2004/11/26 ワーナーマイカルシネマズ板橋で「2046」を観た。
「その不思議な未来(2046)では、ミストリートレインが動き出し、アンドロイドが恋に落ちる。」
「2046、全世界衝撃の、近未来ラブストーリー」
先ずは、ウォン・カーウァイが誰でクリストファー・ドイルが何をしている人かを知らないような観客を「2046」に呼び込んだブエナビスタの広告宣伝手腕に脱帽である。
「2046」公開前、多くの映画ファンの間では、ウォン・カーウァイの「2046」を、木村拓哉とSFテイストを前面に押し出した戦略の下、全国拡大ロードショー公開することに対する危惧の声があがっていた。
勿論、ウォン・カーウァイの作家性や過去の作品、またはクリストファー・ドイルの撮影スタイルについて幾許かの知識を持っている観客を劇場に呼ぶのは構わないのだが、全くウォン・カーウァイやクリストフォー・ドイルを知らないような一般の観客に対して、ある意味「騙し(ミスデレクション)」とも言える広告宣伝を打ち、何も知らない素人の客を呼ぶ、と言うのはいかがなものか、と思う訳だ。
最近では「キル・ピル」や「マスター・アンド・コマンダー」、「ロード・オブ・ザ・リング」、「リディック」等で、隠された意図の下、作品の内容や前提を歪曲する傾向を持った、広告宣伝が行われている。
これは、一映画配給会社の刹那的な増益に繋がるのかも知れないが、映画業界全体にとっては、決して良いことではないのだ。結局は自分で自分の首を絞めているのに他ならない。
「あんなに宣伝している話題作なのに、なんでこんなにつまらないんだ」
「話題作でこんなにつまらないんだったら、他の作品は最悪につまらないに違いない」
「もう劇場なんかに行かない」
そう思う観客の何と多い事よ。
事実、ウォン・カーウァイの作品を知らずに、「格好良い近未来SFラブロマンス」を期待して劇場に足を運んだ観客にとって本作は、最低につまらない、何も起きない映画として評価されてしまい、もう二度とウォン・カーウァイ作品なんか観ない、という事にもなってしまうかも知れないのだ。
ちょっとは映画業界全体の将来のことも考えてくれよ、配給会社さんよ。
=+=+=+=+=+=+=
1967年 香港。
新聞記者から物書きへ転向したチャウ(トニー・レオン)は、これまで何人もの女たちと刹那的な情愛を繰り返していた。
ある日、チャウがシンガポールに滞在していた時代に交流のあった女性スー・リーチェン(コン・リー)と香港で再会したチャウは、彼女の宿泊先を訪ね、旧交を温めようとするが追い返されてしまう。彼女はそのホテルの「2046」号室に宿泊していた。
後日、チャウはそのホテルの「2046」号室に住み込もうとオーナー(ウォン・サム)を訪ねるが、「2046」号室は改装工事のため入る事が出来ず、チャウは隣の「2047」号室に住む事になる。部屋の改装はスー・リーチェンが「2046」号室で死んだ事によるものだった。
ホテルのオーナーの娘ジンウェン(フェイ・ウォン)は、日本人青年(木村拓哉)と恋をし、妹のジーウェン(ドン・ジェ)は、チャウの部屋に入り浸る。そして「2046」号室にはバイ・リン(チャン・ツィイー)が越して来た。
チャウは身の回りの実在の人物をモデルに、近未来小説「2046」の執筆をはじめるが・・・・。
監督・脚本・製作:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
音楽:梅林茂
出演:トニー・レオン、木村拓哉、コン・リー、フェイ・ウォン、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、チャン・チェン、マギー・チャン、ドン・ジェ
先ずはアジアが誇る豪華な俳優人の素晴らしい存在感に脱帽なのである。
最近、キラキラでブレブレの映像ではなく、フィックスのシックな画面が多くなってきたクリストファー・ドイルが二次元に切り取る映像の中、何もしなくても、ただ佇んでいるだけで、1分でも2分でも持たせられる俳優たちの力量、表情と身体全体から醸し出される雰囲気や空気、それだけを見ているだけでも至福の時間を過ごす事が出来る。
しかしながら、本作「2046」のように、大きな出来事が起きず、テンポがのろい作風は、派手でスピーディーな展開を好む観客にはあまりにも退屈で、はっきり言って苦痛なものかも知れない。
とは言うものの、俳優たちの演技やクリストファー・ドイルが切り取る映像を、絵画のように楽しむファンにとっては、本作「2046」は、細部に神が宿る素晴らしい絵の数々を楽しめる作品と言えるのだ。
特にトニー・レオンの甘い微笑には、女性でなくとも蕩かされてしまう。またフェイ・ウォンの陶磁器のような美しさと可憐な動き、チャン・ツィイーの勝ち気でいながら最後に見せる心の線の細さ、出番は少ないものの、ドン・ジェの瑞々しさ、そしてコン・リーの刹那的な様。どれをとっても、一幅の絵画に匹敵する、美術品、工芸品のような輝きを放つ素晴らしい演技の釣瓶打ちなのだ。
