2006/07/24 東京新宿「新宿武蔵野館」で「ローズ・イン・タイドランド」を観た。

主人公はとんでもなく悲惨な状況にいるジェライザ=ローズという名の女の子。彼女の日常は元ロックスターのパパと、自分勝手なママの世話をすることから始まる。ある日、ママが急死して、ジェライザ=ローズは大好きなパパとふたり、今は亡きおばあちゃんの家に住むことになる。しかし、彼女を待っていたのは、見渡すかぎり金色の草原にポツンと建っている一軒の荒れ果てた古い家だった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:テリー・ギリアム
原作:ミッチ・カリン「タイドランド」(角川書店)
脚本:テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ
撮影:ニコラ・ペコリーニ
プロダクションデザイン:ヤスナ・ステファノヴィック
出演:ジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ)、ジェフ・ブリッジス(パパ/ノア)、ジェニファー・ティリー(ママ/グンヒルド王妃)、ジャネット・マクティア(デル)、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ)
 
 
例えば、デヴィッド・リンチの新作が公開されるとしよう。
当然ながら、デヴィッド・リンチ好きのわたしは、その新作を非常に楽しみにするだろう。
と同時に、わたしは若干の不安を感じてしまう。

リンチの世界を理解(解釈)できなかったらどうしよう。
リンチの作品を理解(解釈)できないほど、わたしの脳が老化(軟化/硬化)していたらどうしよう。

テリー・ギリアムの新作「ローズ・イン・タイドランド」はそんな気持ちにさせられる、一風難解で物語自体に起伏が乏しい、観客を選ぶ作品だった。

物語の根本的な部分は、例えるならば、ヒーローとアンチヒーローの誕生を同時に描いたM・ナイト・シャマランの「アンブレイカブル」(2000)や、悪魔の子として誕生した少年が全ての庇護者を排除し、ついに新たなそして強大な庇護者と出会うまでを描いた「オーメン」(1976)のような印象を受けた。

この「ローズ・イン・タイドランド」の物語は、言うならば、ローズと言う名の少女が、かつての庇護者たちを排除し、魔女として再生し、ついには新たな庇護者を得るまでを描いた物語なのだ。
 
ところで、本作「ローズ・イン・タイドランド」の世界観を見て強く感じたのは、幹線道路から外れ道に迷い、とんでもない目に遭ってしまう、と言う「悪魔のいけにえ」(1974)をはじめとする様々な作品で散々描かれ続けているような恐ろしい出来事は、アメリカの片田舎では、いたって普通の出来事であり、さらにはそれらの出来事の片棒を担ぐサイコキラーや変質者、魔女のような存在なんかは、アメリカの片田舎では、現在でも普通に存在しているのではないか、という事である。

そしてその世界の住民は、われわれの常識が非常識である世界で、自分達の常識、−−われわれにとっては非常識−−、に従って独自に生活を営んでいるのである。

と考えた場合、例えば現在日本国内でも起きている、マスコミが言うところの理解出来ない悲惨な事件は、最早現実世界とファンタジー世界との境界がなくなり、いわば現実世界という名のファンタジー世界に生きているわたし達にとっては、全く不思議な出来事ではなく、いたって普通の出来事なのだろう、と思える。

例えば、デル(ジャネット・マクティア)は、外部から覗くと魔女そのものだし、ディケンズ(ブレンダン・フレッチャー)は、そんな魔女やモンスターに使役される存在(「吸血鬼ドラキュラ」のレンフィールドのような存在)であるが、本作で彼らはファンタジー世界の住民ではなく、確固とした現実世界の住民として描かれている。

と同時に本作でテリー・ギリアムが切り取る世界は、一見ファンタジー世界を描いているような印象を観客に与えるのだが、実際のところは、全ての出来事を冷徹な現実世界の出来事として描いている。

ただ違うのは、その現実の出来事の解釈が登場人物によって異なっている、と言う点である。

ここでは、現実世界は見ようによってはファンタジー世界に見えるのだが、実際はファンタジー世界に見えようが、確固とした現実世界である、と言うことを声高に宣言しているのだろう。

つまり、異常な出来事が起き、まるでそこがファンタジー世界のような印象を観客に与えているかも知れないが、異常な出来事が起きようが、そこは実際の現実世界であり、違うのは、それを体験する登場人物の解釈だけである、という事なのだ。

そして、そうすることにより、本作「ローズ・イン・タイドランド」は、観客が登場人物のファンタジー世界に逃避し、そこで満足してしまうことを拒絶しているのだ。

例えるならば「未来世界ブラジル」(1985)のラストで描かれた登場人物の精神世界でのハッピーエンドを見て観客が安心するようなことをさせないのだ。

いくら精神世界の中で、楽しい人生を送っていようが、現実は現実、悲惨なものなのだよ、とテリー・ギリアムは語っているのではないだろうか。

この辺りは「バロン」(1989)の冒頭、ファンタジーでありながら悲惨な現実を直視するシークエンスにも似ているような印象を受ける。

キャストはなんと言ってもジョデル・フェルランド(ジェライザ=ローズ役)だろう。
人形の頭を含めて5役を演じてしまう怪演振りに、精神世界の危うさと、女性を感じさせる妖艶さ、そして少女のあどけなさと様々なシークエンスで千差万別の演技を魅せてくれている。

あとは、ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ役)が印象的である。
彼の精神が解釈する現実世界の出来事が最高である。
特に巨大サメの解釈が身震いするほどすばらしい。

この辺は黒澤明の「どですかでん」(1970)の六ちゃんを髣髴とさせる。

また、ジャネット・マクティア(デル役)もすばらしい。
ただ、デルのイメージがティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」(2003)の魔女のイメージとかぶっているのが残念だと思う。

撮影(ニコラ・ペコリーニ)は広角レンズの多用により、被写体の大きさの差異を際立たせ、また、構図をずらすことにより、観客の平衡感覚を意図的に喪失させるようなカットが面白かった。

機会があれば、是非劇場で観ていただきたい作品である。
しかし、心して観て欲しい作品でもある。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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