2005/09/28 東京新宿「新宿ミラノ座」で「セブンソード」の試写を観た。
本日の試写は「ジャパン・ブレミア」と銘打った試写で、ナンサン・シー(製作)、ツイ・ハーク(監督)、レオン・ライ(出演)、ドニー・イェン(出演)の舞台挨拶があった。
1970年代以降の香港映画にはいくつかの大きな流れがある。
まずは、かつてブルース・リーを見出し、世界中で一大カンフー・ムーブメントを巻き起こし、ブルース・リー亡き後はジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ等のカンフーから派生する様々な作品で一時代を築いた、かのレイモンド・チョウとレナード・ホーが率いるゴールデン・ハーベストの流れである。
余談だが、ゴールデン・ハーベスト作品の冒頭、Gをディフォルメしたロゴの出方が音楽と相まって最高に格好良い。
1980年代に入り、ジャッキー・チェン等の活躍のおかげで、ゴールデン・ハーベスト作品以外の香港映画も日本国内で公開されるにつれ、面白い香港映画のクレジットに「徐克」と言う名前と「電影工作室有限公司」と言う会社の名前が目に付くようになってくる。
これがもうひとつの香港映画の流れである。
「この徐克(じょかつ)って一体誰だよ?」
「この電影工作室って一体何なんだ? 何かの冗談かよ!」
「徐克」や「電影工作室」の事を何も知らないわたしは、そんなばかげた事を考えていたりもしていた。
「徐克」とは、後に香港のスピルバーグと呼ばれる男・ツイ・ハークその人のことであり、「電影工作室」とは、ツイ・ハークとその妻・ナンサン・シーが、情熱ある映画人と投資者にとっての理想的な環境をめざし、芸術性・商業性を兼ね備えた上質の映画を製作するために設立した会社だと、わたしが知るのはしばらく後のことだった。
余談だが、この「電影工作室」とは、ロバート・レッドフォードの「サンダンス・インスティテュート」とかフランシス・フォード・コッポラの「ゾエトロープ・スタジオ」とか、岩井俊二の「戯作通信」とか、ぴあの「PFF(ぴあフィルム・フェスティバル)スカラシップ」みたいな、志の高い不遇な映像作家たちに光を投げかける孤高な精神に満ちた素晴らしいプロジェクトだと思う。
ところで、日本国内でツイ・ハークの名前が大々的に喧伝されるようになるのは、1986年の「男たちの挽歌」からだろう。
今でこそメディアは韓流、韓流(最近は華流)とか騒いでいるが、当時は香港ノワールと呼ばれる一連の香港映画の一大ムーブメントが熱かったのだ。
余談だが、この作品の監督はジョン・ウーなのだが、中国語(北京語だろうと広東語だろうと)のクレジットを読めないわたしたちは、呉宇森(ジョン・ウー)をウーモリ、ウーモリと呼んで親しんでいた。
ところで、日本国内でツイ・ハークの作品がはじめて上映されたのは、おそらく「東京国際ファンタスティック映画祭」の前身「TAKARAファンタスティック映画祭」(1985)で特別公開された、「蜀山(劇場公開タイトル・蜀山奇傳 天空の剣)」なのではないかと思う。
余談だが、1985年の「TAKARAファンタスティック映画祭」の上映ラインナップは凄い!
