞれのアルファベット文字を1文字ずつ前にずらして創作した。という伝説も残っているだけに、キューブリックとコンピュータ会社の関連は興味深いものがあるのだ。
つまり、HAL9000とIBM社の関係を含めて考えるしと、「IBM社より一歩先を行くコンピュータHAL9000を生み出したスタンリー・キューブリックに対し、アップル・コンピュータ社は敬意を表している」という図式が見えてくるのである。
そして、スタンリー・キューブリックへのオマージュにより、キューブリックと肩を並べたアップル・コンピュータ社は、相対的にIBM社より一歩先んじている、という関係になるのだ。
そして、論をもう一歩進めると、アップル・コンピュータ社は、人類は"iPOD"という道具を得て、人類の進化における新たなステップを踏み出した、と感じさせようとしているのではないだろうか。
これは「2001年宇宙の旅」の「人類の夜明け」または「スター・チャイルドの誕生」とも対比できる、新たな人類の誕生を暗喩しているのではないだろうか。
アップル・コンピュータ社はスタンリー・キューブリックへのオマージュを行いつつ、「"iPOD"により人類は種としての新たな飛躍の時期を迎えているのだ」と言っているのではないだろうか。
国内版のCF(CM)で表示される"Goodbye MD"というコピーにもそれが感じられる。
アップル・コンピュータ社の孤高な精神を感じるのだ。
あくまでも余談だが、「2001年宇宙の旅」に出てくる宇宙船ディスカバリー号の船内には、Apod、Bpod、Cpodという3台の船外活動用のポッドが搭載されている。
また、"iPOD"同様、ディスカバリー号やポッドは白を基調としている。
iPOD TV SPOT 4 / アップルコンピュータ株式会社
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「コカ・コーラ/サザエさん編」(日本コカ・コーラ株式会社)
2004年4月26日 CF(CM)/PV最近「サザエさん」一家が、オール・スター・キャストで出演している、コカ・コーラのCF(CM)があります。
今回は、この一連のCF(CM)について考えてみましょう。
まず、わたしが視聴する限り、「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFは現在のところ2種類存在し、そのCFのコンセプトは、特定のコカ・コーラ製品のCFではなく、コカ・コーラの製品全体、またはコカ・コーラ社の企業PRとしてのCFとして機能しています。
また、今回のCFについて特筆すべき点は、音楽はともかく、アニメーションの「サザエさん」の世界観そのままの雰囲気でCFが構築されている、という点です。
それでは、現在視聴できる「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFをご紹介しましょう。
一本目は(わたしの記憶によると)、
磯野家の茶の間。
磯野家、フグ田家が一家団欒している。
サザエさんが立ち上がり、コカ・コーラ製品を買いに出かけようとする。
サザエ:コカ・コーラ買いに行くわよ。
タマ:ニャ〜ン
波平:ついでにまろ茶。
ワカメ:ついでにアクエリアス。
マスオ:ついでに爽健美茶。
カツオ:ついでにステーキ。
波平:どこがついでなんだ、カツオ!
