2005/08/30 東京竹橋「科学技術館サイエンスホール」で「タッチ」の試写を観た。
上杉達也(斉藤祥太)と和也(斉藤慶太)は双子の兄弟。
隣に住む浅倉家の一人娘の南(長澤まさみ)とは、小さな頃から何をするのもいつも一緒の幼馴染み。
自分たちの明青学園が甲子園に出場することを夢見る南。
スポーツ万能で成績優秀な弟の和也と明るく可愛い南は誰もが認める似合いのカップル。それに反し、兄の達也は落ちこぼれ。勉強、スポーツ、異性からの人気と、和也に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
和也は好きな南の夢を叶えるために野球部のエースとして活躍していくが、一方で達也も心の中では南のことを想っていた。南は和也からの好意を知りながらも、密かに達也の方に惹かれていったが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:犬童一心
原作:あだち充『タッチ』(小学館/少年サンデーコミックス刊)
出演:長澤まさみ(浅倉南)、斉藤祥太(上杉達也)、斉藤慶太(上杉和也)、RIKIYA(原田正平)、平塚真介(松平孝太郎)、上原風馬(黒木武)、安藤希(日向小百合)、福士誠治(新田明男)、風吹ジュン(上杉晴子)、若槻千夏(矢部ソノコ)、徳井優(岡本先生)、山崎一(部長先生)、高杉亘(体育教師)、渡辺哲(ボクシング部監督)、生田智子(浅倉しのぶ)、本田博太郎(津川英二)、小日向文世(上杉信悟)、宅麻伸(浅倉俊夫)
本作「タッチ」を観て最初に感じたのは、実写映画の限界と制約、そしてアニメーションが持つ無限の可能性である。
本作「タッチ」はご存知のように、マンガ、アニメ、映画と複数のメディアで製作されている。
あだち充のマンガは比較的線が少なくスペースが多い、言わば空白の美学を持った作品だとわたしは思う。更に言えばその絵柄はコントラストが高くまるでハレーションを起こしているかのような、真夏の太陽の下での出来事を紙に定着させたかのような印象を受ける。
また、1985年から放映されたアニメーション作品は、あだち充の原作の雰囲気を醸し出しつつも、マンガにはなかった新たな次元である音の演出が顕著な作品だったような記憶がある。
例えば、本作でも再現しようとしている高架の下での南の号泣シーンの音の演出が素晴らしいし、和也の死に相対し、呆けてしまった父親の姿等々、名演出シーンが残っている。
尤も、それらの多くはあだち充が描いたままの絵をなぞっているのだが、それを前提としてもアニメーションの演出は非常に効果的で、感動的なものがあった。
何故こんな事を言っているかと言うと、アニメーションと言うメディア(手法)は頭の中にあるものを全て実現する事が出来る数少ないメディアであり、そして全て演出で、つまり考えられた事だけで構築する事が可能な数少ないメディアであり、そして手法なのである。
一方実写作品(所謂通常の映画)は、俳優や演技はともかく、セットや美術、撮影環境に非常に大きな制約を受け、演出家が頭の中で描いた、または書いた絵コンテ通りの、言わば理想的な作品を、前述の様々な制約の下、妥協に妥協を重ね、その妥協の結果をフィルムに焼き付けたものだと言えるのだ。
そう考えた場合、本作「タッチ」は、アニメーション作品の存在から、残念な作品だと思えてしまう。
マンガ「タッチ」とアニメーション「タッチ」から受けた様々な印象が記憶となってわたしの頭の中に亡霊として存在し、知らない間に拡大されたその亡霊が本作「タッチ」と鬩ぎあっているのだ。
そして本作を観て感じるのは、実写映画なのに演出の手法が、アニメーションのそれに準じているような印象を感じる。
監督の犬童一心はアニメの演出を実写で再現しようとしているのではないか、と思えてならない。
例えば、前述の高架下のシークエンスを再現するような演出を何故わざわざするのか、そんな疑問が湧いてくる。
個人的には演出はオリジナルで勝負して欲しかった、と思うのだ。
さて、キャストだが、本作のキャストはタイトル・ロールである上杉達也(斉藤祥太)ではなく、浅倉南役の長澤まさみが最初にクレジットされていることからもわかる通り、本作は長澤まさみの映画である。
