「ミリオンダラー・ベイビー」
2005年6月3日 映画
2005/05/13 東京九段下「千代田区公会堂」で「ミリオンダラー・ベイビー」の試写を観た。
ロサンジェルスのダウンタウンにある小さなボクシング・ジム”ヒット・ピット”を営む老トレーナー、フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)。
フランキーの指導力はピカイチだったが、選手を大切に育てるあまり、成功を急ぐ優秀なボクサーたちはみんな彼のもとを去ってしまう。
そんなある日、31歳になる女性マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)はフランキーに弟子入りを志願する。トレーラーで育ち不遇の人生を送ってきた彼女は、唯一誇れるボクシングの才能に最後の望みを託したのだった。ところが、そんなマギーの必死な思いにも、頑固なフランキーは、「女性ボクサーは取らない」のひと言ですげなく追い返してしまう。
それでも諦めずジムに通い、ひとり黙々と練習を続けるマギー。フランキーの唯一の親友エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス(モーガン・フリーマン)はそんなマギーの素質と根性を見抜き、目をかける。やがてマギーの執念が勝ち、フランキーはついにトレーナーを引き受けるのだったが・・・・。
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ポール・ハギス
音楽:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)、ヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)、モーガン・フリーマン(エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス)、ジェイ・バルチェル(デンジャー・バーチ)、マイク・コルター(ビッグ・ウィリー)、ルシア・リッカー(ビリー・”ザ・ブルー・ベア”)、ブライアン・オバーン(ホルバック神父)、マーゴ・マーティンデイル(アーリーン・フィッツジェラルド)、リキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)、ブルース・マックヴィッティ(ミッキー・マック)、ベニート・マルティネス(ビリーのマネージャー)
本作「ミリオンダラー・ベイビー」は誰にでもおすすめできる娯楽作品とは言い難い。
そしてその感覚は、かつてのイーストウッド作品「許されざる者」を髣髴とさせるような種類の作品に仕上がっているような印象を受けた。両作から受ける印象の共通点は、ただ単純にイーストウッドとモーガン・フリーマンが共演している、と言う理由ではなく、イーストウッドがそれぞれの作品で演じたキャラクターとその行動に一貫性と言うか、共通項が見え隠れする、と言う訳である。
そのモーガン・フリーマンとクリント・イーストウッドの絡みなのだが、物語上20年以上の付き合いがある、と言う点の雰囲気と言うか空気感が見事に表現されていた。「許されざる者」の映画的記憶も相まって、ふたりの腐れ縁振りが描写されていた。
脚本、と言うか本作「ミリオンダラー・ベイビー」のメインのプロットは、映画に関する情報をシャットアウトして劇場に向うわたしにとっては驚くべきプロットだった。
物語の中盤以降、わたしはこの作品が、わたし達観客を一体どこに連れて行ってくれるのか、期待と勿論大きな不安を抱きつつ本作に見入った訳である。
キャストは先ずはなんと言ってもヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)だろう。彼女の頑張りなくしては本作はなかっただろうと思える頑張りようである。
モーガン・フリーマン(エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス)はいつものモーガン・フリーマンで、取り立てて評価しようとは思わないのだが、作品の「語り手」としてのモーガン・フリーマンの声にはしびれてしまう。
「ショーシャンクの空に」でもモーガン・フリーマンは物語の「語り手」として登場するのだが、クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)との腐れ縁と、物語のラストを知っている存在として「語り手」を務める構成には、尤も順当と言えば順当なのだが、舌を巻く思いである。
そして、その「語り手」が持つのは、あの「声」なのである。
あと印象的なのは、ヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)の家族を演じたマーゴ・マーティンデイル(アーリーン・フィッツジェラルド)とリキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)だろう。
彼女らの描き方には、日本人としては「渡る世間は鬼ばかり」以上の感慨を持つのではないかと思ってしまう。
個人的にはリキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)が良かったと思う。
また、ジェイ・バルチェル(デンジャー・バーチ)も良かった。一応は重い物語の中のコミック・リリーフ的な役回りなのだろうが、重い物語とコミック・リリーフとしての役柄を比較すると、圧倒的に重い物語に軍配が上がってしまうのだが、前半から中盤にかけては、一服の清涼剤として見事に機能していた。
さて、クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)だが、これもいつものイーストウッドの印象である。
ただ、毎週毎週教会に通いブライアン・オバーン(ホルバック神父)に難題を吹っかけるイーストウッド(フランキー・ダン)なのだが、それらの伏線からラストの選択にいたる辺りが、この脚本の肝心な所だとは思うのだが、宗教的に考えると大きな問題を孕んでいるだろう。
まあその辺も「許されざる者」に似た印象を与えているのではないか、と思うのだ。
本作「ミリオンダラー・ベイビー」はボクシングを題材にしているが、「西部劇」のひとつのバリエーションと考えられない事も無い。ラストのネタバレになるので明確に書けないが、考え方によっては、本作はイーストウッドが描きたかったひとつの西部劇的エピソードだったのかも知れない。または厳しい比喩を使わせていただければ、「馬モノ」とか「鹿モノ」ね。
サントラについては、「ミスティック・リバー」同様、イーストウッドがピアノをポロポロ人差し指で弾いたメロディ・ラインを見事に膨らませたような印象を受けるが、メロディ自体はやはり、人差し指奏法の印象を拭いきれない。
本作「ミリオンダラー・ベイビー」は、「ロッキー」系の爽快なサクセスストーリーを期待する向きには手放しではオススメできないが、重厚なドラマとオスカー俳優の演技合戦を期待する観客には、素晴らしい作品に感じられるだろう。
☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。