タラオ:ですね。
二本目は(わたしの記憶によると)、
とある街角。
タラちゃんを連れたサザエさんと、イクラちゃんを連れたタイコさんとがばったり出会う。
タイコさんが持つ手提げにコカ・コーラ製品のミディペットボトルが入っている。
サザエ:あら、ミディペット。
タイコ:イクラとわたしで丁度良いんです。
イクラ:ハ〜イ。
タラ:パパにはあげないんですね。
ノリスケ:ハックション。
先ず、大前提として、このCFは前述の通り「サザエさん」ワールドそのままの雰囲気で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしている、という点が興味深い。
従来の「サザエさん」のキャラクターを起用した多くのCFでは、各キャラクターはCF内で視聴者に対し、商品を説明する役割を振られていたのだが、今回のシリーズでは、アニメーション「サザエさん」のひとコマを抽出したような演出プランによって、コカ・コーラ社のCFが出来上がっているのである。
しかも、各キャラクターの絵柄は最新のキャラクター設定に則っており、声優も最新の声優たちが起用されている。
音楽はともかく、今回のCFが、アニメーション「サザエさん」の本編の中に挿入されたとしても、視聴者には違和感無く受け入れられてしまうだろう。
実際は、違和感どころか、「サザエさん」の本編と本編の間に今回のCFが放映されたような場合、視聴者は、今見た映像が、本編なのかCFなのか区別が付かない、といった事象の発生が否定できない。
ここに来て、アニメーション本編とCFとの区別がつかなくなってしまった視聴者は、あたかも「サザエさん」本編の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルが行われていた、と錯覚しかねないのである。
これは、「サブリミナル効果」的な、知らず知らずのうちに効果が出てしまうという恐ろしい広告の手法なのかもしれない。
ここで思い知るのは、「サザエさん」のキャラクターが彼らの日常生活の中で、つまりキャラクター達が演じているアニメーション世界(われわれにとっての作られた擬似世界)の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしているという、いわばメタ・フィクション的構造の巧みさである。
この手法の巧みさと効果には、舌を巻く思いである。
これについては「トゥルーマン・ショー」の中で、テレビ番組の登場人物(トゥルーマン)に気付かずにスポンサーの製品のコマーシャルをしてしまう、という番組の中にCFを挟み込む手法が映像化されているので、関心がある方は参考の為見て欲しい。
そしてもうひとつの大きな問題は、「サザエさん」一家は、現代の日本人にとって、日本を代表する、そして日本を象徴する典型的な家族である、という点である。
その点を念頭において、このCFを視聴した場合、このCFの影響力に、空恐ろしいものを感じてしまうのだ。
事実か都市伝説なのかは知らないが、東芝が「サザエさん」の単独スポンサーだった時代、東芝から最新の家電製品が発売される度に、アニメーションの中に東芝の新製品が登場していた時代があったらしい。
そして、視聴者から「何故、磯野家(フグ田家)はそんなに簡単に、新製品ばかりを購入できるんだ。」とクレームが入り、現在の状況となったらしい。
そして、仮にこの事象が事実だった場合、その時点で既に「サザエさん」一家は、一般大衆によって、日本における一般家庭の典型と認められていることになるのだ。
今回の「コカ・コーラ/サザエさん編」は、例えるならば、語弊はあるものの、ロイヤル・ファミリーや、天皇家、大統領一家のような影響力のある一家が、1企業のCFに出演しているようなインパクトを日本国民に与えるほどの出来事なのかも知れない。
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今回は、この一連のCF(CM)について考えてみましょう。
まず、わたしが視聴する限り、「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFは現在のところ2種類存在し、そのCFのコンセプトは、特定のコカ・コーラ製品のCFではなく、コカ・コーラの製品全体、またはコカ・コーラ社の企業PRとしてのCFとして機能しています。
また、今回のCFについて特筆すべき点は、音楽はともかく、アニメーションの「サザエさん」の世界観そのままの雰囲気でCFが構築されている、という点です。
それでは、現在視聴できる「コカ・コーラ/サザエさん編」のCFをご紹介しましょう。
一本目は(わたしの記憶によると)、
磯野家の茶の間。
磯野家、フグ田家が一家団欒している。
サザエさんが立ち上がり、コカ・コーラ製品を買いに出かけようとする。
サザエ:コカ・コーラ買いに行くわよ。
タマ:ニャ〜ン
波平:ついでにまろ茶。
ワカメ:ついでにアクエリアス。
マスオ:ついでに爽健美茶。
カツオ:ついでにステーキ。
波平:どこがついでなんだ、カツオ!
