2004/07/07新橋ヤクルトホールで行われた「リディック」の試写会に行ってきた。
ヴィン・ディーゼルがブレイク前に出演した「ピッチブラック」。
本作「リディック」は、前作「ピッチブラック」の登場キャラクターである「リディック」を愛する二人の男、監督デヴィッド・トゥーヒーとヴィン・ディーゼルが、巨大な資本力をバックに撮り上げたSFアクション叙事詩である。
日本の配給会社はあまり客が入らなかった「ピッチブラック」の続編としてではなく、ヴィン・ディーゼル主演のSF叙事詩として本作「リディック」を公開しようとしているようである。
余談だが、この「リディック・アニメーテッド」(画像)は「ピッチブラック」と「リディック」の間を補完するブリッジ・ストーリーになっており(未見)、北米ではWEBで公開されていたのではないかと記憶している。
暗視能力を持ち、恐るべきエイリアンの襲撃を生き延びたリディック(ヴィン・ディーゼル)。
あれ(「ピッチブラック」事件)から5年、リディックは5つの惑星系から指名手配され、その首には法外な懸賞金がかかっていた。
賞金稼ぎを軽くいなしたリディックは、自分の首に賞金をかけた主を探し、ヘリオン第1惑星へとやって来た。
平和だったこの星は、数々の惑星を占領しつくし、いまや銀河全体に悪名と恐怖とを伝える凶悪な種族ネクロモンガーのリーダー、ロード・マーシャル(コルム・フィオール)の手に落ちようとしていた。へリオン第1惑星に暮らすエレメンタル族の使者エアリオン(ジュディ・デンチ)は、リディックが救世主と信じ助けを乞う。
その話を一笑に付すリディックだったが、ネクロモンガー艦隊の総攻撃の混乱の中、先の賞金稼ぎ一行に「わざと」捕まってしまう。
目論見通り惑星クリマトリアの刑務所へと護送されたリディックはそこで、彼に憧れていた少女(かつてはジャックと呼ばれていた)キーラ(アレクサ・ダヴァロス)と再会するのだった。そして・・・・。
本作は、ヴィン・ディーゼルのアクションとスタイル、そしてCGI爆発の一大娯楽作品である。
わたし的には、可もなく不可もなく、と言った平凡な超大作娯楽映画で、特にたいした印象を持たなかった。
そんな中で良かったなと思う点は、先ず大女優ジュディ・デンチの起用であろう。
彼女の起用により、作品の質が一段と格調高くなっている。
また「リディック」世界の世界観は様々なイメージの寄せ集め的な感は否めないが、感心する部分が結構あった。
しかし、文化が違う世界の中で、われわれ人類と同じような「メガネ」を着用するのはどうかと思う。(オープニング・アクション後、リディックがヘリオン第1惑星で訪ねる比較的主要なキャラクターがわれわれと同様のメガネをかけていた)
例えば「スター・ウォーズ」世界では、われわれの世界では一般的なジッパーやファスナーが発明されていない、という世界観を創出している訳であるが、本作「リディック」ではメガネと言う人類が発明し現在のスタイルに固めてきたメガネそのものを登場キャラクターが着用しているのだ。
おそらくメガネを使用したのは、「リディック」世界の世界観の設定上、何か理由があるだろうと思うし、何か理由が無ければいけない部分なのだが、わたしにはその理由がわからなかったし、他の比較的クリエイティブな世界観の中で、大きな違和感と思えたのだ。
例えばメガネというわれわれの人類固有の発明品が「リディック」世界で一般的に使われているとしたら、「リディック」世界でわれわれの惑星である地球が意味のある大きな存在でなければならないのである。
なぜなら、創作物において人類以外の文化を描く場合、クリエイターは例えばメガネのような人の視力を矯正する方法を、人類の既存の技術であるメガネ以外のものでデザインし、世界観を表現すべきものなのであり、そういった細かなディテールから世界観が構築されていくべきものなのだ。
さて、その「リディック」世界の世界観については、コンセプトが結構しっかりしており、叙事詩的、或いは史劇的イメージが興味深い。SFと中世ローマ帝国風イメージの融合が見事である。
あとはエンキ・ビラル系の印象も受けた。
脚本は、悪く言うと最強万能キャラクター「リディック」様様である。
その強すぎる何でもこなすキャラクターに感情移入できるかどうかが、本作の評価の分かれ目となるのではないだろうか。
また、その脚本だがラスト部分は個人的には某「スパイダーマン」シリーズの監督の某ホラーシリーズ2作目のラストを髣髴とさせる、わたし好みのオチがついていたのが非常に嬉しかった。
映画の内容を深く考えない人、年に何本かの超大作映画を観たい人、ヴィン・ディーゼル好きの人、CGIのトリッキーな映像、叙事詩的史劇的イメーズが好きな人にオススメの一本ですね。
