2005/06/20 東京新宿「東京厚生年金会館」で「マラソン」の試写を観た。
身体は20歳だが、精神年齢は5歳のチョウォン(チョ・スンウ)。
自閉症の障害を持つチョウォンは、"走り"の才能だけはピカイチ。
母親のキョンスク(キム・ミスク)は障害を持つチョウォンから目が離せず、息子より一日だけ長生きしたいと願っている。
チョウォンの弟チュンウォン(ペク・ソンヒョン)は、兄にばかり関心を寄せる母に心を閉ざしていた。
そんな中、チョウォンの長所を何とか伸ばしたいキョンスクは、チョウォンが通う育英学校に、飲酒運転のためボランティアに訪れた、かつての有名ランナーで、今は飲んだくれのチョンウク(イ・ギヨン)にコーチを依頼し、42.195キロのフルマラソン参加に向けトレーニングを開始したが・・・・。
(オフィシル・サイトよりほぼ引用)
監督:チョン・ユンチョル
出演:チョ・スンウ(ユン・チョウォン)、キム・ミスク(キョンスク)、イ・ギヨン(ソン・チョンウク)、ペク・ソンヒョン(ユン・チュンウォン)、アン・ネサン(チョウォンの父親)
わたしは大いに泣かせていただいた。
本作「マラソン」の背景には、障害を持つ兄に対し過剰なまでの愛情をそそぐ母親と、その母親の愛情を得られず心を閉ざしてしまう弟、そして家族の崩壊、と言う図式がある。
この根本的な図式は、最近日本公開となった「マイ・ブラザー」の構造と似ているのが非常に興味深いし、その反面非常に残念でもある。
そして、その肝心のプロット自体も決して目新しいものではなく、世界中で既に語り尽くされた感が否めないし、言うならば手垢がついたようなプロットを再利用しているような印象を受けるのだ。
とは言うものの、逆に言うとそんな手垢のついたプロット(言い換えるならば普遍的な物語)を堂々とメインのプロットに使うことにより、本作は普遍的な力を得、世界中の様々な民族に受け入れられる作品に変貌し得る力を持った作品だと言えるのかも知れない。
また、物語の構成も決して新しいわけではないのだが、チョウォンの少年期における母親の苦悩で幕を開ける本作の物語は、ユーモアとペーソスをまといつつも、障害者を家族の一員として24時間365日生活することの現実的断片をわれわれ観客に突きつけている。
このあたりは、日本国内のメディアによって取り上げられる障害者や介護の現場をのイメージに踊らされ、ささやかな動機と安易な気持ちで福祉の場に足を踏み入れてしまう人々に、自分が足を踏み入れようとしている世界がどんなものなのか、その断片を表現しているのではないか、と思えてならない。
その後、物語はチョウォンが巻き起こす様々なエピソードをユーモアを込め描写し続け、それらによりわれわれ観客はチョウォンに対し、過剰なまでに愛情を注ぎ続ける母親の姿に感情移入する反面、同時に背反してしまっているのだ。
そして、われわれ観客は、障害を持つ家族がいる生活の断片を含めたチョウォンの少年期と、母親の過剰な愛情、そして弟の複雑な感情を理解する。
物語を楽しむ上で、それらは既にわれわれ観客の身近な思い出となっているのだ。
本作で描かれる細かいエピソードの描写は、奇をてらったものではなく文字通りストレートで、韓国映画の特徴なのかも知れないが、障害をその登場人物の個性として真っ向から描いている。
特に印象的なのは、シマウマの外見に似たバッグを持った女性や、シマウマの外見に似たスカートをはいた女性が登場するシークエンスに顕著である。
本作は、日本のメディア同様、障害者をピュアで純粋な存在として描く一方、障害者を一般社会において忌み嫌われる存在としても平等に描いている訳だ。
テレビやスクリーンで見る障害者には寛容で好意を抱くが、実生活で障害者に会うと知らん振りをきめこみ顔を顰める人々がなんと多い事よ。
当然ながら障害者には、良い人もいれば悪い人も勿論いる訳なのだが、日本のメディアは、障害者をあまりにもピュアで純粋で良い人に描き過ぎるきらいが否定できない。
その点、韓国映画はストレートで、障害をその人のひとつの個性として正面から描いているような印象を受ける。
