2006/06/28 東京中野「中野サンプラザ」で「ブレイブストーリー」の試写を観た。

ワタルはどこにでもいる平凡な11歳の少年。
ある夜、親友のカッちゃんとふたりで幽霊ビルの中を探検をしていたワタルは、階段の上に浮かぶ奇妙な扉を見つけ、その中へ入っていくミツルの姿を目にする。
ミツルは、成績優秀、スポーツ万能、おまけにルックスもいいと評判の隣のクラスの転校生。女の子に騒がれても、笑顔ひとつ見せないクールで大人びた少年だ。

「あの扉の向こうには何かあるの?」と問いかけるワタルに、ミツルは真顔でこう答えた。
「扉の向こうに行けば、運命を変えられる、ひとつだけ願いが叶うんだ」
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:千明孝一
アニメーション制作:GONZO
製作総指揮:亀山千広
原作:宮部みゆき 「ブレイブ・ストーリー」(角川書店刊)
脚本:大河内一楼
声の出演:松たか子(三谷亘/ワタル)、大泉洋(キ・キーマ)、常盤貴子(カッツ)、ウエンツ瑛士(芦川美鶴/ミツル)、斎藤千和(ミーナ)、今井美樹(運命の女神)、田中好子(三谷邦子)、高橋克実(三谷明)、柴田理恵(ユナ婆)、石田太郎(ダイモン司教)、伊東四朗(ラウ導師)、樹木希林(オンバ)
 
宮部みゆき原作、GONZO製作、話題の「ブレイブストーリー」である。

わたしは、宮部みゆきの小説は、現代小説と時代小説を中心に20冊弱くらい読んでいる。わたし的には、宮部の現代小説、時代小説共に、比較的面白く、−−もちろん時には大変面白く−−、読んでいるのだが、話題の「ブレイブストーリー」には一切手をつけていなかった。

と言うのも、小説家として過度に評価されている宮部みゆきが、ちょっと勘違いしちゃって、ファンタジー小説を書いてしまったのではないか、と言う危惧を持っていたからである。
つまり、「ブレイブストーリー」は畑違いのダメ小説ではないのか、と先入観を持ってしまっていたのだ。

わたし的にはそう言う状況なので、原作がどうこう言える立場ではないし、前提として原作と映像作品は別物である、と言うスタンスを貫いているわたしなのだから、原作との比較は一切ありえないのだが、映画「ブレイブストーリー」には大きく失望させられてしまった、と言わざるを得ない。

本作「ブレイブストーリー」の物語は、わたしが思うに、数々の傑作小説を世に送り続けている宮部みゆきの書いた物語だとは到底思えないものであった。
言うならば、ここに行ったらこうなって、そこでこいつが出てきてこうなって、そのあとどこどこに行ったら、奴が出てきてこうなる、と言った一本調子で場当たり的なプロットの羅列で物語が構成されているのである。

「ブレイブストーリー」の原作を読んでいないのでなんとも無責任な話なのだが、映画の設定から感じられるのは、宮部みゆきは、スティーヴン・キングとピーター・ストラウブ共著の「タリスマン」をやりたかったのだろう、と言うこと。
(前提として、宮部みゆきの作品はスティーヴン・キングの作品の影響を受けている。これは有名な話)

「タリスマン」とは、病気の母親を救うために、ある少年が実世界と異世界とを行き来しながら、異世界の女王に会うための旅を描いた物語で、スティーヴン・スビルバーグが20年以上も前から映画化を熱望している作品。
実際ドリームワークスが「タリスマン」の映像化の権利を持っており、映像化の企画が立ち上がりは消え、消えては立ち上がりを繰り返している。

さて、本作「ブレイブ ストーリー」の物語についてだが、気になったのはその物語の基本設定に問題がある、と言うこと。

1.宝玉を求めて旅をする旅人は、ワタルやミツル以外にもたくさんいた。
2.4つの宝玉は複数あるが、闇の宝玉はひとつだけしか存在しない。(と思われる)
3.闇の宝玉を取ると幻界は崩壊する。

という事は、過去から現在まで、現世から旅人として幻界に人間がやって来る度に、幻界は崩壊の危機にさらされる訳である。

そして、この幻界の存在理由は何かと言うと、現世の人々が望みをかなえるための試練の場として存在している、と言うことである。
仮に、幻界が実在の世界だとした場合、幻界で暮らす人々の生活や命など、物語の設定上、非常に軽いものとして描かれているのだ。