ヴィン・ディーゼルがブレイク前に出演した「ピッチブラック」。
本作「リディック」は、前作「ピッチブラック」の登場キャラクターである「リディック」を愛する二人の男、監督デヴィッド・トゥーヒーとヴィン・ディーゼルが、巨大な資本力をバックに撮り上げたSFアクション叙事詩である。
日本の配給会社はあまり客が入らなかった「ピッチブラック」の続編としてではなく、ヴィン・ディーゼル主演のSF叙事詩として本作「リディック」を公開しようとしているようである。
余談だが、この「リディック・アニメーテッド」(画像)は「ピッチブラック」と「リディック」の間を補完するブリッジ・ストーリーになっており(未見)、北米ではWEBで公開されていたのではないかと記憶している。
暗視能力を持ち、恐るべきエイリアンの襲撃を生き延びたリディック(ヴィン・ディーゼル)。
あれ(「ピッチブラック」事件)から5年、リディックは5つの惑星系から指名手配され、その首には法外な懸賞金がかかっていた。
賞金稼ぎを軽くいなしたリディックは、自分の首に賞金をかけた主を探し、ヘリオン第1惑星へとやって来た。
平和だったこの星は、数々の惑星を占領しつくし、いまや銀河全体に悪名と恐怖とを伝える凶悪な種族ネクロモンガーのリーダー、ロード・マーシャル(コルム・フィオール)の手に落ちようとしていた。へリオン第1惑星に暮らすエレメンタル族の使者エアリオン(ジュディ・デンチ)は、リディックが救世主と信じ助けを乞う。
その話を一笑に付すリディックだったが、ネクロモンガー艦隊の総攻撃の混乱の中、先の賞金稼ぎ一行に「わざと」捕まってしまう。
目論見通り惑星クリマトリアの刑務所へと護送されたリディックはそこで、彼に憧れていた少女(かつてはジャックと呼ばれていた)キーラ(アレクサ・ダヴァロス)と再会するのだった。そして・・・・。
本作は、ヴィン・ディーゼルのアクションとスタイル、そしてCGI爆発の一大娯楽作品である。
わたし的には、可もなく不可もなく、と言った平凡な超大作娯楽映画で、特にたいした印象を持たなかった。
そんな中で良かったなと思う点は、先ず大女優ジュディ・デンチの起用であろう。
彼女の起用により、作品の質が一段と格調高くなっている。
また「リディック」世界の世界観は様々なイメージの寄せ集め的な感は否めないが、感心する部分が結構あった。
しかし、文化が違う世界の中で、われわれ人類と同じような「メガネ」を着用するのはどうかと思う。(オープニング・アクション後、リディックがヘリオン第1惑星で訪ねる比較的主要なキャラクターがわれわれと同様のメガネをかけていた)
例えば「スター・ウォーズ」世界では、われわれの世界では一般的なジッパーやファスナーが発明されていない、という世界観を創出している訳であるが、本作「リディック」ではメガネと言う人類が発明し現在のスタイルに固めてきたメガネそのものを登場キャラクターが着用しているのだ。
おそらくメガネを使用したのは、「リディック」世界の世界観の設定上、何か理由があるだろうと思うし、何か理由が無ければいけない部分なのだが、わたしにはその理由がわからなかったし、他の比較的クリエイティブな世界観の中で、大きな違和感と思えたのだ。
例えばメガネというわれわれの人類固有の発明品が「リディック」世界で一般的に使われているとしたら、「リディック」世界でわれわれの惑星である地球が意味のある大きな存在でなければならないのである。
なぜなら、創作物において人類以外の文化を描く場合、クリエイターは例えばメガネのような人の視力を矯正する方法を、人類の既存の技術であるメガネ以外のものでデザインし、世界観を表現すべきものなのであり、そういった細かなディテールから世界観が構築されていくべきものなのだ。
さて、その「リディック」世界の世界観については、コンセプトが結構しっかりしており、叙事詩的、或いは史劇的イメージが興味深い。SFと中世ローマ帝国風イメージの融合が見事である。
あとはエンキ・ビラル系の印象も受けた。
脚本は、悪く言うと最強万能キャラクター「リディック」様様である。
その強すぎる何でもこなすキャラクターに感情移入できるかどうかが、本作の評価の分かれ目となるのではないだろうか。
また、その脚本だがラスト部分は個人的には某「スパイダーマン」シリーズの監督の某ホラーシリーズ2作目のラストを髣髴とさせる、わたし好みのオチがついていたのが非常に嬉しかった。
映画の内容を深く考えない人、年に何本かの超大作映画を観たい人、ヴィン・ディーゼル好きの人、CGIのトリッキーな映像、叙事詩的史劇的イメーズが好きな人にオススメの一本ですね。