2004/12/08 東京九段下「九段会館大ホール」で「ターミナル」の試写を観た。
ニューヨーク、JFK国際空港。
ビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、東欧の小国クラコウジアから、ある大事な約束を果たすため、JFK国際空港に降り立った。
しかし、彼がクラコウジアを飛び立った直後、クーデターが発生、事実上国家が消滅してしまう。これによりパスポートが無効となったビクターは、アメリカへの入国を拒否されてしまう。
しかも情勢が安定するまでは帰国することもできず、空港内(インターナショナル・トランジット)に完全に足止めされてしまう。
英語も分からず通貨も持っていない彼は、やむを得ずこのターミナルの中で寝起きしながら事態の改善を待つのだったが・・・・。
監督:スティーヴン・スピルバーグ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:トム・ハンクス(ビクター・ナボルスキー)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(アメリア・ウォーレン)、スタンリー・トゥッチ(フランク・ディクソン)、チー・マクブライド(ジョー・マルロイ)、ディエゴ・ルナ(エンリケ・クルズ)、バリー・シャバカ・ヘンリー(レイ)、ゾーイ・サルダナ(トーレス)、クマール・パラーナ(グプタ)
本作「ターミナル」は、面白おかしく、ちょっぴり涙がこぼれちゃう、万人にオススメの娯楽作品なのだ。
とは言うものの、作品自体は凡庸で、取り立てて見るべきところは無い。
勿論、本作「ターミナル」では、オスカー俳優たちの素晴らしい演技、小粋な脚本や展開、素敵な演出や音楽が楽しめるのだが、ただそれだけの作品なのである。
本当にこれで良いのかよ。とわたしは思う訳だ。
わたしの映画ファンとしてのキャリアは、スティーヴン・スピルバーグ監督作品との出会いから始まった、と言っても差支えは無いだろう。
それ以来わたしは、多くのスピルバーグ作品を追いかけながら大人になってきた訳である。
かつてのそんなスピルバーグ作品は、ドキドキ感ワクワク感に満ちていたし、作品自体も、リスクを恐れない孤高な映像作家の冒険心に輝いていた。
しかし残念ながら、近年のスビルバーグ作品には、その孤高さは影を潜め、商業主義がさの多くを占めているような印象を否定できない。
現在のわたしは、そんな最近のスピルバーグ監督作品に対して、「何としてでも観たい!」という欲求が湧かないのである。
何のために、こんな題材を映画にするんだ。
何のために、アカデミー賞受賞俳優なんかをキャスティングするんだ。
一体何のためにおまえはこんな映画を撮っているんだ。
こんなの誰にでも撮れるじゃないか。
おれ達は、おまえにしか撮れないような、スピリッツ溢れる映画が観たいんだよ。
「JAWS/ジョーズ」や「未知との遭遇」、「1941」や「フック」。そんなリスクを恐れない背筋の伸びた孤高で独創的で、作家性が十二分に感じられる作品が観たいのだ。
まあ、そんな状況ではあるが、本作「ターミナル」について考えてみよう。
基本プロットは面白いのだが、映画向きのプロットではなく、テレビ・シリーズ向きのプロットだと言えよう。
舞台を空港内に限定した所謂「シットコム」形式でテレビ・シリーズ化して、トム・ハンクスが出た日にゃー大ヒット間違いなしの長寿テレビ・シリーズになるのではないだろうか。
そして、映画として考えてみても、残念ながらフランス映画「パリ空港の人々」(1995)の影響が否定できない。
脚本は、セリフも粋だしキャラクター設定も明確、遊びの部分も含めて良く出来た脚本だと思う。
政治的問題で空港内に足止めされたビクターと、空港内で働く人々が仕事のためにある意味空港内に足止めされていると思わせる部分と、それらの人々とビクターとの対比が興味深く、空港から合法的に出て行こうとするビクターが、空港から出られない多くの人々の希望になっていくあたりが素晴らしいと思う。
また、空港を人種の坩堝(るつぼ)のメタファーとして機能させている点、更にアメリカ人を悪人に、マイノリティを善人に描いているのも興味深い。
また脚本上、同じシークエンスの繰り返しやバリエーションが、または明示的な伏線が興味深かった。
キャラクター設定は、ビクターを助ける3人の労働者たち、チー・マクブライド演じるジョー・マルロイ、ディエゴ・ルナ演じるエンリケ・クルズ、クマール・パラーナ演じるグプタが一番だと思うが、エンリケが恋するゾーイ・サルダナ演じるトーレスがトレッキーだという設定には仰け反った。スピルバーグ作品にトレッキーが登場するだけではなく、トレッキーのためのお笑いシークエンスを入れているあたりは、わたし的には驚愕だった。