ミツルとワタルが唯一無二の存在、幻界における最初の旅人だったらいざ知らず、比較的多くの旅人が幻界をさまよっていた、と言う設定では、物語のひとつのテーマ「自分の望みのために他を犠牲にすることは正しいことなのか」が全く機能しない。

なにしろ、その世界そのものが、他を犠牲にしなければ望みがかなわない設定で構築されているのだ。
そして、その設定であるが故に、過去から現在にかけて、何度も何度も幻界は崩壊を繰り返し、その世界の住人は死、あるいはそれに準ずる苦境に立たされていた訳だ。

更に、冒頭の「おためしの洞窟」のシークエンスで激怒した。
所謂RPG的発想と言えばそれまでなのだが、「おためしの洞窟」の設定を具現化することにより、幻界での出来事のリアリティは著しく減衰する。

あぁ、幻界での出来事はゲームとおんなじで、失敗したらリセットすれば良いんだな、と。

また、死んだ人は生き返るし、宝玉のために幻界の人々を殺戮しても、迷惑をかけても構わない、と。

また、「おためしの洞窟」のラウ導師の存在も矛盾に満ちている。
旅人を評価し、旅人に対して「勇者」や「魔導士」などの資格を授け、旅人に冒険の装備を与えるのだ。

ラウ導師の仕事は、間接的ではあるが幻界の崩壊を手助けしているのだ。
なんのためにラウ導師と「おためしの洞窟」が存在するのか。
疑問は続く・・・・。

また、物語の展開にもちょっと問題があると思う。
本作「ブレイブ ストーリー」の物語の展開は、異世界に行った主人公が異世界でであった異世界の住人たちと仲良くなるのだが、その異世界には大きな問題が起きている事がわかり、異世界の仲間たちと異世界の問題を解決する、と言う言わば劇場版「ドラえもん」の物語の展開を踏襲している。

と考えた場合、本作の主人公ワタルは、異世界で出会ったキ・キーマたちと仲良くなり、そのキ・キーマたちと彼らが属する異世界自体を助けるために行動する事を決断する必要がある、と思うのだ。

そのワタルとキ・キーマたちとの心の交流が、ワタルが幻界を救う上での行動原理となる必要がある、と思うのだが、その重要なシークエンスはなんと「チーム★アメリカ/ワールドポリス」(2004)もびっくりのモンタージュで誤魔化されてしまっている。

そのモンタージュの潔さは潔さで良かったと思うのだが、本来ならば、ミツルが幻界の人々と全く交流を持たずに宝玉に突き進むのと対極的な描写、−−ありがちだが、焚き火の前でキ・キーマたちが過去の出来事を語る、とか−−が必要だったと思うのだ。

本作の展開では、ワタルとミツルの行動原理の差異がそれほど明確ではない。
もし、これがのび太だったら、その異世界の友達と疲れ果てるまで遊び、その友達の家に招待され、その家で異世界の実態を知る、と言う展開になるのだと思う。

つづく・・・・
一時保存です。

☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

余談ですけど、「ブレイブ ストーリー」のキャラクターを使用したCF(CM)が非常に気になります。
例えば、「花王メリット」(http://www.kao.co.jp/merit/bravestory/index.html#cm)や「ちょっぴり、ハッピー!きっかけは、フジテレビ。」のCF(CM)に「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが登場しているけど、彼等がCF(CM)に登場することにより、「ブレイブ ストーリー」本編のリフリティが著しく減衰していることに気付かないのだろうか。

ああいったことを行うことにより「ブレイブ ストーリー」の物語は、全くのくだらない絵空事だったと思えてしまう。
映画の出来はともかく、一映画ファンとして「ブレイブ ストーリー」のキャラクターが不憫でならない。

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コメント

nophoto
ジェイナス
2006年7月25日18:15

はじめまして。
私も、文庫本化された宮部みゆき氏の小説は殆ど読んでいます。

さて、「ブレイブ ストーリー」の設定に対する1-3の問題のご指摘はもっともですね。
実を言うと、これは原作と同じ設定であり、原作を読了したときに自分も感じられた
問題でした。