犬童一心は長澤まさみをいかに魅力的に撮るかに腐心しているような印象を否めない。
長澤まさみはその期待に答え、観客は見事にころっと騙されてしまう。
当初、斉藤祥太・慶太が達也と和也にキャスティングされたのを知った映画ファンは、本作「タッチ」が「デビルマン」に続く双子俳優を起用したダメ映画になってしまうのではないか、と思っていた。
そんな斉藤祥太(上杉達也)と斉藤慶太(上杉和也)は、「デビルマン」の双子程酷くはなく、また演出や脚本そして長澤まさみに助けられ、なかなか頑張ったのではないかな、と思う。彼等も手取り足取りきちんと演出されれば、結構演技っぽいものを見せてくれるのではないか、と思った。
また野球シーンやマンガを髣髴とさせる無言の絵のようなカットでは、好意的に言えば、なかなか雰囲気を出していたのではないか、と思う。
脚本は、マンガやアニメとほぼ同じなのだが、マンガやアニメと比較すると本作の号泣指数は決して高くはない。
演出は順当でソツなくこなしているのだが、アニメと同様のカット割や描写をしようとしている印象が否めない。
画面のアスペクト比が、冒頭のスタンダードからビスタに広がる部分が非常に効果的で、例えば「ギャラクシー・クエスト」のようで個人的には楽しかった。
※ 球場の狭い廊下を通り抜けると画面がスタンダードからビスタに変わる。
本作「タッチ」は、マンガやアニメへの誘導作品として、いわば予告編として機能する程度の作品だと言わざるを得ない。
映画のヒットがマンガの売り上げや、アニメDVDの購買につながるのだろうと思うが、本作だけでは魅力的な作品だとは言えない。
尤も長澤まさみのアイドル映画と言う見方も当然ながら出来るのだが、そういう観点からは満足できる作品だと言えるだろう。
犬童一心監督作品としては凡庸で評価に値しないような気がする。
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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上杉達也(斉藤祥太)と和也(斉藤慶太)は双子の兄弟。
隣に住む浅倉家の一人娘の南(長澤まさみ)とは、小さな頃から何をするのもいつも一緒の幼馴染み。
自分たちの明青学園が甲子園に出場することを夢見る南。
スポーツ万能で成績優秀な弟の和也と明るく可愛い南は誰もが認める似合いのカップル。それに反し、兄の達也は落ちこぼれ。勉強、スポーツ、異性からの人気と、和也に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
和也は好きな南の夢を叶えるために野球部のエースとして活躍していくが、一方で達也も心の中では南のことを想っていた。南は和也からの好意を知りながらも、密かに達也の方に惹かれていったが・・・・
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:犬童一心
原作:あだち充『タッチ』(小学館/少年サンデーコミックス刊)
出演:長澤まさみ(浅倉南)、斉藤祥太(上杉達也)、斉藤慶太(上杉和也)、RIKIYA(原田正平)、平塚真介(松平孝太郎)、上原風馬(黒木武)、安藤希(日向小百合)、福士誠治(新田明男)、風吹ジュン(上杉晴子)、若槻千夏(矢部ソノコ)、徳井優(岡本先生)、山崎一(部長先生)、高杉亘(体育教師)、渡辺哲(ボクシング部監督)、生田智子(浅倉しのぶ)、本田博太郎(津川英二)、小日向文世(上杉信悟)、宅麻伸(浅倉俊夫)
本作「タッチ」を観て最初に感じたのは、実写映画の限界と制約、そしてアニメーションが持つ無限の可能性である。
本作「タッチ」はご存知のように、マンガ、アニメ、映画と複数のメディアで製作されている。
あだち充のマンガは比較的線が少なくスペースが多い、言わば空白の美学を持った作品だとわたしは思う。更に言えばその絵柄はコントラストが高くまるでハレーションを起こしているかのような、真夏の太陽の下での出来事を紙に定着させたかのような印象を受ける。
