ティム・バートンの新作「ビッグ・フィッシュ」を観た。

出産間近の妻ジョセフィーン(マリオン・コティヤール)とパリで暮らすジャーナリストのウィル・ブルーム(ビリー・クラダップ)は、父エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー/ユアン・マクレガー)の病状が悪化したと、母サンドラ(ジェシカ・ラング/アリソン・ローマン)から報せを受けた。

彼の父エドワードは自分の人生を幻想的でマジカルな話として語り、聞く人を魅了し楽しい気分にさせる名人だった。
ウィルも子どもの頃はそんな父の話を聞くのが大好きだった。しかし3年前の自分の結婚式で、父が行ったスピーチを基に、父と喧嘩して以来、不和が続いていた。

ウィルは妻を連れて実家へと向かうが、、病床でも相変わらずホラ話を繰り返す父と、父の本当の姿を知りたいと願う息子の溝はなかなか埋まらなかった・・・・。

第一印象としては、素晴らしい作品だった。
何しろ脚本が素晴らしいし、ティム・バートンのイメージを具現化する美術も素晴らしい。

物語は、現代のシーンと回想シーンが交互に語られる形式で進み、エドワード・ブルームとサンドラ・ブルームは、現代のシーンをアルバート・フィニーとジェシカ・ラングが、回想シーンをユアン・マクレガーとアリソン・ローマンが演じている。

描写のテイストは、現代のシーンは、色彩を押さえた堅実でリアルな表現がなされ、回想シーンは、鮮やかな原色を描写しながらもダーク・ファンタジーの雰囲気を損なわない素晴らしい効果を醸し出している。

その辺りの描写のギャップは若干否めないものの、言わば2本の映画を1本にまとめているような印象を受け、その2本が見事に融和しているのだ。

特に印象的なのは、父の死期が近づいた病室で息子ウィルが初めて物語る「父の死の物語」と、映画史上に残るだろう葬式のシークエンスである。

映画の本編を観ることにより、既にエドワードの人生を追体験しているわたし達観客に取っては、息子が物語る「父の死の物語」も父の葬式のシークエンスも、既に思い出と融和し完全に納得できる、観客の理想とも言えるシークエンスとなっているのだ。

病室のシークエンスについては、ジャン=ジャック・ベネックスの「IP5/愛を探す旅人たち」の感じもあるし、笑いのある(楽しかったから悲しい)葬式はローレンス・カスダンの「再会の時」や「ラブ・アクチュアリー」の冒頭付近のベイ・シティ・ローラーズがかかる葬式のような印象を受ける。

特に、父のホラ話を信じていなかった息子が、初めて父のように物語る「父の死の物語」が、かつての親子の断絶を解消し、自分もやはりあの父の息子である、ということを自覚させ、そして自分は、父と父の物語を、そして父の物語の登場人物を心から愛していることに気付く素晴らしいシークエンスに仕上がっている。

そして、ラストの葬式のシークエンスで音声無しに、亡きエドワードの思い出話を語りまくっているであろうスティーヴ・ブシェミ(ノザー・ウィンズロー/詩人)や、葬式に参列した父エドワードの夢の住人たち、ダニー・デヴィート(エーモス・キャロウェイ/サーカスの団長)やマシュー・マッグローリー(カール/巨人)、ヘレナ・ボナム=カーター(ジェニファー・ヒル/魔女)等の悲しげであり、そしてなんと言っても楽しげな表情が、エドワードを愛した人達にとってエドワードの人生が楽しくそして有意義であり、彼等にとっても有意義であった事を表現し、既にわれわれ観客にとっても、思い出ともなっているエドワードの生涯は、われわれ観客の人生にとっても、楽しくもあり、悲しくもあり、そして非常に有意義なものであったことに気付く素晴らしい構成となっているのである。

そして、特筆すべき事として、ラストの葬式のシークエンスにより、今までの回想シーンの、父エドワードの夢の世界であるファンタジックなホラ物語が、現実に転化されることになるのだが、その急転直下的な見事な着地が、わけわけ観客にとって大変素晴らしい効果を与えている。
描写のテイストは、原色を配したダーク・ファンタジー系の描写ではなく、無彩色を基調としたリアリスティックな描写の中で、語られる、最早魔法が薄れた夢の世界の住人の姿が美しくも悲しい。

しかし、われわれ観客の心に宿ったように、息子ウィルの心には既に魔法の力が宿っているのである。

本作「ビッグ・フィッシュ」は、このふたつのシークエンスのために存在しているのかも知れないのだ。

キャストは、先ずアルバート・フィニーとユアン・マクレガー、ジェシカ・ラングとアリソン・ローマンのキャスティングが凄い。
ユアン・マクレガーやアリソン・ローマンが、年老いアルバート・フィニーやジェシカ・ラングになる、というのも納得できるし、下手をすると声さえ似ているのではないだろうか。

また詩人ノザー・ウィンズローを演じたスティーヴ・ブシェミ、サーカスの団長で○男のダニー・デヴィート、魔女のヘレナ・ボナム=カーター等の醸し出す素晴らしい効果、そしてなんと言っても巨人カール役マシュー・マッグローリーの哲学的思索的な表情が素晴らしい効果を与えている。

音楽は前半部分はダニー・エルフマン節全開なのだが、スコアはだんだんと抑え気味になり、画面を邪魔しない静かで感動的なものになって行くのだ。

ところで、ティム・バートンについて考えてみると、わたし達にとっては、ティム・バートンは、現実世界ではなく、ファンタジー世界に生きているように考えがちなのだが、そう考えた場合、この作品でティム・バートンは、現実世界の存在に気付いてしまった。というべき作品だったのかも知れないし、ティム・バートンにとっては、この作品を通して現実とファンタジーが相容れない事、世の中にはファンタジー世界には無い、大変なつらいことが沢山あることに気付いた、ともいえるのではないだろうか。
ここにはウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」のミア・ファローとだぶる悲しみがある。

とにかく本作「ビッグ・フィッシュ」は円熟期を迎えたティム・バートンが世に送る素晴らしい傑作なのだ。
号泣必至の本作は是非劇場で体験して欲しいのだ。
 
 
☆☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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