2007/06/07 東京大崎「イマジカ第2試写室」で「夕凪の街桜の国」の試写を観た。
原爆投下から十三年が経過した広島の街。
そこに暮らす平野皆実(麻生久美子)は、会社の同僚・打越(吉沢悠)から愛を告白される。
しかし彼女には家族の命を奪い、自分が生き残った被爆体験が深い心の傷になっていた。
その彼女の想いを打越は優しく包み込むが、やがて皆実には原爆症の症状が現れ始める・・・・(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:佐々部清
原作:こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社刊)
脚本:国井桂、佐々部清
出演:田中麗奈(石川七波)、麻生久美子(平野皆実)、吉沢悠(打越豊)、中越典子(利根東子)、伊崎充則(石川旭/青年時代)、金井勇太(石川凪生)、藤村志保(平野フジミ)、堺正章(石川旭)
新たな涙腺破壊兵器の誕生である。
ところで、本作「夕凪の街桜の国」は、こうの史代の漫画の映画化作品である。
わたしは常日頃から漫画の映画化には否定的な立場を取っている。
と言うのも、わたしは、映画化する題材が、漫画にしろ小説にしろ、人気のある原作の映画化ではなく、オリジナルの脚本で勝負して欲しいと思うからである。
人気のある作品を映画化する、と言うことをやっていくと、オリジナル脚本には出資されず、映像作家の才能が枯渇してしまう、と言う危惧を感じるからである。
また、個人的な好き嫌いの話だが、わたしは第二次世界大戦を背景にした日本映画はあまり好きではない。
と言うか興味が沸かないのである。
年間に300本以上の映画を観るわたしだが、第二次世界大戦を背景にした日本映画はほとんど観ていない、と思う。
そういった状況の中、わたしは本作「夕凪の街桜の国」を観た訳だ。
前述の理由から考えると当然のことだが、わたしは本作に全く期待をしていなかった。
と言うか、どうせつまらない作品だろう、と高を括っていたのだ。
さて、本作「夕凪の街桜の国」についてだが、先ず驚いたのは、冒頭のタイトル部分である。
本作のタイトルはご承知のように「夕凪の街桜の国」なのだが、なんと、本作の冒頭では「夕凪の街」としかタイトルが出ないのである。
短編の二本立てか?
1本の作品に仕上がっていないのか?
わたしの作品に対する危惧は膨らんだ。
しかしながら、本作の前半部分にあたる「夕凪の街」のパートは大変すばらしかった。
先ずは、平野皆実(麻生久美子)の存在感と彼女が醸し出す空気感に圧倒された。
もちろん、それは広島弁のスローモーな語り口がそうさせているのかもしれないのだが、その達観したような空気感を持つ彼女のひとつひとつのセリフが強烈な印象をもって心に突き刺さる。
と言うのも、この皆実のキャラクター設定が非常に秀逸で、彼女の原爆に対する考え方、例えば、原爆を落とした米兵の「日本人なんか死んでしまえ」と言う感情に対する彼女の、ある意味偏執狂的な考え方や、原爆は広島に落ちたのではなく、目的を持って広島に落とされたのである、と言う考え方に愕然とさせられる。
これらは、当たり前と言えば当たり前の考え方なのだが、言葉にすることにより、観客に与える効果は絶大である。
また、彼女の独自の世界観を持った、ある種独善的な行動、例えば靴を脱いで歩く理由、そして笹の葉を集める理由、と言ったこれらも言わば偏執狂的な考えの下に行われている行動とも取れるのだが、これにより、彼女の精神の状態があまり良い状態ではないことが、暗に仄めかされている。
つまり、彼女のキャラクターは、過去のある事件の影響で、自我が崩壊する寸前の状況を偏執的な性格によって踏みとどまっている、と思えるのだ。
麻生久美子の儚げなルックスと相まって、観客が生涯忘れえぬ皆実と言うキャラクターが誕生している。
更に、皆実を取り巻くキャラクターの性格や考え方も、見落としがちな些細なシークエンスから明確に描写され、従来の佐々部清の作品からは想像できないほどの良質な背景を持った作品に仕上がっているような印象を受けた。
また、美術や衣装もすばらしく、また照明が良い仕事をしているせいか、当時の広島の再現性が高く、リアリティを持ったすばらしい世界観の構築に成功している。