正に、神がかりと言って良いほどの豪華絢爛デラックスで垂涎モノのな見事なラインナップが楽しめる。
一例を紹介すると、「フェノミナ」「13日の金曜日 ニュー・ビギニング」「クリープショー」「最後の戦い」「エルム街の悪夢」「デッドゾーン」「二つの頭脳を持つ男」「レイザーバック」「レディホーク」「ハウリング2」「XYZマーダーズ 」「山中傳奇」「銀河鉄道の夜」・・・・と言う状況なのだ。
ところで、この「蜀山奇傳 天空の剣」という作品は、今で言うワイヤー・アクションの可能性を全世界に紹介した作品で、パリ国際ファンタスティック映画祭では特撮賞を受賞し、香港におけるファンタスティック映画の方向を決定付けた記念碑的作品である。
この作品がなければ、勿論「マトリックス」なんかは生まれていないのだ。
この「蜀山奇傳 天空の剣」のワイヤー・アクションについては、編集でごまかす、やや乱暴なアクションもあるものの、人間が宙を自由自在に舞う姿には、感涙の嵐である。
例えば、建物の梁に飛びつき、ぶら下がり、くるりと回って梁の上に立つ、というようなアクションが必要だとすると、同ポジションからの3つのカットを繋げて、一連の動きに見せると言う荒業が平気で行われているのだ。
また余談だが、例えば西洋人が空を飛ぶ場合は何か道具(例えば翼のようなもの)が必要だが、東洋人が空を飛ぶには、何も道具が必要ない、と言う文化的背景も明確に描写されている点も興味深い。
更に余談だが、例えば西洋の竜(ドラゴン)には翼があるが、東洋の竜には翼が無いし、西洋の空飛ぶ馬(ペガサス等)には翼があるが、東洋の空飛ぶ馬には翼が無い、と言う点も興味深い。
その後、ワイヤー・アクションは、ツイ・ハーク製作、今をときめくチン・シウトン監督、今は亡きレスリー・チャン主演の「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(1987)でひとつの頂点を極める。
同時に、ツイ・ハークは、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986)を製作、ファンタジー系ではなく、ハードボイルド路線である香港ノワールの方向性すら決定付けてしまう。
この系譜が現在「インファナル・アフェア」シリーズとして花開いている訳だ。
またコメディ路線としては「皇帝密使」や「大丈夫日記」等をこなしている。
更に1990年代に入るとツイ・ハークは、かつて中国武術界の至宝と呼ばれたリー・リンチェイ(今のジェット・リー)を起用し「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズを続々とリリースする。
1970年代から1990年代へと、最早香港映画界の歴史そのものとも言えるツイ・ハークが満を持して製作したのがこの「セブンソード」なのだ。
しかし、しかしだ。
わたしは、残念な気持ちでいっぱいだ。
ツイ・ハークよ、どこに行く・・・・
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本日の試写は「ジャパン・ブレミア」と銘打った試写で、ナンサン・シー(製作)、ツイ・ハーク(監督)、レオン・ライ(出演)、ドニー・イェン(出演)の舞台挨拶があった。
1970年代以降の香港映画にはいくつかの大きな流れがある。
まずは、かつてブルース・リーを見出し、世界中で一大カンフー・ムーブメントを巻き起こし、ブルース・リー亡き後はジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ等のカンフーから派生する様々な作品で一時代を築いた、かのレイモンド・チョウとレナード・ホーが率いるゴールデン・ハーベストの流れである。
余談だが、ゴールデン・ハーベスト作品の冒頭、Gをディフォルメしたロゴの出方が音楽と相まって最高に格好良い。
1980年代に入り、ジャッキー・チェン等の活躍のおかげで、ゴールデン・ハーベスト作品以外の香港映画も日本国内で公開されるにつれ、面白い香港映画のクレジットに「徐克」と言う名前と「電影工作室有限公司」と言う会社の名前が目に付くようになってくる。
これがもうひとつの香港映画の流れである。
「この徐克(じょかつ)って一体誰だよ?」
「この電影工作室って一体何なんだ? 何かの冗談かよ!」
「徐克」や「電影工作室」の事を何も知らないわたしは、そんなばかげた事を考えていたりもしていた。
