2006/05/01 映画の日 東京池袋「シネ・リーブル池袋」で「かもめ食堂」を観た。
夏のある日、ヘルシンキの街角に「かもめ食堂」という小さな食堂がオープンしました。その店の主は日本人の女性サチエ(小林聡美)でした。道行く人がふらりと入ってきて、思い思いに自由な楽しい時間を過ごしてくれる、そんな風になればいい、そう思ったサチエは献立もシンプルで美味しいものをと考え、かもめ食堂のメインメニューはおにぎりになりました。ホントはおにぎりにはちょっとだけサチエのこだわりがあったのでしたが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本:荻上直子
原作:群ようこ「かもめ食堂」(幻冬舎刊)
出演:小林聡美(サチエ)、片桐はいり(ミドリ)、もたいまさこ(マサコ)、ヤルッコ・ニエミ(トンミ)、タリア・マルクス(リーサ)、マルック・ペルトラ(マッティ)
世の中にはごく稀に、奇跡のようなキャストが揃う作品がある。
本作「かもめ食堂」は、そんな奇跡のような作品のひとつだと言える。
小林聡美はともかく、片桐はいりともたいまさこがキャスティングされたことは、正に奇跡、正に凶悪なキャスティングだと言えよう。
彼女らの存在感は素晴らしいものがあり、三者三様の空気感が渾然一体となり、穏やかで爽やかな、まるで作品全体がアルファー波で満ちているような印象すら受けてしまう。
その三者三様の空気感のベクトルは全く方向性が異なるのだが、異なるベクトルが合成され無になっているような印象を受ける。
とは言うものの、本作の脚本は、自らで物語をつむぐのではなく、彼女らの存在感に頼り切っているような印象を受ける。
個々のエピソードは面白いし、感銘を受ける事も多々ある。しかしながら、作品全体を見ると、どうにも釈然としない印象を受ける。
本作のような作品に、作品としての完成度を求めるのは、もしかしたら酷な話なのかもしれないが、本作は雰囲気だけの作品だと評価されるには惜しい作品だと個人的には思うのだ。
先ずは、誰も客が来なかった食堂に客が来るきっかけとなるシナモン・ロールが良くない。
わたしは趣味でパンを焼くので、シナモン・ロールの作り方、−−特に小指の使い方−−、を描写していたのは非常に興味深かったが、サチエを血の通ったキャラクターにするためには、おにぎりで客を呼ぶべきだった、と本気で思う。
客にとっての、ただの食事だったおにぎりには、サチエにとってはこんな思い出が・・・・、と言う方が脚本的には感動的だったと思う。
とは言うものの、ダメ映画かと言うとそうでもなく、非常に印象深い、爽やかで穏やかな感動を与えてくれる素晴らしい作品だと思う。
と言うのも、荻上直子(監督・脚本)のグダグダのテンポ感が、フィンランドの背景や空気とピッタリとマッチした印象を見事に観客に与えているのだ。
少なくとも日本食への関心を充分に喚起する作品に仕上がっているし、スロウ・ライフ、ロハスな生き方に共感する人々にもオススメの作品かと思う。
また特筆すべき点は、出てくる料理が全て美味しそうに見える点だろう。これは非常に稀有な事だと思う。
その点から考えるに照明が素晴らしい仕事をしていたのだと思う。限りなく自然光に近い照明により、料理が自然な色合いに見せているのであろう。
全くの余談的な個人的な印象だが、デヴィッド・リンチの「イレイザー・ヘッド」が終わった瞬間、頭の中がノイズから開放され、膨張するような感じ、こめかみの外部からの圧迫感を内側から押し広げているような感触、頭が膨らんでいくような感触を感じさせてくれる作品だったような気もする。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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夏のある日、ヘルシンキの街角に「かもめ食堂」という小さな食堂がオープンしました。その店の主は日本人の女性サチエ(小林聡美)でした。道行く人がふらりと入ってきて、思い思いに自由な楽しい時間を過ごしてくれる、そんな風になればいい、そう思ったサチエは献立もシンプルで美味しいものをと考え、かもめ食堂のメインメニューはおにぎりになりました。ホントはおにぎりにはちょっとだけサチエのこだわりがあったのでしたが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本:荻上直子