参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php/29604
ロサンジェルスのダウンタウンにある小さなボクシング・ジム”ヒット・ピット”を営む老トレーナー、フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)。
フランキーの指導力はピカイチだったが、選手を大切に育てるあまり、成功を急ぐ優秀なボクサーたちはみんな彼のもとを去ってしまう。
そんなある日、31歳になる女性マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)はフランキーに弟子入りを志願する。トレーラーで育ち不遇の人生を送ってきた彼女は、唯一誇れるボクシングの才能に最後の望みを託したのだった。ところが、そんなマギーの必死な思いにも、頑固なフランキーは、「女性ボクサーは取らない」のひと言ですげなく追い返してしまう。
それでも諦めずジムに通い、ひとり黙々と練習を続けるマギー。フランキーの唯一の親友エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス(モーガン・フリーマン)はそんなマギーの素質と根性を見抜き、目をかける。やがてマギーの執念が勝ち、フランキーはついにトレーナーを引き受けるのだったが・・・・。
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ポール・ハギス
音楽:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)、ヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)、モーガン・フリーマン(エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス)、ジェイ・バルチェル(デンジャー・バーチ)、マイク・コルター(ビッグ・ウィリー)、ルシア・リッカー(ビリー・”ザ・ブルー・ベア”)、ブライアン・オバーン(ホルバック神父)、マーゴ・マーティンデイル(アーリーン・フィッツジェラルド)、リキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)、ブルース・マックヴィッティ(ミッキー・マック)、ベニート・マルティネス(ビリーのマネージャー)
本作「ミリオンダラー・ベイビー」は誰にでもおすすめできる娯楽作品とは言い難い。
そしてその感覚は、かつてのイーストウッド作品「許されざる者」を髣髴とさせるような種類の作品に仕上がっているような印象を受けた。両作から受ける印象の共通点は、ただ単純にイーストウッドとモーガン・フリーマンが共演している、と言う理由ではなく、イーストウッドがそれぞれの作品で演じたキャラクターとその行動に一貫性と言うか、共通項が見え隠れする、と言う訳である。
そのモーガン・フリーマンとクリント・イーストウッドの絡みなのだが、物語上20年以上の付き合いがある、と言う点の雰囲気と言うか空気感が見事に表現されていた。「許されざる者」の映画的記憶も相まって、ふたりの腐れ縁振りが描写されていた。
脚本、と言うか本作「ミリオンダラー・ベイビー」のメインのプロットは、映画に関する情報をシャットアウトして劇場に向うわたしにとっては驚くべきプロットだった。
物語の中盤以降、わたしはこの作品が、わたし達観客を一体どこに連れて行ってくれるのか、期待と勿論大きな不安を抱きつつ本作に見入った訳である。
キャストは先ずはなんと言ってもヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)だろう。彼女の頑張りなくしては本作はなかっただろうと思える頑張りようである。
モーガン・フリーマン(エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス)はいつものモーガン・フリーマンで、取り立てて評価しようとは思わないのだが、作品の「語り手」としてのモーガン・フリーマンの声にはしびれてしまう。
「ショーシャンクの空に」でもモーガン・フリーマンは物語の「語り手」として登場するのだが、クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)との腐れ縁と、物語のラストを知っている存在として「語り手」を務める構成には、尤も順当と言えば順当なのだが、舌を巻く思いである。
そして、その「語り手」が持つのは、あの「声」なのである。
あと印象的なのは、ヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)の家族を演じたマーゴ・マーティンデイル(アーリーン・フィッツジェラルド)とリキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)だろう。
彼女らの描き方には、日本人としては「渡る世間は鬼ばかり」以上の感慨を持つのではないかと思ってしまう。
個人的にはリキ・リンドホーム(マーデル・フィッツジェラルド)が良かったと思う。
また、ジェイ・バルチェル(デンジャー・バーチ)も良かった。一応は重い物語の中のコミック・リリーフ的な役回りなのだろうが、重い物語とコミック・リリーフとしての役柄を比較すると、圧倒的に重い物語に軍配が上がってしまうのだが、前半から中盤にかけては、一服の清涼剤として見事に機能していた。
さて、クリント・イーストウッド(フランキー・ダン)だが、これもいつものイーストウッドの印象である。
ただ、毎週毎週教会に通いブライアン・オバーン(ホルバック神父)に難題を吹っかけるイーストウッド(フランキー・ダン)なのだが、それらの伏線からラストの選択にいたる辺りが、この脚本の肝心な所だとは思うのだが、宗教的に考えると大きな問題を孕んでいるだろう。
まあその辺も「許されざる者」に似た印象を与えているのではないか、と思うのだ。
本作「ミリオンダラー・ベイビー」はボクシングを題材にしているが、「西部劇」のひとつのバリエーションと考えられない事も無い。ラストのネタバレになるので明確に書けないが、考え方によっては、本作はイーストウッドが描きたかったひとつの西部劇的エピソードだったのかも知れない。または厳しい比喩を使わせていただければ、「馬モノ」とか「鹿モノ」ね。
サントラについては、「ミスティック・リバー」同様、イーストウッドがピアノをポロポロ人差し指で弾いたメロディ・ラインを見事に膨らませたような印象を受けるが、メロディ自体はやはり、人差し指奏法の印象を拭いきれない。
本作「ミリオンダラー・ベイビー」は、「ロッキー」系の爽快なサクセスストーリーを期待する向きには手放しではオススメできないが、重厚なドラマとオスカー俳優の演技合戦を期待する観客には、素晴らしい作品に感じられるだろう。
☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。
参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php/29604
コメント