また、1985年から放映されたアニメーション作品は、あだち充の原作の雰囲気を醸し出しつつも、マンガにはなかった新たな次元である音の演出が顕著な作品だったような記憶がある。
例えば、本作でも再現しようとしている高架の下での南の号泣シーンの音の演出が素晴らしいし、和也の死に相対し、呆けてしまった父親の姿等々、名演出シーンが残っている。
尤も、それらの多くはあだち充が描いたままの絵をなぞっているのだが、それを前提としてもアニメーションの演出は非常に効果的で、感動的なものがあった。
何故こんな事を言っているかと言うと、アニメーションと言うメディア(手法)は頭の中にあるものを全て実現する事が出来る数少ないメディアであり、そして全て演出で、つまり考えられた事だけで構築する事が可能な数少ないメディアであり、そして手法なのである。
一方実写作品(所謂通常の映画)は、俳優や演技はともかく、セットや美術、撮影環境に非常に大きな制約を受け、演出家が頭の中で描いた、または書いた絵コンテ通りの、言わば理想的な作品を、前述の様々な制約の下、妥協に妥協を重ね、その妥協の結果をフィルムに焼き付けたものだと言えるのだ。
そう考えた場合、本作「タッチ」は、アニメーション作品の存在から、残念な作品だと思えてしまう。
マンガ「タッチ」とアニメーション「タッチ」から受けた様々な印象が記憶となってわたしの頭の中に亡霊として存在し、知らない間に拡大されたその亡霊が本作「タッチ」と鬩ぎあっているのだ。
そして本作を観て感じるのは、実写映画なのに演出の手法が、アニメーションのそれに準じているような印象を感じる。
監督の犬童一心はアニメの演出を実写で再現しようとしているのではないか、と思えてならない。
例えば、前述の高架下のシークエンスを再現するような演出を何故わざわざするのか、そんな疑問が湧いてくる。
個人的には演出はオリジナルで勝負して欲しかった、と思うのだ。
さて、キャストだが、本作のキャストはタイトル・ロールである上杉達也(斉藤祥太)ではなく、浅倉南役の長澤まさみが最初にクレジットされていることからもわかる通り、本作は長澤まさみの映画である。
犬童一心は長澤まさみをいかに魅力的に撮るかに腐心しているような印象を否めない。
長澤まさみはその期待に答え、観客は見事にころっと騙されてしまう。
当初、斉藤祥太・慶太が達也と和也にキャスティングされたのを知った映画ファンは、本作「タッチ」が「デビルマン」に続く双子俳優を起用したダメ映画になってしまうのではないか、と思っていた。
そんな斉藤祥太(上杉達也)と斉藤慶太(上杉和也)は、「デビルマン」の双子程酷くはなく、また演出や脚本そして長澤まさみに助けられ、なかなか頑張ったのではないかな、と思う。彼等も手取り足取りきちんと演出されれば、結構演技っぽいものを見せてくれるのではないか、と思った。
また野球シーンやマンガを髣髴とさせる無言の絵のようなカットでは、好意的に言えば、なかなか雰囲気を出していたのではないか、と思う。
脚本は、マンガやアニメとほぼ同じなのだが、マンガやアニメと比較すると本作の号泣指数は決して高くはない。
演出は順当でソツなくこなしているのだが、アニメと同様のカット割や描写をしようとしている印象が否めない。
画面のアスペクト比が、冒頭のスタンダードからビスタに広がる部分が非常に効果的で、例えば「ギャラクシー・クエスト」のようで個人的には楽しかった。
※ 球場の狭い廊下を通り抜けると画面がスタンダードからビスタに変わる。
本作「タッチ」は、マンガやアニメへの誘導作品として、いわば予告編として機能する程度の作品だと言わざるを得ない。
映画のヒットがマンガの売り上げや、アニメDVDの購買につながるのだろうと思うが、本作だけでは魅力的な作品だとは言えない。
尤も長澤まさみのアイドル映画と言う見方も当然ながら出来るのだが、そういう観点からは満足できる作品だと言えるだろう。
犬童一心監督作品としては凡庸で評価に値しないような気がする。
☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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