追悼 クリストファー・リーヴ
2004年10月11日 エッセイ/コラム
クリストファー・リーヴという名の俳優がいた。
1952年に生まれた彼は、舞台俳優、TV俳優を経て、1978年「原子力潜水艦浮上せず」の端役で映画デビューすることになる。
そして同年彼は「スーパーマン」のタイトル・ロールに大抜擢され、一夜にしてそのさわやかな笑顔と共にスターダムに登りつめ、世界中の恋人になった訳である。
そして「スーパーマン」以降現代まで、ありとあらゆるアメコミ・ヒーローが映画化され、その映画化作品の数は、枚挙に暇がない。
傑作もあり駄作もある、それらスーパー・ヒーローの映画化作品は、その時代のヒーロー像のイメージ通りの俳優がそれぞれスーパー・ヒーローを演じている。
例えば「バットマン」であればマイケル・キートンが、「スパイダーマン」であればトビー・マグワイアが、と言う具合に、その時代のスーパー・ヒーローのイメージを様々な俳優たちが、その時代その時代の社会情勢にマッチしたヒーロー像を見事に具現化している。
しかし、残念ながらクリストファー・リーヴの「スーパーマン」を超えるスーパー・ヒーロー像にわたし達は出会っていないのである。
彼は「スーパーマン」を通じて、世界中の観客を愛し、世界中の観客に愛され、そして夢と正義と希望を象徴するキャラクター像を具現化し、何よりもわたし達を最大限満足させてくれる素晴らしいスーパー・ヒーローになったのである。
そして彼は、「スーパーマン」という映画を通じて、勿論スーパーマンとなり、クラーク・ケントとなり、それと同時にクリストファー・リーヴと言う名のヒーロー像のイコンになったのである。
そして、1995年の落馬事故である。
彼はその落馬事故で脊髄を損傷し、首より下が不随となり、車椅子生活を余儀なくされてしまう。
彼はそれ以来リハビリに努め、努力の人となり、脊髄損傷者たちのための財団を立ち上げ、ある意味脊髄損傷者たちのスポークスマンになったのである。
そして彼は、彼特有の不屈の精神によりリハビリを続け、その努力の甲斐があり、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していたのである。
当初は不可能とされていた回復を超人的な力で次々と成し遂げてきていたのである。
そう、クリストファー・リーヴは、世界中の恋人であり、スーパー・ヒーローそのものであり、そして脊髄損傷者たちの治癒の希望の象徴になったのである。
脊髄損傷者たちは、あなたがリハビリに努力し、超人的なスピードで回復していく様を、そして脊髄損傷者たちの代表としてスピーチする姿を見て、どんなに勇気づけられたであろうか。
わたし達はスーパー・ヒーローを、そして希望の象徴を失ったのである。
わたしの記憶の中で、あなたが最高に輝いている瞬間がある。
「スーパーマン」シリーズのラストに、あなたがファン・サービスとして必ず挿入した映像である。
地球の周りを飛ぶあなたはカメラ越しに世界中のわたし達観客に微笑みかけ、わたし達に手を振る。
その笑顔は、映画の中のヒロインであるロイス・レーンに向けられたものではなく、映画の外、現実の世界に存在するわたし達観客に向けられていたのだ。
その瞬間、わたし達はあなたを確実に愛していた。
その笑顔を、夢と正義と希望を象徴する、あなたの爽やかな笑顔をわたし達は決して忘れない。
映画俳優は観客の愛により永遠の命を得ると言う。
もしそれが本当の事ならば、世界中に愛されたあなたは、永遠の命を得ていたはずなのだ。
ぼく達は、あなたがもう一度立ち上がりスクリーンによみがえる事を信じていた。
あなたに課せられた脊髄損傷は、スーパー・ヒーローの試練に過ぎない事を信じていた。
ぼく達は、新たな世代のスーパーマンと対峙する、あの小憎らしいレックス・ルーサーを楽しげに演じるあなたの姿を夢見ていた。
なんなら、ラストに立ち上がってくれれば、普段は車椅子に乗っているレックス・ルーサーでも構わない。
ぼく達は、あなたのレックス・ルーサーが、いずれ見れると思っていた。
あなたの死はわたし達にとってあまりにも突然で、とてつもなく大きい。
映画ファンのエゴを承知で酷な事を言わせていただければ、あなたは死んではいけない人だったのだ。
C・リーブ氏死去 「スーパーマン」主演俳優
【ニューヨーク11日共同】
人気映画「スーパーマン」に主演、落馬事故で首から下が不自由になった後は障害者の権利向上などに尽力していた米国の俳優クリストファー・リーブ氏が10日、心不全のためニューヨークの病院で死去した。52歳。AP通信が伝えた。
身体のまひにともなう合併症が悪化し、9日にニューヨークの自宅で心臓発作を起こし、手当てを受けていた。
1952年ニューヨーク生まれ。ジュリアード音楽院で学び、ロンドンに留学。78年「原子力潜水艦浮上せず」で映画に初出演した。同年の映画「スーパーマン」の主役クラーク・ケントに抜てきされ、大スターの仲間入りを果たした。「スーパーマン」は87年の第4作までシリーズ化された。
95年5月、バージニア州で落馬して脊髄(せきずい)を傷めて首から下が不随となったが、病院や自宅で懸命にリハビリを続け、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していた。(共同通信)
■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。
