「アイ・アム・デビッド」
2005年1月18日 映画 コメント (1)2005/01/17 東京二重橋「東商ホール」で「アイ・アム・デビッド」の試写を観た。
上映前のトーク・ショーのゲストは、国際ジャーナリスト:蟹瀬誠一、女優:柊瑠美。司会はアナウンサー:関谷亜矢子。
第二次大戦直後のブルガリア。
戦争が終結したにもかかわらず、依然として共産主義国が周辺諸国に軋轢をかけている時代であり、罪のない人々が強制収容所に隔離されていた。
ある夜、12歳の少年、デビッドは看守たちの隙をつき、フェンスをよじのぼり収容所から逃げ出した。頭の中には、ある男の言葉が響いていた。「この手紙を持って、誰にもつかまらずにデンマークに行くのだ」。
デビッドの持ち物は、わずかな食料とひとかけらの石鹸、ナイフ、そしてコンパス(磁石)だけだったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本:ポール・フェイグ
キャスト:ベン・ティバー(デビッド)、ジム・カヴィーゼル(ヨハン)、ジョーン・プロウライト(ソフィー)、フリスト・ショポフ(ザ・マン)、シルヴィア・ドゥ・サンティス(エルザ)
本作「アイ・アム・デビッド」の主な受賞歴
モナコ映画祭
最優秀女優賞受賞、最優秀新人賞受賞
サンディエゴ映画祭
最優秀作品賞受賞、最も有望な俳優賞受賞
カンザスシティ映画祭
最優秀作品賞受賞、最優秀監督賞受賞、最優秀俳優賞受賞、最優秀女優賞受賞
オースティン映画祭
観客賞受賞
今日は厳しい話です。
わたしは、「アイ・アム・デビッド」というタイトルと必要最低限の情報から、本作は、デビッド少年のアイデンティティーに関する映画であることは確実だろうと思いつつ、ゴリアテと対峙したダビデと関係があるのかな、とか、スティーヴン・スピルバーグの「A.I.」と関係があるのかな、とか、「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベルを発掘したキャスティング・ディレクターがベン・ティバー少年を見出した、と言う事前情報から、本作はおそらくデビッド少年の収容所からの脱走とその後を情感たっぷりに描いたロード・ムービー的イギリス映画だろうと思っていた。
開巻直後、わたしは驚愕した。
こんなに重厚な題材を、こんなにチープに演出して良いのだろうか、まるで出来の悪いサスペンス映画みたいじゃないか、と言うかテレビ・ドラマみたいじゃないか、イギリス映画もハリウッドに毒されてしまったのかな、と。
(実際のところ、本作はイギリス映画ではなくアメリカ映画でした。)
題材とテーマ、俳優や脚本、プロットはともかく、チープでベタな演出とそのベタな演出を助長するかのような音楽にもわたしは仰け反ってしまった。
本作の題材は、ちょっと間違えれば「ソフィーの選択」に匹敵する素晴らしい作品に化け兼ねない題材だと思うのだが、凡庸な監督にあたかもサスペンス映画のように演出されてしまった事がこの作品の大いなる悲劇ではないか、と個人的に思ってしまう。
題材も役者も揃っているのに・・・・
と言う残念な気持ちでいっぱいである。
ところで、脚本は良く言えば行間が楽しめるもので、観客のイマジネーションに働きかける、または左右される脚本に仕上がっている。
本作の脚本は、脳で物語や出来事を補完する観客にとっては結構楽しめる楽しい脚本だと言える一方、画面で描かれたものだけを受け取るような観客にとっては、本作はすかすかで都合が良く、何を表現しているのか良くわからない印象を与えてしまう可能性が否定できない。
また、演出手法としてはフラッシュ・バックの多用が挙げられるのだが、その手法は、本作の物語を語る上で結構良い効果をあげている。
これがデビッド・リンチの映画や「メメント」や「アイデンティティー」、「ブラインド・ホライズン」のような「物語を探す」映画だったら、非常に楽しいひと時を過ごせるのだと思うのだが、本作「アイ・アム・デビッド」の物語の方向性とその描写手法が、いまいちしっくり合っていないような印象を受ける、言わば乖離しているような気がするのだ。
勿論本作は見方によっては「物語を探す」種類の映画にカテゴライズすることも可能で、そうした場合、その描かれる内容とその描写手法はマッチしているような印象を受けるのだが、本作が描くべきであった物語の方向性とその描写手法は、やはり一致していないような気がする。
収容所が出てきて、子供とソフィーと言う名の老婆が出てくれば「ソフィーの選択」を意識しない訳にはいかんでしょ、実際のところ。
そう考えると、キャストも残念ながら取り立てて良い仕事をしているような印象を受けない。環境ははっきり言ってハードなのだが、やはり語るべき物語が希薄で都合が良く、何度も登場するフラッシュ・バックの中でスローモーに動く俳優は、手法的には良いのだが、はたして演技と考えて良いのか疑問を感じるのだ。
本編よりフラッシュ・バックの部分の方が面白い、と感じさせるのは、映画としてまずいと思うぞ。
とは言うものの、主演のデビッドを演じたベン・ティバーは確かに上手いし、観客の感情を手玉に取って揺り動かしているし、デビッドの人生に強烈な印象を与えるヨハンを演じたジム・カヴィーゼルも憂いのある刹那的な美しさを醸し出している。
キャストは良いんだけどね・・・・。
結局のところ、わたしの個人的な意見を正直に言わせていただければ、年間50本以上の映画を劇場で観ているような人で無ければ手を出さないほうが良い作品ではないかな、と思う。
折角の月に一度の映画デートを楽しみたい方にはオススメできない作品なのだ。二人そろってポカンと口を開けて劇場を出る位だったら、もっと楽しめる映画は沢山あるのだ。
☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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上映前のトーク・ショーのゲストは、国際ジャーナリスト:蟹瀬誠一、女優:柊瑠美。司会はアナウンサー:関谷亜矢子。
第二次大戦直後のブルガリア。
戦争が終結したにもかかわらず、依然として共産主義国が周辺諸国に軋轢をかけている時代であり、罪のない人々が強制収容所に隔離されていた。
ある夜、12歳の少年、デビッドは看守たちの隙をつき、フェンスをよじのぼり収容所から逃げ出した。頭の中には、ある男の言葉が響いていた。「この手紙を持って、誰にもつかまらずにデンマークに行くのだ」。
デビッドの持ち物は、わずかな食料とひとかけらの石鹸、ナイフ、そしてコンパス(磁石)だけだったが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督・脚本:ポール・フェイグ
キャスト:ベン・ティバー(デビッド)、ジム・カヴィーゼル(ヨハン)、ジョーン・プロウライト(ソフィー)、フリスト・ショポフ(ザ・マン)、シルヴィア・ドゥ・サンティス(エルザ)
本作「アイ・アム・デビッド」の主な受賞歴
モナコ映画祭
最優秀女優賞受賞、最優秀新人賞受賞
サンディエゴ映画祭
最優秀作品賞受賞、最も有望な俳優賞受賞
カンザスシティ映画祭
最優秀作品賞受賞、最優秀監督賞受賞、最優秀俳優賞受賞、最優秀女優賞受賞
オースティン映画祭
観客賞受賞
今日は厳しい話です。
わたしは、「アイ・アム・デビッド」というタイトルと必要最低限の情報から、本作は、デビッド少年のアイデンティティーに関する映画であることは確実だろうと思いつつ、ゴリアテと対峙したダビデと関係があるのかな、とか、スティーヴン・スピルバーグの「A.I.」と関係があるのかな、とか、「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベルを発掘したキャスティング・ディレクターがベン・ティバー少年を見出した、と言う事前情報から、本作はおそらくデビッド少年の収容所からの脱走とその後を情感たっぷりに描いたロード・ムービー的イギリス映画だろうと思っていた。
開巻直後、わたしは驚愕した。
こんなに重厚な題材を、こんなにチープに演出して良いのだろうか、まるで出来の悪いサスペンス映画みたいじゃないか、と言うかテレビ・ドラマみたいじゃないか、イギリス映画もハリウッドに毒されてしまったのかな、と。
(実際のところ、本作はイギリス映画ではなくアメリカ映画でした。)
題材とテーマ、俳優や脚本、プロットはともかく、チープでベタな演出とそのベタな演出を助長するかのような音楽にもわたしは仰け反ってしまった。
本作の題材は、ちょっと間違えれば「ソフィーの選択」に匹敵する素晴らしい作品に化け兼ねない題材だと思うのだが、凡庸な監督にあたかもサスペンス映画のように演出されてしまった事がこの作品の大いなる悲劇ではないか、と個人的に思ってしまう。
題材も役者も揃っているのに・・・・
と言う残念な気持ちでいっぱいである。
ところで、脚本は良く言えば行間が楽しめるもので、観客のイマジネーションに働きかける、または左右される脚本に仕上がっている。
本作の脚本は、脳で物語や出来事を補完する観客にとっては結構楽しめる楽しい脚本だと言える一方、画面で描かれたものだけを受け取るような観客にとっては、本作はすかすかで都合が良く、何を表現しているのか良くわからない印象を与えてしまう可能性が否定できない。
また、演出手法としてはフラッシュ・バックの多用が挙げられるのだが、その手法は、本作の物語を語る上で結構良い効果をあげている。
これがデビッド・リンチの映画や「メメント」や「アイデンティティー」、「ブラインド・ホライズン」のような「物語を探す」映画だったら、非常に楽しいひと時を過ごせるのだと思うのだが、本作「アイ・アム・デビッド」の物語の方向性とその描写手法が、いまいちしっくり合っていないような印象を受ける、言わば乖離しているような気がするのだ。
勿論本作は見方によっては「物語を探す」種類の映画にカテゴライズすることも可能で、そうした場合、その描かれる内容とその描写手法はマッチしているような印象を受けるのだが、本作が描くべきであった物語の方向性とその描写手法は、やはり一致していないような気がする。
収容所が出てきて、子供とソフィーと言う名の老婆が出てくれば「ソフィーの選択」を意識しない訳にはいかんでしょ、実際のところ。
そう考えると、キャストも残念ながら取り立てて良い仕事をしているような印象を受けない。環境ははっきり言ってハードなのだが、やはり語るべき物語が希薄で都合が良く、何度も登場するフラッシュ・バックの中でスローモーに動く俳優は、手法的には良いのだが、はたして演技と考えて良いのか疑問を感じるのだ。
本編よりフラッシュ・バックの部分の方が面白い、と感じさせるのは、映画としてまずいと思うぞ。
とは言うものの、主演のデビッドを演じたベン・ティバーは確かに上手いし、観客の感情を手玉に取って揺り動かしているし、デビッドの人生に強烈な印象を与えるヨハンを演じたジム・カヴィーゼルも憂いのある刹那的な美しさを醸し出している。
キャストは良いんだけどね・・・・。
結局のところ、わたしの個人的な意見を正直に言わせていただければ、年間50本以上の映画を劇場で観ているような人で無ければ手を出さないほうが良い作品ではないかな、と思う。
折角の月に一度の映画デートを楽しみたい方にはオススメできない作品なのだ。二人そろってポカンと口を開けて劇場を出る位だったら、もっと楽しめる映画は沢山あるのだ。
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