一方本作の後半部分「桜の国」のシークエンスは、平板で奥行きに乏しく、テレビドラマのような薄っぺらさを感じてしまう。
もしかすると、過去と現在のギャップを明確にするための確信犯的な作風なのかもしれないが、過去のシークエンスにあった世界観や空気感が、崩壊しているような印象を受けた。
特に冒頭のシークエンス、マンションの一室でのシーンの照明が作り物じみており、リアリティのない絵空事のような印象を受けてしまう。
「桜の国」のシークエンスのキャストは、田中麗奈(石川七波)にしろ、中越典子(利根東子)にしろ、堺正章(石川旭)にしろ、良い仕事をしているのだが、あまりにも顔を見知った俳優(テレビ番組やCMにばかばか出てくるような俳優の意)であるため、釈然としないものを感じた。
「夕凪の街」のシークエンスのように、顔をあまり知られていない俳優を使うべきだったのではないか、と思った。
物語は、「桜の国」のシークエンスに入ると、物語は現在と過去を行き来しだし、「夕凪の街」で描かれなかった、いわば「謎」を解明するための旅が始まる。
「桜の国」のシークエンスも決してつまらない訳ではなく、非常に良質なクオリティを持っているのだが、「夕凪の街」のクオリティには到底及ばない。
わたしたち観客の脳裏には、平野皆実(麻生久美子)、打越豊(吉沢悠)、石川旭(伊崎充則)、平野フジミ(藤村志保)が織りなす物語に圧倒されているのだ。
とにかく、本作「夕凪の街桜の国」は、最近ありがちのアイドル女優が難病で死んでしまうような、難病モノとは一線を画したすばらしい作品に仕上がっている。
このような良質な作品は、きちんとプロモーションをして確実にヒットさせなければならないと思う。
是非劇場に足を運んでいただきたいと思う。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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原爆投下から十三年が経過した広島の街。
そこに暮らす平野皆実(麻生久美子)は、会社の同僚・打越(吉沢悠)から愛を告白される。
しかし彼女には家族の命を奪い、自分が生き残った被爆体験が深い心の傷になっていた。
その彼女の想いを打越は優しく包み込むが、やがて皆実には原爆症の症状が現れ始める・・・・(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:佐々部清
原作:こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社刊)
脚本:国井桂、佐々部清
出演:田中麗奈(石川七波)、麻生久美子(平野皆実)、吉沢悠(打越豊)、中越典子(利根東子)、伊崎充則(石川旭/青年時代)、金井勇太(石川凪生)、藤村志保(平野フジミ)、堺正章(石川旭)
新たな涙腺破壊兵器の誕生である。
ところで、本作「夕凪の街桜の国」は、こうの史代の漫画の映画化作品である。
わたしは常日頃から漫画の映画化には否定的な立場を取っている。
と言うのも、わたしは、映画化する題材が、漫画にしろ小説にしろ、人気のある原作の映画化ではなく、オリジナルの脚本で勝負して欲しいと思うからである。
人気のある作品を映画化する、と言うことをやっていくと、オリジナル脚本には出資されず、映像作家の才能が枯渇してしまう、と言う危惧を感じるからである。
また、個人的な好き嫌いの話だが、わたしは第二次世界大戦を背景にした日本映画はあまり好きではない。
と言うか興味が沸かないのである。
年間に300本以上の映画を観るわたしだが、第二次世界大戦を背景にした日本映画はほとんど観ていない、と思う。
そういった状況の中、わたしは本作「夕凪の街桜の国」を観た訳だ。
前述の理由から考えると当然のことだが、わたしは本作に全く期待をしていなかった。
と言うか、どうせつまらない作品だろう、と高を括っていたのだ。
さて、本作「夕凪の街桜の国」についてだが、先ず驚いたのは、冒頭のタイトル部分である。
本作のタイトルはご承知のように「夕凪の街桜の国」なのだが、なんと、本作の冒頭では「夕凪の街」としかタイトルが出ないのである。
短編の二本立てか?
