前略、関口現さま/公開ファンレター
2004年9月23日 映画 前略、関口現さま
はじめてお便り差し上げます。
わたしは、先日東宝本社試写室で行われた「SURVIVE STYLE5+」のティーチ・イン試写会に参加したtkrと言う者です。
「SURVIVE STYLE5+」と試写後に行われたティーチ・インの中で、関口現さまのお人柄に感じ入り、失礼とは思いましたが、お便り申し上げた次第でございます。
さて、関口現さまと多田琢さまのCF業界における名声は勿論存じておりましたし、TVで放送されるお二人が製作された様々なCF作品を目にする機会も多く、そんなお二人が「SURVIVE STYLE5+」と言う作品で映画業界に殴りこみをかける、と言う事ですから一映画ファンとして大きな期待を持っていました。
しかしその反面、一映画ファンとしましては、CF業界のクリエイターが映画を製作する、と言う事に対して否定的な思いがあった事も事実です。
「CFが評価されてるからって映画界を荒らすんじゃねえよ」
「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」
そして実際のところわたしは、ティーチ・インの場では「SURVIVE STYLE5+」とお二人に対して、厳しく辛辣な意見をぶつけ、泣かしてやろう、と言うような気持ちで参加したのです。
そんな中、わたしは「SURVIVE STYLE5+」を体験した訳です。
オープニング・クレジットは、最近ありがちのフラッシュ・アニメーション系のクレジットでした。最近では「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」や「69 sixty-nine」、「サンダーバード」でおなじみです。
「なんだよ、またフラッシュかよ」と思いながらクレジットを観ていたのですが、わたしの記憶に何かが引っかかりました。それは丁度催眠術師青山を演じた阿部寛のクレジット部分でした。
「おやっ、市川崑が入っているぞ!?」わたしは市川崑へのオマージュと思われるクレジットに愕然とし「もしかしたら、こいつら一味違うかもしれない」と思ったのです。
一般的にわかりやすい映像作家へのリスペクトではなく、通好みの映像作家へのリスペクトらしきモノを見つけたわたしは、「もしかしたらこいつら映画莫迦なのかも知れない」わたし達に近いモノを持っている人かも知れない、と思った瞬間でした。
本編が始まり、森のシーンから石垣(浅野忠信)が帰ってきます。その自動車のミラーにぶら下がるモノはかつての角川映画を彷彿とさせるものでした。
そして、翌朝の朝食のシークエンスでは、石垣(浅野忠信)が食事する姿を横パンでとらえ、石垣(浅野忠信)はあろうことかコーヒーを一気飲みするのです。
「あぁ、これは森田芳光の「家族ゲーム」だったのだ」だとすると石垣(浅野忠信)が着ている印象的なコートは松田優作のコートに対するオマージュなのか!?
そして、青山(阿部寛)とCMプランナーの恋人洋子(小泉今日子)のシークエンスでは、モロにスタンリー・キューブリックの「シャイニング」への言及があります。しかもREDRUMの解説や、ダニーのモノマネまで阿部寛にやらせる徹底振りに驚かされてしまいます。
さらにキューブリックへのオマージュは続き、勿論シンメトリーな構図は続くし、極めつけは空中から石垣(浅野忠信)の目前まで落ちてきた妻(橋本麗香)が石垣(浅野忠信)に殴りかかるシークエンスでは「時計じかけのオレンジ」のラストカットにかぶるベートーベンがかかった日には、映画的記憶と合わさった感動のあまり、文字通り身動きが取れなくなってしまいました。
更に、小林(岸部一徳)一家の団欒のシーンでは、ヴィンセント・ギャロの「バッファロー’66」のカット割を再現し、動きが繋がったまま別のカットに変わる度合は「バッファロー’66」をはるかに凌ぎ、あれは一体どうやって撮ったのだろう、という疑問まで湧きました。
また、本作自体がある意味「マグノリア」をはじめとする、「複数のエピソードを語りつつ、最後に1本のプロットで纏め上げる」と言う方式の作品であった事もあるのですが、ラストの出来事を見つめる洋子(小泉今日子)が乗るタクシーの窓にカエルのステッカーが貼られている所を見ると、「あぁ、やはりこれは「マグノリア」だったんだ」と観客に目配せを送るあたりは、なんとも粋な印象を受けました。
そして、なんと言っても脚本が面白いのです。
複数のエピソードをラストに1本のプロットに纏め上げる部分には、若干不満(見ているだけではなく、絡んで欲しかった)がありますが、それぞれのエピソードの脚本が素晴らしく、微に入り細に入り細かく演出されたディテイルが美術や衣裳と融和し素晴らしい世界観を構築しています。
