2005/01/05 東京銀座「東映試写室」で「北の零年」の試写を観た。本編上映後、監督の行定勲を迎えてティーチ・インが行われた。
幕藩体制が終わりを告げ、日本が大きく変わった明治維新。
四国・淡路に暮らす稲田家の人々は明治政府から、北海道・静内への移住を命じられる。
明治4年、第一次移民団546名を乗せた船は、半月の船旅を経て北海道へと辿り着いた。この船に乗っていた小松原志乃(吉永小百合)は、すでに先遣隊として静内で開墾を始めていた夫の英明(渡辺謙)と再会する。
英明を中心に、この地に新たな自分たちの国を作ろうと希望に燃える稲田家の人々。しかし寒さの厳しい北海道では淡路の作物は育たず、第二次移民団を乗せた船が難破して多くの死傷者を出し、さらには廃藩置県による武士階級の崩壊など、多くの試練が彼らを襲う。失意の中、英明たちは侍の象徴である髷(まげ)を切って、この土地と運命を共にすることを誓い合った。しかし作物が育たなくては食料も蓄えられない。英明は最新の農業技術を学ぶため、一人札幌へと旅立つ。だが志乃と娘の多恵(大後寿々花/石原さとみ)がいくら待ち焦がれても、英明は帰ってこなかった。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:行定勲
出演:吉永小百合(小松原志乃)、渡辺謙(小松原英明)、豊川悦司(アシリカ)、柳葉敏郎(馬宮伝蔵)、石田ゆり子(馬宮加代)、香川照之(持田倉蔵)、石原さとみ(小松原多恵)、吹越満(長谷慶一郎)、奥貫薫(長谷さと)、阿部サダヲ(中野又十郎)、金井勇太(川久保平太)、大高力也(間宮雄之介)、大後寿々花(小松原多恵/少女時代)、モロ師岡(窪平)、榊英雄(高岡)、寺島進(花村完爾)、アリステア・ダグラス(エドウィン・ダン)、忍成修吾(殿)、中原丈雄(内田)、田中義剛(友成洋平)、馬渕晴子(長谷すえ)、大口広司(モノクテ)、藤木悠(中野亀次郎)、平田満(川久保栄太)、鶴田真由(おつる)、石橋蓮司(堀部賀兵衛)
本作「北の零年」は、北海道を舞台に、小松原志乃(吉永小百合)の生き様を描いた「風と共に去りぬ」を髣髴とさせる大河ドラマに仕上がっている。その上映時間はなんと2時間48分。
それ知った時点で、内容はともかく観客を選ぶ、非常にリスキーな作品だと言えるのではないか。
「サムライになりたかったアメリカ人」と「滅び行くサムライの美学」を描いた「ラストサムライ(2003)」に日本国民の多くは狂喜し、同時に日本映画界は震撼した。
そして2004年、山田洋次は「ラストサムライ」へのアンチテーゼとして、また「ラストサムライ」に騙されてしまう愚かな日本人に対する批判的精神の下、「隠し剣 鬼の爪」を製作した。(と、わたしは思っている)
「隠し剣 鬼の爪」は「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる日本人」を描いた作品なのだ。
更に2005年、満を持して登場するのは、またもや「侍と言う生き方を捨てる日本人」を描いた「北の零年」なのだ。
そして本作では「ラストサムライ」で勝元盛次を演じた渡辺謙が、その勝元と正反対の生き様の小松原英明としてキャスティングされているのが素晴らしくも恐ろしい。
このあまりにもシニカルなキャスティングは、行定勲や渡辺謙、そして山田洋次をはじめとする日本映画界が「ラストサムライ」に対して、どういう思いを持っているのかを如実に表しているような気がする。
あの山田洋次に「隠し剣 鬼の爪」を撮らせ、行定勲に「北の零年」を撮らせる「ラストサムライ」。
その多大なる影響力、そして「侍の遺伝子を持つと言われ、散り行く侍の姿に騙されてしまう、実際は農民の遺伝子を持つ日本人」の愚かさを感じる一瞬である。
先ず脚本(那須真知子)だが、作品の本質やテーマをセリフで語りすぎであり、観客が行間で遊ぶ余裕が感じられないのである。
この点について、行定勲は上映後のティーチ・インにおいて、語りすぎのハリウッド映画を例に挙げ、確信犯的に吉永小百合にテーマを語らせた、と語っている。
ありはありかも知れないが、わたしは語りすぎの脚本は評価しない。
撮影(北信康)は北海道の大地を見事に切り取っているし、画面は明るく明瞭である。
最近の邦画はビデオ撮影が蔓延しピントが甘い作品が多いが、当たり前の事だが、きちんとフィルムで撮影している作品に好感を覚える。
照明(中村裕樹)はでしゃばらず、あくまでもリアルに画面を引き立てているが、唯一、冒頭の船内の照明の光源に違和感を感じた。
キャストは何と言っても吉永小百合である。
