2004/10/24 東京六本木「VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ SCREEN 7」
「第17回東京国際映画祭」特別招待作品「海猫」を観た。
舞台挨拶は、監督の森田芳光、出演の伊東美咲、三田佳子。
東京の大学に通う野田美輝(ミムラ)は、フィアンセの高山修介(鳥羽潤)から、亡き母、野田薫(伊東美咲)をなじられ、一方的に婚約解消を告げられた。美輝はショックのあまり言葉が出なくなり、故郷の函館の病院に入院する。
心配する妹の美哉(蒼井優)にも美輝は婚約解消のいきさつを明かさなかったが、見舞いに訪れた祖母の野田タミ(三田佳子)に意を決し筆談で訊ねる。
「お母さんに、何があったの」「本当のことを教えて。お願い」
美輝の必死の表情に、初めてタミは、20年前、薫の身に起こった出来事について語り始めた。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
本作「海猫」は、伊東美咲の第一回主演作品であると共に、既に代表作と言える格を持った作品に仕上がっている。
不謹慎な発言だが、仮に伊東美咲が亡くなった後、彼女の代表作として確実に名が上がる作品に本作は仕上がっている、と言えよう。
尤も、昨今の娯楽作品を好む観客にとって、本作の脚本や演出、編集のリズムは、もしかすると退屈なものなのかも知れないし、本来このような作品では、一般的に物語の背景として、時代の大きなうねり(激動の時代背景)が描かれるものなのだが、本作「海猫」はそれを描かず、野田薫というひとりの女性の生涯にスポットを当て、野田タミ、野田薫、野田美輝という三代の野田家の女性たちの生き様を大河ドラマ仕立てではあるが淡々と描いている。
そして、映画女優伊東美咲を考えた場合、本作「海猫」を第一回主演作品とする上で幸運だったのは、今や話題作を続々と発表する森田芳光がメガホンを取った事、そして脇を固める豪華な俳優陣の存在、そして伊東美咲が演じる野田薫に集中的にフォーカスをあてた脚本、更には北海道函館近辺の方言によるセリフ回しが野田薫の性格とマッチし上手く機能している点などがあげられる。
また本作の伊東美咲からは、その儚げで刹那的な美貌と、物語の冒頭でもう既に亡くなってしまっている野田薫の生涯を振り返る形式の物語構成のため、かつての名女優夏目雅子の生涯を振り返っているかのような誤った映画的記憶を刺激される作品にも思えた。
キャストはなんと言っても伊東美咲である。各メディアを通じて話題になっている濡れ場の体当りの演技もさることながら、スタッフとキャスト全てが一丸となって、伊東美咲のために尽くしているのが感じられるし、北海道函館地方のつっけんどんで朴訥、下手をすると棒読み的なセリフ回しが彼女の演技を救っているのかも知れないが、性格的には主体性に乏しい女性を見事に演じきっている。
特に、佐藤浩市演じる赤木邦一との出会いの後、駐車場で交わす会話のシークエンスの所在無さげな印象が素晴らしい。
また美輝の出産シーンをはじめとして様々なシークエンスでの微妙な表情は見事である。
そして薫の生涯をフラッシュ・バックで見せられた日にゃあ、その激動の人生に感涙モノなのだ。
薫の夫、赤木邦一を演じた佐藤浩市も素晴らしい。
北海道南茅部町の閉鎖された漁村の中で、地元住民として馴れ合いながら生きていくしか術を持たない単純な男を好演している。
また邦一の弟で薫に憧れる赤木広次を演じた中村トオルも良い。泥沼にはまり、逃れられなくなっていく姿が美しくも悲しい。広次はキリスト教的背景を持ったキャラクターであり、マリアのメタファー薫を崇拝する役柄を演じている。
この辺りが、函館を舞台に選んだ所以なのかもしれない。
因みに、この三人は「LOVERS」の三人と印象が被るかもしれない。
薫の母タミを演じた三田佳子は物語の語り部として機能し、本作を描く上で必要不可欠な重鎮としての格と安心感を醸し出している。この映画を制作する上で、最も重要なキャラクターのひとりである。この重要なキャラクターを三田佳子が演じる、と言う事は、この映画にとって非常に幸運な出来事だったと思う。
