先ずはこちらを読んで欲しい。

「ターミナル」☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
http://diarynote.jp/d/29346/20041209.html

このレビューの中でわたしは、
『「ターミナル」は、面白おかしく、ちょっぴり涙がこぼれちゃう、万人にオススメの娯楽作品なのだ。
とは言うものの、作品自体は凡庸で、取り立てて見るべきところは無い。』
と断じてしまっている。

しかし「ターミナル」は本当に見るべきところが無い作品なのだろうか。
そこで「徒然雑草」では、いくつかの観点から「ターミナル」でスティーヴン・スピルバーグが表現しようとした隠された意図を考えていきたい、と思うのだ。
 
 
■「JFK国際空港」が意味すること
「ターミナル」の舞台は、皆さんご承知のように「JFK国際空港」である。そしてその「JFK国際空港」がニューヨークにあるのも、皆さんご承知の事だと思う。

ニューヨークと言えば、昔から「人種の坩堝(るつぼ)」と呼ばれているように、様々な人種、様々な民族がひしめき合っているアメリカ最大級の大都市である。

先ず考えなければならないのは、本作「ターミナル」では「空港」は当然の如く「都市」のメタファーとして描かれている、と言うことである。

事実、本作では衣食住の全てが賄える「空間」として「空港」が描かれているし、また様々な人種、様々な民族が共存する「空間」としても「空港」が描かれてもいる。

そして同時に「空港」は「移民の受け入れ先」としても描かれているのだ。話がそれるが、「空港」を空間的に閉鎖された「移民の受け入れ先」と捉えた場合、かつて、ニューヨークのマンハッタン島が多くの移民を受け入れていた事が連想される。(「ギャング・オブ・ニューヨーク」参照)

「空港」を「都市」であり「移民先」と考えると、トム・ハンクス演じるビクター・ナボルスキーは、言葉の通じない「移民先」である「空港」に一人降り立ち、苦労しながらも仕事を見つけ、住むところを見つけ、友人を見つけ、恋人を見つけ、「空港」で働く多くの人々とコミュニケーションをとりながら、なんとか生活していく姿が見てとれるのである。
これは新天地である「移民先」に降り立った人々のシミュレーションにも思える。

そして興味深いのは、ビクターを取巻く「空港」で働く人々は所謂マイノリティであり、「空港」と言う名の新天地で新たな生活を営もうとしている「移民たち」のメタファーとして描かれている点である。

「空港」内で働くマイノリティたちは、ビクターを受け入れ、身を寄せ合い、日々の些細な楽しみを享受しながら細々と生活しているのだ。

一方、「空港」を警備する側は、スタンリー・トゥッチ演じるフランク・ディクソンは、バリー・シャバカ・ヘンリー演じるレイを通じて、ビクター等マイノリティたちを迫害する行動を起こしている。

ここでは、興味深い事に白人(フランク)の指示の下、黒人(レイ)が他のマイノリティたちを迫害する、と言う構図が見て取れるのである。
そしてこれは、白人指導者が最前線で働く黒人に指示を出し、他のマイノリティたちを迫害している行為を暗喩しているのである。

ここまで論を進めれば自ずと答えは出るだろう。
「ターミナル」の舞台となっている「JFK国際空港」は、「都市」以上の存在である「世界(地球)」の縮図でありメタファーなのだ。

多くの民族が共存しているわれわれの「世界」。
その「世界」のどこかで、何か問題が起これば、世界の警察「アメリカ」が出動する。
「アメリカ」によって、平和維持、調停、統治、侵略される「諸国」。

実はハート・ウォーミング・コメディ「ターミナル」には、こんな隠された意味があるのだ。
そしてユダヤ人スティーヴン・スピルバーグの「ターミナル」における現代社会とのアメリカの関わり方に対する批判的意図は巧妙に隠されている訳なのである。

余談だが、ニューヨークの「JFK国際空港」を「ターミナル」の舞台と選んだ理由としては、勿論「911テロ」への言及と、ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の名を冠した「空港」である、という点に因るものだと考えられる。

更に余談だが、フランクの指示に従わず、ビクターにコートを与えるレイの行動も非常に象徴的な印象を与えている。
白人に対する黒人の反乱なのである。
 
 
「ターミナル」に隠された意図 その2
http://diarynote.jp/d/29346/20041224.html
へつづく・・・・
 
 
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