そして、1960年代を見事に再現するウィリアム・チョンの素晴らしい美術とクリストファー・ドイルの素晴らしい撮影。なんとも贅沢なのだ。
日本期待の木村拓哉は、いつものドラマの調子で良い所は特に無い。ナレーションもグタグタだし日本語台詞もまずい。ついでにアップの画が持たないのだ。また日本語がわかるダイアログ・エディタがいなかったのか、木村拓哉がセリフを噛んでいる音声がそのまま使われていたのが気になった。
音楽(梅林茂)は、オーケストレーションも美しく、多くの観客の心の琴線に触れることには成功しているのだが、残念ながら本作のメイン・タイトルは「レオン」のそれとあまりにも似ているのが残念である。
また、クレジットが格好良かった。
オープニングは、「スーパーマン」ミート市川崑と言った印象を受けるし、エンド・クレジットは、テキストの横移動が良い。余裕が無く、ポンポン変わる所は微妙だが、細かいところにも力を入れているようである。
物語は、ウォン・カーウァイの「花様年華」の後日談的な構成になっており、一部では堂々と「続編」と断言しているようである。愛を信じない男チャウの現実世界と精神世界の旅路の物語で、現実と虚構が入り混じり、時系列も入替わり、冒頭部分のカットがラストに登場し、壮大なロマン的な印象をも受けるが、伏線が上手く機能していないような残念な印象も受けた。
「カンヌ国際映画祭」の後、再編集を行い木村拓哉の登場カットを増やしたらしいが、木村拓哉の同一のカットが複数回使用されており、ケチったのか、と思う反面、本作のテーマ性を伏線として明確に描こうとする手法にも見えていた。
とにかく、本作「2046」は独特の作風で既にカルトなファンを獲得したウォン・カーウァイの最新作で、クリストファー・ドイルが切り取る数々の映像を一幅の絵画のように楽しみ、また俳優たちの素晴らしい演技と雰囲気や空気を堪能する、ある意味贅沢な作品に仕上がっている。(時間的にも贅沢だ)
観客を選ぶ作品だと思うが、機会があれば観ておけば、いろいろ役に立つのではないか、と思う。
=+=+=+=+=+=
余談だが、ウォン・カーウァイは、もしかするとデヴィッド・リンチのように解釈し、評価すべき作家なのかもしれない。
☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
「その不思議な未来(2046)では、ミストリートレインが動き出し、アンドロイドが恋に落ちる。」
「2046、全世界衝撃の、近未来ラブストーリー」
先ずは、ウォン・カーウァイが誰でクリストファー・ドイルが何をしている人かを知らないような観客を「2046」に呼び込んだブエナビスタの広告宣伝手腕に脱帽である。
「2046」公開前、多くの映画ファンの間では、ウォン・カーウァイの「2046」を、木村拓哉とSFテイストを前面に押し出した戦略の下、全国拡大ロードショー公開することに対する危惧の声があがっていた。
勿論、ウォン・カーウァイの作家性や過去の作品、またはクリストファー・ドイルの撮影スタイルについて幾許かの知識を持っている観客を劇場に呼ぶのは構わないのだが、全くウォン・カーウァイやクリストフォー・ドイルを知らないような一般の観客に対して、ある意味「騙し(ミスデレクション)」とも言える広告宣伝を打ち、何も知らない素人の客を呼ぶ、と言うのはいかがなものか、と思う訳だ。
最近では「キル・ピル」や「マスター・アンド・コマンダー」、「ロード・オブ・ザ・リング」、「リディック」等で、隠された意図の下、作品の内容や前提を歪曲する傾向を持った、広告宣伝が行われている。
これは、一映画配給会社の刹那的な増益に繋がるのかも知れないが、映画業界全体にとっては、決して良いことではないのだ。結局は自分で自分の首を絞めているのに他ならない。
「あんなに宣伝している話題作なのに、なんでこんなにつまらないんだ」
「話題作でこんなにつまらないんだったら、他の作品は最悪につまらないに違いない」
「もう劇場なんかに行かない」
そう思う観客の何と多い事よ。
事実、ウォン・カーウァイの作品を知らずに、「格好良い近未来SFラブロマンス」を期待して劇場に足を運んだ観客にとって本作は、最低につまらない、何も起きない映画として評価されてしまい、もう二度とウォン・カーウァイ作品なんか観ない、という事にもなってしまうかも知れないのだ。
ちょっとは映画業界全体の将来のことも考えてくれよ、配給会社さんよ。
=+=+=+=+=+=+=
1967年 香港。
新聞記者から物書きへ転向したチャウ(トニー・レオン)は、これまで何人もの女たちと刹那的な情愛を繰り返していた。
