「夏への扉」

2010年1月16日 読書
大学時代の話だが、映画関連の友人がわたしに向かって、『俺って偉いだろ、今「夏への扉」読んでんだぞ』と言ってたことを思い出す。
当時、既に「夏への扉」を読んでいたわたしは、『何いまさらそんな本読んでいるんだよ』と軽くいなしてしまった。

彼にとっては、例えば「夏への扉」のような、ある意味古典的なSF作品を読む事は偉い事だった訳だ。

既に評価が確定している古典的な作品を実際に読まずに、その内容を知る事は現在では非常に簡単なことであるし、『あぁ、あれね、あの作品は・・・・』と、読んでもいない作品を語る事も容易であり、そんな事をする人も多いと思う。

しかしながら、そんな古典的で内容すら知っているような作品を、真摯な態度で作品にきちんと向かい合って読むことは、彼に言われるまでもなく、本当に偉い事だと思う。
そして、読んでもいない古典的な作品を知ったかぶりして語るのは愚の骨頂と言わざるを得ない。

最初に「夏への扉」を読んだ頃、わたしは「夏への扉」はハインラインの作品でありながら、ブラッドベリのようなファンタジックな作品だと想像していた。
おそらく、中西信行の装画とタイトルからのインスピレーションがそうさせていたのだと思う。

先日、多分20年ぶり位に再読して思ったのは、なんだか「タイタンの妖女」に似ているな、と言うこと。

『「タイタンの妖女」をめぐる冒険』
http://29346.diarynote.jp/200904071745002050/

両作品の主人公の翻弄されっぷりが非常に顕著で、ラストでカチっと最後の1ピースがはまる感じが似ていると思ったのだ。

そして思ったのは、「夏への扉」は手塚治虫の「アトム今昔物語」とか「W3」に影響を与えているのではないか、と思った。
時系列的なところは検証していないので、定かではないが・・・・。

コメント

tkr

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索