物語の発端を作る薫の長女美輝を演じたミムラと、その妹美哉を演じた蒼井優は、最近ドラマや映画に出ずっぱりだが、役は小さいながら、印象に残る演技を見せてくれている。
また薫の姑で、邦一と広次の母赤木みさ子を演じた白石加代子も素晴らしい。優しい姑から怖い姑までを見事に演じ、三田佳子同様、映画に格と安心感を付与している。
薫の弟野田孝志を演じた深水元基はダメな男を好演しているし、小島聖演じる啓子は過去の映画的記憶を髣髴とさせ男を惑わす女性を好演している。
このように、本作「海猫」は、所謂演技派の俳優(女優)陣が顔を揃えた演技合戦も楽しめる素敵な作品なのである。
撮影(石川稔)は、若干カメラがガクガクしている感があるが、叙情的で寒々しい北海道の街並みを見事に切り取っている。またロケーション効果が高く良い仕事をしていると思うのだが、よくわからないカメラの動きが何度かあった。
特に崖から海を眺めるシーンにおけるカメラの行ったり来たりするドーリー移動の趣旨が良くわからなかった。
編集の田中愼二は、最近の森田作品は全て担当しており、最近の森田芳光のリズムは彼が作っている訳だ。
わたし的には濡れ場の見せ方が非常に上手いと思った。いろいろ問題があったのだろうと思うのだが、非常に官能的なカット割がされている。
またシーン変わりのつなぎのカットによる街並みの見せ方からの導入は、森田芳光の8mm映画や初期の商業映画の雰囲気が出ていたような気がした。
脚本(筒井ともみ)は、前述のように本来このような大河ドラマ的な作品は、大きな時代のうねりに翻弄される登場人物を描くのが順当なのだが、本作では大きなうねりを描かず、語弊があるが、大河ドラマにしては登場人物の周りだけを描いた小さな物話になっている。
その小さなドラマを楽しめるかどうかが、観客の評価の分岐点になるのではないかと思う。
本作「海猫」は、伊東美咲の濡れ場等々で話題の作品であるが、決してそれだけでは無く、俳優陣の重厚なドラマが楽しめる真摯で良心的な作品に仕上がっている。
娯楽大作を好む観客にはもしかしたら退屈な映画かも知れないが、現代のミューズ伊東美咲を楽しむ以外にも、実りがある作品に仕上がっている。是非観ていただきたい日本映画の一本なのだ。
「第17回東京国際映画祭」特別招待作品「海猫」を観た。
舞台挨拶は、監督の森田芳光、出演の伊東美咲、三田佳子。
東京の大学に通う野田美輝(ミムラ)は、フィアンセの高山修介(鳥羽潤)から、亡き母、野田薫(伊東美咲)をなじられ、一方的に婚約解消を告げられた。美輝はショックのあまり言葉が出なくなり、故郷の函館の病院に入院する。
心配する妹の美哉(蒼井優)にも美輝は婚約解消のいきさつを明かさなかったが、見舞いに訪れた祖母の野田タミ(三田佳子)に意を決し筆談で訊ねる。
「お母さんに、何があったの」「本当のことを教えて。お願い」
美輝の必死の表情に、初めてタミは、20年前、薫の身に起こった出来事について語り始めた。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
本作「海猫」は、伊東美咲の第一回主演作品であると共に、既に代表作と言える格を持った作品に仕上がっている。
不謹慎な発言だが、仮に伊東美咲が亡くなった後、彼女の代表作として確実に名が上がる作品に本作は仕上がっている、と言えよう。
尤も、昨今の娯楽作品を好む観客にとって、本作の脚本や演出、編集のリズムは、もしかすると退屈なものなのかも知れないし、本来このような作品では、一般的に物語の背景として、時代の大きなうねり(激動の時代背景)が描かれるものなのだが、本作「海猫」はそれを描かず、野田薫というひとりの女性の生涯にスポットを当て、野田タミ、野田薫、野田美輝という三代の野田家の女性たちの生き様を大河ドラマ仕立てではあるが淡々と描いている。
そして、映画女優伊東美咲を考えた場合、本作「海猫」を第一回主演作品とする上で幸運だったのは、今や話題作を続々と発表する森田芳光がメガホンを取った事、そして脇を固める豪華な俳優陣の存在、そして伊東美咲が演じる野田薫に集中的にフォーカスをあてた脚本、更には北海道函館近辺の方言によるセリフ回しが野田薫の性格とマッチし上手く機能している点などがあげられる。
