2004/12/03 東京新橋「ヤクルトホール」で「ネバーランド」の試写を観た。

1903年ロンドン。華やかに着飾った人々で埋め尽くされたデューク・オブ・ヨーク劇場の片隅で、劇作家のジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)は、居心地の悪い気分を味わっていた。初日を迎えた彼の新作「リトル・メアリー」に対する客席の反応は芳しくなかった。友人アーサー・コナン・ドイル卿(イアン・ハート)や、興行主チャールズ・フローマン(ダスティン・ホフマン)からも、あてこすりを言われる始末だ。

案の定、翌朝の新聞の劇評は最悪。失意のジェームズは、愛犬のポーソスを連れ、近くの公園へ日課の散歩に出かけた。そこで彼は、デイヴィス家の4人の兄弟とその母親との運命的な出会いを果たす。4人兄弟のうち、長男のジョージ(ニック・ラウド)、次男のジャック(ジョー・プロスペロ)、末っ子のマイケル(ルーク・スピル)は、母のシルヴィア(ケイト・ウィンスレット)に連れられて来たその公園で、無邪気に騎士ごっこに興じていた。が、人一倍繊細な三男のピーター(フレディ・ハイモア)は、空想の世界に遊ぶことを拒絶し、一人だけ兄弟の遊びの輪から外れていた。それを見たジェームズは、愛犬をサーカスの熊に見立ててダンスを踊り、少年たちの拍手喝采を浴びる。別れ際、一家との再会を約束したジェームズは、心弾む気分で自宅へ戻った。

早速夕食の席で、妻のメアリー(ラダ・ミッチェル)に公園での出来事を話すジェームズ。それを聞いたメアリーは、夫をガンで亡くしたシルヴィアが、社交界の名士である母のデュ・モーリエ夫人(ジュリー・クリスティ)の援助で暮らしていることを教える。野心家のメアリーは、この出会いがデュ・モーリエ夫人に近づくチャンスになると考え、ジェームズに一家を夕食に招待するようにすすめたが・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)

監督:マーク・フォースター
出演:ジョニー・デップ(ジェームズ・マシュー・バリ)、フレディ・ハイモア(ピーター・ルウェリン・デイヴィス)、ニック・ラウド(ジョージ・ルウェリン・デイヴィス)、ジョー・プロスペロ(ジャック・ルウェリン・デイヴィス)、ルーク・スピル(マイケル・ルウェリン・デイヴィス)、ケイト・ウィンスレット(シルヴィア・ルウェリン・デイヴィス)、ジュリー・クリスティ(デュ・モーリエ夫人)、ダスティン・ホフマン(チャールズ・フローマン)、ラダ・ミッチェル(メアリー・アンセル・バリ)、イアン・ハート(アーサー・コナン・ドイル卿)、ケリー・マクドナルド(ピーター・パン)
 
 
一言で言うなれば、本作「ネバーランド」は、最高に素晴らしい大傑作である。
ついでに言うならば、号泣必須であり、滂沱状態であり、2004年正月映画最高の涙腺破壊兵器と言えるのだ。

特にクライマックスの、映画ならではの素晴らしい演出が凄すぎる。それは、舞台でも、テレビでも、小説でも真似が出来ない素晴らしい映像体験なのだ。
その映像体験が涙腺を破壊し滂沱の地平にぼくらを連れて行ってくれるのだ。

あぁ、映画とは何て素晴らしいんだろう。
映画と言うものが、本当に素晴らしいメディアである、と感じさせてくれる素晴らしい瞬間なのだ。
 
 
キャストは何と言ってもジョニー・デップだろう。
最近外見に特徴を持つキャラクターを演じ続けているジョニー・デップだが、内面は特徴的な性格を持っているのだが、外見的にはいたって普通の人物であるバリを見事に演じている。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」等でデップの俄ファンになったような人々にとっては、今回のデップはもしかすると退屈で、あまりにも普通の演技のように見えるかも知れないが、そんな静かで慈愛に満ち、夢見がちでいながら苦悩するバリの姿が嬉しくも悲しい。

そしてダスティン・ホフマンである。スティーヴン・スピルバーグの「フック」でフック船長を演じたダスティン・ホフマンをキャスティングするとは、何て素晴らしいのだろう。

物語上、ジェームズ・バリは当然の如く、永遠の少年ピーター・パンのメタファーとして機能すると同時に、デイヴィス家は勿論ダーリング家の暗喩なのだ。それではフック船長は?そう勿論、興行主のチャールズ・フローマンその人なのだ。
 
出来ることなら、一瞬登場するネバーランドのフック船長をダスティン・ホフマンに演じて欲しかったのだ。と思う。
希望的観測か気の迷いかわからないが、クレジット上は勿論異なるのだが、涙でスクリーンが歪んで見えていたわたしにとって、フック船長はダスティン・ホフマンだったのだ。

ところで物語は、劇作家として、壁にぶちあたってしまったジェームズ・バリが、ダーリング家のウェンディ、ジョン、マイケル、そしてネバーランドのピーター・パンを髣髴とさせるデイヴィス家の人々と(想像の力で)冒険した様子を描いた戯曲「ピーター・パン」を完成させ、初演を迎えるまでの物語である。

リアリストである少年ピーターと大人の癖に夢ばかり見ているバリの対比が興味深い。
ある意味、夢ばかり見ているダメな大人をリアリストの少年が悟らせるのか、ダメな大人が老成した少年に、夢を見る力を授けるのか、が興味深い訳だ。

そして前述のクライマックスのシークエンスにしろ何にしろ、バリらの夢(想像)を具現化しているシークエンスが最高に素晴らしいのだ。

また戯曲「ピーター・パン」を上演する舞台装置も単純だが非常に力強く、圧倒的な感動を与えてくれる。
例えばそれは、物語の中、舞台でピーター・パンを演じたケリー・マクドナルド等の素晴らしい演技に因るものだろう。そしてクライマックスのケリー・マクドナルドの演技は確実に「魔法の力」を持っているのだ。
 
 
脚本は一言で言えば素晴らしいのだが、ちょっと気になったのは、クライマックスに向けての、メアリーとジェームズのバリ夫婦の不和を描く描写や、シルヴィアの病気にはイライラさせられた。
勿論、その辺の描写のおかげでクライマックスのカタルシスが倍増するのだが、個人的には、「おいおいそんな細かい描写はいらないから、早く舞台を映せよ」と言う気持ちになったのは事実である。
出来ることなら、「ピーター・パン」の舞台全編を見たいと思ったわけだ。

舞台と言えば本作は「バロン」と比較しても面白いと思うし、ジョニー・デップとダスティン・ホフマンの競演と言うことから考えると監督のマーク・フォースターは、ティム・バートンとスティーヴン・スピルバーグの融合を果たそうとしていたのではないか、と勘ぐってしまう。

スピルバーグの嗜好は異常なほど、ディズニー・アニメへの傾倒が見え隠れするし、「ピーター・パン」については、「フック」や「A.I.」で言及しているし、ジョニー・デップのキャラクターは、ティム・バートンその人を描いているような印象を受けてしまうのだ。
そして、ジョニー・デップのキャラクターは「ビッグ・フィッシュ」をも髣髴とさせるような設定を感じてしまう。
 
本作「ネバーランド」は、はっきり言って最高の傑作である。
とりあえず、観ろ!なのだ。
 
 
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