スタジオジブリ作品「ゲド戦記」をめぐる冒険
2005年12月15日 エッセイ/コラム コメント (3)
2005/12/13 スタジオジブリが「ゲド戦記」を映画化し、2006年7月に公開することを公にした。
この件についての雑感をまとめてみることにした。
■観客は宮崎吾朗の作品が観たいのか?
「ゲド戦記」の監督は宮崎駿の息子の宮崎吾朗である。
その宮崎吾朗はアニメーション製作については完全な素人であり、しかも門外漢である。
そんな男がスタジオジブリのスタッフを率いて「ゲド戦記」を製作している、と言うのは驚きである。
尤も、宮崎吾朗は「ゲド戦記」の画コンテを描いたり、200カット以上のレイアウトをきったりしているということだから、画力や映像センスについては、ある程度素養はあるのだろうと思う。
しかしながら、これはアニメーション作品である。
例えば実写作品であるならば、語弊はあるものの、適当にそれっぽく撮影をしておけば、偶然の映像を含めて比較的作品としてかたちになりやすいのだが、全てが演出であるアニメーション作品については、偶然の映像などは皆無、全ては映像作家のイマジネーション次第と言う事だ。
ことアニメーション作品にいたっては、映像作家が自分の頭の中に作品の全てを構築し、その構築され、演出された全体像を2次元のフィルムに定着させる作業が行われる訳である。
簡単に言うと、語弊はあるが、(物理的に考えて)写真を撮るのは簡単だが、(背景を含めて)画を描くのは大変だ、と言うことである。
大人の事情は十分承知して言わせていただければ、世界に誇るスタジオジブリの新作を、ずぶの素人が演出して良いのかよ。と思う気持ちでいっぱいだし、そしてまあそれだったら、宮崎駿後の、今後のジブリのことも考えて、ジブリの若手を監督として抜擢しろよ、と言う気持ちでもいっぱいである。
■宮崎アニメ=スタジオジブリ作品ではない
宮崎アニメと言う言葉がある。その言葉は最早ひとつのブランドとして機能してしまっている。
この言葉の狭義の意味は、おそらく「スタジオジブリ以前に宮崎駿が関ったアニメーション作品」と言うものだと思う。
で、スタジオジブリとはなにかと言うと、端的に言うと宮崎駿が率いるアニメーション・スタジオである。と言う事。(代表は鈴木敏夫)
もちろん宮崎駿が手がけた多くの長編アニメーション作品はスタジオジブリ作品であり、それらはもちろん広義の意味での宮崎アニメである。と言えるだろう。
しかしながら、宮崎駿が関係していないジブリ作品もあるし、ついでに最近ではジブリは映画の配給まで手がけたりしている。
ところで、わたしは前提として、所謂宮崎アニメが好きである。
と言っても、もともとは宮崎駿の名前など知らなかった少年時代から、あぁあのアニメーションは面白いな、と言うわたしのツボに入っていた作品のいくつかが、実は宮崎駿がからんでいた、という流れだったと思う。
最初にわたしに訪れた宮崎駿ショックは「未来少年コナン」であった。なんて面白いんだと思って見ていたのだが、後年同作品は宮崎駿作品だったことを知る。
わたしが宮崎駿と言う名前を意識し始めたのは、宮崎駿が照樹務名義で画コンテを描いた「ルパン三世」の145話「死の翼アルバトロス」と155話「さらば愛しきルパンよ」(1980年)だったと思う。
その前年に「カリオストロの城」(1979)を観ているが、当時は宮崎駿って誰よ、位の認識だったと思うのだが、「風の谷のナウシカ」漫画版はリアルタイムに読んでおり、多分「アニメージュ」誌上で宮崎駿が照樹務だったと知ったのだと思う。
「風の谷のナウシカ」の連載がそれより早ければ、「風の谷のナウシカ」が宮崎駿を意識し始めた最初かも知れない。
照樹務が先だとすると、偽名だったので逆に名前を意識した、のだと思う。
ところで、昨今の配給会社や広告会社が行う、一般の観客に対しミスディレクションを行うかのような広告には驚かされることがある。
例えば、宮崎駿が制作にからんでいないスタジオジブリ作品を、あたかも宮崎駿がからんでいるような表現で広告したりしてはいないだろうか。