ある日、チャウがシンガポールに滞在していた時代に交流のあった女性スー・リーチェン(コン・リー)と香港で再会したチャウは、彼女の宿泊先を訪ね、旧交を温めようとするが追い返されてしまう。彼女はそのホテルの「2046」号室に宿泊していた。
後日、チャウはそのホテルの「2046」号室に住み込もうとオーナー(ウォン・サム)を訪ねるが、「2046」号室は改装工事のため入る事が出来ず、チャウは隣の「2047」号室に住む事になる。部屋の改装はスー・リーチェンが「2046」号室で死んだ事によるものだった。
ホテルのオーナーの娘ジンウェン(フェイ・ウォン)は、日本人青年(木村拓哉)と恋をし、妹のジーウェン(ドン・ジェ)は、チャウの部屋に入り浸る。そして「2046」号室にはバイ・リン(チャン・ツィイー)が越して来た。
チャウは身の回りの実在の人物をモデルに、近未来小説「2046」の執筆をはじめるが・・・・。
監督・脚本・製作:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
音楽:梅林茂
出演:トニー・レオン、木村拓哉、コン・リー、フェイ・ウォン、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、チャン・チェン、マギー・チャン、ドン・ジェ
先ずはアジアが誇る豪華な俳優人の素晴らしい存在感に脱帽なのである。
最近、キラキラでブレブレの映像ではなく、フィックスのシックな画面が多くなってきたクリストファー・ドイルが二次元に切り取る映像の中、何もしなくても、ただ佇んでいるだけで、1分でも2分でも持たせられる俳優たちの力量、表情と身体全体から醸し出される雰囲気や空気、それだけを見ているだけでも至福の時間を過ごす事が出来る。
しかしながら、本作「2046」のように、大きな出来事が起きず、テンポがのろい作風は、派手でスピーディーな展開を好む観客にはあまりにも退屈で、はっきり言って苦痛なものかも知れない。
とは言うものの、俳優たちの演技やクリストファー・ドイルが切り取る映像を、絵画のように楽しむファンにとっては、本作「2046」は、細部に神が宿る素晴らしい絵の数々を楽しめる作品と言えるのだ。
特にトニー・レオンの甘い微笑には、女性でなくとも蕩かされてしまう。またフェイ・ウォンの陶磁器のような美しさと可憐な動き、チャン・ツィイーの勝ち気でいながら最後に見せる心の線の細さ、出番は少ないものの、ドン・ジェの瑞々しさ、そしてコン・リーの刹那的な様。どれをとっても、一幅の絵画に匹敵する、美術品、工芸品のような輝きを放つ素晴らしい演技の釣瓶打ちなのだ。
そして、1960年代を見事に再現するウィリアム・チョンの素晴らしい美術とクリストファー・ドイルの素晴らしい撮影。なんとも贅沢なのだ。
日本期待の木村拓哉は、いつものドラマの調子で良い所は特に無い。ナレーションもグタグタだし日本語台詞もまずい。ついでにアップの画が持たないのだ。また日本語がわかるダイアログ・エディタがいなかったのか、木村拓哉がセリフを噛んでいる音声がそのまま使われていたのが気になった。
音楽(梅林茂)は、オーケストレーションも美しく、多くの観客の心の琴線に触れることには成功しているのだが、残念ながら本作のメイン・タイトルは「レオン」のそれとあまりにも似ているのが残念である。
また、クレジットが格好良かった。
オープニングは、「スーパーマン」ミート市川崑と言った印象を受けるし、エンド・クレジットは、テキストの横移動が良い。余裕が無く、ポンポン変わる所は微妙だが、細かいところにも力を入れているようである。
物語は、ウォン・カーウァイの「花様年華」の後日談的な構成になっており、一部では堂々と「続編」と断言しているようである。愛を信じない男チャウの現実世界と精神世界の旅路の物語で、現実と虚構が入り混じり、時系列も入替わり、冒頭部分のカットがラストに登場し、壮大なロマン的な印象をも受けるが、伏線が上手く機能していないような残念な印象も受けた。
「カンヌ国際映画祭」の後、再編集を行い木村拓哉の登場カットを増やしたらしいが、木村拓哉の同一のカットが複数回使用されており、ケチったのか、と思う反面、本作のテーマ性を伏線として明確に描こうとする手法にも見えていた。
とにかく、本作「2046」は独特の作風で既にカルトなファンを獲得したウォン・カーウァイの最新作で、クリストファー・ドイルが切り取る数々の映像を一幅の絵画のように楽しみ、また俳優たちの素晴らしい演技と雰囲気や空気を堪能する、ある意味贅沢な作品に仕上がっている。(時間的にも贅沢だ)
観客を選ぶ作品だと思うが、機会があれば観ておけば、いろいろ役に立つのではないか、と思う。
=+=+=+=+=+=
余談だが、ウォン・カーウァイは、もしかするとデヴィッド・リンチのように解釈し、評価すべき作家なのかもしれない。
☆☆☆ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
コメント