見事に志乃像を構築してるのだが、やはり実年齢に違和感を感じる。勿論本作は吉永小百合なくしては成立しない映画なのだが、彼女より15〜20才位若い女優の起用が望ましかった、と思う。
とは言うものの、吉永小百合の凛とした存在感が素晴らしい。
そして豊川悦司(アシリカ)である。
「丹下左膳 百万両の壺」も良かったが、本作ではコメディではなくシリアスで格好良い豊川が楽しめる。
ティーチ・インで行定は豊川を日本のダニエル・デイ=ルイスと称していたが、事実「ラスト・オブ・モヒカン」のダニエル・デイ=ルイスを髣髴とさせる役柄を豊川は見事に演じている。
寡黙な一族の末裔が美しくも悲しい。
更に香川照之(持田倉蔵)である。
はっきり言って最高である。最近出ずっぱりの印象が否定できないが、素晴らしい役者である。「鉄人28号」はともかく「天国の本屋〜恋火」も凄かったが、本作の香川は「ラストサムライ」の原田眞人のような存在感を楽しめる。格好良いぞ。
渡辺謙は前述のように「ラストサムライ」のアンチテーゼとも言える役柄を好演している。しかし俳優陣が素晴らしく、若干見劣りする印象を受ける。勿論それは、渡辺謙が演じた小松原のキャラクター設定に因るのかも知れない。
また、小松原の友人馬宮伝蔵を演じた柳葉敏郎は、室井慎次役より20倍くらい良いし、石橋蓮司(堀部賀兵衛)や吹越満(長谷慶一郎)、阿部サダヲ(中野又十郎)等は最高に格好良く素晴らしい。藤木悠(中野亀次郎)や平田満(川久保栄太)等も良い味を出している。
とにかく、本作「北の零年」は、北海道の大自然の中で、戦い葛藤する格好良くも格好悪い男たちと、気高く凛とした女たちが楽しめる素晴らしい作品なのだ。
セリフでテーマを語りすぎの脚本はまずいが、それ以上に画面が語る作品だし、2時間48分が長く感じられない波乱に満ちた物語に翻弄されてしまうのだ。長時間に尻込みせずに是非観て欲しい作品なのだ。
=+=+=+=+=+=+=
上映後のティーチ・インで、行定勲は自作や映画観、日本映画界の現状、深作欣二に言われた「東映を見捨てないでくれ」という言葉やハリウッド映画等について、語るに語っていた。
日本映画の将来を考え、頑張って欲しいものだ。
ティーチ・イン後、配布されたプレス・シートに例によってサインを貰って帰宅した。
=+=+=+=+=+=+=
☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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幕藩体制が終わりを告げ、日本が大きく変わった明治維新。
四国・淡路に暮らす稲田家の人々は明治政府から、北海道・静内への移住を命じられる。
明治4年、第一次移民団546名を乗せた船は、半月の船旅を経て北海道へと辿り着いた。この船に乗っていた小松原志乃(吉永小百合)は、すでに先遣隊として静内で開墾を始めていた夫の英明(渡辺謙)と再会する。
英明を中心に、この地に新たな自分たちの国を作ろうと希望に燃える稲田家の人々。しかし寒さの厳しい北海道では淡路の作物は育たず、第二次移民団を乗せた船が難破して多くの死傷者を出し、さらには廃藩置県による武士階級の崩壊など、多くの試練が彼らを襲う。失意の中、英明たちは侍の象徴である髷(まげ)を切って、この土地と運命を共にすることを誓い合った。しかし作物が育たなくては食料も蓄えられない。英明は最新の農業技術を学ぶため、一人札幌へと旅立つ。だが志乃と娘の多恵(大後寿々花/石原さとみ)がいくら待ち焦がれても、英明は帰ってこなかった。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:行定勲
出演:吉永小百合(小松原志乃)、渡辺謙(小松原英明)、豊川悦司(アシリカ)、柳葉敏郎(馬宮伝蔵)、石田ゆり子(馬宮加代)、香川照之(持田倉蔵)、石原さとみ(小松原多恵)、吹越満(長谷慶一郎)、奥貫薫(長谷さと)、阿部サダヲ(中野又十郎)、金井勇太(川久保平太)、大高力也(間宮雄之介)、大後寿々花(小松原多恵/少女時代)、モロ師岡(窪平)、榊英雄(高岡)、寺島進(花村完爾)、アリステア・ダグラス(エドウィン・ダン)、忍成修吾(殿)、中原丈雄(内田)、田中義剛(友成洋平)、馬渕晴子(長谷すえ)、大口広司(モノクテ)、藤木悠(中野亀次郎)、平田満(川久保栄太)、鶴田真由(おつる)、石橋蓮司(堀部賀兵衛)
本作「北の零年」は、北海道を舞台に、小松原志乃(吉永小百合)の生き様を描いた「風と共に去りぬ」を髣髴とさせる大河ドラマに仕上がっている。その上映時間はなんと2時間48分。
それ知った時点で、内容はともかく観客を選ぶ、非常にリスキーな作品だと言えるのではないか。
