「フォーガットン」 その1
2005年7月4日 映画
2005/05/26 東京竹橋「科学技術館サイエンスホール」で「フォーガットン」の試写を観た。
その日もテリー(ジュリアン・ムーア)は子供部屋で息子サムの思い出に浸っていた。どんなに愛おしさを募らせても、サムは戻っては来ない。11人の死亡が確認された悲惨な飛行機事故で、9歳のサムは逝ってしまったのだ。夫ジム(アンソニー・エドワーズ)の優しい気遣いにも、精神科医マンス(ゲイリー・シニーズ)のカウンセリングにも、悲しみは癒されるどころか喪失感だけが膨らんでいく。
サムの死から14ケ月。
テリーがマンス医師のもとに向おうと路上駐車した場所に行ってみると、駐車した場所に車が見当たらない。テリーの困った様子を見かねた親切な男(ライナス・ローチ)の視線をたどり、すぐに車は見つかったが、かすかな違和感が残った。
マンス医師のオフィスでは、飲んでいたはずのコーヒーが忽然と消えてしまう。マンス医師は、他人が飲むコーヒーの香りから無意識に記憶を捏造しただけで、君ははじめからコーヒーなど飲んでいなかった、というが、テリーは釈然としない。
その晩、テリーが仕事に復帰したことをジムが祝ってくれたが、夫婦の間に穏やかな空気が流れたのも束の間、家族3人で写っていたはずの写真からサムだけが消えているのを発見したテリーはジムの仕業だと決めつけ、逆上し家を飛び出してしまう。
そこで・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ジョセフ・ルーベン
脚本:ジェラルド・ディペゴ
出演:ジュリアン・ムーア(テリー・パレッタ)、ドミニク・ウェスト(アッシュ)、ゲイリー・シニーズ(マンス医師)、アルフレ・ウッダード(ポープ刑事)、ライナス・ローチ(親切な男)、ロバート・ウィズダム(カール・デイトン)、ジェシカ・ヘクト(エリオット)、アンソニー・エドワーズ(ジム・パレッタ)
本作「フォーガットン」は、「精神世界の冒険」を描いた作品群の頻発に対するアンチテーゼと言えるのではないか、と思える。
また、そう考えた場合、本作のプロットは、『どうせ「精神世界の冒険」の話だろ』と言う、観客への見事なミス・デレクションとして機能する。
そして多くの観客は見事にそれにはまってしまった。
「精神世界の冒険」を描いた作品を期待した多くの観客が本作を否定する所以であろう。
本作は多くの観客が感じたようにつまらない作品なのだろうか。
■神の視点
本作「フォーガットン」の冒頭は空撮から始まっている。しかもよりによって真上からの空撮である。
空撮のカットで幕を開ける作品は多々あるが、真上からの空撮は「ウエスト・サイド物語」位しか無いのではないだろうか。
「ウエスト・サイド物語」の空撮は、登場人物にとっての様々な事象は視点を変えると些細な出来事でしかない、と言うことを描いているのだが、本作「フォーガットン」の空撮は「神、あるいは神に準ずる者の視点」を表現している。
そして、観客は本作の冒頭カットから、この作品の黒幕は「神、あるいは神に準ずる者」であることを知っているのだ。
■「未知との遭遇」の言及
ジュリアン・ムーアの役名はテリーである。
主人公が「テリーと言う名の母親」であることを知った瞬間、わたしの意識は「未知との遭遇」へ飛んだ。
と言うのも「未知との遭遇」でロイ・ニアリーの妻を演じたのがテリー・ガーだったからである。
「未知との遭遇」は、極端に解釈すると、宇宙人からの潜在的なメッセージを受け取った人々が、デビルス・タワーを目指す物語だと言える。
そう考えた場合、ジュリアン・ムーアの役柄は「未知との遭遇」でリチャード・ドレイファスが演じたロイ・ニアリーのキャラクターを振られている、と思えるのだ。
それを裏付けるように、本作には「未知との遭遇」への言及と思われる描写が多く登場する。特に印象深いのは、デビルス・タワーへの言及である。
例えば、テリーとアッシュの逃亡途中、テーブルの上に茶色の紙袋が意味ありげに置いてあるのだ。
テーブル上にそそり立つ茶色の紙袋はデビルス・タワーを髣髴とさせる。
また、同様に逃亡途中のモーテルでベッド・メイキングをするテリーは、白い枕を茶色の枕カバーに入れるのだが、ベッドの上に座り、茶色の枕カバーをかけるビジュアルは、前述のようにデビルス・タワーのメタファーに見て取れるのだ。
これは一体、何を表現しようとしているのだろうか・・・・
■季節の描写
画面を見ているのとわかると思うのだが、本編中の季節は冬であり、ラストのシークエンスは秋なのである。
季節の明確な表現はないのだが、映像の色彩がそれを肯定している。
これを単純に考えた場合、冬の次に訪れる秋は翌年の秋である。
