2011.3.11 その1
2011年3月13日 日常被災された方々、そしてそのご家族に、心よりお見舞い申し上げます。
2011年3月11日 14時46分頃
太平洋三陸沖を震源として、マグニチュード8.8の地震が東北から関東を襲った。
その地震は後に気象庁により「東北地方太平洋沖地震」と命名される。
当時、わたしは東京都文京区にあるビルの9Fにいた。
文京区は比較的低い建物が多く、そのビルも交差点付近の道路側、低い建物に囲まれている。
勿論その関係があるのか、それとも免震構造なのか、そのビルは強い風が吹いても結構揺れるビルだった。
来客中だったわたしは、揺れを感じた客に対し、「いやあ、このビル結構揺れるんですよね」とか言いながら、何気なく立ち上がり、ドアのフレームが歪んで出られなくなるのを防ぐため会議室のドアを解放した。
後の報道によると、東京では震度5の揺れがその後5分間程続いたらしいのだが、わたしの感覚ではビルはいつまでも揺れ続け、その時間は10分にも15分にも感じられた。
そしてその揺れはまるで船にでも乗っているような横揺れだった。
わたしは、会議室のドアを開けた状態でドアが閉じないように保持している、と言うよりは、ドアとドアのフレームの間でドアにしがみついて、揺れに合わせてドアのフレーム内を行ったり来たりしているような状況であった。
そうしているうちに、社内のそこここからは小さな悲鳴が聞こえはじめ、いろいろものが床に落ち、何かが割れるような音が聞こえてきた。
第一波の地震が収まった時点で、ビルのエレベータは停止し、わたしは非常階段のドアを解放した。先ほどと同様に、来るべき余震によって、ドアのフレームが潰れてしまい、建物の中に閉じ込められてしまうのを避けるためである。
幸いな事にエレベータ内に閉じ込められた人は居なかったのだが、ビルの管理会社とエレベータの管理会社によると、都内でも数百数千のエレベータが停止しており、多くの人がエレベータ内に閉じ込められていたようである。
エレベータの点検修理は、人が閉じ込められているエレベータを優先にしているので、今日中には修理に伺えない、との話であった。
都内の電車は全て不通。
足止めを食らった客と一緒に会議室のテレビをつけた。
電話も携帯電話もほぼ不通。
インターネット回線は生きているが、携帯メールは遅延しているような状況。
メールや電話で、本社外から続々と安否確認の連絡が入るが、通信が不安定で確実な状況はわからない。
そうこうしているうちに、余震による転落防止のため床に移したテレビが東北地方の被害の様子を放送し始めた。
皆さんご承知の通り、被害状況は想像を超えていた。
しかしながら、会社に缶詰になった状態で余震を受けつつ待機していると、震度3とか震度4程度の揺れには慣れてしまったし、東北地方の被害状況の映像にも慣れてしまい、麻痺が始まっていた。
これは恐ろしい事だと思った。
つづく・・・・
2011年3月11日 14時46分頃
太平洋三陸沖を震源として、マグニチュード8.8の地震が東北から関東を襲った。
その地震は後に気象庁により「東北地方太平洋沖地震」と命名される。
当時、わたしは東京都文京区にあるビルの9Fにいた。
文京区は比較的低い建物が多く、そのビルも交差点付近の道路側、低い建物に囲まれている。
勿論その関係があるのか、それとも免震構造なのか、そのビルは強い風が吹いても結構揺れるビルだった。
来客中だったわたしは、揺れを感じた客に対し、「いやあ、このビル結構揺れるんですよね」とか言いながら、何気なく立ち上がり、ドアのフレームが歪んで出られなくなるのを防ぐため会議室のドアを解放した。
後の報道によると、東京では震度5の揺れがその後5分間程続いたらしいのだが、わたしの感覚ではビルはいつまでも揺れ続け、その時間は10分にも15分にも感じられた。
そしてその揺れはまるで船にでも乗っているような横揺れだった。
わたしは、会議室のドアを開けた状態でドアが閉じないように保持している、と言うよりは、ドアとドアのフレームの間でドアにしがみついて、揺れに合わせてドアのフレーム内を行ったり来たりしているような状況であった。
そうしているうちに、社内のそこここからは小さな悲鳴が聞こえはじめ、いろいろものが床に落ち、何かが割れるような音が聞こえてきた。
第一波の地震が収まった時点で、ビルのエレベータは停止し、わたしは非常階段のドアを解放した。先ほどと同様に、来るべき余震によって、ドアのフレームが潰れてしまい、建物の中に閉じ込められてしまうのを避けるためである。
幸いな事にエレベータ内に閉じ込められた人は居なかったのだが、ビルの管理会社とエレベータの管理会社によると、都内でも数百数千のエレベータが停止しており、多くの人がエレベータ内に閉じ込められていたようである。
エレベータの点検修理は、人が閉じ込められているエレベータを優先にしているので、今日中には修理に伺えない、との話であった。
都内の電車は全て不通。
足止めを食らった客と一緒に会議室のテレビをつけた。
電話も携帯電話もほぼ不通。
インターネット回線は生きているが、携帯メールは遅延しているような状況。
メールや電話で、本社外から続々と安否確認の連絡が入るが、通信が不安定で確実な状況はわからない。
そうこうしているうちに、余震による転落防止のため床に移したテレビが東北地方の被害の様子を放送し始めた。
皆さんご承知の通り、被害状況は想像を超えていた。
しかしながら、会社に缶詰になった状態で余震を受けつつ待機していると、震度3とか震度4程度の揺れには慣れてしまったし、東北地方の被害状況の映像にも慣れてしまい、麻痺が始まっていた。
これは恐ろしい事だと思った。
つづく・・・・
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