参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
1952年に生まれた彼は、舞台俳優、TV俳優を経て、1978年「原子力潜水艦浮上せず」の端役で映画デビューすることになる。
そして同年彼は「スーパーマン」のタイトル・ロールに大抜擢され、一夜にしてそのさわやかな笑顔と共にスターダムに登りつめ、世界中の恋人になった訳である。
そして「スーパーマン」以降現代まで、ありとあらゆるアメコミ・ヒーローが映画化され、その映画化作品の数は、枚挙に暇がない。
傑作もあり駄作もある、それらスーパー・ヒーローの映画化作品は、その時代のヒーロー像のイメージ通りの俳優がそれぞれスーパー・ヒーローを演じている。
例えば「バットマン」であればマイケル・キートンが、「スパイダーマン」であればトビー・マグワイアが、と言う具合に、その時代のスーパー・ヒーローのイメージを様々な俳優たちが、その時代その時代の社会情勢にマッチしたヒーロー像を見事に具現化している。
しかし、残念ながらクリストファー・リーヴの「スーパーマン」を超えるスーパー・ヒーロー像にわたし達は出会っていないのである。
彼は「スーパーマン」を通じて、世界中の観客を愛し、世界中の観客に愛され、そして夢と正義と希望を象徴するキャラクター像を具現化し、何よりもわたし達を最大限満足させてくれる素晴らしいスーパー・ヒーローになったのである。
そして彼は、「スーパーマン」という映画を通じて、勿論スーパーマンとなり、クラーク・ケントとなり、それと同時にクリストファー・リーヴと言う名のヒーロー像のイコンになったのである。
そして、1995年の落馬事故である。
彼はその落馬事故で脊髄を損傷し、首より下が不随となり、車椅子生活を余儀なくされてしまう。
彼はそれ以来リハビリに努め、努力の人となり、脊髄損傷者たちのための財団を立ち上げ、ある意味脊髄損傷者たちのスポークスマンになったのである。
そして彼は、彼特有の不屈の精神によりリハビリを続け、その努力の甲斐があり、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していたのである。
当初は不可能とされていた回復を超人的な力で次々と成し遂げてきていたのである。
そう、クリストファー・リーヴは、世界中の恋人であり、スーパー・ヒーローそのものであり、そして脊髄損傷者たちの治癒の希望の象徴になったのである。
脊髄損傷者たちは、あなたがリハビリに努力し、超人的なスピードで回復していく様を、そして脊髄損傷者たちの代表としてスピーチする姿を見て、どんなに勇気づけられたであろうか。
わたし達はスーパー・ヒーローを、そして希望の象徴を失ったのである。
わたしの記憶の中で、あなたが最高に輝いている瞬間がある。
「スーパーマン」シリーズのラストに、あなたがファン・サービスとして必ず挿入した映像である。
地球の周りを飛ぶあなたはカメラ越しに世界中のわたし達観客に微笑みかけ、わたし達に手を振る。
その笑顔は、映画の中のヒロインであるロイス・レーンに向けられたものではなく、映画の外、現実の世界に存在するわたし達観客に向けられていたのだ。
その瞬間、わたし達はあなたを確実に愛していた。
その笑顔を、夢と正義と希望を象徴する、あなたの爽やかな笑顔をわたし達は決して忘れない。
映画俳優は観客の愛により永遠の命を得ると言う。
もしそれが本当の事ならば、世界中に愛されたあなたは、永遠の命を得ていたはずなのだ。
ぼく達は、あなたがもう一度立ち上がりスクリーンによみがえる事を信じていた。
あなたに課せられた脊髄損傷は、スーパー・ヒーローの試練に過ぎない事を信じていた。
ぼく達は、新たな世代のスーパーマンと対峙する、あの小憎らしいレックス・ルーサーを楽しげに演じるあなたの姿を夢見ていた。
なんなら、ラストに立ち上がってくれれば、普段は車椅子に乗っているレックス・ルーサーでも構わない。
ぼく達は、あなたのレックス・ルーサーが、いずれ見れると思っていた。
あなたの死はわたし達にとってあまりにも突然で、とてつもなく大きい。
映画ファンのエゴを承知で酷な事を言わせていただければ、あなたは死んではいけない人だったのだ。
C・リーブ氏死去 「スーパーマン」主演俳優
【ニューヨーク11日共同】
人気映画「スーパーマン」に主演、落馬事故で首から下が不自由になった後は障害者の権利向上などに尽力していた米国の俳優クリストファー・リーブ氏が10日、心不全のためニューヨークの病院で死去した。52歳。AP通信が伝えた。
身体のまひにともなう合併症が悪化し、9日にニューヨークの自宅で心臓発作を起こし、手当てを受けていた。
1952年ニューヨーク生まれ。ジュリアード音楽院で学び、ロンドンに留学。78年「原子力潜水艦浮上せず」で映画に初出演した。同年の映画「スーパーマン」の主役クラーク・ケントに抜てきされ、大スターの仲間入りを果たした。「スーパーマン」は87年の第4作までシリーズ化された。
95年5月、バージニア州で落馬して脊髄(せきずい)を傷めて首から下が不随となったが、病院や自宅で懸命にリハビリを続け、2002年には手や足の指先を少しだけ動かせるまでに回復していた。(共同通信)
■人気blogランキング
当blog「徒然雑草」は「人気blogランキング」に登録しています。
参考になったら、クリック!(現在のランキングがわかります)
http://blog.with2.net/link.php?29604
コメント