「サムライになりたかったアメリカ人」と「滅び行くサムライの美学」を描いた「ラストサムライ(2003)」に日本国民の多くは狂喜し、同時に日本映画界は震撼した。
そして2004年、山田洋次は「ラストサムライ」へのアンチテーゼとして、また「ラストサムライ」に騙されてしまう愚かな日本人に対する批判的精神の下、「隠し剣 鬼の爪」を製作した。(と、わたしは思っている)
「隠し剣 鬼の爪」は「侍と言う莫迦げた生き方を捨てる日本人」を描いた作品なのだ。
更に2005年、満を持して登場するのは、またもや「侍と言う生き方を捨てる日本人」を描いた「北の零年」なのだ。
そして本作では「ラストサムライ」で勝元盛次を演じた渡辺謙が、その勝元と正反対の生き様の小松原英明としてキャスティングされているのが素晴らしくも恐ろしい。
このあまりにもシニカルなキャスティングは、行定勲や渡辺謙、そして山田洋次をはじめとする日本映画界が「ラストサムライ」に対して、どういう思いを持っているのかを如実に表しているような気がする。
あの山田洋次に「隠し剣 鬼の爪」を撮らせ、行定勲に「北の零年」を撮らせる「ラストサムライ」。
その多大なる影響力、そして「侍の遺伝子を持つと言われ、散り行く侍の姿に騙されてしまう、実際は農民の遺伝子を持つ日本人」の愚かさを感じる一瞬である。
先ず脚本(那須真知子)だが、作品の本質やテーマをセリフで語りすぎであり、観客が行間で遊ぶ余裕が感じられないのである。
この点について、行定勲は上映後のティーチ・インにおいて、語りすぎのハリウッド映画を例に挙げ、確信犯的に吉永小百合にテーマを語らせた、と語っている。
ありはありかも知れないが、わたしは語りすぎの脚本は評価しない。
撮影(北信康)は北海道の大地を見事に切り取っているし、画面は明るく明瞭である。
最近の邦画はビデオ撮影が蔓延しピントが甘い作品が多いが、当たり前の事だが、きちんとフィルムで撮影している作品に好感を覚える。
照明(中村裕樹)はでしゃばらず、あくまでもリアルに画面を引き立てているが、唯一、冒頭の船内の照明の光源に違和感を感じた。
キャストは何と言っても吉永小百合である。
見事に志乃像を構築してるのだが、やはり実年齢に違和感を感じる。勿論本作は吉永小百合なくしては成立しない映画なのだが、彼女より15〜20才位若い女優の起用が望ましかった、と思う。
とは言うものの、吉永小百合の凛とした存在感が素晴らしい。
そして豊川悦司(アシリカ)である。
「丹下左膳 百万両の壺」も良かったが、本作ではコメディではなくシリアスで格好良い豊川が楽しめる。
ティーチ・インで行定は豊川を日本のダニエル・デイ=ルイスと称していたが、事実「ラスト・オブ・モヒカン」のダニエル・デイ=ルイスを髣髴とさせる役柄を豊川は見事に演じている。
寡黙な一族の末裔が美しくも悲しい。
更に香川照之(持田倉蔵)である。
はっきり言って最高である。最近出ずっぱりの印象が否定できないが、素晴らしい役者である。「鉄人28号」はともかく「天国の本屋〜恋火」も凄かったが、本作の香川は「ラストサムライ」の原田眞人のような存在感を楽しめる。格好良いぞ。
渡辺謙は前述のように「ラストサムライ」のアンチテーゼとも言える役柄を好演している。しかし俳優陣が素晴らしく、若干見劣りする印象を受ける。勿論それは、渡辺謙が演じた小松原のキャラクター設定に因るのかも知れない。
また、小松原の友人馬宮伝蔵を演じた柳葉敏郎は、室井慎次役より20倍くらい良いし、石橋蓮司(堀部賀兵衛)や吹越満(長谷慶一郎)、阿部サダヲ(中野又十郎)等は最高に格好良く素晴らしい。藤木悠(中野亀次郎)や平田満(川久保栄太)等も良い味を出している。
とにかく、本作「北の零年」は、北海道の大自然の中で、戦い葛藤する格好良くも格好悪い男たちと、気高く凛とした女たちが楽しめる素晴らしい作品なのだ。
セリフでテーマを語りすぎの脚本はまずいが、それ以上に画面が語る作品だし、2時間48分が長く感じられない波乱に満ちた物語に翻弄されてしまうのだ。長時間に尻込みせずに是非観て欲しい作品なのだ。
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上映後のティーチ・インで、行定勲は自作や映画観、日本映画界の現状、深作欣二に言われた「東映を見捨てないでくれ」という言葉やハリウッド映画等について、語るに語っていた。
日本映画の将来を考え、頑張って欲しいものだ。
ティーチ・イン後、配布されたプレス・シートに例によってサインを貰って帰宅した。
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