「風のファイター(韓国公開バージョン)」
2004年11月8日 映画
2004/10/27 東京六本木
「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ SCREEN 7」
「第17回東京国際映画祭」コンペティション
「風のファイター(韓国公開バージョン)」を観た。
本作「風のファイター(韓国公開バージョン)」は、極真空手の創始者、大山倍達を主人公とした韓国の同名ベストセラー劇画を原作とした韓国映画である。
大山倍達を主人公とした劇画と言えば、日本では「空手バカ一代」(梶原一騎原作、つのだじろう画)が有名なのだが、本作は「空手バカ一代」で一切語られていない、「大山倍達は朝鮮人だった」という点を真向から描いている。
因みに、大山倍達のオフィシャル・サイトでも、この点には触れていないし、本作「風のファイター」に関する情報も一切掲載されていない。
尤も「大山倍達は朝鮮人だった」事を描くのは、本作が韓国映画である以上、当然の事なのだが、必然的に本作は朝鮮人チェ・ベダル(大山倍達)が日本格闘界を席巻する様を描いており、大山倍達のことを当り前のように日本人だと思っている多くの日本人にとっては衝撃的な内容を含んだ作品であると言える。
また、物語の構成上必然的に、朝鮮人が日本の武道家たちをこてんぱんにやっつける姿を描いている本作は、韓国の日本に対する国民感情を代弁した作品だと捉える事も出来るし、国際問題にまで発展する危惧を内包した作品である、と解釈する事も可能なのだ。
日本では前述のように、30歳代以上の男性の多くは大山倍達は日本が世界に誇る英雄である、と当然の如く考えており、事実、上映後、監督のヤン・ユノ、キャストの加藤雅也を迎えて行われたティーチ・インでは、30歳代と思われる日本人男性が「大山倍達は日本では、日本人だと思われている点を知った上でこの作品を作ったのか?」という語意の質問を発し、ヤン・ユノの答え方次第によっては、本当に国際問題にもなりかねない空気が開場を包んでいた。
ヤン・ユノは、現在の韓国では「大山倍達は韓国の英雄だ」と言う人がいる反面「大山倍達は祖国を捨てた男だ」と言う人もいる、と答えつつ「大山倍達は両国の英雄であり、両国の架け橋である」的発言をしていた。
さて前置きが長かったが、本作「風のファイター」について考えてみよう。
キャストは、先ず主演のヤン・ドングン(チェ・ペダル/大山倍達)だが、一本筋が通りながらも謙虚で控え目な熱血青年チェ・ベダルを見事に演じている。朴訥でダサイ青年ペダルと、強くて格好良い青年ペダルが共存する役柄を好演しているのだ。
しかし、韓国の劇画を原作にしていると言っても、そのルックスはどう見ても、つのだじろうが描く「空手バカ一代」のイメージそのものである。何しろ添付した画像とヤン・ドングンのチェ・ペダルはそっくりなのだ。
また、ペダルのライバルで日本空手界の雄加藤を演じる加藤雅也は、非常に良い味を出している。ベダルが仮に「熱い炎」ならば加藤は「冷たい炎」、ペダルが「汚くてダサイ」ならば加藤は「美しく洗練されている」という感じの対比が素晴らしい。
一方ヒロイン平山あやは微妙である。頑張っているのだとは思うが、彼女が演じているはずの1940年頃の芸者さんには、少なくても見えなかった。まるで現代のお嬢さんなのだ。映画と言う魔法が効力を失う瞬間である。因みに、監督も平山あやへの演技指導には苦労したと語っていた。(なだめ、すかし、怒り、おだて・・・・)
期待のアクション・シーンは残念ながら、中途半端な印象を受けた。ペダルはご存知のように、日本中の著名な道場の教えを請う、所謂「道場破り」をするのだが、その「道場破り」シークエンスのアクション・シーンの尺が短く、フルコンタクトの打撃系バトル・シーンが次々と展開されるのを期待するわたしにとっては残念至極なのだ。
勿論後年極真空手となるフルコンタクトの一撃必殺打撃の描写は壮絶で、ある意味リアルと言えばリアルなのだが、アクション好きが求めるものではなかった。という事である。勿論、これは監督の狙いかも知れない・・・・。
また、「空手バカ一代」でおなじみの、山篭りの眉毛剃りや、決闘で人を殺してしまう話、牛殺し等が映像化されているのは好感が持てるし、道場を破りまくるところは前述のようにアクションはともかく、物語としての描き方は上手かった。
更に「道場破り」を行うペダルの謙虚な姿に好感が持てた。所謂「たのも〜!」的高圧的な「道場破り」ではなく、あくまでも「教えを請う」形の「道場破り」なのである。慇懃無礼でもないのだ。
そして、一番の見せ場である加藤とペダルの戦いは、緊張感溢れる良いものに仕上がっていたと思うのだが、やはり演出・編集的に若干ごまかしが入っているような印象も同時に受けた。
