2004/11/16 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS六本木ヒルズ プレミアスクリーン」で「ハウルの動く城」の試写を観た。
愛国主義全盛の時代。王国の兵士たちが今まさに、戦地に赴こうとしている。銃には花が飾られ、歓呼の中を行進する兵士たち。荒地には、美女の心臓をとって喰らうという魔法使い、ハウルの動く城まで現れた。
そんな町から離れて歩く、ひとりの少女がいた。ソフィー(倍賞千恵子)は18才。荒地の裾野に広がる町で生まれ育ち、亡き父の残した帽子屋を切り盛りしている。妹のレティーは八方美人で人当たりも良く、街一番のカフェ、チェザーリの看板娘。ソフィーは妹に言われる。「本当に帽子屋になりたいの?」でも、生真面目なソフィーはコツコツと働くしかない。たまにひとりになると、自分が本当になにをやりたいのか、考えてしまう娘だった。
ソフィーはある日、街で美貌の青年・ハウル(木村拓哉)と出会う。追われているらしい青年は、ソフィーと共に天へ舞い上がったかと思うと、束の間の空中散歩にいざなう。夢のような出来事に心を奪われるソフィー。
しかしその夜、ソフィーは、荒地の魔女(美輪明宏)に呪いをかけられ、90才のおばあちゃんに姿を変えられてしまう。このままでは家にはいられない!ソフィーは荷物をまとめ、人里離れた荒地を目指すのだが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
脚本・監督:宮崎駿
音楽:久石譲
声の出演:倍賞千恵子(ソフィー)、木村拓哉(ハウル)、美輪明宏(荒地の魔女)、我修院達也(カルシファー)、神木隆之介(マルクル)、伊崎充則(小姓)、大泉洋(かかしのカブ)、大塚明夫(国王)、原田大二郎(ヒン)、加藤治子(サリマン)
本作「ハウルの動く城」は、「千と千尋の神隠し」から3年、世界中が待ちわびる宮崎駿の最新作であり、一言で言うならば全世界必見の素晴らしいファンタジー作品に仕上がっている。
その卓越した世界観は「天空の城ラピュタ」「紅の豚」「魔女の宅急便」等でも描かれたような、石畳が感じられるヨーロッパ某国の街並み。その色彩は豊かで美しく、陽光の暖かさが確かに感じられる世界観を見事に構築している。
「もののけ姫」以降のスタジオ・ジブリのワールド・ワイドな戦略を考えると、続く「千と千尋の神隠し」までの世界観は東洋的なテイストを前面に押し出し、「東洋の魅力」的戦略の下セールスしていた訳だが、本作の世界観は完全に西欧テイスト。しかもイギリスの著名な原作付きと言う事もあり、完全に世界をターゲットとして見据えた作品だと言えると同時に、世界に媚びている印象も感じられる。
全世界配給はディズニー系配給会社が行うと思うが、ヨーロッパで公開された場合、果たしてこの作品が日本製だと言う事を一般の観客が信じられるかどうか疑問に思えるほどの素晴らしい西欧文化的世界観が構築されている。
更に本作は、現在世界中で猛威を揮っている「ハリー・ポッター」シリーズへの対抗馬として十二分に機能すると言える。従来のファンタジー・ファンにとって「ハリー・ボッター」シリーズは、王道ではなく亜流的な釈然としない感想を持ってしまうのだが、本作はイギリス児童文学「魔法使いハウルと火の悪魔(1986)」を原作としている事もあり、決して新参者の亜流ファンタジー作品ではなく、背筋の伸びた誇り高き正統派ファンタジー作品である。と言う印象すら観客に与えている。
脚本は、原作を2時間にまとめるためか、急ぎ過ぎのきらいは否定できない。冒頭と×××と骨子は、ほぼ原作を踏襲し、原作を自己流に改変してしまう宮崎駿にしては素直な脚本と言える。
絵で物語る手腕は流石である。その力は、既にセリフなど要らない領域まで到達しているのだが、そう考えた場合、不必要で説明的なセリフが散見されるのが気になった。尤も、その説明的なセリフは、映画的文法を理解できない若年層への配慮だと思うのだが、大人の観客としてはちょっと残念な気がした。
キャストは何と言っても美輪明宏である。なんとも愛らしいキャラクターを見事に演じている。「もののけ姫」のモロとは対称的な意味だが美輪明宏は最高である。
また加藤治子のおっとり感も素晴らしい効果を本作に与えている。おっとり間の中の恐ろしさがもう少し出ていれば、と思った。
さて、話題の木村拓哉は、演技派に囲まれ、随分善戦している印象を受けた。部分部分のセリフには、ぎこちなさが散見されるが、概ね及第点だと言えよう。役者の声を聞く事に慣れていない観客にとっては、もしかしたら木村拓哉の声には聞こえないのではないか、と思う。「木村拓哉の声」の個性が無い分、物語に没頭できる印象を受けた。