しかしながら、原作にはこの前提条件となる基本設定0と言うべきものがあり、
それが映画版では削られたために、より強く印象を残したのではないでしょうか?
その設定とは、「幻界は現世の人のエネルギーを反映した世界であり、特に
旅人自身のエネルギーが強く反映される」ということです。

それゆえに、角川文庫版、ブレイブ・ストーリー上巻には以下の記述があります。
  P.424 「おぬしの旅する幻界と、ミツルの旅する幻界は、最初から別のもの」
P.425 「おぬしが見る幻界はおぬしだけのもの」

そこで設定2,3については、全ての旅人に共通した設定ではなくワタルのみに
課せられた設定であろうと、私は解釈しております。つまり、ミツルを含め
他の旅人は「別の」幻界を旅して、「別の」宝玉を集め、その過程は必ずしも
幻界に危機をもたらすものとは限らないと。

この受け止め方をした場合、ある種の「夢オチ」状態となり不満がないわけでは
有りませんが、「そして、この幻界の存在理由は〜立たされていた訳だ。」と
書いていらっしゃることも回避できます。

以上、長々と駄文を寄せまして、申し訳ありませんでした。

tkr
tkr
2006年7月29日10:25

ジェイナスさんこんにちは、コメントありがとうございます。

たとえ虚構の世界であっても、人間のように書かれた存在(キャラクター)の生き死にには作家は責任を持たなければならないと思います。読者や観客に感情移入をさせたキャラクターならなおさらです。

物語を転がすために、物語を盛り上げるために、感動をさせるためにキャラクターを殺すような物語はダメな物語だと言わざるを得ません。

「ブレイブ ストーリー」は、そう言った物語の創作に対するタブーやモラルなど気にせず、まるで作家ではなく素人が考えた物語のような印象を受けるのです。

RPGの物語とはそう言うものだ、と言われたらそれまでですが・・・・。

ジェイナスさんの仰る設定0が正しいものだとしても、幻界に生き物がいて、生活を営んでいる以上、仮にその生き物が幻だったとしても、その生き物の生死に関わる物語を創作するのであれば、殺すならば殺すなりの理由が必要だ、と言うことです。

仮にキャラクター毎に幻界が存在するとしてもそれは同様のことだと思います。
一人の望みをかなえるため、またはその一人の人物に、他を犠牲にしてまで自分の独善的な望みをかなえてはいけないという事を教えるために、数千、数万、数十万の生き物を含めた世界が存在するとは、甚だおかしな設定だと言わざるを得ません。

わたしは宮部みゆきは好きな作家の一人ですが、好き嫌いは別として、物語世界の設定に問題があると思うわけです。

またよろしくお願いします。

nophoto
ジェイナス
2006年8月4日6:11

お返事ありがとうございました。
このコメントがかなり遅くなってしまい、見て戴けるか不安に思ってはいるのですけれど...

#最初の記事に『タリスマン』について触れてあったので、それを読了するのに時間がかかりました^^;

さて、先日のコメントを書いた動機は、貴方が宮部氏の作品を比較的に好んでいらっしゃっる様に
感じられる一方で、映画版の『ブレイブ ストーリー』に対する批判をもって原作にまで否定的な判断を
されているようなので、再考の判断材料を提供できれば幸いであろうかと思ったことにあるのです。

#具体的には「本作「ブレイブストーリー」の物語は、(中略)到底思えないものであった」という部分ですね。

そういう訳で映画評論を主体とするこちらのブログに、畑違いかなと思いつつも、原作の話題を
寄せさせていただいた訳です。

しかしながら、コメントを書いた結果は逆効果だったのかもしれませんね。

映画版だけの批評ですとか、原作を読んだ上での原作の批評とかには、私は特に異議を唱えません。
そういった批評は観客あるいは読者の感性に依存するものですから。
ただ、原作を読まずに評論めいたことを書いていらしゃるのはいかがでしょうか?

仰っている「たとえ虚構の世界であっても、(中略)言わざるを得ません。」という部分については、
作者が犠牲が出る世界観を作中で肯定している場合はそうでしょうが、私が原作から受けた印象は
違っていました。

「RPGの物語とはそう言うものだ」というのは、多くのミステリー小説や2時間ドラマ・各種刑事物・
勧善懲悪時代物などに共通するものかもしれません。宮部氏の代表的な現代ミステリーの『火車』
『理由』『模倣犯』でも、感情移入を誘う登場人物が死んでしまう部分があります。それらを実際に
私が読了したときにも、爽快感はなく、むしろ暗然としたやりきれなさが残りました。

しかしながら、前述の三作品が一定の評価を得て宮部氏の代表作とされているのは、その作品で
現代社会に対する問いかけがなされているためでないでしょうか?