しかしながら、脚本から導かれるのは、ラストの秋は本編から14ケ月前、昨年の秋だと思われるのである。
本編中では、テリーの息子サム等が飛行機事故に遭ったのは、本編が描かれたいる時制の14ケ月前となっている。
そして、ここから導かれるのは、仮に本編で描かれた出来事が実際に起きた事だと仮定すると、この物語の黒幕は地球全体の時間を14ケ月間、巻き戻す事が出来る存在だ、と言う事になる。
■記憶の混濁
冒頭から前半部分、テリーの記憶に混濁がある描写が出てくる。
路上駐車の場所の移動や、コーヒーを飲んでいたかどうか、の点に顕著である。
これらから、観客は本編のプロットである「サムは本当にいたのかどうか」に対して、疑問が生じる訳である。
本当にサムは存在したのか、それともサムの記憶はテリーが作り出したものなのか、と。
■変形する雲
本作には何故か1カットだけ、雲が円盤状のフォルムに変形するカットがある。
これはわたしに言わせると蛇足なカットだと思うし、このカットは観客に対する大きなミス・デレクションだと思えるのだ。
これは一体何を意味しているのだろうか・・・・。
■飛ぶ描写
何人かの人物が本編中、黒幕にとって都合の悪い状況を起こしそうな人物が、地平線の彼方に飛んで行ってしまうカットが何度か挿入される。
このカットに対する批判が多いようだが、描写の手法としては非常に正しいものである。
飛ぶ描写を批判する人に是非聞きたいのだが、本作の描写以外で、本作の脚本やプロットに影響を与えずに、また余計な先入観を与えない、人物消失の描写方法が思いつくだろうか。
わたしには思いつかないし、黒幕のパワーの方向性を考えた場合(科学的な技術ではない力の)、描写方法は正しかったと言わざるを得ない。
■再会の場所
前述のように時制を考えた場合、本編からラストにかけて、季節が冬から前年の秋に戻っている。
ラストのテリーとアッシュの出会い(再会か)のシークエンスでは、テリーはアッシュの事を既に知っているし、しかも彼女には本編中の記憶があるようなのだ。
14ケ月の時間を巻き戻された世界中の人々。
そしてテリーは、その中でおそらく唯一、その失われた14ケ月分の記憶を持っているのだ。
唯一と思われる点により、果たしてテリーが体験した14ケ月の出来事は、本当にあった事なのかどうか、と言う疑問が生ずる事になる。
つづく・・・・
(文字数の関係です)
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その日もテリー(ジュリアン・ムーア)は子供部屋で息子サムの思い出に浸っていた。どんなに愛おしさを募らせても、サムは戻っては来ない。11人の死亡が確認された悲惨な飛行機事故で、9歳のサムは逝ってしまったのだ。夫ジム(アンソニー・エドワーズ)の優しい気遣いにも、精神科医マンス(ゲイリー・シニーズ)のカウンセリングにも、悲しみは癒されるどころか喪失感だけが膨らんでいく。
サムの死から14ケ月。
テリーがマンス医師のもとに向おうと路上駐車した場所に行ってみると、駐車した場所に車が見当たらない。テリーの困った様子を見かねた親切な男(ライナス・ローチ)の視線をたどり、すぐに車は見つかったが、かすかな違和感が残った。
マンス医師のオフィスでは、飲んでいたはずのコーヒーが忽然と消えてしまう。マンス医師は、他人が飲むコーヒーの香りから無意識に記憶を捏造しただけで、君ははじめからコーヒーなど飲んでいなかった、というが、テリーは釈然としない。
その晩、テリーが仕事に復帰したことをジムが祝ってくれたが、夫婦の間に穏やかな空気が流れたのも束の間、家族3人で写っていたはずの写真からサムだけが消えているのを発見したテリーはジムの仕業だと決めつけ、逆上し家を飛び出してしまう。
そこで・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:ジョセフ・ルーベン
脚本:ジェラルド・ディペゴ
出演:ジュリアン・ムーア(テリー・パレッタ)、ドミニク・ウェスト(アッシュ)、ゲイリー・シニーズ(マンス医師)、アルフレ・ウッダード(ポープ刑事)、ライナス・ローチ(親切な男)、ロバート・ウィズダム(カール・デイトン)、ジェシカ・ヘクト(エリオット)、アンソニー・エドワーズ(ジム・パレッタ)
本作「フォーガットン」は、「精神世界の冒険」を描いた作品群の頻発に対するアンチテーゼと言えるのではないか、と思える。
また、そう考えた場合、本作のプロットは、『どうせ「精神世界の冒険」の話だろ』と言う、観客への見事なミス・デレクションとして機能する。
そして多くの観客は見事にそれにはまってしまった。
「精神世界の冒険」を描いた作品を期待した多くの観客が本作を否定する所以であろう。