例えば、ロケットパンチや火を吹く理由が前のシークエンスで明確に描写されていたり、神木隆之介が描いた図画やセリフが非常に良い感動的な伏線になっていたり、しつこいまでの森下(森下能幸)とJ(JAI WEST)のズームアップ、荒川良々の衣裳や事務所の写真のディテイル、細かいプロットや伏線を挙げていくとキリがありません。
そういった脚本の冴えと演出の冴え、俳優の演技、美術と相まって、本作「SURVIVE STYLE5+」は邦画の枠を飛び越えた、素晴らしい娯楽作品に昇華しているのだと思います。
映画上映後のティーチ・インでも、関口現さまが大学時代映画研究会に属していたことを知り、様々なお話の中から「あぁ、この人は愛すべき映画莫迦だったのだ」と思い、
「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」
と思っていた元映画研究会員でもあるわたしは、そんな先入観に恥じ入る始末でございました。
そしてわたしの中には、ティーチ・インの後、出来れば関口現さまをつかまえて、キューブリックや森田芳光、そして彼らの映画について語り明かしたい、という欲求がふつふつと沸いてきましたが、初対面でそんな失礼な事も出来ないと重い、今回この公開ファンレターと言う形でわたしの気持ちをお知らせした次第なのです。
監督とファン、と言う図式ではなく、ただの映画好きとしてお話したいと思った次第でございます。
と言う訳なので、お返事お待ちしています。
草々
ところで殺し屋(ヴィニー・ジョーンズ)が何度も何度も発する質問はアイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」に対する言及でしょうか。
「SURVIVE STYLE5+」
http://diarynote.jp/d/29346/20040910.html
はじめてお便り差し上げます。
わたしは、先日東宝本社試写室で行われた「SURVIVE STYLE5+」のティーチ・イン試写会に参加したtkrと言う者です。
「SURVIVE STYLE5+」と試写後に行われたティーチ・インの中で、関口現さまのお人柄に感じ入り、失礼とは思いましたが、お便り申し上げた次第でございます。
さて、関口現さまと多田琢さまのCF業界における名声は勿論存じておりましたし、TVで放送されるお二人が製作された様々なCF作品を目にする機会も多く、そんなお二人が「SURVIVE STYLE5+」と言う作品で映画業界に殴りこみをかける、と言う事ですから一映画ファンとして大きな期待を持っていました。
しかしその反面、一映画ファンとしましては、CF業界のクリエイターが映画を製作する、と言う事に対して否定的な思いがあった事も事実です。
「CFが評価されてるからって映画界を荒らすんじゃねえよ」
「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」
そして実際のところわたしは、ティーチ・インの場では「SURVIVE STYLE5+」とお二人に対して、厳しく辛辣な意見をぶつけ、泣かしてやろう、と言うような気持ちで参加したのです。
そんな中、わたしは「SURVIVE STYLE5+」を体験した訳です。
オープニング・クレジットは、最近ありがちのフラッシュ・アニメーション系のクレジットでした。最近では「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」や「69 sixty-nine」、「サンダーバード」でおなじみです。
「なんだよ、またフラッシュかよ」と思いながらクレジットを観ていたのですが、わたしの記憶に何かが引っかかりました。それは丁度催眠術師青山を演じた阿部寛のクレジット部分でした。
「おやっ、市川崑が入っているぞ!?」わたしは市川崑へのオマージュと思われるクレジットに愕然とし「もしかしたら、こいつら一味違うかもしれない」と思ったのです。
一般的にわかりやすい映像作家へのリスペクトではなく、通好みの映像作家へのリスペクトらしきモノを見つけたわたしは、「もしかしたらこいつら映画莫迦なのかも知れない」わたし達に近いモノを持っている人かも知れない、と思った瞬間でした。
本編が始まり、森のシーンから石垣(浅野忠信)が帰ってきます。その自動車のミラーにぶら下がるモノはかつての角川映画を彷彿とさせるものでした。
そして、翌朝の朝食のシークエンスでは、石垣(浅野忠信)が食事する姿を横パンでとらえ、石垣(浅野忠信)はあろうことかコーヒーを一気飲みするのです。
「あぁ、これは森田芳光の「家族ゲーム」だったのだ」だとすると石垣(浅野忠信)が着ている印象的なコートは松田優作のコートに対するオマージュなのか!?
