2005/02/28 東京霞ヶ関「イイノホール」で「ローレライ」の試写を観た。
1945年8月。
すでに同盟国ドイツは降伏し、米国軍の日本に対する攻撃は激しさを増し、ついには広島に最初の原爆が投下される。
窮地に立たされた日本軍はドイツから極秘裏に接収した戦利潜水艦<伊507>に最後の望みを託す。特殊兵器“ローレライ”を搭載する伊507に課せられた任務は、広島に続く本土への原爆投下を阻止するため、南太平洋上に浮かぶ原爆搭載機の発進基地を単独で奇襲すること。
しかしこの無謀な作戦を遂行するため海軍軍司令部作戦課長の浅倉大佐(堤真一)によって招集された乗組員は、艦長に抜擢された絹見少佐(役所広司)をはじめ、軍人としては一癖も二癖もあるまさに“規格外品”の男たちばかりだった・・・・。
監督:樋口真嗣
製作:亀山千広
原作:福井晴敏『終戦のローレライ』(講談社刊)
出演:役所広司(絹見真一)、妻夫木聡(折笠征人)、柳葉敏郎(木崎茂房)、香椎由宇(パウラ・アツコ・エブナー)、石黒賢(高須成美)、佐藤隆太(清永喜久雄)、ピエール瀧(田口徳太郎)、KREVA(小松機関員)、橋爪功(西宮貞元)、小野武彦(岩村七五郎)、國村隼(時岡纏)、鶴見辰吾(大湊三吉)、伊武雅刀(楢崎英太郎)、上川隆也(作家)、堤真一(浅倉良橘)
本作「ローレライ」は一言で言うと、豪華な俳優を揃えたお子様ランチ的作品だと言わざるを得ない。
またはアニメーション映画にするべきだったな、と思うのだ。
まずは脚本が甘い。と言うか甘すぎる。
本作「ローレライ」の脚本はまるで生クリームでデコレートされたバナナのような甘甘の出来なのだ。
そしてその甘甘の脚本に味付けされたキャラクターもひどくぬるく、その最たるキャラクターが主人公の絹見少佐(役所広司/伊507艦長)だと言うのが全くもって恐ろしい。
未だかつてこんなに優柔不断で決断力に乏しい、感情に流されに流される艦長は見たことがない。
わたし達が求めるのは、部下に嫌われる非情な艦長なのだ。
沖田十三をネモをラミウスを碇ゲンドウを見たいのだ。
※ アニメを引用しているのは意図的です。
ついでに艦長に付き物の副長役的なキャラクターに設定されている木崎大尉(柳葉敏郎/先任将校)の設定もひどい。
特に、艦長と副長の考え方が一枚岩で一致していると言うのは脚本上全く解せない。確執や対立があってこその艦長と副長なのではないだろうか。
パターンと言われればそれまでだが、人を人とも思わない非情な艦長と人間味溢れる熱血副長と言う図式が出来なかったのであろうか。
わたし達はラムジー(ジーン・ハックマン)とハンター(デンゼル・ワシントン)の対立を見たいのだ。
仮に本作がアニメーション作品だったなら気にならないのかも知れないのだが、いかんせん本作は、日本の近代史を舞台に、多くの著名な俳優を一同に会した日本が誇る超大作的な売り方をしているだけに始末が悪い。
アニメーション作品だったら、舞台が架空の世界だったら、とても面白いと思うだけに残念な気持ちでいっぱいなのだ。
本作「ローレライ」は正にマンガでありアニメでありジャパニメーションであり、そして見事なジュブナイル作品だと言わざるを得ないのだ。
物語はまさしく少年誌に掲載されるようなものなのだ。
しかし、逆に言うと、少年誌を嬉々として購読しているサラリーマン世代に受けるのかも知れない。
だとすると、本作、否亀山千広の戦略は日本全国総白痴化の進んだ日本人をターゲットとしているのかも知れない。
また、特撮も特撮でひどい。
はっきり言って「レッド・オクトーバーを追え!」(1990)以前の出来なのだ。
特撮は効果であって手法ではないことを理解し、効果の高い手法を選択し、映像を構成して欲しいのだ。
スクリーン・プロセスや実写とCGIの合成は、本当に完成品なのかよ、きちんとスクリーン上で確認したのかよ、と思える程の一体感の無さに驚きなのだ。
これを特撮あがりの樋口真嗣OKを出している事にも驚きを禁じえないのだ。