「徐克」とは、後に香港のスピルバーグと呼ばれる男・ツイ・ハークその人のことであり、「電影工作室」とは、ツイ・ハークとその妻・ナンサン・シーが、情熱ある映画人と投資者にとっての理想的な環境をめざし、芸術性・商業性を兼ね備えた上質の映画を製作するために設立した会社だと、わたしが知るのはしばらく後のことだった。
余談だが、この「電影工作室」とは、ロバート・レッドフォードの「サンダンス・インスティテュート」とかフランシス・フォード・コッポラの「ゾエトロープ・スタジオ」とか、岩井俊二の「戯作通信」とか、ぴあの「PFF(ぴあフィルム・フェスティバル)スカラシップ」みたいな、志の高い不遇な映像作家たちに光を投げかける孤高な精神に満ちた素晴らしいプロジェクトだと思う。
ところで、日本国内でツイ・ハークの名前が大々的に喧伝されるようになるのは、1986年の「男たちの挽歌」からだろう。
今でこそメディアは韓流、韓流(最近は華流)とか騒いでいるが、当時は香港ノワールと呼ばれる一連の香港映画の一大ムーブメントが熱かったのだ。
余談だが、この作品の監督はジョン・ウーなのだが、中国語(北京語だろうと広東語だろうと)のクレジットを読めないわたしたちは、呉宇森(ジョン・ウー)をウーモリ、ウーモリと呼んで親しんでいた。
ところで、日本国内でツイ・ハークの作品がはじめて上映されたのは、おそらく「東京国際ファンタスティック映画祭」の前身「TAKARAファンタスティック映画祭」(1985)で特別公開された、「蜀山(劇場公開タイトル・蜀山奇傳 天空の剣)」なのではないかと思う。
余談だが、1985年の「TAKARAファンタスティック映画祭」の上映ラインナップは凄い!
正に、神がかりと言って良いほどの豪華絢爛デラックスで垂涎モノのな見事なラインナップが楽しめる。
一例を紹介すると、「フェノミナ」「13日の金曜日 ニュー・ビギニング」「クリープショー」「最後の戦い」「エルム街の悪夢」「デッドゾーン」「二つの頭脳を持つ男」「レイザーバック」「レディホーク」「ハウリング2」「XYZマーダーズ 」「山中傳奇」「銀河鉄道の夜」・・・・と言う状況なのだ。
ところで、この「蜀山奇傳 天空の剣」という作品は、今で言うワイヤー・アクションの可能性を全世界に紹介した作品で、パリ国際ファンタスティック映画祭では特撮賞を受賞し、香港におけるファンタスティック映画の方向を決定付けた記念碑的作品である。
この作品がなければ、勿論「マトリックス」なんかは生まれていないのだ。
この「蜀山奇傳 天空の剣」のワイヤー・アクションについては、編集でごまかす、やや乱暴なアクションもあるものの、人間が宙を自由自在に舞う姿には、感涙の嵐である。
例えば、建物の梁に飛びつき、ぶら下がり、くるりと回って梁の上に立つ、というようなアクションが必要だとすると、同ポジションからの3つのカットを繋げて、一連の動きに見せると言う荒業が平気で行われているのだ。
また余談だが、例えば西洋人が空を飛ぶ場合は何か道具(例えば翼のようなもの)が必要だが、東洋人が空を飛ぶには、何も道具が必要ない、と言う文化的背景も明確に描写されている点も興味深い。
更に余談だが、例えば西洋の竜(ドラゴン)には翼があるが、東洋の竜には翼が無いし、西洋の空飛ぶ馬(ペガサス等)には翼があるが、東洋の空飛ぶ馬には翼が無い、と言う点も興味深い。
その後、ワイヤー・アクションは、ツイ・ハーク製作、今をときめくチン・シウトン監督、今は亡きレスリー・チャン主演の「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(1987)でひとつの頂点を極める。
同時に、ツイ・ハークは、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986)を製作、ファンタジー系ではなく、ハードボイルド路線である香港ノワールの方向性すら決定付けてしまう。
この系譜が現在「インファナル・アフェア」シリーズとして花開いている訳だ。
またコメディ路線としては「皇帝密使」や「大丈夫日記」等をこなしている。
更に1990年代に入るとツイ・ハークは、かつて中国武術界の至宝と呼ばれたリー・リンチェイ(今のジェット・リー)を起用し「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズを続々とリリースする。
1970年代から1990年代へと、最早香港映画界の歴史そのものとも言えるツイ・ハークが満を持して製作したのがこの「セブンソード」なのだ。
しかし、しかしだ。
わたしは、残念な気持ちでいっぱいだ。
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