それが元で、スタジオジブリ作品と宮崎アニメを混同している一般の観客が多いような印象を受ける。
宮崎アニメとスタジオジブリ作品を混同してはいけないのだ。
因みに「風の谷のナウシカ」はスタジオジブリ作品ではない。
■わたしは知っていた
インターネットと言うものは、誰もが世界中に情報を発信することが出来る恐ろしいメディアである。
その情報には正しいものもあれば誤ったものもある。
が、一度発信してしまった情報は、その瞬間に独り歩きをしてしまい、もう誰にも止められないものに変容してしまう。
わたし達のように日々情報を発信しているインターネット・ユーザーは、視聴者の数はともかく、いわば自前の放送局を持っているようなものだと言えるのだ。
ところで、わたしはスタジオジブリが「ゲド戦記」を製作する、と言う確定的な情報をずいぶん前から知っていた。
人の口に戸は立てられぬ、とは昔の人はよく言ったもので「ゲド戦記」をスタジオジブリが製作する、と言う噂が発生、その後わたしは個人的に、ある方面から確定的な情報を入手することになった。
そこで、「ゲド戦記」の情報をWEBで公開するのは簡単なことなのだが、わたしは、以前とあるエンタメ系の情報を、プレス・リリースより先にWEBで匂わせてしまった際、格方面からお叱りをうけたことがあったので、「ゲド戦記」については、結構キャッチーな情報ではあったのだが、WEBでの公開を自粛していた。
と言うのも、そのフライング情報公開以来、情報を公開する際は、複数のオフィシャルなソースで裏を取ってから公開することにしているからである。
何故今更こんな話を書いているかと言うと、単なる自慢話だと解釈していただければ幸いである。
「ゲド戦記」
http://diarynote.jp/d/29346/20060802.html
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この件についての雑感をまとめてみることにした。
■観客は宮崎吾朗の作品が観たいのか?
「ゲド戦記」の監督は宮崎駿の息子の宮崎吾朗である。
その宮崎吾朗はアニメーション製作については完全な素人であり、しかも門外漢である。
そんな男がスタジオジブリのスタッフを率いて「ゲド戦記」を製作している、と言うのは驚きである。
尤も、宮崎吾朗は「ゲド戦記」の画コンテを描いたり、200カット以上のレイアウトをきったりしているということだから、画力や映像センスについては、ある程度素養はあるのだろうと思う。
しかしながら、これはアニメーション作品である。
例えば実写作品であるならば、語弊はあるものの、適当にそれっぽく撮影をしておけば、偶然の映像を含めて比較的作品としてかたちになりやすいのだが、全てが演出であるアニメーション作品については、偶然の映像などは皆無、全ては映像作家のイマジネーション次第と言う事だ。
ことアニメーション作品にいたっては、映像作家が自分の頭の中に作品の全てを構築し、その構築され、演出された全体像を2次元のフィルムに定着させる作業が行われる訳である。
簡単に言うと、語弊はあるが、(物理的に考えて)写真を撮るのは簡単だが、(背景を含めて)画を描くのは大変だ、と言うことである。
大人の事情は十分承知して言わせていただければ、世界に誇るスタジオジブリの新作を、ずぶの素人が演出して良いのかよ。と思う気持ちでいっぱいだし、そしてまあそれだったら、宮崎駿後の、今後のジブリのことも考えて、ジブリの若手を監督として抜擢しろよ、と言う気持ちでもいっぱいである。
■宮崎アニメ=スタジオジブリ作品ではない
宮崎アニメと言う言葉がある。その言葉は最早ひとつのブランドとして機能してしまっている。
この言葉の狭義の意味は、おそらく「スタジオジブリ以前に宮崎駿が関ったアニメーション作品」と言うものだと思う。
で、スタジオジブリとはなにかと言うと、端的に言うと宮崎駿が率いるアニメーション・スタジオである。と言う事。(代表は鈴木敏夫)