本作は録音や音響をスカイウォーカー・ランチに外注しているのだが、例えばだ、予算はともかくだ、録音や音響をスカイウォーカー・ランチに発注するんだったらいっその事、ILMに特撮を発注した方が上手く行ったんじゃねえの、と思えてしまうのだ。
そして、その本作の特撮映像とライブアクション映像との乖離は、観客を現実の世界に見事に引き戻してしまっている始末なのだよ。
余談だが、本作には、押井守、庵野秀明、出渕裕等がピンポイントの製作サイドとしてクレジットされている。話題作りのためかも知れないが、アニメーション製作に力を発揮するスタッフを呼び入れている時点で、この映画の限界と目標(?)を感じてしまう瞬間である。一体どう言うつもりなんだろうか。
ついでだが、本作「ローレライ」は、それぞれの時代で一世を風靡したアニメーション作品への言及のてんこ盛りである。
こんな事でいいのか!
日本映画はどこに行こうとしているのか!!
キャストは映画俳優は頑張っているのだが、テレビ俳優はひどいものである。
扇情的なテレビ・ドラマで培われたような、極端なキャラクターを演じることに終始し、演技ではなく、キャラクターを演じる事に終始しているのだ。
結論として、本作「ローレライ」は、良く出来た子供向けの作品である、と思いながら観るべき作品だと思うのだ。
因みに、小学生には大人気だと思うよ、本作は。
ついでに、「東宝特撮王国」的なのりの人にも楽しめるとは思うが、やはり本作の日本映画界におけるポジションを考えた場合、今後の日本映画の事を考えると・・・・、なのだ。
余談だが、「潜水艦イ-57降伏せず」(1959)も要参照なのだ。
☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「ローレライ」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20050306.html
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1945年8月。
すでに同盟国ドイツは降伏し、米国軍の日本に対する攻撃は激しさを増し、ついには広島に最初の原爆が投下される。
窮地に立たされた日本軍はドイツから極秘裏に接収した戦利潜水艦<伊507>に最後の望みを託す。特殊兵器“ローレライ”を搭載する伊507に課せられた任務は、広島に続く本土への原爆投下を阻止するため、南太平洋上に浮かぶ原爆搭載機の発進基地を単独で奇襲すること。
しかしこの無謀な作戦を遂行するため海軍軍司令部作戦課長の浅倉大佐(堤真一)によって招集された乗組員は、艦長に抜擢された絹見少佐(役所広司)をはじめ、軍人としては一癖も二癖もあるまさに“規格外品”の男たちばかりだった・・・・。
監督:樋口真嗣
製作:亀山千広
原作:福井晴敏『終戦のローレライ』(講談社刊)
出演:役所広司(絹見真一)、妻夫木聡(折笠征人)、柳葉敏郎(木崎茂房)、香椎由宇(パウラ・アツコ・エブナー)、石黒賢(高須成美)、佐藤隆太(清永喜久雄)、ピエール瀧(田口徳太郎)、KREVA(小松機関員)、橋爪功(西宮貞元)、小野武彦(岩村七五郎)、國村隼(時岡纏)、鶴見辰吾(大湊三吉)、伊武雅刀(楢崎英太郎)、上川隆也(作家)、堤真一(浅倉良橘)
本作「ローレライ」は一言で言うと、豪華な俳優を揃えたお子様ランチ的作品だと言わざるを得ない。
またはアニメーション映画にするべきだったな、と思うのだ。
まずは脚本が甘い。と言うか甘すぎる。
本作「ローレライ」の脚本はまるで生クリームでデコレートされたバナナのような甘甘の出来なのだ。
そしてその甘甘の脚本に味付けされたキャラクターもひどくぬるく、その最たるキャラクターが主人公の絹見少佐(役所広司/伊507艦長)だと言うのが全くもって恐ろしい。
未だかつてこんなに優柔不断で決断力に乏しい、感情に流されに流される艦長は見たことがない。