また、特に印象に残ったのは、チョウォンの母親を善悪で単純に割り切ると、悪として描いている点が強烈な印象を与えている。
特に、地下鉄のシークエンスでチョウォンが繰り返す言葉が鋭くわれわれの胸に突き刺さるし、チョウォンの母親の言動が、チョウォンの性格形成上の問題となっている点も厳しいながら、映画としては好印象を受けた。
ところで、撮影(クォン・ヒョクチュン)なのだが、本作では広角レンズを非常に効果的に使う一方、なんの変哲も無い街中や自然の風景を素敵な舞台に変える力を見事に行使していた。
ぱっと見箕でも、綺麗で印象に残るカットがたくさん在ったのではないか、と思う。
個人的には、おそらく多くの人が泣かされたカット、路傍の草花に手をかざしつつ走るチョウォンを広角レンズでとらえたカットは、涙腺に対し、強烈な破壊力を行使していた、と言えよう。
また、本作はキャラクターの設定が一筋縄でいかない感じで非常に面白かった。
特にチョウォンの母キョンスク(キム・ミスク)や、チョウォンのコーチとなるチョンウク(イ・ギヨン)のキャラクター設定は秀逸だろう。
登場人物の多くが、いい加減な人物であるながら、まじめで骨があるところに好感を覚える。われわれはダメ人間が頑張るところに共感するのだろうか。
そして、この映画の力は、マラソンをはじめとする様々なスポーツを、体を動かす事の素晴らしさを観客に伝える事に成功している。おそらく観客の多くは、なんらかのスポーツをしてみたくなったのではないか、と個人的には思う。
スポーツとは根本的に人類の本能(闘争本能)の発露であり、その本能を具現化しているだけで、わたしは感涙なのだ。
なんだか訳がわからない事をウダウダ書いているような気がするが、本作「マラソン」は、スポーツを題材とした感動の物語であるし、家族や障害について考えるきっかけにもなっているし、画も綺麗だし、面白いし悲しいし、出来れば劇場で観て欲しいな、と思える良質の作品だと思うのだ。
☆☆☆(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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身体は20歳だが、精神年齢は5歳のチョウォン(チョ・スンウ)。
自閉症の障害を持つチョウォンは、"走り"の才能だけはピカイチ。
母親のキョンスク(キム・ミスク)は障害を持つチョウォンから目が離せず、息子より一日だけ長生きしたいと願っている。
チョウォンの弟チュンウォン(ペク・ソンヒョン)は、兄にばかり関心を寄せる母に心を閉ざしていた。
そんな中、チョウォンの長所を何とか伸ばしたいキョンスクは、チョウォンが通う育英学校に、飲酒運転のためボランティアに訪れた、かつての有名ランナーで、今は飲んだくれのチョンウク(イ・ギヨン)にコーチを依頼し、42.195キロのフルマラソン参加に向けトレーニングを開始したが・・・・。
(オフィシル・サイトよりほぼ引用)
監督:チョン・ユンチョル
出演:チョ・スンウ(ユン・チョウォン)、キム・ミスク(キョンスク)、イ・ギヨン(ソン・チョンウク)、ペク・ソンヒョン(ユン・チュンウォン)、アン・ネサン(チョウォンの父親)
わたしは大いに泣かせていただいた。
本作「マラソン」の背景には、障害を持つ兄に対し過剰なまでの愛情をそそぐ母親と、その母親の愛情を得られず心を閉ざしてしまう弟、そして家族の崩壊、と言う図式がある。
この根本的な図式は、最近日本公開となった「マイ・ブラザー」の構造と似ているのが非常に興味深いし、その反面非常に残念でもある。
そして、その肝心のプロット自体も決して目新しいものではなく、世界中で既に語り尽くされた感が否めないし、言うならば手垢がついたようなプロットを再利用しているような印象を受けるのだ。
とは言うものの、逆に言うとそんな手垢のついたプロット(言い換えるならば普遍的な物語)を堂々とメインのプロットに使うことにより、本作は普遍的な力を得、世界中の様々な民族に受け入れられる作品に変貌し得る力を持った作品だと言えるのかも知れない。