加藤の取巻きのの一人沖田(?)とペダルの戦いはアクション指数はともかく、壮絶で本作の一番の見せ場になっている。決闘の後ペダルが訪れる沖田邸でのシークエンスもペダルの人となりを語る上で素晴らしい印象を受けた。ロケ地は合掌造りが残されている合掌集落(岐阜?)フィルム・コミッションがクレジットされていた。
脚本は、加藤とペダルを宿命のライバルととらえ、宿命の対決にいたる過程と、ペダルと芸者(平山あや)や友人たちとの関係を絡めた構成になっており、一部、時代背景を大きなうねりとして描いてはいるのだが、如何せん舞台は日本、本作は韓国映画と言うこともあり、歴史的事件に翻弄される登場人物、といったところまでは描けてなかった。
とは言うものの、時代考証から美術については大変素晴らしく、気になる点が無いと言えば嘘になるが、韓国人が構築した1940年頃の日本の情景には驚かされてしまう。美術は素晴らしい仕事をしている。
また、姫路城等多くの史跡できちんとロケを行っているし、クレジットを見る限りは、いくつかのフィルム・コミッション、多くの極真系道場の協力を得ているようで、その辺の日本映画より、よっぽど日本が描けているのではないかと思う。
ところで、極真道場の協力を得ているという事は、極真サイドとして、大山倍達は朝鮮人だったと認めているのだろうか。謎なのだ。
余談だが山田洋次の「隠し剣 鬼の爪」もいくつかのフィルム・コミッションの協力を得てロケが行われており、上映後のティーチ・インにもフィルム・コミッション関係者が客席におり、映画を誘致するサイドからの質問が出ていた。
さて本作「風のファイター」は、「空手バカ一代」好きには、いろいろな意味で是非観ていただきたい作品であるし、韓国が考える日本の姿を見る上でも十分意義のある作品に仕上がっていると思うのだ。
=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=
余談だが、当日は監督:ヤン・ユノ、キャスト:ヤン・ドングン、加藤雅也を迎えてのティーチ・インの予定だったのだが、来年兵役を控えているヤン・ドングンに対するビザの発給に時間がかかり、ヤン・ドングンの来日が遅れたと言うことであった。
最近、韓国俳優の兵役逃れ問題もクローズ・アップされているが、日本と韓国は地理的には非常に近いが実際は遠い国だと思わされた。日本へは韓国の様々な文化や情報が紹介されているが、兵役予定者に対するビザ発給の問題に接し、われわれの知らない韓国の一面を垣間見たような印象を受けた。
「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ SCREEN 7」
「第17回東京国際映画祭」コンペティション
「風のファイター(韓国公開バージョン)」を観た。
本作「風のファイター(韓国公開バージョン)」は、極真空手の創始者、大山倍達を主人公とした韓国の同名ベストセラー劇画を原作とした韓国映画である。
大山倍達を主人公とした劇画と言えば、日本では「空手バカ一代」(梶原一騎原作、つのだじろう画)が有名なのだが、本作は「空手バカ一代」で一切語られていない、「大山倍達は朝鮮人だった」という点を真向から描いている。
因みに、大山倍達のオフィシャル・サイトでも、この点には触れていないし、本作「風のファイター」に関する情報も一切掲載されていない。
尤も「大山倍達は朝鮮人だった」事を描くのは、本作が韓国映画である以上、当然の事なのだが、必然的に本作は朝鮮人チェ・ベダル(大山倍達)が日本格闘界を席巻する様を描いており、大山倍達のことを当り前のように日本人だと思っている多くの日本人にとっては衝撃的な内容を含んだ作品であると言える。
また、物語の構成上必然的に、朝鮮人が日本の武道家たちをこてんぱんにやっつける姿を描いている本作は、韓国の日本に対する国民感情を代弁した作品だと捉える事も出来るし、国際問題にまで発展する危惧を内包した作品である、と解釈する事も可能なのだ。
日本では前述のように、30歳代以上の男性の多くは大山倍達は日本が世界に誇る英雄である、と当然の如く考えており、事実、上映後、監督のヤン・ユノ、キャストの加藤雅也を迎えて行われたティーチ・インでは、30歳代と思われる日本人男性が「大山倍達は日本では、日本人だと思われている点を知った上でこの作品を作ったのか?」という語意の質問を発し、ヤン・ユノの答え方次第によっては、本当に国際問題にもなりかねない空気が開場を包んでいた。
ヤン・ユノは、現在の韓国では「大山倍達は韓国の英雄だ」と言う人がいる反面「大山倍達は祖国を捨てた男だ」と言う人もいる、と答えつつ「大山倍達は両国の英雄であり、両国の架け橋である」的発言をしていた。
さて前置きが長かったが、本作「風のファイター」について考えてみよう。
キャストは、先ず主演のヤン・ドングン(チェ・ペダル/大山倍達)だが、一本筋が通りながらも謙虚で控え目な熱血青年チェ・ベダルを見事に演じている。朴訥でダサイ青年ペダルと、強くて格好良い青年ペダルが共存する役柄を好演しているのだ。
