2006/10/07 東京池袋「ジュンク堂書店池袋本店」4階カフェで行われた「JUNKU 連続トークセッション」に行って来た。
当日のトークセッションの題材は「黒沢清を作った10の映画」と言うもの。出演は黒沢清。司会進行は篠崎誠。
わたしが黒沢清の名前を意識したのは大学時代だった。
札幌の大学の映画研究会に属していたわたしは、当時の札幌市内で開催された映画祭で「ドレミファ娘の血が騒ぐ」(1985)を観たのではないか、と思う。
上映時のチラシかプログラムには、「ドレミファ娘の血が騒ぐ」(「女子大生恥ずかしゼミナール」より改題)とか言うキャプションがあったのを記憶している。
当時のわたしは大学で8mmフィルムを使った自主制作映画を行っていた。
当時の経験から言わせてもらえば、当時札幌の自主制作映画は大きく二つに分類されていた。
おそらく現在の自主制作映画も同じような感じだと思うのだが、ひとつは難解で哲学的、制作者の自慰行為とも言える、わかる人だけついて来い的な方向性を持ったもの、そしてもうひとつは、所謂商業映画のように、充分に観客を意識し、娯楽性が高い方向性を持ったもの、である。
当時、娯楽性の高い方向性を持った作品を制作していたわたしは、逆に哲学的で難解な作品を制作している人たちを莫迦だと思っていた。
そんな中、わたしは「ドレミファ娘の血が騒ぐ」を観た訳である。
わたしは少なからず衝撃を受けてしまった。
つづく・・・・。
一時保存です。すいません。
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当時のわたしは大学で8mmフィルムを使った自主制作映画を行っていた。
当時の経験から言わせてもらえば、当時札幌の自主制作映画は大きく二つに分類されていた。
おそらく現在の自主制作映画も同じような感じだと思うのだが、ひとつは難解で哲学的、制作者の自慰行為とも言える、わかる人だけついて来い的な方向性を持ったもの、そしてもうひとつは、所謂商業映画のように、充分に観客を意識し、娯楽性が高い方向性を持ったもの、である。
当時、娯楽性の高い方向性を持った作品を制作していたわたしは、逆に哲学的で難解な作品を制作している人たちを莫迦だと思っていた。
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