本作を観て気付くのは、木村拓哉出演のドラマがまずいのは、脚本と演出のせいだ、と言う点である。確固とした脚本に確固とした演出をすれば、木村拓哉は役者としても一皮剥けるような印象を受けた。個人的には「あすなろ白書」の際、あぁジャニーズからも良い役者が出てきたな、と思ったのだが、それ以降は完全に「ドリフのもしもシリーズ(※)」になってしまっている。
いつまでも「ドリフのもしもシリーズ」を演じている訳にはいかない、と思うのだ。
倍賞千恵子も良いのだが、脚本上、自らの心情を敢えて口にする独白的なセリフが散見され、その辺に疑問を感じる。最早心の動きを言葉に出す必要性は無いのだ。やはりこれは若年層への配慮なのだろうか。尤もこれは図らずもおばあちゃんになってしまったソフィーが心の中だけで物事を考える事ができず、考えている事を我知らず口走ってしまうことを描写しているのかも知れないのだが。
我修院達也は前作「千と千尋の神隠し」に続く登用である。彼は前作以上に大きな役柄を楽しげに演じているようだ。この役柄は本作の中で唯一と言って良いほどの漫画的キャラクターであり、他のキャストと異なるテンションの演技を要求されている。一歩間違えば物語全体を破壊してしまう可能性を秘めているが、ハイテンションながら抑制された演技は、他のキャラクターとのバランスを微妙に保っている。
また、神木隆之介にも驚かされた。彼も「千と千尋の神隠し」に続いての参加なのだが、日本映画界では「観客を泣かしたいなら神木隆之介を使え」と言われているらしいが、本作でも素晴らしい演技を見せている。
大泉洋も同様に「千と千尋の神隠し」に引き続いての参加なのだが、セリフが少なく個人的には残念な気がした。
気になる内容については、公開後にレビューの予定。
=+=+=+=
プリントのせいなのか映写上の問題なのか、ピントが甘いカットがあった。巻全体がピンボケではなく、ピントが甘いカットが時々出てくるのだ。
まさかTOHOの名前がついた劇場に不良プリントが来る事は無いと思うのだが・・・・。
要確認なのだ。
=+=+=+=
※「ドリフのもしもシリーズ」
「もしも木村拓哉がパイロットだったら・・・・」
「もしも木村拓哉がピアニストだったら・・・・」
「もしも木村拓哉が・・・・」
というような印象を受ける作品群のことを指しています。
=+=+=+=+=
☆☆☆★ (☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)
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愛国主義全盛の時代。王国の兵士たちが今まさに、戦地に赴こうとしている。銃には花が飾られ、歓呼の中を行進する兵士たち。荒地には、美女の心臓をとって喰らうという魔法使い、ハウルの動く城まで現れた。
そんな町から離れて歩く、ひとりの少女がいた。ソフィー(倍賞千恵子)は18才。荒地の裾野に広がる町で生まれ育ち、亡き父の残した帽子屋を切り盛りしている。妹のレティーは八方美人で人当たりも良く、街一番のカフェ、チェザーリの看板娘。ソフィーは妹に言われる。「本当に帽子屋になりたいの?」でも、生真面目なソフィーはコツコツと働くしかない。たまにひとりになると、自分が本当になにをやりたいのか、考えてしまう娘だった。
ソフィーはある日、街で美貌の青年・ハウル(木村拓哉)と出会う。追われているらしい青年は、ソフィーと共に天へ舞い上がったかと思うと、束の間の空中散歩にいざなう。夢のような出来事に心を奪われるソフィー。
しかしその夜、ソフィーは、荒地の魔女(美輪明宏)に呪いをかけられ、90才のおばあちゃんに姿を変えられてしまう。このままでは家にはいられない!ソフィーは荷物をまとめ、人里離れた荒地を目指すのだが・・・・。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
脚本・監督:宮崎駿
音楽:久石譲
声の出演:倍賞千恵子(ソフィー)、木村拓哉(ハウル)、美輪明宏(荒地の魔女)、我修院達也(カルシファー)、神木隆之介(マルクル)、伊崎充則(小姓)、大泉洋(かかしのカブ)、大塚明夫(国王)、原田大二郎(ヒン)、加藤治子(サリマン)
本作「ハウルの動く城」は、「千と千尋の神隠し」から3年、世界中が待ちわびる宮崎駿の最新作であり、一言で言うならば全世界必見の素晴らしいファンタジー作品に仕上がっている。
その卓越した世界観は「天空の城ラピュタ」「紅の豚」「魔女の宅急便」等でも描かれたような、石畳が感じられるヨーロッパ某国の街並み。その色彩は豊かで美しく、陽光の暖かさが確かに感じられる世界観を見事に構築している。