また観客の視点となり、観客の良心として機能するバリー・シャバカ・ヘンリー演じるレイの設定も秀逸である。一本筋は通っているものの、悪く言えば「事勿れ主義者」的なキャラクターは、多くの一般市民のメタファーであり、それ故に、事勿れ主義者だったレイのラストの行動が観客に対して、自分たちもレイのように行動したいな、と思わせる素晴らしい効果を付与している。
とは言うものの、スタンリー・トゥッチ演じるフランク・ディクソンは、脚本上の、悪役を登場させる必要性のため、設定されたキャラクターである印象が拭いきれず、無理のあるキャラクター設定だと思う。この役柄は非常に損な役回りであり、スタンリー・トゥッチが好演しているだけに、残念な気がする。
音楽は印象に残る明確なテーマ性は無いものの、ジョン・ウィリアムズ節が楽しめる。
クライマックスでビクターがエスカレーターを降り、空港のドアに向かうシークエンスでかかる曲のオーケストレーションが、「JAWS/ジョーズ」で3人の男たちが鮫退治に向かう明るい曲を髣髴とさせていた。
まあ、とにかく本作「ターミナル」は、誰にでもオススメできる面白くてちょっぴり泣ける作品ではあるが、スピルバーグがわざわざ撮る必要がある種類の作品ではない、と言わざるを得ないのだ。
=+=+=+=+=+=+=+=
最近のスピルバーグのフィルモグラフィーを見て欲しい。
スタンリー・キューブリック企画の「A.I.」はともかく、ほとんどが名前で客が呼べるスター俳優が主演している。
「ターミナル」(2004)
「マイノリティ・リポート」(2002)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)
「A.I.」(2000)
「プライベート・ライアン」(1998)
誰が撮ってもヒットするような映画ばかり撮ってどうするんだよ。
鬼が金棒持ってどうするつもりだ。と思う訳なのだ。
=+=+=+=+=+=+=+=
余談だが、「スタートレック」ファン爆笑のシークエンスが「ターミナル」に出てくるのだが、試写場でば笑ったのは、わたしだけだった。スピルバーグ作品に「スタートレック」ネタが出てきたのには驚かされた。
☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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ニューヨーク、JFK国際空港。
ビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、東欧の小国クラコウジアから、ある大事な約束を果たすため、JFK国際空港に降り立った。
しかし、彼がクラコウジアを飛び立った直後、クーデターが発生、事実上国家が消滅してしまう。これによりパスポートが無効となったビクターは、アメリカへの入国を拒否されてしまう。
しかも情勢が安定するまでは帰国することもできず、空港内(インターナショナル・トランジット)に完全に足止めされてしまう。
英語も分からず通貨も持っていない彼は、やむを得ずこのターミナルの中で寝起きしながら事態の改善を待つのだったが・・・・。
監督:スティーヴン・スピルバーグ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:トム・ハンクス(ビクター・ナボルスキー)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(アメリア・ウォーレン)、スタンリー・トゥッチ(フランク・ディクソン)、チー・マクブライド(ジョー・マルロイ)、ディエゴ・ルナ(エンリケ・クルズ)、バリー・シャバカ・ヘンリー(レイ)、ゾーイ・サルダナ(トーレス)、クマール・パラーナ(グプタ)
本作「ターミナル」は、面白おかしく、ちょっぴり涙がこぼれちゃう、万人にオススメの娯楽作品なのだ。
とは言うものの、作品自体は凡庸で、取り立てて見るべきところは無い。
勿論、本作「ターミナル」では、オスカー俳優たちの素晴らしい演技、小粋な脚本や展開、素敵な演出や音楽が楽しめるのだが、ただそれだけの作品なのである。
本当にこれで良いのかよ。とわたしは思う訳だ。
わたしの映画ファンとしてのキャリアは、スティーヴン・スピルバーグ監督作品との出会いから始まった、と言っても差支えは無いだろう。
それ以来わたしは、多くのスピルバーグ作品を追いかけながら大人になってきた訳である。
かつてのそんなスピルバーグ作品は、ドキドキ感ワクワク感に満ちていたし、作品自体も、リスクを恐れない孤高な映像作家の冒険心に輝いていた。
しかし残念ながら、近年のスビルバーグ作品には、その孤高さは影を潜め、商業主義がさの多くを占めているような印象を否定できない。
現在のわたしは、そんな最近のスピルバーグ監督作品に対して、「何としてでも観たい!」という欲求が湧かないのである。