1本の作品に仕上がっていないのか?
わたしの作品に対する危惧は膨らんだ。
しかしながら、本作の前半部分にあたる「夕凪の街」のパートは大変すばらしかった。
先ずは、平野皆実(麻生久美子)の存在感と彼女が醸し出す空気感に圧倒された。
もちろん、それは広島弁のスローモーな語り口がそうさせているのかもしれないのだが、その達観したような空気感を持つ彼女のひとつひとつのセリフが強烈な印象をもって心に突き刺さる。
と言うのも、この皆実のキャラクター設定が非常に秀逸で、彼女の原爆に対する考え方、例えば、原爆を落とした米兵の「日本人なんか死んでしまえ」と言う感情に対する彼女の、ある意味偏執狂的な考え方や、原爆は広島に落ちたのではなく、目的を持って広島に落とされたのである、と言う考え方に愕然とさせられる。
これらは、当たり前と言えば当たり前の考え方なのだが、言葉にすることにより、観客に与える効果は絶大である。
また、彼女の独自の世界観を持った、ある種独善的な行動、例えば靴を脱いで歩く理由、そして笹の葉を集める理由、と言ったこれらも言わば偏執狂的な考えの下に行われている行動とも取れるのだが、これにより、彼女の精神の状態があまり良い状態ではないことが、暗に仄めかされている。
つまり、彼女のキャラクターは、過去のある事件の影響で、自我が崩壊する寸前の状況を偏執的な性格によって踏みとどまっている、と思えるのだ。
麻生久美子の儚げなルックスと相まって、観客が生涯忘れえぬ皆実と言うキャラクターが誕生している。
更に、皆実を取り巻くキャラクターの性格や考え方も、見落としがちな些細なシークエンスから明確に描写され、従来の佐々部清の作品からは想像できないほどの良質な背景を持った作品に仕上がっているような印象を受けた。
また、美術や衣装もすばらしく、また照明が良い仕事をしているせいか、当時の広島の再現性が高く、リアリティを持ったすばらしい世界観の構築に成功している。
一方本作の後半部分「桜の国」のシークエンスは、平板で奥行きに乏しく、テレビドラマのような薄っぺらさを感じてしまう。
もしかすると、過去と現在のギャップを明確にするための確信犯的な作風なのかもしれないが、過去のシークエンスにあった世界観や空気感が、崩壊しているような印象を受けた。
特に冒頭のシークエンス、マンションの一室でのシーンの照明が作り物じみており、リアリティのない絵空事のような印象を受けてしまう。
「桜の国」のシークエンスのキャストは、田中麗奈(石川七波)にしろ、中越典子(利根東子)にしろ、堺正章(石川旭)にしろ、良い仕事をしているのだが、あまりにも顔を見知った俳優(テレビ番組やCMにばかばか出てくるような俳優の意)であるため、釈然としないものを感じた。
「夕凪の街」のシークエンスのように、顔をあまり知られていない俳優を使うべきだったのではないか、と思った。
物語は、「桜の国」のシークエンスに入ると、物語は現在と過去を行き来しだし、「夕凪の街」で描かれなかった、いわば「謎」を解明するための旅が始まる。
「桜の国」のシークエンスも決してつまらない訳ではなく、非常に良質なクオリティを持っているのだが、「夕凪の街」のクオリティには到底及ばない。
わたしたち観客の脳裏には、平野皆実(麻生久美子)、打越豊(吉沢悠)、石川旭(伊崎充則)、平野フジミ(藤村志保)が織りなす物語に圧倒されているのだ。
とにかく、本作「夕凪の街桜の国」は、最近ありがちのアイドル女優が難病で死んでしまうような、難病モノとは一線を画したすばらしい作品に仕上がっている。
このような良質な作品は、きちんとプロモーションをして確実にヒットさせなければならないと思う。
是非劇場に足を運んでいただきたいと思う。
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