また、物語の構成も決して新しいわけではないのだが、チョウォンの少年期における母親の苦悩で幕を開ける本作の物語は、ユーモアとペーソスをまといつつも、障害者を家族の一員として24時間365日生活することの現実的断片をわれわれ観客に突きつけている。
このあたりは、日本国内のメディアによって取り上げられる障害者や介護の現場をのイメージに踊らされ、ささやかな動機と安易な気持ちで福祉の場に足を踏み入れてしまう人々に、自分が足を踏み入れようとしている世界がどんなものなのか、その断片を表現しているのではないか、と思えてならない。
その後、物語はチョウォンが巻き起こす様々なエピソードをユーモアを込め描写し続け、それらによりわれわれ観客はチョウォンに対し、過剰なまでに愛情を注ぎ続ける母親の姿に感情移入する反面、同時に背反してしまっているのだ。
そして、われわれ観客は、障害を持つ家族がいる生活の断片を含めたチョウォンの少年期と、母親の過剰な愛情、そして弟の複雑な感情を理解する。
物語を楽しむ上で、それらは既にわれわれ観客の身近な思い出となっているのだ。
本作で描かれる細かいエピソードの描写は、奇をてらったものではなく文字通りストレートで、韓国映画の特徴なのかも知れないが、障害をその登場人物の個性として真っ向から描いている。
特に印象的なのは、シマウマの外見に似たバッグを持った女性や、シマウマの外見に似たスカートをはいた女性が登場するシークエンスに顕著である。
本作は、日本のメディア同様、障害者をピュアで純粋な存在として描く一方、障害者を一般社会において忌み嫌われる存在としても平等に描いている訳だ。
テレビやスクリーンで見る障害者には寛容で好意を抱くが、実生活で障害者に会うと知らん振りをきめこみ顔を顰める人々がなんと多い事よ。
当然ながら障害者には、良い人もいれば悪い人も勿論いる訳なのだが、日本のメディアは、障害者をあまりにもピュアで純粋で良い人に描き過ぎるきらいが否定できない。
その点、韓国映画はストレートで、障害をその人のひとつの個性として正面から描いているような印象を受ける。
また、特に印象に残ったのは、チョウォンの母親を善悪で単純に割り切ると、悪として描いている点が強烈な印象を与えている。
特に、地下鉄のシークエンスでチョウォンが繰り返す言葉が鋭くわれわれの胸に突き刺さるし、チョウォンの母親の言動が、チョウォンの性格形成上の問題となっている点も厳しいながら、映画としては好印象を受けた。
ところで、撮影(クォン・ヒョクチュン)なのだが、本作では広角レンズを非常に効果的に使う一方、なんの変哲も無い街中や自然の風景を素敵な舞台に変える力を見事に行使していた。
ぱっと見箕でも、綺麗で印象に残るカットがたくさん在ったのではないか、と思う。
個人的には、おそらく多くの人が泣かされたカット、路傍の草花に手をかざしつつ走るチョウォンを広角レンズでとらえたカットは、涙腺に対し、強烈な破壊力を行使していた、と言えよう。
また、本作はキャラクターの設定が一筋縄でいかない感じで非常に面白かった。
特にチョウォンの母キョンスク(キム・ミスク)や、チョウォンのコーチとなるチョンウク(イ・ギヨン)のキャラクター設定は秀逸だろう。
登場人物の多くが、いい加減な人物であるながら、まじめで骨があるところに好感を覚える。われわれはダメ人間が頑張るところに共感するのだろうか。
そして、この映画の力は、マラソンをはじめとする様々なスポーツを、体を動かす事の素晴らしさを観客に伝える事に成功している。おそらく観客の多くは、なんらかのスポーツをしてみたくなったのではないか、と個人的には思う。
スポーツとは根本的に人類の本能(闘争本能)の発露であり、その本能を具現化しているだけで、わたしは感涙なのだ。
なんだか訳がわからない事をウダウダ書いているような気がするが、本作「マラソン」は、スポーツを題材とした感動の物語であるし、家族や障害について考えるきっかけにもなっているし、画も綺麗だし、面白いし悲しいし、出来れば劇場で観て欲しいな、と思える良質の作品だと思うのだ。
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