「文春きいちご賞」を考える
2005年2月9日 エッセイ/コラム コメント (2)わたしは「文春きいちご賞」と言う賞の設立背景は知らないし、肝心の掲載誌も読んではいない。
誰がどんな基準で「文春きいちご賞」対象作品を選出しているのかも知らないし、どのような規準で受賞作品を決定しているのかも知らない。
しかし、「文春きいちご賞」と言う賞の名称を聞いて驚いた。
これは何かのジョークのつもりなのだろうか?
わたしの記憶が確かならば・・・・
1977年
日本テレビで、プライムタイムのロードショー番組のホストを務めていた水野晴郎が、日本映画評論家界の重鎮淀川長治を訪ねた。
水野晴郎は、「日本アカデミー賞」の設立について、かの淀川長治の協力をとりつける腹積もりだったのだ。
因みにこの「日本アカデミー賞」は水野晴郎等の発案の下、日本テレビ等が協力して設立された賞である。
それに対して淀川長治は「日本独自の賞を設立するのなら協力は惜しまないが、アメリカの賞の名前を借りたモノマネの賞を設立するのならば一切協力できない」と突っぱねたそうである。
淀川さん、あんた最高に格好良いぜ!
そもそも「アカデミー賞」とは何ぞや、と言う話なのだが、「アカデミー賞」とは現在のアメリカで最も権威があるとされる映画賞で、「映画芸術科学アカデミー協会("The Academy of Motion Picture Arts and Sciences")」の所属会員の投票により、毎年1回決定される賞のことなのだ。
つまり、勿論あたり前のことなのだが、「アカデミー賞」は、「映画芸術科学アカデミー協会」ありきの賞なのだ。
ところが、日本では、「日本アカデミー賞」と言う名称の賞をつくるために「日本アカデミー賞協会」が出来ちゃった訳なのだ。
なお、この「日本アカデミー賞協会」の目的は次の通り。
「 日本アカデミー賞協会の目的」
当協会は、わが国の映画芸術、技術、科学の向上発展のために日本アカデミー賞を設け、その年度の該当者に栄誉を与えると共に、本会の行う諸事業を通じて、会員相互の親睦ならびに海外映画人との交流を計り、もってわが国映画界の振興に寄与することを目的とする。
(「日本アカデミー賞」オフィシャル・サイトより引用)
正に本末転倒なのだ。
さて、本題の「文春きいちご賞」だが、先ずは「きいちご」とは何ぞや、と言う話だが、「大辞林 第二版(三省堂)」によると次の通りである。
きいちご【木苺/木莓】
(1)バラ科の落葉低木。やや乾いた山野に自生し、全体にとげがある。葉は広卵形で掌状に五裂。花は白色の五弁花。果実は球形の集合果で、初夏、黄色に熟す。モミジイチゴ。アワイチゴ。[季]夏。〔「木苺の花」は [季]春〕
(2)バラ科キイチゴ属の植物の総称。果実は黄色ないし紅色に熟し、生食のほかジャムなどにする。キイチゴ・ベニバナイチゴ・カジイチゴ・ラズベリーなど。
でこの「きいちご」を英訳すると"raspberry"になってしまう、と言う訳なのである。
ついでにこの"raspberry"だが、俗語ではこんな意味を持っている。
〔俗〕 唇の間で舌を震わせて出す音, ブー, ベー ((異議・軽べつなどを示す))
所謂ブーイング、と言う奴である。
余談だが、日本人はブーイングと言うと「ブー」とか言う言葉を発声しているが、本来のブーイングは舌を震わせて音を出す、言わば吹奏楽的な音なのだ。
ここで考えなければならないのは、「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」の存在である。
じゃあ、その「ゴールデン・ラズベリー賞」とは一体何だろう。
「ゴールデン・ラズベリー賞」
毎年「アカデミー賞」の行方で盛り上がっている「アカデミー賞授賞式」前夜、ハリウッドのルーズヴェルト・ホテルで開催される、その年最低の映画を決めるという冗談半分に設定された映画賞。
同賞はハリウッドで映画の宣伝、広告を行っていたジョン・ウィルソンが考案したもので、世界8ヶ国の評論家やジャーナリストなど、ゴールデンラズベリー賞財団の500人ものメンバーによって決定される。受賞者には8mmフィルム缶の上に金色のラズベリーをかたどったトロフィー(手製で時価、約4ドル27セント)が授与されるが、受け取りに来る人は滅多にいない(「ショーガール」でポール・ヴァーホーヴェンが受け取りに現れて大絶賛を浴びたという異例もあった)。
(allcinema ONLINE より引用)
ポール・ヴァーホーヴェンさんよ、あんた、わかってるね!