話が脇にそれた感が有りますが、原作『ブレイブ・ストーリー』でのワタルが旅した幻界に関する
設定についても、前述の現代ミステリー作品同様にそれなりに意味があると思います。ただ、
映画版では、時間的な制約もあって様々な出来事やワタルの成長過程が省かれているようですから、
映画版に対して批判的でいらっしゃるのは判るような気がします。

ミツルに関しての結末が、原作と映画版で違うのも、批判の一因でしょうね^^;

またも長い駄文で失礼しますが、私が原作から感じたことの一端でも理解していただけたら幸いです。

#『タリスマン』については本文と直接関係がないので感想等は控えます。

tkr
tkr
2006年8月18日10:25

ジェイナスさんこんにちは。コメントありがとうございます。コメントが遅れてすいません。

早速ですけど、わたしが書いた部分、

>本作「ブレイブストーリー」の物語は、わたしが思うに、数々の傑作小説を世に送り続けている宮部みゆきの書いた物語だとは到底思えないものであった。

についてですが、ここでわたしが『本作「ブレイブストーリー」』と言っているのは当然『映画「ブレイブストーリー」』のことです。

従って、わたしが言っているのは、

『映画「ブレイブストーリー」』で描かれている物語は、宮部みゆきが書いたものとは思えない。

という事です。

ですから、映画を観て映画がダメだから原作もダメだと言うように、原作を直接的に批判している訳ではなく、原作を映画を製作するために脚本化した段階で宮部みゆきが描いた重要な部分が抜け落ちてしまっているのではないか、と言う事を表現しているのです。

どちらかと言うと、わたしは宮部みゆきを批判する、と言うよりは、映画の脚本家は映画の脚本だけで勝負しなければならないので、仮に原作がダメだったとしても、原作でダメなプロットを良いプロットに置き換え、映画だけで物語を、テーマを、キャラクターの人生を語る努力が必要だと思っています。

従って、わたしの批判の矛先は、どちらかと言うと、映画の脚本家に向いている、と言うのが正しいのだと思います。

余談ですが、わたしのエントリーには、スタッフのクレジットが一部書き込まれていますが、監督、出演以外のスタッフについては、基本的に評価できるスタッフか、評価できないダメなスタッフしか書いていません。

脚本が書いてある、という事は、脚本がダメだ、と言うつもりで書いています。

余談ですけど、映画を観た時点で原作の上巻・中巻を購入しています。
読むべき本がたくさんありすぎて、順番待ちをしていますが、おそらく、10冊以内のところに優先順位をつけていますので、しばらく先には原作も読了すると思います。

nophoto
ジェイナス
2006年8月20日23:18

お返事ありがとうございます。

早速、揚げ足取りの様で、申し訳ないのですが...
>>本作「ブレイブストーリー」の物語は、わたしが思うに、数々の傑作小説を世に送り続けている宮部みゆきの書いた物語だとは到底思えないものであった。
>についてですが、ここでわたしが『本作「ブレイブストーリー」』と言っているのは当然『映画「ブレイブストーリー」』のことです。従って、わたしが言っているのは、『映画「ブレイブストーリー」』で描かれている物語は、宮部みゆきが書いたものとは思えない。という事です。

映画評論を展開していらしゃるtkrさんは、「原作者」と「映画の脚本作家」と別だと、当然ご存知だと思っていましたが...
それを承知の上で、『映画「ブレイブストーリー」で描かれている物語は、宮部みゆきが書いたものとは思えない』と仰っていると受け止めたのですが、ブログ読者が混同しそうな記述は、文章の表現上の手違いと言う訳ですね?

原作を購入なさって、それを読む予定のだとこと、ご感想が気になります。
私にとっては、原作中にもかなり矛盾点や凄惨な部分とかが有りました。どう受け止めるかは、やはり個人に寄るのでしょうね^^;

#個人的には、「タリスマン」や「ダークタワー」よりも「ブレイブ・ストーリー」の方が好きです。
tkr

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