もちろん宮崎駿が手がけた多くの長編アニメーション作品はスタジオジブリ作品であり、それらはもちろん広義の意味での宮崎アニメである。と言えるだろう。
しかしながら、宮崎駿が関係していないジブリ作品もあるし、ついでに最近ではジブリは映画の配給まで手がけたりしている。
ところで、わたしは前提として、所謂宮崎アニメが好きである。
と言っても、もともとは宮崎駿の名前など知らなかった少年時代から、あぁあのアニメーションは面白いな、と言うわたしのツボに入っていた作品のいくつかが、実は宮崎駿がからんでいた、という流れだったと思う。
最初にわたしに訪れた宮崎駿ショックは「未来少年コナン」であった。なんて面白いんだと思って見ていたのだが、後年同作品は宮崎駿作品だったことを知る。
わたしが宮崎駿と言う名前を意識し始めたのは、宮崎駿が照樹務名義で画コンテを描いた「ルパン三世」の145話「死の翼アルバトロス」と155話「さらば愛しきルパンよ」(1980年)だったと思う。
その前年に「カリオストロの城」(1979)を観ているが、当時は宮崎駿って誰よ、位の認識だったと思うのだが、「風の谷のナウシカ」漫画版はリアルタイムに読んでおり、多分「アニメージュ」誌上で宮崎駿が照樹務だったと知ったのだと思う。
「風の谷のナウシカ」の連載がそれより早ければ、「風の谷のナウシカ」が宮崎駿を意識し始めた最初かも知れない。
照樹務が先だとすると、偽名だったので逆に名前を意識した、のだと思う。
ところで、昨今の配給会社や広告会社が行う、一般の観客に対しミスディレクションを行うかのような広告には驚かされることがある。
例えば、宮崎駿が制作にからんでいないスタジオジブリ作品を、あたかも宮崎駿がからんでいるような表現で広告したりしてはいないだろうか。
それが元で、スタジオジブリ作品と宮崎アニメを混同している一般の観客が多いような印象を受ける。
宮崎アニメとスタジオジブリ作品を混同してはいけないのだ。
因みに「風の谷のナウシカ」はスタジオジブリ作品ではない。
■わたしは知っていた
インターネットと言うものは、誰もが世界中に情報を発信することが出来る恐ろしいメディアである。
その情報には正しいものもあれば誤ったものもある。
が、一度発信してしまった情報は、その瞬間に独り歩きをしてしまい、もう誰にも止められないものに変容してしまう。
わたし達のように日々情報を発信しているインターネット・ユーザーは、視聴者の数はともかく、いわば自前の放送局を持っているようなものだと言えるのだ。
ところで、わたしはスタジオジブリが「ゲド戦記」を製作する、と言う確定的な情報をずいぶん前から知っていた。
人の口に戸は立てられぬ、とは昔の人はよく言ったもので「ゲド戦記」をスタジオジブリが製作する、と言う噂が発生、その後わたしは個人的に、ある方面から確定的な情報を入手することになった。
そこで、「ゲド戦記」の情報をWEBで公開するのは簡単なことなのだが、わたしは、以前とあるエンタメ系の情報を、プレス・リリースより先にWEBで匂わせてしまった際、格方面からお叱りをうけたことがあったので、「ゲド戦記」については、結構キャッチーな情報ではあったのだが、WEBでの公開を自粛していた。
と言うのも、そのフライング情報公開以来、情報を公開する際は、複数のオフィシャルなソースで裏を取ってから公開することにしているからである。
何故今更こんな話を書いているかと言うと、単なる自慢話だと解釈していただければ幸いである。
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コメント
早速書いちゃいます。
確かに、息子氏はどうなの? と思いました。
ゲド戦記には何の思い入れも(読んだ事も)ありませんが。
ゲド戦記、私もどうでも良いですが、本も映画も多分観ないけど
息子っていうだけで監督ならチヨットなと思いますね。
それにしてもさすがに情報は発信する方の所に集まるのですな。