「もののけ姫」以降のスタジオ・ジブリのワールド・ワイドな戦略を考えると、続く「千と千尋の神隠し」までの世界観は東洋的なテイストを前面に押し出し、「東洋の魅力」的戦略の下セールスしていた訳だが、本作の世界観は完全に西欧テイスト。しかもイギリスの著名な原作付きと言う事もあり、完全に世界をターゲットとして見据えた作品だと言えると同時に、世界に媚びている印象も感じられる。
全世界配給はディズニー系配給会社が行うと思うが、ヨーロッパで公開された場合、果たしてこの作品が日本製だと言う事を一般の観客が信じられるかどうか疑問に思えるほどの素晴らしい西欧文化的世界観が構築されている。
更に本作は、現在世界中で猛威を揮っている「ハリー・ポッター」シリーズへの対抗馬として十二分に機能すると言える。従来のファンタジー・ファンにとって「ハリー・ボッター」シリーズは、王道ではなく亜流的な釈然としない感想を持ってしまうのだが、本作はイギリス児童文学「魔法使いハウルと火の悪魔(1986)」を原作としている事もあり、決して新参者の亜流ファンタジー作品ではなく、背筋の伸びた誇り高き正統派ファンタジー作品である。と言う印象すら観客に与えている。
脚本は、原作を2時間にまとめるためか、急ぎ過ぎのきらいは否定できない。冒頭と×××と骨子は、ほぼ原作を踏襲し、原作を自己流に改変してしまう宮崎駿にしては素直な脚本と言える。
絵で物語る手腕は流石である。その力は、既にセリフなど要らない領域まで到達しているのだが、そう考えた場合、不必要で説明的なセリフが散見されるのが気になった。尤も、その説明的なセリフは、映画的文法を理解できない若年層への配慮だと思うのだが、大人の観客としてはちょっと残念な気がした。
キャストは何と言っても美輪明宏である。なんとも愛らしいキャラクターを見事に演じている。「もののけ姫」のモロとは対称的な意味だが美輪明宏は最高である。
また加藤治子のおっとり感も素晴らしい効果を本作に与えている。おっとり間の中の恐ろしさがもう少し出ていれば、と思った。
さて、話題の木村拓哉は、演技派に囲まれ、随分善戦している印象を受けた。部分部分のセリフには、ぎこちなさが散見されるが、概ね及第点だと言えよう。役者の声を聞く事に慣れていない観客にとっては、もしかしたら木村拓哉の声には聞こえないのではないか、と思う。「木村拓哉の声」の個性が無い分、物語に没頭できる印象を受けた。
本作を観て気付くのは、木村拓哉出演のドラマがまずいのは、脚本と演出のせいだ、と言う点である。確固とした脚本に確固とした演出をすれば、木村拓哉は役者としても一皮剥けるような印象を受けた。個人的には「あすなろ白書」の際、あぁジャニーズからも良い役者が出てきたな、と思ったのだが、それ以降は完全に「ドリフのもしもシリーズ(※)」になってしまっている。
いつまでも「ドリフのもしもシリーズ」を演じている訳にはいかない、と思うのだ。
倍賞千恵子も良いのだが、脚本上、自らの心情を敢えて口にする独白的なセリフが散見され、その辺に疑問を感じる。最早心の動きを言葉に出す必要性は無いのだ。やはりこれは若年層への配慮なのだろうか。尤もこれは図らずもおばあちゃんになってしまったソフィーが心の中だけで物事を考える事ができず、考えている事を我知らず口走ってしまうことを描写しているのかも知れないのだが。
我修院達也は前作「千と千尋の神隠し」に続く登用である。彼は前作以上に大きな役柄を楽しげに演じているようだ。この役柄は本作の中で唯一と言って良いほどの漫画的キャラクターであり、他のキャストと異なるテンションの演技を要求されている。一歩間違えば物語全体を破壊してしまう可能性を秘めているが、ハイテンションながら抑制された演技は、他のキャラクターとのバランスを微妙に保っている。
また、神木隆之介にも驚かされた。彼も「千と千尋の神隠し」に続いての参加なのだが、日本映画界では「観客を泣かしたいなら神木隆之介を使え」と言われているらしいが、本作でも素晴らしい演技を見せている。
大泉洋も同様に「千と千尋の神隠し」に引き続いての参加なのだが、セリフが少なく個人的には残念な気がした。
気になる内容については、公開後にレビューの予定。
=+=+=+=
プリントのせいなのか映写上の問題なのか、ピントが甘いカットがあった。巻全体がピンボケではなく、ピントが甘いカットが時々出てくるのだ。
まさかTOHOの名前がついた劇場に不良プリントが来る事は無いと思うのだが・・・・。
要確認なのだ。
=+=+=+=
※「ドリフのもしもシリーズ」
「もしも木村拓哉がパイロットだったら・・・・」
「もしも木村拓哉がピアニストだったら・・・・」
「もしも木村拓哉が・・・・」
というような印象を受ける作品群のことを指しています。
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