「ゴールデン・ラズベリー賞」
『「ラズベリー」の名称は、英語で、舌を唇の間に置いて吹いて鳴らすことで人を侮辱する音であることに由来する。またニックネーム、ショートネームでもある「ラジー」は、「ラズベリー」と、アメリカの言葉で、からかう、侮辱する、無礼を働くという意味を持つ俗語の「razz」の両方に由来する。そして「RAZZIE」の語尾は「E」音を伴い、その他の各種賞(エミー賞、グラミー賞、トニー賞など)に似ているため。』
(はてなダイアリー より引用)
まあ、説明する必要もないと思うのだが、「文春きいちご賞」は「日本アカデミー賞」と同様に、アメリカ映画界の著名な賞である「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」のモノマネで、程度の低いパロディなのだ。
とは言うものの、「文春きいちご賞」の意義は、日本映画界の現状と将来を考えた場合、孤高でかつ崇高、大変意義のあるものなのだと言える。
しかしながら、いくろ孤高で真摯な精神を持っているとは言え、日本文化の中で、何の意味もない「きいちご」を賞の名称に使ってしまったところで、その崇高な精神は地に落ちてしまうのだ。
正にこれは物事を面白半分にちゃかし、真摯に対応しようともしなし、日本のマスコミの悪い癖だと思うのだ。
わたしは「日本アカデミー賞」にしろ「文春きいちご賞」にしろ、故淀川長治がかつて言ったように「日本独自の賞」の設立を切に願うのだ。
余談だが、今回の「文春きいちご賞」だが、ただの「きいちご賞」ではなく、「文春きいちご賞」と「文春」を付けたことは評価できると思う。
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誰がどんな基準で「文春きいちご賞」対象作品を選出しているのかも知らないし、どのような規準で受賞作品を決定しているのかも知らない。
しかし、「文春きいちご賞」と言う賞の名称を聞いて驚いた。
これは何かのジョークのつもりなのだろうか?
わたしの記憶が確かならば・・・・
1977年
日本テレビで、プライムタイムのロードショー番組のホストを務めていた水野晴郎が、日本映画評論家界の重鎮淀川長治を訪ねた。
水野晴郎は、「日本アカデミー賞」の設立について、かの淀川長治の協力をとりつける腹積もりだったのだ。
因みにこの「日本アカデミー賞」は水野晴郎等の発案の下、日本テレビ等が協力して設立された賞である。
それに対して淀川長治は「日本独自の賞を設立するのなら協力は惜しまないが、アメリカの賞の名前を借りたモノマネの賞を設立するのならば一切協力できない」と突っぱねたそうである。
淀川さん、あんた最高に格好良いぜ!
そもそも「アカデミー賞」とは何ぞや、と言う話なのだが、「アカデミー賞」とは現在のアメリカで最も権威があるとされる映画賞で、「映画芸術科学アカデミー協会("The Academy of Motion Picture Arts and Sciences")」の所属会員の投票により、毎年1回決定される賞のことなのだ。
つまり、勿論あたり前のことなのだが、「アカデミー賞」は、「映画芸術科学アカデミー協会」ありきの賞なのだ。
ところが、日本では、「日本アカデミー賞」と言う名称の賞をつくるために「日本アカデミー賞協会」が出来ちゃった訳なのだ。
なお、この「日本アカデミー賞協会」の目的は次の通り。
「 日本アカデミー賞協会の目的」
当協会は、わが国の映画芸術、技術、科学の向上発展のために日本アカデミー賞を設け、その年度の該当者に栄誉を与えると共に、本会の行う諸事業を通じて、会員相互の親睦ならびに海外映画人との交流を計り、もってわが国映画界の振興に寄与することを目的とする。
(「日本アカデミー賞」オフィシャル・サイトより引用)
正に本末転倒なのだ。
さて、本題の「文春きいちご賞」だが、先ずは「きいちご」とは何ぞや、と言う話だが、「大辞林 第二版(三省堂)」によると次の通りである。
きいちご【木苺/木莓】
(1)バラ科の落葉低木。やや乾いた山野に自生し、全体にとげがある。葉は広卵形で掌状に五裂。花は白色の五弁花。果実は球形の集合果で、初夏、黄色に熟す。モミジイチゴ。アワイチゴ。[季]夏。〔「木苺の花」は [季]春〕