そして、青山(阿部寛)とCMプランナーの恋人洋子(小泉今日子)のシークエンスでは、モロにスタンリー・キューブリックの「シャイニング」への言及があります。しかもREDRUMの解説や、ダニーのモノマネまで阿部寛にやらせる徹底振りに驚かされてしまいます。
さらにキューブリックへのオマージュは続き、勿論シンメトリーな構図は続くし、極めつけは空中から石垣(浅野忠信)の目前まで落ちてきた妻(橋本麗香)が石垣(浅野忠信)に殴りかかるシークエンスでは「時計じかけのオレンジ」のラストカットにかぶるベートーベンがかかった日には、映画的記憶と合わさった感動のあまり、文字通り身動きが取れなくなってしまいました。
更に、小林(岸部一徳)一家の団欒のシーンでは、ヴィンセント・ギャロの「バッファロー’66」のカット割を再現し、動きが繋がったまま別のカットに変わる度合は「バッファロー’66」をはるかに凌ぎ、あれは一体どうやって撮ったのだろう、という疑問まで湧きました。
また、本作自体がある意味「マグノリア」をはじめとする、「複数のエピソードを語りつつ、最後に1本のプロットで纏め上げる」と言う方式の作品であった事もあるのですが、ラストの出来事を見つめる洋子(小泉今日子)が乗るタクシーの窓にカエルのステッカーが貼られている所を見ると、「あぁ、やはりこれは「マグノリア」だったんだ」と観客に目配せを送るあたりは、なんとも粋な印象を受けました。
そして、なんと言っても脚本が面白いのです。
複数のエピソードをラストに1本のプロットに纏め上げる部分には、若干不満(見ているだけではなく、絡んで欲しかった)がありますが、それぞれのエピソードの脚本が素晴らしく、微に入り細に入り細かく演出されたディテイルが美術や衣裳と融和し素晴らしい世界観を構築しています。
例えば、ロケットパンチや火を吹く理由が前のシークエンスで明確に描写されていたり、神木隆之介が描いた図画やセリフが非常に良い感動的な伏線になっていたり、しつこいまでの森下(森下能幸)とJ(JAI WEST)のズームアップ、荒川良々の衣裳や事務所の写真のディテイル、細かいプロットや伏線を挙げていくとキリがありません。
そういった脚本の冴えと演出の冴え、俳優の演技、美術と相まって、本作「SURVIVE STYLE5+」は邦画の枠を飛び越えた、素晴らしい娯楽作品に昇華しているのだと思います。
映画上映後のティーチ・インでも、関口現さまが大学時代映画研究会に属していたことを知り、様々なお話の中から「あぁ、この人は愛すべき映画莫迦だったのだ」と思い、
「どうせスタイルだけの独りよがりのマスターベーション映画じゃねえの」
と思っていた元映画研究会員でもあるわたしは、そんな先入観に恥じ入る始末でございました。
そしてわたしの中には、ティーチ・インの後、出来れば関口現さまをつかまえて、キューブリックや森田芳光、そして彼らの映画について語り明かしたい、という欲求がふつふつと沸いてきましたが、初対面でそんな失礼な事も出来ないと重い、今回この公開ファンレターと言う形でわたしの気持ちをお知らせした次第なのです。
監督とファン、と言う図式ではなく、ただの映画好きとしてお話したいと思った次第でございます。
と言う訳なので、お返事お待ちしています。
草々
ところで殺し屋(ヴィニー・ジョーンズ)が何度も何度も発する質問はアイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」に対する言及でしょうか。
「SURVIVE STYLE5+」
http://diarynote.jp/d/29346/20040910.html
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