また本作の伊東美咲からは、その儚げで刹那的な美貌と、物語の冒頭でもう既に亡くなってしまっている野田薫の生涯を振り返る形式の物語構成のため、かつての名女優夏目雅子の生涯を振り返っているかのような誤った映画的記憶を刺激される作品にも思えた。
キャストはなんと言っても伊東美咲である。各メディアを通じて話題になっている濡れ場の体当りの演技もさることながら、スタッフとキャスト全てが一丸となって、伊東美咲のために尽くしているのが感じられるし、北海道函館地方のつっけんどんで朴訥、下手をすると棒読み的なセリフ回しが彼女の演技を救っているのかも知れないが、性格的には主体性に乏しい女性を見事に演じきっている。
特に、佐藤浩市演じる赤木邦一との出会いの後、駐車場で交わす会話のシークエンスの所在無さげな印象が素晴らしい。
また美輝の出産シーンをはじめとして様々なシークエンスでの微妙な表情は見事である。
そして薫の生涯をフラッシュ・バックで見せられた日にゃあ、その激動の人生に感涙モノなのだ。
薫の夫、赤木邦一を演じた佐藤浩市も素晴らしい。
北海道南茅部町の閉鎖された漁村の中で、地元住民として馴れ合いながら生きていくしか術を持たない単純な男を好演している。
また邦一の弟で薫に憧れる赤木広次を演じた中村トオルも良い。泥沼にはまり、逃れられなくなっていく姿が美しくも悲しい。広次はキリスト教的背景を持ったキャラクターであり、マリアのメタファー薫を崇拝する役柄を演じている。
この辺りが、函館を舞台に選んだ所以なのかもしれない。
因みに、この三人は「LOVERS」の三人と印象が被るかもしれない。
薫の母タミを演じた三田佳子は物語の語り部として機能し、本作を描く上で必要不可欠な重鎮としての格と安心感を醸し出している。この映画を制作する上で、最も重要なキャラクターのひとりである。この重要なキャラクターを三田佳子が演じる、と言う事は、この映画にとって非常に幸運な出来事だったと思う。
物語の発端を作る薫の長女美輝を演じたミムラと、その妹美哉を演じた蒼井優は、最近ドラマや映画に出ずっぱりだが、役は小さいながら、印象に残る演技を見せてくれている。
また薫の姑で、邦一と広次の母赤木みさ子を演じた白石加代子も素晴らしい。優しい姑から怖い姑までを見事に演じ、三田佳子同様、映画に格と安心感を付与している。
薫の弟野田孝志を演じた深水元基はダメな男を好演しているし、小島聖演じる啓子は過去の映画的記憶を髣髴とさせ男を惑わす女性を好演している。
このように、本作「海猫」は、所謂演技派の俳優(女優)陣が顔を揃えた演技合戦も楽しめる素敵な作品なのである。
撮影(石川稔)は、若干カメラがガクガクしている感があるが、叙情的で寒々しい北海道の街並みを見事に切り取っている。またロケーション効果が高く良い仕事をしていると思うのだが、よくわからないカメラの動きが何度かあった。
特に崖から海を眺めるシーンにおけるカメラの行ったり来たりするドーリー移動の趣旨が良くわからなかった。
編集の田中愼二は、最近の森田作品は全て担当しており、最近の森田芳光のリズムは彼が作っている訳だ。
わたし的には濡れ場の見せ方が非常に上手いと思った。いろいろ問題があったのだろうと思うのだが、非常に官能的なカット割がされている。
またシーン変わりのつなぎのカットによる街並みの見せ方からの導入は、森田芳光の8mm映画や初期の商業映画の雰囲気が出ていたような気がした。
脚本(筒井ともみ)は、前述のように本来このような大河ドラマ的な作品は、大きな時代のうねりに翻弄される登場人物を描くのが順当なのだが、本作では大きなうねりを描かず、語弊があるが、大河ドラマにしては登場人物の周りだけを描いた小さな物話になっている。
その小さなドラマを楽しめるかどうかが、観客の評価の分岐点になるのではないかと思う。
本作「海猫」は、伊東美咲の濡れ場等々で話題の作品であるが、決してそれだけでは無く、俳優陣の重厚なドラマが楽しめる真摯で良心的な作品に仕上がっている。
娯楽大作を好む観客にはもしかしたら退屈な映画かも知れないが、現代のミューズ伊東美咲を楽しむ以外にも、実りがある作品に仕上がっている。是非観ていただきたい日本映画の一本なのだ。
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