「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」
2009年12月15日 ゲーム
最近、おうちでゲームを楽しんでいる。
ちょっと前までは「アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団」のマルチプレイにはまっていたのだが、最近は「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」のマルチプレイにはまっている。
「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」
西暦2011年、イムラン・ザカエフを筆頭とするロシア超国家主義派が実行したアメリカ東海岸への核攻撃計画はジョン・プライス大尉率いるイギリスSASとアメリカ海兵隊の合同作戦によって阻止され、ザカエフは壮大な攻防の末に抹殺された。
その戦いから5年後の2016年。
ロシア超国家主義派の新たな指導者となったウラジミール・R・マカロフはロシアの政治的不安定のすきを見て大量の軍事物資を手に入れていた。そしてロシア内では空港で多数の死傷者を出す銃乱射事件が発生、現場で遺体となって発見された実行犯のテロリストがアメリカ人だったことから、反米感情は強まるばかりだった。
アメリカはマカロフの計画を阻止すべく、イギリスSAS、アメリカ海兵隊、ネイビーSEALsなど、世界中から精鋭が集められた特殊部隊「タスクフォース141」を動員してマカロフを追っていた。
このようなゲームをプレイして思うのは、戦争とは政治の手段のひとつなんだな、と言うことを再確認させられてしまう。
物語は前述のように、例えばトム・クランシーのポリティカル・サスペンスのような物語なのだが、トム・クランシーの作品で端折られている部分、最前線の戦闘シーンのみで作品を構成するとこんな感じになるのではないか、と言う印象を受ける。
このゲームをプレイして感じるのは戦争礼賛と言う印象よりは、反戦的な印象である。
戦争と言うものが格好良いものではなく、悲惨で悲しむべきことだと言うことをプレイヤーに伝えていると思う。
戦争ゲームをプレイして戦争がやりたくなるのではなく、こんな戦場にはゲーム以外では行きたくない、と思わせるような手法が、本ゲームではとられているのだ。
つまり、本ゲームは、ありがちな戦場のヒーローを描いたゲームではなく、ただ戦場にいる一兵卒を主人公にしたゲームなのだ。
機会があれば、是非体験してみていただきたいと思う。
ちょっと前までは「アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団」のマルチプレイにはまっていたのだが、最近は「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」のマルチプレイにはまっている。
「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」
西暦2011年、イムラン・ザカエフを筆頭とするロシア超国家主義派が実行したアメリカ東海岸への核攻撃計画はジョン・プライス大尉率いるイギリスSASとアメリカ海兵隊の合同作戦によって阻止され、ザカエフは壮大な攻防の末に抹殺された。
その戦いから5年後の2016年。
ロシア超国家主義派の新たな指導者となったウラジミール・R・マカロフはロシアの政治的不安定のすきを見て大量の軍事物資を手に入れていた。そしてロシア内では空港で多数の死傷者を出す銃乱射事件が発生、現場で遺体となって発見された実行犯のテロリストがアメリカ人だったことから、反米感情は強まるばかりだった。
アメリカはマカロフの計画を阻止すべく、イギリスSAS、アメリカ海兵隊、ネイビーSEALsなど、世界中から精鋭が集められた特殊部隊「タスクフォース141」を動員してマカロフを追っていた。
このようなゲームをプレイして思うのは、戦争とは政治の手段のひとつなんだな、と言うことを再確認させられてしまう。
物語は前述のように、例えばトム・クランシーのポリティカル・サスペンスのような物語なのだが、トム・クランシーの作品で端折られている部分、最前線の戦闘シーンのみで作品を構成するとこんな感じになるのではないか、と言う印象を受ける。
このゲームをプレイして感じるのは戦争礼賛と言う印象よりは、反戦的な印象である。
戦争と言うものが格好良いものではなく、悲惨で悲しむべきことだと言うことをプレイヤーに伝えていると思う。
戦争ゲームをプレイして戦争がやりたくなるのではなく、こんな戦場にはゲーム以外では行きたくない、と思わせるような手法が、本ゲームではとられているのだ。
つまり、本ゲームは、ありがちな戦場のヒーローを描いたゲームではなく、ただ戦場にいる一兵卒を主人公にしたゲームなのだ。
機会があれば、是非体験してみていただきたいと思う。
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