しかし、韓国の劇画を原作にしていると言っても、そのルックスはどう見ても、つのだじろうが描く「空手バカ一代」のイメージそのものである。何しろ添付した画像とヤン・ドングンのチェ・ペダルはそっくりなのだ。
また、ペダルのライバルで日本空手界の雄加藤を演じる加藤雅也は、非常に良い味を出している。ベダルが仮に「熱い炎」ならば加藤は「冷たい炎」、ペダルが「汚くてダサイ」ならば加藤は「美しく洗練されている」という感じの対比が素晴らしい。
一方ヒロイン平山あやは微妙である。頑張っているのだとは思うが、彼女が演じているはずの1940年頃の芸者さんには、少なくても見えなかった。まるで現代のお嬢さんなのだ。映画と言う魔法が効力を失う瞬間である。因みに、監督も平山あやへの演技指導には苦労したと語っていた。(なだめ、すかし、怒り、おだて・・・・)
期待のアクション・シーンは残念ながら、中途半端な印象を受けた。ペダルはご存知のように、日本中の著名な道場の教えを請う、所謂「道場破り」をするのだが、その「道場破り」シークエンスのアクション・シーンの尺が短く、フルコンタクトの打撃系バトル・シーンが次々と展開されるのを期待するわたしにとっては残念至極なのだ。
勿論後年極真空手となるフルコンタクトの一撃必殺打撃の描写は壮絶で、ある意味リアルと言えばリアルなのだが、アクション好きが求めるものではなかった。という事である。勿論、これは監督の狙いかも知れない・・・・。
また、「空手バカ一代」でおなじみの、山篭りの眉毛剃りや、決闘で人を殺してしまう話、牛殺し等が映像化されているのは好感が持てるし、道場を破りまくるところは前述のようにアクションはともかく、物語としての描き方は上手かった。
更に「道場破り」を行うペダルの謙虚な姿に好感が持てた。所謂「たのも〜!」的高圧的な「道場破り」ではなく、あくまでも「教えを請う」形の「道場破り」なのである。慇懃無礼でもないのだ。
そして、一番の見せ場である加藤とペダルの戦いは、緊張感溢れる良いものに仕上がっていたと思うのだが、やはり演出・編集的に若干ごまかしが入っているような印象も同時に受けた。
加藤の取巻きのの一人沖田(?)とペダルの戦いはアクション指数はともかく、壮絶で本作の一番の見せ場になっている。決闘の後ペダルが訪れる沖田邸でのシークエンスもペダルの人となりを語る上で素晴らしい印象を受けた。ロケ地は合掌造りが残されている合掌集落(岐阜?)フィルム・コミッションがクレジットされていた。
脚本は、加藤とペダルを宿命のライバルととらえ、宿命の対決にいたる過程と、ペダルと芸者(平山あや)や友人たちとの関係を絡めた構成になっており、一部、時代背景を大きなうねりとして描いてはいるのだが、如何せん舞台は日本、本作は韓国映画と言うこともあり、歴史的事件に翻弄される登場人物、といったところまでは描けてなかった。
とは言うものの、時代考証から美術については大変素晴らしく、気になる点が無いと言えば嘘になるが、韓国人が構築した1940年頃の日本の情景には驚かされてしまう。美術は素晴らしい仕事をしている。
また、姫路城等多くの史跡できちんとロケを行っているし、クレジットを見る限りは、いくつかのフィルム・コミッション、多くの極真系道場の協力を得ているようで、その辺の日本映画より、よっぽど日本が描けているのではないかと思う。
ところで、極真道場の協力を得ているという事は、極真サイドとして、大山倍達は朝鮮人だったと認めているのだろうか。謎なのだ。
余談だが山田洋次の「隠し剣 鬼の爪」もいくつかのフィルム・コミッションの協力を得てロケが行われており、上映後のティーチ・インにもフィルム・コミッション関係者が客席におり、映画を誘致するサイドからの質問が出ていた。
さて本作「風のファイター」は、「空手バカ一代」好きには、いろいろな意味で是非観ていただきたい作品であるし、韓国が考える日本の姿を見る上でも十分意義のある作品に仕上がっていると思うのだ。
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余談だが、当日は監督:ヤン・ユノ、キャスト:ヤン・ドングン、加藤雅也を迎えてのティーチ・インの予定だったのだが、来年兵役を控えているヤン・ドングンに対するビザの発給に時間がかかり、ヤン・ドングンの来日が遅れたと言うことであった。
最近、韓国俳優の兵役逃れ問題もクローズ・アップされているが、日本と韓国は地理的には非常に近いが実際は遠い国だと思わされた。日本へは韓国の様々な文化や情報が紹介されているが、兵役予定者に対するビザ発給の問題に接し、われわれの知らない韓国の一面を垣間見たような印象を受けた。
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