「グラインドハウス」
2007年8月26日 映画
2007/08/26 東京六本木「TOHOシネマズ六本木シネマズ」で「グラインドハウス」を観た。
今回は東京、大阪で8日間だけ限定上映されている「U.S.Aバージョン」。
U.S.A.バージョン「グラインドハウス」内容
1.フェイク予告編「マチェーテ」
2.「プラネット・テラー アメリカバージョン」
3.フェイク予告編「ナチ親衛隊の狼女」
4.フェイク予告編「Don’t/ドント」
5.フェイク予告編「感謝祭」
6.「デス・プルーフ アメリカバージョン」
合計3時間11分
「プラネット・テラーinグラインドハウス」のレビューはこちら
http://diarynote.jp/d/29346/20070817.html
※ 今回のエントリーは、タイトルは「グラインドハウス」だが、実際は「グラインドハウス」の「デスプルーフinグラインドハウス」部分のエントリーです。
「デスプルーフinグラインドハウス」
テキサスの夕暮れ時。オースティンのラジオ局で一番の人気DJ、ジャングル・ジュリアは親友のシャナ、久しぶりに地元に戻ってきた大学時代の女友達アーリーンと一緒に街へ繰り出し、一夜の気晴らしをすることに。
そこにはお気に入りのバー、グロエからテキサス・チリ・パーラーへとはしごする彼女たちを、密かにつけている男の影が・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本・撮影:クエンティン・タランティーノ
出演:カート・ラッセル(スタントマン・マイク)、ロザリオ・ドーソン(アバナシー)、ローズ・マッゴーワン(パム)、シドニー・ターミア・ポワチエ(ジャングル・ジュリア)、ゾーイ・ベル(ゾーイ)、マイケル・パークス(アール)、メアリー・エリザベス・ウィンステッド(リー)、ヴァネッサ・フェルリト(アーリーン)、ジョーダン・ラッド(シャナ)、トレイシー・トムズ(キム)、マーリー・シェルトン(ダコタ)、ニッキー・カット(コンビニ店員)、イーライ・ロス(ダブ)、クエンティン・タランティーノ(バーテンダー)
本作「デスプルーフinグラインドハウス」は、現代において、つまりCGI全盛の現代の映画業界において、もしかしたら、本当にもしかしたら非常に重要な意味を持つ作品なのかも知れない。
先ずはカーチェイスに泣けた。
車が走っているだけなのに、ただ単に車がおっかけっこをしているだけなのに涙が出て仕方がなかった。
なにしろ、本作「デスプルーフinグラインドハウス」におけるカーチェイスは、近年稀に見る程の素晴らしいカーチェイスに仕上がっていたのだ。
こんな感覚は「グリーン・デスティニー」(2000)の冒頭のアクション・シークエンスで涙が止まらなくなってしまった以来だと思う。
本作では、映画におけるアクションの原点とも言えるカーチェイスが、映画史上、最高の部類に入る見事なカーチェイスが「これでもか!」と言う程展開していく。
そして本作において特筆すべき点は、かつて、1970年代のカーアクション映画に圧倒的な臨場感と緊張感を付与することに貢献していたスタントマンをフィーチャーし、しかも、現職のスタントマンであるゾーイ・ベルが実名(as herself)で登場している点である。
何しろ本作は、本来ならば縁の下の力持ちの役柄で、決して脚光を浴びることがないスタントマンを主役に、しかも実名で抜擢し、映画を1本でっち上げてしまう、と言うすばらしいコンセプトで製作されている作品なのだ。
スタントマンを描いた作品と言えば「華麗なるヒコーキ野郎」(1975)とか「グレートスタントマン」(1978)等が浮かぶが、それらの作品は基本的に俳優がスタントマンを演じる、と言うスタンスで製作されている。
尤も「グレートスタントマン」でスタントマン、フーパーを演じたバート・レイノルズはスタントマンあがりの俳優ではあるが・・・・。
話は戻るが、スタントマンをフィーチャーしたそれらの作品と本作は決定的にコンセプトが異なっている。
繰り返しにはなるが、脚光を浴びることがない裏方に、しかも現職のスタントマンにあえて脚光を浴びさせる、映画ファンにとっては最高に泣けるコンセプトを本作は備えているのだ。
物語は、街角で物色した女性を、デスプルーフ仕様の自分の車に誘い混み、故意に事故に遭い、同乗者や相手の車の搭乗者たちを合法的に殺人する、と言う行為を繰り返している(らしい)スタントマン・マイク(カート・ラッセル)が、スタントマン(スタントウーマン)二人組みの車にちょっかいを出す、と言うもの。
前半部分はカースタントが若干あるのだが、尺のほとんどは、タランティーノ節炸裂の無駄な会話が続く。
これらの会話は、結果的にきちんと伏線になっているので、一概に無駄な会話だとは言いきれないが、イライラするほど長いし、「レザボアドッグス」(1991)や「パルプ・フィクション」(1994)の会話より面白い訳ではない。
と言うか、無駄話によって、「早くカーチェイスを見せろよ!」と言うイライラ感や焦燥感が十二分に味わえる始末である。
そして、怒涛のようにカーチェイスに突入する。
カーチェイスの冒頭、カースタントの準備のため、ダッジ・チャレンジャーをセンターラインの真ん中に止める際の構図からキテいるし、アスファルトの粗い粒子をなめつつセンターラインを切り取るカメラもすばらしいし、リアウィンドウ越しに
一瞬カメラカーらしき車両が映ったり、公道に入ってからは、不自然に他の車が右車線、左車線に順番に並んでいたり、するのはご愛嬌だが、前述のように
つづく・・・・