原作:群ようこ「かもめ食堂」(幻冬舎刊)
出演:小林聡美(サチエ)、片桐はいり(ミドリ)、もたいまさこ(マサコ)、ヤルッコ・ニエミ(トンミ)、タリア・マルクス(リーサ)、マルック・ペルトラ(マッティ)
世の中にはごく稀に、奇跡のようなキャストが揃う作品がある。
本作「かもめ食堂」は、そんな奇跡のような作品のひとつだと言える。
小林聡美はともかく、片桐はいりともたいまさこがキャスティングされたことは、正に奇跡、正に凶悪なキャスティングだと言えよう。
彼女らの存在感は素晴らしいものがあり、三者三様の空気感が渾然一体となり、穏やかで爽やかな、まるで作品全体がアルファー波で満ちているような印象すら受けてしまう。
その三者三様の空気感のベクトルは全く方向性が異なるのだが、異なるベクトルが合成され無になっているような印象を受ける。
とは言うものの、本作の脚本は、自らで物語をつむぐのではなく、彼女らの存在感に頼り切っているような印象を受ける。
個々のエピソードは面白いし、感銘を受ける事も多々ある。しかしながら、作品全体を見ると、どうにも釈然としない印象を受ける。
本作のような作品に、作品としての完成度を求めるのは、もしかしたら酷な話なのかもしれないが、本作は雰囲気だけの作品だと評価されるには惜しい作品だと個人的には思うのだ。
先ずは、誰も客が来なかった食堂に客が来るきっかけとなるシナモン・ロールが良くない。
わたしは趣味でパンを焼くので、シナモン・ロールの作り方、−−特に小指の使い方−−、を描写していたのは非常に興味深かったが、サチエを血の通ったキャラクターにするためには、おにぎりで客を呼ぶべきだった、と本気で思う。
客にとっての、ただの食事だったおにぎりには、サチエにとってはこんな思い出が・・・・、と言う方が脚本的には感動的だったと思う。
とは言うものの、ダメ映画かと言うとそうでもなく、非常に印象深い、爽やかで穏やかな感動を与えてくれる素晴らしい作品だと思う。
と言うのも、荻上直子(監督・脚本)のグダグダのテンポ感が、フィンランドの背景や空気とピッタリとマッチした印象を見事に観客に与えているのだ。
少なくとも日本食への関心を充分に喚起する作品に仕上がっているし、スロウ・ライフ、ロハスな生き方に共感する人々にもオススメの作品かと思う。
また特筆すべき点は、出てくる料理が全て美味しそうに見える点だろう。これは非常に稀有な事だと思う。
その点から考えるに照明が素晴らしい仕事をしていたのだと思う。限りなく自然光に近い照明により、料理が自然な色合いに見せているのであろう。
全くの余談的な個人的な印象だが、デヴィッド・リンチの「イレイザー・ヘッド」が終わった瞬間、頭の中がノイズから開放され、膨張するような感じ、こめかみの外部からの圧迫感を内側から押し広げているような感触、頭が膨らんでいくような感触を感じさせてくれる作品だったような気もする。
☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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コメント
僕は、いきなりおにぎりというのは、やはり抵抗感あると思うんですね。まず、相手側文化に少し入り込む、しかも、それは匂いでしょ。ここがポイントだと思います。招き入れて、そいて、やはり、おにぎりの出番でしょう。
さて、シナモン・ロールとおにぎりのお話ですが、脚本上の問題点のお話ですが、脚本では、サチエの世話になったミドリがサチエに食堂に客を呼ぶためにいくつかの提案をしますが、それに対して、サチエが自らのおにぎりに対する考え方の吐露と、シナモン・ロールの登板に齟齬があると思ったのです。
そこまで、おにぎりにこだわりがあるのなら、例えミドリの心情をくんでのシナモン・ロールの登場だとしても、サチエのキャラクターの描き方として、釈然としない印象をわたしは受けました。と言うことです。
確かにkimion20002000さんのおっしゃることは、正論だと思います。しかし、そうした場合キャラクターの描写に一貫性が無くなっていく、ということだとわたしは思った、ということです。
これからもよろしくお願いします。