「猟奇的な彼女」の監督クァク・ジェヨンの新作「ラブストーリー」を観た。
現在巷では、「ラブ・・・・・・」と言えば「ラブ・アクチュアリー」なのだが、「猟奇的な彼女」好きのわたしてしては、クァク・ジェヨンの新作を押さえるべく「ラブストーリー」を観ることにしたのだ。
演劇部のサンミンにあこがれる女子大生ジヘ。
ジヘは、同じくサンミンに想いを寄せる強引で自己中心的な友人スギョンからサンミンへのメールの代筆を頼まれ引き受けてしまう。
複雑な想いで代筆を続けるジヘは家の中で母の日記帳と沢山の手紙が入った木箱を見つける。
それらの手紙と日記帳に目を通すうち、ジヘは母の切ない初恋の物語を知ることになる。
母の日記帳を読み進めていくうち、ジヘはかつての母を取り巻く環境と自分のそれに奇妙な類似点があることに気付く。そして・・・・。
素直な感想としては、良い映画だった。というものである。
物語の構成は、母と娘を取り巻く二組の恋の行方を縦軸に、韓国の近代史を横軸とした物語で、誤解を恐れずに言わせてもらえば、『韓国版「フォレスト・ガンプ」大林宣彦仕立て』というような印象を受けた。
または、かつての母親と父親の伝説的恋愛を息子が振り返るチャン・イーモウの「初恋のきた道」のような構成を持った作品でもある。
個人的には、時をも超越するような壮大で運命的な伏線に魅力を感じるわたしにとっては、大変素晴らしい作品に感じられた。
前作の「猟奇的な彼女」についても、話題は細かいプロット先行だった訳だが、実際は大きな伏線が見事にリンクする作品だったが、この伏線の扱いが、もしかするとクァク・ジェヨンの嗜好なのかもしれない。
さて、脚本であるが大本の脚本は良く練られており好感が持てるのだが、細かいプロットの処理に手が回っていない印象も否定できない。
例えば「ジヘのテコンドー」や「音楽に関する伏線」または「テスの倒れ癖」等については、もしかしたらその伏線を生かすシーンやシークエンスがあったのだが、結果的に本編からカットされたのではないかと、邪推してしまうような状況である。
また、音楽のラストにクレジットされていたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」はわたしの記憶では本編では使われていなかったのではないかな。(自信なし。)
※ これはカットされているシークエンスがあるのではないか、という論拠として。
ところで気になったのは、ジヘの母親ジュヒのパートのジュヒとジュナとテスのシークエンスの恋模様は、あまりにも前時代的で(正にクラシック)ちょっとついていけない部分があった。
年齢設定上はおそらく1960〜70年代の高校生〜大学生あたりだと思うのだが、あのようにピュアな恋愛模様だとすると、当時の中学生あたりの恋愛模様ではないかと思ってしまう。それでいて、大人の恋的シークエンスが共存しているあたりに、違和感を感じてしまうのだ。
勿論その辺は原題"THE CLASSIC"が示すように確信犯的なものなのであろうが、現代には受け入れられないほどの違和感を感じた。
これが13〜14歳時代だったとすれば、違和感は少ないのだが・・・・。
キャストについては、物語の構成上、主要登場人物は全て同年代の若手俳優であり、若手だけで見せる作品としても評価すべき作品かもしれない。
取りあえず若手主要キャストを紹介すると、
ソン・イェジン (ジへ役/ジュヒ役)
チョ・スンウ (ジュナ役)
チョ・インソン (サンミン役)
イ・ギウ (テス役)
イ・サンイン (スギョン役)
キャストとしてはなんと言ってもジヘとジヘの母の二役をこなしたソン・イェジンであろう。第一印象的には、古典的でパッとしない印象なのだが、物語が進むと共に感情移入の度合のせいかか、一際輝いて見えてくるのである。古典的普遍的、母親的印象なのだろうか。
ジヘの自己中な友人スギョンを小憎らしく演じたのはイ・サンイン。現代韓国のステレオタイプ的な若者像なのだろうか、上っ面だけの自己中なキャラクターを見事に演じている。
男性陣はジュナの悪友テス役のイ・ギウが良かった。
なんだかんだ言っても、3人の男性陣の中では、役者として美味しいところをひとりで持って行ってしまっている。
ジュナを演じたチョ・スンウは少年的な清純でピュアなところが良かったと思うのだが、そのルックスに似合わない大人の恋的シークエンスがあるため、若干の違和感が否めない。
サンミンを演じたチョ・インソンは、なんとも釈然としない、はっきりしない、優柔不断なキャラクターだったが、実は本編の鍵を握る重要なキャラクターである。ジヘとのからみが良い雰囲気である。
さて、物語の根幹となる最重要なポイント(事実)については、何度か伏線が入っており、観客に対しては比較的明らかなのであるが、「サンミンがその事実に気付いたのは何時か」を考えると非常に楽しいのではないかと思うのだ。