一時保存です。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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U.S.A.バージョン「グラインドハウス」内容
1.フェイク予告編「マチェーテ」
2.「プラネット・テラー アメリカバージョン」
3.フェイク予告編「ナチ親衛隊の狼女」
4.フェイク予告編「Don’t/ドント」
5.フェイク予告編「感謝祭」
6.「デス・プルーフ アメリカバージョン」
合計3時間11分
「プラネット・テラーinグラインドハウス」のレビューはこちら
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※ 今回のエントリーは、タイトルは「グラインドハウス」だが、実際は「グラインドハウス」の「デスプルーフinグラインドハウス」部分のエントリーです。
「デスプルーフinグラインドハウス」
テキサスの夕暮れ時。オースティンのラジオ局で一番の人気DJ、ジャングル・ジュリアは親友のシャナ、久しぶりに地元に戻ってきた大学時代の女友達アーリーンと一緒に街へ繰り出し、一夜の気晴らしをすることに。
そこにはお気に入りのバー、グロエからテキサス・チリ・パーラーへとはしごする彼女たちを、密かにつけている男の影が・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本・撮影:クエンティン・タランティーノ
出演:カート・ラッセル(スタントマン・マイク)、ロザリオ・ドーソン(アバナシー)、ローズ・マッゴーワン(パム)、シドニー・ターミア・ポワチエ(ジャングル・ジュリア)、ゾーイ・ベル(ゾーイ)、マイケル・パークス(アール)、メアリー・エリザベス・ウィンステッド(リー)、ヴァネッサ・フェルリト(アーリーン)、ジョーダン・ラッド(シャナ)、トレイシー・トムズ(キム)、マーリー・シェルトン(ダコタ)、ニッキー・カット(コンビニ店員)、イーライ・ロス(ダブ)、クエンティン・タランティーノ(バーテンダー)
本作「デスプルーフinグラインドハウス」は、現代において、つまりCGI全盛の現代の映画業界において、もしかしたら、本当にもしかしたら非常に重要な意味を持つ作品なのかも知れない。
先ずはカーチェイスに泣けた。
車が走っているだけなのに、ただ単に車がおっかけっこをしているだけなのに涙が出て仕方がなかった。
なにしろ、本作「デスプルーフinグラインドハウス」におけるカーチェイスは、近年稀に見る程の素晴らしいカーチェイスに仕上がっていたのだ。
こんな感覚は「グリーン・デスティニー」(2000)の冒頭のアクション・シークエンスで涙が止まらなくなってしまった以来だと思う。
本作では、映画におけるアクションの原点とも言えるカーチェイスが、映画史上、最高の部類に入る見事なカーチェイスが「これでもか!」と言う程展開していく。
そして本作において特筆すべき点は、かつて、1970年代のカーアクション映画に圧倒的な臨場感と緊張感を付与することに貢献していたスタントマンをフィーチャーし、しかも、現職のスタントマンであるゾーイ・ベルが実名(as herself)で登場している点である。
何しろ本作は、本来ならば縁の下の力持ちの役柄で、決して脚光を浴びることがないスタントマンを主役に、しかも実名で抜擢し、映画を1本でっち上げてしまう、と言うすばらしいコンセプトで製作されている作品なのだ。
スタントマンを描いた作品と言えば「華麗なるヒコーキ野郎」(1975)とか「グレートスタントマン」(1978)等が浮かぶが、それらの作品は基本的に俳優がスタントマンを演じる、と言うスタンスで製作されている。
尤も「グレートスタントマン」でスタントマン、フーパーを演じたバート・レイノルズはスタントマンあがりの俳優ではあるが・・・・。
話は戻るが、スタントマンをフィーチャーしたそれらの作品と本作は決定的にコンセプトが異なっている。
繰り返しにはなるが、脚光を浴びることがない裏方に、しかも現職のスタントマンにあえて脚光を浴びさせる、映画ファンにとっては最高に泣けるコンセプトを本作は備えているのだ。
物語は、街角で物色した女性を、デスプルーフ仕様の自分の車に誘い混み、故意に事故に遭い、同乗者や相手の車の搭乗者たちを合法的に殺人する、と言う行為を繰り返している(らしい)スタントマン・マイク(カート・ラッセル)が、スタントマン(スタントウーマン)二人組みの車にちょっかいを出す、と言うもの。
前半部分はカースタントが若干あるのだが、尺のほとんどは、タランティーノ節炸裂の無駄な会話が続く。
これらの会話は、結果的にきちんと伏線になっているので、一概に無駄な会話だとは言いきれないが、イライラするほど長いし、「レザボアドッグス」(1991)や「パルプ・フィクション」(1994)の会話より面白い訳ではない。
と言うか、無駄話によって、「早くカーチェイスを見せろよ!」と言うイライラ感や焦燥感が十二分に味わえる始末である。
そして、怒涛のようにカーチェイスに突入する。
カーチェイスの冒頭、カースタントの準備のため、ダッジ・チャレンジャーをセンターラインの真ん中に止める際の構図からキテいるし、アスファルトの粗い粒子をなめつつセンターラインを切り取るカメラもすばらしいし、リアウィンドウ越しに
一瞬カメラカーらしき車両が映ったり、公道に入ってからは、不自然に他の車が右車線、左車線に順番に並んでいたり、するのはご愛嬌だが、前述のように
つづく・・・・
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