タラオ:ですね。
二本目は(わたしの記憶によると)、
とある街角。
タラちゃんを連れたサザエさんと、イクラちゃんを連れたタイコさんとがばったり出会う。
タイコさんが持つ手提げにコカ・コーラ製品のミディペットボトルが入っている。
サザエ:あら、ミディペット。
タイコ:イクラとわたしで丁度良いんです。
イクラ:ハ〜イ。
タラ:パパにはあげないんですね。
ノリスケ:ハックション。
先ず、大前提として、このCFは前述の通り「サザエさん」ワールドそのままの雰囲気で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしている、という点が興味深い。
従来の「サザエさん」のキャラクターを起用した多くのCFでは、各キャラクターはCF内で視聴者に対し、商品を説明する役割を振られていたのだが、今回のシリーズでは、アニメーション「サザエさん」のひとコマを抽出したような演出プランによって、コカ・コーラ社のCFが出来上がっているのである。
しかも、各キャラクターの絵柄は最新のキャラクター設定に則っており、声優も最新の声優たちが起用されている。
音楽はともかく、今回のCFが、アニメーション「サザエさん」の本編の中に挿入されたとしても、視聴者には違和感無く受け入れられてしまうだろう。
実際は、違和感どころか、「サザエさん」の本編と本編の間に今回のCFが放映されたような場合、視聴者は、今見た映像が、本編なのかCFなのか区別が付かない、といった事象の発生が否定できない。
ここに来て、アニメーション本編とCFとの区別がつかなくなってしまった視聴者は、あたかも「サザエさん」本編の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルが行われていた、と錯覚しかねないのである。
これは、「サブリミナル効果」的な、知らず知らずのうちに効果が出てしまうという恐ろしい広告の手法なのかもしれない。
ここで思い知るのは、「サザエさん」のキャラクターが彼らの日常生活の中で、つまりキャラクター達が演じているアニメーション世界(われわれにとっての作られた擬似世界)の中で、コカ・コーラ製品のコマーシャルをしているという、いわばメタ・フィクション的構造の巧みさである。
この手法の巧みさと効果には、舌を巻く思いである。
これについては「トゥルーマン・ショー」の中で、テレビ番組の登場人物(トゥルーマン)に気付かずにスポンサーの製品のコマーシャルをしてしまう、という番組の中にCFを挟み込む手法が映像化されているので、関心がある方は参考の為見て欲しい。
そしてもうひとつの大きな問題は、「サザエさん」一家は、現代の日本人にとって、日本を代表する、そして日本を象徴する典型的な家族である、という点である。
その点を念頭において、このCFを視聴した場合、このCFの影響力に、空恐ろしいものを感じてしまうのだ。
事実か都市伝説なのかは知らないが、東芝が「サザエさん」の単独スポンサーだった時代、東芝から最新の家電製品が発売される度に、アニメーションの中に東芝の新製品が登場していた時代があったらしい。
そして、視聴者から「何故、磯野家(フグ田家)はそんなに簡単に、新製品ばかりを購入できるんだ。」とクレームが入り、現在の状況となったらしい。
そして、仮にこの事象が事実だった場合、その時点で既に「サザエさん」一家は、一般大衆によって、日本における一般家庭の典型と認められていることになるのだ。
今回の「コカ・コーラ/サザエさん編」は、例えるならば、語弊はあるものの、ロイヤル・ファミリーや、天皇家、大統領一家のような影響力のある一家が、1企業のCFに出演しているようなインパクトを日本国民に与えるほどの出来事なのかも知れない。
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「真夏の夜の事」/初恋の嵐
2002年12月27日 CF(CM)/PV初恋の嵐というバンドがある。
メジャー・デビューを目前にした2002年3月2日、ボーカルとギターそしてソングライティングを担当していた西山達郎が急性心不全で急逝した。
制作途中だった音源を残されたメンバーとスタッフが引継ぎ制作を続け、7月10日にメジャーデビュー・シングル「真夏の夜の事」c/w 涙の旅路(original version)をリリースし、更に、8月21日、ファースト・アルバム「初恋に捧ぐ」をリリースした。
で、本題の「真夏の夜の事」である。
今年の秋口であろうか、わたしはたまたまCATVの音楽番組をボケーッと見ていたのであるが、「真夏の夜の事」のプロモーション・ビデオの放映が始まるやいなや、わたしの五感は「真夏の夜の事」のPVに釘付けになってしまい、見終わった後はしばらく何も手につかなかった。