現在巷では、「ラブ・・・・・・」と言えば「ラブ・アクチュアリー」なのだが、「猟奇的な彼女」好きのわたしてしては、クァク・ジェヨンの新作を押さえるべく「ラブストーリー」を観ることにしたのだ。
演劇部のサンミンにあこがれる女子大生ジヘ。
ジヘは、同じくサンミンに想いを寄せる強引で自己中心的な友人スギョンからサンミンへのメールの代筆を頼まれ引き受けてしまう。
複雑な想いで代筆を続けるジヘは家の中で母の日記帳と沢山の手紙が入った木箱を見つける。
それらの手紙と日記帳に目を通すうち、ジヘは母の切ない初恋の物語を知ることになる。
母の日記帳を読み進めていくうち、ジヘはかつての母を取り巻く環境と自分のそれに奇妙な類似点があることに気付く。そして・・・・。
素直な感想としては、良い映画だった。というものである。
物語の構成は、母と娘を取り巻く二組の恋の行方を縦軸に、韓国の近代史を横軸とした物語で、誤解を恐れずに言わせてもらえば、『韓国版「フォレスト・ガンプ」大林宣彦仕立て』というような印象を受けた。
または、かつての母親と父親の伝説的恋愛を息子が振り返るチャン・イーモウの「初恋のきた道」のような構成を持った作品でもある。
個人的には、時をも超越するような壮大で運命的な伏線に魅力を感じるわたしにとっては、大変素晴らしい作品に感じられた。
前作の「猟奇的な彼女」についても、話題は細かいプロット先行だった訳だが、実際は大きな伏線が見事にリンクする作品だったが、この伏線の扱いが、もしかするとクァク・ジェヨンの嗜好なのかもしれない。
さて、脚本であるが大本の脚本は良く練られており好感が持てるのだが、細かいプロットの処理に手が回っていない印象も否定できない。
例えば「ジヘのテコンドー」や「音楽に関する伏線」または「テスの倒れ癖」等については、もしかしたらその伏線を生かすシーンやシークエンスがあったのだが、結果的に本編からカットされたのではないかと、邪推してしまうような状況である。
また、音楽のラストにクレジットされていたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」はわたしの記憶では本編では使われていなかったのではないかな。(自信なし。)
※ これはカットされているシークエンスがあるのではないか、という論拠として。
ところで気になったのは、ジヘの母親ジュヒのパートのジュヒとジュナとテスのシークエンスの恋模様は、あまりにも前時代的で(正にクラシック)ちょっとついていけない部分があった。
年齢設定上はおそらく1960〜70年代の高校生〜大学生あたりだと思うのだが、あのようにピュアな恋愛模様だとすると、当時の中学生あたりの恋愛模様ではないかと思ってしまう。それでいて、大人の恋的シークエンスが共存しているあたりに、違和感を感じてしまうのだ。
勿論その辺は原題"THE CLASSIC"が示すように確信犯的なものなのであろうが、現代には受け入れられないほどの違和感を感じた。
これが13〜14歳時代だったとすれば、違和感は少ないのだが・・・・。
キャストについては、物語の構成上、主要登場人物は全て同年代の若手俳優であり、若手だけで見せる作品としても評価すべき作品かもしれない。
取りあえず若手主要キャストを紹介すると、
ソン・イェジン (ジへ役/ジュヒ役)
チョ・スンウ (ジュナ役)
チョ・インソン (サンミン役)
イ・ギウ (テス役)
イ・サンイン (スギョン役)
キャストとしてはなんと言ってもジヘとジヘの母の二役をこなしたソン・イェジンであろう。第一印象的には、古典的でパッとしない印象なのだが、物語が進むと共に感情移入の度合のせいかか、一際輝いて見えてくるのである。古典的普遍的、母親的印象なのだろうか。
ジヘの自己中な友人スギョンを小憎らしく演じたのはイ・サンイン。現代韓国のステレオタイプ的な若者像なのだろうか、上っ面だけの自己中なキャラクターを見事に演じている。
男性陣はジュナの悪友テス役のイ・ギウが良かった。
なんだかんだ言っても、3人の男性陣の中では、役者として美味しいところをひとりで持って行ってしまっている。
ジュナを演じたチョ・スンウは少年的な清純でピュアなところが良かったと思うのだが、そのルックスに似合わない大人の恋的シークエンスがあるため、若干の違和感が否めない。
サンミンを演じたチョ・インソンは、なんとも釈然としない、はっきりしない、優柔不断なキャラクターだったが、実は本編の鍵を握る重要なキャラクターである。ジヘとのからみが良い雰囲気である。
さて、物語の根幹となる最重要なポイント(事実)については、何度か伏線が入っており、観客に対しては比較的明らかなのであるが、「サンミンがその事実に気付いたのは何時か」を考えると非常に楽しいのではないかと思うのだ。