何のために、こんな題材を映画にするんだ。
何のために、アカデミー賞受賞俳優なんかをキャスティングするんだ。
一体何のためにおまえはこんな映画を撮っているんだ。
こんなの誰にでも撮れるじゃないか。
おれ達は、おまえにしか撮れないような、スピリッツ溢れる映画が観たいんだよ。
「JAWS/ジョーズ」や「未知との遭遇」、「1941」や「フック」。そんなリスクを恐れない背筋の伸びた孤高で独創的で、作家性が十二分に感じられる作品が観たいのだ。
まあ、そんな状況ではあるが、本作「ターミナル」について考えてみよう。
基本プロットは面白いのだが、映画向きのプロットではなく、テレビ・シリーズ向きのプロットだと言えよう。
舞台を空港内に限定した所謂「シットコム」形式でテレビ・シリーズ化して、トム・ハンクスが出た日にゃー大ヒット間違いなしの長寿テレビ・シリーズになるのではないだろうか。
そして、映画として考えてみても、残念ながらフランス映画「パリ空港の人々」(1995)の影響が否定できない。
脚本は、セリフも粋だしキャラクター設定も明確、遊びの部分も含めて良く出来た脚本だと思う。
政治的問題で空港内に足止めされたビクターと、空港内で働く人々が仕事のためにある意味空港内に足止めされていると思わせる部分と、それらの人々とビクターとの対比が興味深く、空港から合法的に出て行こうとするビクターが、空港から出られない多くの人々の希望になっていくあたりが素晴らしいと思う。
また、空港を人種の坩堝(るつぼ)のメタファーとして機能させている点、更にアメリカ人を悪人に、マイノリティを善人に描いているのも興味深い。
また脚本上、同じシークエンスの繰り返しやバリエーションが、または明示的な伏線が興味深かった。
キャラクター設定は、ビクターを助ける3人の労働者たち、チー・マクブライド演じるジョー・マルロイ、ディエゴ・ルナ演じるエンリケ・クルズ、クマール・パラーナ演じるグプタが一番だと思うが、エンリケが恋するゾーイ・サルダナ演じるトーレスがトレッキーだという設定には仰け反った。スピルバーグ作品にトレッキーが登場するだけではなく、トレッキーのためのお笑いシークエンスを入れているあたりは、わたし的には驚愕だった。
また観客の視点となり、観客の良心として機能するバリー・シャバカ・ヘンリー演じるレイの設定も秀逸である。一本筋は通っているものの、悪く言えば「事勿れ主義者」的なキャラクターは、多くの一般市民のメタファーであり、それ故に、事勿れ主義者だったレイのラストの行動が観客に対して、自分たちもレイのように行動したいな、と思わせる素晴らしい効果を付与している。
とは言うものの、スタンリー・トゥッチ演じるフランク・ディクソンは、脚本上の、悪役を登場させる必要性のため、設定されたキャラクターである印象が拭いきれず、無理のあるキャラクター設定だと思う。この役柄は非常に損な役回りであり、スタンリー・トゥッチが好演しているだけに、残念な気がする。
音楽は印象に残る明確なテーマ性は無いものの、ジョン・ウィリアムズ節が楽しめる。
クライマックスでビクターがエスカレーターを降り、空港のドアに向かうシークエンスでかかる曲のオーケストレーションが、「JAWS/ジョーズ」で3人の男たちが鮫退治に向かう明るい曲を髣髴とさせていた。
まあ、とにかく本作「ターミナル」は、誰にでもオススメできる面白くてちょっぴり泣ける作品ではあるが、スピルバーグがわざわざ撮る必要がある種類の作品ではない、と言わざるを得ないのだ。
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最近のスピルバーグのフィルモグラフィーを見て欲しい。
スタンリー・キューブリック企画の「A.I.」はともかく、ほとんどが名前で客が呼べるスター俳優が主演している。
「ターミナル」(2004)
「マイノリティ・リポート」(2002)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)
「A.I.」(2000)
「プライベート・ライアン」(1998)
誰が撮ってもヒットするような映画ばかり撮ってどうするんだよ。
鬼が金棒持ってどうするつもりだ。と思う訳なのだ。
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余談だが、「スタートレック」ファン爆笑のシークエンスが「ターミナル」に出てくるのだが、試写場でば笑ったのは、わたしだけだった。スピルバーグ作品に「スタートレック」ネタが出てきたのには驚かされた。
☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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