「パッチギ!」

2005年1月13日 映画
2005/01/13 東京神保町「一ツ橋ホール」で「パッチギ!」の試写を観た。

ドラッグやアルコールに溺れてしまう俳優や製作者がいる。
犯罪者になってしまう俳優や製作者がいる。

そんな俳優や製作者が製作した作品の評価が、俳優や製作者の生き様や行為、言動により左右される事があるのだろうか?

答は否である。
仮に、その作品に出演した俳優がドラック漬けになっていようが、その作品の製作者が犯罪を犯していようが、その作品自体がスクリーンで輝いていれば、その作品は素晴らしい作品であり、仮に犯罪者が出演したり製作に関わっていたからと言って、その作品の評価が貶められる事があってはならないのだ。
罪は人にあり、スクリーンには罪はないのだ。

一方、歯に衣着せぬ毒舌で映画を叩き切る映画監督がいる。
しかし、その言動に対する反感から、その監督作品の評価が左右されて良いのだろうか?

答は否である。
わたし達観客が評価すべきものは作品そのものであり、作品に関わった人々の生き様や行為、言動ではないのである。

そんな中、わたしは井筒和幸の新作「パッチギ!」を観た訳である。
 
 
1968年、京都。
松山康介(塩谷瞬)は府立東高校の2年生。ある日担任の布川先生(光石研)から親友の紀男(小出恵介)と一緒に、敵対する朝鮮高校との親善サッカーの試合を申し込みに行くように言われる。
二人は恐る恐る朝高に行くが、康介は音楽室でフルートを吹くキョンジャ(沢尻エリカ)に一目で心を奪われてしまう。しかしすぐに彼女は朝高の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹だという事が分かる。

康介は楽器店で坂崎(オダギリジョー)と知り合い、キョンジャが吹いていたのは「イムジン河」という曲だという事を教えてもらう。康介は国籍の違いに戸惑いながらもキョンジャと仲良くしたくて、「イムジン河」をギターで弾こうと決心するが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督・共同脚本:井筒和幸
原案:松山猛『少年Mのイムジン河』(木楽舎刊)
脚本:羽原大介
音楽:加藤和彦
出演:塩谷瞬(松山康介)、高岡蒼佑(リ・アンソン)、沢尻エリカ(リ・キョンジャ)、楊原京子(桃子)、尾上寛之(チェドキ)、真木よう子(チョン・ガンジャ)、小出恵介(吉田紀男)、波岡一喜(モトキ・バンホー)、オダギリジョー(坂崎)、キムラ緑子(アンソンとキョンジャの母)、笹野高史(チェドキの伯父)、松澤一之(ラジオのプロデューサー椿)、余貴美子(康介の母さなえ)、大友康平(ラジオのディレクター大友)、前田吟(モトキの父)、光石研(布川先生)
 
 
「そんなに言うなら、面白い映画を作ってみろ!」

本作「パッチギ!」は、テレビ朝日の深夜番組「虎の門」の「こちトラ自腹じゃ!」の視聴者の怒号に対する見事な回答に仕上がった素晴らしい傑作なのだ。

「この映画を見ろ!笑え!泣け!喚け!怒れ!そして考えろ!」
これこそ映画のお楽しみなのだ。
 
 
映画を厳しく批判する目的は、映画を良くするためである。
しかしながら、メディアとコマーシャリズムに迎合した現代日本の映画評論家たちにそれを期待することはできない。
現在の日本映画界において、勿論メディアに迎合し、踊ってはいるのだが、自らヒール役を買って出、唯一気を吐くのが本作の監督:井筒和幸だと言える。勿論「こちトラ自腹じゃ!」における井筒和幸の映画批評は正しいものもあれば、間違ったものもあるだろう。
総じて映画監督と言う立場で、他の監督作品を切り捲る行為には大きなリスクが伴うのだが、そのリスクを恐れず自らを信じて映画を切り捲る姿には、頭を下げざるを得ない。
そして「こちトラ自腹じゃ!」の影響を考えると、普通の面白さでも叩かれる事がわかっている井筒和幸が満を持して製作したのが本作「パッチギ!」だと言える。

本作は、青春映画や音楽映画、ラブストーリーや社会派作品としても充分に楽しめる素晴らしい作品に仕上がっており、その根底に流れるのは「熱い心」なのである。

そう、本作「パッチギ!」で語られるエピソードは、いちいち熱いのだ。

印象に残るシーンは数々あるが、やはり康介(塩谷瞬)が出演したラジオ番組のプロデューサー椿(松澤一之)とディレクター大友(大友康平)のバトルが印象に残る。
勿論大友康平も良いのだが、それに対する松澤一之の血管切れかけ演技が最高に凄い。
これは表現する者と、検閲するものとの永遠に続く戦いであり、文字通りペンと剣との戦いを表現しているのだ。セリフも泣けるぜ。

また、予告編にも登場する棺桶を家に入れるシークエンスも最高だ。現状を甘受する朝鮮人の心の吐露なのだ。

そして葬式のシークエンス。
康介(塩谷瞬)がアンソン(高岡蒼佑)の腹巻を棺桶に入れに行くシークエンスの素晴らしい事と言ったら、もう言葉にならないのだ。語りすぎのきらいは否定できないが、その憤りは全ての観客の心に響いている。

逆に坂崎(オダギリジョー)のキャラクター設定も興味深い。熱い連中に囲まれている坂崎だか、常にクールで斜に構え、何事にも左右されない芯の強いキャラクターとして設定されているのが興味深いのだ。

さてキャストだが、全てのキャストが全てにおいて素晴らしい。
彼ら全ての俳優たちは、自分の果たすべき役割を十二分に、見事に果たしている。若手も壮年も老人も全てのキャストが素晴らしいし、全ての主要キャストに見せ場がある素晴らしい脚本にも感涙である。

本作のように名前で観客を呼べる俳優をほとんど配せず、主要キャストも比較的無名の俳優で固めたキャスティングは実は凄いリスキーな事だと思うし、そのリスキーな作品に金を出す奴も出す奴だと思う。
タイアップや、有名俳優・アイドル、有名脚本家、有名映像作家、有名アーティストにおんぶにだっこ状態の作品が多い日本映画の現状を鑑み、あえて映画本編だけで勝負に出た「パッチギ!」の潔さに頭が下がる思いである。

更に、1960年代の世界観を構築する美術(金田克美)も素晴らしい。
自動車や電話等の大物はともかく、かっぱえびせんのパッケージや、三ツ矢サイダーのビン等、普通の観客は気付かないような一瞬しか映らないようなものにまで行き届いた美術に脱帽なのだ。

演出は順当で、奇をてらったものはなく、さらっとした自然体の演出に好感が持てる。勿論くどいところはくどいのだが、行間が読める素晴らしい脚本と演出が楽しめる。
ラストのカットの潔さと言ったら、もうたまらない。

とにかく、本作「パッチギ!」は、映画ファン必見の作品だと思うし、2005年現在、日本を取巻く環境の中で、見なければならない作品の一本なのかも知れない。

☆☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

参考
「どこからが映画なのか?」
http://diarynote.jp/d/29346/20041028.html

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