(2)バラ科キイチゴ属の植物の総称。果実は黄色ないし紅色に熟し、生食のほかジャムなどにする。キイチゴ・ベニバナイチゴ・カジイチゴ・ラズベリーなど。
でこの「きいちご」を英訳すると"raspberry"になってしまう、と言う訳なのである。
ついでにこの"raspberry"だが、俗語ではこんな意味を持っている。
〔俗〕 唇の間で舌を震わせて出す音, ブー, ベー ((異議・軽べつなどを示す))
所謂ブーイング、と言う奴である。
余談だが、日本人はブーイングと言うと「ブー」とか言う言葉を発声しているが、本来のブーイングは舌を震わせて音を出す、言わば吹奏楽的な音なのだ。
ここで考えなければならないのは、「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」の存在である。
じゃあ、その「ゴールデン・ラズベリー賞」とは一体何だろう。
「ゴールデン・ラズベリー賞」
毎年「アカデミー賞」の行方で盛り上がっている「アカデミー賞授賞式」前夜、ハリウッドのルーズヴェルト・ホテルで開催される、その年最低の映画を決めるという冗談半分に設定された映画賞。
同賞はハリウッドで映画の宣伝、広告を行っていたジョン・ウィルソンが考案したもので、世界8ヶ国の評論家やジャーナリストなど、ゴールデンラズベリー賞財団の500人ものメンバーによって決定される。受賞者には8mmフィルム缶の上に金色のラズベリーをかたどったトロフィー(手製で時価、約4ドル27セント)が授与されるが、受け取りに来る人は滅多にいない(「ショーガール」でポール・ヴァーホーヴェンが受け取りに現れて大絶賛を浴びたという異例もあった)。
(allcinema ONLINE より引用)
ポール・ヴァーホーヴェンさんよ、あんた、わかってるね!
「ゴールデン・ラズベリー賞」
『「ラズベリー」の名称は、英語で、舌を唇の間に置いて吹いて鳴らすことで人を侮辱する音であることに由来する。またニックネーム、ショートネームでもある「ラジー」は、「ラズベリー」と、アメリカの言葉で、からかう、侮辱する、無礼を働くという意味を持つ俗語の「razz」の両方に由来する。そして「RAZZIE」の語尾は「E」音を伴い、その他の各種賞(エミー賞、グラミー賞、トニー賞など)に似ているため。』
(はてなダイアリー より引用)
まあ、説明する必要もないと思うのだが、「文春きいちご賞」は「日本アカデミー賞」と同様に、アメリカ映画界の著名な賞である「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」のモノマネで、程度の低いパロディなのだ。
とは言うものの、「文春きいちご賞」の意義は、日本映画界の現状と将来を考えた場合、孤高でかつ崇高、大変意義のあるものなのだと言える。
しかしながら、いくろ孤高で真摯な精神を持っているとは言え、日本文化の中で、何の意味もない「きいちご」を賞の名称に使ってしまったところで、その崇高な精神は地に落ちてしまうのだ。
正にこれは物事を面白半分にちゃかし、真摯に対応しようともしなし、日本のマスコミの悪い癖だと思うのだ。
わたしは「日本アカデミー賞」にしろ「文春きいちご賞」にしろ、故淀川長治がかつて言ったように「日本独自の賞」の設立を切に願うのだ。
余談だが、今回の「文春きいちご賞」だが、ただの「きいちご賞」ではなく、「文春きいちご賞」と「文春」を付けたことは評価できると思う。
※ 相互リンク先の
「ほぼ日本映画専門サイト『キネマの星座』〜血煙映画街道〜」
http://diarynote.jp/d/28556/
のまぐれさんより、「日本アカデミー賞」設立について、情報をいただきました。
「日本アカデミー賞」の起案者は東映の岡田茂で、それに日本テレビがのった、というかたちになっているそうです。
なお、水野晴郎のオフィシャル・サイトの水野晴郎の略歴には、次の表記があります。
(水野晴郎は)日本アカデミー賞、ゴールデン・グロス賞、日本映画批評家大賞の発案者であり、また実行者でもあって、日本映画の発展に全力をあげている。
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コメント
「水野晴男」ではなく「水野晴郎」です。
大変失礼いたしました。早速訂正いたします。
不快な思いをさせてしまったようで、大変申し訳ありませんでした。