あたかも映画のようなクオリティを持ち、明確ではないものの1本芯が通った素敵な物語を持った素晴らしいPVだったのである。
そして特筆すべきは、この「真夏の夜の事」PVの主演は山本太郎と緒川環である。
物語についての名言は避けるが、俳優としての山本も凄いが、緒川も凄い。
下手をすると彼等は一生に一度の仕事をしたのではないかと思えるほど素晴らしい演技を見せてくれる。
若干感情に流されるきらいもあるが、映画好き、音楽好きの皆さんに、是非観ていただきたいPVなのである。
初恋の嵐 オフィシャル・ウェブ・サイト
http://www.smile-co.jp/hatsukoi/profile.html
ユニバーサル・ミュージックの初恋の嵐のページ
「真夏の夜の事」のプロモーション・ビデオを全編ストリーミング公開している。
http://www.universal-music.co.jp/hatsukoi/
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メジャー・デビューを目前にした2002年3月2日、ボーカルとギターそしてソングライティングを担当していた西山達郎が急性心不全で急逝した。
制作途中だった音源を残されたメンバーとスタッフが引継ぎ制作を続け、7月10日にメジャーデビュー・シングル「真夏の夜の事」c/w 涙の旅路(original version)をリリースし、更に、8月21日、ファースト・アルバム「初恋に捧ぐ」をリリースした。
で、本題の「真夏の夜の事」である。
今年の秋口であろうか、わたしはたまたまCATVの音楽番組をボケーッと見ていたのであるが、「真夏の夜の事」のプロモーション・ビデオの放映が始まるやいなや、わたしの五感は「真夏の夜の事」のPVに釘付けになってしまい、見終わった後はしばらく何も手につかなかった。
あたかも映画のようなクオリティを持ち、明確ではないものの1本芯が通った素敵な物語を持った素晴らしいPVだったのである。
そして特筆すべきは、この「真夏の夜の事」PVの主演は山本太郎と緒川環である。
物語についての名言は避けるが、俳優としての山本も凄いが、緒川も凄い。
下手をすると彼等は一生に一度の仕事をしたのではないかと思えるほど素晴らしい演技を見せてくれる。
若干感情に流されるきらいもあるが、映画好き、音楽好きの皆さんに、是非観ていただきたいPVなのである。
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この時期になると思い出すのが・・・・
2002年11月25日 CF(CM)/PVわたしは映像が大好きなのである。
映画は勿論のこと、TVやCM、PV等、とりあえず画が動いていれば大抵のものに関心を寄せてしまうのである。
ですから、お気に入りのCM(ホントはCFね)も沢山あるのだが。
毎年年末になり、忘年会シーズンになると、何故だか強烈な印象と共に、思い出してしまうCMがあるのだ。
おそらく5〜6年くらい前のCMだと思うが、田中邦衛が出ていた、とある漢方胃腸薬のCMである。
忘年会シーズン真っ盛り、会社の連中と踊りながら飲み歩いている田中邦衛。
とある焼き鳥屋の前を通りかかりつつ一言。
「この音この匂いたまらねえな」
とのれんをくぐり店の中へ・・・・。
賢明な読者諸氏の皆さんなら既にお気付きのことと思いますが、念の為。
例の田中邦衛のセリフは、わたしの耳にはこう聞こえてしまっていたのである。
「この男の匂いたまらねえな」
さすが田中邦衛主演の漢方胃腸薬のCMなのである。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
こんな話で、申し訳ありません。
次回からは頑張りますです。はい。
映画は勿論のこと、TVやCM、PV等、とりあえず画が動いていれば大抵のものに関心を寄せてしまうのである。
ですから、お気に入りのCM(ホントはCFね)も沢山あるのだが。
毎年年末になり、忘年会シーズンになると、何故だか強烈な印象と共に、思い出してしまうCMがあるのだ。
おそらく5〜6年くらい前のCMだと思うが、田中邦衛が出ていた、とある漢方胃腸薬のCMである。
忘年会シーズン真っ盛り、会社の連中と踊りながら飲み歩いている田中邦衛。
とある焼き鳥屋の前を通りかかりつつ一言。
「この音この匂いたまらねえな」
とのれんをくぐり店の中へ・・・・。
賢明な読者諸氏の皆さんなら既にお気付きのことと思いますが、念の為。
例の田中邦衛のセリフは、わたしの耳にはこう聞こえてしまっていたのである。
「この男の匂いたまらねえな」
さすが田中邦衛主演の漢方胃腸薬のCMなのである。
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こんな話で、申し訳ありません。
次回からは頑張りますです。はい。