わたし達が求めるのは、部下に嫌われる非情な艦長なのだ。
沖田十三をネモをラミウスを碇ゲンドウを見たいのだ。
※ アニメを引用しているのは意図的です。
ついでに艦長に付き物の副長役的なキャラクターに設定されている木崎大尉(柳葉敏郎/先任将校)の設定もひどい。
特に、艦長と副長の考え方が一枚岩で一致していると言うのは脚本上全く解せない。確執や対立があってこその艦長と副長なのではないだろうか。
パターンと言われればそれまでだが、人を人とも思わない非情な艦長と人間味溢れる熱血副長と言う図式が出来なかったのであろうか。
わたし達はラムジー(ジーン・ハックマン)とハンター(デンゼル・ワシントン)の対立を見たいのだ。
仮に本作がアニメーション作品だったなら気にならないのかも知れないのだが、いかんせん本作は、日本の近代史を舞台に、多くの著名な俳優を一同に会した日本が誇る超大作的な売り方をしているだけに始末が悪い。
アニメーション作品だったら、舞台が架空の世界だったら、とても面白いと思うだけに残念な気持ちでいっぱいなのだ。
本作「ローレライ」は正にマンガでありアニメでありジャパニメーションであり、そして見事なジュブナイル作品だと言わざるを得ないのだ。
物語はまさしく少年誌に掲載されるようなものなのだ。
しかし、逆に言うと、少年誌を嬉々として購読しているサラリーマン世代に受けるのかも知れない。
だとすると、本作、否亀山千広の戦略は日本全国総白痴化の進んだ日本人をターゲットとしているのかも知れない。
また、特撮も特撮でひどい。
はっきり言って「レッド・オクトーバーを追え!」(1990)以前の出来なのだ。
特撮は効果であって手法ではないことを理解し、効果の高い手法を選択し、映像を構成して欲しいのだ。
スクリーン・プロセスや実写とCGIの合成は、本当に完成品なのかよ、きちんとスクリーン上で確認したのかよ、と思える程の一体感の無さに驚きなのだ。
これを特撮あがりの樋口真嗣OKを出している事にも驚きを禁じえないのだ。
本作は録音や音響をスカイウォーカー・ランチに外注しているのだが、例えばだ、予算はともかくだ、録音や音響をスカイウォーカー・ランチに発注するんだったらいっその事、ILMに特撮を発注した方が上手く行ったんじゃねえの、と思えてしまうのだ。
そして、その本作の特撮映像とライブアクション映像との乖離は、観客を現実の世界に見事に引き戻してしまっている始末なのだよ。
余談だが、本作には、押井守、庵野秀明、出渕裕等がピンポイントの製作サイドとしてクレジットされている。話題作りのためかも知れないが、アニメーション製作に力を発揮するスタッフを呼び入れている時点で、この映画の限界と目標(?)を感じてしまう瞬間である。一体どう言うつもりなんだろうか。
ついでだが、本作「ローレライ」は、それぞれの時代で一世を風靡したアニメーション作品への言及のてんこ盛りである。
こんな事でいいのか!
日本映画はどこに行こうとしているのか!!
キャストは映画俳優は頑張っているのだが、テレビ俳優はひどいものである。
扇情的なテレビ・ドラマで培われたような、極端なキャラクターを演じることに終始し、演技ではなく、キャラクターを演じる事に終始しているのだ。
結論として、本作「ローレライ」は、良く出来た子供向けの作品である、と思いながら観るべき作品だと思うのだ。
因みに、小学生には大人気だと思うよ、本作は。
ついでに、「東宝特撮王国」的なのりの人にも楽しめるとは思うが、やはり本作の日本映画界におけるポジションを考えた場合、今後の日本映画の事を考えると・・・・、なのだ。
余談だが、「潜水艦イ-57降伏せず」(1959)も要参照なのだ。
☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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