本作は多くの観客が感じたようにつまらない作品なのだろうか。
■神の視点
本作「フォーガットン」の冒頭は空撮から始まっている。しかもよりによって真上からの空撮である。
空撮のカットで幕を開ける作品は多々あるが、真上からの空撮は「ウエスト・サイド物語」位しか無いのではないだろうか。
「ウエスト・サイド物語」の空撮は、登場人物にとっての様々な事象は視点を変えると些細な出来事でしかない、と言うことを描いているのだが、本作「フォーガットン」の空撮は「神、あるいは神に準ずる者の視点」を表現している。
そして、観客は本作の冒頭カットから、この作品の黒幕は「神、あるいは神に準ずる者」であることを知っているのだ。
■「未知との遭遇」の言及
ジュリアン・ムーアの役名はテリーである。
主人公が「テリーと言う名の母親」であることを知った瞬間、わたしの意識は「未知との遭遇」へ飛んだ。
と言うのも「未知との遭遇」でロイ・ニアリーの妻を演じたのがテリー・ガーだったからである。
「未知との遭遇」は、極端に解釈すると、宇宙人からの潜在的なメッセージを受け取った人々が、デビルス・タワーを目指す物語だと言える。
そう考えた場合、ジュリアン・ムーアの役柄は「未知との遭遇」でリチャード・ドレイファスが演じたロイ・ニアリーのキャラクターを振られている、と思えるのだ。
それを裏付けるように、本作には「未知との遭遇」への言及と思われる描写が多く登場する。特に印象深いのは、デビルス・タワーへの言及である。
例えば、テリーとアッシュの逃亡途中、テーブルの上に茶色の紙袋が意味ありげに置いてあるのだ。
テーブル上にそそり立つ茶色の紙袋はデビルス・タワーを髣髴とさせる。
また、同様に逃亡途中のモーテルでベッド・メイキングをするテリーは、白い枕を茶色の枕カバーに入れるのだが、ベッドの上に座り、茶色の枕カバーをかけるビジュアルは、前述のようにデビルス・タワーのメタファーに見て取れるのだ。
これは一体、何を表現しようとしているのだろうか・・・・
■季節の描写
画面を見ているのとわかると思うのだが、本編中の季節は冬であり、ラストのシークエンスは秋なのである。
季節の明確な表現はないのだが、映像の色彩がそれを肯定している。
これを単純に考えた場合、冬の次に訪れる秋は翌年の秋である。
しかしながら、脚本から導かれるのは、ラストの秋は本編から14ケ月前、昨年の秋だと思われるのである。
本編中では、テリーの息子サム等が飛行機事故に遭ったのは、本編が描かれたいる時制の14ケ月前となっている。
そして、ここから導かれるのは、仮に本編で描かれた出来事が実際に起きた事だと仮定すると、この物語の黒幕は地球全体の時間を14ケ月間、巻き戻す事が出来る存在だ、と言う事になる。
■記憶の混濁
冒頭から前半部分、テリーの記憶に混濁がある描写が出てくる。
路上駐車の場所の移動や、コーヒーを飲んでいたかどうか、の点に顕著である。
これらから、観客は本編のプロットである「サムは本当にいたのかどうか」に対して、疑問が生じる訳である。
本当にサムは存在したのか、それともサムの記憶はテリーが作り出したものなのか、と。
■変形する雲
本作には何故か1カットだけ、雲が円盤状のフォルムに変形するカットがある。
これはわたしに言わせると蛇足なカットだと思うし、このカットは観客に対する大きなミス・デレクションだと思えるのだ。
これは一体何を意味しているのだろうか・・・・。
■飛ぶ描写
何人かの人物が本編中、黒幕にとって都合の悪い状況を起こしそうな人物が、地平線の彼方に飛んで行ってしまうカットが何度か挿入される。
このカットに対する批判が多いようだが、描写の手法としては非常に正しいものである。
飛ぶ描写を批判する人に是非聞きたいのだが、本作の描写以外で、本作の脚本やプロットに影響を与えずに、また余計な先入観を与えない、人物消失の描写方法が思いつくだろうか。
わたしには思いつかないし、黒幕のパワーの方向性を考えた場合(科学的な技術ではない力の)、描写方法は正しかったと言わざるを得ない。
■再会の場所
前述のように時制を考えた場合、本編からラストにかけて、季節が冬から前年の秋に戻っている。
ラストのテリーとアッシュの出会い(再会か)のシークエンスでは、テリーはアッシュの事を既に知っているし、しかも彼女には本編中の記憶があるようなのだ。
14ケ月の時間を巻き戻された世界中の人々。
そしてテリーは、その中でおそらく唯一、その失われた14ケ月分の記憶を持っているのだ。
唯一と思われる点により、果たしてテリーが体験した14ケ月の出来事は、本当にあった事なのかどうか、と言う疑問が生ずる事になる。
つづく・・・・
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